劇場漫録
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- 默々翁佐川田昌俊
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- 默々翁佐川田昌俊
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- 日本語
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- ゲキジョウマンロク
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- 東北大学
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- 2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
劇場漫録上
黙々翁著
鳥曼永
当金
妻子
金幸堂板
東都書林金幸堂板
劇場漫録序
今世上に雑劇を好む人は哀けれども実に劇場を観る人ば
寡し夫劇場は元是上古の神楽の餘風にして中古白拍子
といふ者と変じ爾後申楽と成り田楽と称へ近世歌舞妓と変
ずると雖其起る所は一にして皆善を勧め悪を懲すの一端人
外国に芝居のある事
七天竺話に見えたり
を和するの伎にしく遠くは外国
一震旦諸邦
諸邦に芝居有る事
種類の類の類の類の諸州諸島総て雑劇の
北海遺聞に見えたり
行はれざる処なし是孟子に所謂世俗の楽たりとも亦撮べき
入等非ずの物也既に仏説にも狂言綺語も賛仏乗の因縁
なりと云時は俗に近く和を原として児女の耳に入安く暁
り易き物にて善に導く良伎なり今や劇場の故実規則
等は先輩述作の書汗牛衆棟にして今更新しく言に不及
小子が此編述は劇場看宦の親法にして三都の俳優其
地に憑てその趣を異にするに聊を論じて芝居見物の初心の
人に示す是顕微鏡と題する所以なり
黙々漁隠識
千古興六事勧
懲在警心描操梨
苑子枝上風流
新
右観劇雑詠
黙々老人書
凡例
◯此書巻首に梨国子弟の繍像を出し又俳優の扮目漢名を記す事は唐
一土奇誤の例に倣ひ且いまだ劇場の理を不会者の早く暁り安からん事を愚にか故也一
◯俳優の階級九等に頒つ事は前漢書功臣表の例を摸し且亦古今位
一附に異同ある事を辨ずるが為なり故に八文舎自笑が著す所の評判記
と少しく異なる所ありと知るべし
◯此書役者大全役者綱目等の説を付して別に説を作す事は小子妻に
一弁論を設たるに非ず是亦先輩の説々にして皆其善き所を択びて
一彼を拾ひ是を捨て何れも可なる所に従ふと知るべし
の
欠S
S
劇場漫録上帙目録
○劇場総論
以テ購入セル竹蘭博士
《訳言語訳書
「お公書記
○俳優階級九等之説
○立役六等之説
○歒役五等之説並分派之図
○若女形四等之説並分派之図
総計五條
蒼鴉英武
蒼鵲英武
茲に訳して荒車師と云
義勇猛烈ニシテ
進ンデハ強暴ヲ
拉ギ退テハ軟
罰ヲ扶ク一箇ノ
囲刀揺グ所
萬夫顛リ
両点ノ電眼
爛ク時千人
伏ス誠ニ一人
萬騎ニ當ル
者ノ介ヲ傚
ヲ云
三ッ升や
凡氷らぬ
水の筋
巧二曹莽ガ智ニ
傚テ狐媚ヲ為シ
細二檜京ガ奸ニ
揚テ鼠竊ヲ事
トス顯ニ善ヲ
害シ陰ニ良ヲ
賊フ者ノ介ヲ
傚ヲ云
鶯や
ねす美
ちり行
里の
隙
茲に訳して実悪といふ
浄女悪
いはしやし
奸ヲ逞シテ南風
ノ故轍ニ依リ佞
ヲ舞シテ褒勢
昔態ニ傚フ
虫並毒ヲ
宮聞二
放チ臭
声ヲ閨
二十九ス
門ニ流ス
総テ悪
姑賊婦
ノ介ヲ
傚ヲ云
深宮飽食
恣揮檀
臥膿眠経
慣不驚
老且嫗
婆
茲に訳して
花車形と云
貞は蒼松二
比シテ雪中二
操ヲ改メズ
義は翠竹二
擬シテ強風
ニ摧ケズ翁主
ヲ捕ケテ忠
婦ト称セラレ
幼主ヲ擁テ
節婦ト遊ハ
ル総テ節女
義婦ノ介ヲ
傚ヲ云
正旦
貞静の
婦女
茲に訳して女武道といふ
●一十一丁目
小生
風流の
才人
茲に訳して濡事師と云
のかれすむ深山の
美宋朝二類
シ材ハ彌子二
かひの猿の声
なれも浮世の
事や語らむ
同ジ珠襦ハ
郎君家ヲ
出ルノ統袴子弟
沈魚ヲ看テハ痴情
ヲ動カシ落雁ヲ眺
メテ春心ヲ起ス総テ
浪子ノ介ヲ傚ヲ云
打評議思
茲に訳して
道外形といふ
生トシテハ蛙鳴ノ公
私ヲ訝リ臣トシテ
ハ菽麦ノ違同ヲ辨
ヘズ炭石ヲ趙壁ニ
擬正濫縷ヲ蜀錦ニ
比ス山ヲ移ス愚公
老ガ行ヒ河二漁ス
信天翁ノ状總テ
痴漢ノ介ヲ傚フ云
猿曳は
猿の衣を
き怒たか南
引用書目
戯場訓蒙図彙古今役者大全
役者綱目芝居年中行事
役者論語芝居樂屋圖會
役者論語魁全拾遺
劇場一覧歌舞妓年代記
明和妓鑑水の筋
慶子画譜眠御撰
玉の光桐嶋臺
市河の流役者百人一首化粧鏡
一蝶耶鄲夢役者信夫草
以呂波評林役者袖日記
通計二十二部
劇場漫録上之巻
劇場総論
黙々漁隠著
今諸国諸州芝居巨多と雖三都を以て最とす三都亦其地に瀕て
各其趣を異にす去ども京横は大同小異にして愛憎大抵一般なり
故に今論ずる所は京摂を一様に挙げいふなり先京摂の狂言
は義太夫建の趣向おほく舞台しまり勝也一日の狂言を五齣と定
めて口明中入小幕世話場大切と頒つ口明は狂言
の発端にして緒を開く譬ば小衙内の花魁に懸応して資器を沽
却し花街より贖身する如き是也「中入」は事を乱して修羅事となる
譬ば奸叔姦宰宝器を減匿し小衙内難を受て国を出るが如き是
なり「小幕」は道外事にて笑を取る壁ば悪棍小衙内を探索めて
呆癡の奴隷などゝ取違る如き是也「世話場」は愁歎事を専らとす
義太夫浄留理の三段目と同く作者の苦心此齢にあつて狂言の眼目
なり譬ば忠臣節婦など君の為親のために身を殺し子を沽等の如き
足也大切は突器再び出て悪棍亡び万事其原に復して目出度お立
といふに終る狂言の結局也先大概此趣也又一日の狂言を二かに頒て前
一狂言何々切狂言何々と外題二ツ出す事あり此時概略は前狂言は
義太夫にて切狂言は歌舞妓狂言也と知るべし東都は初に序開とて
式三番の次に七福神大江山などの極云あり些布は不残木綿の衣
若イ衆の訳は
出次に式建目是は女形も出て少々振事抔
装にて若く衆勤る
次に出す
中通りの訳は
三建目より本狂言と成て立
もあり中通りばかりにて勤る
次に出す
物役者出るなり一日の狂言壱番目式番目と二ツに頒つ又壱両日時
故人
桜田左交の
代事弐番目世話事と趣向を頒しは狂言作者は
戯場の花万代曽我を作せし時壱番目曽我弐番目世話事三日
替おはん長太門お前つ清十郎おちよ半兵衛を出して大當りせし頃より
初而又壱番目外題何々弐番日外頭何々と外顕弐ツ墓出す事か近
頃寛政年間狂言作者数人並木五瓶紙向より起る扨又狂言四本に
依つて替りあり春は曽我にて花麗を専らとし夏は世話交吾雁金貝
祭りの類なり近頃尾上松縁一種の狂言を考出して一流と成り夏狂言
の名誉を得たり秋は時代物忠臣蔵先代萩等なり顔見世は賑しきを
専一とす右の如く全体其季節に応ぜざる狂言は当る理など知らべし
狂言に作者当りあり役者の当りあり其所をわけて見るべし
叔役者に段々あり大立物あり市川団十郎岩井半四郎松本幸
四郎の類是なり立物あり坂田半五郎中山富三郎嵐亀之丞の
類也相中あり三榊森蔵中村芝蔵の類也中通りあり坂東吉次郎
又若イ衆
是は番附には乗らず唯
中村千代飛助の類なり小結あり
ともいふ
顔見世の極り番附にばかり名を出す大立物は京摂の顔見世極り
番附に書出しと
又一筆
とも云
雷筆とに書江戸の役割番附の紋を附たる
猶又左に図する
右の外に江戸にては外
所を見て知るべしう
所には理元の左右に書くものをいふ事
