旗裁縫口傳並武明論
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- 百武氏庸
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- 2026-08-17T19:23:21.346Z
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- 2026-08-17T19:23:21.346Z
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- ハタサイホウクデンナラビニブメイロン
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- 2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
病中
旗裁縫口伝并武明論
一旗裁縫口伝并武明論
以テ購入セル消富士
まし
四日
旗裁縫口伝之事
一月は正五九月本式但急の時日余の目たり共是を
可用曰ハ丑日本式ハ未日亥日を可用時ハ立命を可
用戌巳庚辛を可恐重白を用事候而則又天の縁口成故也
一朔日出る時毎而の間にて東に可向着其日東方等西神
あらひ王相方に可向或は玉女方に可向
一兼日等精進三七日或候一七日毎日行水子有之瀧の水清き
流川の水を可用七文字を用候事は須弥のこんりう七
手にまして世界をおすゆへに是をかたとる儀也
一枚
布
七五三
たら板
柳
一旗たら経時かき自て物の事莚藤伊匠
かねの空
尺
榊原京左右衛門
周の尺
□□□□□□□□□
一肴の様打鮑勝栗昆布酒公郷折敷洗米
土器桑弓二錦蓬矢一もあしの矢同しやうふくみ以上
一尺は東向の柳の枝を以て金の尺にもして用え
一載時是心中に斎舎の次第心経七巻去ゆく野くわかい
一の晩戸利文天皇大勝金剛九字文已上平一遍也
一勧請祈念の神
伊勢太神宮八幡大弁具主の氏神
▢一旗をたつ役人出仕の作法烏帽子貞垂を着し合
手一人同様に出立てともにひざまつく
一裁式座の事
四十
〆一
□□□□□□□
言
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
□□□□□□□
◎
目図
四
同
日
諸兵
二
二
目
裁主
一刀を金剛剱を内に握りて刀を外方へむけてたちてあ
三肴にて三献或ハ一献か有祝言
一金剛殿とハ尚式人の弓を握ることく大指と次の指にて在片爪を
わる人外の方へむしとは我身へひかぬは向へたちやる也前へ不可引
一旗縫調次第先筵を敷其上よて縫横にぬふ所を候右ゟぬい始
左に給ふ針を不留して九計右へぬふ又申きへ七針のふ糸はやすへし又左之
に番に縫所をは上ゟ縫始め下へぬい下し針をとむ日なり
一一経調へたて旗の銘を書からする事一七ヶ日或三日其術法可
有其後家々の紋書能々か持か有也
一手を付候規式本式大此時韻文に曰天上天下唯我独尊其注旗
を落上へ出しさし上時手をとす名つ時同し文を前へさたを
4
差上旗のたいに立納事其日玉女の方へむけ奉るへし
一へんはい福儀式御幣を持九字の文唱如斯たるへし
思ひかきおめくるあしの事
前右足九皆右足五関右疋三右疋
烈右足七者左足四臨右是一
左左尼八陣左尺六兵左足二左尾
一御幣洗米肴手向奉る前に立てをき施たらぬふはし
め精を無沙汰なれは必風逆にふき旗竿にまとはれなと
する時は一七日からくわんしやうまへのわし
一煙草取次第霊所の竹の大さほそきを見定末もかれるも竹
の虫もさゝす節問のひたり竹を立るよら七日或三日からして
取其日の生門の方へ取出すへき也かちの晩印に曰戸利支天王九
定の文何もけん印也取様根ほり立勝二流也若立勝
一次刀にて立勝十節数ハ重等す一からす可為半也
一竿の長さ短き丈二尺或日一丈五尺又六尺也但一丈六尺ハ
天子の御旗竿と云口伝有之
一竿の図
矢谷切にするひ上を包左し包事一尺二寸まて可包
水こふしにからすきば八寸一色あいかわふすへ革
