御江京餝鰕

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桃栗山人柿發齋編
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場所: 江戸
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桃栗山人柿發齋編
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上總屋利兵衞
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オエドノカザリエビ
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東北大学
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狩 13306 御江戸籍越置 人評判 御江都錺緞序 瑣結は蟹を腹とし水母は鰕を眼とす 江戸の眼の市川鰕蔵武備ある者の文事を 腹とし桃青居士の風雅を慕ひて定紋の三升に 鰕雑魚をはかり蜆子和尚の禅味をあるんじて 庭前の栢筵も文字をあらた舞六代六窓 一株猴大悟の眼は祖父様譲り此父にして 此子あり今団十や鬼は外おもふにまさに百年 前晋子が辞の妙なる哉その龍門の水の筋 およそ氷らぬ懸河の辨せりふざれ歌発句を はじめ月旦評の名のりそまできよき硯の渚より ひろひ集し親玉あり大舜天子を攝する 時球鰕を献ぜしためしにならひ穆王南を 征せし日君子をしらと化したるごとく諸国を めぐつて猿となる白猿丈の佳名をすゝし 彼山王のさくら木に三万三千三百年も御江戸の 花と詠んと寿し彫るは誰もとより相口 相生町軒に掛たる松悍に偽なしの みますれんそのかうおやもゝくりさんじかきはつさい 美満寿連其講親の桃栗山人柿発斉の もとめに応じて鹿津部真顔序 御江都錺鍛叙 三升やおよそ然らぬ市川の流れを汲。俳優の 誉れかくれなく宝玉を以て同性に分ツ。親を 展ずるなりといへる古語にもとつき一子何某に 歌舞妓門親玉の玉宝を梗。己觚をもて実 名とし猿をもて俳名とす其名鳴神の響に 応し評判章清と願の如く都鄙遠近の 諸君子等これを慕ひ俳諧夷曲をもて口に 外部の玉を吐き毫に矢松の玉を磨き 改名をすらして是に貯れは柿の素袍の袖に受て 傀儡子の箱にをさめたるを美満寿連中 桃栗山人磁石に動く鑷子に等く忽是を 汲出して。編ば弓一ト巻の助六ならぬ総角の 一南総館が家桜に銭しんぞ寿せんことを 欲実や御仁都錦鍛東は興妙外の一。西は 鎮西二階の桟敷。遠見者は団十郎煎餅の耳。 も聞き近くはよつて三升艾にいち高き。日本 狩りの荒事師当るを幸ひ人余は八百八町の 力病鳴呼此冊子の世に行れんことも近前余も 亦嘗て贔屓組なれは頓て宅を鞭うつて柿止没斉が 尻馬に騎りいさしか寿き序することしかり 山東京伝 寛政之 辛亥○梅初月 自序 原清も花見の座では七兵衛花見のや円下も七左衛門今芳町 に成田屋〳〵十兵衛の通り名も三筋とりて白猪と改め子は亦 三升と名乗こや両銘の業物にして代々怨敵退散不動の利 釼実事の直焼刃其価千金日本一ト振の立物也此折紙を一安キ 見れは普満寿ひゐきの発句され哥あり誠に太平の御代の 春御江戸の錺皺と題して著し真顔京伝の両子に序を 乞ふされはそ和漢の故事を安げ文章杉々たり自序するに及べ ずといへども半丁の白紙を埋よと書肆の雷に応じておこがましくも妻卑 贔屓の候多以性悪筆兵衛 堅川談洲樓述 四 御江都錺飯 百二十五 桃栗山人柿發齊集述 □□ 東夷南蛮北狄西戎四夷八荒天地乾坤之其間可有人不知也 釈尊方等之雑経曰北海に大鵬といふ大鳥ありその片羽の長き 千五百里雙方合せて三千里つねに我よりすさましぎ者あらじと みそをあげけるが南極といふ星をついに見ざる事をむねんに思ひ南を さして飛行けるかの大鵬の有様草本にあらわしたるはい〳〵唐人がいだ てんの守りをかけしは蟻のうごめ〳〵とや見んおもいれに羽をのし飛事 一日に五十万里三年三月昼夜をわかず尋ひどもいかな〳〵南極日去 の半分道もゆきつかねば大鵬もおゝきにくたびき一万里計りの大木の 有しにとまりしばらく羽をやすめけるにかの大木の下より天地もくづるゝ 大声にて今我らがひげにとまりて羽を休める小鳥は何やつだヱゝと。 いふこはいろに。