長明發心集
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- 鴨長明撰
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- 2026-08-17T19:23:15.102Z
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- 場所: 京都
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- 鴨長明撰
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- 日本語
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- 勝村治右衞門等
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- チョウメイホッシンシュウ
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- 東北大学
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長明発心集
此本ハ大洲町向栄堂ヨリカヘモトメタリ
後ニ見ン人疑心ヲ生ゼンカトヲソレテ姦
カヘツク
常田坊蔵
発心集序
●氏
文庫
ほとけのをしへたまへる事あり心の師とはなるとも
こゝろを師とすることなかれとまことなるかな此こと
人一期のあひたに思ひとおもふわきあくこうに
あらすといふ事なしもしかたちをやつし衣をそめ
て世のちりにけかれさる人すらそとものかせきつ
なきかたく家のいぬつねになれたりいかにいはんや
因果のことはりをしらず名利のあやまめにしつめ
るをやむなしく五欲のきつなにひかれてつゐに
奈落のそこに入なんとす心あらん人たれかこの
ことをおそれさらんやかゝれは事にふれてわか心の
はかなくをろかなることをかへり見てかのほとけのをし
へのまゝに心をゆるさすして此たに生死をはなれて
とく湯直にむまれん事たとへは牧士のあれたる
駒をしたかへてとをきさかひにいたるかことし但此心
に強弱あり浅深ありかつ自心をはかるに善
をそむくにもあらす悪をはなるゝにもあらす風の
まへの草のなひきやすきかことく又浪のうへの月
のしつまりかたきににたりいかにしてかくをろかな
る心をゝしへんとするほとけは衆生の心のさま〳〵
なるをかゝみ給ひて因縁堕喩をもつてこし
らへをしへたまふわれらほとけにあひたてまつらまし
かはいかなる頃につけてかすゝめ給はまし他心智意
得されはたゝわか分にのみ理をしりをろかなるを
をしふる方便はかけたり所説たへなれともうる所
は益すくなきかなこれによりみしかき心をかへりみて
ことさらにふかきみのりをもとめすはかなくみること
きく事をしるしあつめつゝしのひに座の右に
をけることありすなはちかしこきを見てはをよひ
かたくともこひねかふえんとしをろかなるをみては
みつからあらたむるなかたちとせんと也今これを去
に天竺震旦のいたへきくはとをけれはかゝす仏
菩薩の因縁は心にたへされはこれをのこせり
たゝ我国の人の見ゝちかきをさきとしてうけ給る
ことのはをのみしるすされはさためてあやまりはおほく
まことはすくなからんもし又二たひとふにたよりなき
をはところの名人の名をしるさすいはゝ雲をとり
風をむすへなかことしたれ人かこれをもちひんしか
あれと人信せよとにもあらねはかならすしもたしか
なる跡をたつねす道のほとりのあたもの中に
わか一念の発心をたのしむはかりにやとはいて
いへり
発心集第一日録
実イ
一玄敏僧都遁世逐電の事
一同人伊賀の国郡司につかはれ給事
一平等供奉山をはなれて奥州に望むる事
一千観内供遁世籠居の事
一多武峯増賀上人遁世往生の事
一高野の南筑紫上人出家登山の事
一小田原教壊上人水瓶を打破事
付陽範阿闍梨梅木をきる事
一佐国花をあひして蝶となる事
一付六波羅寺幸仙橘の木を愛する事
一神楽岡清水谷仏種房の事
一天王寺聖隠徳の事
付乞食ひしりの事
一高野の辺上人偽妻女をまうくる事
一美作の守顕能家に入来る僧の事
発心集第一
鴨長明撰
玄敏僧都とんせいちくてんの事
むかし玄敏僧都といふ人ありけり山しな寺のやん
ことなき智者なりけれと世をいとふ心ふかくして
さらに寺のましはりをこのます三輪河のほとりに
わつかなる草のいほりをむすひてなんおもひ入つゞ
すみける桓武の御門の御時此事きこしめして
あなかちにめし出しけれはのかるへきかたなくてなまし
ゐにましはりけりされともなをほいならす思ひける
にや奈良の御門の御代に大僧都になし給
けるを辞し申とてよめる
三輪川のきよきなかれにすゝきてしころもの袖を
又はけかさしとてなん奉りけるかゝるほとに弟子にも
つかはるゝ人にもしられすしていつちともなくうせ
にけりさるへきところ〳〵尋ねもとむれとさらに
なしいふかひなくて日比へにけれとかのあたりの人
はいはすすへく世のなけきにてそ有けるそのゝち
とし比へて弟子なりける人事のたよりありてこし
のかたへ行ける道にある所に大きなる河あり渡し
舟まちえてのりたるほとに此わたしもりをみれは
かしらはをつつかみといふほとをきたる法師のきた
なけなるあさの衣きたるにてなむありけるあや
しのやうやと見る程にさすかにみなれたるやうに覚
ゆるをたれかはこれに似たるとおもひめくらすほとにう
せて年ころになりぬるわか師の僧都に見なじつ
ひかめかとみれと露たかふへくもあらずいとかなしくて
涙のこほるゝをくさへつゝさりけなくもてなしけりおれ
も見しれるけしきなからごとさらめ見あはすはしり
よりていかてかかくてはどもいはまほしけれといたく人
しけゝれは中〳〵あやしかりぬへしのほりさまによる
なとゐたまへらん所にたつねゆきてのとかにきここん
とて過にけりかくてかへるさにそのわたりにいたり
てみれはあらぬわたしもり也まつめくれむねも
ふたかりてこまかにたつぬれはざる法師侍りとし比
此わたし守にて侍よしをさやうの下らうともなく
つねに心をすまして念仏をのみ申てかす〳〵に
船ちんとる事もなくしてたゝ今うちくらふ物な
との外は物をむさほる心もなく侍りしかは此里
の人もいみしういとおしうし侍りし程にいかなる事
かありけん過ぬる比かきけつやうにうせてゆき方
もしらすとかたるにくやしくわりなく覚えて其
月日をかそふれはわかみあひたる時にかありける
身のありさまをしられぬとて又さりにける成へし
此事は物語にもかきて侍るとなん人のほの〳〵
○北上通信信信
かたりしはかりをかきけるなり又読古今のうたに
山田もるそうつの身こそあはれなれ秋はてぬれは
とぶ人もなしこれもかの玄敏の哥と申侍り雲風
のことくさすらへゆきけれは田なともる時もありける
にことりちかき比三井寺の道顕僧都ときこゆる
人侍りきかの物かたりを見てなみたをなかしつゝ
わたしもりこそけにつみなくて世をわたる道なりけれ
とてみつ海のかたに舟をひとつまうけられたりける
とかやその事あらましはがりにてむなしく石山の
河きしにくちにけれともこひねかふ心さしはなをあ
りかたくそ侍りし
同人伊賀の国那司につかはれ給事
伊賀の国にある郡司のもとにあやしけなる
法師の人やつかひ給ふとてすそろに入来り有けり
あるしこれをみてわそうのやうなるものをくきては
何にかはせんいともちひる事なしといふ法師の
いふやうをのれらほとの。者は法師とておのこに
かはる事なし何わさなりとも身にたへんほとの
ことばつかまつらんといへはさやうならはよしとてとゝむ
よろこなくいみしうまこゝろにつかはるれはことにいた
はか馬をなんあつけてかはせけるかくて三年はかり
ふるほとに此あなしのおのこ国の守のためにいさゞみ
たよりなきことをきこしめしてさかひのうちをゝはる
父おほちの時より居つきたる物なりけれは所領
もおほくやつこもそのかすあり他の国へうかれ
ゆかん事かた〳〵ゆゝしきなけきなれとのかるへき
かたなくてなく〳〵出たつあひたに此法師ある
ものにあひて此殿にはいかなる御なけき出きて
侍るにかととふにわれらしきの人はきゝてもいかゝ
はとことの外にいらふるを何とてか身のあしきによ
らんたのみたてまつりてもとし比になるうちへたて
給へきにあらすとてねんころにとへは事のおこか
をありのまゝにかたる法師のいふやうをのれか申
さん事もちひ給ふへきにあらねと何かはたちまち
にいそきさり給ふへき物は思はさるも申も侍る物を
まつ京上していくたひも事の心を申入てなを
かなはすはその時にこそはいつかたへもおはせめをのれ
かほの〳〵しりたる人国司の御あたりにははんへり
たつねて申侍らはやといふ思ひの外に人々いみし
くもいふ物かなとあやしうおほとてあるしに此よし
かたるにちかくよひよせてみつからたつねきゝひたすら
これをたのむとしもなけれとも又おもふかたなきまふ
に此法師うちくして京へ上りにけりその時この
国は大納言なにかしの給はりにてなんありけるに
京に至りつきてかのみもと近く行よりては師の云やう人を
尋むと思ふに此かたちあやしく侍るに衣けさたつね給りてん
やと云すなはちかりてきせつ主の男をくしてかれを門
にをきてさし入て物申侍らんと云にこゝらあつまれる抔共
此人をみてはら〳〵とおりひさまつきてうやまふをみるに
伊賀のおとこ門のもとよりこれをみてをろかに覚んやは
浅ましと守り奉るすなはちかくと聞て大納言いかき書
あひてもてなしさはかるゝさま事の外也さてもいかに成
給けるにかと思ふはかりなくて過侍りつるにさたかにおはしける
こそなとかきくときの給へりそれをはことすくなにてさやうの
事は静に申侍らん今日はさして申へきこと有てなんいかの国
に年比あひ頼みて侍つるものゝはからさる外にかしこまりをかう
ふりて国の内をゝはるゝとて歎侍りいとおしう侍るに若深き
おかしならすは此の師に許し給りなんやと聞内とかく申へき
ならすさやうにくおはしけれはわさとも思ひしるへき男にして
侍るなれとて元よりもまさゝまに悦ふへき聴宣のたまは
せたりけれは悦て出す又伊賀の男あきれまとへりさま
理也さま〳〵に思へとあまりなる事は中〳〵えうちいたさす
宿に帰りてのとかに聞えんと思ふ程に。高けさの上に有つる
聴宣さしをきてきと立出るやうにてやそ只ちともなく
かくれにけりとそこれもかの玄敏便都のかさになん
ありかたかりける心なるへし
平等供奉山をはなれて異州に趣く事
中比山に平等供奉とてやむことなき人有けりすな
はち天台真言の祖師也ある時かくれ所にありけるか
にはかに露のむじやうをさとる心おこりて何としてかく
はかなき世に名利にのみほたされていとふへき身を
おしみつゝむなしく明しくらすところそと思ふに過にし
かたもくやしくとし比のすみかもうとましくおほしけれは
さらに立かへるへき心ちせす白衣にてあしたさしは
きおりけるまゝに衣なとたにきすいつちともなく出
て西の坂をくたりて京のかたへくたりぬいつくに行
とゝまるへしとも覚えさりけれはゆかるくにまかせて淀
のかたへまとひありきくたり船のありけるにのらんとす貌
なともよのへねならすあやしとてうけひかねともあなか
ちにたのみけれはのせつさてもいかなる事によりて
いつくへおはする人そととへはさらに何事と思ひわき
たる事もなしさしく行つく所もなしたゝいつかたなり
ともおはせんかたへまからんと思ふといへはいと心えぬ事
のさまかなとかたふきあひたれとさすかになさけなくは
あらさりけれはをのつから此舟のたよりに伊与の国
にいたりにけりさてかの国にいつちともなく迷ひあり
きて乞食をして日をゝくりけれは国の者とも
門乞食とそつけたりける山の坊にはあからさまにて
出給ぬるのちひさしうなりぬるこそあやしうなむ
といへとかくとはいかてか思ひよらんをのつからゆへこそあ
らめなといふほとに日もくれ夜もあけぬおとろき
てしくねもとむれとさらになしいふかひなくして
ひとへになき人になしつゝなく〳〵あとのわさをそいと
なみあへりけるかゝるあひたに此国の守なりける人
供奉の弟子に浄真阿闍梨といふ人をとし比
あひしたしみていのりなとせさせけれは国へくたる
とてはるかなるほとにたのもしからんとて具して下
りにけり此門乞食かくともしらてたちの内へ入に
けり物をこふあひたにわかんへともいくらともなくしり
にたちてわらひのゝしるこゝらあつまれる国のもの
ともことやうの物のさまかなまかり出よとはしたなく
さいなむを此あ闍梨あはれみて物なととらせん
とてまちかくよふおそれ〳〵えんのきはへ来たるをみ
れは人のかたちにもあらすやせをとろへ物のはら〳〵
とあるつゝりはかりきてまことにあやしけなり
さすかに見しやうにおほゆるをよく〳〵おもひ出れは
わか師なりけりあはれにかなしくてすたれのうちより
まろひ出て縁のうへに引のほす守よりはしめて
ありとある人おとろきあやしむあまりなく〳〵さま
さまにかたらへと詞すくなにてしゐていとまをこひ
八
てさりにけりいふはかりもなくてあさの衣やうのもの
用意してある所をたつねけるにふつとえたつねあは
すはてには国の者ともにおほせて山林いたらぬく
まなくふみもとめけれともあはてそのまゝにあとを
くらうしてつゐに行すゑもしらすなりにけりその
後はるかに程へて人もかよはぬ源山のをくの清水
のある所に死人のあると山人のかたりけるにあやし
くおほしてたつね行てみれは此頃師西にむか
ひて合掌して居たりけりいとあはれにたうとく
覚えて阿闍梨なく〳〵とかくの事ともしけり
今もむかしもまごとに心をおごせる人はかやうに古
郷をはなれ見ずしらぬところにていさきよく名利
をはすでゞうすがなりほさつのむしやうにんをうるすら
もと見たる人のまへにては神通をあらはすことかたしと
いへりいはんや今おこせる心はやむことなけれといま
たふたいのくらゐにいたらねは事にふれてみた
れやすし古郷にすみしれる人にましりてはいが
てか一念のようしんおこらざらむ
千観内供遁世籠居の事
千観内供といふ人は智證大師のなかれならひ
なき智者なりもとより道心ふかゝりけれと
いかに身をもてなしくいかやうにおこなふへしとも
慶長三
思ひさためすをのつから月日ををくりけるあひたにある
時公請をつゝめてかへりけるに四条河原にて
空也上人にあひたりけれは車よりおりてたいめんし
さてもいかにしてか後世たすかる事は仕るへきと聞
みけれは三人これをきゝて何さかさまことはの給ふ
さやうの事は御房なんとにこそとひたてまつるへけれ
かゝるあやしの身はたゝいふかひなくまよひありくはかり
なりさらに思ひえたる事侍らすとてさりなんとし
給ひけるを袖をひかへてなを念比にとひけれは
いかにも身をすてゝこそといかりいひて引はなちて
あしはやに行過給ひにけりその時内供河原にて
しやうそくぬきかへて車に入てともの人はとく房へ
かへりね我はこれより外へいなむするそといひてみな
返しつかはしてたゝひとり蓑尾といふ所ににもり
にけりされとなをかしこも心にかなはすやありけん
居所思びわつらはれける程にひんかしのかたに金
色の雲のたちたりけれはそのところを尋てそこに
かたのことくいほりをむまひてなん跡をかくせりける
すなはち今の金龍寺といふは是也かしこにとしころ
行ひて終に往生をとけけるよしくばし。心伝にしるせり
此内供は人の夢に千手観音の化身と見たりけるとや
千観といふ名はかのほさりの御名を略したるになん
有ける
多武峯増賀上人遁世往生の事
増賀上人は経平のさいしやうの子慈恵僧正の
弟子なり此人おさなかりしにせきとく人にすくれ
たりけれはゆくすゑにはやむことなき人ならんとあま
ねくほめあひたりけりしかれとも心のうちにはふかく
世をいとひて名利にほたされす極楽にむまれん
ことをのみそ人しれずねかはれける思ふはかり道心
のおこらぬ事をなけきて根本中堂に千夜まい
りて夜ことに千へんの礼をして道心をいのり申
けりはしめは礼のたひことにいさゝかもこゑたつる事
もなかりけるか六七百夜になりてはつき給へ〳〵と
しのひやかにいひて礼しけれはきく人此僧は何事を
祈り天狗つき給へといふかなとかつはあやしみかつ
はわらひけりをはりかたになりて道心つき給へとさ
たかに聞えける時あはれなりなとそいひけるかくし
つゝ千夜みちて後さるへきにやありけん世をいとふ
一
心いとゝふかくなりにけれはいかにしてか身をいたつらに
なさんとついてをまつほとにある時内論義といふ
事ありけりさたまる事にて論義すへきほとの
をはりぬれは餐を庭になけすいれはもろ〳〵の
乞食方〳〵にあつまりてあらそひとりてくらふなら
ひなるを此宰相禅師にはかに大衆の中よりな
り出てこれを取てくふみる人此禅師は物にくるふか
とのゝしりさはへをきゝて我は物にくるはすかくいば
るし犬衆だちごそ物にくるはるめれといひてさらにお
とろかすあさましといひあふほとにこれをついてとし
て籠居しにけり後には大和の国たふのみねと
いふ所にゐて思ふはかりつとめおこなひてそとしを
送りけるそのゝちたうとき聞えありて時の后
の宮の戒師にめしけれはなましゐにまいりて南
殿のかうらんのきはによりてさま〳〵に見くるしき
ことゝもをいひかけてむなしく出ぬ又ほとけくやう
せんといふ人のもとへ行あひたに説法すへきやうなと
道すかゝあはすとて名利を思ふにより魔縁た
よりをえてけりとて行つくやをそきそこはかとなき
事をとかめて施主といさかひてくやうをも
みけすしてかへりぬこれらのありさまは人にうと
まれてふたゝひかやうの事をいひかけられしとなる
へし又師の僧正よろこひ申し給ひける時前駈
の数に入てからさげといふ物を太刀にはきて骨
限なる女牛のあさましけなるにのりてやかた口
つかまつらんとておもしろく折まいりけれは見物の
あやしみ思はぬはなかりけりかくて名図こそくるし
かりけれかたいのみそたのしかりけるとうたひてうち
はなれにけり僧正も凡人ならねはかの我よりやかた口
うためとのたまふこゑの僧正の耳にはかなしき外わか師
悪道に入なむとすときこえけれは車のうちにてこれも
利生のためなりとこたへ給ひけるとかや此上人いのち
終らんとしける時まつ碁盤をとりよせてひとり碁を
一うち次に障泥をこふてこれをかつきて小蝶と云舞
のまねをす弟子ともあやしみてとひけれはいとけなかりし
時此こ事を人にいさめられて思ひなからむなしくやみ
にしか心にかゝりたれはもし生死の執もなる事もそ
あると思ひてとこそいはれけれすてに聖衆のむかへ
を見くよろこひてうたをよむ
みつはさす八十あまりの老の浪くらけのほねにあひ
にけるかなとよみてをはりにけり此人のふるまひ世まは
末には物くるひともいひつへけれとも境界はなれんた
めの思ひはかりなれはそれにつけても有かたきためし
にいひをきけり人にましはるならひたかきにしたかひ
下れるをあはれむかりつけくも身は他人の物となり心
は恩愛のためにつかはるこれこの世のくるしみのみ
にあらす出離のおほきなるさはり也きやうかひを
ばなれんより外にはいかにして。かみたれやすき心を
しつめむ
一高野の南筑紫上人出家登山の事
一〇九、一〇〇
中ころ高野に南つくしとてたうとき聖人あり
けりもとはつくしの者にて所知なとあまたある中
にかの国のれいとして門田おほくもちたるをいみし
き事と思へるならひなるを此おとこは家のまへに
五十町大かりなむもちたりける八月はかりにやあり
けむあしたにさし出て見るにほなみゆら〳〵と出とく
のほりて露心よくむすひわたしてはか〳〵見えわた
るに思ふやう此国にかなへりきこえある人おほかり
しかれとも門田五十町もてる人はありかたくこそあら
め下らうの分にはあはぬ身かなと心にしみて思ひ
ゐたるほとにざるへきしゆくせんやもよほしけん又思ふ
やうそも〳〵これは何事そこの世のありさま昨日あり
と見し人遣ふはなしあしたにさかへる家ゆふへにを上
ろひぬ一たひまなこをとつる後おしみたくはへたる
物なにのせんかあるはがなき桃心にほたされて
なかく三途にしつみなむ事こそいたかなしけれと
たちま地に無常をさとれが心つよくおごりぬ又
おもふやうわか家に又かへり入なは妻子ありけんそくも
おほかりさためてさまたけられなんすたゝ此ところ
わかれてしらぬ世界に行て仏道をおこなはんと
思ひてあからさまなる体なから京へさしてゆくそ
の時さすかに物のけしきやしるかりけんゆきゝの
人あやしかりて家につけたりけれはおとろきさはき也
けるさまことはりなり其中にかなしくしけるむすめの
十二三はかりなる者ありけりなく〳〵をひつきて我
をすてゝはいつくへおはしますとて袖をひかへたりけれ
はいてやをのれにさまたけらるましきそとて刀を
ぬきかみをゝしきりつむすめおそれをのゝき事
袖をははなちてかへりにけりかくしつゝこれよりやかて
高野の御山へ上りてかしらをそりてほいのことくな
むおこなひけりかのむすめおそれてとゝまりたり
けれとなをあとをたつねてあまになりてかの山の
ふもとにすみてしぬるまて物うちすゝきたちぬふわさ
をしてそけうやうしける此上人頃にはとくたかく
なりてたかきもいやしきも帰せぬ人なしたうを
つくりくやうせんとしける時導師を思ひわつかふあ
ひたに夢にみるやう此堂はその日その時浄名居士
のおはしまして供養し給ふへき也と人のつくりよし
見けれはすなはちまくらしやうしにかきつけついとあやし
けれとやうこそあらめとおもひくをのつから日を送り
けりまましくその日になりて堂しやうこんして心
もとなく待ゐたれはあしたより雨さへふりてさらに外
より人のさし入もなしやう〳〵時になりていとあやし
けなる法師のみのかさきたる出来りておかみあり
ありけりすなはちこれをとらへて待たてまつりけりとく
堂をこそくやうし給はめといふ法師おとろきていかく
すへてさやうのさいかくの者にはあらすあやしのものゝ
をのつから事のたよりありてまいり来れるはかり
なりとてことの外にもでなしけれとかねて夢のつけ
ありしやうなとかたりてかきつけたりし月日のたし
かに今日にあひかなへることをみせたりけれはのかる
きかたなくてさらはかたのことく申上侍ら候とてみの笠
ぬきすてゝたちまちに礼盤にのほりてなへてなし。
すめくたく説法したりけり此導師は天台の明
賢阿闍梨になむありけるかの山をおかまんとて
忍ひつゝさまをやつしてまうてたりける也これより此
あしやりを高野には浄名居士の化身といふ
なるへし此上人はことにたうとき聞えありてそ血
河院は帰依し給ひける高野は此聖人の時よ
りことにはんしやうしにけりつゐにりんしう正念に
して往生をとけたるよしくはしく伝に見えたり
おしむべき資財につけて闕心をおこするいと
ありかたき心なり二世の苦をうふる事はたからを
むさほる心をみなもとくす人もこれそふけりわれも
ふかくちやくするゆへにあらそひねたみて貪欲もい
やまさり晴恵もことにさかへけり人のいのちをもたち
他のたからをもかすむ家ほろひ国のかたふくまても聞
是よりおこる此ゆへによくふかけれはわさはひおもしとも
とき又欲の因縁をもつて三悪道に堕すとも
とけりかゝれは弥勒の世にはたかゝを見てはなかく
おそれいとふへし釈迦のゆいほうの弟子これかためし
戒をやふり罪をつくりて地こくにをちけるもの也
とてとくしやをすつるかことく道のほとりにすつし
といへり
一小田原教壊上人水瓶を打破事
小田原といふ寺に教壊上人といふ人ありけりのち
には高野にすみけるかあたゝしき水瓶のやうなと
もおもふやうなるをまうけてことに執し思ひけるを
えんにうちすてゝおくの院へまいりにけりかしこに念
誦なとして一心に信沢しける時このすいひんを思
ひ出してあたにならへたりつる物を人やうらんとおほつ
かなくて心一向にもあらさりけれはよしなくおほして
かへるやをそきとあまたりの石たゝみのうへにならへて
うちがたき捨くけり或云水瓶を又横川に尊
金瓶といへり
又横川に尊
勝のあしやり陽耗といひける人めてたき紅梅を
うへく又なき物にして花さかりにはひとへにこれを
けうしつゝをのつから人のおるをもことにおしみさいなみ
ける程にいかゝ思ひずん弟子なとも外へゆきて人も
なかりけるひまに心もなき小法師のひとり有けりと
よひてよきやあるもてこよといひて此梅の木を
土きはよりきりて上にいさこうち地しあとかたなく
てゐたり弟子かへりておとろきあやしみてゆへをとひ
けれはたゝよしなけれはとそこたへけるこれらはみな執な
とゝむる事をおそれける也教壊も陽範もとも
に往生をとけたる人なるへしまことにかりの家にふ
けりてなかきやみにまよふ事たれかはをろかなりと
心はさるへき然れともせゝしやう〳〵にほんなふの
つふねやつことなりけるならひのかなしさはしりなから
我も人もえおもひすてぬなるへし
一佐国花をあひして蝶となる事
或人円宗寺の八かうといふ事にまいりたりけるに
時まつほとやゝ久しかりけれはそのあたりちかき人の家
をかりてしはらくたち入たりけるかかくてその家を
みれはつくれる夜のいとひろくもあらぬ庭に前載
えもいはす木ともうへて上にかりやのかまへをし
つゝいさゝか水をかけたりけりいろ〳〵の花かすをつ
つ
くしてにしきをうちおほへるかことく見えたりことに
さま〳〵なる蜂いくらともなくあそひあへりことさまの
ありかたくおほとてわさとあるしをよひ出て此事を
とふあるしのいふやうこれはなをさりの事にもあらす
おもふ心ありてうへて侍りをのれは佐国と申て人に
しられたる博士の子にて侍りかのちゝ世に侍りし
時ふかく花をけうしておりにつけてこれをもて
あそひ侍りきかつはその心さしをは詩にもつく
れり六十余国見れともいまたあかす他生にも
さためて花を愛する人たゝんなと作りを第て
侍りつれはをのつから生死の会執にもやまかり
なりけんとうたかはしく侍りしほとにあるものゝ夢に
蝶になりて侍ると見たるよしをかたり侍れはつみ
ふかくおほえてしからはもしこれらにもやまよひ侍
るゝんとて心のをよふ程うへて侍る也それにとり
てたゝむいかりはなをあかす侍れはあまつらみつ
なとを朝ことにそゝき侍るとそかたりける又六波
羅寺の住僧幸仙といひける者はとし比道しん
ふかゝりけるかたちはなの木をあひしいさゝかの
執心によりてくちなはとなりてかの木の下に
そすみけるくはしくは伝にありかやうに人にしらく
はまれなりすへて倉々のまうしうへゝに悪身
をうぐる事はおたしてうたかびならまことにおそ
れてもおそがへき事なり
神楽岡清水谷仏種房の事
神楽岡のしみつ谷といふところに仏種房すと
理
人の内蔵
□□□□□□□□
てたうとき聖人ありけりたいめしたる事はなかりし
かともちかき世の人なりしかはつゐにわうしやう人とて
人のたつとみあひしをはつたへきゝ侍りき此聖人その
かみ水のみといふ所にすみ侍りける比木ひろびに
谷へくたりけるあひたにぬす人いりにけり北つかなる
物ともみなとりてとをくにけぬと思てかへり見れは
もとのところなりいとあやしと思ひてなをゆくて
と思ふほとに二時はりかの水のみの湯やをめ
くりてさらに外へさらすそのときにひしりあやう
みてとふ答へていふやう我はぬす人なりしかるにと
をくさけさりぬとおもへともすへて行事を得す是
たゝ事にあらす今にいたりては物をかへし侍らんねか
はくはゆるし給へまかりかへりなんといふ聖のいはくなし
かはつみふかくかゝる物をはとらんとするたゝしほしう思
ひてこそはとりつらんさらに返しうへかゝすそれなし
とも我はことかくましといひてぬす人になをとらせ
てやりけり大かた心にあはれみふかくそありけるとしを
へてかの清水谷にすみたる時あひたのみたるたん
をつありふかくきえして折ふしにはをくり物し事
にふれて心さしをはこひつゝ過けるにことにこの望
わさと出きたりていふやう思ひかけすおほしぬへけれ
と年ころたのみ奉りて侍るなり此ほと夢のこ
とくなる庵宝をつくるとてたくみをつかひ侍りし
か魚をよけにくらひ侍りしかうらやましくてうをの
ほしく侍れはこの殿にはおほく侍からんと思ひて
わさとまいれるなりといふあるしをろかなるをんな心
にあさましと思ひの外におほえけれとよきやうに
してとり出したりけれはよく〳〵くらうて残りをは
かはらけをふたにおほひてかみにひきつゝみて足
をはあれにてたへんとてふところに入て出に
けりそのゝち此人ほいなくおほえなからさすかに
心くるしく思ひやりて一日の御家つと夢かまし
く見え侍りしかはかさねてたくまつるなりとて
さま〳〵にてうしてをくりたりけれとそのたひはとゝ
めす御心さしはうれしく侍へりされとも一日の残
りにたへあきて今はほしくも侍ねはこれをかへ
したてまつるとなむいひたりけるこれも此世に狐を
とゝめしと思ひけるにや此仏種屋ある時風気
ありてわつらひけりかたのやうなる家あれこほれ
てつくろふ事なしやまひをみる人もなけれはひと
りのみやみふせりけるに時は八月十五夜の月は
みしくあかゝりける夜よひよりこゑをあけて念
仏する事ありまちかき家〳〵たうとくなん聞て
きあつまりてみるに板間もあはすあれたる家に
月のひかりこゝろのまゝにさし入たるより外にともなし夜
中うち過るほとにあなうれしこれこそはとし比思ひ
つることよといふをとかへの外にきこえけりそのゝち
は念仏のをともせすなりぬ夜あけて見けれは
西にむかひて端坐し合掌してねふるかことく
にてそありける此家はすこしもはなれすあや
しの下らうのいゑともの軒つきになむ有ける
天王寺聖隠徳の事
ちり比天王寺にひしりありけりことはのすゑこと
にるりといふ二文字をくいへていひけれはやかて字
の名につけて瑠璃とそいひけるそのすかたぬのゝ
つゝりかみきぬなとのいふはかりなくゆしけにやれ
はらめきたるをいくらともなくきふくれて布代衣
のきたなけなるにこひあつめたる物をひとつに
とり入てありき〳〵これをくらふわらんへいくらも
なくわらひあないれとさらにとかめはらたつ事
なしいたくせたむる時はふくろより物をとり出して
とらすれはわらんへともきたなかりてこれをとらす
すつれは又とりて入つゝつねにはさま〳〵のすそろ
ことをうちいひてひたすゝ物くるひにてなむ有ける
さしてそこに銘とめたりとみゆるところなしかきの
ね木のしたついちにしたかひて夜をあかすその
ころ大塚といふところにやむことなき智者有けり
あか時雨のふりてまかりよるへき所もなけれはこの
縁のかたはしにさふらはむといひけねはれいならすあ
やしく覚えけれとさなからをきつ夜ふけて聖
かいふやうかくたま〳〵まいりよりて侍へりとしころ
おほつかなく思ひ給へる事ともはるけ侍かやといふ
事の外におほゆれとよのつねの人のやうにあひし
らふ程にやう〳〵天台宗の法門とものえもいは
ぬことはりともたへねつ又あるしあさましくめつらかに
覚えてよもすからねすさま〳〵にとひこたへて明
ぬれは今ばいとま申侍らんとて心にいふかしく思ひ
給へる事ともをかしこく今よひさふらひてはるける
りぬとてさりぬ又此事ありかたくたうとく覚
えけるまゝにそのあたりの人ともにかたりたりけれは
そしりいやしめし心をあらためてかたへは権者の
うたかひをなしてたうとみけりされとその有きま
はさき〳〵に露かはらすさることやありけると人の
とふ時にはうちわらひてそゝろことにそいひなしける
かやうに人にしられぬることをうるさくや思ひけんつゐ
には行かたもしらせすなりにけりとしへて人かたり
けるは和泉の国に乞食しありきけるかをはり
には人もきよらぬ所の大きなる木のもとにした
枝にほとけかけたてまへりて西にむかひ合掌し
て居なからまなこをとちてなむありけるその時は
しれる人もなくて後に見つけたりけるなり
又近比世に仏みやうといふ乞食ありけりそれ
もかのひしりのことく物くるひのやうにてくひ物は
うを鳥をもきらはす着物はむしろこもをさへか
さねきつゝ人のすかたにもあらすあふ人ことにかならす
あま人法師おとこ人女人等しやう〳〵といひお
かむわさをしけれはそれを名につけてなむみとみる
人みなつたなくゆゝしき者とのみ思ひけれとけ
にいやうありけるものにや阿證房といふひしりを
とくいにして思ひかけぬ経論なとをかりて人に
もしらせすふところに引いれてもて行て日比へて
なむかへす事をつねになんしけるつゐに切提の
うへに西にむかひて合掌たんさしてをはりにけり
これらはすくれたる後世しやのひとつのありさま也
大隠は朝市にありといへるすなはち是也かくいふ
心はかしこき人の世をそむくならひわか身は市の
中にあれともそのとくをよくかくして人にもらさぬ
なり山林にましはりあとをくらふするは人の中に
ありて徳をえかくさぬ人のふるまひなるへし
高野の辺の上人偽て妻女をまうくる事
高野のほとりにとし比おこなふひしりありけりもと
は伊勢のくにの人なりけりをのつからかしこにゐつ
きたるなり行徳あるのみならす人の帰依にて
いとまつしくもあらさりけれは弟子なともあまた
有けり年やう〳〵たけて彼ことにあひ頼みたる
弟子をよひていひけるやうきこえはやと思ふ事
の日比侍るをその心のうちをはゝかりてためらひ
侍りつるそあなかしこ〳〵たかへ給ふなといふ何事
なりともあたまはむこといかてたかへ侍らん又へたて
給ふへからすすみやかにうけたまはらんといへはかく人
をたのみたるやうにて過す身はさやうのふるまひ
思ひよるへき事ならねとも年たかくなりゆくまゝに
かたはらもさひしくことにふれてたつきなく覚ゆ
れはさもあらん人をかたゝひてよるのときにせはや
となむ思ひたる也それにとりていたうとしわかゝらん
人はあしかりなむ物の思ひやりあらん人を忍ひやか
にたつねてわかときにせさせ給へさて世の中のこと
をはそれにゆへり申さんたくわかありつるやうに此
坊のぬしにて人の祈りなとをもさたして我をは
おくの屋にすへて二人かくひ物はかりをかたのやう
にしてをくり給へさやうになりなん後はそこの心
のうちもはつかしかりぬへけれはたいめんなともえす
ましいはんやその外の人にはすへて世にある物と
もしるへからす死うせたる物のやうにてわつかに
いのちつくへくはかり沙汰し給へこれをたかへ給は
さこんはかりそとし比のほいなるへしとかきくとき
つゝいふ浅ましく思はすにおほえなからかやうに
心をかすかたらはするほいに侍りいそきたつね侍
らんといひてちかくとをくきゝありきけるほとに
おとこにをくれたりける人のとし四十はかりなる有
けるを聞いてゝ念比にかたらひてたよりよき
やうにさたしすへつ人もとをさす我もゆくことも
入発心集巻二
なくて過けりおほつかなくも物いひあはせまほし
きおりもあれとさしも契りしことなれはいふせな
からすくるほとに六年へくのち此女人うちなき
てこのあかつきはやをはり給ひぬとてきたるおと
ろきて行てみれは揃仏堂の内にほとけの御手
に五色の糸かけてそれを手にひかへてけうそく
にうちよりかゝりて念仏しける手もちともかはらす
すゝのひきかけられたるもたゝいきたる人のねふり
たるやうにて露もれいかりたかはす壇には行ひ
の具うるはしくをき鈴の中にかみをゝしづれ
たりけりいと悲しくて事の有さまをこまかに
とへは女のいふやうとし比かくて侍りつれとも例のめを上
のやうなる事なしよるはたゝみをならへてわれも人も
目さめたる時は生死のいと大しきやう浄土ねかふへ
きやうなとをのみこま〳〵とをしへつゝよしなき事
をはいはすひかはあみたの行法三度ことかく事
なくてひま〳〵には念仏をみつからも申又我にもす
め給ひてはしめつかた二月三月まては心をゝきて
かくよのつねならぬありさまをわひしくやは思ふさらは
こゝろにまかすへしもしうとき事になるともかやうに
えんをむすふもさるへき事なり此ありさまをゆめ
ゆめ人にかたるなもし又たかひに善知識とも思
名心集巻一
ひて後世まてのつとめをもしつかにせんとならはこひ
ねかふところなりとのたまひしかはさら〳〵御心をき給
ふへからすとし比あひくしたりし人をはかなく見なして
いかてかその後世をもとふらはさらむ我も又かゝりうき
世にめへりこしとねかひいとふ心は侍りしかとさても二
日たちめくるへきやうもなき身にてほいならぬかた
にて見たてまつれはなへての女のやうにおほすにや
ゆめ〳〵しかにはあらすいみしき善知識と人しれ
すよろこひてこそすき侍りしと申しかはかへす〳〵
うれしき事とていまかくれ給へることもかねてしりて一
をはらん時人になつけそとありしかはかくとも申さす
一九月十七
とそいひける
一美作守顕能家に入来る僧の事
美作守あきよしのもとになまめきたる僧の入来り
て経をよにたうとくよむありあるしきゝてなにわさ
し給ふ人そといふちかくよりていふやう乞食に侍り但
家ことに物こひありくわさをはつかまつらす西山なる
寺にすみ侍るかいさゝかのそみ申へき事ありてなん
といふ物さま無下に思ひくたすへきにはあらさりけれ
はこまやかにたつねとふ申すにつけていとことやうには
侍れとあるところのなま女房をあひかたらひて
物すくかせなとし侍りし程かりはかしさる外にたゝな
らす成てこの月にまにあたりて侍るをひとへにわか
あやまちなれはことさゝこもりゐて侍らむほとかれかへ
いのちつくはかりの物あたへ侍らはやと思ひ給へるか
いかにも〳〵ちからをよひ侍らねはもし御あはれみや
侍るとてなむといふ事のおこりはけにもとはおほえす
なれとさこそ思ふらめといとおしく覚えていとやすき
事にこそとてをしはからひて人ひとりにもたせてそへ
てとらせんとす此価のいふやうかた〳〵きはめてつゝ
ましく侍りことさらそことはしられしと思ひ給へるなり
身つからもちてまからむとてもたるゝ程おふていてぬ
あるしなをあやしく思ひてさやうのかたにいふかひな也
き者をつけてやるさまをやつして見かくれにゆきけん
ほとに北山のおくにはる〳〵とわせ入て人もかよはぬ深
谷に入にけり一間はかりなるあやしき柴のいほり
のうちに入て物うちならへてあなくるし三ほうのた
すけなれは安居の食もまうけたりとひとりうち