□□
節の数半なるへし
□□□□□□□
長さ一丈五尺ふし間によりて
心を上をとす程と云々長さ一丈五尺ふし間によりて
みしかくは用也一分も長事
一穴の上二寸五分
有之候
一一総期御旗の筆の事
一蝉口仏神守等入也并大勝金剛覧文入給也
大阪市町
そらへてなかへていつわりさらにたねかさす
一二三四五六
同断九月廿一返
右はらいは天下に一人も外無相伝はらひ也若伝へは
末後におひて子一人にか伝左也可救にて
王子の御旗の秘事とは此はくひに依てのこと也穴賢
可秘言
サン
此緒は集
此緒は麁
付と云代
此後くろ皮
十九銘
此にこぬいまて折返す事二尺五寸
家紋
足長惣長三軒
一分たる十
あらいかわ
此三所けんやうかい甲斐の国役
一旗を仕立に定るす法ゟも短く狭き事はくはしかはす
一分にてもすつゟ長く広くハ打ぬ奉せ候
銘家紋一丈二尺
尾の長サ間一尺二寸又横二尺上すソの
横又ヒ左右へ縫フ中ハシ横又ヒ上下
ヘヌフ
上ゟ黒皮にて縁を取事二尺五寸上のよそこめけを重見
銘かく硯筆硯を洗ひたきよきをかま也
一旗袋の
赤地の錦
大紋裏は
綾にて付る
南閉
出陣の時は前所かけ
□□
帰陣の時九て後也
父
一如斯用意して後大将本尊に酒を手向事本尊の御前に
うつくまつて三石皿の土器に九度入て手向奉る其時誦文
米田天天下唯我独尊義悲納文我軍立勝と三違可
一唱其後本座に直る扨出陣門出の時の祝のことくに可祝但
御陣の時も大将一人祝也此説ハ諸侍にも可祝是斗替也旗迄
一か持したると云事大勝金剛の真言中淡我我我彼秘
一密を祓すへし手付の儀式の事家の子旗竿を持参竿の中
註を抛りて蝉本を土将の御前になす時龍のものはしを浚てさん
ほうむとひの中へ上ゟ入ぬき通し其緒を両方へわけて戦取に
取て一結ひ結けて其後者を折返しひをはすへにして一度ニ
可詰候右は敵左候御方出張の儀式少も不可替けん印とは不動の
一刃印又立勝とは当流にて根を削るを戸半に仕事は二人不勝心也
此分赤旗布族長短家々に依て或候吉例を以する事も有尋
する事には一色を見聞て不審する事なかれ只此外に猥に妙
つせは軍陣天の加護有間敷也能く是をか秘に
武明論
一問宮品々有事荷善色の事青黄赤白里是四季土用に
一象此内黒又四封忠也時に可流強て不可ぬ但是自も時可有
人の好に依也敵れ在所に随ひて春夏粉冬土用いるゝかゝ相
冠相生を考て了簡可有去共赤白ひ陰陽臨全の両郡に
幾間大略ハ此上の色の中にても好にか流生し性を考へ
事有猶々口伝に有へし又刀不戴
一古原にて可縫陽の儀を表する人糸を五匁にする時良有口伝
一二重の二等しさすに大事の習有六ひたの小袴を一ひた
にとりてしたりしゆえ也御伝秘事也
一日水いまた下らさもわなの女にぬわすへし大程は三七日精をあ
うんにはぬわすし女を一向嫌ふ子細なし母衣ハ神后皇
宮もめされしに俄女尤本意尺精進たにあらハ尤いふ中レ
一西北に向てたちぬふ一らす陰の方の故也
一然載に大事立戌巳庚辛丑未辰戌の日裁継十
一同時の酒肴の事瓶子一具肴ハ打配勝栗昆布三狸也
先七尺に棚をゆひて方にならひ有酒肴を仏神に献一奉日月
星宿是馬の次第殊に大成習事有口伝別条有師に可
伝玉世の方本也一切仏神に献奉りて後日月星宿に可
一献付帰命日輪戸利支天帰命水天戸利支天帰入申
一七星本帰命二十八宿と唱か奉可物に
一かけ納秘玉菩是ハ余に秘伝たる間前に注立同しゆらする時
一奥銭のそか者むる事有いかゝ答此母衣用事せんじやう計と心へては
大成誤る人此興価常さ衣のことく身を不可放身面ハ母衣と云々
真実真のの興にかへ経に曰仏の累にふくてんと習事五條七
條九條土北に随る様〻の説有其外廿五条故ととてあれ共
当地暮く用候所ハ此三疋此てうことに三世十分の諸仏の住所也
応しんのじやか仏の御けたは迦葉尊なのりやうし給ひてしそんの
出世を侍けいろし山に篭り給ふも是後世に知所大各心のけきと
いふは無色無際にしてくうちうの四天われ四角を引張給ふ此たはさ
うけりかたし此けさをくわけする時百倍の須弥百倍の尺迦百
億の日月みなけさの中に納しやむほろ共云せんたい此ほろ
