鎧直垂例文
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- 壷井義知輯
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- 2026-08-17T19:23:21.347Z
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- 2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
府租税{
一
鎧直垂例文
候
直垂の事
荒井恭信氏・
以て購入セル竹閣博士
或人間変の著非に直垂と号するものはいつれの時より始候哉へ
義知案に此号古記に見及は寄候和屋新西宮記のことき装束の
所〳〵熱聚ありといへとも、直垂能号はいまた棧られ寄候、益保元
物語盛衰記平家物語やうの書に見へ候ことは誰も存候しかれ半
苦後世新様の綾にて候哉と存候、此後は晴の衣服にそあらてもと
六位以下宿直なとに内〳〵着用候腹のやうに見へたり但軍用に
今時に臨て軍将も着用せられ候歟各下にしましぬ
〇玉葉建曆二年三月廿二日か正の新新口ぢけちうのしんせい才献上かう
し下からじぜんごにびたゝれ有いかんく寿袴の昌いきるへから寿
〇保元物語上皇三条殿に御幸の事篇ヨリ我朝を御前にめさる
図
赤地の錦の直垂に折烏帽子引立和いたて斗に太刀はいたり碑
後哥見
〽うつほ第二藤原若田さふらいの人ともはたせつくるおとゝくゝりあれて
くれのあしたはきて。さいつゑつきて布のひたゞれきて立給へり
日中行事曰夘時にとのもりの司朝治めするをことにおとろきて蔵
人御殿の格子をあし
又曰亥の時に下格子御簾を多れて第二の間のとうろを内に
とり入てし
又問直垂といふ名目はいかなる故に名付候哉
此直垂を宿衣
義知案に寝具に直垂食食と見へたり
若此寝具により
とも、又宿直物とも言也
て内々宿主の着服に仮備したる名にて候歟但同名異物と可申候哉は
○玉海文治六年正月十一日廿日摂政大政大臣長女入内事計主上様御
一全奉脱之、先取御冠置御机上次御装
装束
来御小袖新着之、臥御東枕也、
御袴御袴御衣北方押違掛御
主上南
三位北
禁秘抄曰御宿衣紅艾立
常ノ事也不用生宿衣
其上先着紅御直垂上奉着御衾云云
後日又問着腹の直垂所々に絞たる総を付候なりしからは先に申聞う
れ候寝具の直垂に母同しき総を付られ候歟
義知曰寝具の直垂には紅の絶さけたる綱を両袖口の下両ゑりさき
をくひつまさきに付られ候なり今着服の直垂を見るに略してもし
りたる総を風情あるやうに付候歟
○禁裏女房内々記曰とのものゝふさのつき所両の袖くち下かたひとつ
々袖にあるものに候両ゑりさき両の御もくびのつまさき以上六ところ
又問着服の直垂多は精好を用られ候是いにしへより実に候哉又は人に
よりて替候哉
義知案り今世見及候は多分木蘭地の精好を用られ候也但包は容
たることも見へ寄候されと母薬紅等の土玄は黒苑院殿美酒は以来将
軍家の御着服登し給ふ故に自余是を憚るよし承候き蓋近衛
殿の御家には紅の直垂を給りて御肴用のやうに見へたりその外に
は納言以下布の直垂を着寄然とも大臣家にも絹を用らりよし右へ
たり但今の世には堂上はをしなへて絹を着用地下は皆布の直
垂を用るやうになれり
〇近衛殿諸大夫日記曰当家真垂着用ちいさ刀さ台事方松院殿渋谷
稙家公
より恵雲院殿雅泉公へ進せられし也元来直垂は武家の衣服
なりしかるに武家と当家入魂ゆへ右のともりなり。其時しからは紅