いひてあしうちあらひてしつまりぬ此つかひいとめつら
かにもあるかなときゝけり。日くれてこよひかへるへく
もあかねは木かけにやはらかくれゐにけり夜ふくるほと
にほけきやうをよもすからよみ奉るこゑいとたうとく
てなみたもとゝまらす明るやをそしとたちかへりて
あるしに有つるやうをきすけれはおとろきなから
されはよたゝものにはあらすと見きとてかさねて消
息をやる◦思ひかけす安居の御れうとうけ給はる
しかあらは一日の物はすくなくこそ侍らめこれをたて
まつるなをもいらん事候はゝかならすの給はせよと
いはせたりけれはきやう打よみて何とも返事い
はさりけりとはかり徳かねて物をはいほりのまへに
とりならへてかへりぬ日ころへてさてもありつる僧こそ
不審なりけれとてをとつれたりけれとそのいほり
には人もなくてさきにえたりし物をは外へもちいに
けるとおほしくて後の送り物をはさなからをき
たりけれは鳥けたものくひちらしよるやうにてこゝ
20555
かしこにこほれちりてそありけるまことに道心ある人
はかく我身のとくをかくさんととかをあらはしてたう
とまれん事をおそるゝなりもし人世をのかれたれ
とも。いみしくそむけりといはれんたうとくおこなふ
よしをきかれむと思へは世俗のみやうもんよりも
はなはたし此ゆへにある経に出世の名関はたとへ
は血をもつて血をあらふかみしとゝけりもとの
血はあらはれておちもやすらんしらす今の血は大
きにけかすをろかなるにあらすや
宿川丁
長明発心集二
発心集第二目録
仁氏
文庫
一安居院聖京中に行時隠居の僧にあふ事
一禅林寺永観律師の事
一内記入道寂心の事
一三河聖人寂照入唐往生の事
一仙命上人の事并覚尊上人の事
一摂津国妙法寺楽西聖人の事
一相真役後袈裟をかへす事
一真浄房暫天狗になる事
一助重一声念仏に依て往生の事
一橘大夫発願往生の事
一或上人客人にあはさる事
一舎衛国の老翁宿善をあらはさゝる事
一善導和尚仏を見る事
一江州増叟の事
一百集第第
安居院聖京中に行時隠居僧にあふ事
近比あくゐにすむひしりありけりなすへき事ありて
京へ出けるみちに大路つらなる井のかたはらにけすの
あまの物あらふありけり此ひしりを見てこゝに人の
あひたくまつらんと侍るなりといふたれと申そといへは今
たいめんてそのたまはせんすゝんといひてたゝきとたち
入給へとせつ〳〵にいひけれは思はすなから尼をさきに
たてゝゆき入てみれははるかにおくふかなる家のちい
さくつくれるにとしたけたる僧一人ありそのいふことを
きけはいまたしりたてまつらさるに申はうちつけなれと
○多心欠巻二
かくてかたのことく彼世のつとめをつかまつり侍りつれと
しれる人もなけれは善知識もなし又まかりかくれなん
のちはとかくすへき人もおほえ侍らぬによりてたれにても
後世者とみゆる人すき給はゝかならすよひたてまつれ
とうはのそらに申て侍りつか也さてもしうけひき給はゝ
あやしけなれとあとにのこるへき人もなしゆへり奉らんと
思ひ給へるなりそれにとりてかくて侍りをあしくも侍ら
す中〳〵しつかに侍るをとなりに検非違使の侍
りつるあひたに罪人をせめ三日をとなとのきこえて
うるさく侍りつれはまかりさりなはやと思ひ給へれと
さてもいく程もあるましき身をとなむ思ひわつらひ侍
一るなとこまやかにかたる此ひしりかやうにうけ給はるさま
べきにこそのたまはする事はいとやすきことに侍りとて
あさからす契りておほつかなからぬほとにゆきとふらひつゝ
過けりそのゝちいく程なくかくれける時ほいのことく行
あひてこれを見あつかふ弥勒の持者なりけれは
其みやうかうをとなへ真言なとみてゝりんしうおもふ
やうにてをはりにけりいひしかことくとかくの事なと又口
入する人もなしされと此家をはそのあまになむとらせ
たりけるさてかのあまにいかなる人にておはせしそ又
何事のえんにて世をはわたり給ひしそなとこひけ
れは我もくはしき事は畳しり侍らす思ひかけぬゆ
かりにてつきたてまへりてとし比つかうまへりつれと誰
とか申けん又しれる人のたつね侍るもなかりきたゝ
つく〳〵とひとりのみおはせしに時料は二人か程を
たれ人ともしらぬ人のうするほとをはからひてまかりす
きしとそかたりけるこれもやうある人にこそ
禅林寺永観律師の事
永観律師といふ人ありけりとし比念仏の心さし
ふかく名利を思はす世をすてたるかことくなりけれと
さすかにあはれにもつかまへりしれる人をわすれさりけへ
れはことさらふかき山をもとむる事もなかりけり東
山禅材寺といふところに籠居しつゝ人にものを
かしてなむ日をゝくるはかりことにしけるかる時も返す
時もたゝきたる人の心にまかせてさたしけれは中〳〵
ほとけの物をとていさゝかも不法の事はせさりけり
いたくまつしきものゝかへさぬをはまへによひよせて物の
ほとにしたかひて念仏を申させてそあかはせける東
大寺別当のあきたりけるに白河院この人をな
し給ふきく人みゝをおとろかしてよもうけとられしと
いふほとに思はすにいなひ申事なかりけりその時とし
ころの弟子つかはれし人なと我も〳〵とあらそひ
て東大寺の庄園をのそみにけれとも一所も人
のかへりみにもせすしてみな寺の修理の用途
によせられたりけり身つから本寺にゆきむかふ時には一
ことやうなる馬にのりてかしこにゐるへきほとの時料
小法師にもたせてそ入けるかくしつゝ三年の内に臨
理事をはりてすなはち辞し申す君又とかくの
おほせもなくてこと人をなされにけりよく〳〵人の心
をあはせたるしわさのやうなりけれは時の人はてらの
やふれたる事を此人ならては心やすくさたすへき人
もなしとおほしめしておほせつけゝるを律師も心
え給ひたりけるなんめりとそいひけるふかくつみをお
それけるゆへにとし比寺の事おこなひけれと寺物を
露はりも自用の事なくてやみにけり此禅林寺
に梅の木あり実なる比になりぬれはこれをあたに
ちらさす年ことにとりて薬王寺といふところにおほ
かり病人に日々といふなりにほとこさせられけれはあ
たりの人此木を悲田梅とそ名つけたりけるいまも
事のほかに古木になりて花もわつかにさき木立
もかしけつゝむかしのかたみにのこりて侍るとそある時
かの堂にきやく人のまうて来たりけるに算をいく
らともなくをきひろけて人にはめもえかけざりけれは
客人のおもふやう律師は出挙をしていのちつく
はかりを事にし給へりときくにあはせてその利の
ほとかうへ給ふにこそと見ゐたる程にをきはてゝ
こりおさめてたいめんせらるその時算をき給ひつるは
何の御ようそととひけれはとし比申あつめたる念
仏のかすのおほつかなくてとそこたへられける左
まておとろくへき事ならねとぬしからにたう
とくおほとしとのちに人のかたりけるなり
内記入道究心の事
村上の御代に内記入道舞心といふ人ありけり
そのかみ宮つかへける時よりこゝろに仏道をのそみ
ねかふて事にふれてあはれみふかくなんありける
大内記にてしるすへきことありてうちへまいりけるま
左衛門の陣のかたに女のなみたをなしてなきたて
るあり何事によりてなくそととひけれは主のつかへ
ひにて石のおひを人にかりてもちてまかりつるみち
におとして侍れは主にもをもくいましめられん
すらむさはかりの大事の物をうしなひたるかなし
さにかへるそらもおほえす思ひやるかたなくてとなん
いふ心のうちをはかるにけにさそ思ふらんといとおし
くてわかさしたるおひときてとらせてけりもとの
おひにあらねとむなしうたしなひて申かたなからん
よりもこれをもちてまゝりたらんはをのつからつみ
もよろしかゝんとて手をすりよろこひてまかりに
けりさて方角におひもなくてかくれゐたりける
ほとに事はしまりにけれはをそし〳〵ともよほさ
れてこと人のおひをかりてそ其公事をはつとめ
ける中つかさの宮の文ならひ給ひける時もすこし一
をしへたてまつりてはひま〳〵に目をひさきつゝ常
にほとけをそ念し奉りけるある時。かのみやより
馬をたまはらせたりけれはのにてまいりける道の
あひた堂塔のたくひはいはすいさゝかそとは一
本あるところにはかならす馬よりおりてくきやうら
いはいし又草のみゆるところことに馬のはみとまる
に心にまかせつゝこなたかなたへゆくほとに日たけて
あしたに家を出る人ひつしさるの時まてになむなり
にけるとねりいみしく心つきなくおほえて馬をあ
らゝかにうちたりけれはなみたをなかしこゑをたてゝ
なきかなしみていはくおほかるちくしやうの中にかく
ちかつく事はふかきしゆくえんにあらすや過去の父
母にもやあるらむいかに大きなるつみをはつくるそと
いとかなしき事なりとおとろきさはきけれはとねる
いふはかりなくてまかりてそ立くりたるかやうの心也
けれは池亭記とてかきをきたる文にも身は
朝にありて心は隠にありとそ侍かなる年たけ
て後かしらおろして横川にのほり法文ならひ
けるに増賀上人いまた横川にすみ給ひける
ほとにこれををしゆとて心観の明静なること
前代いまたきかすとよまるゝに此入道たゝなき上
なくひしりさる心にてかくやはいつしかなくへきあな
あいきやうなの僧の道心やとてこふしをにきりて
うち給ひけれは我も人もこそとまかりて立にけり
ほとへてさてしもやは侍るへき此文うけたてよろらむ
といふさゝはと思ひてよまるゝにさきのことくなく又
はしたなくさいなまるゝほとに後のことはもきかてや
みにけり日比へて事をこりすまに御けしきとりて
おそれ〳〵うけ申けるにもたゝおなしやうにいとゝなき
ける時そのひしりもなみたをこほしてまことにふかき
御のりのたうとくおほゆるにこそとあはれかりてしつ
かにさつけられけりかくしつゝやむことなく徳いたりに
けれは御堂の入道殿も御戒なとうけ給ひ
けりさて聖人わうしやうしける時は御諷誦な
とし給ひてさゝしぬの百千たまはせけり請文まは
三河入道しうくかきとめたりけるとそ
むかしずいのやうていの智者にほうせし千僧
ひとりをあまし今左せうしやうの究公をと
ふらふさゝし布もゝちにみてりとそかれ
たりける
三河聖人寂照入唐往生の事
参河のひしりといふは大江のさたもとといふはかぜ
これなり三河のかみになりたりける時もとのめを
すてゝたくひなくおほえけるをんなをあひくして
下りけるほとに国にてせんなやまひをうけてつ
ゐにはかなくなりにけれはなけきかなしむことかきり
なしれんほのあまりにとりすつるわさもせす日ころ
ふるまゝになりゆくさまをみるにいとゝうき世のい
とはしさ思ひしられて心をおこしたりける也かしら
おろしく後乞食しありきけるにわかたうしんは
まことにおこりたるやとこゝろみむとて妻のもとへ行
て物をこひけれはなんなこれを見てわれにうき
め見せしむくひにかゝれとこそは思ひしかとてうらみ
をしてむかひたりけるか何ともおほえさりけれは御
とくにほとけになりなんする事とて手をすり
よろこひていてにけりさてかの内記のひしり
の弟子になりてひかし山によいりんしにすむそ
のゝち横川にのほりて源信僧都にあひ奉て
そふかきみのりをはならひけるかくてつゐに
もろこしへわたりていひしらぬしるしともあらはしたり
けれは大師の名をえて円通大師とそ申
けるわうしやうしけるにほとけの御むかひの楽を
きゝて詩をつくりうたをよまれたりけるよしもろ
こしよりしるしをくりて侍り
一笙、秋遥間孤雲上聖衆来迎落日前
雲の上にはるかに楽のをとすなり人やきくらん
ひかみゝかもし
一仙命上人の事并覚尊上人事
らかきころ山に仙命聖人とてたうとき人有
けりそのつとめ理観をむねとしてつねに念仏
をそ申けるある時ちふつたうにてくはんねんすま
あひたにそらに声ありてあはれたうときことを
のみくはんし給ふ物かなといふあやしみてたそかくは
のたまふそととひけれは我は当所三聖なりほつ
しんし給ひし時より日に三度あまかけりて
まもりたてまつる也とそこたへ給ひけるこのひしりさて
にこつから朝夕の事をしらす一人つかひける小法
師山の坊ことに一度めくりて一日のかれいを
こふてやしなひける外には何も人の施をはうけ
さりけりときのきさきのみや願をおこして世に
すくれてたつとからん僧をくやうせんと心さして
あまねくたつね給ひけるに此ひしりのやむことなき
よしをきゝ給ひてすなはち御身つからぬのけさを
ぬひ給ひてありのまゝにいはよもうけしと覚
してとかくかまへて此小ほうしに心をあはせてなん
思ひかけぬ人の給はせたりつるとてたてまつりけれは
ひしりこれをとりてよく〳〵見て三世のほとけ
得給へとて谷へなけすてゝけれはいふかひなくてやみ
にけり大かた人のこふ物さらにひとつおしむ事なか
りけりいたしきの板をほしかる人のありけれはわか
房のいたを二三まいはなしてとらせたりけるあひた
に東塔のかまくらにすむ覚馬上人とくいにて
よるくらき時きたりけるか板きのいたのなき事
をしらすしておち入あひたにあなかなしといひける也
きゝて御房はふかくの人かなもしさてやかてしなむ
こともかたかるへき身かはあなかなしといふをはりのこと
やはあるへき南無あみた仏とこそ申さめとそいひ
ける此仙命上人かの覚尊かすむかまくらへゆ
きたりけるにとみの事ありて客人をゝきなから
きと外へゆくとていうき出る人のさらにうちへかへ
り入てやゝひさしく物をしたゝめけれはあやしみて
出て皮あとを見給ふによろつの物にこと〳〵く
ふうをつけたり此ひしり思ふやういと心わるきし
わさかなよもありきのたひにかゝしもしたゝめし
我をうたかふ心にこそはやかへれかし此事をはち
しめんといふかく思ひたるほとにかへりきたれりおもひ
まうけたる事なれは見つくるやをそしと此事
をいふ覚尊のいはくつねにかくしたゝむるにあらす
又人の物をとるをおしむにあらすされとも御房の
おはすれはかくとりおさめ侍る也そのゆへはもしこ
れらいさゝかもうせたる事あらは凡夫なれはみつ
から御屋をうたかひ奉る心のあらんことのいみしう
罪障ありぬへておほえてわか心のうたかはしさになん
何はかりの物をかはおしみ侍らんとそいひけるかくて
かまくらのひしりさきにかゝれぬときゝてかならす
往生しぬらむ物にふうつけしほとの心のたくみ
なれはとそ仙命聖人はいひけるそのゝち夢に覚尊に
あへりまつはしめのことはにはいつれの品そととひけれは
下品下生なりそれたにもほと〳〵しかりつるを御房の
御とくにわうしやうとけたるなり日ころ橋をわたし道
をつくりし行はかりにてはかなはさらまし御すゝめ
によりてとき〳〵念仏せしかはとそいひける又いはく
仙命わうしやうはかなひなんやとゝふその事うたかひ
なしはやく上品上生にさたまり給へりといふとそ見
えたりける
摂津国妙法寺楽西聖人の事
津の国和田のおくにめうほう寺といふ山寺あり
かこに楽西といふ聖人すみけりもとは出雲の
国の人なりわか身いまたおとこなりける時人の田を
つくるとてうしのたへかたけなるをうちせめてかきすき
まるを見てかく有情をなやましつゝわりなくして
つくりたてたる物をなす事なくて受用する事
こそいみしうつみふかけれと思ひけるより心おこりて
やかて出家したりけりそのゝちゐところもとむとて
国をあはねく見ありきけるにえんやありけむこの
ところの心につきておほしけれはこゝにすまむと思
ひてある僧のいほりにたつねゆきたるにあるしはあか
らさまにたち出たるにほたといふ物をさしあはせて
をきたるをみて此ひしりとかくもいはてはひ入て木おほ
くとりくへてせなかあふりしてそゐたりけるあるしかへり
きていふやう何ものなれは人のもとにきてあんないもいいて
したりかほに火たきてはゐたるそけうのしわさやと腹
たてけれは我はいさゝか心をおこしてまよひありく
修行者なりなんちもろともにほとけの御弟子に
あらすやあなかちにしるしられすといふへき事かは風
のおこりてなやましうおほえけれは此火のあたり見
過しかたくてゐたるそかし木いくはくかはたきたるおし
く思はれはこりてかへし申さん又なを此火にあてし
とならはさるへしけんとんなる火にはあたらてこそはあ
ちめやすき事也まかり出なむといふあるしもいさゝか
道心あるものにてことからを心えすおほゆれは申す
かりそいはるゝところも又ことはりなりさらはしつかに
ゐたまへとて事の心をとふわか心さしあるやうなと
いひけるほとにやかて此僧とくいになりて山の中の
人はなれたる所をきりはらひてかたのことくいほりを
むすひすみそめたるになむありけるかくてたうとく
おこなひてとし比になりけれはちかき程にて福原
入道このひしりのまをきゝ給ひてまことにたう
とき人かなことさま見よとて盛俊をつかひにてせうへ
そくし給ひたりけりちかきほとにかくて侍れはたのみ
たてまつる又いかなる事なりともさふらはゝかならすのた
まはせよなとねんころにいはせ給ひてをくり物とも
せられたりけり聖人のいはくおほせはかしこまり侍り
たゝし行もなく徳もなけれはかやうのおほせかう
ふるへき身にてはゆめ〳〵侍らすいかさまにきこしかし
てなをさりにて御つかひなと給はりてか侍るらんこの
事おとろき思ひ給ひ侍り此たまはせる物もかへし
奉かへきにて侍れとおそれさりかたくて此たひはかり
はとゝめ侍り今より後はさふらふましき事也さて
身に申侍るへき用なく侍り又しられまいらせて御
ようにかなふへき事はいさゝかも侍らすといとことの
ほかに申たりけりつかひかへりまいりて此よしきこえけ
れはまことにたうとき人にこそされとさやうにもて
はなれんをはいかゝはせんなをとかくいはゝ心にたかひ
なむとて又をといれ給はすしてやみにけるさてこの
をくり物をは寺の僧ともにかた〳〵わけとらせて我は
いさゝもとゝすある僧あやしめて何かはこれをうけ
給はぬまつしきものゝわりなくしていさゝかの物なと奉
るこそ心さしをもく見ゆれそれをはうけ給ふめり
これほとの物かの御ためには何の物のかすにてはあらん
といひけれはのたまふところいはれありけにまつしき
人の心さしをもき信様なれと我うけすはたれかは
すくなき物をえて思ふはかりその心さしをむくはん
とするこれをかへす物ならはわかつみをのみおそれて人を
すくふこゝろはかけぬへししかれはさためてほとけの御
こゝろにもそむきぬらんと思ひ給へはなましいにうけ
給ふなりさて此入道故はくとくをなし給はんには
いつれの事か心にかなはさらん善知識をたつね
給はんにも又きやうとくたかき人おほしたれかまいら
さらむ此法師しり給はすともさら〳〵ことかくまし
いきほひいかめしうおはすめれはさためてつみもおは
すらんさせる徳なき身にてひきかづきてよしな
しとてのかれ申なりとそいひけるこゝかしこより物
をうるほとにおほくなりぬれは寺の僧をよひあつ
めてこれをほとこすさしにほのれうと思へる事なし
かの山寺ちくやまめなる老婆のたへかたくまつ
しきあり是をあはれみてつねに物なととらせけ
るかしわすのつこもりに人の手より餅をあまた
えたりける時かのうはを思ひ出して夜いたうふけ
てみつからもちてゆきけるほとに年ころもちたり
ける念珠をおとしてけりかへりて後思ひ出したり
けれとしけき山をわけ行みちなれはいつくにかおち
にけんもとめにもゆかす多年くんしゆつみつゑ
念珠をとなつきなからずゝひきかたゝひてあつらへ
むとするほとにからすの物をくはへて堂のうへにから
からとならすをみれはわかおとしたりける念珠なり
けりかゝすいとあはれなりとてこれをかへしとりつそれ
より此かゝすとくいになりて人の物もちくへき時には
かならすきゐてなくそのゐたるとをさに今いく日也
とはからふに露もたかはすほと〳〵護法なともい
ひつへきさまにそありける又此いほりのまへにちいさき
池ありはちすおほくて花のさかりには水もみえす
ひとへに紅梅のきぬをおほへるかことしあるとしの
夏いさよも花さかざりけるを人のあやしみけれは
ことしは我此界をさるへきとしなれは行へき所に
さかむとてこゝにはさかぬなりとそこたへけまことに
そのとしりんしう正念にめてたくてそをはりける
かやうのふしきおほくきこえ侍りしかと事しけけ
れはしるさす
一相真役後製袋を返す事
津の国のわたなへといふとゝろになからの別所と云
寺ありそこにちか比暹俊といふ僧ありけりわか
にては山にかくもんなとしてありけるかをのつからこく
にゐつきたりけるなり此僧いかてかつたへもちたりけん
むかし文殊のみのりとき給ひける時の御けさとて
蓮のいとにてをれるけさなりもとは山の禅論
信都のいたへたりけるを池かみの皇慶あしやり
の時乙こほうしてむねつちにてあらはせ給ひける
よし伝へたる加衣裟なりこのせんしゆんとしは十
はかりまてことなる弟子なしそのあたりちかへ柳
津のへつしよといふところに相真といふ僧あり
六十にあまれり此けさのつたへやむことなき事を
きゝてこれをゆへりえんと思ひて弟子になりぬ
暹俊かいふやうけさをつたへんかために弟子に成
給へる心さしあさからすしかゝは三衣のうちまつ五
てうを当時ゆへり奉らんのこりをは死後につたへ
とり給へといふ相奥よろこひてこれをえてかへりぬ
そのゝち思ひの外に相真さきたちてやまひをうけ
て死する時此けさをかけて弟子ともにいふやう我
しなむには此けさをかならすあひくしてうつめといひ
をきてをはりにけれは弟子ともいひしことくにして
日比すきにけりそのゝち暹俊かの相真かてし
の中にいひをくる袈裟をはみな亡者にゆへり
申候へきかしちきりきこえしかとほいならすさきたゝ
れぬれは具にはなれてあるへきにあらす返し給は
むといふ六者のいひをきしやうなとありのまゝにいひ
けれとなを信せすかされてたへねたりけれはこの事
よしならとて相真かてしともせいもんをなむかきてそ
をくりたりけるそのうへにはとかくいふへきならねはなけき
なから年月をゝくるほとに中一年をへて長寛二
年の秋暹俊ゆめにみるやうまうしや相真来り
ていはくわれ此けさをかけたりしくとくによりて都
卒の内院にむまれたりたゝしけさをはわか申たり
しまゝに具してうつみたりしかと不具になる事を
ふかくなけき給へはかへしたてまつる也はやくもとの
はこをあけて見給ふへしといふ夢さめて此三衣の
箱をあけてみれはもとのことくたゝみてはこの中
にありまことにふしきの事なれはなみたをなかし
つゝこれをくきやうすそのゝちかの暹俊をはる時
又此けさをかけてわうしやうすそのてし弁永と
いふ僧これをつたへて又わうしやうする事さきの
ことしかの弁永かわうしやうせし事は十年のうち
の事なれはみな人きゝつたへける事なりむかし物語
なとにはいみしき事おほかれとそのなこりとしに
そへてほろひうすまれく残りたるも世くたり人をた
ろへてふしきをあらはすことありかたしこれはにこれる
世のすゑにたくひすくなき程の事なりされはけぢ
ゑんのためわさとまうてつゝおかむ人おほく侍る
へし
十一日
一真浄房しはらく天狗になる事
ちかきころ鳥羽の僧正とてやむことなき人おはし
けりその弟子にてとし比同宿したりける僧あり
名をは真浄屋とそいひけるわうしやうをねかふ心
ふかくして師の僧正にきこえけるやう月日にそへ
て後世のおそろしく侍れはしゆかくのみちをすてゝ
ひとへに念仏をいとなまんと思ひ侍るにおりよく
法勝寺の三昧あきて侍りかしこに申なし給へ
身を非人になしてかの三まいの事にいのちをつ
きて彼世をとり侍らんときこえけれはかくおもひ
とりけるあはれなりとてすなはち申なされにけり其
うちほいのことくのとかに三昧ろうはうにゐてひま
なく念仏して月日を。くるとなりの坊にえいせん
坊といふ僧おなしく後世を思ひけるにとりてその
つゝめことなりかれは地さうをほんそんとしてさま〳〵
におこなひぬもろ〳〵のかつたいをあはれみて朝夕
物をとゝす真浄房かかたにはあね陀をたのみ
たてまくりてひまなく名号をとなへこくらくをねよふ
これ又乞食をあはれみけれはさま〳〵のこつしきとも
きほひあつまる二人の道心しやはまちかくかきをひ
とつへたてたれともをの〳〵ならひにけれはかつたいも
こなたへかけさゝす乞食もとなりへのそむ事なしける
ほとにかの僧正やまひをうけてかきりになり給へ
るよしをきゝて真浄房とふらひにまうてたりけり
事のほかによはくなりてふし給へるところによひ
いれてとしころむつましう思ひならはせるを此二三年
うと〳〵しくなるたにこひしくおほえつるに今なかくわ
かれなんとす今日やかきりならんといひもやらすなか
れけれは真湯房いとあはれにおほえてなみたを
おさへてさなおほしめしそ今日こそわかれたてまつ
るとも後世にはかならすあひてつかうまつるへき也
どきこゆかく同心に思ひけることりいとうれしけれと
てふし給ひぬれはなく〳〵かへりぬそのゝち程なく
僧正かくれ給ひにけりかくてとしころふるほとにとな
りの叡泉房之地なやましくて廿四日のあか
つきに地さうの御名をとなへていとめてたくをはり
ぬれは見きく人たうとみあへり此真浄房をとゝ
ぬ後世しやなりけれはかならすわうしやう人なりと
さたむるほとにふたとせはかりありていと心えすもの
くるはしきやうなかやまひをしてかくれにけりあたり
の人あやしくほいなき事に思ひつゝとし月をゝくる
ほとに老たる母のをくれゐてなけきけるか又物め
かしき事ともありけるをしたしき人ともあつまりて
りてさはく程に此はゝかいふやう我はことなる物のせ
あらすうせにし真浄房かまうてきたるなりわか
ありさまをたれもこゝろえかたく思はれたれはかつは
その事をもきこらんとなりわれひとへにみやうりを
すてゝ後世のつとめよりほりにいとなみなかりしかは
生死にとゝまるへき身にてはなきをわか師の僧
正のわかれおしみ給ひし時後の世にはかならすま
いりあひてしたかひたてまつらんときこえたりし事
をいま券契のことくしてさこそいひしかとていかに
もいとまを給はせぬによりて思はぬみちに引いれ
られ侍るなりたゝし天狗と申ことはある事也
来年六ねんにみちなんとすかの月めにかまへて
此みちを出て極楽へまうてはやと思ひ給へるに
かならすさはりなく苦患まぬかるへきやうにとふら
ひ給へさても世に侍よし時ほいのことくをくれたて
まつるならは母の御ためせんちしきとなりて後世を
とふらひ奉らんもし又思ひの外にさきたちまいらを
はいんせうしたてまつくむとこそねかひ侍りしか
思はさるに今かゝる身となふてちかつきまうてくるに
つけてもなやましたてまつるへしやはといひもやらす
さめ〳〵となくきく人さなからなみたをなかしてあ
はれみあへりとはかりのとかに物かたりしつゝあくひた
ひ〳〵してれいさまになりにけれは仏経なと
こゝろのをよふほとかきくやうしけりかゝるほとにとしも
かへりぬその冬になりて又その母わつらふとかくいふ間
に母かいふやうたれ〳〵もさはかりありし真浄房か又
まうてきたるそ其ゆへはまこゝろに後世とふらひ給
へかうれしさもきこえんと思ひ給ふうへにあかつきすて
にとくたつし侍りいかむとなれはそのしるし見せたく
まつらんためなり日ころわか身のくさくけかゝはしき
香かき給へとていきをためて吹いたしたるに家の
うちくさくてたへしのふへくもあらすさてよもすか
ら物かたりしてあかつきにをよひてたゝ今そすて
に不浄身をあらためて極楽へまうて侍るとて
又いさをしたりけれはそのたひはかうつしく家のうち
かほりみちたりけりそれをきく人たとひ行徳たかき
人なりともかならすこれにちぐせんといふちかひをはおこ
すましかりけりかれはとりはすしてあしき道に入たれ
はあへなくかゝるわさなりとそいひける
一助重一声念仏によりて往生の事
承久のころ前瀧口すけしけといふものありけり
あふみのくにかまふのこほりの人なりぬす人にあひ
て射ころされけるあひたにその矢そせなかにあたる
時こゑをあけて南無阿弥陀仏とたゝ一声申
てしゝぬそのこゑたかくとなりの里にきこえけり人
きたりてこれを見けれは西にむかひてゐなからまなこ
をとちてなむありける時に入道寂因といふもの
有けり助重かあひしれるものなれと家ちかゝらねは
此事をしらすその夜の夢にみるやうひろき野を
ゆくにかたはらに死人あり僧おほくあつまりていふ
こゝにわうしやう人ありなんちこれをみるへしといふゆき
てみれは助重なりけりと見て夢さめぬあやしと
思ふほとにあしたに助重かつかひけるわらはきたり
て此よしをつけゝり又ある僧あふみの国をしゆ
きやうしけり夢のうちに人つくるやう今往生人あ
りゆきてえんをむすふへしといふそのところ助重か
家なりけり月日又たかはすありけりかの僧正の
とし比のきやうとく助重か一こゑの念仏の外の
事なれとかれはあくたうにとゝまりこれはしやうとに
むまるこゝにしりぬ凡夫のをろかなる心にては人の
徳のほとはかりかたき事也
橘大夫發願往生の事
中比ときはの橘大夫守助といふ者ありけり年
八十にあまりて仏法をしらす兪日といへとも精
進せすほうしをみれともたうとむ心なし若をし
へすゝむる人あれはかへりてこれをあさむくすへく
□□□□□□□
文政二十三
愚癡きはまれる人とそ見えけるしるをいよの国に
しる所ありて下りけりころは永長の秋ことなるやまひ
もなくてりんしうしやうねんにしてわうしやうせり次まの
かたよりむらさきの雲あらはれてかうはしき香みち〳〵
てめてたきすいさうあらたなりけりこれを見る人あや
しみてそのつまにいかなるつとめをかせしとゝふ妻のい
く心もとよりしやけんにてくとくつくる事なしたゝし
をとゝしの六月よりゆふへきにふしやうをかへりみす衣
眼をとゝのへす西にむかひて一牧なりなる文をよ
みてたなこゝろをあはせておかむ事こそありしかといふ
その文をたはね出しくみるに発願の文ありその
ことはにいはく弟子うやまつて西方極楽のけしめ
あみたによらいくはんをんせいしもろ〳〵のしやうしゆをお
とろかし申すわれうせかたき人身をうけてたま〳〵仏
ほうにあへりといへとも心もとよりくちにしてさらにつとぬ
おこなふ事なしいたつらにあかしくらしてむなしく三条
にかへりなんとすしかるにあ弥陀如来われとえん
ふかくおはしますによりてにこれるすゑの世のしゆしやうへ
をすくはむかため大願をおこし給へる事ありきその
おもむきをたつぬれはたとひ四重五逆をつくれる
人なりともいのちをはらん時我国にむまれんとねかひ
南無阿弥陀仏と十度申さはかならすむかへんと
ちかひ給へり今この本願をたのむかゆへにこん日より五
ちいのちをかきりにてゆふへことににしにむかひてほうがうへ
をとなふねかはくはこよひまとろめるうちにもいのち尽なん
事あらはこれををはりの十念として本願あやまた
す極楽へむかへ給へたとひのこちのいのちありてこよ
ひすきたりともをはりねかひのことくならすして弥陀を
となへすは日ころの念仏を以てをはりの十念とせん
われつみをもしといへともいまた五逆をつくらすくとく
すくなしといへともふかく極楽をねかふすなはち玉願
おそむくことなしかならすいんぜうし給へとかけりこれ
をみる人なみたおとしてたうとみけりそのゝちあま
ねく此文をかきとしてしんしおこなひてしるしを見
たる人おほかりけり
又ある聖人かやうにほつくはんの文をよむことはなけれと
もよるまとろめるほかには時のかはることに最後の
思ひをなして十念をとなへつゝこれはかりを行として
わうしやうをとけたりとなんつとむるところはすくなけれ
ともいねにむしやうを思ひてわうしやうを心にかけん事
要か中の要也もし人心かりわすれす極楽を思へは
いのちをはる時かならす生すたとへは木のかたふける
かたへたふるゝかことしなといへり
或上人客人にあはさる事
年来道心ふかくして念仏をこたらぬひしり有けり
あひしりたりける人のたいめんせんとてわさとたつねて
きたりけれは大切にいとまふたかりたる事ありてえあ
ひたてまつるましきといふ弟子あやしと思ひてその
人かへりてのちなとほいなくてはかへし給へるそさし合
事も見え侍らぬをといへはあひかたくして人身を
得たり此たひ生死をはなれて極楽に生れん
と思ふこれ身にとりてきはまりたるいとなみなり何
事かこれに過たる大事あらんとそいひける此事あ
まりきひしくおほゆるはわか心の及はぬなるへし
登禅三昧経に云今日営二此事一シ明日造一彼事一
楽着不レ観レ苦不レ覚二死賊至一云云世の中に
ある人さすかに後世を思はさるはなけれともけふは
此ことをせんあすはかの事をいとなまんと思ふほとに
むしやうのかたきのやうやくちかつきていのちをうし
なふ事をゝしらさると也
一舎衛国老翁宿善をあらはさゝる事
むかし釈迦如来しやゑてにおはしましゝ時あなん
そんしやと申御てしをくし給ひて城のほとりを出給
にあやしけなるおきな女と二人くしてみちにてあ
ひたてまつるともにかしらのかみしろくおもてのしわたく
みてほねとかはとくろみをとろへたり身にはきたなけ
なる物をわつかにむすひあつめつゝきたれとはたへも
かくれすいさゝかあゆみては大きにあへきひまなくやす
むほとけこれを御らんして阿離これはみるや此おき
な大きなる宿善ありとしはしめてさかりなりし時
つとめおこなひて此世をいのしましかはしやゑこくの
第一の長者とはなりなまししゆつりのためにつ
とめましかは三明六通のらかんとはなりなまし次
にさかりなはし時つとめましかは第二の長者となり
とくたつを思はゝ阿那合のひしりとはなりなまし
次にさかりなりし時いとめましかは第三の長者となり
證果を心さゝは斯陀合のひしりとはなりなりなりなま
をろかに物うくしてそのさかりを過してしゆくせんを
もちなからねかはさりしゆへに今つたな事身としてうけ
かたき人界の生をむなしく過しつるなりとおほせら
れきわれたま〳〵法華経にあひたてまへり弥陀仏
のひくはんをきゝなからつとめおこなはすしていたつゝに
あたゝ月日を過す露もたかはぬ乞者の翁也
一善導和尚仏を見る事
唐の善導和尚は道綽の御弟子なりしかあれ
とその師にもこえて定のうちにあみたを見奉り
おほつかなきことをとひたてまつり語をえ給へり師の
道綽善導にあつらへていはくわれあさゆふ往生
こくらくをねかふ事はかなひなんやこれきはめておほ
つかなしほとけにとひたてまつりてきかせ給へとあたま
ひけれはたちまちにちやうに入て此事をとひ奉る
ほとけののたまはく木をきるには斧をくたす家に
かへるには骨を辞する事なしと此ことをきゝてたう
しやくにかたり給ひけりとなんかくいへる心は木をきる
にはいかに大きなる木といへともたゆみなくこれをきれは
つゐにとしてきりたをさすといふ事なしをこたりて
きりやすむへからす家にかへるには又くるしとて中に
とゝまる事なかれはふ〳〵もかならすゆきつくへし心さし
ふかくしてをうたらすはうたかひあらさるよしををしへ
給へるなり此事道綽にかきるへからすもろ〳〵の
行者おなしかるへし
江州増叟の事
中ころあふみの国にこつしきありくおきなありけり
たちてもゐても見ることきく事につけてましてとのみ
いひけれは国の者ましてのおきなとう名つけゝる
させる徳もなけれともとし比へつらひありきけれは
人もみなしりて見ゆるにしたかひてあはれみけり其
時やまとの国にあるひしりの夢に此おきなかなく
わうしやうすへきよし見らかけれはけちゑんのためにたつ
ねきたりてすなはちおきなか草のいほりにやとりに
けりかくてよるなといかなる行をかすらんとてきけ
ともさらにつとむる事なしひしりいかなり行をかなす
とゝへはおきなさらに行なきよしをこたふひしりかき
ねていふやう我まことはなんちかわうしやうすへきよし
を夢に見侍てけれはわさとたつねきたるなりかく
す事なかれといふその時おきないはく我まことは
ひとつの行ありすなはちましてといふことくさこれなり
うへたる時は餓鬼のくるしみを思ひやりてましてと
いふさむくあつきにつけても寒熱地こくを思ふ事
又かくのことしもろ〳〵のくるしみにあふことにいよ〳〵あく
たうをおそるうまきあらはひにあへる時は天のかんろ
をくはんしてしうをとゝめすもしたえなるいろを見
すくれたる声をきゝかうはしきかをかく時もこれ何の
かすにかはあらむかの極楽浄土のよそほひ物にふ
れてましていかにめてたわんと思ひて此世のたの
しみにふけらすとういひけるひしり此ことをきて
なみたをなかしたなこゝろをあはせてなむさりにける
かならすしも浄土のしやうこんをくはんせねとも物に
ふれてことはりを思ひけるも又わうしやうのこうとなん
なりにける
府内盟
長明発心集三
発心集第三目録
●氏
文庫
一伊与僧都の大童子頭光あらはるゝ事
一伊与入道往生の事
一讃州源大夫俄に発心往生の事
一或禅師補陀落山にまうつる事賀東上人の事
一或女房天王寺にまいり海に入事
一書写山の客僧断食往生の事
一蓮華城入水の事
一樵夫獨覚の事
一証空律師希望深き事
一袋心負者二
一親輔養児往生の事
一松宝の童子成仏の事
一三昧座主の弟子法花経の験を尋る事
発心集第三
伊予僧都の大童子頭光あらはるゝ事
奈良のみやこに伊与僧都といふ人ありけり白河院
のすゑにやあひ奉りけんちかき世の人なるへしその
僧都のもとにとしころつかう大童子ありけりあさ
ゆふに念仏を申事時のまもをこたらすある時僧
都の夜ふけて物へゆきけるに此わらは火をともしく
くるまのさきにゆくをみれは火のひかりに映してかしら
のひかりあらはれたりあさましくめつらかにおほえて人
をよひて此火を車のしりにともすかくて又むかひ
てこれをみるになをさきのことくにあきらかなりとかく
いふはかりなしそのゝちこのわらはをよひていふやうとしも
やう〳〵たかくなりたりかく念仏を申すいとたうとし
今は宮いかへさはりありまきるゝかたなく念仏してゐ
たれかししからはくひ物のためにいさゝか田をわけてとら
せんといふわらは何事におほしめしあきて侍るにか宮
つかへつかまつるとて念仏のさはりになる事も侍らす
身のたへて侍らんほとはつかうまつらんとこそは思ひつれ
いとほいなくなといふそのていのことにあらすとてことの
いはれをよく〳〵いひきかせけれはしからはかしこまり
侍りとて此田をふたりもちたりける子にわけとらせて
なん食物をはさたせさせけるかくて猿沢の池の
弐拾弐匁
二十一日
かたはらに一問なるいほりむすびていとゝ念仏して居
たりけれはほいのことくりんしう正ねんにして西にむか