題看板
江戸にては大名題といひ
記の上に大立物ばかりを図し京横は絵本書
京摂にては一枚看板市兵衛
附の表紙にも大立物しかりを画す江戸看板残らず絵看板に
して折々は切抜の釣肴板を出す事あり京摂は人形にして出し
看板を用ゆる事あり京楼は道具建等に花を飾り東都は狂言
に花を飾る京根の狂言は実を専らとし東部は道具建等に麁也
舞台其余の諸品古格を守りて変ぜず其大概をいはゞ図舞台
箱天神金閣寺のせり上せり下の大道具建場引割せり上の大仕懸を
此大仕懸近頃堺町忠臣蔵の
或は生の馬を芸に用ゆる事などすべて京摂
三段目御殿場にこれを用ゆ
より初る是道具建の花なり又東都の狂言は暫くを初め毎春
の曽我助六等茫麗を専らとす東都は所作事を専ら勤る事
にて顔見世と春狂言には浄留理の幕一場ヅヽ是非無くて叶
ざる事なり京摂は春狂言二のかはりには所作事を用ゆる事
もあれども顔見世にはあまり出さず雷狐狸百疋などの化身
物の出る事にて此他身ものも半道敵か立役の可失味を着たる
役者のする事多く救人岩止吸療あら故人丸幸中村ならみの類勤
し事也東都の顔見世は一番目の結弐番目の結と二場立て
何れも達敵を重の役者より勤る他身物は所作事の切抔に出
市村羽左衛門
す事にて大方立物の役者勤る別而近代の救人家橋御対番人などは
他身物の拵に妙を得たる上手也惣体京楼は舞台に引道具を考へ
く用ひ東都は回り舞臺の仕掛多し当時は三都とも狂言の趣向に
新奇を尽し役者も名人上手おほく何れも善美をつゝせども原右に
いふ所の花実その土地の風義に残りあるゆゑ時として本質の見るゝ
事あり斯る差別を篤と心裏に分識して看観せづれば実の当
非分ち難く狂言の真理会得しがたからん歟
一右に弁ずる所は三都狂言の大凡にして劇場看宦の分ち
一知るべき事なり是等の理を能解したる者を芝居の見
功者ともいふべき歟
此見功者に似て非なる穿ちの見物あり諸人
一人とその人を見功者と心得違たる者あり故に下帙に弁を出す
図
屋本中村歌七
此太ト字の所を八枚音
板と云此初草に書たる
役者大主物の二枚目
なり一ヶ聖とも又書出し
とも称す
大夫市村
中山難参
云たる「中山雑本
中村富在
嵐卯之助
藤川小千代
一相町谷亀三郎
此所に詰の女形子役
若衆形の座
三嵐に錦
千代千代
二本藤川友兵助
嵐璃寛
小川吉太郎
市川助十郎
中村歌七
淺尾額十郎
長歌中村兵治
舛治郎吉
一片岡住蔵一湖出八五郎
一中村由蔵一鈴木佐吉
一嵐辰蔵嶌村七三郎
一尾上東三郎
藤川仲蔵一杉
藤川他蔵一杉本為三郎
一笹井大三郎
一芳澤伊之助笹井大三郎
一林桐万蔵
中村新藏
一西川直右衛門
坂東直蔵主田信門
坂東直蔵住田嘉衛門
立歌の座
小路立役敵役の座
江戸にていふ若い衆
稲荷町の事也
はやし方の座
一竹田吉右衛門
一村七七衛門
嵐亀蔵
是を中筆と云大立物
中村辰蔵
三枚目の座大主物二枚
風冠蔵
日以下に同役の者両人
一浅尾二郎蔵
有て位の甲乙分ちがた
一浅尾霊太郎
き時は書出し物筆と
一三升愛之助
分つて出し此所へ座頭を
一中山総次郎
を座せしむる事も有
中村辰蔵修後武団八浅尾兵蔵
市川團聯隊
一浅尾烏五郎
「和田七左衛門
浅尾兵衛様
浅尾兵蔵
浅尾兵蔵一野田弥助
浅尾幸治郎
浅尾幸治郎一六郷由蔵
振山寸文五
上小川竹三郎
同山村友五郎
口川丁
一立役市川甚太郎
一敵役中村蔦右衛門
若女形瀬川路之助
若女形
澤村国太郎
此座を外八枚といふ
八枚肴板にもれたる
役者をおく座なり
一江戸の相中位の場
若女形大立物の座
二枚目
実悪主西の座
若女形中村まもり
若女形
若女辰山風加納
若女形
山風當美三郎
留筆と称す大立物
座頭ニの座
女形立物の座此所へ
置あまれば
著名市川なには
藤川友吉
一若字形中村哥女一若女形
江龍麗浪嵐吉之助太夫
坂東弥吉五役嵐岡九郎
市川助三郎立役沢村其市三弦時次
若女形
中村松江
宮園鷲孔軒
豊竹歌代太夫
一狸源治郎
二号鶴沢源治郎
こゝの所へ座せしむる也
子役若衆形角盛夫
丹前の座
中通り藤板役の座
坂東咲次郎
嵐門太郎
坂東咲次郎歌役浅尾国九郎
浄瑠璃竹本倉太夫
後東悦次郎歌政
竹本輝太夫
三味線鶴沢源吉
中村房吉
鶴沢笑男新
頭取
中村次郎吉野原国右衛門
一狂言作者余四十七日
袖崎いろか
袖崎いろか正役浅尾八百蔵
一狂言作吉作者近松夕
坂東彦太郎
同三吉作者金津龍下
同名代塩屋主九右衛門
狂等作者
沢村門太郎
一任号作者金津勘
霜月吉祥日
千種萬歳樂大々寸霜月吉祥日
石金澤龍玉
三枚目
四枚目
〽立おやまの座
女形立物二枚目以下
に同役の者両人有
て甲乙分ちがたき時
は左右に分つて立お
やまを真中に座せ
しむる事もあり
逸々後兵太夫三味様
引の座
義太夫節太夫三味線
引の座
あるみあろうも
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
[[[][[[][[[[[[[][][]][][[]][]
木清板
浪華
浅尾徳三郎
葉
京摂一枚看板之図
全へ
三浦屋
此処は
同穀株式
丑之三月吉日ゟ道頓堀角の芝居にて
本中村梅松
内茶屋板
天罰起證の文族了集
その方殿と兄弟むす候相違なき条誓ひの金打
詩人も敵も
竹内の達人
割符違わぬ
證據の合役
て名は印南数馬とのへ大川友右衛門
浅草霊験記
全部
七冊
此昔語りは明暦年中の頃とかや
我やく先
百姓十作
十作女房おふぢ
若党曽平太
九曜のまへ
丹羽与次助
女郎野風
細川藤太郎
印南数馬
早足太郎吉
お雪
権平子よし松
小しやう金吾
少しやう酢
小林その中村松後宿の岸の松樹町近
女郎花鳥
飛脚角介
鷲の爪六
壺井谷九郎
中村新蔵
吉川伴作
医者潮
神州此里蔵
船頭又介
上候上十二
此所一
三枚目
立物
の座
大沼典ぜん
中村
当間吉九郎
大橋屋正右衛門
長形半平
領城小紫
妹おきく
安村早太
乳母おせち
隠居楽才城尾大名錦
岩倉源次兵衛
船頭かぢ介
百しやう九郎次
蓬莱や利三郎
小しやう弁淋
横山大蔵
印南十内
萩尾城尾之頭
胡米笠
同所作事
相つとめ申候
長寿微出市十郎
浄瑠璃
浄瑠璃竹本勝太夫
三味線鶴沢伊三郎
浄瑠璃
浄瑠璃豊竹哥代太夫
三味線金沢左右衛門
奴づだ平
横山図書
隠居八景
十作母おもと
向井権平
十内女房おたみ
娘おいし
水茶屋お升
大川友右衛門
細川房丸藤本中
狂言作者
金澤龍助
金坂金助
金波監獄
奈河粂助
近松多助
狂言作者
金澤龍玉
頭取惣支配
坂東国右衛門
第122日
千香舞菊出来楽大入大谷町吉祥日
御町中様益御機嫌能被為入恐悦念様奉存候然者私焼受居之義以内表狂云御意候
叶五人大破土図仕候段路有仕合奉存候然る所去ル御行様ゟ御霊付大坂表ニ而仕候丸の一
加州ゟ先年瀬川菊之郎組相勤候おはん長右衛門の世話狂言を第二番目に仕候様
徳良野にまかせ早速奉入御覧に候所日増繁昌致候段此段御家負之如何計
難有仕合に奉存候右涼礼之羽来ㇽ三月三日より五山の羽の明狂云勢山の揚大つめに
延江少々総理中ゟ駿出第二畿田目富水豊前大夫浄るりの場迄不残仕入
御屋敷大火にて御側付にて御座候以上に御座候
楼門五山桐
第一番目六建目
桃山御所の場
一同役人替名
一山岸田の矢分しづき花菊公へ筑前
久吉御霊園生の方此所故
一五右衛門や弁おまつ出首打
一佐藤虎之助正清三次
一真柴金吾久秋作五郎次
一別木軍蔵二政次郎
佐久間三郎右衛門
名輪丹下
大将の餘南太子一蔵之則
こしもと初風千代籠
一こしもと青柳一帳之助
)
篠井熊太郎他
一お道姫敏之丞
一小西の妻綾織遊す古
一けいせい九重菊之助
