井蛙抄
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- 釋頓阿
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- 釋頓阿
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- 日本語
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- セイアショウ
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- 東北大学
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- 2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
同同四
井蛙抄上
}
第一
風体事
狩野氏図書記
四条大納言
新撰能脳云
凡哥は心ふかくすがたきよけにておかし
公任撰之
き所あたをすくれたりと云へしことおほくそへくさりてよ
みたる大わろきなり一すちに姿すくかかなるへし皆心
あひてする事かたくはまつ心をとるへしそのすかたと
いふはうちきゝきよけにてゆへありて歌ときこえもしは
めつらしくそえなしたる也いにしへの人おほく歌枕をおきて
すゑにおもふ心をなんあらはしけり又云凡詞いやしくあまり
おいらかなることはなとらしへらなとふるきことつねによむ
まし又古くよめること葉をぬしにしたるはいとわろし俊
頼口伝に云大方哥○よしと云は心をさきとして珍しきふし
をもとめ詞をかさりよむへきなりこゝろあれとも詞
かさゝされは哥おもてはめてたしとも聞らす詞かさり
たれどもさせるふしなけれはよしともならすめてたきふし
あれともいうなる心詞なきは又わろしけたかくおもし
ろきを一の事とすへしこれらをくしたらん哥は世のすゑ
にはおほろけには思〳〵へからす金玉集といふ物ありその
集なとの歌こそはそれをくしたる歌なめれそれを御らんし
て御心をえさせ給ふへきなり
古来風体云哥のよき事をいはんとては四条大納言正卿は
かねの玉の集となつけて道俊卿の後拾遺の序には
ことはぬいものゝことくに心うみよりふかしなと申されためれて
かならずしも残ぬいものゝことくならねとも歌はたく
よみあげもしは詠しもしたるになにとなく艶にも
あはれにも聞ゆる事のあるなるへしもとより詠
哥といひてこゑにつきてよくもあしくも公ゆるもの也
一被進梶井
詠哥大概
宮掛
云心はあたらしきをさきとす人のいまた
よまさる心をもとめて是をよむ言葉はふるきをもとめ
て用ゆへしことはゝ三代集をいつべからす風躰は可数堪
能先達之秀哥不レ論二古今遠近一よろしき哥を見てそのへ
砕にしたかふへし又云つねに見ならふべきは古今停
勢物かたり後撰拾遺卅六人集の中にことに上手のうたを
こゝろにかくへし人麿貫之忠峯伊勢小町等のたくひなり
和歌の先達にあらすといへとも白氏文集の第一第二の惜
をつねにとりもてあそふへしふかく和歌の心に通する也
和歌に師なし只ふかき歌をもて神とす心を古風に
そめて詞を先達にならはゝたれ人か詠せさらむ哉
新撰髄脳云いにしへのよき歌
世中をなにたとへん朝ほうけこきゆく船の跡のしら波
あまの原ふりさけみれは春日なるみかさの山に出し月かも
貫之祈恒なか比の上手也今人のよむは此人のなかれなり
貫之歌
おもひかねいりかりゆけは冬の夜の河風さむみ千鳥なく也
みつねうた
わか宿の花見かてらにくる人は散なん後そ恋しかるへき
かね感哥
かそふれはわか身に波もる年月を送りむかふと何ゑくらん
なを
さゆる
けしき
に
しり
山桜
また冬
こもる
梢
かからん
しとふ
へき
冬
には
雪の
おかれ
ゐて
春とも
いわず
さゝ
わたるらん
此哥は貫之言哥の中の本体にすへしと云けり
摂津国のなからの橋もつくる也今はわか身を何にたとへん
是は伊勢の宮す所の中務君になからむよにはかやうに哥
よめといひけり
恋せしとみたらし川にせしみそきかみはうけすも成にける哉
是は源養父かえ輔にをしへける義也かやうに哥はかむへさにこそ
五条歌合の判に哥はかならすしも才学をふるひて絵師の
ゑの具をつくしつくもつかさの木の色をさま〳〵に
わりすへたるやうにはあらさるへしたゝよみあけうちなかむか
にけにとおほえておかしくも聞ゆるすかたなんあるへきたと
は在中将の月やあらぬとよみ紀貫之かしつくににこる
といひをきたるやうなるへし
同
京極被レルレを二右府将軍一抄言近世の人はたゝひえたる
風情を卅一字に云つゝけん事をさきとしてさらに姿詞の
おもむきをしらす是によりて世のすゑの哥はたとへは
田史のはなのかけを去商人の鮮衣をきけるかことし
しかれとも大納言経信卿俊頼朝臣左京太夫顕輔清輔朝臣
ちかくは亡父卿則このみちをならひ侍りける基俊と申ける
人このともから末のよのいやしきすかたをはなれてつねにふるき
哥をこひねがへり此人〳〵の思ひ入てすくれたる哥はたか代に
もおよひてや侍らん
大納言経信
ゆふされは門田の稲葉音つれてあしの丸屋に秋風そす
君か代はつきしこそ思ふ神風やみもすそ川のすまん限は
興津風吹にけらしな住吉の松名しつ元をあらふ白波
俊頼朝臣
山さくら咲にし日より久かたの雲井にみゆるたきの白糸
なち瀧津やそうち川の早きとに着こす波は千世の数かも
是ははれの秀歌の本躰と申へきにや
鶉なくまのゝ入江のはま風に瓦花なみよる秋の夕暮
ふる卿はちる紅葉ゝにうつもれてのきの忍ふに秋風そ吹
是は幽玄に面影かずかにさむしきさまなり
あすもこん野路の玉川萩こえて色なる浪に月やとりけり
思ひ草塗すゑにむすふ白露のたま〳〵きても手にも”たまらす
是は面白見所ありて上手のしことゝみゆ
うかりける人を初ごの山おろしみはけしかれとはいのらぬ物を
是は心ふかく詞心にまかせてまなふとも云つゝけがたき
誠におよふましき姿なり
顕輔卿
かつらきや高間の山の桜はな雲井のよそにみてやゝみ南
秋風にたなひく雲言の終間よりもれ出る月の影のさやけさ
高砂の瓦上の松をふく風の音にのみやはきゝわたるへき
清輔朝臣
冬枯の森のく地葉の霜の上に落たる月の影の寒けさ
君こすはひとりやねなんさゝのはの山もそよにたやく霜子を
難波人すくもたく火の下こかれうへはつれなき我身也けり
ならへは又この比やしのはれんうしと見しよそ今はうひしき
先人俊成事
又やみんかたのみのゝ桜かり花の雪ちる春のあけほの
世中よ道こそなけれ思ひ入山のおくにも鹿そなくなる
住わひて身をかくすへき山里にあまりくまなきよはの月哉
立かへり又もきて見ん松嶋やをしまのとまや波にあらすな
思るきやしちのはしかきかきつめてもゝ夜もほしまろねせんとは
基俊
あたら夜をいせのはま萩折敷ていも恋しらにみつか月かな
契り出しさせもか露を命にてあはれことしの秋もいぬめり
八雲御抄云第一に哥のよきやうは只すくにえんなるへきなり
脇を此躰心にまかせていひかたき故に心にもりて艶なる
は第二疋えんならむとすれはかならす心たゝす心すぐな
らんとすれは又艶ならざる也只えんならすといふとも心をたし
かによむべし返〳〵やさしきをこのむへからす同御救云させ
ることなき事をよくいひつゞけめつらしからぬ事をあたらし
く云なすへき也むかしよりよみたる詞いつれかいはゝ珍しかる
きたゝいひなしからによりてめつらしきなり上句くたけた
ちは下ゆかまてすくに下旬くたけたらは上旬をすくによむ
し上下ともにごくなるは本也上下ともにくたけたるは
秀歌にこれをきかず
又云詮する所貞義の肝心すくに哥をよめとをしふるをせん
とする也努々他のやうを好へからす
京極放送二衣笠一状に云まつ哥はたし和国の風にて侍るまへは
先格もくれ〳〵かきをける物にもやさしくものあはれによむへ
き事とそ見え侍るけにいかにをそろしき物なれと哥によみ
つれは僕に聞なさるゝたくひそ侍る其にもとよりやさしき
花よ月よなとやうの物をおそろしけによめらんはなにの
せんか侍らむ扨もこの十声の中には何も心あるやうにす
きて哥の本意と存する医は侍らすきはめて思ひえ
かたら候とさまかうさまにてはつや〳〵つゝけらるへからす
よく〳〵心をすましてその一境にいりふしてこそまれにしよま
るゝ事に侍れされはよろしき歌と申歌ことに心のふかき
をのみそ申めるあまりに又ふかく心をいれんとてねちすくさは
入ほかのいかへりうたとて堅固ならぬすかたの心えられぬは心
なきよりもうたてくみくるしき事にて侍る此さかひかゆゝ
しき大事にて侍る尚々よく〳〵斟酌あるへきにこそ
私言心あると云々体よく心得へき事也近日の人風情緒し
く興ありてたくみ出したる心あるとおもへりさらにしからさる
事也風雲草木の感につけても又世間盛衰などにつ
けて思ひ入たる心あるとは申也故戸部申されしは貫之か桜ちる
木の下風のうた風情おもしろくめてたけれとも是をは心ある
哥とは申さす遍昭僧正出家のときめのゝのもとへたしちねは
かゝれとてしもむは玉の我くろかみをなてすやありけん
是こそ心ある哥の本よと申されきこれすなはち家の
一庭訓也とたしかに申されし也これにてよく〳〵心うへし
六百番歌合余寒
左持
季経卿
なをさゆるけしきにしるし山桜また冬こもる梢なるしん
右
中宮権大夫
宿
ゆる
庭の
木野
葉を
ふみ
わけ
月は
見るやと
登山
山川
絹はなれ
はなれ
住おしの
御志之儀候
なみ
の
うへ
かな
一一一、、、、、、、、、〇
したふへき冬には雪のはとくれゐて春共いはすさえほるらん
右方申云左歌初五文字に題み分あらはれたる念なし
左陳云初五文字に是の字よむ事不残計左方申云
非珍判言此両首敵姿は優にこそ見え侍かめれ大かたは
近来の哥よみの肖姿詞はしれるかしらさるか偏曲折
微妙の風情を不盡之外は非レ珍の四令存申之条不及
甘心事にや但右のうた雪のをくれゐてといへる詞いますこし
おもふへくや侍らんと見え侍れと未句よろしく侍るにや勝
負不一分明歟
広田社歌合述懐
左
実家
むかしよりめくみひろ田の神ならはさりとも秋の心しるらん
右
登蓮
いつまてかわか世のほとをたのみつゝはかなくすくる月日成ん
左哥めくみひろ田のなといへる心はあまたみえ侍る中に
秋の心をよせられて侍るはいとおかしくこそ侍るめれ
宜将愁字作秋心をといへる詩の心なるへし右歌ことは
に花をもとめ文に玉をかされとも詞つゝきもしすくな
に聞えてよろしくこそ見え侍れ誠之至源者其詞先
詞文之偏質者其躰少躰と云て是ひうつのすがたに侍るへし左るや
さりとも秋のといへる心あはれに聞え右ははかなくすくす月日
なるらんとよめる姿風体にかなへり又猶持とす
西行御裳濯河哥合
をしなへて花の盛に成にけり山の端ことにかゝる白雲
判云右歌うるはしくたけ高くみゆ左こともなくうるはし
勝とや申へからん
同歌合
花にけむ心のいかて残りけんすて果てきと思ふ我みに
判云右歌いとおかし但左哥なをこともなくよろし坊と
や申へき
同歌合
吉野山やかて出しとおもふ身を花散なはと人や侍らん
〽判云左哥こともなくよろし勝とや申へからん
同歌合
霜さゆる庭の木葉をふみ分て月は見るやととふ人も哉
山川にひとりはなれて住をしの石しらるゝなみのうへ哉
右歌いみしく艶には聞ゆれと左歌猶すかた詞よろし
かちと申へし
私云わつかに卅六番哥合にこともなくてよろしと云
事三所にかゝれて侍る別者本意爰にて侍るへし
順徳院御百首
春よりも花はいゝかもなき物をしいてもおしめ鶯のこゑ
かやうにやすゝかにもとめ出しくさりつゝけ候ても三代某は
上の姿は候物をされとも未たはらくるしく存候輩かゝる心の
候へか
かけしあれはおられぬ波もおられけりみきはの藤の春のかさしに
五句非新造風情始出来候め此事殊難有今悦目候
ともしゝてこよひもあけぬ玉くしげ二村山の峯のよこ雲
五句卅一字悉決め擲玉光明照耀冠冠殊勝候
人ならぬ岩木もさらずかなしきは見つの小嶋の秋の夕暮
此卅一字又毎字難レ押二感涙作玄之玄最上候歟
中務卿親王文応三百首に
音羽山はな咲ぬらしあふさかの関のこなたに匂ふ春風
毎句美麗に候かくこそあらまほしく候へ珍宅〳〵
雲はらふ夕風わたるさゝのはの音やさやかにいつか月影
たゝかやうにやすらかにうつくしくこそありたく存候へ
当流撰者初度撰之時自詠を撰入られたるは雲至
極本意哥なるへし風神本根の為に書出之
千載集には撰出候初は十一首也勅是によりて廿五首を加
て卅六首也十一首は殊玄之言なるへき故に注こく
皇太后宮大夫信成
みよしのゝ花のさかりをけふみれはこしのしらねに春風そ吹
夕されは野への秋風身にしみてうつなくなるふかくさの里
月さゆる氷の上にあられふり心くたくる玉川のさと
浦つたふ磯のとまやのかり枕きゝ毛ならはぬ風の音かな