ひてたなこゝろを合せてをはりにけりわうしやうは
むちなるにもよらす山林にあとをくらふするにもあ
らすたゝいふかひなくこうつめる物かくのことし
伊与入道往生の事
伊豫守源頼義はわかへよりつみをのみつくりて
いさゝかもざんぎの心なかりけりいはんや御門のおほ
せといひなからみちのくにゝむかひて十二年のあひた
むほんのともからをほろほしもろ〳〵のけんそくきやう
かいをうしなへる事かすをしらす因果のことはりむな
しからすは地こくのむくひうたかひなからむと見えけるに
みのわの入道とてさきたちて世をそむける者あり
けり折ふしに此世のむしやう罪のむゝひのおそる
へきやうなとをいひけるをきゝてたちまちにほつしん
してかしらおろして一すちにわうしやうこくらくを
ねかひけりかのみのわの八道かつくれりける堂は
伊与入道の家むかひさめうし西のとうゐんなり
みのわ堂といひてちかくまてありきかの堂にて
おこなふあひたにむかしの罪をくひかなしみけるなみた
板しきにおちつもりて大床につたはり大ゆかよりな
かれてつちにおつるまてなんなきけるそのゝちかたり
ていはく今はわうしやうのねかひうたかひなくとけなんとも
勇猛強盛なる心のおこれる事むかし衣川の
たちをおとさむとせし時にことならすとなんいひける
まことにをはりめてたくて往生したるよし伝にしる
せりおほくつみをつくれりとてひげすへからすふかく心
をおこしてつとめおこなへはわうしやうする事又かくの
ことしその息はつけに善知識もなくさんけの心
もおこさゝりけれはつみほろふへきかたなし重き病
をうけたりける比むかひにすみける女はうのゆめに
みるやうさま〳〵のすかたしたかおそろしき物かすも
しらすそのあたりをうちかこめりいかなる事そとたつ
ぬれは人をからめんとするなりといふとはかりありて
おとこをひとりをひたてゝ行さきにふだをさしあけ
たるを見れは無間地こゝのさい人とかけりゆめさめて
いとあやしくおほしてたつねけれは此あかつきはやくう
せ給ひぬとなんいひける
讃州源大夫俄に発心往生の事
さぬきの国にいつれのこほりとか源大夫といふもの
ありけりさやうの者のならひといひなから仏法のなを
たにしらすいき物をころし人をほろほすより外の
事なけれはちかきもとをきもおちおそれたる事
かきりなしある時狩してかへりけるみちに人のほとけく
やうする家のまへをすぐとてちやうもんの人のあつまれる
を見て何わさをすれは人はおほかるそととふらうとうの
いはく仏くやうといふ事し侍るなりといふいてやけう
かりいまたみぬことそとて馬よりおりてかりしやうそく
のまゝなり中をわけいり庭もせにこゝらゐたる人これ
なさけなしとみるにむねいふれてひらかりおりこゝらの
人のかたをこえて導師の法とくかたはらにちかくゐて
との心をとふ僧おそろしなからせつほうをとゝめて
あみたの御ちかひたのもしき事極楽のたのしみ
此世のくるしみむしやうのありさまなとをこまかに
とききかす此おとこいふやういと〳〵いみしき事にこそ
さらは我ほうしになりてそのほとけのおはしまさんかた
へまいらんと思ふにみちをしらす心をいたしてよびた
てまつらむと思ふにいらへ給ひなんやといふまことにふ
かく心をおこし給はゝかならすいらへ給ふへしとこたふさゝ
は我をたゝいまほうしになせといふあれうのまゝにく
ともかくもいひやらすその時らうとうよりきてけふは
物さはかしく侍りかへり給ひてそのよういして出家し
一給はゝよろしからんといふにはらたちてをのれかはからひ
にてはわか思ひたちたる事をはいかてさまたけんとする
そとてまなこをいからかして太刀をひきまはせはお
それおのゝきてたちのきぬ大かたけふの願主より大し
めてありとある人色をうしなへりちかくゐよりてたゝ
今かしらそれそしてはあしかりなんとしきりにせむれは
のかるへきかたなくてわなゝく〳〵法師になしつ衣けさ
こひてうちきてこれより西さまにむきてこゑのある
かきりなむあみた仏と申てゆくこれをきく人なみた
をなかしてあはれむかくしつゝ日をへてはるかにゆき
ゆきてすゑに山寺ありけりそこなる僧あやしみて
事の心をとふしか〳〵とありのまゝにいへはたうとみ
あはれむことかきりなしさくも物ほしくおはすらんと
てほしいひをいさゝかひきつゝみてとらせけれは露物
くはん心ちなしたゝほとけのいらへ給はんまては山はやし
うみ川なりともいのちのたえんをかさりにてゆかんと
とふこゝろのみふかくてその外には何事もおほえすと
てなを西をさしてよはひゆくかの寺にひとりの
僧ありあとをたつねつゝ行てみれははるかの西の海
きはにさゝ出たる山のはなる岩のうへにゐたりかたりて
いはくこゝにてあみた仏のいらへ給へはまちたてまつる
なりといひて声をあけてよひ奉るまことにうみ
のにしにかすかに御こゑきこえけりきゝ給ふにや今は
はやかへり給ひねさて七日はかり過て又おはして我
なりたらんすかたさまを見給へといひけれはなく〳〵
後藤従三
かへりにけり其のちいひしかことく日ころへてそのてらの僧
あまたいさるひて行てとへるにもとのところに露もかへ
らすたなこゝろを合せつゝ西にむかひてねふりたるかこ
とくにてゐたり舌のさきよりあをきはちすの花一
ふさおひ出たりけりをのくほとけのことくおかみてこの
花をとりて国のかみにとらせたりけるをもてのほりて
宇治殿にそたてまつりけるこうつめる事なけれと
も一すちにたのみたてまつる心ぶかけれはわうしやう
する事又かくのことし
或禅師補陀落山にまうつる事
ちかくさぬきの三位といふ人いまうかりけりかの
めのとのおとこにてとし比わうしやうをねかふ入道有
けり心に思ひけるやう此身のありさまよろつの事
こゝろにかなはすもしあしきやまひなとうけてをはり
思ふやうならすはほいとけんこときはめてかたしやま
ひなくてしなむはかりこそりんしう正念ならめと
思ひて身燈せんと思ふさてもたへぬへきかとて鍬
といふ物を二つあかくなるまてやきて左右のわき
にさしはさみてしはしはかりあるにやけこかるゝさまめ
もあてゝれすとはかりありてことにもあらさりけり
といひてそのかまへともしけるほとに又思ふやう身
燈はやすくしつへしされと此生をあらためて極
楽へまうてんせんもなく又ほんふなれはもしをはりに
いたりていかゝなをうたかふこゝろもあらんふたらくせん
こそ此世の中のうちにてこの身なからもまうてぬ
へき所なれしからはかれへまうてんとおもふなり又す
なはちつくろひやめて土左の国にしれるところあり
けれは行てあたゝしき小舟一つまうけて朝夕これ
にのりてかちとるわさをなかふそのゝちかちとりをか
たらひ北風あたゆみなくふきつよりなん時はつけよと
ちきりてその風をまちえてかの小舟にほかけてたく
一人のりてみなみをさしてのりにけり妻子ありけれ
とかほとに思ひたちたる事なれはとくむるにかひなし
むなしくゆきかくれぬるかたを見やりてなんなきかなしみ
けるこれを時の人こゝろさしのいたりあさからすかならに
まいりぬらんとそをしはかりける一條院の御時とか賀
東ひしりといひける人このちやうにして弟子ひとり
あひくしてまいりけるよしかたりつたへたるあとを思
ひけるにや
一或女房天王寺にまいりて海に入事
鳥羽院の御時あるみやはゝにはゝとむすめとおなし
みやつかへする女はうありけりとしころへてのち此む
すめはゝにさきたちてはかなくなりにけりなけきかな
しむ事かきりなししはしはかたへの女はうもさこそは思
ふゝめことはりそなといふほとに一年二年はかりすきぬ
そのなけきさらにをこたらすやゝ日にそへていやまさり
ゆけはおりあしき時もおほかりこといみすへきころを
もわかすなみたをゝさへつゝあかしくらすを人めもおひ
たゝしくはてには此事こそ心えねをくれさきたつ
ならひ今はしめたることははなと口やすからすさゝろき
あへりかくしつゝ三年といふとしあるあかつきに人に
もつけすあからさまなるやうにてまきれいてきぬ
ひとつ手はこ一つはかりをなんふくろに入てめのわら
はにもたせたりける京をはすきて鳥羽のかたへゆを
は此めのわらは心えす思ふほとになを〳〵ゆき〳〵て日
くれぬれははしもとゝいふ所にとゝまりぬ明ぬれは又
出ぬからうしてそのゆふへ天王寺へまうてつきたり
けりさて人の家かりてこれに七日はかり念仏申さ
はやと思ふに京よりはそのよういもせすたゝわか身
とめのわらはとそ侍りとて此もちたりけるきぬを一
つぬきてとらせたりけれはいとやすき事とて家
ぬしそのほとのことはよういしけりかくて日ことに堂
にまいりておかみめくる程に又こと思ひせす一心に
念仏をそ申たりける手はこきぬこつは御しやり
にたてまつりぬ七日にみちては京へかへるへきかと
思ふほとにかねておもひしよりいみしくこゝろもすみてた
のもしく侍り此ついてにいま七日とて又きぬ一つとらせ
て二七日になりぬそのゝちきけは三七日になし侍らんと
てなをきぬをとゝせけれは何かはかくたひことに御よう
いなくともさきに給はせたりしにてもしばしは侍りぬへし
といへとさりとて此れうにくしたりし物をもちて帰る
きにあらすとてしゐてなをとらせつ三七日かあひた
念仏する事こ心なし日かすみちてのちいふやう
いまは京へのほるへきにとりてをとにきく難波の海
のゆかしきに見せ給ひてんやといへはいとやすきことゝて
家のあるししるへしてはまに出つゝすなはち舟に
あひのりてこきありくいとおもしろしとて今すこし〳〵
といふほとにをのつからおきにとをく出にけりかくて
とはかり西にむかひて念仏する事しはしありて
海につぶとおち入ぬあないみしとてまとひしてとり
あけんとすれと石なとをなけいるゝかことくにして
しつみぬれはあさましとあきれさはく程にそらに雲
一むらいてきて舟にうちおほひてかうはしきにほひ
あり家ぬしいとたうとくあはれにてなく〳〵こき
かへりにけりそのときはまに人のおほくあつまりて物
を見あひたるをしらぬやうにてとひけれはおきの方
にむらさきの雲たちたりつるなといひけりさて家に
かへりてあとをみるに此女房の手にて夢のありさま
をかきつけたりはしめの七日は地ざうりうじゆきた
りてむかへ給ふと見るこ七日にはふけんもんしゆ
むかへ給とみる三七日にはあみたによらいもろ〳〵の
ほさつとゝもにきたりてむかへ給ふとみるとろかきを
き計る
書写山の客僧断食往生の事
はりまの書写山にほかよりうれきたる持経しや
ありけりところの人のなさけにてなんとし比すき
けるとりわき長者なる僧をあひたのみたりける
に此持者いひけるやうわれふてわんしう正念にて
こくらくにむまれんことをねかひ侍れとそのをはり
しりかたけれはことなるまう念もおこゝす身にやまひ
もなき時この身をすてんと思ひ侍る也それにとり
て身燈入海なとはことさまもあまりきはやかなり
くるしみもふかゝるへけれは食物をたちてやすらか
にをはりなんと思ひたちて侍り心ひとつにてさすか
なれはかく申あはするなりあなかしこ口より外へもらし
給ふなゐところはみなみの谷にしめをきて侍へり
今はまかりこもるはかり後はむこんにて侍るへけれは
日うけ給はる事はけふはかりなるへきといひけれは
なみたをおとしつゝいと〳〵あはれなりさほとに思ひ
たゝれたる事なれはとかく申にをよはすたゝしおほつ
かなくおほみん時をのつから忍ひつゝゆきて見申さん
事はゆるし給はんやといふそれはさゝなりへたて奉
らねはこそかくはきこゆれなとよく〳〵いひちきりて
行かくれぬあはれに有かたく覚みて日ゝにもゆき
とふらはまほしけれとうるさくそ思はんとはゝかるほとに
をのつから日ころになりぬ七日はかりすきてをしへし所
を行てみれは身ひとつ入るほとなるちいさきいほり
をむすひてそのうちに経うちよみてゐたりさし
よりていかに身よはくくるゝくやおはするなととへは物に
かきつけて返事をいふ日比いみしく苦しく覚えて
心よはくをはりもいかことおほしを此二三日かさき
にまとろみたりし夢におさなき童子のきたりて
口に水をそゝくと見て身もすゝしくちからもつき
ていまはうれふる事侍らすそのかみのやうならは終り
もねかひのことくならんなといふいよ〳〵たうとくうゝ
やましくてかへりて又そのゝちあまりめつらかなることな
れは思ふにさりかたき弟子なとにこそはをのつからも
かたりけめ此事やう〳〵きゝて此山の僧とも結縁
せんとてたつねゆくあないみしさはかりくちかためし物
をと思へとかなはすはてにはこほりのうちにあまねく
きこえてちかきとをきもあつまりのゝしるこの老僧
いたりてこゝろのをよふかきりせいすれとさらにみゝに聞
入る人たになしかの僧は物をいはねといみしくわひ
しけに思へるけしきをみるにもひとへにわかあやま
ちなれはくやしくかたはらいたき事かきりなしかくて
よるひるをわかすさま〳〵の物なけかけ来をまきお
かみのゝしれはたよりあるへしとも見えぬほとにいかゝ
したりけん此僧よるいつちともなくはひかゝれぬこゝ
らあつまれる者とも手をわけて山をふみあさり
もとむれともさらになしふしきなりやなといひける
か後十日あまりへくなん思ひかけすかのあとを
見つけたりけるもとのところわつかに五六たんばかり
のきていさゝかましばふくおひたるかくれに仏経と
かみきぬとはかりそありける此三四年かほとの事
なれはかの山に見ぬ人なしとそすゑの世にはいと
有かたき事なりからすへくはもろ〳〵のつみをつ
くるみなこの身ゆへなれはかやうに思ひとりてをはりを
もわうしやうをものそまむには何のうたかひかあらん
しかれともにこれる世のならひわか分ならぬことをねか
ひやゝもすれはこれをそしりていはくさきの世に
人にくひ物をあたへすしく分をうしなへるむくひに
身つからかゝるめをみるそともいひあるひは天魔の
心をたふらかして人をおとろかして後世をさまた
けんとかまふりそなともいへりまことにしゆくどうはしり
かたき事なれとこのみいはゝいつれの行かはたのしく
ゆたかなるみなほしきあちはひを忍ひ身をくるしめ
心をくたくをもとゝすこれこと〳〵く。人をわひしめたる
むくひとやさためむとするいはんや仏ほさつの因位
の行みな法をゝもんし分をかろくすそのあとをゝ
はぬわかこゝろのつたなきにてこそあらめたま〳〵ま
なふへきをそしるには及はさる事なりかのぜんだう
くはしやうは念仏のそしにて此身なからさとりをえ給
へる人なりわうしやううたかふへくもあらさりしかと木の
すゑにのほりて身をなせ給へり人のためにあしき
ことをしそめ給はんやは又出けきやうにいはくもし人
こゝろをおこしてほたいをもとめんと思はゝ手のゆび
あしのゆひをともしてぶつだにくやうせよと国城
妻子およひ太子国土もろ〳〵のたからをもてくやう
するにすくれたりとのたまくり此事うち思ふには人の
身をやく香はくさくけからはしほとけの御ために何の
御ようやはあらんいはゝ一ふさの花にもをとり一びね
りの香にもをよひかたけれと心さしふかへしてくるし
みを忍ふゆへに大きなるくやうとなるにこそあらめさる
にてはもし人いさきよき心をおこして愛く太子国
一出すくれたる供養とのたまはゝこそわれらかためには
かたかゝめ此身はわか有なりしかも夢のことくにして
むなしくくちなんとす何かは一指にかきらんさなから
身命を仏道になけて一時のくるしみ無始しやう
しのつみをつくのひほとけのかびによくりんしう
正ねんなる事をえんとふかく思ひとりてくひ物を
もたち身燈入海をもせんにはたれゆへおこし給へ
るひくはんなれはかいんぜうし給はさらんさらは今の
世にもかやうの行にてをはりをとる人まのあたり異
香にほひ紫雲たなひきてそのずいさうあらたなる
ためしおほかりすなはちかの童子の水をそゝきけん
も證にはあらすやあふきてしんすへしうたかひて
河の益かはあるしかるをわかみろのをよはぬまゝに身
つからしんせぬのみならす他の信心をさへみたるは
愚痴のきはまれるなり
蓮花城入水の事
ちかき比れんけしやうといひて人にしられたるひしり
ありき下蓮法師あひしりて事にふれなさけを
かけづゝすきけるほとにとしころありて此ひしりの
いひけるやうは今はとしにそへつゝよばくなりまかれは
死期のちかつくことうたかふへからす正念にてまかり
かくれん事きはまれるのそみにて侍るをこゝろのすむ
とき入水をしてをはりとり侍かんと思ふといふほくれん聞
おとろきてあるへき事にもあらすいま一日なりとも
念仏のこうをつまんとこそねかはるへけれさやうの行は
一ぐちなる人のするわさなりといひていさめけれとさらに
ゆるきなく思ひかためたる事と見えけれはかくこれほと
思ひとゝれんにいたりてはとゝむるにをよはすさるへきに
こそあらめとてそのほとのよういなとちからをわけて
もろともにさたしけりつゐに桂川のふかきところに
いたりて念仏たかへ申し時へて水のそこにしつこぬ
その時きゝをよふ人市のことくあつまりてしはらくは
たうとみかなしむ事かきりなしほくれんはとしころ
見なれたりつる物をとあはれにおほえて涙をゝさへつゝ
かへりにけりかくて日ころふるまゝに下蓮物のけめ
かしきやまひをすあたりの人あやと思ひてことし
ける程に霊あらはれてありし蓮花城と名のりけ
れは此事けにとおほえすとし比あひしりてをはり
まてさらにうらみちるへきことなしいはんや発心のさま
なをさりならすたうとくてをはり給ひしにあらすや
かた〳〵何のゆへにや思はぬさまにて来るらんといふ物
の気のいふやうその事なりよくせいし給ひしものを
わかこゝろのほとをしらていひかひなきしにをして侍り
さはかり人のためのことにもあらねはそのきはにて思ひ
かへすへしともおほしさりしこといかなり天満のしわさにて
かありけんまさしく水にいかんとせし時たちまちにくや
しくなんなりて侍りしされともさはかりの人中にいか
にしくわか心と思ひかへさんあはれたゝ今せいし給へかし
と思ひてめを見あはせたりしかとしらぬかほにて今は
とく〳〵ともよほされてしつみけんうらめしさになにの
わうしやうのこともおほえすすゝろなるみちにいりて
侍る也此事わかをろかなるとかなれは人をうらみ申
へきならねとさいこにくちおしと思ひし一念により
てかくまうて来るなりとそいひけるこれこそけに
しゆくごうとおほして侍れかつは又すゑの世の人の
いましめともなりぬへし人のこゝろはかりかたきものなれは
かならすしも清浄質直の心よりもおこらすあるひ
は勝他名図にもぢうしあるひはけうまんしつとを
もとゝしてをろかに身燈入海なとするはしやうとに
むまるゝそとはかりしりてこゝろのはやるまゝにかやうの
行を思ひたつ事し侍りなんすなはち外道の苦
行におなし大なる邪見といひつへし其ゆへは火水
にいるくるしみなのめならす其心さしふかゝらすはいか
んかたへ忍はん苦患あれは又こゝろやすからす仏
のたすけより外には正ねんならん事きはめてかたし
中にもをろかなる人のことくさまて身燈はえせし水
にはやすくしてんと申侍るめりすなはちよそめなたらは
にてその心しらぬなるへしあるひしりのがたりしは
かの水にをほれてすくにしなむとせしを人にたす
けられてからうしていきたる事侍りきその時はな
くちより水入てせめしほとのくるしみはたとひ地こく
のくるしみなりともさはかめこそはとおほえ侍りしか
しるを人の水をやすき事と思へるはいまた水の
人ころすやうをしらぬなりとそ申侍りしある人のい
はくもろ〳〵のおこなひはみなわか心にあり身つから
つとめてみつからしるへしよ所にはかゝひかたき事なり
すへてくはこのこういんも見らいのくはほりも仏天
加護もうちかたふきてわかこゝろのほとをやすくせは
をのつかゝせしはかられぬへしかつ〳〵一事をあらはす
もら人仏道をおこなはんために山林にもましはり
ひとり曠野の中にもをらんとき身をおそれ
いのちをおしむ心あらはかならすしもほとけのをう
ごし給ふらむとはたのむへからすかきかべをもかこゐ
のかるへきかまへをしてみつから身をまもりやまひを
たすけてやう〳〵すゝまむ事をねかふへしもしひ
たすらほとけにたてまへりつる身そと思ひて虎狼
きたりてをかすともあなかちにおそる心なく食物
たえてうへしぬともうれはしからすおほゆるほとになり
けれ
一名負巻二
本
卅一
なはおとけもかならす擁護し給ひほさつもしやうしゆ
もきたりてまもり給ふへしほうのあくきもとくしうも
たよりをうへからすぬす人は念をおこしてさりやまひ
はふつりきによりていゑなんこれを思ひわかすこゝろは
こゝろとしてあさく仏天の護持をたのむはあやう
き事なりとかたり侍りし此ことさもときこゆ
樵夫獨覺の事
をき比あふみの国池田といふところにいやしき男
ありけりをのか身はとしたけてわかき子をなむもち
たりけるふたりあひくしてなすへき事ありておく山に
入たりけるにやゝ久しくやすみゐたりころは十月の末
にやありけん木からしすさましく吹て木々のこの葉
雨のことくみたれたり父これをみていふやうなんち此
木のはのちるをみるやこれをしつかにおもひつくれ共
わか身のありさまにいさゝるもかはらぬなりそのゆへは
春はみる〳〵とわか葉さしそめたりと見しほとにやう〳〵
しけりて夏はみなさかりに成にき八月はかりより
あをきいろ黄にあらためてのちにはくれなゐふかく
これつゝ今はすこし風ふけはもろくちかおちてはつ
ゐにくちなんとすわか身も又これにおなし十歳は
かりの時たとへははるのわか葉なり二三十にてさかり
なりし時はなつの木すゑかけしけりて心ちよけなりし
比にいたり今六十にあまりくろかみやゝしろくしはたゝ
みはたへかはりゆくすなはち秋のいろつくにことならす
いまたあとしにちらすといふはかりなりそれ又けふあす
の事なるへしかくあたなる身をしらす世をすくさん
とてあさゆふといふはかりくるしきめを見てはしりいと
なむ事こそ思へはよしなけれ我はいまは家へもかへる
まし法抑になりてこゝにゐて此木の葉の有さま
なと思ひつゝけつくのとかに念仏してをらんと思ふ
わぬしはとしもいまたわかしすゑはるかなれはとくかへり
ねといふこのおどこのいふやうまことにたかはすいはれ
たるところはのたまふやうなれといほりひとつもなし田
はたけつはるへきたよりもなしすへて雨風のくるし
みけた物のおそれひとつとしてたへ忍ふへきところも
あらすいかにしてかひとりはすみ給はんさゝはわれも
くし奉りて木のみをもひろひ水をもくみていかにも
なり給はむやうにことはならめ今よはひさかりなりと
いへともたとへは夏の木のはにこそ侍かなれつゐに
もみちしてちらん事うたかひなしいかにいはんや木の
葉は色つきてこそちるなれ人はなくてしぬるためし
おほかりやゝ木の葉よりもあたりといひつへしさら
にふるきとへかへるへからすといひけれはあはれに思ひたり
さしはいとうれしき事とて人もかよはぬみ山の中に
ちいさきいほりふたつむすひてそれにひとりつゝあさ
ゆふ念仏してそすくしけるむけにちかき世の事な
れはみな人しりて侍りとなんある人のいはく父すて
にわうしやうしをはりぬ息いまに現存と云〻
証空律師希望深き事
薬師寺に語空律師といふ僧ありけりよはひ
たけてのち辞してひさしくなりにけるをかの寺
の別当の闕にのそみ申さんと思ふはいかゝあるへきこと
弟子ともにかたるにおなしさまにあるましき事也
御としたけ給ひたりつかさを辞し給へるにつけても
かならすおほすところあらんかしと人もこゝろにくゝ思ひ
申たるを今さらさやうにのそみ申給はゝ思はすなる
事にく人も心をとりつかまつるへしとことはりをつ
くしていみしういさめけれとさらにけにもと思へるけ
しきなしいかにもその心さしふかき事と見えけれは
すへてちからをよはす弟子よりあひてこの事をなけき
つゝいふやう此うへにはいかにきこゆとも聞入らるましいさ
そし夢を見て身もたへ給ふはかりかたり申さんとそ
さためける日比へて後しつかなる時ひとりの弟子
いふやう過ぬる夜いと心えぬ夢なん見え侍りつる
此庭にいろ〳〵なる鬼のおそろしけなるあまたいて
きて大きなるかまをぬり侍りつるをあやしく覚えて
とひつれは鬼のいて此坊主の律師のれうなり
とこたふりとなん見えつる何事にかはふかきつみもおは
しまさむ此事こゝろえす侍るなりとかたるすなはち
おころきおそれんと思ふほとに見へもとまてゑみまげ
てこのしよまうのかなふへきにこそひろうなせられ
そとておかみけれはすへていふはかりなくてやみにけり
智者なれはこそ此律師まてものほりけめとし
七十にてこの夢をよろこひけんいと心うきとん
よくのふかさなりしかの無智のおきなか独覚
のさとりを得たりけんにはたとへもなくこそ
親輔養児往生の事
中比壱岐前司親輔といふ人とり子をしておさ
なくよりはぐくみやしなひけり此児三つといひける
年ずゝをもちてあそひこしてさらにこと物にふけらす
ちゝはゝこれをあひして紫檀のずゝをとゝせたりけれは
あみた仏をことくさに申ゐたり母きゝていさめけれと
なを此ことをとゝめす六といふとしをもきやまひをう
けて日比へて彼ゆかにふしなから手あそひにせし会
珠のかたはらにありけるを見てわかすゝのうへにちり
のゐにけりといひてふかくなけきたるけしきなりこれを
きゝ人涙をおとしてあはれみあへりすなはちちゝはゝ
にあひて身のけからはしくおほゆるに湯をあみはやと云
やまひをもきほとなれはさらにゆるさすそのゝち人にた
すけられて西にむかひつゝおきゐてこゑをあけて
間妙法華経提婆達多品浄心信敬不生疑惑
者不堕地獄といふより若在仏前蓮華化生と
まて誦すそのこゑことにたへなりおさなきものなれは
日ころ人のをしふる事なしみなおとろきあはれむ聲
いまたやまぬほとにまなこをうけていきたえにけれ
は父母なきかなしむ事かきりなし日比へてのち
はゝひかねしたる時夢ともなゝうつゝともなく此児
をみるかたちことにめてたくきよらかにてありけり母
にむかひてわかかたちをはよくみるやといふはゝよく見る
といふ児誦して即往南方無垢世界坐宝蓮
華成等正覚此文をしみをはりてすなはちうせ
にけりとそ此事は嘉承二年の比なり
松室童子成仏の事
奈良の松室といふところに僧ありけり官なとは
わさとならさりけれと徳ありてもちひられたる人になん
ありけるそこにおさなき児のことにいとおしくする
有けり此ちこあさ夕ほけきやうをよみたてまつり
けれは師これをうけすおさなき時は学文をこそめ
いとけに〳〵しからするといさめられて一度はしたかふやう
なれとやゝもすれは忍ひ〳〵になんこれをよむいかにも
心さしふかき事と見て後にはたれもせいせすなり
にけりかゝる程に十四五はかりに成て此ちこいつちと
もなくうせぬ師大きにおとろきていたらぬくま裳
なくたつねもとむれとさらになし物のりやうなとそ
とられたるなめりといひてなく〳〵のちの事なととふ
らひてやみにけりそのゝち月比へて此はうにある法
師のたきゝとらんとて山ふかく入たりけるに木のうへ
に経よむこゑきこゆあやしくてこれをみれはうせに
児なりあさましくおほえていかにかくてはおはしますそ
さしもなけき給ふ物をといへはその事なりさやうの事
もきこえんとてあひたてまつらんと思へとたよりあしき
ことになりてえなんちかつき奉らすうれしく見え
あひたりこれへかまへておはしませと申せといひけれは
はしりかへりて此よしをかたる師おとろきてすなはち
きたる児かたりていはく我どくじゆの仙人にまち
なりて侍るなり日ころも御恋しく思ひ奉りつれと
かやうにまかりなりて後はきくへきたよりもなし大かた
人のあたりはけからはしく。くさくてたゆへくもあらねは思ひ
なからえなむまうてさりつかあひたちかくて見たてまつる
事はえあるましといひてともになみたをおとしつゝ
やゝひさしくかたらふかくて久りなんとする時いふやう
三月十八日に竹生嶋といふところにて仙人あつまりて
楽をする事侍るに琵琶をひくへき事の侍るか
えたつね出し侍らぬなりかし給ひなんやといふやすき
事なりいつくへかたてまつるへきといへはこゝにて給はらん
といひてともにさりぬひわをゝくりたりけれとその
時は人もなしたゝ木のもとにをきてそかへりにけるさて
この法師は三月十七日にちゝふしまへまうてたり
けるに十八日あろきのねさめにはるかにえもいはれ
ぬ祭のこゑきこゆ雲にひたき風にしたかひてよの
つねのかくにも似すおほえてめてたかりけれは涙こほ
しつゝきゝゐたるほとにやう〳〵ちかくなりて楽のこゑと
とまりぬとはかりありてえんに物をゝくをとのしけれは
夜あせてこれを見るにありし琵琶なり師不
思議の思ひをなしてこれをわか物はせん事ははゝ
かりありとて権現にたてまつるかうはしきにほひ
ふかゝしみて日比ふれともうせさりけるとそこの
ひわ今にかの島にありうきたる事にあらす
三昧座主の弟子法花経のしるしをうる事
中よろ義数といひてこゝかしこおこなひありく終
行者ありけりくま野より大みねに入て見たけへ
出るあひたにみちをふみたかへて十日あまりか程すゝ
ろにけはしき谷みねをまよひありきけり身つかれ
ちからつきていとゝあやうくおほえけれは心をいたして
本尊にいのりこふそのゝちからうしてたいらかなる所
にゆき出たりけりそこに松はゝありはやしの中に
ひとつのいほりありちかくあゆみよりてこれをみるに
えもいはぬあたゝしくつくれる屋あり物のくかさ
みな玉のことし庭のすなこ雪にことならすうへ木
には花さき来のみむすひ前ざいにはさま〳〵にさく
花いろことにたへなりぎゑいこれを見てよろこふ
事かきりなししはしうちやすみつゝ此屋のうちを
みれはひしりひとりありよくひわつかに二十はかり
にやとみゆころもけさうるはしくきてほけきやうをよみ
たてまつるそのこゑ妙なる事だとへていはんかたなし
一のまきをよみをはりて経つくゑのうへにをけはその
きやう人も手ふれぬにみつからまきかへされてもとの
ことくになるかくしつゝ一の巻より八の巻にいたるまて
まく事さきのことし一部よみをはりて廻向礼拝
すそのゝち立出て此人をみておとろきあやしみて
いはく此ところにはむかしより人きたる事なし山の
中にもふかき山なれは鳥のこゑたにもきこえす
いかにしてきたれるそといふ事のありさまはしめより
かたるすなはちあはれみて坊のうちへよひいれつとはか
りありてかたちえもいはすうつくしきどうじめてたき食
物をさゝけてきたるひしり此僧にすゝむれはこれをくひ
をはりぬあちはひの妙なる事人間の食にあらすおほ
かた事にふれ物ことにふしきならすといふことなし僧ひし
りに問ていはく此ところにすみていくとせはかりにか
なり給へる又いかなる事か侍る何事もおほすやうなり
やといふひしりのいはくこゝにすみそめて八十餘年に
なりぬ我もとは叡山東塔の三まい座主の弟子
にてなんありしかしかあるをいきゝかの事によりてはし
たなくさいなまれしかはをろかなる心にこゝかしこにまよ
ひありきてさためたりし所もなかりきよはひをこと
ろへて後この山にあとをとゝめて今はこゝにてをはらん
ことをまつ。也といふ僧いよ〳〵あやしくおほえてかさね
てとふ人来らぬよしのたまへとめてたき童子あまた
みゆこれ御いつはりに似たりひしりのいはく天のもろ
もろの童子もつて給仕をなす何かはあやしからん
といふ僧又とはくよはひたけたるよしをのたまへと御
かたちをみれはわかくさかりなりこれ又おほつかなしひし
りのいはく得聞是経病即消滅不考不死文
にかされる事にあらすかくてやゝほとふるあひたにひ
しり此僧をすゝめてとくかへり給へといふ僧なけき
ていふやう日ころまよひありきつるほとに身つかれ力
つきてたちま地にかへるへき心ちもせすいはんや日すてに
かたふきて夜に入るむとす何のゆへにかひしり我をい
とひ給へるといふひしりのいふやういとふにはあらすはるかに
人間の気をはなれておほくのとしをへたるゆへにすゝめ
きこゆるはかりなりもしこよひてまらんとならは身をうご
かさすこゑをたてすしてゐたれとをしふ僧ひしりの
をしへのことくかくれつゝゐたりやう〳〵夜ふくるほとに
風にはかに吹てつねのけしきにあらすすなはちさま
さまのかたちしたる鬼神もろ〳〵のたけきけた物
数もしらすあつまる馬面なるもあり牛ににたるも
あり又鳥のかしらなるもあり虎のかたちなるもあり
をの〳〵香花のことくくた物のたゝひもろ〳〵のぼん
じきをさゝけてまへの庭にたかきつくゑをたてゝ
そのうへにをきつゝたなこゝろを合せてうやまひおかみ
てひらびゐぬ此中にあるともからのいふあやしきかな
つねににす人間の気あり又あるかいふ何人かこたり
きたゝんとそのゝちひしりほつくはんしてほけきやうを
よむあかつきにをよひてゑかうする時このもろ〳〵の
ともからうやまひはいしくさりぬ僧問て云此さま〳〵
のかたちしたる物かすもしらす何のたくひいはれの所
よりきたれるそひしりのいはく若人在空閑我遺
天龍王夜刃鬼神等為作聴法象これなり
といふささ〳〵のふしきを見ひしりのことはをきくにたう
とくたのもしき事かきり。なし明ぬれは今はかへりなん
と思ひてなをみちにまとはむことをなけくひしりしる
べをつけて送り申へしといひて水瓶をとりてま
にをくそのなかめをとりおりてやう〳〵さきにゆくその
かめのしりにつきてゆくまゝに二時はかりをへて山の
いたゝきにのほりぬこゝにて見おろせはふもとに人里
ありその時水瓶そらにのほりてもとのところにとひ
かへりにけり此人里にゆき出て此事をはかたりつ
たへたりけるなり記とてこゝかしこにしるしをける
文あれとことしけけれはおほゆかはかりを書たる也
長明発心集四
狩
2781
発心集第四目録
●氏
文庫
一浄蔵貴所鉢をとはす事
一永心法橋乞児をあはれむ事
一一凝実路頭の病者をあはれむ事
一肥州の僧の妻魔となる事
一玄宝盃相の室に念をかたる事
一式女房臨終に魔の変するをみる事
一或人臨終に物いはさる遺恨の事
一武州入問河洪水の事
一日吉社に参る僧死人をとりあやしむ事
一名心付巻四
一唐房の法橋発心の事
一伊家并妾頓死往生の事
一母銀を妬手指蛇になる事
発心集第四
一浄蔵貴所鉢をとはす事
しやうさうきそときこゆるは善さいしやう清行の子息
ならひなき行人なり山にて鉢のほうをおこなひて
はちをとはしつゝすきける比ある日むなしき鉢はかり
かへりきて入る物なしあやしく思ふほとに此事つゝけて
三日になりぬおとろきてみちのあひたにいかなる事の
あるうみんと思ひて四日といふ日はちのゆくかたの山の
みねかり出てうかゝひけるほとにわかはちとおほしとて京
のかたよりとひくるを北のかたより又あらぬはちのきあ
ひてその入物をうつしとりてもとのかたへかへりゆくあり
けりこれをみるにいとやすからすさりともとこなおもふに
たれはかりかはわかはちの物うつしとるわさをせん此事
めさましきものゝしわさかなみんと思ひてわかむなしき
鉢をかちしてそれをしるへにてなむはる〳〵ときたを
さして雲霧をしのきつゝわけ入ける今は二三百町
もきぬらんと思ふほとにある谷はさまの松風たゝき
わたりていさきよくこのもしき所に一問はかりなる草
のいほりありみきりに苔あをく新ちかくしみつなか
れたりうちをみれはうしたかき僧のやせをよろへたる
たゝひとりゐてけうそくによりかゝりつた経をよむいか
にもたゝ人にあらす此人のしわさなめりと思ふほとに浄
蔵を見ていふやういつゝよりいかにしく来り給へる人そ
おほろけにても人のまうてくる事も侍らぬをといふ
その事に侍り我はひえの山にすみ侍ける行者なは
しかるに月日をゝく日はかり事なくて此ほとはちをとは
しつゝおこなひをし侍るにきのふけふことくしくあや
しき事の侍りつれはうれへ申さんとてまいりきたる也
といふ僧のいふやうえよりしり侍らねいとふひんに
侍る事かなたつね侍らんとてしのひに人をよふすなは
ちいほりのうしろのかたよりいらへてきたる人をみれは
十四五はかりなるうつくしき童子のかるはしくから
しやうそくしたるなり僧これをいさめていふやう此
同十八月十一日
つゝるゝ事はなんちかしわさかいとあたらぬことなり今
よりはさるわさなせそといへはかほうちあかめて物もいはて
かへりぬかく申つれは今はよもさやうのわさはつかまつらし
といふ浄蔵ふしきの思ひをなしくかへりさらんとする
時僧のいふやうはり〳〵とわけきたり給ひてさためて
くるしくおほすらんしはし待たまへきやうをうし奉
らんとて又人をよふおなしさまなる童子いらへてさし
出たりかくとをきほとよりわたり給へるにしかるへからん物
まいらせよといひけれはとうしかへり入て留りのさらに
かゝなしのむきたるを四ついれて心あふきのうへに
ならへてそもちきたるそれ〳〵とすゝむれはこれをとり
てくふあちはひのうまき事天のかんろのことしわつかに
一果をくふに身もひやゝかにちからつきてなん覚えける
すなはち雲をわけつゝかへるほとにみちもちか〳〵しく
見えさりけれはいつくともおほえすそのさまたゝんと
は見えさりき読誦仙人なとのたくひにやとろ
かたりける
永心法橋乞食をあはれむ事
永心法橋といふ人ちり比の事にや清水へ百日まい
りける時日くれてはしをわたりけるに河原にいみしう
人のなく声きこえけり何物のいかなることをうれふる
にかとおほつかなきうちかも観音はあはれみをさき
とし給へりそのとくをあふきたてまつりてまうてなから
なさけなくとふらはてすきむ事こそいとあやしけれ
と思ひてこゑをたつねつゝちかくいたりてなにものゝかくは
なくそととふかた主人に侍りとこたふいかなることをか
うれふるとゝへは我かたわにまかり成にし後しれる
人にもこと〳〵くわかれてたちよる所も侍らぬにより
さきたちてかたわなる人の家をかめてそこにやとり
ゐて侍れはひるは日くかしといふはかりせためつかひ侍
りうしとてもなれぬ身なれは又物をこひていのちを
つかむとつかまつるとにかくに身のくるしさ申つくすへ
きかたなしよのかたにうちやすむへきを又このやまひ
のくつうにせめくれてねられ侍らすきりやくかことくうつ
きひゝらき身もほとをりてたへしのふへくもあらねは
もしやたすかると河のほとりにまうてきてあしをひ
やし侍るなりいにしへ世ゝにいかなるぎやくざいをつ
くりてかかゝるむくひをうけつらんとかなしく心うく侍
るにそのかみ住山してかたのことく学問なとし侍
りしか大師のしやくに唯国教意逆即足順