一五右衛門妹お菊栄三郎
一瀬川水馬悴三郎
一石川五右衛門雑助
真葉大順久吉彦三郎
其外惣修中不残
罷出相納下候也十
大町
未三月三日考
圖づ之の表面
役布栗
若女形三
数目の座
なれども座
役者入かはり済で後極りたるか又は
大立物役者座頭二枚目抔へ出すべき
立物甲乙つけがたき時如此度をして
此座へ座せしむ先客座なり
〽立役座頭の座夫より二枚目
三枚目と順々に一二三の書入の
三枚目と順々に一二三の書入の
通りに座せしむるなり
此所立役四枚目以下にて位を争ふ同位の
者ある時産せしむる座若肉位の者大勢あ
れば此下の通りを中頭をのけて三ツにしきり
三人座せしむる事もあり
頭二枚目
抔と位を
同じくする
立物ありて
尾上栄五郎
甲乙付がた
き時は立政を
き時は立役を
ウ中村
坂田
二ツ
如此此処へ府せ
出銀三匁
□□□□□□□□
しむ是も先
三十国
半画
客座なり
玄翫
此通り皆〻中頭なり
通り皆々相中此通り皆々
此通り皆々相中
□□□□□□□□
甚六
関
歌助
若女形第一の
座立ておやま
なり
市川
瀬川
二丁目
大臣
瀬川丁市川
石川
菊濃
同九四百五
□□□□
二月二一
内蔵
南□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
若女形
二枚目
若姦四枚
目の座なれ共
三枚目へ立役
を出すときは
を生すとき
三枚目の女
瓢を此ところへ
座せしむる也
十二丁
沢村
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
尾上
岩井
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
私助
本國
ま
十一
三津衛門
松助
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
坂東
彦左衛門
中山
中村
●公村中山中山
歌六
源蔵
文五百
歌六
源助
市川
一国
{圖づ之の以上に
中の女形娘形を此通りへ座せしむ
此処へあまれば下の通りへ出す
若太夫の座
或は四枚目以
下の女がたを
おく座
与役若衆形
娘形抔の内に
おも立たる者を
おく座
嵐
南部
市川
海兵衛
岩井
槌公助
沢村
鉄筋
瀬川
僧吉
瀬川
多川
岩井
久次郎
尾上
紋三郎
三株
大三郎
若太夫の座
君
大
天
中村伝九郎
子役若衆形
娘形の座
右に同じ
坂東
三八
女形四枚目
以下表へおき
あまりたるとき
物を此ところへ
出す
小佐川
当面
市川
徳之助
沢村
東蔵
松木
にしき
市川
外三
岩井
利太郎
岩井
襲な松
山科
甚吉
仲助
狩林
□□
中通り立役の座
松本
中村
漆蔵
千代飛助
坂東
坂東
杢蔵
吉次郎
惣頃
関
勘八
市川
広五郎
大谷
馬平
中村
三平
坂東
善次
内方
貞右衛門
大藝言
坂東
巨勢かろ
市川
子之助
〽
天地
市川
関
歌十
一門蔵
中の女形子役の座此通りに
おきあまれば下の通りへ出す
中通りの立役
五六枚以下の立役表におきあまれば
此処へ出す又は頭取をおく座なり
此所も上に同じ
階級九等之説
役者の位附は年々八文舎自笑の著す所の評判記に審也と雖古今の
違ありて全体役者の位は黒の上上吉を以て極宦とす然ども其類を超る銘也
人あれば極の字を附る事極の字は無上の位也しが元祖あやめ誰北は極の上に
立つ銘人ゆゑ三ヶ津惣芸頭と云位を新に建て是に座せしむ其後栢姑。助一
高屋の両人又極位の上の銘人ゆゑ先仮に大至極眞極と云位を立て足
に座せしむ助高屋没して後外に類なき故栢筵無類と云位を蒙る是には
少々意味あつて栢筵には惣芸頭の位付がたき故又新に無頼と云位を立たり物は
芸頭も無類も必竟は此両人の外になき事也然るに近比大眠獅佩酢。来世之先の
など無類の位を附る事は其比外に並ぶ人なきゆゑにして且夫には古今の異同
役者無上の位古今
此位に至りし者初代芳
沢権七あやめ中村
富十郎此両人に限る
立役敵役若女形す
べて并ぶもの無の称位
なり
惣藝頭
極
ありて一概に説がたし猶審しく図に出す
此三字一等也真は狂言
実理なる人を産せしめ
白極は花ある人を座せ
しむる位也半白極は
黒極へ至る人の極意今
一足役者第一の位と
する也上上吉に至る事
甚かたき事也是ゟ一等
類をこへ或は当時至て
評判宜しき類をば二十一
此三字一等也上上士と云
位は上上山より位重けれ共
上へ進む事おそし書は士と
進み白の吉へ進むゆへ昇
進早し白の士は順にして
士は逆なりとしるべし
真極
大工
少しといふ位なり
の字を上へ置て至上
上吉と云位に
座せしむる也
富士圭上
公
上上吉
一上吉書申上
右
極は役者位
惣芸頭の次に
附の極官に
無類と称する位
無類と称する位附の極官に
して是より上にも至極大
あり是は立役な
れば立役に並ぶ者極真極大至極の段々
なく女形なれば女ありといへども是は其時々
色々に意味て付たる位にて
形に并ぶ者なし上冬に意味て付たる位にて
称したる位にして是
みだかに付る事なし先は極の
又古今稀也全
上には位なしと知るべし
一体極より上には
置字なし全く無類の字は其時の
褒称にして則闕の官と申スべし
至の字は大功の
二字と大抵位
吉士上上
一等にして少し軽き
意味あるなり
功大の二字引合一等也大
は花あつて上達昇進を
祝する位功は老功格別に
してさながら只の上上吉斗
にて置れぬ人を座せしむ又
此三等一位也但し
一宮は吉より位重し
されども吉は順にして
上へ昇進早し宮は
逆にして発達至て
おそしとしるべし
至ての老年には大功上上吉と云位に座せしむる事もある也
白大白功白玉はその位のすこしかろきものとしるべし
此三字
一二十一日
一等と
す白の上
より段々
黒の位に
進む也
立役六等之説
是劇場第一の役人にして若女形敵役等に同位の者ありと雖其内にて
先第一等に立役を重しとする也扨立役にも生蒼鶻小生の三ツ有
三代目坂東
彦三郎事
生は俗に云捌役にて近頃薪水
芋が
青蛾
尾上鯉
三郎重
伊などの勤る所
是なり一躰重々敷口跡に損益あつて気持打上りたるをよしとす
蒼鵲は江戸狂吉の主として市川家の名誉也善を専らとして
陽気なるをよしとす小生は俗にいふ濡事師にして近くは小川英
子の事
吉太郎
先の嵐
一人を第一とす一体和かにして花々しく可
三五郎事也
嵐来芝
笑味を兼たるをよしとす然るに生は堅過るの方へ顚に生は位重
の所薄しとて右の生に小生を加へ是を和実と称す近比の沢村
訥子
四代目沢村宗十郎
などの勤る所是也又真の和事にも非ず和実
初は源之助と称す
是を俗にはひんとこな
と称するなり
にも非ずして一種強みを持たる和事師あり
或小子にピントコナの出所并に其訳を問ふ者あり小子も素
より其本拠を知らず去ど此人二代目八文舎の著作にも
出て且浪華人は皆斯祢春ものから其語の侭を茲に
一出す猶その委しき如きは他日追而可参考
二代目中山文七事俗に
近頃の二代目由男
鬢附屋と称す
今の尾上梅幸抔の勤る所
是なり是は何ゆゑ和事師の種の斯領りたるといふに古代の坂田
藤十郎大和山甚左衛門などゝ云和事の名人の勤しは何れの訳もなく
ぼんやりと和にて何の分別もなき若息子の色に造り込如き情を
専ら勤たるゝ也然れども是は一向位の取れぬ役にて至て高手に成らざ
れば手弱く見えて甚勤にくきゆゑ古代よりも名高きもの尠し
依て真の和事は商妙に至りがたきゆゑ少しく実事を加えて勤し
の発明にして宜しき見込也余れ共和
は元祖沢村訥子
助高屋高助といふ
