吉野京女楠
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- 近松門左衞門
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吉野郡女楠
竹本碗後松之作
木七兵衛様
三七
奈一氏助
吉野都女楠近松門左衛門作
一往を尋て来れるをしる大権聖者の末し
来記見つんべし東魚来つて四かいを呑西鳥
来つて東魚をくゝひ海内すでに一に帰し二
たび九五の御位後醍醐の帝と重祚ある
一逆臣さがみ入道が一ぞく亡びて後足利治部ノ
太輔高氏聊朝家をうらみ奉り東国ぜいを
ゐんぞや矢はぎさぎ坂竹の下すかどの軍にかち
ほこりをのれとせいゝ将軍にをしなつてていとまぢ
かく責入しを新田左中将義貞楠判官正成
陣平張良がはいかんよりヲロシ出たるごとき名大将
命を風前のちりにかけ義を金鉄よりかたくしてかけ
女ぶりかけなやまし千べん万くはの合戦にさしもの
高氏終に打まけつくしをざして落じほの八重
九重や都の内万歳をこそとなへけれ時にけんむ
三年五月十五日新田義貞はや巻を立て奏酒
ある権朝敵高氏大友少武をしたがへ九州のぐん兵
五十万騎兵船すせんざうにて責のぼり高氏か第
直義山おん山やうの大ぜい陸路をうつてうんかのことく
播州の前松敵に組しこけなはの城にたてこもり
官軍をさへぎり候を義貞備後備中にさゝへいどみ
戦ひ候間にてきせんはやすまあかしをはせ越候と追々
従をしきり也天皇大きにおどろかせ給ひ。楠判官
正成を頓て御前に召れ多扨茂貝が注をこと
急也居向つて合戦をいたすべしとの勅位楠畏つて
奏せしは数年の事につかれたる御方の小ぜいづくしがた
はあら手の大ぜい機に乗たるにかけ合せ。常のごとくの
合戦は御方打負申さんこと決定先新田殿をも
召かへされ君はひゑい山へ。臨幸なり正成もかはちに退
ぞき敵を都へおびき入河じりをさしふさぎかごの鳥のこと
くにして兵粮をとめ敵軍次第につかれ落ん所を
新田殿は山門よりをしよせ正成はからめ手より責のぼ
りまん中につんで一蒸むす程なぞ朝敵一せんに
亡びんこと正成が方寸の内に覚へ候軍は必一たんの勝
美を見ることなかれ始終のかちこそ肝要にて候へた
とへ官軍百度戦ひ百たびまくる共正成一人生て
有と聞召ば聖運終にひらかるべと思召れ候へと世に
一静くぞ奏し鳥坊門の宰相清忠御簾の前
につゝと出申臆したるか楠方氏が多勢に聞おぢし
て一せんにも及ずかはちへしりぞき。君をひゑい山へ臨幸なし
奉れとは命のおしさにていゐをかろしめ申よな。惣じて新
田義貞句当の内侍に思ひを残し都に心ひかるゝ故
一半手ぬるゝ敵にきほひ付たるに御辺も河内へ引へ引へ引
とは故卿の妻子がゆかしいか伊与の国の国の住人大森彦七
盛長と云武士高氏に組するといへは某にえん有故
うゝ切してみかたに力をくはへんとの内毎あればみかたの勝
利目前にて御辺らが命に気遣のないことは此宰相
が請合はや〳〵発向有べしと嘲りがほして申さるゝ楠
もとより私のいかりに忠を忘れぬ良勇祢おもてを
やはらけ仰にては候へは其大森彦七が内庭にてみかた勝
に極らば猶以正成向ふ迄もとはず去ながら詩哥夢絶
は殿上の御もて悦び弓寄合戦の道はぶもんの諫言
に任せられぜひに都を明わたし敵に一たん勝をあたへ
重て畢竟の勝を御ん置こそ謀を怪握の内
にめぐし勝ことを子里の外に顕はす籌策にて候
と子房が秘蔵孔明がとつずい残るかたなく奏せらる
宰相大きに近をすし。御辺が云迄もなく弓馬
合戦の道なればこそ。いやしきあらきん庭へ召なく
条をがたしとは存ぜずや先年御辺千半赤坂
の城郭にて六はらの大勢をかたふけさがみ入道亡しも
一全く武略の手がゝにあらず君の聖運天にかな
ひ宗廟社稷の大小の神祇王法を守護し給ふ
故殊に今度は目に見へたる勝軍大森がおかげにて
一手がらすべきは此度はやうつ立テとほければ。党の
一郷相雲客口々に敵の内通有からは天のあたへび時是
一非〳〵楠はせ向ひ朝敵高氏一ぜんに責亡ぼし震
襟をやすめ奉れと衆議一決の勅請はうたてかり
ける御れ也正成も此上はさのみ申に及すと御前を
立けるが是ぞさいごの合戦と。思ひ定し忠臣のかはね
は刃にきゆれ共義はくだかれぬ楠とくちせぬ名をこ
そ三重とゞめけれ元来正成智仁勇を兼備
し死を善道に守る良将。こんどの合戦味方必定
のまけいらさつ
夜半討死の時極れりと本に国へも立帰らずすぐに
五月十六日直あふ奉務五百余騎嫡子帯刀正
行十一さいいへが馬にをしならべて打ければ舎弟正季一
俗和田の新発意源秀同新兵衛村紀六左衛門
恩地の左近馬物のぐをかゝやかし心の花もさき
かくりさくらゐの宿に忌けるがまだ雲こりて五月
雨のやゝ夕立とふる雨は瀧のおつるがごとくにて人馬の
是を立かね生田の森に打入てしばくはれまを待ゐ
たり雨に浪よるこやの油堤を急く蓑笠は早
一前の賤かと見すつれば下部弐人に長持かゝせ。四十
余りの女房の雨にあらそふ涙の被下しかれまろび
て走りくる下部共長持どつかとおろし□どうゐん
ぐはの夕立やめもはなもあかれぬいざこいあの森で
少はらして行まいかさしそこなご殿長持預けた番
めされと二人は森へぞ走りける女とかふにかきくれて歎き
しづみて立けるがゞ思ひよりをかほ付にて長持の棒取
て捨石をひろひてぢやう〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵手さきに力なき
女力も念力の天や見有すかぎの穴錠前はなれ落
たればなふ有がたやサアおほとふたを取手にすがり付土斗の
上臈の渡ひまなく息こもりかほにばら付乱れ領官様
桜をこきまぜて水にうかめしごとく也いざ下部左のこぬ
さきにとだき出せばアヽ嬉し也此池こそみづからにぼだい
をすむる功徳池よそなたも数珠をもつてかおはだ
に御ほぞんかけてかヲゝほぞかけたる時鳥あやめの沼は水
浅しことふかみを尋さまよひたる。正成馬上よりはるかに
見付あれ〳〵身をなぐる女有敵か味方かいづれにもせ
よ源秀かけ付たすけられよとを有れは承ると和田新
発意あぜをつたふて走りより。其たげ六尺七寸いにしへ
の無慶もあざむく斗鬼の成前入道二人はあはやと
手を合せ飛入所を引よせてしつかとだくなふそふせいでも
しぬる身をせめてからだに疵付ずしなせてたべと歟入を
是上臈殺す程ならなんのとめふあれ成は楠割官正成
物のあはれを見捨ぬ気質子細とつくと聞届よと
の使也と云ければ扨は楠殿とやみづからこそ新田義貞の
妻分当の内侍也お椿に新田殿のちん屋へ送りたべしと
の給ふ所へ二人の下部立帰り。申ウ長持の験ねぢ切たをのれ
取にがし手ぶりであつてこちとが命を物かごづちへうせふ
と取付所を源秀二人が其物ひつつかみ手ぶりてあれば
とゝるゝ命こゝにて取てくれんずとあしまにかつはと打
こめば五体をからむ菱かづゝ泥にゑふてぞ失にけり
を
其ひまに楠おなこ尊乗はなしどかふいたはり給
ひければ内侍も涙にくれながら常々妻の物語り
〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇御位
何と報じ参らせん一とせ猿楽見物の時伊与の国
の住人大森彦七成王長とやらみづからに心をかけ坊門の
一宰相を中立にてゐせいておどし文てぬらし近かへ品かへ
くどきをづれなく返事ともいたさぬ間に新田義貞の
妻と成たるは。上のまよりの効位天下はれての夫婦ぞや
それに此たび義貞殿西国発向の有すをうがひ宰
相理ふぼんにみだれ入先約は大森仲人のさい相義理が立
ぬのなんのとて。むりむたいに長持にをし入て送らるゝ。なふ
やるかたほさ便なさめのごがしたひくるとはしらずつむり
もあがらず息もならぬ長持をゆるやふるやう打付まは
る其ひゞき。むねにこたへめもくら〳〵と幾度か死へし火
の車にのせてぢごくの運ひもかくやん此上のお情
に我妻の陣屋迄をくり届けて給はれとめのと諸大手
を合せかきくどきてそ泣給ふ正成打うなづきさこそ〳〵
我天内を出しよりか様のことのほんとはさい松が詞の有にて
察せし也義貞の御陣所へ送り申はやすなればさい相かく
ともれ聞ば陣坊へ女中を召れしとあし故に奏いかしゑい
慮をもつて御夫婦の中をさかば御恥辱を招くににたり
それ〳〵源秀是より都へ御佐し玄両法印に預け参らせ
よ道中人にさとゝれぬ用心第一とく〳〵と懸ければ合点
〳〵智略はお家勤学院の雀任せてをけとにをどりし
て病等二人が具足をぬがせ長持に入棒さし通しになは
せて是内侍御もめのとごもなやほながら下女にして我等
は又此体と内侍のうちかけ鎧の上に衣かづき二王の礼なる
大入道五日帰りの花よめとしやなく〳〵とふりかけてサアとし
本衆早ふおじやゝと夕かげも眼は朝日てケ月の都のかた
へとゑびけり正成はるかに見送つて嫡子正行を招き
涙をうかめ汝をさなくは能聞をけ。ゑも我帝に頼
まれ奉り。命を敵の矢さきよけ身を戦場になげうつこと
誉れを取て名を残さんゐにもあず子孫の栄花をね
がふにもあらず朝敵を亡し国家安全の念をやす
め奉んと義をおもんずる計也今度の合戦味方に定打
まけ。王つたちまぎんかたふき御代をうばゝれ給はんこと。鏡に
てらすがごとくなれば我一りのはかりことを以てさま〴〵いさ
め申せ共。城門のさい相よこしまの理をすゝめ。君用ひ
させ給はねば力なくうつ立たり父が一ごのなごりのいくさ
花々敷たゝかひ一せんに腹を切べきぞおことは是より。如
にあり。父がさいごと聞ならば弥身をまつたふして共にも
余の時金剛山を要がいとして住吉天王寺に打て出
一近隣をおびやかし討手向はゞ一命を養由が矢さきに
かけ義を記信が名列かにくらべせめたゝかひ君を御代に立
参らせ父がいきどほりを寄ぜんといか成仏事孝養も
