掌中年中行事(和歌年中行事)

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間宮永好
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場所: 江戸
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間宮永好
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須原屋茂兵衞等
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ショウチュウネンチュウギョウジ
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東北大学
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狩4間 一和歌年中行事全 UTIL 亭 類の申事なる事あるより 顕今や由なる平如伝たく也 くしさな比なる宇都とろ瀬や 比は実布理にてあやことな き如来のお本拝天来達 いもゆなりしかるにその世に 共飛たふるに次女詞の新 きな宗とめめ達は稚子の 述て川に流れたる雨みゆ 百時いと口惜き王科になむ こゝに有なひのようへこやらせり のまちは広くち学の返子 たゞり深く所顕の浦通玉字 求簡事手比也式翁ま当 花か理し時冬布の草小草 書集て其由恵之候ましる 之古今の哥をさむ大流る承 堂簡末大しき程の所為なれ と初学の為に在い東漢よき 物なに達は難末くの住株書 塵共さずよりはこ余なく増れ 香を以□糊之初学通輩 此書字田添丁東之高中京 之古仁さかの宝にな婆 清文浅字のかれて未万 くねの心字さときなむ 小山田与叔識 掌中手中行事序 わか間宿の大人の書おかれ たる書くつゝ有かなかに此 掌中来中行事は公事根 元子もとゝして古書ともより 其要をつみ出られし也。一日 大人の御許にまけてしかつ 是を猶ののにさつけられて のたまはく。孫原抄。禁梅抄。 公事根元の三種は。古学の はしたて也と。故に山田大人 つねるのたまひおとすられき。 さて此おつく〳〵とくりかへし みるに初学の人の為には こよなり。まなひのかたはし にて有ける。六人いみしき玉も いたつらにこめおかむには。石瓦 にひとしく。こかねしろかね も惜みてひめもたらんには さらに世のたさらに非す。 されるこのかけはしよ独 はつくゑのう魚におきて 人にしらせさらむは。かの玉 にこかねにむなしく笠の底 にこめおきたらむる如くな れは古たひ板にゑりて 世にお保やけにしつる也 あはれ此かけはして風て うひまなひの人々いにしへ まなとの道に染く入たゝむ 心をおこさはおのれかよろこ となにことか是にしかむ。 嘉永六年といふとしのむ 月のはつかなめかのひ。六つ ふさのくにさうるの跡。古石 のり人あ曽信就。利根川の にしのあつら湯の亭よる故 今日行事 凡例 一此書は。公事根元字もとゝして。諸 国よりもおほくつゝ出たれば黒 其心字記すべきをもと初学の ためなれば。さるではとてはじけり。 一読法のたがへるは。かむなのたがへる がごとく。重たてゆよからぬもの也。 されば。読あやまちもしつべき所に 八傍にかなつけたり。 一水様腹赤等ハ。公事根元には元日 宴の條に入られ。年中行事 歌合には。別に挙られたり。かゝるた ぐひは見安からん方に従へり。 一一手の内に二度ある事は。後の処 に。春におなじ。夏におなじなど様 にしるせり。また手中行事 三ツ合に。前の所に哥なくして。後 の処に歌有もあり。そは其序 のさゝにせり。かゝれは前の所に哥な うしとて。後の所にも歌なしとおもふ べからず 年十行事 年中行事 一公事題の歌は。むかしよりいゝすく なければ。古人のにまじへて。今の世 の人のものせたり。またたらぬ 処ゟは。おのれのをも。まし一子 たちのをものとたり。さてもなほ なき上だ程〳〵おほかる公事 題哥集にのめおはし。 一今の人の歌とも。よき限りを撰 ばむにはたみやすきわげならねば よしあしていはず。見ゆにしたがひ ためのみなればむ。 てのせたり。これもれいの初学の 目録 正月 四方拝一才御薬一ウ 御節供二才朝賀二才 小朝拝三才元日節会三才 一氷折四ウ腹赤鬚四ウ 内侍所御供桑若水五ウ 若菜六才子日遊六勺 御杖七才二宮大饗七ウ 朝覲行幸七ウ臨時客八才 視告朔八ウ御国忘八ウ 叙位九才白馬節会九ウ 御斉会よウ真言院御修法ナリ 大元帥法十ウ女叙位寺 女王禄上ウ縣召除目十一ウ 御斎会内論議十二ウ御粥十二ウ 御薪十三才踏初会十三才 射礼寺賭弓十四ウ 殿上賭弓十四ウ仁寿殿観音供十五才 内宴十五才国忘十五ウ 神祇官御読物十五ウ外記政始十六才 吉書奏十六才七瀬御禊十六才 ○中行事○目 火災御祭十七才代厄御祭十七才 二月 一春日祭春日祭 一鹿島祭十八ウ平岡祭十八ツ 一牢門祭十八ウ園韓神祭十九才 大原野祭十九才祈年祭廿九ウ 列見芽北野御忌目廿ウ 一新年穀奉幣せり臨時仁王会芝方 位禄完芳季御読経廿才 三月 御燈廿一ウ由の御禊廿一ウ 曲水宴茅巳の日の襖廿二才 一薬師寺最勝隆廿二才石清臨時登廿三才 花鎮祭廿四才京官除目廿四ウ 東大寺授戒帯 四月 一斎院御禊廿四ツ更衣廿五才 孟夏旬廿九ウ貢水廿六才 大神祭廿六才稲荷祭廿六ウ 一山科祭六ウ平野祭せイ 松尾祭せウ札本祭せウ 当宗祭せり当宗祭せう 梅宮祭廿七ウ広瀬龍田祭廿八才 一擬階奏廿八才 伊勢神衣祭菩薩摩日吉祭花ウ 賀成国祭廿九ウ関白賀氏清廿九ウ 賀茂祭芽中山祭サウ 吉田祭芳駒牽紫 新日吉祭卅一ウ三枝祭世ウ 九月 菖蒲卅ツ五日節会帯 端午節廿二ウ左右近馬場騎射卅一ウ 紫野今宮祭卅二才有無日廿二才 最勝溝卅三ウ賑俗廿三ウ 著鉢政第 六月 御覧物帯志火御飯卅四才 醴酒廿四ウ延暦寺二月会卅四ツ 御體御卜苗ウ月次祭卅四ウ 神今食卅五才解斎御術其才 一祇園御霊会卅六才同臨時祭廿六ウ 節折其ウ大祓卅七才 一鎮火祭卅七ウ道饗祭卅七ウ 施米卅七ツ雷鳴陣廿一 十一丁一布○同二 七月 広瀬龍田祭卅分七日御節供廿七日御節御期 一乞巧奠廿八ウ文珠会卅九ウ 孟蘭盆卅九ウ相撲、荒ウ 一行年穀奉幣四十才仁王会四十ツ 八月 八朔風俗四十ツ 北野祭四一才定考四才 小定考四万石清水放生会四一ウ 駒幸四二才季御広経四二ウ 九月 御燈四二ウ不堪田春四二ウ 重陽宴四二才例幣四三ウ 撰虫四三リ 十月 孟冬旬四四才那子餅四四ウ 一射場始四ツ残菊宴写 一興福寺法花会四五才維摩会四才 大粮申文四五ウ初雪見参四五ウ 雪山四五ウ 十一月 御覧物四六才忌火御飯皿六才 御暦奏四六才朔旦有之公土器 相嘗祭四六才宗像祭四六才宗伝五郎 山科祭四六ウ平野祭四六ウ 春日祭四六ツ杜本祭四六ツ 当麻祭四六ウ平川祭異ウ 梅宮祭四七才当宗祭四七才 中山祭四七才松尾祭四七才 大原野祭四七才園諱神祭四七才 五節四才殿上渕破四才 童女御覧四七才鎮魂祭四八才 新嘗会四八ウ豊明節会四九才 吉田祭咒ツ日吉祭咒か 同臨時祭四九ウ賀茂臨時祭四九ウ 十二月 忌火御飯五十ツ大神祭五十ツ 国志五十ノ御礼御卜奏五十ウ 月次祭五十ツ神今食五十ツ 佛名五十ウ御殿上五一ウ 立土牛童子五一ウ荷前五二才 一著龍政五二ウ内侍所御神楽五二ウ 御覧物五三ツ大祓五三ウ 同灘五三ウ 上口二丁目〇同三 今日午号 掌中年中行事 以テ購入セリ 間山は永好著 野亭吉氏 正月 元日 ◯四方鉾 一元正寅の時に属星を唱へ天地四方 山陵字拝し給ひて。手災をも払ひ宅 桃をも祈たまふ也清涼殿の東階砌の前 に御屏風を立めぐらし。其前に白木の机 字おき。青花燈にを備へて御拝ある也。 まづ北に向て天を拝し。西北に向て地を拝。 次に東南西北と四万字拝。次に南座に おいて山陵を拝し給ふ也属星とは子手は 貪狼星丑亥巨門星。寅戌禄存星。 卯酉文曲星辰申廉申貞星。巳未武曲 星。午年破軍星也。又臣下四方拝有。其儀 登向て属星を拝。乾に向て天を拝。坤に向 て地を拝。次に四方。五十四日頃に大将軍天一太 白次に氏神竃神。先聖先師。墳墓に焼 焼 腰をなどひ。南北朝の比より。内程。仙院。攝 家大臣家などの外は。たえてゆえざるにや すゝべらきの星を唱ふる雲のうへに女房 年申 光のどけきはるは来にけり なやらひし空ゐの庭に程もなく ほしうとなふるすはきにけり 八十 ○供御薬一 屠蘇白散といへるもおなじ 主上生気の色の御衣を。常の御直衣の 上にめして。清涼殿の昼御座に出御あり。 陪膳の典侍典薬頭女官へも生気の色 を着す。生気とは。吉方をいへり。此時まづ 御厨子所の御歯固を供ず。御はがためはてゝ 御薬を供ず。一献に尾蘇を滝に入て薬子 にのるしむ。薬子とは小女の未嫁せざるを用ふ とそは小児より飲といへる故事あれば山 次に主上銀意にもりて夜御殿の南の 戸より入給ひて。御塗籠の東の戸に向て きこしめす。とそは東の戸に向て飲よしい くればひきうにして残りを女官にかへて 給へば。それに後取に飲しむ。後取の便は 元日四位。二日五位。三日六位蔵人也。二献に神 明白散三献に度時散也此例元日より 三日寺で有。三日には御たうやくを銀着に 入て奉る。たうやくとは。膏薬也無名指 につけて。御額御耳のうちなどに つけたまふ はるごとにけふなめ柏る薬子は わかえつゝみむ君がためとか 為秀 ことしよりおひさきこもる薬子に あはなむすぞ限しられぬ 千花 くすりこのけふなめねるさかべきの めぐりや千代のはじめなるらん 大海 元日 ○供御節供 元日より三日の間有事也。宇多天皇 の寛平二年二月。後院の別当善と言人 に仰て。毎節に調進せさせ給所。いゆる 正月十三日の七種頼。三月三日の草餅。 五月五日の粽七月七日の奈餅十月の 一家子餅などの類也諸院言もおなじ。 〇朝賀 元日 朝村ともいへり 辰の時に大極殿に行幸なりて行はせ 一たまふ。気臣礼服ま着して御即位の 儀の如し。内弁外弁といふ事有。内弁とは。 一承明門の内にて。諸事を弁備する心也。 一の上たるくつとむ。一の上さはりあれば。次の 年中行事 大臣つとむ。次の大臣はりあれば。大納言も勤 むる也。まづめしの鼓をうたしむれば。奉 臣列して門に入主上高御座につかせ給 一ば。兵庫寮鉦をうつ。賽帳の命婦御 帳をかゝぐれば。執翳の命婦翳子伏す。 公事根元に。はとり出て。帳を八字にかゝぐ と有は誤也。さて近仗将の事。警許を称 し。国書主殿香をたく。典儀少納録 詞子となふれば。気臣再拝すまた奏賀 奏瑞とて。二人庭にすゝみ出て。去年 一の嘉瑞どもを春す。其時気臣また舟 拝舞台拝 ほす次に舞路 もおなじ もおなじ わゝれば武 官万歳権をふる。一条院の承暦より 以来はだえてゆえざるにや 中宮入内戸井 よをいはふ鮮ゆゆれもしまやる酒 わがこゝのへのにはのみや人西 同 さかゆべき御代のしるしも春の立御子古 けふよりみゆと言につぐなり中納言 同 〽字代まれる御代のしるしも大わの 左大臣 すゝみまうする春はぎにけり 年 雲の上に切えあげよとよばふらく としのはじめの万代の鮮 煎 万代のはたてなびかしおほにはに けふよりすのはつかせぞふく 千花 ふるはたののどかになびくけしよにも しるくぞみゆる春がよろつ代 信子 ○小朝年元日 〇小朝年 こでうばいともよめに。 殿上人元日に主上を拝し奉るひ。是は蔵 人より請申て行ふことなれば。松の礼なり。 天子に私なしとて。延春の御牢に停めさ せ給ひして。しひて請申ければ。また元の やうに行はあけり。清涼殿の東庭に。実国 以下四位五位六位の蔵人まで。袖をつらねて 舞路する也朝拝有手は行はれず 風 一九重やむしく庭にむらさきの 神宮つらぬる千代のはつ春 俊成 年 天皇は私なしととゞめし字 内大臣 まくら詞にるたぞしたがふ 空の上につらなる袖の葉は かすみの衣たつかとぞみ事 子 ダワン二千ノセンチヱ ○元日節会 此節会は紫宸殿に渡御なりて。百 官に滝を給ふ也。内弁の大臣陣の端の 座にて事を行ふ。第一の大臣ならずして。内 母を勤給ふ時ば。内弁に候すべき由。残事 を以て仰有。まつ蔵人をもて。外国の官人 の京に有て。節意に預るべき人の名を奏 す。是を外任美といくり。また諸司春と い馬事あり。中務の御歴書内弐様 腹東ノ勢。兵衛府の卯杖。などの春也。刻 限に臨で南殿に渡御有御帳の内につる せ給へば。内弁宜陽殿の兀子につゝ。其後 謝座の儀有て此をのほりて堂上の 元子につく。再門を仰て。舎人二音めす。 大合人四人唯称。前納言に告示せば。少 納言諸いためす外弁の上是より次第に もて承明つに入て南庭に列立す。親 わの後に大臣。其後に大納言。其後に三位 一中納言。其後に四位。軍相たつ。二位中納之は 大納言の末。三位宴相は。中納言の末におめる。 立定て内弁しきゐにを仰す。堂上の座 に居よといふ意正公事根元にしきゐん と有はあや馬り也。群臣謝座。討渡 昇殿着座す。謝座とは。座につ くを謝し奉る意。謝滝とは涯をたそ はるを謝し奉るを。内弁御膳を催せ ば。内膳是を供ず。其後腕の御膳字供す。 三献の儀あり。一献に吉野の団栖哥 笛を春す。庭神の御時の徳例として。 節会ごとにたえず参る也。二献に御渡 の勅使あり。是は酒を待澄の煙に給はる初 一使正。三秋に立楽二曲春頃。其後宣命 の羽などいへる有宣命は。宣命は。天皇我詔旨 良万 長万宣大命乎衆諸聞食 山 山 渡正月朔日乃豊楽聞食須日尓在 利又時毛寒尓依氏御被賜波久宣 と宣命す。此詔を謝し奉拝なれば。宣 となの拝といへり此節言は持詫天皇 の四手正月庚申にはじめて行 はれき。 