実は人品の軽き役者の出来ぬ事にて是また容易に入安からず
依て彼ビントコナと称する風出来しなり当時三都にて真の和
事といふはまづ稀にて大抵右のピントコナ体なり又俗に辛抱役と
称する実事師ありて芸風下品なる者は皆その風となる初代の
中山由男などは近世の銘人なれども一体下品なる芸用ゆゑ一生
大将役の捌事は勤離たるなり右の如く立役の種類を頒別すれ
ば生蒼鶻小生の三つ大綱にて其内より捌役辛抱役和実和
事荒事ピントコナの六等となる此六ツを素大に早く分らしむる
役割図解を左に記す
立役六等之圖説
蒼鵲
正生
小生
東鑑の
国性爺合戦の
荒事
一和藤内朝比奈三郎之類
琴売の
染分手綱の
一鷺坂左内之類
一畠山重忠
捌役畠山重忠鷺坂左内之類
出入湊の
千両幟の
辛抱役黒船忠右衛門岩川次郎吉之類
信仰記の
在原系図の
和実小田春永行平之類
新うす雪の
阿波の嶋門の
園匠左衛門
濡車師園辺左衛門藤屋伊左衛門之類
ピントコナ
一伊勢音頭の
天網嶋の
一紙屋治兵衛之類
ピントコナ福岡貢紙屋治兵衛之類
此役々の趣を篤と翫味せば大抵その分知れべき也又当時は役者
器用に盛りて少し芸を取て廻して勤る位に成れば早く立役が敵
役にも朱つたり実悪から女形をも勤るをば見物も賞味して上手と
賞すれども是は餘り好ぬ事也其訳は古代の坂田藤十郎芳
沢あやめ市川海老蔵の如き古今無類の名人と称せし役者にて
も壱人して何役をも兼て勤る事は狂言毎にあまりせぬ事
にて先は一分の芸に力を尽し勤し故名人の位にも至りしなり
嵐雛助といふ
は大立物と称せし役者なりしが
併し近世の初代眠獅輯
後小六と改名す
実悪立役女形何にても兼て勤しなり是は何ゆゑなれば眼獅はもと
女形にて成人にしたがひ体配次第に肥大になりてどふも女形の
移らぬやうになりしゆゑ珍らしく実悪と紋替せしが是にて大に宜
しく後〻は実悪にても立合ふ立役も稀になりて夫よりは立
役と役更せしなり分れども時によりて役者無人の一座などにて
は前々勤し事故女形をも実悪をも兼て度々の大当りなり
又其うへ赤穂の塩竈の狂言などにては大星力弥の役をも勤しは
肥大の体にて若農形は似合ぬ処を珍らしく勤るといふか作者の働
にて役者の骨折なりしが果して大當りなり此眠獅は色々と諸
芸を兼て勤しは右の訳にて且名人ゆゑ大当りもせし也然るに当
時の役者は眠獅の諸役兼て勤め大当りせしを能事と心得少し
芸を自由に勤る位に成ると女形が九太夫をも勤たり敵役が
お半の役をするやうになりて今では実悪やら道外やら立役
とも女形ともどふも名の附やうの無き役者衆し是等は誠に芸
道の魔道と称すべし芝居狂言に不限何の諸芸にても専
門の修行に非ざれば名人上手には至り難し余るを悪く心得れ
ば眠獅を本拠として諸役兼て勤れば当ると思ふは大なる齟齬なり
眠獅は素が上手ゆゑ何役を勤ても当ると云処を看識せぬゆゑ
なり何れの役者も一体の藝が眠抑ほどの位になりたるうへ
にては何役を勤るとも当る事的当なり疎学未熟の藝にて何
でも角でも勤るは中〳〵成らぬ事出来ぬ事也假令毫末の間珍ら
しく当りをとるとも誠の偶中にてその心持にては名人上手には至り
難し只片顧せずに我専門の役を修行するには如ず
敵役五等之説
扨悪方にも五等ありて実悪。色悪。実敵。半道。平敵と頒つ也実
悪を先第として此内にも体用真仮の二ツ自然と頒れて体真の
実悪とは一体少しもそゝけず位重の所を専らとして謀叛人似勅使
抔やうの大敵を勤るをいふ用假の実悪とは可笑味を兼て体を崩し
少し下品の違敵を勧るをいふ近世体真の実悪多くは岩藤抔の
ことき善車形を兼て勤め用假の実悪親仁形を兼てつとめる事の
やうに成りたり色魚とは悪皇子暫の絹の類なり実敵は二枚目
の敵役にして小衙内の叔父悪といふやうなる事を専らとす半道
とは道外を兼たる敵役の事にて昔は松島茂平次初代の嵐
音八などゝいふ三都に上手の道外形ありて狂言に是非道外なくて
不叶ごとくなりしが近世道外形次第に捨れて今にては道外の
勤むる役は皆半道より勤むる如くなりし也上方にては半道の事
を茶利敵ともいふ平敵とは非人敵討の加村聞田右衛門のことき
類をさしくいふ。扨当時は京横の悪形は大抵半道より仕上て実悪に
至りし役者衆し是は何ゆゑなれば近世京摂にて悪形の名人と称
せ
おくやま
初代
奥山
先の浅尾
罪は元が可笑味を兼たる実悪ゆゑ悪形勤る程
被為十郎事
の役者は皆先奥山を目当にして修行するゆゑ自然と平道から
入らねばならぬやうに成たり又東都は是と事かはり大方は唯をかしみ
先の中村
と云は
なしの平敵のみのやうに見ゆる是は近代の初代秀鶴悦の中尉と云は
真の実悪の名人にて憎みとすごみを専らとせしゆゑ敵役勤る
ほどの者先是を形として修行するゆゑ右の如く成りたる也
一花車形親仁形の委細は審かに下帙に出す能合
せ見るべし
かたきやくぶんばしたいようおの〳〵ことなるそのしゆづ
丑浄分派躰用各異其趣図
近世の名人初代
中村秀雀の風也
躰
此風の一内より花車形を
兼てつことむるものまゝ多し
丑浄
此両人いづれも名人なれども
各その得たる所によつて
秀鶴は体を得奥山は
用を得る躰とは位重剛体を
もつはらとし用とは器用
和体を専らとす体にも
花実の理あり用にも
花じつい理ありその次第
下に図するごとし
花
実
位重より生ぜし花才衣漿の
好み物数寄等を専らとし舞台
奇麗なれども業に実なきがゆへに
其矢手弱くなることあり
是等の風今いふ所の色悪なり
一位重より生ぜし実才憎みとすごみ
を専らとし人をして戦慄せしむごとくなれば
花少きが故に其失さみしくなる事あり
是等の風今いふ所の実敵にして
若殿の仙父恵などゝいふ類なり
花
四用より生ぜし花才軽みとをか
しみを専らとし舞台賑しければ
業に位なき故其失怪忽に至る
一是等の風今いふ所の茶利敵なり
近世の名人初代
浅尾真山の風也
用
此風より親仁形を
一着て勤るものまゝ多し
実
器用より生ぜし実方様子と
愛敬を専らとし手厚くは見ゆ
れ共業にすごみなき故其失憎み薄
くなるに至る是等の風今所の平敵也
右に図する所は悪形分派の指図にして此領を篤と翫味すべし
亦実方を悪形をも兼て勤る役者を実応と覚えたる人あり
大きなか間違なり実悪といふ名目は極真の実から悪といふ
先々三掛
心など立役にて
大五郎事
心なり尤近頃の初代眠獅或は初代一先丗
実悪を兼て勤たれども是はその狂言の座組によりて勤めし
事故立役といふ名目に替りはなし何れ実悪とは悪形第一等の者
を指ていふ事にて所謂達敵の事と思ふべし
若女形四等之説
若女形にも花実の二派ありて実は愁歎事地芸也花は傾城事
所作也元若女形といふは花実兼備せざれば叶はぬ事なれども夫は
至て難き事にて中々容易に出来ぬ事ゆゑいつとなく右の一派と分りし也
若女形花実分派之図
花
中古の名人初代
瀬川路考の風也
同
花麗婀婢を専らとし妓婦
領城の類すべて張を持たる方
を得たるものをいふ
且
中古初代芳沢
権七あやめを
以て花実相
と称す
対無比の名人
又近世にては中村
慶子を花実相対
の名人と称す所作を
花とし地墓を実とし
一す花実の中に又剛
柔軽重をわ大にする
事下の図のごとし
実
中古名人二代目芳沢
春水あやめの風也
柔
妖艶嬌娜をもつはらとし宮嬪
室女の類すべて温湿なる方
を得たるものをいふ
軽
器用流行を専らとし世話事
農商の女房すべて真年
なる方を得たるものをいふ
重
位重高上を専らとし時代事
後室の類すべて女武道の方
を待たるものをいふ
右に図する如く花の方にも剛の花方あり柔の花方あり先杜若
などみなめいじん