色の通意ちいさ刀公家衆の分、諸家制したきよし申さるゝ
なり
東永院殿
御覧之内
〇二条殿家装木材田三光院内府折云直垂絹は堂上布は諸太夫着用
し侍しり鹿苑院准后肥近の人々に布の直垂を給しより諸
家布の直垂を着寄然とも大臣家には猶絹を用ゆ但当家にも
一大納言只時の時より布の直垂を給りて着用せしなり然に
称良院公保右大臣拝任の後是をやめ侍ること云云三光院の抄こと
くは諸家納言已下布の直垂を着用寿と見へたり
又間布直垂に色々の紋付る事。何の時より始り候哉又永享記に
帝の書書にからまきひやらもんの品あり此ううまきとはいかゝ染た
るを申候哉は
義知案に布直垂に色々の紋付候始いつれの時とは分明なら
寄候只見のむね下にしるしぬ又からまきの事予も久しく
すみ申さす候所に或古老の言からまきとも竹の皮にていろ〳〵
のもやうをくゝし染たるをいふ也真名には皮巻と書也是頗紙の
ことなるへしと申されし此義いつれの書にいつる事を尋残し
て今に後航し侍り西宮記に傾傾の底衣あり江次第に納傾
の狩衣見へたり布直垂に母さもあるへき事歟
○後京極殿新十二月往来曰宿染付直垂一具扇三本七日科献之群
○永仁三年八月布衣記曰中間事折烏帽子小結常也染直垂に大帷
を重子袴にて大口をかさね直垂の色付地かちんにもんを香或地香
文かちん又は萌黄也家の文也はくにて文を付る時は地の色かちむ
にても香にても無文なり候文を付る在り所上下九所に一そうし
路の縫目左右袖の上へ胸の引合但引合にす文を二つにたちはりて
両方に付同一なり龜は上に四なり袴すうしろ腰の下に一前腰
のうへ左右に二もゝたちに両方二已上五也袴にそくゝりを入上也ぢ
わらちをはく也
○纐纈衣服令義解曰、五色交線以為纈文也
へ廿間云加
○和名抄曰領領
宇ヶ知
結帛為文絲也孫幅曰、絵之有夾花也
伊勢下総入道宗五一冊云京禎袴上下かはるも略儀也、但色絵まてそく
るしからす又からまきひやうもんは御制禁也是は一段晴の時せら
るへき為也びやらわんとは縦は三色にて染たる事にて、二色を三色四色
に染たるはくるしからす其れは必やうもんにてなし候
又問軍用の直垂其結構は人々好次第候歟但制法有之候哉二
義知案に此義必人の高下によるへき事也凡軍中の制法此一事にか
きるへからす、粗肝見下にしるしぬこ
○建武元年五月七日武者所輩可存知条々
一五位以上可用衣冠歩数所着鴈衣肴可用布候
一六位同可為衣冠但准有官瀧口着雁衣者同可用布に
一内々宿直入ニ時、可用布水干葛袴
一鎧直垂蜀錦呉綾金沙金襴紅紫之類細く警固之時不可着以て
一精好大口一切停止之、可用練大口、
一小袖織物絞練貫之類細々不可用、
一金銀装束太刀力数細々不可用候
一唐皮尻鞘切付等同前二
一総鞭常不可用細は警固之時、正員一人之外停止之、
以下文略之
○建武二年三月一日大番條々七ヶ條之内へ
一鎧直垂已下武具事
各存倹約可止遇差之儀所詮於直垂者蜀錦呉絞金紗金襴紅葉之
類不可着用可為布金銀装束太刀刀唐皮尻鞘可停止之可用疎器
前後文略之
親長記曰長享元年九月十二日朝間陰己魁計。今日征夷大将軍従一位行
実名
御退治云云応仁一乱之
可尋
一権大納言源朝臣義向進発江州佐々木六角
後諸国寺社哥領各及度々雖有益家下知不及承引于今延引無尽期
及此儀云々但諸太夫一向不参富樫介一人打前陣細川右馬助供奉也此外
自一番衆至五番衆乗仕之外無人入夜畠山尾張守進発権大納言候
金襴鎧直垂重藤弓令眉は胡簾馬向房丸懸総軍兵打囲前後、言語道
新見物也武家輩数多人数不知巨細之間不注載公家之輩簾中納言入
鶴丸縫物鎧直
龍膽九
道
