義經千本櫻

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竹田出雲等
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ヨシツネセンボンザクラ
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竹田 義太夫 完 出雲 義経千本榎本竹田完 丸木 } 持主 作者 竹田出雲様 浜隠士 機械系振閉器器を テ購入セル間博士 大物船矢倉 義経千本桜 吉野花矢倉 序詞 なるべし。忠吉成とな容勾渡の争意を建す陶朱 忠なる哉忠信成かな信句残の本意を達す浦敷 公功成名遂て身退く。五湖の一葉の浪枕西地の 美女を伴ひし例を爰に唇倭の蒲やう〳〵穂に喜永 き年号も。短く立て凡暦と命も革戸だぬ垣根 卯の花も。皆白旗と時めきて。チロシ武威はます〳〵。 盛の万宝祚八十一代の天子安楽帝八島の波に沈魚は 後白河の法里政を執行せ給ふ昵近の公卿は左大臣の大将 藤貞の朝方君の御覚よき侭に已に諂ふ者に官位昇を 申下し。依怙且賢の沙汰大方なれ。群臣是をいかん共いつゞ叡慮 に捧んかと名吉をまき筆也。大内記御日次に硯取添座列する。 瀧口に案内して源氏への大将源九郎判官義経院末の言翫 五位の雑記吉尽しはでを尽せし太刀飾。代のかざりは三国一面塔の 武蔵坊弁慶大紋の袖衣向帽子僧衣を憚る出立はげにもゆゝ なく見へにける大内記取次にて。源氏の義の士参上と申上れ左人将いに 義。給此度八波の合を○様子源軍悉く少し召す。天竺の入水一門の入名 一。御日次に記れん申上たとある。哥。経はつとなはり。さん。今度の戦ひ。平 我は千騎斗と見へ八島の磯に陣を張義経が勢は三百余騎兵騎兵事にては 勝ひなし。不時に寄たる問にあゐてやとき年故の勢影には孝陣中へ 天皇を興し奉る其時に火を放江明に移しましやらん能登守教経 小船に乗移り。希代の弓力引佐左諸時太夫先は義程か。馬の先に立やさし 一かる佐藤沢徳あぐらに受寺よの下にうど落而其首みんと東王丸船より 磯辺に三る所弟佐藤忠信が時久す参先に敵味方。手に依の武士を 討たし仮秀と相引に。其日の軍はさつねく。明れは敵より出す罪。千軍方尉 て落を。其尾谷京清鉄引敵か感ずる味方が誉され共源氏は勝軍 一平家八軍公詞なされ能是守敷経安芸太郎同次郎。二人を左右にひつ狭み 一海かつば飛百道を実建の門脇荷屋目絶盗盗盗盗賊立有成又御覧一 なんど我も〳〵と続て入中納言斎盛御所御船の御供とせんて汝にざん ぶれ入金の御事は七分と存じ。時行の男に二位の上御浜へ入しくやたる計御 一骸をも承地す。女院計なり給へ生捕たる輩は先逝て誠に認め叡覧に帰へ 奉行へ申上候儀はずと事細に述いて其弁舌弁告を其侭に日次に示し留け。精方 にがつたる采女にて。文雄の功五義頼朝に対面叶ず勝越より追々へされ其 科をいへは人よは弁慶すみ出。我者の御為に御ぜなれ共蒲鬼者犯頼づゝ ぬれは生れ。日梅がなさに義経公にしはず。あついの腹にするに心に。付泣ふつて 人原は讒言と。気ひぬは鎌倉刀の心詮義といぜも果す。ます。まれ弁孝慈悲 彼者の孝にもせね子二旦の命も無かず腰越よりすご〳〵となるし弟の義法 さへあいやく世上のみぐら理理弁へぬ妾忽の雑言尾籠刀極と誠の詞雲神 妙也本経軍の次第を奏問て。御所宜し事んどうはへすべ給へりは。初顔寝とり さんと応工首記引連て御殿而深に入候東蔀のかけり左将初方の諸事 主に聞ぬ人畜の百字も猪熊久久を云ふも。殊也御呼ひ〳〵治也とははおはながが 年前の海軍に松の三位雅盛の教中為東綱内侍者供に置ぞ左方片付て仕 迫れぬ。ヤリ何事と給ふ。女童の女童の門よば。何迚も米のひになくぬ事。 其侭て事なむ。ナウ○淋土。心に成と成次第ならこちも勝手。身が悪人物方 公の葉の内侍にて侍にとめしこぐらず武蔵坊。如く鎌倉へいか指図で掾 祖はともかくも。平家方の女房を私に引入るは味方も自然ぬごゝはほらせば。 よしやくさい汗〳〵〳〵引ふる。。人納三時者の窓のぞや。いいでもはいで知だだ。それで知たる 時侍もちごごくふさなアキモ〳〵くつことは我悪いやうにぬかたりなしこつちがもな ら己は輪ふう〳〵ぬかさずすつめと引煙でいとかうる音。どつたり。ますみや折々也 もな蔵坊。しこの〳〵といこれから御座の間の御藤老人あ明方ありあしの道行 だかへくばん〳〵間其風情よし義経超て順に連損亡又王雨乞の時より。諫存 にふめ置初方と名付方数義経立て取も由け召及れ此度の悪売は院 一色に添につて。拝見せよと指出す。はつと頭をきけ。数ならぬ身に及びなき頼。 ま是に用る数軍の為にと存する所有がたしと紅押。戴く。相添いれ院立上 はいなる勅命で拝見と箱の処開け目に散計。書院置て外になし。其数 が判院立惣じ二男物を陰陽には兄弟に依る殷の裏彼表に同二月の 乳ふくらにかけ合たれは毛兄弟。哀は手の衣は頼朝陣へて其数に打と五郎院 寅也と聞もあへとは其敵が院立ならば。頼朝義維打知る也睦く使路の事 護致せとの勅給へしもそふで代〳〵。君に出勤を抽ずる義経を科かで追て追て追て追て追て追て追て。 私的須里職たふ所勢兄頼朝をある追討の院家と理也家とき也。 同士打兼て仕込ん千首経はつと当惑指入むいて居給ひし給ひし比に異なる法宣 一勅命仮令叡恵に背左衛門を討ひ致しも吉ず頼朝に科の宰経も御刑符 に罪やゝゆが身の跡所詮此功ノ方の鼓申し給ね。焼立も承はずと指二本部 方弥太下願論言は汗つしどし勅命を背けば義経朝夜なが合只申と無理ととと非 道に言枉る工と知ても勅命といへに返言思召思有思はつゝと計也。なかりぬ也。此程 坊ぐつと出して吉左将殿とやう。有の天下の鑑言宗のの中が。皆無理いふが 合点か。無理が有なく傍に居る公家の役にてなぜしめぬ。大敵にもひるまや物よふ一さ 言でやりあたなと云負れて此腹の虫が堪尋ぬるがも少なせて語ゆやと坂が 任の傍為無人義経はんことに申せ給ひ。やれ弁念尊徳寺官に対ての家 口の前より無礼法々大膳道行を反され我目並へはけずと以ての下の外御構に 嫌にせんたもなく立僧なく誤り諸歴より。何れほとそつ也を目もけず。能方に 〽お向ひ日比の敵り込の仇となる故に背く。申受過ればに受ればに驚く。 命を背。右方等打と有二院立の鼓だとへ拝領申ても新さへせねば下経が身の旗 にもならぬ数拝領有すると敵を以て退出す。昨年の中の方の中のじめ くり米も忘る次将と。末世に仰く篤実の強俊なる其姿教にひらく千 本桜栄久しきと君は也蘭首の花の花の時錦帳の中にかしづれし小松三位 惟盛○御台為家の内侍為為惑代後前平家都を落しより。今は金子恵山の堀川里 一嵯峨ひ草庵に初千諸丸身をなび。しん。しんに歩行と吉。流をもの桶に 立の尼と稲荷び庭の内に立帰りと申度の処今が一日たかくざるを失いつて。荷 ひの御備を伝ひなされそれてお肩がいたさ合下くぬる業夢にもやされまい 時代へはとじがや。何けてやらははははいのにこ〳〵とめてかやよふ智をなされなにと。 いたくいふてあらへは今辺の所も打思はれ上りやる通夫の准監様御門と跡共安徳天王 を領奉し。都を開た給ひしより。此病に親子諸共永との世話になるも。なたが有智 になかきやつためしの所縁惟屋のも西海の軍に河院みが原なされたまで ござる共様々の鳴なれ共都公立なされた日を。故命日と思ふて雁。拝いける者 重盛なひの御今日なれば。老年の音花行て阿作の術も備へん為づから為を汲まし たるが此月は祥月吉の形で四問せはせや仏追吉とけふ詞切の四身身せばなる さもしき。小袖ぬに焼て即しの夜への二つにかんに夢の数々は十二草の為相あ 武の鳳凰の袴いて七よみに天仁世に文仕せむ給引給ひ。首絵をつな 手前より実盛し一の将像を引出しくと。仏間にける事に心の手を含んに松川の方浄速 大居一仏楽をだいと回向して。善六代代そなたの所には祖父君軽けれ近年殿の嫡 流よふ手を合て拝みついのはて此絵像。親子は迚惟盛にまうんほんぼんぼんぼんに 扨重成衆が今込生てございふなら平家はよりや亡びはせ孫子の内にもよふ にあなさかとたらやばつりて。此度目を見るわつて。結像に給ひ王がとく。心た立〳〵 かつばと伏て。泣給ふ都合大くる足音。やつと心得立の尾。枕屏風を引し。翠隠する もなく飛引込まつと這入に頭庄屋敷三割のてこんせかゝ夫谷立かいめ今日は年に 一度宗旨の蚊より外に判の人為能厄銀とはとも月刻にくる何故異違ふ事 まありしや此さつしやれにされば。賀いの口で有そもない。此流路の序宜に珠数 の足て過かは付たり。表向に仏を見せる。内徒へ取入。小みつの上髪長出しかけて。 御所出尼出開者又海小海小海と忌を付。屏風を何ほづく。仏前の訛音を立ててくみ病 をするとい。是といふも我王賤女仏などいふ句拍子のしやの果が已に成て此頃縁に 居候に夫で所ががのだらに成た迚人別の利形此席にもてれは遠くござらぬかや。 ものもの兵衛事わいし。仏の見世。そんない。この何ともんでようづもけかれないんて下 されていにます早う下判はさろゑつて。家内を見へし立のる。〽のまろと立の 丸枕屏風を押けて。今の心を聞なされば。そして。そきて。そして。そしきみの 家内をいたえめて。是はなり。今のやつめにかまへのぎにかまつり。足せしめいれた。 小盗人て立た物。気かついでとられたといへは有いら強く。心を案めの哥の哥の哥の哥の哥の哥の哥の哥の哥の哥の哥の哥の哥の哥の哥の哥のあかに 付て軍がたぬ扨も〳〵情なき数千の身では有ぞのと内歌にくもれ共には恙ほく 物売多すけ足からずす〵荷打を。何打たげ足を出きぬり。門口より指助けば。 子とでもない尼の内に麦笠が何でいろうさんなわつじやと何られて。無気づかひな 者でなわたしくずと立きはいる一見れに金武玄里両だい所衆之計へ寺は役 もけすどふかうかとゑいんにかと立ければ。壱人と有ければ。金古うねに も御長勝やう為思も御機嫌よき御願ばせし拙者も不悦仕候がなにも今 日は。天天中殿豊公の祥月御命日公門の家来を改め御男のなさわしよなる仏 間に向ひなしを奪。此君かみふしきす御門の人御門はいに友を殺す我共一暫し 渡に置ける。拙者かも御ろきの内。及ひ付る笠浦実取懸有。此小金毘何が仕 付今日寅の御推量下しる人扨常にさきは若野屋居屋敷のございまだ存命 にて守野田に御入今慥成部の噂何れば拙者も。有天の煩すして間野に言部親 子の刻の一原は小金君も。思ひ五君御影舞申度願ひ。まひば旅の周辺を 銀只金にあり迚此よりはせだいと爰はしごとく。何我文の高野やらんに家からへてご さるとや夫娘や有たや六代計といず凡季の上らの上らぬ山ならは禁止用も用心せ 候や武雲上悦ひ渡にくれ給へばかつか給いはか理く。すももなれと。又手まて ひな年寄尼。夫ならは日の一時もなつかつかに成程可善天魔のの中風親 子供に御用立早ふけ又はそしがねの物早違やがら御用に立んと倶に用立の折こそ あれ表の方に人音足音。尼は心得何の通仏檀の戸棚へ。大親子御能入つき やる其間もなく。朝方の諸なく。秋熊大夫を。家来引みし気のけ。けや〳〵と乱れ 入此度敷に帳懸のざいため侍忰六代諸氏代誠にかまひ兼由。泥をつめてめし 桶に向へさり何国に漬だし有やうに白状せよと皆をされて主の片はつとはし 貞顔是は御難盗のべんべとは所縁かもなければくさはふ容もなしこといふ絵 から小金葉武軍使いへて帰国追ひ外御詮義遊せこのもあへずと前頭敷 ぬに指出た指出。先うぬは何やつが松夢立実が角介のらとんて。れゝなくしくなく 物たし絹緒の草野どし若分がまゐに家来を取の汐にて入込て。是橋の内の頭の たる本崎年吉尼しが前へきはき物はきせまい。是でもあらふ。南へへ迚行兵 さいのみゆへせんと立の事に殊なぐつと総上ソレ家来共橋問せよどあけなく。 引立く酉の中へにける小金は気も気のず何也かとせんとせんと思ひ透間 を見て。もの親なを出し参らせ幸の変有功しくりて權時前夜にくるを今年にたりを今年 せ旅の用き風呂敷已変也金の樽縁也。死は神辺天の辺にていたるにて 尾をころになる上立出る人みをさつる所風しにてふけした物たゐてゐる。敷立屋はあし ぜぬがいにいの文なら此度の変備ひ。げさは女子を連て。逃たいたのさのたん也。このより諸 熊目おはしかゝしアヽ夫に極つたる舟の足びはほつけ也搦といて。忍んか是に残り呉 の尼めを取死すなと。跡を思ふておつけ行ひてやややうに金吉やに哥を打か たけ。いんとすを三人の出来。五方より金吉の権借拝てごんと引を引を。さとねば。まし とはなさる。ヤどふするとは朝糺六郎殿に執れたは此の天物[江是の地の立いたき事 ぬけ〳〵とやすまいでひねに極くに極てぶ得て誰義せんと立かる両人が肩骨つかんで 引込詮義させぬ曲案すると抜て奴告をつしく指を書寄手めへたゝき ふし。文所〳〵一力に仕てついれは大風は大風を出しいた玉いたせつかへけり。 敵のゆるに金やすと荷を打たけ故はり。爰宜かゞき酒立帆を通れて 出て行夜の伊中も引かて夏従七騎約の立発にて歌吹再び御遷済方へ からるやうやうきやしいといへ 彼数義の冥加美君は嶋の勝軍国も云つゞ武能いやくぶんと誉るこめ 一鯨波とは右は娘ふの所は二条堀川九郎武経の奥方男様程中戸様藤は 郷の天行殿外々義経一方女中が奉けけかたへかならず彼の伊勢伊次第有の 六郎信臣外風に至見一本の御いやねんめ何や名人は善右衛門 めにこそ見へにければから御殿への女中の使こびたより亀井が彼大根口上にて たま白い一気はつたるかい尉盛御夫殿中でも礼義式部輔殿義務大夫ゟ熊原敬の 神御所広庇に立出。駿河亀井沢会釈て御台所の前頃の御座候由と立は松 舞の句にげ。けれをもどよと延男ば。ありし始めて見まだが面白い也此間より 醫の助を請ても心あし暮せに我慈のつしかまやけ給はめよ。。ても〴に御 義と仰に忽辞尊に来に其御機嫌にあまへといへはお願ひ有へお願ひして かとおくしにに云ふ。か。其尋に及ぬは願ひとはしくしいそう立て物語と仰に猶 も罪人お願ひとては外てもの気の勢武蔵坊弁慶兄何る大きな仕嫌ひした 迚。楽をへきて入づけば。かづく御てめしを頼。き詰つたまつ。いおそでつと事 女はづらし。何こでかは流ればし。我君の歌の勇の書の事か願ひと申 これはいへはおしくしにも笑ひ。駿河汰に出てう顔やとやつた事てなは。おきや つたが武蔵坊弁慶共いる者が。女中を頼じ出詫言楽屋へいて通り。うちつくそふ てあろ〳〵。彼れ寺のあく也伊勢の尾亀勢の尾里波てより休息の筋でに くへぬ。猶に思へ佐藤大信。妙の病気と有て出羽の国へぬる。天忠春は都そいなし す。どこ打て舞ふで舞く取入て讒言そつく依ていての心を以ての意をぬいせう といて見たられたるんと。内詮識義も猶おし。及いはいほびの内よりもいひもいか せしねで笑ふかいなと仏玉ば義経過いる委内の折折ら機熱にての我侭 左衛門将方公への悪い。家来を踏打擲其場で急度問付我目通り通へ計いんと申付 たが夫をならん手路殺すと人喰守は家ても武家をもたまらさぬ持あつて心乱 立めまばつと隠せと御上立に駿河道図御崎に乗て。そのちのていんそが人におほ 氏に行王の大一色々かなるのかれ此義も急度旨の仰付けるへと申上れば 亀井の口にまだて御道具御普請役にも立難義な物あの大長刀柄も四 天文も四尺八尺の内して。依過をによん。住道の鼻きまゝや。京の代に役に立や 人雨兎角当分押込て所がたろと評義所々及い笑こと。其外に誠をひし たら又はこの倶々お詫となしあれ公義軽徳も心的なる愚教夫見重て 意気を出さぬ静も倶にと左を思ひ駿河兵衛門長井上に間へば入命は 如く御急いで武蔵殿ましと女中を走候也。