是にはなどかまさるべき今生にてあが貌見ることも是
迄ぞ必詞を忘るゝなと勇気たゆまぬ弓取もをを
あい父子のうきものまれ涙をはら〳〵とぞながしける正行聞
もあへず口おしき父の何やな楠正成が嫡子正行こそ夜
軍を考道より進てあり〳〵と世の偽りに落んとかば
ねの上の恥辱候ことに親の討死と思ひ定し半坊を見
すつる子やみべきぜひ御供につれられずは献上騎かけぬ
け放達天皇の後胤ゐでの左大臣橘村ろゑ公の末
葉楠河内の判官が嫡子帯刀正行生年十一さいと名
のつて能敵にかけ合せ。ひつくんでさしちがへめいどの道のさき
がけと思ひつめたる正行敵の意をも見ぬさきにかへれとは
うらめしやをさなくて戦場のさまたげと成ならぞ只今
こゝにて腹きんかいしやくしてたべ人々と芝の上にどうどゐ
てこゑもかします泣ければ置あふぐ会かん涙に鎧の袖
をそしぼりける正成もともに涙はさきとてはわざとこゑ
をあらゝげ。常弓馬の家に生れて討死するが珍しきか
おことを年月養育せし公がさいこの乾せよとてはそだ
てぬぞや戦ふべき所にすゝみ引一き所にしりぞき命に功を
たつるこそ能うんとは名付たれ伝女の両天に獅々といふ
獣を其獅々子をうんで三日の内其子を数千丈のがん
壁よりまつさか道になげ落す獅々のきぶんなき子は
いはかどに身をやぶつて当堂に死すいきほひそなはる獅
々の子は中よりひらりと敬也は身を全ふすと伝へたり我
子の心を見ることは審類とてもかくのごとし。今諸国八方
にそばだつたる敵の中をさなきめをかへすことかのかん壁に
なげうつ獅々の子よりも猶あやうし汝勇士のきぶんそな
はらば数万の敵の鉾さきのかんぜきもしのぎてくだく
獅々のいきほひ土平の御代とはねかへせ吉野はつせの
名木も老木は次第にかるれ共こぼるゝ種のをつ
ぎ花の名高き山ぞかし。二ばのなへを残すこそいはほと
なき楠が長き世迄のかたみぞと鎧の引合より一巻を取
出し。是ぞ我秘する所の本術此書をよみて道をゑば
父正成がながらへ懸も同前なんと一巻を手に渡しサ
此上にも聞分なく。腹ぎらばきれ供せばせ上父が云こと
是迄と馬引よせゆゝりと乗思ひ切たる心にもゆ敷
我子の武者ぶりを見るもかぎりと目にもろき涙に手
綱くりそへて駒をひかふる計也或行も理に当る親の数
訓せんかたも涙をおさへ御詞一々承り候と一巻取てをしい
たゞきめの世の忍地に高引せ手騎かいくり打乗て親
子此世のわかれの詞さばとだにもいはゞこぞ歎を忘れ
情をしり義にたくましき大将は百万騎にかこまれて
も恥辱の死はせぬ物ぞ此理にそむくものゝには勝も誠
の勝ならず故を子そんに残す也心へたるか正行承り候と
互に駒を引かへし東西にわかれしかふり返り〳〵親は我子の
身の行衛子は父親のさいごの末思ひつゝみて弓取の泣ぬ
を今の涙とはよその袂にせきかくる湊がはへぞ三年よせに
けり明れば五月廿五日高氏のくん兵衛手山手百万余
騎楯をならしゑびらをよきときをとつとぞ上たりけり楠
手勢七百余騎同時にときをつくり立多勢が中にわつ
て入おめきさけんで三重左ゝかひける味方はにぜいと云ながら
一命を幾路にかけ名を末代にとゞめんと思ひ切たる勇士
は北より南へ迄なびけ西より東へわつて返りいきをもつが
せず責かくればさしもの大ぜいさゝへかねすまのうへ野へきつと
引渡陣の勢をぞ待ゐたる大森彦七盛長駒かけすへ
大音上鬼神ならぬ楠某が一年に正成兄弟太左て敵
みかたのめをさまさん彦七を手本にせよと広言はいて打
てかゝる正成も勘かけよせ何大森とや合ぬ敵不足な
がらやざしのやさしやとまつしぐらにかけ出す此いきほ
ひに朱をうしなひ。進むちうつてひつかへすきたなしかへ
せと色かけしは。はやせの鮎を鵜の鳥のをふてまはるがご
とくにて程なく追つめ奴長が上帯つかんでどうどうど打
付是をかんとせし所へ薬師寺十郎同次郎ゆん手めて
よりむずとくむしや物々しと両手をのべ草摺つかん
でねぢあふまに大森こわきをそつとぬけ跡をも見ずし
て進うせけりエゝ大じの敵をもせしもをのれら故寄わ
きにしつかとはさみゑいやうんとしめ付れは目口より
魚をながし二人一所にふしたりける是を見て吉良石堂
高上杉六千余騎が捕を討留んと八方よりおめいてかゝ
る正成もとより討死と思ひ定しばれ計。望む所と
太刀さしかざし打て出れば正季正貞わだ五郎むねとの
兵ぬきつれ〳〵死物狂ひのおがみ打当る者を幸にな
ぎ立〳〵三重過まはすされ共てき八百万余騎入かへ〳〵
責立れば七十三騎に討なされ正成今は是迄と一村在
家に走り入走くつきやうのさいごばと心しづかに。鎧ぬぎ
捨いかにかた〴〵抑さいごの一念によつて善悪の生を
引といへり九かいの間に何か御辺の願ひ成ととひければ
弟の本季から〳〵と笑ひ。只七生迄は同じ人間に生れ出
朝敵高氏を亡ぼさんと我らが願ひの一ツ也といはせ
もはてず正成嬉しげに打うなづきざいごう深き悪
一念なれは我もか様に思ふ也いさや同ぐ生をかへ此本と思
を達せんといひもあへずをしはだぬぎ粉のやひばあや
せぼねをかけて引まはせば宗位の一族十六人したがふ
一兵五十余人家も〳〵とさしちがへ同じ枕にふしたりしおしかり
しおしむべし日本ぶさうの名将のさいごの程ぞいさ
ぎよきあひもすかさず大森彦七大勢引ぐし込入
て一々にたかき落してゝめでたし心ちよしぬかぬ太刀
の高名楠が是高氏公に奉ば三ヶ国はとれた物日
比心を通はせし。句当の内侍も坊門宰相がはからひ
にて。こよひ。秋に入づむまいことのつかみ取早ふ内侍
のかほしが見たいと云所へ女房二人先に立長持をかき入さ
せざい相殿のお使と聞より彦七大きに悦ひをゝまん
ぞく〳〵。人めをはゞかり長持とはさい相殿の一作去な
がゝいとしい君の箱入気のつまるもおいとしい。先々御
げんとふたをあくれば恥かしげにうすぎぬふかく彦かくし
まがきの梅のはや咲の雪にうもれしにぜい也彦七
なをも心うかれ其おぼこながなを味しぞのを我が
手に入んため此度の軍も。某が手をくだき御らんらへ
楠一家を討留たり是より義貞が是ねぢきんは寝
鳥をさすよりいとやすしぜになき新田に心中を立て
より日の出の求らになびかれよ色こそ黒けれ心は
伽羅先衣が陣屋へ同道して新枕の酒ありせんいざ
させ給へとかたにかけ二足三足はあゆみしがアラぶしどや
今迄かろき。女郎の縁におもき小夜衣衣衣つまならぬ
一念刀か大ばん心をかたさきにたゝみかけたるごとくにて五たい
ちつははたらかずヤアフしれものごさんなれと太刀に手を
かけふりあをのけばエハいかに。和田の新ぼち源秀くはつ
と見ひらくまなこの光り二めんの鏡とき立てひたひ
に付たるごとく也大森わな〳〵ふるひ出しこは〴〵下にそつと
おろしをいらんとする所を是々彦さんねがわるいいくせ
心をつくすとは偽りかどこへいかんすいとしかはいといはん
したことのははうそかいながゝしんき跡じよりさんすは
はや秋風と見あげ見おろす高入道じやなくの
八もんじは二王をゆるがすごとく也彦七五たいちゞめはよ
はみを見せじと大音上げ〳〵源秀智仁勇を兼し
と云楠さへうち取たる成長いはれぬうでだてだてせんより
もはゝをきれとぞよばゝりける源秀今はたまられず長
もちの棒をつとりのべ[ヤイ礼義しらずの国ぞく
楠一族圓のため君のため死を善道に守ていさ
ぎよく切腹せしをなんぞやをのれがうちとめし
なんどゝはどのほうげたかゝはき出したいざこい
源秀が手なみを見せんとうつてかゝる盛長猶
も口へらずきふらひたる身が坊主をあひ手に
する物かといひすてゝにげて行[リ]申出家伝犬
ちく生あますましとぼつ立〳〵たゝき立八郎みぢん
にうち立ればあたりにちかづくゑもなく皆ちり〴〵
ににげてげり。さもそふず〳〵これより河内に立越
正友のさいごをつたへかさねて義兵をあくべしと
かひなきくびをとりあつめ。いかれる眼にはら〳〵と
なみだつらぬくたまぼこの道はいゝ田の森の露
すゑのしづくや末の世にほまれを取くつたへける
第二
将のはかりこともるゝ時は軍利なし。ほうちをう
かふ時はわざはひせいせずと也坊門宰相清忠
が内通凡湊川の合戦破れ楠正成討死すといへ
は惣大将新田左中将義貞西の宮に御陣を召れ
土卒をなつけ給ひければせあつまつて御尋のせい
四万余騎とぞ聞へける傳所長浜玉いゝ左衛門松明
持せ陣屋をめぐりめしうと五人からめさせ度貞の
御前にひつすへきやつぱら今夜近辺の田泉をあらし御
葛の飼料に残せし青麦を盗みかり取しをかゝめ取
て候見せしめの為是切て獄門にかけ候いんと言上す義
貞吉抑こんどの合戦は朝敵をこぼし。民あんせんに
なすべとの勅諚なれば売買耕作にさまたげす
田畠の一粒をもかりき者は急度けいばつすべきよし
諸軍勢に相ふれ所々に立たる書札をそむきしは。
敵方のあふれ者か但盗賊る白伏させよと御諚有
雑兵なは付ひつ立[サ]大将の御前成は。まつすぐに
申べし偽も是ねぢきんときめつくる是々そこつな
されな我らも此国の大将ヤア大将とは。いや〳〵巾着
切の大将はさみの弥市と申者あるひは花見のかい
能の又は領国楼芝居人立多き所にて人のふところ
こしのまばり手がさはるとこつちの物もとでいらずの商
買ひ軍はじまつて国中のよい衆はわんぢがけで進
ごしら植山所はいかなこと我らがしよざいびつしやり
ぼん。はつとをそむきらいつそてんぽの皮巾着おね
つけ衆にとがめられくゝられましたと申ける其次成大
男うぬがつゝ付たゞ者ならずまつすぐに白伏せよのぢ
ばらばしやつつらをはつて〳〵はりまはさんア〳〵余はか〳〵
御意なされなりはりが過て此ざま衣らはばゝちのどう
凡此比つぐ不仕合なべ金たゝみつりか前ぬかみておけ
迄はたけ出らせんはうつきて二三日爰をかるたのかたに
はりぴねつても〳〵二寸より上目なく。あげくにこんや三寸