あはれなるのしまかさきのいほり弐露をく袖に彼もかけけり
思ひきやしちのはしかきかきつめて百夜も同し丸ねせんとは
たのめこし野への道芝夏ふかしいつく成らんもすの夢くき
あふ事に身をかえてとも侍へきをよゝをへたてん程そ出しき
住わひて身をかくすへき山里にあまりくまなきよはの月哉
雲のうへの春こそさらにしられね花はかすにも思ひ出しを
いたつらにふりぬる身をも住吉の松はさりとも哀しるらん
新古今京極歌は自余撰者并為叡慮之入之間作月
撰仍新勅撰哥注出之
権中納言定家
名もしるし峯の嵐に雪ふる山桜戸の明ほのそら
久方のかつらにかくるあふひ草空の日かりにいゝよ成らん
天の原おもへはかはる色もなし跡こそ月のひかり也けれ
あけは又秋のなかはも過ぬへしかたふゝ月のおしきのみかは
しくれつゝ袖さにほさぬ秋の日にさこそみむろの山は染らめ
ちりもせし衣にすれるさゝ竹の大宮人のかさすさくらは
松か根を磯辺のなみのうつたへにあらはれぬへき袖の上哉
恋しなぬ身のをこたりそ年へぬるあらは逢世の心つよさに
こぬ人をまつほの浦の夕なきにやゝやもしほの身もこかれつゝ
くるゝ夜は衛士の焼火をそれとみよむろの八島も都ならねは
逢事は忍ふの衣あはれなとまれなる色にみたれそめけん
たれも此あはれ見しき玉のをにみたれて物を思はすもかな
しのへとやしらぬむかしの跡をへて同し形見に残る月かけ
おさまれる民のつかさのみつき物ふたゝひきくも命也けり
百敷のこの末を出るよひ〳〵はまたぬにむかふ山の端の月
続後撰
続後撰前大納言為家
明わたる外山の桜よの程に花さきぬらしかゝるしら雲
あたになと咲はしめけんにしへの春さへつゝき山さくら哉
天河とをきわたりに成にけりかたのゝみのゝ五月雨の比
龍田山よその紅葉の色にこそ時雨ぬ松の色も見えけれ
そめあへすしくるゝまゝに手向山紅葉をぬさと秋風そ吹
いすゝ川神代のかたみ影とめて今もくもらぬ秋のよの月
秋へ
あさに
日かけ
夏候
のこれ
とも
くるゝ
まかきは
萩の
上風
時雨
には
色母
からら
高砂
の
尾上の
松に
秋風
ふく
見しめゆふ三輪の夜村ふりにけり是や神代のしる〳〵成らん
老らくのおやのみるよと行こし我あらましを神や受らん
逢まての恋そ哀に成にける年月なかき物おもへとて
たのましな思ひとひぬるよひ〳〵の心はゆきて夢にみゆらん
みちのくのまかきの島は白州の浪もてゆへる名にうそ有けれ
続拾遺
前大納言為氏
はるかなる麓はそことみわかて妻のうへに残る山の陽
よしの山いゝよの春かふりぬらん瓦上の花を雪にまかへて
さそのよの霞のまより山のはをほのかに見せていつる月影
いまよりの衣かりかね秋風にたか夜寒をか鳴てさぬらん
かけやとす月のかつらもひとつにて空よりすめる秋の川水一
す鹿のかゞや開の戸かけて立波を月に吹らす秋の塩かせ
露霜のおくての稲葉色付てかり菴さむき秋の山風
紅葉はの秋の名残の形見たに我とのこさぬこからしの風
さゆる夜の嵐のかせに降そめてあくる雲まにつもる白雪
余情
忠峯十体云余情躰
我宿のはなみかてしにくる人はちりなん後そ直しかるへき
今こんといひしはかりに長月の有明の月を待出るかな
おもひかねいもかりゆけは冬のよのかは風さむみ千寺なく也
音羽川せき入て落す瀧津とに人の心の見えもするかな
和田のはら八十島かけて漕出ぬと人にはつけよ海士の釣舟
土任卿
四条大納言
和哥九品
上と言葉たへにしてあまりこゝろさへあるなり
ほの〳〵とあかしの浦のあさ霧に嶋かくれゆく船をしそ思ふ
春たつと云はかりにや三吉野の山も霞て今朝はみゆらん
上中言葉うるはしくあまりのこゝろさへあるなり
太山にはあられふるらし外山なかまさきのかつら色付にけり
相坂の関の清水にかけみえて今やひくらん望月の駒
日吉社歌合奥書云五条俊盛卿かたおかしきを云ことの
理をいひきらむとせされとも本より詠歌といひてたゝよみあけ
たるにもうちなかめたるにも何となく艶にも幽玄にも聞ゆる事の
あるなるへしよき歌になりぬれはそのことは姿の外に京気の
かひたるやうなる事のあるにやたとへは春の春の花のあたりに雲段
たな引に秋の月のまへに鹿のうゑを聞かぎねの梅に春風に
ほひ峯の紅葉にしくれのうちそゝきなとするやうなる事のまひ
てそえる也つねに申やうには侍れと月やあらぬ春やむかしのといひむすふ
手のしつくににこりなといへる何となくめてたく聞ゆる也かやうなり
すかた詞によみにせんとおもへら歌はちかき世には有かたき
事なるを此ちかきとしよりこのかた見え侍りみ
六百番歌合残暑
右
信定
秋あさき白かけに夏は残れともくるゝまかきは萩の上風
刺云右は有餘情之体侍るへしなすゝへて可為持
千五百番
左
有家朝臣
しゝれには色もかはらぬ高砂の瓦上の松に煤風そふく
京極黄門判言左哥雖有余清可謂無殊事
第二
取本寄事
八雲御抄にこれ第一の大事上手ことに見ゆる事
なりしかあれと又いと上手ならぬ人もふる哥よくとる
もあり上手の中にもふる哥をえこゝぬもあり此二様
あり一は詞をとりて心をかへ一は心なからとりて物をかへ
たるもあり詞を取て風情をかへたるはよし風情を
とる事は尤見舞心をとりて物をかふとはたとへば古
今歌に月夜よしよゝしとへに告やらはこてふに似たれと
よめる。万葉にわか宿の梅咲たりとつけやらはこけふに似
たりちかぬともよしといへるをとれり是にかきらす詞をとりて
心をかへたるは又おほし万葉の哥なとをは本哥とるやう
てそえる也つねに申やうには侍れと月やあらぬ春やむかしのといひむすふ
手のしつくににこりなといへり何となくめてたく聞ゆる也かやうなる
すかた詞によみにせんとおもへら歌はちかき世には有かたき
事なるを此ちかきとしよりこのかた見え侍りみ
六百番歌合残暑
右
信定
秋あさき日かけに夏は残れともくるゝまかきは萩の上風
判云右は有餘情之体侍るへしなすらへて一レ為粉
千五百番
左
有家朝臣
しゝれには色にもかはらぬ高砂の瓦上の松に財風そふく
京極黄門判言左哥雖レ有余情一可レ謂レ無二殊事一
第二
取本寄事
八雲御抄にこれ第一の大事上手ことに見ゆる事
なりしかあれと又いと上手ならぬ人もふる哥よくとる
もあり上手の中にもふる哥をえこゝぬもあり此二様
あり一は詞をとりて心をかへ一は心なからとりて物をかへ
たるもあり詞を取て風情をかへたるはよし風情を
とる事は尤見苦心をとりて物をかふとはたとへば古
今歌に月夜よしよゝしとへに告やらはこそふに似たれと
よめる。万葉にわか宿の梅咲たりうつけやらはこてふに似
たりちかぬともよしといへるをとれり是にかきらす詞をとりて
心をかへたるは又おほし万葉の哥なとをは本歌とるやう
としもなくすこしをかへてよめるもおほし人こと
は夏野の草のしげくとも伊もとわれとし
たつさはりなはといふ歌をとりてことは夏野のし
げくともとよめり
足曳の山たちはなの色に出て我こひなむをや
めんかたなしといふを山たち花の色にいつなとゝれりめか
り塩やきいとまなみくしけのをくしとりてたに見すと
いへるをしほやきいとまなみとはとれりすまのあまの塩
やきゝぬの藤衣まとをにあれはいまたきなれすこれを
しほやくあまの藤衣とはさなから哥をとるとしもなく
となりみしつくににごる山の井のといへる人丸か給ふもの
石まをせはみおく山の岩かきしゝうつあかすも有かな
と云哥をとれりしかのみならす三わの山しかもかくす也
ゆく水にかすかくみなせ川ありて行水ことにむと
いはぬなといへる万葉集のふるき詞をとれり古歌
に衣たになかに有しといへるを後撰哥につらからぬ
なかに有こそうとしといへるなともかすしらす上古は
かくのことし中比は歌とる事まれ也近代は又おほし
その中にわさとめかしく耳にたちて是をとりたるを
註にてわか心もことはもなきは返〳〵此道の魔
也尤このむべからす近代俊頼哥なとはやう〳〵と
る事になりにたりそれもなをちかき哥をとるに似た
り哥をとらむには猶ふるき哥をとるへき也東三
条左大臣
源常祝儀源氏左大臣
左大将斎衡元年薨廿七日
せおりてかざゝん老かくる
やとゝいへるをみつねか老方かくれぬこの春はとよめ
るすこしちかきよのためしなりこゑなかりせは雪
きえぬとよめるは谷より出る聲なくはといへるをさ
なからとれりされとこれは哥をとるさほうにあら
す歌取に自然にかよへるか猶ふるき歌とることに
まめなる人の所為。まこゝに一の事なれと我とめつらし事
よみたらんには猶おとるへくやすへて未代の人いま
は哥の詞もよみつくしさのみあたらしくよき事は有
かたけれはたゝよは〳〵とある哥はよろつの人にかは
りたる所もなき事を上手のけちめあらむとておそ
ろしき万葉集の詞ふる歌とりなとしてまへを
はらふはかならすよくよめりとおもはね共すこし
おかふ
とち
そこ
と女
いはす
花の
宵かせ
つ
暮ぬ
野へ
の
二馬
たれを
いふ
まつ
とは
なしに
山陰や
花八
しつく
に
立そ
ぬれ
たる
けちめあらむとするなめり二句なとはいかせん
三句とる事尤しかるへからす凡古哥の詞いたく
とるをは先達なんする事なり
彼進梶井宮抄に古哥をとりてあたらしき歌を
詠事五句の中に三句にをよはゝすうふる過分めつら
しけなし二句のうへに三字四字是をゆるすなを
是を案せよ同事を以て古歌詞を詠するは
念なし花をもて月を詠し
月を以て花を詠す四季の歌をりて恋雑の歌
を詠し恋雑の哥をもて四季の哥を詠すかく
のこときの時古歌を取に難なし
足曳の山郭公三吉野のよしの山
久かたの月のかつら
久かたの月のかつらほとゝきす鳴やさ月
玉ほこの道行人
かやうの詞またく幾度なりともはゝからす
年のうちに春はきにけり月やあらぬ春やむかし
一桜ちか木のした風ほの〳〵とあかしのうら
かくのことくのたくひ二句なり共さらに詠へからす
私云本歌をとれるやうさま〳〵也一の縁は古歌の
詞をうつし上下にをきてあらぬ事をよめり
名とり川春の日数はあらはれて花にそしつむその埋木
此名とり川さゝの埋木あらはれはいかにせんとか逢見そめけん
なをさりの小野の浅茅に玄露も草葉にあまり秋の夕くれ
浅茅生の小野ゝしの原忍ふれとあまりてなとる人の恋しき
散毛のしかたみのみねの雲そをたにのこせあこゝれたみに
あかで祐思はん中ははなれなめそをたす後のしかたみに
春のかのあけのそほ舟ほの〳〵といた山もとを霞きぬらん
一旗にきて物かなしさに山本のあげのそほふね興に出見想
大とものみつのみつのみつのみつのみつのみしうつむ白雪
いさ子共はや日本へ大とものみつのはま松まちにいぬらん
たをやめの袖もほしあへずあすか風たゝいたつらに春雨そ降
たをやめの袖ふきかへす飛鳥風都をとをみいたつゝに吹
乙女子かかさしの桜咲にけり袖ふる山に参らるしら雲
乙女子か袖ふる山のみつかさの久しき世より思ひ初てき
見すもあらすみもせぬかけの半天にあやなく心あむ春のかの月
みすもあらすみもせぬ人の恋しくはあやなくけふや詠くゝさん
一一やう本哥にかひそひてよめり
くひすのなけ共いまた降雪に杉の葉しろき相坂の山
梅か枝にきゐる鴬春かけてなけともいまた雪はほつく
思ふとちそこ共しらす行書ぬ花の宿かせ野辺の嶌
おもふとち春の山辺にうちむれてそこ共いはぬ旅ねしてしか
きり〳〵す時や霜よのさむしろに衣かたしきひとりかゝねん
さ筵に衣かたしきこよひもや我を待らんうちのはし姫
萩か毛ま袖にかけてたかまとの尾上の色にひれふるや誰
高円の野への秋蒔いたつらに吹かちるらん見る人なしに
たへてやは思ひあり共いかゝせん萍のやどの秋のゆふくれ
思ひあらはむくらの宿に秋もなんひしき物には袖をしても
源孝の里の月影さひしさも住こしまゝの野辺の秋かせ
年をへて住こし里を出ていなはいとゝ深草野とや成まん
一のやう本哥の心にすかりて風情を建立し
たる三の本奇に贈答したる姿なとふるくいへる
も此すかたのたぐひなり
消なくす又やみ山をうつむらんわかなつむ野も淡雪そ降
み山には松の雪たに消なくに都は野への若菜つみけり
にほの海や月の光のうつろへは波の花にも秋は見えけり
草も木も色かはれともわたつその浪の花にそ秋なかりける
卯花のまかきは雲のいつことて明行月の影やとるらん
夏のよはまた宵なから明ぬるを雲のいつらに月宿るしん
天川とをき渡るゝになりにけりかたのゝみのゝ五月雨のまつ
天川とをき渡りにあらねとも君かふなては年にこそまて
久かたの中なる川のうかひふねいかに契りてやみを待らん
久方の中に生たる里なれは光をのみそたのむくらなる
志賀の浦や土とさかり行波間よりこほりて出る在明の月
さよふくるまゝにみきはや出ならん遠さかり行しかの浦浪
ゆく春もよるはこえしととまゝなんくるゝまかきの山吹の花
夕暮のまかきは山とみえなんよるは越しとやとりもとるへく
春よりも花はいくにもなき物をしゐてもおしめ鶯の舞
ぬれつたてしゐて折つか年の内に春はいくかもあらしく思へは
うきよりは住よかりけりとはかりに跡なき霜に杉たてる門