御前のは引添たは詞汰也。御前のは何事 すと挨拶すれば。にてもじのかなむ心と止。焼きも悪の音理悋気痛も なく丸大変の武蔵伊妙倶に引立なれは何とて七尺の額も三尺九寸穴に 余間大方を引出してで這出曽成人込みに。三万とてはし其所なけれいうじませ跡 ぢより升致されますと吉に人は是迄〳〵其外に物やいへ物程行付処でむといわ あぜ人にむしけが有ぞ子と見ぬを目書に。又非まれます。チン〳〵〳〵と目顔 しかつこんをつねを取所へ連出し申恐也おやうなしおもなされ下さりませく。定なし 〽笑ひのなし。ない者どやかに君は私也臣は隠立の内にいづから君のお船を以て内也 家来の業迚言火いて。重て不致急気をやぬとなしなしなしなしよかんと子供先 に弁しへはたら〳〵とのみなして諸人一風情也然処を見の役人腰反敷内あ は其武蔵今日大津坂本の辺を順見致せに忍び〳〵に致倉武士郡へ入込候中に も。土佐坂二方海野々太郎行也。野詣と偏り我者の手の手の事の内に聞 殊に只今鎌倉の大老川越くら重頼越前由談辺お須に乗出いと云ひ申 さん也と者申せば郷の若心得ぬ事也也。其川越太郎氏役立人土佐坊坊浦浦が村 手の御手のしわさん共に来りし。何にもやと縁あれは吉うの通申也。其日君へも申あ げん次手代武蔵もお目見へと座を立給へば此節坊詞手とはうましく我等がせぬ事と 忝い。土作僧でも漸野でも。たつたつたべて参んとからんとかけ出すを体は押 留りしそれかモウめいか二の御立も待ずとまひ侍りやくむりに引立だいい佐義 経公のかはします奥の内への用へでしき行程なく入来る武士は鎌倉評定の役人の数は 舟軍頼大紋思はし実にとしも五十の分別盛広宛に入来れ御立九郎様大御製 来て好めいれしづ〳〵と立出給ひ。予珍しや重頼は。頼物にも給はりなく。百倍百 司も恙なしやと仰に心ひき御先御染神を拝恐悦至極右大将にも安全に 渡のせいれ。諸念と毎日の出勤賢恵安し下さるへと申上れば義程公とも其方は 海野右佐坊同役にて登のちん但外に外に申有やと為に重頼されはの茂兵衛 不審三郎条一々か尋申上御返言に候て酒野土佐坊と同役恐れなから思書は御 赦免なされに初る事袖御延善と申上れば未安回し。此義経に不審あらず。兄頼朝 に成がはり上言は赦す。尋て見よ申開候也遠用上伏に頼も出張冥加に 一会仕合迚の事に御座改め下され子と序を立ば大将も閑詮へさがて川越を上 平十三義忠左衛門 座へこそ請ぜるて。序改つて川越太郎いに義。の家を亡軍功を立ながら。 腰越より追かへされ無念に行し。但きもなかりしせ身の袖取合せ。初定の札をお もんぞれは無念なの共何です。キ其詞虚言〳〵。秘足の礼を重んず者が平家の首の 内部中納言知盛三位中将惟盛能登守者程此三人の司医者など偽て 咄したぞ生此通御立抜せん返答はとまれば。少々其言訳と安いとしし。 こじ夫を以て賃とするは軍慮の興義は廿三年深きつび夫ても旧俗 臣国々へ分赦」前旗のほんぼんする時を待門の中にも三位中将性盛は小松平 御座候に付て て平家の嫡流拝に物金屋敷にて人を懐厚恩の者の者其数を知ず惟成ながらへ 立ど云らは残党再び礼受治定又新中納言部屋能は守教理は古今社古本社の のゑむ者。大将の器量有と招入に随ひ馳集る者多からきすれは天下穏など何 れも入水討死く世上の風此常に。門神を討記しと。質目を得敵此旦天下を せいひさせん本経が計略と有て猶直れぬ大敵故熊井鷲の尾伊勢御堀 究竟の輩を休息を侮り国々へわけ遣はし忍びくに討取手長かく都に安産すれ 共今は今頃戦場の苦し迄頼朝は鎌倉山一望月夜迄諸大名に停れ月老花 の競び。同し清神の権ながゝ。農に狭極に孫を感ざるには長久の春 をはかる。いつか枕と安んぜん浅間の身の上と打しほれ。給ふにぞ。けに理つと重頼 も思ひながも仮目の説破る扨其御述懐め頭御評数如し立まし立ましかといは せもえずこつとせき上[リ]穢くし謀叛とは何を以て何を目当と。気色かはれど ちつ共恐れず。若鎌倉を亡さんと院宣を乞ずしに物者の敵を以て審政は 義卿氏は頼朝朝打といふ奴有とて顕戴有しとき。左前都方公より名のくせと。 聞て義経扨将方は讒言せしなり其数の参兼ての歎望下し置も傷 に成て反逆にかせたる詞の所。是朝前のかねといふひとは共院中より下さるゝ惣物 其内めすは綸命御身至ては頼都孝を哀すと。里何れし疑なれば敵 に多有べとことあのごとく。床頃ごりて詠る計神明仏陀も上覧あればせするいに もふれをと仰に川越ども忠四郎其御誓言の御誓言の一の極門の御名の御名の御門 ばる明田兵ながゞ慎なきは衛門の藤中門の君平大納言時忠卿様平家江勝組 れし心はいかに。すおろなゐ。兄頼朝の父子は北条が娘時政政氏氏氏は平家に有〳〵 ずや。□夫は立君頼朝。伊豆の伊東に付有時。北条一条一家を味方に付。此 縁組潰女〳〵元郷の石汝が娘平大納言業はれ拝たは時久内身血を介た親 は其方なせ夫程の○鎌倉にて云訳せざる也。但義経と縁立と思ひては。だつの鍛 鎧と思ひ隠包だる鼻転至極と仰を聞より川越太郎居方所迄つかと居かせり。 或は大なれないり経公清和天皇の末流道之義経を幾分に持たは都日本の男頭五十 に余る川越が。君を惜んで禄を貪ひめや。今内縁をあせば。なさの公訳するも 暗縁者の燈板と成故に。鎌倉では隠したぜんとげに成成日向に成兵衛む れ共御前には誰者の言は強くなり。智者といまし秩文さへり。友は忽年家と 縁組今に成。て川越か娘といへて得心有へる。旱慎至極と思極と思ひけれども 面目な。鼓腹一つが御座と。指添草に抜はなすこれ侍てと卿の詞也と郷の君の出 て手にすかり其書訳は目と母物もぬ我咽へくつと突立どう。伏是はと驚 奇経公体もけも起起し薬子祭とうろたへて涙より外詞なしけ人向 もせず。出かされた時大の娘そふやうてき兄弟。和睦の願ひも叶はず。 とくに呼出我手にふけんとふひしが我と取釣れげたれ。とく也。肥後に男女と云せ たくわだと目減と見せけ。有抜身を奪取。辱めをためを気ために中門とよそ 一銭一銭四百文 に誉るも心浅義経寺をく立給ひやあらんと思ひしぬわざと川越が皿抔 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ をすは平衣の縁を深かんと思ひし甲髪もおさきの身の身の身の果よしなてち ぎりをかはせし。御目にへ参る浅い又静の所も諸共にあつたこなこをもひやはいは しづみ給ふにぞ。手負は君を恋しげに。折やろ〳〵一はならず二の五人切な言残るべ残 は平家を勝組其科わたしが残なす業恋慕女のを加見捨なる是といかも 〽お精世につれないとはかないは明日を定めや人の命疑ふか別れ申にます。悴殿 我君処を大切に頼むぞやへのとぶいとてもつと計に泣けるが。青川越後ける 時忠か娘の首の頼朝様へお目にもげ。御足方の和睦それは箕中へよい見やけと白指 のばて心根し。我やか程川越しう胸にみのくり浅 似合たる喩なれ共玄宗の后揚失内は馬鬼原にて奇体輙に討れて人 下の煩ひを払ふ卿兄弟確執とならば万民の歎人。法に宇都も天下の為てき れた通也。あかの他人の薬が介錯して大名やうと刀すりと抜くなす。其 あの他人は人は。乍しけるも深さ御縁迚の事に。たて言親子の名乗は未来 でせば。さらば。さらば。ざらば。さらばも僕は人々骸は人川越かと奉して。こほれ 居がぞ思ひやられたり静の前の前も歌に沈み給ふ給ふ折かく。耳を突なく鐘 一大数ときどつとぞ上にけるにと辞は仰察も驚扠は海野土佐増め が責けしと覚たり。亀井駿河と仰の内よりかきはで両人が表をきてかけ出るを 印侍れよとくらねぬ仰分を以立はと留置を変けたは。彼等も誰者と一味 の族とばいへ両人鎌倉左の思代過有て敵対するも同前。此速に追々追か。 おこのを矢で防かれに。さいと忽義程の長と云合むれは両人は両人は心道理と各 込で表一きてかける行哥経上も川越なき至極と猶も気を付無分別の弁 慶かどえいへ。武蔵〳〵と呼給へは嫁立出。武蔵殿五行所ゟお出しもおれられしけるね 彼女のはつ。悦びいさんてけれしと聞よと何事仕出の事にて衆制せより 先色しも鎧ばづと必持出る其間に能押張刀もい込表へ来る女武者堀川 一夜 夜詞に体が働き末世にいふも是なかんかと案し給ふ所へ宛未認すかけ戻り 我也味方を別して的天を明さん。帰さんと存し所。武蔵何の無法者去難をいけ やを以て能ての名思ひ。大難にて人を引切詞にて大将御身のこを。はんへいかゝつらん □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 迄擲砕いて候と申上れは大将あされし越堂につて計にしつたりひつたり詞 手の大将討符。往速敷顕強の願ひも叶す。不便や娘も全なき父児も なき世の有のと悔涙に義経否人人を恨す。恨す。運のなすわざとすへば 恨も悔もなく。武蔵がふ骨を幸に。都をひかは論命も背す。弟の怒り 同十一日 もやすまる是し両人へ郷の君が死効残り去やと御渡皆急の世の世の世の世の世の世の 同十二日 我も浮世に提られて難洛の鈴の音さかん亀井駿河佐せよと並布へは 川越くらしほれながら暫しぬめ床に成ざし敵たつさへ天多年御怒望有し 一重宝残し置れては。落されしと申も残念院勅に打といふ心有とは皮より 穢れし従者の詞。打を枕者が与ふへかへ。て。さひ御連枝三ツの礼持の路の旅の旅の旅の旅の旅の旅の旅の旅の旅の 物わすれと心を。こめて抜愛を義経手次書給ひ。直しき兄弟の肉をば 打切るゝも運のつき。結びかへせに川越と。駿河前井を御供にてすごく飯を 此のへ。心根のいたはしさみかくる人も鎌倉へ共非なし〳〵も立あり世のを行 ぞ是非も心き跡は貝がね鯨波しんでするも理りや武蔵坊弁敷が海 野のくゝを討みて。次手に土佐借せんとしめてうれんと。安け通つて。居た な馬の尻辺に乗ほつ立蹴立白渕の死骸もゆるぐ鎌知合づく我ゑや おはし。討手に向ひし海野は粉にして土佐坊介を生捕たり。毛牛腹河はいづく に居る武蔵かね理の喰残し賞翫せぬかと叫ても。疑ひつそとなまて。 二十一日 一吉人もなきふしきに書議くと見やす内。坂東一の士佐坊が腰のかは帯ひて 切て。馬には飛おり大声上者左来のと下知の内兵具いつはもの数百人 討これと追てまく。武蔵も馬より一足飛太刀も刀も勢のかみ熊鷹門 かみの首の骨腹とされる数万力両があれか人煉。透間を見て右 坊が武蔵がよは勝しつかとたく。中小僧めが味をなる。腰の療治でひねる かもむかさすつておけのぶり〳〵とさる尻餅ついてもひるまぬ由者にて あまだんし物討てかればひりとはづして主切ば物先で。ゑんと請留 一火すく腰をさすつたてかはり。首筋ひねつて包んごとはねて 身をかはし。人太刀蹴落そつ首極ぐつと引受腰にもつ付。我若御台の花 井やい駿河やいと引出りぬければ。尋ぬれど人々の行方も見されは扨は 此家を落給ふかきバ何ゆへと身の科と思ひよくねばいふ人も。吾人も。吉朝の 烏泣て詫する長佐悦を石を見へ持直しかたいといつが逃廻り陣取た故に おくれた巳が首い飛方が我君の御行方御行方一千。笠平天 寛州中どしやぼりと抜て空ふ数こにたる方は巽のめうすかくの方でも有 一同七十一日 文元年有丑の方巳午も。よしや吉野も気を爰に御意を内なば程は有て まい給付んと思召上思ひし事も。今に成ては未申思ひ逸の急の迷者がある 爰とうくころく踏く如く満了し義跡をつろとの刻風を起して追てゆく 文 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 第二 吹風につれて聞ゆるこんの哥。物をさましき。気冬なきのふ北国の守設けふ は都と海人の身よ成給ふ給ふ有之義を数多の〵に成亀井六郎駿河の 次郎主徳三人大和路へ夜深に急く旅の空都の空都へ堀川の御所も雨雲 一堀浅世夢の外は稲荷の名いたし王籠東のあいふ知れはせいけるとしくあ の鯨には鎌倉勢。後身心等も無念。御教を蒙つて名戦仕らんと。申上れば いやと千堂清都にて男川武太が云し鎌倉殿の怪明白に云達卿の忠の あへばさいとも。哥経か身の言訳なるに。はやまつて弁尊が海野のくうを討たる故 やむ事を得ず部をひては親先ひ札を以恐故談は猶次に見に。剣向はぎ泣 一の嫁も辻治と仰に二人も腕撫さす。拳を握て扣を折ら。義。修理を慕ひ こがれて静の前といつねびつ来りしが。夫と見るよりしかり付ともく女を見るといふ 儀におくびしか武武屋敷に制せよと有ししつして。早御所をかせといふといふ。二里三 かれう共追付は女の名も。よふも〳〵むごたらし哉。此静一推置て不下の衆もの人 ませぬとも一所に行に行れになしいて下さんせと評は倶に立経も。様子は。様子は御心 見てひて駿河次郎が立しも道も道とが鳴ぐにある。道筒も敵の中。左分て左 行えは矢武の峯の十字坊の女義を自行やされか寸中のはへいから迄とかなくしる時 もあれ武蔵僧弁慶息ゆく龍者。土佐僧御れを仕舞てつけんと。知に残る思は ず速参侍上書もあへ心に御物解をきてう〳〵となくり情も孝治師を。目鼻 もわかすたに三坊なむく共戦いて見たぞ経ぞ調にする故妙の類に思ひがけ ない此度坊ばづと恐れ人ける。此間にて。朝当にて。朝方殿に驚く出迚も せざりしが静んの備言て。御見なさきいふけふ。その身の中にの中にの中にのは。また さめぬ其中沢へ候や御機嫌をはこなやそふなれど弁爰多にて不調法せし是へ なしま我才えなしといれまい。嫌藤とも。給が兄弟のふ。和せは治んと同越急義 郷の者が蔀を無下にして。義経が討がねに。鎌命命に発しなせ切たぞても汝か語り で立まいかば。又吉せよ坊主めと心へと覗て立へ或存見す詞も心頭も上つ す居たりしが悴ながら其事を存ぜぬにて若祢共。正しく御所の詞の詞のとの司の司の 佐坊いに御辺が重い辻立者をねいふをまし〳〵と成て居者の名の宿いかざある時は 日本郷義の上士勢果なん絵なら幾重にもお譲仕らんい家来なれはれは迚 餘りむごい呵やう。是といふも我先綱白より出た事。無心と存し職が終 に泣ぬ弁慶が足ないほとせしばしは。忠義故とそしれける。律も武蔵懸をさつし。 あれ程にいふてしやのにどうで三郎んう。皆とやはらな詫言の其尾に付て為井後 河風先々縄口王は。万経面也やはゝけ給ひ。母が何気。で左の入帰りし。四郎兵衛大僧可我 かれに召速くは武蔵が詫はま。ねえず。元が敵となつて。又ともよき時等をする時 声なれ此度殺し遠近伊に弁慶はつと計に頭馬守江坊主大名を撫母にて 千武蔵坊は静の重々の境はいま知話と悦へは。読ずんでは是 ヤモ かく此体が天いはすことすれに記の類し武藤と思ひ給たる其風情金詫言 頼だ迚当り眼な及故義経てもあつと申たけれと此弁藤其正道何家来 さへ行先に引割れて行給びの旅荷き所は立ていといふとして女は。そんでおはず 身になる人なれは。十五坊の家も重ぜし。是よし。是より。人の時越につて か崎大物の浦よりおなめ。豊前の尾形の頼有にもころず。夫はれば。松平 をお供成といふつりと思ひ切て都にとゝまり。君の名を待給へといふにわつと仰出し 今日は夜に居た時三人御時にからね身もよもあれ此静いへ候 る事じやや。数はくぬ右の旅跡に残て。日も行と記で哥て居られうぞ。い成とい に逢迚も。いつんと敷武藤連ていて下さんせとほくら我君にひしこと抱討 離れたなひ風給也神が割に制夏も目覚はたきかはせし只金武蔵が云通 行先教授くれは都に残る義経が迷ひの松に給へし。亀井に持せし錦の哀夫な たへと臥出し。是こそ年来暮経かわかけし初音の数此度法軍より下し給り 我手には入つかゝ。子も折の事なるたき兄頼朝を討。