一春くれば星のくらゐに願みえて前中 一くもゐのはしにいづるたをやめ納 六百人 いつしかと神字つらぬる百敷に 万代めぐるはるのさかづき 万代めぐるはるのさかつき 隆言 同 〽はつ春のかふはかしこきみことのり 有処 のべかと千よのしるし字ぞ中 諸人の立ゐる庭のさかづきに家隆 ひよりもしるし千代のはつ春 同 〽む月たつけふのまとゐや百両の さよのあかにのはじめ来らん 顕昭 くず人が春をこちくと吹笛に 其為も筆やみき給ふらむ 政徳 ○冷様 実内者より奉る。去年の所々の少のさ ま。厚薄寸法までこまかに春して。そ の様とて。石瓦のわれを奉る也様とは 俗にひながたといへる心己誠の妙のひな がたなれば。氷の様とはいふ込けり。氷の 厚きは聖代の印。氷の薄きは凶手の 兆なれは。水池風神祭なども有。また 氷のく祈とて。大法秘法をゝ行はる凶 公事根元水様の条に。氷室のおとり 字引出これたるは。ことの心たゞひたり。 そは貢沙の条におろ〳〵いふべし 今かぞしる手は昨日にくるすのゝ入道 氷池の水の深きめぐみ宇大納也 それさへにとり土くるゝ石かはら ひしりの御代のここのたてしに 八十 ○慶嘉御賛元日 腹赤は。つくしの国気土郡長浜より奉 る。肥後風土記には。玉名郡長渚浜と有。 小べといへる魚とも。さすといへる魚ともいへり。 はらかの食やうとて。喰さしたるをとり わたして昔はくひたりとぞ聖武天皇 天平十五年正月十五日。大字府より奉 りける子。毎年の節会に奉るべき よし仰有けるとぞ。 新六 一四の海波しづかなる御代なれば衣笠 はらかのにへもけふそなふ也 衣笠 内本 内本 年 はつ春の千代のためしの長浜に二位 つれるはらかもわがきみの為中将 大矢の千代のためしとまごろを 千花 つくしのあまがつれるみにへか 奉るにへにもしるしあまの子が つれるはらかのあかきころは 永好 美が代子猶長浜のながれと いはひまつれるはらか成らん 猛彦 ○内侍所御供元日 一内侍所御供 元日よりはしまにて毎月朔日に供ぜ らる。寛平手中にはじまる。内侍所 と申奉るは。三種の神器の内の御鏡にて 無中行事 おはします。但天照大御神皇孫に授け 給ひし御覧は。崇神天皇御時別所にあ がめいはひ奉り給へり。今の伊勢の皇 大神是也。此内侍所の神鏡は。同じか時 うつしいとせ給馬也。此内侍所へ村上天 皇の天卿の炎上に灰の中に有て焼 そんぜさせ給はず。或説に。神鏡南微の 桜に飛かゝりおはしましゝを小野玄関 ば袖に移し申きれしといへり。白河院仰に 内侍所神院とび出て。天にのぼらんとし給し て女官袖にうけて停申けるより。女房 は守護う奉る也とのたまへりとぞ。奇永 の乱に西海に沈たまひけれどし。こと故なく 帰洛君かやうに霊給どもおはしさせば。 もにあがめられて。伊勢の神宮へ。内侍所 の御かたを御跡としたまはず。内侍所又は 資所とも申奉る 神なら神にそなふるおほみけの たえずつかふるうまき御代かも 頼信 ノクズワカミツヲ 立春同 ○供若水 若水は。其手より御生気の方の井をて むじて蓋りして。立春の日主水司汲て 奉れば。朝餉の間にてきこしめす。若 水の水は若菜の若とおなじく新潟 の意なり。日ては年中の邪気字除くと いへる故事あるによれる也 新六 いづしうと池の氷の今朝はまた とくればむすぶ春のわか水 知家 年 はるをしてけふ奉るわかみづに 一千とせのかげやまづうかぶらん 土綱 朝日子の先まちとる若水に くるはや千代のはるの心宗 春海 上子日 ○供若菜 正月上子日。内蔵寮内膳司ボより奉る。 寛平年中よりはじまれるにや延喜十一 一年正月七日後院より七種の若菜を 供ず。また天暦四年二月廿九日女御安 子朝臣。若菱を奉りし由いひ伝左衛門 稲は薺蘿薬羮。芹菁蒔。 種は薺紫蘿、芹菁御形菜蔔 一藕なり。七種の品々は古今売同あれども。 くだ〳〵ければ昔に。源氏若菜の河海に。十 一二種の着菜にて薊苣芹。薺葵 蓬水蓼水雲芝菘とみゆ。さて新菜 字美にしてくらへば万病をのぞく 年中行書 といへる故事にもとづけり。こは子日とはあれ。 七日を用ふるもふるく例有。因に云。今 のせ七種の菜をたしきて言をうたふ事有。 高歌たうどの鳥と。にほむの鳥と。わたら ぬさきに。七種ながな。手につみいれて。 一元觜牛張」たれは鎌倉の上の哥ひこ れをかたひて四十九たく也。四十九は七曜 九厘。廿八歳三星の数也といへり。こは陰 一陽師宿醒師などるいひ出せる事成 べし。たうとは玄中記といふものに。東南有二桃 都山一。上、有二大桃樹一。有二天鷄一。日初出照二此樹一。鶏 即鳴天下鎮皆随鳴とあれば。東都鶏の 心なるべくおぼゆ。されどこはいとしとてなき 三めなれば。それまでには非ずして。たゞたうど は唐土にてからの鶏の心なるべし。さて日本 の鳥もわたらぬさきは即未明也。しかとく おき出てのべのわかなをつみずて父母を いはふよしなるべし。 わかなの哥はいづれの書にもおほく有 れば。たれゝおぼつかなからじとて省く ○子日遊 正月子日岳にのぼりて。遠く四方を望は 陰陽の数気を得て。煩悩を除くといへ るによれる也。朱雀園融三条などの御時 も此御遊あり中にも国融院の子日ば 寛和二年二月十二日なり。弥次は御本に て。紫野のそれより。御馬にめさる左右の 天王以下直衣殿上人は。布衣なり。軽の の屋をまうけ漫学引めぐらして小庭と なしてに松を植られたり。寵物をやうづ 物桧破子やうのものを奉る。人々和哥を 一献ず其時の序者は。早兼盛なり。元輔 好忠など伺修せりとぞ。子日に初子中 子弟子のみつあり 此類の哥も右とおなじ ○御杖上卯日 ○御杖 一郎枝囲外杖。祝杖などもいへり 正月卯日兵衛府より奉る。持院天皇 三年正月卯日。大学寮より奉りし此 書記に之ゆ。また文徳天皇仁寿二年 一正日諸衛府祝村子奉て。精魅を進 とみ心たる。作物所より。沙浜を造物 にして。其上に岩の中に。御生気の方の 獣に作りて卯杖をくはせて奉る生気 年中行事 東ならは兎南ならば馬なるべし。だい ばむ所におよる。其杖は。色々の木どもを五 尺三寸に切て奉る○榠樝木瓜。云々 良木牟保巳黒木。桃木。梅木。椿あれ 中宮東雪も奉る 一喜兵 一神代より年のはじめかはきる杖は法性寺 いはひねけるはるのみや人 同 天がためけふの外枝亭つきもせず いくそのはるのものとかはみる 枕 〽山とむ谷のひゞきを尋れば 宗院 いはひの杖の音にぞ有ける 奉るけふの卯づゑはよろづよに さかゆく御代のためし也けり 真貝 奈良 ○二宿大食二日 ○ ○二宮大饗 二言とは中定東官子申なり。親王以 下本言に参りて拝礼有次に玄輝門 の東西の廊にて饗につく。まづ中宮次 に東宮の饗也。三献の儀あり かほは紅葉心は花に成にけり はると秋とのみやのあるじに 永好 ◯小児の幸二日 ◯朝覲行幸 一ヤウツヽコウ 主上年の始に上皇国母等の実に行孝 せさせ給ふ也。嵯峨天皇大同四年八月 此儀はじまれり。嘉祥二年正月仁明天 皇。母后に朝きんのため冷泉院に行 幸有。主上南階亭くだり笏を正しく して跪給ひし事有。周礼に。音日朝秋 日観とある是也。漢の高祖は。五日に二度。 父の公景をもる。また東言も成 人の御時は。相観の儀有。元正天皇養老 三月正月大祖殿に出御あにて東郷ま うのぼり給たり。其後は度之也また天長 十年三月。淳利天皇。紫宸殿に出御あ りて。東宮観の儀あり。是は恒貞親 一わ九歳の御時の事也 はつ春のけふの御ゆきは人の親に つかふる道のしるべなりけり 永好 二日 ○明時最 摂政関白家に。春のはじめ大臣以下の 上達都て招引して遊び給ふ込是ま せる公務ならねば。臨時ノ客といへるにや。 尊者など有。大かた大臣の母声の大饗は 手をへて行はる。鷹飼なと渡る。藤氏の 一長志は朱器の巻を設て。自余の大王は 様忌の饗に設て。常の大食の儀に同 じ。はくふかたに御持有。催馬楽をうたふ るた大臣の大登代さるべき所字申請候 て行ふ也。宇治左大臣殿は。東三條殿に 其行はる。内程にて有ければ。他所へ行 幸あり。とせる事なけばいゝ借申が 故実也とぞ。 後於 一むらさきの袖をつらねて来る哉 赤後 はる立もはこれぞうれしき朱門 一〇 むれてくる大みや人は春まへて かはらずながらめづこしす哉 小雨 ○視吉朔三日 ○視吉郡 是は百官の行事上日享記して。月ごとに 御免ぜさせ奉る也。上日とは。小田の事 なり。吉郡の文をみそなはすといへるは是 なり。大極殿に出御ありてこれうごら ず。売国の告報とは格別也。親告郡と 三字に出てかうさくと視の字をはぶ きてよむが薄山 年 そをだにと残しおきけるから国への ひへじの跡子なほやたづねむ 女房 ○御国忘 村上て皇女后の御国忌なり。天暦入手 正月。主上宸筆之来て法国経を遊 ばして。弘徽殿にて御八講行はせた まへり。其後法性寺にて。毎年これて 行はる。御八講とは。法花八株の事にて とは勤操といふ僧。延暦十五年に始行 せり石渕の八余といへる是也十講三十 講も。此僧のはじめて行ひける也。 ○叙位 大臣以下。左近の陣の座に着て事を催す。 一次に予の所にて勧盃とて酒字すゝむる 儀あり。諺の所とは。除日叙位等の時。恐々 相場する所日花門の北損に有此頃小蔵人 をして諸郷字めす。先ゝ射場殿にて笠文 字取て次第に御前の座につく。此管の内には。 五位以上の歴名諸司主典以上の補任武官 主曲以上の補仕令外官諸国の主典以上の 補任。十年の労帳などいふ物入たり。冥白 并に執筆召にして円座につく。執筆十 年の労を奏し。僥低予めして位を次第 一に叙す。玉源藤橋の氏の爵の申文入内 所階の勘文などいへる事有氏の爵とは氏 の挙也。かゝ氏は王孫を挙也。源氏は。井学 一院の学生を挙し。藤氏は勧学院の学 生を挙し。橘氏は是毛の筆也。入内とは外 一位より内位に入ことひ。たとへば。外従五位下より。 従五位下になる也。一加仕とは。五位下より。従 上になるをいへり。 はこ文も今はかきりとみゆる哉 ねたしや人にこえられにけり 八十 かさねきし袖の縁も春に逢て あかきこゝろのいろぞにほへる 貞次 ○白馬節会 青馬ともかけり 此節言は元日の節のごとし。今日参部省 より奉る。御弓夷ばちを。内弁春ゆす。元 一日もし卯日にあたらば是も諸司春とい ふべしぞは卯杖の春あるによりて已。御たら しとは。執しの転にて。音は手に執しのゆゑ此 名あり。太刀は腰にはく物ゆゑ御はかしとい へるが如しざるを貝多羅葉とろのたけとは。七 一尺五寸なれば。たらしのたらは。貝紅の多 羅山といへる古説は従ひ白馬古くは青馬 とかけり。茅国毛といへる馬のみだらをの かまともいへり。青白鶏毛馬にて白とも青 ともいはるれば。青馬といひ。白馬といへる也。万 東略解に白馬は今の青馬なるべき由いへ 侍は誤也。今の青は黒毛に青みの有馬にて読 聡馬といふものひ白馬とは格別 とは予陀筆に委しく記したれば、こゝには はぶけり。さて此節言は。正月七日青馬を みれば。東中の朝気を除くといへるよりお これり。天武天皇十年正月七日向安殿にて 妄言の儀有。是や此節言の始なるべき高の 数は三七廿一才。三は三才にかたゞり。七は七日に あつる。毛付の春前に有べう。 水とりのかもの羽色の青馬を けふみるひとは限なしといは 家持 新六 一庭の庭の標とるぞに来にけり 衣笠 はや青馬御引わたさなむ 内大ト 一 〽みわたせばみなさぎのけずるめを 引つげたるかまづかさかな 信実 年 松の葉の色にかはらぬあをうるを 引ばくれもや子日なるらん 頓あ たなびける森のみかは青うまも そふは雲ゐに春宗みせけり 宣長 大庭にけふ青空のおりたつと みゆるはこまのわたるちりけり 信古 八日 ○御斎言 一大極殿にて八日よゆ十四日まで。七日の間最 一勝王経学講ぜらるゝなり。天武天皇九年 五月金光明経子。定事并に諸司 にて詣ぜらる。是や其はじめなるべき。 また天平元年十月。大極殿にて講ぜら 公。桓武天皇延暦二十一年より。年々の とにはなりめる成べし ○真言院御修法同日 真言院御修法 一湯七日御修渋ともいへり コンガウカイヤウイ 見へも八日より七箇日行はる年々金剛界始 一蔵界。かはなく修せらる。天長六年空海 唐の内道場に准じて真書院学宮中に申 立て承和衆書より此法字紀行法 ちよに又外代を重ねん為なれや 後の七日のみよのいのりは 千浪 ○大元帥法 同目 治部省にて七箇日行はる蔵人内蔵京の 官人をもて御衣を給はにて壇所におくる御衣 箱に入て。緋のつるにて結ふ也。けち瓜の日 御衣を返上す。大元帥法とかきてだいげむ のほうとよむが口伝なり。此法は小栗栖の 一常暁庵よりつたへし法也 ○女叙位八日 是は女の位を叙せらるゝことにて論手に 行はる。大かた叙位におなじ。大輪転に。 一博きもくひの申文うつぼ勘文なといへる事 もの有。大将転とは。女司。主殿女官御手 一水女山清峯辺北山清助 水女官掌漢女官。聞司主水東竪小 輪転とは。聞司。主水。東竪。などの女官 の。位に叙すべき精転手也。きりくひとは たとへば。生年十歳の女官。四十年の労を以 て叙爵する也叙寿とは五位に叙する そい一り。四十年の労とは。かの十歳の女の女 三十にもならば。其三十年の労と小女の十年 の労とを合せて。四寸年の男になして。五 位を申也木の杭より。若立の生出る義を とあり。うつぼ勘又とは。人のなきを有様に 少く勘又なり。此女叙位には二三位の人よ り。東竪さて収する也。東竪は。内侍司の 彼官にて。行幸の時。姫松とて馬にのり て供奉する也是は三子を用ひらる三 子は天子の守といへれば。姫松は。ひめま うちきみ。のはぶかりたるにて。文字には。此 女大夫とかけり。姫松の名をは紀朝臣季 明といへり。人かはりても名はかはらず。古へは 阿闍宿祢友成とていひけれど。後には 紀朝近の方ばにを用らる。東竪。歳 は東嬌とゝかけり。 年 春にあふ東わらはの心まで 矢がめぐみをさずあふぐらし 為邦 さゝげつるわがきにくひのかひ有て けふはうれしきめをもみるかな 春順 ワウロクワ ○給女王録 八日 一参隊西夫など承月門の内の西の 蝉の座にて。