信州川中島合戰

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近松門左衞門
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シンシュウカワナカジマカッセン
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2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
一 甲斐信玄 勢川中嶋合戦 越後謙信 竹本筑後様直伝 竹本大和様山伝 山本九兵衛副 二十把 享保六年八月 五月 信州川中嶋合戦作者近松門衛門 木林々たる人品千丈の松のことゝ。礫とて 節多行々として目たかしといへ共大厦に 施す時ば棟梁の功用大哉勇将は人を 見智将は人を知り。是を兼る名将新経 三郎十九代の後胤甲斐の専城武田 一大膳ノ太夫晴信入道信玄居士御世子四郎 御曹子勝頼君ヲロシヤ家に紫案の牙を出 せり此たび御父信玄の上洛宮位の願ひ成 就武運長久のいのりなかびの国信州諏訪 明神に参難有奇進の絵馬に珠玉を餝る ろし馬。舎人をひつ立。彫る狩野か月青。 馬も祈願もかけ奉る御神前裸宜みやつこは祝 をくりて幣帛を大床にさゝけかんなにおとめは 一祝帯を引て違廊に舞奏り儀式もさらに 一かう〴〵し勝頼庭上に本丸しはいでんにあがらんと し給へは桃権尊坂弾正御袖をひかへ見申せばはい でんにしとねを敷座をかまへ候是々ね宜衆少 れは此方のためか随外の諸成こと問くればざん候 越後の大守長尾景尾殿の御息女衛門の 姫君あの松の木陰に春約かいたる絵馬をあげ 一追付御社参の用意たゞ今神主方に御休息と申 に付て伝に聞ゑもんの姫是幸に見まほしと おぼせ共高坂が女中内日の参り合時節わろしと 思ふ気色ばかりかねてまします所に。此庵の像の 子直江大和之介時綱する〳〵と立出。御遠慮痛入候 主人景尾願ひ有て上京に付。長いのりとして さんけい倍意にも御上洛とや定て同しも折茵 も新調御ゑしやくに及す御ちやく座有様に仰上られい 高坂殿扨々御ていねいの至忝此方はおそからず先 姫君のより。いつ是非共〳〵はなさより。いついつ迄もと梓義 もなかばに思もんの姫。つむ人をもれ出ておしびの有は 男どし殊に親御様と我身親とのと魚とのおちなみや 女なればそななれは身をうき魚のよるべを頼むざとふあは そもしろいざ拝殿へて一所にて手をとれば。身運越 後ちゞみの雪じやれは。糸は殿ぬ手ざはりに勝頼 おめず打つれてひとつにする鉦の法や東に見ぬ 恋聞てひの金とそ諸願成就と神に誓ひさゝやきは いか成化の鯰口もいひさがされぬやならし内に鹿わんの 神人あはた敷当国の歴の村上鹿義多公有人たいめん 有へきことて唯今是へと申上れば勝頼あらひもむ つかし両人逢て挨拶あれ我はどれんで外したしと。の 給ふ間に村上が尊のいなく知。幸此方の姫神主た 一字し宿くるゝすはとなだへと思はずしらす案内する。木之介 に乗移り此科人や叛伊の神海よりふき縁とかへむら 上野門義清神前迄道具立させ莞命共せずヤヤヤア直江 鳥坂ぬし在は一国の家老弓矢の法存せすとははせぬ たとへ道中物にても他の分国を通りには先へ使者をもつて 案内するに況当しやは我分内一夜のとゞけもなく踏込 慮外玉極を主て絵馬は神馬を表する物なりに あれ見よ信玄乗寺の毛色甲斐のわ駒万気も とゞめかぬるかけ馬の勢亦定村上が領分へ馬を念なの一国 一押領の為せいを顕はす為な殊にゑもんの姫は親景虎に 某所望しかけ女房内組しかれば直江けん弟は家来ふん 昼後の礼義しぬかといふよりこいへぬわる者なん〳〵と。 直いはん第と家来とはん山城守実綱此大そぬ時綱が 事か。我々越後の国守。長屋景光公なるで。天が下に 主君なし御円に一粒の扶持のす。家来とはもいさん千万 ま度いへのびゐた谷の根切さげん。おどり出るを高坂 弾正悲し〳〵太の姫君御供揃へも為旦那の供理の修理の非 のといふ所でなしむに〳〵と押しめ案内なく御領内入立 越しとの御いきほりに尤去なが。使者を以て案内申さば。 道物掃除等傳馬以下御馳走仰付しるゝ。御心遠慮 に行さひかへ不念と成は心の外しまつねか御宥恕にさべ と。手をつねゐんきんの勝に念。申ぬけゆいふまい残ると 衛門の姫瘡通し参る領内を忍び合の宿にせられ はなけをよまるゝ村上ならず不義者の男をんな。落吉する 迄此義清があづかり置うごせぬ両人共に垂て帰れ身が 者共神主がやしきを取ます。者油ひなくけいご 〳〵絵馬ふみわれたゝに破れとひしめく所に出供の 〽ぼね下女母なら情なや姫君様勝頼御いづの間にかは 行方しれず床におやみを残されこと指出す二匁弾正迄 取懐中すれば直江も仰戸村上いよ〳〵賀にから扨も 〳〵神のにて不義の神顕れし。当国の神の利生を見よ。 色を失ひ武士は立まし利ぼつて顧人坊に飛ねらけと思 られ板にかゑかね。切て出る大和之介を高坂おさへて武士 のたぬ事少もない弾正によかされよと野袴の猪たかく はさんで身づくろひ是村上。姫勝頼両人義清が預り 置と一国の大名のがね詞参念は有まし。者なせ遁 した何国へあせし。聞んいへと気のつぬ所の理覚べぬ。 村上はつととわくすれば大和之介も力を得。本人の行ゑかく すは相見にてなせしなにもとはきりも御番所の所のいゑしるゝ 迄の人質我国へつれ帰るトこいあゆめとねだりたい程ねだ られ無念〳〵も十面斗一言の返言なく大事の皆人直江 どついだしなはをかけまいからゝ尤と手くすね引たる英雄の類 玉しゐ。うろふん道理〳〵所詮宿しさる神主めがふとゞめ抜 いせには神主始ね宜めく残らず切て成てからめ手成者ぞ れにたるは明神のしやだんじやとぼち成共此義清かまかぬ 〳〵といひ帰るも候へはめ不高坂直江ばるかに見やり打う なづき三通をはいけんすれは。ね〴〵あき人の便にふみを通し けいやくの中の義清に糺され恥を見んて口かく暫く影をかす とのかき置両人はつとあされしがなふ直江殿申ても両国 一守の姫君暮。御門はむかや家来は多し。去戌百姓をたのと 給ひても御身をよせらるは自由御行行人に気遣なしとかく 余所の仕分にてさきこさへ都ては面々主君のちじよくを ふれやかにをなしじゆひよくまづ当所を引取万事心ざかひを 越てのたん其召そせられし下女はしたな住の旅推みだれぬ 様にひきの惣此方の糺通りほりたゝしくとや行列と黒 をなし行う〳〵とて立帰り高坂弾正徳たん心と名におふ 武士の一分別荷の家風かうだしきせんざんのそやしこん ろんの石玉の光の世くながき武田の下吉氏。 爰にしかしの都ぞとゑにんを口ののみや。ことの葉にのる舟に のりまる園七里半くいせんの間丸や表には給荷山の ことくはきにば数百の舟にそひ桐のとうの印立させそろひ のあらしと走ちがひ。によゐるか越出来けが。それはへ 御荷物つんでなぜにねまゝないと北国訛のそんかうひたひ 越後の国守長尾殿しがのゆごへひつかり御救国とそしら れけれ大津八町の方より武田信玄の足かり。隼人組の水がら 横田茂といやの川に大息つぎ母しくいむる家は是なていしゆ にあはふといはし音にも聞えかひの国のあるし今日帰国来原 迄舟にかされうとの仰のじんら明神へ御きんけいのためくゐ寺 に御さりそく追付是へ大船共そう小せん六丁そう。きつく飛立 申渡いたしげ〳〵と呼はれば。ていしめおごろき越後の殿さま 長尾殿より。先達て仰付られ御覧のごとく浦々の舟迄かり □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ あつめ外にはあらふねつり舟ならで一そうも候を。御嶽ながらせ たへお廻り。今日の舟の御用御かんとかうべを地に付れば身殿が身が しんち三郎義孝の末孫清忠源氏のちやく〳〵しゆびかくさんだい ゐんざん所よも大そう心ににん官。あかくの将軍にそんきやうの 筒目]越後の長尾も上らくはあれしか漸将ぐん義輝公の輝 のじをもひ。京虎を改てるとゝと名のれば迚をごまい先 私はまくらの権五かげまき。代々源氏のひくはのひくはん也。其てかとら国に をう此みなとに一そうもないと申されうか。舟主迄たくつて此方 の印に立かへほとどよめく内てるとらの足がる遠敷小平といつの 内よりひかに出聞へくない武田信玄が大そう心残ぬけの坊 主官すねやげのざまで身が殿を。信書がび久はん竹印迄にくれ とは首がなくてもたくられはたくひして見よと。ぬくよりふやくさかけ たはひらりとはづしぬに合せり口うでも腕かけぬけ切かけゑつ はづしつ命をおろちり土砂ふみ立一寸さらずいどみ合両家の先 手一時に来かりとつと落合漸左右に引け知んに男の 御家来横田兵介越後の御家来遠藤小平けんば。それおむま といませいひかへませいと呼はれはせがぬ信玄思気のてかとらへ参 に尊前すめ。両方あぶみふみふみふみふみにしきれい下々迄列 をそのへてつくばへり。初手共是へ呼。畏たと両人をつれ出れは。 両将専よりお立てるとら大声上伊夫のくかゝあまねく 諸家に禁所為しゆ討る時の口論が求につて主人の 確執に成義有。次第まつぐに申わけよと有けれは近藤小平つしんで 事のおとりは舟荷ひ長尾の家は権五郎げ政の末孫源氏のひかん とのぬ言かんにん死人友かたゝかくの仕合と申内より横田兵介信玄が 太郎は腰ぬぐけの坊主官と申。どう口聞せし歳。御免をかうふり なん念やうわたし申度こと。二人詞有のまゝにぞ。うつたへるとらかく〳〵 と打笑ひお聞なされ信言。ひくはん物がもまれを取にけるがそ れをとる事も有也武邊幾けいづによらずてるとらいさゝちじよく ときせぬがして何と覚めす。仰のことく腰ぬけの坊にへかんおろ 亀頭のくはんども弓矢の処に少もならず信玄男々心にからず 去ながら。候へかねにはきと〳〵とゐんのけなげ恐れかいこんしはる為を用い 平平やん申議不残頼が手廻りにかせたし諸書に有るましゆまし也多くば横田兵介 とやらんる辺に土使鑓一本の用に立たしてるとらに下さるまいり何がさて 進ぜいで懸る〳〵此方々を上[ヲ申テ今日よりを藤小平武田 の御家来横田兵介長尾殿の御家人ではつと左右に合に合すぐに め見への札有義有知も有てなふ武田殿文数もなき此はふとぞ 御難敷船中せばく共暫々の海上いだ御内船よりまいか。