山里は物のさひしき事こそあれよのうきよりは住よかりける
霞ゆく難波の春の明ほのに心あれなと身をおもふかな
心ある人にみせはやつの国のなにはあたりの春のけしきを
人とはゝ見すとやいはん玉津嶋かすむ入口の春の明ほの
玉つ島よく見ていませあをによしならなる人の経。とはゝいかに
一のやう本歌の心に成かへりてしかもそれにまつ
はれすして用なる心をよめる哥これは拾遺忌
草中につねに見ゆる所なり
大空は梅の匂ひにかすみつゝくもりもはてぬ春の夜の月
一照もせすくもりも果ぬ春のよの鬱月よにしくものそなき
駒とめて袖うちはらふかけもなしさのゝわたりの雪の夕暮
にはかにもふりくる雨かみわか崎きのゝ渡りに家々あらなくに
高砂の尾上のしかのなかぬ日もつもり果ぬる松のしら雪
秋風のうち吹毎に高屋の瓦上の床のなかぬ日そめに
名取川いかにせんともまたしらす思へは人をうらみつるかな
名取河瀬の埋木あらはれはいかにせんとか逢見易けん
やとりせしかり庵の萩の露はかり消なて袖の色に恋つゝ
秋の田のかりほの庵の匂ふれ咲る秋舞見れとあかぬかも
白州の袖の別に露おちて身にしむ色のあき風そふく
白妙の袖わかるへき日を進み心にむせふなきにもあらす
秋はいぬ夕日かくれの岑の松よもの梢の後もあひみん
山高み夕日かくれのあさち原後みんためにしめさゝましを
ちきり置しすゑ野の原のもと出しはそれ共しらしよその巻枯
一石上ゆるからをのゝもとかゝはもとの心はわすられなくに
たつねぬは思ひしみわの山そかししられねもとのつゝきおもかけ也
三輪の山いかに待みん年ふ共たつぬる人もあらしとおもへは
白州の衣手かれていくかへぬ草を冬野の夕くれの空
山風の吹ぬる
ぬる
からに
音羽川
せき
いれぬ
花
も
滝の
同浪
朝日
かけ
にほへに
山の
梅花
つれなく
きらぬ
雪
うとそ
見る
本哥ふみ
一のやう本歌のたゝ一ふしをとれる哥
朝白影にほへる山のさくしはなつれなく消ぬ雪かとそみかへ
朝日影にほへる山にてる月のあかさる君を山うしにして
玉鉾の道もやとりも白露に風の吹しく野路のしのはらへ
しら露に風の吹しく秋のゝつゝぬきとめぬ玉そ散ける
うき身をは我たにいとふいとへたゝそをうに同し心と思はむ
あかてこそ思はん中ははなれなめそをたに後のわすれさみに
夜もすから月にうれへてねをそ鳴命にむかふもの思ふとて
たゝにあひて見てはのみこそ玉きはる哀にむかふわか恋やまめ
わすれしの人たにとはぬ山路哉御くらは雪にふりかはれとも
忘れしの行末迄はかたけれはけふをかきりの命ともかな
本歌二首を以てよめり
一千五百番歌合定家
はてはたゝあまのかるもをやとりにて枕さたむる扇〳〵そなき
いくよしもあらしわか身をなそもかくあまのかるもに思ひ乱るゝ
よひ〳〵に枕さたむか方もなしいかにねしよる夢に見えけん
信実朝臣
老となる物とはしりぬしかりとてそむかれなくに月をみか哉
大かたは月をもめてしうれそ此つもれは人の老となるもの
しかりとてそむかれなくにことしあれはせんなけかれなあなう世中
一取古名哥句事
廣田祐哥合季之
こきはなれしほちを行はあはち島かゝるゝ迄になかめつるかな
新た
裁
五条判言左哥すがたは宜しくこそ侍るを下句やかのか
くるゝまてにかへり見しなといへる名哥のめてたく侍るを
はいかゝときこえ侍る也ふるき哥一二句とるもつねの
事なれとさくらちるとをくこと葉はたるへくはへるなり
一私兵恵慶能因すてに桜ちるとをきて侍りかやうの事
人にしたがふへきにやあかりての人は別の事にて今の通
の人はなをはかるへしとにや侍らん
桜ちる水の面には土きとむる花のしからみかくへかりけり
桜ちか春の山辺はかりけり世をのかれにとこしかひもなく
一本歌詞取過事
鴨長明抄云御所の御哥合に暁鹿を読侍し時
〽今こんとつまや契りし長月の有明の月にをしか鳴かせ
此哥はことあらやきしとて勝にきされと定家朝臣当座
にて占難きかの素性か哥にわつかに二ゆこそかはりて侍れ
かやうにおほく似たる哥はその句を置かへて上の句を下になし
なとつくりあらためたるこそよけれこれはたゝもとの台所にて
むねの句とむすひ句とはかりかはれるは難とすへしとなん侍りし
京極彼還二西番江大納言奏良卿一消息云近来諸人上手
風請術昼之時
名誉之輩偏好詠候一様
名誉之輩編好詠候一様自身自体之亡父不許候事
三代集已下古哥之三句を取添て用二自哥事自題
同心殊禁制候
万葉集古歌長歌龍頭等之詞頗其難一渡之由申候さ
毎人雖レ詠レ之少々覚悟事
家隆卿
泊瀬山うつろはんとや桜花色かはりゆく峯のしらむ
春霞たなひく山の桜はなうつろはんとや有かはり行
範永郷
さひしさに薪折くふる山里も身より思ひ給ふりやは立
め此類作
中務卿親王御歌言
音羽山はな咲ぬらし相坂の関のこなたににほふ音かせ
民部卿毎句花麗通々かゝ候そ有度候へ珍重にも
音羽山音に聞つゝあふ坂の関のこなたに年をふる哉
私云此うた本哥已及二三句殊有二穢美之詞可謂不審
九条前内符被付詞言本哥似過候歟古哥句之在
所及二三句一為同所二者候先達申二無念之由一作歟
六百番歌合
右
左右ともに無レ程こく由申こく
とふとちそこ共いはす行暮ぬ花の宿かせ野へのうゝひす
判云右歌は素性法師の思ふとち春の山辺にうちむれ
てそこ共しらぬ旅ねしてしかと云後哥をとりすくせる
にや侍らんこれは鶯に花のやとかれるあまりさへ艶なかへ
にやふるからすは枕なとにや侍らん
一万笹等本哥歌褒美術
千五百番預合
左勝
左大臣
誰をけふまつとはなしに山陰や花のしつくに立そめかれたる
右
雅経
山風の吹ぬかからに音羽河せきいれぬはなし瀧の白浪
左はかの万葉の山のしつくに我たちめれぬへといへる歌の
心をとりて花のしつくにたちそぬれぬるといへる心いみ
しく艶に見え侍るを右又人の心の見えもするかなといへ
る歌を思へるかしかゝさるにはあらす侍れと猶中吉の
歌は万葉の心におよひかたかるへし仍い左為勝
同歌合
左
有家朝臣
朝日かけにほへら山のさくら花つれなく消ぬ雪かとそみる
右
定家朝臣
桜花うつろふ春をあまたへて身さへふりぬる浅茅生の宿
左朝日かけとをきつれなくきえぬ雪と見ゆらむ風情
いとおかしく侍るへし右うつろふ言をあまたへてといひ身さ
へふりぬる浅茅心のやみのくらすにや侍らんあはれもかくへく
やと覚侍れと猶左の朝日かけもむかしの夜鶴の侍ら
ましかはし心ほくかへて覚え侍れは勝負既にまとひて同体とや申
同歌合
へく侍らん
た
季能や
駒なめてこせの春野をあさ行はあをきか原にさらす時也
俊成卿女
高砂の松のみとりもまふまて瓦上の風に花そ散ける
左こせの春野をなといへり一葉集なとおほえていうに
侍るを下旬こそ何のはらといへるにか侍らん管見の物
よみたにえよみとかめす侍れ万葉集にもこけの山野
にはつう〳〵蔭などいへるやうにおほえ侍り右はことなり
事は侍らねと次め詞とかなく侍るにや大かたは万葉にも
おかしきやうなる事をとり詠なりとそふるきものも申侍れ
巨勢の春野しゐてこひねかふへきにはあらさるにやむ
事なるにつきて右衛とや侍らん
六百番預合
左勝
定家朝臣
かはれたゝわかるゝ道の野への露藤にむかふものも思はし
判言左命にむかふや万葉集なとに侍るめれと殊ふ可也
唐きよし
愚管抄云源美法眼万葉集哥とる事
宝治百首に正三位知家
過きつる関をはるかに鳴鳥のかけろのほのかしのゝめの空
一今夜もやさのゝをかへの秋風にさゝはかりしき捨かもねん
是等は。当家に申たかひて彼万葉の名所とりてよめる
次めなり此ふりの哥その比よりおほくいてきたり
光俊朝臣
まきかくのあなしかは風よきてふけにほへら紅葉今さかり也
いもか袖まきもく山の朝霧ににほふ紅葉のちらまくもおし
千葉破秋のをはまに舟とめて大崎みれは月そさやけき
大崎の神のをはまはせはけれと百文もこゝすくといなくに
遂は石上乙丸配二土佐国一之時哥也非二吉事一
文永二年亀山殿五首三斤合
かわれたゝ
わかるゝ
道の
あわれに
給への
露
むかふ
ものも
おもわし
岩くらの
小野
煩津
う
主まち
重ち
の
はなすそ
の
鹿の
床書
書を
こふらん
いはくらの小野の好つに立雲のみなこそ鹿の妻をゑらん一
右倉のをのゝ秋津に立渡る雲にもあれや時をしも待
是は奇雲にて有軽雲
はりまかたあさこく船のほのかにも登渡る山は淡路待かも
まゆのこと雲井にみゆる阿波の山けて漕舟泊りしらすも
本哥をとる次めもあらはにけれときこゆこと〳〵しく立し
耳を秀逸とおもへは当家これをゆるさす
前中納言定家
白雲の春はかさねて立田山小倉の嶺に花にほふらし
本哥方の七哥なり
一白雲の立田の山の瀧の上之小鞍花尓開平為流梅花
駒とめて袖うちはらぬかけもなしさのゝわたりの雪の夕くれ
くるしくもふりくる殿か三輪か崎きのゝ渡りに家もなくして
こぬ人をまつほのうらの夕なきにやくよもしほの身もとかれつゝ
一淡路鳴松帆の浦之朝石藝爾玉藻苅し管
一蕎菜方薬塩焼管楽通女
新勅撰石清水臨時祭禁中
ちりもせし衣にすれるさゝ竹の大宮人のかさすさくらは
さゝ弁の大宮人の家にすむ佐保の山をはおもふやも君
海辺引網従二位家隆
波風ものとかなる世の音にあひて紐の浦人たゝぬ日そなき
一紐能浦之海處女等之焼塩の念雨焼吾下情
これらに本歌をこれる心詞宝治以後の哥人の是をまな
道家風体ならへて是しりぬへし
已上法眼抄
古来風体云万葉集の歌はよく心をえてとりてよむ
へき事とそふるき人申おきたるなり
一物語歌取本歌事
後鳥羽院御携言哥合の哥をはいたく思ふまゝによます
とそ釈阿寂蓮などは申しか別の様にてはなし題の心
をよくおもはへて病なくまた源氏物語の歌心をはとら
す詞をとるはくるしからすと申きすへて物語哥の心をは
百首の哥なとにもとゝぬ事なれと近代はそのさたもなし
一六百番預合輝女房勝
鳴せみのはにをく露に秋かけて木陰涼しき夕暮の声
えんにおかしくも侍る哉尤為勝
判言左哥拝にをく歌に秋かけてなといへるすかた詞殊に
女房
見し秋も何にのきん草の原ひとつにかはる野へのけしきに
右申云草のはらきゝつかす判言左左なにゝのこさん草のはらと
いへり艶にこそ侍るめれ右方人草の原を難申之条頗うたゝあ
るにや此志式部は哥よむほとよりももの書筆はことに殊勝也上花の
元巻はことに艶なる物也源氏見さる哥よみは遺恨事也
千五百番哥合
左
俊成卿女
かけきよき花の所は有明の月もえならすすめる空哉
左言の花の所の有明の月もえならす見え侍らんともに女人の哥はかやうにこそと
えんに見え侍りよき持に侍るへし
琴の音も月もえならぬ宿なからつれなき人を引やとめける
左大臣
正治百首左大臣
正治百首
よしの川岩もる水のわきかへり色うそみえね下さはきつゝ
思ふとも君はしらしなわきかへり君もる水の色しみらねは
第三
代々宗逝不二庶幾一之由放申たる詞とも有あるひ公優
実ならざるにより或は義理のたかひたるにより或は詞の
あしきにはあらねとも時俗のきほひよむによりてとゝめら
れたりしかるを今の後学楽生きんせいの詞と名付て
書もちて侍れともつや〳〵そのいはれをわきまへす仏の
制戒にも通屈をあかし法曹の律にも軽重をたてたり
そのみなもとをわきまへすはいかてかあやまりなからむよて
先達のいましめられたり濫觴そのゝち代々の用捨装見
のをよふ所少々これをしるす是につきてよく〳〵そ見を
くはへてこれをまもりこれを可謹
一なかめ
一中務卿親王文応三百首御哥に
むら雲のさつれはかはるなかめかな夕立しつる山のはの月
民部卿入道殿云是はさせる難にては候はねとも事次
に申上候あはれはあはれなる事なかめはなかむる事に詠
候へしあはれといふものなかめといふ物別にあるやうに
其体はふへは詠とくも亡父まさしく申候き又第四句もよく聞しにて
六百番寄合拾飾有家朝臣
いろ〳〵の花ゆへ野辺に立出しなかめまてこそ霜かれにけり
判言なかめまてこそといへるもしは枯野の野へをなかむれは
なかめてといはんとかはなかるへけれとすへて詠は強くらきにや
有家朝臣
同歌合
あまの原春とも見えぬなかめ哉去年のなこりの雪の曙
判言あまの原とをける宜はきこえ侍るをこのなかめ哉と云詞の近
来見え侍る楽幸心覚侍り定て僻心に侍らんかし雪の曙もちかくより
つね事になれるにや侍らん
一囚位上人勧進百首定家朝臣
はれくもり同しなかめのたのみたにしくれにたゆる遠の里人
左大臣家哥合荻野信州丹波守
夜をかさねたゆます久になかめする山のはをそき月を恋つゝ
六百番寄合寄遊女名
左勝
定家朝臣
心かよふゆきゝの舟のなかめにもさしてかはかり物は思はし
判言左哥下句のさしてといへる詞舟の秀句に求たるやうにきうゆらむ
春曙
同哥合
左持
女房
見ぬ世まて思るのこさぬなかめより苦にかすむ春の明ほの
信定
右
と日出はおなしなかめにかへるまて心にのこれ春のあけほの
判云両方春曙左はむかしにかすむといひ右は心にのうれと
いへる心すかたともにいとおかしよき持に侍るへし