女王に縁を給はる也。絹二疋 綿六屯なり。昔は王百廿九人。女王二百六 十二人と定められて。禄を給はりなり。女王禄 と書て。わうろくとよむが口伝なり。 諸人はうれしきめをやもやすらむ 知勝 ふかきめぐみのあめのうるひに アガタシノヂモク ○縣召除目 ○県召除目十一日 春の除目ともいへり 此除目は外官をむねと任ぜらる。外官 とは。京の外の官にて。国々の事也。其作法 筆の大王参りて。御殿の弘献にて事を行 ふ。由文など色々有。また大間書にかくに。 尻付とていとむづかしき事ども多く。節会 官奏叙位除目を。四箇の大事とす。名替。 一国替。名国替。秩満更任任符返上など いふ申又色々多し。名替は。内給年給等に 任ずる人。本望に非といひて。任符を給はら ざるを。同に主他人子申任ずるひ。困替は。 申任る人。本望に非ずといひて。任符を給は らざるを。其人子他国に申住ずる也。名国替 は。申任じたる人をも改て。更に他人を以て申 任る也。秩満は。国司の手限のをはれる也。四 年も五年も有。任符返上は。御奉書返上す る也。更任は。任符を給はらずして手限果て 後同人を更に同国に任ずる也或日十一日より 十三日さでむ 新葉 あかたみに出立人のいかなれば なくにともにとごとしかふらん 村上院 年 やすみしる春がりさむる天がした新中 めぐみにあへるなこそきこゆれ納言 むてあぶみかけて思ひしくりをえつくね 年中行事 ゆり求めしかひはありけり ノゴサイヱノアンギ ○御斎言内論義 十四日は御斎会の結乱の日也。内倫義は。清 一涼殿にて行はる。御物忘の時は紫宸殿に て有。問者溝師など有て。御前にて論 義すれば。内論義といへり。才子徳天皇国雄 三年四月。恵隠字内窓に召て無星義 経を講ぜしめらる。また淳和子皇天長十 手正月廿四日。延暦寺の僧園澄子有て 論義有へ候てらやはじめならん。 十五同 ○歓行 ○勧衝 正月十日。黄帝蚩尤を伐けるに。首乞狗 となり。身体は蛇墨となる。見へによりて候 の時小豆の軒をにて天狗を祭ともいひ高 年氏の女の平常粥子好し故は悪霊を祭 ともいひ。瀬の赤きは陽の分まて。冬の陰の陰の餘 気を。陽汰にて消すこともいり。いづれしみう けがたき説ども也。松此瀬は七程の漸とて。同 一穀大豆小豆粟粟柿角豆といへと古く は。米菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜蔔菜菜菜蔔菜蔔菜菜菜煮菜甘菜甘菜煮菜煮菜汁豆腐煮煮煮煮菜煮菜蔔菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜蔔菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜菜蔬菜蔔 るべし。此七種後には数減じて。小豆。米。ばかりを用 けん残。赤粥といひて七種軒の名をば 忘たるは。七種の菜蔓の今菘はかりに なれるがごとし。此術。宇両天皇の寛平 のころよりはじまれりといへり。これをもち かゆのせくともいへり。 四季物吉 春くればあかきおものゝあつ物も めぐらにも生ぬ御代に逢らし 信良 言人がけふ奉るもちかゆに あかきころの色もみの色けり 知勝 同日 ○御薪 是は百官半なく薪字奉るを。実内省 に納めらるゝ也。手中所用の御藪。湯殿 料一百八十荷。御連敷御洗料七十二荷御沐 料一百八十荷。脚水料二百四十軒。御炊料 中宮 高八荷へ燃料二百百八拾九軒 誰之 誰之 御賀殿五 誰之 曽。なり。また五畿の国司より奉る。 百両のもゝのつかさの御薪に たみのけふりもにぎはひにけり 家尹 奉るその御藪のけふりこそ よのにぎはひのはじめこけれ 御牧 ○湯歌莨言十六日 洛歌に二種有。十五日は男諧歌。十六日は 女語哥なり。男語哥は中古以来絶て行 仁口二丁目 白川行事 はれば正月十五六日は月の比なれば京中 の男女。声よくうたふ字めして手始 の祝詞字つみりて。舞をまはせなどせ られし故に。語哥といへり。を起りは夫に みはれど。天武天皇上年正月。大極殿に 渡御なにて。男女わかつことなく。暗夜に語 哥の事有といくるゝ。持統天皇七年正月後 人もこれて春し。は年正月庚人も春せり。 聖式の御比は。洛哥はくてゝ。禄を仁義礼 智信にわちて。乱冊に云て採りとら しめらる。仁は絶義は綿礼は論旨は 一布。信は段の布こた給。後には細毛綿を 給。また元平十四年洛哥宴に。六位以六 小琴ひかせ歌かたはせらる。そのうたに いはく。 あたらしき手の始めにかくしこそ つかへさつらめ万代までく 楽の句。あるに。ならせをかねてたのしまをつめ。 と有。また延暦十四月には。詩を作て たひけるとかや。凡節会に大節小節の 別有。白馬豊明は大節也。元日潜寄は小節 なり。大節には刀祢めせと称す。六位以上の 義也。小節には。まちぎんだちめせ。と称。五位 以上の義。さて此洛哥字あらればしり。 といへり。此殿。竹川。などうたひて。男は綿 宇国に作りて。冠の額につく。これ早高 巾子冠といへり。諧歌の曲のはてに必重 ねて。万年阿良礼といふ故。あらればしり。 といひ。万歳楽といふひ。 このとのゝ声さへすめる雲ゐかな かざしのわたのしろき夜に 貞世 たをやめの群よくうたふこの殿の うぐもとみけるよのすがたかな 大海 ○射礼 十七日 射礼は建礼門にて行はる代の始には豊楽 院にて有て。十五日にまづ。兵部省手つがひといふ こと有て。射手を定むる式有。正月御忌日に あれば三月行はる。三日ならば十三日迄。清寧天 皇四年九月一日をいさせらる。孝徳天皇九 手正月にも有。天暦天皇九年正月には五位 以上にして大射すと有。出射礼の始めならん。 翌日日村おいとて昨日不参の四府にいさしむ。 まち引よつのつかさのいて人の つゝろふ袖にうめがゝぞする 康義 三十二丁目 ○十四 ○賭弓 ○財号十八日 ○殿上賭弓同次不定 主上州場殿に臨み給ひて。弓を御覧 する也。棚宮驚き。的字かけて。古右の近 衛左是の兵衛などのいる也。奢大将射手 高来す。勝方は眉のかたに罰酒に行ふ。 また勝の方は舞楽を春。近衛の管領な なれば。ことはてしる。大将時手に鶯をたぶ。 さまかへりあるじ。いへり帰饗行はぬ時は。 大将随身をもて故障有由を。蔵人所につ きて申さしむ大国の大将ならば蔵人所 の出納字いてめさる。たゞの大将ならば内竪 を以てめさる。再上に及て参るを故実とす。 但罰酒字行ふことは近衛院の康治の比 より絶たりとぞ。また殿上の猪弓とて 臨時に旨を御覧する事有。こは蔵人 のいな事 堀百 春色ば梓のまゆみ引つれて 顕仲 みかきの内に申といはする 一 一ますさればかくやたばさみともねうち わが勝ゆみのかずぞかさなる 〆 仲実 同 霞しくはるの初のあづさゆみ常陸 もろやしつるぞうれしかりける あづさちいてのつかさを引つれて かへりあるじぞけしきことなる 薀 わしといひたるとわかれでわたる けふのいくはのくものうへひと 真渕 仁寿殿観音供 十八日 一東寺の長者此事を動。里内程の時は。 真言院にて行はる。応和二年六月十八日。 観音の像一体を仁寿殿に安置せらる。 仁和寺の観空学めして。再眼供養有。 この観音供は毎月の事也。 笑ふらすけふの御の下に宣びとも はつせのすの色したふらん 助之 廿一日 ○内宴 内宴は内々の節言也。仁寿殿にて行 はる。神泉苑にてし有。文人等題を給はり て詩字つこりて奉るを。やがて御前にて講 せらる。廿二三日の比子日にあたらば。其日 行はれて。二献の後。親王意に若菜の あつ物をたぶ。保元に信面申行ひしのちは。 又絶はてたりとぞ。 年 千はや振神のいづみのそのかみ也宗時 はなをみゆきのはじめ来らん 主人のこめる衆も匂ひ合て ふみの木の玉やさくら月 御牧 廿五日 ○因忌 鳥羽院の母后。堀川院の女御羨子の御 国志山天仁元年村上天皇国母の同志 字歳られて。此廿五日のをはじめらる。東 一寺にて有。周の日は廃務なるべし。 一廃務とは。主上攻に臨み給はず。諸司も取を とゞむる也。また癈朝といふ事有。黴朝ともい 一日。是は主上の政に領給はぬ斗にて。諸司は政 字とゞめげる也。廃務廃朝ともに。事の生 軽によりて。一日二日三日五日なども有。此日本 には農中音楽をとじめ驚辞子なさ ず。清涼殿の御簾字あげず。といふ。 たふとしなよろはの民の親ながら おやの跡とふけふのみのりは 永好 ○神祇官献二御覧物一毎日 一あが物は身のわざはひてあがなし。人形子 作りて身の代とする也。また毎日の御あ が物は。後朱雀院の御時よりはじまれり。 これは毎日安日の事也。 ゲキソウゴトハガ 吉日 ○外記政始 是は九日なるべけれ。吉口を撰て行はる。忘る 以下位次の公卿有折も有。被奉相大政官の庁 につく是より先に。弁少納言。外記夫など大 政官の面廊の結政所にてことを行ふ者ゝゝ しあれば。大舟も庁につく。かたなしの事果 て南の所にて勧盃有。南の所は外記庁に あり。出たちとて出ざるに各作法有。こと果 て。参内して左近の陣につく。外記は恒 例臨時の政をとり行ふ官なれば。まづ当 手の政を行ひ始むるなり。抑非遠使の 麻の血もけふはじめ行はる。 焼後拾 いよしへのならの期のみやばしら このかたなしになほのこるかな 師光 師光 春くれば花御代のまつりごと としのおだしき始にはして 日善 吉田 告書春 是も九日なるべけれど。吉日をえらびて大臣ま ゐらす。諸国の守論を給はにて。不動の 一食再かむと申すふみ也政のはじめに叶ひ たる目出文なり。大王近衛の陣の座に着 て此文を見る。儀式などありて後。御殿にて 春にす。不動とは。正杭の残りを積置て。 非常の備として。尋常の時たはやす く用ひぬ穀なり。 ときじくの備へのみくらねきませ つゆもうごかぬ大御代ぞからし 永好 ○七瀬御祓晦日 七瀬の御祓字。河崎の御祓とも申す。毎月の ことなり。七瀬とは。川合一条。土御門。近衛。中御 つ。大炊御門。二条の末に込。陰陽師人形を奉 る。御いだをかけ。御身をなでゝ返し給へば。蔵 人七瀬の河原に向ふ。かへり参れば。か撫物 をめしよするまね字せらる。後冷泉院の 時は陽月に霊所七瀬の御祓あり。其所は。 同断同断同朱雀門前 北白川口 朱雀門前ほど。七がしぶけ。北口 北白川公 耳敏川 二条の南 殿同二条の南河合東瀧北白川 のたき 西園を寺東 いすい が崎石影 西瀧仁和寺木 北野北 等凶最前に記せる十瀬字ば。洛中七瀬と も。小七瀬ともいへり。本七瀬といふは。難波。田 蓑河尻松半大嶋橋小嶋小嶋。しろ佐久那 谷。平崎近江本辺是迄字大七瀬ともいへり。 撫物とは。有身を撫て万の災をうつす物也。 人形。またかたしろともいへり。 源東郷 みし人のかたしろならばかそにそへて こびしきせどのなでものにとん おほみまにほかのこらん大ゐ川 かくらぬ水にはらへしつれば 徳喜 ○火災御祭 月ことに陰陽院是示申行ふ。火事をふ せぐ祭也 ○代厄御祭 これもまいぐわちのことなり。胸母の法 ともいつり。 二月 上丁同 ○狗尊天 二月八月両度行はる。日蝕。固忘祈手祭。 などにあたれば。中丁日行はる。大学寮にて 孔子をはじめ。顔洲閔子騫。冉伯等。仲馬。 実我子貢。用有。季路。子游。子夏。の十人 字祭らる。右の孔子以下の像。むかし大 学寮に治られして。巨勢生窓の筆ともいひ。 実国伝来のものともいへり。まづ上つ。弁。弁。少納 言など行向て廟拝にたち。安穏の座につ く。宴の座とは。官の庁也上郷参議。如納言。 外記。史紀伝博士。等の興宴の座也。穏座と は。上郷三木。弁。少納之。博士。博宴の座よりうつ りて或儀厳重ならず自他うちくつろぐ 座迄。まづ宴座にて。博士題に出す。孝僧。礼記。 も詩。尚幸。論語。目易。左伝。手々かはる 一がはる用ゆ。翌日数莫の胎を参らす。蔵 人持て。朝餉の前にすゝむ。蔵人また一人。 御手水の間のかたのすのこにて。あれは なにぞの物ぞといふ。蔵人。ふむやのつかけ の奉れる。昨日の釈霊の脈ともじをな がくたひて。高くとゝけ持て簾中にいる也。 一棒莫は文徳天皇大宝元年二月はじ まれり。 すめろぎの御いつ思はでから人方 まり初しはゆしかり今日 大海 ○春日祭上申日 二月十一月行はる。仁明天皇嘉祥三年に はじまる清和天皇貞観元年十一日はじ まるともいふ。まづ未の日使立。近衛の中 少将これなつとむ。諸事かく成祭のごとし。 近東府の官人摺袴きて舞人字つとむ。仗 一此嘉右衛門の際にてことの由を春す。 一人物の音出す蔵人出て。禄の掛一くだり給。 当日の晩。内侍のじやう春日に向ふ。蔵 人出し東奉る是は諸家より女房の乗た めに出す奉ね。上郷物も同しくむかふ。する 四所明神と申は。以第一武産共。槌命。第二斎 主命。第三天児臣に根命。第四始大神と。 神護慶雲二年常院国鹿島の神え荒み のり。柿の敢にもたせられ。中臣時風 秀行を御供にて。此所にうつり給ひて。此 由を申させ給へば下総の香取の宴主神 河内国正言の天兄尾命伊勢国の姫 大神に吹第〳〵おなじくうつり給ひ 天。神護処之二年十一月託定し給 ひければ。勅使を立られて。かの四柱の神 を。あがめ奉れ給一里といへりこは縁記な どの説にて。さだかなる事にはあらじ 後介 給ふ祭る三笠の山の神ませば 天のしたにはまえぞさかはむ 泥水 新古 けふ寺津る神の心やなびくらん入道大 しでになみ立さほのかは風正太 新千 一立よらばつかづの代〳〵も勢こしる ふでのとりゐのはなのした花酉帝 諸人もけふ諸心みかすがのや 道有之かに神申くるなり 尊氏 堀百 内てごとにけふ祈られて今日山 一杉のさかくもいやまさるなり男 形 同 〽まさらぎの初車なりやす日止 みねとよむまでいたゞき祭る 俊頼 同 こまなべて三笠の山べ行人は 天の下いのるつかひなりけり 兼昌 外ふらるゝ神のおまへの処少でも はそもひもとく春日山かな しん 忠房 白川七百 おほのなる三笠の杜にさよりて 一神まつればやひじくらむ真親 年 一哥日山よらの神わざけふごとに たくずつかふるくものうへびと 宗又 まひ人の言舞袖もかすむなりと 兵衛 三かさの山のやまかずにして ふぢなみの国のしなひの長きよに ためしかはらぬ神まつりかな 同 鹿島祭上中日 平岡祭同 春日祭の日。