心のけたに不異故に五のほろの申に三手大千世界無量の世
界を油と云習有たと一はしゆみけしさうかいの法文にことなるへ
からす此ほろけさめ則仏身也則我目固本無性の身の神史
一屡法文の心を観すれしけとり経に曰三界唯一心心外無別法心の
内衆生是三無差以前此文を可顧問母衣を五田町に裁事いかゝ善木
火大金水の五行五升に巻土用一にに等司ル間十二にひたを事
白く善是に猶る大事の翌有かやうに事細伝習とハ耳なれて
後見の輩中々後世にする事心有へし去共大綱を少く可申十二
もひたるれ共不掛時中心のひたをかて十三也是を掛時十二也
一方角の十二方一このひたを六月ゟ十二月に至て用る様又十二堀を
申也一年中の十二月一日一夜の十二時ゟ又天神七頃地神五頃を
動詣する也大秘事也又十六日願ひたる薬師の十二神持を
勧請してしゆらする習有如何となれは彼十二神十二夜又神
一本火也皆是釈迦あまた観音普賢文殊地蔵也此仏だけし
各々の眷属七千夜母乃至無量無過也一切諸仏九万八千の軍
神の本代此仏舎藩の外は不可有此故に此葬を三世十方の仏弁
住所やと習は是也十二のひたに十二目派の勧請し習事有又十二
運命を表儀尺依之章々の習有是又年の関にありて用極目に表
する子細有戦あらん年の国のあらけにあてかけ用事習有又
十二のひたに中心の一をかて十三疋又母衣の裏ゟかそふれは十二也
一面煮合て廿五ひたす是を取合廿五三まい酢々に亀る也是皆
仏法を象る尺間有成故にこしを七尺五寸にするそや答七尺
〇七徳を備ふ五寸ひ五行を具す又七尺五寸は大略わの見に向
心か成間中のひたを一尺三寸三分にするハいく答一尺になす也
一是まの仙尺土やう去ゆの銭を表す三寸三分ハ隅を用ゆへ
一間縫糸の端を不返事いかゝ答本きにかへれは不苦也右に是を
吉也問奥外の母衣は黄辛の袍をかけ始給ふ此時ゟ起る尺去共
一同武三秦始皇なと這ハ袍の後也ほろと号するは漢武帝の国
蘇武ゟ始たる也我期のほろと云候何の代ゟそや普初に云すか少
には和漢ことなれ共心通せすと云ことなし我所の母衣の起る事は
一継孝の御子日本武の尊融退法の時野大に逢給るし時甲冑
の上に御衣を引かけ給りて野火を凌き給これ日本裏の始め也
おほろと云事なし只御身女体なしゆへに召つけられさわしほとに
御鎧の上に引かけ給ふと云々又神は后に随ひ奉給し故に用継ける
にや神治皇宮三興を思ふ様に対随へ我拝へ帰給ひ兼神天皇
を産給ひて後二神伊弦を取て袴をぬいあらためて此名をほろし
号而住去れ社に被留置凡夫行助す所にあらす此度天子ゟ将軍
頼義に移し授けれ忝も是也代々将軍に授々ならなると子細に
不及楽府に大車の将ハ常に色つさをかけたりと云へたるも袍の
心かかいてうにハ御衣に多く登の紋を堀付とも日本の錦に同也
一袍は戦ひゆらね共立家出家等の上に常に用日人季請平と云〳〵
兵我方の軍破し時伐死せけと思切てとても死ならハ我味方
の中の掛そに不論様にしられて死んとて金文をしけくほ
り付たる袍を鎧の上に掛て唯一騎数万の中へ駆入て其大軍
をなひしくたき一身の力にて其時の戦に打勝て後は天子れ
位に上申三事有是は心は今のほろ其時の名は只金抱也金
袍となてほろとなよみわ一とそみ娘の名所を名として書
一薮にかきては常の習也此書をは武明論と云故如何なれり
弐里の事をさたして然も武羅れ御不審条之如形明めたも有之
然に夜已に明けれは医房参籠けちくわけ終ぬ程に類義
除
年来れ御不審無所御心地懇切なる御礼有之御出京のゝら此
恐をは参しやすへし退出あめき例のせくに御室前にして
御祈念有て御下向
右此武明論更不可有之有代見奉也
武羅といふ事
親穂昌母衣蕉衣金袍
右如斯むかしよりよみきたる也
此一巻任懇望進之候
宝永六年丑
十一月五日
百武又四郎
亀
□□□□□□□
一、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、〇〇
一、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、〇〇
□□□□□□□□