自余三教道頗是故といへる文をたゝ今思ひ出
てそのこゝろをしつかに思ひつゝけ侍るにたうとくた
のもしく覚えてとにかくにさくりもしあへすなかれ侍る
なりとかたる永心これをきくにあはれにいとおしき事
かきりなしすなはちわか一山の同法にこそありけれと
てなみたをなかしつゝみつかゝきたりけるかたひらぬき
てとらせて逆即是順なるやう念比にやゝ久し
くとききかせてさりにけり年ころをへぬれとわ
すれすとなんかたりける
一穀実路頭の病者をあはれむ事
山にえいじつあしやりとてたうとき人ありけり
御門の御なやみをもくおはしましけるころめしけれは
たひく辞し申けれとかさねたる仰せいなひかたくて
なましゐにまかりけるみちにあやしけなる病人の
あしてもかなはすしてあるところのつはちのつらにひら
かりふけるありけりあしやりこれを見てかなしみの
なみたをなかしつゝくるまよりおりてあはれみとふらふ
たゝみもとめてしかせうへにかりやさしおほひくひ物も
とめあつかふほとにやゝひさしくなりにけりちよくし
日くれぬへしいと〳〵ひんなき事なりといひけれはま
いるましきかくそのよしを申せといふ御つかひおとろきて
ゆへをとふあしやりいふやう世をいとひて心を仏道
にまかせしより御門の御事とくもあなかちにたう
とかゝすかゝる非人とても又をろかならすたゝおなし
やうにおほゆるなりそれにとりて君の御祈のため
しるしあらん僧をめさむには山とてら〳〵におほかる人
たれかはまいらさらむさらにことかくまし此頃やうしやに
いたりてはいとひきたなむ人のみありてちかつきあや
かふ人はあるへからすもし我すてくさりなはほと〳〵い
のちもつきぬへしとてかれをのみあはれみたすく
るあひたにつゐにまいらすなりにけれは時の人は
かたき事になんいひける此あしやり終にわうしや
うをとけたりくはしく伝にあり
肥州の僧の妻魔に成事
中ころ肥後の国に僧ありけりもとはきよかりける
をとしなかばたけてのちめをなむまうけたりける
かゝれとなを後世の事を思ひはなたすりくはんを
心にかけつゝそのつとめのためにへちに雇をつくりて
かしとをくはん念のところとさためてとし比つとめお
こなひけり此つまおとこのため心さしふかくことにふ
れてねんころなりけれといかゝ思ひけん病をうけ
たりける時このつまにうちとけすあひしれる僧をよ
ひて忍ひかたらふやうもしかきりならん時はあなかしこ
あなかしこめのかたにつけ給ふなことさらすこしおもふ
ゆへありといひけれはそのこゝろえてのみあつかふほと
にいともわつらはすをはり思ふさまにめてたくして
西にむかひていきたえにけりさくしもあるへきな
らねはとはかりありて書に此事をつぐすなはら
おとろきまとひおひたゝしく手をたゝきてまなこ
をいからかしもたへまとひてたえいりぬ人おちてちか
つきもよゝさりけるあひたに一時はかりありてよに
おそろしうこゑのあるかきりをめきさけびてかふやう
われ狗留孫仏のときとり此やつかほたいをさま
たけんために世ゝ生に妻となり胃となりて
さま〳〵したしみたはかりて今まておいのことくした
かひつきもたりつるを今日すくににがつるねたきわ
さかなといひてはをくひしばりかきかべをたゝく人い
とゝおそれをのゝきてみなはひかくれたるあひたに
いつちともなくうせにけりそのゝちつゐにゆきかたしらす
となん往生伝には康平の比としるせりこれ一人か
うへにあらすあくまのさりかたき人となりて二世をさま
たくる事はたれもかならに有へきことなりかれはこの
事を心にかけつゝしたしきうときわかす善をすゝむ
る人あらは仏ほさつこそちさはくかたちを変して人
を化度し給へもし化身かもし又そのたよりことむつ
ましく思ひつみをつくらせくとくをさまたけてしう
をとかむ人をはしやう〳〵せゝのあくえんとおそれて
とをさかゝん事をねかふへし大かた人の心は野の草の
風にしたかふかことしえんによりてなひきやすしたれ
かは道心なき人といへとほとけにむかひ奉りてたな心を
あはせさるいかなる智者ははこびたるかたちをこてめ
をよろこはしめさるかの浄蔵貴所は日本第三一
の行人なれとあふみのかみながよかむすめに契り
をむすへり久米の仙人はつうをえてそらをとび
ありきけれと下す女の物あらひけるはきのしろかり
けるによくをおこして仙を退しくたゝ人と成にけり
今の世にも手足の皮をはきてゆひをともしつめをくた
きさま〳〵かたわをさへつけて仏道をあふ人は其教心の
一程かくれなけれと悪縁にあひく妻子をまうくる例おほ
かり我も人も凡夫なれはたゝちかつかぬにはしかぬなり
玄賓亜相の宝に念を係る事
むかし玄賓そうついみしうたうとき人なれはたかきも
いやしきもほとけのことく思へりける中に大納言なる人
なむとし比ことにあひたのみ給ひたりけるかゝるあひたに
僧都そこはかとなくなやみて日ころになりぬ大納言
おほつかなさのあまりに身つからわたり給ひてさても
いかなる御心ちにかなとこまやかにとふらひ給ふをちかく
より給へ申侍らんとあれはあやしくてさしより給へる
に忍ひてきこゆまことにはことなるやまひにも侍らす
一日殿の御もとへまうてたりしに北の方のかたちいと
めてたくて見え給へりしをほのかに見たてまつりて後
物おほえす心まとひむねふたかりでいかにも物のいはれ
侍らぬなり此事申にいけてはゝかりあれとふかくたの
みたてまへりて久しくなりぬいかてかはへたて奉らんと
思ひてなんときこゆ大納言おとろきてさらはなと
かはとくはのたまはさりしいとやすき事なりすみやかに
御なやみをやめてんわたり給へいかにもの給はんまたに
たよりよくはからひ侍らんとてかへり給ひぬうへにかくと
きこえ給ふにさらなりなのめにおほせうれんやはいと
あさましく心うけれとかくねんころにおほしはからふ
事なれはいなひ給はしそのよういしく僧都にあな
いせさせ給へるにいと事うるはしく法服たゝしくし
てきたり給へりあやしくけに〳〵しからすはおほゆれと問
なとたてゝさるやうなるかたに入奉らせ給ふうへのうつくし
うとりつくろひてゐ給へるを一時はかめつく〳〵とまも
りて弾指をうたひ〳〵しけるかくてちかくより事なく
て中門のちうに出て物をなむかつきてかくりにけれは
あるしいよ〳〵たうとみ給ふ事かきりなかりけり不浄を
くはんしてそのしうをひるかへすなるへしかくいふは人の身
のけからはしき事を思ひとくなりもろ〳〵の法みなほとけ
の御をしへなれときゝとをきことはをろかなる心にはおこらす
此観にいたりてはめに見えこゝろにしれりさとりやすく
思ひやすしもし人のためにもあいちやくし身つからも心
あらん時はかならすこの相を思ふへしといへり大かた人の
身はほねしゝのあやへりくちたる家のことし六腑五蔵
のありさまどくじやのわたかまりにことならす血は体を
うるほしすぢつぎめをひかへたりわつかにうすき皮ひと
へおほへるゆへに此もろ〳〵のふじやうをかくせり粉をほ
とこしたき物をうつせとたれかはいつはるかさりとしらさる
海にもとめ山にえたるあちはひも一よへぬれはこと〳〵く
不浄となりぬいはゝゑかけるかめに糞穢をいれ也
さりたるかばねににしきをまとへるかことしたとひ大海
をかたふけてあらふともきよまるへかゝすもしせんたんを
たきてにほはすとも久しくかうはしからしいはんや玉しゐ
道
さりいのちつきぬるのちはむなしくつかのほとりにすていへし
身ふくれくさりみたれてつゐにしろきかはねとなりまこ
とのさうをしるゆへに念々にこれをいとふをろかなる者は
かりの色にふけりて心をまとはす事たとへはかはやの
中のむしのふんえをあいするかことしといへり
或女房臨終に魔の変するを見る事
あるみやはらの女はう世をそむけるありけりやまひをう
けてかきりなりける時せんちしきにあるひしりをよひ
たりけれは念仏すゝむるほとに此人色まさをになり
ておそれたる気色なりあやしみていかなる事の日に
見え給ふそととへはおそろしけなるものともの火の車
をゐて来たるなりといふひしりの云やう阿弥陀佛
の本願をつよく念してみやうかうををこたらすとなへ
給へ五ぎやくの人たに善知識にあひて念仏十度
申つれはこくらくにむまるいはんやさほとのつみはよもつくり
給はしといふすなはち此をしへによりてこゑをあけて
となふしはしありてそのけしきなをりてよろこへるやう
なりひしり又これをとふかたりていはく火のくるまはうせ
ぬ玉のかさりしたるめてたき車に天女のおほくのり
て楽をしてむかひにきたれりといふひしりのいはくそれは
のらんとおほしめすへからすなを〳〵たゝあみた仏を念し
たてまつりて仏のむかへにあつかんとおぼせとをしふ
これによりてなを念仏す又しはしありていはく玉のくるまは
うせてすみそめのころもきたる僧のたうとけなるたく
ひとりきたりて今はいさ給へゆくへきすゑはみちもしらぬ
かたなり我そひてしるへせんといふとかたるゆめ〳〵その
僧にくせんとおほすな極楽へまいるにはしるへいらす
ほとけの悲くはんにのりてをめつからいたる国なれは念仏
を申てひとりまいらんとおほせとすゝむとはかりあり
てありつる僧も見えす人もなしといふひしりの云く
そのひまにとくまいかんと心をいたしてつよくおほして
念仏し給へとをしふそのゝち念仏五六十へんはかり
申てこゑのうちにいきたえにけりこれも魔のさま
さまにかたちをかへてたはかりけるにこそ
或人臨終に物いはさる遺恨の事
とし比あひしる人ありき過ぬる建久のころをもき病
をうけたりける時たのみたりけるひしりをよひけれは
ゆきてねんころに見あつかひけりかくてのとかに此人の
さまをみるかりやまひの有さまいと心えす日にそへて
よはりゆくを身つかりはしぬへしとも思ひもよらすあたり
の女はうなとましてかけくも思ひよらさりけり此人
いとけなき子あまたある中にことにかなしうなむする
むすめひとりありける子ともの母はさきたちてかくれ
にしかはそれをふかくなけきて又こと人をも見す此むす
めのかた〳〵みなし子になれる事をあはれみつゝ此ほと
むことらんとてさま〳〵いとなみさたしけれはさやうの事
やむ〳〵もなををみたらすこのひしりいとあさましく
をろかにもあるかなとみれとなのめなるほとは人をはたり
ていひ出す。十日はかりありてまめやかにをもくなりぬる
後ぬしもやう〳〵心ほそけに思ひ人もをのつからの事
もやなと思へるけしきを見てひしりはゝかりなから
有待の身は思はすなる物そあとの事なとかねて
さためをき給へかしなといひ出たるにまことにさるへき
事といふをきゝておさなき子ともあたりの人まて
さとうちなくけしきいとはかなけなりこよひはくらし
明日こそはとのとむるほとにその夜よりことにをもくし
ていたくくるしけなり人〳〵おとろきて処分のやうを
申合せてさため給へ御あとゆく来なくなりぬへしと
ひしりすゝむまことにとていかやうにか侍るへきといへは
あるへきやうはとてくるしけなるを念してこま〳〵と
一時はかりいひつゝくれと舌もたりにけるによりなにとも
きゝわき侍らすといへはさゝは紙と筆とをたまへ
あら〳〵かきつせんといふすなはちとらせたれと手もめ
なゝきてえかゝすわつかに書つけたるはたかはぬみゝす
かきなりすへきかたなくてひめ君のめのと日ころ
おほしめしたりけるおもむきはしか〳〵と云まゝにはからひ
かきて見すれとかしらをふりてとくひきやり給へといへは
引やりつすへてちからをよはすさすかに心はたかはぬに
やさま〳〵思ふ事をえいひあらはさすなりぬるを心
うく思へるけしきあはれにかなしき事かきりなし夜
の中はかりこそこれほとの心あるやうにも見えけれあけ
ぬれは物もおほえすことよろしき程はしよぶんの事
まきれにけり今はとて念仏すゝむれといひかひなき
さまなりかくてあくる日の巳の時はかりに大きにお
とろけるけしきにて二たひはかりあめきてやかていき
たえぬるはもしおそろしき物なとのめに見えけるに
や此事とをきほとなれはのちにつたへきゝて今一たひ
あひ見すなりぬることをくちおしく思ひける程にける
はかり過てかの人を夢に見るなへらかなる布衣
つねのさまにかはらすたいめんしたる事をよろこへりを
しきなから物をはいはすかくしてたゝむかひゐたりと
思ひてさめぬすなはちうつゝにそのかたちあさやかなり
やうつくほとふるまゝにうすゝみになりゆきはてには人
のかたちともなくけふりのやうに見えてきえうせにき
その面かけ今にわすれかたくなむ侍る大かた人のしぬる
ありさまあはれにかなしき事おほかり物の心しらん
人はつねにをはりを心にかけつゝくるしみすくなくして
善知識にあはんことを仏ぼさつにいのりたてまつるへし
もしあしきやまひをうけつれはそのくつうにせめられて
りんじう思ふやうならすをはり正念なられは又一期の
おこなひもよしなく善知しきのすゝめもかなはすたと
ひもしりんしう正ねんなれともぜんちしきのをしふるな
けれは又かひなししやうがいたゝ今をかきりとおもふに
をんあいのわかれといひみやうりの餘執といひ見る
物きく物にふれつゝ心肝をくたかすといふ事なしいつ
の心の心まにか浄土をねかはんとするしかるを念仏
こうつもり運心としふかき人はかびのゆへにをはり
正念にしてかならす善ちしきにあふみゝにはせい
くはんの外の事をきかす口にはせうみやうの外のこと
をいはす最初引接を期すれはさいしのわかれも
なくさみぬ五妙きやうかいをおもへはえどのしうも
あらすすゝろにすゝむくつゐにわうしやうをとくちなり
あるひはかねて死期をしりこゝろもとなくまつ事国
を出へき人のその日をのそむかことしなといへりいかに況
やしやうじゆのらいかうにあつかりて楽のこゑをきゝ
たへなるかをかぎまさしくそんようを見たてまつる時
心のうちのたのしみときつくすへからすかゝれはたとひ道
心すくなくともをはりをおそれんためにもいかゝわうしやう
をねかはさらむ
一武州入間河洪水の事
むさしの国いるま河のほとりに大きなるつゝみをつきれ
をふせきてそのうちに田はたけをつくりつゝ在家お
ほくむらかりゐたるところありけり官首といふおとこなん
そこにむねとあるものにてとゝころすみけるあるとし
五月雨日ころになりて水いかめしう出たりけりされとも
とうころいまた此つゝみのきれたる事なけれはさりとも
とおとろかすかゝるほとに雨いこほすことくふりておひた
たしかりける夜中はかりにはかにいかつちのことくよにおそ
ろしくなりとよむこゑあり此官首と家にねたる
ものともみなおころきあやしみてこは何物のこゑそと
おそれあへり官首らうとうをよひてつゝみのきれぬる
とおほゆるそ出て見よといふすなはちひきあけてみる
に二三町はりしらみわたりて海のおもてとことならす
こはいかゝせんといふほとよりあれれたゝまさりにまさりて
天井まてつきぬ官首か妻子をはしめてあるかきり
天井にのほりてけたうつばりにとりつきてさけぶこの
中に官首こらうとうといふき板をきあけてむね
にのほりゐていかさまにせんと思ひめくらすほとに此
家ゆる〳〵とゆるきてつけにはしらのねぬけぬつゝみ
なからうきてみなとのかたへなかれゆくその時らうとう
おとこのいふやう今はかうにこそ侍かめれ海はちかくなり
ぬみなとに出なは此経はみな浪にうちくたかれぬへしがし
やととひ入てをよぎてこゝろみ給へかくひろくなかれちり
たる水なれはをのつかしあさきところも侍らんといふを
きゝておさなき子女はうなと我をすてゝいつちへいま
するそとをめくこゑもつともかなしけれととてもかくても
たすくへきちからなしわれらひとりたにもしやと思ひていう
とうおとことともに水へとひ入ほとの心の中いけるに
もあらすしはしはふたりいひあはせつゝをよきゆせと水
ははやくてはては行すゑしらすなりぬ官首たゝひと
りいつちともなくゆかるゝにまかせてをよきゆけはちから
すてにつきなんみす水はとくをきはとも見えすとそ
おぼれしぬるとこゝろほそくかなしきまゝにかこつかき
にはほとけかみをそ念したてまつりけるいかなるつみの
むくひにかゝるめをみるらむと思はぬ事なく思ひ行程
にしら波の中にいさゝかくろみたる処のみゆるをもし
地かとてからうしてをよきつきてこれはなかれのこり
たるあしのすゑ葉なりけりかはかりのあさりもなかり
つこゝにてしはしちからやすめんと思ふあひたにしたい
にこと〳〵くまとひつくをおとろきてさぐれはみな大くち
なはなり水になかれゆくくちなはともの此あしにわつ
かになかれかゝりて次第にくさりつゝなりつゝいくゝとも
なくわだかまりゐたりけるか物のさはるをころこひて
まきつくなりけりむくいけくけうとき事たとへん
かたなしそらはすみをぬりたゝんやうにてほしひとつも
見えす地はさなからしら浪にていさゝかのあさりたにな
身にはひまなくくちなはまきつきて身もをもく
はたらくへきちからもなし地こくのくるしみもかはかりに
こそはと夢をみる心ちしてこゝろうくかなしき事か
きりなしかゝるあひたにさるへき仏神のたすけにや
思ひの外にあさき所にかきつきてそこにてくちない
をはかたはしよりとりはなちてけりとはかりちからやすむる
ほとに東しらみぬれは山をしるへにてからうして地
につきにけり船もとめてまつはまのかたへゆきてみるに
すへて目もあてられす浪にうちやふられたる家とも
算をうち地らせるかことしみきはにうちよせられたる
男女むまうしのたくひかすもしらすその中に官首
か妻子ともをはしめとして我家のものとも十七人
ひとりうせてありけりなく〳〵家のかたへゆきて見れは
三十よ町しら川原になりてあとたになしおほかりし
在家たくはへをきたる物あさゆふよひつかひしやつこ
一夜のうちにほろひうせぬ此らうとうおとこひとり水
こゝろある者にてわつかにいのちいきてそあくる日たつ
ねきたりけるかやうの事をきゝても厭離の心
をはおこしつへしこれを人のうへとて我かゝる事にあふ也
ましとは何のゆへにかもてはなるへき身はあたにやふれやすき
身なり世はくるしみをあつめたる世なり身はあやうけれとも
いかてかうみ山をかよはさらん海賊おそるへしとてすゝろに
たからをすつへきにあらすいはんやつかへて罪をつくり
妻子のゆへに身をほろほすにつけても難にあふ事
かすもしらす害にあへりゆへまち〳〵なりたゝ不退の国
にむまれぬるはかりなんもろ〳〵のくるし見にあはさりける
日吉の社に参る僧死人をとりあやしむ事
中比の事にやこともなき法師の世にありわひて京よ
り日吉のやしろへ一日日まいかありけり八十日あまりに
なりて下向するさまに大津といふところを過けるにある
家のまへにわかき女の人めもしらすさくりもあへすよくと
なきたてかあり此僧事のけしきをみるに何事とは
しらねとよのつねのうれへにはあらすきはまれる事にこそと
いとおしくおほえてさしよりて何事をかなしむととふ女の
いふやう御すかたを見たてまつるに物まうてし給ふ人により
ことさらえなむきみゆましきといふはゝかるへき事なめり
とはをしはかゝれなからあはれみのあまりやゝねんころにた
つぬれはそのことに侍り我はゝにて侍るものゝ日比なや
ましうつかまへりつるをけさつゐにむなしく見なして侍
なりさらぬわかれのならひあはれにかなしき事はさるゆ
にていかにしてこれを引かくすわさをせんとさま〳〵思ひ
めくらせとやもめなれは申あはすへきんもなしわ身は女に
てちからをよひ侍らすとなり里の人は又なをさりにこそ
あはれととふらひ侍れ神のわさしけきわたりなれはまこ
とにはいかゝはし侍らんとにかくに思ひうるかたなくてなんと
いひもやうにさめ〳〵となく僧これをきくにけにさよりは
思ふゝめとわうなくいとおしくてやゝひさしくともになきた
てり心に思ふやう神は人をあはれみ給ふゆへにこれか世
にあとをたれ給へりこれをきゝなからいそかなさけなく
すきん我かくほとふかきあはれみをおこせる事おほえす
ほとけもかゝみ給へ神もゆるし給へと思ひてなりひ給ひ
そ我ともかくもひきかくさむ外にたてれは人めもあやし
とてはひ入ぬ女なく〳〵まろこふ事かきりなしかくて
日くれぬれは夜にかくしてたよりよきところにうつしをく
りつそのゝちいもぬられさりけるまゝにつく〳〵と思ふやう
さても八十よ日まいりたりつるをいたつらになしてやみ
なんこうくちおしけれ我此事名利のためにもせすたく
まいりて神の御ちかひのやうをもしらんむまれしぬるけ
からひはいはゝかりのいましめにてこそあらめとつよく思ひ
てあかつき水あみてこれより又日吉へうちむきてまいる
道すからさすかにむねうちさはきそらおそろしき事か
きりなしまいりつきてみれは二の宮の御まへに人所
なくあつまれりたゝ今十禅師のかんなきにつき給ひ
てさま〳〵のことのたまふおりふしなり此僧身のあやと
りを思ひしりてちかくはえよかす物かゝれにとをくゐて
かたのことく念誦して日をかゝぬ事をよろこひてかへ
らんとするほとにかんなきはるかに見つけありこなる僧
はといはれて心をろかならんやはされとのかるへきかたなくて
わなたく〳〵さし出たれはこゝらあつまれる人いとあやしけ
に思へりちか〳〵とよひよせてのたまふやうは僧のよむへ
せし事をあきらかに見しそとのたまへるに身のけよ
たちむねふたよりていける心ちもせすかさねてのたまふ
やうなんちおそるゝ事なかれいしくする物かなとみしそ
我もとより神にあらすあはれみのあまりに銘をたれ
たり人に信をおこさせんかためなれは物をいむ事も又
かりのはうへんなりさとりあらん人はをのつからしらぬへ
し但此事人にかたるなをろかなる者はなんちかあはれ
みのすくれたるによりせいする事をはしらすみたりにこれ
を例としてわつかにおこせるしんも又みたれなむとす
もろ〳〵の事人によるへきゆへなりとこまやかにうちさく
やきてのたまふ僧の心なゝめならすあはれにかたしけ
なくおほえてなみたをなかしつゝ出にけりそのゝちことに
ふれてりしやうとおほゆる事おほかりとなん
唐房の法橋発心の事
一一九一九一一、一九、一九、一九、一九、一九、一、、一九一
十一丁
今日ノ
十一
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
弁
舞
華
中ころ但馬守因挙か子に所の雑色回輔といふ
人ありけりある宮はらのはした物を思ひてこゝろさし
ふかゝりける比ちゝのたしまのかみにて下りけれはえさら
ぬ事にてはるかにゆきけり一日二日のたみまたにわり
なくおほゆるをたちわかれてはたへぬへくもあらねといかゝ
はせんさま〳〵にかたゝひをきつゝなく〳〵わかれにけり図
にくたりてもこれより外に心にかくる事なし京のたより
ことに文をやれととゝかすさはりかちにて返事も見す
いふせくてのみとし月をゝくるあひたにことのたよりに人の
かたるをきけは京には人おほくやみて世の中さなしく
なんあるといふにもまつおほつかなき事かきもなし
かくしつゝからうして京へのほり給ひつしかありし宮
のうちをたつぬれははやれいならぬことありて出給ひ
にきといふつかひむなしくかへりて此よしをかたるにふと
むねふたかりて何のあやめもおほえす立かへりゆくゑた
つねにやりたれとしる人もなしすへきかたなくて心のあら
れぬまゝにすゝろに馬にうちのりてうち出にけり西の
京のかたにこそしる人あるやうにきゝしかとはかりほのかに
思ひ出ていつくともなくたつねありく程にあやしけ
なる家のまへに此をんなのつかひしめのわらはたてりいと
うれしくて物いはんと思ふほとにかくるゝやうにて家の
うちへにけいるを馬よりおりて入てみれは此をんなうち
そはみてかみをけつりてなむゐたりけるあないみしくは
おはしけるはとてうしろをいたきて日比いふせかりつる事
なん倉ころにかたゝへといらへもせすさめ〳〵となくより
外のことなし我をうらむるなりけりとあはれにこゝろ
くるしうおほえてなみたをおさへつゝさま〳〵になくさめ
ゐたりさてもなとかはうしろをのみむけ給へるいつしか
見たてまつらんと思ふに今さへいふせくとてひきむけん
とするにいとくなきまさりてさらにおもてをむかへす
あないこし心ふかくもおほし入たるかなとてしゐてひき
むくれはふたつのまなこなし木のふしのぬけたることく
にてすへてめもあてられすこゝろまとひとはかり物も
いはれぬをねんしてさてもいかなりし事そととふ主
はねをのみなきてともかくもいはねはありつるめのわら
はなんなく〳〵ことのありしやうをかたりける御くたりの
後しはしは御文もなとかあるかと人しれすまち給ひ
しかとさらに御をとつれもなくて一とせふたとせ過
にしかは物をのみおほしてあしくらし給ひしあひたに
御やまひつき給ひて宮を出給ひきしたしき御あたり
にもたよりあしき事ともありてさるへきところも侍ら
さりしかはこれにてあつかひたてまへりしほとにはかなく
ていきたえ給ひにき今はをき奉りてもかひなしとて
此まへの野にをきたてまつりし程に日中はかりあり
てなん思ひの外にいき久り給ひにしそのあひたにかゝす
なとのしわさにはやくいひかひなきことになりて侍れは
こかく申はかりなしわさともたつね奉るへきにてこそ侍り
しかと此御ありさまのこゝろうさに今はいかて世にある
物と人にしられしとふかくおほしたるもことはりなれはかく
れたてまつらんとつかまつるなとなみたをおさへつゝ
かたるをきくに心うくかなしき事かきりなしなにの
むくひにてかゝるめをみるゝむ今は此世のかきりにこそ
ありけれとてやかてこれよりひえの山へのほり甘露寺
の教静僧都の房に慶祚の弟子にて真言
のひほうをつたふ唐坊の法橋行国といひしは此人
なり山王にあひたてまへりてくはんぢやうし奉りける人
なりこの人はしめて山へのほりける時我もはか〳〵し
うみちもしらすしるへする人もなかりけれは人にとひつゝ
たとり〳〵ゆきけるを水のみといふ所にてだんなそうづ
覚運といふ人行あひていとあやしく事のさまをみ
るに出家しにのほる人にこそいみしうちゑかしこき
まなこもちたる人かないつくへゆくそみよとて人をつけ
やりてけりつかひかへりきてしか〳〵甘露寺僧都
のもとへ入ぬといひけれはされはこそあはれいみしかり
つる智者を慈覚の門人になさて智證のなか
れへやりつるくちおしき事なりとそのたまひける
此人真言ならひそめける比師のおほあしやりの心みん
とや思はれけんおとこにては物のまれをよくし給ひて
おりきかたに人にけうせられけりときゝつる也千秋万
感し給へみむといはれけれは又こともなくうけたまはり
ぬとて経のつゝみ紙のありけるをかしらにうちかつき
てめてたくまふたりけれはあしやりなみたをおとして
さためていなひすらんとより思ひつるにまことの道心
者なりけりいとたうとしとそほめ給ひける
伊家并妾頓死往生の事
中ころあさゆふ御門につかうまつかおのこありけり
ゆふなる女をかたらひてとし比すみわたりけるほとに心
うつるかたやありけん宮つかへにことよせてやうくかれ
かれになりゆくをこゝろの外のたえまかとおもふほとに
つゐにかよはすなりにけれは女ことにふれつゝ心ほそく
思ひなけきつゝとし月をゝくるあひたにおとこ事のた
よりありて女の門のまへをすきけりそこなる人見
あひてたゝ今とのゝ御まへをこそこれよりすき給ひつれ
さすかにさる所ありとはおほし出つるめり物見よりなん
見いれ給ひつかとかたるこれをきゝてきこゆへき事
侍り入給ひなんやと申せといふ過給ひぬる物をやは
かへり給はんするといひなからはしりつきて此よしをき
こゆあやしく何事にかとおほとなからこれをさへきくすく
へきならねはとまりぬ門よりさし入てみれは草ふかくし
けりてありしにもあらすあれたる庭の気しきをみる
よりなにとなくあはれふくなんまさりけるわか身のとか
思ひしられていかにそやすゝろはしきやうにおほゆるを
女はいまさら心うきたるけしきなしもとよりかくてゐ
たりけるやうにてけうそくにをしかゝりてほけきやうを
よみもひつる物思ひけるさまなからすこしおもやせたる
物からいときよけにらうたけなるかたちすかたかみのこほ
れかゝるさまなともとみし人ともおほえすたくひなく
みゆるに何の物のくるはしにて此人に物を思はせけん
と日ころの心くるしさを思ふにもいとゝあはれあさからす
こゝろならぬ事のありさまなとねんころにかたりけり
女ものいはんと思へるけしきなからいらへもせねはきやう
よみはてゝと思へるなるへしいふせく心えなくまつ程
に於此命終即往安楽世界阿弥陀仏と
いふところをくり返し二たひ三たひよみてやかてねいり
たるかことくにてゐなからいきたえにけり此おとこの心
いかはかりなりけんおとことはなにしの弁とかや聞
しかと名はわすれにけり人をこひてはあるひは望まへ
石の名をとゝめもしはつゝさのあまりにあくりやうな也
になれるためしもきこゆいかにも罪ふかきならひのみ
こそ侍かにそれをわうしやうのえんとして思ふやうにを
はりにけんいとめてたかりける心なるへしあはれこれを
ためしにて此世にも物を思ふ人のわうしやうを願ふ
事にて侍らはいかにこゝろかしこからんたとひおなし
心なる中とてもいく世かはあるやうきひはむなしく
ひよくの契りをのこし李夫人はわつかにはんごん
のいふりにのみあらはれたりいはんや思はぬ人のため
にはことにふれつゝあはれもしらんことはりもなし思
ひあまりぬる時ふしのねをひきかけ海士の袖と
かこちて念ころに心のそこをあらはせと何のかひ
かはあるひとりむねをこかし袖をしほる程はいみし
後心月巻四
うありきなくなん侍りいかにいはんや此世ひとつにて
やむへき事にてもあらすそのむくひむなしかゝねは
来世には又人のこゝろをつゝさすへしかくのことく
せゝしやう〳〵たかひにきはまりなくして生死のき
つなとならん事のいとつみふかく侍かなりこのたひ
思ひきりて極楽にむまれなはうきもつらきもね
ぬる夜の夢にことならしたちかへりせんちしきとさと
りてかれをみちひかん事こそあらまほしく侍れ
もし浄土にてなをつきかたきほとのうらみならは
その時いひむかへをもせよかし
同同二十四
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
十八
}東京都市
第一番組組の方の方の方
母娘をねたみて手の指蛇になる事
いつれの国とかたしかにきゝ侍りしかとわすれにけり
あるところに身はさゝりにておとなしき妻にあひくし
たるおとこありけり此つまさきのおとこの子をなん
ひとりもちたりけるいかゝ思ひけんおとこにいふやう我
にいとまたべ此うちに一問あらん座敷にゐてのと
かに念仏なとしてゐたゝんさて外の人をかたらは
よりはこれにあるわかき人をあひくして世の中の事
さたせさせ給へさらにことかゝん人よりはわかためにもよ
かゝん今はとしたかくなりてかやうのありさまことに
ふれて。ほいならすといひけれはおとこもおとろき思ひ
むすめもあるましきやうにいひけれと此事なをさり
ならすともすれはまめやかにうちくときつゝいふ事たひ
たひになりぬさほと思はるゝことならはうけ給はりぬと
ていふかことくしておくのかたにすへておとこはまゝむす
めとなんあひくしくすみけるかくてとき〳〵はさしのう
きつゝ何事かなといふことにふれて妻もおとこも
をろかならぬやうにてとし月をゝくるほとにある時おと
こ物へいたるあひたに此つまはゝのかたにゆきてのとか
に物かたりなとするほとにはゝいみしう物思へりけしき
なるをこゝろえすおほえて我には何事をかはへた
て給ふへきおほされんことはのたまひあはせよといふ
さらに思ふことなしたゝ此ほとみたり心ちのあしくて
なといひまきらはすさまたゝならすあやしけれは
なを〳〵しゐてとふその時にはゝいふやうまことに
はなに事をかかくし申さんよにこゝろうきことのあり
けり此家のうちのありさまはこゝろよりおこりて申
すゝめし事そかしされはたれもさら〳〵うらみ申へ
き事もなししかあるを夜日のねさめなとにかたはら
さひしきにもちと心のはたらく時もあり又ひるさし
のそかるゝ折もあり人のふるまひになりたるこそ思は
さりし事かなれとむねのうちさはくをこれ人のとかゝは
あなをろかの身やと思ひかへしてすくれとなを此事
一発心負巻四
のふかきつことなるにやあさましきことなんあるとて
ひたりみきりの手をさし玉たるをみるに大ゆびふた
つなからくちなはになりてめもめつらかに舌さし出て
ひろ〳〵とすむすめこれをみるにめくれこゝろもまと
ひぬ又こともいはす髪おろしくあまになりにけり
おとこかへりきてこれを見て又法師になりぬもとの
妻もさまをかへあまになりて三人なからおなしや
うにおこなひてなん過けるあさゆふいひかなし見
けれはくちなはもやう〳〵もとのゆひになりにけり
後には母は京に乞食しありきけるとかやまさし
く見しとてふるき人のかたりしはちかき世の事に
こそ女のならひ人をそねみ物をねたむによりおほく
はつみふかきむくひをうるなり中〳〵かやうにあらはれ
ぬる事はくひかへしてつみほろふるかたもありぬへし
いれなくこゝろにのみ思ひくつをれて一しやうをくらせる
人のつよく地こくのこうをつくりかためつるころいと心う
く侍れいかにも〳〵こゝろの師となりてかつはさき
の世のむくひと思ひなしかつは夢のうちのすさひと
もおもひけちて一念なりともくゆるこゝろをおこすへ
きなりある論には人たとひをもきつみをつくれとも
いさゝかもくゆる心のあれは定業とならすところ
侍るなれ
長明発心集五
狩
発心集第五目録
●氏
文庫
一亡妻現弟夫家に帰来事
一不動持者牛に生るゝ事
一少納言公経先世の願に依て河内寺を作る事
一少納言統理遁世の事
一中納言顕基出家籠居の事
一成信重家同時に出家する事
一花園左府八幡に詣て往生を祈る事
一目上人法成寺供養に参り堅固道心の事
一乞児物語の事
一貧男差図を好む事
一勤操栄好を憐む事
一正算僧都の母子の為に志深き事
一證空師の命に替る事
一后宮の半者一乗寺僧正入懺を悲む事
発心集第五
一亡妻現身夫の家にかへり来る事
中比かた田舎におとこありけりとしころ心さしふかくて
あひくしたりけるつま子をうみてのちをもくわつらひけ
れは夫そひゐてあつかひけりかさりなりける時かみの
あつけにみたれたりけるをゆひつけんとてかたはゝに
文のありけるをかたはしをひきやりてなんむすひたり
けるかくてほとなくいきたえにけれはなく〳〵とかくの
さたなとしてはかなく雲けふりとなしつそのゝちあと
のわさねんころにいとなむにつけてなくさむかたもなく
こひしくわりなくおほゆる事つきせすいかて今一度
○舒心集巻弌
ありしなからのすかたをみんとなみたにむせひつゝあかし
くらすあひたにある時夜いたうふけて此をんなね
ところへきたりぬ夢かと思へとさすかにうつゝなりうれし
さにまつなみたこほれてさてもいのちつきて生をへた
てつるにはあらすやいかにしてきたり給へるそと思ふしか
なりうつゝにてかやうにかへりくる事はことはりもなくため
しもきかすされと今一度見まほしくおほえたる心
さしのふかさによりてありかたきことをわりなくして来
れるなりその外のこゝろのうちかきつくすへかゝす枕
かはすことありし世に露かはらすあかつきをきていて
さまに物をおとしたるけしきにて寝所をこゝかしこ
さくりもとむれと何とも思ひわかす明はてゝ後あとを
みるにもとゆひひとつおちたりとりてこまかにみれは
かきりなりし時かみゆひたりし反古のやれにつゆも
かはしす此もとゆひはきなからやきはふりてきとあるへ
き故もなしいとあやしくおほえてありしやりのこし
の文のありけるにつきあはせてみるにいさゝかもたかは
すそのやれにてそありけるこれはちかき世のふしき也
さらにうきたる事にあらすとて澄憲法師の
人にかたゝれ侍りしなりむかし小野篁のいもうとの
らせて後よな〳〵うつゝにきたりけるは物いふこゑはかり
してさたかには手にさはる物なかりけるとそ大かたこゝろ
さしふかくなるによりてふしきをあらはす事これらにて
しかぬへしぼんぶのをろかなかたにしかりいはんや仏
出きつのたゝひは心をいたして見むとねかはゝ其人の
まへにあらはれんとちかひ給へりこれをきゝなからぢになひ
あらはして見たてまつらぬはわか心のとかなり妻子を
こふかごとくこひたてまへり名利を思ふかことくおこなはゝ
あらはれ給はん事かたかゝす心をいたすこともなくて
世のすゑなれはありかたしつたなき身なれはかなはしなと
思ひて退心をおこすはたゝこゝろさしのあさきよりお
こる事なり或人いはくかけろふといふむしあり妻夫の一
契りふかき事もろ〳〵の有情にすくれたりその証を
発は集巻
後心算巻症
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
あらはさんとす時にこの出めをとこれをとりて銭二文上
べち〳〵にほしつけさて市にいたして二の銭をあらぬ人に
ひとつつゝこれをうるあき人かひとりつれはとかくいたはる事
かすもしらすしかあれともそのちきりふかきによりて夕
にはかならすもとのことくつなぬかれてゆきあふといへり
此故に銭の一名をは蜻蚊といふとそむかしいもせの
ちきりしるして用事なけれと何にゆけても思ふへし
われらふかき心さしをいたして仏法にちぐし奉らんと一
ねかはゝなしかはかけろふのちきりにことならんなかひごう
にひかれて思はぬみちに入ともおめ〳〵にはかならすあ
らはれてすゝひ給ふへし
越代寺春五
不動持者牛にむまるゝ事
ちかく山の西塔のにし谷みなみおといふところにごく
らくばうのあしやりといふ人ありけりかのすみける坊の
南尾にとりて北尾といふかたを見やりてのほりくた
るみちかくれなくみゆるところにてなむありける此阿闍
梨命ぜうちして脇息によりかゝりてちとまとろ
みたる夢に北尾よりゆしけにやせかれたるうしに
物おほせてのほる人あり牛のしたをたれてのほりかね
たるをかみあかくちゝみあかりたる小わらはのまなこい上
かしこをなるがつきてしりになりさきになりはしりめ
くりてこれををしあけたすけつゝのほるありあやしく
たゝ人にもおほえす童子なに物ならんと思ふほとにそ
人有ていふやうあれは生々而加護のちかひをたかへ
しとてなりといふと見ておとろきぬうつゝに見やれは
みえつかやうにすこしもたかはすかのうし物をおひて
