朝日能免久見
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- 不明
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- 2026-08-17T19:23:15.276Z
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- 2026-08-17T19:23:15.276Z
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- 不明
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- アサヒノメグミ
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狩り
朝日迺免久美
加賀一字二十二丁
朝日のめ久見
抑我大日本国人皇第一
神武天皇よりこのかた今此御世の
ごとく大平安穏の御代はなかりけ
りこれ他なしかくまくもかしこき
東照神君広大仁慈の御恵みに
てはあなりけりされは此御世に生れ
あひて忠輩をはぐむ志もちく仏
神をもたふとまずいたづらになし暮
し殊に念仏申さゞる人は
神祖の冥慮にはづれたる人といふ
べしそをいかにといふにかしこくも其
神祖の御仁慈の源を尋ね奉る
に永禄三年五月今川義元戦死
の後神祖所拝御先祖香火の
地三州大樹寺に入らせ給ひしに時の住
持登誉天室上人いさめ奉りていはく
今かく天の下乱れたる世なれば上下
万民みなこと〴〵くあはれよき名将
出給ひて四海を静謐ならしめ給へ
とねがひ侍るなり此時にあたりて
君もし名利栄耀を求め給ふ私
の御心を捨はなれ給ひてたゞ偏
に国を治め天下をたひらかにして
万民を安穏ならしめんと公なる大
慈悲心を発し給ひて軍陣にむ
はせ給はゝ此御心直に仏心にてま
しませば仏神此御こゝろを哀愍
か被し給ひて遂にその
御仁徳四方にいたり怨敵おのづか
らほろびて天の下をやすらけく治
めさせ給ふ時有べしと申あげさて
これ浄家惣
御籏に厭離穢土吹求浄土
安心の文なり
の八大字を出し奉りていはくこれは
これ此乱れたる穢国をいとひはなれ
はやく安穏なる清浄土となしたまふ
べきを祝したてまつりて随義転
用せるなり
君若此御志を発し給はゞ大慈
大熊菩薩の武将なり我阿弥陀
仏は諸仏に超たる大願わとなり
て浄土の主として十方衆生を授
取し給ふ如く君も諸将に越たる
大願を成就まし〳〵天の下の護り
とならせ給ひて日本の蒼生を愛
愍し給ふべし若此天下千万歳の
末久に静謐に治り侍らは上下万民
今生安穏にして右孝五倫の道
を尽しつら〳〵穢土のいとふべく浄土
の願ふべきを知りおしなへて念仏
し侍らば諸仏菩薩諸天善神の御
守り深く天下和順日月清明に風雨
時を以てし災属起らず国豊に民
安く兵戈用ることなく海を崇め仁
を興し務めて礼譲を修し侍らば
横病横死横難をまぬがれ延手転
寿の巨益を得て後生は浄土に生
れ侍るべしこれ我願ふ所にしてたゞ
檀越の御ためをのみはかるには侍らず
と申上られしかは
神君深く御信伏まし〳〵たち処に
大仁慈の御心を御開発まし〳〵則
浄土の安心を伝へうけ給ひ日課の
御念仏を御誓受まし〳〵けりかくて
此時信長勢のおしよせしかども小勢
にてたちまち勝利を得給ひしかは此
御籏を御開運の御籏と称し奉りて
御当家第一の神宝と崇敬し給ふ
事はあまねく世のしる所なり
その時の
御籏かけ
の松今いよ〳〵繁茂せよかの時に御佩刀を以て斬ら
せ給ひし門の貫の木も御開運の貫の木と号て天下無
比の変物大樹寺にて神の
ことく崇敬したてまつれり
神君御年廿五にならせ給ふ頃甲州
の武田信玄盛していはく
公は弱齢なりといへども其心おとな
して能く徳を以て人を変すと聞
りこれ実の勇士なりもはら仏道を
信じて時々寺に詣て知識を召て
十念といふことをさづかり法の疑ひ
を決し是をもて小勢にして強敵
に勝ことを得るとかや実に他にこと
なるはかりことにて良将の振舞也
と欲じ申されけりかくのごとく生死
に於て協畏の御心ましまさゞり
しは園光大師の御詞に生らは
一念仏の功をいみ死なば浄土へまゐ
りなんとにもかくにも此身には
思ひわづらふことぞなきと仰られ
し生死一致の御安心を決定ま
しまし御念仏申させ給ふ故なり
けりかくて後やゝもすれば虎の尾
をふみ悪魚の口のあやうきに言
せ給ひ強敵の逆浪に鎧の御袖