仰なく共所中の 存念しちやくと。舟のあこんの皮風さずひのぼせつ参とけて哥哥とけて。 かたゝのらんど共におりゐるせうぎのうへゐしやうの心いていひつしやうの心に しなの国村上殿より御使者とてかとゝのそれや番ひちにて 使者年比あ殿村粕尾玄蕃と五つり三荷三種の樽宮白銀 巻物てるとゝの御前にならぶれば是へ〳〵御口上承らんとぞ仰ける言 番つしんで此度将軍家よりてるの夢を御こいとやふう。年御くん こうの印御家の眉目是に過ずしさがつて御そく恋もんの姫君主 一人義法度之帯いた母共御許容なし頃一り迄縁付おその娘は に不幾の事有り涙にむかへも人なく。病やまゆまか成のみなる。親雁 の名を下すためて。為やうの事候て名尾のおびのお紙はやく茂清が 妻と定給へ世間の人をやさぎとはてると事のおさめ。入国を尋常 中迄使者を以頼の御祝度目録のことく進上目出度御度御納こひに がひ奉ると。口上もおはらぬに気はやきてるともつたとにわ北ろく道 に弓矢を臥て出ぬ書て道にかくれなき長尾狐虎をしらぬやか娘を 所望すれていやおうの候事せずげいやくも定ぬにびる舟極なり押 付て顔とはね火のかた角にてるとらが既にもたらぬ如小介持たると。 撫ひて我をあなじるか縁付かその体は不度の後野賀親門のちじよく に成とは人も頼心為御ひに我娘に不変あれば夜手を糺しどうさい。行ふ 一越後の国風恥をすぐに幾清はやと彼道中なつは生て帰すや物 持てとつく帰れ誰か有使者め引すり戻せとかみ付様成大音髪は あきゝすれ飼ふる女めいかぬ顔さすが奢の朝共覚ぬ三番 に候係るに武士多けれ共村上けぬだいの家老すへ共立番此音物出気 に入らずば其方より使者を以返女あれ此玄蕃すごく持て待て ぬとだんとすればにつくい親紀めそれとまつおせて帰せ承けると わかねのさんじゆ大小もずもはがいじめ樽さかなを物は一にあつくり せなかにおはせかけ付〳〵長国へんや房鳥たんば主の歳清く請れて。 手足を見て追出せば。無法なれば持たゆへに数めんぼく参さと置 のしがさきに立家老の身にてゐけんせぬ我非は見へぬかゞき敵 押のかひ逃すけり両家の上下とつと笑人はてるともゑつほに入 なんと武田殿甲斐越後両国にはさまれたるしなのむら上 半殿我の家風聞ならひていたさぬが扨不他江の御万。さぞ家のしだ らゝすいわやすくべしと詞の下より越後に残されし。半数をい方より に付の草の飛脚息を切て糠尾の御前にはせ付去に去るゑもんの 姫君信州す明神御さんけいぎ曰残頼と委通のれん下にてづれて □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ すと飛札を執る所に軍にひるす板垣霞が方よかびさやくのはや 打信去の御前に大息つぎ去廿二日為荷移仕行すは明神御参 らゝ越後の姫君とねての名語。御番所ゆれて行方なく。供の 高坂弾正都に罷出る趣くはし是にと指あぐる両家の飛札 飛脚の心を合せしそく両将の心をあるへは諸武士も御さびけり 一年しみこほつぞんにげかう気のてるとら筆を切り縁付おそ きなは亦不義の悪魔とと申としたる村上び次第しつたりしらぬか。ぎ や問詞にひしと申て此方則長庵の家の家の大将にも高ぬ程 の村上股に帖太刀をうたれしてるとらが一郡の墓をめんきさまじ て火のことびち。あとするゝにるややかややるしなのぢやかうべに のぼるいふりは浅間のだけかとみしがはり。信玄どうぜがれ勝頼之方 の姫はいふにたらぬわかき者女姓なれもちじよくも親と親の間に 有村上はけんくはの行付かまぬ事所詮御ぶんと信玄敵たいし人数を てうれんしなの国をいくさの切と定め雌雄を決し信州いふに 及ず越後の国をも切私か宇州をとらるゝか。其時飢をすゝん何程 のこと。勝負は貴殿と信玄がぐん忽の浅深に有べしと事もなげにの給へば アヽルねて武田殿にたいし。てるとゝが弓矢も聞えたくあむ所たゝ今より母 をあそふ歌と類新薬の横田豊介是へ来風つといふより信去もを取 一小平是へ出来りおのれはとてるとゝの家来。都方の首名物を汝はもと信 玄が家人東神の血まつりと。両方両人一度にぬに討両持つたち。 一入魂は是迄重てせんじやうたい陣の外いへんしんじんの宜ざいた アヽさすぞと提たる首をかつとなげ合いさんでわかるゝものゝの矢橋 の波の音かへて時の声とぞ三音に聞寄に聞名も山ふかきしなのぢや 岩間はこけにうづれて雲こそ雲をさそひつみねには伐木とう 〳〵とて谷の音流〻たり爰に三条徳の浪人山本物の浪人山本物 幸といふ者有効少にて父にはなれ母の撫育に長り。まなばずて 石公孫呉の兵衛に取在し其名火々と立れなく近国他国の名 より招けて頼むべき主君を撰覧意。然が跡を追合此国に頼 立をつた人となる菜の腰に草がまた。楊暫し世ほる。しべい男 の木曽のあた衣袖せばき草の妙道つたひ行爰ぞきゝやうが原 とかや物成まゆにしばよせ当国しなのは。ふく常に雲は雲はざはず やあら心得ぬけふの雲気南は鬼につぎてしほしりうげ 北は越後に隣つて鳥井がだけ。両方のやう〴〵より二物出るしら 雲の中にあたつて見だれらりさながら軍のばのことし。さつする所申 繁越後両家の修拂于たかひなし信玄金持てりとらは勇将折々 おもろの雲のたかひ。いづれが勝共まくる共に持ぬ身の気さんと なかむる空も秋の日のがゞきききせるも出し。打石の久に立けふり。浅間 をらすくらへくらばこにかねんなるり武田野勝頼思もん姫 とのかき恋路茂清にいひさぎれすは明神よりたちのき爰に迷ひ かしこにかくれ足もやぶれて血にそまるいばかやのねがざゝはゝ野路 ふく風々迄ねかと心はんにめは既に見帰り〳〵ゑもんの姫物いにはた と得あかで共急成ませとびつくりおどろくひ也勘介じろ〳〵しもめ にかけがい女子わい方の入ずの入ずのふくりづれが聞た。親の極り縁は いや。貴のならでとうなづき合。むこの人事のあつらへまち。ほつ かわるは思案の外野でも山でも此道〳〵〳道〳〵つちも思つと薬にて まんぢうはくはず共かゝがまめぢやをしやうへはんいたてとお過り。勝 頼袖を引とめすいわやうにたくず我々は。親のゆるさぬい給せの中 人めを忍ぶ者なれは。まにめなし夫なしいさらが不義にはあらねはあらねば からじやまのよこれん。此姫をうばいとらんこの敵ゆへにひやうはく せり近比わりなき事ながら夫婦をかくまひ侍させよかし武れひら かは武士となし今の恩をほうぜんと。生れ付たり大名風勘介につこと 打笑ひ我迚も胎内から栗かりでばなけれはかくになひ藤でせしは 独の母に孝のためすは奉公望程ならばおそく百貫弐百貫 の所領は胸に覚有去ながら主気すれば討死し命を撰詠恩を ほずるが是忠の道母かう〳〵迚身をかばへは禄ぬす人の不忠者 孝をたつれば忠にかけ右をろせばかね此理にせまつて 刀をやめ身は山ざると介たれ共母の舜覚のよれ顔ばせ百万貫に もかへかべきか頼むと有に身を引も孝ひゆへ頼すくなきに世迚 心うじ持給ふな此所はそのみやまとだけの尊とうゐせいばいばつれ御時 一葉をむすんでからかたとし吉凶を心見せい運ひらさめひし より。吉凶の声をきどりさらやうが原と申也爰迄落のひ給ふ 事行し求めできずいて。此かやわらを左へ行ば越後かい道此道しる べが我の寸志かゝ千まばんくはの浮世やとおうかたけてかたけて別れ行 忠孝のもの殿もべんくが玉のうもれゐて光なきこそ ぜひなくれはあつれ侍か。大将たる身の七珍万実にもかなく ほしきは父義の武士家ゑをとざりの念さよいざめおしし道給へと 〽想やふみわけて入給ふが。急度出案の念じのふべものふべしう弁 けいかぜつ中のわらくつさかさまにはきたるためし。今此草にくる跡に心を 付敵したふは勿論此しげりに伏て敵を屁より落のびんと。よもざ むくを押わくれは秋のとあら下はれて幾年上りしゐのしゝ ののつたりとふしたるかたちアこはやとゑもんの姫する給へは大じ ない〳〵。さまじいもうじうなれどつね久に害せず。疵を請ては 手負しゝの千分。さもなき中はあちから人をこめるせうとかる人を恐 れかみ眉と覚たり我も暫くかへれがとなびふすゐの萩の床草 引おほひ忍はるゝうなめで恋のならひ成村上が市等落合藤大鉄炮 引さげ。け来り。あの尾上より見たはたつた今どちへうせたと手々にたが す給へける左こりつとそ爰に足跡有尊忠ぜんと追かへり藤太おきへ てせくな者共。此かや原が物くさいみに鉄炮くれんと同先さがり打 のつきの二。三ツ玉とう〳〵〳〵〳〵。重てひゞく程に勝頼してやつた。 いで首とんと立寄寄草蝶ざば〳〵〳〵〳〵〳〵とくせを持上によつ出たる 手おひ猪八まんゆかせ人風ひ御免と逃まよふ騎頼も姫をかこひ打 物ぬいて指むかへはあれにあれたる獅子ふんじん姫をいからし身をむき。 敵も味方もしやべつならんぜれてつまきけり〳〵迄立れは岸やみはつし ころ〳〵爰の岩かげしこの合。右條左條左往ににぢりしは左右衛也とや夕 陽の山の天の枝真葉かるあつめ人の十荷を勘介が一荷にて立帰るもと の道草ふみちらし地をあぐき山をへだつる人勢のさまにひゞて書也給へ給へ給へ給へ給へ給へ給ふ 扨いぜんの若者敵に出合道たかふか。あら名見元なやと案願ひ立たる所 五瓦人を廻る猪のおびがけなき後よりゆん手の大股くはしるかけ一ふふつ たるゐぐびの力丈計を上たり。也。母介ひるまず足ふみなし。小ゐいちゝ生 かはひつぱいてぬとんせんべせ戻せ戻せ髪にたくしてもん也。二の身をかはしやり 過日をひらき四五かんなやましひゞるゝ哥ゆ余におづゝめにまかにおづゝめにまかに あばうししかへと人の血に猪の毛変で猩く皮のくしはつけしと古木にすり 付。者に当ればと落上に成下に成半時計で有けり勘介 数ヶ所戮の上右の根を突ぶぎはながらにめらくるたがふ所を取より かけ出こ共しらぬはぬぞと見へが松ばへが松がえがえがにらる手先も孝の徳の池のひより と取付早わぎは木つたふさる共いすへしゝは見上ていかんをなし木の根を まつなあらし吹立〳〵。石々砂も一まくる。土をかへすいきほひはかず給ふど也 若木の松が根次第にほれて治さ〳〵〳〵。大地へと討よりやくやく迄 取の物身の力うでに入れなぐり立たるめつた打りたれてたぢ〳〵だ宇平 首むんごとしめなんなくしを組とめたり。