のほるありつるにあかかしらの童は見えすこれを思ふし
此牛のさきの世に不動の持者にてありけるにこそ
いんくはのことはりかきりあれはごうによりてちくしやうと
なりにけれとなをすてかたくてかく後前にたちつゝ
たすけ給ふにこそいといみしうあはれにたうとくおほ
えけれは小法師物に来いれてちともてこよといひ
すてゝはしりむかひてうしをしはしとゝめて食物を
なんあたへたりけるほとけの御ちかひのむなしてぬ事く
のことし世ゝ生々にちぐし奉りむとねかふへし
一少納言公経先世の願によりて河内の寺を作事
少納言公経といふ手書ありけりあかためしのころ
こゝろのうちに願をおこしてもしことよろしき国給はりなは
寺つゝんと思ひけるを河内といふあやしの国のかみに
なりたりけれはほいなくおほえてさらはふるき寺なとをこそ
修理せめと思ひて国にくたりにけりさてその国の中
にこゝかしこみありきけるにあるふるき寺のほとけの
のしたに文の見えけるをひゝきてみれは沙門公経と
かけりあやしみてこまかにみれは来世にこの国の守と
なりて此寺をしゆりせんといふ願をたてたる文にて
なんありけるこれを見てしかへかりける事と思ひしり
てのそみのほいならぬ事をもいさめつゝ信をいたして
修理しけりかきたる文字のさまなとも今の手に
露ほともかはらす似たりけり伏見の修理のかみのやう
にむにおなし名をつけるなりけり我も人もさき
の世をしらねはこそあれ何事もこの世ひとつの事
にては侍らぬをむなしく心をくたきはしりもとめて
かなはねは神をそしりほとけをさへうらみたてまつるは
いみしうをろかなりかつは願のむかしにたるはぬにて願
としてなるへき事をしるへし
少納言統理遁世の事
少納言むねまさときこえける人年来世をこむかんと
思ふこゝろさしふかゝりしか月くまなかりけるころ心をすま
しつゝつく〳〵と思ひゐたるに山ふかくすまむ事のなを
せちにおほえけれはまつ家にゆするまうけせよ物
へゆかむといひてかみあらひけづりほうしなとしけりけし一
きやしりたりけん妻なりける人心えてさめ〳〵となむ
なきけるされともかたみにとかくいふ事もなくてあくる
日うるはしきよそほひにてその時の閣白の御もとに
まうてけり此事あんないき其んとすれと申はる事
もなしやゝひさしうありてからうして山里にまかりこもる
へきいとま申せしあひたにしはしとてたいめんしたまひて
御念珠給はせてのちの世にはたのむそとのたまひ
けれはなみたをおさへつゝすゝをはおさめて拝したて
まつよて出にけり増賀ひしりの室にいたりてほいの
ことくかしらおろしてけれとつく〳〵となかめかちにてつとめ
おこなふ事もなし物思へるさまにてつねはなみたくみつゝ
ゐたりけれはひしりあやしみてゆへをとひけりいひやかた
なくてありのまゝに子うみ侍るへき月にあたりたる女の
侍るか思ひすて侍れとさすかに心にかかりてといふ聖
これをきゝてやかて都に入てその家におはしてたつ
ね給ふに今子をうみやうてなやみわつらふおりなりけり
ひしり祈りてうませなとして人にたつねつゝうふやし
なひまてなんともしかゝぬほとにとふらひ給ひけるかくて
統理大とくひとかたはこゝろやすくなりぬれと三条院
東宮と申ける時つねにつかへたてまつりし事のわすれ
かたくおほえけれはたてまへれり計る
君に人なれなゝらひそおく山に入ての後はわひしかりけり
御返し
しゝれは思ひ出つゝ山んをしかうこひしき我もなかむる
とて給はりたるに涙のこほれたるをおさへつゝゐたりける
程にひしりきゝて東宮より歌給はりたらんほとけに
やはなるへき此心にてはいそか生死をはなれんとそはち
しめ給ひける
一中納言顕基出家籠居の事
中納言顕基は大なこん俊賢の息役一条の御門に
時めかしつかへ給ひてわかうよりつかさくらゐにつけてうら
みなかりけれとこゝろは此世のさかへをこのますふかく仏
道をねかひほたいをのそむ思ひのみありつねのことへさ
にはかの楽天か詩に古墓いくれの世の人そ姓と名
とをしらす化して路傍の土となりて年々春草生
一たりといふことを口つけ給へりいといみしきすき人にて
朝夕ひわをひきつゝ罪なくして罪をかうふりて配
所の月を見はやとなんねかはれけるかの後。一條かくれ
ましくたりける時なけき給ふさまことはりにもすきたり
御所のありさまいつしかあらぬ事になりてはてには火を
たにもともさゝりけるをたね給ひけれは諸司みな
今の御事をつとむるあひたにつかうまつる人なしとき
こえけるにいとゝ世のうさ思ひしられてさるへき人みな御
門の御かたへまいりけれと忠臣は二君につかへすといひ
てつゐにまいらす御いみの中のわさなとつかうまへり
てやかて家を出給ふそのとしころのうへ公達袖をひ
かへてわかれをかなしみけれとさらにためらふ心なかり
けり横川にのほりてかしらおろしでこもり給へりける時
上東門院よりとはせ給ひたりけれは
世を捨て宿を出かし身なれともなをこすしきはむかし
なりけりとそきこえ給ひけるのちには大原にすみて
二心なくおこなひ給ひけるを時の一の人たうとくきゝ
給ひてしのひつゝかの室にわたり給ひてたいめんし給
へる事ありけり宵より御物かたりなときこえてあかつ
きにをよふまて此世の事一ことはもいひませたまはす
いとめてたくたうとくおほされてみちひき給ふへき事
とも返す〳〵契りきこえて今かへりなんとし給ひける
時さてもわたり給へるいとかたまり侍り俊実はふかく
の者にて侍るなりとてなん申給ひけるその時はなに
とも思ひわき給はすかへり給ひて此ことをあんし給ふ
にさせるついてもなかりきよもわか子のあしきさまの事
いはんとてはのたまはしすくれたる事なくとも見はなたす
かたうとせよとにこそはあゝめ世をそむくといへともなを
恩愛はすてかたき物なれは思ひあまられたるにこそと
あはれにおほされてそのゝち事にふれつゝひきたてとり
申給ひけれはみなし子なれとはやく大納言まてそ
のほりにけるみのゝ大なこんときこゆるは此君なりけり
一成信重家同時に出家の事
兵部卿致平親王の御子成信中将と堀川右大
臣の子にて重家の少将ときこえける人時にとり世
とりてたくひなきわか人なりけれはてる中将ひかる少将
とておなしさまにそいはれ給ひける此二人おなし時
に心をおこして世をそむかんことをいひ合せ給ふ心さし
はひとつなれと発心のおこりはことなりけり少将は
時の一の人のをもくわつらひ給ひけるにそのかせにか
くれたる人のうれへあるさまをうけどり給ふへきかたの
御ゆかりの人のけしきなとを見給ひけるにおしむも
そねむもこゝろうきならひなりとおほしけるよりをの
つからいとふ事と成にけり中将は斉信公任俊賢
行成なときこえていみしかりける人々陣の座にて
朝のさためともおね〳〵さいかくをはぎていみしかりけるを
たちきゝてつかさくらゐはたくのほかん。と思はゝ身のはち
をしらぬにこそありけれ此人〳〵にはいかにもをよふへくも
あらすさて世にありては何にかはせん後の世をねかふへ
かりけりと思ひとり給ひけるなり此二人その日とさため
て三井寺の廃祚あしやりのもとへゆきあはんと契
り給へり重家の君をそく見えけれは夜にいるまて
待かねてをのつから思ひわつらふ事のあるなめりとほ
いなくおほしなからひどりあしやりの室にいたりてかし
らおろさむときこゆあしやりあたゝしき御さまなる
のみにあらす名高くおはする身なれはひんなく侍へり
なんとていなひ申けれはあからさまにたちいつるやうにてみつから
かみをきりてかくなんまかり成たるとありける時そいひかひ
なくてゆるしきこえけるかくてあろきかへらんとし給ひける
時露にそほぬれつゝしけ若少将おはしたりいかにを
そくは夜ふくるまてまちたてまへりしかどもしためらひ給
事なとの侍るかとてさきになんつかまつりたるとあり
けれはさやうにちきりきこえていかてかは日をはたかへ
侍らんおとゞにいとまこひ奉してはつみえぬへくおもひ
給へてついてをはかゝひ侍りしかは日をたかへしとて
よへもとゆひをはきり侍りとてなん見せ給ひける中
将は廿三少将は廿五とうさしもすくれさるへき人たに
もあたらしかるへきをかくおなしこゝろにてかたちをやつし
給ひつれはあしやり涙をおとしつゝかつはおしみかつはあは
れみけり此少将まつもとゆひをきりてやはらかふりをし
てくらきまきれに父の大臣にいとまこひ給ひけれはをの
つからそのけしきやしるにげんいかにいふともとまるへきやう
にも見えさりしかは元とゝめす・なりにきとその給ひける
又たふのみねの入道高光少将は兄の一條の摂政
の事にふれつゝあやまりおほくおはしけるを見たまひく
世にあるははちかましき事にこそとてこれより心を発し
給ひけるとなむ人のかしきにつけてもをろかなるにつけ
てもまことの道をねかふ便と成にけんこそけにあらまほしく
一花園左府八幡に詣て往生を祈る事
花そのゝ左大臣は御かたち心もちひ身のさへすへてかけ
たる事なくとゝのほり給へる人なふちかき王孫にいま
すかゝりけれはかくたゝ人になり給へる事を人もおし
みたてまつりわか御心にもおほししりて御よろこひなる
へき事をもそのけしき人に見せ給ふことなかりけりもし
つかふまつる人の中におとこも女もをのつから心よけに
うちわらひなとするをもかゝるすくせつたなきあたりにあり
なから何事のうれしきなときゝすくさすはしたなめ給
ひけれははつ春のいはひことをたに思ふはかりはえいはぬ
ならひにてなんありける春はうちいだりも中〳〵事うる
はしけれは身にさへあるほとのわかき人はたゝ。此故にのみ
まうてあつまりて詩歌管絃につけつゝこゝろを
なくさむる事ひまなしうへの御せうとたちはたいます
あさゆふといふはかりさふらひ給ひけれはおほい股なと申
はかりこそあれさるへきいろ〳〵の御もてなしにかはらす
あかぬ事なく見えけれとすへて身をうき物にふかく
おほしとりてつねには物思へる人とそ見え給ひけるいれ
の時にかありけん京より八幡へかけより御東帯
にて七夜まいり給ふ事ありけり別当光清此
ことをきゝて大きに御まうけよういして御気しきし
給ひけれと此たひはことさらにたちやとるかたなくてまう
てなんと思ふこゝろさしあれはえなむたち入ましきとく
より給はさりけり七夜にみてゝかへり給ひけるに算豆
といふ所において御のうみかなふへきよしの哥たてまつ
りたれは返しはし給はすこれは御神のおほせなりとて
御ふくろにおきめてかへざにのり給ふ御馬をそ鞍置
なから給はせける御ともにつかうまつか人々いかはからなる
御のそみなれはかくかちにて夜をかさねつゝまうて給ふ
らんとありかたくおほえていかにもたゝ事にはあらし大ほ
さつはあら人神と申中にもむかしの御門におはします
かきりある御氏のたえ給ひぬる事おほせうるゝにやと
まておほつかなく思ひけるに御幣のやくすとてちかく
さふらひけるにきゝけれは忍ひつゝりんじう正念わう
しやうこくらくと申させ給ひけるにそかなしくも又めてた
くもおほしけるまことに御門の御くらゐもやむとなけ
れとつゐにはせちりもすだもかはらぬならひなれは
往生極楽のつねの事にはなをしかすなん
一同上人法成寺供養に参り堅固道心の事
河内の国に目聖とてたうとき人ありけり御堂
入道段ほうじやうじつくり給ひて御くやうありける
日まいりておかみけるに事のぎしき仏前のかさり
まことにみろもをよはす宇治殿その時の関白にて
事おこなひておはします座にかたならふへき人もなく
修理
十一日
立てたく見えけれは人界にむまるゝとならは一の人よりい
みしうりけれとほと〳〵のゝしか百司雲霞のことく
囲遶しらんしやうのゝしりていたり給ふ時いよとおほ
えつる関白物ならす覚えてさきの思ひをあらためて
いかにも国王にはしかさりけりとみるあひたに金堂に
にいらせ給ひてほとけをおかみ給ひける時なんなをし
仏そうへもなくおはしましけりとおほえていとく道心
をかためたりするかのめうしやうごんわうのたくひに
ことならすいとかしこき思ひはかりなるへし
乞児物語の事
改正長八工一右
ある上人の物へまかりけるみちに乞児三人行つれ
たりけるかをのかどち物かたりするをきけはひとりかいふ
やうあふみはゆゝしき運者かな坂のましかひして
いまた三年にたにみたぬにほうちやくゆりたるはあり
かたき事そかしといへは今ひとりかいはくそれはへちの
果報の人そ口きたなくていふへからすといふこれを聞
てこそわかさまを仏ほさつの事にふれてはかなく
見給ふらん事思ひしられてあはれにはつかしくおほみ
侍りしかとかたりき又ある人かたゐ中に行てい
やしき家にやとをかりてとまりけるに此家のあるう
をみれはとし八十あまりにやあらんかうへは雪のことくして
はたへくろくしはたゝみ同たゝれ口すけみこしはふたへま
かゝまりてたちゐるたひに大きにくるしういかにもけふ
あすの事にこそといとおしくおほえてこれをすゝめて
いふやうなんちおひせまりて残命いまいくはくかはあ
らん行歩もかなはされは人にまし寺につけてもくる
しかゝん今は出家うちして念仏申てのとかにゐた
れかしさらは後世のたのしみもしかるへきのみにあらす
身もやすかゝんといふおきなのいふやうまことにいまは
さやうにことりつかまつるへきをなるへきつかさのひとつ
侍るによりてたへぬ身におひのちからをはけみてかく
まてつかへ侍る也我よりも今みとせかこのかみなる翁
上臈にて侍りかれ人まねつかまへりなん後はかならす
そのつかさにまかりなるへけれはそれまて待侍るなり
とそいひけるさやうの者のなるつかさ思ふにさはかりに
こそはあるゝめ其事にしうをとめて今や〳〵とまほ
りをりけんつみふかくあはれにこそ侍れたゝしこれらを
うちきけはをろかなるやうなれとよくおもへは此世の望
たかきもいやしきもみちおなしわれらかいみしくおもひ
なりはせるつかさ位もこれをかみつかたにならふれはおきなか
のそみにことならすいとんや天ぢくしんだんのこくわう大
臣のありさまなとはたとへてもいふへからす又或人の云
治承のころ世の中みたれて人おほくほろひうせ侍
りし時かたきのかたの人をとらへて頸をきりに出まかると
てのゝしりあへるをみれはことよろしき者にころさすかに
よしありてみゆるをなさけなくゆゝしけにしてをひ立て
ゆく地こくゑにかける鬼人にことならすあなこゝろ憂
よもうつゝ心あらしとあはれにいとおしく見ゆるほとに
みちにむばらのあるをふましとてよきてゆかむとし
けるをみる人なみたおとしていはくかはかりの目を
見て今いゝ時あるへき身なれはむばらをふましと
おもふらんとはかなくかなしみあへりこれ又人の上かは
われら世のすゑに及ひていのちみしかくくはほうつた
なき時わつかに人界にむまれたりといへとも二仏
の中間やみふかくとうじやうけんこのおそれはなはだ
しひさゆくこまはやくうつり衣はじのあゆみ屠所に
ちかつけはをはりけふともしらすあすともしらす何の
他念かはあるへきたちてもゐてもぼんなふのあたの
ためにけばくせられたる事をかなしみねともさめて
も無常のつるきのたちまぜにいのちをたゝむ事
おそるへきそかししかるをむなしくちりはいとなるへき
かきりの身を思ふとて露のまの貴賤をうれつ
てこゝろをなやまし名利にわしるたゝかのむばらを
よぎけん人とより覚え侍れ大かたひを虫のあし
たにむまれて夕へにしぬるならひもかならすみな是
わか身のうへにあり天の中にいのちみしかき四天皇天
をきけは此世の五十年をもつて一日一夜とせり
我国のいのちなかしといふ人わつかに此天の一日二
日にこそはあたるゝめいはんや上さまの天にくらふれ
はたゝ時のまといふへしかゝれはとていつこかはわれらか
ひをむしを思へるにことなるもろ〳〵の事かくのことし
いはゝとてもかくてもありぬへき此世なり只かの夢の
の中の有無は有無ともに無なりまとひのまへ
の是非は是非ともに非なりといへるかめてたき理り
にて侍るなりされは禅仁といふ三井寺の名僧
の法印になりたりける時人よろこひいひたりける返
事はかの六よく四禅の王位に見えたるところなり
此小国へんひのくらゐ何うあいするにたらんとこそ
いひたりけれちゑはなをかしこき物なり大かたぼん
ふのならひいやしくつたなき事も身のうへをはしらす
このゆへに乞食かたくひ名図をぐせりめてたくやむ
ことなき事とても又わかぶんに過ぬれはのそむ
心なし民の王宮をねかはさるかことし今これを思ひ
とくにはにこれるすゑの世の人極楽をねかはぬは
きはめたることはりなりかの国のありさましゆしやう
のたのしみ事につけ物にふれてなにかはわれらか分
になすらへたるみなこゝろもことはも及はぬ事ともそ
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
□。
同断同所
四十一
廿一日
丗
かししかあれはもしひくはんをゝきて信をもおこしいさゝ
か望む心もあらん人は此世ひとつの事にあらす生ゝ
世々につとめたりけるなこりとしていかにもちかつける事
とたのもしく思ふへきなり
一貪男差図をこのむ事
ちかき世の事にやとしはたかくてまつしくわりなきおとこ
ありけりつかさなとある者なりけれと出つかふるたつき
もなしさすかにふるめかしき心にてあやしきふるまひなと
は思ひよらす世執なきにもあらねは又かしらおろさんと
思ふ心もなかりけりつねにはゐところもなくてふる
堂のやふれたるにかやとりたりけるつく〳〵ととし
月をみるあひたに朝夕するわさとては人にかみほん
ぐなとこひあつめいくらもさしづをかきて家つくる
へきあらましをす寝敗はしか〳〵門はなにもとなと
これを思ひはからひつゝつきせぬあらましにこゝろを
なくさめて過けれは見きく人はいみしき事のためしに
なんいひけるまことにあるましきことをたくみたるはは
かなけれとよく〳〵思へは此世のたのしみにはこゝろを
なくさむるにしかす一二町をつくりみてたる家とて
もこれをいしと思ひならはせる人めこそあれまことには
わか身のおきふすところは一二間にすきすその外は
みなしたしきうとき人のゐところのためもしは野山
にすむへきうし馬のれうをさへつくりをくにはあらす
やかくよしなき事に身をわつゝはしこゝろをくるし
めて百千年あらんために材木をえらひ元はだ
かはらを玉かゝみとみかきたてゝ何のせんかはある主
のいのちあたなれはすむ事久しからすあるひは他人
のすみかとなりあるひは風にやふれ雨にくちぬいはむ
や一度火事出きぬる時とし月のいとなみ片時
のあひたに雲けふりとなりぬるをやしかあるをかの
おとこかあらましの家ははしりもとめつくりみかく
わつらひもなし雨風にもやふれす火災のおそれ
もなしなすところはわつかに一紙なれと心をやとす
にふそくなしりうじゆほさつのたまひける事あり
とめりといへともねよふこゝろやまねはまつしき人とすま
つしけれとももとむることなけれはとめりとすと侍り
書写のひしりかきとめたることはにひぢをかゝめ
てまてとすたのしみ其中にあり何によりてか
さらに浮雲のゑいようをもとめむと侍り又ある
物にはもろこしに一人の琴の師あり絃なきことを
まちかくをきてしはしもかたはゝをはなたす人あやし
みてゆへをとひけれは我ことをみるにそのきよく心
にうかへりそのゆへにをなけれともこゝろをなくさむ
る事は弾するにことならすとなんいひけるかゝれは一
中〳〵目のまへにつくりいとなむ人はよろめこそあなゆ
ゆしとみゆれとこゝろにはたゝぬ事おほかゝんかの
おもかけのすみかは事にふれてとくおほかるへしたゝし
此事世間のいとなみにならふる時はかしみけなれと
よく思ひとくには天上のたのしみなををはりありつほ
のうちのすみかいとこゝろならすいはんやよしなきあら
ましにむなしく一期をつくさんよりもねかはゝかなら
すえつへきあんやうせかいのけらくふたいなる宮殿
楼閣をのそめかしはかなはりける希望なる事
へし
勤操栄好をあはれむ事
むかし大安寺に栄好といふ僧ありけり身はまつし
くて老たる母をもちたりけれは寺の中にすへをきて
かたのことくいのちつくほとの事をなんしける七大寺の
ならひにて居たる僧の室にけぶりたつることなし
外にて飯をしてくるまにつみつゝあさゆふことに僧坊
のまへよりわたしてくばれは栄好これをうけて四つに
わけて一をは母にたてまくり一をは乞食にとらせ一
をは身つからくひ一をはたゝひとりつかふわらはかれうにそ
あてたりけるまつはゝにあたへてまいるよしをきゝて
後みつからはくふならひにてとしころの次第をたかへす
此栄好か房のかたはゝに垣を一つへたてゝ動操と
いふ人すみけりおなし心にあひたのみたる人にてとし比
此事をありかたく見きくほとにある時かべをへたてゝ
きけは量好か小童しのひつゝなくこゑあり勤操
あやしく思ひてわらはをよひて何事によりてなく
そととふこたへて云やう我師けさにはかにいのち
をはり給ひぬれはをのれひとりしてはふむりおさめ
たてまつらん事思ひやるかたなくて侍るうへにはゝの尼
うへ又いかにしていのちつぎ給はむすらんとかなしく侍
るなりといふ勤操これをきゝてあはれにかなしき
事かきりなしなくさめいふやうなんちいたくなけく
へからすはふむらん事は我もろともに今宵の事に
ふ名心負老士
とかくしてんす又母をは我まうしやにかはりて我分
をわけてやしなはんといふ小童これを聞てかなしみ
の中にかきりなく覚えてなみたをのこひつゝさりげ
なきやうにもてなせり勤操わか分をわかちて栄
好かをくるやうにてわらはにもたせて母のもとへをくる
はゝ此事を思ひよらぬ気色をみるにつけてて涙の
みこほるゝをとかくまきらはしつゝ物いはすしてさし蒸
てかへりぬ暮ぬれは夜半はかりに勤操とわらはと
ふたりして栄好をもちてふかき山にをくりをきつ
母の尼公さき〳〵にかはれる事もなけれはわか子の
うせたるともしらすして月日を送るほとに勤操かし
とに客人来て酒なとのむ事ありけり何となくまき
れてさき〳〵飯をくる時すきにけれとおや子のあひた
ならねははかりて童いひ出さすやゝ久しくありて
後をくりたるにはゝの尼公いふやうなとれいよりはをそ
かりつるそとしおひぬる身はむねしはりこゝちたかひて
れいにもにずおほゆるなりといふをきゝて此わらはいふ
かひなくなみたおとして忍ふとすれとこゑもおします
なきゐたり母心もえす覚えてなを〳〵しゐとふに
つゐにかくすへき事ならねはことの有さまはしめより
かたるやかても申へかりしかともとしたけたる御身におもし
なけきにたへすひきいり給ふ事もそ侍るとていま
まて申さゝりつる也此めし物をは子御房の同法の
おはするかありしやうをとひきゝてうせ給ひにし日より
我分をわかち奉らるゝなり今日客人のきたりて酒
なとまいりつるほとに心ならす日たけて侍り也されと御子
ならはこそはいかにもともすゝめんさすかにはかりおもひ
給てなといひもやらすなく母きくまゝにたふれふして
なきかなしみていはくわか子ははかなくうせ給ひよしを
しらすしてあしたにや来るゆふへにやみゆかとまちけるこそ
いとはかなけれけふのくひ物のをそかりつるをあやしめ
さらましかはわか子のありなしをもしらさらましといひて
たちまびにたえ入ぬ勧操これをきゝて岩渕寺
一名負者五
といふ山寺にてはふむりすゝめて七日〳〵には鉢をまうけ
てほけきやうをときもろ〳〵の衆にいひあはせつゝ四十九日
ほうじにてけだいなくなむつとめけるそのゝちとしに一度
の忌日ことに同法八人ちからをあはせて同法八かうと
なつけて延暦十五年よりはしめたりけるを岩渕
寺の八講と名つけたり八かうのおこりこれよりはしめて
ところ〳〵におこなふ事今にたえすさて勤操はおほ
やけわたくしたうとき聞えありけれはうせて彼僧
正のつかさなんをくり給はりける
正算僧都の母子のため志深き事
山に正算価都といふ人ありけりわか身いみしくまつしく
て西塔の大林といふところにすみける比としのくれに
雪ふかくふりてとふ人もなくひたすらけふりたえたる時
ありけり京にはゝなる人あれとたちくしきやうなれは
中〳〵心くるしうてことさら此ありさまをはきかれしと思ひ
けるを雪の中のこゝろほそさをやおしはかりけんもし
又事のたよりにやもれ聞けんねんころなるせう
そくありみやこたにあとたえたる雪の中に雲ふかき
みねのすまひのこゝろほそさなとつねよりもこま
やかにていさゝかなる物をゝくりつかはされけり思ひよら
さるほとにいとありかたくあはれに口ほゆる中にもこの
つかひのおとこのいとさむけにふかき雪をわけきたる
いとおしけれはまつ火なとたきて此もちきたる物てうし
てくはす今くはんとする程にはしうちたてゝはら〳〵と
なみたをおとしてくはすなりぬるをいとあやしくてゆへ
をとふこたへていふやう此たてまつり給へる物はなをさり
にて出きたる物にても侍ゝすかたくたつねられつれ
ともかなはて母御せんの身つから御ぐしのしたをきり
て人にたびてそのかはりをわりなくしてたてまへり給へ
るなりたゝ今これをたべんとつかまつるにかの御心
さしのふかきあはれさを思ひ出て下らうにては侍れ
といとかなしうてむねふたかりいかにものどへ入侍らぬ也
といふこれをきゝてをろかにおほらんやはやゝ久しく
兼家老甚兵衛
なみたなかしけりすへてあはれみのふかき事母の思ひ
に過たるはなしをろかなる鳥けた物まてもそのじひ
をはくしたりゐ中のものゝかたり侍りしは誰の子を
うみてあたゝむる時野火にあひぬれは一たひはおと
ろきてたちぬれとなをすてかたさのあまりにや煙
の中にかへり入てつゐにやけしぬるためしおほかりと
そ又にはとりの子をあたゝむるやうはたれもみる事そ
かし毛のへたゝりをあかすおもふにや身つからむねのも
をくひぬきてはだにつけてひめもすこれをあたゝむ
物はまむためにをのつからたちさりてもかれかさめぬ
ほとにといそきかへりくるはおほろけの心さしとは見えす
又そのかみ古郷わたりに思ひの外に世をのかれたる人有
きことのおこりは鷹無このみかひける時そのゑに
かはむとて犬をころしけるにはゝみたる犬のはらの皮
を射きりたるより子の頃とつふたつこほれおちけるを
はしりてにぐるいぬのたちまぢにたちかへりてその子
をくろくゆかむとしてやはてたふれてしにたりける
を見て発心せりとうかたり侍りしとりけた物の
なさけなきたに子のためにはかく身にもかへてあ
はれみふにいはんや人のおやのはらのうちにやとりこり
人となりまて念々にあれむ心さしたとひいのちを
すてゝ孝すともむくひつくさん事かたくこそ
語空師の命にかはる事
中比三井寺に智興内供といひてたうとき人
ありけりとしたかくなりてなる宿業にてか世の
中こゝちをしてかきりになりけれは弟子ともあつまり
てなきかなしむ時晴明とはひて神のことくなる陰
陽師ありけりこれを見ていふやう此たひはかきりあか
定業なりいかにもかなふへかゝすそれにとりて心さし
ふかゝらむ弟子なとのかはらんと思へるあらはまへりたて
まへりてんその外にはいかにも〳〵ちらをよはすとなん
いひけるおほくのてしともさしつとへるほとに此ことを聞
て内供はくるしみのたへかたきまゝにもしかはる人やあると
ならひゐたる弟子ともを次第に見まはせと言により
いへとまことにはすてかたきいのちなれはをの〳〵いろをつ
くりてふしめになりつゝひとりとしてわれかはらんと思へる
けしきなしその時證空あしやりといふ人としわかくて
弟子の中にありけり弟子にとりてはすゑの人なれは
たれも思ひよらぬほとにすゝみて内供に申やうわれ
かはり奉らんとなりそのゆへは頃を重くしいのちを
かろくするは師につかふかならひなりいそ此事をきゝ
なから身命をおしまむいたくらにすつへき身を今
三世の諸仏にたてまつりて人界のおもひ出にせん
さらにいたましからすたゝしとしは十なる母今に侍り
我より外に子なしもしゆかされをかうふらすは見つから
身をすつるのみにあらすふたりかいのちつきぬへしよく〳〵
ことはりを申きかせていとまをこひてかへりまいらんと云
て座をたちぬ内供をはしめこれをきく人〳〵なみた
をなかしてあはれむ事かきりなしはゝのもとにいたりて
此よしをかたるねかはくはなげき給ふ事なかれたとひほ
いのことく御あとにのこりて後世をとふらひたてまつると
もかくほとの大なる功徳をつくらむこときはめてかたし
今師のをんををもくしていのちにかはりなは三世の
諸仏もあはれみ天衆地類もおころきたまふへし
そのくとくをかさねてはゝの後世ほたいにえりうし
たてまつらんこれまことのけうやうなれはすなはちあやしき
身ひとつすてゝふたりのをんにむゝひてんいはんやまた
らうせうふちやうのさかひなりもしいたつらにいのちつきて
御さきにたつ事も侍らはその時くやみて何かせん何
事をや此世の思ひ出にせんとなく〳〵いふをきゝつゝ
なみたをなかしおとろきかなしむもことはり也わかをろか
なる心にはくとくのおほくならん事をも思はす君いと
けなかりしおりは我にはくゝまれき我としたけよはひ
かたふきては君をたのむ事天地のことしのこりの
命けふあすともしらぬ時にいたりて我をすてゝ心と
さきたゝむ事こそいとなしけれとその心さしふかき
ことを思ふに師のいのちにかはりなは君か後世においては
うたかふへからすもし此事をゆるさすはほとけもをろかに
おほしめし君かこゝろにもたかひなんまことに老少な定
のいのちなりおもへは夢まほろしの前後なりはやく
君か心なりとくじやうどにむまれて我をすくひ給
へよと涙をおさへていひけれは語空なく〳〵よろこひ
てかへりぬやかてとしなのりかきつけて晴明かもとへや
りつこよひ祈りかへたてまつるへきよしいへり夜やちく
ふけゆくほとに此證空かしらいたみ心ちあしく身ほと
をりてたへかたくおほえけれはわか房に行てみくるし
かるへき文なととりしたゝめつゝとし比もちたてまへり
けかゑざうの不動尊にむかひ奉りて申やうわれ
としわかく身さかりなれはいのちおしからさるにあらねと
師のをんのふかき事を思ふによりて今すてにかの
いのちにかはりなんとすつとめすくなけれは後世きは
めておそろしねかはくは明王あはれみをたれて悪
道におとし給ふな病苦すてに身をせめて一時も
たへし給ふへかゝす本尊をおかみたてまつらん事たゝ
とはかりなりとなく〳〵申すその時ゑざうの仏眼
より血のなみたをなかしなんちは師にかはる我は汝に
かはらんとのたまふ御こゑほねにとをりきもにしむ
かないしとたなこゝろをあはせて念しゐたるあひたに
あせなかれぬかみさめてすなはちこゝちさはやかになりにけり
内供もその日より心ちをこたりにければ此事をきゝて
をろかに思はんやは後には人にすくれてあひたのみたり
弟子にてなんありけるかの本尊はつたはりて彼白河
院におはしましけりしやうぢう院のなき不動と申は
これなり御目よりなみたをなかしたるかたちけにさやか
に見え給へりけるとう証空阿闍梨といふは空世上
人のひぢのおれ給へるを餘慶僧正のいのりなをし給
ひたりける時頃岩のものなりとて聖のたてまつられ
たりける小童なり
后宮の半者一乗寺僧正の入滅を悲む事
一乗寺の僧正かくれ給ひて後そのはてのわさしける
日あしたよりわかき女房のつほしやうそくしたるかなみた
おさへつゝむかひわたりにたくすむありけり人〳〵あやしう
思ひて事まきるゝ日なれはわさとたつねとふ人なしすて
に仏事はしまりてのち此女はう人にましりてちやう
もんすはしめよりをはりまてなくことをこたらすそのけ
しきよのつねの事にあらすめたゝしきほとに見えけ
れはある人此女はうのさまこそ心えねかやうにあつまり
みゆるをもしあしさまにとりなす人もあらはなき御かけ
にも見くるしかりぬへしいさをひいたさむといふ又ある
ひはやうこそはあるゝめいかゝせつほうの時なくとてをひ
いたすへきなさけなからんそのゆへをとふへきかなとやす
からすいひしらふほとにわさをはりぬちやうもんの人とも
やう〳〵ゆきけるにも此女はういとゝなきまさりていそ
き出むともせすかへり見かちにてたちわつこふをみれは
としはたちはかり也かたちなともいときよけなるをけし
やうはもななみたにあらはれてあさからす思ひ入たるやう
なりおほつかなさのあまりある人さしよりてそのゆへ
をとふ女のいふやう我は故僧正御はうの御あはれみ
をかうふりたる身にて侍るなりかくし申へき事にあ
らすわか身むかしすて子にて河原に侍はけるを故御
房の御ありきのついてに御らんしつけてあはれ給ひ
てなにかしといひし大童子におほせつけられてやし
なひ給ひしあひたひとへに御いとおしみにて人となり
侍るを十三と申しとし此やし給ひおや夫妻ともに
おなし時にあしきやもひをしてうせ侍りにかは思ふ
かたなくてかれかしたしき者のもとへたつねまかりて
をのつからまよひ侍りしほとにさるへきにや侍りけん
思ひかけぬゆかりにて一とせきさいのみやの御はした物
にまいりて侍るなりたかき御かけにかくれて侍れは
わけしき事も侍らねとちゝはゝ世にや侍らんしり給
はすやしなひたてたりしおやはあとなくなりにきたゝ
ひとりうどにて心ほそくあはれなる身のありさまを思
ふにも又ありかたく侍るなり人の身のはかなくてやみ
ぬへかりける事とも思ひつゝけ侍るにもとにかくに故
僧正御房の御あはれみのかたしけなさかた時忘るゝ
ひまも侍らすあさことにかゝみのかけを見てもたれ
ゆへ人となる身そと思ふおもふししやうそくを給ひ身
にとりてめんほくあるやうなるおりにもいつも御かたに
むかひてなみたをおとしつゝことにふれてあはれにほうし
かたくなん思ひ侍りしされともあやしくかた〳〵たこり
あしきさまなれば申ひらくかたも侍らすすへて無縁
の御あはれみよりおこりし事をよろこひ申さんにつけて
もさすかに侍りあはれわか身おとこならましかいいかな
るさまにても御あたりにこそはつかうまつらめとかひなき
女の身をうらみてむなしくすき侍りしかと世においし
ましくほとは何となくそのもしく侍りきをのつから宮
つかへせし時よりよそなからおかみたてまつれはいみしき
よろこひをしたるやうにおそてかれになくさみつゝまか
りすきしをかくれ給へりとうけたまはりしかは世の中
かきくらせる心ちしてかくしてなからふへしともおほえ
侍らす今日御はてとうけ給りつれは又いつかはこれ程
の御なこりをもうけ給らん今はけふにこそと思ひて宮
つかへさしあふ日にて侍りつれとさはりを申てなんあした
より此御あたりにたゝすみ侍る今わさをはりてまかり
いつかにすへてなみたにくれてかへるへきみちもおほえ
侍らすといひもやらすよくとなくこれをきく人あやし
みてをひ出さんといひつる者まてなみたをなかしてあ
はれみけりもろ〳〵の事めつらしくみゝちかきをさきとするなら
ひなれは何わさに付てもさしあたりてきはやかなるをんなと
かうふれるをこそ悦ふけれかやうにおほそらなることを忘れ
す心にかくる事はいと有かたかるへし誰も〳〵思ひしる人も年
月つもりゆけはすなはちのやうにやはあるされはかの村上御門の
御眼をきて一期つゐにぬかてやみけん事なとをは哀にあり
かたき例にこそは云伝へ侍ぬれしかりをはかなき女の心にし
もつきせす思ひしめたりけん情のふかさ猶たくひなくそ侍る
狩刀
長明発心集六
発心集第六目録
□□□□□□□□
●氏
文庫
一堀川院蔵人所衆主上をしたひ奉り入海の事
一母子三人の賢者衆罪をのかるゝ事
一西行か女子出家の事
一侍従大納言幼少の時給者の改請を止る事
一永秀法師教寄の事
一時光茂光の数寄天聴に及事
一寶は日上人和哥を詠して行とする事
一宝泊の遊君鄭曲を吟して上人に結縁する事
一乞者の尼単衣を得て寺に奉かする事
一郁芳門院の侍即武蔵野に栖事
一上東門院。女房深山にすむ事
一恵心僧都空也上人に謁する事
文敬心集第六
堀川院蔵人所衆主上をしたひ奉り入海の事
ほりかはの院くらゐにおはしましける時あめかしたおさまりて
民やすく世のとかなりちかくは後三条院の御時なとを
こそいみしきためしに申ぬるをこれは今すこしなさけふかく
えんにやさしきかたさへすくれさせ給へりもろこしには天宝
のためしをひき我国には延喜天りやくのかしこき御代
にたちかへる事をそたかきもいやしきもよろこひけるその
時身はいやしなかしくらんどところにさふらひてあさゆふつ
かうまつるおのこありけりをよはぬ心にも御ありさまを
かきりなくめてたく思ひしめて何のわか身をたてん事
まても思はすたゝかゝる御代にむまれあひてみかきの内
にあかしくらすことよろつのうれへもなくなくさみてこく
ろはかりつかうまつれとわか身かすならねはあらはるゝた
よりもなしかゝる程に無常はかゝこきもをろかなりも
のかれぬならひなれはさかりなる花の雨風にしほみ
ぬる心ちしていさゝか才ある人は身ひとつのなけきと
かなしみあへるさまことはりにも過たりけりかのおとこ
かくれおはしましける日よりあるはあるこもあらす夜の
あけ日のくるゝわかちもしらぬやうにてなんかよひける
つゐにかしらおろしてこゝかしこちやうもんなとしありき
けれと物もいはすなす事もなくせみのもぬけのことく
いていける物とも見えさりけりつねにはもろ〳〵の仏神に
かの御むまれところをしめし給へとふたこゝろなくいのり
申けるほとにとしへて後西のうみに大龍になりておは
しますよしを夢に見たりけれはかきりなくうれしく
たちまちにつくしのかたへ行て東風のはけしく
吹たりける日舟にのりてをし出にけりしはしは浪ま
によろひつゝ見えけれとのちにはゆくゑもしらすなりに
けれはみる人なみたをなかしてその比の世かたりになん
けるよろつの事心さしによることなれは身をかへて
かならすまいりあひてつかうまへりなんかし大かたほとに
つけつゝまことのせには思はすなる事おほかりしたし
一発心算者六
きうときにもよらすかへりみのあるなしにもよらすかく
はしりつきたる物のいのちかはりとし比ふかくあひたのみ
たる人の人よりもをろかなるためしおほくきこゆるは
さきの世のけちえんによりにより一たひはいきかへり
て見まほしき事なり
母子三人の賢者衆罪を遁るゝ事
むかし男ありけりおのみ子二人もちたるにとりて先
はさきのつまのはらおとゝは今の妻のはらになんあり
けり果ゝれと兄のおのこまゝ母のために露もをろ
そかならすうせにし我はゝのことくねんころにけうやう
すれははゝ又わか子に思ひおとせることなかりけり