をぬらし凶徒の矢じりの句
一御兜にそゝぎしかどもあへて怖を
なしはづかしめをうけ給はずして。
終にやんごとなき
御清運をひらかせ給ひしは全く
大慈大悲の御こゝろにて菩薩の武
勇をふるはせ給とし故なりけり世
治り四海安穏となりし後
神君駿府の城におはしませて
ころ崇源院様へ進ぜられし
御文の中にも近年日梁艙を六万
一遍となへ申事老人のいらぬ過役に
て遍数へらし候様にみな〳〵申聞候
成程通数減し候と楽に候へども仏精
修し給ふ事
あさらかなり戦国に生立候て
多くの人を殺し候へば責ては罪ほ
威罪生善の
ろぼしになり参らせ候はん
思召たふとし
□
且
気若より一日も隙にくらし候事は寺き
身故毎日朝起いたし夜もはやく休み
不申怠らぬ様に心懸候事
誓言て怠らせ給
はざる事みつべし
それ故食事のあたりも無之伴にて
念仏のかげと存候
不求目得
と認めさせ
の現益なり
たまへりこれにて御老年まで怠らせ
給はざりしこと知ぬべし
されば江戸にては増上寺観智園師と師檀の
御芳契浅からず松平家御繁栄十八
本願弘通の基本にとて十八檀林を
一定めさせ給ひ京都にては満誉僧正に
台命を賜り円光大師の御遺蹤想
一本山知恩院を恢廣修造し給ひ永
く西国鎮護の道場と定めさせ給ひ
けり往昔円光大海御在世のとき
加茂大神宮常に降臨まし〳〵浄土
の法を愛楽し給ひければ大師も
常にかの神前に歩みをはこび
給ひて末代念仏弘通の御契約
深かりけらし彼下加茂の御霊は
神武天皇にてましませば
神君も殊に御崇信まし〳〵て此天の
下をたひらかにせん事を常に夕御
神に祈りもとめ給としかば神明仏
陀の御加護空しからず遂に天の下
をしろしめして神儒仏三教の
道広く行るゝ太平の御世となり
殊に念仏の法を弘むるの外護と
ならせ給ひしは円光大師の素願に
応じ。神武天皇の神慮にかなはせ
給ふことあたかも符節をあはせ
たるがごとし
神君常の御願に浄土に生れさせ
給ひてす懸り来りて権に神と現
じて永く我国を守護せんとちか
はせ給ひしかば日光山に跡をたれ給
ひて万々世天の下の依頼とはあふぎ
たてよつ
奉れるなり
台徳院様にも常の御願に
神君は神とならせ給へり我は仏と
なりて永く国家を護持し侍るべし
神仏相ともに天下をまもらばあに
大なる日本の幸ならずやとちかはせ
たまひしとなむ
さればかゝる広大仁慈の
神慮にて治りたる御代にしあれは
今の世にありとある人忠孝の道を
等閑にしことに仏道をないがしろ
にし若念仏を申さず剰他の申を
もいひさまたげあるひはそしり又は
にてむなどは勿論
神祖の御本意にもとり侍れは今
世後世冥加にもの御罰を蒙り
侍らん事疑ひを入るべきなしこゝ
ろあらん人此趣を心得て常々よく
も念仏して今世後生仏にうちまか
せたまはゞそれなん
神恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩謝恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩謝恩恩謝謝恩恩恩謝謝恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩恩
なりぬへしとおもふまゝをつゝしみ
かしこみて出しるし奉簡
増補
朝日の恵みはたれ人のあらはせしにや
一神祖の広大なる慈恩をはじめたてま
つり聖代園恩の深重はも歳の佩し砂殊
し奉り且仏恩の不可知議とも尊崇
すべきの大要を記せし書なれば深心随
喜のあまり
一御先祖世々相続て厚く浄家の仏法
を御信仰まし〳〵未曽有の御感応に
て御清運を啓かせられしを思ふかし
一感激のあるり更に衣書の余意を補
ひ諸人に見せしめて永く世に弘通し
貴となく賤となくます〳〵神恩園
恩の罔極を報じ奉り天下泰平の
一助に備へたてまつり自他ひとしく
一世安穏を祈らん事を楽欲する
ものなり
抑御当家御先祖新田大炊助
一義重朝臣深く浄土の要法を御宗敬
まし〳〵けるよりこのかた御代々いづれも
一御宗敬ふかゝりける中にも三州弟四代
松安院殿親忠公文明年中勢誉愚底
上人の勧誘をふかく信じ給ひ無蛍寿
仏の御本願を御崇信治国利民回海
泰平二世安穏の世とならしめ給はんと
て平等大悲の御志広度衆生の御願
全く阿弥陀仏にひとしく遂に三州
にて一寺を御建立勢量上人を請じ
て開山始祖となし給へり上人此寺を成道
山松安院大樹寺と名附たまひしかば
親忠公のたまはく成道松安はしかるべし
大樹の号は其はゞかり有と仰られしかば