大鵬は肝をつぶして我こそ北海にすむ大達者也おそし〳〵 貰に我ほどすさまじき物は覚へざるにかゝるめざましき大木を髭にもち しはいかなる物ぞとたづねければかのもの大きに笑ひわづか三千里や四千 里の小鳥のぶんざいにて立物とは片腹いたし我は聞も及ばん南海にすむ 事八十三万年天地の間の大立物海老也とのゝしりければ大鵬は大きに 恐きしりに仇をあげ北海へ逃さりしとなりゑびを大たてものと する事しやかの代からの事にして市川団十郎妓芸の功を極めて 海老蔵となるされば唐土天竺我朝の人別帳にも此名一人に限りたらんか 今爰に団十郎や鬼はそとゝ寶井其角の考たる追難結 面説も此家世への実にぞありけらし今年は親子取替の名改美満寿 日財負の会合を其まゝ春のながめにせんと本やのもとめに随ひ筆を 取て待所にはや大入に三升の故一陽来復の陽気連中組入レのごとく かさなりあひ扨何も此顔見世は古今の大ありで目出たひ去[ル酉の春 江戸客気団十郎足江須といふ本に市川代々の事はくわしけれどもことしは 是は べつしての事なれば親玉の初舞甚まらのおはなしを奉りたい 〳〵お好みならお噺申ませふが〽アどなたぞ御連中から〽四[イヤ当年は 遠国のひいれも御出でござる中ころにてはみな〳〵お替り申そふ 左様なら親玉の犯歌紅好句なぞを 頭 其歳〳〵のをまぜてお咄し申ませう「大さ」是は一トしほ面白かろしサア 所望じや〳〵□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 松本幸蔵とて宝暦四戌春百千鳥曲輪曽我にこもそうの 形りにて出られ。此時栢筵熊谷れんせくの役らしのこもそうを かひたるかけじをかけ三代目団十郎の追善犯す有此せつ栢延美の把 五郎。仕おさめ大当り同顔見せ親松本幸四郎四代目団十郎と 改名によつて幸蔵を改幸四郎となりういらう売のせりふ大出来 子顔見せ将門将東榎に幸寿丸にて二代目坂東彦三郎と 大刀打我先祖は左々木がんりうとのつらねおやぢの面影ありとの 評判夫より色悪になり曽我ひいき二本榎に金村やの若く者 喜助の役大当り明和二酉の春天津風念力曽我に初てすけつねにて 余所ながら兄弟に対面之所大出来り春海道一伊達の奇駒に金かし 座頭のけいまさにて与体団十郎にてころす所親子の名のり古今の 大出来顔見世金のはなかいじん荒武者宗任春筆始そがの玉音丁 かぢわらの役大当り母春曽我模様愛護若松に五郎の役大できかほ 見せ松本七蔵岩井半四郎と改名の時死人小左衛門しごとしの形にてかけ合 はや口のせりふ評ばんよく明和七寅の春かしみが池伊曽我に京の次郎 にてういろし声のせりふ市川の家産くちずべつして大当り此時仲蔵 初工藤こま蔵十郎五郎に八百蔵近江小藤太伝九郎八わた団十郎 松井の源五歌右衛門古今の大当り二ばんめさいかやのでつち長吉実は ゆりの八郎幸四郎下女おせん王子路考両人万年学をたらいにひたし ての五合切に錦江梅の由兵衛にて長吉ころし此時男女川評判だん〳〵 大立物の根さゞし見へ其とし顔見せ親団十郎又松本幸四郎と改名し 幸四郎は五代め団十郎と改名鶴の森一陽的に熊井太郎にて初 めて吉例のしばらく二番目おがたの三郎大当外春時宗助六二役 評ばんよく忠臣蔵に若狭之助同部見世森田座替月吉原 にあらしゝ男の助にてしばらくじごく谷のよくちん坊主梅津かもん くりから不動木挽丁近年の大入大留り此年より今に座らしら 株也已顔見せ中村座御ひいきくわんじん帳に熊井太郎とかしの左衛門 午とし森田座一の富盤の顔見せ鈴木の三郎しばらくどんくりのおさん ばじくらま山僧正坊味春信田ゆずりはほうらいそが工藤団三郎 たんばの助太郎秋狂言物くさに伴左衛門同顔見せきく慈童 しゆゑんのいわや松馬太郎良門樽ひろいの五郎太はゝたくの仕現 申すし春猶主丁けつね夏ひしかなに平二かげ高しけ忠二やく秋 あしや道満申年にかほ見せ市村座すがたの花雪黒主に五代最 団十郎古人半五郎紀名とら両人廻国の修行者野宿の所紙帳 やぶり無ごんのまゝ大当り此自分何をしてもわらいといふ事なく それより三立めにはんにや五郎のしばら大当リイヤまたしばらくは 古人のはなしをきくに五代めの団十郎がいちばんよひといゝつたへで ござるちかきころ三升の狂類のまへかきにし 渡唐の天神様は関羽と間違ぬやうに梅の花を 一持給ふけづりかけは苧のかんばんに五良くをつかふらん 一孔子は陽虎に似てとらわれからうすふんでくらす おのこは六祖大師とあやまたるみたところはよく似たれど 一香車は飛車ほどはたらきのない弟子もおもさしは 父ににてその性つたなく所作はならずたてはあぶなし 起すのこまかひ事はなおならずこまつたものと筆ヲ とりて 五代目 一有漏地より無漏地へかよふ内なれは五八 市川三升 たゞ暫くのうきよなりけりけりけり ふだん三升咄しにも私は仕合もの代に名人上手の末ゆへにお江戸 お取立御ひいきあつくありがたひ事じやと申スあるとき扇面に 一先祖の高名は更に我が及ぶ所にあらず 一和歌によむは汝にあらずきり〳〵す三升 扨酉春きやうげんつきせぬ春羽衣曽我にかけきよすけつね 京の二郎八百蔵半五郎りやうし三人なまゑひ犬出来夏久米寺 弾正毛ぬき秋忠臣蔵ゑんや判官平右衛門同貌見せ中むし庄 将門冠初雪藤原忠文将門加藤兵衛尉しげみつのしばしく 戊春すけ経かげ清にて牢やぶり夏手塚太郎にて男無間の かね秋伊達くらべ阿国かぶき男の助勝元二役九月より退座ス 仲蔵信友の交りあつて森田庄へ出勤させし時 よるべなき身となりてこそ世の中の 三升 一人の情は見ゆるものか事 其時伊達錦対の将中村仲蔵しどらしのうけにて三升は黄い川 太郎不届史記の文ニて自作のせりふ大評判イヤまたちよつといふ 口上でもせりふでもかたことはいわぬ是が市川代しの妙でござる「外」頭取 の申さるし通ちがひはないむかしはどの役者でも男だて又はあきんどの 