一けしき
中務卿親王文応三百首
雲まてもあはれにたゞぬ遣しき哉秋のゆふへのむら雲の空
民部つゝ入道成言是も次に申上候けしきと云詞強ふ卿妙詠
之由亡父申候き
同御詠言
おかひ
心は
おなし
なかめに
かつる
まて
に
のこれ
春の
明ほの
帰り雁
かすみ
の
うちに
声は
して
もの
うためし
卅一月
春の
八月
しくるへきけしきをみする山風に先さきたちてふる木葉哉
けしき以前に申上候
法眼源来抄云中野禅道俊成女建長元年に四十八願
の文を哥によみて法文の事也おもふやうありとて就あふ
へきよしきこえ侍りしかばいなびかたくてしるしつかはし侍りし
とき歌見しれる神妙なりとて故実ともをしへ侍りし中に
けしきと申詞好よむへからすと申侍りき先人に尋侍りしかは
同しやうに申侍りしかともいまの世にははゝかる人も侍らし
漢語をは不可存詠事歟
六百番三ツ合居野
右
隆信朝臣
霜かれの野辺のけしきをみぬ人や秋の色には心そめけん
判云右哥心詞あしくは見えさるにや但つね体なるへし
千五百番歌合に
左勝
女房
帰る雁かすみのうちに声はして物うゝめしき春のけしきや
五条云左哥かすみのうちにかへるかり景気とに見るやうにそ侍れ
同哥合
三宮
行かよふ人たにあらばとひてまし山路の菊の秋のせしきを
京極の判言哥の姿詞よろしく侍るへし
六百番寄合に云賤村
右将
家隆
一梓弓はるの雲井に引つけてふきことなかけふの諸人
判言左復旧俄之由なるへし右文気色ことなるなといへる
なにとなく朝儀を本めたるへし又持とや申へきにや
一同位上人勧進百首定家
あさなきに行かふ舟のけしきまて春をかふる波の上哉
一中〳〵に
中務親王
なかくによそにし君しと思ふこそ人めを忍ふあまり也けれ
民部卿入道殿云是又上旬うちとけてや候らん
私云雖不他難ニ中〳〵の事は無量沙汰
一見やまえのさと
一吹あらしかな
中務親王
聞なれぬ松の嵐もかねてより思ひしまゝのみ山へのさと
民部はゝ深山辺の里ふくあらし哉ふくゝろよし亡父慥申候ゝさ
随分加二制心一候
一しろき
同御哥に
波かくるむとのうら風音さえてあは島しろく雪そ痰れる
民間やしろきと申詞亡父申旨候き
順徳院御百首
弱とめてしはしは遊かし八橋のくもてに白きけさの潰宿
京極八橋のくもて説々おほく候へと古哥にも詠来候近
年しろきと申候詞あしかるへきことにはらはねとも未生
初学毎人首詠ゝ故にあまりに満耳て肱却の思ひ候
八雲御抄云定家しろきあをき吹あらし哉嵐ふくなりにて
のみ侍ると云も詞のもろきにはあらし人みにうのむをにくむ也
私云家持郷しろきを見れは夜そふけにける秀音本
体にて侍れは詞のわろきにてはあるへからす優なるに
つきて人ことに好よみける成へし所謂御製のすきのは
しろき相坂の関式子内親王の初雪しろし家隆の雲
ゐにしろき峯のかげはし是等をはしめてその比きほひ
よみけるほとににくまれけるにや殊に御製の嵐もしろき
春のあけほの殊勝のあひた向後一レ為二念一不一詠之
由和歌所にて沙汰ありけるとそかたり申されし此字堅
可二謹慎一者歟
千五百番三斤合
左
顕昭
散まかふ花を雪かとみるからに風さへしろし春の曙
左哥風さへしろき春の曙といへる下句よろしくこそ侍るめれ
秀能すゝめの五首に定家
天津風初雪しろしかさゝきのとりたる橋の有明の空
正治二年九月院御哥合暁雪
明ぬるか梢おれふす松かねのもとよりしろき雪の山のは
一字の秀句声のたかひたる事
中務卿親王御詠言
雲のゐるとを山鳥のおそ桜こゝろなかくも残る花かな
民部卿入道云姿詞珍重候但山鳥尾と存候緒非本之節
同御訴言
山鳥のをたえの橋にかゝみかけなかきよ渡る秋の月かけ
山鳥の緒の事以前に申上候き是又すかた詞たくみに候歟
一まに
六百番三斤合
左
季経卿
打むれてすみれつむまにとふ火野ゝ霞のうちにけふもくらし津
判言左歌のさまはよろしきやうに見え侍るをすみれつむ
まにと云るまにのことはふへて唐きにや
同歌合
左
顕昭
この世には心とめしと思ふまになかめそはてぬ春のあけほの
右方申云左歌のまにの詞実に不足に聞え侍り右を
こそまさかと申侍らめ
同歌合
兼宗朝臣
散つもり花をふましと思ふます道うそなけれし賀の山こえ
右方申云左哥と思ふまに不レ快歟
判云左の思ふまにも右方申状頗可然歟
面行御裳濯河哥合に
足引の山かけなれと思ふまに梢につくる日くらしの声
判言左哥楯につゝる心ふかくゆへ有て聞ゆ但此まにと
いへることはそ人〳〵よむ事なれと猶おもふへくやとおほえ侍る
かやうの事は人かへりてわらふへき事也しかれとも一身思所を
つゐてに申出る也云々
一あさあけ
一衣笠内府御哥
うちむれて
すみれ
つむまに
とふ
火夥候
霞のうちに
けふも
くらしつ
一七十一
雲の
いる
とす山鳥
の
おそ桜
心なかくも
のこる
かな
おく山の谷の松生の朝あけにひとりきゝつる時鳥哉
京極黄門朝曙を七文字に詠候時あさけの風はと
よみ候実正之字はあさあけに候此詞猶三字に詠こく
あの字書加之時七字は今に成候はきゝよく候此あの字を
五字に仕候事頗不肖心思給候
一なにかほ
西行御裳濯哥合左
たちかはる音をしれとゝみせかほに年をへたつる霞也けり
判言左歌決心あひかなひて見ゆ但見せかほにといふこと
はゝをも人もよむ事なりさはありなから猶哥合ことき
にはひかふへきにやあらむかつは哥のさまによるへし
一衣笠内府わかものかほ
京極黄門此詞自他雖非不詠事候打解詞に
順徳院御百首
花鳥のほかにも春は有かほに霞てかゝる山のはの月
尊花之楼閣錦繍之山川にあらすとも勝月之景気
煙霞之幽起見所まさり候歟
月照瀧水
定家
秋の月袖になれにしかけなからぬるゝ皃なる布引の滝
権大納言家三十首祐伯
こきよせてうまる泊の松風をしる人かほにいそく夕暮
一大納言典侍早世時為家
とはれてもことのはもなき書しさをこたへかほにもちる泪かな
内裏煉十五首哥合定家
おさまれる民の草髪をみせかほになひゝ田面の秋の初風
新後撰
法印定為
はかなくも思ひ捨てしおなしみを世に有かほに何なけくらん
六百番歌合
定家
白菊のちらぬは残る色かほに春は風をもうらみける哉
こひ侘て我となかめし夕常もなるれは人の形見貌なる
文治百首
夜もすから花立花を吹風のわかれかほなるあかつきの袖
一つかねを
衣笠内府御哥之時
京極黄門東緒雖二古今奇詞頗無二品物一候
一ねるやねりそ
僻案抄云ねるやねりそとはなにを申にかと尋申しかはかく
とふはさるうたよまんと思ふかととかめられ侍き萩かるおのこ
君ゆふへきなはなけれは枯たる枝をねちよりていはむと
するよしか此哥まねひよむへからすとそ侍りし
一飛ちて
僻案抄言ひちてとはひたしてと云心也此詞むかゝの人々の
みよみけるにや古今にはおほく見通後撰にはすくなして
の世の哥によむへからすとそいましめらなし
一紅葉しにけり
宝治百首時中納言為経卿詠内々被二見合一之時ふるく
申たる事は候はね故忍ぎにはしめて可斟酌之由被二注付一て
一あたら夜
千五百番歌合
左衛門
左大臣
あけはては恋しかるへき名残かな花の陰もりあたるよの月
右
内大臣
わひ人のすむとはきけと足曳の山のかひある岩つゝし哉
左花のかけもるあたらよの月誠に名残おほく侍るへき事也
右山のかひある岩つゝしおしくは侍るへきをわひ人のすむとは
きけとゝ云る管見の老者不二覚悟一侍り其間暫も左
まさるへきにやと可申侍処極以難其恐多あたら夜
の詞雖レ為二旧艶一事と一強不レ可二庶幾一所也乃至之のならす
べく侍るにやめ斯申状尚恐惶にて
八雲御抄言あたら夜といふは万葉には新夜といへり
それにあらす夜也風情なくあたらよ也
一なさけ
千五百番歩合
左負
顕胎
さきぬとてたつねてみれば白雲のまよふも花の情ならすや
五条判言なさけの詞もよせなくてはことにうひねかふへ
からさかにや
六百番哥合
左眉
有家朝臣
さかしともと待へきほとのなさけかは人たのめ也蜘のふるまひ
判言両方のくものみふるまひともに優なるに似たり但左中
五字詩なとには優詞なれと歌にはさまて侍ゝぬにや
一玉葉集十六
前大納言為氏
六十あまは老ぬら三年のしるしとて君かなさけのみにあまる哉
一こもる
千五百番
右寂蓮
あかつきのしきたつ袖もなかりけりいなはにこもる宿の夕暮
京極黄門判言いなはにこりるといへる霞外花の色旁
中鹿わか草くさのつまおやのかふこならてはことはりならすや
きこえ侍らん
一かはす
順徳院御百首
秋風や千草なからにみたれけん花咲かはす宮木野の原
宮城野の原の千草の花のみたれあへる気色又歌
麗候かはすの詞於二愚意二聊存旨候
綾拾遺
為家
手枕にむすふ薄の初瓦毛かはす袖さへ露けかりけり
為家
貞応二年
雁かねの羽うちかはす白雲の道行ふりは桜也けり
一月花ををのれとよむ事
いつくへなといふへの字
一西行御裳濯川寄合に
世をうしとおもひけるにそ成ぬへき吉野の奥へほく入なは
判言大方にや此いつくへと云への字は是又ふるくもちかくも人かむ
事にはあれとこひねかふへきにはあらさる也是もおもふ所
をこの次に申いつるなり
一八雲御聴言わか恋といひてその心とをらすあはれなりと
いひてその末につや〳〵あはれなる事もなき歌おほしすへて
哥にはこゝろえてよむへき事のあるたいかなれはおほつかな
と云五文字は気にもおほつかなき事なとをいひたるはよくそれか
いともとをらぬはゆゝしく見くるしき事也又よくも聞えぬこと
はおほしさもこそは物のさひしかる物わひし参るおもひかな物ゆへ
にものにそ有けるありと思へはいはまほしきせまほしきなに
なりなといへる詞はいとよくもなし又あらましをしてしかな
見てしかななといふ事はつねの事なれとなにと弐らんにくし
きくはまごとかあらむとすらむなとも又にくしおもほゆるかな
心地こそすれなとはなか〳〵狂したるかたも有ぬへし又下句
になにゝ有明の月といひはてなにを松そ吹なといへる
めつらしぬ秀句はむけのゑせ哥よみのこの世事也俊頼
抄に曰るかくのこときの詞の中にわひしかりけりかなしけり
けりへらなとはまことにさもと聞遊見わたせはま
に〳〵なとはなにかはあなかちにくるしからん
保季朝臣
千五百番
山ふかき秋を見るにも思ふ哉これよりおくの夕書の虫
京極苗い門判言思ふ哉おもはまほしく侍にや
一玉のを柳
西行御裳濯川哥合
山かつのかたる心かけてしむる野のさかびにたてる玉の小柳
左哥さる事ありと見る心ちして珍敷さまなり末句のをの
こき
よせて
とまる
どまり
の
松風
を
しる人
がほに
へそく
夕ぐれ
世を
うしと
おもひ
ける
にぞ
成ぬ
べき
吉野
おくゑ
ふかく
入なば
字やすこしいかゝさもよみて侍るかとよ
一見ゝとをき名所
中務卿親王文応三百首に
春雨のふりにけらしなとをくゝのあとかは柳ふかみとり也
是又あとかは柳或人の詠之時如此事痴し至愚難覃之
由亡父申候き
鶯の物うかる音にうらふれて野上の方に春そ暮行
第四句不レ優作歟
かけろふの岩かきふちの草てれあるかなきかにとふ蛍かな
上旬不優歟
かりほさすしつきのたゐも露敷て瓦花吹しく秋の夕かせ
此田井も疎遠之間不レ能レ申二是非一候
家居して誰すりならし玉島の此川上に衣うつこゑ
夜気にふくうゝ風さむみあしきたののさかの里は衣うつ也
已上二首軽と存候
山の名やさしからす候にや
みなふちのほそ川山そ時雨めるまゆみの紅葉今さかりかた
こま山の山風やさむきいつみ川わたりをとをみにとりなく也
あへの薄岩うつなみのよるさしてすむ共きかぬ鳥なく也
むろのうの塩干のかたのうよ鳥なき侍かけてせと渡る也
已上三軽と存候
吹おろすあそ山嵐今朝さして冬野をひろみ雪そ積れる
夜もすから此市此木を折たきて雪にそあかす大はらの里
已上二首軽と存候て罷過候
古郷はとをつのはまのいそ枕山こゝてうそ彼に成ぬれ
是又愚心迷て不分明被暫罷過候
千とせ山これや昔のさゝれ石岩ほとにふるき苔の五かな
此山少似二大嘗会歌歟
以上
一衣笠内大臣家御哥云
五月雨にわたるあさせもなかりけりみな瀬山の谷川の水
京極黄門みなふち山谷其謂ゝ名所頗不座幾何
中務卿親王御うたに
このねぬる朝露わけて玉垂のらすのほほ野に秋舟によし
民部云ことからたた君に目出度候へとも猶軽候歟
4597
七十一日
一
TOET
粳本
狩島町断
井蛙抄
第四
同名之名所
いなはやま
狩野氏図書記
古今八
中納言行平
立別れいなはの山の琴におふる松としきかは今帰りこん
此名美濃因幡両国にありみのは稲葉と云所因幡
は当国一宮宇信宮山也皆松有行平四因幡国司也
任の時也詠しけんおほつかなし新古今十続拾遺六
又十六軒後撰三有此名所皆以在納言詠為二本哥一と
千とせ山
拾遺十
能宣朝臣
ことしより千とせの山は声たえす君か御代をそいのるへらなる
丹波国也又出羽有二同名一千歳十光範の歌も大学令の哥也
丹波也
をくら山し峯
万八
岡本天皇
夕されはをくらの山になく鹿のこよひはなかすつねにけらし也
山城国嵯峨鳥也
万九
