役者全書 附佐渡島日記・賢外集

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八文字舍自笑編
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ヤクシャゼンショ
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東北大学
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2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
附佐渡島日記 全 賢訓集 役者全書。 文化十一年甲戌臘月上浣 者装を補て収蔵す式亭 序 深報画 好久堂 いにしへより我家に蔵置し 芸品定の要文を五冊に約めて すなはち役者全書と号く 壺中の味ひをも嘗ずして 知るすいほうたち七曲の玉の玉の玉の玉の 輪郭よりめぐる通り者衆の 古今役者の功拙を沙汰し給ふ 時の杣中の論衡にもなれかしと 八文舎自笑述 安永甲午仲夏 藝品定秘抄 役者全書目録藝品定秘抄 ○巻之一 中華戯場濫觴 弓戯品目 芝居惣論 役者古今変化 位遷喬之次第 ○巻之二巻之三 行名全書上 當時役者列位 附り定紋変紋俳名家名師弟 江戸三坐太夫元由緒 古今伎藝古實 女形起原 丹前 荒事 手打 俳名 古今狂言作者之辨 當時狂言作者之部 狂言名題之評 不殿名護屋 鳴神 浅間嶽 不動 角鬘暫 助六 外良売 鍵五良 無間鐘 八百屋お七 男 由良之助 團七 菅丞相 狐忠信 曽我狂言 石橋 道成寺 鎗踊 馬貝 紫帽子 古今役者香具見世 寺跡 ○巻之四 一佐渡嶋日記拾六ヶ条 所作事秘傳拾一ケ条 ○巻之五 賢外集拾四ケ条 役者全書惣計八拾一ケ条 役者全書巻之上藝品定秘抄 ○戯場惣論 八文舎自笑編次 学井恭旧院・ 以テ購入セル命関博士 中華戯場の起原を尋るに杜氏通典曰 隋煬帝大業二年実厥ノ單子来朝ス帝欲シレ 追二テ四方ノ散樂一ヲ大ニ集二ム東都ニ自レリ是毎歳正月ニ萬國 来朝ス留ルヿ至二十五日ヲ一於二端門ノ外一ニ列テ爲二戯場一ト一百官ノ 綵棚夾レレ道従レ昏達レリ且テ且以テ縦ニ觀レル之ヲ宋朝至二ヲ正歳 上元一ニ闘二端門一ヲ起二テ起テ山楼露台棘囲一ヲ列ス釣客教坊 樂一ヲ及ヒ綵棚夾ヒレ道令ヲ下都人一縦ニ觀セシ かくのごとくなれは。臨時に催されけるとぞ。これら俗にいふ 夜芝居なり。其のち唐宋にさかんにして。又元明に 行はるゝ事。千古に過たり。今の清にいたりても益行四 はれけるよし。しかれども常戯場にてはあらざるよし ○引裁品目 げいしや 当場之妓 ○且当場之妓 タテモノ女形 ○末当場男子 立役 ○刃奴僕傭夫醜陋之人 ○淨侫悪之人 実悪 ○捷議道外形 ○正生忠義之人 実事師 風流才人 ○小生風流才人 色事師 貞静之女 ◯正旦貞静之女 武道女形 ○小旦艶女妾婢 姫形色子 ○老旦嫗母 花車彫 歌唱 ○唱歌唱 ウタウタヒ ○白口上日 右元回選に出たり 一小旦一ニ云レ様ト老且一ニ云レ鴇且祖也一名曰レ操性 好レ謡ヲ今訛ヲ為レス且故ニ妓女ノ惣称ヲ曰レヲ採レヲ優人名ヲ打扮二号 元二宇治拾遺一 ○戯場舞台を云 妓一。亦曰レ揉ト日本古之時呼二優人一。爲二猴若二 ○戯房楽屋を云 ○半房中入を云 ○看棚桟敷を立 ○勾欄桟敷を云 ○観場見物所を云 右醒世恒言に出たり ○護場木戸番を立 右欣賞篇ニ出たり ○戯箪番付を云 右琵琶記に出たり 抑我朝芝居の始は和州南都南園堂の前にて行ひし 伎藝より此通称出たり人皇四十五代聖武天皇の 御宇に。俳優の者有て。宮中にて狂言を催せし事。 国史に見えたり。日本にても上古は臨時に催有し。 其のち人皇九十八代崇光院の御宇。貞和年中武将 足利尊氏公の御時。四条河原にて戯場をもふはられし 事古記に見えたり。人皇百七代正親町院の御宇永禄 年中。足利義輝公室町御殿にて名古屋山左衛門勤しも 作士林のなくさみ芸にて有しに。此山驚浪人して 雲州より上京せし。勧進の巫女於国と密通し北野一 にて始て戯場を開く。行ふ所は神楽の変風にて。