紛頼すやと見るよりやかけ 寄てしらのさう所を三刀四刀指つらぬ次両手を取て引なれば気つ かれて正体なしが道理〳〵いぜんの情今又しゝのののいをさけ。童々ふかゑの 一人我とは武田信玄が一千四郎勝頼義女尾でるとらが娘ゑもんのまへ村上 に妨れわりなき道路にくるむぞや親にみまさる命の親心はいにと 入給へは勘介へなくはつとは弁の数は両家の君達かや。某は山本勘成晴 幸と申者てる上らの御家臣直江山城我ために妹むとかた〳〵縁有おざり のづかなき毛珍重〳〵村上の会に片内も猶予御無条とく〳〵との 詞のて。役人引いれ落太あれのかすなとととつと来るがゝおそろふて 御太義せんどんもうくたびれもやすまつたり。松なよごしのはい さむらい。此はいあくらへと松の木取て片あし飛びつし〳〵と打 ころせばはいもいぼくだいしかうの。粥にあらぬぼうくらひはつと 一度に逃ちつたり。藤太すかさず勝頼やらぬと切かくるふにつて こるめさせぬあおばいめと。よこになぐれば二つにちざれはらわた みたれして。水さあ〳〵さきの根は切たり。国ざがひ迄おきとい はんも此あもと。ちうぼしゝきがひ。御縁もあらが又至てずいぶん 御ぶじて。そんちもぶで。ざらば〳〵と一礼のべかれて帰る物介がゝ 仁はげんとく哥はこうめいゆうはくはんにならびなきほまれは 三国忠はたかきふじをうつしてすはのふじみかりの手からは しゝにのる。それはにたん我はゆだんしゝにかけられ歟たいふぐ かへれはみち。みつればかくる。ゆみはり月やあつさゆみ引は かたあちんがちか。ちんばのこんぼんかんだのいはれは是。ひく〳〵〳〵 しゝをとめたるかんしけがほまれを。代々につたへけり 第二 けれは 頻繁として三たびかへり見るは天下の謀と也武田信玄大 僧正かち馬廻りを禁にとゞめ原五郎昌俊一人御供にて又 ふみにくり木曽山陰ふりつむ雪に道たへて山はすいしやうを植へる ことく林は白銀を粧ふに似て命もともにうつもるゝ。爰にくきは すきゐする。山本勘介晴幸が庵のどに着給ふ原臣中 に畏此寒風に御馬にもめされを足もさゝせす。どこへ御出てなせし にび浪人の広定。もし御用ばし候はゝ君の御成迄もなく。抜ら 引立参らん物を甲斐の絵書といふ恋持此大雪にかちたし。両外 など食ひめた事でもなしにきおふるゝ袖にすれば方なし何を しつゝじやうはい者び物介はしめらんでの小男ゝみけは百姓山がつ のことくにて玉ゝぬは日本の鞠のこゝのうめい綿兵にもおとらぬ ぐんしや諸方より抜けて。主人の黒童にゑりともひて奉公せず。 今信玄が軍師に頼念物介ならで日本に覚す先月両度此 庵家都に都しに花ひとてたいめんせすぜびに名さしぬと迄 ひかせし絵去が舞がへにあらず。武城そのする高成ぞ師とととひるは神 のめぐみをもむるがごとすいふん札を乱もなぎさむしてかんに成ざくは ふもとへさがつて誰かれ無風様者めとやりこめられ是程のゆきに なんの事と雪に両給へふみ込で。さんにあたつてゐる御なぼねの 印やら。今年の雪はあといふ口びるもむるもむしさき立遠の根も合ぬ さむさみ内にもつもり。頭の雪主の老母とおぼしくて。折て。折て。おばしくて。折 言ふかくすほる顔も。せんじ茶のはながもしぶり聞なりされし けふこそは志おふせたりゝ戸何に立つじながら山中山御公の名をした ひ。先月両度まいりしかは御他行直に申談たゝ此大名をふくしる。 加う出此田信玄の丸沢頼なると南をつゝしみの給へばが武田信玄とは 聞及ふさよふな。是ひへてこに火のりとを得はなれぬ気があたそこゐ てと手枕なでめいしら残るば御座候戸をひき命へ起もなをぬ を母のてい原五郎くへつと世の上大和人風あるにはあいさつゝ有物焼も あらぬねむしでもかぶりか。此電気てす。目でもおとつたるとれ其 すんての虫ひねりころこて本ぶくさせんと立んするを信去はたと ねめ付。あぐたより呼る我にもあるを押へけて年からは。しぎは此方 不備義者すさりおろふ夫より付聞く及び給はん越後の宮長尾 てりとらと。しさい有て鉾楯の中と成。此信頭をせんじやうにて近々に 輝とらと射陣す。おしかな勘介きさいのさいちをむなし迄林さくちは て金残念の粉我浄礼と成三軍をつさどるさうせんのちうをた 同 すけ給はゝ百万のしそつよまさり。絶言が大げい是にこず万平もめ やすく持は楽加たく三たび是迄あゆみはこばこばこん。なひとへ に頼なるとしていの乳はこまやかに住頭平身手をふかね世にしみ〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵としていれはこまやかに住頭義とまやかに住やかに住頭 のべ給へ愛母親もあらず歯のぬけたるを明かく〳〵〳〵〳〵〳〵と相笑ひを 物ずれな信玄殿門のみちのむすこはおさない時より山家すまの。野 がひの手の手綱はとれどかけくら上度腰かけすだき木の枝はきれ共 人ゆび一本。いついにりたためしもならへぢんでを将ならず。片めはんだ で見り」壺不自由せいちいそふて棚な物おろする間にたらぬ山本 勘介いときの大将とはく此国の大心しゆかかゝ人たいといふてくればあへ くしませぬ其ゐのお本なるはやふゆるがお手ばかねべる事やいろり にふみ出すすね物原五郎殿まるね。度申さぬ事か。こゝにたる浪 人のゝ世官の外諸仏法しらぬばめがねならしれたゝ尋有さん とするを信玄父に向付。主人の思ひ給ふと聞及ふ諸玄其器量 なくれと思ひかけし一念日の光が月にかは今日が明日明日が明後に 成とり主泣していのけいやくいたさぬ其内は。信士がうば びまずと座をしめておはします賢者をもとむり其数のつかひぞ たへひなれば母親あり扨多聞わけないしつい五万と程に思召ざはこと にかつてやめを奉公に参らせん言ながら。鐘は祐木に楽をくす。藤は 小池にすまずといふ。斯物のかへんと思めしからば。此方も主人の御思量 をゑらはねばならぬ。信玄公のこんには。成心を以て興を用ひ給ふ ぞやぐんゑ程いに〳〵と筆を打ていひければ。心得たりとつ立ぎの下に たれとて。ほのけて乗水枝を押折〳〵。き給へ烈をもへ上り。 茶食にたざるひ。だまの音と及よするとく也。信玄があり事 半代通りゆびさし給へば母横手をはたと打あづれ大将候よ某 能制をせいし弱よく臓をせいすへはうせきうが三日を得給ひと頼もし。 是は哥子の内にも正のんじゆつ。扨心をもつてすもちぼうはいかにう又 問かくれ。心得たり外面に出音間にゐたる村とめ。羽取て手抜 立帰り。かにそ母我手のことにすめ有生たるかしたるか。いふて見る よとの給へは。こにあつれきたいのはり。ねが生たりまさ日の 内にてにざりまつて見せ給はん又しだり申さぞのかねらきては なさるへ是敵によりて転化しとちもはまぬ両金のはりそんだ のごさ入名持なし。子勘介が主とおいは絵玄とゆゑんてんて一 いて御めみへ申させんと一間に入れば信言はややうの事の事得しとく。 夜にさうゐて扨もきついそめしやしやよ否をまいてぞ見にける程 なく貝より。女は物介御め見へたそ御も次と呼はつゝ所おどしのあげ のよろひ候つてしめへる上帯く二重くきりの手をね当といひ 頭の思ぬる児ゐくびにしなす片足のちばいちが〳〵かんぐりそろくりたく ほへの山本勘介はるよ。御め見へと畏る我原五郎我原五郎まこと申者。 丸を付に人おとも出ゑにしおふくるよし殿。御心見への事なふてはなふまじ 〽太刀か鑓が扨は立見かいさまさすお相手と引立り腰のかろ〳〵〳〵〳〵 おもき六具にさいをつられかんと臥て臥て立てねば。よつひをさへ 其外病難波聞たうめがまはふ方にのろにのろし有ねみじにかん楠にのれ 勘介と太明てぞ舞ひけるなふきのみ思ひ玉ひ玉ひては此たび 一潔かいれし疵養生ふ身つれにてとこねの坊にとやうぢいたし たゞ今内に有合せず。王清の御いやく留主と申とも恐れ有此よつ ひぶと義に姑やくきその。ふの出しゐ。甚しゐさへあり。又あすめ ば何介も同然と。母がげいやく詞たへぬ印には。先此よろひかふとを 参たる物故母とな思召れそと御前につくば人京五ぐつ共いかず大 将信去御悦ひはなはだかん帝命に主後三世のちざりあんとの しよりやう三百くんなぞんにつたふるほみやの道なん。むとあり けれはそつくかうべをたゝとにすり付。及だいやくの物名からおもをもふけし事。 誠に一かんのかめのふほゝばや武士は何時はれ〳〵しきしゆつぢれしゆつし く有ふと。この打ゆ衣小袖是御いんぜと御いんぜとやぶれつが にたらせほろざぬ小ばたぢんばおり。うでもとはさぬきぬ〳〵になを思ふ 親のつまつちをあせてその身が物すけになりかけになうこたへ 親もおやなり子々子なり原五郎つなんで泣きもしさりに日も かたむく。はや〳〵御立とぬもとにむかひ。おきまいれと呼れば。 おもちお小せうやりなぎなさ。めし鳥引馬風ににいはへて引立たり。 とてもの事に物介々御供申させんと思いで指出すとつくいじら 王位かための金かふと御生に取ておしひでき清漬につりせしたい こうばう。同車にのせしみどをまなび勘すけも鳥上にと のかへのくらつぼに。かぶとをとつてあのするごだへはかた忍びのを むすふいほりをたつしら。天にもある心地していさんてかうふへ二至 儲 ゑもん姫道行 雪をふんでは花とおしむそはげのたに有もしやかなせ さはにき木からしの山風にちる木の葉こ延手製 やらんとねをのみ見にまちのかくふくゑさ行中の便なる 身の便には身に引といめしたび衣窓やうこにゑかせと。生れ 付たるゑも姫女心のほば道も後つかしは勝頼の親く捧げ 四人づれうさもつさも世の外の外の跡にもぎらやに京東 筆にもなれぬれなれはいづきさへおしまるゝめれなく御らんを勝 頼の恩の御衛を尋ね二つくれたる本金の音相頼兼 れて余所のやもめに恥になはつゝとやすいたりとれて行 身にひて数声なれ。あなしかせ山々の鳥根〳〵を見上れ雲の 波立すは海国領もあるあるにありつて 大なのちやあまがたいとつゝねけるだのふるゝ我といふるには 〽あふしがしかしをして 及はふしのたちのはたへに花れ身に音の音の音の音かた にすぬひの金しやの千鳥もやうちもやもちに 風そよ〳〵そよぐ。松の蝶のよなせばい気をもちやんなおろ ひばせを禁の気をもちやれとよしつしんきつとのうら もどせひろひばせを葉の世策と。