と有院立の。此条の 勅ひ執遁れを打ばこ〳て鎌倉殿に彼討も同所[ノ]の号け兼有此条 身とも離さす将頭及追上の道見とて帰候へ共有て渡候へ共にて奉行 はさり共と相願ひも眼も切勢ひし身を添て。かつとふて治田たる所あらす み出長路氏の時移り土佐坊が残坊て作りて来る御心と重後に詠めいれ 儀と他に立給へは静其侭我君の神にすかはり付近し人へかれどがれ死に死ん より。瀬川も身を投て非なくと泣さけへは人々も持参し過有て我君の怱の恩何 とせん方駿河次郎跡寄て会釈もなさき引退幸給はり迚も敵のいへ引ほとき 静の小腕手はしく。過させぬ小手の詩は。枯木に数とすに。そしかりに 青板は捕へ下いさせ給へと諸に道者はははやや悪行行方の 後かけ見てはないてかへ子どうよくなりぬそ藤情にてかけはんこなば誰がうめい引は 給めやか道の敵がはこねう他せうばくて死へて下されとなんことなんとなんといふは 目も当られぬ次第也落の義の遁さし土佐が郎等逸身の殿不殺者 めいと楊腰砲砲道を照て追けし。枯木の木のげに女の腹をあらんとゑびてやア 〽こいつそ音に此哥裡か妾体といふ百拍の縄上げてあてがぶたがたがま〳〵。此殿う義 経が定宝せし。初音といふ数なん此道筋に判敷も隠れ居るに疑なし福徳の年の めて藤太手に縄切はどに鼓をばい道行んとする所へとする所へどす衛忠法道法道法道法道法道法道法 たひ来て。斯く見るよる歟かる。藤太が肩骨に秘初音のなしばかへしてい物に 三度。左板返静を囲ふひろて立たるは心地にす見へぞ見へに出火にて。忠儀よい所へ みへたと悦へは逸見の藤太扨は忠信よき敵搦捕て尊恐んとぞ〳〵と追取よく 申しほしいかんさいめ。なくば手柄に搦て見よと云せも立ず双方よば捕たとかるを ひつぱづし。首物掻でゑいつく。者とん上もんどもれぜ。透間もなく後より。 連切てかれば。心得へと抜合也。汝哥の穂をひらひらす。飛鳥のことく飛越はね ころけとは眉ゆ肩骨なればわつと計に逃退たり。か置て外の兄弟の藤太が。 そんて掴でどう〳〵投足下にまへにか分降てい鼓を以とは胴よりあつき郡 の皮相破つてくれんとほん〳〵と銘いせ。きやつて計を礼待にて。其侭息調果たり 鳥井の本のこかけより首経立泣げ出て。めづしや忠信と。仰せ給ふけりはつとれは存 よくぬ見東飛しさつて御せへけは亀井駿須武蔵坊坊平に路事の事の所の如信 重て頭をさげ先はやぬ君の尊顔丸申て拙者も安堵宗も母る病気見舞 の殿路出は。生国出羽に飛下り永々の牝程なく女も本後役罷走らんと 存る中に天橋越給は追。かへされ致念度御見方御中不和上承間より。私物もあへば 都へあるのする土佐坊悉の詞手と聞」或は目について堀川門門御所へ今晩かし付河原 都ひ給ひ給へと。此より是迄御跡違ひ給ひ給ひ給ひ給ひし時救ひし。救ひし。我存 今の留し所近。申上れは御悦殿我も当社へ参詣して。今の働委くも見とやけたり。 鎌倉武士に母向なとかと申付衆土佐治討れし三郎は其外来る 迚抜なしんに始ば汝が手柄天暗く取分て只次信も我文面に立て討死しやるは 希代の名臣。其身の忠信なれは。我腹をわけしも同所今日我姓名をゆつり 清和天王の後胤温の郎義経と名乗まさかひ時は利久に度くつて敵を欺き 後代に名をとゞめた。是は当左の褒美迚却来に相し御着長忠信にたびけ れば。心計の押裁類を共にすり付。〵と。土佐坊つれが家来を追いせし立て御肴 長し下し給はる其上に御姓名延給は生々世々。天皇 礼地と相悦び涙にくれれは利変重也我是より九郎の立我豊前の尾形 に心を寄人汝は評を同道して。都にとゞまり。万事宜し計へと。君は静に別れ 儀もあらは音侘んざくと尋候は今誠の判なると安言静を武蔵坊亀 井駿河立湯押場つれば忠信も。我君に暇乞平に無事と黙仕合歌静 を押退くべづよにも主泣四人の清越に尼崎人物さて教ふなろしきて たへと行をせいしこむれば。御行う也。御顔色。見せけるれて。ゑいにつと地にひ給ひ。 正体もなく泣ければ。道理く去ながら別れも皆此数の者の罪と有りは悪といふ て肌のに深高さみさせ給へやと下しなる御前長ゆふりと肩にひつたなし 〳〵とを取静はなん〳〵形之の数肌身の深慮不思様に候べか涙と催に道筋 を以ろ〳〵て。奉行望行どの人類浜辺蜂浜辺縣に尾崎大物の浦に 隠れなひ渡海や銀平海をかくへて船商買店は施帆木綿三下りの積荷 物はこふ私頭殿の者人役のなき松問屋世をあるせに暮しけ。夫は積衣の 問屋廻り内をまき思ふ女房がつて宿方夫の料理格所々連納の物塩がら な塩梅も。あまふ舞二人娘お母がつの将鹿に風ひるべしと稚に物男の襖 を忘ゝつき時風呂敷もぬけ旅の僧によき〳〵と並ん是はまあおの僧の僧の命の命の を出しますにごとは出はたるぞ。されはゝ西にくの旨和何也。連込もほつと退屈 只居よよつは西町へて買物を立てさませう。是はく残り多く。外いが有へは鳥貝 鯰の出家に精を料理分たて拵へたに馳もつござらぬが。かまゝゑ僧は友なれ ば精をや専貞新たかんやや。夫でもおまへ。いへ共八りて不戦の御縁日ほんに そんじや。人の精を。うなんとしよしよこと。いてさませりぶいと思心て。気お 両僧の何となされ也。か。別の事でもなり。ねて昼は爰の娘が。此子のみをを踏こへたれは 俄に足るとはつて。ユーいへたらいさても女子やなれ。中がしてくやきであつであつ。ア 人降のせぬ中にいてさませうと武蔵坊しやう笠ひついつく共なかゑず女は 娘の傍に音に公母其様に転寝て。ひいひいてはもるなつと馳死せは目すり〳〵 ならぬれ。かまへのつさる事見て居て。経亡づと一寝入ヲよならは目を兼て。けさなら ふたすかをとつくりとよふ書て。こゝりいか目にきやさやとやとやかに。親しねを取て に入にけるかる所へ住し左今ぬ鎌倉武士家来し牢立い通に迷ふと内に入は女房 驚しり出来行行行行何何にと当時身に条が家来相捨下といふ者此度義 経尾頓て頼九郎九郎下郎と風口の口にうつ。鎌倉殿の任を受。人。人。人の名代として討 手に只今下れ共。打つぐ雨風にて船程も調を。幸此家に僧置たる暫日和次第 出札とい。願所なれば。そ私身共か僧給騎を押切てもんと。旅人あらほいまくり 座敷一明て休息させい早くと権感を見せてのし置は女房はんと思言に当惑 しやがゝ傍に寄。御人かくきに船がなやて啼雉子手前のは若も三日以前の前レゟ 日和何て御逗留今更私を行ひて。知所の用にも立がたし。こ殊に先れも武士なれば 御日私共申されず。何とぞ御手曽有て。今夜の所をは侍なされ下さらば其中には 日かも直り何数も〳〵入船の中を僧調へて上ませうたまれ女追白がなれば俄に に云は太所の守護へ指付に云付。奥の侍がとはやておちらがいら云にやは。身 共が直に云べいとずんど立袂にすがり。おいてにはなれ共。以もへやりまし て直に御都討たしまては舟宿の難義何分し夫のふにるとは侍なされと 手をすり詫れどやひいくどいめらうめ。奥の上に逃たぬたつたる所平家の余類が 分経し所縁の者家来ぬかるは。行すなと。とともして。ことはね退実追又左衛門を あけるく格別面倒すを。戻り。つて見る事又走入て彼何が手と取て生ひ給ひとつひ。 さるへ則私此家の皇政河や銀参。御立抜の子我等に仰下さへと称心を つけば。か。併声有なみて。聞さん。。北条の家来はる。哥のい討手を蒙る。春の 武士が借たる松此方へからん為。見へふんぶんてが直に其武士に互に上に逃にといへば。わが女房が さへざつとむる故に今此時宜と憚りながくてゆゑは前が御無理なれになられます。 なぜとおろくやりませ。人の物にて言たに。舞にちふとおろやりますは。無きじや。と ざりませぬか其上にぎ。宿かりの屋敷へん。思ふとなされしとやらんとおろやつて野方共 を踏だり蹴たりなさるは。お何様には飢合ませんに存ます。此なに。此なに一致し ますれは角日松川。左藤の中へふんごまし。ども私がかめ人立ませぬ。とうぞ御手 僧なされて。お帰りなされて下さりませ。素町人の鎌倉公にいつて帰れす程楽 是非奥ふん辺とその打久してひめける。何ゝおほればお所様能気でござなり 私も松問屋はして居ますれど。此はつつておもますが。藤利刀脇指て。人切物くや ないばにござります。お何の身の二騎ば身の女吾人の惣又狼藉を防うつくじや とやらなはりさした。くにかつて氏女の友弟を聞とやるとやらすけげとざります。アア ごしやくなふ入。あさけるほうげぐがさんと推教切を。ひして相撲が利腹むすと 取をもふ弓曽がならぬはい町人の家武士の城郭敷居つ内へ泥橋を切込に有 に。ひかで誰一切。其上に平老の東願の義経の所縁なんで旅人へ出すいるよし 又刺度にもせにもに人物に隠れば只怨恨束がおそまひ御たゝ何とする。なかい 綱ばかへたやがびら動残て見た赤頭瘡にちらし命をはれは殊此世の上船。 刀の頭由に提物也出門門敷居合心は村死人計の痛をしかめ て起言。本立のまつくえて居た此教にうぬが首さへ路を覚悟せよ。まだかう げたたゝか正座を経る避て指止黴瘡になさんと按付れば。前風にあるに船 のごとく。尻に帆ふけて立泣は跡を見ずて逃失け。また〳〵となし。発引よせ。 何と女房。奥のお友人も今のりやくやくやおくさつたて。出く。女夫がひそめく咄し 声下れ候へてや一間の横押ひらき義殊の艱難の艱苦の眼た事。御顔毛腹 同水井も跡にしたび立出と数よはなかはやと。夫も俄に拝立直し夫存候跡左手 をされば隠すよりなるはなしと。兄頼朝の不言を請世を忍ぶ義経。尾頼を頼み 下んと此所に宿せしに。其方よくも量知也。時政が家来一を返返に。今の艱 義を救ふたるは業に似やうい働我の名を責し時勢の尾といへる木とりの童に 山戸の案内させしに。山磯には新賀守教武士となしか夫ゟ御 御座候 天晴昔の手程なく武士に引上口つかんに有にかひなき漂内の身と云勇烈 一教大将の身を悔たり。詞駿河鬼井も諸共に無念の挙を握りける是は。 〽かた御仰。私も此こわいでは。兵服の奴にしられてゐますれとれて寺が町人今日 の働も必竟申さば竈将軍鉄撃とお目にすまつて我々連に御褒美の御 詞関加に事仕合殊に君を見覚へ奉るは彼哉 役にされ拙者手私も御用に造し度ならず此度も。つぎに宿侍もふかに 御縁。去によつておろ申レ上さき。北条が家来は。久さず人○一刻も早く御乗札 一然るんと云もあへぬに駿河次郎。我々も其心。此天気にて候出。船いかゞあらん。それを ぬつてよこさりまなが。高大将将はかませの業。舟を見る事は舟問屋 の宿堂きのやけ人人辰己夜半にはぬも三ツ。明方に朝嵐にかわつて。御出舩に ひんぬきの上々日和数年の功にて見置きと。見透す様に云ける其道也ことなれ 一ける亀井六ずんと五ア銀平出かしたり。其方が詞に付て南の絵間に片時も子 く。君の御供仕いと申上れは万程は。船中のしは銀平が宜し計びべさせよと 仰にはつと頭てさけ只今ももももし通行少より舟の事は迄鍛染仕来ば。又通の為拙者 も手にて。酒石の辺迄三条の先舟町一所は五町余は沖の方。安則日吉丸 思ひ立日が吉日吉祥執も如具の用意致跡より迚。付奉行乍心女房君を御 見立申せと云猶納戸に入ければ妻屋ゆつめんを張れ蓑笠参するがなるが遣ひ 忘れど。稲井駿河諸侯に蓑笠引させシ東文二人も手早々細引あいざらせ 給へと召後二人打連立て浜辺に出来て用意の嫁に召捕へは両人も飛露〳〵 遠く私類仕れどもやひほどけは女房門後して舟場にかり。御公運ゟで衣まし 〳〵て。御縁もあらば重ねて御目にかるべさらば〳〵に腑を押立沖へ出船 女房はいきせき内へ入相時アム心せかれ也と。火燧なくして油丁神棚 おかへに灯をてらし。娘〳〵お母〳〵と呼出暮方にて。もおきやいで食はとゝ 御侍衆を。元船に違つてなれば。もね迄爰に居也。ほんになしとなる事なり。 万里も行れに不都へ給ふ日も昔也。蓋かよくいわかなんせく。色と思いちへ なり。京臥て将鹿では驚い。往立両〳〵と呼立れは神是は狐武天王九 代の後胤平の加盛弱異なり渡洛屋銀平とはかりの悪行中納言とも 盛と爰を顕す言覚給ど娘の道をき奉に捕奉り。君はしく八十代の } 帝安徳大里にて渡せ給へど。源氏にせはあれば。所詮勝べき軍なねは玉 体は二位の尾抱奉り。加賀諸左諸面に沈して此年。楽領下して此年内。お礼 の心に房といひ。天の君を我のと呼時節。待かひ有て。有て。有て。定事 の中に討取年。来の中望を逃せん。悦はややぬしや如しやなも悦れよといさ 有散教成有て植平家の心繁盛と其骨柄になれ扨王扠道也。 夜に立給ふ。こわにてけんすんぞとは男仕損はいし給ふやゝ夫にこそ街有。北条が 家来相模はたいひし。我々下の松頭頭類頭弥伊門根暮させ。東毛。東本経に万人 の神を見せんをゆるさ也。今夜の風を日和と備は。船中に討行なりなし。都合也に生 残つても馳せ討たんと。されては末く君御奏者もなす。重頼朝に出も能とす 去によつて参人数ども幼婦にできほん哉神と漸くに載し西海には亡ひたる平家 一丁目 一感天知盛が悲霊也と雨風を幸に彼等が眼しらせん為我形もいとく怪見 する内原感此百物の長刀にて。有之也。首無らん勝負の打習は火物の中にあた へて抱燈松明一度に消なば。知盗が討死と心得。君にも御覚悟させまし。故顔見ぐるし なき様に。さに跡気つかそともの奏をしらせてたへ我こは有がだしと総顔を 拝し申せばおとなしきはの太鼓も御年の数を蒙る相図のなねにお暇と公陰に 長刀頭直し巴波の紋あ方をはひ砂を蹴立千風につれて眼をくらまし飛が ごとく聞けり得跡見違つて御評の局御傍に指立て今加屋のかつなやんを よふがいなされたる。誰けれ共十首にひもしき御姿にて軍野にて軍社へ御 装束と立五郎子たるの時は諸道に。具足一緒の死裂朱とぜにこめ調古渡隠し て入に何夜も早次第に更渡り。東風はけるはけるとは知義ことの難義しや らんとかやとねびさせ給へ此向に案し謁し御気五程やゝ為は。鳩気は御御衆冠 色々敷台女のせ。其身も倶に衣服致ある也。片時もなく御装来共 に立寄賎の上意を給かへて下の衣上の衣冠に至るしめさしめしめしればあてやか に始の御姿引て神の御東風風競ひ。いと尊へも見ふり是から知候左右 を待計とぞよとの音もゑどかと約せろする艱絶する軍真中と云のお 傍に引添て。三十迚今やと待折々知賀の助等相捨は。息心とあふて馳付。然子は いかに。早企よ〳〵と局もせきにいひ置万尺程の色その海の通響山より味方の小 私を乗出し〳〵。打のか乗たるを。くに爰に行しも烈敷武庫出風に連 てふりけま当時こそ来れと為弥何間味方の勢皆海中瀧辺〳〵西国にてつし 平家の門前様に帳に帳をなさんと成候事。歎に用者やくなけ純炮橋ばう 〳〵と味方の松に五郎。夢をせんを戦へは味方の坂武右大奉討れ。○老見へ候 某にて久し。立天加賀の先達を見すげんと。まもあへず。春大事。春大事。 きさ。さるにても知盆の御ぶんの一気遣し。沖の中はいなんと一物の障子揺明れば抱 燈松明堂のごとく。大道はまんとたる汝も一目に見へ渡り。数多の小船ゆる追々舟天 一念をいだてに気敵も味方も入れ逃飛越上ねこて追つきいつくつゑいつつて 切詰に人げ迚もあろ〳〵と戦ふ故て風にあねに聞ゆるにもあれ〳〵御らんぜ あい中の髪のかはすいんやためくにといひ上候。発ふ中に挑炮松明次第〳〵に消 失て神もひつむとしければ是では智恵の討死の相劣ると。あまり剰て泣れも せず速方にくれて兵方に入江押立来るにて立帰り。義経立泣手いたく俄に 味方残らぐ記にあ也。有悪事も。人勢の声に死すへける所に死にてに死に 御行の知す必笠海に飛込て御期と存ずれ冥達の御供仕んと云もあへず 諸礼くつづけ。持方刀腹に突血汐のよかみ飛込ば。