是を 奇舞伎といへり。其事は奇舞伎事始といへる書に詳 なれば爰に略す。山左衛門と於国との間に。女子一人誕生す。 是二代めのお国なり。女楽二代相続して。人皇百八代後 陽成院の御宇。文録年中。大閤秀吉公。伏見の御城中へ 召れ。行はせられしよし旧記に出たり。それより段く風流 流行して人数多く抱。男女入交りて墓を施す時に。 嬉戯の災にて婦人を交ゆる事を官家より禁ぜしる そのゝち女楽は絶て男ばかりにて芸術をおこなふ 然れとも哥舞妓の号は亡びず呼来れり。美少年の 者ども男色さかんに成。貴僧高位の招に応じて。御酒宴 の媒となりしなど。様〳〵花美なる事ともより。哥舞妓 芝居御製禁となる。哥舞妓といへる名目此時に亡ふ。是 人皇百十一代後光明院の御宇。承応元年なり。然るに同 二年の春三月に。村山又兵衛といへる役者。物真似狂言と いへる名目の芝居を御願申上免許ある此名目今に相続 村山氏の大切。芝居役者おろそかに思ふべからざる事なり。然 るに村山氏の霊を祭る事を聞ず。それが中にたま〳〵鼓忍 を思ふ人あれども。一統に是をいとなまざるか。世人此事を聞 得は走居こゝかしこに移徒せしことなどは。嚮に寛延年中 に印刻せし役者大全に参けれは爰にもらしぬ芝に居る を芝居。端に居るを端居といふ類なるに。後世芝居と。いへば 今の戯場の事と通する事相続久しき故なるへし ○役者古今変化 役者といへる号は。何役でもそれ〳〵の役を勤むる者を 役者と号す。されば仏家にも役者の号あり。しるるに 役者といへは戯場の狂言を成すものに限ることに成たり 扨いにしへの役者は。立役敵役も楽屋はいふに及はず。私宅へ 帰りても行義正しく。段にも安座せず五常を専ら行ひ。 女形をつとむる役者は。正真の女のごとくあしらひ。楽やにても 席をほしうせず。暖初にもたはふれ事をいはず。狂言の工夫 のみに心をこめたり。料理茶やなどへ入こまず。芝居一日の 狂言まなと。すぐさま我家へ帰り。思ひ〳〵の遊芸を学んで たのしみとす。若き役者にても。遊芸一通り何にてもなら ざるといふ事なし。或は文学をし。詩哥連佩を心がけ。又は 書画を学び草香を愛し。立花をさし。蹴鞠を翫ひ乱舞 は勿論。糸竹に達すなど。無芸なる役者は一人もなしとそ。 誠に三代目嵐三右衛門。ある人に問て日。我若年の比までは。 万芸にいたりたる者ならでは。太夫本にはせざりしとの物語 遠からぬ時節まで故実はありしと察せらる。元祖坂田藤すに 曰我若き時は堅く料理茶屋へは入こまず遊所へ入こめば 入来りし客ちかつきにならんといふ是を辞退すれは人の こゝろざしに有く故に足踏をもせざりしに元禄の末に至り 拠なく。家〳〵四五軒へ一度づゝ行たり。其のち再び行かず。 それをいかんといふに。哥舞妓役者は人の年頭持やうなる 気性にては。一生蘇術にて名を施す事あたはずと。毎度 若き役者に教訓せしことぞ。女形はね中煎茶をのます 歯の染るをいとひての事なるよし。平生物言たちふるまい ともに。正真の女のごとく仮にも。男の手より物を取わたし せず。楽屋も内より錠をおろし。立役を我か楽やへ入れす 食物をしたゝめるを人に見せず。楽屋入して化粧せぬ前 に芸のいひ合にもやつし形にむかはず。是色情が覚ては 舞台にて其情うつらざるを慎ての事成よし。古老申伝 なり。されば元祖芳沢あやめ。二代目山風三右衛門宅へ芝居はて より。所労見舞に立よりとろくを出せしを。箸とらざな 事。耳塵集に出し通りむべなる事なり。女のとろゝ汁を 吸はうれいならざる物故慎えたると見えたり。女形の身持にて 誰〳〵も斯ありたきものなり。今も女形はかく身を慎む 事にや。立役女形とも平生の行義はいさしらず。舞台にて 成す芸を見るに行義。宜からざるとぞ思ふ。古人の説有 亀鑑なり其鏡に照しみるに。いにしへと今の面影。大きに 変化しける。芝居にて女形を太夫と称するは。元来京芝居 はお国か勤し哥舞妓より此称号伝なれり。江戸は女楽 にて始らざるゆへ。京にて座本と称する物を太夫元といふ。 大坂はお国の弟子女蔵人始て。若衆かふきといへる物具行 ありしゆへ。座本太夫元とて今に別にあり。今の物真似頼言 と成ては。いにしへの哥音妓と。