かしままをかへも祭の文たつ。 かすが葉におなじ ○卒川祭上酉日 卒川祭を三枝祭ともいへり。そは三枝 の花を巻。徳樽をかざりて祭るゆゑ也。 藤氏の南家の口伝とて。率川社は右大 臣是公公の建立といへる分は非れ。因に云。 近来出来し掌中の仮名遣のふみに此 年川を。いさやがは。とよめり。あやまりな ればとるべからず みやつくがかざれるものさきかれと 永保 けふいさ川の神まつるらし永保 上野日 ○園并野神祭 此神はこは内省にましらす。小山田大人説に。 一棒神は。大手神の御子。園神は曽理神 にて。すなはち昇神の御弟也。こといはれたり。 此考いとも長ければこゝには省く。古事 記伝にも説あれど。そは信用志難し。さて祭 の日は。上つ。扨。内侍。等行むかふ。 後代 ちかきだうきかやみてずをほかその少将 からか又まではとほくいのらむ内侍 ○大原明に祭上卯日 大原野の社は。山城国乙訓郡に有。是も 二月十一月に祭有。此神社は。后宮の参 らせ給はんに。三日の本社と分きにより。此 所にうつされたる凶されば大原野行な など申事有。按ふに。こゝにいはひ奉 られたるは。仁上かえもの前手。嘉祥三手な どにや。祭は文徳天皇仁寿元年にはしまる。 近来の使は。春日祭におなじ。三郷。斎内 侍などもむかふ専ら梅宮祭に準ず。 伊助 大はらやなしほの山もけふこそは かみ代のこともおもひいづらめ中将 直五 二月やけふ神まつるをし同山僧次 はやかけらへよ花のしらゆふ経事 大原の其氏人は千はやげる かみの卯の日のけふや待けむ ◑ ○新季祭 一大米祭ともい一 大神宮以下三千一百三十二座城の神守 祭らせ給ひて。有穀豊饒を祈たまふ也。 手は手穀なり。此祭は神祇官にて行はる 弁かねて。諸国のめしものを催しとゝ のふ白鶏白猪やうのものれ。天武天皇四 手二月始て此祭有。精汁祭と。学夏季 冬の月次の前庭。新嘗祭をは。四箇の祭 とて。国の大事とする也。三千一百三十二座 の内。幣を案上に奉らるゝ神三百四座。 布を案上に奉らざる神四百三十三度諸 国の国司の祭る神二千三百九十五座。合 せて三千百三十二台なり 白川七百 はるごとにぬざ取むけて寒人の 年をいのればうぐもとみけり あり 年 いのるてふ手のを長き矢が代を みねにあまりの神やうくらむ □ 皇のかくるたのみをうけ引よ 秋のみづほのみづほのみづほのみづほのみづほのみづほのみづね 頼信 上日 ○列見 着候。弁。少納言。外記。夫。など参りて。大政 官の朝所にて行ふ公事也六位已下の 芸能ある人を撰て式部兵部の二省六十 して参るを。上卿その容儀忝量等をみる 也。朝所并に安穏の旨に着て儀式有。宴 一穏の座の事。狩尊の所に注す。挿頭花字 上郷以下の冠にさす。大王は藤。納言は桜。三 木は山崎。いづれも作国凶。非気以下は時の生 花をさす。さて此時撰び成たる人の名を 記したる短籍を。四月七日の擬階春の時。 式会二者より奉るを。大臣以下三木以上当 官の衆達暑して春閲すさて八月十一日 三日行習 定考に。六位のか供すべき人字さだむる なり。二月の列見とき手は。四月の撰の 春なし。撰仕春なきとしは。八月の是 彦もなきなり つかへうし品々そみゆれみやびとの けふのかざしの花のにほひに 大海 ○北野御忌日廿五日 ○北野御忌日 二月芒日は昔積大雨大臣薨し給ひし過 鳥羽院天仁二年より。皆家の氏寺。吉祥院 にて。夢家の人々集ひて。八講おとなふ也。 氏寺に千代富はかのみつき下れ候 御法行ふけふはきにけり 文雄 新来穀奉拝中吉日 二月七日両度。吉日を見らひて行等。 廿二社に。手穀高行給はん為の御奉幣なり。 廿二社とは。伊勢。両石清水。賀茂。上松尾。平 中。稲荷。以上州昔日。秋大平野。出し大神。 石上大楼広瀬龍田 但梅宿吉田。以上旬広風救祇園小野 出し。丹生。松貴布ね。ひう小。八幡の使は 中納言。賀民。平野村松瓦。春月。三年相。相撲 は昨四五位山。芳社各宣命有。伊勢は国田紙。 賀成松瓦は紅梅。其外はち黄紙也。天尊六 年五月年穀を祈らんため十一社に奉相中 有。これその初なるべし。 意ゝぐらをおきつとしの神わざに 秋のたのとはかねてみえけり 幸護 リンジノニンフウヱ ○臨時仁主言 吉日を撰て行はる。或は三月にも行はる。大 極紫宸清涼。等にて有。仁王護国仮着経 字講どしむ。高明天皇六年五月。仁王 会有。また座武天皇神亀六年には。最 中五畿七道にて行はる。また一代一度 の大仁王会といへるもあり。 吉日 ○位禄完 是は奉公の労によりて。気直百官に禄 左大臣 陣の座に着て を給はる巳一の上は なり 位禄の文をみる。大弁目録高かく。其 然となる事なし。文武天皇大宝 元手八月。五位以下みな大蔵省にいた りてねをうくと有 ○季御読経 二月八月おこなはる。宮中にて大般若 経を講ぜらるゝ也。四ヶ日の事也二日めには。 壬戌 行茶とて僧に茶字たば。天平元 一年四月八日にはじめらる。貞親の比 には毎季行はれけるとぞ。 もしきや春の御法の雨の内に にほふこのめもめづらしきかな 永好 三月 三月 ○丸 三日 〇由御祓 是は北辰に燈を奉らせ給ふ也。昔は北山霊 岩寺などいふ所にて。高き嶺に火を燈して 供ぜられける由也前一日御口の事有。後には 御燈は絶て由の御祓ばかに也御殿に小むきわ 御座を敷て三度翁有。両段再拝の例 もあれどぞはひが事の由也。また長暦の 比。宇治莫日に仰合られしに。由の御祓 ばかりの時は。御拝有べからざるよし申 されければ其儀かしまかせられしと 此事は延暦十五年三月はじめら る。由の御徒とは。穢気有によりて。 御燈奉らげるよしの御祓の尊氏殿 上の孫庇のはしの間に。北向に御座を 前頭の間より南の燈爐の泥をかへす。 出御なれば双御焼物持て参る。五位蔵 人役送す。陪膳。人形をも。散米をも心 得とる。実主。長橋のもとに心ざまづきて 御祓奉る。陪膳とにて参れば。扇にても 笏にても。陪膳にもたせながら御息子 かけらる。大凧持かへりて宮主に給ふ。 定主庭上の園座にて祝詞字の事。左の 手して銚子とき。人形を取上前米をち とちらす。宮主退て御焼物出す。以御笏 を参らす。そしは出御の後やかて参らす。是 より御拝三度ある也 北山にともすほぞのことなるは うごかぬほしやひかりそふらん 永好 ○永好 ○曲水宴 ○巳日抜 三日 是は君へ参りて。御前にて詩つられるを。 講ぜさせらるゝれ。顕宗天皇元年三月 一上巳の日。後苑に奉して。曲水宴き こしめすと夫にみゆ。文人みかは水の辺 になみゐて。水上より盃をながすを。 吾前を過ざるさきに詩を作て。 そのさかづきを取てのむこまた己日の 一祓とて人皆東流の水上にてはらへする よしからちにしるせり。此日はゝこ草の 餅字食ふ。さて上巳といへるは。もと上の已 の日の事なりしを。乾より以後三日を 用ふる事となれり。されどもと上の己な りければ。三日になりても。なほ上己と よづる也上巳とかきてじやうみとよむ が読のなり。 から人の舟に浮べて遊ぶてふ けふぞわがせこ心かづらせよ 宗持 富村 新続古 めげあふけふは弥生のみかは水 なにながれたるはなのさかづき 高 六百人 けふといへばいはまによどむさかべきを またぬ空さへ花にゑふらむ 名家 新六 唐人もけふを待らしもゝの花 かげ行水にながすさかづき 雨露 〽みちとせの数にもめぐれすをへて たくぬ弥生の花のさかづき 信実 あすか川いつりの寒の昔より なかれてひさしもゝのさかづき 枝直 ながれくる色にきほひて言のはも 心にうかぶはなのさかづき 宣長 山陰の清水にうかぶさかづきや ながれてよゝのためし成らむ 千語 水上はもろこしにまれさく花の もゝのみやびはやまとことの葉 美樹 ○薬師寺最勝孝七日 淳和天皇天長七年より。薬師寺にて毎 手七箇日。最勝わ経を講ぜらる。此寺 は天武天皇の御願込 ○石清水臨時祭中中日 一南祭ともいへり まづ二月の比より。奉行の蔵人舞人を 申さだむ。中の辰の日試楽有。御殿の 孫庇に御椅子またてゝ出御有。恐ゝめ しによりて。すのこ長橋などに假らふ。 四位五位の蔵人。壁のもとに地下に候 ず。次に手中行事の障子のもとに のぼりて御気色をうかゞひて沓を 着て前庭を過て。瀧口の戸にて舞 人字めす。舞人すゝみ出て。竹の産の下 にて竹を折てかざしにさす。仁寿殿の 廊の下より進て御前に列立す陪 一籠三つ人曽絵 将曹府生 なりも近束の召人将曹府 人等なり。 などなり 求子うたひ琴笛ひちりきの音を あはす。舞人馬ひをはりて。大比礼かへし うたひて。舞たくずしてるかりいづ この試楽は。後には行はれざるにや。今代 のはじめには必あるべし。当日御禊有。 府中の座に。使舞人つゝ。大直以下か どしの花を。使拝人。の冠にとす。三献。又 は五献はてゝ。かけねがはらけの事有。 気がはらけは。五つ斗かさねもちて一つ づゝのみてすゝむ。のみりの土器をおし わりて退く。此祭は。朱雀院天台へ五 一年四月廿七日将門謀反の時。御いのり有 十一日 し御報賽のためにはじめられけりと ぞ。またこの祭の毎手の事になれ るは。天禄二年三月よりの事なりと 一ぞ。翌日還立の儀有。御前にはめさず して。馬場殿にて勧盃禄などたぶ。 此祭を南祭とゝい所。 辛辣 ちりしせじ右にすれるさゝ竹の 大みやびとのかざすさくらは 高屋 統古 新くるやはたの宮のいはし水 行末とほくつくまつらめ にて 続千 九重のけふのかざしのさくらひ かみもむかしの替は忘れじ 御重 新松 水重のさくらかざしてけふは又後西 神につかふる空のうへびと 後西 酉斎 堀百 山水のながれにかふまつがえに かざしの森子かけてこそみれ かざしの様子かけてこそみれ 同 男山かざしの義はるなれば うみの衣もかはるけふかな 郡仲 仲実 〽たつほどのかさねがはらけなかりせば 〽おぼえてよどのわるにせましや 俊頼 一 一春が代のゝどけき影字くこゝれば ながれたえせぬ石清水かな 常陸 白川七百 一山あゐの袖になれにしさくら国 にてのよざしは猶ぞわすれ如心 雅 みなへにかぎしのほぞたまふなる うてなの竹のむかしおぼして 春海 ○花鎮祭 是は大神狭井の二葉をいくり。春花の ちりかふ比ば疫神分散して人をなや るす故に。かれてしづめむとて。此祭は 有凶。神祇官にて行はる。 ゆふかけて祭る弥生の花しつめ惟直 上申丁 神のこくつもさぢしなびくらん ○京官除目 秋の除目ともいへり 是は三月三日より前に行はるべきこと なれど。後には秋の除目といひて。冬にも およぶ已京の諸司を任ぜらるゝ故に京 官とはいへる也。執筆の作法を退。春の除 目におなじ。たゞ式部兵部民部の三省 の奏などぞかはりめなる。一夜も二夜も 行はるゝむ さしかざす千種の花の色々に めぐみの露のほどゝみえけり 治堅 本大寺受戒 東大寺授戒吉日 古は毎年三月十一日也。後には三年に一度。 三月吉日を撰て行はる。孝謙天皇天 平勝宝六手に東大寺に戒壇をしたてゝ。主 上以下菩薩戒をうけ給へ。是より東大寺 の授戒ははじまれり。 四月 斎院御禊中午日 是は富王卜定の後の。両度の御禊 にはあらで毎手の御襖込。毎手の 御襖には勅使なし。両度の御禊は。初 斎院に入給ふ時の御禊を初度の御禊 といふ。参議一人勅使として供奉す。 二度の御禊は。紫野の聖容に入 たまはんとての御はらへなり勅使 大中納言兵一人。参議二人。四位五位 各四人。すべて十二人なり。初薬院 とは。大内の大膳職。左近衛府等を用 らる。こゝにて三月某したまふこの両 度の御はらへは。吉日をえらはる。 かもあやみな上しもの神のため けふなかつせにみそぎすうも 永好 ○更衣朔日 実中所々の装束子。掃部寮あら たむる也。御殿の御帳の帷子おもて すゞしに胡粉にて絵をかて。壁代之 なとりはらふ。御たゝみなどゝ新し きを敷かふ。御服は御直衣。御衣御すぐ しのあやの御ひとへ御はりばかま 内蔵寮より奉る。女房のきぬ袷 の衣ども。尤がへのひとへからきぬすゞし なり。裳は上臈は薄裘。小上臈は薄 一年中行司 いろなり 大みやのとばり帳をも改めて 清く涼しくみゆるけさかな 永好 ○孟夏旬 是は夏冬の季の改る始に。気臣に御 涯をたび。政を心召れ。凡旬に品々有。新 内裡作終て。南殿にて行はるゝを新所 旬と云。即位の後初て臨給ふを万 機白といひ。十一月一日冬至に当る事 行はるゝを。朔旦旬と云。冬の初のをば 孟冬句と云。孟夏と孟冬とをとり すべて。二盃旬と云。此孟夏旬には。二 献の後。内侍扇を入たる柳笠を持 て。御屏風の南のはしに置ば。出居の の次将とにて。王郷の座のまくにつきて。 其扇をわかちたぶ。扇の羽とていと興有 ことにこそ後には旬の儀たえて。陣の座に て平座を行くものみ。平座とは。出御なき 時は。宣陽殿にて。酒饌をたまはるをいふ なり。安く座して物を給ふ義。 さす竹の大宮人のけふこそは 雲ゐのかぜを手にならすらめ 千花 けふよりは家の風をもおこさまし たまはるみのめぐみあふぎて 政権 朔日 ◯貢氷 一主水司四月朔日より九月晦日馬 で。日ごとに是にたてまつる。氷室山 にたくはへおかるゝ妙なり。抑止室の ことは。仁徳天皇六十二年五月額田 大中彦皇子。大和国山辺郡円鶴野 に狩に出給ひし時。野中に氷室 ありして見出給て。帝に奉らせ給へ ひしよりはじまあり。そのさま土を深く ほふて草をとりしき。またおほひて してたくはふるなり。 