代目岩井
半四郎事
仙女
代目岩井山女三代目瀬川菊之丞諏名を返考と号す後故有てこ
祢皆名人
細之丞の名をのぞき誂名斗を以て称す後仙女と改名す
の花方なれども杜若は剛体の意味あり仙女は弟等体の玄味有は夫故
今の杜若
代目岩井半四郎事初名登る
三条三郎俳名梅我と云後今の名に改
路考
五代目瀬川菊之丞事
皆父祖
初名は多門といふ
の風を守りて勤る也実の方にも軽あり重あり近頃の巨撰仁
二代目
小佐川
せい
常世
申
四声
二代目花桐
病など皆上手の実を得たる者なれども巨撰は假
豊松寺
重にして女武道に高名也四声は世話女房に名誉也扨又花方
の剛柔とは如何といふに嫉妬事或は妓婦或は卑賤の女体の類
美艶の裏に張をふくみ譬ば薔薇の花に刺の有が如くなるを
剛と云又宮婦室女の情を合て妖梟たる譬ば西施棒心の態
とも云んが如きを柔といふ近くその證をいはゞ先杜若仙女共に女にて
二
し
暫を勤たれ共仙女は女形と云所を不崩只小結烏帽子掛素袍
大太刀のみにて女形にて出たり先杜若并に当時の杜若とも勤しは
誠に市川流の仕立にて柿の素袍袴大太刀顔までも筋隈に彩
すべく
りて出後女と知れてより舞台にて顔を直す事を勤たり此処
暫のせりふ并に
又先杜若并に当時の杜若金時を勧しは顔は
肖像等次に出す
いふにおよばず手足骸まで真赤に塗て勤し也又四
四代目
路考
仙女の養子初名中村干之助と云瀬川の門に入て
一金時を勤しは顔ばかり少し
瀬川菊之助と称す後路之助と改め又路考と改る
薄赤く彩て手足等までは赤く塗らずして勤たり是
女形といふ意味を失はぬ心持とおもはるゝ也剛柔の領は茲
等にても知るゝなり
一仙女杜若女暫のせりふ并肖像
四天王宿通番編
第一げん目序びらき
舞に妻粟実はかつらき山中郎様の情失
瀬川粂次郎
板高砂町村山源兵衛
凡四日市本屋儀兵衛
□□□□□□□□□
桜田治助述
しばらく水津らね
中村補
しばらくのせりふ
左交述
東夷南蛮北狄西戎四夷八荒天地乾坤のその間にあの楊華からしば
らくと一声かけて出やしやんすは江戸市川の親玉さんみよふ三升のおひかり
を此顔見世の力草当年つもつて六年ぶり皆さんお頼み申ますかきの
すはうに引かえて鶴の衣製の着はじめ女子だてらにアヽつがもなみ〳〵ならぬ御
かたも沢紫のゆかりある丸にいの字の角文字や伊勢の野飼の花道から
さゝのあい手の相の山松さん門さん仲蔵さんお影で茲へ抜参りいづれ殿
いやつかい娘猶御贔屓に大太刀ゑぼし限どりならぬ沓は返り新造引舟さんじき
切落花を飾し色さんへ碁き祝ふ御目見へとホゝうやまつてじやはいな
一右の暫は天明元丑の霜月顔見世狂言に勤る其以後天明六午の
霜月顔見世に再勤るせりふ肖像左に出す如し
女武者菊千條監
第一ばん目
三立目
木林田確
巴御ぜい
一瀬川粂之丞
しばらくの
つらね
自作
伝聞范蠡は責を収て扁舟に棹さし謝安は功を辞して孤雲に鞭うつ
功成名遂て三代目続くもいづれ御贔屓の深き御恩のいく瀬川流絶せぬ
清和氏木曽左馬頭源の義仲公の御内において巴といへる伝馬ものてんと此卑
は恋の字ににごりを打て木挽町うい〳〵しいやら助しの森田へ今ぞ初舞台かたち
を写す荒事仕四角な紋の角々を柿の素袍もかりそめに掛しや袖のぬしまへ
思ひ給しはぬ難義を一寸散し書コレしよせん仮名はぬ二ツ文字邪見の
角文字折まげて候へく候にさら〳〵とツイ恙なふかへす書猶々書も細々と山
山といふ夫こそはぐつと一筆しめしあげ其息のねを封じ文命の玉章たえ
だえしく此世の暇を鳥の跡うきめを水茎操かへし継目の放れぬ其うちに
巻納るが御念もじこつちも折角おめもじの何茂さまのお叱とまはらぬ筆の
長殿はくどふよしなに御くみ下され角より墨までつらりつと数々重ねお取立尽ぬ
真砂の浜村屋と幾千代万末永ふ呉々願給し目出たくかしくとホ]数てまうすへ
御覧諸法献上
第一番目三立目
増山金八述
一秋田坂之助義景并芸者お仲
岩井半四郎
しばらく狩津らね
河原崎橋
東岸西岸の柿遅速おなじからず南枝北枝の梅は開落既に異也是みな
春の詠にして時こそ周の天正月一陽はじめて楊幕から口にはゞつた暫と一声
掛てのお目見へは何も旅のお叱をかへり三升の本店は葺屋町にて改名の家
圭代の海老胴鎖ざつくと着なす鶴菱は江戸市川の流を汲乗生男
子の顔の眼おもへばつがも奈良坂やこの手柏のふたおもて鵜の真似をする
唐国は朝鮮鼈甲銀ながししやりとは似た山おや玉に似ても似つかぬ替玉は
たゞ江戸ツ子と御贔屓を頭にいたゞくかけ烏帽子柿の素袍に大太刀も
おこがましくはざふらへども北條相模守時頼入道が股肱耳目と呼れたる
秋田城之助義景といふ新参りのけふ顔見世の御目見えはじめ荒事
始め尾浪屋が隈どる顔のやつかいわか衆とホゝうやまつてまうす
右の暫は寛政三亥の霜月顔見世狂言木挽町河原崎座にて勤る
やまとめいしよせんぼんざくら
大和総所千本観
第一ばん目三立目
熊井太郎妾お仲
岩井半四郎
暫の津らね
かわらず置
東岸西岸の柳遅速おなじからず南枝北枝の梅開落既に異なり
これ皆春の眺にして時こそ周の天正月一陽初て楊まくから口にし
はゞつた暫と一ト声かけての御目見へはいづれも様のおしかりもかへり
三升は市川のゆかりのいろもむらさきの帽子にあらぬ顔のくま思
へばつがも奈良坂や児手柏の二面鵜の真似をする唐国は朝鮮べつ
かう銀ながししやりとは似た山親王に似ても似つかぬかえ玉はたゞ
江戸ツ子と御目は屓をかうべにいたゞく掛烏帽子柿の素袍に大古
刀もおこがましくはさむらへども伊豫守義経が股肱耳目と呼れ
たる熊井太郎忠基けふ顔見勢の花櫓相かはらさきおとり
立願に角から角前髪もこれで親から二代の強もの変生男
□□□
子の吉例若衆とホゝうやまつてまうす
右は文化十二亥の霜月顔見世木挽町河原崎座にて
一当時の杜若勤しなり是等を勘合して剛柔の頒をしる
事なり
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
一番組合していたし
また女八十二巻
6969
劇場漫録下
劇場漫録下巻目録
○劇場見功者穿芝居好三等之説
○若衆形古今沿革之説
○親父形花車形之説
○道外形半道差別之説
○劇場総論拾遺
総計五条
欠部
一劇場見功者穿芝居好三等之説
芝居見功者とは芝居狂言の真理を能会得し三都の芝居によく
貫通じ小詰中通りの狂言にても麁略に見ず時の評判に拘らず一ヶ
事一。謗も虚に見ざる譬ば本阿弥の刀剱の監定する如く少しの瑕
誤等あれば忽地によく監識てその論一々真理に当り芝居狂言
古今の沿茎古実等一物一事委くに審なる人をさして云穿とは何
の役にも発事に委しきを云先仮にいはゞ何某と云役者の年齢は幾つ
にて妻の名は何といふ忠臣蔵の四段目のとき着たる衣装焼置して此度
は廿四孝の三段目に着たりなどゝいふ類也是は委き事はくはしけれども狂言
の上において少しも拘らぬ事にて実に妄なる事なり又芝居好は底根
の好にて狂言の替り目毎に飲さず見物するといふ類なり尤此好にも
再精ありて狂言好あり役者好あり狂言好は狂言の善悪役者
の工拙に拘らず唯狂言を看るばかりを楽にするもの也役者好は一人
己が目覧する役者ありてその役者の出ざる芝居は見物せず贔屓
役者の業といへば悪きも善しと褒る類也何れ此三等のものゝ評判は
夫々に別て一定ならざれば先見功者の監定を以て本説とすべき也
但此見功者の論の上にも当否あり譬ば今茲に両人の役者
あらんに一人は上手無此上又一人は芸は餘程劣たれども格別
一贔屓手多き役者などは止事を得ずして
上上吉
何某
誰某
なごゝ引合に評判記に出す事あり是は評