短哥
白雲のたつたの山の滝の上のをくらの嶺に候ゝけたる桜の
をくらの峰は大和国也小倉山に不レ可レ[[ン]混乱一
一かみなひ山し御宝山し杜
花は
千載サ
義忠朝臣
ちはやふる神なひ山の榊はをさしてそいのか万代の高
丹波国大嘗会歌也
古今五
忠峯
神なひのみむろの山を秋ゆけはにしきたちける心ちみそれ
よみ人しらす
立田川紅葉ゝなかる神なひのみむろの山に時雨ふるらし
大和国也神なひ山神南のみむろの山不混乱神な
ひの杜とよめるも大和也
一神無月時雨もいまたふらなくにかねてうつろふ神雨の木成
日是も大和といへり但古今に源さねかつくしへ岩みん
とてまかりけるに山崎より神南の森まておくり
にまかりてといへる大和にてはあらしみやこの西の方にや
とおほゆかうなひをいふといへり
をとはし瀧し河し山
古今ひえの山なるをとはの滝を見てとよめる
たゝみね
おちたきつ瀧のなかみ年つもり老にけらしな黒き筋な黒き筋なし
詞落候不審
音羽川とき入て落す瀧つせす人の心の見えもする哉
古今十二
左十一
やましなの音羽の滝の音きたに人のしるへく我恋めやも
音羽山をとに聞つゝ相坂の関のこなたに年をふるかな
続台今一
定家卿
音羽川雪けの水も岩越て関のみなたに春はきにけり
西坂本山科ともに山城国也滝と川とは通両所一歟
をとは山は限山科一歟
ふしみし里菅原し山し田居
後撰十八
よみへしらす
名にたてゝふしみの里と云ことは紅葉を床にしけは也けり
後拾遺十九俊綱朝臣
都へくるれはかへり今よりは伏見の里の名をもたのまし
山城国也
古今十八
いさこゝに我世はへなんすゝか原や伏見の里のあれまくもなし
後撰十七
すか愚や伏見のくれになかむれは霜にまかふ小初瀬の山
大和国也
新台今
俊城卿
ふしみ山松のかけより見わたせはあくる田面に秋風そ吹
万葉
大蔵の入江ひたく也いめ人の伏見の田居に雁わたるらし
伏見山ふしみの田居はみな山城の伏見也新古今に
ふしみの野への草枕と侍るも山城のふしみ也
たこのうらしの崎
古
するかなるたこのうら波たゝぬ日はあれ共君を恋ぬ日はなし
駿河なり
万十九
家持
田子のうらの底さへ向ふ藤浪をかさしてゆかんみぬ人の雪
越中国布勢海也両所不レ可二混乱先年或哥仙
た古の浦藤浪にこひぬ日はなしの本哥にせて詠
したりしを故戸部被馳侍き
万十八
たこの崎この暮しけきつ鳥きなきとよめははた衣めやも
是は駿河国也
あきつ野秋津の小野をのゝ秋津
万四短歌
三芳野ゝあきつのをのゝ野上にはあとみすへをきてみやこには
同一
よしのゝくにの花散あひあきつのゝへにみやはしら
やまとの国也
万四
かくてのみ恋やわたらん秋津野にたな引雲の末とはなしに
同七
あきつ姉に朝ゐる雲のうせゆけは昔も今もなき人おゝほゆ
紀伊国也子細見万葉集
万七
岩蔵の小野の秋つに立わたる雲にもあれや時しまさる
山城国也
さのし渡し船橋し中川し岡
万葉三
くるしくもふりくる雨か三輪か崎さのゝ渡りに家もあらなくに
大和国也
万十四
立
わか袖
いなはの
山の
山介に
おふる
松とし
きかは
いまくり
みん
音羽川
せき入て
落す瀧津
人の
せに
心の
見え
すか哉
かみつけのさのゝ船橋とりはなしなやはさくれとわれさくるかへ
源仲綱
千載十四
住なれしさのゝ中川瀬路してなかれかはるはなみた也けり
三所別所歟万葉十四に上野のさのゝくたちおりはやし
我はまたんかことしよすともとよめるは舟橋同所取
万三
赤人
秋風のさむき朝けにさのたさゆかん君は衣かさましを
紀伊也
一真野し浦し入江し萩原し萱原し浜辺し池
万四
徳のゝうらのよとのつき橋心にも思ふや妹か夢にしみゆる
金四
鶉なくまのゝ入江のはま風に瓦花なみよる秋の夕暮
万三
いさやうら大和へはやく白菅のまのゝ萩原手折てゆかん
やまとの国なり
万三
みちのくのまのゝかや原とをけれと面影にしてみゆと云物を
まのゝ浦のよとのつき橋は摂津国又まのゝ浦同まのゝ
入江は近江まのゝ萩原はやまとまのゝかやはらは陸奥也
先年宗近亭会或仁まのゝうやはゝを湖辺に詠侍り
しを存民部卿卿卿詠直之由子息を使にて被仰き
如此混乱尤可分別事也
万七
とよ国のまのゝ浜辺のまなこ地のたゝにもあれは何かなけかん
豊前国也
万十一
真野の池のこすけを笠にぬはすして人の子を頼まつへき物を
是は農津也
しらすけのみなと
続古今
九条前内大臣
松影の入海かけてしわらけのみなと吹こす秋のしほかせ
遠江国しらすかといふ所を被詠に々しらすけのまのゝ
萩原に不可混
角田川
新勅撰十一
感方朝臣
すみた川せきりに結ふ水のあはのあはれなにし思ひ助けん
新後十八
法印清笑言
都鳥いく世かこゝにすみたあゆきゝの人に名のみとはれて
伊勢物語にむさしのくにとしりつふさの国とのなかにある
すみた川のほとりに至りてと云り
万十四弁台法印
まつち山夕こえくれていほさきのすみた川原にひとりかかねん
駿河国也都鳥こゝにもあれやいほさきのすみたか
はらも名うそかはらねとよめり
片岡し朝原し山し杜
万二
かた岡のむかひのみねに椎まかはことしの夏の陰にせんかも
古今五
霧立て雁そ鳴なる片岡の朝の原は紅葉しぬらん
拾二十
しなてるや片岡山のいひにうへてふせる旅人あはれをやなし
片岡の朝原かたをか山の同異はしりかたく侍れとも皆
大和国なるへし
新古今三
時鳥こゑまつ程はかた息の森のしつくに立やぬれまし
片岡森はゝ茂片岡祐の秋にて侍れは山城なり祈
勅撰御息の杜の木葉も色付ぬと侍るも同所歟信国
か夏の日のかけにすたんし片岡のはゝそ太秋そ色付に
遣家怪召分面行山かつの片岡かけてしむる野のさかひ給へ
たてる玉のを柳是等はかならすしも非名所歟
しかのうら
拾十
拾十公組郡
公任都
さゝ波やしかのうら風いかはかりほのうちの涼しかるらん
万七
さゝ浪やしかつの海土のふなのりにのりし心は常にみつれす
志賀しかつともに近江国湖水同前なりしかのたたゝ同
万十五
しかのうらに日とひもおらす焼塩のかゝき恋路も我はする哉
筑前国しほうみ也しかの海土のめかりしほやきなとよめるも
これ也近江志賀筑前は志賀也
和かの浦としわかの松原
葛
赤人
わかの浦にしほみちくれはかたをなみ芦へを指て田鶴鳴渡
紀伊国也玉津島も此うらの内なり
葛
聖武天皇
いもにこひわかの松はら見渡せは塩干のかたにたつ侍渡る
河内国也
続古今
一続古今光明峯寺殿
伊勢嶋や和歌の松原見渡せは夕塩かけて秋風そふく
是は伊勢なり
よくし六回し大院
古今
山城のよとのわかこもかりにたにこぬ人たのむ我そはかなき
よとのわたり淀川よとの皆山城国同所也
万七
音にきゝめにはまたみぬ吉野なる六田のとをけふ見つる哉
万九
一蛙なく六田のかはの河柳弥むころ見れとあかぬ君かな
大和国也新古今にたかせさす六田のよとの柳原みとり
もふかく安む春かな同所なるへし但山城のよとにも
真田かはらと申所のあるよし申人ありあやしき恨にそ覚侍る
万七
いましくも見めやと思ひし三吉野の大かはよとをけふみつる哉
是も同所なるへし
大淀の松はつらくもあらなたに恨てのみもかへるなみ
これは伊勢国海辺也各別の事なれとも山城泣く
心得て人の不覚したる事侍りし程に書加也よとのつき
橋は摂津国也奥注之
後西園寺
野上よりはるかにみれは八幡山ふもとの川や大よとの浜
是も亦め何
玉川し野田し野路し里井手
拾十四
玉川にさらつてつくりさら〳〵に昔の人の恋しきやなそ
万葉には此下ゆなにそこの苫こゝたかなしきとあり
これは武蔵国也
新古今能因
夕されは陰風こしてみちのくの野田の玉川千とり鳴也
千載四
俊頼朝臣
あすもこん野路の玉川萩こえて色なる波に月宿りけり
後拾二
後拾二相模
相模
見わたせは波のしからみかけてけり卯花さける玉川の黒
此三首玉川在所同異難レ知或云陰奥或はつのくにか
千載二
俊成卿
駒とめて猶水かはん山吹のはなの露そふ井手の玉川
此玉川は山城也
続古今後鳥羽院御歌
至海の岸の山吹かけみえて色なる浪にかはつ鳴也
め此御哥は野路玉川井手玉河同所歟
つき橋淀しまのゝし真木し
万四
まのゝ浦の淀のつき橋心にも思ふやいもる夢にし見ゆる
摂津国歟金葉続古今以下連綿在之
ふみ見ても物おもふ身とそ成にけるまのつき橋と絶のみして
是も同所歟千載俊頼朝臣哥又まのゝつきはしと詠す
万十四
あのをとせすゆかんこまもかかつしかのまのつき橋やます通はん
下総国也此橋代々集連綿
金二
顕仲朝臣
五月雨に水まさからしさわた川まきのつき橋うきぬ計に
大和国歟此橋其名打つゝ不可混乱一
大原し小塩しさえのゝ沼
四花十良暹
大原やまたすみかまもならはねは我やとのみそ煙たえける
北山の大原也
万四
大はらのこのいちはしのいつしかと我思ふいもに今夜逢ぬな
古今
大原やをしほの山もけふこそは神よの事も思ひいつらめ
ともに山城国なれと是は西山なり大原新辺
良暹
後拾遺
ほとへてや月もうからん大原やおほろの志水すむな計そ
これは北山大はら也
金六
をしほ山松風さむし大原やさみのゝぬまやたえわたるらん
西山也
小野し篠原し船橋
金葉公実卿
金葉
公実卿
雪の色をうはひて咲る卯花にをのゝ黒人冬うもりすな
大はうちかき小野也惟高のみこの御くしおろしてすませ
給ひしもけんしにうきふねのかくれてすめしも此所也松
かさきなともをのなりふがやふか補陀落寺も小野也
ふかやふかすみけるゆへに山里といへりさもやとお
ほゆ
古今
古今
浅茅生のをのゝしの原忍ふとも人しるゝめや云人なしに
後撰みなもとの欲す
後撰
みなもとの等
あさちふのをのゝしのはら忍ふれとあまりてなとり人の恋しき
古歌枕には山城としるして侍り大原小野
と同所とおりへるにや続古今に露しけ
きをのゝしのはらいかにまたあまりてたひの
袖ぬらすらん藤翠賀門蔵多時続拾遺旅人の宿かり
衣そてさえて夕霜むすふをのゝしのはら
律師これらは都ちかきに野とはおほえぬ
なりあふみに小野といふ宿ありしのはらと
いふ所あり是等はあつまちなれはたひの
かたにも可相叶一哉但不レ聞先達説推
量之儀也をよそ野をはいつくも小野と
よむ非名所哥おほし真言小野流といふ
山科小野なり小野古江は伊勢国也
詞花
俊雅母
ゆふ霧に小野の舟はしをとす也たなれの駒の帰りくるに
其国不分明二
玉江
拾遺
重うく
夏かりの玉元のあしを踏したきむれゐる鳥の立空そなき
左哥枕に越前国といへり
万七
見しま江の玉江のこりをしめしよりをのかとそ思ふいまたからねと
なとゝよむ人のありしひか事也
摂津国と云りこれはよと川也見しま江にしほの見つ
見つのえしの吉野
一後撰十五よみ人しらす
あけてたになにゝかはぜんうつのえのうゝ嶋の子を思ひやりく
丹後国也
新古今十七季能
みつの元の吉野の宮は神さひてよはひさけたる浦の松風
摂津国也此よしの見よしのゝ吉野に不可混
宇治し山しま山しの部
古今
我庵は都のたつみしかそすむ世をうち山と人はいふ也
山城国也宇治川辺也喜撰かすみかはみむろの奥な
り河の南北をうちといふ歟
万一
うちま山朝風さむし旅にして衣かすへき妹もあらなくに
古歌枕大和国としるせり故法印定巻うちま山を
宇治川の辺のやうによまれて侍し定有子細も
同
秋の野の尾花かりふき宿りせしうちの都のかりほしそ思ふ
大くら大くら山しの入江
拾十
能宣朝臣
一同二月一日
みつきつむ大くら山はときはにて色もかはらす万代をへん
近江国也大嘗会哥也後拾遺にもあり
万九
大蔵の入口ひゝく也いめ人のふしみの田面雁わたるらし
山城国宇治川也俗に出くらと云所也
松山
後拾遺八
定頼公
松山のまつのうら風吹よせはひろひて忍へ応忘貝
さぬきの国なり
後撰十一
贈大政大臣
ふしみ山
松かけ
よりも
見わたせは
わくる
田向に
秋風
ふく
松かけの
入海
かけて
しらすけの
みなとふき
ふき
こす
ねの
塩風
松山につらきなからも波こさんことはさすかに書しき物を
陸奥未松山也
おほしまし峯
万十五
つくしちのかたのおほ嶋しましくもみねは恋しき妹をゝきて来ぬ
備前国也
万二
いもか家につきてみましをやまとなる大嶋嶺に家もあらなくに
国分明也
おきつしまし山しの浜
おきめしまあら磯の玉も塩みちてかくろへゆかはおもほらんかく
紀伊国といへり
あふみの海おきつしま山おくまへて我思ふいもに恋のしけりて
国分明也おきつの浜和泉国
古十七
忠房
君を思おきつのはまに鳴たつのゆくれはそ有とたに聞
新古今
定家
事とへと思ひおきづ岩浜水守なく〳〵出しあとの月影
三つ
十四十七
をしてるやなにはのみつに焼塩のからくも我は老にける哉
万十一
白にのみつのはにふの色に出ていはすてのみそ我恋らくは
万四
大とものみつとはいはしあかねさしてれる月よにたゝにあへりとも
万八
短哥
難波かたみつのさきより大舟にまかちしけぬき
後撰十七
難波津をけふこそ見つの浦とにこれや此よをうみ渡る舟
已上摂津国也
古二十
黒主
をくろさきみつのうまの人ならは都のつとにいさといはましを