趣違ふゆへ女形は只女の義を 行ふより外なし。近来は立者の女形に。相手の上手にあら さる立役立合ふ仕内あれば。女形より引こなして芸をする やうに見へ侍ることあり。男に対して女の発明過たるは。他見 よかりしからぬ物なり。既に元禄年中十二段の狂言に。浄るに 御前に。霧浪千寿十五夜に袖崎源次。仕組せりふのとき 元祖坂田藤十郎曰。源次頼言の仕方心得がたし千寄は浄なり 御前にて主なり。源次は十五夜にて家来なり。然るに今 狂言の仕様主従の分ら見へず。心中に千歌は一座の立女形 源すは夫より二三番めなれば何のその塵になつたら仕勝 ものをと。楽屋の心が舞台へ出る千寄に仕かたんと思はぐ 浄るり御前は主。十五夜は家来なる程に。其家来をいかにも 家来らしく能すれば。千寄に仕勝事もあらん家来の分 として。主に仕かたんと思はゞ。十五夜にもあらす。本より浄なり 御前にてもなく。もし其様な奉公人あらば。隙を出すべき より外なしとしかられければ。一座の人〳〵感心し。源次は あやまりぬ。此事耳広集あやめ草に見へたりか様な事 を思へば。女形の出過たる志にて塵を成すは。宜しからずとしる べし。これは女形にかぎらす。立役にても敵役にても同意たる べし。役者の芸の仕内上手下手を見わかつにし。右の心得にて 諸事をみれば。あきらかに知れる事。鑑に照らすがごとし予 年来芝居を見物して思慮し侍るに。役者立身の心がけ 第一に土地を考べき事なり。ある人曰当時の精さへ出し なば。何国にても名を施ざるといふ事なしといへり。尤可也 然れども三ヶ津に於て。役〳〵のものに可不可あり。則左に しるに 一立役は京にて執行せでは一生上手にいたる事難し。就中 やつし役は。決して京の舞台を久しく勅ずしては。名を発 する事稀なり。元祖中村七三郎は。江戸生立の立役成しが 上手に至りて上京し。山下京右衛門座へすみ。さん〴〵不評判にて 初狂言にもふなりによつて翌正月に 三月三日三書 □□□□□□□□ 山下が七三ふたをにぎりつゝひねつて見れば馬の跡 足。といふ落首出けるほどの。ふなりにて有し。しかるに元祖 坂田藤十郎が仕内を見て工夫し。二の替にけいせい浅間嶽の 狂言を出し。古今稀なる百廿日興行の大当りゆへ。七三郎は上手 かな名人哉と打て替へたる取沙汰にて。其年のなかばにはや 江戸より抱に来り。江戸へすみけり。暇乞忽残狂言出せし 時分。七三良曰我江戸にて出生し。他国へ出ず只出精ばかり して居侍るに。時節到来して上京し。顔見せ初狂言の不 当りにても。又浅間嶽の評判あしからざるに付ても京は見物 の目高なる所なり。我江戸にて出精したる程。京にて執行せば 少しは上手にもなるへきに。後悔前にたゝす。藤十郎仕内を見一 侍るに。江戸にも上手あまたあれど。坂田氏程の者覚ず。自今 とても。凡藤十郎程の上手は出来ましとそ思ふと。心安き人〳〵 に語り侍りしとなん。果して今に折て藤十郎程の役者を聞 侍らす。未前を察せし七三郎も。古今の一人なり。やつし形の 執行京にてみちなは。他国へ出ても恐るゝ事あらし 一敵役の立身は大坂よりし。哥舞伎芝居興行の座組いにしへは 立者の立役一人中位の実事師の立役一人やつし形一人やつしの 替りにも遣ふへき客に立役一人実悪一人中老の敵役一人若き 敵役一人立者の女形一人けいせいに遣ふへき若き女形一人上手の有 今後ヲ全キ老之上 外形一人若き道外形一人親仁形一人花車形一人上手の若故形一人 又若衆領一人かくの通りの人々を抱へける。かやうの座組にして。興行 するは。もし一座の内不快の者出来ても。一座の内に格別劣らさる。替り 役の勤まるへき様を第一に心かけおく事なり。然るに京も享保年 中まで。此心得にて座を組たり。元文以来次第に故実失て。近来は 一向餘風も絶侍るこれ何故なれは。それ〳〵に役者を遣ひ分ぬ故とそ 思ふ。よき役なれは道外預近立役がつとめ。親仁形花平形は敵役より つとめ。若衆領は女形より勤る故に。いにしへの通りの座組なくても事 済むやうに思ひ。興りし来りぬ。先古のことく座を組さるは興行 人の仕業我か役ならさる役を勤るは。彼者の心得ふら明よりおこる 此間違。ごかくたるべし江戸には古の俤風あくら。