判記の作者も合点なれども世上一統の衆評には戻がたく如
此等も出す事なるゆゑ評判記を見るもよく〳〵観味すべき事也
欠
若衆形古今沿革之説
若衆形は古代は狂言の一端持し肝要の役にて是非無くて叶
はぬ如くなりしゆゑ上手の若衆形も良く出て初代市川門之助抔
は別して名高くそのゝち初代佐野川市松などは若衆形にて黒の
大上上吉にまで至りしほどゆゑ見物も別して賞翫せし也その時代は若
衆形多くきつとしたる韮を専ら勤しゆゑ後に立役へ抜し者衆し近比
は若家形衰へて多く女形よりの毒役となりしゆゑ偶若衆形勤る
ものありても後には女形へ抜る事也。全体狂言に限らず中古までは衆
道専ら行はれしゆゑにや明和安永のころまでは三の朝菊法園など
といふ衆道細見の書も出たる位也かゝに訳ゆゑにや人皆若衆形を
衆道の書三たま〳〵閉せしまゝ
後證のため次に図を出す
賞翫せし事と見えた利
茲に出す一圖は元禄四年の印版策張草に著す所なり狂詩の
句毎に上の圏中の字は則若衆の姓名なり
玉盃当心可愛敷川柳縁髪抜二大腰
三指親仁野夫助弥早入君命仮橋
痩牛となんいひける人の絶て野郎界
に遊ばざりしより世の屋暮に教ゆる
に先艶書を以てして次に狂詩をもつて
す余力有時は分を学ぶの窓ならんか予
二階に登らざりしつ然何となく当世
此等の詩を見るに一向の公道めきたる
人の作は詩にして狂にあらず悪左礼の頓的ら
しき者の作は狂にして詩にあらず痛哉
抜堤河の減の後此中道を得たる人なし
今子口を枚けれは城にあたり筆を振
えば張に当る実一色一香む非の理に
かなふ物ならし只代に嗚時花歌責
賦なんどいふ物を其まゝ四行として
初心初言の客の猪南車とす是仕平懐
たる師のためにあらずしかし手管焼
手の遺繰をしらしめんと也外に
いふも重説ければ纔に後にそなふ
晋元禄四歳次流皇難且
松夕山燕水散人
題虎洞軒
同一九九
書林藤華軒
上文は元禄年間の印板簑張草本書の侭を臨写して
好事の諸君子にしめす此文は則本書の跋文なり
梅されら
さて
わかしゆ
かな
女かな
若衆形之肖像
江戸男色細見序
餅好酒中の趣をしらず上戸は亦羊羹の上日きを憎む寒暑
昼夜はかはる〴〵時をなし春の花秋の紅葉何れをか捨いづれをか
とらん男色女色の異なるも又しからん紅吉原に細見あれば
佐海町子引町には四季折々の番附ありて世の大普くありがた
がれども恨らくは此道の盛なる事をしらざる愚痴無智の
凡夫もあらんかと贔屓の腕をさすりつゝみづから有頂天に登り
夢中に筆を採てところ斑の譫言をそこはかとなく書つくれば
馴染の名に至てその顔ちら〳〵として目のあたりに出たるは
かゝラ不思議や生霊にあらずんば是親玉能かたまりれら翁ヤイ
餅好の衆生どもみだりに是を笑ふことなかれナント一番誤てその
粕を喰ふに至らば漸にして酒中の趣をしらんきのえ申
葉月の頃水虎散人悪寒発熱中に書す
此一書は明和元年の印板菊の園の序文其侭を
臨書して茲に出す
男色細見序
海参蟹に向て問て曰行が帰る歟帰るが行歟濫答て曰尻が顕
歟頭が尻領女郎ずき若衆をいやがり若衆ずき女郎をそしるその論む
かしより今に至て勝もなく負もなく両道ならび行はれて吉廉には
べら坊あれば佐海町にたはけを尽す遊の品はかはれどもつまな
所は粋も野夫も智者も愚者も彼有以天上の仏果を得
てはにうががにうむちやらぐちやら心こゝにあらざれば行が帰飲
婦が行朝尻が頭船頭が尻領たはひのなきこそ遊はよけれされ共
未此道の味ひを知らざる愚痴の衆生を導んと江戸男色細
見に京と浪花をくはえ三の朝と題して年立帰る春の
日と共に鼻毛のながき世上のたは事どもを歓しむるといふも
またたは斗也明和五の年子の元日水虎山人謹露恵方
にむかひ智恵をふるふて書寿
此一書は明和五年の印販三の朝の序文其侭を
臨写して茲に出す
右三の朝に出す所の京宮川町の子供人数八拾五人大坂道
頓堀の子供人数四拾九人其餘諸国男色在所尾張名護
屋駿河府中伊勢古市相州伊勢原下総銚子奥州仙
台同会津紀州三日市同禿宿同紙屋宿備前にはせ安
藝宮嶋備中玉嶋同宮内讃岐金毘羅右の所々旅芝居
同三十三丁目徳嶋さこ八丁目伊勢嶋
新太夫座其外二三座あり
の子供あり多くは大坂より出る阿州は
豊後
浜市に二三人
此二が国は其国に歌舞伎座ありて子供を仕立近
座あり
国へ旅芝居に出るなり此外唐土天竺阿蘭陀瓜哇四夷八
蛮男色あり所等追て考ふべしと記しあり右菊の茎
義太夫浄留理本の
義太夫
初代
作者作名福内鬼外
一
三の朝等の編述作者は初代風来山人悩
時戯に著はす所のものなり
当時は素人芝居流行して此段にも田舎に所々芝居在り
人佐海町吹矢町子供名寄
此下に写す所は明和五年
の印板三の朝といふ書中
の文也文中舞台子と云
者は芸に出る若衆也蔭子と
直段天旦六切夜六切
但し舞台子蔭子とも同様なり
仕舞三両片仕舞昼壱両弐歩夜壱両弐歩
外に小花壱歩ツゝ
○他所行は昼弐両夜弐両
但し丸一日にても一時半時にても同断
金井筒屋半九郎
金井三笑
若者一
治助
命嵐小太郎
亀谷染之助
下り
亀谷亀菊
命亀谷八十八
は芸に出ずして客に計出る
瀧田屋藤吉
要助
若衆也市印は市村座命の
瀧中千代野
命瀧中雛蔵
瀧中友衛
命瀧中吾妻
印は中村座へ出る若衆也と知る
惣めら
べし此書中色々の事あれ
土佐屋彌吉
命嵐菊松
ども呼其略を写して大概を
命嵐虎蔵
嵐金蔵
知らしむるものなり
米屋久八
半助
小佐川三勝
命小佐川虎七小佐川三勝
此下に写こは明和元年の印
板菊の園に出る所也此書
中にその比は荘戸中に男色へ
のある場所十ヶ所にして若
衆の人数惣計二百三十一人
なるよし見えたり茲を以て
勇色のさかんなりしを思ひ
やるべし
もんじや〳〵
文字屋
親仁形花車形之説
此両役も古代は名人ありて既に中古沢村源次郎などは花
車形にて黒の上上吉に至りし也然るに当時は此二役共に廃れ
て今は唯相中年功の役者古山科四郎十郎
俳名
賀勇
などの勤る
初名松助
初は女形より後に
俳名三朝
役とはなりしなり又近比尾上松緑
加役とは立役より女形を
勧め女形より若衆形を
色悪と転役して立敵となりしより加役にて
勤る類本役に
人黴病を勤め立敵を勤め立敵を持事を仕はじめしより一種立
あらざるをいふ
立敵の花車形とは譬は辰夜刃御前阿国御前にしくお
敵の花車形出来し也お
ばア岩藤の類なり是等は花車形の勤べきはづなれ共人品軽
薄その任に当らず依て松縁立役より勤しに人所口跡の調子等各その
法能に至るゆへ家の糞と称し別してかゝ見山の岩藤は極妙といふべし
加ゝ見山歌舞妓狂言濫觴は天明三卯年七月大坂にて
大眠獅岩藤沢村国太郎
其答
俳名尾上
山下金作
俳名お初を
里虹
勤しを鼻祖とす東都にて初て勤しは寛政二戌の春中
村座にて春。錦伊達染曽我に松緑田原隆巨撰関上仙女
あ効を勤む此岩藤古今の妙貞に至り大当也同三亥の春
岩藤
仙女
一春世界花麗曽我に中村座にて松縁嵯峨嵯峨嵯峨嵯峨嵯峨嵯峨嵯峨嵯峨
杜若お助是亦大出来にて杜若お初の役亦家の藝となる
同五丑の春川原崎座にて御前懸相撲曽我に白猿
先
先
お初
五代目市川団十郎後に岩藤
巨撰
尾上
尾上焼
杜若
鰕籠と改名俳名白猿と云
初名坂東熊十
郎俳名杉暁
座にて初曙観曽我に三代目坂田半五郎勅
尾上之介
岩藤玄蕃
高賀
同十一月廿九日初名市川八百蔵俳名中車後に
助高屋高助と成是助高屋の二代
訥子
銅
奴初平
「半足は立役にて草履打の業を勤たる狂言の趣
向なり同七卯の春川原崎座にて注連師吉例曽我に
尾上先
「岩藤」
一ヒ撰
杜若
江戸江戸同九己の春都座にて御国
松縁
めいぶつはなのすげがさ
名物花管笠に
七代目