二人の子やう〳〵ひとゝ成て後父さきたちてやまひを
うけてしなむとする時母にいふやうとし比このあにの
おのこをあはれみはくゝむ事はことの折ふしにみな
思ひしれりうしろめたなかるへきならねと何事も跡
の事を思ふになをかれかいとおしく覚ゆるなり我
をふかく思はくわかかたみと思ひていとおしくせよと
なく〳〵いひをきてしぬそのゝち此ことをたかへすやく
第にもまさりてなんあはれみけるかゝるほとにともに
おとなになりて兄のおのこ妻をまうけたりこの
つまかたちよくて見る人おほく心をうこかすその中
にあさ夕おほやけにつかうまつりて身のほとよりし
をこれる者ありけりをのか身君にしられまいらせ
たる事をたのむにやありけんよな〳〵おとこにもは
からすやゝもすれはあらはれてかよふをみるに此をゝく
のおのこやすかゝすおこる後の事もおほしすはし
り出てこれをころしつかくすとすれと此事世に
きこみてすなはちをとゝの男からめられぬしする者
のしたしきものともはやくいのちをたゝるへきよし
こはくうたへ申うへにも御とかめかろからさりけれはけひ
いしうけたまはりてころさんとすその時兄のおのこ
すゝみ出て申やう弟の男はさらにをのか身のため
につかうまへりたる事にあらす我みなもとに侍へり
はやく我つみをかうふるへしと申すをとくのいふやう兄は
かの女のおとこと申はかりにてこそ侍れさらにとがし
たることなし我こそつみはかうふらめと申す兄弟かくの
ことくあらそふあひたに上にもはからひわつらひ給ひて
一人をつみせらるへきにとりてかれらか申事ともみな
いはれなきにあらすさらは母をめしてかれか申さん
によるへしとさためられぬすなはちめし出して此ことを
とはるゝに母とはかり思ひわつらひてなみたをなかしつゝ
をとくにつみせらるへきよしを申すその時検非違使
思ひの外におほえて故をとふ母の申やう兄はまた子
なりをとゝはまことの子なりしかあれといとけなく侍りし
よりかれもまことのはゝとたのみ我も子に思ひをとす
事なしいはんや文まかりかくれし時ねんころに申をく
こと侍りき其ことは心のそこにとゝまりてむかしを
思ひ出るごとにたゝ今きくかことしたとひいゝたりの我
子をうしなふともかれをはたすけんと思ふすへては
ちゝまかりかくれて後これゝをひたりみきりにすへ先
をは父のかたみと思ひ弟をはわか身とたのみてもろ
もろのうれへをなくさめつゝ月日を過し侍りつるに
今こゝに罪をかうふれりすなはち我身のむくひのつ
となきといふきく人皆なみたをなかしてあはれむう
たへ申つる者とも又これをあはれみあへり此事うへかり
きこしめして三人ともにやむことなきものなり罪をな
ためてゆるすへしとなんおほせられけるかの山蔭中
納言のうへにはたとへもなかりけるはゝのこゝろかなたく
しこれは晋の三賢といふ物かたりにいたりもし其
事にや
西行か女子出家の事
曲行ほうし出家しける時あとをはをとくなりける男
にいひつけたりけるにいとけなき女子のことにかなしうし
けるをさすかに見すてかたくいかさまにせんとおもへとも
うしろやすかるへき人もおほえさりけれはなを此をとく
一金六拾七匁
の如しの子にしていとおしみすへきよし念比にいひ
をきけりかくてこゝかしこ終行しありくほとにはかな
くて二三年になりぬ事のたよりありて京のかたへ
めくり来りけるついてにありし此をとゝか家をすぎ
けるにきと思ひ出てさてもありし子は五つはかりに
はなりぬらんいかさまにかおひなりたるらむとおほつかな
くおほえてかくとはいはねと門のほとりにて見いれける
おもふし此むすめいとあやしけなるかたひらすかたにて
下すの子ともにましりて土におりてたてじとみのきは
にてあさふかみはゆら〳〵とかたのほとにおびてかたちも
すくれたのもしきさまなるをそれよとみるにきとむね
つふれていとくちおしく見たてるほとに此子のわかか
みをこせていざなんひしりのあるおそろしきにとて内
へ入にけり此事思はしと思へとさすかにこゝろにかゝり
て日比ふるほとにもしかやうの事をやしりきかれけん
九條の民部卿の御女にれんせい故ときこえける人
はゝにゆかりありて我子にしていとおしみせんとおしみせん
ころにいはれけれは人からもいやしからすいとよき事もて
いうきわたしてけりほいのことくまたなき物にかなしうせ
られけれはこゝろやすくてとし月をゝくるあひたにこの子
十五六はかりになりて後此とり母のをとくのむかへばら
のひめ君にはりまの三位家明ときこえし人をむこ
にとかれけるにわかき女はうなとたつねもとむるにやかて
此あね君も上らうにてひとつところなるへけれはたより
もあるへしおやなともさるものなりとて此子をとり
出てわらはなんせさせける西行此ことをもれきゝ所
ほいならす覚えけるにやこの家ちかくゆきてかたはらなり
小家にたち入て人をかたゝひて忍ひつゝなんよはせける
むすめいとあやしくはおほえけれとことさまをきくに
はかおやこそひしりになりてありときゝしかさらては
たれかは我をよひ出むと思ふに日よろ見てやゝみなん
と心うかりつるをもしさらはいみしからんとおほえてやかて
つかひにぐして人にもしられす出にけりかしこに行て
みれはあやしけなる法師のやせくろみたる麻のすみそめ
のころもけさなとまことにあはれにおほえてなみたくこつゝ
こまやかにうちとけかたらふ西行はありしつちあかひの
時きと見しにあらぬ物におひまさりていときよけなる
をみるにもさこそ思ひすつる世なれとさすかにこれはか
りをはえみすぐさす事のありさまなときゝてむすめ
にいふやうとしころはゆくゑもしらすすかたをたにけふ
こそはしめて見るゝめされともおやみとなるはふかき
ちきりなり我申事きゝてんやたかへくるましくはいはん
といへはむすめのいふやうことにおやにておはしまさ
はいかてかたかへたてまつるへきといふしかあらは申さん
そこのむまれおちしよりこゝろはかりははくゝみし事は
おとなになりなん時は御門のきさきにもたてまつり
もしはさるへき宮はらのさふらへをもせさせんところ
思ひしかかやうのつぎのところにまかなひせさせて
きかんとは夢にも思ひよらさりきたとひめてたきさい
はひありとても世の事のかりなるさまとにかくに心
やすきこともなかむめるをあまになりて母かかたはらに
ゐてほとけのみやつかへうちしてこゝろにくゝてあれかし
と思ふなりといふやゝ久しくうちあんしてうけ給りぬ
はからひ給はせん事いそかたかへたてまつかんさらは
いつとさため給へその時いつゝへもまいりあはむといふ
わかきこゝろにありかたくもあるかなと返す〳〵よろこひて
しか〴〵その日め水とのもとへゆきあふへき事よく〳〵
さためちきりてかへりぬ此事又しる人もなけれは
たれも思ひもよらぬほとにあすになりてこのかみを
あらはゝやといふ冷泉殿のきゝてちかうあらひたる物
を遣してすやなといはれけれとたゝことさらにいへは
物まうてやうの事なめりと思ひてあらはせつあくる
あしたにいそきてめんとのもとへ行へき事のあるとい
へは車なとさたしてをくる今すてにくるまにのらんと
する人のしはしとてかへりきて冷泉殿にむかひて
つく〳〵とかほうち見ていふこともなくてたちかへりて
車にのりていぬあやしくおほゆれとかゝる事あるへし
とはいかてかしらんかくてひさしくかへらねはおほつかなく
てたつねけるをしはしはとかくいひやりけれと日比ふれ
はかくれなくきこえぬれんせいとのは五つよりひとへに
わか子のやうにしてかた時かたはゝはなるゝことなくてなく
しはくゝみたてたるうちにもおとなひゆくまゝに心はへ
もはか〳〵しうことにふれてありかたきさまなりけれは
ふかくあひたのみて過けるにかく思はすにてなかくわか
れぬれはうらかしかりける心つよさかなたけき者のす
ちといふもの女子まてこたてゆゝしき物なりけりと
いひつゝけてそうらみなかれけるたゝしすこしつみゆる
さるゝ事とてはすてにくるまにのりし時又見ましきろかし
とさすかに心ほそくこそ思ひけめさせるいふへき事も
なきにしはしたちかへりて我かほをつく〳〵とまもりて
けにしはかりそうらめしき中にいさゝかあはれなるとそ
いはれけるさて〳〵此むすめあまになりてかうやのふも
とに天野といふところにさきたちて母かあまになり
てゐたるところにゆきておなし心におこなひてなん有
けるいみしかりける心なるそかしかのやしなひ母の冷
泉殿ものちにはたうとくおこなひてもとよりゑかく
人なりけれは日ゝの取作にて丈六の阿弥陀仏を
かきたてまつゝれけるかをはりける時にはそのほとけの
御かたちそらにあらはれて見え給ひけるとそ
侍従大納言幼少の時験者の改請を止る事
侍従大納言成通卿そのかみ九さいにてわらはやみ
し給ひけりとしころいのりけるなにに僧都とかや
いふ人をよひて祈らせけれとかひなくおこりけれは父
の民部卿ことになけき給ひてかたはゝにそひゐて見
あつかひ給ふあひたにはゝ君といひあはせつゝさりとて
いかゝはせん此たひはこと僧をこりよはめいつれかよかるへ
きなとのたまひけるを此ちこふしなからきゝて氏部卿
にきこえ給ふなをこのたひは僧都をよひ給へかしと
思ふなり其故はめのとなとの申すをきけはまた腹の
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
右同断之介
内なりける時より此人をいのりの師とたのみてむまれ
て今九つになるまて事ゆへなくて侍るはひとへにかの
人のとくなりそれに今日此やまひによりてくちおしく
二はん事いとふひんに侍る也もしこと僧をよひたまひ
たらはたとひおちたりともなをほいにあらずいはんやかなら
すおちむこともかたしさりともこれにてしぬるほとの事は
よも侍らし我をおほさはいくたひもなを此人をよひ
給へつゐにはさりともやみなんとくるしけなるをためらひつゝ
きこえ給ふに民部卿もはゝうへもなみたをなかしつゝあは
れに思ひよせたりおさなきおもひはかりにはをとりてけり
とて又のあたり日僧都をよひてありのまゝに此次第
をかたり給ふかくし奉るへき事に侍らす御ことををろ一
かに思ふにはあらねともかれかなやみわつらひ侍るけしき
をみるに心もほれておほされんこともしらすしろくの
事をうち〳〵に申すをしりて此おさなき者のかく申
侍るなりとなみたをゝしのこひつゝかたり給ふに僧都
もろかにおほされんやはその日ことに信をいたしてなく〳〵
いのり給ひけれはきはやかにおち給ひにけり此君はおさ
なくよりかゝる心をもち給ひて君につかうまへり人に交る
につけてもことにふれつゝなさけふかくゆうなる名をとめ給へ
るなりすへていみしきすき人にて世の湯に心をそめす妹
せの間に愛狐あさき人也けれは後世も罪浅くこそ見えけれ
永秀法師数寄の事
八幡別当頼臣か遠類にて永秀法柳と云者
ありたり家まつしくてこゝろすけりけるかよるひる笛
をふくより外の事なしかしかましさにたへすとなり家
やう〳〵たちさりて後了は人もなくなりにけれとさらに
いたまずさこそまつしけれとおちふれたるふるまひなどは
せさりけれはさすかに人いやむへき事なし頼清き
あはれみてつかひやりてなとかは何事ものたまはせぬ
かやうに侍れはさらぬ人たにことにふれてさのみこそ申
うせ給はる事にて侍れうとくおほすへからすたよりあら
む事ははゝかゝすの給はせよといはせたりけれは返す〳〵
かしこまり侍りとしころも申さはやと思ひなから身のあや
しさにかつはおそれかつははゝかりてまかりすき侍るなり
ふかくのうみ申へき事侍りすみやかにまいりて申侍るへし
といふ何事にかよしなきなさけをかけてうるさき事や
いひかけられんと思へとかの身のほとにはいかはかりの事
かあらんと思ひあるへりて過すほとにあるかた夕くれに
出きたれりすなはち出あひて何事になといふあさからぬ
所望侍るを思ひ給へてまり過侍よし程に一日蔭
おほせをよろこひてさうなくまいにて侍るといふうたかひ
なく所知なとのそむへきなめりと思ひてごれをたつぬ
れは筑紫に御領おほく侍れはかんちくの笛のこと
よろしく侍らんひとつめして給はらむこれ身にとりてきは
まれるのうみにて侍れとあやしの身にはえかたき物にて
とし比えまうけ侍らすといふ思ひの外にいとあはれに
おほえていとくやすき事にこそすみやかにたつねく
してまいるへしそのほか御ようならん事は侍りすや月日
をゝくり給ふらんことも心にくからすこそ侍るにさやうの事
もなとかはうけ給はらさらんといへは御心さしはかしこまり
侍りさのとうれは事かけ侍らす二三月にかくかたひら
ひとつかうけつれは十月まてはさらにのそむところなし
又朝夕の事はをのつからあるにまかせつゝとてもかくて
もすき侍るといふけにすき物によかとあはれにあり
かたくおほえて笛いかきたはねつゝをくりけり又さこそ
いへと月ことの用意なとまめやかなる事ともあはれ
みさたしけれはそれかあるかきりは八幡の楽人よびあ
つめてこれに酒まうけて日くし楽をすうすれは又一
たゝ一人笛ふきてそあかしくしける後には笛のこう
つもりてならひなき上手になりけりかやうならん心
は何につけてかはふかきつみも侍らん
一時光茂光数寄天聴に及ふ事
中比市正時光といふ笙吹ありけり茂光と云ひち
りきしと囲碁をうちておなし声に曩顕楽を
唱歌にしけるかおもしろくおほみけるほとに内よりとみ
の事にて時光をめしけり御つかひいたりて此よしをいふ
にいかにもみゝにもきゝ入ず只もろともにゆるきあひ
てともかくも申さゝりけれは御つかひかくりまいりて此
よしをありのまゝにろうもんすいかなる御いましめかあ
らむと思ふほとにいとあはれなる者ともかなさほとに
楽にめてゝ何事もわするはかり思ふらんこそいとやむ
ことなけれ王位はくちおしき物なりけり行てもえ
きかぬ事とてなみたくみ給へりけれは思ひのほかに
なむありけるこれらを思へば此世の事おもひず亡心
事もすこはことにたよりどなりぬべし
後藤巻六
資日上人和哥を詠して行とする事
中比宝日といふひしりありけり何ことをかつとむる
と人とひけれは三時のおこなひつかうまつるといふかさ
ねていつれの行法そととふにこたへていふやうあろきかは
あけぬなり賀茂の河原にちとりなくけふもむるしく
くれんとすらん日中には
けふも又むまのかひこそふきにけれひつこのあゆみ
ちかつきぬらんくれには
山里の夕くれのかねのこゑことにけふもくれぬこ
きくそかなしき此三しゆのかたををの〳〵時をたかへ
す詠して日ゝに過ゆく事を観し侍るなりとそ
いひけるいとめつかしきおこなひなれと人のこゝろのすゝむ
かたささ〳〵なれはつとめも又一すちならす泪州の
曇融ひしりは橋をわたして浄土のこうとし蒲州
の明康法師は船にさほさしてわうしやうをとけたり
いばんや和歌はよくことはりをきはむがみちなれはごれ
によせて心をすまし世のつねなきを観せんわさ
たよりありぬべしかの恵心のそうつは和歌は綺語
のあやまりとてよみ給はさりけるをあさほうけにはる〳〵
とれうみをなかめ給ひける時かすみわたれる浪の上
に船のかよひけるを見て何にたとへんあさほらけと云
うたを思ひ出ておもふし心にそみ物あはれにおほさ
れけるよりしやうげうと和歌とははやくひとつ也けり
とてそのゝちなんさるへきおり〳〵かならす詠し給ひ
ける又ちかく蓮如といひしひしりは辛子くはうこ
くうの御うた
夜もすからちきりしことをわすれすはこひんなみたの
いろそゆかしきと侍るはかくれ給ひける時御門に御かん
せさせんためとおほしくてちやうのかたひらの程もに
むすひ給ひたりけるうたなりこれを思ひ出てかき
りなくあはれにおほみけれはこゝろにそみつゝ此うたを
詠してはなく〳〵そんせうだらにをよみてそ後世を
とふらふ又なかめてはさきのことく誦すかくしつゝ
よくすからまとろますして冬の夜をそあかしたりけるいみ
しきすき物なりかし大哉資通は琵琶の上手
なり信明大なこんつね給ふの師なりかの人さらによ
のつねの後世のつとめをせすたゝ日ことにぢふつだう
に入てかすをとゝせつゝびわのきよくをひきてそ極
らゝに元かうしけるつとめはこうと心さしとによるわさ
なれはかならすしもこれをあたなりと思ふへきに非す
中にもすきといふは人のましはりをこのます身のしつ
めるをもうれへす花のさきちるをあはれみ月の出入
を思ふにつけてつねにこゝろをすましく世のにこりに
しまぬを事とすれはをめつから生滅のことはりも
一及出候
あかはれみやうりのよしうつきぬへしこれしゆつわげ
だつのかどでに侍るへし保元のころ世に事ありて
崇徳院さぬきにうつたはせ給ひにける後たびの
御すまひあはれにかたしけなき事いひつくすへからす
国のつはものともあき夕御所をうちかこみてたやすく
人もさいりかよはぬよしきこゆれはかの蓮如と云
すきひしりもとよりなさけふかき心にていとかなしく
おほしけれと人つろすこともなかりけりたゝいもうとな
る人のさふらひけるゆかりに御あたりの事をもきゝ
又むかし陪従にて公事つとめける時御かくらなと
のついてにまれにけんさんに入はかりなれはさしも
ふくなせくへきにしもあらねとわさとたゝ一人身つから
笈かけてさぬきへくたりけりゆきつきて見れは御所
のありさまめもあてられすつたへきゝつるよりもけなり
されとせちに内へいらんと思ふ心さしふくてさるへき
ひまやあるとひめもすにうかゝひけれとまもり奉るもの
いとはしたなくとかめて人かくるへくもあらすむなしく日
もくれにけれは月のあかゝりけるに笛をふきてなん
御所をめくりありきけるいかさまにせんとおもふほとに
やゝあかつきにをよひてくろばみたるすいかんはかりうち
かけたる人うちより出たりいとうれしくて此たよりに
御所の中に入てみれは草しけり露ふかくてこと更
人のをもせすいみしう物かなしきにとはかりたちわ
つゝひて板のはしにかきてけんさんにいれよとてあり
つる人になんとらせける
朝くらや木の丸とのに入なから君にしられてかへる
かなしさ此おのこほともなくかへりきてこれを奉れと
侍るといふをとりて月の影にみれは
あさくゝやたゝいたつらにかへすにもつりするあまの
ねをのみうなくとそかゝれたりけるいとかしこく覚えて
これを笈の中にいれつゝなく〳〵かへりのほりにけり
室泊遊君鄭曲を吟して上人に結縁する事
中ころ少将ひしりといふ人ありけり事のたよりあり
及心趣矣也、
とりまのくにむろといふところにとまりたりける夜
月くまなくていとおもしろかりけるに遊君我も〳〵
とうたひゆきちかふあはれなるものゝさまかなとみる程
にある遊女の母このひしりのゝりたる舟をさし
てこきよせけれはかんとりやうの者いなやこれは僧の
御舟なり思ひたかへ給へるかと事の外にいふさみたて
まつる何とてかはさるひかめはみる物かはといひてつゝみ
うちて
くらきよりくらき道にう入ぬへきはるかにてらせ山の
はの月と此こたを二三返はかりうたひてかかるつみふ
かき身となれるもさるへきむくひ侍るへしこの世は
夢にてやみなんとす。かならすすゝひ給ひなんこゝろ
はかりえんをむけひたてまつるなりといひてこぎはな
れにけり思はすあはれにおほえてなみたをおとしたり
と後に人にかたりけり
一乞者の尼単衣を得て寺に奉かする事
あかなま宮つかへんの清水にこもりたりけるつほねの
まへにいろしらばみされほれたる老尼のかけのごとくや
せをとろへたる物をこひありくありけり十月はかりに
きたなけなるやふれかたひら一つきてうへに見のを
きたりけりみる人あないみしのさまや雨もふらぬになと
蓑をきたるそととふこれより外にもちたる物なければ
さむさはさむしすちなくてなとこたふるをあたゝまり
あるへしとこそおほえねとてわらひけりくた物なとくはせ
たれはうちくひてたちけるをいかゝ思ひけんよひかへして
ひとへをなん一つをし出したるよろこひてとりていぬと思
ほとにおなし寺にほうがすゝむるところにゆきてすゝり
こひていとうつくしき手にて此かたをかきつけつゝひとへ
をゝきていつちともなくかくれにけり
かのきしにこきはなれたるあまなれはをしてつくへき
うらももたゝす
郁芳門院の侍郎武蔵野にすむ事
西行法師あつまのかた修行しける時月の夜むさし
愛をすくる事ありけり比は八月十日あまめなれは
ひるのやうなるに花のいろ〳〵露をおひむしのこゑ〳〵
風にたくひつゝこゝろもをよはすはる〳〵と野中に経
のこゑきこゆいとあやしくきくにおとろかれてこゑをた一
つねて行てみれはわつかに一間はかりなるいほりあり萩
をみなへしをかこひにしてすゝきかるかや萩なとをとり
ませつゝうへにはふけりその中にとしたけたるかれこゑに
てほけきやうをつゝりよむいとめつらかにおほみていかなる
人のかくてはととひけれは我はむかし郁芳門院の侍
のおさなりしかかくれさせおはしましゝ後やかてさまをかへ
て人にしかれさらんところにすまむ心さしふかくていつちも
なくさすかへありき侍よしほとにさるへきにやありけん此
花のいろ〳〵をよすかにて野中にとまりすみてをの
つからおほくのとしををくりもとより秋の草をこゝろに
そめし身なれは花なき時はそのあとをしのひ此ころは
色にこゝろをなくさめつゝうれはしき事侍りすといふ
これをきくにありかたくあはれにおほみてなみたをおと
してさま〳〵かたとふさてもいかにしてか月日をゝくり給
そとゝへはおほろけにて里なとにまかり出る事もなし
をのつから人のあはれみをまちて侍れは四五日むなしき
時もあり大かたは此花の中にてけふりたてん事も
一ほいならぬやうにおほとてつねにはあさゆふのさまならす
とそかたりけるいかにこゝろすみけるそうらやましくなん
なん
上東門院の女房深山にすむ事
あるひしりみやこほとりをいとふ心ふかくてすみぬへき所や
あるとたへねありきけるほとに北丹波といふふふかき谷に
いたりてあとたえたる太山のおくのかたに河よりきり花
のからのなれ出たるありいとあやしくていかなる人のいかに
してすむらんとおほつかなさにたつねつゝはるかにわけ入
てみれはかたのやうなる柴のいほりの軒をならへて二
川ありいとめつらかにおほえてちくあゆみよるほとに窓
よりそのかたちともなくくろみをとろへたる人わつかにさし
出て人のけしきを見て引入ぬあはれさ申し物を花
からを谷にちらし給ひてといふをきけはをんなこゑなり
にこれるすゑの世にもかゝるすまひする人はある物かはと
ありかたくおほゆるにもまつなみたおちていかなる人の
かくてはおはしますそ身にたへたるわれらたになをえ
おもひとり侍らぬをいと〳〵けうの御心さしなりやと
さま〳〵かたらへとふつといらへもせす其時いたう恨み
て我身はしか〳〵の者に侍りほたいしんをおこして
世をのかれ身をすてゝ山林にまとひありき侍れは
心おなしきゆへにことに随頓したてまつるうちにも
女の身には事にふれてさはりありかくおほし立けん
ことのかへす〳〵もあはれにたくひなくおほえて侍り
かつはこまかにうけ給はりてわかこゝろをもはけまし侍
らんと思ふなりふかくへたて給へはいとほいならすなんと
こまかにうちくときうらむれはこはかりためらひていふ
やうかくし申さんとも思ひ侍らすとしころこゝにすみ侍
れといまたかくたつね来る人もなきをおもひかけすき
たり給へれはなにとなく心さはきて御いらへもとゝこほり
侍るはかり也われらかありさま申侍らんむかしはたちはか
りの時ふたりおなしやうにて上東門院につかうまつり
て侍りしか世のありさまうつりゆくをみるにもたかき
いやしきかたはしよりかくれ行すへて此世には心もとまゝ
すされはことに優なりしところのならひに色ふかき心
とて事にふれつゝ身もくるしくつみのつもらんことも
おそろしく侍りしかはふたり申あはせて行衛もしらす
はしりかくれにきそのゝちこゝかしこにへつらひ侍りし
かと人のあたりは何事につけてもすみにくゝ心にかなはぬ
事のみ侍りしより思ひかけぬこゝに跡をとゝめて
をのつからおほくのとし月をへたり花のちり葉のいろ
つくを見て春秋のへぬることをかくふれは四十余年
になむなりぬるすみそめ侍りし比はあらしもはけし
くはかなき鳥けた物のはけしきまてもけうとき
こゝちしてこと〳〵たへしのふへくもあらさりしかと今
は住なれてたまさかにたち出たる時もこゝをすみかと
いそきかへりまうてくれはさるへかりける事とあはれに
侍るなりなにとならはせる事にかいける数とて雲
風に身をまかせてもえなけれはひとり〳〵かはりて
十五日つゝ里に出ていま一人をやしなふわさをなん
し侍りこのならへる廬のうちにまとをあげてわつか
にとふらひ侍るをたよりにてたゝあけくれは念仏し
侍るなりとまめやかしくあてなるけはひにてかたりまし
きをもおほえす袖をしほりつゝ一仏浄土の契り
をむすひてかへりぬ又そのゝちあさのころもときれと
なとよういして尋ねゆきたりけれはいほりのあとはさな
から行かたもしらすかくれにけり人のこゝろおなしかゝねは
そのおこなひさま〳〵なれと女の身にてかゝるすまゐ
思ひたちけんおほろけの道心にはあらさるへし今此
事をおもふにけからはしくあたなる身を山林のあひた
にやとしいのちをほとけにまかせたてまへりてしやう〴〵
ふ古いの身をえんことはけに心からによるへき行なり
しつかに過ぬる事を思へはりんゑしやうしのありさま
かきりもなしほとりもなし一人か一こうをふるあひたに
身をすてたるかはねもしくちすしてつもらは眺昌羅
の山のことくならんといへり一こうなをかくのことしいはんや
むりやうこうをや其ほともろ〳〵のうじやうひとつとして
うけさる身なく苦といひ楽といひ事としてへさる
事なしさためて仏の出世にもあひぼさつのけう
けにもあつかりけんしかあれとたのしみをうけたる時は
たのしみにふけりてわすれくはしみにあへる時にはくる
しみをうれへてをこたり故に今なをぼんふのつた
なき身としてしゆつりの期をしらさるなり過去の
をろかなる事を思ふにみらいも又かくのことくこそ大かた
諸仏ほさつと申も本はみな凡夫なりわれらかちく
はゝともなりさいしけんぞくともたかひになりたまひけん
されとかれはかしこくつとめおとなひてすてに三かいを
出給へり我らは信なく行なかりしかはしやうじのすもり
としてむかしのけちえのゆへにわつかに御名をきゝちか
ひをあふくことをえたり今さははひにかたならへたる
人のつとめおこなひて生死をはなれんにも又をくれ
なんとすそも〳〵ほとけになる事はしやくそんのわうごを
さけは三そうぎ百大こうかあひたあるひはむりやうあ
そうぎこうをます〳〵行し給ふともとけりその時節
のはるゝなるのみにあらすしび大わうとしくは鳩にか
はりさつたわうじとしては虎に身をなぐかくのことく
なんぎやうくぎやうして仏身を得給へり行をし
ていつれのところをねかふへしと思ふに過去にへて
すぎにし天上のたのしみ何にかはせんたしやうをへ
たつれはとをきえんを期するにあちきなしたゝ此
たひいかにもして不退の土にいたりてやう〳〵すゝみて
つゐにぼたいにいたゝん事をはげむへきなりしかるを
かの極らくせかいねかはゝむまれぬへしそのゆへは本
願に云く我ほとけをえたゝんに十方のしゆじやう
心をいたして信楽してわか国にむまれんとねかひて
ないし十念せんにむまれずといはゝ正覚をとらしと
ちかひ給へり下ぼん下しやうの人をとくには四ぢう五
ぎやくをつゝるあく人なれともいのちをはる時善知識
のすゝめにあひてすたひ南無阿弥陀仏と申せは
猛火たちま地にきえてはちすのうてなにのほるととけり
あるひは極重悪人無他方便唯称弥陀得生彼国
ともいひ又若有重業障無生浄土因乗弥陀願力
必生安楽国とも其佛本願力間名欲往生皆
悉到彼国自致不退転ともとけりこれらの説の
ことくはわれらるらいしやうじのつたなきほんふなりたち
まちにふたいのじやうとにむまれかたしとひげすへから
すしやばとこくらくとえんふかへ弥泣とわれらと契り
ひさしきかゆへにほとけのふしきじんづうはうべんをもて
くはうこうの勤修を一日七日の行につゝめ六度万行
を一念十念のせうみやうにかうふらしめてはやくふたい
にいたりやすくすみやかにほたいをうへきみちをたしへ給へ
りまことに多百千刧のくぎやうほとけの御ためには
何かせんたゝしはゝくの念仏のみそそのほんぐはんにいへか
まへるわれほとけを念すれはほとけ我をてらし給ふ
ほとけ我をてゝし給へはもろ〳〵のつみこと〳〵くせうめへして
わうしやうする事うたかはすかの聖相をみぬはあく
こうのまなこのとがなり大悲そむく事なしめつざいう
たかふへからすしかれは身つからかはげみにはかたかるへけれは
一ほとけのふきの形力にぜうずるかゆへにすみやかに
いたりことをうるなりこれ十佳毘婆娑論にいへる陰
地と船路とのたとへのことしいかにいはんやしゆくぜんすで
にあらはれてあひかたき仏法にあへりうえんのひぐはんを
きくに又機感のいたれる事をしり又つみふかけれとい
また五ぎやくをつくらずしんあさけれとたれか十念を
となへさらん時はこれ弥陀りもつのさかりところはまた
大ぜうるふの国なりさかしをろかなるをいはす道俗
をえらはすざいほうをほどこせよともとかす身命を
なすよとものたまはすたゝねんころに弥陀のひくはんを
たのみ口にみやうかうをとなへ心にわうじやうをねかふ事
ふかくは十人なからかならす極楽にむまるへきなりそれ
もろ〳〵の道理をまもりてぜひすともうえんのわれら
かためにおこし給へる大ひのべちくかむなれは法相にもた
かひ因果のことはりにもそむけり思ひの外のよろこひ
なるへしあふきてしんせすはあるへからす経にとけるか
ことくはわれら弥陀仏を念しくほとけのくはんりきに
せうしてかならす極楽に生るへきことを六方恒沙
のもろ〳〵のほとけしたをのへく三千かいにおほひて
これまことなりと語明し給ふほとげとほとけとは何の
おほつかなき事かはおはしますたゝわれらかうたかひを
なゝんかためにより侍らめ乞夫のならひ我も人も此
世の事にのみうつりてさらにいとふ事なく身は世の
ちりにのみぢやくしてもろ〳〵のつみをつくりて弥陀の
ちかひのありかたく極らくのまうてやすき事をきけて
信するともなしうたかふともなし見ゝにもいらすこゝろに
そますねかふ心なけれは又つとむる事もなし一期覚
のことくにすぎなは三途まなこのまへにきたるへしされは
四十八願荘厳浄土華池宝閣易佳無人とも
侍るにこそすへていきとしいける物の中に人のさとりこと
にすくれそらをかけるつばさ海にすむうろくすこれを
うるにかたからす水をきりうみをわたるけた物をした
かへて家にゆく蚕をかひてきぬをゝりまかねをとき
てうつは物をいるまてもことにふれ物にしたかひて
いつれか凡夫のしわさとおほゆるしかあれとめのまへに
無常を見なから日ゝに死期のちかつく事をおそれ
ぬ事は智者もなし賢人もなしおひか死するのみに
あらすわかきも又しすけふは人のうへあすは身のうへ
なる無常をさとらぬは此ふかきむみやうの酒にゑひ
ぢやうやのやみにまよへりなりはやく此ことはりをとき
てあたなるのこりの今をたのますはなれやすきをん
あいのきつなにつなかれすして此たひ頭燈をからふ
かことく喉のかはけるに水をのむかことくにねかふへし
手をむなしくしてかへる事なかれたゝし諸行はしゆく
しうによりてすゝむみつからつとめて狐して他の行を
そしるへからす一筆一番一文一句みな西方にゑ
かうせはおなしく往生のごうとなるへし水はみぞをた
つねてなかるさらに草の露木のしるをきらふ事なし
善は心にしたかひておもむくいつれの行か広大の顔
海にいらさゝんや
恵心僧都空也上人に謁する事
恵心僧都そのかみ空也上人見奉らんとてたつねきたり
給へることありとしたけとくたかくしてたゝ人ともおほえすいと
たうとく見え給けれは後生の事申出し極楽をねかふ心
ふかく侍り往生はとけ侍りなんやとたつね給けれは我はむ
ちの者也いかてさやうの事をことはり侍らんたゝし知り者の
申侍りしことをきゝてこれをあんするになとかは生ぜさらん
其故は人六行観を修して上界の定をえむと思時
下地は麁也苦なり障なり上地は静なり妙なり
離なりといふ事を供して下地のいやしきさまをいとひ
上地の妙なる事をねかへはその観念のちからにて次第
にすゝみて悲想非々想まていたるへしといへりしかれは
西方の行人も又おなし事なりちゑぎやうとくなくとも
穢土をいとひ浄土をねかふ心さしふかくはなとか往生
をとげさらんとのたまひけれは僧都これをきゝてま
ことにことはりきはまり侍りとて涙をなかしたにこゝろを
合せて帰給ひにけりさて往生要集を撰じ給ひ
けるに其事を思ひて猷離織土欣求浄土を先
とし給ひけるとかや
府労組組
長明発心集七
発心集第七目録
●氏
文庫
一空也上人衣を脱て松尾大明神に奉る事
一中将雅通法華経を持て往生の事
一賀茂の女常住仏性の四字を持て往生の事
一太子の御墓覚能上人管絃を好事
一賢人右府白髪を見事
一三井寺僧夢に貪報を見事
一道寂上人長谷に詣て道心を祈事
一恵心僧都母の心にしたかひ遁世の事
一阿闍梨実印大仏供養の時滅罪事
一源親元普念仏を勧往生の事
一心戒上人跡をとゝめさる事
一斉所権介成清子高野に任事
発心集第七
空也上人衣をぬきて松丸大明神に奉る事
空也上人雲林院にすみ給ひける比七月はかりに京
になすへき事ありてあさかけに大宮おふちをみなみ
さまへおはしけるにおほがきのほとりに例人とは覚えぬ
人のさしあへりけるかいみしく寒をうらみたるけしきに
て見えけれは上人あやしくてたちとまりていかなる人にてま
しませはかくあつきほとにさむげにおはするそと問給ふ
此人のたまふやう空せ上人とは御ことを申にや日よつ
よりあひたてまつりてうれへ申さんと思ひつるにいとうれ
しく侍りをのれは松尾の大明神なりまうざうてん
だうのあゝしはげしくあくごうぼんなふの霜あつく侍る
あひたかくさむへたへかたきなりもし法花のほつせをえ
せしめ給はんやとの給ふひしりいとかたしけなくあはれに
おほしてうけたまはり侍りぬたし社にまうてゝほう
せし奉らん此をのれかしたにきて侍る小袖は此四
十よ年おきふしたちゐほけきやうをまみしめて侍る
衣なりあかづきていとかたしけなき事には侍へれと
これをたてまつらんと申給ひけれはよろこひてき給ひ
て今はこの頃花のころもをきていとあたゝかに成たり
これより後はぶつたうなり給はんまてまもりたてまつ
らんとてひしりをふしおかみてさり給ひぬこれ大通
智勝仏のすいしやくにておいしますへし国をたすけ仏
法をまもらんかためにあとをたれ給へは上人のとくをに
うとみて法施をうけ給ふしかるにふるき小袖をそ
てまへり給ひける心のたけこそなをありかたく侍へれ
そも〳〵天慶よりさきは日本に念仏の行まれ
なりけるかこのひしりのすゝめによりて人こそりて念
仏を申事になれりつねにあみたをとるへてありき
給ひけれは世の人これをあみたひしりといふある時は
市の中に住してもろ〳〵の仏事をすゝめ給ふに
よりて市のひしりともきこゆすへてはしなきところ
には橋をわたし井なへして水ともしき郷にはゐ
をほり給ひにけりこれをわか国の念仏のそしと
申へしすなはちほけきやうと念仏とを極楽の業
として往生をとけ給へるよし見えたり
一中将雅通法華経をたもちて往生の事
中ころ左中将まさみちといふ人ありけりこゝろうる
はしくてわかきよりほけきやうをよみたてすつりけり
ことに提婆品をしんして毎日十廿へんこれを
よむしかれとも世につかへ人にましはるあひた心ならす
かりすなとりしもろ〳〵のあくこうをつくりつねはかの
浄心信敬不生疑惑者のもんを口つけことくさ
とせりいのちをはる時おなしく此文をとなへさま〳〵の
ヘ及ひ集二十一
不発心奪者共
すいさうをあらはしてわうしやううたかひなきよしひろう
しけり道雅朝臣さらに此ことをもちひす殺生を
このみ世路をわしりつる人いかゝわうしやうせんといふ
ほとにこしへて後六はらみつ寺へまいりてしのひて
ちやうもんするあひたに車のまへに一人の尼ありて
をのかどちかたりていはくとし比往生をねかへとも身
まつしくして善根をなすちからなしあさ夕これを
なけくほとにすきぬる夜の夢にみるやう一人の
僧ありてつけていはくなんちなけく事なかれ只
心うるはしくして念仏する者はかならすこくらくに
むまるくなりちかくは中将雅通朝臣心うるはし
くしてほけきやうをたもつかゆへにその外のせん
こんなまれともすてにわうしやうをとけたりと語
公道雅つふさにこれをきゝてそのゝち信したり
けりたゝいつれの行なりともこゝろうるはしくして
そのうへに願をおこしこうをつむへきにこそある
伝記に云もろこしに弁州といふ国ありかの国の
人は七八さいより道心ありて念仏を申ておほく
こくらくにむまる其中に僧延法師といふ者あり
これか思ふやうかならすしも念仏してのみやはこく
らくにむまるへき千部の経をよむ百部になる
夜の夢にわか左右のわきより羽のおひそとび
ぬへくおほえけれはあやしくてこれをみるにほけきやうの
もじのこと〳〵くつはさにおひたるなりけれはあはれに
たうとく覚えて心にこくらくへとひまいらんと思ふに
西をさしてとひゆくほとにすなはち思ひのことく
まいりつきぬ七ぢうほうじゆのもとにとひおりたる
あひた此はねにおひたる字六万九千余の仏に
なり給ひてみなことくくひかりをはなちて阿弥陀
仏をゐねうしてなみゐ給へりこれを見たてまつる
にいよ〳〵たうとくかたしけなくおほえてなみたを
なかす事かきりなしあみた仏のたまふやう此仏
たちはみななんちかよみ奉るほをきやうの文字て
おはしますしるをなんち極らくをねかふしやはにかへ
りて千部の願をはたしてもろ〳〵の衆生をゝしへ
て此経をたもたしめよとのたまふこれをうけ給りて
かへらんとする時又此おほくのほとけかへりてもとのことく
つはさとなり給ひぬとふことさきのことし僧延ゆめ
さめてなみたおさへかたくして五たいを地になけて
夢中に見たてまつるほとけたちをおかみふかき心を
おこして此経をよみたてまつるとなん又云もろこし
に恵超禅師といふ人ありほけきやうに心さしふかく
してとし比よみたてまつるほとにやこうつもりて後
いつくよりきたるともなく小法師ひとり出つかはれけり
此にほうし心かしてさとりありていまたいはさることを
もしり思ふこゝろをもをしはるもろ〳〵の事にちから