大阪は今に於て安略 残り有。これにじつてそれ〳〵の役まはりよろしく。敵役なとは別して 遣ひ様はなはだ能なり。京に十年切を積んとするより。大坂に五年 経は尨余の功を得るへし然れとも不精にては何国にても上手に至る 事かたし。出精せんと思はゞ敵役には大坂に勝りたる土地なし。立後歌役 とも古は初心の役言は旅生居を廻りて執行し。旅生居の頂上仕て 勢州古市の芝居を勤めそれより三ヶ津へ出。脇の二番目をつとめ これにて出精し。本狂言の役者のかわり役なとを翻。つゐに立者のかん はんにしかさるゝ事也。元祖沢村長十郎なとかくの如くの執りにて漸 上手に成たる事なり。沢村氏或人に対して曰。我旅芝居を執行 して京の舞台を始て踏たるに。得かまほこにならざりしといへり。 聞く人かまぼこことはいかなる事やらんと尋けるに沢村氏こたへて曰 本舞台へ出て奏をなすに立居に付て身が舞台の板へつか さりしといへり。これをがまぼこといへる事はごと時らの異名と 思はる。沢村氏程の役者たにかくのことくなれば。いはんや他の役者に おゐくをや。古人の執行なか〳〵筆紙に尽かたし 一女形の風俗は京都よろしけれと。仕内は江戸へ下りて執行すへし。 いにじへゟ今に至るまて可也。ちかくは元祖瀬川菊之丞。故瀬川菊 頃しなどにて察すべし。此故いかんといふに。江戸は自然と風土の 気うつりてこせつかす。大間にて女形には気もちの取合はなばた よろし。是人力の及ばぬ事なり。しかし是も其人々の生質による 事なれば。一概には論弁仕がたし。納子口僧日。女顔の習ひは先手の すぎ様十九通り有といふ。たらへばけいせい家老の女房。或は娘又は 町人の妻など。其役〳〵により。仕内は勿論万事心得有べし。手のつき やうだに心掛ずは。いはんや仕内の差子に於ておや兎角女形は江戸 執行よろし ○役者芸品定位遷喬之次第 むかしの評書には上上吉といふ事甚まれにて。今の評書に 上上しあるは。其頃の中の上位なり。故に上手中手下手の三段 にいかてり。今は上といふが末座にて。中手以下はなきやうに成たり 今後老今春春之上 是世上繁花にしたかひてかゝのごとし元禄より享保までの 上上吉の役者の部を左にしるす ○立役之部 大和屋甚兵衛 元後坂田藤十郎山下半左衛門後京右衛門と云大和屋甚兵衛 元祖中村七三郎宮崎伝吉 口代目中村勘三郎 猿若伝九郎 杉山平八 元祖中嶋勘左衛門 元祖正風三右衛門 元理 生嶋新五郎 村山平右衛門元五五 村山平右衛門 竹嶋幸左衛門 大和山甚左衛門柴崎林左衛門竹嶋幸左衛門 御若女形の立者 小佐川十右衛門 筒井吉十郎音羽次郎三郎小佐川十右衛門 一筒井吉十郎 元祖 富沢半三郎 篠塚次郎左衛門 佐川文蔵 元祖 市川団十郎 元祖 桐野谷権十郎 元祖 桜山四郎三郎 ○実悪敵役之部 元祖 松本幸四郎 三原十太夫 一小野山宇治右衛門片山小左衛門 初巻田 福田孝右衛門 上書 一早川伝五郎 元祖 大谷広右衛門 小川善五郎 三浦儀左衛門 大鳥道右衛門 二代目広土ゟ事 大谷新左衛門 後三保木伐左衛門書 ○道外形之部 佐渡嶋伝八西国兵五郎金沢五平治 大嶋嘉十郎 秋田彦次郎 秋田彦四郎百一首源三郎大嶋嘉十郎 中村伝八 山田甚八玉川源三郎中村伝八 山田甚八 金子吉左衛門 吉田十郎兵衛仙石彦介金子吉左衛門 後ニ立役ニ成ル ○親仁形之部 大熊宇太右衛門松本四市三郎安達三郎左衛門 京屋弥五四郎四野宮源八 〇花車形之部 上村六三郎熊本伊左衛門小勘太郎次 左近伊兵衛袖岡役之介村上善左衛門 ○若衆形之部 桜山林之介小野川宇源次四郎宮平八 山下才三郎吉岡求馬袖岡小太郎 光山七三郎袖岡庄太郎後市九郎九 ○若女形之部 水木辰之助荻野沢之丞 山下亀之丞津川半太夫中村弥 嵐喜代三郎尾上左門市玉柏 山本哥門玉沢林弥中村源太郎 早川初瀬津川寄門袖崎和歌浦 袖崎いせの三条初太郎霧波瀧江 ◯元文より寛延まての上上吉の立役之部 十一丁目 元祖 嵐三五郎 元祖榊山小四郎亀屋十次郎嵐三五郎 元祖 市山助五郎 元祖市川団蔵民屋四郎五郎市山助五郎 但市川団蔵 中村新五郎 嵐新平萩野伊三郎中村新五郎 四代の 二代め 嵐三十郎 岩井半次郎 嵐三十郎岩井半四郎 