上人いはく成道の号は我浄土に往生
して成道せは速に此土に還来して
君が子孫を守り奉りて武門の来道を
得せしめ天下の主たらしめん松安は松平
一家安穏にして遂に大樹将軍に任じたて
まつらんの大願にもとづけりと云々ぞれより
御返代の後天文十一年壬寅九月二十一日
神祖御着胎中御父母二ともに御名君御
一誕生あらせられ四海安穏たるべき御祈願
此時そこぼくの田
産を御寄附被遊
申上べき旨大橋寺へ江付らる
し御寄附状御母堂の御直筆
しかるに同年十二月
今猶大樹寺に現在寺鎮とせりとそ
廿六日御降誕遊されける故御寿命量
りなく長久に御武運隆盛の御祈
念怠るまじき旨仰出されけり是によりて
一長日の御祈願ます〳〵丹誠を抽で侍る
となむ
神君御年十九歳大樹寺に入らせ給へし
ことは本書に出せりそのとき御佩刀を
以て門貫をきらせ給ふ其御刀の跡現
一然として存せるを寺鎮とせり御治世の
一後尾陽の亜相義直御拝覧の時これは
一是先君の遺愛にて天下無比の什宝
たり此御刀痕を拝するかし其時の御製
辛心根に微し落涙するに堪たり皮の拝
一覧せんものたれか祖徳を仰がざらんや
かく最初の御危難より後度々の御烈し
戦にも不思議に仏神のが被力にて御勝
利あらせられ御武式とこしなへに朝陽の
照かゝやくがごとく隆盛に成満ましませ
しは世のよく知る処なり実に
一御当家第一の一の一の一神実なれは御開運の
御貫木と称し神影にひとしく尊崇
し奉るべしとて御袋及び御凾を製し
て奉納し給へりこれによりて大樹寺に
於て尊崇恭敬したてまつりて天下
一集草の御祈願怠る事なしされば宝
暦年中御吉例として江戸
大城より新し錦の御懐御紋附
の御箱御寄附あらせられ文化十三年
丙子二月にも大城に請じ給ひ
御拝覧御感佩の余り正五九月
御武運増盛御祈願の御守札永く
献じたてまつるべきの
台命を蒙れりこれによりて満山長ヨ
の御祈念憎々怠慢有ことなしとなしとなしとなしとなしとなしとなしとなしと
抑神祖宿願輪に乗じたまひ
○清和天皇の後胤新田義重公十八代の
嫡孫世良田の子孫徳川氏松平の御家
に御誕生まし〳〵賊徒野心のためかし義
一兵を発し給ふ事凡七十三度御烈
戦中死地に就んとほつし給ふこと十
八度の御危難なりしをも浄土生死
一致の御安心決定十八願王無量
寿仏の所誓を御信仰日課念仏御
増進まし〳〵終に仏の成道し給ふが
ごとく世間武門の成道まし〳〵
征夷大将軍に任じ永く
皇国の鎮護として一天四海を掌握
し給ふ事これ全く仏力加社の志か
らしむる所なれは其慈恩に残んと
おぼしめして浄土の教賞十八箇寺
を御鼎建有徳の僧を選で住職せし
め給へり今猶台命を蒙りて住
職する十八檀林これなり是則十八公の
栄を祝し給ふ御志なりとぞ実も
大枝寺開山勢誉愚底上人懸来守護
の大烈空しからず登誉天室上人全く
其後身なるべしといへりさらずばいかでか
神君と針芥相投じて師檀の芳幹
一残らず遂に治国利民の大願を成し
給ふべきされば御当家累世変更
なく浄土宗門たるべきの御規定ありし
は是容易の事にあらず上に随ふは
下たるものゝ常なれば鎮護国家往生
浄土二世安穏の御念仏を一天四海津
津浦々にいたるまでも残る処なく永久
に伝へんとおぼしめされし広大仁慈の
御神慮ぞかしさるを或書にいはく
一神祖晩年台教をきこしめし
一御先祖八代の浄土宗をあらため念仏
を廃して台親を修したるふとかける
神慮を知らざる私説なる事知ぬべし
一本朝高僧伝にも浄修をゆるべて三観
の門に帰給ふとかけるは彼私説によれ
御生涯御念仏
るあやまかなるべし御生涯御念仏
を怠らせ給はざるは本書にあげたる
御文にても能しるべし又御自ら一
首の和歌を詠じたまひ大樹寺に奉
納まし〳〵ける其御ことば書に
一家弓馬の家に生れ身を軍陣
に寄度々危難に会といへども九
郎本尊の慈悲を以てまぬがれし
事誠に広大の仏恩なりと
量はなき命は弥陀の誓ひにて山を
切抜六字とはなる
此御詠も御直筆にて今猶大樹
寺の寺法とせり見つべし広大無遅の
大慈大悲にてるし〳〵けることを然るに
此御仁恵にほこり飲食にふけり飲食にふけり飲食にふけり飲食にふけり飲食に
にほだされ忠葉仁義をはげまず仏
神をも尊まずいたづらになしくらし剰
念仏を申さぬのみか甚しきは浅きら
ふ類の人は神祖の冥慮にはづ
れたる人にして二世不得の悪人たら
んよろしくみづからかへかみて朝日
の御恵みを仰きたふとむべし
ト九
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