なはにしばられましたと泣にける三ばんめはわかき出家
三衣に似合ぬ音次五人子西を申せとねめ付かされば
愚僧はあかしがた蓮孝寺と云浄土寺の後住に重
汝と申法師成が学文のうきばらしにふとむろのつへ
出かけばいくはのうつりをかきそめて。香つこのにほひきづ
まりさあくびは百八ぼんなうぼだいつそおやまに乗
旨をかへ好近修行と心ざし玉ひづめた其あげくがそ
れはいかいしやくせんだんのあみだ仏迄質屋へとばし手ぐ
ちまぐらにとゝのへ今少に手づかへふつとした出来心こう
くはいさきへたゝきがね只今か様のせめ念仏にあふことも出
家の身にはあぬまいことあぬまい〳〵からぬまいごとぞ語り
けるはるかの跡に手の比廿余りの女房盗み取たる音
爰をせなかにしばり付れて恥かしげにぞ泣居たる
義貞つく〴〵御んじかれが体盗みすべき者共見へず
子細ぞほんまつすぐに申べしとなければ女ちつはたは
がす。ハア子細と申て爰を盗みしより外の子の子なし
はや〳〵法にをこなひ給へと恐れもなげにぞこたへける
義貞猶もいなかしく子細をいはずんば往還にさらし
諸人に恥をしらすべきぞとの給へば女はわつと計にてしばし
涙にくれけるが。アヽぜひもなやぬすみをするもおつとの知
づゝまんと思ふ為成に諸人に向をさらさんと恥を招くか
情なや然ばつゝまず申べわらはがおつとは足利高氏
の相伝の侍成かいさゝかのこと有て主親のかん当夫此国
のどみんとなり忍ひてくらすうき身にも此度の合戦是
くつきやうのじせつ到来おゆるしなく大戦場にはせ
くはゝり。ぶん楠高名ほまれを顕し色のふげうてゝごの
かん当ゆるされんと思ひ定めし我妻の心はやたけにはやれ共
鎧一領主にこそ手総ゆりかけのつたり共一町もとばぬ
野飼のやせ寺位ともわびしきわゝ屋のまどより。ときの
こゑ矢さけびの音かすかに聞ゆる其時ははぎしみし
ての無念がりそはで見るさへむねせかれをのれやれ二世と
かはした大じの男此まゝにては果させじと。殿〴〵にし
あんし爰をぬすんで兵粮のひんよくは陣所に忍ひね
いりたりぐん云原が太刀物の具思ふまゝに次皿み取我が妻
に打きせ。みづからも太刀わきばさみ夫婦もろ共軍
して名を後代に上べと思ひしこともいたづゝにかゝるなは
めにあふこともおつとのぶうんのつたなさ故千細と云
も此あらましとてもながゝへはてぬ身ぞうき物思ひ
させんよりはや〳〵殺して給はれなふ様じひ成は人々と声
もおしまず歎きゝは目も当〳〵れぬふぜい度貞も
やゝ落涙直[ヲ]あつはれぶしのつまにて有けるよ命がけ
の盗して。おつとのふゆうをはげます心かんでも猶余り
一直づみをゆるし義貝が着捨の鎧太刀をもそへてとら
すへそれ〳〵との給へば御召がへの錦のひたゝれ金作りの一
こし女がひざにぞをかれける。まく帰つて物具させ明
日の合戦には義貞が陣に向つて打てかゝれば敵ながらも
見物せんはやとく〳〵との給ひていましめのなはをとかせら
る女はアツトかうべをさげ精ほ治大将有がたき御恩の
程何と報じ奉ん去ながら我妻はまさく高氏公の
御家人すは合戦に及んとき今給はつたる鎧を着し太刀
をもつて幾貞公に向はるべきか用捨しては雪氏への不
右ぜひなく一矢仕らぞゑをしらぬ弓道と末代迄のわひ
草御恩は却てあたとなり只御しひにはみづからを次皿一
へんのとがに落しはや〳〵殺して給はれとぞさしのべてなき
ゐたる心の心の内こそすゞしけれ夢貞なをもかんし給ひて其
心をさつしてこそわざとさいぜんより夫が仮名実名を
も尋ず互にしられずしらぬ相手なのつてせうぶを
とぐろ時いづれに用捨の有べきぞさ程のことをあらにを
へらるゝ義貞ならずいらざるせんぎに付うつれりはや〳〵
帰れと太刀鎧だづから取てたびければをしいたゞきわき
ばさみお情は是迄明日の饗戦には夫婦もろは心を合
せ恐れながら御れによつて御是を給はることも候べし
あれ御免あれと御前を罷立かゆみびきはかへさじものゝふ
のいもせの義理ぞ三重頼もしきすでに其夜も明行
ば勝にのつたる高氏の事務うんのごとく湊かはより
打てかゝる義貞も西の宮より取てかへ生田の森をうし
ろにあて入みだれ責戦ふ太刀のつば音ときのこゑいか成
しゆのたうじやうも是には過じとおびたくし小山田太郎
高家は心計は春の花身は埋木の力なきのがひの馬の
なは手づなぢざれ具足もあらぞこそあまつさへ女房の
夕ちに出て帰らぬは心もとなさ気遣さ足に任せて
こゝかしこありかを尋求塚小松原よりふり見ればエハ
いかに。はるか向ふの山々に中黒のはた二つ引りやう。巴
のはたもわちがひに東へなびき西へなびき磯山風
に酢翻して高けふり矢さけび天にひゞき地にみち
て新田足利の国あらそび今をかぎりと見へたりけるゝ
うら山しぎ藤原が合戦やぜめて古具足の領も
あれから取てなげかけなん百万騎か中なり共只ひと
もみにかけやぶり両陣の目をおどろかせん物を何をいふ
ても浪人の財子頭巾に鋤壱丁ゑふにかひのあらば
こそひんは諸道のさまたけと世のことわざも我が身の
うへエゝ無念口おしやとこぶしをにぎりきばをかみ男泣
にぞ泣ゐたりがゝる所へ女房はあやうき命をまぬかれ
ふつてわいたる太刀鎧おつとに見せて悦こばせんとあし
ばやに帰りしがまこちの人こゝにかびなりはなんぞいのさぞ
待かねてゞ直ふと思ひいきせきて戻つた是わしじや
女房じやがなぜに物いはんせぬきあひがわるいか高家
殿といだきおこせば涙をおさへヲゝきあひもどふでよふ
はない。申し女房あの向ふの山々に入ちがふはたを見よ今ぞ
一合戦まつさい中あの軍中には主君高夫公父ぜし殿
もおはすらん。正じき主君老たる父が天下わけめのはれ
軍と命をおします戦ふを子の身としてあんかんと見物
して日を送る是が無念に下まいかといはせもはてず
己くゝ其泣ごとはもふいらぬ是見さんせと太刀鎧板
出せば高家よこ手をちやうど打鎧引よせつく〳〵〳〵見
て矢留り金物押着板藪伝高越上巻付太刀は
鳥首兵序ぐさりて是は大将のはらひ物たい体では
うろまじきが但損料でばしかつたかといへば女房くつ
〳〵とふき出しアゝつがもない。日がな一日たまわたますくつて
銭廿左衛門とらぬもの八百年の手間賃でも中々か
はるゝ物かいの酉の草もなき故に夕べき貞の領内の
青麦盗みかりたるを爰の者にからめられ殺さるゝは
づ成をさすが義貞はあはれを知だ大将におつとの身の上
聞届命を助け其上に此太刀具足さまふ出立て
手がらしてござんせとわたがみ取てきせんとす高家
つきのけ。□ゝ誠に義貞は五常を守る名将物のあは
れをしることてき味方のへだてなき人と聞[リ]義貞に
もらふた鎧を着じすぐに義貞に打てかゝらんこと心よ
からぬ年なれば思ひ切たる高名も成へからず去よし
ない情を受たりとくやみ顔にぞ見へにけるエゝこなたは
覚えぬ義貞短の大将がさもしい返報受ふとてなんの
情をかけられふそれ様くなたの名もとはず身捨なく我
をうてと詞に念を入玉ふ義貞の目の前此具足きて
はたゝきあは能は幾貞をしてやふと思ふ気はないがエゝ
をくれた人やとせきければ今分別したがつてんを一度着
して見せずんば其方をかたりなどゝさみせられんは男
の恥ぜ小山田太郎高家が出陣と鎧取てなげかけ
上帯香ひもにをどりして引しめ〳〵太刀わきばさみ立
あがればヲあつはれ民者ぶりよい男わしも馬に草かふ
て追付そこへと立帰れば是討死は年のならひ。いきてかへ
れば仕合元今生の梅乞国なくなフレぶしの妻に成から
そこは合点しでの成ちの一二のかけをくれはせまいとわか
れしは。はやしゆゝ道のそ陣と後にぞ。思ひ重しられ
けるかたふく目かけ西の宮本の宮命の合戦入乱れ人而響に
はせちがひおめきさけぶ其こゑは山をくづすがごとくにて
穴牢すでに戦ひやぶれこらへつべふは見へざりけり大将
義貞只一騎ノ返し合〳〵十六度迄かけちらし御身をきつ
と見給へばすか所の矢越高くらに立し矢はかれのゝすゝ
きにことならず。軍の勝負けふにかきるべからずと追くる
敵を切はゝひ〳〵求塚の小松原心しづかに打給ふ高家
それぞと見るより大音上大将ぐんと見奉る正なふ役を見
せ給ふ引返してせうぶあれとをつかくればふりせり日本一の
義貞に声をりくるはこざかしと鐙にかけてはつたとけち
らしたゞよふ所をひゝりと飛おりかた手をのべ一つきつけ
ばこがらしにかゞ世のたをるゝごとくにてよこなげにどうど
ふす義貞すかさず旗走りにのつけり是をかゝんとし
給ひしが鎧出立つく〴〵と御らんじくヽウ天晴をのれはしれ
一者を義貞にやす〳〵と組しかれん力とは覚えず。何とて
我を組しかぬ定て子細有べき去ながら汝が主の高氏
を組ふせたらんはしらず。海ごときの詩を五十百首取てもさ
のみ義貞がねがら本望共思はずさささまて名
のれ〳〵とのゆへばエハ御諚は覚えずいかに大将なればとて王
ざと歎に組しかるゝ者也候へき足利高氏の家の子
小山田前司高春か一子。小山田太郎高家不
足の敵とおぼしめさば只くび打てすてさせ給へと
両手をゆるめてはたゝかずいや〳〵此物のぐは夜
前女にあたへし義貞が慈捨のよろひ扨はその
おつとよなをんをほうぜんこゝろざししほらしゝや
さしさよざりながら天下にくゝぶる義貞がいのち
わづかのよろひ一領にてたすからんとてはとらせぬぞ
主親の勘当に付望有者ときく。目をおどろ
かす葛名して本望を達せよだゞ今にても
ばねかへし義貞と今一せうぶせばせよがしと
のゆへども小山田はなみだにくれ重々の御なさけ
みやうがの程もおそろしく申上る詞もなしいふに
かひなき此高家がかせくび義貞公の御手にかゝ
り申こといかなかせんぢんさきがけにもまさつて身
に過たるほまれ。勘気の父が聞ならばさぞ悦び
申上し此上の御方志にはや堂打て捨させ給へと
申切たる両がんになみだをながすぞ道理なり。エヽ
幾理ばつたるおのこやと取て引立ちり打はゝひ