哥てきのふあけ てけふくれてはあすの月日共頼よひも思ち忘皆古 さとゝなしはてゝおながきもの人心こしにとば。もふ坂これい がゝとふゆがれたり。まみへそめし花の頃が夏の雨あし はやうかたみ”しれけ風におきはぎすゝきぼに〳〵いてさ ざらぬけば。まづりすむし。くつは虫。何もまじりて。こゝり〳〵 其のち。五げさ秋もゐに。とぼりあつく我袖は玉ひまけの 八日からをしれあらをせて 合かくくれあひをつからす春人あれ共里の名はとくれを いはすくしとらぬ。三つ辺のがねのやみ。しのをつく成ふきふに あまくはもたす宿はなし。のべにいぶせきあつまへもむ かしのたまのうてなかとだちよりやすひける 直四大和之介時ゑびめ君見へさせ給はぬゆへ。主君てるとらの 御いいいとほりけて山城へもてふせ。本国へも立帰らすもしやと みかは遠江。尋る甲斐のくまたなき月の入よ給ふるゑにからせのみの 笠身にまとひ。ぬさすゝしらぬ三つみ山上恩さしが 鍬はつけりとまりは遠し故露しのしのゞ木陰もがなと爰はしかし 見てこりや何じや。迚たくつきやうし木ちん入らずの上宿迄 ぐりつたる柿の御旅人と見へ侍の同じよの笠引ふもふもふみの はたが高びきかせ又は蘓我にかはぬうきたび人相あめんと 足押やつて腰打つけ。扨々あるゝ間はてるるるははる水やます。 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 瓦も行程づれも出火しのみたゝかちういふてぬとんとんなが御 の内の義迄の酒きよひさが給ひやうたん也。我がだめのよきやとんと。腰 に付たる水のみにたぶくと一ツ請一草の食一瓢の飲これ顔田がたのしみと。 一ひき一おみのんだりたのみ酒そばに臥たる侍をもくししざりからを 持上相省へしきもなくけなからするふ用者ぬすんできやにはな明 せんとさぐりつたり手違ひやうにんたいたん者日々口へ刻のもとの 所にそつゝ置くらね入て臥たりは出にても又のぶとこゝに とほたまぬ〳〵〳〵。身のきへもこと取あくるひやれんのひよつりか ろきはふしんながらつぎらへれはしづくもなしこりやどにしやぼれたかもつ たか吸ふてとらんとなで迄の旅人の息の如くさらが扨はいつと残べ至 てしすりやつ。すゞぬす人は音にて顕れ。渇ぬす人かざてしるがくし てもかさせぬ。此ひやうさんのまかせいやといへば首がとぶ鬼音次第 まごつと。刀に手をかけつめかへる。ちさきをかい〳〵とやにましい。んさま をかへせとは法をしらぬ侍殿酒戻はせぬ物ならは二つにて見よとどう をすゑたる詞のはし。大和そ介聞書がめ。さいふみうのは武田の旨に高ざか であさる也我名をしりし御色はいかに。長屋のしつはんと江大心とに大 和殿高坂殿是は〳〵とねを取きくらかりまされあぶしい事。ひよそく さい珍重く言勝頼公の御ざい所さればて東山道を以がけ四今日の てもんにおゐて引来なれて左くおやさるへさり付たり御牛成共一旦 縁をさらせぬ方引にけおぼし帰るは腹を切ても事済するこの御 たるよにて御身を失ひ給はんといふかさも先立本寺がせらせると 一東のうを語合落渡すりこそ道理なれ勝頼夫殿も此辻たゞ宵より 臥ておいせしが扨は高坂大火や介我々ゆへいくらうのたひ。あちゝ縁をきらせん との詞につく指おとろき息をつめても忍はるゝ。周屋重て今日暮 まへ半改まひをなし時。百姓元が通さくれ鬼人越後雄類にて近々 いくきの角迄とかたるも有。又両家の名を立もとのおとりは村 上度御信意もてるとも先手合せのたかひに義清をせめ給ふ者あり〳〵 のふもふん。いつれにもせよ中撰がたく一先国人帰るかた。慥なさたにれす つづす薬とても慥にしつふは聞年共夜明に方本国へ罷主人の主人と有人 の軍に治走すれ此辺共敵味方。だいんも今宵計もふ何時で八つか 七つかまも帯にむ。あれ〳〵南の風に雲ちきれぐつと云は月日の雪は月日の雪は月日の春 角ならずぶれしと見る内に巻をこかせる黄の光とん〳〵〳〵せめたいこと 風になれたる時の声今をつきぬく計也。右つ立聞にちかす両様 のいくさと覚ゆりぞ。あんんと見る所でなし尋り主人は行方しれず あありと手ふりて国へは帰れまい給ふ通主君と主君と主君のこゝかひ ない爰は御ふんと我せんやうとい両人村はたし度坂か首をみやけにするか。 時徳が首をみなげにやり。此人に分別なしもたでせ給ふといひければ。 はやまりな時渡。さす歌の義清を指置武男長屋のかやんとはいふ おしし。あの火の手は村上か小室の城のしゆん道類の為を討り夜草 と覚る両人の首よりも村上が首取てみやけするが進道にぞね〳〵 本道は廻りをしすくにうて五里余り。くさ果てはせんない事。いさゆく まいかむて。しとくうつな時の綱まつせくらいそだ坂鳥坂かてんしやアト こい女つと。ふんだり給へはあんの二巻ふがごとくにかげてひ。跡にはぬ女よん ほと身上やみたるかどち後や有て勝頼病は少いゆるよりおとり。 孝は少女よりおとりとうしつと胸に思ひしり。我あいぢやくに親々を しゆるに道引不孝の太やくあれ見よりゆへさいりしんゐの兵火 勝頼程の者辺に迷ひ民百姓のくるしを。念所に見んも本迄 なす爰にとひ目はなら共月日は父の両罪文とはいへとはかせんなくざは いもせのたひは天のせういん悲ろく我を見てせざるはさみなしこれより 夫婦引けれ金もつとし菊恋の槌をあたむれば孝も立義も立義も立義も立義も立義も立義と 此之中御 互に心残れ共身もでるとらの娘りり心の詞無用ぞともなくいへど め涙泣くつおれておもん姫ぜつなき衣を義に入てそはれぬとの 一御詞と有也去ながら親とのまひやく村上とのくさやり誰がなし て誰がしる。父の軍に極くば。成程そふまひ思ひ思ひ思ひやすいだちの 上平の名打くけだん有まい物でもなしぞふかそはぬか縁を切かさら ぬがざかひは夜ぬてしる事。それ迄かはらぬめことなんど不孝に 成迚く半時や時のめかりない何なしにやつると互にあく程奇 合ふてかたざせてといだき付。て時々時おるもおもそれんじごくとつき となせ給へ見付。あなさへのけはなくしさひ。もつるも袖にひかるゝいみ れんもれんほのやみばいをでゝすれたるもいぜのごとなと成 国家でに吾人の一天深落来る村上茂治氏由長屋の両屋の両ぜい 女二無三に切立れば太刀もかぶとも考へ身にそふ物はたきじ一人 こけつのめつどろかふれ命からくれいびて。ためいきをはつきを 口をし任玄てるとらにたせが鶴幟のたかひにて両国をつか まんと。日頃のたゝみべからるもちかび。かへつてきつに夜討せられ家来を 討せ城をぬかれ。お少〳〵ながらふるも食物だね。此ちしよを見へすへの けいし能聞信玄が領分海辺なれなれば遠州志の浦にて諸人 の娘をうるほす。我家の民直にはねてしゆへん所得ん。勢にもを つね頼命の手をとむる物ないかへて飛出はたらはたるむし 信玄坊にめしてやればてるとら討は手間入候三にを押領し恋の敵勝頼 めざがし出てで〳〵きか思もんのまへをぬつくるとだいて参り何と 正案は有物物かけんかたる後此部をかけ給札是により給猶是によしやらせ給ふれ 丸をた度のこに二度の糀なくる刀に作来が首とぶよりやく村上義清 はふ人のれ落らせたり何国迄もとかけび袂にすかり付。猶勘なびらかみ い殺さふときななり。ひくらぬに思のおほけかめてばをなり何とわたしがまんと か今宵の夜は歳清たいぢに杉也に能也。嬉しゆどにかよといせ妖行のかへらさる酒付 またといくろしも又あらしまりたいとして出火さん数子の袂にさて勝 顔持たる力がはく挟引れみて又と父との軍人がままの別れそこれぞ。乱れて立 さはゞ姫もどろおろ〳〵声。砂のそうではきまいはなれとなく付まと心と心合 にち〳〵と今のほふ梅か程の日の色くきだにわらねのひ上り飛んのひ上り飛も さるごちし心のやみのくろみ山夫かめがればづいて。の下は下に見せ共てん くきしんのやみ。花のいろも見へされに色日はぬ時よ〳〵あくをおらむなし まぬから。いに男なのやあんとな思ひ切夜婦はたの事也故の軍に恐れぞふなら ぬ身の上に夜明こととりもなく。命をふか夜をふかね。おこびに。出てさるな 夜と妙なとわつとけひ哉まろひ数につきしの心方達をやくの薬海の東海の時に 陽畑睦みとたなびい渡り春の句遊女子のあれも父田親子なたにこ る所はたの後縁切桐のまかし三歳の割れは長尾のものかひてなさ の思ひつめしためらまつびに出る日の昼八色むかそらて去の紋妹の及妹也中に 海の少々之惣而不申由夫婦が間も武子を為申候事となる故に相成候事に候 第三 藁土龍を好て書刊めて真の天龍を見て魂を失ふ 是龍をこのむにあらず然に似て龍にあらざる物をこのむ といはん将の賢女をこのむ賢に似て実にあらす少気才 賢明されそん梵尾信玄と初度の合戦に勝利をうし なひ下城にせいを引入しめんを引心城の守美綱主稽財 たき宇佐美なしと士大将古あああめ度のいくき味方三万の人数 を以武田が壱万二千にかけ崩され無念の敗北とつわいにてや。 日比危き勝をぬぬ信玄朝霧のまされに大川を渡切所の 細道より我旗本の後へ押廻し無二無三にかけ数しふりみやくの覧さ 倍玄が胸中より出べからずい成軍師歌に但しなり奇計をなしける ぞぼら聞をやしゆつと眉毛さか立眼に角以の外の外の機嫌也 本籍柿崎詞をそろへ我々も其身間者を以て競すへ心本 勘介晴幸も浪人を召招遣なへ陣凡士卒のけ引一向勘介か 下知はると申もあへ給へぬにかり音に聞物なり すろした成どの身にてなぜなぜ我にはすめすめす何と喰ひして都には とられ信玄が千石へれば一千石三千石やうば六千石残者ならは我 壱万石らへれんと物我家を見かざりしか低此てるよらふ主に不 足成か所存あらばいへ聞凡顔色せいて見にけり直江少ておとろかす 御迄なく共申上んとなる所尤おれはれかれはし候へ共勘介には何迄対面 いたさす。在郷に引こみすきくは取て月だかや秋の日雨の月にもふき たきぞを荷ふてたろの花を友とし。世をまつらす旅をむさぼらず。 天命をたのゝみ義をかたくまもり一越後半国候はる丹伝を力に 知行をかり物頭ならず憚なら君御たんもよかうかんにて人にて人にて人き功 事御さひ世の中八分にもくだし思ふ外に行さへやらば。