しくてこれをつかふにいさゝかも心にたかふことなかりけ
れは又なき物に思ひてすきけるほとに此恵超事
のたよりに真言のをしへすくれたる事をきゝて思
やうほけきやうは八巻をよみたてまつるもわつらはしき
に真言はもしはすくなくて義理はしん〳〵なれはらみ
やすくしてくとくはよくすくれ給へりと思ひてほけ経を
おさめてひたすら真言をならひて胎蔵界をお
こなふ其時に日比つかへつる小ほうしかきけつやう
にうせぬいたらぬくまなくたくねもとむれともさらに
ゆきかたをしらす恵趣これをなけきて寝たりける
夜の夢にかの小ほうしきたりていはく我まことには
地さうほさつなり汝ほけきやうにこうをいれたる事
たうとくおほえて日ころつかへつれとも今はその心さしを
あらためて真言をならふ事ほいなけれはさりぬるなり
とあたまふとなん見たりけるこれかならすしんこんのけろ
かなるにはあらすかつはこうをいれたる行をすてたる
あやまりをとかめ給へるなりそも〳〵釈尊は一期の
けえんつきて涅槃に入給ひしか此きやう生身に
かはりてあまねく衆生せどし給ふ我はまよひも
たえすさとりもなきはゝぢのぼんふとしてむりやう
うに名をたにきかぬびやうどう大ゑの教門にあへり
又他の事にあらす夜尊むえんの大悲無作の勢へ
くはんによりて我らか道心すくなしといへとも岩にも
木にもあらすいかて此広大のをんどくをほうじたて
まつゝんたく此経一文一句をもじゆちとくしゆして
これをもつて仏恩をほうせんとすへしその故はほ
とけは三かいどくそんとしてしさいじんづうをえ給へり
何物かともしき何事か御こゝろにかなはさらんたゝ我
らか生死のうみのそこにしつみうかふ世もなきを
一子の御あはれにうむとなくてかなしみ給はかり也
まことにねんころなる御なけきにてこそ侍しめかゝれ
は衆生一人かとくたうする事はくわうごうたしやう
の御大事はう〳〵のはうへんをめくらししゆ〳〵の
身をげんしてえんをむすはんとつきせすかまへいと
なみ給ふなるへししかるを此経のほつしほんに
一偈一句なりともよみたもちかきくやうし奉らん
人はみなほとけになるへしとしゆきし給へり又にやく
ざんぢしやがそくくはんぎなとゝもとき給へりこれをき
けはわか身のためたのもしきのみならすほとけの御心を
よろこはしめたてまつらん事いみしきようにて侍りなり
孝経といふ文には人の子のくせかたはなくてむまれ
たるは孝のはしめなりといへりむまるゝ子のこゝろよち
おこゝぬ事なれとも父母をころこはしむるはけうやうにて
侍るなりしかれは湯財をなげてくやうしたてまつら也
こそまつしくてはちかゝ及はすともいはめかくひろまり給
経たもち奉らんかたらへき事かは全部つうり
文々げしやくせよともとかずどんとんむちなりともひ
けすへからす世に師おほけれは千ざいつかうるわつら
ひもあるまし五しゆの行まち〳〵なり行もこのみに
したかひてもしは一偈一句なりともえんをむすひ
奉らん事はさすかに易行そかしされとならひよ
まねはよまでそある一偈をたもちたてまつる人は
これすなはち供心はすくなくて仏説をうたかひ見
聞はふかくてみせうの折と人めをはつるなるへしこれ
きはめてをろかなることなりたゝ一文一句なりとも
かはけるに水をのむかことくあひかたくきゝかたき思ひ
をなして縁をむすひたてまつるへしちかきころの
事にやある智者のおちふれて子なとあまたもち
たる有けり児むまれて物いふほとになりぬれはさた
まれる事にてかならすほけきやうの首題の字を
をしへてかたのやうなれとこれをとなへさす四つ五つ
にもなりぬれはたふるにしたかひて一品一巻まて
も一句つゝ口まれをしてよさせけり人そのゆへを
とひけれは此経はほとけ出世の本懐なり此子
とも若いのちみしかくていとけなくてしする事もあらは
何をかは人かいにむまれたるしるしとせんまことにたからの
山に入てむなしく出るかことしかゝれはいそきえんをむ
すはするなりとそいひける大かたさるへき見物なとの
時見てもさりあへす人のあつまれるをみる時は人界
のむまれかたき事もおほえねとまことには又戒全
たもちてむまるといへはいとかたかるへき事にこそあれ
今の世の人をみれは一戒なをたもちかたしいはんや又
五戒をやたゝあさ夕三悪道のこうをのみつくるかこれと
さすか人のさねもたえぬ事はたゝ此経のひろまれる
故なりほうたう品に此経難持若暫持者乃至
是名持戒と云々此心はしはしもこの経をたもつ者
は破戒なれと持戒なりといふなりまことにたのもしき
事なりたゝし若しはゝくも信心ふかくてたもつへく
はそれもかたくや思ふへきにおなし文のつゝきに是則勇猛
是則精進とあれはこゝろゆるくけだいならん人のために
とかれたる文と見えたりすへてはにこりふかきすゑの世に
此経をさなからつうりする人はおほろけのしゆくぜんとは
おほえす現身にその語をもへりんじうにずいさうも
あらはるへけれともかならすしもしからす此世には持経者
はおほくてその行儀とゝのをりかたし又ことなるしるし
もなし人のしんをおこさぬもこれよりおとる事なり実
いとあやしきをよく思へは世々にちぐしたてまつるちからにて
むちもんまうなる人もをのつから通利す生ゝにみやう
りのためにしてまことの心をおこさゝるゆへしやうしにも
とゝまちその威儀もかけたるなめりとのみおほえ侍る
さりとてゆめ〳〵これをかろしむへからす金は藁につゝめり
とてもあたひすくなからすいはんや過去のけちえんと
尽未来のとくだうもつてけるへき故なり
賀茂の女常住仏性の四字を持て往生の事
中ころ賀茂女といふ歌よみ事にふれて名たかき人
ありけり賀茂の保憲かまご二条関白家の女房なり
後には尼になりて名をは妙とそいひけるふかき道心者
なりけれはことに動する事なしたゝよのつねには常注
仏性といふ四字をたかゐおきふしのことくさにしけりか
つゐにをはり思ひのことくにてわうしやうをとけたるよし伝
に見えたりこれは涅槃経のかんじんにてめてたきこと
はりなれと往生こくらくのつとめにはたかひてそ侍るされと
宿習にしたかひゑかうによる事なれは凡下の是非
すへきにはあらさるなり又ある傳記にいはくむかし楊州
に人ありて云常住をきゝつる者はかならす悪道に
おちすといふひとりの居士これをうたかひあさけりて云
此涅槃経をみなこと〳〵く聞たりともぢうざいをつくり
てはのかれかたしいはんやわつかに二字をみゝにふれたらん
人をや此事もちひられすといひてさりぬそのゝち此居士
いのちをはりて閻王のまへにめしすへられたりける時閻羅
人この事をかんかへ出すなんちは大乗ひはうのものなり
すみやかに地こくへつかはすへしとさたむ居士これを聞
て云ひはうの罪をかうふらんは此経ゆへなるへししからは
又二字をみゝにふれたるくとくむなしかゝんやといふその時
空中にひかりあり光の中にこゑありてとなへて云若信
若不信纔間常住字不堕悪即生不動因となふ
えんら人これをきゝてしんがうしてさい人をゆるすといへ
りすへくは法花も涅槃も信するも信せさるも法の
妙なるは耳にふれ口にとなへ有智無智をわかたす
みな浄土のごうとなれりたとへはせんだんはわつかに
ふるれともにほひふかくつるきは功能をしらされ共
物としてきれさる事なきかことしかねては又やまと
もろこしの伝記のことくはたとひ行をろかなりと
いへともゑかうしん〳〵なれはみなそのねかひをとく
いはゆる橋をわたし道をつくり船にさほさし施
を行じもろ〳〵の歓喜これなりすなはちしゆ
しやうのもろ〳〵の行はしめみゝにふれしより
心にすゝみここをつみさとりをうるまてこと〳〵く前
世のしゆくしうによりてこのむところひとつならさる
第一番組
ゆへなりかのわしゆみつたかおとこをちかつけ祇陀太
子の酒をたしみ天しゆぼだいか過差をこのみめん
わう比丘か無相はなはたかりしみなかいりつにそむけ
るににたれとも釈尊これをかなしみ給はさりし
にてこゝろうへし弥陀の化儀も又おなしあきら
けく衆しやうのしゆくしう心さしひき〳〵すゝみを
くれたる事をしろしめして兵う大のせいくはんをお
こし給ふすなはち極らくに九品をまうけ有智直
行をはしめとし十あく五きやくにいたるまてももらし
給はす念仏どくきやうをもとゝしてはかなきあ
そひたはふれまてもみなんによりゑかうにしたかひ
てこと〳〵くいんぜうし給しかるを今の世のきやう者
たかひに他の行をそしり智恵のあさきふかきを
あらろふほとに我執偏増にしてやゝもすれは仏
教のおもむきにそむきてひとへなるへき西方の
ごうの中にへたてをなしなつかしかるへきおなしの
そみの中に竟趣をふくむ此事のをろかなる心
によしなくおほえ侍るなり大かた凡夫のならひ我
こゝろなをわか心にかなはすいはんや人のこゝろをや
せんはたゝ身つからはからひ身つかつとめてむじやうの
せつきの来らさらんさきに出離のこうをはけむへ
しよしなきうたかふ者にあひてあたらいとまにろん
ぎをこのむ事よしなくおほえ侍るなり
太子の御墓覚取上人管絃を好む事
太子の御はかに覚能といふひしりありけり音楽を
このむ事よのつねならすあさ夕にいとなむ事とては
板のはしにておかしけに琴びわのかたをつくりて馬
の尾をかけてひきならし竹をきりて笛のかたにゑり
てこれをふきつゝ興にいりゆけしていはくほさつ聖
衆の楽のをといかにめてたからんといひてなみたをお
としけりつねのいとなみにてかくのみつくりをきたれは
ゐたるあたりにはうちゝまておほくみゆるををのつから
わらはへなとの手すさひにとりうしなひければさすかに
腹のあしきくせまてのゝしりけり此ひしりとしへてのち
りんしう思ひのことく楽の声みゝにきこえてをはり
にけりそのゝちむなしきからひさしくみたれそんする
事もなかりけるをあたりの人いとゝほとけのことく
たうとみあつまりけるほゝに四十九日といふにその身
いつちともなくうせて見えす成にけり此五十年はかり
かさきの事なれはとしたかき人なとは見たるもや有
らん管弦も浄土のごうとしんする人のためには往
生の業となれり今の世に徳たかくきこゆるひしり
あり人たいめんのついてにその行をとふ何わさをつ
とめとしていつれのところをねかひ給ふそとたつねけれ
はさらにいつくともさしくねかふ所なしたゝほとけなせそ
といましめ給ひしことば◦せじと忍ひてすゝめ給ふわさを
は心のをよふほとはつとめはやとはけみ侍れはほとけこそ
はからひていつとへもつかひ給はめほとけの御心にかな
はん事もしらすいかゝおほけなくこゝかしこと願ひ侍
らんとそこたへられける此心たての仏意に叶ひける
にやをはりめてたくてゐなからいきたえにけり印をむ
すひたりける手二三日はだらかさりけるとそなへての
きには大きなるくとくあれとも顧なけれはしやうじゆ
する事かたしたとへは牛のちからあれともやる人なけれ
は思ふかたへいたゝさるかことしといへりされと人のおもひ
さま〳〵なれは一すちに思ひとりてほとけの御はから
ひをあふかむ事もいとたうとし
中ころさへかしこきはかせありけりおもきやまひをうけ
てかきりなる時善知識きたりて念仏すゝむるに
さらにたゝとし比の余執なれはこゝろなを風月に
のみそみていと思ひもいれぬさまなりけれは此僧思
ひはかりある人にやありけん念仏のすゝめをとゝめ
てとはかりこれかこのむところの事をあいしらふこゝ
ろゆきてさもと思へるけしきを見ていふやうさても
とし比おほく秀句をつくりいみしき名文ともを書
とめ給へるに極楽の賦といふ物をかゝてやみ給ひ
ぬる口おしき事なり世間の美景すてかたき事
おほかりまして浄土のかさりいかにふぜいおほからんと
いひ出したりけり思ひしめたることなれは極楽の元と
こと〳〵くみるやうにおもかけにたちて心をすゝむるたよ
りになりて念仏し思ひのことくしてをはりにけり
臨終のせんちしきはよく〳〵心をしるへきことなり此
事をは保胤入道とそある人かたりしかとかれは
無極の道心者なれはりんしうに他念ましはり
けんことけにともおほえす
吉田斎宮と申人おはしけり御悩おもくして
かきりになり給ひける時大原の薬忍上人せん
ちしきにまいりて念仏すゝめたてまつりけるほとに
御けうきことの外にすくよりにてさま〳〵のようもん
をとなへてめてたくをはり給ひにけりその時まちかく
さふらふ人〳〵なみたおとしてたうとみ奉る上人いか。
思はれけん念誦してうちねふりてはやくたちさらん
ともせすたれもあやしく思ふ程にとはかりありて
いき出給ひにけりさて二時はかりすきてさきの御
けしきにはにすいとよは〳〵しきさまにてひきいり
給ひにけりこれこそまことの御りんしうよさて御あり
さまけに〳〵しからすとて出られけれはひしりのとく
にそいひける魔のかまへたるにこそかやうの事よく
心得へきなり
又ある人やまひかきりなりける時せんちしきそひ
ゐて念仏をすゝめけれといと申さすいふかひなき
さまなりけれは耳もきかぬによりとてみゝにさし
あてゝ高聲になん申けるすてにと見えけれと
そのたひはやみいきて後にかたりけるは耳にたかく
申入つる念仏のこゑ五たいにこたへてたへかたく
おほしつるほとに何の往生極楽の事をもお
ほえすとそかたりけるこれはかならすあるへき事
なれはよういのために記す
賢人右府白髪を見る事
小野宮の右大臣をは世の人賢人のおとゝとそ
いひける納言なとにておはしげるころにやありせん
内より出給ふにうつこともなく夢ともなく車のしり
にしらはみたる物きたるちいさきおとこの見しともおほ
えぬかはやらかにあゆみてくれはあやしくめをかけて
見給ふほとに此男はしりつきてうしろのすたれを
もちあくるにこゝろえかたくてなに物そびんなしまかり
のけとのたまふに閻王の御つかひ白髪丸にて
侍るといひてすなはちくるまにをとり乗てかうふり
のうへにのほりてうせぬいとあやしくおほみてかへり給ふ
日
龍
曲
囲
まゝに見やり給へは白髪をそ一すち見いたし給い
たりける世の人いふ事なれとまさしくしようをみて
心にあはれとおほされけるにやもとは道心なとおは
せさりけるかこれより後世のつとめなと一ねにし給
ひけるとそ
三井寺の僧夢に貪報を見る事
中比三ゐてらにわりなくまつしき僧ありけりねんし
わひておもふやうかく所縁のなきなめりかくしも思
事のたかふへきかは我ほかへゆきてすくせをも心みんと
思ひてひりなとは旅すかたもあやしけれはあかつき
出たつほとに夜ふておきみちのほともわつらはしかる
へしとてしはしよりふしたる夢にいろあをみやせをとろ
へたる冠者のわひしけなる我とおなしやうにわらくつ
はきなと用意しいみしう出たつありさき〳〵もみえぬ
者なれはあやしくてをのれは何ものそととふとし比
さふらふ者なりいつもはなれたてまつらぬ身なれは御
とも申候はんとて出たち侍るといふ僧のいふやうさる
物やはある名をは何といふうととへは人〳〵しき身なら
ねは異名侍りたゝうちみる人は貪報の冠者と
なん申侍るといふと見て夢さめぬれはすなはちもの
つたなきすくせをしりいつくへ行とも此冠者かそひ
たらんにはと思ひてほかこゝろあらためてあやしな
からもとの寺にそすみける是又しもあるへき事なれと
人ことに夢にもみねは宿世のほとをもしらすいゝはく
もあるましき身のあたらいとまに後世のことをさし
をきてまつもしや〳〵とはしりもとめ心をつくすな
るへし仏天のちけんこそいとはつかしく侍れ
道寂上人長谷に詣て道心を祈る事
元興寺に伊賀のひしり道寂といふ人有けり
いんぐはのことはりにくらからさりけれはふかく仏道を思へり
としわかへて長谷にまはりて道心をいのりたてまつり
けり夢中に僧ありてしめしていはく道心は体なし
たゝかくのこときの心を道心といふとのたまふとそ見
たりけるすなはち世をのかれかしらおろしところ〳〵
修行しけり後にはあすか寺のほとりにいほりを
むすひ坐禅念仏してさしたるつとめとては小あね
陀経一へんをよみけりこれおなしく往生をとけ
たりけり
恵心僧都母の心にしたかひ遁世の事
恵心僧都としたかくわりなき母をもち給ひけり
こゝろさしはふかゝりけれとも事もかなはねはおもふ
はかりにてけうやうすることもなくてすき給ひける
ほとにしかるへきところに仏事しける導師に道
せられてふせなとおほくとり給ひたれはいとうれし
くてすなはちはゝのもとへあひくしてわたり給へり此母
世のわたらひたえくしきさまなりいかによろこはれんと
思ふほとにこれをうち見てうちうしろむきてさめ〳〵
となかめいと心えすもしうれしさのあまりかとおもふ
あひたにとはかりありてはゝのいふやうほうし子を
もちてはわか後世をたすけらるへき事とこそとし
ころはたのもしくて過しかまのあたりかかる地こくの
こうをみるへき事かは夢にも思はさりきといひも
やらすなきにけりこれをきゝて僧都発心して
とんせいせられけりありかたかりける母の心なり
阿闍梨実印大仏供養の時滅罪の事
ひとゝせ東大寺の大仏くやうの時田舎の人名
残りなくまいりあつまりける比かのくはんしんのひしり
夢に見けるやう一人の高僧きたりてつけて云く
此きせんだうぞくかすしらすまいりあつまる中に
大夫あしやりしちいんといふ僧の無始のさいしやうこ
と〳〵く滅するなりとの給ふいとたうとくおほえて
しか〳〵いふ人やあるとたへねさするほとにをのつからたつ
ねあひにけりすなはち此事をかたりてさてもいか程
のことをつとめ給ふそいと〳〵おほつかなくなといひけれ
はさら〳〵つかまつる事なしたゝ御まへにさふらひし時
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
つねよりも信おこりて侍りしかは他念なくしてなく
なくなみたをおさへて理趣分をこそ一へんよみ
侍りしかとこたへけれ
源親元普く念仏をすゝめ往生の事
中ころ安房のかみみなもとのちりもとゝいふ人有ける
つねにさきの世のつみをくゐてあさ夕極らくをね
ふ事あさからすけひはしにてありけるあひた麹を
おこなひつみをなため人をたすくる事おほしつゐ
にひかし山のほとりに堂をつくりてあみたの三尊
をあんちす其うへにひとりの比丘のかたちをつくり
すへてその名を阿法とう一けたりけるこれわか出
家したゝん時の名なるへし安房守になりて
下りける時任のとしめなれとさらに神事をさき
とせすたゝ仏事をのみつとめけり国をおさめける
あひたかしこに五間の堂をつくりちやう六の阿
弥陀仏をあんちせり国中の民にあまねく念仏
をすゝめて遍数にしたかひて官物を整るす
石別に十万へんをそあてたりけるもし科犯の者
あれは念仏するものをはゑらひてかならす。ゆるす
国の内ゆたかにして民百性なひきしたかへりあき
夕に念仏申こゑの家ことにたゆる事なし後には
となりの国まてきゝつたへてかつはうらやみかつはたう
とふ任はてゝのほりける時民のうれふるさまちゝはゝに
わかれたるやうにそありけるつゐに東へいゝすして三
井寺にて出家すをはりちかくなにてはみめうの
音楽みゝにきこえさま〳〵すいさうあらはれてわう
しやうをとけたるよし伝にしるせり
心戒上人跡をとゝめさるもし
ちかく心武坊とてゐところもさためす雲風にあと
をまかせたるひしりあり俗性は花園殿の御
すゑとかや八しまのおとゝの子にして宗親とく
阿波守になされたりし人なるへしそのかみはいかなる
心かありけん平家ほろひく世の中目のまへに
あとかたなくあたなりしに心をおこしくもとより
世をそむける仏性坊といふひしりにあひとも
なびてかうやにこもりゐてとし久しくおこなはれ
けり其後大仏のひしりもろこしへわたりにける
たよりにつきてわたるかの国にとし比ありて行ひ
けるありさまも世のつねの事にあらすひとへに
身命をおしますある時は樹下坐禅とて同
行三人くしてふかき山に入て草ひきむすふ
ほとのよういもなくてひとへに雨露に身をま
かせつゝ四五十日とおこなひけれは今二人はえ
たへすしてすてゝ出にけりとそそのゝち此国へかへ一
りてみやこあたりは事にふれてすみにくしとて
ゑひすかあくろつかるつほのいしふみなといふかたに
のみすまれけるとかやいもうとあまたおはしけるに
天王寺に理圓坊とてすみ給ふはむかし建礼卿
院に八條殿ときてし人なるへしかのひしり
のありさま山林にまとひきて跡をもとめすさと
はかりほの〳〵きこゆれとちかきころはたいめんなと
せらるゝたよりもなけれははかておはすらむしらす
ひたすらむかしかたりにすき給ひけるに此二三
年かさきに思ひよらぬほとによにゆゝしけなり
人いりきたるありわらんへあまたしりにたちてもの
くるひとわらひのゝしるそのさまをみれは人にもあら
すやせくろみたる法師かみきぬのきたなけにはら〳〵
とやふれたるうへにあさのころものこゝかしこむすひあつ
めたるをわつかにかたにかけつゝかた〳〵やふれうせたる
ひの木かさをきたりあないみしこは何物のさまそと
思ふほとにとしころおほつかなく心にけりつる心戒坊
なりけりこれをみるにめもくれてあはれにかなしき事
かきりなしまつさてまちくみむ事もかはゆき様
なれはふるき物ともぬきすてなとして後なんしつ
かにとしころのいふせさもかたゝれける今はとしもたか
くなり給ひたりおこなふへきほとはつとめて過給ひぬ
いつこにもしつまりて念仏なと申されよとねんころに
いさめて山崎にいほりひとつむまひて小法師一人
つけてその用意なとかのいもうとのさたしをくられ
けれは主従なから月日を過しける程にある時あ
内のひろ川にすむひしりとかやたつねて来けりこれ
とたいめんして夜もすから物かたりせられけるを此小法
師物をへたてゝきけはかくてもなを後世はかならす
修すへしともおほえすことにふれてさはりありたゝもと
ありしやうにいつくともなくまとひありきいさゝか裳
心をけかさしと思ふなとかたりけれはあやしと思ひけれ
とたちまちにあるへき事とも思はてすくるほとに
其のち四五日ありていつくともなくうせにけりこのに
法師こゝろある者にていとかなしくおほしてなく〳〵
たいねありきけれといつくをはかりともなしありし夜
の物かたりの中に丹波のかたへと哉らんこはさきはかり
わつかにきゝし物をと思ひ出く心さしのあまり尋
行けるほとにあなうといふ所にてたつねあひにけり
ひしりおほえすあきれたるけしきにていかにしくき
たるそといひけれは日ころもさるへきにてこそつかうま
いりつらめいかなる御ありさまにても御とも申候はん
なと心さしふかくきこゆ心さしはいと〳〵あり米たく
あはれなりしかあれといかにもかなふましきよしもては
なれてまさしくたかひぬへきさまなりけれはちから
なくてかへりけり後さらにその行末もしらすなん
侍りしいとたうとく今の世にもかゝるためしも侍れは
これをきゝてわか心のをろかなる事をもはけまし
をよひかたくともこひねかふへきなりこゝにある人の云
かくのこときの行われらか分にあらす一つには身よ
はくしてやまひおこりぬへし一つには衣食ともし
からは中〳〵心みたれてん身をまたくしこゝろをしつ
めてのとかに念仏せんにはしかしといふこれひとへに
心さしあさく道心すくなき故なりまことのこゝろ
おこらすは仏法かなひかたし露命きえやすし一
念にて他事を思ふへからすかた時なりともおそれ
たらん事どくじやのことくにすて此身をは水のみな
もとゝいとふへしかゝれはわさとも此身を仏道の
ためになけてふたいの身をえんとこそ思ふへけれ
やまひおこりてしなむにいたりては思ひあるへき身かは
あくごうの依身なりふじやうの庫蔵なりつゐ
にみちのほとりの直となるへししはしいたはりて何
かせんいかにも衣食はしやうとくの報なり天運に
まかせてもありやまひは又習にしたかふいたはるとて
もかならすしもさらすとめる人のをとろへたるさまを
みるにゆたかなる時ころもをあつくきくすりをふくし
てかべしろをひきさま〳〵身をいたはるにはつねに風
熱きほひおこりて神心やすき事なし此人まづ
しくなりて飢寒身をなやま服薬こゝろに
かなはすもろ〳〵の悪事おりにつけつゝみな身を
おかすむかしのことくならはたちま地にやまひおこりて
しぬへけれともかやうに身をすつるのちはやまひも
したかひてさりぬこれすなはち身はならはしの物なる
うへに運命かきりある故なるへしいはんや仏力
むなしかかすは何のやまひかあらうはむ職感ならは
身もつよきことを得てんすへていとへともしなす
おしめともたもたれさるは北身なりたま〳〵仏法に
あひたてまつり決定わうしやうすへきみちをきゝな
からかりの身をいたはり五よくにつなかれて一期を
くらすはかなき事にあらすやかの阿弥随如来の
とくはんは我らかわうしやうのごう勧門につきてうち
きくこそやすきやうなれとよく思へは無始より以まへ
りんゑしやうじの地をあらためて大ぜうせんごんの
さかひげらくふたいの国にむまれん事は心をおこしく
はけまずはさすかにとけかたくこそ侍らめしかるを
今の世のならひわつかに敬心念仏はかりを行と
してしりかたきりんじう正念をごしかたへの往生
人のしゆくぜん内徳をはしらすたりて我分に思へ
りいとをちかなる事にこりうち思ふには五ぎやくの罪
人一念のせうみやうなを引接にあつるなとかのぞみ
をかけさらん事ところはおほゆれされとかのごくあくを
つくるはすなはち心のたけきよりおとる事なれは思ひかへす
時も又強盛なるへし一念に證をうる事はまた
今終にのそみてそれつよくおこるかゆへなりわれらか
たくひはもとより心よらくいたなくしてきら〳〵き罪
をもえつくらすけに〳〵しくさんげを修するにあら
されは熾盛の心もなしぐちあんどんにして泥をきる
かことくなりもしみろをふかくおこして此たひけつ
七
ちやうわうしやうをとけむと思ふ人ははやくみやうりを
いとひ身哀をすてゝねんころにつとめつねに願ふ
へし水をわたる者手をやすめつれはおほれて
しす火をきるものちからを入されはうる事なし
わうしやうこくらくも又かくのことし一心にはけみつと
めてゆめ〳〵をみたる事なかれもし世執なを
つきすはしつかに此身のありさまを思ひとくへし
大かた此身はあるにもあらす又ひさしくとゝむへき
物にもあゝすすゝろにけしやうする物にもあらす
たゝるらいしやうじの夢のうちに因縁をのつら
和合してかりに業報のかたちのあらはれたる許
なりいはゝ旅人の一夜の宿をかるかことしこれに
何の会著かあるへきかゝれはかたちはつねのあるし
なしたましゐは常の家なしといへるなり此身は
かくあたなる物なれとしかもわか心のかしてをろか
なるにしたかひてあたはたきともなり又善知識
ともなるへし或経にいはく人一日をふるに八億
四干の思ひあり一々の思ひあくこうにあらすと
いふ事なしといへり一年二年にもあらすもしは
一生にもかきらず無始よりこのかたつもるしむほと
かきりもなし此つみかけのことく身にそひてたとひ
ひさうひゝさうのいたゝきにむまるゝといへともなを
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
はなれすしてそのむくひつきぬる時三津の旧里
にぐしてゆくなり此つみのふかきといふはなんそ
みなわか身を思ひしゆへなり此身つみの根元とし
てこゝろのためにはあたかたきなれともしはしもい
けるほとは念比にあひ思へりいのちつきて後すな
はち身をは山にすつるにむなしく鳥けた物の食
となりぬ心ひとりめいどにおもむく時何しにもて
はてさりける身を思ふとてもろ〳〵のつみをつくり
てかゝかゝきめをみるゝむとうらめしくくやしけれ
ともすへて何のかひかはある雑巧合の中にたとへ
をとりて云人のもとにひとりのやつこありよろつ
のわさこゝろにかなひてひとつもかく事なしあるし
ひとへにこれをあひたのみてあさゆふあはれみはご
くむかれかこのみねかふ事きる物くひ物よりはし
めてはかなきあそひたはふれにいたるまてみなかなへ
ともしきことあらせしと心をつくしいとなむより外の
ことそなきしるを此やつことし比かたきのたばかり
てつけたりける使なれはあるしの心さしを思ひしらん
やひまをはからひつゝたちまちにあるしをころして
さりぬやつこといふは我身なりあるしといふは心なり
心のをろかなる故にあたかたきなるもをしらて
宿善のいのちをうしなひあくしゆに堕することを
いへりむかし目連尊者ひろき野をすき給ける
におそろしけなる鬼つちをもちてしろきかばねを
うつありあやしくおほしてとひ給ふにこたへていはく
これはをのれかさきのしやうの身なり我世に侍りし
時此かはねをえしゆへに物にむさほり物をおしみて
おほくのつみをつくりて今餓鬼の身をうげたり
苦をうくるたひに此かはねのねたううらめしけれは
つねに来てうつなりといふこれを聞をはりてなを
過給ふほとにありところにえもいはぬ天人きたりて
かはねのうへに花をちらす又これをとふに天人こ
たへて云これはすなはち我さきの身なり此身に
くとくを造りしによりて今天上にむまれてもろ〳〵
のたのしみをうこれはそのむくひせんかために来りて
くやうするなりとそこたへ侍りかゝれはひたすら身の
うらめしかるへきにもあらすせんあくにもしたかひて大
なるちしきとなるへきなりかの都率の覚恐爾
朝は月輪観をしゆしてさとりをえたる人なりその
観文のおくにはたとひ紫金の妙体を得たり
ともかへりて黄壌の旧骨を拝せんとそかゝれて
侍りけるまことに道心あらん人のためには此身はか
たうとくうれしかるへき物なしこれらのことはりをおもひ
ときて身命を仏道のためにおしますはことさらに
事理さんげを修せすとも六度のなんきやうを
へつくさすともはらみつのくとくもをのつからそな
はりぬへし
一斎所権介成清か子高野にすむ事
おはりの国中しまのこほりに斎所の権介成
清といふ者ありかの国にとりてゆたかなる者なり
子あまたある中にちやしにてわかき男ありけり
ゐ中のならひなれはかりすなとりを事としく
さらに因果のことはりをもしらす一とせ東大寺
の大仏くやうのとし廿二三はかりにて父母にあひ
くしてまうてたりける時さるへきにやありけんこゝろ
舞
職
猫
文化無之
一多心集巻七
のうちにつよく道心おこりていかて身をなき物になし
て思ふさまに佛道をしゆきやうしてかなと思ひけれ
と父母さらにゆるさす此たひはいかにもかなはしと
おもひけれはそのけしき色にもいたさすもてかくし
て本国へかへり下りにけりそのゝち日比へてさる
へきひまをはからひつゝひとり京へのほりぬ又すなは
ち大佛の上人のもとにいたりてかしらおろさんよし
きこえけれはたれ人そいかなる事によりて世をのか
れんとは思ひたゝれたるそとしもわかくいますあやしく
とうたかはれけれはまことにさそおほすらんこれはしか
しりの者に侍りさきにまいりて侍りし時申へく侍
りしかともその時はかた〳〵さまたけおほくてとけかた
く侍りしかは国にくたりて後たちかへりわさとひとり
のほり侍るなり身にとりてはことなる事も侍らすお
やゆたかなれは心にかなはぬ事もなし資財もあり
田園もありさりかたき妻子をもちてかた〳〵思ひ
たつへき身にも。侍らねことも世のむしやうをおもふに
何事もよしなしと思ひ侍れはたゝ身命を仏道に
なけてほとけの書くはんをたのみたてまつらんはかりこそ
かしこかゝめと二心なく思ひたちて侍るといふひしり
ことのありさまをきゝなみたをおとしつゝいと〳〵あり
がたき事なりこれらに弟子と名けたるひしり其
数何れとすゝろに世をすてたる人はなしあるひは主
君のかしこまりをかうふりあるひは世のすきかたき事
をうれへあるひはかなしきつまにをくれあるひはつかさ
くらゐにつけて世をうゝみなとさま〳〵心にかなはぬを
それをついてとしてのみこそ世をすつるならひにて侍
れはその事わすれなん後は道心もいかことあやう
く侍るをきくかことくならは発心にこそほとけも必
あはれとかなしみ給ふらめいとくありかたき事なりと
てかしらおろさんとすかくてゑほうしをとるほとに
髪のはら〳〵とみたれけるを見てあやしくて故を問
かたりて云田舎よりのほり侍りし時もし思ひかへす
こともや侍らんとわか心のらたかはしくおほえて侍りし
かはかれにてなんもとゝりをきりて侍るといふにいとく
心のなをさりならぬ事をしりぬすなはちかしら
おろしく後かの弟子のひしりともにましはりて三
年はかりやありけんひるはかはゝをはこひ石をもち
さいもくをひく事時のまもやすますよるは出家し
たる日よりさらにうちふすことなしよもすから念仏
をとなへて西にむかひてゐなから夜をあかすおほかた
露のまもいとまおしうすれは人と物かたりなとする事
もなし食物きる物はあるにしたかひてさしに身命
をおしむ事なしたゝねてもさめても心には西蛮を
かけたりひしりあはふるまゝに此有さまをみるに有
かたくたうとくおほされすゝめて云朝夕仏道のため
に身をくるしうせらるゝも大なるけちゑんなれと猶
こゝろをしつめ身をやすくしてあくまて念仏せんに
はしかし高野に新別所といふところありすなはち
我はしめゐたる所なりもとよりほうかいの地なる上に
不断念仏をとなへて一へんに往生極楽をねかふ
より外に他のいとなみなししかれはこゝにおほかるひし
りの中にもし道心ありとみゆる人をはすゝめてかなら
すかの念仏の衆にいるゝ也はやくその衆につらなりて
念仏のこうをつまれよといさめくれければまことにかく
ても侍るへけれと凡夫のくちおしさは女なとみゆれは
妻のこと思ひ出候るゝ事侍りおさなき子ともの侍る
時はこれをうるにつけても我子もかくやと忘れ果たく
侍るもいととしなし山ふかき所にすみなは思ひもなく
ていとよく侍るくしたゝし入とし入なは又かへる事は
さらに仕るましうとくなり奉らん事こそ心ほそく
侍れといひなから高野へのほりけりかくて彼往生院
の廿四人の中にて月日をゝくるありさまありしより
もことなり田舎には此人をうしなひて父母妻子とも
みなきも心をまとはし当国隣国いたゝぬくまなく
あしてをわかちつゝたつねもとむれといつくにかあるらん
たとひいのちつきてむなしきかゝとなりたりとも今一度
そのかたちをみむとなけきかなしむさまことはりにも過
たりはてには国の中ゆすりみちて見きく人なみたを
おとさぬはなかりけりとかくいへとかひなくて月日を送る
あひたに世間にかくれなけれは程へて後なん出家
せし事きこえたりけるつ井に高野にこそすむなれ
と聞てなく〳〵せうそこしけりさしもあさからすおもひ
たちける道なれはそむかん事はいふにも及はす文一つ
たにもかきをかすしてむなしくおやの心をまとはせる
ことなむいとうらめしけれとさていかゝはせん心をかへて
思ふには又つみさり所なきにしもあらす此国にも
山寺おほりちかくてたにきかまほしきをかくして雲
をへたてたるさかひにかけはなれたる事こそいとほい
なくなとさま〳〵にかきやれとさらになひくにもあら
すかねて父母なんわさと京へのほりて高野の麓
に天野といふところにまうてゝそこによひ出して
対面したりけるその時心の中をろかならんやわかく
さかりなりしかたちは見し物ともなくやせくろみてほろ
ほろとあるぬの小袖なとむかしかりにたに見さりし姿
なれは目もくれむねとふたかりてとみに物いはれすと
はかりためかひつゝさま〳〵日来思ひつめたる事とも
なく〳〵いひしらすれともことはすくなにてはか〳〵しく
物もいはすたゝ此山へまかり入し時又かへり出しと思ひ
かため侍りしかといと酒を申さすして家を出て侍りし
事のつみさりかたくて又たちもとり候ひつれともあらぬ
心にてかく出侍るなり今より後はたとひ御たつね候
ともいさゝかもこれまて出る事仕るましされは今は
これはかりなんかきりにて侍るへし我をみまほし
くおほさは心をおこして仏道をねかひ給へ此世
にてはたとひ思ふはかりそひ奉りたりともいつまては
見奉らむ我も人もをくれ先たつならひのかれかた
けれはせんなく侍るへしとつれなくこたへてかへりのほ
りにけり妻はそこまてのほりけれとおもてをむくへ
くもおほえさりけれは物のはざまよりわつかにの
そきて忍ひもあへすよゝとなきけり父母すかたを
見さりし時よりも中〳〵かなしく覚えてなく〳〵帰り
下りにけりさく国よりさま〳〵物ともさたしのほせ
たりける返事にはこれは入ことも侍らねと御ため罪
ほろふるえんとかならむと思ひ給て念仏衆に
わけ侍るへしたゝとくして浄土へまいらんとおもふ
心のみふかく侍れは日にそへて命のみこそいと悲し
く侍れゆめ〳〵かりかめの身をいたはしくなおほし
そとそいひけるまことにき物くひ物のたくひけつ
しゆにわかつのみにあらす貪人みゆれはみなあたへ一
て我ためにのこす事なしおやのさたにて三間なる
坊をつくりてすへたりけれとゐところほしかる人の有
けるをすへてわか身はさたまれるすみかなし日ことに
湯をわかせともこれをあみすとし月ふれとも物を
あらふことなしやれぬれはすつたゝあさゆふほとけの
らいかうを心にかけて事にふれてむじやうをおもふ
より外さらに他事に心をかけすもし人のもとに
ゆく時はどろふめるあしにてむしろたゝみをふみて
はゝかる事なし人とかむれは不浄はをの〳〵身の
うちにありなんそあらはれたるをのみいとはんやと云
かのところのならひにて結衆の中にさきたつ人
あれはのこりの人あつまりてところの大事こそこれ
をはうにるわさしけれと此ひしりのありけるほとは
さらに人〳〵にいとなませすたゝひとり引かくして来也
こりてはうふりほねひろひとかくして我ひとり念
比に心を入たるさま父母を葬するかことしこの
ところにすみそめけるよりおくの院へ入堂する事
日ことにかゝずそのあひたに雨風霜雪をためらふ
事なしみのかさ用意するほとの。かまへたになけれ
は雨ふれはさなからぬれ又雪ふれはゐてこほる更
にこれを事とせすある人云浄土をねかはんには
身をまたくして念仏のこうをかさぬへし何故
にか身命をいたはらさらむこたへていはく世は末世
なり身はぼんふなり今たま〳〵こゝろをおこせり
此こゝろさめさらんさきにわうしやうをとけんと思ふ
このゆへに身命をおしますといふきく人かつはか
なしみかつはたうとむ事かきりなしかくて出家し
て後七八年やありけんかねて死期をしりて
ことなるやまひもなくりんじう思ひのことく念仏の
声たえすして居なからをはりにけり今の世
の事なれはかの別所にしらぬ人なし
狩り同断同
長明発心集八終
八終