義貞にたすけられしと人にかたるな我も人にはかたら
ぬぞと手おひじ馬を引立てしづかに打て過給ふ哉
将の気質そなはつて古今にかたるもことはりなり
一小山田はばうぜんと義貞の仁心こゝろにしみて立
たる所に大森彦七成主長手の者五十騎ばかり
どつとかけよせ大をんあげ。あかぢのにしきのひたゝれ
中ぐろの鎧は敵の大将義貞遠目にも見ちがへ
ず射とれや〳〵と矢さかさをそろへよこぎるまと
討かくる矢さきさしつたりと小太刀をぬいては
らり〳〵と云まきたりおとすされ共よろひのすき
ま〳〵矢ずくめにすくめられ今は是まで我義
貞の命にかはり。是ひまにやす〳〵おとしなさ
けのをんをほうぜんともとめ塚にかけあがり遠
からん者はをとにもさけちかき者は目にも見よ
清和天皇のこうゐん新田左中将義貞十ぜん
天子にたのまれまいらせかばねをせんじやうの
つちにうづむ功ある大将のさいごのていよつく
見をいて手ほんにせよとだかひも切てとゝ所を
大森主従おりかさなりきりふせ〳〵をさへて
くびをぞかいたりけるひたゝれきつてをしつゝ
みくはんごんの惣大将新田義貞を伊与のくにの
住人大森彦七野長うちとつたりとなのりしは
いかめしうこぞ聞へけれ此こゑにおどろきはせ
ちづたるみかたのせい大将をうたせては。壱人も
いきてせんなしと八はうより引かへす義貞
もとつてかへしま〳〵どしうちするうろたへ
武者。まことのよしさだこれにありときつて
かゝりたまへばイヤよしさだが二人あるものか新
銀古銀おなじつうようこれでかんにん
仕ると一さんににげてゆく味かたの大勢送り
くるを大将をさへてしばらく〳〵かれは聞ゆる
ねい人ぐちぐもうのうろたへものかゝる者の
てきぢんにあるは味かたの利運ぞとしよ
そつをしめすはかりこと。ちぼうはゐ
ながら天に入なみをもくゞりあまがさき山
ざきすぎて名将のほまれはくもゐのかつ
らがはうちこへかけこへわさりこへ世に立こへてなら
びなき衣立そまや都のふじ西坂本にぞ入たまふ
むき
第三
周の武王は木主を作つていていんの世をかたふけかんの雪祖は
幾ていをたつとんでしんの国を亡すざれば高民将軍
天理を恐れ後ふしみの院定を申給はり朝敵の名をのが
ねばせんの許さきするどくして兵庫湊がはの合せんに打かち
楠正成に腹切せ新田義貞をかけちらし高くら休め物ノ具も
ぬぎて紐とく花の都東寺をかりのやかた城大将の御所とぞ定
らる程も残堂洛中をおかすことりやと口々の給いごおこだわ昼
残る義貞家重て討手を向ふべ先々軍のつかれをはらし楽
をもろんとともにたのむ酒元ん扨此度の合せんに元取高名
の帳面をひかかせそれ〳〵に御ほうびある仁木勘かはさら不宜
なん山桃井高上杉武田前松畠山深かは岩松一辺あらは小笠
原此人々を始とてとぞ何の大名小名御家人は言に及す。雑言葉
武者に至る迄たち刀馬鎧金銀時服の御をびきいふ
けふの足がりも知行のかん状なはつて是一つが一筆に千石に
成も有数にもあらぬ是とつて御ほうびをむさぼれたわ
か銀子三枚甲ひろふてさせてもあきらけき名大将の賞
対とあをがぬ人こそなかりけれどゝに大森彦七成長殿長腹巻
にひたゝれうちかけもみゑぼし引たて血まぶれの甲常御前
にさし出し敵の大将楠討死の後夜大将新田義貞西の
宮の軍やぶれ。みたの両勢に左まかれもとめ塚のこにかけ
上り腹きんといたせしを某矢すくめにしてうちふせ是は
て候。残るぐん兵落行所をはりまろ迄追かけ申せし故
御帳にも付申さず只今実験にそなへ候とぶたをとれば
錦のひたゝれ袖をちぎつてつゝみしは大将軍の是のしるゝ伺
公の諸武士よこ手をうち扨は夏貝をうつたるかこんどのほ
まれは盛長一人弓矢の口様にかなひし侍お手がら〳〵あや
かり物とぞうらやまる音氏卿しばかく思案し給ひ錦の
ひたゝれを着し新田左中将義貞となのりたるをそれぞと
しつてうつつゝめそれに雪言も有まし去ながら此高
氏も義具も同じせいわの後ゐん八まん殿の嫡孫敵み
かたとはなつたれはともに一家の源氏の棟概ことに天
定に頼まれ参せ官軍の有大将相随ふ門葉に大
たち大ゐださと見鳥山。大嶋ほり口わき屋のれき〳〵
数をしらず処い宮をんのものふも多かるべし義貞程の
大将が討死せんに我さきにとかけ合めいどの供とて一人も
討死せぬさへふしぎ成に残りぐん兵はりまろ迄進たるは心へ
がたら一とせ桶がやけ是を以てあざむき義貞の智略
に乗られ京わらんの矢草にた〳〵敷是共をまさしげに
もかけたりと落書を立られ六はゝの愚将はが恥かきし
と聞及ふがれらは天せい武略ちぼうそなへたる英雄
引もかくるも理に当り生るにも死ぬるにも勝負の
そん徳を守る名将いか成はかりことをやかまへつんそつに
もてはやし義貞にてなくんば味方の恥辱は云に及ず
汝ふかく人の名をうちやかた〳〵いかゞ思はるゝ評諚。あれとぞ
仰けり大森つゝと出いや御評諚迄もなく生どりの者
に見せ御尋候つゞ実否早速しれ申にて候とこざかし
げにごん上す高氏大きに笑はせ給ひ。イヤ生捕にとふ
などゝは名もなき名の是のこと命をすてゝはたゝき入生
どゝるゝ程の者なればよつく大将義貞に忠信ふかき侍よ
とはれて誠を云べきかもし御辺運つき敵に生どられ
味かたのはかりことをとふならば有のまゝにいはんずな筆束
なしとの給へば盛長は詞なく赤面〳〵たる計なり大将
重て我義貞と一家なれ共使者の通路計にて終に
直に対面せず見知たる人あぞ申されよとの給へば諸奢
立より〳〵関東以来此度の合戦にも遠目に見たる
計にて近付しことなければおぼろけのことは申されずと
更にじつぶは極らず小山田前司前春茶座よりのび
出て見ればおもざしかほのかゝり若年のむかくかん当せし
我子の小山田太郎高いへに似たりと見たる親子のえん六
十のたがんにもまがふかたなくむねにしみはつとおどろき
ゐたりしがさあらぬ体に心をしづめ新田殿の御皃はそ
年鷹がりの折から一両度も見参らせ大かたに覚候と
近々と立より右へまはり左へむきだめつすがめつ見れば見
る程疑ひもなき弟子の夢いへなむ三宝がん当して申
八年此世にながらへばならず此度の答戦に大将の御目に
及ぶ程の高名世よしそれを品にかん当ゆるゝ御ぜんも
とゝのへ主が世の子孫のさかゑを見ん物とたのみし心のつな
もされそゞろ涙のぼるゝをバアヽすがんのかすみさだかなら
ずと目をおしのごふ其中にも当家ぶだいの身を持て
敵の大将義貞となのつて死せしは心へず申詞にさしつたり
せんこにくれたる計也大森秀彦七つゝと出是々ぜんじ殿生皃
と死がほは相好のかはる物。其了簡して大がい似たらばにた
通申上られよ。凡道具のめきぞも只一言で千貫の
道具が似せ物に成ことも有そこついふて成長が高名
を行すまいぞと懸をかへてぞ申ける。前司重て御前に
向ひ面体よく似たるとは存ずれ共某が心にて決定して
も申さぬ所詮一條大路の獄門にかけ。諸人の噂をうかゞ
はゞぜひ明白に顕はれ。義貞に極ば味方の勝利盛長
が馬名もゝさもなき是にて候つゞ六十に余るぜれしめかそこ
を申て面目なしと獄門の木の下にて腹かき切てふすなば
恥は某にとゞまつて成王長がふかくもなくみかたの恥辱も候
まじ此実施をたゞすこと薬に任せ下さるべと望み申せ
は高氏卿然ばともかくもはからふべ去ながら都方は幾
貞びいきの万民詞もすぐには受かたかんとのなへばさん候寄
永のむかし木曽藤北国合戦に手づかの太郎光盛斎藤
別当実盛が是をんしか共。なのゝねば名もしらず見知
人もなかりしを極口の二郎が朋友のよしみにかたりし詞の有
またるすみのびんひげをあらひてそれとは存で候。友重の
よしみにさへ心をあかすば人性のならひ殊に義貞は情有
大将よしの者も多かる。北のかたは南当の内侍と申だい
り上臈かくと伝へ聞給はゞ忍ぶに余の涙の袖諸人にま
ぎれ給ひても思ひは外の通に出其かくれ有べきか実ながひ
げをあらひしそれは篠原池の水走は情のそこゐなく誠
を顕はす涙の水にあらはせて御ん候へと申もあへず是を
物御前を立けり三重式がたてやな是御らんぜよ今迄ゆ
るがず折てかたげし此柳風のきそへばこそ一はもちるな
れたま〳〵心すぐなるを恋こそ我をくるぐるはすれ風
粗したる秋のはの荻のをとづれ今か〳〵とたのものかりよ
君が玉づさつばさにかけてわが手にわたせすたせやわた
世八はしのさはべににほふかきつばた花あやめにたりやにたり
新田と聞はなつかしやなふま〳〵わらんべ共は何故に立さは
ぐぞ何新田左中将義貞と云大将いくさに打原敵に
是をとゝれて獄門にけり給ふとやし。あら誠しからず也其中
将と云人はもとより弓高は家の色のうへ人に交りては
哥れんかの道にも達しまりの品々迄くらからず又
酒もりなどの折からひいで人々にちぶまふて見せんとてすい
かんひたゝれ取出しゑもんうつくしうきないてへりぬり取て
打かづき手拍子人にはやさせ扇をつえなるは瀧の水
たへずとうたり大ずとうたり落くりよきの音羽の嵐に
地王の桜はちり〴〵アヽ浅ましやぢるは桜かふるは涙か誠
にあれにあの獄つこそ渡のうねめぐりにさびしき鑓長刀づる
ぎの枝のさからぎ中の梢にしぼむ花のほばせ目も
ふさがり近かはる共契りはかはらし我こそ妻の音当の内
侍何なふ内侍と召るゝかや。いで参ふ思ひ出せばはやむかし
人めゑぶの袖打かざしあひそめし夜のむつごともがたり
つくさぬかねのこゑけいろうの山にひゞきて森のこがらす
八こゑの鳥あかつきの明星がにしへちろり東へちろりぢ
ろり〳〵とする時は扉をつろ刀さいていなふよもどろふよ
といふてはつまどにたゝずみしゑにしなきり〆んな君が心に秋
風ふかばいなふ者もどろふ共何はそなたの御はからひと
いふてはこゞじにだきつきてむすぶの神の中立はひよくれん
りも磯枕くちせぬ中をくずのはのうらみは風のとがもない
物誰が手にかけてうつのむづたのみだれそめくるひ