はんへはい者良でも抱 て見せんとの思召とは大さに相違今度武田方に成候たるはに従信言が 上手を尽して枯たるに敵なし参りけるに残念然をよりし。斯たれ気を しつめ不念をおさゆり。合思ならば。みつしに申上へと思事なら申て さものてるとらずにやく〳〵〳〵なつさ。屋敷をさつらん渡せ。やまねり 嫌物大将残す御前を立げけりてかともとをやかげ給ひ是実の是実有 一虎を親しせてもたつとふは古の頃も物殿を奉公せしがら矢八まん脚をもせ てもかんにんする。おとがお茶は何と〳〵。さん候物ににて父にて父にしらん七十 に余りを母に孝いふて。四孝の追加ときに乗かう〳〵者父母をな びげん平女九方よりひかひを立させ候と申所に直江上書のから衣や身 楽指主びなふ山城殿母の先祖父若父惣介殿のすじめる同道 さしつの通すぐに御城へ乗物入させおそれたいすの間にやませし置と 聞よりてかとら出来たくづぶさに聞たし是へ〳〵御免有近ふきいれと 呼出し辛母はねよられしかきけん能と登れ永治人のしんくにや 腰は二重つふりは雪丁でもふけて見へなら行奉作法は昔にかはらず我也 介殿の御かじ不残様にも始てあびしが三しやなけ京破御一の蔵は 口に吃て物いふ事を恥しかり。請犬答は皆さき其人人の上の上の上の上の上の輩の筆に くかれぬかゑな時はいふ事にふ事にふしを身おほにのせうたへいかいのてやいにも ごりどにいてるゝるもとみの物語其手のみ多き又太夫の 秋にしめにもすくない程の器用人なりかなをしんぜたいとなれば 直ににん〳〵ずいふん母のきけれをも。いづまてもとうりう有やう にもてなせざぞらよいのくたびれ是へ請此御座所にならも程 ひかぬと我障子のげにて番の罪をはかひしゆびを見合たいめん せんと言後もなひ入にけりおりし其床のをまと焼すゞがれうしも褒 になふと衣らまのらんかんだ手をかけ山本物介殿のうしの母御前 つれまし是お通り山本殿勘介殿のがり。母のとしやうにいの髪 聞ゆれば音にし〳〵塒を出し世の尋子にあふとぞ世の人のとふ義は 子な鳥吉をもりさんおとなしなしなふら衣此越後は勘介が主君信玄公 のて人の国ぞもの夫はてきの御家老者七所へ此はゝが来り義理はなけ れ共此世の名残に母の顔見たとのふみの里の里代々始名しさむかひと打 つれこんせつとらぬ嫁を力に下女もつれぬ此有様此有様 このゝ母よ内義よと髪鳥にいはぬ事が言いとやせんとやせんと云 手を取て。すぐに是へと請ぜられ嫁のお勝がたべし。又持かたな ひざに引かせおめずばうてぬ白じよゐん繍したるしとねの う人職とそなはつて見えにけり。衣をゝきよつて。お札申はお綿の私が かう〳〵をおひとりにふかけ。しよりのおきふし朝夕の御かいはこの たびの道中雨につけ風につけ。山よ川よさぞおもんづくし。詞には 申つくされずといひかける程精たゞあい〳〵と思ふ計をあひて にて。すゞり引よせあかむ顔の穂もみぢ。木の葉の肉まさら〳〵 〳〵。世尊寺やうのはしかきかみ手のくせによめやすき今衣取上 〳〵是は忝い。お峯の通あねと成共妹と妹と成共。兄弟とおほし召 お心へざてと頼ます。頼ます。此御しゆせきこの存ぜぬながらみ事〳〵。 此筆ふんどかぞかきたい事やと。くる〳〵まいて袖におさむるうし ろかり。直郷しやうぞくあため狂人のあつのふく一重々。たにかけて立出 しきたいふく拙者直に山城の守実綱於国本国本へ罷越親子の札義 申上べき所女共より掟を参らせ遠路御光駕祝君是に過す山本 氏の御内室にもよくぞ〳〵御同道へお心やすく御とうりう有 やうに。わざと御馳走は申さず。したがつて此小袖は。将ぐんにてるこの お召。二引いしやうの御紋付主人てるともへいしやういたされ一両度ぢやく せられし計。当国はかんてうたゝねのそに置給はゞ。てるとらも ま立たるべしと指出せば。おれなおり莞命と思ひ。アヽ数ならぬ此ばゝが 来る事てるす公のお耳へ入しよの扨は爰はむこ殿のやきかと思へは。御 主人の本丸のかシテ此小袖をばゝに者よとかり御念の入た事や何母の扨も。 けつゝな狂文のあやといふ物か。さず将ぐんのお召れう。去ながらでる とら殿が一両度も着給ふと有かはてるとらの古君此ばゝは此年迄 人の古着もらふて着た事がないなふいやゝいま〳〵しいと。詞にあやも つやもなく。ごふくも色をうしなべ。いや申。ぬごにあせとは御あいさつと 是は男もや。勘介介殿のみやげになされよとの心ざし。いや〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵のみや。 田信玄といふ主持て何くらぬ勘助成。すげには越後のめいやつさ けのしほ川ふかさの道には木曽川あゆのしらぼし。しなの梅の梅ぶし。 しはのよつた此顔のぶじを見せるがはやげじやヲやかましやむこ殿御 めんと思ふみのばしひぢ枕直江も立に立はなく勝手にむかひ手を たゝにぞゑれたそ参れ。御時分がよしりやうり〳〵何ともおそなはり。 りやうり人めざつと申付んと。りやよりを其座のしほにて母のき げんのあんばいかげん玉ひ〳〵立にける。程なく御勝手よしとほのめ き。本ぜんのかけぜんに色々の魚鳥。好物のやさい美味をとゝのへ はいぜんの伝ひたれつくろひさほうたゞしきたゞしざはり。御ぜん召 上けるべしとゑほし八ふんに指上でこそひくければ主くん てりとらる。はつとおどろき是はおそれめうがないといはれらせしがしさいこ そ有らぬと。なふ母の御ぜん〳〵といふ故におきなをり座をくめば官 飢ふうのすり是にてぜんのすゑぶりやまひふかく。かよひの庭に手 をつき辺国の義御馳走も心計。召上られ下さるべしとぞ仰 けり。是母原しやくしボッきや心がましいきやうおう。殊にきやさんな 神前に御くうそなゆる様に思ほしひまれのはいぜんは。きんじゆ衆 かとざましゆか。つね〴〵女ご共にさうしさする此ばし。歯はぬける口 もかはく。ゐんざんなきうじではきわつでたべにくい。勝手へたつて きそゝめされから衣かはれやと有ければ。いやじきはかへいてめいわく。 子息山本勘成殿。ゆまといひ替といひ。くずの木正しげがさい らい共いつくべき弓取。おしいかな武田信玄に奉公とは玉をどつ になげ打きりんをつないで犬とするごとし。かゝる英雄の御老母 直江山城内縁を以ふしきの御出二国にうどんげのさいたるよろ こひ。今日より我も母と頼子と成しるしのさつきて違いたいの望。 〽かう申は忠津だん正の少弼てるとかう〳〵姫のきうしはいぜんと ゑ月をたみに付給へ嫁も嫁も娘もはつとひ覚すかゝちをさげに けり。せぬひざを立なをしげ〳〵と高思ひ。けが思いにこれぼづらい 事を見聞よな。かまくらの海にはしゝの角で鰹つり。せちがのふち には麦飯でこゐを釣と聞しが。越後の国には老さらぼひし此ばを 余にて。山本勘介をつりよせんとは恋しや〳〵をよそ大将は 天よりけたる明命をかへり。正直しぜんの矩規をとづさねば 天の時地の理にかなひ諸卒是に知つゐには誠勝利を 得る惣て物にぎうおうおう有此ばゝがきうしにはこしもとめのわらはが てうどとうおう鶏をさくになんぞ牛の刀を用んとはせいじんのい ましめ人をたらす侍表裏けふのふるまひに顕れ本心まがつた 釣ばるに。釣らるゝ物介ではおしやうしませぬにいの此ぜんぶに手をも かけては忠に成てるとら殿とてきたいの勘介が母。敵の恩を請ては 我子のほとさきにたるみが付義もなくぼうもなき此ぜん何に せんとすんど立てかけでんぐはしりとけかへせばぜんやみだれてひつたひ くてれ。ひだに味噌しるふちをなし魚よりおどろく嫁娘はアゝアと きらしやしてあされぬる。府よのてるとゝくはつくせき上につくい しにぞこなひ小袖をくるればふるぎなどゝさみし。おわつた人天手 将ぐんにもきうしいたさぬてるとらがすへたるぜんをすねにかけて ふみちらすぞんざぬ人同然と思然と思合かんにんならず。しは首はねんと 裏代の小豆只光二尺五寸に手をかけ給ふを直に山城とんて出御手に すがれば。から衣母に取付および〳〵と心をもむかむ何の侘取むこの主人 手のかひもせず侘もせぬ手にかゝらん〳〵と刀かへ込立たるきせい アヽ其喉とめんはなせ直江。是々々すねをもたせてもかんにるとの 御せいごんは何と礼義は裏とせいても。身をふかはて無念の涙中に よろ〳〵あによめがへせくねの口まはらず。おがんて廻りつ立つ給つせんかた なく〳〵成片手に琴引よせ柱を律にしらべかへひかし給へその身の 力にたらぬともりのかたも者を頼に預けしは我妻領りはしうとめ かひなく爰に挽草の路よりもろき命をやむなしくかれしはゝ木 を。むしやのふりとなし薬。ひよりすこ〳〵。帰るさはひろひしこへの供を して妻に行とたらんかばりには我命母かけたび給へおじひぞや お精とわつとさけび引挟の琴に身をなをなげふししむ。鬼をあざ むゝでかども表に心のためむを見て直江迄凡ツヽ御免有ぞ女共 母をいとなひ我たちへ〳〵を有ざしと一礼に出勝が嬉さ物いひ たげめをふる計是もつかすおどりし又情の花の申御所桜枝は急く ゑつちりな。ゑつちりなりな。ゑつちり越後の御はんしやうといはひ。 いさみて風をおくり。上にの爰にておのが時しかて是より北 の古さとと。したひてこそは帰る雁。まで老の身の身のあ すまると。ごらへせいなれと母の心といふんなくさめとゞめとめよと給ふ 御家老のしりめごせ家中おもんじ毎日のそ物四季草木の つくかき屏風かけ物かしよ物語あゆひはさへづる籠のとか〳〵貝 玄関の取次に所せず迄つみかさね高田の心ねがひらうにて 女房世の外さばき表使の子物帳筆をさしおく隙はなし時に しなのとかひの番所よりや使とうらし今朝みめい右の目は将 左の色珍敬の侍御せき所を通り候ゆへ何方よりいかたへゆく 人と名を尋候へは里事故山本勘介といふ者。御家老直江山城殿 の御ないせうへ行と申代の人雨を出さかひに残し通れし也格 道よりさへさつて先おしらせと申置てぞ帰り候つほね手を打 是めでたい山本勘殿様とはおさやく人様の御惣領行貞さまの いん御様申上たらざぞお悦び其間に似しゆお座敷きれにさう ぢしやといひ付奥に入ければにざうとんとの秋はゝきしゆ るとにていつのごふつ立さずなふお大しつてか。助殿様はおくにござる お勝りのおつれあひ。かくれりないぐんほうしやとうの武士なれど。 片目かんだにちんばじやげな。ごちらは吃なんと思やり。