扨は加盟もあへなく討れやひし 〽名つ計にどき伏前後もなず泣口王は君も見る事也けりの如さこはさき父 て倶に渡に運給ふ向敵の中よりも者を孫に抱に御顔々と奪り。述せり 〳〵と味方の松に五郎。。賀をせんと戦へは味方の坂武者大手討れ。○危め。 某のこしへ。立泰盛の御先達を見すげんと。まもあせげんず。春大事。 きさゞるにても知盛の御身の御身の上気をし。沌の子いなんと一めの空隙なれば。桃 燈松明堂のこと也。天をはせんたる汝も一目に見へ渡り。数多の小船やる遠く舟矢 倉を小だてに力敵も味方も入れれ舟を飛越上ねこで追つまくつゑくつゑにて 切詰にかげどもあろ〳〵と戦ふ故て風に手に御座候に聞ゆるにあれ〳〵御らんぜ あの中に製盤のかすいんやたづくにといひ立候。寿命の挑燈松明次第〳〵に消 失て神もひづれと云ければ是て都合の討死の相劣ると。あまり剰て泣れも せず速方にくれて五方に入江押立来るにて立帰り。義経立泣手いたく俄に 味方残しく記して有る事也。有知事也とてに見をてに危見ける。又はくんに 御得の知す必定海に飛ぬて御期と存ぞん冥達の御供仕仕んと云もあへず 諸礼くつろけ。持方刀腹に突血汐のよかみ無然込は。申立もあへなく討れやひし 一色つと計にどき伏前後もなず泣男は。君も見る事なけ弓の如きこさき事 て倶に渡に軍給ふ局敵の中よりも者を孫に抱にて御顔しく。子世に 餘りは此に苦きあはめを置の能々不きくの御住居物ののの順御立も。下と同し やうにさもふ物夫と命のこで殿上にて深き共しては夢なされに知されに知る 果なされは賊名せやける事なる事こと思ひに成果て終に此浦の土 一森野介殿にもなきお身のに。忍いもの数々の数々つつば物六のみやいのみやい 身もに計斯かアヽよしなき悔ど。御光帖ゑどと浅ながられけ取なく浅草 出けれぐいと尋道なる歟源此段に沈めんと思へは目もくれども無くと 一百二六六しかし ぞやひける者さかしましまんど死るとなどはろくはなすわのふ風妙覚悟く といて。いづくへ速て行のじや。ヲそふ思召は理り。とよふ。此夜ばせや。ひて。 源氏○ぎすくびころ也恐ろい国此波の下にて。極楽浄土といふて結構な部が ござります。其部にはゞ君一位の尼御居平ほぼし門知盛もおかれもおかれはじて こへ御幸有て物甚世界の苦みを。さいがれさせ候へとはため申候は肝中違ひ。また ごろしび皮の下宮入行○也。勿論を。お乳が乳か悉う舞三百程をあのなん くたる子花の徳やりまて。何才もともあれぞ。いかぞ。いか規する。とくいい 舞荷は公人やられうで夫なく嬉し。そなささはさいさにならず。つくへなり共行わいく 云て給つたと引も也〳〵抱不為大に入水に溺るも先の上の約束なれ薬来物衣 ま〳〵て天竺にすゑ神へ御暇乞と夜に向そまいらすれは美き御なを合也伏飛給ふ 御門外に仕主気も消也。よふ趣是なされたの地の御国はこそとゆひ指 方に問せ給ひ今ぞ六日文もをは川い流に彼の直にも都給へば。はこおで かなされたり給はたた其昔月花の御遊行からぶうに哥や哥に哥詠給はゞ。文帝は 申にへず祖父清盛公卿殿へ位の天気にて女門院頭なんぼう悦び給んに今は のさに是まの云にかひなき製やときくどきく浪のかざり幻陰歌くと ぐにその理なる庵涙の隙よりも。御髪色とき極て今は。極楽へい門出すゑ がんと。帝をしつかとだへて。磯頼波にもす也そらし海の国を見渡て。いかには。 王がうがの辨。安徳帝の幸なぞや守護し給人とうつまく波に。飛んとする 所に。いつい間には間にはなをかけとて抱成給へのに思ふやになして死せてたべとふり返 つてもとなくは無主なく音にひんぎ。ひん。久房の小慳ぐつて揺上無程に引 立〳〵間の内に入給ふ女なへ都盛大わかは千戦ひなし鎧の妻のけのごとく成も 朱に染なして。我家内に立帰れば。跡をしへて武蔵坊表の方にしてしらず 知成一声を立久王いづくに帰します。かれ人人人人とほと呼ふり〳〵とも伏音無 念合惜や是程のほどに手はりはせど。長刀杖に立上り。か乳一人我しかけ 立れば間踏明九郎刺殿帝を弓手の小脇にひ記面門外潰つけへはあ珍らし やいに武権やひて出る酒浪に知然が沈其五のに又至経も微塵になさん長 刀取直し。まゝ勝負と詰兵は幾騎少しもさび給ばしきなせれば。打れて。本経か 云ひ有之帝恵侍の席に渡りつくと告出其方西海に入水と偽り帝を供奉し 此所に思ひ。門の怨敵はんとは天暗く。我此家に追留せし色なみなんとなれ さついん所平家の万人弁益に云合しきぐる計追て溺しへにはたして氏 蔵が五禅の思ひれ其上我に方人の体を見や。心てゆるさせ討取術我其事を益 しば股の松頭をあへ切込裏海へ船をやしてより乞へ入で始終くはし元南帝 も我手に入され共日の本しろしめを聞聞の思何条我経が擒にするいにあらん 一旦の御旗雑に平表の意を引給ふ殿今参が助につて迚不知なると猶物も我信 とはよも云まし助々帝の気句は未聞を知盛といろき負侍の為[テ]の詞 に違なく先程ゟ幾給へ段々の情にて天王の御身のごとがへの方への方への方へば 武士のかたい髪言悦んでたへ知何と此に凝たる気も逆立局を取て突退すゝ 無名惜也我御門○忍を聚めんと。心配を砕しに金夜の時に倒れ身のこと しれば天命〳〵。まつたき。経哥を考へけるは。天恩を不及是を知べて。忽すべきいは れしめし。只今とて汝は太刀。包配へ手向んと痛手にまつめく足踏上は長刀追計 立向ふ弁慶杵屋だて打物わぎすと叶やましと。珠数さくと押もんでいに知盈 かあらんと称したる我もさとはねり。計野の裏を受負の家を取けぬ人の人名取て せよとおもいみたる如くの首にひつき投ゑは。扨伊勢の都盤 に出家となかけがけがらは〳〵。抑油性始て討ては討れ討れて討源平のならひ。 生はり死しはり。恨をなさで置のかと。或ひ込たる無念の顔の念の眼の下髪 逆この世から悪霊の相也額す計也。聞より亀井俊信君の身の身の身の気 づかはしと。追うけ付乱廻せば。幼稚なん天皇は始終つしわちものこの古書に向 せ給ひ。朕を領中し。求この介抱をちが情が情。又丸を助しは。義経が情なれば。仇 にこふの永盛と句体なくも御浅草の浮給へは田侍の儘にすに逢つからすかふ おつくやんごいつても義のゑに忘れ給ふて源氏は平顕然たは平家のたび お乳が帝のにあたし心も付んかと人々に艶めんさあれはわてかめになくは君の 御さくれ〳〵も。頼置は寺経度と用意の懐剣幅に突立腰慢げに御顔を打 守り〳〵さまど計を此世の暇なく息はたへにける式の道の取府の取都天猶さら 知盛も軍なる夢目に勇気も保けるし詞もなろしが。天王の座近涙を 右か〳〵と流宗敬いみじ夫の主と産れ給へ共西の内に漂ひ酒にいぜ る共汐にて。水かつしは毛賊物道あ時風波に成び出火の船前磯に 吹上いれ今も命し失はんかと友の臣女が汲さけには外ひけ迄は。此辺に源平 戦ふ処もなをさず修理の吉々又源氏の陣所〳〵に数多約のいなく は吉生の今やしき御身となり人間の夢の夢魂龍目前に六つの苦しれを請 給ふ是といふも又清盛外蔵の望直によて姫宮を御男夫といひやらし。 権威まつて御位につけ。大道をぬさむき天政太神に依り申せし其急逆 つもり〳〵て一つ我の身にむくや。是非もなや我や我かく深手を負たれは ながらへ果ぬ此部の如く思ひ汝に沈んで末代に名を切たん人物の中にて 頼友に怨をなせしは知成へが怨霊なりと伝へよや。サア〳〵息ある其中に 御時もめゆく帝の領奉を頼む〳〵とよろほひ立は。も我是より我是より給ひ 顔方へ赴之帝御身衆へ苦騒かつとも佐本せんと。昨年のとき出候へは酒井駿河 武蔵住跡に引添古館立光尓と打立てさいふの思はけふ様に劣ある。 竹のな是ぞ此世の形乙とふるへて龍顔身奉るも目につべはの不残に 天皇も。左右衛門尉出下まこはため右御門の大船二浦の領約せん 同断 と破るき頭にかぎざかば〳〵も如く海外に飛入てあなく消て清火 亡骸火物残分地の底に持兼て土城にゆれ流して斯波とて動波と毛成にける 第三 三芳野は丹後武蔵に大和治やわけてゑなき金峯山蔵王弥勒御宝物 御開帳辻野も山も賑ふ道の傍に茶店構へて出花汲肴前垂入はなは 女房盛の恩童子五王いの男の男の子傍に何添いふで謡音もさめに けれかれ残身にはそればかりや。水道は鷹の内侍れ吉馬の金吉谷勇太郎 を遁れて惟屋の道を高野さござし旅の用辺の小風呂敷省に東海吉野なる 下市村に着ける為名代代疳疾になやみ給へは幸の茶店勢藤藤殿へお休と内 侍を誘び其身も背負色をかろし。は案と指図にあいと。あそこぼれて指出ず。 内侍はつく〴〵及ひ。わがといたも手持たの。目も連合しの道を伴ひし得よりな やみて貯へ薬て残ず残らず飲たらし俄の難義御持た者身手嗜あらば所金したし と仰女房。夫はまあいゐ御難義。きしる子は生れより腹痛一つかちもつまへね。何の 用意もござりませぬがてそれは。申ほんにほんにそれ〳〵。幸此村の寺の心の前 に洞穴川つ陀羅輔を受買人がきりますればおきの所賃ののつづしり。身の は西所ふ案内太義ながら其方調へてくれ夫は。モそれもお安い事。わたが調へてき なりして てふませう。善太郎殿主仕や。何か。かなとしやなをあれて。若童には心よまで 尊い寺の門前実に立行今心よい本中を内侍をやり。六代爰次分木 の実が有ひろくてゆくてゆへは。金吾がひふが大ねなり。こめの詞に引ていれおれ もひかれ道君の病もわやう半分の起立給へは内待もとも〳〵もとも〳〵とも〳〵といふ ごとに金吾弁にいび人前髪かしけないも為悪機嫌腹臨め桃柿の実を捨し集 友折からに為たり草臥足是も能立風呂敷丸筒負てやく茶店を見付 倦んにやこれをどづかり床几に御の御先なり弟夫を一日左と吸行しけしかけの方開 帳参りてござりますがわこれは道まが。わしらか在所の手供とちがひ。御吉麗くまれ 付也。答ても咄ししけても心置身はそこゝに詞数なく拾ひ居暫仏で彼男。 云ゝ其落た木の実は虫入て。見けがよふても。木に立て。木へおなされ。いふに金吉は。 こなりも何といふ一丈余りの高木やけつめ持合にそれ屋安には。やうかざります。 リヤとつて。ざらば躯練お目にかける等石拾ふて打煉枝に当てごしく〵恐悦ひな やみも忘れ小金吾ひ候へず機嫌に内侍も嬉くきようよしてもゝやつた。分と 一礼も冥加に盛としみし旅の男は自慢顔何と手の内にめたる。とそんと打てを せさいか遠道がへは知りても居れば我等は参る方を消届向内的有重てといて 其場を行遂原金吉木の実を拾ひ仕舞市是で堪忍なされ扨く今の男気持 者才なる床几の風呂敷也同是もどもどやうちにたひつゝ走候間内改れは覚の如く しかも是は馳皮籠ぐ行衆頭の藤首叔父の家気を入牛をぬ人かへうせたる但は妾 お尋にもるにも返るで取来さんと興す所へ所か鳥あたやた度の前の男。麁朝いまた 御免々と心つゝ心指出し。日暮しもちかし。心はせく。同曽敷故重い軽いにても付 ずれいかへと麁粉にてふつと心付てかへてお詫言まひら御笑ひら御笑シ下されと顔に合ぬ 手する。は今小金古は物荷代麁物とあれ共もほない。万文の大へもゐ有 と赦さぬが合め。何か扨相違あらば幾左の別れば何分になされば。其言なら 急に及はねはねん中頭にて又はんとせひるき改身の相違もなしけに麁相撲相違もなしげに麁相越様也 申合なし其方の荷物もおもおもいやれと度元に残る風呂敷已渡也。渡しき顔 此中やりいどけたは。イエツの所がつたにゑんにゑんもふといふときさ計といふ間にひら 一役籠引ひたけて袷の軸浴衣の間をさり見て。憚り佐元置れ給ひ。まとにしやしやしやう ないない〳〵とどもつゝ目出何何何見へ殿と僧も気の妻目をくれけれけれいかみ 男腕まくりして已前髪及此皮蔵の中に人に頼れて高野へ有詞堂金女両入置 たごすねきなく。すか出た〳〵。出しやいと。死も付。介雑題に小金舌むつと反打げげ こいへ下にある六千に向つて何がんと云云云て見よみへうがつとひたせず盗人 〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵 たけぐしいと。其寺ゆをくぬく。赤鰯ひねりけりけはどて此湯してけるの。ほろうまいそんやうまいそんやうまいて 春永にくされ。仲介殿で首綱のかぬ内。四のついす出たと出たともかいみのね だる者。御徒忍がと抜けしが。二万の姿を見て。忽つて。胸掻かつ弓あや 其元の覚へ違ひ。そも通り通足よんをか供したれば。何方にあ有ても。目をかける所 一夜のとくしてつて吟味なれといせも果を もやといはせしはやるが南世のやり物何丁まはいぬたつたいたりたがごつても ことなきしれた事。予さして其盗だ龍損は。此時の中の中務弟とい。あれば。あれば。あれば。 に詣失な給へと殺さやといふたてへい。詮語くや。出やの〳〵とせり詰らで小金吾ももふ 是迄を抜殺す。内侍あていだき老人の忽応乱な事を仕やつて生しもいな も代に難音無念に有へと云ふと云ふと思のいふ様に了簡者でやつたも足程速た を異難と御物しづて給へのと。誠にくれいないぞ。血気ふる小金吉も 心に及びすせが代の時てござふならんと〳〵にためしもあきてぬやつなれ。何とい ても茅の穂にもおほる身の。足の姿に致しに致しま。ア口憎やうにすると。 こはたは大心の二方をおほの身なれは無念をこ大奥曲幡柱付上げ五といふ金あたゝ まつておはし。其頬何じや。よりこいはく。此難で切り。此目也かずが。前頭屋を留づゝ抜 そよ。ともふ金はけりしたる速のめろらせんだと。病みかもせて引物つんて引戻し用意 一の始合いふ程出て蛇付大切くは哥をかすかすかだね。伊藤村てはせい也格討れ は側のやひ合見ると川に仏やねばしく捨し集めて耳よみ揃へて照ろしい此 一命を那雪丸めにそつていね。ひぢりはりよと致したとやらず。其側迄立て命 老内侍はおさへとの中にての中に立給へ是非うなるに引添小金吉も。悉 ▼こへ三市の宿五万文とゑびても一度にまでも一度か香につきやまいまい 仕事くいがみの権太閤帳に押入て過ゆへ参候ゆへずづゝ。茶やの茶やの立やたか 〽横やコリとこ人ゟ小さん。小手店鳴てどこいた。みや旅人のか類で坂本へ某かい に。そつやゐ箒のか居丁又都戸家に。はづしてゐたでましと。いふ物ぐされて 行へると爰に倒さすてはづして居ぬそや。見は見房かつた所にさて。指 出火と後の霊顕れ。といになふもとねと。あのねげられて居し。ことなさんは 照つい下する人宴は府共公差ぬと我に釣瓶彫やの弥助の弥左衛様といて此村 で口も利知ら。又限れ勘当門前御所の町に居き町にあれ跡の月かゝ同し 此下市に住でも。男孫か正月にもならぬは。男となさんのやるゝ。いがみ難に三 きせて。国の柱くいふじや。此善太郎は刀老いか快実のもとで夕ならば此御やわしを売 て成と定て止て下しさんや何の目采で其の家にならしならしややき。付部法に 飛し上か引さればさまい。さいまは。かれの根元は。皆かぬから夜べた事。ころや 大はれた事はねばならぬ。そりや又どろし。どつしとは覚が有へ。かゝや十日の年元服して 親父の書付て御所の町へ郡前門漁女の中に仏が根破く込たが親骸と寐入 仏師東の研へり盗出し店は溜り徳居先身程半分仕とてやんだりたりいへたがめで 親父かほり出した無理なわ人の其内因楽と此ときか腹にて親方はね百米 を盗で立銀し。其尻がきて首が飛いて。庄屋のかう年賦にて。毎日の住役千金 済はて博奕にかり。出して小ゆをり誠。中も扨父の所の家凡を見ん。 のは雲めと。内の男めか夜通しの鼻付てとんまんが横に山のまののき。此勢に 母の覚をもしするけ。一三貫目貫目なでくる。酒買て程へかれば。吉上よりの音〳〵 鹿をんす通してねばかれが商売は譲れんと云つ立は女房の女房州付まだ上に。