出たる我身は何とならのはの露よりうすきおなさけや
雪は待かねよなかは歎きあかつきおきてそら見れは児の
なけいせいがむらさき空手にすへて一ツ参れわが殿
二ッ参れ此との三ツめの名には白瓜からうりからなし
かゝ梅西王母がぞのゝ桃百とせ千年の御命情
なくもうしなひしぞもしゆらの歌はたそ大森彦七
成長とや妻の敵いざ討て持たる柳をつるぎと定め
しんゐのほのほはこがるゝ紅葉いふにかひなき狂女なれ
はおつとの弓矢のはげしき嵐になれてもまれて。曰
方の桜の四方へばつとよりくるけいござす手も引手も
ものふの物柱ひとてとがむるかよしとがめてもおど
しても歎きてもくどきてもひとりは帰らじ我妻
たべおつとたべなふ人々と。かつはとふしてなきしづむ涙の
袖もくろ髪も乱れ心ぞあはれなりけいごの下聞
棒ふりぬしさはがゝきちがひめぞこ立のけと追は
らふ前司をさへてさなせそ〳〵云ことをと立よりて
扨は義貞の北のかたにてましますな。いかに狂気し
給ふは年月なじみの夫婦の中かほばせも忘れ給ひしか
心をしづめ能見給へ義貞にては候まじ歎をとゞめ
帰り給へしやうだいなやといさむれはうたての人のいひ
ごとや伊勢の浜萩なにはの芦所にかはるは草の
名よ異国はしらず本朝に名もひとり身も独り
又とふたりはなき人奴をさもなき是を何名に墨くろ
〴〵と高札に新田義貞としるしたるそなたこそ極
人よ我はもとより気毒のこぼさぬ水のあはれを
しらばさのみ人めにさゝさず共あの是をわらはにたべ
煙となてなき跡のほだいをとひたふさふらふと袖
にすがりて歎かるゝウラヽ御歎きといひ御ふらんはさること
なれ共。此是は盛長がうちはうつてとへ共義貞とは見へ
がたく外に似たる者の有故さらして実否をたゞさん為
かくの通と云所に東の辻に人立して。是も女の物柱
ひまゆかきくもり黒かみもおどろにばつとふりかたげ
たるさゝのはの乱れ心やくるふんあらはゞがりや恐れ
をしらぬ景わらんへ念も我殿御は源氏の大将左
中将義貞。参内の道そこのけとこそなつかしや我
一尭のくもゐを出しは卯月の空秋よりさきにかならず
と夕の数は重れとこぬ夜つもりのうらめしや獄門に
たがさらしなの月日待しもいたづゝごと。後世とふらひみづ
からもしでさんづをともなはん哉是たべなふ殿いごのへお情
あれ人々と獄門の木にいだき付人めも。わかず泣給ふい
せんの狂女走りより是義貞殿の妻と云御身はそも
何人ぞも聞も及び給ふん句当月侍とはみづからよ
一イヤ誠の句番の内侍とはわらはがごと御身は定て思ひ
者か一夜妻かかりの情をしれかね跡迄したふはやさし
けれはほだいをとふは本妻の役お是は我に下されと
をしのくればをしのけてざいふ御身が一夜妻が一夜妻か
筋なきことな申されそ句当の内侍とは大内の女官
御代にたつたひとりの女義貞殿の本妻衣ならで
誰あん物に狂ふもおつと名本性はたがはぬぞサア誠
の内侍なばき義貞殿の案内の出立有の覚えしか
忘れしがよもやしらしとの給へばなふ。忘れんとすれど
しられぬ其出立は此にすそごぜんだんの板かふりの
板金銀にて中黒のしるしをうつてこがねざね大
だてあげのすね当さがね作りの太刀かたなあかぢの
錦の御させながわらはが取てきせければゆつてうは
帯ぢやうどしめにつこと笑ふてあつはれ衣ながらも弓
取かなげふの事にほまれをゑて名を末代にとゞめん
と音引よせゆゝりとのつたるはなふ大将軍にまがひなし
近づくてきのときのこゑ。味かたにとゞづくせめつゞみみね
のこがらし磯打波よせくる勢を走り切大敵を見てい
さむことあらたかゞ雛を見て。とやをくゝるにことならず扨
やあられと飛くる矢さきあがる矢にはかいくゞりさがる
矢には飛あがり。向ふてくる矢は小だちをもつて。きづては
おとし受てははらひはらり〳〵と切はゝひしゆみの四方
の口天王ままいしゆらがはなつ矢を一度にきつて大かいに
払ひおとすがごとくにておもてをむくる敵もなしかなしが
ゆゝ敷ものふの運つき弓も矢もおれてしゆのやつ
こと成給ふ後世とふ者は我計とごく門に取付はせて
それは軍の出立大内のことをしらぬ身が内侍とはいつ
はりと引のけてはわづとなきをしのけてはわつとなき
まがきの菊の狂ひ咲花をあらそふ蝶鳥の路にし
ほるゝごとく也前司こゑをかけ吉はしたなし先しばくと
二人を左右へをし分是は一ツ内侍は二人ぜひ一人は偽也
是跡にきた上臈義貞と札はうつたれはうたがはしき
こと近心をしづめて能御らんぜとごく門を取おろし見
するもあへなきなま是をなきめくひぎにかきのせて
一目見てさへなれし夜の面かけだにもまがはぬ物能々
見ればそのゑや。置ともしらぬ死がほにぞつとこはさ
のアヽ恐ろしとはゝひのけて身をふるはし。いや〳〵是は
人たびめもと口もと義貞殿には似ても封すかねて
我妻のかひし仕計は時のうんいつ討死もはかられず敵
に向ふよびごとに帝より出はりし薬奢狩の名香内
甲にたきしめんびんの髪に名香かほる是取たりと云
人あらば義貞が討死と思へとの御詞軍のさはぎに浅
ましい下臈の首と衣りがへ誅のお是は勿体なや草
むにうづもれしか。尋てたべ人々と歎き給へばいぜんの狂女
泣出し上口かしやいかに見しりなきとても下臈の首
とは余りぞや我おつとは身貧にて名香はたかねは
弓取の心の花は梅桜よりかんはしく仁義に命すて
し物かばねに恥をあたへるか情なやいとほしやと。是
たきよせてふしまろびこゑもおしまず泣ゐたり。せん
飛かゝり取てつきのけ。是のたぶさをつかんで涙をはら
〳〵とながし六十のさがんに見しもたがはず我子の小山田
太郎高いへにて有けるよ。おことはつれそふ女房なわれ
こそかれが父足利尊氏卿にはふだい右伝の御家人小
山田前司高春生年六十七歳命ながければ恥
多しとは我身のうへにしられたり。十八年いぜんきやつは
其時十二さいじゝがりの御供せしつねふるしくのみねこ
すを詮か有あのしゝ討とめよとの御読太郎太郎太かし
げにに弓に矢をはげ向ひしを哥氏はつたとにゝませ
もひ小腕にてしそんぜん居しされとの給ひし御詞も終
らぬに弓と矢大地へなげ付しを弥立腹まし〳〵謹
に当つてなげうち手にもたゝで慮ほの親前司はな
きかあれ引立よと御いかり。ぞれより君の御ふけうなれば
親も則かん当して十八年の春秋は風の便もたへはてし
是も性あらぞよつく聞世間の親のかん労は遊女博奕
大酒のさたそれさへ親は子を思ふ。小心にも弓矢の道主志に
向つていぢを立たる御にくしみ親の身ではにくい半ぶん
嬉しいが又半分のかん当ぞや今度の年に度貞がたの名
有兵。是えて来れかゝ君の御前は云に及ず天下のぶし
にほめさせ我も世上の親たる者にうら山れん今やくる〳〵
と毎日の高名帳夜かはくつてあすを待親に孝なく
義もしらず所領恩賞に恥をかへ敵に手をさげ膝をつき
義貞に降参し知行に命を捨しよなとても捨る命
をなぜ高氏に奉り名の為には権ざりしぞ親は手よる
子は犬野小山田の名字のほまれたが末の世に残すべき
兵衛ましやとはがみをなし。持たる是をかつばとなげ。とうど
重て泣けるが思へばめは義貞の郎等家は高氏の御
家人親子ながらも敵みかた。是に共一たちとふり上て打
かくり。女房すがつてなふとしや。内侍のもとめてたび給へ
親の人当受し身はみらいもやみに逢ふと聞かん当御めん
なき上に親の手づから子の是に。女ひばをあて給はゞ迷ひの
うへの迷ひ也。也さいごの様を聞分て。ゆるしのおほかけ給はゞ名僧
智識のゐんだうもそれにはなどかまさんしとくどき立〳〵
なけゝばさすが親心。いふことあらばはやかたれとむせひ入
たる計也女房猶も涙にくれいたはしや我妻のこんどの
軍は高いへか主親のかんきをゆるされ昔にかへるは此ときと
ぐん云にまじり。幾度か出給へ共牢人のまづしき身鎧
一領あらばこそすはだ武者のさび刀拾ひ弓に拾ひ矢
畠につかふ野飼の馬うてはあをればかはねばやせて足
立ずいか成たけさものゝふの三条小かぢが釼仁もなふ
ひんの歌はふせがれず。腹をきんとし給ふをわらは御身を
付兵粮まくさの心ざし盗みかりし音麦の畠は敵
の領内高手小手にしばられ。大将の前に引出し罪
に沈むはづなりしに敵ながゝ義貞は情を大将身の
上を聞届[ト]命たすかる其上に召がへの錦の鎧たち刀
迄給はり此恩直とて女衣をかばふな。それ御おつとが
名はとはぬと仁義ふかき御詞かたり聞せし我妻の心
一魂にしみたるか御命にかはり我源の義貞と名乗て
あへなく討れ給ふだとへ千金万金をのべたる鎧たちにもせ
よ高いへ程の侍がうへに望んでしずればとて鎧一領太
刀一ふりに目がくれてそりや命が捨られふか。是ぞ誠の
情の死とはおつとのこと。恩を忘れ義貞を討参らせ。高
氏公より大国を給はつて栄花を極むる果報かり度
理と情に命を捨ごく門にかゝるこそぶしたる者の集報
なれおいとしや御さいご迄心にかゝるは身御のふけう。御
免有との一言の恩をおかほにふきかけて親子のえんを二
世迄もむすんでしんぜてたび給へとすがりかきよせいだ
きよせ過え入〳〵泣ければ内侍も扨は我妻の命の
親ぞと諸共にこゑをそろへてかこちなき少いごの如夫下
部迄袖をしぼらぬ者はなし父の前司も愁歎の涙に
かきくれゐたりしがエゝあつはれ我子やでかしたり只残た
きは十二さいより一日あんどの思ひもなく。ひんくでしな
せしかはいさよ情にもせよ義理にもせよ義貞をたす
けし子の親は主君高氏へは不忠の名奉公すべきり
くつなし御前にて此是が義貞にてなき時はごく門の
木の下にてばゝ切てふすべきとはぢげんはなつて申
せしはか川のため高氏の御手にかゝると思ひ我其手づ
からかきおとし勘当はめいどにてじきにあふてゆるすべし
内侍るをかしづき情の恩を報ぜよや三世の諸仏
大ひのちから親子一所に道引給是迄也と刀を是に