常祐俗名永継
道法
垂梨打烏帽子
諸太夫二人各着鎧直垂永康朝臣徳
政資朝臣
縫物館
紅色
鎧直垂切チ馬上
日野別流
縫物鎧
久々老各居具軍兵馬上軍兵多少使其分後其分限府巨細不注也、此
守光
直垂
直垂
外善法寺享清法印、北野松梅院、各
又間鎧直垂裁縫、并着用尋常の直垂に替候哉、
一義知楽裁終の事古記慥曽儀所見なし今無意巧区々に申候へ共
皆臆説となは、又着用或は鍵の下に着し或は上に着し候説とり〳〵
沙汰し候得共多推量と存るかやうの事は歴〳〵其家々の故実正
るへき事なれ半をのれこときの申へき事にあらす候
右被尋問条々依所望愚存之答書記に益元始不分明之儀偏臆於
之様候歟頗他見憚入了
享保八癸卯年仲冬上澣
壺井安義
鎧直垂例文
兵部郷範輔郷曰江八第十四曰直垂元武士之服也為直仕聴之文門直
衣相同也宣旨部類記天慶度曰平貞盛聴着直垂云云々
直垂は元来とのゐ物にして王とはとのゐし奉るのこと也昼仕直とい
ひ夜仕るを宿といふよし異朝の書に母申侍り宇治拾遺一の
巻利仁将軍の事書たるにも五位すそに綿のくらかに入たる
びたゞれ置たると侍りてむかしは綿も入けるにや明目記皆
の巻にも聟君之直垂同御枕二ツ姫君之御小袖其右に置と侍り只〳〵
夜具にて侍る物も禁中にとの為申武士に御免ありてきたるよ
り只家武家通して禮服とは成遣るとぞ公家のともから直衣ゆ
るさるゝに似たに今はひたゝれゆるとなく堂上地下の差別は飲ら
布を以て和かち来礼李其事は爰に無用なれはもうしらぬ
土御門大納言殿の錺抄已下諸家の装束抔にて考ぬへし武穴は是
を聴さるゝことなき規模ゆへ軍中へも着用して朝権を歓味方
にしめしひたゝれ御免の恩に二命を奉るの心をふまへて出陣
しけることとそ常の飛たゝれを着して其上に鎧かけたる
ことなり今の如く鎧の下に着するにはあらし
貞信公記天慶度云征東夷大将軍参議右衛門督藤原朝臣忠太赴
東軍予使時名贈金銭百文及精好絞二端畢件絞着甲介之料也
色以紅梅一ツ縁云云
貞倍公御鏡の飛たられとて。右衛門督紅うすきひたゝれきてあつ
まにに下られける
以上江語
十文
野府記別記云兌和元年十一月三日、召覧彼祖父貞盛朝臣之直書に
其災為甲介裏悉損云云今のことく鎧直垂とて錦心とにて製し
一鎧の下に着寄るやうになりたることいつを始といふことしれ寿先
達の有職にも顕さをはめけれともいつれの記文にもしるしおかれ
ぬからおほろ遠には覚悟しかたし卒相国の御時そもはう用ひ
たると覚て其比の記文には多のたり
槐林記ニ賛定公曰、安元四月二日晴、武官陣衣之事、直垂以テ紅為勅免、
余在於図外之権云云〻
愚昧記
三條實
三番宿
房公
忌昧記に無責曰論装馬具都宮の御よろひ王垂は勅とも心連にて
夏紅之おはしけり。其御むまに金副輪照りけれとも、装馬てこそ
蜀歟
かうはけちからせぬ落きせ給ふにはあやまちあらふする御すかた
そと思ひぬと云云
目記曰、治承初度競馬、模陣戦被鎧直垂一番左源仲綱斜村渡筑
時具足云云中女不吉吏難例云云
平家物語第二小松殿教訓条云太政の入道主かねに人々あまたいたいたし
め置ても猶心ゆるすや思はれけむ既に赤地の錦の直垂に黒糸威のゝ
巻の白金物打たる胸板せめて云云
東鑑文治元年十一月二日壬午記、前備前守行家中
赤地錦直
垂萌黄麻
甲
等赴西海云云
鎧直垂といふ物は全ク鎧の料に製したる物にて常のひたゝれにはあら
寿袖くゝりに習ふらき事は本書に見へたり常の飛たゝれは精好の
う寿物又は絹ぬのなとにてばかまは長袴なり是もむかしも色らで
ありたれと母今は堂上は練精好なり武門も侍従以上は是を用ゆんは木