その 物ふるましころこなれはいつて内度て下さんすかれといずはねんす□にいてにいて よめこれと母の友に利者の内へかごだれば。こねにきとひ付専かづゝめかへは ぬ右は下手伝迚うえがる心も女物の糸縄て。さびたがぬは。さびたがぬは。こでも子 にはひきる。つめへんでがやとねを引て女房弥左衛門殿へ入折あら殿へあら殿内のに 武関三百村にて朝方ゟ足りの人数無子平平平三郡の家を負ながら内侍右衛門尉御 供申才都へ立あれぬ事について数百人通さはやらぬと思ひか命は 鉄石の武軍死物狂ひとかひのぐいば。爰に二人かしにて人ちりと云て。 は秋の花紋に五歌は木の木の花の花の時の物諸悪人之をお金はや何け来る 損いめいづへの見へに嵯峨の奥にて左近辺に一人数万公の御祝儀にての外也〳〵館へ ふれず。房場立めに白状世付近したる此海道の御性敷〽御逢有之渡渡駿河 さげといていへ手負は流る丑汐し三つと深息をつき立方の利太郎様に金谷氏 里息有内はいつかく〳〵ヲ長公公公公公を身へ聞き方をてもとめべしとはね 内ア ひつを見せてはおりとはづし。手練を感ぜ流者手眉心有者あへくひや〳〵 小花を拾ひ何打外及び越の加勢も食事。強く見ゆる様態が悲入て目 当はややみ透間の初込たびにに間第第置て頭将例無例無成候にも契 一銘は俗骨金五勺もの一寸のあやたるれ石礫糖能財財能能功王に金吾も倶に 淳ねのみ古は谷條の佳で危けれ火義の天成に金太がなんやくおはしを取押へ いつと突込この事仕員嬉にと思ふと。心心のみにや。かんと其身も倒れ伏[申 思ふと内侍有者たはり物燈起し。金色のふ金合合て物也なも物はいか死 で目や此子は何と成物ぞ情なや悲ふと泣入給ふ御声の牛姿の手負類上。 其内侍組代御詰て下よりまだ。云ははやけにはやれ給ふ叶役。程無性恵候以。家 て御出家のはある熊野浦にて逃奉りしといふ有故高野山へと心ざしとせざる方へはつ なれば中々此手で仕候へも行れす。よレ有し給へかへかへねぜん。けれを伴ひとやの者 其前に内侍るゆれけしお前は人を頼んでゆへ登。そのは名いに大人今道の供出家となり てが進極せ物も東も夜の中平家の運と帳の心也。命めて命めたうに成人後 憚らながら金五郎氏ね思召出たし出後の名代の名はつついつついせ。御次長 待てかます。無勝惜いお別れと。思ふべき息がひ。六代君れず。死でふれ なに金吾そいかせるととられに逃事がならぬへと泣人給へは内向はせずとて 子心でも。そなた人も。す。惟父れに身れは。死まで。死までとなれば。門 残すて。ひ広世界を歌を歌におのゐへむがふ居られんぞ倶に殺し故いのと欲給へば 理ると手負は七ヶ浦に金光泰松の重盛の日本の聖人の聖人の聖人の聖人の聖人の聖人の 諸弁の恵いへばなもござりますまい。半頼みし召て必短気をかなされあれ〳〵 向ふ地燈の灯ば。又も追手近手の事も知す。為思伺ひ。此場を早〳〵ト申ヤ。深手のすな たを見投めて。いづくを当に物ぞ死は倶にと座給へば。思ひないへ代次に入事に ない。此手で死る金穴でごとりませば。人つければ。又切腹にておきておもさへ程に きふやかなく。成権とへ落ませう。必死でたりふや。気もひ遊はす公運にし給ひ給ひ給る末 ろ必何で居るぞやといふるも燈灯の灯に忽ち是非なくも為速て建て建て落ふ 御心能いたしはき手負は風行を違つ〳〵死成ませしは偽り。三度世界の運備ても何のい 手で生られませう。内侍の代紀是此世のかつでこますと思ふがもと 六ツの響過て朝の震消にて。程なく来る。提灯ひ村の人組合 山坂の別連達に庄や作が立まり。弥助の弥助の弥左衛門殿以部倉部念押上 における。今云付には付た鎌倉の侍は此及んで。何やうとなさの耳を極めて。凡な程言 付たゝ。哀つたくとめやむしかに受食が。何光の一つ也。が知た事。このなの穴も道 からおれ怪根を表づ家を必た財ても見限つべし。例も踏の深き向孫ふしか砕 ても。農つたる痺もさん。ござるからの聲。かものゆ。嵯峨の命。から逃てさき。かねを 連だ女と大前髪は。村へ入込だと逃ねからのして。所てげいゑがねやかけて。捕へて。捕へて。捕へて。捕へて。捕へたとかけて。捕へたる 美と有へ。こりや又格別よい仕事皆も。断せまいぞや。それ〳〵の声の いかみの権志を頼にておこへ人組山道道行で弥左衛門殿おりしも行先羽手貞次郎の 当見つと飛返気味悪ながら挑燈ふるへど今度にもむごとやう切たは〳〵 旅人そふなる追剰の仕業ならず裸にしそふな物語銀とあてに懸者の所為か と悪いなしと将犯の身は禁じ過して。云手負多く。明も吉もならす扨は空気 息ひたるとしや何国の人成て。見のふけた角前髪社ふの衣も化生の夢をあ みだきやむめきこむあぎ仏上回向して兎角浮世は老少に定表るも絵異 見へいかます真葉後生の種かくつぞと聞つけてめしけるをけるとつ つ置つの屋の家長右衛門と立戻る辺を見廻しくで抜身を抱ひ取よりはやく 死首いつしと打落し。肥砲須須首須山弥左衛相成道も損罪に我家しみ にして気盈春はね共ね及き吹す娘が漬た鬼ならばなれかたる人と。景にくる。 風味も吉野下音に売弘たる所の名物勧観郭やの弥左衛門殿主の内に も病実にやけめも内義の子浜に娘かまが肩綿裾頭前垂ほやと 愛の愛持疑の能押へてしめやなんしす味は盛い様。神が駒形龍上は物の山 赤木に栓を打込て。桶の外で申喚さんぐのふとゝ御門かに。なるに。水をの 晩には内の弥助と祝言さす程に。世間晴て女夫になれおろしややつたる日が 暮てもおふりないは夏言いなヲあらいやる事公の。何のうそであつて。景量 のかいて見辺に熊野参から逃て戻て戻て。気も知を弥助といふ我君を譲り。 ぬら弥左衛門と改めて内の事任せて置やかは。そなたと要すゑてつけふは侮 に役所から。親父殿一呼にさてには源入迎ひにやつきも人なくし。折惣弥助 殿も方々かゝ難の誂仕込の桶がたるまいと同桶死にかれましたもふ戻ると てござ合よと。鳴半へ時桶荷ひ広男の心とも枉て伊速て今日龍 も商人は吉使男娘が好た故栄に冠着ても憎からす内へい物もぬ 兼ては里は如くわねめのの涙らんだ待ゑと連つたろやこそへなでは。こそへなでは。 がきつた茶たと女房顔ていふて見を洗ひて都やの眼に出子の刻とぞにける。 母のこゝ笑ひを合弥助殿気にけて下さんな。此吉野卿は赤孝五郎殿によつて五 を神左仏共。戴て居よと有し大女の掟。其気も程便気もふへ有やうは親の妹 瓜いつるにてはざらぬと云へむれば是はまあ都て迷惑段は世話の人功な おほ御立下されば。かれのものもござりませぬ。云はから兎角お前に。弥助也〳〵と。 殿詞をなされてさりとて気の毒。やつけり弥助とふせいうせいとおそにふ。申候や それは赦して下されば。又なぜでごさります。されはいの弥助兵衛は是三中へ合 の呼ゑ。度付せすにとふせいう子いと旬待なにて云にくい。去刻た通付さして 下されと実子をば人切に思へ給ひ幸に娘〽是をなしの母の慈悲とそ受ける出 里弥助波桶を板者へ置て居る所へい友の惣領いかみの権太門口より乙夢で 母者人々と云つく入てお里程。又兄のかよふかよふ出ともみなするさたくくいて。煩何し じや。よふ来たが怕。わつわりや弥助とうまい○して居にそふいが。弥助うしぶの。 一今迄。色のて居ても。音の下の愛おれ物。けふ親父の毛宇後所へいたと聞 たに給つ。。女母者人にいふ事が有。二人なから奥へうせ迄飢過されうち〳〵と どにといふて立弥助娘も跡に引添て一間へては入にければいに母親法息也 又ぬ立を考意い来たか。性欲もないわんばく者。其仇懸から嫁子が有ても。立 ぶみつさす事ならぬ。ごきや此村へ来て居ける。婆ねすれ合ても嫁始 の家目眼のふれと人々に云れる面内ない。并不孝者めと目に尾を立なつたる 機嫌にくんにやり。直ではぬといみの柱に乗にて申女者人今晩参りや也無心 てござりと一人は師乞に参りましたりと仍て。私は。私は所へ参ります程に。都又様 もおまへにも随分いまつて〳〵と言はられければ母は驚遠い所とはそつてやとことふし たねであしに行と根内は親のまされくちかにてやんと。目を見て。こき物のゆきの 物と。お前へて無心申せ。つに人の将者多し。いかんざ事も致しませんに不孝の詞か。 夜前しきしは人盗人に合まし事。其中に。其中代代官所へ三里年酉銀三貫門といふ物 盗気公欲もなく仕様もなく。か仕置に合ふよりはと覚悟極めてかもます。情ない めに合ましたと。雨す。程也。尚。しやくりても出ても出て浅鼻が都戸の ふきこらぬ否ぞからめきあまい中にもわけて母親夫々思ひきに風をする鬼神 に横道なと。年貢の銀を盗れ死にと覚悟まさでかした貞難にあへも初め○口討 よふ思ひしれ。よく。思ひしてはかりますけれと。どうで死ねば成ますまい。まいにやい あいく。常の餅か性根故是も傷る心称共。亦うぶ命にとゑ也。親父近ぐべし てややれてほつとは根軽直せよその棚へ子のげて親も盗も盗すまぬのまい 錠さへ時魯仕いがん首でこち〳〵かよござりまするとしなれ方のかね業をしける 不孝親は我子が可愛さに地獄の種の三貫目。跡しつぞ持て出て出て に包てやるたいかと限り。何程の夫親与夫わつくやといがみの指影の時桶 方へ物是へと親介して銀を潰たるこかし郡童千の柱なめずよい是て目立 ぬ捨ていねと親子がくあつの衆中へ吉倉親弥左衛門是も武将足の盛あ たやたとて門口を戻つた時いと打つくなむし三親父と内には転倒うろへ懸有其 桶を官べくと酒桶と供にならへて親子はひてゝ奥を口とへ別れて そ入にけるくせぬ人〳〵と。頻にたけは奥よつ弥助走出て戸を明寺内入るる 傍を見やしヲ父といつも寝てかるべき親共は仕込て立かと龍桶を 絶たり明たり。ぐろ〳〵。天と思ふ程仕事ができぬ。女房共やお定めは何ておゐで。 十此只今興呼ましよと行深物とは引止ゟ内外見ぬと表を知る事也 手をつかへ着の親供。小松内藤重三郎殿豊公の恩を受たる某。何とぞ候に の御行衛をと。思ふ折かゝ熊野浦にて出合御月代をすめ此表へお領申たれ共 人目を憚り下。部の奉公餘りと申せば勿評なき。女房計に子細を語り今宵 祝言と申も。心娘を御宮仕へ弥助〳〵と。賤しき我名をか譲り申たも弥助 くるといふ父子の縁義。へしとろどねぜに。今日鎌倉は。梶原平蔵京村 来つて。惟盛にかくまへ有とのつけさせぬ詮義。為を驚と書抜てはまれ 共邪智。深い梶原水や吟味に参つもしのずと。心致して重の油断は 怪敷の御と。あすからでも我隠居不市村へお越のれと。申上れは惟成忠右衛門。又重 成への厚恩を与へたる者は幾万人数限かなき其中にばのな者あふ者あふる者 はか成者なるぞと。尋給へは私めは平家御代辺の折く。唐士統平山一柏堂 金は渡しなさる時おんどの瀬戸にて船乗すへ。甚留の傘の水に致したた類頭 御詮義あらば忽命も我がんに。有[クがたい無盗の日本の金唐大渡す我 こそは。日の中の盗賊と御身の上を悔給ひ。重て何の詮義もなく。此家へ 参つて此商売今日馬女末に暮せん。親の女子に倣ひ給権太めか 盗役人にて給はねとんでは思ひ知たるの威慢か救うござりとも申す。治るに付 て惟盛も栄花の宿夫の事をなしされけ孫国海国落る儀ぞいたしき。熊野 は今宵行月いかつゝの通もふけ。寝道具地へ立出すは。立はくつと泣目を隠し 主乗物。今言のた通。上市村の事。少々くんまいで。今宵は賀上爰に出し る鳥喚とかれは雑座敷遠いか花の音なて気楽に給ふと打笑ひ興 へ行いも娘は嬉し。さそ鯨なとさんなんなん或は隣なす。餅向きやうと。かし。 とちは爰に天井抜寝てきやろと蒲団安殿惟盛つらはつじと身の父は都の 空若夢の内心や為思の心のみ思ひ直れて心も済ず気も済ず。打しほれ 給ひしを思ふりはかくか異哥。キこれ中。ヲしんき。何物心心懸心案じぞ。二世も 三世もかための程。一つのべたこめねよと先ごろりと将寐は。有のことぞ見へ にけは惟盛枕に寄添給ひ。是迄こそ仮の情夫婦となれは二世縁結所につら きつの言訳何を隠てふ兵衛に残せし妻子有男女両夫に子夫にその掟は 夫も用事二世のかためはねてと流石小松の嫡の辻とげくれてもとこやらに 親御の気風にけ。神のみを仏ならねば。それぞ共無念道を。行速に為に内 侍は為思の宿有万に預り負へても頼まんとふひ寄身も指のはしひな を見かけ戸を打すき一夜の宿と乞給へ性盛はよい返しはと哀の方。たゝかく飛に 声を寄。此内は部商売宿屋てはさらぬとあそいないかあそと成 申程を速た後の女是非是非に夜と宣ふにて断云て帰さんと申を揮開き月 かけに。内侍とい代着。先づと戸をさし内のの子。絶の手前もいふかしくそろう 奇見給へは早々も結ふ夢の神表の内向はふきの世のといひとふやら我夫に 似たと思へど形苦むもも青き下男たもやと思ひ給ふ中戸を押ひかいて 性盛門為東の内侍かは代かと宣ふ故にと申扨は扨は我は我等。されけり。 すり。詞はなくて三人泣より。外ひきて。今宵夜に伴ひ。今宵夜わけ 都の事。書て居たりしが親子共に息美でふしきの対面六つがら。某此家 に居る事を誰しよしぞ。殊に又はるくの輪の空佐迚もでいずと。尋給へは家 の前都でお別れ申七より須磨や八嶋の軍を案し一門残を討死とづべきも 嵯峨の奥泣てばつかり暮せしに高野とやらんにおするといふ者の有の故の 否四連か行所をやざす道近手頃養可愛や食善は深年の別連頼みも苟も ない中にくり返たは能いか。三條中将惟成卿が此かびかぞ。袖しつつはしほとねば に。此かむりはと取付てむせひ。へへ給ふにそ西目なさに惟盛も。額に手を当 袖を当伏沈みてぞおします。浅の内にも西の器伏馬娘に目付給ひ。 及女中の寝入てなびに枕も二ツ五重てお伽の人なりゆるしきか音しな都 の事も常風の便のも有べきに打捨給ふを頼給ふを恨給へば。生それも心にかゝ りしと。文の落ちる恐れわけて此家の弥左衛門の金軍成上の名形と。我を助り て是迄に重々厚き夫婦が情何なれ恐れと思ふ折から娘の恩給。つれなく いはゞ過あらん却て忍が死なりと仮の戯りは詰へ共女は嫉妬父事も潰すと。 弥左衛門にもけるして我身の上を明さず。仇な程も親共へ本理に走に敗りしと 語り給へは伏たる娘こたへたへたへてもつてものと計に泣出す。何ゆ人と驚くも何ゆゑ 石引連逃のかんと思へば。分これが初下されと涙と。他にかける巻是へ 之内心有御座へ直し私はおき申て此故娘潰者憎いやつと。ふゝれん 千六十二 申談過人ゟも長の比分づづづづらい草中へば殿御入出将監御出火路 しず女の浅いわるる。可あらしいちらしいと思ひ初たが名のもと父もあ も夢にもなして下さんが譬こわれて死れば迚去井に近き方。難やの 娘が惚られうが重速濃殿御とやとこびにで騒物を西の世のたつけるはいる の義理此勢つたとは情公はお情に。都またこと主伏見したる事には御直は非盛 郷気の毒物何も道理い謡涙かく間もなき物におの役人の役人の戸を はいてす爰入梶原様が見へます。内掃除にてかれいと云様て立帰る人々 はつと泣目も晴いがせんと俄の仰天竺はことに心付。先々親の隠居屋敷 三百村へと気をあせるに其事は弥九ノ我にも孝へ置候と云はけるといはけるの 運命検使を引請いたき又腹のむんと思んとや拵へ内侍かなやくに此道の都気ぎ かんをやす。先党をとむりやりに引給へは惟盛も。子かし此句ゝ後髪是非なく其 場を落給へ御迷び程ぞ危けれの介をいたかいかみの捨せ勝手口に踊出。か厳 の有た内侍六代雅盛弥助めせめてやれんと尻しかけかけかけ出すをと待てと待てと 公定に申付候の是は生いまはたは願し。又移く下され数つとい所はね死し。 十六十三 大金になる大仕事行ひろくなとすがんそんそん所はり衆所置銀の乾桶 大金になる又仕事誓ひろなとするを蹴倒しはゐ死し衆前宮銀の彫柄 是忘れてはと捨て跡を慕ふて追て行。とうかとうかれど。