片岡仁左衛門
我童
俳名図二代目
中村のしほ
お初
俳名尾上
執名図上先杜若田殿同十午の春森田座にて市川団蔵待
蘭耕
初名森田勘弥岩森田勘助
俳名残杏
請噺に坂東八十助
尾上二代目
瀬川富三
巨撰
郎
俳名一お初
路先
物同十一未の春市村座にて大紋日花街曽我
尾上
岩藤
太助同十三酉の春的当歳初寅
仙女
に松縁隠殿」巨撰尾上仙女「同十三酉の春的当歳初当歳初寅
岩藤
中村大吉
俳名巴丈
曽我に川原崎座にて松緑濃
一名藤川大吉尾上
富
時の杜若が初初役にて亦大当り火におとらずお初のねが手と
賞せらる享和三亥の九月大坂中の芝居にて加々見山
岩藤
古
初名友蔵
古藤川友吉
市川団蔵
花媚合に
俳名市紅
一花媚合に三代目市川団蔵
お初
初名芳沢いろは
文化二丑の
難故同上五代目芳沢あやめん石崎辺いかね「日物文化二丑の
春川原崎座にて御江戸花賑曽我に松縁
尾上
中山富三郎
尾上
錦車
緋名出初
同三宮の夏中村座にて市
お初
初名弁之助
川男女蔵
俳名新車
岩藤
尾上
当時の杜若に
仙女
館結花行烈なり同年の八月大坂中の芝居にて加々見山
はなのすげがさ
初名叶三右衛門
お初
岩藤
俳名紫朝
花管笠に我童岡巴江風上叶眠子
同八
岩藤
一申の春中村座にて銀杏鶴曽我に当時の梅幸
初名鉄之助尾上四代目頼川路考
瀬川路考
初役なり二代目沢村田之助
俳名曙山
初役なり
お初
初名中村千之助後に路之助とお
初何れも初役同九申の春大坂
改む又路考と成俳名を以て呼ぶ
中の芝居にて加々見山花管笠に我童江
岩藤
中山よしを
お初
俳名尾上
〽同十酉の顔見世中村座にて群客
巴丈
初名蓑助
作名秀佳
一坂東頌に当時の坂東三津五郎
岩手
当時の
尾上松緑肖像
初名市川熊太郎
中村松江
俳名三光
尾上
当時の梅幸
お初
同十一戌の
七代目
一春市村座にて隅田川花御所染に七代目市川図十
郎
初名新之助
俳名三升
岩藤二代目
市川団之助
三紅
俳名尾上
当時の仕若
《同十三子の春川原崎座にて局岩鹿比翼柄橋
俳名
岩藤
海我
巴丈
に当時の杜若
梅我
お初
お初是亦初役にて大当りなり
右の類上手名人多く是を勤たれども松縁の岩藤
此岩藤の役などは
古に無くして近世
最妙にして観る人賞せざるものなし
加役にて斯の如く勤め来る一種別の役出来たり
是等も花車形の一小沿革ともいふべき歟
どうけがたはんどうきべつのせつ
道外形半道差別説
今道外と半道とを一ッとおぼえたる人あり道外とは唯呆癖
の役を倣をいふ譬ば忠臣蔵の丁稚伊吾染分手綱の右馬之
丞の如くの類也半道とは敵役にておかしみを持たるをいふ譬は昔
八丈の手代丈八などの類也扨この道外にも古今の替りありて
古代は顔の拵より万端見かけより可笑下品に作りなせしに
道外形にて位附黒の
嵐音八の類作り
中古道外の名人松嶋茂平次郎
極上上吉に迄至りし人也
は奇麗にして仕打にをかしみを見せたり是よりして道外の形に
古代より上品になりしといふ当時は道外形捨れて京摂には道
外勤る人なく江戸にも僅に少々残る全体芝居狂言を見るも
元は気鬱を散じ和を宗とする事なれは以前のごとく道外形
は是非ありたきものなり既に能にも狂言といふことありて可笑しき
事計勤る也歌舞妓芝居は上古神楽の変風にして能狂言
に似よりたる物なれば可笑事なくて叶はぬ道理なり
一因に記す神代に天鈿女命天の岩戸の前にて神楽を
なすに胸乳をかゝげ出して可笑舞しかば八百万の神違皆
わらひどよむと神代の巻にも見えたり是等道外の濫
一觴ともいふべき歟
劇場総論拾遺
京摂の顔見世は初日より十日の間を夜狂言にて顔見世狂
言とて。序。中。大切。と三場立て勤る事也是は元祖嵐三右衛門
といふ役者京都にて佐夜嵐と云狂言出せし時大当りにて見物
夜の内より出しが吉例となりし也又顔見世には大手越後
大連中。などゝいふ贔屓連中大坂にありて京都にても夫々の
贔屓連中あり皆々揃ひの頭巾などにて芝居へ出て手打と
いふ事を以たす也扨狂言は何にても手放したることをいたす春狂
言は二の替りといふ京摂二の替りの外題は多くけいせい何と出す
先大概けいせい黄金鱗けいせい睦玉川等の類也大抵二の替りには
所作事あれども不断は地芸を上日とす此所作事といふも先は
道行様の物ばかりなりしが故慶子石橋。道。成寺。抔の手を画
したる所作をなせしよりやゝ所作を行はれ夫より以後は大眠師
沢村国太郎
など専ら所作に名誉也当時
三代目中村
にては梅玉
一鮒一種新奇の妙手を出して所作盛に行るゝ
哥右衛門事
様になりたり京横にてはだんまりのすごみ鳴物にふせ鉦を用ひ引
かへし幕のつなぎに銅鑼を打事などなし又所作事等は人形の釣
看板を用ひ美麗を尽す事なり一体大芝居の外に浜芝居
あり子供芝居ありて子供の時より段々舞台数を踏て上達に
従ひ其器量に応じ浜芝居或は大芝居へ出る大芝居にて出世
遅き役者は一端浜芝居へ出浜芝居にて評判よろしき役者は
大芝居へ升る也右のごとく色々修行の次第あるゆへ出世も早く上手の
役者も多く出る也東都にても子供芝居を立て幼着の時より修
行いたさば格別上達の役者も多かるべきに何卒子供芝居は有たき
もの也○二役早替りの事を不功の見物は唯早く替る計を縫の外
賞美すれどももと早がはりは其役によりて髪衣装等に仕懸有て
引抜等にて如何やうにも早く替らる也勿論夫にも功拙はあれ共先
はやき計を賞するは見所にあらず其賞美すべき事は気持の替る
処を専ら見分べし気持は仕掛にて出来ぬゆへ也○東都は右の述る
所と異也何の狂言にても是非だんまりすごみの呂布無くて叶はざる
如く也夫ゆへ肴板にもすごみといふ肴板一枚づゝは是非有之事なり
◯東都は操返しものゝ狂言を多くいたす其餘七役所作事等
濫觴を荒増左に著す七役の初は宝暦三酉の霜月森田座
作名納子
にて将門故郷錦といふ顔見世狂言初代沢村宗十郎殿
後に改名
して助高屋
勒しより初る忠臣蔵の七役は三代日市川団蔵秘銘安
高助と称す
永年中に勤初めたり曽我の七役は当時の坂東三津五郎兵衛
六代日半四郎也
五郎なり
問はお染久松の七
俳名杜若
勤はじむ又当時の岩井半四郎
作名秀佳
初代
役早替りを近比勤て大当りせし也釣狐の工藤は初代中村仲蔵跡
勝両度迄勤め其後二代日中村仲蔵是亦勤たり近比梅玉もつと
めし事ありし也平井権八の狂言は安永年初代板東三津五郎戦前
俳名
是業
作名
蜘なども勤たれ共先岩井
鯛子
勤初めしより其後三代目沢村宗十郎
半四郎
五代目な
俳名杜并
新家の芸となりてならぶものなし助六の狂言は市川
の家の芸にしく代々是を勤て大当り也助六と伊久一日替り着極
二代目
言は
三代目納子二代目七
市川門之助
詞子
作名
勤しより初まり近比秀佳と
薪車
荻野
作名
一冊亦是を勧む文化十三の春助六の春助六の狂言を権八の
市川男女蔵
薪車
狂言に写して当時の杜若亡役の早替り大当りせし也天竺徳兵
俳名五粒後に市川
度々勤て大当せしが
浅の狂言は四代目市川団十郎
海老蔵と改名す
近比尾上松緑蝦蟇の形にて出舞臺にて天竺徳兵衛と替る
仕掛早かはり寄々妙々にて家の芸となる江戸にて金門五三
桐の石川五右衛門は寛政年中二代目眠獅勤しに初まる所作は
古代水木辰之助七変化或は猫の所作等勧しに起りてそのち
俳名
道成寺石橋などの所作に大当りし故慶
元祖瀬川菊之丞は
路考
子相継で所作の当り多し夫より色々と趣向して近頃当時
の三津五郎秀佳十二月十二文等の所作事勤しより或は九変
化五節句六玉川等種々の所作に手を尽す如くなりし也誠に当
時にては所作事の大成といふべし菱原の狂言は元尾上菊五郎
俳名