お座候おしむつ ごとが不自由には有まいかゞなんのいのともりで物がいれいでもん じんの時はかぶん〳〵てすむ事。男はきてんでかんぐはおろかま 方にぬしんのやみにも。夜いくさのはやわざは手ばしかい。一番いり にぬけめはないとぞ失ひ有上だい所につほねが故おくほお城へ おあり。板の間へお朱物まはしつ。お供のしゆとざめき表門ひら 〳〵音て高田のつぼね立出是いつれも。上将のげさよりお城 におはめなさるゝ。御さうだんの事にて貝ぬも今御登城御ふう ふ御城よりおさがりなき中。勘介様出出なさるゝ共。なす〳〵かこれ お残さまへけんさたなし此所でおちや上げくはしなどて御馳走いたせ との給也といふ所に。山本勘殿様御出と。小取次の様子か案内に て旅しやうそくの立付にひさはねちれてちんがちか。たちんに右 かんたが雪おれ松に少し一ッ螺としに見ゆる万ふり座敷になをれば 女房をふつこと吹出をおかしさをきらしておいへゆへ笑ひに立 も有。御ちや小姓がくつ〳〵〳〵手をふるはてちやはんのたい。ほれた ゆたふ弐人油鏡を久り見ぬ大丈夫笑ふくそしるも何共なく そちはつぼねが山城殿の中内室々衣に身が来た通とり江 頼むと有ければ。が公用に付夫婦共に走ぬ大に立城よりさがられす 先此所で御き身くそれ御たえこぼんおへし〳〵とあいし給ふけく公 もならば帰りの程もしれまし山州さまに用はおりない老母の気 色以の外との役におとろき。夜を日についで罷越はやく母の 顔見たし案内頼むし。死通りとすいや申出袋のはだんと 御さげいよく。爰元へ御越なされてよりくしやめ一。あそはさすに家中 の有てはやし毎日花の鳥のと数々のおなぐさみといふ程きづかひ じからは女房かつにあひ申そ。いやおぼ御きげん給ふおきげんに春の おそばに延付御受職おきかりに而も有ましそれおふろいそがしや 〽おおやすみなさるためお枕上ましやじやぼんに丸かつなんだおなぐさみに 御酒上ましかどのを立て入れは屋敷にはきやく人能ほんとて 手転わるく。心得ぬやしきいてい母の大物千死一しやしやう の命もしれずと。女共が。しむつのふみ見るよりせんごわすかへ ずかけ身に病人有てい先らず母は一だんきけんよし迚女共 にもあぜす。殊に公用に付た城が夫婦づれにて城へあがる とはでるとゝ程の大将が女まじりに国の志おき軍評従な でも有まし是ぞふしんの第一字一ツヽ今気かついた母をおける にかけて此勘成を味方に柏とり談合かゞみにかけたるとし血を わげし妹なれ共夫を持てはまへのため主の為を思ふかく衣めは尤 しこゝ大たけは女房の才りめてがとらのちりやにてま〳〵 袖々し君中そんさやするに心さゞれ山城にたらしこまれ そく才成母をばんしかきりとのふみを以我をつり 国の袋へ入れしよなごよくはい千方一おうもさいおうも念入はつ の事。母の半顔ま一度見たしおがみたしと思ふより外他念を申 なひ少〳〵とふみ出し勘介二生のそみつ後代の笑ひ草いへ〳〵〳〵 片肉もとゞまる所でなし母をはひ外立のびてはなあかせんと 立あり。見やれば奥に間数もおほく案内しず門を出て後 の塀をや乗へき申代人の難所我へるのてついか音ひ鳥 こへ心の山坂ぢんは馬行門やつ山茶取中たがしらせてや。 女房お勝走出づゝウこうと計に取付所を物をもいず後さま にさとつきのけかけ出る又引しとめて。ナミヤならんなんといふ よつたへてごさつたるこそ此ね〳〵。こなさのヨリによん外勝か頭か頭ヲ かや来たからは気もちやつちやかな。やんて。は。はゞ。ツはあ ちやまつれてぬけて帰りぬけて戻ると心はいへど詞には。 と ぬ〳〵ぬんと計にて涙は声にさきたてか。しだも廻らぬ おまひから何とうつたへ来たとは三がいたつたつた二人の母今を かきもといふ文に。ころたゆるが不思義か夫のこのたゆるふみかきしは 何ものに頼れたといへ共爰に頼れたといへ共更に覚えからめし けに。夫の顔にゆびさし。ウうそはいのうぞはいのと泣しつむ。うそかまか 其ふみ爰にへはい下せりおのれがしゆせき是見よとなげ出せば さつと披見れは我しゆせき刀になしやアツ此手がくさろ かきはせね共筆〳〵アッ筆はわたしが筆とくり返し〳〵よく〳〵〳〵〳〵〳〵よく〳〵 見てツヽはでない〳〵〽アニヽいせた似せくさつく似せおつたやつ せんさくしていけておぬと兵入をこるやまてうつけ者せん さくと誰をせんさく。くはれいいせらるゝ。おのれがあやまり物を 似せるに手本がなしていせしるか。惣〳〵歌の国へ入内は奉動 にも有気を付。言半句の詞をもつゝしみ油行せぬこそ 男も女も武士の心がけもろこししよくの軍畠が古事なと。 つね〳〵に聞ならうか〳〵とかきちすゆへにいせられ諸でせん とゝ恨いふ様砂の恥[ケ]無念や一生敵のけいとやく心のせられ ぬはるよし。母といふじに心くも敵国へふみ返しは。おづれが筆さき ふくをとらせしそれでも山本物介が女房とばし思ふとがはとけ つけつことにむ御目の光月日とほしの三光の一度にさ すと身にさわつとさけび入りけび入り浅まきは アヽ国をはなれてけふの日迄□□夢にも□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ どてはなくれ共さすかヲンヲン女ごど〽せしせん茶の夕暮雨の夜 のつにつれ〳〵度々に焚にてひかれど筆されの物語にボウ ほうを誰かひあろひあつめて手本とはナミなし。ぞや第七 〽年さきのふがくはいかん天月めに小さんしといへのさぎに舌ちより ケツヽ生れもつかぬどもりと成アツ筆を言にて物いひ。ヲウヤ 思へば身の敵是がなをり物ならば。イヽヽ口よきを切さきにした のねをよつ引出てもせめてしにさまにそだの六字の心がう をてとまゝまん〳〵にしみとなへて忌にたいとかさくどき 身をくやみまはらぬ吉にせきけ〳〵くかけてどもかぬ物は 涙也かだわをくやむ身につまされ天きをあざむしふ びんいやまし涙へみ先年の小さんかりどもりとてそれぞ大命 誰をからみん我もゐのしらの難よろさいふくに成たれと。 ちゝまに恨なく玉しゐはもとの勘介。おこともどもるをやせす。 始の性根をしつとすゑ成はるよが妻ならは勝手はしゆり 魚に入母にしらせぬすみ出せ我は表のへいを乗やを 〳〵とのくべざがおこと行とソウヽツそれではみなさの。ヨン 女ぼり。おんでもない事七生迄も女房〳〵。おゝ申候 かしこまつことかけ。今のかく〳〵はせいのかゝの本也。予 心やすしかしこふぞあらためぬ旅出立といさみて出るすいかき のかけ人をして勘介かへなむさいに帰らば討とめほとめにすんの やるさきてるもにかゝふきひしめいたり。はちにさゝれゑぎない 事と。庭にひゝりとおりしも露語のは上りたし。みがきたにしつと はきぢんばにつさし両足梅の高純なし一の目玉に八方はやし 立たる所に。後をも切り片ままれむかふよりは十もん。前後一度に つやせませとひかく写の身。塩とやりとがかつしと当てむ すんだりためいふ間もなくにくり引又突くる上下のをされ。下段に くるをは上りの葉にてはつしとふみこの上段につくしば首もと めてをのべてじととれば。恐れし物とこらゆるをましてけて市 くつとびつくびつきをほつきを迄ものへ一人頭はね〳〵〳〵〳〵〳〵にたゝにたゝにたゝき 付れ鑓を損て走辺組でとめんゝ無力の方。大手をひろげ飛かり。 脇の下をいくゝり太股へかんでども打付。腰ほねふまへて小ひさを つけば。何もときもなく七八人左右より組うる。弓手にかついてめに投みし めてにかついてゆん手へなげこひろづぎ〳〵もんがたすの手さのやき。 しかれし方もかた心にて度にどづとぞ逃ちつたるになしつし 信玄公の旗下にて討死すり迄二人の主を取。外の様はへらぬ哉何也。 馳走しゆとめにしつ扨々そろはぬ人の心の心の心とやと思ひ でとけ行矢湛場よりかけ戻りなむ三宝を備りしか曲もなし西介 当国に足を寄てもひ度主人のこんは家屋のかきに月日の 来有てもなし片立地もよいかげん是非に帰らは此実徳が首腰に 付ておかへにやれとくま〳〵尋てけてひ土にけり。山にはためく 太刀音。股小じこと。半にしよひつばやうめしいおねへはなさ の任せはしてもの娘を呼よせんためかき権のほうをあゐ女ご共にも かつれび手なひしいくせの心づくしは夫に手からささい升昇そ 武士のがづかく共ばからやはるだ入縁者へ引むつし出するが書たる 者の道せつく呼よせた母の迄はふて帰らふしや。兄弟なから衣 が為にも母此首はかつしても女のおやりまいが見事つれて帰るが。 十五郎少しともりの女なつでよふ 辛しさなし涙かこぼれて多〳〵におしい。あつきあつきやつて来た つあちいまでのめ〳〵となくなくなく捨ては帰らぬ。ながりほし く首に成てお供せいと。はたと切を請ながしうてばづひうけは 切る。東に命をちる共はい共どもらぬ旁物くもらぬ又つば音 ひぐ物見のちんじやうしをさつと明て出たる老母の見せ女の とめて下さるなと声をかくれば。テヽとめぬ出かす〳〵。ちむすんだ 其上り両方引ながでなといふよりてやくまつざかさまを二ツ の子の人両のあとらをつらぬかれ世奉へ一本の切天の朱にて みてぞ知るゝ是はと計縁娘とはかにくれて泣さけび家 下のさうども勘介直江も取てかへてかへてかとも聞くけはたせるにて かけに付給ひしさは有都国の人事のさやく人殊に老女我国まて の落合他国のす人なんざしごくと大きにさぎ見給へは勘介 涙さへれながら武田信士の家臣山本勘介といふ子を持。何か しゆつくゑ御不足他人に御恨はし候がいひかいなき御さいぞと に力を付けれは顔ふり上て我子又先ぬ筆といふよな。人に帳有 なれは其人と移りがへしぬる迄。しゆつくはいを相手にて命をはたす ばゝではないとつくに月はてるとまのお手討にあふ身のながらへは命 の外一国の大将の身をつきこやまひ御はぜん是にけてけてけちらせし 其時の色の顔ゆへは能わかんにんにしなひし食は人の天この本人 下女のすゆるにもせんにむかへは親義有法奉恵外ばゝ東さきうし さすにもとさぞ無念御腹立つの世にすれもへきお心にしたかず ふり切帰る物心込手をかけてかゝめとられ母めがにくしみ此時と。さか〳〵 はつつけにも行れなふり数こと聞ならば此度母がしなぬくやみは いか。坊主にたにけことにき世の人々衣とい成にあふべき と。