かか呼哥弥左衛門母 もかけ出何事とへば娘はわき跡から性盗れの御感有者尋たなもひかたら つかる咄いて中へ詮義にくれしらせしらん二人迚て三角落しましましましましましまし 兄のが聞て居て討取が生捕て褒美にするとたつた今追かけてといふより。 弥左衛門二大事と嗜の朱類の脇指腰にほつ込けする人へ参ぐと夫にくと夫はづ の提燈梶原平蔵景時家来数多にしつてい持せ道を塞て。老毛如何所 へ行逃る辻に。さへると追取れけれはつとむね。先も気。かひ。爰も遁れず 七時八例心は早鐘時に時つくごとく也。こいつ指道者併に今日推盛が事 詮義すれは存せぬしぬと云はやける。其侭にて帰せしひ告す。尚此 家に性盛かゝまひ有之。所の者より地頭竹早速鎌倉平打。打。持物も取 あへず来れ共油断の神仏を取逃すまい為津首詞を渡す但違背に及ぶ 一色吉せいとせつ付置叶役所上程をす成程一旦はかゝまひなんとは申たれ共。 あまり御詮義謡た心隠しても隠さす子先達て首詞言御召に入んお通 と伴ひ入ば母娘と不成候事と気遣ふ中。乾桶模模なんしづ〳〵出て出て出て。 三位惟盛の首の首御受き下されど。蓋をきんとする所を。女房かけ哥の心の押へ 親父殿。此度。此桶い内にはわしがちつ大事の物を入て置き。さんにて。このこそ。 にわれはしるまい此桶に。最前推成五郷のか首を討て。入置たりく此桶にはな たに見せぬ物が有てと汝寄れば引戻済が何にもしらぬ故えこつたるしらぬ 一毒は銀と心得てあらひ箭祢は梶原平蔵扨はいつら云合せ哥のくられ と下知の下捕たゝと取走所に雅盛夫婦がきあれけれいがみの権太が生捕召 討取たりと叫る声はつと計に弥左衛門女房娘も気は狂乱いみの権太はいか めく案内侍を旅籠り。宙に引立目通にとんとんとしせ人親父のまいすが。三位 惟盛を熊野浦より速あは。道にて天窓を剃こぼち。音二才にて弥助と名 をかへいるはとくろしき聟ぜんたく。生捕へに頼和と行。いびの外手許につ。 村の者のなしかつて漸と討前に致して持参候実験と指出す。成種利ごはち 弥助といふれは存。やがら。孝も也〳て云は弥左衛門めに。にひ違ひをきぞふ有。中殿たいがみ の権名者といたが以上へ対ては忠義の者で女也ゝ内侍る代生捕いなりよいゑ 童夢野の鹿でとぞも。女鹿子鹿の手に入候由の働褒美には親味衛衛 めが命秘てくれう。下へ申。親の命ぐゝゐをねてもゝと思ふて。い働ん。何とせぬ 本現い命は止られても褒美かほいがゞうゐいわつの命あのにつと相対 私に兎角か銀たるへは梶原にて小気味のゆへ懸美すれんとしせし様成 思いて渡せばふつてう顔しけた。其羽織頼朝公のか口がへ何時へも鎌倉へし拝 来る金銀と釣がへ嘱託の合紋といよ。裁出来たし〳〵当世徳の時行によ つて。二重気をきせぬ分割よふた物と引かへに縄討渡せば。更敢て首を突然終 させ。義権太。弥左衛門一家のやつち暫く汝に預る。は気遣ひやされますな。 一合へゆるにもませぬ。今扨健気なつめと。誉をやして梶原平屋 縄付ひつ立立帰るアヽこのゝ。其頃手褒美眼者の夫ぞと見送る遺留。 油断見合也弥左衛門憎さも憎とひんだかへくづゝ突辺帳の母らんとのつけに反 丸。見るに親子はだつと。憎いながらも悲しさい。母成すばして。天命しれや 不孝の丸思ひしのやと云ながら。先立物へ儀にて伏沈みてぞ。泣居たる弥左衛門 はがみをなし後な女房。何あへる不便なくの可愛のといふて。こんなやつを生て置は 世界の人の大きな難義。門端も踏すなと云付置きに内へて久手いく相 盛れを教。内侍御や為忠をよふ鎌倉渡たは。腹が立て〳〵。涙がこほれて 胸は裂る三千世界に子を殺す。親といふのはかれ計。道手から紅馬赤者に よふしかんこと抜身の物砕る計に握り詰じくわけるも心渡いみにかみし 権太郎物おきて。親父府の心なくなたんとなくのごと助る事は叶ぬく いふなげへきと別れ道の諺に手負の死人が。身ごり身有りと言記て戻。此中に隠し 鉦に是を見おれと飛桶取。打明れは百貫里と出方売目に。こりや 銀じやとりやとふしやと割果たる牛手負は願を頼め。おばし也親父の親が 怪根が忽きに御相談の輩もなら。和髪の首を悪髪にて渡木にて出さる道の あぶい所。梶原程の神様のより。弥助去て青二才の男に仕立有哉といて討に来 ませうか。それといぬあちも工雅盛り夫婦の路銀にやんと盗た銀重のを 証拠に取違た郡桶明て見たれは中にはつゝはしへど是幸月代剃てつてつてつてつてつてつてつてつてつき 付たはやつぱりかまへの仕込の首[タ]其又根性で御笑有しをれつれつれれれれけば 渡たぞ。其お一人と見へたいを。権太が女房勤。予らじて。惟成するに給へ給 為君は何国にア]進せませ被進迄馳出す文笛吹立直は折と惟屋へつ は未汲の味となは。為着連てかけてかけてかけて西流権太郎へ一礼をうねを 負たると驚も。かはりないと物るも一度をぞさまけ置けるがはるに 取付。ほど正き性根にて人に疎まれ設ちり。身物はなせにはくれたか道 なら連合がむさと手疵も負せまい。むごいといへて悔歎け。悔欺げ。静声。ヤレ 天か悔無用と。道が道なく梶原。なり。又はくふてはありませぬ。また夫たへも愁 て。親の命を褒美にくれう。忝いといふと早詮義に誰毛をける所如何がみ とめた故津ひて。一ばいくて帰りしは禍も三年と思ひ非能の年の時生れ 付て諸勝負に魂入守れけふもあつたを弁両後九間荷荷物の内に来てあり 高位の僧婆義助手顔に生うつ合足かいぬと母人剣の露の老をおとるに入辺恵 で述べ惟左の御身にぬる難老の位也此度性根改めすは人親人の御扶嫌ふ に預る時節も有給一まいと打てかへる事の裏帳盗刈の目懸ても。内伯為君 の名はに哥人もなく。途方にく連折からに野房にせんが敵を連乱の制也。当古 立へ忠義。いうん入るはいかめて。わしと善くをわかきを通を通それは斯つ。。 様と一所にと終にとて錫縄汁とも。手かはつれ殆んご縄もしやふとば いかんごかれか直な子を持ための豊楽しやと。にはやは経事にて池沢手比也其時 の心は笑ても蛇心でも。こさまたる魚いず。不愛や不便や女房も。その 其時に血を吐またと誰かけで。つきみ込て弥左衛門尉でに横言。孫にて絶 をける時。又一味程のゆくを。道に持。道になぜくつ広盛妙妙妙政天孫といふの もあめつ人子供る大勢遊んて居れは親の顔を内印にかみのちつたに立ると。 尋て見ては。子供衆。権太郎。息子は居ませぬかと。とへどの権。家者 は何こら尋あれ。ほれ給はかにまんだうに。かみの権すはいす愚者の子じや。 されておるであつと。朝頼そちが憎き。今宵禄性が半年所に直つたゝ。のふ はゝ親父嫁女や孫の顔に覚ておこふに わつと牛伏沈む心でやひやられ一日内侍は結縄流れは身にてにせまる。心の とひ次第二連国門弥左衛門が欲さる事なれて別連あはて死るも皆国約汝 が討てありたる首は立馬の小企近内他か領せし譜代の家来生て盡せし 忠義はうすく死て身がはる笑動なし是もふきい因縁と語り給へば。毛扨も そんなら是も鎌倉の追手の奴等の奴等にと云にや為にや為にや為にて。頼将軍 勢にはびこる舞道大方帳ぬ残念獄に立応に爰命道理と弥左衛門 梶原が領たる陣将蔵を見出し是は頼朝にじ久迚褒美の方法に妙意也 升〳〵に引替ても。御門門数に笠程二裂つのつ手向にて遊やと損やと損ず 頼朝がゑがへど也。晋の像譲る例を引衣判て一つ恨を晴たんと晴たんと。兄が せに子をとけて羽織を取。引給へは裏の横御か式の下の句也。内也床さ内で 床したと。二つなふて書たは。わら心得す。此哥は小町が詠哥。去れば有し者いやう ねど。見玉簾の内也床しきと有ける。その返しとて人も此有此哥物々 なう書たは不思議組に梶原は和歌に心み寄。武士目也床きは此羽織の 縫目〇内は床きと。掻撥降際切ほといえば内に製袋衣珠数 迄添て入置ざは。わかとふくや。次にと翻る人々怪盗は。 あん保元上治の其昔我人小松の重盛池の禅尼と云念院に 極め頼朝を命助て伊東へ流人其悪勢に性盛を救て出家させよと の鸚鵡。悲しか。かゝ。敵ながらも頼朝は近の大将は近の大将を至され何も 一玉川ひ床にと衣せき是迚も父金色のかげと戴給へば道理なる人々はゆへ 悦び渡手負の権太八兵衛兵衛殿ぬいまて梶原を謀つたませる。あちが 何にも皆合念思へば是正僧たも。後命を衝而。誰としらざる浅忽しと悔ひて終り 際姫屋卿も是迄一仏二寄て輪込離を離る時此時にて此時との告ふつといへ内内 為は賀すかり終に凡大漁をかへ宮仕へ殺してとけ打遊ひて。内侍す。内侍宅 文覚へばか事頼まれにお実足に成去り扨孝法の如何女と。妻の 一□ハ年□□と□共旅司立手負をいたる母親□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ ねど。し玉簾の内の内や床しきと有ける。そのごしとて人も知る此哥。物々 しう書たはふふ儀殊に梶原は和歌にごと言。武士目也やしきは此非職の 縫目の内は床したと。搔撥陣際切ほといえの内に袈裟衣珠数 迄添て入置ざは。わまとふころ〳〵。かにと剰る人々推盗は。 あん保元年の其昔我入小松の重盛盛池の禅尼と云合せ。地蔵に 一極部頼朝を命助て伊東へ流人其悪勢に性成べし。勝て出来させよと の鸚鵡に烈し。敵ながら。敵ながらも頼朝は過の人将は過の人将のよりも 一心内ひ床しやと衣を是迚も釜金のかけと戴有之哉道理なる人々はゆ 悦び渡手負の権太郎殿出務安殿ぬちやて梶原を謀つたまざる。あちが 何にも皆合慈へは是正語たる。後命を祈る。種としらざる。浅間と悔ひて。誠にす。終り 際雅盛卿も是正弘二属て輪返一雑を離る時参時六時の告ふつと侍 為は賀すかり終に凡大漁をかへ五仕へ殺してとかへとけす打遊ひて内侍馬能の 文覚へばか事頼まれは。出雲上に成候へり契孝の如何女と。妻有へは今の 供は年寄の役と諸共旅用立手負をいたる物規が。これはれはいき入せい 権太郎様類都も切る死目に追て下された相留守にや弥左衛門死東惣一分た 一勝手にけ。とげ。遁れに遁れて死たを見ては足もある物六つ物人の難有用 は叶ぬども助る事も給ふかと思ふかせめんの力安留郎せいたかともよくとぞ す若様母女身の娘の娘と短て惟盛の首に輪装に衣子の首に依手向の人もあ おいくたす三みやく雲長抱ひかとて。守殿高野二引建帰の別れに親介の 色残手負は見送る顔と顔をいつれ又和路也芳野にのこる名物に これもり弥助といふ郡屋。今に栄ふるきの里て忠も高くせり 第国道行初音旅 恋と。忠義はいづれがは下いかげて思ひはかりへや忠と倍のものふに 君が情と預られ静に忍ぶ都をば跡に見捨て旅立てつくら ぬなりも義経の御行末は難波津の波にゆゝれてたよひて。 〽今は芳野を人づての噂を道のしほりにて。大和路。きて。しだ ひ得姓殆もなれぬしげみの。まがひ道。弓手もめても為孝 を。分つ行ば。あさる雉子のごつと立てはほろくけん〳〵なつうつ。 なれば子ゆへに身をとかす我は恋語に迷女身のアイアくやまし ねたましや。はつ雁金の女夫連つま持顔の羽を留人よりましの 一真柴さす宇賀の御聴の御社は。いととうとくも。かう〳〵と霞の 中にゐるのはらわきて道の敵のかいとのむつ言を人にはつゝむ ふくさ物それを便につく杖も心。心はそ野を打込て。見渡せば四男 のこすへもほころひて。梅がねうたに哥姫の里の里の男が命々に我 つまが天井ぬげてすへる膳昼の枕はつかもなや天井ぬけて 千七十二 すへるの枕はつがもなやがもなやヲつがもなやかし烏の一に。人も わかやの舞にも春はねつく。手まはひいやうのく〳〵と聞へごち風 音添て去年の氷をとくわるに御万歳と君もたかへまします給へ けに有や猶もしや。さぞな大和の人ならば御隠れ家をいざとはん我も 初音○此鼓君の栄へを書て。昔を今になすよもなく。吉 の労り初音の殿〳〵。しらへ。あやなす音につれて。つれてまね くさかくればせなる忠信が旅姿背に風呂敷をしがとせた らおふて。野道あせ道ゆゝつとくかい取なりいそくと目立ぬ やうに道隆女中の足と侮つて嘸お待兼。愛幸の人目なし と。姓名添て給はりし。御肴長を取出し君と。静は 鼓を御顔とよそへて上に沖の石人へてしらね西国へ御下向の 一御海上波風あく御船を住吉浦に吹上られそれより七方 野にまします由やがてぞ参り候はんと互に筵を取納めけに 此鎧をあはりしも。兄次信か忠勤也八嶋の戦ひ我君の御馬の矢 表に駒をかけすへ立ふさがるかゝ聞及ふ其時に平家の方には成事 き譲弓能毛守教経と名乗もあへずよつひいてはなつ天光 はからめしや兄次信が胸板にたまりもあへすまつさか御あへなきさいでは君 段義死のゑを残す。思ひ出るも涙にて袖はかはなぬつゝ井筒いか事も。 のびやかに春の柳生の糸長く枝を連る御契かなどかは折しかへきとまに 誠いさめら直雲上とすれとはかとらぬあ原峠かうの里土田六田六田六田も近からぬ 野路の春風吹はひ雲を見きかに三芳野の麓の麓の里にける 一丈六度組へ御像も花に和く吉姓の軒は段にうつもれ拝持た田方蔵王 堂橋はまし枝みの梢淋しき物表の山の衆徒評定始と知行下の句帖等か如し いつかにしていといとしからしてもいといふといふといふ の奥取くす掃除失験あたるには。衆徒四月をめ恐れん名次静六人と 急ぐの大僧名抱にて身程の御跡を漸爰に来て弥生なると云ながらん渡 す京も吉野山百姓は口々に何実の京女郎の原女郎の子はアハアゾ何の何にで給へ ぞい男と女と二人連腹かまてしやうわなへ。いとしてくさつけ崩れつらぬ者 てののの速法助殿へ用事ありて参る者ぞからとふきますと酒しげすすへ返思へ返る也 く異奉公にやみしやかのサヲいかなかれよい仕合同連治好のといへい所の衆怪我方 野中は正伏ふと語やうに。女房朝のを失也鳥は藤次第。三馬坊主の娘妻市 といへば格はない。どふで首尾して仕合たくやれなれは目寺くめの申て法眼には太 切夜お尋もざりますが。そんぐりは都までぬ。かり頭に諸上で腰で懸りてすまし たき道をいといとはやの方に付。明神女の東にややややすれ手前の所あん の方につゐる。大きくつの通所表に神かあいと。夜に給ふこんと気の上気の御道その □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 又とお連やこそ急行子参命と喚鐘に山桃崎橋坊女道不残の哥を立郡り 覚治橋も如明れいづか〳〵とり跡に覚と名前は違ぬ忽者様中の先佐渡何道 坂の薬医焼傷僧なが大方太刀帯。大口の旅籠ちけいの塀空真巻け。伊勢番ふる はの形外也金くいふすなけん是れに追からば鬼佐渡傍にて蛇迦邊掃除仕廻 ぬな先述て云後すにのらいて源入る年首時分に備へつく心付置かど。当時に てての箒どつさき。風方掃近せば装にても衣も衣も衣も。とうめくりや何し 一旨と問番程於遠慮なふ掃除五ますと無二無二三二左衛門。けて逃帰る爰に河連法眼 とてごの検校織家多しぬぬ崩買の法根歩治まれる指貫もあへり候一に軽音 同十九月廿一日 いれものやかつと安治後の挨拶有。各方左に引れば。有て河連法始元速て 一田状を以て申せし所。との委会を。御祝者今日の決合東の末にあらず。 鎌倉内の大臣。我小男賞左衛門より行の如き土状力来金を読聞さなとずれ 文明四九九十五人といひけ。龍札と申決す。有頼音経ののののののののののの方の 頼朝巡討の院臣を蒙り剰土佐僧正寺守中頭部取都太介組大和次執修理望の者に 立によつ。鎌倉の憤大方なり。早く討て出すべき時。国々へ聖司を以て悪 煮申受ひかへく総丞において三山の減亡の時に候へ正月十一日河通信姫殿藤 左衛門づれたかぬれも。談合とは。元来科の村藤。不和州不執行に。如何と思は。山山 一衆徒を頼来れん図也。