十一日 同実恩敵役之部 嵐勘四郎 沢村音右衛門八汐幾右衛門 市山伝五郎 中嶋三甫右衛門 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 中村宗十郎 二代め 中嶋勘左衛門 大谷広右衛門 同道外形之部 一中村吉兵衛つるや南北 同若女形其部 初千代三ト云 こん組 さの川花妻 姉川喜代三郎 藤村半太夫 富沢門太郎松嶋興太郎 宝暦八年大坂婦川大吉座 出真切上上吉に成也 宝暦より以後の上上吉之部 篠塚嘉左衛門津山友蔵中村助五郎 大谷広頭山下又太郎染松七三郎 今村七三郎藤岡大吉 中村四郎五郎 道外 花車 玄徳 松嶋茂平次 市川宗上郎沢村源二郎松嶋茂平次 若女刊 今年田勘弥 沢村に侍次 立役 坂内藤十郎 藤井丹風富之介 桜山四郎三 立役 去役山本京四郎右四人は後に害に成たり 一第一十一第一十一一」とおくは此上の位なし元祖の 芳沢あやめ是なり 一第二無類外にたくろふべき人なきを。しかれども惣堂頭 といへば。立役敵役女形何もかもこめて無類の心なり 無類とばかりは立役に置けは。立役にならぶ人なく。女形に おけば。女形にならぶ人なき心にて。其役〳〵の上の位也 ぬ 元祖沢村長十郎故市川海兵蔵助高や高助也 三代日沢村長十郎事 俳名詞子也 一第三「撚上言」」これは藝の極位に至りたる儀。此内には おのづから無類の人も有べし。時によりて先。極に座せし むる事あり。古人極位の部 元祖 ○山風三右衛門○山中平九郎○藤川武左衛門 万万万万万万万万千万万万万千万万万万万万万万万万万万万万万千千百万余 ○荻野八重桐○浅尾十次郎○佐野川十吉 二代目 ○瀬川菊之丞○瀬川菊次郎○芳沢あやめ 後に極を預りたり ○中村吉右衛門○藤川平九郎 一第四欄上上吉真上上吉此極真は引合なり。白極は 極に成るべき下地なり。真は極の場の人なれ共。狂言実理 過たるは此位に座せしむる也。古人白極の部 元祖 八代目 之祖 袖崎歌流 片岡仁左衛門藤川茶谷事 真市村羽左衛門 一第五本上上上吉太上上吉ぞ二位引合なり。両方共白極へ ゆく人。半黒極は極意今少々のことろなり。大は菊之丞に 中興したり。大の字は花やかなる仕内を。ほめての位也 坂東彦三郎 古人才の位の分は 故人大の位の分は 元祖 元祖佐野川市松 元祖大谷広治 ○ 之祖 ○嵐音八 二代の市川団蔵 之祖 一同嵐七五郎 二代目 ○瀬川菊之丞 一第六切上上昼此位は切者格別にて。一通りの役者も 上上吉なるに。さながら同じ様にせられぬ時に。おく一字也 これを位上の六字といふなり。故人にて切の位の部 之祖 山下金作 榊山鷺助 花平形 民嶋千寿 中山新九郎 辰岡久菊 三保木七太郎 一旦は極に至りし也 嵐三右衛門 火事 一旦は極に至りし也 上上此位口を黒くして。士を白くするは。大かた此位にて 急には。すゝみがたき位としるべし 「上上士「此位は吾までも行かず。中老切の分におく。これも 急にはすゝみがたき位なり 上上西此位はだん〳〵上上吉にも至るなり 上上此位もだんく出世次第にて位に進むなり 以上此位は上上上上より下なりこれも次第に位にのぼる也 其外はいづれも白きより次第に黒みたるがよき位なり 一位上の六字の外に「至上上吉といふ位あり。是は不時の ほうび也。至極上上言とおく時は此至の字大きにはたらき 強く。極々の至りいたる場となる。此心得にて顔見せ二の智 芸品定をわきまふる時は。その位おのつから明白成ル へし 役者全書巻之上終 役者全書巻之下芸品定秘抄 八文舎自笑編次 定紋替紋俳名家名師弟位付 ○当時立役之部 元祖 同五粒市川海老蔵亡寿成田屋極上吉左衛門 元初 松本幸四良 養子 梅幸尾上菊五郎羽音羽屋極上上吉原春川 弟子 米由男中山文七十七七和泉屋真上吉右衛門 中山新太良 春子 元祖 中村七三俵 功上吉 中村少長中村屋功上上上吉十六俵 春子 杉暁坂田半五郎正月屋上上吉川弥 一光三棹大五郎舛屋上上上吉善兵衛 論 三升市川団十郎㊞成田屋上上吉市兵衛 八甫藤川八蔵大坂屋上上上吉藤川平雄 卅雷子嵐三五郎兵衛屋上上吉尚三五俵 ㊃英子小川吉太郎飛場屋上上吉本幸亮 川海老蔵 高森屋上上上吉市川端 