出にはいろ〳〵なせりふ面白ひ事でござつた中にもゑび蔵団十郎といゝし ぢぶんのせりふ享保十八年己正月市村にて栄分身曽我弟二ばんめ也 五郎十郎の二役白酒売団十郎忰升五郎兎の役両人かけ合ぢくち せりふ三ヶの津の評判はやりうたどうぜんに申ました今はやる 口合ぢくちの初メ長ことながらいふて聞せませう東所〳〵 ○まづわつさりと初口合何かなよひ口したゝきを着しによらいの御 ゑん日参るやくしはどしやくしそのおらいそのかいからり用さあかいかゝり でいふて見や囲かゝり出たるものは大いそのとらがひとり客しろ酒売 もはぜひなけれぜひないさとのかふもりにさんしよふ大夫がせつきやう にもなんちうくひたやほや〳〵とその虫来たてをまつち山きんりう ぐわんはたいかしあんゆきんたいゑんはいけのはた図すつほん一ツのぐわん やくなりゆぐわんやゝやのすゞりはのふがきをさへづりいしやのほとりの わらんべはならわぬきうをすへるとかやちりけすじかひへそからみ しやうもんしちのゆしくはけんやし其外ゑかきはなむすびまりの 小六があり〳〵〳〵ありしてけんさんはいらうとしやがげどくてつきう かなひばししはらじきつてかくれござらぬ花のつゆの喜次郎とつ きざへもたばこが丁もんめで八もんかすがせんせうらし三じやのしやく せんがつてんか〽おゝぼうだらはがんぜんのりかんたりといへ共かな らずやすものゝぜにうしない塩引はいつたんのねこにひかれずと いへどもち。いにはねづみのくらにおさまるねつみひきぶがうたにくられ よりくらの安なにぞ入ぬべし用はるかにてらせともしびのあかりを もつてとつくりとあいつがあるをぬりふさぎや〽図」あいつがあなを ぬりふさいたらてつきりあたをしそうなものしやまなんのいの はてぼんぶしやくわんにかべたゝりなしうはぬり中ぬりしつくいぬり ㊃うらかべなりけり高松の〳〵あざあがりとぞなりにけるそれは やしまのかなめいしゆるぐともよもやぬけぢのもんぜきまいり たらとやおまむきよ入道ゆどしとうからんは如来の光り女郎の ひかりはあげやの二かいにかいたはけのなれそめざしきでみごしらへ するかゞみもちもちにも一ツどちよとあいましよとゆうてんのめうご にちついたて廿八日はふどうかへのりうかんにくにてをくやらば さらさはちすりばちすりこ木れんぎしやつきやうといむぜう めつたやくわんにめしかましるなべこくしやうほつぼだいしん ほうろくこくどせつかいじやうぶつなむおみとうふととかれたり 〽いやしやべつたり〳〵しやべり馬をのりかけたかけぞん〳〵のり かけぞん馬が一チまい三いちまいさんましろのくわうじんやおまへと みればぶりくしらまづしほかつほはかとにかど松ものもうますたの どれいこうお年葉は扇〳〵扇八けい年八けこよみにこやをみり そへてかのきやうだいの引だしにはからがいこまくらふん〳〵とおないきの かばやきあぶらくさいがつつうにのぼつてさりとはまくらのちあいが わるいひづもしつほも取てすてはらもやぎよいのかわるべしたゞこの わたにおいとまとゆふづけのさいがないさいない〳〵あくしさいない 一ツにからげておやくおとしやくはらいうらしま太郎が八千ざいはん ぼくさすが九千ざい㊉三浦の大よせきやくむつごと囲また こりやくぜつかなおいの〽まぶのたゞのみがうたに用はりあいの つれなくみへしわかれ酒さかつきばかりうきものはなし〽□」さる松大夫 おくざしきにとりおとしたるたばこ入一ツふくのもふかこれはしたりこになつク さりとはたばこかはしやぎよこぶへゆさんのみやの立すがたとつくりかた てにぶらさけしきぶ酒はもろはくもろともにあわれと思へ山ぶしたち かんをしやらば心しやなまきはそんだばさらんだはていゝざるせわの ていしゆのすきなあかいわしまめがらひいらずおにがまめうるうぬがでに おれうちまめや〳〵一ツ升いくらだ廿七文廿八文廿九文おなじ秋の 夕ぐれまきたつまきわるすみたわらの二本やなぎすみかまつくるが 小野里国小野小町にせう〳〵のよるの間にも大雪にもこへしが中の こたつのひよくいでそのときのうらちややは国からに梅酒へつゝいに さくらあめをうつきてゝちんかついだあわせて三カのせうゆ橋 あんどんにとりそへなむさんぼうなんとした〽四かまがわれた ゆどふしてや〽何もかも一ツにもつたによつて安んどんにとりそへ かまわつて候なわれたら大事かくにしやるなわれたる木にも 花さきぢゞいがちらんはい〳〵五よふの松を手にもつて〽ゆづ みそを口にくつゝけれそれをさなに一ツはいさそうか国そうも 白酒ゆ一ツつがうぞ〽」おとゝにてうどすご六ふくじんすご六ひろ げた所は二でう四方のしきふすまのべんさいちんひるこのかみは ふだんぜうじうたいのよこだきさりとはけびす三郎殿大こゝ殿の つゞきんをとればあたまへはらりとふきでのこづちなきじざいふき のとらの己まちいまちたちまち八郎兵衛㊞甲子かうしん二十 三夜の三人一チざはらうそく立て本ぢはしよくだいせいしぼさつ おもりものにはみかんの太夫あついかわむく九年ほたちはなまず きんかんだい〳〵ところほだわらういらう〽とうぢんにつりかね りらづをくわへて七まどいかねまきの助六さかなたなにはかん てゝら門兵衛おんべいふりあげむせられいほらんてうかしらせう もんかしいばらき女郎がかひなをなげぶしさりとはつなやどうよくや すて双一ッおこしおらぬといふ所へ㊃これは夫さんからみがきた図どれ 一トふでみいよいつなんのそなたにあいたではなしあきも安かれもせぬ なかせ中うはらたつもゝみらせう〳〵大いそこいそこいぞつも りてふちとなるそのつくはねのみねよりおいるはごのこをはごと もつて〽〽ひつと□ふつた〽〽よに〽いつもかわらぬぶわらぬぶけう ほうげた〳〵〳〵用げたもぼくりもぢくちあしだも一ツにからげて図 すげかさからかさまうつぱ。