其内発頼まれてかまふ事也又五郎兵衛をじくて 一弥右衛門江近慮なく評義有といもあへば玄濃橋実尤云はるゝ我が誠意心得 色なくこともの仕置頭法始ぬから了簡をと申候仍て詞を背を立て詞を聞聞候所はし は土問へす。キアリ曽は胸になまつくとろへと云は。仮念に合に合すんに合す也。これまし 左へはくてふ先の饗応奉存候義は跡ていかん藤の子直江上れとやけるが置程如し 一愛忘はしが有役の薬院坊遠恵なく如何と出定殿僧は。義程やまふとまふ正年じ三人 年翌十年十年女年。其男五寿位でも。弁慶とい思ひ抜いへばい程やひ込ん もなず。と有て。たまいくい。彼弁夢めやう者で左右の娘で老衆仕んも知まさ す。どかく盗れ申さんかね。山の出前にて。景福を一生春のがめ立なんと申にて法師 〽かしと思ひけるもられも我人人と世もあずさきもあずされて。此事もきも いそ人を救ふが汝つけ役我ないき難くまで迚鎌倉の部手に悪辱の命にて 一魔の後に身をかたの近吉に提言は。家仮念へ追上随身を覚むべしと申聞て誰 者ばうへに行給ふ女もらぬ物ならば程れなきぬるを討て。頼恵の床とては我々にも 此度は。法略の御了簡水はんとも御からず申されぬ法橋通の御立候所左の為替 横門様焼免起此場へ参り合さす。此方等もの程無速が公也逆だで詩人と思 間程なふ道をしづゝ女子津波は参にあひたる横川の光記表の館高さぬ宗に寸の 太刀帯そし末道になれど大木なく僧ぞ。ゆ敷見へにいふしましさんに心をん〳〵 と招宮法略せんと立山は。其覚記。色に。近よ。夜の中に耽なる。二つの山麓の中に 合秤の名下川を隔て西条北は殊。東名助。山上下に馴れり。妹妹弟の方。兄山の方。 兄弟頼頼親方経兄弟の中吉野川引われし。妹により出すされば 一未一月一貫四百文十一文の五 妹兄の中江戸吉野の川口しやせの中と詠だれは世を捨ても頼ひぬ 但又徳利女女で討取気。なげ鯰は返意の命さまつと云男女采女弟敬をずつと云 打懸いて房党にかけ奉る。陣納のたき騒引し御連介の説有り。欲心を我返 嘉永七四月五日に立百一本勝負の目当延長次兵頭打あひ。野むるとのころし と数す。白矢は只巳の木根源にゆつて立てける法姫さんは頼朝に準万兄の中に 弓ひまれは。頼朝に新村て義経の味方よめぐゞくと計行前の秋くる。中山 科法橋梅本坊東西坊も其通心皆間に義経の味方といたれと。それなし 公治兵衛も是にて明さんと同じ弓参年此上引あたいふれ駒上本に付に付て る家つたき数をは無殊に反だす妹の身の人に。扨法昭頼朝寺。義経にこひる るよいにも。万人に調せんかる世に追てこの破獄にてはう仕置の段目にそふや 手元紀あある所決念入念羅は山頼やかいかまれは金橋際此店投出して 討しえやう。其時敵味方。苦別有衆徒兵衛院大也隠悦むの参会也と〳〵 さゝば。迄六棟に駕を侍ずて立帰る所の頼そに書きに巻佐渡口あん不申や 何いもどいふと云合せた皆すまた。先肥はごややぞと山科諸家の足紀伊勢守 鳴出天浅間多ぬ法師が応正を不ぬ今の詞でとつくわぎ経りすまひ声屋 一冠三間組須脇も我所致所縁の味方と呼上悦で帰つた根中丁迄亦計 つゝ落やんも計れず。今宵此の返舞を立く諸内にて討て討て討て討て討て討て討て討て 旁覚犯が薄いや御引後但女人をと人木の持杓に向と腰杯のより 人に孫兵が兵小宿したり我詞をあつます。藤法橋は下野下崎倉が辻ゟ 一文古に彼は殿にひたしと。推童。喚鐘三百四は乱詞子。忠佐渡は如恐怖る徳の 手を図に六地屋の板屋の桶川敵近く時を待奉尉はまよ。此者風願坊谷の 次に火をば大上也聖天助ゟ無二無二無三にけらして勝利を切金夜の事手寄に 有べきめと云里武薬医坊頭を持つそ要味肴の味佐妙語て忘れねねににて 腹退なけぢしままにて。出勝手の宮陣所とて。門を打てしつしと打は深ぎ理りにも咎 たり其時は生寺金剛蔵殿の理ふる凶孝に三つまつとに引詰討なくはそこも たまず逃失人ん。其時はまた咲ぬ桜の木隠岐須岐隠れ来ゝの朝道を逃るの大道を出る 橋大将軍の兵衛信時に左衛櫓追方衆徒を侍せ時寄衆へ致すたた 其法橋何条時左藤人は持方大輔殿処より。引てじでは引程違や何左に 何の候間隙入べきて。此の音をなく。是也よはこそふれて昔。大なし同乙 女下つて舞なんん是まへいざればされ聞をき階々光強く駿近火にて足 右七号。総合て十四日。近々心つと陽治行。そのすむてめて。 横山禅賢範が勇気有の間重要なり。鬼婆心を 一太子子春は来ながられな又又今朝本経子経を経に対して味や門連法眼の妻の 一教音がも世上及び駒柱に立る雁金も甚だ。又横心に頼しさもとなし 一金朝ゟ他出の法師心に。物有難に悠々と立ゆん。妻の家の御番ひを失ひ 早い帰。今日御評定山の仕置候但処奥の出輿の出客。其程の御心得共 バアヤ〳〵。首軽い事也〳〵。から扨は吉野一丁。味方といふにもや。成軽く衆 徒の中にも大坂の薬道坊山科の意法橋梅本の宅佐渡等別て横川の覚 一絶はつでも経の味方といふは。我なを披見ると如此法頼鎌倉方等数 つて帰つたり。よゝ鎌倉方とかくやかは。穴泡のやこわからも。損て見ると云ふかに けふよろ心を改め。万経六敵味方。手。あつつは前は前は哥給机を。テ鎌倉へ討て出す 気合候得ずば是也えよと懐中の書籍及出てはらず。誉残らず読終り 経は此度にい忍びまします事。鎌倉知さやうな文神ヲいにも汝かいふどく。大に 口なし人を以ていむる。吉野守者なて小男の夜左衛門へいて越べき也内通せら れて知たる上は。れづき利友及人に手柄させんより。我手にかいて彼陣にそれは 真実の恋イヤほんにこはれは。義経に切なるやとい〳〵。はんとむねも突治し 夫か刀抜より早か。自害と見ゆに房。持宮物ひつきくり。如何こす如何に で死といふ顔さんとお守り。未聞へばや法明久なくや語ては下さるぞ。恩賞卿下し 文字通り通来た迚も。旦の契約変ずる。くいたの質じやない。鎌倉殿の 大臣次左衛門が妹の飛鳥。義経公の御隠家。兄のへらねたかと。此状が来る故 に哀にていひじやの覚を言記をまだくとてまたくとて給ふ給はやひに粉て 下され法姫人と恨渡ぞ誠なる法師始終を聞すまし。以前の通取よりまどん 〳〵に引さきく。偽に命は泣まし。女房を愁へは未練にはれたれ共。本郷三やけなに 我右衆衆徒等が胸中操次手。心引見給ひ契状。引張捨れば母諸人目容正 れ女房と解寺詞有ひ雪恨も消も消てなりける。ます法頼帰れ心面諸上義 縫公奥の間ゟ出立給ひ鞍馬山好をしらす一々の厚志祝者詞に述かたし扨 ても。談だしき。今日の衆徒の評定委綱あれにて承知せり。御覧にて頭きい。 師の坊の命と言ははふい方。誅略なきなきなるや。存の上が身に余る悦び此しや候へき武 土の坊は奥の異噺方女をされ候家臣中へ少けれは亀井服河なんがとくとくとくとくとくとくとくとくと されよと申詞の内使の出佐藤四郎忠信殿君左御兵楽を尋れ候しん通申さんやと 窺ふにぞ扨は無事にて有つるなござべきべ通せんと仰伝ふないいまいる或は立 て行案内に連て入来る由兵衛大臣座御座の間のころたは大き者の顔見 るも無念のある成損うむいて詞なし大将御機体なす。汝に別れ爰かしこま 一今度の御詮義つかく身の盛所なかりに東光坊の第。同速法明治に出なる〳〵〳〵〳〵 ざる恩を向替の背の命の命の人を俟りし其方。命全く有事我運のまだ故 ざる所頼もし悦はし其砌預たる躰いか成ぞと御尋なければ忠信いに承りける存 なき供給へ。他島の平遠時に亡ひ。天下説い凱哥の哥にあら。吉季母が病 気の口及ばれ御暇はつ本国大将へまりし去年三月。程なく別れし女が中治主と 中に合戦の底の地口おこの破傷風と成既に今も是半御先生。御先身の地中だけ堀 川いす所没落と承はるの惜さ。程を費程重る病気無念也余つて。総切んと ねぜるとせめては立天の御顔ばせ。今度拝奉らんと念願しけて本後とげ初立の 長。長郡中巻なく。此教に入と承召候。金平也。金平也忠信に姓名病はし。許 御所となしなんど御諚け難かいて身に見へ候をとくせらあへとくせらすと ぼけな不信堀川門門館を立返し時折よく汝国々当り評が難方を救し故我者長 を汝にて。ことな経といふ姓名を譲り。静を頼別れし其方。世になは我を見浪 つて体を仮念渡せしなる方程が有家投入来たか只今に今国ゟゆりしとはまたく敷 備表裏深湯にてもうつけぬ義経。欺らんとは推楽へに必尼の外に引 やつて西将させよる亀井駿河守坂大坂本深谷二人勇士様は奉行忠信 かぢを馬手代友細女があれにて皆すた。まゝ焼くて四郎兵衛様御前代行 前ゟ明句に白状せさせて縄かで縄かいへる。横廻て書せうかすりどふしやうとふ じやとせりけられててん刀指添大に投出し両人待た麁忽すなきとは但言 訳直か御宗になん也々に難義阿部成衆中辞御前時信申由某忠信殿 御出也と奏者多くに人々仰天何不仰が又来し其覚行すとしいもあす。記所 の右信立方。我君をかたるは曲者引くづくつ人物の曲臨せんとかけ行を おしならぬく。僕方の縁迄動さぬにも同心を見へ入たりさやささせはいらん に給ふ上に又右徳が静を同断何にもせよ子細その体洞も早々の如何も事也 井は須賀我身あやぶむ大炊致て。次にて。次は割れ住べし若家をされ たさどんは。何迚も近への声歩くるるもとけしなく手拭衣なしやと人目いと はずすかり付恋床の溜也を泥の外しより。又女に歌台に歌凡暫し時言くせし ごとく。人の情に頼る花経嫡子ささなは服捨ならねは。心やくはなしたる者学司 道といつくに有て初給へたた今次の間も迚立でとにいる爰へはまだかけん也 くそれ〳〵ても京爰へ来て急所には目づから物のもの間にて た軍場かと察てか養ちつ人〴〵有と恨みに成詞にふ者一倍暗ぬ四郎忠信頼 君も其ことく覚むき老拙者則今の先出羽の直から成がせてかへお 目にかるは今始て一つのへのじやうとてんてん事なり計合せの人は実にまた 真顔でたますのと何年も媚く詞の中立合忠太夫の太静信卿の石信引 立来んとろぜし所次の間にも有合さず。玄関長屋所々万と為ても知ず候と。 一申に心迷はせ給ひ。爰に居は其方を預る者信ならず只今国よりありしと 物語する中の絵辞を同道との案内二人有中にも見へざるは不審右面禅仏にたる 篥者なす也誠に討さると仰の中に右仏をあれと打づめ。こへは 小袖も形も違ふて有〳〵か何遊けやがらそれか。それか。そし物が有君若 と別れ時給はつし初音の数御説遊ばけれに執身も難さすかにふて忠信の介 抱正へ幡山崎小倉の里所々に身を並び居たりしに折の海主行君鷹の 一鼓打て慰む敷事欲何かぬ事もなく其哥を感に。我ばんに酒のすた人 同前打やめばきたつりつと何歳公顔付は。よく〳〵敵が好そふなと初手ゑび三方 政 三度四度家是もかつた事又五度めは宗儀立六度めにこげ立それよりは 打ざしか。君は爰にとけ付。なせら道忠信にはくれた時。教はしを出しきや 目の所にくり共なく見へるは此屋の忍ひ目かとにて連立なりし処へひ時宜どふ ぞいいと申上れは毛縫公太鼓を鼓を打はめり朱とは。そいてよき詮方のを詮神 そちに云付。其鼓を以て同道しさ公信を詮義せよ哥しい事あらば此功でと投 出し我手で暫ぬ敵の妙音は正を肴に寄に献酌入早々敵登と云捨奥 に入給へ亀井駿河も藤にひ伊徳左衛門にやる兄体君の仰をや手に行 十八十五 上て引給ふしん深跡をないませい調然んで胴かけて手の宿にて □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 所ものとにおなす。妙情こと滝渡り。年をすます妙哥は世に頼なき初 音の数伎洛陽にいへる会智城門の越の歌の歌の歌の歌の歌の歌の歌の 来る佐藤忠信体が前に両年をつき音にくれし其風情するやと見れど折す 猶もの子を調の音がはい入聞いる餘念の棟却き者は見てれ僻折もと気を止 速の君俊我君のお待つか何の恵と何幸なの詞にはの詞に見つる。誰 を立おくれて指うつむく。油断を見すなし物付を。ひんとこ飛逃飛して。天何と 政 三度四度女是もかつた事又五度めは不思議立六度めにこげ立それよりは 打たりか。君は爰にとけ付。今世々の忠信にはぐれたり。教はし成少しきや 目の中にくるみなく見へ方は台の忍ひ目かとにて連立来り北へひ時宣ごどふ ぞいのと申上れは毛縫公。鼓太鼓を打はあり朱とは。そいてよい詮方のをの体 そちに云付。其鼓を以て同道しさ忠信を詮義せよ哥しい事あらびゐでと投 出し我手で打れぬ敵の妙音は画を寄に勤入早々敵登と云捨奥 に入給へ亀井孫川も後にひつ添てそへにけて 上て引渡しき深紅をないませの詞結んて胴かげて手の中ににて肩にて □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 品もゆしに頼つらず。母精こと澄渡は。気をすぬす妙旨は世に頼なき討 音の助役洛場に及たる会都間城門の越の数の家をやく不有風に落れ 来る佐藤忠信体が前にあらんき音に聞けれ其風情すはつと見れど相置 猶も様子を調ひ音かな入入入の間餘念の棟打き者は見ては餘折もと気を止 一遅のた忠信殿我君の詞の詞の詞にと何筆なの詞にはや否かる。 を立おくれて指うつむく。油断を見すまし切付を。ひんとこひ。ひんとこり。弓何と なさるぞと。容られ気好の笑ひ。るゝあの人の気珠顔久へ火の静か舞。 見よふと御過遊ば故八嶋の軍物語を。舞の勢舌と鼓をめかして源平人乱 れ船は陸路陸は磯へ漕寄打出打なす穀妓又も聞入て餘出たひもなき 所を。忠信やらぬと又切かくるぞ刀物とて五郎を討入栖元右衛門かくは何科有て だまし打に切る覚つつてなと刀たへつて投折れば。将条絵のこと。白状跡を請た 静か詮義公すばかうして公すると鼓追取過〳〵女の子に腕先にも れて。はつと誤入方大陰に鼓打討にも白状。多くさめと話寄られ一句 一苦行なく思ひの伏て居へのが。潮に頭をもたけ。初。爰の数手にきもよやと番 操戴之静の所に直垂しづく立て広庭一かるる姿も衣〳〵とみをほしけに 手をつけからして。日迄隠お千人に起しなれ今日国より国より国より何故に 御不審かり難義正成度挨授なく身のを申上る始は。夫成初音の殿の数のの数損失は又宜 修宇内裏の雨乞有時。此大和国になり。年功経北狐狐狐杜狐二疋〇狐の出し。 其狐の由。皮を以て。拵たる其数雨の神楽。日に日に向ふて是也。動 は元来彼男狐絵の獣敗水を発して誰まに民百性悦し此髪を初て 上より初音の数と号給へぞ鼓は私は私が父の。句は是は都の子でごさります上語る にぞつとこけ立騒心を撲てかこそなくの夜は鼓鼓の手かやといふるかくは。扨は そなくは狐しやの。かう成程。雨の折に二親の狐を取れ。殺されたれとて時は親子の光 別も悲い事も。弁へてまだ子狐藻彼程年もたけ。曽井数も至れど。 一日現をも養す。産の恩を送ねは。衣粗にも。南軍の狐の下産に 若只野狐とさげしまれ友上りの頼も叶ず。親条不孝ぐ子が有へ其田東に野 曽狐と人間では初つぬれ左弼の宮親鳥より。枝下の礼なりを近辺の 一秀一去月返すも皆孝江鳥てさへ其通まて人の詞に直し人の情寺形狐 何は忽疵無智の畜生でも。孝行といふ事をしらを。しらずしませうといふ 物の親はなしまたも頼はそ数な年功ふる威徳には。彼に堪ぬて。 は則規を添て守護するは。また此上の孝行と思ふと思ふ也様に留置 給へは。百万神宿直の御番。恐れ有の有付候程。頼も語も語も功果の所世に誰 飛せしそ人の為に悪心に応する者。来れ来るに 三度夜に三度五臓を絞る血儀火焔と見ゆる狐火腰を応する炎 そやかんと業問ふき身も。大道の御恵てふ辺にも初音の数義。紅の 御手に入内裏至れぬれもなし。平始や悦しやと。其日よつ付添寄つつかけ 稲荷の森にて藤公介給んとの御悔をにて御要々違いんとて忠信に成がはり。 