両手をかけ。ゑび〳〵〳〵のこゑの中二人ははつとすが
れ共はや其かひもあらしの庭の。老木につもる白雪
のもろく落てぞ清にける会者定離とはいひながら
あふも今わかれも今是目前の哀別離苦う
きをかさぬる儀の袖にしうとの首をおしつゝむ内侍
は妻の命の親走も我為しうとぞと身に引そへてもろ
ともに誠有けるげん世の道仁といひ度となづけ。
忠孝ふかき法の海ともにくぜいの舟岡山ノ滝の
末も一筋にみだれぬ御代のをしへなる
以上
第四
よさの石のねすがたまどから見れば花ならで初
ざくら月なば十三夜さかりまだしきねやの内
さては野にさくゆりの花しよがゑ少くはん〳〵とぞ
うたびける。サイ〳〵やかましい丸太めら。暮に及んで
何ごとじやばん所がめに見へぬか。うぬらがくる所でない
通れ〳〵としかつてもにらんでも。さては野に咲ゆり
の花しよんゑ扨々なめ者此所をしらぬか。坊門の
宰相川の御下やしき高氏将軍と御内通後醍
醐の金を此所にをしこめ近日隠岐の国へながし
もの夜のめもねずの大じの番さい相様も只今おくに
御入迄付お帰りそこのいておれ〳〵ときめつくる。アヽ
かたい侍しや是よりきびしい番所波にゆゝるゝわり
舟の中迄も小歌付たりかりねのとぎによばんす
ねしめてのねごろは髪の色よりないかたか。ひら〳〵せい
てよいげな番衆は猶用心すはと云時はや鐘まさ
り。わしがつふりをうたんすりや。はやくはん〳〵とぞしやれ
かへるおくより殿のお帰りと。よばられば番の者ばら〳〵と
かしこまるさい相ゆう〳〵と立出あたりを見廻し。あの
うらの方は塀一重。犬のくゞつた道も有。いかにしても無
用心明る早々めぐりに蜘手をゆはすべし弥番をおこ
たるな。よなか替りに定しからは。気のつまる間もなし
ばん所はきんめにして寄に気を付ゆだんすな追付高
氏より大国を給はり。此さい相も公家をやめ武家の大
名と成時は皆相応の知行とらすべ奉公にせい出
せ又後程見廻んと上やしきへぞ帰りける妻のものは
のびをしてやればまりや是おびん旦ながいなれどもふ
楽じやうたをふとをどろふと夜なか迄はこつちのもの
こふ〳〵と招かれて今ウ殿達は三人わしが出てきはどれ
じやゑ気が定まらぬと云ければハテ誰遣ふ此はな。
ヤア伝五平それはまんかち。こよひは身がとめぶろだイヤ
身がせんだとせり合ば是々伝五年太せりあひは無
用此源蔵に任せてをけねる時はもみ竃でしぶい
てこい先それ迄は一盃あげてしよけるべい。い□海うりの又
六がもふくる時分とびくにひとりに侍三人仮めのばんは
よその町こゑ高々とになひうり大名深草大なごん
唐人分別ぬりころりのかね平ふい大名とは白餅
深草とは鶏餅大などんはあづき餅唐人もろこし分別
あん餅ぬゝりころりはうなぎのかばやき山椒みそ兼
平とはきそ殿の御内に今井すし酒盛にかくれなき
一騎当千の御金磯打ノ波のまくりのみ蜘手かくなは
十文ざりの茶碗に一はい酒でも餅でもうまい物の
せい梅銭次第とぞうりに夕各悦び又六きたか是
見よこふした色遊び酒も熱も有たけばたけかふてやか〳〵
汝ものんで太こもてアヽそれは忝い商して酒のんで其内
て利を取はめでたい物が吹てきて丸太舟の湊入二人
の御番こなたは加番に青のぼんかるたには太この二盃
には太この一私からと引受てついとほし帯丸太殿へとさし
ければ各口をそろへ其盃を三人の中気に入た男にさし
給へ。其者が枕ならべ。くじきより是がまし思ひざゝになされと
面々ゑもんつくろひ。ひかきなでゝならびけるいや〳〵そ
れでは気がしれぬ茶碗三ツで面々登りゝを思ふ数
程のんで心中を見せさんせ茶碗の数の重るがわたしが
こよひの男じや[サ]ア面白白い酒のうれるずいさうと。茶碗
ならべて三升橋すぐにお酌と立ければ何れもがつてん
まつかせと初手一盃はつい〳〵のみ。二盃めははやがのみにて。
三ばいからが義理一へん後には茂理もへうたんもふら
り〳〵がたちまぎにころり〳〵といきつきて前後もしら
ずふしにけり是々ねいらぬさきに銭しませふ是旦那衆
はて手のわるい狸ねいり酒代早ふとゆりおこす二ア
よいちいのたつた今ねいりばなこよひは帰つてあすでも左
たがよいはいのといへば又六いはゝを立候。今夜はあひじやのサア
そなたから残せふとねだれける其間に塀のやぶれに月
かげの白く大一疋瓦をふつて箱の鞘をねくひ付くはへる所を
又六どつこいと是本をさへ犬も人も此やしきはくひにげの大
よせ居ならぬともぎはなす是〻いふても畜生執心が
かはいひ是あたひはわしがやか中で一ばん大きなをおなり
のまゝ取て魚斗うつてたも走は犬屋大臣がついた何もあ
きなひたんご鯖のばん卅八文かつて介合点〴〵竹の
皮一枚おとこがげに立より懐中より一通の文くる〴〵
一巻魚中に入てこいく〳〵となげ出せばひつくはへ塀の
やぶれに入にける又六とつくと見すまし小ごゑに成てこれ
びくに藤そなたは矢国のはんれいをやゝるゝの此所は坊門
のさい相下やしき。天皇さまをおしこめ置。定しそなたは
新田殿よりのあん内と見たちがふまい某は出雲のくに
なわの又太郎長年と云者御厚恩の論旨を更近
よるべき便か様の商人せめて一人かとふどのあれかし松寸
出し奉らんと心をくだく所也御身の上有様にきかまほしし
と云ければをゝ我々は小山田太郎高家と申者の妻新
田殿の情を受おつと高家は討死し。みづからは尼となり
句当冊侍御とひとつ住ゐの其中にも。天皇の女を
うばひ新田殿の御本意をと思へ共女わざせめての便
に御力を付参らする計也とかたれば長手大きに悦び
是ぞつれのひくる時折しも番の者はくらひゑふ此
塀一重ふみやぶりやす〳〵うばひ奉り吉野のおくに主居
をすへ根来法師くまの武者をかたらひ。吉野十八江を
都と定むる物ならば北国西国なびたとあんの内ぞと
あん餅のになひ棒にて塀一間どう〴〵〳〵とつきくづし。
つゝといれば犬のこゑ〴〵一犬ほゆれば万犬にばんの名は目
をさましおきあがれ共ひよろ〳〵〳〵。よろ〳〵とよろめき
ながらなむ三塀をやぶつた又六めか丸太めか一打にして
くれんとぬきつれ〳〵入けるはあやうかりける次第也すで
に夜半の番がはり引つれてさい相のけんみの為に来りしが
あたう番の名は一人もなく塀をし破りしは心へず敵の忍び
の下るぞこみ入て討とれとおめいていらんとする所に又太郎
大だぬぎ棒ひつさげつゝと出。我ゝは酒うりの又六と
申者の誰共しらず十人計我らが酒朝のみくらひ番
衆にも振まふてまんまとだきこみ。銭もはゝはす塀を
破つて入候。我々が為にはくひ近の敵[リ]奥に気遣なさるゝ
な是へ追出し申べ酒くさいかばを相図に討取給へと云ければ
ヲヽ出かした〳〵急いで走へ追出せ承るとつゝと入無二無三に
追立る三人の館ざめ共逃出ればそりや討とれと取廻
すイヤ我らは御内の伝五平伝五年でも酒くさいはしれ者也と
はたときる。我らも御けらい源蔵やれ〳〵きやつも酒くさい。枕
者は斗太こいつは取分酒くさい一人ものがすなとかたはし切て
捨にけり又太郎とんで出お手がら〳〵うら門は大かた仕廻表
門の酒くさゝはながもげていにまする皆々表へ御廻り
ヲヽ心へたすい分はなをきかせよさ表門へとかけ出す其侭
に高いへが女房君主の御手を引走り出ればあまたの人跡先
を取まいて。ほえかゝれば又太郎うちもらされの今井の四郎
手なみを見よと朝も餅もなげ出しとらのおをふみどく
蛇の口犬のせなるをおどりこへ大和路さしてぞ三重
天皇かちゞの御ゆき
世は末世に及ぶとても日月は地に落ぬなら
ひとこそ思ひしに。我いかなれば王ゐを出てかく計
人臣にたにまじはゝでくもゐのそゝをもまよひき
て行ゑいづくと白つゆは草ばのうへにをきもせで袂
にさむき秋の霜きく月も末つかた。こきうを忍び
出給ひあやしのしづの神もうでにやつせどなれぬ
すげの立雨をふくめる。こそんのき夕べを送るゑんじの
かね。あはれをもよほす時しもあれ御いたはしやせんていは
黒うゑんのむかくの御遊くはけんかうしやの外を出さ
せ給はぬもいつしかなれぬ旅はゞきちとせの坂とゑいぜ
しもみゝにはふれて手にふれぬうきふししげき竹の枝
長年一人御供にてしらぬ野山をこゝかしこたどしたどらせ給ふ
御盃さぬよその見るめも恐れ有こゝはいづくと里人に
いざとばなは手秋の山いはにくだくるたき川のどう〳〵〳〵
とつとよせくる追手のこゑかそれかあらぬかいやまてし
ばゝあれはのもせにたれまねくかゞしのかげに落人鳶より
さきにおごろきてともにむら立さぎのもりいそぐとす
れど玉ぼこのならはぬ道のけはしきに御足もかけそんじ
御わらんづにながるゝちはくさばにそめていさゝ川もみぢ
しがゝむごとくなりあはれげにきのふ迄至らうさんでんの
一床に重し月にたはふれ色かにそみ花やかなりし玉体の
けふはいはまのこけむしろかたしく袖に御渡せきあへさせ
給はねば。さしもにたげき長年も涙はむねにせき戸の
ゐんこゝば名高き山ざきのふもとにみだすおぎはぎすゝ
きふみわけなくや狐川東のそゝをながむればあれ〳〵
うぢのかはぎりたへ〴〵のせくのあさせにわらんべの小手さし
つるゝこゑ〴〵にごきやう恋しや。わがふるさとのしはのい
ほりもなつかしやいほりもしばのしばのいほりもなつ
かしや恋しゆかしと聞有にげにこゝのへもはる〴〵と跡
になごりの男山さかゆくことも有こしに今のうきめを
みつのうら西にかすみてあはぢがたすまのせきもり
よびおこし通ふ千鳥のちり〳〵〳〵とよせくる〳〵波も
よせくるおもかぢ取かぢひやうしそろへてさおもゝろや
〳〵さつざさかひのうら遠く外を十ぶんにあげた所がお
もしろいよの何にたとへん五手にしほ風さむく吹返ふ
かさも袂もひら〳〵〳〵ひらのわかゑも過行ば日かげも
さががふぢゐ寺はやつげわたるかねのこゑとんこんがう
山もはるか成あれ御候へかすみで見ゆるたかねこそ