越錦江松本幸四郎高森屋上上吉市兵 右 ㊄可慶市野川彦四郎 正橘江戸坂京右衛門 十一 舎柳中山来助開松屋上上上吉田中出大七 第 ○ 市川治左衛門 吉村屋上上上市 ㊃中車市川八百蔵吉村屋上上上十四丁 二代目 大丸屋上上上上上上上上上上上 十丁大谷広治十九屋上上上吉太郎殿 念里環嵐吉三郎岡嶋屋上上十四郎 五一 筋 虎宿中村十蔵 虎宿中村十蔵平野屋上上上一田中村彦左衛門 子分 同木野屋上上山富栄次郎 連袖富沢辰十郎㊞平野屋上上吉長輔 弟子 喜長沢村長十郎井筒屋上上納口助や 元祖 鬼丸坂東満蔵大和屋上上上昌薫左衛門 弟子 成是葉坂東三津五郎大和屋上上古田哲重六千 素桐藤松三十郎壽富榊屋上上十百石葉秀 筋 芙雀尾上新七沓羽屋上上上百疋 一先嵐文五郎吉野屋上上上百丸ノ旗 十五中嵐三四郎吉田屋上上士古風三榎 呂久嵐藤十郎大和屋上上上士古城 古山風三七俵 弟子編 ○ 二代日 ㊃市紅市川団蔵 東国屋上上上宇古嵐廿八 関東山坂東又太郎 紀伊国屋上上山沢村家根 訥子沢村宗十郎 藤川八蔵 上上む □□□□□□□□□□□□□ 大坂屋上上四藤川 □富尾藤川柳蔵 四代目 小泉屋上上上や 朱連嵐七三郎 市川園蔵 弟子二 嵐三右衛門 飾 右〇 又九良 笠や 弟子 上上や ○狐住笠屋又九郎 三条 上上や 弟寺 介花三榊屋助十郎 勘太郎 上上嵐与助 三蝶嵐三十郎 山林嘉左衛門 上上 呉山山科四郎十郎 □□□□□□□ 高藤屋 義考市川幾蔵 上上 礬 松本 松本九十四良 弟子 二代目 上上 山崎屋 ◎何虹市川才蔵 市川円蔵 弟子 上上市川海と蔵 上上市川海と云 弟子 男松松本小次郎 米里鶴中村勝五郎 上上中村伝九郎 松屋上上古市山勘五郎 ○志山市山助五郎 大和屋上上古板東三八 東平久坂東三八十六軒大和屋上上古松原 上小松屋上上中村伝九兵 ※如鶴中村伝五郎上小松屋上上中村竹元組 大五郎 二株大五郎 三株 舛屋上上三 養子 黒稲三株他人 松朝坂東市松浦上田屋上野美濃守様 ○実悪之部 大歌七中村新右衛門 役者全書巻之下 ㊁奥山浅尾為十郎 秀鶴中村仲蔵間堺屋上上吉中村村伝作 弟子 岩止坂東岩五郎五十五本紙屋上上吉田弥助 弟 天幸中嶋三甫右衛門中嶋屋上上南森平左衛門 子 十晩風大谷広右衛門 右染川染川此兵衛久千切屋上上言印 深川十郎兵衛 □□□□□□ 舎九嵐七五郎京屋上上上古同嵐七十枚 此友大谷友右衛門大坂屋上上宿大倉橋 仙魚楽中村助五郎他国屋上上弐百十村男氏 三朝尾上松助新音羽屋上上部屋上上 連車沢村淀五郎大竹屋上上田村善右衛門 ○敵役之部 元祖 廣次 九幡大谷広八京屋上上上士大合横坂 弟子 松鶴山下次郎三㊀舛屋上上士山下大大臣 弟子 半風篠塚宗三重大和屋上上土佐藤加兵衛 弟子 河内屋 不及中村団蔵河内屋上上上士中村彦右衛門 弟子 右 市川宗三郎 河内屋 ㊞和厨市川宗三郎河内屋上上上四四市町 弟子 村光山村光蔵 上上山田村を 何 ◎丸子中村次郎三越前屋上上書 二代日 是歩中嶋勘左衛門紙中嶋屋上上守麻 子 中嶋勘左衛門 子 一人役者全書巻之下 一太中中村新五郎屋上上上上中村源 上上上上上 弟子 鬼洞三国富士五郎 上上中村橋九良 弟子 ○中葉富沢半三郎 上上中村四良 如光中村四郎五郎 人 中嶋三甫右衛門 中嶋屋 上上 狸十中嶋三甫蔵中嶋屋上上宿潰 市川ヱビ蔵 上上 弟子 ㊃鬼従市川純右衛門 堅良 山下四良五良 馬物山下綾五郎掾藤屋上上上四十四俵 四鬼頭松本友十郎竹伊勢屋上上 上上中村哥右衛門 弟子 藤嘉中村蔦右衛門 出陣張坂田来蔵陣幕屋上上坂田助三様 都舟三枡宇八京屋上上新太五 弟子 上上 男也市山伝五郎上上 松曲松本大七七上上木川弥七万 虎岩中村岩蔵油屋上上中村十軒 山旦中村大太郎越前屋上上中村伝左衛門 三杉路坂田国八月正月屋上上比田半次郎 ▢花朝市川網蔵柏屋上上中川辺 龍車鎌倉長九郎 賀国中嶋国四郎中嶋屋上上南蔵様 一十宮崎八蔵の巴屋上上官サ十四疋 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 同 鬼水坂東善治万屋上野原善兵衛 上上 藤川判五郎 山下豊四郎 市川辰十郎 