陸奥也
万十
いさ子共はや日の本へ大とものみつのはま松まちこひぬらん
摂津国也
続拾五
続拾五祝部成賢
近江国坂本のみつのはま歟
浪よするみつのはまへの浦風にこよひも寒く衣うつなり
たかしし山し浦し漬
新勅撰五鎌倉右大臣
雲のゐる梢はるかに霧こめてたかしの山に鹿そ鳴なる
一金葉八紀伊
音にきく高神のはまのあた波かけしや袖の湯もこそすれ
高師山し高柳浦遠江国也
万一
大とものたかしの浜の松かねを枕にすれといへしおもほゆ
古哥枕にいつみの国といへり
なこし海し漬
万七
なこの海のあさけの石残けふもかもいそのうらはにみたれてあらん
越中国也
万
住吉のなこのゝまへに約なめて玉ひろひしくつねはみつれす
摂津国也
なふのうみおくの海あふの浦し川原
万四
おふのうみの塩干のかたのかた思ひ急やゆかむ道のなかてを
右門部王任二出雲守一時琴二部内娘子也未有幾時
既施二往来一累月之後更起二登心一仍作二此哥贈致二
娘子云々あこのかみ出雲国也
新古今十四定家朝臣
一一
たつね見るつゝき心のおくの海よ徳干のかたはゆふかひもなし
若ほふのうみ同所歟以前哥被詠歟又をくの海奥也
続古今
順徳院御歌
うしとても身をはいつくにおくの海の鵜のゐる岩も波はかけゝり
此国文不審
拾十八
人麿
おふのうしに舟のりすらんわきに子かあるものすそに塩みつらむか
哥枕に伊勢国と云り大の浦同前か
おふのうらし河原
万十八
をろかにも我は思ひしおふの浦のありそのめくりわれとあかれす
越中国也布勢海云々
古二十伊勢
伊勢
古二十
おふのうらにかた枝さしおほひなる梨のなりならにもねて語はん
伊勢国也
万八
おふの浦のそのなか浜による浪のゆたかにも君をおもふこの比
遠江国也
万十一
まこもかりおふの川原のみこもりになひきていもかひもとく我は
下野国也但万三にかふの浦の川原の千鳥なかなけはわか
さほ川のおしほゆらくにとある出雲国也おふの川原も
一同出雲の国にや
ふたみのうらし瀉
古九
兼輔卿
ゆふ月よおほつかなきを玉くしけふたみの浦は明てこそみめ
言葉書にたちまのゆへまかりける時にふたみの浦に寄りてと
大中臣輔弘
金八
有
玉くしけ二見の浦のかひしけみまきゑにみゆる松の村立
伺書に伊勢のふたみのうゝにてよめるといへり
家衡卿
新勅撰家衡卿
我恋はあふともしらす二見かた明くれ袖に波そかけゝす
尾張国といへり
あさかし浦し瀉し沼し山しの山
万葉
弓削皇子
夕されはしほみちきなん住吉のあさかの浦に玉しかりてな
摂津国也
万十四
あさかた塩干のゆたにおもへとよたけらか花の色に出めや
国不分明
古十四
みちのゝのあさかの沼の花かつみかつみかつみし人に恋やわたらん
万十一
あさか山かけさへ見ゆる山の井のあさき心をわかおゝはなくに
共に陸奥国也
万八
市原王
ときまちておつるしられのあめやみて朝かの山はうつろひぬらん
尾張国といふ説あり
かゝみ山しの宮
古十七
かゝみ山いさ立よりて見てゆかむ年へぬる身は老やしぬると
近江国也
万三
豊国のかゝみの山にいはゝたてかくれにけらしまてときまさす
豊前国也不〓所也不可依此哥にて知ぬへし
僧正隆弁
綾拾
神代より光をとめてあさくまのかゝみの宮にすめる月影
伊勢也
なからし橋し漬し山し宮
和歌
海に
塩みら
以上は
かたひ
なみ
あし辺を
さし
田鶴鳴
わたる
□□□
駒とめて
なひ
かわん
水
山ふき
の
はなに
露
さふ
井お
山川
十四十五
よみひとしらす
逢事はなからの橋のなからへて恋わたるまに年そへにける
新古今十七恵慶法師
春の日のなからの浜に船とめていつれか橋ととへとこたへぬ
万六
短哥
うみをなすなからのみやにまきはしら
橋はま宮皆摂津国同所也
後撰十七
世中をいとひかてゝにこしかともかき身なからの山にそ有ける
能宣朝臣
拾十
さゝ浪のなからの山のなからへてたのしかる人き君か御代哉
近江也
見えまし江し浦し野
みしますけいまたなへ也時またはきすや成なんみ嶋する笠
新勅十一
新勅十一行能朝名
行能朝臣
かすならぬ見しまかくれにいゝ船の跡なき物は思ひなりけり
摂津伊与伊豆有同名
後拾一
三嶋江につのくみわたる芦の根一よの程に春めきにけり
是は摂津国三しまとは別所也
同絃後撰十八好忠
浪の上に見しまの浦のうつせ貝むなしさからに我や成なん
摂津み々組みしま江とは別所也
家持
万十七家持
屋かた尾の鷹を手にすへみしま野にもらぬ隙なく月そへにける
越中国也万十七見しま野をそかひに見つゝふたかみの山とひて
て雲かくれ行ゝあれは大和国にりやとおほゆれとも万十六にしふた
にのふたかみ山にわしそこうむといふさしはにも君かためにそ
わしそこうむといふといへり是はふたかみ山も越中と聞えて侍る也
野路し篠原
後撰十六長能
あつまちの那路の雪まを分てきてあはれ都の春をみる哉
近江国也千載新勅撰等歌も同所と見ゆ
新古四
基俊
たかまとの野路の篠原未さはきそゝや秋風けふ吹ぬなり
大和国也
あへしの田面し市路し島山
万十四
さかこえてあへの田面にゐかたつのともしき君はあすさかへかも
古哥枕不注国
万三
やきつへをわかゆきしかはするかなるあへの市路にあひしこゝはも
国分明也いつれも住吉のあへのと同所にはあらす歟
続古十常家卿
続古十
為家卿
あへしまの山のいはねかたしきてさぬるこよひの月のさやけさ
大和国云々
かつゝし川しの里し山しの宮し瀉
一続後撰実方朝臣
続後撰
実方朝臣
かつら川かさしのはなのかけ見えしけりのふちそけふは恋しき
金葉
こよひわる桂の里の月をみて思ひのうせることのなきかな
川里同所山城也
の
新勅七
匡房
久かたの月のかつらの山人もとよのあかりにあひにける哉
丹波国大嘗会哥也
焼くれと月のくらのみやはなる光を花と散すはかりを
是は山城歟桂川辺也今も桂宮院と申所有
後九条内大臣
春のよのおほろの月のかつらかた山まてつたく海の中道
是はつくしなり
とはし田しの浦し山松
詞三
好忠
山城のとは田の面を見渡せはほのかにけさそ秋風は吹
国子明也
万十二
郭公とはたの浦にしら波のしち〳〵君を見んよしも哉
旧不審若伊勢とはのうゝ歟
しら鳥のこは山松のまちつゝそ我恋わたるこの月比を
是は山城鳥羽也
見むろし山しの岸し外山
万七
わかきぬる色にそめたるあちさけのみむろの山は紅葉しにけり
拾七
神なひのみむろの翁やくつたらん龍田の川岩水のにこれる
いつれも大和国也
万十三大織冠
大織冠
万十三
玉くしけみむろと山のさねかつらさねすは終にありと見ましや
山城国也
なきさはの森なきさの森
万二
人丸
万二人丸
なきさはの森にみはするかれ共我大君はたかひしられす
続古今衣笠
村しくれ袋しほそめてわたつ海のなきさの森の色に出らん
ともに紀伊国也答同所歟なきさの院は摂津
国さむやの辺也
まつち山
万九
あさもよひきしゆく君かまつち山こゆらんけふそ雨は降そね
大和国也
まつち山夕こえくれていほさきのすみた海原にひとりかもねん
するかの国也
万十一
いはき山たゝこえきませいほ崎のみぬみのはまにわれ立またん
駿河国也
さくゝ川しの宮
後撰六
常よりも言へになれは桜川なみの花こそまなくよすゝめ
古哥枕常陸国云々
西行
続古今七
神よろに心やすたてまかせつる桜のみやの花のさかりは
伊勢国也
野しま
万十五
玉もかるとしまを過て夏草ののしまか崎に舟ちかつきぬ
としよりあそん
千載
しほみては野しまか。崎のきゆり葉に波うす風の吹ぬ日そに
淡路近江両説也此哥は非二近江ニ一歟
千十八
顕輔卿
あつまちののしまかさきの陰風にゆひし妹かかほのみ俤に見ゆ
此うたはあちちにあらさる歟
をしま
万
雲くれをしまの神もかしこくはめはへたつとも心へたつな
伊勢国云々又陰奥といふ
後拾源重之
後拾
松嶋やをしまの磯にあさりする海士の袖こそかゝはぬれしか
陸奥国也但松島にも伊勢国と云説あり
こしま
万八
浪間より見ゆる小嶋の浜ひさきあないきつかしあひ別なは
備前也
古二
今もかも咲匂ふらんたちはなの小島かさきの山ふきの花
山城也
のとせかはしのかはのとかはしの島
万三
さゝなみのいそうしちなるのとせ川音のさやけき瀧つせことに
近江也
同十二
たかせなる野とせの川の後にあはん妹には我はけふならす共
河内なり
同十
のと川のみなそこさへにてるまとにみかさの山は咲にけるかも
やまとなり
同十七
とふさたて能登の嶋山けふみれまたちしけしもいゝにかみひら
第五
一同類事
六百番預合
右
中宮権太夫
すはの海の氷の上のかよひちはけさい風に諸経にけり
左方申云右歌堀川院百首顕仲卿歌にすはの海の
氷の上のかよひちゝや神のわたりてとゝる也けり上三句無相違
之上所詠之意趣又同判云右のすはの海之事左方
申云其も如残百首中非二殊秀蓮者難レ苦取事歟
同哥合わかな
頭脳
左将
あれぬれはなはたつこまをいかにしてつなきとむらん野への初草
右方申云左哥詞花集俊恵哥言まとも草津のくみ渡る
さはへにはつなかぬ駒もはなれたりけりその心おなしきゆへに
なはたつをふしにしたるそれも耳に立やうなり
判言左歌は後恵法師歌に相似之由右方申云々かやうの
心はさしてもつねの事なり但平定文か哥拾遺たゝに
はよらて春約のつなひきするそなはたつときくと詠せるは女に
よせて名はたつといへる也是。いへる也是に縄を断といへり尤凡なるにや
同哥合
た
女房
むさし野にきゝすも妻やこもならん今日の烟の下に鳴也
右方申云頼政哥に露をやけふりと見えむむさし野につま
こもれりときゝす時也といへるに歌似たり
左陣言不二撰集一者不二見及一有二何難一手
判言左哥猶政か哥之条議不可避取事也撰集之外はし
ゐてふ郷に引出
千五百番哥合
た
題昭
あつまちを雪に打出てみわたせは波にたよふ浮嶋か原
判言左歌雪に打出てといへる波にもことよりておかしくは侍るを
すこし思ひ出らる事そ侍る作者は見をよはすも侍らん
建久二年左大将家百首に
あしかゝの開路こら行しのゝめに一むらかすむかき嶋か原
正治二年内大臣家寄合
弱とめてうち出のはまを見渡せはあさ日にさはくしかのうら波
雖似昨今事徐達遐分之聴打当見渡詞東活眺望心
大略相二同此両首一歟右哥氷句雖二頗無レ殊風躰似二聊有一心死
私云二代判兆二准歟
六百番猪恋
題脇
左持
きさ方やいも恋しらにさぬるはの磯の好意に月かたふきぬ
判言左歌始終いひくたして見え侍り但基俊と申ふる人の
伊勢のはま萩折しきてといひし哥を土代とせるよとや尽侍らん
六百番
寂蓮
右
思ふよりうきに馴たる袂かななみたや恋のさきにたつらん
判云右は後二条殿女房筑前か哥心すこしをとれる也千我集
所入也件歌裏住之思ふよりいつしかぬるゝ袂かななみたそ
恋のしるへ也ける文字のをき所いゝほとたかはす侍るへし
一同てにをはの字あまたある事
千五百番
忠良卿
浦ちかきあし屋の里に日はくれて波路の霧に海士のいたり火
京極黄門判言上下句のにの字なきよりはいかにそや聞え侍るにや
中務卿親王御歌
白雲の跡なき峯に出にける月のみふねも風を便に
にの字あまたさし合歟ふ町か花の色はうつりにけりないたつらに
わか身世にふるなかめせしまに是は秀筵に候へは刎の事歟
一初五文字事
六百番
うしつらしあさかの沼の草のなはかりにもふかきえには結はて
判云初にうしつらしとをける艶書なとにはきも侍りなん哥合には戯言成根にやらん
家成郷家歌合に
いのりつゝ五十鑓の川の水上にまかせても見る君か千年を
基俊判言いのりつゝもはしめの句のかみにをくへしともおほえす是等は
をしことことそ侍るめれ凡ふるくよめるうつくしき詞をわさとよまひと
侍る也是等は非道の事にこそ侍るめれ
西行御裳濯川哥合
あやめつゝ人しるとてもいかゝそむ忍ひはつへき袂ならねは
判言思ひはつへきなといへるすゑの句はいとおかし始五文字や
いかにそきこゆらむ
なへてならぬよしの山辺の本はまつ吉野よりこそ程をとりけめ
群になれは雲井の月のさかゆる後月のくらに枝やますらむ
判言左初句右中五文字ことに歎美の詞にあらすやあらむ
持なるへし
此こ下禁裏御本には無是
第六
第六雑談
故宗匠被二語申云読古今は正元之年西園寺の一切経
供養時民部郷入道一人可撰進之由直被仰下侍しを其後新
加二撰者結句真観下二向関東一将軍家一
中務卿宗
尊親王
此道御師範と成て
毎年関東より被申とて我思ふさまに申行へり民部卿入道我撰
のみの外は一事以上不有二申子細一とて口を問侍き和歌評定
時治定の事も後又申改かやうにこそ評定には治定侍りしよ
何様事哉之由被申けれはいさなにと候ける哉こん鶴内府参被申行
侍しと真親返答しけり仙人のわたましのやうに鶴に物を負するは
と民部卿入道利口し申されけると云々集治定之後所存相違の事
とも一巻に書て常盤井入道相国のもとにつかはす為兼延寿訴
陳時勅撰之者故実二百ヶ条秘事越祖父入道より相伝のよし
書たる也為教つゝ常盤井相国に随逐之間見及歟詞書に一百