あつさをゝ忘れん為と夏の日に 八十 ふゆのひなしもさらげねけむ 奉るこをみればさす竹の きみは冬をはゝてにまかせつく 寿子 ○大神祭上卯日 ○大神祭 ○大神祭 上卯日なず卯二あれば中の卯を用 ひらる。先丑の日近諸将監使にたひ。 冬の祭には。寅の日使たつ。夏は暁 ふゆは夕にまつる故也。大神とは大 三輪の神にて大物主の神になんお はしける。このさつりは貞観の比 よりはじめこる。 年 わが霊の御代やさえむ祈るも宗法 おほがのかみのまつりなりせば法眼 神みぞにつけしうみその打はへて 今もたくせぬけふのみてぐら 千戔 みわの山杉のしたえにふみならし 春海 ぬざとり行はつかひざねかも みわの山ながきためしの神わげや 御救 もそそのしをはじめ成らむ 上卯日 ○稲弓祭 稲荷神は。稲荷の山の三の嶺ごとに 一社づゝおはしるせば。三の社三の燈。三の 嶺なとよめ。四位を勅使につゝはさる。 黄帋の宣命なり。二月初平の稲荷 詣は。稲荷祭にあらず。混ずべからず。 いなり山たはぬ父におもふな みつのともして明らけきよを 直行 ぬざとかて匂ふいなにのつかひざね 上のうこかぬ御代いの馬らむ 安隆 上巳日 ○心料を ○山科祭上巳日 此やしろは。宮路氏の祖神なり。宿 路氏は日本式尊の御子。稚式王より いづ。やしろは。山城の国宇治郡勧 一修寺にあり。寛平十年にはじ まれり。 上中同 〇平野乗 延暦に此社字造立ありて貞観 に乗を始行せられし由ものにみゆれど さだかならず。此葉は貞観より先に有しにや とおぼゆ。くはしくは別にいへり。上つ。井内 侍など行むかふ。近来将監も行むかひ 見参字取て。参内して春やす。見参 とは見参禄法とて。此祭に現に参り たる人はたゆ〳〵己ねは何程づゝ下 さるべし。といふ事をかきたるもの なり。また臨時祭あり。五位の殿上 一人つかひをつとむ。近衛の舞人したがふ。 御禊あり。御幣など賀氏の臨時祭の 如し。臨時祭は宝和元年四月十日 よりはしめらる。さてこのやしろ第一の 御殿は源氏弟二は平氏。弟三は高階氏弟 四大枝氏。第五中原清原菅原。秋篠等。 すべては姓の祖神也。 さきとる卯月きぬらし山人も二位 二位 平野のもりにゆふかづらせり 中将 中将 神まつる平のゝもりに卯花の 雪をめくらす雲のうへ人 八十 上申日申上酉日 ○松尾祭 此祭も貞観にはじめららる。大宝えね 素の都理。神殿を半立しけるとぞ。大 山咋神にて日言と同体也 二宗さす松瓦山のあふひぐげ いくよかはらでけふにあふらん らへ世 ○杜本祭上申日 ○杜本祭 上申日 河内国安宿郡に二度有。午の日使立。仁和 五年四月祭をはじめらる処 同日 〇当麻祭 大和国にわぐけの日使立。社さだるならず。 当宗祭祭上酉日 河内国志紀郡にあり。午の日つかひ モトモトマサム云 たつ。杜本当宗は程ちかきゆゑに。 一人の使両社字兼。仁和五年四月十四日。 はじめてまつらる。 ○梅宮祭同日 此祭は承和の比よりはじよなり一条院の 永延以後毎年になれり。橋の諸兄公を いはへる社也。といへり是定といひて摂家 の人夢領する社こ。此日を完執栖家に伝は りし、橘氏の公卿たえて後正月五日の叙 位に。氏の爵の事を。申給人なきによせて。 一寛和の比中冥白道隆公。大納言の時宣言 あめて。此の爵の事を申行はれしよりの事也。 中関白道隆公。粟田賢土道兼公。御堂冥 白道長公。等の御母は。摂津守藤原中正とい ひし人の女也。かの中正の北方は。中納言橋 澄清卿の女なれば。此由緒にて。是言は藤 氏に相伝せしひ 一神まつる卯月のさかき折流て 香の うめのみやゐにたつるみてぐら おもふ事なるとしきけば梅の節 まつり立がてら行ていのらむ 八十 〇広瀬龍田祭 四日 一大忌風神祭よしいへり 広瀬は大和国広瀬ノ郡。龍田は同国平 一群郡龍田に有。祭の日へ疫務なり。 廃務の事は。国忘の条にいへり。四月七日 両度行はる。仗は前日立。もとは七日なりけ せど。後に四日となりたる也。風水の難を のぞき手穀の巻ならんことを祈らる也 天む天皇四月四月。始て紫祭を行はる 風神は。汲長津彦神也。 矢が代は時をたがへぬあめかぜに うけ引神のころうぞしる 信睦 ○胡瓜漬 七日 日ては二月列見の時の成懸雑籍を式 今の二者よりもて参れるを。大臣春聞に給 ふし。列見込引の手は此春も延引込。ことは てぬれば。短藉を元の如くひつに入て。かすて 退出す。猶列見の条見合すべし 八日 ○潅布八日 ○潅仏 神事にあたる日は行けれず。潅仏有時は。九日 より御神事をはじめらる。御殿の母屋の御簾 高たれて。日の御座を撤して其跡に山 がたをたて。狩が誕生のけしきを作て。糸 にて滝子おとし。色々の作り物有。北の方に 机方たて。鉢五つに五色の水を入若へ参 あつまりて。殿上にさぼらふ。女房の布 施とも色々に結びたる花に付て風流 など有褒言のるたに入て。堂盤の のくにおく。上達部わが布施の舟裹 高持て。御殿のなげしの上なる。白木の 机におきて。次第に左につく。御料の御 有せは紙字おかる不参の人残布給は 蔵人おく。御導師の僧。他法にはりて。 一鉢の水宗一つにくみ合せてめん漢仏 す若次第にすゝみて。ひさごをとり。 水字汲て灌仏して拝す。導阿布 施をたまはりて退て。此仏生言は推古 天皇十四年四月よりはじまる舟づみ とは。仏の有絶也。銭字紙につゝみ。白木の枝に 付て仏前におと込其後五手銭草改元紙 字用ふ。寛平は手の本施法。親王大臣五 百文大納言四百文中納言三百文 二百文。四位百五十文。五位百文六位七十文。長 一保五年以後。銭を以て紙に売一位八帖。二 一従四帖五位二帖六位一帖 咲ぬし卯月のけふを救ふれば ゐ秀 さかりひさしき法の玉ぶさ ひむがしにたがれてはろしあれ出し 一仏にそぐけふのまし水 千蔭 もろ人のけふのためしの舟づゝみ つどふやのりの漬成らむ 春海 雪の花を出にし月の影とめて 卯国がきにいまもうつろふ 自寛 伊勢神衣祭十四日 伊勢神宮の祭◯神服部いみきよまは りて。三河国の赤引の神訓の糸をもて 一神衣をおるまた麻繞達といふ氏 鹿をうみて散和衣をおりて奉る也 奉るをみがうみそのうつばたの あやにたふとき神祭かも 八十 ○日吉祭 この社は。松尾と同体也。後朱雀院長久 四年六月八日。廿二社の内にかへらる。後三 参院延久四年四月廿三日祭ははじめらるに 賀氏因乗同 欽明天皇の御気四月吉日を撰て祭り るゝよしものにみゆまた元明天皇和銅に勅 賀氏の本祭なるべき。 有て山城国司見へを撫察す。このも祭ぞ 関白賀氏詣 初ての時は日次を撰ふ。円高院天禄二年 高院天禄二年 九月廿六日謙徳公賀氏詣の事あり。 是はじけんなるべし。是は賀賤祭の前 日有事なり。主人乗車にて地下殿上 の前延あり。白妙の御掃。神室から 櫃やうのものをかたげもたしむ。琴 持夢はふるといふるといふるとい 一持貴笠浮路といふものをめしぐす。 上奉部くる寺をつらぬ社頭にて神 拝有。葵桂等をね宣もちてまゐれ ば冠にかく。東遊求子駿河舞など有。 ○賀茂祭中酉日 酉の日二つの時は下の酉の日をもちふ 未の日まづ上心へ陣にまえて。六府をめして 祭の警固を仰す。当日の使は近衛中分 な山夢の告によりて。衣子の葵桂の蔓を かく。賀氏松尾の社司。前日より然るべき 処らへ奉る。欽明天皇御気より始まな 下鴨の御祖神上賀歳の別雷神の祭 の祭己御祖とは不依妃と申。賀氏来 一角身命の女也。凡神事に。大中小の三祀 あり。大祀は大嘗会也。一月の神事也。 中記は此加久義祭など也三日の神事 なり。小祀は。松尾平野以下の祭也一日の 神事也。けふのかがしは桜のよしひ。柳此日を みあれの日とい馬は。あれといひて。仏の縁の 一綱といふ物の如くなる物を引ことなり。 それなみあれ引とはいふれけり。みあ れの日といへるは。あれて引日の心也。 集 あれ引に引つれてこそ千早振 かもの川なみ立わたりけれ 貫之 堀百 引つれてわたるけしきをおてこれば いつきぞかみのかざりなりける 後頼 同 みや人のかざしてかくるあふひ草 むらさきのにてみどりなる哉 兼昌 六百合 一けふ祭る神のめぐみはかねてより う月のこみのさして知にき 同 あふひ草かざす給ふとぞ思しに 花をくりてもみ心わたる哉 季経 兼宗 神山の葵子おきてたがよにか のこるげくらのかざし折けむ長下 頓あ 手ごとにけふの葵をかりまくも かたじけなしやかもの氏人 真渕 いくちたびみあれのけふにあふひ草 うづきのなのとりもつくさで 枝直 ○中山祭中酉日 ○中山祭 後冷泉院永永五年六月十六日。社を半 立し同六月十一月八日従三位を授奉ら る。是は冷泉院にます石神也。後冷泉院 天寿元年四月より官布あり。また同也 御時託宣によりて。二条大宮にうつし 奉る。素盞鳴尊也と申。 ○吉田祭中子日 ○吉田祭 此社は。中納言山蔭いへ与へ親の比半立有 しを。一条院永延元年より方へ押中 に預り給ふ。昔日同体山 ○駒牽廿八日 八月の約章と混ずべからず。是は武徳 殿にてみそなはす。有郷以下麻子に着。 左右馬紫御監御馬の春字とる。馬頭庭 をわたりくゝ御馬を引渡す白馬の節の如 し。近衛兵衛の射に南にわたり。四府騎 一村の文字春春。春右大将是を春す。近衛 少将以下番台以上六人。東遊字春頃。右近衛 納慈利。柏犬字春頃雅楽寮。蘇芳菲 一駒形字春はず此約蘭は来月の残村の 討手。馬。などを御覧ぜらるゝ也。貞観の 比より始まる。小月には廿七日也。 かねてより五月のまち引こまに いての心もさこ北のるらめ 美子 ○新日吉祭晦日 二条院永暦元年十月十六日。後白川院 日吉原東山の新宿にうつし申されし より。新日吉といへり。応保二年四月晦日。 はじめんて祭あり。 ○三枝祭 三枝祭は平川祭の事也三枝の玉をも て。酒樽字かざるゆゑにいち。三枝は顕 脇法橋は。烏扇也。といひ。其渕は。百合の事 也といへり。こは山ゆりを佐章といふによら れしにや。さらば三枝のろ名。さゐぐさ と知べきにや猶可考。但此社は右大臣是 公公の半立といへる説はあやるり也。 けふのためさき草の花を手向て。入道 神の御前にみきそなふらん大納 五月 ○新菖蒲三日 兵衛府あやめの輿子。南殿の咄の東 西に立。また時の花字折そへて同じく おく。四日は朝餉の庭にたつ。主殿京所 しにあやめをふく。天平十九年五月治ありて 百官の諸人。菖蒲の覆に懸ざるものは。宮 中に入べからず。と言らる。さて此こしにのせて 奉るあやめ雑国は。薬玉を心らん料也。 折そふるあやめのこしの花のそしに まづのるもの心なりけり 水好 十五日セイヱ ○五日節会 武徳殿に出御あふて宴会を行はれ尋直 に酒字給ふ也。内蔵も四節に同じ。諸人あ やめの優をかく。日蔭のうつらの如し。典薬章 あやめの御案をたつ。気共に薬玉をたぶ。また 一昼御座の母座の柱写木丁に結付て。去年 の菊。茱萸等に取かふ。けふ五色の糸をもて 一臂にかくれば。悪児子はらふといへる故事は。 其後張射あり。大将射手の春字とる。古 右を束馬に乗て弓を射。是をうすゆみと 同一部。種古天皇の御方より肥まるといへは いまだ考得ず。薬玉は。即続命縷なり。この 薬玉。往古は生花亭以て作りしを後には 作国となれり。さるからに薬玉の心に香 一字いる事になれり。麝香丁子甘松龍脳の 四味ともいひ。麝香。沈香。丁子。甘松。蘿香白 年中行事 一檀龍脳の七味ともいへり。家々の説猶有べし。 新六 あづさろまゆえはけふぞまてつがひ あやめの様さへ引そへてける内大臣 衣笠 内大ト 同 けふかくる袂の木の花の花のいろくに さ月の花もひかりそへつく ゐ家 年 みきたまふけふの為とやあやめ草 むつのつきもかねて引けむ 詮次へ かうふりにかくるあやめも馬首も ふるにためして引にぞ有ける 千蔭 くす玉をみなたまはふくゝうれしさの けふのためしにひくまちかな 米子 ○龍子節 けふ。祢字くらふ事は。高辛氏の悪子の故 事ともいひ。屋原が故事ともいへりは 一〇基近馬場村 三日は左近の荒手詰なり。四日は右近 の荒手詰なり。荒手結とは。慈手合 の意にて。俗に云下げいこなり。五日は左近 の真手治六日は心をの真手緒なり。真 手結とは。真の手合の義にて。倶に真剱勝 負といふが如し。また五日を左近の馬場 一のひけりの日。といひ。今日を右をの馬場 のひなりの日といへるは近衛舎人禍の しりを前ざるへ引たをりて。前に はさむ故なり。ひをりは引折の暑也。 ながきねの国の袂にかほるなり 給ふやまゆみのひまめ来らむ 俊頼 六歳 梓馬まゆみはけふぞまてつがひ あやめのねさへ引そへてけり 衣笠 内 元弘文后屏風 一株弓引手か約をはやむなり ちかき守りのみつのものゝふ 内大臣 年 けて人のあやめのかづら長きねに けふのまゆみを引やそへまし 女房 ノミヤノ ○紫野今宮祭 九日 是は疫癘の神也。正暦五年。長保二年。天 下に疫病流行の時。此祭をはじめらる 其時藤原長能二首を詠じたり。 後人 しろたへのとよみて。くらを取持て いはひぞゝむるむるむらさきのゝに 同 今よりはあらぶる心ましかすな そのみやこにやしろさだめつ ○有無日廿五日 有無日 是は村上天皇の御国忘也慶務日にあら ざれて政子とゞめらる。されど急事など あれば俄に政あり。さてありなしの日と 八十九よへ ○最勝溝 かねて日次を定らる四大寺の僧の中 に碩学を撰て証蒙講師。聴衆言法 だむ。四大寺とは。東大寺興福寺。近習 寺園城寺是の。これは清涼殿にて、 宮勝王経字講ぜらるゝ也。一条院の寛 弘の比より始まる或は長保四年よりとも以 一り。五日の間儀式日毎に同じ。結以の日 行香の禄有べし。行香とは。見つゝ香合 字取て。衆僧に授るをいふ也 白川七百 百番や長きためし子さ月ずて あらそふのりはわがみのため 影 年 年 百番やさ目のみのり聲々に いのるいのりもわが着のため 一内大ト 内大ト 橋のさくりたちぬよつの寺 のにのむしろも今再くらん 智子 ○振合 これは貧民に米塩子たまふなり。