猿鶴子坂東鶴五郎 谷嵐治蔵 江戸坂正蔵 小倉山三千蔵 染松勘太 藤岡紋蔵 河尾為て上方子 浅尾万三 中村木蔵 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 尾上蔵右衛門 玉村藤五郎 沢村団太郎弟子 市川又五郎 沢村竹五郎 一白粉今弐分五分女子 喜童沢村沢蔵 □浦山七五郎 東東里坂東重蔵 秀亀中村此蔵 少振篠塚浦右衛門 虎勢尾上政蔵 一鬼山中平十郎 草平東坂東利根蔵 巣寄曲坂東熊十郎 時竹市川時蔵 鉄子松本鉄五郎 今沢村長十郎子 喜常沢村嘉十郎 晩里大谷国次 漣江富沢江戸蔵 少大中村友十郎 同狸刃佐野川仲五郎 是東坂東多津蔵 可笑 金作弟子 門四郎 山下 嘉月坂東嘉十郎 太王市村伊藤弟子 秀花中村元蔵 一啓掛山笠屋京四郎 梅賀尾上叶助 其水中村幾蔵 歳花勇坂東吉蔵 魚遊中村茂十郎 錦舎市川染五郎 市舌市川団太郎 一来市川百合蔵 喜丈市川春蔵 中嶋三甫右衛門弟子 中島亀六 中嶋亀六 さよふう大谷広右弟子 十如風大谷大八 中川茂十郎左衛門 中川正五郎 路文市川瀧蔵 芳沢あやめ弟子 元祖中村四郎五は弟子 中村友十郎 芳沢十三 中村友十郎 芳沢十三 中村吉右衛門弟子 中村吉次 坂東岩五郎弟子 坂東久五郎 嵐三五郎弟子 嵐四五六 豊松万三俵 豊松半三郎 三貫五郎弟子 三桝伝蔵 浅尾蔵十郎月 浅尾吉五郎 嵐三右衛門弟子 嵐権十郎 大谷広八弟子 大谷彦十郎 山下次郎様 大谷彦十郎 山下東九郎 中村久米太郎印ヱ 中村滝蔵 市川慶秀弟子 市川才蔵弟子 同川 市川文蔵 市川文蔵 中山新から弟子 中山百次郎 中村八兵衛弟子 中村滝五郎 中村滝五郎 古中村四郎五郎子 中村今蔵 藤川平九郎弟子 市川仙五郎 藤川東九郎 親仁形之部 今之松屋新十郎世 令之松屋新十郎上上上上上村善輔 □□□ 一 ㊃市言市川園五郎市川屋上上上本 盛佐佐川新九郎兵衛屋上上上 松山藤川十郎兵衛天龍屋上上久太夫 弟子 安藤川金十郎大坂屋上上藤川御頼 藤川金十郎 〇道外形之部 ◎蛙声市川久蔵しばら屋上上 三代日 三代日 市川御式丁 弟子 十和考嵐音八㊂蛭子屋上上代音八 □大福沢村宇十郎 弟子 ○ 都町大谷徳次柴田村屋上大谷市兵衛様 弟子 東鶴坂東うね次 ◎喜遊沢村和田蔵社上江村 江村五十郎 弟子 } ○若女形之部 中村新五郎 天王寺屋極上上高屋極上上高屋極上上高 元祖 十一鳳芳沢あやめ青橘屋榧上上吉森のめかめかめか に 鯉長中村久米太郎泰丹波屋火上吉御門十俵 十里紅山下金作森天王寺屋上上吉田丁 養子 今花暁中村喜代三郎馬伊勢屋上上吉原村太太 鎌 五代日 ㊂根子嵐雛助墓吉田屋上上吉茂三郎右衛門 二代目 芳沢あやめ ○春水芳沢崎之助人 弟子 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 五郎兵女屋上上士口吉喜屋 園枝吾妻藤蔵蔵 養子 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 三笠屋上上士田沢村長屋上上 其答沢村国太郎 石川屋上上吉井川屋上上吉井 讃多姉川大吉 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 中村里好 堺屋上上土田中村文右衛門 中村里好堺屋上上上上土田中村兵衛 弟子 十四色花桐豊松 花桐平八 筋 二代目 其源佐野川花妻妻磯播磨屋上上富佐郎様 今 ㊞杜若岩井半四郎氏大和屋上上高木内郎兵衛 弟子 米里壱尾上久木助部大和屋上上山田尾右衛門 弟子 第二 一幸姉川みなと諸大津屋上上野 如川新太郎 弟子 袖歌中村野塩天王寺屋上上四十五石五升 弟子 幸朝尾上民蔵音羽屋上上上四丑寅方 弟子 魚江三枡徳次郎幾升屋上上野三郎五郎 弟子 春 五代目 井花嵐雛治表吉田屋上上上 弟子 雅桃中村千蔵新大和屋上上七十村目蔵 子 二袋 瀬川菊之丞 第八条 上上垂 如皐瀬川七蔵 玉川瀬川富三郎㊞富士屋上上四日行 路舟瀬川雄次郎 湊夕姉川菊八大黒屋上上上介様 山科屋上上岸新五郎 猿不山科甚吉山科屋上上岸新右衛門 十七十香浦芳沢いろは橘屋上上菱の残 