六十しのびにしのんだ図白酒うりめが ねばりまわつたなが口上身でもべんぜつはちらくわじや図こと ばに花がの茶づりかけ〽」それはぎおんのけづりかけ用はいでん いなつ。まいすまふのて〽いかつてかぶとのおゝしめのおゝしめのはんぐわんごわ もりぐちの〽大こんかぶろをあいてにしてにしてにもわきにもつき まいにも〽たにんまぜずのおやこのぢくちせんしう㊞ばんぜい たからの市村ゆぼたんのはなぶさ図ふんじんそがの通おたはんぜらは 四百首ねんのくちあいと両人等ゝうやまつてもふす やんやんや〳〵扨々ながい事をよふ並へてござる「静イやまたこのくらいな 事ではないあのしばらくも「騒」もし〳〵おやちさんまた団十郎と山中平九郎が 万民大福帳かもふあやまるねへ かんじんおそなわる扨安永八年亥の春狂言森田座江戸名所 みどり曽我に工藤祐経かけ。清二ばんめ白井権八反万徳兵衛 秋本蔵勘平同顔見せ中むし座帰花英雄太平記しのづか五郎の しばしく高氏二ばんめ薬師寺次郎左衛門奴小田平実は小山田太郎ばん東 三津五郎に而両人天徳寺の中よりいろ〳〵の物を曳きやしげん大当り此時 森田座にて沢村四郎五郎市川八百蔵と改名す 私さる御かたにて三舛の狂歌を見ましたそのはし書に 一草庵に桃桜あり門人に其角嵐雪ありとばせを翁は 申されしが予が門に新車中車の二軒あり此二ツの車婦人の 一引事おびたゝし天に走ルを新車といゝ地に轟を中車と号す 一是我両眼羽翼ともいふべき歟 一二麺ながら女のひける車にて五 五代目 おとは百里に五郎〳〵と 市川三升 庚子春すけつねかげ清雷庄九郎三庄太夫度団七三津五郎道成寺に 因宿の僧秋赤松武者次郎此時尾上菊五郎市村庄をわけあつて 退座しけるが三升世話にて中村左へ入九日ゟ忠臣蔵団十郎本蔵覚や 判官二役梅幸由良之助名残狂言大当り是三升の世話ゆへとかみ うたの評判なるほど梅幸。登つて此口上は聞たそれゆへ茶やのふれん まで三升を付たほんにゑらいもんじや〽顔団子ノ顔見せ祖帰る錦の わかやかに伊勢平吉と弥平兵衛かつさの五郎兵衛の役仲蔵鎮西 八郎にて廻国修行者の形り両人だんまりの音帝大ぎしなり此とき 嵐雛助森田庄へ下り丁七唱の役紋を㊁に取なし付ル是定紋寸の 字也此わけ則団下口上に兄弟ぶんのよしひろしす祖父海危蔵嵐に六 忰岩次郎八歳の時寛延元辰年下るはゝゑん雛助と名付る親小六 しばしく誹石を雛助といふ初舞台より此名をゆずるとなり 五 いかにもそのとふりでござる雛助方より三升かたへ遣したる文のすへに 一有がたや江戸絵のかすに冬椿眠獅 といしおこしける其かへしに 顔見せに兎角嵐はあでるもの三升 〽母春くるは通ひ小町曽我すけつねういろら売景清五月ゟ 矢の根五郎大評ばん此時ういろしうりの讃に 菊桐の御紋御しやめん安るならば 一壱歩じまんの荒安きんど 三升 同秋小山の判官江戸崎のきね蔵大でき顔見せ四天王とのいの きせわたに金時平井の保昌はかまだれ保輔に仲蔵せばん目 五たてめに仲蔵のくびをきると見物がきもをつぶしましたとらの春 七草粧そがにかげきよ京の次郎五月ゟ助六を出し大当り秋伊達 染仕形講釈になごや山三道哲同顔見せ加藤重光貞任卯春江戸。 花三好そがにすけつね粟津五郎殿忠臣蔵ゆら之助大出来秋双蝶み 治部右衛門南与兵衛此冬類帳にて休屋春二ツゟ筆始くわんえん帳熊井 太郎の上はらく伊勢三郎とかしの左衛門とりめの所大当り大入三月ゟそが始長せい すけつね団三郎鬼王宰破かけ清大当此年亡父七年に当ルそのせつはや うたにお江戸市川団十郎鼻の高イは親ゆづりいよさのすいしよできはざんだと うたふ木場の舎に亡父植し桜のさかりを見てよめる 春毎に咲庭もせのさくら木を 五代目 親のゆづりのはなにぞありける五代目 同千本桜に弁慶いがみの権太秋忠臣蔵本蔵天川屋同部見せ 大商内ひるが小嶋股野そがの太郎二ばんめぢごく谷の清左衛門坊主実 文覚と本名をあらわす所大出来己はる初花三升そが京の二分 にてくわいらいし五粒の再来との評ばん度すが原に松王秋三日太平記 にあけち同かほ見せ桐長桐座男山堀袖源氏みたの源五にてしば らく藤原の仲光大当午春すけつねかげ清同顔見由雪花伊豆のはた あげに吉例のしばらしちんぜい八郎白ますばゞにてころされ北條の早かわり 未春雪津六郎かぢわら夏すが原松王恋女房江戸兵衛定之進 秋てんぢく徳兵衛大出来顔見せ三ヶ庄六花嫁佐のゝ源左衛門くわいこく さゆぎやじや本石浅間左衛門。