首にと侍るを百首哥にとあるへきかなく辞の事共也ちゝとしたる
大旨なにか然事にてもあるへきと云々戸部被申云寛元大帖人
人歌二略誹諧辞多しと常盤井入道相国故京極中納言入道
被申候風体には異なりとてしはしは不了請云々彼六帖哥体に
諸人共哥なりて暫は歌損して侍ける也一条法印言帯盤井入道一
相国薨給ひて後入道民部卿人のもとへ遣状に此道の眼ね久
之恐歎難休就中寛元六帖俗に近く騒古今新撰者
無二秀逸一と被申事難ニ忘レ事也云々
故宗匠云俊成は幽玄にて難レ及実家は義理ふかくして難
学たゞ民部卿入道辞を可レ学之由ふかく相存也云々
又言民部卿入道被申けるは亡父奇殊勝なれとも歌見しら
さらん子孫見だりに撰入てはあしかるへき歌多わか歌は
をろかなれどもたとひ歌しらさゝむ子孫の撰出たりて
さまてあしかるまじき歌を詠置て侍也云々
又云二条左兵衛督教定は此道門弟なるゆへに縁者五氏
舅に成て細々会合しきある時酒宴の雑談に教定卿
故中納言入道殿御詠に長月の月の有明のしぐれゆへあすの
紅葉の色もうらめしといふ御詠染二心肝殊勝一おほえ候由
被申時禅門盃をかたれたるを打置て気色あしく是
はなにか面白々成覧とう申けれはそれまては白地にも
かやうに被仰無二本意事也是は百番預合にも書入て
候へとも風躰不レ可レ然勅撰などに可入ざるよし
慥申侍しに是をしも被二構屏一之条不レ得二其意云々
此哥玉葉に撰入不思儀事也云々戸部云歌は
人にも見合可二去禁也中納言入道内裏御会行路
柳に道の辺の野原の柳もえ初てあはれ思ひの煙
くらへやと詠らるゝ皮一座仙洞御覧せられてのち完盛
可レ停二出仕一之由一ハ被仰下之旨被申禁裏経二日数後
出仕をゆるされて後殊更着陣して道の事め此御沙
汰有二気味一之由殊自愛ニて先達歟如此後草一為知聞也
又云中納言入道韻之は心得られぬとて後鳥羽院社御覧なけ
すてさせ給ひける又被御覧時源意ありけるとて御感
ありけりと云々いて思て先達哥とも見侍らはよく〳〵心を
付て見侍るへき事なり
文言中納言入道慈鎮和尚に進ける状に我歌の事を書
に西行法師所講日本第一哥人といふといへとも亡父
哥に比するに十分一に不及々々
宮川
一定家少年此
或人語云西行自哥を番て歌刈定家少年は
判をこひけり被レ判こく後西行人のもとに遣ける状
に侍従うそ歌判していたして候へ是もよからん
するけにこそとゝて
干時抱へ
へ被遣勅書を
後鳥羽院遠所より九条内大臣
大納言
見侍しかは奇事能々可レ有二稽古法性寺関白昔最勝
寺の影を書老後に門前過る毎に赤面すと云々
州普院入道仁午御賀の時琵琶を弾す孝博聞
て中将との御琵琶こそ漸ひはに成にたれと云々
われは鬼神をもひきへしつへて思ふに孝博申状及
無念之由思はれけるに尾張左遷之後孝博か詞を
思合に々物道め此相構て昨今の詠の見苦を覚
るやうに可有就そ古々々
戸部云新勅撰時光明峯寺殿より鶴々の歌事を
執申さるゝ時撰者御通事に後京極殿謹愛御子とし
て三十七にならせ給候尤其仁と申べく候へとも御風躰猶存旨
候由と申子細て但なきぬなきぬへき空を郭公またれんとてや
つれなかるらす是等は宜のよしと申云々
吾家隆は最遠か聟也寂蓮相具して太夫入道
和哥門弟になりき禅門と申云此に未来の哥仙たるへし
見参のたひに難儀なといふ事をはとはすいつも哥よむ
へきまさしき心はいかにと侍るへきそといふことをとふとて
家隆
と感にて基任語云土御門院小宰相成
感々と基基任語言公御門院小宰相休申けるは故二位の
女
女
歌には心得にくき歌なとは候はす高師のおのへの鹿の
なかぬ日もつもりはてぬる松の白雪といふ歌を心えにく
きやうに人おもへりふかく思へば心得にくしあさ〳〵と心うれは
殊に安く心へらるゝ哥也にて
或人云新勅撰えらはれける時梅の哥に花やかなる歌
なしとて撰者周章せられけり猶も壬生二品歌中にそ有
らんとて撰はれけるにいく里か月のひかりも匂ふらむ梅さく
山の峯の春風といふ歌を見出てら入云々
故宗匠語云亡父四の人とはゝ見すとやいはん玉津島とす
む入江の音の曙の歌は建長詩歌合時かむや紙のたて
かみのうらに書て祖父にみと申されし時見つとやいはんと
かゝれたりふをみすとやとそはに被書たり作者は猶所存
とけすなからみすとやと書てこそみて
小倉黄門禅門云後嵯峨民部卿入口上に被仰けるは為氏
卿は見すとやいはん玉つ島袖ふる山にかくるしら雲有人口歟
そこには是程秀逸はいつれかあると被仰下云々
戸部云白河殿七百首の時民部卿入道御製御数を見
合て八十首詠す冷泉大納言の義はわかりのおほく仕れと禅
門ゆるされて一ツ首是を詠す還御こゝ時達者とこそ見え
つれと直に勅定有けり
又云彼七百首の時真観まいりて短冊を泉の水のなかに
風に吹入られでのこひ布のかせるてどりあけなとして見く
るしかりけりめ此事尤可有二用意云々
祝部行氏語云少年時祝申忠成
新勅撰
にあひて侍りき
作者
草子なと見て哥よみ侍りしかはたゝ歌はあを雲にむか
ひあかせよ今より古歌に承ゝりてはうるはしき歌よみには
成ましと申きそこ
故宗匠云民部卿入道は信実卿をは無麦哥よみにおも
はれたりき駿後撰巻頭にいれんとて立音歌十首計ふくて
給はらんと云つゝはされたれは是は何の御要に御覧とて
書ても出さず早下の心も幽玄也き百首をよみ民部
卿入道に点をこひたる哥中にはつそ山の谷〳〵と云歌
山法師のやうにや候らんと詞を付てつかはしたれは其日
夜に入て中院へ尋来れり対面して只今何事に御
渡そと被尋けれは谷〳〵山法師のやうなると承候事也
面白候て参て候云々すきのほとやさしかりき
弁入道の書たる続後撰の難といふ物をしね見侍りし
に成茂あつまへ下てすててす塵にましはるかけそはゝ
神も焼ねの床や露けきと云哥の詞に涙のこほれけれ
はとかゝれたるをよくそ其時浅のこほれける一の幡さしの寂
西か蚊蛇にて詞がきなとにかやうの事あるそとかけり
誠に他に実なる門弟なり隆信と定家と一腹の兄弟也
それよりことにあさからぬ為門第一歟
信実朝臣女三人ありみなよき歌よみ也藻壁門院少将は
殊に秀逸なりをのかねにつゝき別のありとたに思ひもしら
て鳥や鳴らんといふ歌を感して京極黄門老後に古今を
書てあたへらる奥書に国母仙院少将殿依為二此道之場
能一不レ顧二老眼之不堪一書二写之一
少将内侍は先うせて両人は残れる藻壁門院少将老後に
出家して法性寺旧跡に住ける比平親清女あつまよりの
ほりてさる名誉人なれは見参せんとてず性寺宿所へ盈
まかりけり持仏堂にいりて障子こしにかやうに草ふかき
すみかにわけいらせ給ふ御心さし此道の御すきも殊におも
しろくそ老のすがたも見えまいらせたく候へ共をのかねの心
をとりせられまいゝせしとてけさんはし候はぬそといはれけ
るやさしく優にこそ侍れゐなかつとなとつねは送りて
文にて申承はり弁内侍は老後に即に成て坂本の北に
あふきと云所にこもりゐて侍けり亀山院きこしめして七
夕御言の時題をつかはされけれは七夕衆に群来ても露
をく袖のせはけれはたなはたつめに何をかさましとよみて
侍りけるをけにさこそとあはれからせなはしましてつねに
御とふゝひなと侍りける由あふきに行宣法師とて
ふるきものゝ侍り。がたり申侍りき
西因寺常盤四井相国俗名実民
戸部云弘長仙洞百首は
常盤井相国
正二位藤原朝臣家良
正二位藤原朝臣基家号
佐藤原朝臣家良正二位後藤原朝臣基家号鶴殿中院大納言
衣笠内大臣
九條前内府
民部都入道
伝馬守院大納言秀家ツゝ
正二位行中納言兼侍従臣藤原正三位行侍従臣藤原朝臣
一俗名信実朝臣
伊兵衛
冷泉大納言有氏行家卿寂西兵衛清撰七人に被仰
仰世これを七玉集と号常盤井入道相国老後の晴の哥也
所二心及執してよむへしから尾とりたる馬に廬鞍をきて百疋
引たてたる様に詠すへしと被申けり誠奇毎におほやけし
くたげたかくうるはしき体なり当家二代歌も此百首殊親
換也百首は是を本にて詠すへしさて衣笠前内府の
歌殊勝也おほく勅撰の中にありとく
故宗匠云民部卿入道時に衛門督僧都なにかしと哉らんいひし
僧歌の事とひに常に来き歌は誠をさきとすべし道理に
かなふべきよし申さるたを聞て後日に来て先日承しにつきて
哥を一首詠して候かやうに候へきかと申き
富士の山同し姿のみゆる哉あなたおもてもこなたおもても
道理をさきとすへしとてかやうの事にてはあるましとてわ
らはれ侍りき
又云民部卿入道に古今の説をうけんとて参せし時法師にて
聞書なとはしなれたる程に其為に定劣をくして侍しかは
今日はさし合事あり不可来之由被仰て内々なにとて
人をはつれたるそとこやきの後日に一人まかりて説をうけ侍りき
又云民部卿入道被申しは哥をは一橋をわたるやうによむべし
左へも右へもおちぬやうに斟酌すへき也心のまゝによむへから
す又う申しは塔をくむやうによむ塔をは上よりくむことなし
地盤よりくみあくるやうに下句よりよむ也と云々
今出川院近衛房被診云故大納言子とも哥よまとしに伊頼卿
覚道上人実伊僧正なとわかくてさい〳〵よみき吾身は九に
成し時池氷と云題を是ともの哥をみれはみなうす氷とよみて
侍りしほどにおなしさまにてあひなしとおもひて池のみきはのあつ
氷とよみたりしを大納言興に入て此あつ氷の歌いつれよりも
よしいかにも始終哥よみにに成へしと申されしが続古今よりこのかた
いきて五代勅撰にあひて歌数もあまた入て侍るは父の
詞の末とをりて侍るとかたゝれき詩なともつゝりて兼作某
にも入仏法にも立入て一生不犯の
禅尼也法華経千部よまれたると聞侍りきうるはしく宮仕
なともとず続古今時五月に菖蒲かさねのきぬきて今出
川中宮と申候しにまいりて権大納言となつきて車よりも
おりてまかり出てめつらしく優美よまれし人なり
戸部云京極中納言入道つねに被申けるは歌者兼室大
納言束帯にて陣座に着て公事をこなひたる様によむ
へし資雅三位か水干かりやうにて小鷹すへて打出たる銀
にはよむへからすと云々
民部卿入道も亡父はか様にこそ申しかと人毎に申されけりと云々
又云新勅撰の時所望之仁歌を出したる心にあふ事かたかり
けり撰者常にえりくつを給りて見侍らはやとみ申けり
又云中院禅門為家わかくては此道不堪なり父祖のあと
とて世にましはりても無詮出家せむと思ひ立ていとま
申に日吉秋にまうて給ひけり其比に慈襖和尚にまいり
て所存のおもむきをのへていとまをら申けるに和尚ねは
いゝつそととはせ給へり廿五になり侍る由申されけれは
いまた是非の見ゆへき年にては侍らす思ひとゝまりて道の
稽古をふかくつみて。の上の事なりと被仰ける御教訓により
て出家をも思ひとゝまりてまつ五日に千首歌をよまれけり
よみおはりて父にみせ申されけれは先立春歌十首を見て立
春なとかやうに出来たる宜由被仰て身をよはれて後壬生二位
に見すへきよし被仰けりつゐす道の宗通として父祖の
あらをます〳〵おこされたる事慈鎮和尚の徳也云々
徳大臣には哥のまと立所あり寝殿の西の角の間也是
後徳大寺左府西行に被対面一ける所なり一条法印云
左大将家六百番哥合の時左右人数日々に参て加評定て左
右申詞を被書けり自餘人数不レ参日あれとも寂蓮題明は
毎日に参ていさかひ有けり顕昭はひしりにて独古を持
たりける庚蓮はかまくひをもたてゝいさかひけり殿中の女
身例の猫古かまくひと名付られけりとゝにて
六条内府被語云後鳥羽院御時柿本栗本とてをかる
柿本はよのつねの哥是を有心と名づく粟本は狂歌こ
れは無心といふ有心には後京極慈鎮和尚以下其時秀
逸之歌人也無心には光親卿宗行卿泰覚法眼等也水無
瀬和歌所に庭をへたてゝ無心座あり庭に大なる雲
あり風吹て殊におもしろき日有心の方より慈鎮和尚国
あると心なきとか中に又いかにきけとや庭の松風と云歌を有
無心の方へ送らる宗行心心なしと人はのたまへと見ゝしあれ
はきゝさふらふに軒の松風と返歌を詠しけり耳しあれ
はかなまさかしきそと上皇勅定ありてわらはせ給ひけり
水無瀬殿御堂長老矩水無瀬三品の説とて語之云此和歌
所の軒の松は上皇御心をとゝめさせ給ふ木也はるかの御所の
後此松にをしつくへしとて哥を送らる
いにしへは花そあるしをしたひける松は人をも思はさりけり
此御うたを出されて後ほとなく松はかれにけりとそえ
戸部云遺所十首御歌合家隆卿詠に又や見ん又やみさらん白
露の玉をきしける秋萩の花と云哥を京極禅門あはれ太夫
入道の五や見んかた野のみのゝ桜かりにはをとりたる物哉又や
見んにて又屋見さらむは不足なき物をと云々
又云秀能後鳥羽院叡慮には無双の哥よみと被思召けり
中納言入道は御所に被思召たるほとはなし家隆や申ほと無下
の歌よみにはあらすと被申けり
又云新古今に父秀宗身まかりて後寄風懐高をよめ
るとて秀能哥ら入たり兄秀康これほとの面目な
るへくは首をもはねゝるへしとてうらやましかりけり
六条内府之詔云歌よみにはみなつねに好詞あり後久
我相国はなにやと云ことを第一句にても第三句にても
このみよまれけり後鳥羽院勅定に例通光かやとおほ