にてまして。こ道の丞相を古今の菅丞相を古今の名誉と称す近頃にては
梅幸
初名市村吉五郎
京摂には先来芝東都には三代目坂東彦三郎
この
俳名薪水
両人を菅丞相の妙手と称す忠臣蔵の由良之助は元祖衲子
濫觴にして皆此形を用ゆ上手と名人と賞せらるゝ役者此役を
勤めざるはなし人々色々の思ひ入物数奇ありて何れあしといふ
事なけれとも先元祖訥子の形を写さずしてはならぬ事なり
梅の由兵衛の役は元祖訥子鷺と鴉の衣漿にて大たらせしを
初めとす是も家の芸となる五大力の狂言は元寛政のはじめ大
一俳名芝省後に尾上
自作にて勝間源五兵衛の役
坂にて先尾上新七條
鯉三郎と改名す
大当りして家の芸と成る東都には作者並木五瓶此狂言を潤
三代目
色して一義目訥子源五兵衛の役近世無比の大当りにて家の藝
と戊子五分のめりやすは元上方の端哥に五大力といふ
と成る
と八月ありしを作者前章を切りつゞめて今のめりやすに作る
○東都は古代には大芝居四軒あり所謂堺町に中
村勘三郎座壱軒葺屋町に市村羽左衛門産壱軒木
挽町に森田勘弥座山村長太夫座弐軒なり仙翁
山村長太夫
座の古図
見るが侭に写して後
越後山村座は断絶して森田座壱軒となる
證のために次に出口
此餘に都島内の名代ありて近世暫くの間中村座に替る
又桐長相座あり時々市村座とかはる川原崎権之助座あ
りて時々森田座にかはる事あり右の外に揉芝居三座堺
町吹屋町にあり結城座肥前座薩摩座なり今肥前様
芝居休座して操座二軒と成る○宮芝居所々に在りといへ
ども是は別種にして大芝居へ出る事ならず京横の浜芝
居などゝは別のものなり
次第
子共之丞
次郎
右え
氏
}
此絵のうちの看板等萩野澤之丞と云名見ゆ按に元禄
六年印本両夜三盃機嫌に女方の巻軸に萩野左馬之丞を
出せり左馬之丞江戸に下りゆゑありて沢之丞と更名せり元
禄十五年評判記役者二挺三味線と云を見るに沢之丞大坂
にあり藝評に澤之丞去々年江戸より京へ上られし云々登
あれは沢之丞元禄十三年江戸より京へ上りまた大坂へうつ
りしと見ゆ元禄十四年著述同十五年印刻の諸芸太平記
の巻之八沢之丞が事をいへる条に元禄十一庚歳の冬より
休み分にして引込ふきや町に鬢付みせを虫して萩野袖
香といふたきものを商ふ元禄十三辰年よりまた森田府へ出
てつとめける同辰の冬山下座へよひのほせ元禄十四巳の
正月二日より出勤二のかはり新嫁かゝみ云もあり此諸藝天平
記といふは大坂の梅園堂といふ者能編せる書なり元
禄十三年森田府へ出勤せしといふは大坂にて江戸の事
をしるせしなれは競ふらくはおなじ木挽町なる山村座の
誤りなるへし然則此絵は元禄十三年の古図なり又按に
蒸篭に京橋かしはと云文字見申貞享四年版江戸鹿子
菓子所の部に京橋南四方棚柏屋河内と云を出せり是
なるへし此絵はもと四季十二月の小屏風にてこれは霜月顔
見せの体なり此時代の質素を見るへし
文化八年辛未夏六月
醒々衝京伝
補逸蜀山人按元禄九子年夷川車屋町角林久二郎
坂役者折紙巻三紋所五七桐
当名はぎの沢之丞
若女方上々吉に
荻の左馬の丞
○右の一書は小子が朋友の許に珍蔵する所の古代芝居
の図なり好古後証の為に茲に臨写し出す
早雲等の名代あり
○京都芝居の数は四条に三軒號
竹袋屋亀屋夷屋都万太夫これ
大芝居なり北野下の森。六角堂。誓願寺。錦天神。草堂。因
幡薬師是等は是中芝居壱軒郷あり○大坂は道頓堀に大
芝居三軒大西中の芝居。角の芝居その餘浜芝居三軒角
丸。竹田若太夫なり北の新地堀江市の側。此弐ヶ所は時により
て大芝居或は浜芝居となりて定らず阿弥陀が池坐磨御臺。
稲荷。安治川等に中芝居は子供芝居あり天満には芝居の
ある時もありまた無き時も是ある也○其餘諸国尾州名護屋に
芝居若宮八幡稲荷等三ヶ所にあり紀州和歌山常州水戸伊
勢堺伏見大津備中宮内藝州宮嶋奥州仙臺讃岐金毘
羅長崎阿州徳嶋南都和州郡山此外諸国諸郡時々に芝居
興行の所は夥しくありて枚挙するに遑あらず
◯次に出す図は東都顔見世入替り役者極り番附の図解
なり尤此図は安永四未の年番附のまゝを出す勿論番附の
紙大きなる物ゆゑ冊中に悉く写しがたしゆゑに初に略図を出し
是に相印をつけて先に分解の図を出す委しく暁りからんが為
なり猶よく図を見て知るべし
東都役者顔見世入替極番附之図并分図解
東都役者入替番附之図
此所二枚目の座
此所二枚目の座
此所座頭の座なり尤居成重知
の座頭を出すもし新参に座頭の
ものある時は此所へ夫に次ぐべき二まい
めの客座の者いづれ居なりを出す
同兼太夫
常磐津文字太夫
第三弦山岸澤小式部
同左名太夫
○新右立役女形之部
右立役はやしの部に
四歌舞伎
大芝居
狂言書
元
根万治三庚子年ゟ西
安永四未年迄
百十六年相続
実事
武道
武道
戸子やや丁大に取
戸同大谷国太郎
若女形
一慈姦岩井志げ人
美女形中村まん作
若殿形
君介
娘形
一子役市川戻のへ町
実事
やつし
太刀打
実事
武道
武道
太力打
突悪
此道
大方打
敵役
実悪
男作
荒方大
勅役
敵役
実悪
色悪
敵役
立役一
同一
敵紋十
どうけ
同坂東利根蔵
同中村森蔵
一立役市川染五郎
一摂政中村友十郎
同坂東嘉十郎
狂言
敵役二藤川割込
作者
駿州大将
吾妻藤蔵
坂木挽町
一金井半兵衛
森田八十助
中村軍良
故人
鳥居
清満
江戸伊蔵者濱路萩
江戸同曽根正吉
江戸同市塚麻次
筆意
戸につゝみ古川清蔵
五渡亭
国貞
縮図
故人
金井
三笑
筆法
高金楼
主人書
江戸日望月元十郎
江戸長うた藤川勝次郎左衛門
江戸たいこ宇野彦次郎
江戸ふり付藤間勘兵衛
右女服之部を
一月廿一日本所
江戸長かた藤川勝次郎江戸三みせん五十郎
戸同きねや巳太郎
口同きなや長四郎
きねや正次郎
同断同所忠五郎
口長うた武蔵源蔵
江戸越板坂田幸之助江戸来るし冨士田くり
江戸同中村万□江戸同徳田又□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
同大郷み廿一川を
戸たいこし田中泥沢市
おやま
若女形
一雑仕候様酒川八
江戸角九郎市川春蔵
江戸花車山下門太郎
同部大部門大臣江戸
江戸越役大谷大八
利和歌蔵
頭取
江戸作者瀬井馬雪
山下里上
一岸田東太郎
同中川文蔵同
若太夫木
沢村長十郎
森田元五郎
森田又左衛門
江戸森形岸田幸太郎
森田八十助
一十銭六十四軒
虚元一
竹本民太夫庄野沢文四郎
伊藤元木林田勘弥
大谷広卿
建化者又二枚目の作者を出す
狂言
作者
文化し候者公儀名代へ
此所若太夫或は
此所若太夫或は
同松原伊勢伊勢伊勢守
狂言作者抔をも
出す
吾妻藩蔵
此所へは座本の左
右若女形の立者を
出す是を櫓下三
芳沢いろは
枚の立おやまと称
す右の方を重しと
す如図は富十郎
●大坂田伊勢
の方いろはゟ勝れ
中村冨十郎
たれどもいろはは軒
巻太夫又戊郎
一参ゆへ地走の心にて
若手の者を上へ出
せしなるべし近比瀬
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
茂事
一六一、一一
川路考を上へ出し
所作
仙女その次に出たる
此所若太夫の方につ
より狂言作者をも出す
の類なりとしるべし
劇場漫録下之巻終
下城丁
京都寺町通松原与菊屋七郎兵衛
大坂北久太郎町心斎橋北六二河内屋喜兵衛
江戸芝神明前和泉屋市兵衛
書林
同日本橋通一町目須原屋茂兵衛
同所四町目須原屋佐助
同浅草茅町二町目須原屋伊八
同芝神明前岡田屋嘉七
同本石町十軒店英大助
同日本橋通二町目小林新兵衛
同所山城屋佐兵衛
同馬喰町二丁目菊屋幸三郎板