路考杜若女かごかき浄両理所作大当り 申春そがの二日かわりにすけ経の役夏由井が浜常悦母八蔵大でき秋 安しかゞ頼公等としふやの幕人品よく大評判男之助はお家のあしもの 同顔見せ市村羽左衛門再興に源氏再興金橘に六十六部実佐藤 夜のぶ此時為十郎下り山ぶしにて本名わつはの菊わ丸路考杜若四人の ひやしまく酉の春恋夜すがかながきそが玄臆すけつねあまさけうり 峠の七兵衛実はかけ清三たてめはこね山の天狗のおしだし大出来此春 より沢村宗郎出そかの十郎五郎と鬼わ娘二やく半四郎鬼王女ぼら 菊の丞身替の所為十郎鬼王にてしうたん何茂古今大入大当り 此正月元日団十郎口上之節ぶたいにての狂歌に 浅尾 岩井 あさをきてせがわの水のいわひそめ 訥子 三升 としのはしめにくめやくみます 花道のつらね 此初暮にちいされざとふの大勢入きたるを見しと三升かたりける かたわらの人それは吉左左右なり咄しにもこめくらといふ事ありといゝしをかして こめくらのゆめ〳〵うたがふ事なかれのみてうなごん すみかね 座頭と書て座頭とよむ 一同夏飛脚に梅川兄忠兵衛の役秋伊達の狂言豆腐屋 三ふ細川勝元山中鹿之助顔見せ将門祭に平の忠文峰売 五郎八実は平親王まさかど是は親五粒いたされしかた為下との出合 大出来戌のはるもりぬそが近江八幡之助実はかけ清巴ごぜん 甚五郎茂兵衛鳴神の狂言評判よく五月ゟ病気ニ付引込顔見せは 木挽丁河原崎権之助座四十七年めに再興に付出勤大檀那勧 進帳熊井太郎のしばらく源八兵衛の赤面の奴すゞきの三郎の上下 たびこもそしともに四やく大評判 にち幕をまつたぞ「何を申も役者すくないゆへおしい事をいたし ました亥の春より病気につき芝居を引こみほよしのため湯治に おもむき夫よりするが甲州の座をつとめられしがすさまじい安たり じやと承る甲府へは二度までたのまれ亀や与兵衛座一世一代に付 三升路考の親玉つれ十里廿里の見物古今の大入は須田丁の しさい おつと待たり安まりほめすぎ 柳問やの荷ぬしの咄しにきいた「いた 市川団十郎が旅へいた子がはなされた事かむかしより冨士の山と浅草の くわん吉団十郎此三ツはうごびた事がなひといふにどふした事だ四十一 うぬはどこのどぶから出た。かつたい。かいるだにくまれくちをならすとふみ こゝろすぞ冨士の山や浅草のくわんおんはめしをくわねへは団十郎だと いつてかぎ聞をやすんてすむものか元文五年に海老蔵団十郎 かみかたへいつたをうぬはきかぬか〽それは三ヶの津の内じやするがや甲府 とはちとぐわいぶんがわるい「十一年」何ぬかすするがや甲府はどこたとおもふ かたじげなくも かたしげなくも「四めんどうなそいつ引づりだしてたゝきのめせ としざい〳〵そのよふにおつしやつてはけんくわになります三升旅 引の事は御ひいきのおかたもこゝろもちがわるふござりませふ しかしながらさきだつて三升の咄しました事で思ひ当つた事がござり ますそのわけはさんぬる酉年六月に閏あつて土用休七月迄急角七八十日も 興行もいかゞと申沙汰芝居かゝりの者なんぎのよし相談に及ぶ其時三升 申様はむかしより市川代々土用中は相休候へども私においては罷出べし其時皆々 先祖におとりしと笑はゞ我けんしきはかくべつなりもちこしの柳下恵は隣家 の嬬が雨風のおそろしさに何とぞ一夜をとめてたべと来りけるをともない かひほうす又ある人のもとへ婦人来つて宿を乞ふ其人門をとぢて 入れず是を聞もの情しらずかきは柳下恵とは大きなちがいとそしり けるを孔子の聞給ひよくも柳下恵に似たるとおふせられゆる此わけは 柳下恵は君子なり直なる人なれば婦人をとめても人あやしむまじ かれまた婦人をとむるならばさほどの者にあらざれば不孝のこふなんおそし ありそれよりは一トすじにつらく宿をかすゞる事ぞよし此段相似たりとの おらせありけるよし私先祖四代は名人上手なりそれゆへ土用休致たり とも人尤といふべし我未熟なる敗芸においてそのまねをせんよりは 今芝居かゝりの下に元手のふしてなんぎなるへし先興行がせん一チなり とてもし不当りならば給金もとかほじとて則忠臣講釈のきやしげん由良 之助役を勤め十太郎勘平二役宗十郎毛川や喜内次郎衛門為十郎 九大夫松介ことの外大評判おりゑ半四郎一座大当りにて春より ませし暑中の大入是陰徳のしるしありがたし夏を休団十郎休まぬ 団十郎柳下恵が古語に似たると思召との物語是を思ひあわせて 見れば江戸をあるくさへおくびやしにてたま〳〵妙見へ斗り参詣する団十郎 がたひへ行ふといふはたゝさへ役者はおごるものと人の噂を思ひまねきに したがび他国へゆくは輪者たりとも奢らずしつそ第一に守るべきおき てを用ひげしをつとめてよく世とおしうつる事戯場におしき心得也 とふしてこなたしゆのちゑで知れるものか富士山浅草のくわんおんとな らべたは団十郎ひいきのいつた事けつくひいきのひきたおれとやら芝居 帰ると座鋪はつとめずれなつきあいはきらひ身のほどを知るところ 江戸子のきせう田舎といふは田や畑のある所をさしていなるといふ田や はたけの有所へ行てかきやらをしたとてはちにはならぬ出るきに なつたれば是から京大坂はもちろん御ひいきなされてこひとおつしやる なら六十余側のうちいづれへなりともかぎやらばなればまいります