発心集第八目録
文庫
一時料上人隠徳の事
一或上人名図のため堂をたてゝ天狗になる事
一仁和寺西尾上人我執によりて身をやく事
一橘逸勢之女子配所にいたる事
一盲者開東下向の事
一長楽寺尼不動のしるしをあらはす事
一或武士之女子を恨て頓死の事
一老尼死後橘の虫になる事
一四條。宮の半者人を呪咀して乞食と成事
不絶心角巻は
一金峯山にて妻をゝかす者年へて盲となる事
一聖梵永朝山をはなれて南都に住事
一前兵衛尉遁世往生の事
一或上人神供の鯉を放ち夢中に然らるゝ事
一下山の僧川合社の前にて絶入事
発心某第八
時料上人隠徳の事
中来ちくせんの国に時料と名つけたるひしり有
けり府のあたりにありきて人の家にいたり物を乞
とてかならすときれうとはかりいひて経をもよます
一仏号をもとなへすいはんやその外の事一ことも
いはさりけれはやかてかく名をつけたるなりあさゆふ
つねに見ゆれは見あふにしたかひて物なととらすれと
たしかにそことはあととめたりといふ事をしれる人
なし其時に府官の中にことにこれをあはれむ男
ありけり心に思ふやう此ひしりのありさまこそいふ
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おほつかなけれさりとも跡をかくせるところなからん
いかにもその徳ある者にこそこれを見あらはしてふか
く縁をむすはんと思ひて物こひめへりてかへりけるを
見えかくれにゆくあひたにはるかに山ふかへ入てけはし
き谷のおくにあれたる神のやしろありける中に
はひ入ぬいとめつらかに覚えてかくれゐてきけは日
暮かたよりもろ〳〵のざいしやうをさんげす夜中過る
ほとより法花経をよむ其声いとたうとくて涙
もとゝまゝす夜あけて後此男かへらんとする時
人のあるけしきをさとりてひしりとかへもとめありき
ける程に見つけられぬやかて袖にとりつきて大きに
かなしみていはく我此たひ生死をはなれんと思ふに
此心さしを人にしられなはまえんもちからをえしんぜ
もことにおもるへし事にふれてさはりあるへきゆへに
我ふかく徳をかくしてとし頃この谷にすむといへとも
鳥けた物より外にはさらに我をしる物なししかる
をなんめ今われを見あらはすはすてに世々生々の
あたかたきなりさらになんちをゆるすへからすこゝにし
てもろともにいのちをすつはかりほといひてなきもた
ゆる声谷をひかし涙をなかして袖しほりはかり
ぬれぬ此男おそれをのゝきていふやう我ひしり
のとくをたうとむにより信をおこしてたつねきたち
八度出雲上
一統心集帯
これ何のとかゝある我ひとりは何はかりの事かあらん
ねかはくはけふのとかゆるし給へなかく妻子にもの
ことをちらさし仏天かならすてゝし給ふへしといふ
ひしりの云一人かしれるとてもほいにはあらねとも
海人よりも信心ふかししかれはいかくはせん口より外
出すへかゝす今日より後ふかくあひたのまむなとた
かひにさま〳〵ちきりをむすひてかへりにけり其後
此おとこしのひ人にかくれて時料とふらひけれは男
へ出ることもなくて思ふことく往生をとけたりけりとそ
かねて死期をしりて此男につけたりけるにより
てそのりんじうのたうとかりし事なと後に人に
かたりけり或人云濁世の行者は身つから徳をかく
し賊国にありてたからをまうくるかことくすへし
そのゆへは今の世は天魔ぬす人みち〳〵て人の
善根をうかゝひさまたくしかれともさとりふかくとく
ある人は諸天のおうこひまなくして天まそのた
よりをうる事なしたとへは人の門をつよくとさし
つはものおほくまもりてかなしみなきかことしもし我ら
かことくなるけたいむちの者たま〳〵つとむるくとくは
まつしき家にたからおほからんかことし心城かこひあ
たにして善神のしゆごし給ふもなしたゝ外相を
よそにしその徳をふかくかくしてしらせさゝんには
しかすかのこかねをごろにつゝみ宝珠を皿にうつ
むかことしたしたとひとくをかくすとも見つから
をごり心あらは又益ならん天満はよくけうまんを
たよりとすたとへは盗賊の中人をもちひかことし
末世の比血あらそひふかく名利にまとへる故に身
つからなき徳をあぐ妄語の中にすくれたる重罪
なりいかにいはんや身にある徳をあけ人の称讃
するをよろこふ事は万人のならひなり妄語な
あらすといへども其とがなをかろからすなしまことに
後世を思はん人は人有て我身になき徳をさん
たんせはこれをおそれおとろく事盗殺のむしち
をおふかことくすへし身のけよたつはかりをのゝき心
神□やすからすしてすなはち三ほうを念せよつれなく
おころく心なくはそのとかなをのかれかたし
或上人為名聞堂をしてゝ天狗になる事
ある山寺に徳たかくきこゆるひしりありけりとし比
だうをたてほとけつくりさま〳〵くとくをいとなみたう
とくおこなひけるかをはりめてたくてありけれは弟子も
あたりの人もうたかひなきわうしやう人と信して過
けるほとにある人にかのひしりの霊つきて心えぬ
さまの事ともいふをきけははやく天狗に成たりけり
弟子ども思ひの外なる心ちしていみしく口おしく
思へともちからなくおほつかなき事なととひけれはふし
きの事ともいふ中に我在世のあひたふかく名聞
に住してなき徳をせうじて人をたぶろかして作
りしほとけなれはかゝる身となりて後は此寺を人
のおかみたうとむ日にわか苦患まさるなりとそ
いひけるいみしきくとくをつくるとも心とゝのはすは
かひなるへし今の事なれは名はたしかなれと
ことさらあらはさすとそ或人かたり侍りし
仁和寺西尾上人我狐によりて身を燒事
ちかき世の事にや仁和寺のおくにおなしさまなる
ひしり二人ありけりひとりを西尾の聖と云今
ひとりをは東瓦のひしりと名つけたり此二人の
聖書にふれて徳をいとみひとりか如法経かけ
はひとりは如す念仏すひとり五十日きやくしゆす
れはひとりは千日講をおこなひなとたかひにをと
らしとしけれは人もひれ〳〵にかた〳〵わかれつゝけちはん
しけりとしころかくのことへいとなむあひた西尾の聖
身燈すへしといふ事きこえて結縁すへき人き
せん道俗いちをなしてたうとみこぞる東瓦の
ひしりこれを聞て狂惑の事にころあらめとて
信せさるほとにつゐに期日になりて弟子とも
いみしくゐにようして念仏して火屋に火をさす
こゝらあつまりし人なみたをなかしつゝたうとみあへる
ほとに火中にて念仏二百返はり申てつゐより
いみしくたうとけなる声にて今そ東尾のひし
りにかちはてぬるといひてなんをはりにける此ことを
きかぬ人はたうとしとて袖をうるほしてさりぬをの
つからもれ聞ける者は思はすにこは何事そいと本
いならす妄念なりやさためて天狗なとにこそ
なるへかりぬれ益なきけちえんをしてけるかなくと
いひけりまことにあたゝ身命をすてゝさるこゝろ
をおこしけんめつらしき事なるへし或人かたりて
いはくもろこしに御門おはしけり夜いたう更てともし火
かへにそむけつゝ寝ところに入てしつまりおはします
程にほのかけにかけろふ物ありあやしくてねいりたる
やうにてよく見給へはぬす人なるへしこゝかしこにあ
りきて御たから物御衣なととりて大きなる袋
に入てけりいとむくつけなくおほされていとゝいき音
もし給はすかゝるあひた此ぬす人御かたはらに
くすりあはせんとて灰をやきをかれたりけるを見
つけて左右なくつかみくらふいとあやしと見たまふ
ほとにとはかりありてうちあんして此ふくろなる
物ともとり出てみなもとのことくをきてやをら出
なむとすその時御門いとこゝろえかたくおほしく
なんちは何者そいかにも人の物をとりぬしかるを又
いかなる心にて返しをくそとのたまふ申ていはく我
はそれかしと申候ひし大臣か子なりおさなくて
父にまかりをくれて後たへて世にあるへきたつき
も侍らすさりとても今さらに人のやつ。ことならん
事もおやのため心うく思ひ給へてねんしすくし
侍りしかと今はいのちいくへきはかりことも侍らねは
盗をこそつかまつらめと覚えて侍るにとりてなみ
なみの人の物はぬしのなけきふかくとりえて侍るに
つけて物きよくもおほえ侍らねはかたしけなくも
かくまいりてまつ物のほしく侍りつるまゝに灰をく
かれて侍りけるをさるへき物にこそと思ひてこれ
をたべつるほとに物のほしさなをりてのち灰
にて侍りける事をはしめてさとり侍れはせめては
かやうの物をも食し侍りぬへかりけりよしなま
心をおこし侍りける物かなとくやしく思ひ給へてと
なん申す帝つふさに此事をきゝ給ひて御涙
をなかされ感しさせ給ふなんちは盗人なれとも
賢者なりこゝろのそこいさきよし我王位に
あれとも愚者といふへしむなしく忠臣のあと
をうしなへりはやくまかりかへり候へ明日めし出し
父のあとをおこさしめんとおほせられけれはぬす人
なく〳〵出にけり其のちほいのことくつかへ奉りて
すなはち父のあとをなんつたへたりけるしかれは上人
の身命をすてしも勝他名図をさきとす貪
者かざいほうをぬすめるもきよくうるはしきこゝろ
ありすへて人のこゝろのうちたやすくよ所にはかり
かたしされは魚にあらされは水のたのしみをしら
すといへるも此心なる惣し
一橘逸勢之女子配所にいたる事
むかし橘逸勢といふ人事ありてあつまのかたへ
なかされける時そのゆかりの人なけきかなしむたく
囲
冊
雑理
ひおほかりける中になさけなき女子のことに取分
さりかたく思ふありけり主もかくうき事にあへる
をはさる物まてこれにわかれむことを思へりむすめは
はぬ事をはゝかりわすれはちをすてかなしみをた
れてもろともにゆかんとすおほやけの使かきり
なくいとおしく覚ゆれとなかさるゝ人のならひに
て事のきこえもひんなかるへけれはかたくいさめて
ゆるさすせめて思ひあまりけるにやそのあとを
尋ねつゝむさやつたひによか〳〵なむ行ける身に
たへたらん人たにしらぬ野山をこえてよな〳〵たつ
ねゆかむことはあるへき事にもあらすまして女の身
なれはおほろすにていたりつくへくもあらねと仏天
やあはれとおほしけんからうしてつゐにかしこにいた
りつきにけり遠江の国の中とかなかはなる道
のほとにかたちは人にもあらす影のことくやせをと
ろへてぬれしほたれたるやうにてたつねきたりけり
待つけて見けんおやのこゝろいかはかりおほえけん去
ほとに行つきていく程もへす父おもきやまひを
うけたりけれは此むすめひとりそひて残り居て
ひめもすよもすからおこなひつとむるさまさらに身
命をおしますこれを見きく人なみたをなかし
あはれみかなしまぬはなし後にはあまねく国の中
こそりてたうとみあへりわさとまうてつゝえむをて
すふたくひもおほくなんありけりさてほとへて後国の
守につけてみかとに事のよしを申ゆるされをかう
ふりて父のかはねをみやこへもてのほりてけうやう
のをはりとせんとこひけれはそのありさまをきこし
めしておとろきて又ことなくゆるされけりよろこひて
すなはちかのほねをくびにかすかへりのほりにけり
むかしも今もまことに心さしふかくなりぬる事は
かならすとゝるなるへし
盲者開東下向の事
あつまのかた修行し侍りし時さやの中山のふもとこと
のさきと申やしろのまへに六十はかりなるひわ法師
の小ほうしひとりぐしたるか過ゆくをよひとゝめてかれ
いひくはせていつくへゆくそよのつねの人たにはるかなる様
に思ひたつ事はたとくしきをいと心くるしくころと
とふらへはうなたれて鎌倉のかたへまかり侍るなり人
はたのむところありてうたへをも申さんもしは御かへり
みをかうふらんなと思ひてこそ思ひたつ事なれと
をのれは何事をかは申さんことはりかうふるへきうれ
へももち侍らすさらに期する事なしたゝ世のすき
かたさにもし一日もすこすはかりの事もやかまくる
るゝとてあられぬありさまにてまかれは道のあひた
のくるしみゆきつきてやとるほとのわつらひたゝおほし
やれといふいかに事にふれて苦しからんといとおし
き中にも或智者のこくらくへまうてん事を申
とて無智の者のむまれん事はたとへはめしひの
みちをゆかむかことししやうげうの心をしれる人は
目ある人のまうてんかことくなりと申侍りし事をきと
思ひ出てわか身のうへのやうにおほゆれはねんころに
とふらふいと不便の事かなさてかなふましくやおほ
ゆるといふまことに思ひたつもおほけなき事なれと
何事も心さしによるわさなれはなとりははけまし侍
らさらんよのはねの人の乗馬下人らうれうことき
ゆたかにもちたるもその心さしなきはいまたあふみの
国をたに見ぬかすもしらすかくたづ〳〵しくやす
からぬ身なれとも思ひたちぬれはさすかにまからる也
となむかたり侍りしこれをきくにつけても我ちか
めしひのかたはかりかれかたくひにてしかも心さしは
うすき事のとにかくにとり所なくこゝろなくおほし
侍りしいさゝかたのもしき事の侍るは或記に云く
中比もろこしにあさ夕念仏申僧ありけりその
ぬところちかく鸚鵡といふ鳥のねくらしめてすす
ありけりすなはち念仏のこゑをきゝならひてかの
一月廿六日へ
鳥のくせなれは口まねをしつゝ阿弥陀佛とな
人こそりてこれをあはれみほむるほとに此鳥をの
つからしゝぬ寺の僧ともこれをとりてほりうつみたり
ける後そのところより蓮華一もとおひいてたり
おとろきなからほりてみれはかのあふむの舌をね
としてなん生出たりけるかのとり口まねのいみし
きよもあらす悲願のねんころなるゆへにこゝろに
信すとしもなけれとも口にとなへつれはりやくの
むなしからぬにこそは侍らめかゝれは我らか散心
念仏とてもをろかなるへきにもあらす
長楽寺の尾不動のしるしをあらはす事
ちかきころ南都に保ありけりとしころ三尺の
不動尊をほんそんとしてあさゆふおとなひける程
にある時ぎやうぼうのあひたに目をふさきて念
じゆするほとに此本尊うせ給ひてたゝむなしき
座はかり残れりあさましくめつらかにおほえてさま
さまにうたかひをなすもしこれ魔のしわさか若
は又わか不信けだいにて仏意にかなはぬかなと
一かたならす心をくたきかなしみをなすほとにしは
しありて見たてまはれはたゝもとのやうにておいし
ますとにかくにこゝろみかたく思ふほとにそのゝち万く
かせ給ふ事たひ〳〵になりにけりたちまちたちたちまち
しことにけつさいして七日かあひたしんをいたしく
三時の行法をして此事をいのりたてまつる程に
夢にみるやう本尊の御まへにてうつゝに見るかことく
此事をあやしみうたかふあひたにほんそんつけてのた
まはくなんち此ことおゝろくへからす此廿四年われを
たのみてりんじうのましやうをいのる者ありこれを
たすせんかためにとき〳〵ゆきむかふなりとのたまふ
濡夢のうちにこたへたてまつりて申さくいつれのところ
にたれと申人そこたへてのたまはく北京ひかし山の
ほとりに長楽寺といふ所に唯蓮房といふ尼是
なりをはりちかくなりたれはと二三年はなをとき〳〵
行むかふへきなりとのたまふと見て夢さめぬ此僧ふし
きの思ひをなしてなみたをなかしてやかて長楽寺へ
たつねゆきてしか〳〵のあまやあるととふにさたかに
ありけりまさしくそのいほりにいたりてみれは戸引
たてゝ人もなしとなりの人のをしへけるましに雲居
寺にいたりてたつねあひてまさしくたいめんしたり
けりまつ此事をはいはす物かたりなとして後の世
のつとめには何ことをかはし給ふとゝふ尼のいふやう知
仏の外にはさらにつとむる事なしといふなを〳〵
しゐてこまかにとひける時此廿年はかり不動の
慈救呪をこり日ことに廿一通みてゝりんじう正
念ならん事を祈り侍るといふ僧この事をきゝ
てまことにはゆへなく尋まうてきたるにはあらすと
てありしやうをはしめよりかたりけれはあまもなみた
をおさへつゝたのもしくたうとき事なりとよろこひ
てたかひに一仏土のちきりをむすひてなんさりに
けるそのゝちいくほともなくて此尼おもきやまひを
うけたりあたりの人いきかたきよしをいひてさま〳〵
とふらひけるにことしはしに侍るまし明年二月十
五日にこそまかりかへき日にて侍るといひける程
にそのたひはいきぬあくるとしの二月十五日ひつし
の時にやまひもなくをはり正念にて不動の印を
むすひて端座していきたえにけり此尼は長楽寺
にいほりをは結ひたりけれとゐり事もなし雲居寺の
念仏の衆になりてつねにはかの寺にのみ住て念仏
より外のいとなみなかりけりすへて人にあひてこまや
かに物かたりしうちわらふ事なともなしほと〳〵はしたな
きやうになんあいしらひける此十よ年かさきの事なれ
はみな人見きけること也かのならの僧の名もすなはち
覚え侍しかと忘れにけりとそ或人かたり侍り末世な
れとしんし奉る人のためにはかゝるふしきも侍りけるなり
道心にき人のならひにて我心のつたなきをはしらす万
のとかを世のすゑにおほせてむなしく退心をおこすは
をろかなる事也
或武士之母子をうらみて頓死の事
をころひとりの武者ありけりをのか身は世にあひ
てくたれる母をなんもちたりけるもとより孝のこゝろ
うすきうへにおもてふせにさへ思ひまゝ母をのみ
おもく思ひけれはよのつねのおや子のやうにむつひ
まみゆることもなしかゝれとさすかにまさしき母な
れはかたのことくなるところをなむとらせたりけるかの
母その所をえてかしこにゆきて湯なとあみて
ゐたりけるあひたにまゝ母のよからすといひけるにより
て母か所知をあらためたちまちにこと人にとらせ
てけりそのあたりの人きゝおとろきて此よしを母に
告たりけれはさらは我にこそつけゝれめさる事のほ
かの事はある物かはとてまことゝもせすかゝるほとに
かの庄の沙汰の者申さく下文をもて来て母
によみきかせける時あまり事きはまりてとはかり物
もいはすあきれたるやうにてゐたるとみるほとにけし
きのことの外にみゆるをあやしくて引うこかすにいふ
甲斐なきさまなりはや居なからいきたえたるなり
けりすなはちあくしんの熾盛なるゆへなるへし
さてかの武者はその思ひをやかうふりたりけん程
なくほろひうせにけりとそ名はたしかなれと当時
の事なれはわさとかゝず又ちかき比法勝寺の丸
ぢうの塔いかつちの火のためにやけ侍りし時かの
寺の執行これを見てかなしみにたへすたえ入
てその日のうちに命をはる事はみな人あまねくし
れりこれほうめつのほたいしんのつよくおこるなるへし
かゝれは今の世まても善悪に付て心のおとるの
万へのことしいかゝ仏道をねかはんにいたりて世のすゑ
とて早下のこゝろをおこすへきしかのみならす
おとこをんなにあいぢやくしていのちをすて勝他名
聞のためにかんさんをくたくやうなとは末代とても
熾盛ならすやは見えたる事のたよりには痺打と
いふ者とものあつまりてすころくうつをきけい夜も
いねすひりもたちさる事もなく七八日なとかた時も
やすますそのあひたの身のくるしさ心をくたくさまた
こへていはん方なしされととんよくせうたの心のせち
なる身力にてをのつからこゝろをやしなふかたもある
にや日もつぶれ。すこしもすくますかきりあれはかの
大砲大子の如意珠給ひけん心さしもかくはかり
よりはとそ見ゆる又こうをつみてふしきをあらはせる
事をいは田楽猿楽なとの中にかたなたまと
いひてあやうきわさする者ありこれをみれはかたな
六つを三人してとるむねと上手なる者をは中に
たてゝまへにむかへる者一人うし路のかたに一人をの〳〵
刀みつをもちて前後より我をとこしとはやく
なけかく留を中にて前よりなくるをとりてうしろへ
なけやり後よりなくるをはまへさまへなけやるすへて
六のかたなをとかくさはきやるさま凡夫のしわさ
ともおほえす人つてにきかは信すへくもあらぬ事なり
これはまたふしきにあらすひとへにこうをつめるかいた
すところなりもしくとくのためにかへこうをつみ勇
猛しやうしんの心をおこさむには現身に三昧をも
えつへしうつゝに沸菩薩をも見たてまつるへし
なきすさひにはかく心をいるれとも善根といへ
はゆるく懈怠なるなり中にもあみた仏の悲くはんは
なをさりなる事かは諸仏のすて給へる五ぎやくの悪
人をもたすけんとちかひ給へれはむかしも今も智ある
もななきも貴賤道俗老少男女をえらはす
わうしやうするためしみゝにみちまなこにさへきれり
きけともしんせすみれともたうとますたゝ末世の我
らか分にあらすとのみもてはなれてあるひは宿善
といひあるひは天満のしわさなといひつゝ行者の
はげみとほとけのぐんりきとをは我もしんせす人
にも退心をおこさするはいとこゝろうき事なりかくかし
後兵清兵へ
こくたうときかとおもへはさきの世の業報さたまり
てえかたき福祐をはいかにせんと火水に入ことく
ほとけかみにいまりさはき昼夜にわしりもとむせん
はたゝふかむみやうの酒にたふゝかされて心念を
うしなへるなるへし
老尼死後橘のむしとなる事
ちかころある僧の家に大きなるたち花の木
ありけり実のおほくなるのみにあらすそのあち
はひも心ことなりけれはあるしの僧又たくひなき
物になん思へりけるかの家のとなりにとしたかき
あまひとりすみけりおもきやまひをうけて床に
ふして日ころ物もくはす湯水なともはか〳〵しく
のみ入ぬほとになれりけるか此たちはなを見てあれを
くはゝやといひけれはすなはちとなりへんをやりてかく
なむといはせたりけれとなさけなくかたくおしみてひ
とつもをこせす此病人のいはくやすからす心うき
事かなやまひすてにせめていのちけふあすにあり
たとひよくくふとも二三にやすくへきそれほとの物を
おしみてわかねかひをかなはせぬは口おしきわさなり
我極楽にむまれん事をねかひつれと今にいたりて
はかのたちはなをはみつゝすむしとならんとそのつき
とをりをとけすは浄土にむまるゝ事をえしといひ
てしゝぬとなりの僧此ことをしらすして日ころ過ける
ほとにこの橘のおちたるをとりてくはんとて皮をむ
きてみるにたち花のふくろことにしろきむしの五六
一分はかりなるありおとろきていつれもけるなんめり
やと思ひてみれはそこらのたちはなさなからおなしやう
になむありけるとしををひてかくのみありけれは何
たかはせんとてはてにはその木をきりすてゝけり願
力といひなからさしもおほくの虫となりけん事は
いみしきふしきなりかれ悪事を思ふはくたりさま
の事なれはかなひやすくは侍るにこそ
又は心康長兄
一四條の宮の半者人を見咀して乞食となり事
中ころとしたかきあまのさすかに人にしられて
乞食しありくあり我身のありさまみつからかたり
けるはもとは四條の宮のはした物みなそことなん
いひけるおとこの受領になりてくたりける時ぐし
て下らんといさなひけれは宮にもいとま申さふらふ
人〳〵にもそのよしきこえて心はかり出たつおほやけ
にも旅のしやうそく給はせ女はうなともをの〳〵
あふきたゝうかみやうのはなむけあまれくこゝろさし
けりすてにあかつきとてかさねてことのよしきこえて
里に出つゝむかへの車をまつほとにその日をといれ
もなしあやしくてもしくたりのびたるかとたつぬれははや
此あかつき下り給ひぬ北のかたの日ころはからしらす
して此夜半はかりたゝあらましかところ思ひつれま
ことには我をゝきてたれをぐして行へきことむつから
せ給ひつれはやみて北の方もろともにくたり給ひぬ
といふ悪心おこるなとはをろかなり人のまつ思はん
事もこゝろうけれはそのゝち宮へもまいらすやせて
その日よりきよまはりして貴布ねへ百夜まい
りして申侍りしやう我身をたやかにて人をあし
かれと申さはこそかたからめかの人をうしない給へ
我いのちをたてまつらんもしなをいけらはこつじき
後山康太夫
一四條の宮の半者人を見咀して乞食となり事
中ころとしたかきあまのさすかに人にしられて
乞食しありくあり我身のありさまみつからかたり
けるはもとは四條の宮のはした物みなそことなん
いひけるおとこの受領になりてくたりける時ぐし
て下らんといさなひけれは宮にもいとま申さふらふ
人〳〵にもそのよしきこえて心はかり出たつおほやけ
にも旅のしやうそく給はせ女はうなともをの〳〵
あふきたゝうかみやうのはにむけあまれくこゝろざし
けりすてにあかつきとてかさねてことのよしきこえて
里に出つゝむかへの車をまつほとにその日をといれ
もなしあやしくてもしくたりのびたるかとたつぬれははや
此あかつき下り給ひぬ北のかたの日ころはならしらす
して此夜半はかりたゝあらましかところ思ひつれま
ことには我をゝきてたれをぐして行へきことむつから
せ給ひつれはやみて北の方もろともにくたり給ひぬ
といふ悪心おこるなとはをろかなり人のまつ思はん
事もこゝろうけれはそのゝち宮へもまいらすやせて
その日よりきよまはりして貴布ねへ百夜まい
りして申侍りしやう我身をたやかにて人をあし
かれと申さはこそかたからめかの人をうしない給へ
我いのちをたてまつらんもしなをいけらはこつじき
後山集巻
する身となり後世には無間地こくにおつる果報
をうくるともそれをはうれへとせすたゝ此いきとをり
をたすけ給へとなん二心なく申侍りし此おとこは
たゝめんほへなくなむとはかり心くるしく思ひやりて
さほとふかへ思ふらんとはしらさりけり国に下りつき
て一月はかりありけるほとにかの北のかた湯故に
おりたりける時湯のけの中へ天井のうへよりした
うづはきたるあしの一尺はかりなるをさしおろし
たるか見えけれは女房にかれはみるやととひけれと
こと人のめには見えすかくておとろきおそれてゆも
あみずさはきのほりにけるよりやかておもくわつらひ
てほとなくうせにけりとそ京にはいまた百日にみたさりし
程にきゝてこゝろの中のよはこひ申つくすへかゝすその
のちとかく事たかひて世にあるへくもなくをとろへて
はてにはかく乞食をしありき侍るなりともすれは罪
ふかくおそろしき夢なと見え侍れとさしも申てし
事なれはさらにうらむるにあらすなん侍るかくいたくお
ひせまりて後こそ何しにつみふかくさる悪心をおこ
して二世不得の身になりぬらんと思ひかへし侍れ
とかひもなしとそいひける
一金峯山にて犯妻者としへて盲となる事
河内の国より秀男あひくして御嶽へさいる者
ありけり夜に入てまうてつきていとくるしくおほみ
けれは礼堂にうちやすみつゝ妻男さしならひて
あからさまによりふしたりけるほとにいふかひなくまとろ
みけりやゝひさしくありてねさめたるにかたはゝに女
ありねほれたる心に物まうてといふ事ふつと忘れ
ぬわり家にあるやうにおほして何とも思ひわかす此
妻をゝかしつやう〳〵目さめゆくほとに思ひ出れは金
剛蔵王の御まへなりけりともかくもいふはかりなし
家にありてしやうじんなとはしめたる程たにいさゝ
かもをこたる事あれは時をすこさすおそろしき
事のこあるにかはかりのあやまりをしつたゝ今罰
をかうふらん事うたかひなしこはいかゝすへきと妻男
おとろきかなしむまつ御まへを出て河のほとりにふた
りゆきてよく〳〵水あみていひかなしみつゝなく〳〵を
こたり申て出にけりたくひなき程の事なれは
人にもかたらすこゝろのうちに今や〳〵とまたれつゝ
月日をゝくれと妻も男もさらにその御とかめ
とおほゆる事なしことゆへなくてとし比すきにけり
此事はよはひ此はかりのおりにやありけんさて四十
余年へてのちしたしき者の御嶽へまいるとて
あなかちにけゞしかりけるをさしもあるへき事かは
なといふほとにをのつからいひあがりていでやこと〳〵
しくものたまふ物かなおきなはそのかみしか〳〵の
わさをまさしく蔵王の御前にてをかしたりしかと
さらに事もなくてすくに六十にあまりたりよろつ
の事はたゝいふといはぬとなりと云これをきく人いま
さらあさましとおとろきあへりけるほとにかくいひて
寝たりける夜の中に両の目つふれにけりとそ
これはちかき世の事なりすへて仏神の化機かた
のことしかつは凡夫のをろかなる事をかゝみ給ひ且
はさんげのなをさりならぬによりそのとかをゆるし
給ひけるをしらす不善の心をもてすいしやくの御
まかへをかろしめたてまつり人の信心をみたらはとし
ける故にふるきあやまりさらにおもきとかとなりに
けるなるへし
聖梵永朝山を離て南都にすむ事
中比奈良に聖梵入寺永朝僧都といふ二人
の智者ありもとは山におなしやうに学文して住
けりそのころいみしき同志のわか人ともおほくて彼
らにすくれん事もありかたくおほえてけれは二人
いひあはせつゝ山をわかれて奈良へなんうつりける
奈良坂にいたりてはるかに見やるに興福寺の
かたには人おほくゐこぞりていみしうにきやかなり東
大寺のかたには人すくなにて物さひしきやうに見え
けれは聖光もとよりこゝろすなをならぬ者にて
こゝろの中に思ふやう人おほき所にて思ふさまに
なりいてん事はきはめてかたし東大寺のかたへこそ
行へかりけれと思ひて永朝にいふやう一所にては
あしかりなんそなたには興福寺へいさせ我は本より
三論宗をすこし学したれは東大寺へまからんと
いひてそこよりなんをの〳〵ゆきわかれける此ふたり
をとらぬ智者なれと永朝は心うるはしき者にて
ゆるまゝに興福寺へいたりて程なくすゝみて僧都
になりぬ聖梵はまさりかほもなかりけれは月のあ
かゝりける夜つく〳〵と身のありさまをおもひつゝけて
よみける
むかしみし月の影にもにたるかな我とゝもにや山を
いてけん此聖梵がくしやうのかたにはいはしき聞畳
ありけれと人のためはらあしくてさるへききやうろん
なとを人にかりてもことなる要文あるところをは切
とりさりけなくつぎよせてなむかへしけるかきゝりたる
文のきれちいさきからひつにひとはたにそ成たりける
かゝるうたてき心をもちたるゆへに智者といへとも
そのしるしもなし現世にはつかさもならすつゐに
ふたつの目ぬけてりんじうにはさま〳〵罪ふかき相
ともあらはれてかのあはうのといひてそをはりにける
何のちゑもつとめも心うるはしくてそのうへの事也
さて永朝僧都は春日の社につねにこもりけるに
神感あらたにて夢の中に御すかた見えてまつ
る事たひ〳〵になりにけれとも御うしろをのみ見
てむかひて見え給ふ事のなかりけれはあやしくほいなく
おほえてことにしんをいたしていのり申ける時ゆめの
中におほせられけるやうなんちうらむる所しかりへし
たゝしいとおしくおほしめせともすへて我に後世の事
を申さねはえむかひては見ぬなりとおほせ給ふと
なん見たりける末世の機にしたかひてかりに神と
●まのゆゆのもと
西方
一名心負荷は
とこそ現し給へとまことには化度衆生の御心さし
よりおこりけれは現世の事をのみいのり日をは本
意なくおほしめすなる惣し
前兵衛尉遁世往生の事
ちかく前兵衛尉なる男ありけりをとゝは検非違
使になり大夫少輔まていたりて世にあひたるをかく
数ならぬ事のこゝろうくおほえけれはとし比賀茂に
つかうまつる者にてことに信をいたしてうちつゝき日
ころまうてつゝなく〳〵此事をかのり申あひたに御殿
に籠居たりける夜夢にみりやう御前にさふらひ
てうつゝにも思ふ事共を涙をなかしつゝかきくと
一同八八八九八
◇◇名伝
き申ほとに宝殿の御戸をひゝき給ふあなかた
しけなとかしこまりおかれてえまなこをあてすかつ
ぶしたるに夜の中のことにあかくなるやうにおほゆるを
あやしくてきと見あけたれはやしろのうちに阿弥陀
一如来あきゝかに現し給へりその御ひかりの十方に
かゝやけるなりいとたうとくめてたくおほえてなみた
をなかしつゝおかみたてまつると思ふほとに夢さめぬ
そのゝちつく〳〵と此事を思ふにわか申事をきこし
めし入ぬことを思ひてより口おしかりつれかくあらはれ
て見え給ふにてはもし此生の事はさきの世の業報
にて神もちから及ひ給はぬか又今生はおほしめれ
かことくして本地のおはしますかたをあらはし給へるは
御はかゝひあさからぬ事なめりとたのもしく覚えける
よりさるへきにやありけん心おこしてやかてかしらお
ろしてけり其後現世の事の夢まほろしのさかへ
なりけりと思ひしられてことにふれつゝこれそまこと
にすくれたる神徳なりけりとかの夢のうちの
ありさまのこゝろにかゝりてめてたくたのもしく
おほしけれは寝ても寝ても念仏ひまなく申
てあかしくらしけるほとに二三日わへらひていたくも
なやますりんしう正念にてねかひのことく念仏
たかく申てをはりにけりまことに浮雲のとても
及心痙攣
かくてもありぬへし是もかの桓舞僧都のた
くひにこそ世の思ふやうならぬより得脱すへき
えんのありけるにこそ
或上人神供の鯉を放ち夢中に悪らるゝ事
あるひしり船にのりてあふみの水うみを過ける程に
あみふねに大きなる鯉をとりてもてゆきけるか
いまたいきてふためきけるをあはれみて着たりける
小袖をぬきてかひとりてはなちけり。いみしき切徳
つくりつと思ふほとにその夜の夢に白かりきぬ
きたるおきなひとり我をたつねてきたりいみしう
うら見たるけしきなるをあやしくてとひけれは我
はひるあみにひかれていのちをはらんとしつる観なり
ひしりの御しわさの口おしく侍れはその事申さ
むとてなりといふひしりいふやう此事ころ心みね
よろこひをこそいはるへきにあまさへうらみらるかむ
いとあたらぬ事なりといふおきないはくしか侍り
されと我うろくづの身をうけてとくたつの期を
しらす此水うみのそこにておほくのとしをつめり
しるをたま〳〵賀茂の供祭になりてそれ
をえんとして苦患をまぬかれなむとつかまつり
つるをさかしき事をし給ひて又ちくしやうのごう
をのべ給へるなりといふとなむ見たりける
下山の僧川合社の前にて絶入事
中比の事にや山よりくたりける僧ありけりたゞす
のまへの河原をすぐるにおさなきわらへ三人をの
をのいみしく諍論する事あり此僧たちとゝま
りてそのゆへをとふ童のいふやうこゝにおほつかな
き事侍り神の御まへにてまつ人のよみ給ふ経の
名をさま〳〵に申て我こそよくいへとかたみに論し
侍るなりといふおかしと思ひてひとりつゝこれをとへは
一人は真経と云一人は深経と云一人は神経と云一人は神経と云一人は神経と
云僧うちわらひこれはみなひがことそ心経とこそ
同文久左郎様
いへといへはいひやみてみなさりぬかくで一町はかり行
ほとに河原中ににはかにまくれてたふれぬ夢のこ
とくにてふしたる程にやむことなきんまてにきたり
てのたまふやうなんちかしわさこゝろえす此おさなき
者とものいふことみなそのいはれあり真紙と云ひ
かことにあらす実の法なれは深経といふ又ひが
ことにあらすふかきことはりなれは神経といふは
たかはす神明のことにめて給ふ経なれは此事を
やゝひさしく論しつれはとかもかくにもめてたく聞
つるをなんちか事をきる故にいひやみてさりぬ
口おしけれはその事しめさんとてなりとおほせら
るゝと見てあせうちなかれあへてことなくなむおき
たりける神の法にめて給ふ御心さしふかげにあは
れなる事なりそも〳〵事のついてことにかきつゝけ
侍るほとにをのつかゝ神明の御事おほくなりに
けりむかしの余執かなとあさけりも侍るへけれと
あなかちにもてはなれんと思ふへきにもあらすその
ゆへはおほむねすゑの世のわれらかためにはたとひ
後世を思はんにつけてもかならす神にいのり申へ
きとおほえ侍るなりもろくの事おりをえところ
により身にしたかへることのつとむるもやすく又その
しるしも侍かなり夜尊入減の後二千より
天ちくをされる事数万里わつかにしやうげうつたはり
たまふといへとも正像すてにすぎておこなふ人もかたく
そのしるしも又まれなりこゝに諸仏ほさつ悪世
の衆生の辺旱のさかひにむまれ無仏の世にま
とひてうふかたなからん事をかゝみ給ひてわか柿に
かなはんためにいやしき鬼神のとつゝとなり給へは
つはあくまをしたかへ仏法をまもりかつは賞罰を
あらはして信心をおこさしめ給ふこれすなはら利
生方便のねんころなるよりおこれるなり中にも
我国のありさま神明のたすけならすはいかてか人
民もやすく国土もをたやかならん小国辺早の
さかひなれは国のちからよはく人のこゝろもをろかなる
へしかくしては天魔のためになやまされあらはれ
ては大国の王に領せられつゝやすきそともなく
てこそは侍らましかたとひ仏頃わたり給へりとも
あくまのさまたけこはくしてぢよく世の今にひろまり
給はん事きはめてかたしかの天竺は南州の最中
まさしく仏の出給へよし国なれと像法のすゑより
諸天のおうごやう〳〵をとろへ仏法滅し給へるか三
としりやうじゆせんのいにしへの事虎狼のすみか
となり祇園しやうじやのふるきみぎりはわつかに
石ずへはかりこそは残りて侍るなれしかるを吾国
はむかじいさなみいさなきの見ことより百王の今にいた
るまてひさしく神の御国としてそのかごなをあら
たなりあまさへ新羅高麗支那百済なといひ
ていきほひ事の外なる国〳〵さへしたかひつゝ五ぢよく
乱慢のいやしきもなを大ぜうさゝりにひろまり給
へりもし国にぎやくしんあれは月日をめくらさすこか
をほろぼし天満仏法をかたふけんとすれは鬼王と
してたいぢし給ふこれより仏法王法をとろふる事
なく民やすく国をたやかなりあきらけきしゆじやう
の願楽世々のこういんをかゝみ給ひてこれにした
かへるめくみたとへは水のうつは物にしたかふかことし君
の御ためにはたかき大神とあらはれ民のためには
いやしき道祖神となり智恵のまへには本地をあ
らはし神見の家には仏法をいましめ給ふ後世
をしらぬともからはさいはひをいのらんためにあゆみを
はこふ因果にくらき人は罰をおそれてあふきたて
まつるかゝれは里の中道のほとりなとに大きなり木
一二本もみゆる所みなあやけれと神の聞す所
なり寺のほとりの草木いつら人のうへをきけるとか
めのゝしるたにひまをはかりてきりほろほすやうやく
堂舎をこぼちとりほとけの場にもろ〳〵の不浄
を行ずまことにめもあてられぬ事おほくこそ侍
れけにも神とあらはれ給はさらましかは無悪不造
のともから何につけてか露はかりのえんをむすひたて
まつらましと思ひとけばかくさかきみてぐらよりはゝ
めかたくなゝる一旦ねりつゝみのをとまてもみな開楽
悟入の御かまへなりとあはれにかたしけなくなむ侍り
しかれはすなはち現世のもろ〳〵ののりみことりかりの
はうべんとこぞしらしめ給はめ出離生死をいのり
申さんにいたりてはいかてか化度の本懐をあらし
給はさらむとおほえ侍るなり
発心集第八終
庚
寛文拾戌年
三月中旬開板
中御門通弱檜木町
吉田四郎右衛門
書肆
東都
須原屋茂兵衛
同伊八
山城屋佐兵衞
岡田屋嘉七
大坂
敦賀屋九兵衞
秋田屋太右衞門
京都
勝村治右衛門板