拉 非色使承てこれにひく。来塩の勘又 などいへる事有大臣陣に着て是を さだむ欽明天皇の御気よりはじまる 寅陣また欠日等には行はれずとぞ。 年 時しあれば民のくさばも洩さじと めぐみの露字矢やかくらん 嗣長 同 わび人の露の取やいかならん つゆのめぐみのかゝらざりせば 美子 ○著鉢政 拙非違使の伏以下。東京にて制法を 行ふ事也。鈴といへるはあしかせむ。元明て 皇和銅よりゐるといふ。月令によれば孟 夏に有べきを。四日は霜月にて神事 ことしげられば。五月に及ぶなり。 六月 ○御覧物 ○御覧物朔日 是は一日より八日まで。あがちごもちて まゐる。あがちごは。あまがつの土器をもて 一まゐる御直也。朝餉にてまゐらす。四つの 土器を御指して。上に張たる紙に穴をあ けて。御息を入給ふひ。もと御競物は人形 にて天児也。其代りに器を参らする なり。御焼祭は。弘仁五年六月より始まる。 ○供二忌火御飯一 同同 仝年午月 是は内膳司より奉るを。大床子の御座にて 供ずる也。景行天皇より始まれりとぞ。忌 火とは。火をいむ心也。是は自次神今食の御 神事を今日より始めらるゝ故なるべし。 朔日 ○供豊酉朔日 一夜作りの泥ゆゑ一夜泥といへり。今の 世のあま程なり。けふより七月晦日まで。 造酒司より毎日献ず。応神天星の御 代よりはじまなりとぞ。 いくに代もたえずそなへん六月の 前大 納言 けふのこざけも矢がまに〳〵 夏くれば日らにさゝぐるさけのなを など一夜とはいひそめにけむ 吉記 ○延暦寺六月会 四日 一伝教大師の忘日也。勅使登山あり。 ○御本御下 十日 神祇官の官人。朔日より本官にこもり てうらなふ也。上郷けふまゐりて。内侍に つきて春やす是は玉体に御慎あらん 事字占ひて春する也。白鶏四手はじ めて行はる。但し是は亀ト也。 ○月次祭十一日 六月十二月の両月元行はるゝ故に。月比 祭といへり。毎月の儀にはあらず。まつ 神今金以前へ上郷神祇官の北の門の内東 の様に着て。供社物の具否をとふ。次に敵に鹿に 送て事を行ふ。神祇官の有掌祝詞を申。 祝球祝の座にて本宮の人みな木綿をつ く。と郷檀下の薦の座に於て祝子申す。 是は諸社へ御幣を奉らせ給ふひ 月なみのなみには神も思はじな 御まのみことのうづのみてぐら 宣隆 ○神今食同日 御神事は朔日よりはしまる。戌の刻に中 一和院に行幸有。行幸なき時は。着ゝ以下 神祇官に向て行ふ。まづ大忌の御湯をは す卜にあひたる者へ陣に着て弁を召 て諸司の具否子とふ。もとの大字消て小 忌の御燈を供ず。宴相。翁少納言。外 記。史。等の下にあひたる人に。忘を着。近 衛同蔵人等にしるべし。行幸の御輿は 葱花輿なり。礼の春なし。御湯の後 采女時子申。内侍髪上て神殿に参て寝 具等供ず。寝具とは。衾櫛扇。履やうのもの なり。是よりうきに。七て右近のつかさ。神殿 の東西に陣奉行。半門関司などはてゝ。上 以下神殿の前に列立す。左右を中将各一 一人。けてくつてぬぎ。荷箭を拝て。南の戸の 左右の帳をかゝで。打払の節。薦枕八重 畳等を上つ参議。弁。於納言。外記。夫。小次 第に供ず。内一取入ぬれば。掃部以参て神 座を敷。主上神首○東巽向に半畳の御 座につかせ給神の食薦。御すどもなじ敷 て神膳子供ぜらるゝ儀有。黒徳白泥まゐ りて。もと柏にてそたき給ふ。もと梅とは。冬落 お子すべまが。まで枯たる葉の残りて有 字いくり。直会の御はむ御酒まゐりぬれば 一宮主祝詞申。大た大嘗云の神饌の儀に おなじ。丑一つにまた暁の御ぜんまゐる。神祇 官にて行はるゝ時は。さづ官の庁へ行幸あり て。帛の御装束を奉て。神祇官へなるは。 神餅のほどは近衛府の幄にて神楽あり。 よひの御膳のほどとり物飾神まぞうたふ 終夜うたひて。遠御の程御輿の壱右に うたひて供奉す。声託ず千来なうた は。月華門の内にてとゞまる是は伊 勢の大神字勧請し給ひて。主上自ら 神膳子供ぜさせ給ふ御事 元弘立后屏風 明やすき頃にしあれば取もあへず侍徒 よひ暁のかみのらすごも 年 ふけぬとて今ぞなふるさるまくち入道 かみもぬるよの時やしるらむ病 子はやぶる今や神みけ備ふらん に忘のともしびかげてけり 長久 十二日 ○供解病御粥 神と食の次の朝奉る昼の御座の大床 子にて供ず。かはらけにもるがた漸也。和布の 御汁物そふ。三口食て御はしをたてらる。神 を食はてゝの十二日に後富あるは。中 ころよりの事にや。 ○祇園御霊言 十四日 七日に神輿御旅所へ出て。七箇日有て。 一十四日御霊会なり。此祭の日は。禁中 別事なし。馬の長など催しつかはさる れども御覧はなし。此社は。貞観寺託宣 によりて。播磨国広峰より。山城国にうつ し奉る。素盞鳴尊なるを。牛頭天 王に附会せり。御霊言の時四条京極に て粟の御飯草奉るは。蘇民将来 の由緒といへり。此事は。いとこと長け ればはぶけり。 千はやぶる神もたびねにいにし一の くさの枕やゆめにくるらん 永好 ○同臨時祭十五日 ○同臨時祭 御襖などの儀。大かた平野祭に同。使は五 位蔵人也。東遊字奉る。宣命もあり。大治元 年六月より始まる。また走馬。勅楽など有。 因融院天延三月の東遊の哥に。 諸神根元 神風のやさかのさとゝけふより 一言が千とせはかぞへはじむる 右の哥の初句。或は。神が代とも有。八坂は今 の祇園をなり。 一 千はやぶるやさかのさとの走うま はやきは竹のこころなりけり 直行 晦日 ○節折一折 晦日の夜御賎物に奉る。あらせ。にごせ。 の御装束を奉る。こは御覧の時の御腹にて。 麁妙。和妙。の御服也。妙は絹布の悪名也。二間 に御屏風たて御座をして。御禊の座の如也。 燈子馬燈臺にともして出御の時は消す。 庭に主殿京悟学引て。二言主御禊 早つとむ。節折の命婦。竹を計御体の 所々の寸法字取て最主にたぶ。竹をして御 たけの寸法字取て。其程に折あてがふ故 よをりといへり。是をもて御禊字つとむる也。 あらせにごよとて二度はてゝ禄またぶ 庭中のむしろの竹を今下にて 政徳 とるたにやめの袖にほふらむ くれ竹のよをりつかふるたをやめは きみがは千代もおしはかるらむし 永好 同日 ○大祓 百官建朱雀門に集て抜字する也 六月十二月二度也天武天皇の御時より始 まる。気除は。日向国橋小門にて。伊弉諾尊。 黄泉の国の穢気きよめ給はんとて御 身につきたる物を黒取捨給ひしよりは じされり。但し六月十二月の二度の大祓 は。舎より。少し前にはじまりけん。 日は家もに茅の輪子こゆる事有 六 〽みな身のなごしのはらへするへは 千とせの道のぶといはなり 後拾 おもふ事みなつきねとて鹿の八を本安 きりにまりてもはちへつるかな 年 夏引の庭の大ぬざとりそへて 百のつかさのみそぎすらして 大蔵卿 二とせの飛てふつみをもゝづかさ みなつきねとてはらへる。そする 与叔 ○火鎮祭 晦日 卜部氏の人火を燧て。宮城の四の隅 にて祭なり。火災をふせがんための祭ひ。二 鎮火祭祝詞有。 九重のとのへのよもにかぐつちの あらびつむとうらへつどへり 文雄 万饗祭 同日 一和迩堺。会坂堺。大枝堺。山崎堺の四の 所々に附朔章の官人行向て祭を行ぶ 疫神を路に入たはじとて饗するなり。 のりとごとも有。さてね火。道饗字ば。四角 四堺の祭といへり。 みやこには汝が宿はなしみちかに ものすかに立かへりて 日善 〇施方 東山。西山。北山。などの山寺の法師ばらに。 米塩どもを給はる也。東は愛宕の寺。面は 右兵衛の馬場。北は右近の馬場にてたぶ 上郷陣につきて。人数の勘文を春やす。 六月のけふより兼て知られけり すみがめぐみの秋のたのみは 守長 世を捨てとざせるくはの門までも めぐみの露は猶かゝりけり 春え 東の寺は人みなつきはてぬ けふはおたぎをさしてつどへば 寛光 ○雷鳴陣 雷の静三たび高くなれば。大将以下左衛門 次将までゝ多箭を帯し。御教の結びさしに候 じて。守護し奉る也。将監以下は蓑笠を 着て前庭に候ふ。雪信をおれば。棘子とて。 音矢高近き守りにおどろまて 神もくもゐのよそになるらむ 永好 七月 四日 〇広瀬龍田祭 四月に相なし 三日月はきのふの空のはつ秋に 宗時 けふはふたつの神まつるなり ○七日御節供 一内膳司より奉る素餅込。こは手中の癒 病を除くといへること有によれり。高卒 氏の子の知事によれる由の説はいかにぞや 一索餅はむぎなはとて。青と米との粉をねり 合せて。手一束計の長さにして。縁のやうに ねぢたる物迄今の索麺は此変体なくべけ れど。一つものと思ふは非凶。 れと一つものゝ思ふは非れ 七月のけふの音なはくりかへし ながくと矢をおとほゆるかな 永好 七日 ○乞巧奠 棚棧祭ともいへり 是は七日の夜の事也。御殿の東庭に。机 四脚子立て。燈臺九本をおく。机の上に 色々の物を置。また筝の琴に琴柱を たてゝおく。火取に終夜之だぎ物あり。 又たらひに水字入て。大空の星の影を うつあ。触株の時も猶おこなはる。天平 一勝宝七年に始まあり。香花をそなへ。 供具子とゝのへて庭上に書をおき。棹 のさきに五色の糸を懸て。一事ない のるに。三年の内に必叶ふといへりおぼ つかなし。因に云。棚欄祭を七夕祭と書は よし。織女牽生字さしていふに。七夕と出 は当らず。そは。母。銭女。牽牛。楓株。など出べ き込。また牽牛を。ひこぼしといふはよし。俄女 平おりひめといふはわろし。 玉 庭のおもにひかで手向ることのねを入道前 其ゐにかはすのきの子つかぜ大坂太 大阪大阪大阪大阪大 続千 星合の空の光となるものは 夕ゐのにはかしてらす竹 糸極 六百八 秋ことにたはぬ星合のさよ深く 宮の ひかりならぶるにそのこもしひ 一 宝治百 たなばたのつまゝつよひの右手に 行衛 にほひなかはせにはのそらだき 同 たなばたの逢はずば何を白露の 玉のをごともけふはかさまし みる 元弘立后尾 明らけき御代の光と成にけり けふ大重のにはのこもしび 内大ト 一たなばたにけふは手向ることのをの たるや秋のちぎりなるらん ゐ部 たなばたの秋くるからによりあはむ 心とりてぞいとはたむくる 春海 天の川こよひかさぬるわほはたの きぬもをれにてのそうだま 千蔭 水にうつる星の先のくまなれやみ船 年中行事 ともゐの庭のよはのそらだき ○文珠言八日 東寺西寺にて行はる。仁明に天皇天長 年七日泰善僧はじめて行ふ。 十四日 ○霊蘭盆 内蔵寮御盆供を備ふ昼御座の南の間 に。菅円座を教て御拝有。幼主の時はなじ。 天平五年七日初て行はる。孟蘭とは俄に 懸ると訳して。餓鬼の苦にたとふ。笠は 器にて。百味の飲食を其器につらねて仏 僧に供養しがきの苔を救ふ也。 けふとてやくらのつるさもそなふらん前大 玉まつるこゝふ七日なかばに納言 いにしへのあすかの寺のすみのやま よゝのみのりのためし成けり 千 玉祭ふづきの夕かきくげし十一 なきちゝはゝにもの申すわれ 与清 ○相撲 諸国の力士を召て南殿にてはゝ。出御なき時は。 仁寿殿にて行はる。まづ真七日の比召仰有 上卿勅を奉て左右の次将に。相操有へき由 字給らる。貴右の近衛方を分て国々へ使を 下して力士を占、是を部領使とも。相撲使 ともいり。廿六日内取あり。是は左と左。右と右 アウムコトアリヤヤヤヤヤヤヤヤヤ と取也。相様人。犢鼻褌のうへに。狩衣袴 をさる。廿八日召合十七番より。南殿にて御 覧ず。胸の方乱静有。廿九日。抜手とて時 もの相構の内よりわらぐり出たるを御領見す 昨日不参の相撲も其内に不。神亀三年 初て諸国よりめしのぼせらる。寛平七月に 一は重相撰御覧あり。 年 かたわけてことり役のいそぎしは女 けふのやきでの有となりけり 女房 めしあはすすまひの庭を洛。さくは われはがほにてたつ人やたれ 美樹 美様。 ○行手数奉布 二月におなし いのいのしてたのよしげなる初稲や かえのめぐうの秋子なすらむ 大蔵 ○仁王会 二月の臨時仁里言の所に委 八月 ○八朔風俗 半長の比より始れり。田の実とて米を折散 土器に入て八月朔日人の許へけしけり。 ともいひ。後嵯峨院。いまだ外戚の家に御座 ける時。御閑素をなぐさめ奉らん為に近習 の女房の内々に奉りしを聖運をひらかせ 給ひしかば。それよりはじされりともいひ。今 日家のいとろみにて。たのむ人に物奉るとも いひ。後深草院は。八十八代の異也八十八は 米の字なれば。是をもてたのみと称して。 は都に御祝ありしつやともいへり。いづれも たしかならぬ説ども但たのみの事は弁 内侍の日記にみゆれば。後深草院の頃に ありしことはなかれ 日記 けふはまたえだき物のなをかへて 斎 たのめばふかきにほひとぞなる内侍 とよねの秋のたのみをいつよりか けふにかけてはいはひぬける事 〆桶 上丁目 ○粉魚 二月におな 新葉 から人の昔の顔字うつしまて内 あふげば高き秋のよの日 大臣 年 から人のかしてき願字うくしとめて二位 ひじりの時とけふまつるかな中将 同 まつりせし八月のみけを取ときて 哥にそなふるけふのひもつげ 寄平 ○北野祭 四日 昔僧大政大直の祭迄。この御事は世にかく れなければ今さらいはずこゝにしづまに給 ひしは御託宣にて。一夜に松の生ひ出しと いふ覧縁起に有。それ子顕に一夜松と よめり。此祭は一条院の御時よりはじさる。 官幣など祇園に同じ 年 たのむざちりに交りてみゆきする 大蔵へ 北のゝ露のふか歳めぐみを いにしへの心づくしをみやびとも けふの祭におもひいづらむ 義標 ○定考 十一日 六位以上の加断する人は芸能行諸格動 を見らびて爵子たまはる也。上つ大政官の 東の庁の座につきてことを行ふ次に朝所に つまて三献の儀有て。次に宴穏の座につく。宴 程の符の事。二月の列見の所にいへり。各三献 あり。かざしの又も字着ゝ以下冠にさす。大臣は 白蕈。納言は黄筆。三木はりうたん。其外は。