といふこゝろ是が大立物てあるまいかおしア安心まりわるくはあるまい と思ふ〽十六ごそひそれでわかりましたまちかねたせうこにはこの 貌見せの大入はおやこ改名のひやらばんが大きひ久しぶりで親玉を見た アヽこきびがイヽナア〽ん」お江戸のごびいきは尤な事するがでも三月中又母 宗匠がもよふしにて三ますにかさねて天地人といふ様ものが出来ましもの はしかきにこや三才の外ならんか無事にしてはかりなし世こぞつておやき事也 せらす 一汐満る玉よ干珠のしほひ時文母 甲府 甲府 イヤ甲州でも大評判いろいろ〳〵の狂歌中にも の人 一名になき三料の木のめくり来て すりはちなりの国のなりおと 其かへしに三升 ありかたき人のこゝろのうら冨士や花道の つらね はる〴〵きぬる甲斐は見へけり それよりなを〳〵ひいきつよく信立寺七面堂の絵馬に三升助六 の似顔をわたるといふ人面連中のほつ句を奉納此面に句を望ければ へたの色も江戸紫ぞ初茄子三升 又ほかにほつけどうにおいて三升 花匠の 御祈とうのおかげて当る大入はつらね 一是助六が八のまきなり 此外衆面即考のきやらかほつ句あげてかぞへがたし甲府の白地の 扇は土産に買つくした事はどなたも御ぞんじ七月中かげきよをいた された時見物がきもをつぶし誠にあのよふに大きしばけられる物かと申ゆ し画で見た斗りいきた団十郎を今度見るとの大評判二度めに 終考いつ壱匁に集られ久米寺弾正の毛ぬきの処は出家のもの大入り 大当りは江戸へもきこへましたろしお帰りの時名残おしさに本了院 朝いなを頼んでとめんほとゝぎす栢井 夫より江戸へ帰られ誂友の元へおくられたる処に 野を出て淋しやかごのきり〴〵す三升 秋八月江戸の居宅に良夜をたのしむ折から筆をとつて やかなしき事をかしましといひまたかなびすしともいふ うへつかたにてハアチかな〳〵ともの給ひけるときゝつたへ侍る八月 十五夜隣家のさわぎをきひて 芳町の穴かま〳〵やけふの月三升 また八月十七日に貞賀といへる人のもとより景清の守り本尊と 今改名 いゝつたへたる壱寸八分のくわんおんの尊像を海老蔵 方へふぞ 六代目四十郎 しけるそのしるしに犯類を好まれける即考に 景清と銘ある観音の尊像を子忰が方へ 御ひいきの貞賀主人より給わりてあり おぼへけるましに 大毘負大事の観世音菩薩五代目 三升 たまわる月の草清き比 自然なるなゝに二三人うち寄りむかしの役者きやうげんのはなしをして その終りに扇を出し即考の句を望みける時その病に 八ツに成けるとし父に問ていふおどけには何ものがなり候や 一父のいわく霞や南池松嶋茂平次嵐音八これを 三社と云又三笑ともいへり又門そのまへのおどけはなに ものがなり候ぞ父の田坊主小兵衛三国考作乾烏天 孫太郎西国兵五郎あらましかれらなるべし又問そのまへ のつつと以前のおどけは何ものかなりしやと問つめ られて天よりやふりけん地よりやわきけんといゝしも 蜻蛉や庭の鼻毛の花すらき三升 芝居 好出 これ〳〵はいかいや狂歌のはなしはまたあとの評判へまわして 今年の顔見せの大入大当りのひやうばんがかんじんしや 〳〵此顔見せは親子ともに大当りだたがきいてもてまへ挙とはいわぬ 親玉子玉のひやうばん〳〵驚し扨当夜都見せ市村庄金めぬき源 氏の角鍔に市川鰕蔵改名吉例のしばしく渋谷の金玉日夜 べつして此度はおてがらでござる勘左衛門老女常子の方にて越中 の次郎兵衛に杉睦むさしの左衛門有国に龍蔵三人相談にていんやゝの 記をはしんためにせ親王をこしらへんとする処へ切首より見物の 形りにて路考出るをむりに親王にたのみ筒守りを引おろさんと する処へしばらくのかけこへひさしほりにてきしました おいしは二度めには七ツからおきていつた舞甚玉一ツはい惣座中の こらず出ているほんの芝居を見たよふだ〽四たてめ清盛勘左衛門 彦三郎工蔵金石ついほうにあい花道迄行所へ弥平兵衛にて上下 の出是は初にしてなし幕ぎはに半五郎旅僧の火し鍛蔵山 がつの形鳥羽の恋塚のおし出し旅僧はちんぜい八郎也と見あらわし白こつ ふみくだき長田がどしろなりといゝ誠よしともの白こつと院宣は こゝにありと見せ行所を立廻りにて引ぬき扨は高尾の文覚 幕のそとにて見へなく引こむ処気がかわつてめつらしい五立め 弥兵衛の所孫をころされうれいを以てのきやしげん大評判でござる 二ばんめ丹左衛門もとやす龍蔵とのつめひらきはおいへのものくわしくいわ すとひいきれん中はごらふしたろふからいふもむだでござる だれもしつている青桟鋪を九側切つたといふはむかしからきかぬそれだ から切落はやしや百人計りは入ルとつめもたゝぬ「十七「あれではけんくはこう ろんがのふてよひたゝ見るものなぞは壱人りもあるまい 当るにおいつくでんざらなしさ〽三十一おゑび蔵口上父祖父親父親父親父親父親父親父親父親父親父親父親父親父親父親父親父親父祖父親父祖父祖父祖父祖父祖父親父祖父祖父祖父祖父祖父祖父祖父祖父親父祖父祖父親父親 海老蔵の文字を付ましたが私がゑびは天鰕の文字を もちひまする又祖父は栢筵親は五粒忰は柏筵私は白い 猿と書て白猿と申ます此心は名人上手に毛が三筋たらぬこと 