せ事ありけり千五百番歌合時の御百首には此間圓
ら二申行て端作陪二大上皇仙洞一といふ所を平出に書へ
みな其儀にしたかふ其後は此義なし只此一度也
戸部云大甞会歌は仁安六条院議乱時大夫入道詠之貞
応後堀川院御時被仰京極中納言堅申手細仁安も非嘉例
之上現任公卿不詠儒者若は諸太夫なとの家より出たる
輩詠来故也可挙レ申其仁之由西図寺内々申之間家
隆知家等可為其仁歟之由申之是皆自諸太夫家出り候
又云知家卿父顕家非二堪能一此道事雖微弱京極中納言取立諷
徳之彼家説も父よりは不レ夢中納言入道其家説かやうなるそと
をしへたてこれ器量たりとて哥合なとにも毎度継美しく新
勧撰哥数などもら売就老後まて尚門弟にて侍りしく宿な
入道逝去之後向背の心出来て宝治御百首寄非二書我風
躰に御もおほくよめり不レ知レ忍事也文保大甞会哥隆教
可詠レ之内々自御所戸部之允萩井をよめる哥に露もろきゝ
云詞ありもろき字懸みた又いはむらの秋に見ちありと木の
もと草のかきはまて我意の世をいはむらの杜云々此事日
本記に神あれて草木皆物いふといへる非吉事君る世を
いはむらといへるもかならす穢美ともさためがたし山守はいはゝ
いはなんとよめるとかひる心也なとち申しをやかて御不審
ありて作者に御たつねありしに大嘗会歌致卿いつの才覚に
て難申候哉らんとつふやくときかれて貞応大甞命時中
納言入道記録知家卿吹挙事なとの所に計算をさして
いはむらの松は己日楽破哥也其夜有時都有二郢曲所
乍参之時於二陣中に横死畢
閼伽井宮御物語云深山月知家郷
昔思ふ高野の山のふかきよに暁とをくすめる月かけ
叡感尤甚なにかれ纏頭にと被仰ける折ふし一蔵物なしみて
厚紙を十帖下さる給はるときいそき住吉御幣に一色と
申候人恩レ之云々
小倉黄神云隆博やは行家には無題におとりて世も
おもへり誠にさこそ侍りけめ亀山院御時山城国名所を
賦する百韻御連歌侍りしによのつねのやさしき名所
は大略過ていまは俗にいひつけたるからすきかはな
四の色かはらなとやうの名所をもとるべしとさたありし時為
氏やちきりしのみやかはらさるらむとこ仰付たりし叡感
もあり諸人寄持におもひて隆博やすこしの相対にも
及さきよし人〳〵思ひたり勅定に隆博津ふよと仰
事侍りけれはつらからすきかはなへてそたのまゝしと
候付たりしさする也といふ御沙汰侍りき
基任云中院禅門北野参籠之時に神まての社名を
賤して連哥侍りしに冷泉亞相中将殿といふを賤してこ
然のみちうしやうとのみなげくかなと付けるを満座感歎す極き
禅門柳と云句に老松ちからよよき春かなと云句を付られたりし根も
なけれ共そゝろにおもしろかりしと観意又其席に候てかたり侍りき
故宗匠云民部卿入道被申候しは歌合に人の許へ行に
は連哥発句一二句案して何人何木何舟根のつねの
賊物にあてゝ用意する也会の末さまににはかにれ歌
すへしなといふ事あるにそゝろに発句を案して人また
れなとすへからすとら申候
又云民部卿入道真親かはや人の薩摩のせとなとよみて
人をおとすとてつねに咲はれ侍りき
或人物語云中院禅門と阿仏房とゐられたる所へ為氏ま
かりてえんにてこはつくりてあかり陰子をあけて入らんと
せられけるを阿仏房障子の尻をさへてあかり障子をか
くし題にて一首あそばし候へあけ候はんとら申けれは取あへす
いにしへのいぬきかかひしすゝめの子立あかりしやうしとみるゝむ
とよまれけれはあけてわらひて入られけりたはふれなからに
しにくき心にてや有けん源承法眼の説とてかたりき
故宗匠云民部卿入道為教を車の尻にのせてさかより
冷泉宿所へ出られけるに為敵卿あにのあしさまなる事
とも被申けり禅門ともかくも返事もなくてみちにことる車
のあるをみて
やせうしにこえ車をそかげてけるといふ連歌をせ
られけるを為教よりすちりあむしけれともつ井につけ
きりけり冷泉にて車よりおりらるゝとてつゐにえつけ
ぬなあにのみのならはつけてましとこ申けり
又云後嵯峨院御幸の時弁内侍少将内侍御連歌のれ申
に御車にめされけり為氏殿上人のとき御幸の御供に
まつゝれしにすてに御車の出るほとに桜の枝を花かめにた
てゝれたるをおりてとゝれけるを御覧せられて為氏か花を
ぬすむに連歌ひとつしかけよとおほせられけれは弁内
侍しら波の立よりておるさくゝ花といひけれはちらゝけて
そにくへかりけるとつけられたりけるとりあへぬ時分の花
なかしこまかにつきたる誠達者所ノ存也云々
同院御時吉田泉にて御連歌ありけり女房弁内侍出物
内侍めされて簾中に候けり民部卿入道女房の申次
にて簾のきはに穏作せられける耳おほろにて滝のひゝ
きにまきれあひてきゝわかれさりけるほとに御連歌もしま一
さりけるに為散少羽山より柴をおりて瀧のおつる所にふたきて
侍けれは水の音聞らす成にけりそのゝち御連歎しみて侍けるよし
弁内侍日記ふりて侍り
六条内府被レ話云亀山院御時三代集作者賊物にて
御連歌あるへしとて字匠に被仰て後進せられけるを
御前資平卿とわか身と祗候して書写侍しに源尚
純を為兼見てあれは常純にてこそ候へと申宗匠而共当院の条
勿論定家卿と自筆本如然によし被申候しを猶常純之由
論申ける時勅定に急古今本を可披見由被仰下ける
時召寄られて備一叡覧一ニ当純条無二子細一定家卿貞盛
本侍て精孫可為二将来証本一之由加二奥書一本也
為兼卿閉口事体懸ゝしかりし由被語申き
小倉云文永亀山殿五首哥合近頃厳重公宴也き
大殿執陌大臣あまたこゝまゝき其時山紅葉愚詠にちりぬ
へき秋の嵐の山の名にかねてもおしき木ゝの紅蕪こゝと詠し
たりしを再三御詠吟叡感之気山陽左府中座におりて
向二御前揮して案二天徳之例一天気依レ有二右兼感哥一被
ニ付二勝字一畢此哥可申請勝字由被申人々同申之処長観
申言相手歌をくら山いま一たひもしられなはみゆきまつかかへし
の色やまさらむ今一度の見ゆきまたなんの芳躅も難
ら弁梢之上紅葉にちりぬへきと詠す古き哥合に紙
如哥義勢傍若世人なり云々
又云蓮哥本哥二句にわたるへからさるよし有二沙汰歟そ
れを事によるへきにや後嵯峨院御時御連哥あやしきと
云句に本ともなくけふの日かけもくれはとりといふ御製
つきてのち難句にて連歌つかすして程ふる間難句を
して及二違乱此句可二通給一之由有二勅定一しに民部卿入道
それも可為摂民御事之由み申けるに為氏四何条さる事は
候へきぞとら申候けるを上手つけ候へ拙覚かなひぬとも覚る
はすとう申けるを聞いれぬ体にてたゝにやこゝむ二村の山と
み付たりけり叡感頻なしま座感歎しき是は本寄宜
渡三句者歟
平中納言雅輔卿云円光院殿仰言諸道をうかゝひて見るに
いつれもをろかならすといへともことに無尽期事は除目の
事と和歌の道と也とゝわか身随不携二此道於二加哥一者
源二仰信一々々又云伏見院後伏見院に申をかるゝ条之内
向後勅撰あらは永福門院と鷹司前関白とに可被申合候也
此条後昭念院殿たたに御物語ありし事也々々伏見院
御製と後照念院殿御哥とは御風躰各別色面かやうに
仰おかれける事究竟にいたりぬれは御意の通する事
おもしろき事也或人言時代不問哥合に定家卿被答元
良親王二ける時元良親王といふ哥よみのおはしける事
しりたると利口ら申けり家隆は小町につかふまこと
に定家相手不と請もことはり也但後鳥羽院常
仰候元良親王殊騎哥よみ也と仰有けれは御意には
わろき相手共おほしめされさりけるにこそ後哥合に
公任卿不入秀速三首なきゆへと云々長徳寛弘より
空の月日をあふくにこそ侍りけるにさすか御歌合にかゝる
ほとの秀歌三首もなとかなからむ後代不審也
故宗匠被語云はれの歌よまんとて法輪にまいりて
よみし也若ものともゝ法輪へまいりてよむへし所からの
すゝきにもことに歌出来するなり
戸部枝語云建保五年四月十四日院庚申五首時御
教書に非二秀速一者ニ可二ら厭給にて京極黄門ひとり非三
秀逸一者不レレ戯之由事謹一如レ請如件と請文を与遣
希代事也仍其時哥非二殊沈恩一秀逸酒ことに出来
けりはなにそむくる春の燈をのにもにぬ夜はのみしかき。あ
らは逢夜の心つよさにこれらせな此時の哥也其比家隆の
もとより新院御歌を京極へ遣とて庚申をもてあつか
ひてあまりに風情つきて古反故なと見候中に此一巻
を見出して御思に愁なとあへとて人のたひたる物にてそ候
つらんむかしよりかしこき御目おろかなる目とさのみかはり
たる事も候はぬほどにあしからす見候につけてまいらせ候由
の状をつかはす通事に戻申いかかし候へき今はたゝく
ひほねいたく水ほしく案しなりて候に此哥給て候庚
申さまたけん御ようなりなとおもひて候へはとてこの
御哥の拝勝なる事さま〳〵かきて此道事禁裏の御事一
は申に不及この御所は詩の御沙汰はかりとのみ思ひまいら
せて候へはかゝる不思義なる御事にて候ける今はたゝ下よ
哥よみ給はし秋の太郎次郎なと申ものゝいふかひなく候な
とさま〳〵にかゝれたる侍き
戸部云高尾文学上人歌五首詠て京極禅門許に持来
皆其心珍重也仏法練行心通二和歌歟之由記録被
書載二都賀尾明恵上人は此道数寄異袍也仍斯勅供
に哥あまた被撰入又日遠心集といふ集を書て歌をあつ
められたり文学上人数寄ら相続歟心源上人語言文学
上人は西行をにくまれけり其故は遁世の身とならは一寸
ちに仏道修行外不レ可他事数寄をたてゝこゝかしこに
うそふきありく条にたさ法師なりいつくにても見あひた
らはかしらを打わるへきよしつねのあらましにて有けり
弟子ども西行は天下の名人なりもしさる事あらは可被得
珍事となけきけるにある時高瓦法花会に西行まいり
て花の陰なとながめありきける弟子とも是かまへて上人に
しらせしとおもひて。す花会もはて坊へ帰りけるに庭に
物申候はんと云人あり上人たそととはれたりけれは西行と申
ものにて候法花結縁のために参て候今は日くれ候一夜
此御庵室に候はんとて参りて候といひけれは上人うちにて
手くすねを引ておもひつる事叶たる体にてあかり障
事をあけてまち出けりしはしまもりてこれへ入給へとて
入て対面してとし比承及にて見参に入度候つる御尋悦
入候よしなとねん比に物たりして非時など饗応して次胡
又時なとすめてら帰けり弟子達手を挙つるに無内に帰るへ
事悦思ひて上人はさしも西行にあひたゝはかしらうちわらんな
と御あらまし候しに殊に心閑に御物語ひつる事日来仰
にはたかひて候と申けれはあらはふかひなの法師ともやあれは
文学にうたれんする物のつゝやうか文学をこそかたてんする
者なれと言申けるにと云々
或人云千載集の比西行在二東国けるか勅撰有と聞て上
洛しける道にて並蓮にあひにけり勅撰の事尋けるに
はや披露して御うたも多く入たると云けり鴫たつ漢の秋のと
書と云歌入たりととひけれは見えさりしとこたへけれはさては見て
要なしとてそれより又東国へ下りけるとみ也
或聖西国よりのほりけるか住吉に参りて通夜して侍り
ける夢に御社のまへに僧俗男女貴賤まいりあつまりたりゆゝし
き人もおほし猶人をまたるゝ体なりしはらくありて黒衣僧
一人参たるを御殿のうちへ召入これて後けたかき御声にて心なき
身にもあはれはしられけり鴫たつ沢の秋のゆふくれと云哥を講せ
られけると見侍るよし語けるとなん住吉神主国冬云哥よ
みたはおほく当秋御眷属となれり和泉守道経は鬼形にて
紙筆を持てとの井かきのいぬいの角のたんの上に西むきに座
して人に見えけると申伝たりと云々
国助神主近は神羅寺のそはに秋を作りて神と両かむ
今主神と号す近来此道の堪能也敷島の道まもり天神を
しもわか神垣と思うれしさとよめかけにさそ思はんとおほゆ義安
をゆるされ新後撰の時新古今の秀能か例とて十七首入ら
れ稽古も名誉も無双なりさしかるに家院の詠哥六万
首ありける事をうらやみて己逆の後哥をおほくよみけり月次
に千首をよむ事をしけり其比よりの哥優弁ならずあそ
はしき事ましれりかやうの事尤斟酌すへき由今の宗匠語
み申さ東入道行成も毎月の百首とてよめる哥ともはさ
らに勅撰にえらひ入ぬへき物も見えすと放申き
故宗匠云初心なる時は音に応のうたよむへし
それかこゝろもいてき詞をもいひなると也
文明十八年
常徳院以御内書御懇望之条
五月十七日
此六巻
備之儀於燈下書写之畢然同八月
正本被遂下重而在御内御自筆書
同伊勢守貞宗状有之者也
延徳元年四月二日法卯判
明応九季令懇皇或仁間留之正本を
禁裏之由承及之此本重以不可他借有
之書籍多以紛異者也行年七十二
一沙弥判
師病気及数日於に今者当来之資類
如此歯執無其詮院然別無仏法別無仏法別無仏法則
和哥か謂同一味而已此六帖二部有之一帖
有他筆之間筆改之
右此本四条大納言殿常泰御弟筆以遂
一授合畢急之本之間忍筆不憚先中
書写留重而可清書所也
享禄三季三月十二日勢州音取中郷
於日光坊書写雫右筆任賢
貞享三丙寅九月吉辰日江宿木橋万町
枚図
本屋清兵衛殿
十六月
柏原入大
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