蘭地とてくろみたる紅の色也紫萌黄紅は将軍家の例後にして他用ひ
侍ら寿近衛殿のゝそ尊氏将軍已来通用して用給ふ子細も侍る也
三条紫束抄なとに将軍王垂御着例とてのせられたりこ
嘉禎四年六月五日七条将軍春日社参詣出立直垂にて帯剱貞治
一七年四月十七日鹿尼泥准后元服の後出座に折烏帽子直垂なと堂
めしあまたのせたるは鎧直垂にてすなきや園大暦記にの勢たみ、尊
氏郷祇薗詣に直垂精好薬狩袴と侍るは精好にて製したる
一鎧飛たゝ礼とそ前後の文に見へ侍るなり
赤地鉾は蜀紅したりぬも其よしにて大将の着服なり外の鉾
にいたりて未代製禁なし
赤地錦之例
平家物語第二右に引清盛公ノ例
同第九河原合戦に義経其日の装束は赤池の錦の直垂に紫すそこの
鎧と云云
〽同巻木曽のに木曽殿其日の装束は赤池の錦の直垂に。唐使感
の鎧と云云
十一巻大坂越に判官義経其日の装束には赤池の錦のと云云云
同能登殿の容斯し、教経今日を最期とや思はれそ無赤池の錦の直
垂にも云言
同五巻冨士川の段に大将軍小松権亮少将維盛赤池のし云云副将
一軍薩摩守忠度は紺地の―云云
今考る盛衰記には維盛出立を赤池の錦の直垂に大頸端を紺地の錦
して取たるを着ト云云〻
○九条兼実公記曰亮羽林爲前右兵衛佐頼朝黨討手今日出都予立
車於南街見物手来羽林憚皇都不着冑録深キ鎧駕肥島へ皆紅蜀
紅軍服、会稽山也紅葉照戎敵者乎次右馬元云々
楽書頼朝義仲ノコトナレトモ、其節頼朝ノ名而已高カリシ故源
氏ヲサミテ如此記サレタル歟ハ
一盛衰記の説おほつかなし月輪兼実公の軍服としるし給ふ
は直垂にまかふことなし殊袖のへりとる事は平士もするわさに
て平家物語十一の巻那須与一扇の的の出立かちに赤池の糸を以おほ
くひはた袖いらゑたるひたゝれとしる寿頼朝土肥杉山の御時も赤
地の錦なり頼政宇治合戦其身は黒染の長絹なるよろひ直垂し
両嫡子仲綱赤地の錦を着たる是等皆大将のしるし也維盛は平家
の華族たる何の将有てか袖のみ異色にせんや況や皆紅とある
を守
園槐記云宮大威御物具蜀紅直垂、金竜垣御兜、花紋御握弓、猶干
帝降魔御認メ云々宮大塔宮也
大平記第七吉町軍ノ段に曰大塔宮今そのかれぬところなりと思る物
地の錦鎧直垂に火成の鎧まかた巳の刻なるをすきまもなくめされ
竜かしらのかふとの緒をしめと云云、
親長記、宮御立出アリト云々未考之矣、
実盛の着用ありし赤地錦は別儀なり卒家第七落行勢の中
に武蔵国の住人長井斎藤別当実盛は存寄る正仙あれは赤池の
錦の直垂に燈黄おとしの鎧と云々跡を立時の条云錦の直垂を
御免候へかしと有けれ半大臣殿やさしらも申たしける物哉と
て錦の直垂を御免ありしと云々
同書手塚太郎ち詞云侍かと見候へは錦の直垂を着て候又大将軍
かと見候へはつたく勢母候は寿と云々
かた〳〵以赤地錦大将に限る事疑なしは東鑑平家物語太平
一記等にも大将軍の外に例而しゝ
平家第八穀別言朝泰院の行軍事承たるに赤地部著たたよし
見へたり是は大将に准寿寺の儀なり、但軍陣取らぬには大将も異色
用る例多し三水記室町殿御元服也御鎧一領御相伝御在殿伊沢と
一東鑑万寿君御鎧始御直垂春地弾と侍るたくひ也一江例大将之
一赤池の事秀吉公九筋御出陣之時御用也応仁細川勝之用之近
世上杉家水原常陸用之由細川者為乍官領可無難也水犀用之如
一何頗疎故実歟
近曽過書肆関前太平記等之無根之軍書或ハ滞仲著向直垂、
義家何々書之也、不定取之俗記也、
右此書者百華庵之蔵本写之畢
維吹
寛延四歳次辛未八月
岡野貞叔書之
十五日
二十一日
一月廿一日
□□□□□□□□
八
{
□□□□□□□□
十八