しぎのびしやりんにてわたらせ給へとそうもんすれば
主上御手を合せ乱相ほ。仏法おうごの本花の月すい
しやくれはうのかけ清くぶたゝび朝ていあきらかに
四がいをてゝさせ給へやと。たんせい無この御いのり神慮
もあんにはかられて。たゞたのめ年ふる松のことぶきを御
代にゆづりて高やすや。それにはあらで乞も又おきつ
しら波笠田ごへよはにや君が一しぐれくも行そらを
こかげかとぬれて。たゝずみ三重給ひけり凡つたへたる
あづさ弓光ゐん矢のことく楠正成が百ヶ日立や其
名も忘れかたみの一子帯刀十一さい文がさいごの無念の
むねにとゞまりほねにしみをさな心に只一騎とふくひ軍
思ひ立鎧の袖に小桜の花を手向のけの駒あかつき
ふかき星のかげともにかゝやく銀ぶくりんのくらの山がた山道
の小石まじのの小笹原そよ吹風にくりかけて取たる手
騎こむゝさき藤井寺を弓手になしめてへさら〳〵しと
〳〵〳〵がつし〳〵とあゆませて神の昔も念力の乗観は今
もあら人神天神の森にぞ恙にけるあらふ〳〵ぎやうしろ
のかたに女のこゑまてよ〳〵とよびかけたり何
者やらんとぶりかへればきぬ引からげこし刀長刀
かいこみ追かくるは母うへなりなむ三ばう。我をとゞ
めんため也と一むちくれてかけさする。息をはかり
にはしり付くらのしほ手をむずと取とめても引
てもかけるの二三十間引ずられやれ物がついた
か帯刀母にもしらせずいづくへ行ぞ正行母はいき
きれしぬるをもかまはぬか馬をとめぬかせがれめと
さけび給へば正行るよりとんでをり土に手をつき
かうべをさげ。父のいみのあき候へばとふゝひ軍仕り。高
氏と打はたさんと思ひ立候様いとま申さぬ段まつ
ひゝ御めん下されとさしうつふいてぞ居たりける
母はとかふもなみだにくれエゝいかにをさなければとて
十にあまればおとなやくなどさほどにもわきまへ
なきせんだんはふたばよりかんばしといふたとへも有
正成の子ならずや日本半分切取たる高氏にお
こと一族がけむかひ一たち合する迄もなくだせい
が中に取まかれ当座に討ればまだしもよ生
どりとなつてめんはくせられ恥辱のうへに命を
うしなひ。いつの世にか天皇の世に衣父ばう
こんの本意をばとぐるぞや親の敵討んとてかろ〴〵
しく身をすつかは葉侍のうへのこと夕ごぜのさくゝゐ
より汝をかへし給ひし時おひさき迄の教訓を母
にもかたり聞せしが百日立やたゝずにて其いさめ
をわすれしか。一族かたゝひぐん兵そろへ菊水
のはたまつさきにをし立古今不双の名将とよ
ばれたる足利高氏に一あぐみあぐませんとはおも
はずして一騎武者のはたらきにいか成手がらした
ればとて。其名をあぐるばかりにて。天下の為には益
もなしをさなく共楠正成が子六十余名をおもにゝ
持大じの身とは思はぬかうらめしや情なやサア帰れ
はやかへれ重ねてからは口ではいはぬつめ〳〵するぞ是
てゐや是に付ても正成殿今三年世にながらへおこ
とが十四十五にならば。かくうきせわもせまい物はかな
のうき世や浅ましやといさめくどきて泣給へばさしも
にいさむ正行も。母の歎きになき父のかほを今見る心
むして母のひざにいだき付こゑもかしまず泣ゐたる親
子の歎きぞあはれなるかゝる所に又太郎長年春王を
おひ参らせ。森をめにかけ来りしがヤア心へぬ夜はまだふか
きにをさなき身に。物のぐかため女も長刀よこたへば。ケウ
例の山立よな。幸〻きやつをおどして夜道のあん内させん
と思ひこりや〳〵山賊熊野詣の内道に病人有てめい
わく也夜明迄かん病すべき所や有り過つてくれば急度れいを
せんといへば母聞もあへすいや〳〵我々山賊にてはな熊野道者の
御病人とは殊勝にもかいとらし我宿所は三里斗折ふし是に而も
を召れて御入候べかしいや心ざしは嬉しいが人を忍ぶ我々。其中
に夜明てはきのどく三里行ばかくれもなき楠にえんを取た〴〵
を頼む迄もなしと行過れ是申。楠にえん有とし給ふはごなた
ぞ是こそ正成が書や子にて候へ女はぞふか我こそおきの国
名和又太郎長年と申者。おひ奉りしは急も後醍醐天
皇といふよりおやこははつと計しきつてひたひを地に付れば君
もでいとにおりさせ給ひめは帯刀正行時は母いづれも正成が
かたみかや妻子を御ん有につけ父が忠節をこそ思召出せと
て正行が髪かきなでゝ龍眼に御涙をうかめ給ふぞ有がたき
一扨坊門の宰相かへり忠にて君とらはれと成給ふを小山田が妻と
心を合せうばひ奉りし有きくはしくかたり。高氏がたの追手の事
云千騎斗あれほの松明ことゑ也先御辺の館迄いそぎ
みゆきなし申さんと云けれは正行がぶつをふつていや〳〵我らが
一館へ者を含め追手のせいを引受さまもきらぬへい一重溝
一風前の埋れ堀一日もこふず責落され敵に分童を見
さがされ後日の合戦成がたし此所につゝさゝへ追手の大勢打ち
らゝ出合頭の初軍に敵に一しほきを付てかけなやます
程なり重ての軍に二つの足へふまんは国定くぜひ此所に喰と
めてへ合戦とぞ申ける。母上に。にんでやしやく者だつた今
来見した其吉も引反に御前共憚らぬりはつだてなそれ
なんぞ兄と云ても大じない長年殿ぶゆうと云年かさかこと
にならひ給ふべきか俳初ながら大じの所あなたの下知に任せ
てゐやとねめ付給へば又太郎年にたらぬ正行殿此所にて
たゝかはんとはいさみ有て頼もしゝ去ながらみかたは貴殿とそに
只二人追手のせいは一千余騎死物狂ひはそはしらず勝べき
道理更になしといはせも果すアヽさなの給ひそぶせい也とて
戦かはずんば戦ふじせつは有べからず。父正成は三百騎にてぬ
小勢にて十万の敵を幾度か破りたり軍寄正応化に
ほ。時はやとゝの一天我計略をめぐらさば千騎はおろか何に
万騎もかけやぶつて見せ申さんと広言はけば母上に小
づゝにくやすべならすべの身にしてゐや。出るまゝのぜの。せんつだてサア
みかたふたりで。千騎の敵にかつべき智略があらでいふて見や。
道理がわるいと正成の子でないぞサアアリヤ世〳〵ととひかけられ
さん候物くで子共のいさかひにもつよきはよはきをあなどつて油
断の災をする物也若落人の身にて御供とても一両人千
騎に参る過手の意。たせいを頼みにゆだんするは必定。我々と云年
両人向ふの松原にかくれ入母上は君の御供して天神の社に
忍び上を始各下着の小袖をぬいでうら表一断〳〵にと
きはなし本社末社のかねのをともに大ばたにばたの尺に切。
石をくゝつて森の精こゝかしこに投かけ〳〵敵よせくるば
しづまりかへつてほの〳〵明の朝風のきりのひま〴〵森のこ
かげにはたの手のひらり〳〵とひらめくをに執力と見る者有
べきか一のみにあなどつてゆだんしたる追手の勢。とむねを
ついて進めく所をかぐら常の大だいこらん調に打立給はゞ
先陣よりくづれ立後陣もともに乱るべし其時我々小
松原よりよこあひに切て出十方むじんに切ちらさば陣
をわられし彼軍のふみとまつたるためしなしためしなし
がせと成人にて人を世きふさがれどしうち友うちどをうし
なひ八方へをちつてみかたの勝利正行が掌に握たり母
上いかにと云ければいや〳〵それも一図のぐんに。もし又敵の大
ぜいが此森へはかゝらず汝がごもる松原へさきにかゝらばいかゞ
せんヲヽ其時こそ松原のまり長田を追立立侍ぬさきより
立鳥は帰雁つゝを乱るなり。かくらぜいと心へ取てかへして
此森へかゝる時にはかの手だて鳥とはたとにおどされて中に
たゞよふよせ手のまん中只一かけにふみちらすは蚊を殺すよ
り猶やすくほねをおらずのかち軍あんの内に候と申上れば
天皇寺天晴正成が子也けり末頼しき王か者也と志も
かんないに御衣をしぼらせ給ひければ又太郎は、廿五さい十一
さいの心行に今日大将軍御下知に任せ候と手をつかね
たるものふの弓矢の乱とぞたしけれ母をしでかし
た〳〵惣して朝は予矢をさいする物也母が其心にて持たる
は長刀ならず是見よとさやをとれば跡をはづせ村重藤お
ことをしたふいそがしさゑびうおほ間もなかりしぞ薄なりば
をし切てかぶわへいるは年神の祭ぞやと。弦袋そへてたび
ければろていたゞきあれ〳〵追手の松明近付たり夜明とて程
もなし母上は我者を社の森へ御供あれ敵は小ぜいとあなど
る共みかたは必大てきとて恐るゝことほべからず何万騎よする
は乱るゝ迄は音するなと。下知する声もわかみどり松原
さしてみ殿にける色子の大将山口入道嫡子八人道嫡子八郎久国二男
九郎宗重其せい一千余騎もみにもふではせ来り此松原
こそあやしけれいふても二人か三人かり草村の虫を取よりやす
かるべほね折て何かせん松明をふみしめし松原をおつえ巻しめ
よせて討どれとひしめく所に正行長年。木の跡をゆすり樽
をうごかし弓のほこにておどろかせば。おどろかされて数万の烏
声を立て鳴さはく山口はおど大きにおどろき。河の鳥の像
にさはぐは。此松原に天皇方のくん言のかくれ給るに極つたりふか
〳〵とを付より切立られてはあしかりなんと大将を始諸ぐんぜい
すゝみかねてひかへたるわふ心の楠がちゑ一ツにまはされて一子余
騎の兵のとまくれだれうい又智略の程ぞ恐ろしき山口入
道と思をかけあれ〳〵東もしらみたり天神の森に陣を取て
なへを立て責よせん。いと見渡せばとはいかに朝ぎりふり
き森のこのま色々のはたひるせり。あらしになびく有様は只
花もみぢのごとく也なむ三宝前にも敵うしろにも歎いづく
に命をのがれんと大将始諸ぐんせい具足ふるひのかた〳〵〳〵〳〵なる
こを引にことならず相図をたかへずかぐら太こどう〳〵と打ころい
にそりや責づゝみなふこはやと主は下人のかしろにかゞみ子は
親をたてにして腰をぬかし気を失なひ。逃まどふまん中
へなり又太郎長年。楠帯刀正行と名乗かけわり立をんま
はし火水になれとぞ三重たゝかひける臆病神に眼もくら
一み二人をな騎万騎と見て逃足落足ふか田にやんごみいは