四月三日 〽半世 申義でござりますとの足 よかつたによつて口上でいりのあるとは恥の内と四日ぎりでしまふた かんしやくにはこまる かんしやくにはこまる「哥」そのかやしやゆへ入があつてもたゞ苦方ばかり しています此ほどがくやの三がいにて坂東薪水是は気のおふた なかゆへ同席していゝるゝへちまの水を三升へ遣しける其時なに こゝろにいくひて 世の中はへちまの水と思へども ひらにこゝろのいたむものか南 三升 と書て菊の丞がかたへ持せ送りける政考そのかへしに ひゞ〳〵にいたむこゝろの春の中を へちまの水とおもひぬるかな 路考 おふむかへしの狂歌路考を小町ともおもわんめづらしきものゆへ それをもろしてまいりました双方名人の気性あらわれたり三升 改名のほつくに 毛が三筋上手にたらず蓑寒し白猿 此句をさいて 早下してもしらざるものゝあるべきや 昇下してもしらざるものゝあるへきや露翰 たらぬ三筋は三升にてたる 露輪 又ざこゑびとの口上をきいて 一鰕の早下ざこといへども評判は 陽気の多賀 実大鵬の羽根ぞしばしく むかしより年々評判記にも惣芸頭なぞと出ている役者も 人出 あれどしゆんの子しゆんに似ずとやしでそのあとにさほどのもの なし市川代々役者の巻頭にして三ヶの津の大立者たれが うへこすものあらんや 春七くさ粧そが一ばんめ五立めに座頭にての出此時少年五才 初舞台なり夫より甲屋の二日ゟ筆始めくわんじん帳わしのを の三郎路考あづまくだりの浄るり大当り此時海老蔵と改名 当年十四才にて団十郎と改名弟一ばんめ三立めにさなだの与一 お家の大太刀をさしこなし三升の陣羽織花やり成ル見へ伊藤 九郎すけきよに門之助たてゑぼしに馬上の出立谷へおとしたるこしき をかくせり出し助記ぶしにてさなだまたのゝろし三升せりふのとり まらし口上といゝ見物がほめるをわすれたゞならだをながして悦ぶ 誠に蚊は一才にして其氣をしるといふ扨こしきのうちにはよろひのあるヲ さとつてすけきよ真田になげてやるをうけとり花道へは入る所あの かたちがねの子供で成ルものかハイヤ小児ににあわぬはいかいをよく致し そのうへ当春よりからよふを習ひます手跡の見事さこらせい おそるべしじや「□一口上に何もいわずしばらしがはよふ残しとふござり ますとはあいきやしが有てよいいまのまに大立物じや さんしやうは小粒ながらもから国の 人もひりしとおそれざしめや 鳥居の飛狐 四立めすゞきけん上のさいりやう門み助あとよりまこにて ついて出弥平兵衛館蔵小くわじやがおもざしのけたかきをあや しみたらいの水をけあげの水のむねんにいふこなし大出来とり わけのちに牛若丸となのる所まで扨々こんどは大評判べつして 新車のきやしげんの相手になつていたさるゝゆへ といつちやアもふ大だてものでござるサアといふと壱人でいれるは 此人近年は何をしてもはづす事はない 出合は誠に親升子升門之助は中ますとなつて市川の 改名を寿く是そ其角の 三ツ升スやおよそ氷らぬ水の筋 イヤ其角の句て思ひ出しました御ひいきより親子改名の ほつく地歌をつかわされたこれもついでに読あけませうとりや 賀 一旧うごめきて周の正月と称すくさ〳〵の うちゆつり葉一名親子艸此子に准へ 市川親子の叟名を幾万歳と寿き 一句を送る 顔見せや春にひとしき親子艸輝牛 一陽にひらけたる名や唐まても谷子 独歩庵 世の花の名はかほ見てにひしきり寛美 顔見せにことしの芋の大あたり 升に一ツはい親子坐かしら 三升子を祝して申おくる 春麗 けふよりの木ふりも強し冬至梅山花 市川氏の改名をことぶき画談をたる す〳〵をふる名や珍らしくかへを嵩谷 近くはよつてめにも見よ 朔日の聾桟敷や音に聞ケ晩得 顔見せやあたり八けん鰕の髭四方 不老父子の名攻をことふし 立并ふ梅子桜よ帰出五陵 ふます角かつらすしくま大太刀市川流の 極意にして誠に永宮の八徳ともいふ へき歟 顔見世の真字に刎よ大素袍葛呂 顔見せやけふ筋隈のはつ氷其国 顔見せや霜に明行品さため籟響 顔見せや三升に人の山はかり楽乎 貌見せや唐まてゐむ冬の身囉叭 顔見世や組入に鍬人の市竹銘 貌見せや日毎に三升海老の影曼吾郷 顔見せや海老に鯰はのかぬ中赤蓮 水仙花雪を隈とる男か南松井 貌見せや七尺さるの御改名帝鶴 二橋辺 顔見せに赤きや梅そ白牡丹二株 寄鏡祝 千代こめてすかたをうつせ万寿鏡 みかく光りは四方にくもらて 賢量 暫画讀 商魚人 異人も画に知るや雪の富士夜梧 顔見せや宗の素袍を代らの花亀文 親のゆすりのはなにそありけるとの され弄も又改名の評判を 賀して 貌はせや軒端に梅のはなみるし寛和 顔見せや鴫を動かす鰹のひけ百柿 顔見せを五代六代三升か南菊明 冬杜に其かたちさへ其名さへ其磧 水を初と誰思ふらん厚氷青奴 顔見せや一陽動くたかつら一路 東方朔は世を朝庭にのかるゝ予は また戯場にのかるゝと白猿子申され はた此顔見せの評判おふいなるは 頂上にみちてもかけす雪の富士振鷺亭 市川父子の改名を祝ひてけるをいたる とり候やとゝ其名は江戸のかさりゑひ 子にゆつり葉のたい〳〵の株 万太老 堂志頼 ゑひ胴の鎧にあらぬ鍛蔵は 