此 時の国なり。つくりばなに非ず。大かたは 年中行事 二月の州見におほじ。式部兵部の二首より 諸司の人々の上日を送成字列見といひ。 生を守薬て春中するを機師春といひ。其 人々をしらび出して定むるを定考とい へり。定考とかきて。さかさまにかうぢやう とよめり。十二日には小定考とて。大弁以下 の人東の歴にして行ふ事あり。 新蝶 津かへてしよその日数のその日数のそのるゝに 突為 しらをさだむる道ぞゝかしこき かしきかよきをえらびてくらゐ山 嗣長 さか行みちを失ぞしさだむる いさをもてきそひのぼらむくらゐ此 けふのさだめのよにしたてれば 松之 十二日 ○小定考 前の条にあり。 〇石清水枝生会 十五日 内程にてはことなることなし。意へ。我弁 衛府など。男山に向ふ。宣命内蔵章の 使にたぶ。数生は最騰に経の長し子流水 品の。他急の事よりおこれり。会のは じめたしかならず八幡宮へはもと僧 の勧請せし御事なれば何事もうけ がたき事ども多し。憚あれば記に及ばず。 新六 高とゝ山秋のけふとや誓ひけん 一川せにはなつよものいろくつ 知る 〽よにかくてつながるももすくはなんは いけるをはなつ神のめぐみに 中納 ○駒牽 十六日は信濃の勅旨牧の御馬六十疋也もゝは 十三日なりしかど。朱雀院の国忌にあたれば 十六日になさる。南殿に出御ありて上馬を ごらむず。着が馬の解文を春す。ことはてゝ。 公卿以下次第に御馬を給はる。馬の御し つなをとりて。御前にすゝみて一拝す。 取残しの御馬をば。引分の使とて。次将 早く。院。東宮。など然るべき所々へま ゐらせらる。十七日は甲斐の穏坂の御馬王 十疋。黄武蔵の小野の御高四十疋その 外秩父芝。立野十五疋手々奉る。廿三日信 沈の望月廿文廿八日は上野五十疋ひかる。 新六 望日のこま引けふの引分に 又くちいづるくものうへびと 煎じ 年 むさしのを分こし駒のいくるへて 一けふむらさきの庭に出らん 題あ 〇四十二 時きめし民ぞよきはふ秋のたの命 一ほざかのこまをけふぞ引ける大納 大納之 同 引分て字がやに立しあらごまの 宗ス みなりぬ袖におどろきやとむ 同 〽誰かみつるや出しも遅き有あけの 宗信 かげみぬ月の末のこまびき法眼 一八東土のほざかの駒字ゆたかなる 御代の千秋のためしにぞ引 千蔭 かくの上にみまきの駒字迎へまて けふ行分の使たつらし 春海 同同月月一日 〇季御読経 二月におなじ 千とせとも四郎千とも秋は かゝるみのりのしるし也けり中に 中将 九月 ○御燈三日 三日におなじ 〽たむけする星の光にまがふな み手にかゝぐる秋のともしび 貞世 七日或五日 ◯不堪旧す 諸国の田の損はしたるを。目録をして奉 それにつぎて租税字哥の二などゆるし給也 諸国より坪付帳字奉れば大臣陣につて きて定め申て。諸国に仰行せらる也。 年 此秋は千まちのましね数そひて つくるにたへぬ坪づけもなし 女房 去月やけふ奉るつぼづけの たへぬたのみも有世なりけり 貞貞 ○重陽宴 九日は節日なれば。菊の国の宴行はる。 是を重陽宴とい一里。南殿にて行はな 上達部親王よりはじめて文人まで、 探欹たるはりて詩を作る。氷急菜 酒などをたぶ。御帳の左右に茱萸袋 うかけ。前に菊瓶をちて。また菜草 の房を折てかしらにさす。悪気を払 ふといへるにより。 続千 行末の餘字かさねて九寺に新院に 千代までめぐれけりのさかづき当院 新松 もろ人のけふ九重にめぐるてふ まくにみがけるつゆのもの葉 ゐけ 宝治百 いくめぐりきらぬ手をつむまくの 御先 かずさへみゆ事けふのさかづき 年 きく紅葉をりしく心をも取添て内大つ 〇四十三 年中行司 けふたまふ込みきのさかづき 実人のつゝねし袖のむらさきに にほひかはせるしらぎくの花 波清 九重のきくのふやとり〴〵に ことはの花も匂ふけふかな 久敬 〇例物 十一日 伊勢大神倉へ御印を奉らせ給ふ此毎 手の御事なれば例幣と申す昔は神 祇官へ行幸あるして此事を行はる祭主 中臣忌部卜部に参て御報を請取て出 使のわ御馬申事など常の奉布の 如し。朱雀院の御時よりはじまる。こは大 一神事ゆゑ重軽服の人。僧尼など。一 日より参内をとゞめらる 年 長月やおくるにぎてきいとの海の なみのしらゆふかそやそふらん 守長 いすゞ川浪のしらゆふなびく也 みてぐら使いまわたるらむ 祐之 ○撰虫 殿上の過年とて殿上人たぢ嵯峨野 などへ出て。虫を蔵にくらび登りて 奉公辺堀河院嘉保二年八月よりはじ まるか。 年 〽いろ〳〵のさがのゝむし字みやびとの ほずり衣きてぞとるなる 忠頼 子日をしまてのなごにに実人は まづおむしに心ひくらむ 直答 十月 ○孟冬旬 朔日 予を 十月朔日にはまづ御衣がへこれ掃部 一景夏の御装束を撤して。冬の装 木にあらたむ。南殿に出御ありて。 節言あり。日をたを孟冬旬といへり。二 献の後。少急に気臣にたぶ孟夏 句には扇をたぶ。近ころは宜陽道に て平座あり。平座の事は益市へ向 の所にいへり。沙急をたまはる儀は。 陪膳の采女。元年にしたがひて。御 膳の妙急字とりてわ郷にたぶ塩 うそへて給ふを。塩にさしてたくざるひ 白菜芋 冬のきてけふ玉しきの庭の底に御子供 立事やすきしら重ねかな中作 元弘立后屋 一治はれる御代のみつきとよるひなく弾正 火みや人かりけふたまふなり親王 年立かへて露も残らぬ衣手を いまさうやらすはつしぐつや ゐ邦 〇家干餅 一内蔵寮より奉るを朝餉にてゆ召十 一月亥日餅子はへば病なしといへるに よれり。此餅は七種の粉にて惣す。大豆 小豆。大角豆。胡麻。粟柿糖等也。 諸問 よりもくるぞつくゐのともち 一日よりもくるぞつくゐのともち びんくうすなるものとおもへば 泰光 やむ事のなしとし心はとし〴〵に ゐの日のもちひおこたるなゆめ 国間 ○射場始五日 ○射場始 又同 まづ此月の三日。左右衛門分場の如を つく。当日分場殿に出御有て若を御覧す ゑゝ束帯にて射る。主上御射席を敷いて。 奢失を左右の脇に立て。させる事なへ ゆだちとくいての諸へ北々もつけて いたづきいたづきつてならすと ゐの 一神光月犬つかの弓を引つるゝ けふやまといのはじめ成らん 親雲 御垣守つきし棚にいつし有 けふ秋まとをかけはじめつれ 有位 なのみゆけふのまといのいむしろて二位 いまはむかしとしきしのぶかな中将 みとらしの梓の音のいむしろに いでますみればたふとかりけり 春元 五日 ○残菜宴 九月九日より後のは。いつにてし残菊の宴迄 群臣ふみを作り酒を給事。重陽におなじ 神無刀残れる筆のさかづきに もせぬめぐみのほどぞしらるゝ 玄州 ○興福寺法花会六日 九月晦日よりはじさりて。七日の間興福寺 の南国堂にて行はる。けふは長岡大臣内庫 足公の御忌日也 新古 ふだるくの南の岸に堂たてゝ いまぞさかえむきたの藤浪 このうた或は北の藤なみとぞさかえん。と下上 に記せり。こは南国堂建立の時。春日明神詠 ざさせ給品共。抜本かゝ神もかせ給所ともいふ おぼつかなし。北の藤波とは。藤原氏の北家 をいり。房前公のながれ込。 ○維摩会 十日より廿六日寺で七日の間興福寺にて維摩 経を講ぜらるゝ也此寺もしば厩坂寺といひ また山科寺ともいへり。此仏事は。慶元二年に はじまるとも。和銅七年よりともいへり。 白川七 神無月時雨ふりおける御法とて 御覧 ならのみやこにのこることの葉 くだるあつたへしまくの法の静漸漸閉 やまと唐きゝたえずして 納言 ◯大粮申文 諸寮。諸司。諸束。など月侍金料など を以ふ文凶毎月ある事なるを。十月 にとりすべて申す山 ○初雪見参 ○雪山 初雪の降日気臣参内するをい所。松 武天皇延暦十一年十一月よりはじる子。 又はつ雪に限らず。深雪の時は。必諸陣 見参をとるとい所。また一條院の御時 より。雪山といふ事有。所衆瀧口など 大内に参て。藤壺に雪もて山をつくり し也春の雪にも愛のはなのかくるゝ 程なれば所衆以下雪の山をつきける とぞ。さて初雪を祝ひぬしは。元慶五年 十一月迄。い符少将佐以下見参の人。五位以上侍 漢所に在人外記。内記等に綿を給へり。 木こゝにのみ珍らしとみる雪のやま清 ところしにふりにけるかな 少納言 雪の山つくる斗はあらねども あさぐつならす其の上人 長嶺 雲の上につくれる雪の山みれば みやこの不尽の心ち社すれ 永好 十一月 ○御焼物 ○供二忌火御飯一 ともに六月におなし ○御暦春 中務者より明年の暦を奉くを。南殿に出 御有て御覧あり。出御なき時は内侍につく。 ◯朔旦冬至 十一月朔日冬至に当るを朔日又々至と いへり。サ手に一度まはる事にて。めでた き瑞祥とす。南殿に出御ありて旬を行 はる。則朔旦の旬といへり。公卿賀表を 奉ることも有 上卯日 ○相嘗祭上卯日 ○四十六 「十行事 相嘗祭七十一座の神に。新徳御報等を 奉らせ給ふ也夜中は兼て神祇官にて祭 官高して社々の神主等に頒ちおれ当 手の新橋をもて作れる酒を。主上ゆし めすによりて諸神にも相共に登え給ふ也。 あひんべはあひにべにて。にべは新饗の約也 四つかほの秋あくほのにひしぼり 一人のみし神にけふ誠にらし 木 宗像祭 筑紫の胸形社の祭延宗像朝臣寺 祭る也。恩姫。満識津姫。市杵島姫の 三神の祭也。 上巳日 ○山科祭上巳日 四日に同じ ○平野祭上申日 ○平野祭 四日に同じ。臨時祭もおなじく有。 ○昔日祭同日 二月におなじ 二月におなし 同日 ○杜本祭同日 ○当麻祭同日 四月におなじ ○幸川祭上酉日 二日におなじ ○梅宮祭同日 〇梅宮登 ○当字祭同日 ○中山祭同日 四日におなじ 〇松尾祭 同日 四日におなじ但冬は酉の日夏は申 の日なり。 ○大原野祭中子日 二月に同じ。但し春は上の卯日迄。 ○園ハ井縣神祭中四日 二月におなじ。但中の丑の日とはいへども。 新嘗会の後をば用ひずたゞ上の丑 の日有べし。 中野日西二つ有 ○五節 は。上の丑の日也。 寅日 ○殿上湯破寅日 ○童女御覧卯日 中野日は五節帳堂の試む常寧殿にて 御覧あり。舞始五人参りの儀式あり。 内々参るをば暁参といへり。殿上人脂燭 にさふらふ。御直尤御指貫にて御習をめさ 公御さしぬきをめさるゝ事は。この時の外は 一御執鞠の時計也。帳台に御座すほど乱 翁ありびんだゝちなどうたふびんだゝらは うたひもの山。又びむだゝちといへる東岩 も有。寅の日は殿上の渕破也即訴今 様などうたひて。三献はてゝ乱舞有。次第に 脊をはきて。北の陣を廻りて五節所に向 ふ。其後所らに杵参など有。郢曲のからゝ からおしてまゐらんなどうたふ是は今様 の思ひの津といへる謡物也。后言。女院子 と渕崎あればけふ明日の程也。また御 前の試有。御殿の孫庇にて乱翁あり。 舞妓にとらすべき様などをおかる昔は 手々なして。今は大嘗会の時より外 はなし又昔は狩の使とて五節所に給は給はら ん為に。交野の雉子などを召れし。卯日は 清涼殿にて童女御覧有。下づかへ殿上に めす。童は舞妓かいしやくの女の。此翁は 天武天皇吉野宮に御座し時。大友皇子 天所を奪はんの計略中なれば。天下の人を 帰順すべき為に。沢土の五節により作り 出給馬なるべし。さそ天皇吉野に御座候 し時琴を弾給ひしに。天女降りて昇 応じてもたび袖をかくしたるを。天皇の 御目にのみ見えしよしいひなしたるにこそさ れば。五節の舞妓を。天つ少女とはよめる也 堀百 うとめごが雲の上にて袖はれば 日かけにまがふあまのはごろも 郡中 同 一日かげさす雲の赤ひも打とけて たちまふ人をもてはやすなり 俊頼 同 ふてもみぬ空のかてはしほかにのみ あまつをとめの聞わたるかな 忠府 同 〽くもりなきとよのかゝにみつるかな あまつ重とめのまひのすがたを 大進 立いづる少女のすがたあらはれて 月におとらぬ空のかよひぢ 欽 ○鎮魂祭 上の卯の頃の実日 鎮魂祭字中の寅日といへる八はかたし此 祭は。雑遊の運魂字招て。中府に鎮 むる祭巳牟麻志麻治命の時よりお これる由ものにみゆ祭は宮内省にて 行はる。実内省機あれば。神祇官にて 行はる。此祭は。文徳天皇の天安二年に 侍られして。こへ親元年十一月又行はれし より後は。年この事となれり。 〇四十八 ひふとよをたゞながられといはひつゝ かぞへてむすぶけふのたまのを 頼則 ノ状ナリ ○新導会中卯目 ○新尋会 是は神今食におなじ。葉手の数十二 枚。其外はかはらず。ひらでとは柏の葉十まい 合せて。升の針にて笠の様にさしねたて椀 にする。今年の初稲子神に奉らせ給 なり。御代の始には大嘗言といひ。女手の をば。新嘗会といへり。下食の人々摺衣日 一落て着す。用明天皇二年四月より始る。 摺衣とは。青摺とも。小豆といひて。神事 の時の服也。勿論を精法にして山藍にて すれるものひ。日蔭とは。もとは日陰のかつらと いや草を用ひて。後にそれになずらへ て。白き角綱字左右へ八筋。盛は十二筋冠 のすみにまゝひてたるゝ也又東紐を小忌に つくる也こは約字たゝみてあはび緒にして 泥絵ちどかきて右の肩に二い助とぢつくる也 新助 足引の山下日願かつらなる うへにやさらに梅をしのはん 家持 白川七百 契あれや神のすゞにを打はへて かひかへまつるむかしおもへば 御製 年 いめる秋字さめしいなぼ手向る 手ゆたかなるはじめれける 頓兵 たふときや天皇はかむながら 神字まつらすけふのにひなべ 大間 ○豊明節会 中辰日 日ては当年の新稲を神に奉らせ給て 今日君もきこしめし。題共し給ふ故に節 会を行はるらひ。新嘗祭の上て。宗相。小 一忌をきる。よべは諸司のに忌を束帯の上に忌を。 今日はうるはしく青摺をきる。南殿の庇に兀子 字設て。内弁以下座につく。白酒黒酒の辺を とり。大歌の別当大正を催しく。舞妓のぼり 己たび袖をかくしてかへり入ことに堪たる上達 一部五節所とぶらひて催馬楽などかたふ 節方程露量の乱解有。露台は仁 寿殿に有て。びんだゝらうたふ。