ねに乗かけ我が打物にてしするもを片時が間に手負
死人三百余騎いきたる者は落失て残りずくなに成ければ
一矢責にせよと山口口ん第一巻に問つて立ならび矢だねをおし
まずいかけたりみかたには弓一張矢は一本もなかりしに正行し
あんしかり捨たる稲がきあつめ五尺計にたばねあけ社人の
ゑぼし浄衣をさせ。木の間にそつと立ければすは天皇よ
余すなと。さし取引取さん〴〵にいる矢さきわら人形にとゞ
まつて計をうへたるごとくにてみかたのへだねと成たりしをさな
心に孔明が昔をみゝにふれつんとんらんつこそやさしけれ
エゝめでたしと又太郎矢をかなぐつて大音上いかによせ手の人々
早天よりのお出すいぶ御馳走申せとて新田殿の御意を
更本間孫四郎さび矢出てぢさんせり何なく共賞翫
あれと矢つぎはやにいかけしは嵐に雪の丸ごとく面に立たる
山口兄弟弓手めてへいふせられ一陣しらけてさつと引所を
正行親子打物かざしきたしなしかへせとをつかくれば山口入道
すきまを見て。女中やらぬとむんずとだく。こ行すかさず上
帯つかんで中にたし上ゑいやつとゐでのふかみのごろ水へまつ
さかさまにぞ打こんだる残るぐんみは恐れをなし四方へばつと
さんらんしちか付敵こそなかりけれ軍の手合かど出よしと
かちどきのこゑ太このこゑ松にかぐらの子代万せいと君を
音に駕し奉る長年は項拝が勇正行は孫子が智母が
教は孟母が仁是大将の智仁勇力合せて三ツのみよしのや
よしのゝだいりにみゆきなる
第五
神風やみもすそ川のながれたへせぬ神国のしるしるし後醍醐の天
皇楠正のがしゆごによつて吉野山に皇居有新田義貞
はせ参々都作りと聞へしかば北の如身句当の内侍ちくきの頭の
中将洞院左衛門督心を合せて三種の神室内裡等残り給ひしを
次出し奉り神霊室剣は内侍のめに付参せ。小山田が妻御
供すれば内侍所のしるの御箱頭中将殿門督両人になひ奉り人
め忍へば是も又ひるをば何とうば玉の夜道に同じ山かけや三わ
のさとにぞつきなとりゐの前成みたらしの水に流はこをすへ内侍
宝剣を神木の秋にかけしばしやすらひ給ふ所にてめんしたるおのこ
同じ出立十人計道ばたにつくばい家々は近辺のとみん共こんど呑もは
吉野山にいゝせられ新田殿楠殿だいりを吉野に御造宮
なさるゝに付天船一太神よりつたはりたる内侍所こまと申御室
を只今吉野へ御供遊ばす由お公家様のお身にて御土儀
千万まだ是より廿四五里中々お足つゞくまいやしき下々
の身ながらも日本の地にすむ冥加の為[キ]其御箱を吉野迄
かたにのせ申たし。いざをかけるも恐れに存。皆々ふくめん致し
こりを取身を清め候仰付られかしと思ひ入てぞ申ける
〽両人聞給ひ扨〻きどゝの心ざしこれこそ内侍所しりし
の御箱とて。天照太神の御たましひ御かげのうつりし御鏡
汝ゝがかたにかゝらせ給ふことよくも冥加にかなひたるくは
ほうの者共有がたく声になひをくり奉れとの給ふ所六尺
ゆたりの大男是も覆面目計出し我〻も当所の百
姓冥加のため宝の御箱に吉野迄かき申たしはな具
かへるも恐れに存ふくめんもいたしたり。御ゆるし下されと
望めば両人ヲゝ望みの者はいくたりにても其身の祈祷
かき奉れと有ければバア有がたし是そこな衆さき
がたでも跡がたでも。いづれもよつてかたはななされがた
はなは我々一人吉野迄同道さきへついてふくめん取近付に
なるべ道中一万事申合せふサアアといひければ各ひそ〳〵
さゝやひていや其方が相かたに我々は成まいこつちのくみ
へれたすかさなくは其方一人かいか様はすき次第しらぬ
者どしまじることは此方はいやじや〳〵といひはなす
やあら珍しいじらぬ者どしあひかたいやとは銭をとり出
かごじやと思ふか冥加の為身の祈祷願ふは誰もおなじ
ことどふも我くぶん立ぬぎらふには給子が有ふそれを
聞ふとりくつづめ。アヽ小むつかしいなんの孔子見た所お手
前は人間はづれのせい高嶋のかたが合ぬによつてのことどふ
でもならぬといひければかたが合ずはかたが合ずはかくまひ
お供すれば同じことサアヽ皆よつてかき奉れとひつそふて
我らはお供と身拵するを見ていや〳〵所詮此方かまは
ぬ供なりとかきなりとうぬがざんまい皆こい〳〵と立かへる。ヤアヤアやや
ぬ〳〵と道なかに。大手をひろげふんばたかり拙者と同道いや
がるはつゝこそ見へね。大かたそれとしつたななら御所柿としぶ
柿とはかはむかいでもしれる物是見よわだのしんぼちげん
しうと云御所柳とふく面を取て捨びしやもん立にすつく立。ヤア
うぬはつつのさいじやう柿。かはいや生れはよけれ共。持なし
わるさにしふ柿にをとつたな。公家なば公家のに柿本のな
がれをくみこしおれ哥でもよまずて身にもじゆくせぬ武
家まじはり終にやひばにさし通されくしがきとなん。おいさ
よとかんり〳〵とぞ笑ひけるさい相ふく面取てすてぞ口かしや殿
当の内侍を大森彦七成長にさづけんと給いやくせをおのれに
じやまを入られ。天皇をおしこめ雪氏よりをん賞を受んと
すれば。あの尾めにうぞれ今又三種のしんぎをうばひ。馬氏
公へ奉らんとほつする所又さまたぐるすいさん者是程迄
しこみしことほんいをとげでをくべきか下り坂の楠新田に
組せんより運に乗たる高氏公にしたがへ取次せんと言けれ
ば源秀大口あいてから〳〵と笑ひ。申高氏は名大将うぬら
がき成不忠の臣あたゝかな用ひられん也。天子に向つて弓引
朝敵の名を恐れ後伏見院第二の宮童仁親王を御位
に立吉琴の内程は後醍醐の天皇。京の内裡は新帝とあ
がめ義貞はわぼくし一家のまじはりもとのごとく有度願げん
ゑ法印を以奏問あり内奏の為只今某吉野殿へ参る折から
出合しはうぬらがゐんぐはの木まぶりこずゑに残つて烏のゑじ
きとならんよりじゆ〳〵し是ゆすりおとしふみつぶしてくれんととん
でかゝれば下人共一度にはゝりと取まはしアアリリアくはい成雑言
をのれこそあかづらのじゆくし坊主ふみつぶしてのけんとゆん手
めてより立つけばかヽウゝ此源秀をじゆくしとなじゆくし
にたかる目じろ共びねりころして見せふかと引よせて
がたはしよりぐびすぢつかんで一しめしめてはかつはとなげ
しめてはなげつけなげつけ〳〵さい相にとんでかゝればかな
はじと山をさしてにげて行源秀あまさじいつ迄が身は
のがるべき三輪の小ひばらをわけて迄かくろ二人の女中公
家達も何ごとかおこりしぞ所は三輪の御神前の是は神
代の御宝守りめもつき給ふかや神力をそへ給へとあはて
給ふぞ道理なりかゝる所に大森彦七野長手ぜいひき
ぐしどつとかけよせ年来心をつくしたる内侍はあれよ兄
なま公家ばらひつくゝれうけ給はるとひつふせ〳〵二人に
なれをぞかけたりける扨其ひつはなへず何かを明て見よ
といふより早く市等共御はこにすがれば両人なみだを
ながしこゑをあげやれ情なやもつたいなやそれこそしも
我国の御室内侍所は十[[ク]善の御身にさへおがみ給ふこと
かなはずにじやうぶれいの手をふれんとはたちまでまなこ
くらんで立ずくみに死なん浅ましやみなさけなやそこ立のけ
と泣なへど扨ことおかしい神よりこはいどんぢんのまつさきかけ
る兵になんのばちといふまくにからげの布を切ほどきてをと
れば恐ろしや。御和の内めいどうしていなびかり天地に
かゝやき神鏡朝日ののぼるがごとくこくうにあがらせ給
ひける近づいたる雑兵共たちまでもんぜつ血をはいて。
のつけにそつてしえてげり無道の盛長ちつとも恐れずよし
〳〵さはらぬ神にたゝりな心をかけし女をつれて帰る計に
る時もたゝりもほべきかと走りよつて内侍をひつ立んとする所
に杉にかけたる宝釼のさやをはなれて思ひばのひかり。天に
かゝやき地になりわたり盛長がかうのうへひらめきかり追
血し〳〵づるぎのはかぜ神風のにぐるをおふてちはやふるい
がきもこへてにげて行吉野の勅使北畠の准后親
房郷新田義貞楠正行三種の三賊御迎ひに来り
給ひしが三輪山のしんどう何ごとかと急ぎかけ付こそも
いかにとおどろきさはぎ両人のなはをときなへば内侍は夢のこゝ
ちにて小山田が妻の情にてあひ見る今の嬉しさと成長
さい相が悪逆くはしくかたり嬉しなきこそ道理なれ足利
高氏三社の神のれいむ表は吉野殿へ参んと此所に行かり
〽おどろき給へば新の楠すは大将と大将との。相手づくぞと
身がまへてすでにあやうく見へし所にわざのしんぼち
さいなが是ひつさげアヽ是こそこつせまいとまん中へかけ
入先悪人一人は亡しと。是なげ出し義貞にむかひ高氏
卿朝歌のとがをひるがへし申為り童仁親王を御位に立京の
内詮とあがめ後醍醐の天王を吉野の内程とうやまひ
新田足利日ぼくして帝をしゆごせしむべきとの願ひげんしはす
印のみ次我ら其お使と申詞の中より白雲たな引失香
くんじ杉の橋にかかりしはふしぎなりける次第也両宝童子の
御頼好だへなる御こゑあざやかに矢に二ツの日なし地に三人の王
なし童仁親王に新帝の位をさづけり後醍醐の天皇は院の
御所とあをびていとは高氏是をかため吉野の都は義貞しゆご
し奉れとの神勅也我国の三ツの宝のあんかぎりは国とみ民も
ゆたかにて歓する者の有べきか宝釼のゐとく疑ふことなかれと
の給ふ所に色がたくも宝剣は空長が是をさしつゝぬき
こくうにひゝめき帰らせ給ひもとのさやに納かしは色がた
かりける次第也見よ〳〵あくまがうぶくの宝釼は勇しんしは
智家内侍所は仁の鏡智仁勇の三宝も仏僧と
王法の民あんせんに守かへと御たくせんのうちよりも御かたちは
鏡とがでじ内侍の神にうつゝせなふ命一とう源氏一とう太
平国に太平の君がゐくはうは万々はうは万々ごそ久しけれ
右之本順句音節墨譜等令加筆候
師若針弟子如糸因吾儕所伝訴先
師之源幸甚
同竹本筑後様高菊
予以著述之原本校合一適可為正本者
也
正本屋
京二條通寺町西へ入丁正本彦山本九兵衛版
大坂高麗橋二丁目出店山本九右衛門