静の御難義救とした御褒美有て句程はや商生に清和久皇信胤 源九郎義経といふ御姓名を給りしは其恐つきふやの冥加是といふも我繁孝孝 一日恵たい親人事と思ひ返たびが聖大将の御名を下されは人間根を請たる同所 やけるやける 弥琶が猶く切片時も離す付添鼓静れは又我志を恐察の音かはらぬ 音女と此ゆれ。此耳へは二親が言ふ声とは。ゆる故。呼かへされ幾多んこと もござりましたる只今の数の音は。私行俊。君の不審象つて暫くも情を。 苦すは汝も科にう帰れと父母が。夢の詞にも。なく大の臣ゆへあります。今迄は 大将御目を掠段は。給ひ静り。地なくれて下さり両と。縁の下と。楠の下と。縁の下に に此問はす詞に思は声も涙つがらの暇乞人間より。暗く親父母の心得ず。私 はもふ趣申にまして。とはながらず。残惜まいか。一児に別れつれ何れはやす。市に付 暫くも加僧仕たの左の通り送りないともをして。渡局しこれて月月四日年毎也故 に殺されしと思へは照日がかくめく是は我汝代代を叶ふか嬉さ年同州嘉 狐中没我の狐に没き余つて幾度の引出れうかくに蘇に類とながら飢は せぬ外の介殿の猟人に来へけぬ我親を兼ねをやみてもことはれに我はふ が正宗過がせらるは。何でも仕存遇の心の心愛者頑嘆感念ひて肉も背身 も砕る程如しに来るをふり。土平の年の年の春の春の。五年立やゑと。いねまし也 何。あつと申していのましましましく。おぼり。おぼへたがらの地地やつなさか 余であ此身べきたる業。過せてもの御家人の御所なに有て。有之我布也。 末代にける共此勢はあらせんと候へと候へと仰いの方もして法師 〽大和国源卿卿執士公伝一高衣文体貞女気の御役が誠内守り金曾の御 奪ひ我是のまます立下内障子を速[ニ]委くい届扨久になかりなかりなか 立は方程も。狐とは知ざりしふ人の屋と有ければ。顔をうなくれ礼なり侍たく座 を立なる敵の方をなつけに見へりけに見合〳〵行となく消る者の罪人目能いなくれば 百袋と否けんといかせんの哥に連文もあわん数迄有けるにて評使之れて 打は少したや殿出す。是は〳〵とも直折代々六次に上凡平左衛門前に被成何を此故 サヘリ 親方の倒れて平んで旨を要たた心身も尽身も夫程に。敵にあると思ふかと思ふる れは本経公に我迚も生鈴の悪愛の御身身にて生この如き会朝の事にて其 男に討れわけやうき成長せせては足の頼朝にてかるといへ汝に御帰殿。惜し。扨 ゑん様に見潰いれしき程に。図譲たる源道にの案我も案ともいつ世の宿 所にかる業肉也のぞと身つつゆる御誠に誠に静わつて泣出せば。目にこその 南極のこと思ふ物の身の上口に寄持浦に源太郎の家め兼たることろと誅戦 とき姿色春霞は風顕顕顕すり。奇紙御座を並ひ手つゝ載にて。 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 一律する者の発詞には述べし。様変給の物なれ共是汝に得たを有けると指出し 給へ。残毛鼓を下されんじや。かなく有過や前門こん。領長四殿也。伊勢申さず死我 せん重之深き御恵のか札本よはしまし身深御身の丸其時正方を防第を次守を次第を次第の 〳〵も嬉し。心と夫たこの身の上に取紛れ。申に。申じ○この内僧ばゝ。今夜此飯を 夜詞にせんと企て。能哀さするともなく我将監の勢力に。衆絶をそつ。此まつ。此まへ 引入候武笠利加豆利本財政にかつつかくなりさる哉差けされされさされけされけされける て悪路を払はひつき飛此度にはなる飛術にあや得たり。昨年に入て亡すべに入くせ 給ふなと献をは。これしなし。然がごくにあるかの中の中にけ。勝絶の程にいて 鷹野景気井駿河諸人に御前頃近生願の讒有。此寺にて。大将様敵も未が 心も晴て此世の急上なし。申詞も経ぬ所へ同速治助治治郎怪力乱札を語らずといへ共 彼源道が申せしは山の衆徒。令宵夜詞に来る条。先速て忍びし入候所恰も対断を合 するごとし殿戸記戦はんか討て出るべきや賢慮ほど伺へ可立置候かは此罪ごさない狐に 譲り致しも。大拙者にある姓名にかつて討死す。これ事是事しつまらひし其御免を 我は散弥奉り候余義正に願ひ御大将頼忠義忠義忠の甥は大将の太政 名主乗衆徒等を欺れ汝死すれは我々死人女女討死をへらり。居帯刀を給てける。仏 徳孝の詞に出行程をん道つつ増原殿打連具には命時も移さず入来は山 一科の医法権我慢の大身指上し案内に及出すんと通りと云々信頼殿の 御出を御役者義卿楯おれしとや本柄上いひ使ぞ。早遠やがら末んと伺に人 く目を見合ぬ。扨は敵の返礼にきやんをたばかるじたるたと屋に夜にかにも〳〵。奥の 殿に搦置けるいご〳〵と先に五。熊井竹引心じき間もあらず。切面利腕声も 千度も砕げとずでんずが蛇も互く手縄以〵手縄へつてくる書に立入器の 見参に入んといさみ行義経なくぬ源九郎計略とこそなれ共にて出来る勝仏の宅 佐渡何でもつかみ意はん願付帳に見ぬ深太に。今に。ま連間とは白衣の冠程ま 言つて。屋敷の儀也。眼面し。法眼及只今は千々の仕合。またまたまたに。何 もかもねばし久シテ国人とてし顔なる事の下長廊下を心申候かし浦文を板間蹴す べりする〳〵駿河に踏いめされ無命の手間隙いらず同じ用人引立引戻めは 丸坂の薬医坊方々道も仏領面流せはし。はそせし。いといへ。まれはややい。つみや其様 に引ける。衣や着物が破るは扨々無礼お使しやとやと成有に化さて。何所やら 訳もなき中に出さどりけるゝ待兼薬用ゆるなし薬医坊アァといへと吉記にあくつと 一槍或はアイタヽこりや何とする〴〵かうするとぞれやがゝ人につかつき貴殿計は 法眼かき料理しし馳走には身経公の献立をきて切た致さんと矢野にて用へに ける勇気の程ぞたび哥新と男女の大長刀鋳土にいたしきかし衣ひ下は海老相 鉄炮装裟にひんきとひゆくり金と入たち物なり 立立。向連反入いくに有容僧夫参へけり。奥推参も上介とく勧納〳〵と 呼ば。ながゝ歩行後の障子の内より平家の大将能登守者経何と存か けはれとすきん。見廻りしが。調爰有て形なは。我を呼にあらざりし。覚へないろいろ てとぬ気おくれば人なして恥かさしと独公して行所をするに思状の義を能是 一守九は利斐義経なとくより是にぬけ也と限なきんと押ひて。見るより是を記 ほむ所長刀柄やがくこんで飛からんず顔に。らんず顔にせず先に遣ひ。此に紅 の籏本衆徒にやつせしど頭れなし。外仏安守の前権八幡の中に入水を見廻り 漸つてうみ出此世に有とは。とは。ことがひなき田新右衛門を俊美の詞 愛さしもくではな。夢にもせた誰にもせよ。汝に敵討先範にあんの女もせぞ 一出合ひ倚し助て呼ひたきの位命惜たい骨折は吉労有とあざる哉又はアヽ 我は願発公事な。弓勢の官を見方打手謀笥へい也。大命に置一条の に言経が見ぬれば。申立て見られて能毛守といふもあず三段に建てかるに 太刀にてかりでうもろしと更しく長刀鋳にて。洞腹ぬんとつくあはんとつたとだと酢 させて付入にぞあらひまて哥雑詞にも似ず逃てへ逃てへ遁しやうじと奥の湯 の障子魂はやしく。汗の向ふとは宗徳音諸安徳音龍神の僧の夢にゝ向 一神や浅間しや。何とて爰にましますと楠杓子び養問す。君けたる侭忽にて。尼 上を右へ門残す。海に沈上さめるに。首経さはなかし心はんず。 一頭なぐり模鎧の柱穴合込口が乳母子讃政六郎といふ者。能毛守孝経と名 我安芸者とら兄弟を左右に狭海へ飛入空く成又此度の父とらぬ磯辺にて磯辺に下行 一待主の山科治橋頼んてやかす東覚範寺殊を限らんといへ此へいまの御 のまよすす也。勝王とやむし。恐奴がら勅定に成立候へと。奏すれまた則天皇 も御渡に上札定あびし荷程も所とく。彼の内裏の世頼なき世を待へるもの にめぐり近源氏の武士の情有度に成て都公は我事を心へと類海へ入海へ入道夫より 丸も爰に来て今急程に逢ひ。皆我経計り。日の本の王とは。普領天 祭礼に対して我治しる我国の威国人に悩され我が猛言身のみになり只女君が有し いで。都介有し其時は留士の御雪吉野の春。見まくほしたと葬火に東の里におはし ます。母上名と更に身は死も吉野もほせんあちきなけのものじまひふれと計 にて伏生びてぞ。汝のいたしさま。体やさ云〻云なしたり〳〵疑壁も敷 にくし凡。朝替議義経に入たがされば。人々武運漁一なニり是非もなやと。 三広いを歯に血をはず機詰たる掌裏に爪も爪も悪はん其気は数百計まぶ たいかり懲兼て居こしが衣しとなく尋見ひとくろ見ひられつたがく能つたる。嶋戦ひ 義経一組とめんとし所。船八艘を飛越味方の松へ引間斗 一怯でなかりし。今又奥へ逃返しも我太略都方殿難顔に遁せける武士の臣で 有さたなアキ今助る。勝田は重ていで帰らんそれは。それは敷程が隠家へ辻吉あれば 広きせとなくに女者にも進せません心得共の心得共とき犯奉る間手は長柄の人 長刀浮世を牛の車共しまれと異つゑんとする所江がいと切声三郎の御 音すやと長刀引てはめて有る間もなく。出る亀井駿河川連法師河川連法眼河川連法眼面の四方有 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 引給へ平帳に候能毛殿。味の衆位楽士也に此とく討きり。大生ししけりにて後さたべに 逃候へば打たれは遁れて勝負有か隣参有か随参給処一の右書詞を捨て最も果 すぐるに付開いあく供津楽とは竹にか性桜にくらべてぬいたり。陣等が凡て提 ていなんし。何の手間源入面にや。市を越に渡したるぞ様かすやきひ助置やなくいとめ かさで。逃るなどは東外三万。佐手減ふす能はして軍んす。忽然にこれて よさる人もいげなる広言組めて鼻鳴さ心三人〳〵に追々巻他強いして誰前は上 に至る難草駄大気下す脇角立て帆合間其中路肴とはさ玉の緒も消る外の風情 爰に侍汝等麁忽をなく親を以て我彼君惜に侍て侍名引誘ひ物行大なく心得違の 道正兵衛殿の札一乱首憚にからず。三つまつ宮のも。大王の名 来やのとし。孝経一人多し迚亦入徳もなく。地にて。地震也。何末通の命。汝等も。汝等を にけて。此所合て。先に討すれば。大須弥兵信が敵に付。他の妄執せんせんと道理をば き身経も誰も世憚り処互難も桶もはは哉諸者焼失不破損失を欲すべし 大臣入有収落して内裏表助頭壁勝備前左衛門尉大輔様伊勢守 せり瑞鑑の事にかは大倉様吉の計を授らし。下に倍上し。下に倍とも。家顕て。君が代に。 ひる夫此時は鬼経に落置を申下して得さして得さして侍るとて誰女経を修め頼 朝に敵剤の辻族つかぐといへの御帯刀に手をすめずつとものの腹にが入符にが入符にて狐 ゑよりの恩忠信ば。ゐの給ひしむるご目にそみねゑの守後学義の言にて帝 ○此助方情の糺に幾次第。能登[ヤ]左名前は敵何太我大輔殿殿に損しの 元範吉野にて如倖必。出づつて勝負せん。命は。。時々。此節成を粗食を粗食を都合す 一国と呼はて又抱方女徳之向者之頃と思たて。治兵門様川の若横川の道行殿 敵々なでき経は繁海の殿方迄感義正云趣有情也何連法眼元祖の 河の仕丁元年の土佐官人の人の人位束の哥を守つてひつれと聖なされて群の 高度光り銀魚代衣代衣佐主は〽有数し有数にて敢て頭延びしきも顔の顔てわる 曽両大将源太郎義経の義といふ子を読と音源太兵の 第五 物語其名は高く聞へける 山々の間様小田君の梢するとに気色久久様大音三郎程大豆の後胤極執念仗 大位の尉源の義経也。父頼朝が母王汝に敵に我に敵するに女ゆふ女のふ事戦せし 妙術にて天に蹴殺て吉のみずこんへすこといふはつ万姓伊沢の 鎌倉伊左衛門と云後六郎右衛門。王かれてあらで見付かれて見付かれやかすと 事共せず。武介の権切立て切立て切立て切立しなしといなしといろを足をくて追立て追て 家の人物態し鹿倉に出合て焼木造念光院院附形も損じの死犯を人はすなして ぞ女間僧忌用けしともす。強いして立ゆる仏殿御供殿大将来の秋雨人に侍けて銘の 倉斎の文忠忠氏の念都合て勝岡せんと。思議をにつと。笑て侍る事将故其中次郎次郎様辺 残り 一桓の言。三月服にて大将軍の四日の東立春は。前に矢張あたる佐藤太兵衛 沢信弟四郎兵衛忠信也。五家の人の人の人の外のやいば平するとやするとは名前也 ける。上ほしや公信。仏。の敵ころかかは。討れやが地しやがなれ共。安徳帝をやけりやむと 一下を覆す敷経ふびんながら五軒具迷で兄に云次に損川の禅師覚範が返守て くれんずと五万枚につきそしかんじ〳〵とそ打笑詞たらひ終て渡水いうがざしに言討て 心な人分んと。そゝくべし。つとあふびろして藤切身に入る事有也。くわず。 手懸の事をせず。取かしきふ踊きに乗て盃を刀絵へかくが跡灯盛 互に勝八分ざりしに元記額におかれびらずときて大木の桜の桜の桜の桶に身を取直し て桜の木はとにもつと成にて。早きせて弱出せは来め〳〵〳〵〳〵〳〵と中代に糸木 に出くれて渡りす跡かけし丸に橋是光光光と踏しめく渡く夜の勇猛将の勇猛将御やて其 こめし。足場すべつて谷熊浦辺と落す信夫に。おこまつきかさせ給へば。かときて与四郎 兵衛が三刀宛にはらふ名刀西の音銭の鐘の鳥の鳥見たくしてはくげ。内蔵しき働也 施いたれし坂大勢。藤やぬ出て立し又云〳〵と討をも。打打打擲と渡る谷あふ陣 に先犯が桜にやけ諸足を切んとかず木上なすけれ。随て仮金勢皆数に直巡り行 共に寄組手弥の手及ひるさず厳介長刀。突ならけれどめ不残る者 石崎たるに。衣わぐりすべつも。組の橋役足代半三口といふ庶命町御らし。主の 一変此来る役覚を覚記爰へと招くれてけるに深いあると思信すれて言捨てさもに 方の頂王より六と飛びたに物ゆる間辺に難き其勢ひ。我共と覚悟つづいて飛出や守武総 角かねにかめてふと〳〵。雅遊ひい敵敵の戯ればんときく身物となる也 身を自間見れ致し幼幼幼幼幼幼幼幼幼幼幼幼幼幼幼父父母養子幼校子与子孫権 未姿やとひ。絶たる。石やをと落が。河門様にて押してお思ひひり中はづしてどついふみ とまつる梵刹文泰やなしてあそひし。。か何事なけぬ絵が。絵か小手常になされば。今 心配すり其中市極ろと破膝に引受持てあれ。もかけくるは何のかつかつて 申上立の道者を見るを見る其れている事。それて。是是より帰忠信といふとい 六郎方両橋で引れば信州信ならす義御御者長渡斗是へ出勤者之達を突候切付 く切方。溝手にてもの能登守。しや。竹太郎門弟子のやけ給ひ。いへひ。いぜし。安徳 帝はその足にて御出来れば。母者の身の身を見へるべし此万経の名也。在保九郎 狐狸に力を添方従軍作家かず近か迄仰もあへば大名頭内都て意願文に努力 鳶手に入さの人にの人なし給ひ給ひ給ふべともんとも也。都やか とね故書下。殊に記せよと論合へは参つて。今度別御屋敷御座し立出し の院有も朝方り所悪き此上んを殺すエ門の云訳去るはまゝ可もなしにてもなき が前めぐとく迚も楽す。能登守孝権は。島の沖にて入れば。横川の天妃が共の忠位 河伏の近辺に見込敵討残り居る村限り名代に奥州小原の奉行北東郡の類は 一太平氏母金穀豊濃川村といへはぬ前の大森の手にもやかずり 太平氏女金穀豊饒い時点で穂に梅栄ある秋津国繁昌妙なりかりけり 延享四丁卯年 霜月十六日 作者 竹田出雲 三好松洛 並木千柳 千百疋 右之本頌旬音節墨譜等令加筆候 師若鍼弟子如縷目吾儕所伝訴先師 之源幸甚 58X4 同竹本義太夫高承四 予以著述之原本扶合一過可為正木者 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 京二條通寺町西ハ入丁正本産山本九兵衛院 大坂高麗橋二丁目山本九右衛門 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