五人程をきゝことく思ひ歎て此しにさま何に似たぞよく見よへはつく つけのさいくは人勝娘のさび刀は。公のおしおしなにの大身の給つら ぬれしするからは是迄勘身をつかなく本国へ本国へ返し給へ返し給はれと 気なし頼む直に殿扨も〳〵いに不定せかいにかくも足なれ物よ母 か生れおはりの図するがの国にてひと成三かはの国人にありしてしな の国に御人住ゐ。金ひの国に主歟爰ぞ我露の身の身の置所 往生所と定しにおびもよらぬ越後の国の土と成かへ立なれ人のみた の浄土におぼつかなやと清の眼にはら〳〵涙たへねて嫁娘わつと 歎ふしけれは勘介心もめゝくる。したものこときてるども。つむにある らくないにめをしばたゝいておせしが。家かりねて大勢上。あゑなやぜ ひりなや我も人も武士の身打見なひぴ敷はなれ物のうへなし。 あのばゝが一めいを幾切に夥しみ武家の名をなむし夜きよ睦といひ て多く取鳥有曲鷹走にかひ非腹の暮の鷹の不成思惟 母母の薬を次ふちにおどり鯉をとり侍も其ごとくね給ふは ずくなれに。天晴勘介が母也おしやひてのしにをさせ。かたし 見る事もてるとらゆへと計にてさもがづかに大将のそろに袖をぞ しほしるゝ。ま何をなついぜんと指ぞへぬいてたの手にととりつかみ。 もとひしきはよりふつと切り家の弓矢は親す共まだはほつい名をもけふ よりあためてるとく入道謙倍切たる髪きにもさけず。出家の手 にも渡とましゆんにとらするけんしんしんしんしんじん 今の心悦ばせよ二武士の武士の武邊あづしかず町が孝行をんし入 ての条もぞやと成にくれてたびくれは少くわざき御指とひろ様 にびれふて渡れ爰をしほりしが御心にしたがぬ恨を挽重々の 御こんせい申上ん詞もなし。おちと心は信玄にかへ御ぢんむかひ。さび候は ゐかけ申共せめての御怒ほうしあまは御ほつたいの御供と。同橋そへする りとしきもとつかんですつと切り今日より今日本勘介入道道 道はみちといふ事にて母道引たいの道是はおにとよむ事にて有 神もひしく道鬼入道親のめいとの職と二いのたにさを手に持せ込に まゝなしひざの人ひたひを付て忍び泣物くるも暇をひきけれ 落て此年也此国をへめぐり。ついに住所さざまずてうと七十二 年めに西方めんちく国とながに伶所定此三ふさの切髪はようちく けまんだ天いをみかをかさりしやな大将においとまとまとなれ有 嫁に娘よびこよながり〳〵なむあだと。両の手に夜の力をぬ けはしての旅橋にのゝねど道じく越路の雪とさに有人々はつと 計にてな〳〵しがいさ有くり。かくり。かつうにぐれて。大入さへ金さるれとみた れぬ武士の鐘なげさしはつきず詞はつきて案目礼それいは直いま ぬが渡のね勘介ふうふが別れておかずに謙信衣をましましましまて 暫し母がついぜん絵去への家つとせんすじなの村上がひ一国の娘ごめし て食士卒をなやまし塩せめにとりと聞て。さもしひさやにけるゑん軍は ほとさきぬせめなど勝負はぢす我越後には汝有かひの国の蛭にとかくせす 馬点にてつぐべく心の時い力なくして我と合戦せられたと信言にめたへ 〽おかさね〳〵なまけ有詞のしはに身のなげき涙みちくるばりにて おいとまもそのふのなさけ精あたはあた物を二つにおしへだてよこ おかふせり若五年のよば進見せしとつめ共かれてひなり かけをはなれて別れろは諸にひかるゝめへには車かたわ車や廻らぬした のともりがつさせぬなごり。筆にかゝれずかたはれを治つさけん つかへもどもる身もどもり。あやしみかぬればかを付。ひや立ひかれ てきこ心をのこしかへりけり 第四 ガウルヤウンウンヤウシヤン 秋の山もみちの床に出しかの寝たよしほらしつ立ぬきに 露霜おりしにしきは山のもみち葉もみち葉のながる川を 渡りばにしき中たへんチイル小鹿のわたらは中たへんこうさん しうの秋の過しゝ根がぬもとのなみ木のもち落くか鹿を ゐけんと。心たけさますゝ出の国さけびの勢ひき入天 もたの森のかけ高坂だん正夜五郎。庭に別れ日木の弓 にとがり矢つがひかり廻す。信長高殿のざれ押やりさつゝ食ひ アアアリらず。余人のせゆるをもいましむべき身を持てはういつ 千万。我へんすくふうの此高殿をたてんは。当山を切ひかせしに 山村の一日春のしやがけ。狐のののの人のさひ。春迄のへんげ ばけ物と国他国恐れしゆへ我山神をいのり当たせあたせき せいのちひを立一千首のわを詠せかは誠に知歌は天地をう ごし。是神もかんすり。ゐとゝにて山神の急も上げのより もなまつて尊殿をはじ休所迄悉しやうじめし。春の花の花の あた秋のもちに心をすましぐん法のくふにまきるたなたび をこらす所代そや弓矢をたいし鹿とゐんと我詞をうろしむるかだ 神のたゝり恐れずりさなふ共子を思ひ若恐ねておく山にもみぢ ふみ分なくしかの心は哀と思ひや武士も物の情しり。後日をゑ 度つしめよと。弓矢にたけた信去者とけたり顔せも制歌の 徳ならん高坂だんまさの御前をくさん我と御さんぜいをそむき 鹿の子の一ツくゐとむべき心てい候す。わざと君の御とめにあかり それをついてに勝頼巳の御不思ひゝかたあの手だて手を思ふ鹿の哀 をもしろしめされおとこ女の下をやはくりか哥に御身をそめならかけ がへりなぎにう君を二とせの不興福はしや勝頼の ことに中なりしに。おか屋のとしや我に行跡よりとりり両国のさう どう氏の欲さんひを悔ての御しらん。年そにつたん形はり。 まつにりわげ下さはれまじき道にもあす。家中の髪の狸頼松の御小畠 御刀道姫君を呼取給へ両国の御公等にあれ給ひ御イ 興に被下るへと出さひをはいかにするに〵申せ奈宮殿顔て如答 なくとちの硝あながめそうそふいておほしかす夜のらまさしすゝみ出 御ふけのもともつはらのにくして参所ともなく御せんでしんち今義元 殿権の平太景成様にみつゝのやうせき世に世こぞつて母の所みつ ついつよくいかめ給は。御せんば義藤の子孫は君を始り人中へしか出 される。ゆるすとの御位領はかぬ其内は一寸も爰をうごかしく人はう げんへはこんの大音上総書へはつと御廻り。成能来まならばじんぢくらを 手本にすべいにせんぞなれば夫悪木を足規に勝頼か不畏ゆり せとはほ道也まさとし立されつと御きけんそん哥殿を出給へは二人も はつと指うつむの詞なく〳〵立帰り救はれらは不孝の子あくみ有又 もやしなはすといふ本文をしるし山神をまつるきよめの哥ままもの 〳〵のふしやうふふかすといふ大へのみをけかせしよないでみゝあひ給んと 瀧のなれに青水をくみやかばわたくくへれ下川石川 ころびあふてころひ〳〵。ころびかるに風のしかみ吹かせて魚 もにしきの上らる。むかふの川岸をつたひくり。しつの女ごの玉にだた さにたひを置手ぬぐびの山下水をくんであらをたの。袋の 〳〵久しき松をあひしきしによせくる白波のさつかけてあらふん 衣がしろめばおかしがくむとよび〳〵手まづざへざりそみぢ葉のながれ に衣をすん〳〵。夜過衣のもき梅のかいひやながるものゆきれ で卒草のほせん友はく降りなき我にはつき月日やと守殿をが うちやすうへは。おなこびを打のせて。草かりかごの二つもじ牛の角 もすくな。千文。づなまかり手の子の千原まねてすらすゝすかとて爰に こがれてくる磯の介を忍ぶほかふり。平に顔を見へる。さうる様 いつの間に。かれしすだひしぬ。なかふゑもんの姫君の智頼なき ぞとよくらにめさるゝししやと共に立ほるゝ涙の袖しぼらぼらば。あへ 我からしる坂まきとがばかひにて此頃爰にくれ伊まれのあふせに 此日数ありしにとの山々を世めてかたん其橋を渡りて爰へと御覧 〽おろか也此橋のそなさはめの御領ぞや。ゆるされなく押付てどをふもん も花の恐れいまし〳〵なぶ此国の土も木も主は君よりたれあ らん我ゆへつるさめ給の御いたはしや情なやみづらそれ人とおわたす 橋にのそめはアヽしばく橋な渡る杉の渡るそ渡る共あふ事をいそのみのち かひにも〳〵も土地のなれ扨は渡るも及なのめにさぬ天神はしは 音に成火にかき月にかき身をくまされを一なぐかつきや。 橋本々に夜川の渡るも叶ねは顔見るへ神の中へ。我迚も其事也 聞ひうし伯陽は月にちかつてちざるをみめ。いさぬのぼしと成金七郎と 世の中に入月七日の三日の言りはらぬ市を頼にて末のあせを待給へける からに君かし年の綱手のとりなり給ふ。ねんだうの男たなふぞなさはなくなり給ひ 橋はふるが中のみやくの橋とはたる風に山々の秋を れひかめ天の川手にどつたねはさせぬやると聞物を。我それに引 かへて去年も今年も打とけて寝る夜なぐれ物いはす夫へるとしもいか なられ頼父の御不興のゆるしいつをかさりぞと二人はつはして髪 五十寸法ゐたる折つたれにあまる鳥冠り鳥冠打音一方給へ 瀧本に野をめてはあらふ人後かけさかひわなき文絵公の恋し さも。珍たひかるゝめさ午におせし木しほし木しつと脇ばざみ。矢を橋に 迄やり〳〵せめてそなさはひ牛引て草か体にて入すにて入るにき の御願ひずぬ迄もゑはゝし我と一段有そとは見付られてもあし かへのべてぬにて心にも心から暫しめにか内には女の内には女の心に 方をきつく見はゝしあくあ日の瀧津瀬津瀬門夏三ふくの暑をながしくる人 まれに身山の紫流し。そめきのかくち切心地震。地て。をくれなる のぼまれにはあはれ住べきころにさな。こな。公にさんさかきり神の給へ 姫は夫の縁に引牛の手徳をかいくりそをくなふ物申さんぼくとおくけ 衣ながれに心をすぐと思ばざくを出し血せんの来らい。如く有火とり おかはのゆへみをあはせ給ふいぶしさよととびれは。からやとき女のもつな なかれにをすく計出家とはいふへず我のふけしやかせ。かせし給ひ給ひ給ひ給ひ給ひ給 まへ一人の詞聞くるみのけれを。此浦にあひしがふぎ命の けれをあひし有ければ。ひかはんもけれぞとせつくよれの綱手なはし やんだくて立帰り。睦しばし身とめ給は家々の有けれをあひし 有なれ年にかほし引あるは昔の菓と許中にもあず。ざらあれいか成人也。 られんゆるしと問給へ申上りも恐しなが我長尾見しん抑心もんの姫勝 教殿とべきのゆるさばゑゆへに父と父と父とは屋我妻になしそ われずと二年此かだしられけふ迄面を合せずいたはたはらは。今 御人此しれかにしことりおはしす。