唐もやまとも二りやうかさねて 長家の棟梁 異国まて柿の素袍の鍛なれは 八隅の舟の隈ゑとりせし 浦辺の 浜まち 帆とともに其名をあけて舟盛の大敗 はくゑん 鰕もかしやく金のはくゑん 若持 なりひらの母君の哥下の句を そのまゝにして 顔見せは柿の奈祀の賑ひて よ〳〵みまくほしき君か南 うな糸の 波子 御足袋所女 ますからみ其おもかけは日の本のうす柿 志喜婦 津々うらまても天下一川 市川の改名芝居すきの噺は朝三 礬四也 白猿はたゝものにてはあら事し松本 あらつかもないひゝの評判 武狩 たれもひくくますのまとの大入は 弥平兵衛の当りなりけり 柚九念 成兼 とふ旱下をなさるゝとても白猿は 柿の素袍に桃の媚あり 万家 貫四 海よりも深きひいきは浅からぬ 市川にすむゑひや此鰕 東雲法志 瀧とる鯉を三升スの勢ひは 鯉津和 龍につはさの素袍なるらん 千恵太 元の名を子にゆつり葉やくひつみの たひ〳〵海老のゑひとよひにき 高根 雪風 つち壱升金壱升の江戸生れ びいきのますは家の宇紋 千客 万来 しはらくとそめてみますの市川を 越ぬる人はあらしとそ思ふ 紀 晴之 見物は滝のことき舞台きは 鰕て釣つたるたいそうな入 埒明兼 まつ目出た今たい〳〵の親の名をは うけしあつまのかさり立候ひ蔵 佐藤 持兼 見物の三升スにあまる大入は ゑひのてからのはかりしられす 寸善舎 尺磨 名を高くあけにしゑひのいきほひは橘 沖をこへたる浪の花道 鉢植 市川に九側切土間さしき所 平野 朝は十から入も升ます 帳元 大鵬のとまりしひけのゑひなれは 三千世界芸のおやたま 芝枡三味 ふしこと 名をかへてけふ顔見せのかゝみもち 髭も若やく江戸のもゑひ 福石の 於茂志 甚ぬ〳〵なる事あけてかそふるに うまあらす 只改名を祝すのみ 伊勢鰕のけふ顔見せや神の国 一薬庵 顔見せや中にもゑひのはぬる也 彼女 顔見せに餅といふ名や日本一 かゝる冬賑わす鮎や名取艸 貌見せや春をことふしかきり路 里あや 十 かね 女 言えせや千里のほかのほかのほかのほかのほかのほかのほかの わさおきにおいては世ら盛り久しき 富貴艸ともいふへけれは 顔見せに咲や此花輪牡丹 我等生国御当地代之市川 ひいき連衆に紛れ無之由候 証文にしつかりとした評判は イヨ金箱とほめる給金に 松東菴 八橋 顔見せは実に挑灯の星白夜 一鎌倉海老の名さへ目さまし 大釜 風呂主 見物のやまとはおろかこの鰕は くわぬからまて名やひとらん 湖ハ桃 光就 貌見せに役割海老の名ひらきは宮戸 是江戸中のひきも○そかし 宮戸 川面 人美ま寿ひゐきは江戸の四里四方 角からすみつるもかけならん 御紙面の 以上 市川の名は国々へ大通の 恐ろしかくし鰕の髭なて 千代喜の 上則 一陽斉 から人に似し此術の長髭は 青龍刀○おもひ言者 来福 顔見せに名をあら玉のかさり鰕 御祝儀申あけますのもん 大豆袋の 手真鳥 文覚は音雄○紅葉金王はむせん 渋谷の桜はな○顔見せ 芳志 一門松にかけしはしこの団すを花の 江戸住 とりて得たるたい〳〵のゑひ いにしへの海老の文字はかわれともおでゝこの海老の 贔屓の文字はかわらさりけり おでゝこの 伊嘉喜 大はん台 市川のゑひの船盛物をあけて いけ船 ふねか着ますそれあたります 白猿と名をとけ功も成田やの 贔屓にまらす天の花道 紀 さま丸 得手に蜘をあけてあてたり顔見せ藁和部 大入船や市川の海老 年武 鰕蔵は敵股をは一トにしみ大丸の 大丸の 目の守る所へ子玉まてよい 宇志呂 一陽にまた市川のゑひす講 土地前両の手打連中 貝負の 満寿池 代しの中にお江戸のかさり能 なんと赤ひしやこさりませぬか 何茂様御めんと成ませふ 白猿かやつところだもしたちは 敵をしめる成田屋のかふ 蓬莱入同 万亀 三升の 伊左美 弥平兵衛の役は五粒の再来かと おもふ 末学 霜月のついたち花のかほ見せは むかしの木場のおもかけそする 寶珠 こんからもせいたかもある見物の 成田不動と人も申シ子 我喜大将 道草ノ女 きみ団子日本一のしはらくの栄花等 柿の素袍も猪の御仕着 夢輔 親と子と名を割海老のめてさは 味噌もあくへし髭も撫つらし 銭屋 金埒 三十二級 心あら人に難波のすよりも 江戸のかさりの鍛を見せはや 我はその蜆子和尚にあらねとも 一鰕より舟にめつるものなし 根歩 一調 紀 怪人 とし〳〵かはらぬ吉例の柿の素袍も改名の 顔見せとて今ひとしほの色まさるこゝち せらるきは彼宿の発句をいくひていさしか 佳名をすゝし侍るは 顔見勢や鰒に着せたる猿の面京伝 東都の戯場を守り万代の礎かたく ことし白橋と改名有しを祝しぬ 牛嶋別荘 名をかへて貝屓もまさる山王の 受込 絵座まし升ス夜々の座かしら 鹿津部 穴紋の三升にはかる芝餅と 真顔 ひげはかへつて九万里の魚 玉ひしらにましらななきて あしひきの山のかひあるけふに やはあらぬと御代を祝せし 躬恒か寿もけふ改名の折に あくれば つみ物の山の甲斐より三声よふ 白猪橋のしばらく〳〵 猪にはなれぬ 鹿津部の真顔 ふたらび戯て贈る 寛政四森子太郎月吉且 7008 江戸日本橋四日市 上総屋利兵衛 書肆 セムニワ