昔は節言の座 にて御遊ある。堪能の人々御帳の東にちて めしてこの事有。国分に御地てめす。この図 書は女官山。御手ならしといへり。正月十六 日の節言なども。時に随て御手ならし あり。この殿の日の節言をは大嘗言の 時は悠記の節会といひ。巳の日のをは 三口行事 年中行事 主童の節言といへり、 新六 よさむなるとよの明のも相の上に 月さみわたる五みのかけはし 月さ心わたる五々のかけはし ゐて 同 かゝるみに豊のあるとの日陰草 なもてむすぶ契ありけむ 年 にひなぐやきのふのはつら納およし けふくきたまふよみの上人 光俊 薩漢 中中日 〇吉田祭 四日におなじ 新続古 ろとせをはやとかへりの霜を添て たはぬよしだの神まつる哉 兼熈 同日 ○日吉祭 四月におなじ ○日吉臨時祭同日 順徳院の建暦三年十一月よりはじまる 殿上の使字立らる。 ○賀戊臨時祭 下酉日 一兼日に試樂調楽など有。当日の儀式御 禊庭の座など石清水に同じ。社頭の 一儀はてゝ。使舞く。かくり立の儀有。孫庇 に御障子をたてゝ。御代出爰に御学 一鞋高めす。階の間のとほりの庭上南北二 行に座をしまて。使翁人つく。後に本末の 神楽の所作人陰。澄近史の良人つく。土師 有て公卿召に沈て。簀子長橋に供ず 階の下に以以下つきて。使舞人子召。勧盃有。 神楽あり。庭燎よりはじめて朝倉其始 までうたふ。寛平元年十一月に始まる。 新 みやびらのすれる衣にゆふだすき て有て心をたれによすらる 貫之 新勅 いかなればかざしの花は春ながら法仕寺 いかなればかざしの花は春ながら法性寺 字々の花に霜のおくらむ今 字みの花に霜のおくらむ 流古 霧深きかものかはらにまよひしや豆に けふのまつりのはじめ来らむ左太 新六 某さゆる賀氏の川原に駒前へて 道行ずかのやまあひの袖 知家 年 千はやぶるかもの阿風山あゐの 神にいくたび雪さそふらむ 宗久 夕さればみはしの窓に覧つけて かへり立するくものうへ人 春海 きのふかも葵かさしゝ宮人の 山あゐの袖に霜ぞ置ける 山あゐの袖に霜ぞ置ける 山あゐの袖に霜そゝ置ける 十二院 うた人の夜子うたふ声もよし かへり立するくれ竹のもと 同 〇五十 十二月 十二月 ○供忌火御飯一日 六日におなじ 三卯日 大神祭 四日におなじ 三日 ○岡忌 天智天皇の御国忌崇福寺にて行はる朱 鳥二月より始まる。神武天皇を大祖と称 し。可智て皇を中宗と申す。中興のみ也。 〇御体御卜春 十日 六月に同じ。三つ陣の座に着て御卜を春 す。昨年六月までの事をうらなふ也。 ○月次祭 ○神今食同日 ○神今食 ともに六日におなじ オブガミヤウ ○此所ミヤウ ○御仏かつ 十九日 十九日は昼廿一日下旬の間山或は一夜 もありもとは十五日より。十七日までなりしを。 仁寿三年よりその様になれ申。仁寿殿の御 本尊をうつして御帳の内にかけて。南の額の 間に南北に机字立。仏像澄。形をおく。仏 前に香国などそなふ。庇に地獄絵の御屏 風をたつ。出居のすけ。最勝講の時の如し。 出居の前に火櫃にをり松せとす女孺されを つとむ。ゑゝ廂につかず。初夜中夜後夜。各 導州かはら。初夜は亥一刻より子二刻中 夜は子二刻より丑一刻後夜は丑一刻より 寅三刻まで出さしあぶら蔵。人しむ。 つけぬ衣箱のふたに入て簀子の北の方に に内侍簾下といひてみすをかけて出す。蔵 人御導残の肩にかくる也こと果て名謁 あり所衆瀧口までなる柏梨の勧盃 有。指条は。左近府の領に。摂津国松賀 の庄といへるがありてそうより奉る酒 なればしかいへり。また仏名の中夜 などには大将のとのゐ申有公場にて世 ひゝつの程右大将尋行ふゆづるなしなど す。定のゐ申とは。名詞の事にて。何甲と のゐさぶらるよしをようすなり。仏名 の導残昔は終夜となへければ延応の 御代などには夜御殿にて和琴亭かきあ はせ給けるとぞ。此仏名といへるは。三せ諸仏 の名号を唱へて。飛子滅する也先仁 天皇宝亀五年十二月より妃申れり。仁明天 承知の比は。仏名三箇日の間。諸国ともに 殺生学業がられしとぞ 松 手の内につみそねる飛はかさらし ふるしら雪と共にさえなむ 女々 振音 かづけつるわた引からにさよりて さよ過て さよ過て むろへかいらむせなかがくしに 俊頼 同 〽そこばくの仏の御名をみなすば のこわるつみもあらじとぞ思ふ 兼号 新 あさましや仏のみなを切さして 丞 一などか一なしのほゞに立けむ 内藤 同 霜こほるよみの野伏のかづか綿 いまぞさむけ子忘れはてつる 光俊 舞 づかへこし近き守りのかへなしも みのいよし」になるぞかしこき 女房 下午日 御髪上 一御髪のけづてくつて主殿葉に向て やくなり 享年童子慶大応之日 一ほずに陰陽砂土木童子の像をつくに 立陽明詩賃二つは青色。美福朱雀 は赤色。淡天藻譬は白色。安嘉偉収金 は黒色。郁芳皇嘉殷冨達智は黄 色也。春は春にて東。東は夏にて南 白は秋にて西黒は冬にて北込ま た四方の門に黄色のを立てはふ 黄は土の色なり。慶雲二年。天下に 一寝寝さかりにして。百姓おほくう せたりしかば。信佐といふ事はじま れる。厚は疫気也に作りて水 陰の気を追ふなり。土偶人土牛の 高さは尺各板にのせて立るれ大変え の日立て。立昔の日の前夜除く山 ○荷前 まづ十三日司々を兼て天らる使はい右へ のも殿上人のも有。荷前の使を定むる 為に。元日の擬侍従の意もあり。こは朝 かくの時の為。己とて荷前とは登前にて。 新穀の祢猪氏。新穀の初穂を清夢に供 ぜらる迄陵は則十後山階智田原二柏 原武八島近浅学野後田邑越後田呂 山陽。酉中ノ半治山孫丈良ノ平治。存成 後守治山。孫等也。墓は。則八巻。多 武峯殿愛宕の七尊野仲昌淳尊 皇。当字半治。昭宣小野 年中行事 越後守治庄野小山 かしくしなのざきの心はをになひもて 手にかはらずたつる丈畳 宗信 みてくらを言が御かどにはらぶ也 までのさきか丈たつらし 春海 あはに降雪語分て着がため はこぶのざきの道ぞにぎはふ ○著鉢政 五月におなじ 八十 ○内侍所御神楽吉日 一典待掌侍まゐる。典侍は童二人に木 丁字さらす内侍所に行幸なりて御拝 あれは。刀目のゝとこと申。刀目は女官御膳の 役也。け間歌人管弦人両殿の面の方にて 物のね合す内侍所の前に主殿景幟亭 引て官人篠子たく本末の座に二行に設し たふ。近衛の召人後に有て。召人とは。将曹。 一府生等の楽に堪たる物字召出し てつとめとする也。人長中に横座なり。 次第に座に着けば。人長すゝみて膝突 などしかせ。修高などいましめて次第一 にめす。笛。心ちりき。本末の音のみち。和きこと。次第 にひざつきにつく。和琴は位によらず。本の座 の上につく。鈴鹿を給はる故。亡すゞかとは朝 家の御物にて名器なり。さくしよりあひ庭火 本末はてゝ入長かくり入揉物はてゝ都神 の拍子あげて後人長立て舞其後動盃 あり。から神はてゝ。又すゝみて才のまのこ めす。寸のをのことは召人の事也。各座の末 より進て跪てかへりて。薦枕より千歳 子哥。などはてぬれば。明星字仰らる笛 ひちりき。ねとりて星三巻はてゝ朝 倉其約てうたふ。常の如し。禄を給ふ。臨 時の御神楽は秋の末に行るれば名は臨 時なれど。今はされる事に集にた り。恐郷の所作也。御所作などある時は。星 仰らるゝ時御簾気うごかさる御笛なれ ばやがてねとりて仰らるゝも便あり。臨 時か神楽には禄なし。此御神楽は。一条院 御時より始ける。 新六 おくしもき也たるよはの朝倉に衣笠 かへす〳〵も神やなびかむ 衣が立 肉肉 司 人のをさの神のまし一に随ひて こそ〴〵すめる九重のには 信実 ○五十三 〽久かたの花のむかしの神あそび かへ世 けふも雲ゐにうたふなるかな 同人 殿守のしろくたくなる大御火の よにおもしろきかみあそびかみあそび 土崎 日の影もまだよがくれのいはと山 あかぼしうたふ静いそがなん 土流 さわへ深くとるやさかきの本末に 霜おすまよふ神のさむけさ 宣長 人長がかくるまそゆふ長きよを 霜のおくまで遊びつるかな 滞臣 ○御焼物晦日 同日 ○大祓 十六日に同 ともに六日に同じ 同日 ○追儺 同日 オンミヤウレウレウヤウレウベサイ 大合人景。鬼の役字つとむ。陰陽蘭祭祭 文字もて南殿の辺につまてよむ。上つ 以下是字おふ。殿上人ども。御殿の方に立 て。桃の音あしの矢にて射る。仙台門より 入て東庭をへ。瀧口の戸にいづ。今よひ御殿 に燈字多くともす。東岸。朝餉。産盤所 のまへの砌に。燈臺をひまなくたてゝ灯ひ。 一追儺は。手中の疫気をはらふなり。方 相氏四つ目ある面をきて手に楯矛を もち。辰子とて二十人。紺の布衣を着抹額 したる者を卒して。内程の四つをまはる。是 鬼をおどさん為也。方相氏は。かく是を追ふや くなるを。公事根源に。兄の由記されたるは 饌也。慶かえ二年十二月。追儺ははじよれり。又 後に追儺に豆を打る人。鎌倉よりやらね にはじまれる也。もとは女の打たるを。今は男 の役となれり。又いまは前のかたへうてど。もと は京しろのたへ打たるひ。くはしき事は師 の豆打考にしるされたればつきて見る べし。 煎 百敷の大宮人のきゝつぎて衣笠 声おふほどに夜は成にけり 内大ト 年 今はたゞ一夜になりてあしのやの 内大ト いるが如くに手ぞこれぬる 実人のけふ引もゝのたゝつかゆえ はなさくそにいまふぞ有ける 千 からの上になやうふ時也事にからし よつのみぞにつどふみや人 春海 なやらふと其ゐにとよむ教への こゑの行へにはるかせぞふく 子浪 同五十四貫 くれて行手の語りのおにやらひ はるのさきおふ心ちこそすれ 茂岳 一手のあしまをはらふあしのやは はるをまとにてはなつやける 政雄 たをやめが豆打すさふこよひだに 心のおにはなほのこりつゝ 永好 掌中木中行事終 我間最の大夫初学のた めにもやと作りおかれとく 堂中采中行事をこの比 はこのうちより見出られた 一案とてわか友阿天信成ぬ こへにあたへられたりのふな りぬし一日おのれの跡にも 天来て今の世に初学の たよりとなるへき書これ かれおほかる中に手中行 事のすちを書たるもの をさ〳〵なきはあかぬわ さ哉と思ひつるを宇之の はやく作りなかれたる こそいと〳〵うれしけれかく 天此書たれかれとうつし とらむはわつらはして且は かならす書ひかめもこそあるへ けれはいたにゑりて世に飛 ろうせ翁とおもふはいかにと いはるゝに頼のれはた同し 心なれはと母によみ授へて いたにものすることはなりぬ このことのよろこはしさにいさゝ かそのゆゑよしをしるす 嘉永六年春田中春嶺 るよみといはむからに歌 よむはか理にてはやく の事ともしらさらむは いかみちうしきわな ならぬさるはことの心の たかへる詞つかひをあやか れるなとともすれは出 くるわかなれはなりこの 掌中年中行事はし もさるしまりかもなれ かしとて翁またわかくぢは しゝ時ものせられしに て心得かたき所にはいさ さか粽気くはへまたね 中行事哥合の外の古 うもこれかれくはへられ かつ今の人の歌をさへとり 絶られたれは此筋の哥よ むたよりにはたなるへき出 になむされは此書いさゝけ きものにしてこよなきい そしに間有ける 文米八十銭 間宮先生着書目録 日本紀章記章記章記書記録 水府御文庫の御本をこひて小山 田先生の写おかれたるを梗正せら 礼し也元本肥後の熊本妙本 寺所蔵にて宗尊親王自筆也 一万葉長歌部類四冊 一和歌多し和類等七冊 天象地浮草木鳥獣よりじめ て。前の物をいろはの庭をもてち かち。詞をあつめ奉本をそらへ。只四季 急難の題は。公事事あなしとりまぜ 名所をさへ取添られたれば初尊の 諸君必机上に置給ふべきより也。 松屋随筆十冊 今古の詞の誤を誦じにまためづら かなることも物也。見ゆに随ひて書 しるされておもしろき清筆の 箱根温泉志七冊 箱根の七湯大地獄小地獄等の事は さらにもいはす江戸下かしくへの 道すがらのことまでもくはしくき され。図をも取添これけり。 一案申年卯年中行事一冊 同拾遺麻出一冊 古今年中行事三つ集三冊 萬葉古今未よりはじめむ後の世の 人のまで広くあつめられたり。 万葉地名抄二冊 万葉集に出たる地名を束つて ぬき出し秋のねさめの如くに登り なされたり。 一今古流法一冊 名目抄はさらにもいはず古代より のよみくせを広く集られたり。 一今古假名遣一冊 参考歳時記五冊 禁中の諸公事よりはじめて。俗 間に行はるゝ事まて左の沼 草をあかし誤字崩せられた る也。 古今集新注 百人一首新注 品さだめ注二冊 源氏箒木巻の雨夜の物語 は源氏物語の眼目にて人の 示しへとなるべきものなれば諸経 てあつめて善悪を論じ。今按 をもかへられたり。 重行子の僧の集一冊 一編年菅公伝一冊 神野山日記二冊 上総国周准郡神野山にまうで みなし時の日記なり。こは常の道 の記のさまとは別にて。のち〳〵人の まうでむ時のためにとてものせ られたれば名所古蹟早くはし くしるし。古書を引図をも添 これたり 一万業集類語五冊 和歌玉石集分子刀自揖 合戦の書古事諸の咄の類又は 古き縁起などの内よりよしあ していはずひろくあつめ これし 自讃歌集 よにゆるされたる人の自ら詠 得たりと思ひ人もさぞといふう たどもをあつめて類題せられし なり。 八代集類絵 めづらしき詞はさらにもいはず一つ の例となるべき詞てみをはにいたる まで類湯されしなり 松蔵祭 間定めん生の門下の人くまた先生 のしたしくせらるゝはかせたちの哥 どもをあつめられたる也 職原抄新註 故小山田くん生の注しおかれし 本へ増注せらなし也 嘉永七年二月 間宮永好著 北畠茂兵衛 稲田佐兵衛 仝政吉 小林新兵衛 仝新造 山中市兵衛 山中孝之助 3牧野吉兵衛 北澤伊八 中村佐助 出雲寺萬次郎 石川治兵衛 吉川半七 開成堂 中外堂 外堂 売捌 同柳河梅次郎 本町二丁目角