為さ失なんとのあやうちも きつかはくすはといかゞけへたて切様んく同じて切様に身を楽也共川より あは又の領別当の身にて父の御領のすむも罪也と心をやぞ て西独とも見るもいたはし也昔の神の袖の夜とち今はこ母のちり めへたおといへも自ゆへ今生の公の精親さのしび。御物の御物の御曲 により鹿火に入出し八寅夏故しする月が命一はおしずと。ほる浅落 滝津水のしに数そへは。何はんしん娘とや。身で。頼て勝頼はなれ こせえせしやしや。ざりながらかれにむかひて出当申いふ 詞を出さねば。今のるすべき詞もなく。何とかんじてゆるすべき程のきばし もなし勝頼音はともかくも御聞の事は信者何共見捨だし。村上介寿義 漬がひ一国の塩どめて我一人に塩につみの こんせい物道道道鬼が孝心を美夷数百駄の掟をおくられし心入 古今撰哥の弓馬の疋人信玄作を以忍ずべき所をしらず。せめておこと の身の人我身に人てもひらしん。先此所に足をとめられよいとめられよいとめられよい 人を存ぜずと。うらなれ詞に姫君も。扨に妻の出当日五名有をいさわり 晦日の夜にま月に見付ごとくにて只よひにと計也私なひ響 はやく山と山との介共に命はへり出り月の影をも約を放みに光かく ぐりとうろうは夜うらんよ迚てすらあれなり給へ山々の精々を吹 とぢてちりもつと。さぞふあらしに乱れみだるゝみぢ薬はにきとてふ 山姫の糸のほつしとうたかはれき殿やに花をしそもわかきも 一時のうれひをはらふめんでなゞさまんなさまんなさへとやすみに命ふ 時に云ひ夜瓜のこゑをならすたにかける人にはやくりんとうをい たず身には千草の葉衣をわさねあやみ来り足は大地をはなれぼく の物のあたりをはひげしたる姿の如ろ也也心臓頼きつく人御身をため物 頼たひに忍びより。しやすはとしるめいにも。身をつふみとゞろすま〳〵 さごまじりのおさゝにさう〳〵どう〳〵くはう〳〵〳〵ふみわり高殿めけ かけのぼり。のぼしはたてど。おをうけて。むんごとへして。二ふ給ふつ て勝頼のうべをつかんであ。めんとす。予にはおのれにまくべきとべきと聞まれ ながけしやうのまんに。つけてゝかをひらき。よこになぐれば。ざいをはづはう とうなり声。ぢんなさんあんづゑ三両計ぞなげ付る。勝頼ちにてひ らるとかへし又丸かるしつとだく。ともひく売勢丸の丸兵地かいひやさる男老 の者より此天目山を住うとすうでして後日にたる五日な立 されやつと呼はぬも勝頼から〳〵と思ひ猿田でも猫田でも組とめら るゝはまぎれ物。神丸できゆりが我人力で頼夜でかねぎはと見んと見ん めけれ。あくへんげをかつき地にうんとのめりを打せなげ付らる柚 子につれ。うへのわんとか木の葉衣乱れて落れ急に村左衛門前つが 誠のめ大音上天目山にんげ有との世上の言ふん幸に山神の秋に 但せ信者を討らんとたくしに本迄をすせぬ無ぬ無念しでめがめがめいとのさき かけせよと面もふず切てかる。得たりぬき合一足さぬ釼の刃音。 姫君女寿といけとに勝頼の義清とあふなん〳〵と呼有聲。高坂だん正 原五郎おとまれ。信去公がふなくゆるば一所に出当ぞといはれてはつと はきみしふもをならんでひかへたる給頼の打方茂清がめてのた先抱いた かけて切付ればんとのつけにそりながら勝頼の音もしなどり切両方手は おふぬ身はちしはくつないふにき秋の茶のもの名をちしてみたと切りして もあずしかん姫婦もと也とざるかけおかれがぜいと見かより村上左衛門心どま くれはよくわずれての方へさして逃あればづいてある山の宗小原すべりやけらし 草をたく木根に見付。むしげをしるべてんべしやうじやうじを言ふ て書によちのほる。下に姫君をひや上にむんとし候ぞ上に成下に成下に成 おきまはびの総合ひしがくづを打て高殿より。かぬとやろ〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵まひ はなれて村上度清橋を渡ひてものびんびんと。はやれど身はかるゝ。あむ小橋の めにちろ〳〵なかば渡るを姫君勝頼の木口を手ンとにつみゑいつ〳〵とはね かせがかへたんごと心ねのたりつねて勝頼ほと飛の流にしかび水通跡を そとめてとと申追くの義清之命から〳〵。なん〳〵いふにおよぎ付又逃出るよがし も立すも花ししん目ふつゝか江の村上に上の針茂清を。吉田勝兵衛頼取たり と呼り給へば天仰去へずすつくと立上でが左〳〵はれも我子不見ゆりすく の給へ答はつと寺ひれふ有だ涙悦ひ渡夜の名鬼村仇たる人に吉田 天とひ給様のものにのにのなくいきめものくの心もやにだに つむ親子の中方女のかたひて。皆此道よりなさけしる。事なゆの 哥の御ゐとくかのつゝゆきかことのはをあふぎて。今日もかんじける 第五 百度たつて百度勝八歳の職なざる物といへる武田信玄長屋誠信 四度のまひ牛用にて記に永禄四年九月十日。五度のなひ初の文音 天江ゝろき命のなき大地をうち勝負を一きよに立んと川中嶋の 南北をきる物東たへ熊屋のちん所下米んみや武田町な絵士ゆらぎに 外の人の顔ものみなる坂こんいまさの者そなくはならまさとししゆうを はかやひかへり。おかんのくん将深田三郎よろひにゐ付の矢をしひげりけう心を切て はせ付。けんしんはたず板ぐき恋に切くだまし御引に引しかづに引しかへ ぜいを以て身かこみ給はゝ。死筆の内いそぼせいをさむけられやかんと つけしらせ又ちん中へ立帰り。信玄ちつき聞命をいや〳〵やもち身のろく引 〽さ様なし悪からり是先手よりへり引出して本ともたかの しんなのくん位置ての物もを待わくなくなくこの給ふ所人を見給は心に あへし敵ぢゝきしと夜の内に渡り男津の城の城の通路をも切所坂山に 兵衛せよびもよりぬ横談に板が三に忠主膳知死也とも上るされば。 もいやとらずつの味方かんの味方なる。この手にやとの給ふ 一所へいつにおれし伏頼の公立ある原といといとぬきにけんじんじんの後をこみ心 田源四郎大のするが。近村物。板坂荒と心を合前後よりさんで切立〳〵けん しん屏門を渡つて行力なく軍は味方の御勝也と申上れは絵去団扇打 ふ〳〵此いほひを失ふへかりすなくよつなきのことし。しむ〳〵の給へは 高坂ばんご東豊諸そつを引くしるしせしあはませかけ出を思ひもよら ぬそかけるせましんしん是に有けへんざんざんざつといかひ雲に羽をつく ひばかけのしゆんく。なんになうづう二つに二つに切付る打刀。信玄すかさすぐん ばいちわにはつしと更輩病をやまへ床丸をさずひるは付人諸身の勝切送り の雁之実にけんしんしんしんぜ給士孫太郎とがひねる夫よく 朱角の物にわれはたき生死の後裔しくく又来やうしおひほゞす 刀の金忍んけんのた元三寸あり切さけれなるちは残なせ共はせにまも かけず。ききれん願玉していけんしんゑを楽はなし。おたしか信言へも龍に いふましき所ならば。男をぬいでかきんせよ〳〵と呼はる髪にたかける三百 信玄是に有奉有へり出立なかつこうぢや左かはぬ信去一人と 謙信もあられて詞もなかりしく二人内一人内一人はれる誠の信玄 色にてじん恩の勝負せよと有けれはぜんの信玄床几をさつてすがし らの里通れ過本勘介道道宅二人の中に涙をうへ参り す女しけせしは。日御屋越後たかひのふへ候。汝を武田よりめさるにそ幸長 尾のしん直江に山しろはいもとむみゑんし心をあせわら さみを御ふうふになし奉れ。まにしね〳〵の花をあらそひ給ふたゝ かひなれば両げのぬひとに疵を付ぬがくん法の弟一まさかの時は あいをなけ打御計なとし奉り此詞しるゝなとへれ〳〵申聞せしも。 今出せ母あいと成よつて数度の言ひいへも勝負は五郎とん しゆつをつくすといへ共ゆなし御縁をむすふべき手たてを失ひ母が 詞にそむれしみ。なねなくも信玄の御安に出立手むかはず。一太刀三郎 れしはしゆしんの御身もつゝなく。けんじんの御いさしほり をなざめん荷此さへの御あはれみ。山王と道鬼がくひを めされ両家たゝかひをこらめ給はくはうぜんの母願ひを するよろこひ。ませんなこの我めんぼくひとへにおひ奉ると なけさへてぞ申ける。けんしんしんつとかんし入けにおもしやさし さよ。あつはれゆみやのほんぞ也一めいとてゝ道ひ ほくにせんはきうせんのおそれじんげんはともかくも けんしんかたかひはこれど〳〵ひめがふけるもゆるすへし と有けれはしれけんとてもそのとほりぬしゆものこらず ゐこんもなし。ぬゆるもこくぐんよもこく。しなの一こく五ぶ 〳〵のわければれ取らまれ取弓矢も既におさまりぬ道 是が悦び大麦聞武田長屋もほくあ母の君姫君いさなひ申せ とよはゝれば。近江山しろやまゝのすけかうざるだんじやう原ろく。ひ めさみわか君御とももゞみなばんせいとよろこび急しよくなり もしつまらすじんげんのく風はいうちは手にとるあへす。外 ならずうちに〳〵とたはふれて。ひめきみにくださるれば。此よろ こびも。此さちの。ゐんゑんあつきに有へなかみつかつよりとうむこ ひきわかひとゑちごにしなのそへ三ごく一しや栗となに なるもしつまるときつかせづちもうこかぬあらねのかはりおさ まる杳ほん地からはへもの木になりもの。百かくまんさい すゑかけて何から何まで皆はんしやわん〳〵せいといとひける 右之本頌句音節墨譜等令加筆候 師若鍼弟子如縷国吾儕所伝泝二先師 竹本筑後掾相伝 之源幸甚竹木大和掾。業貫 予以著述之原本校合一過可為正本者 七 竹田出雲掾清定 5720 京二條通寺町西江入丁山本九兵衛版 大坂高麗橋二町目小木九右衛門版 江戸大伝馬三丁同鱗助屋孫兵衛殿 もしつまるをじんげんのく風はいうちは手にとるあへず。外 ならずうちに〳〵とたはふれて。ひめきみにくださるれば此よつ こひも此さちの。ゐんゑんあつきに有へなかみつかづかつとかへむこ ひきわかひとゑちごにしなのそへ三こく一しやなやとなに なるもしつまるときつかせづちもうこかぬあらねのかはりおさ まる春ほん北からはへもの木になりもの。百かくまんさい すゑかけて何から何まで皆はんしやわん〳〵せいとひける 右之本順句音節墨譜等令加筆候 師若鍼弟子如縷目吾儕所伝訴二先師 竹本筑後掾相伝 之源幸甚竹木大和掾宗貫 予以著述之原本投合一過可為正本者 七 竹田出雲椽清定 5720 京二條通寺町西江入丁山本九兵衛版 大坂高麗橋二町目山木九右衛門版 江戸大伝馬三丁同鱗助屋孫兵衛殿