山五嶺藤川山貫土佐屋上上三河半形 筋 一 其虹山下八百蔵未舛屋上上山十介組 弟子 えさの川方にな 来右同姉川千代三橋屋上上太郎右衛門 中に 右 小さ川道 十七巨撰小佐川常世 ○巨撰小佐川常世米屋上上小口行事 ま 蘭香山下秀菊 上上山下金作 弟子 斗由中村玉柏竹本屋上上十村与右衛門 嵐都夕嵐小式部巴屋上上嵐岩之介 筋 二代日 路菊瀬川吉次 弟子 鯉章中村吉之助森大黒屋上臣中村太郎 弟子 三光市川小臺頭喜成田屋上市川御馬落 弟子 上亀谷戸郷介之丞 十二佳笑亀谷十次郎 弟子筋 蘭秀嵐重の井織丁子屋上嵐三六郎 弟子 富選中村八重八幡大津屋上十村右衛門 弟子 ㊞町半市川吉太郎 鬼遊姉川万代 川紀長小川千菊京屋上小川殿 弟子 水車市山源之助山田屋上大平小屋敷 巴州中村亀菊菊 花扇岩井重八文 鷲文姫滝中岩之丞 羽客中村国太郎 園花吾妻富五郎雅楽五郎兵衛 弟子 春笑亀谷富留菊上 秀菊三条亀之助上 、 二代目 鶴子沢村哥川上 第二 中村富太 白糸中村万世上中村五五 弟子 ○若衆形之部 盛府佐野川市松越新前屋上上上十六日 加賀守 「 新車市川門之助盤瀧野屋上上上右衛門 まに 今 薪水坂東彦三郎㊞万屋上上 《砒立生嶋柏木上上 ▢柏車市川雷蔵柏屋上上木田市右衛門 同 線車坂田幸之助権屋上野勇太郎 子 歳子嵐松次郎吉田屋上上上古藤平右衛門 生嶋金蔵 ○子役之部 十四良 上上垂崎十一 弟子 中村少張中村七三郎 中村助五郎 海中村紀治 松本幸四郎市川高麗蔵 一今市川台蔵 松尾弟子市川大三郎 萩野伊勢松 浅尾為十郎 弟子 浅尾為之助 中村十蔵 弟子 中村彦三郎 嵐七五郎 嵐七五郎嵐龍蔵 中村十蔵 中村十騎中村岩松 嵐三五郎 卅三五郎山風伊三郎 市川国蔵 E子、 市川市蔵 山下金作 山下正次郎 大谷広頭 弟子 大谷谷谷 大谷広頭 大谷永助 吉田義吉永助 笠屋又九郎 笠屋又五石笠屋又蔵 芳沢崎之助 芳沢勝之助芳沢三木蔵 文有壱重迄 岩井半四郎 弟子 岩井松之助 市川安平市川辰蔵 坂田左十郎 坂田富五郎 同市川八百崎市川伝蔵 山下金作山下太良吉 市川筋市川弁之助 十嵐三五郎嵐市蔵 卅三五郎嵐金三郎 〇京色子之部 三升大五郎 弟子 同沢村清子沢村千鳥 三升大五郎三桝次郎吉 中村久米太郎 弟子 中村米壱分中村長之助 中村筆助 三升徳二郎 弟子 三榊辰次郎 芳沢あやめ 弟子 芳沢仁崎 一 茅沢あやめ芳沢豊吉 沢村富太郎沢村雛鳥 尾上菊介 弟子 尾上吉太郎 尾上吉太郎 中村千軒の中村十松 嵐藤十郎 嵐藤十本嵐岩松 沢村宗寿 弟子 沢村卯の松 尾上新辻尾上虎松 山下岸二山下民蔵 三升大五郎 〇江戸色子之部 橋屋吉十 姉川新四郎 土佐や内 嵐虎蔵 若松や内 若松や川市弥 滝田や内 一断断断中村 山下金作 山下金作山下松之丞 米や内 米や内小佐川茂世 若松や内瀬川吉弥 中村亀松 中村助五郎 ㊄中村勘五郎中村助次 中村乙松 中村国吉 一金井筒や 亀谷冨三 同 藤田ヤ内佐野川乙吉 瀧田や内 瀧田や内瀧中豊蔵 駿河や駿河や内 一結戸駿河や内三条松蔵 市村伊左衛門 坂東金太郎 弟子 大竹や同 一大竹や同沢村冨松 土佐や内 国土佐ヤ内嵐国松 大竹ヤ目ノ沢村福松 千金作山下金太郎 中村富十郎 中村冨中村富士市中村徳三郎 中村富十郎 一故岸田東太郎 同坂岸田東幸子岸田東太郎 中村富市中村よし松 山下亀吉 ㊉大谷広頭大谷仙次 十六月中村吉之助 〇大坂色子之部 中村久木太郎 弟子 中村君助 中村彦右衛門中村哥助 中村嘉右衛門中村国助 中村信濃中村福助 嵐利助弟子 嵐吉三郎義 嵐万三郎 嵐秀助 嵐利助十歳嵐万三郎 嵐吉三郎助 小川吉太郎弟子 小川吉太郎弟子 小川初蔵 小川房松 小川吉太郎弟子 小川音二郎 中山新九郎弟子 中山幾松 中村喜代之弟子 中村豊吉 中山文七弟子 中山辰二郎 花桐堂松弟子 花桐勝二郎 芳沢あやめ子 芳沢万代 ○江戸太夫元之部 一雀童中村勘三郎 栄舞鶴中村伝九郎上成田屋上上吉 菊屋大上上吉 家橋市村羽左衛門 亀全市村亀蔵 ◎上上吉 残杏森田勘弥 栄花森田又次郎 上上吉 上上吉 ○中芝居立役之部 中山新左衛門十郎 御風三五郎 第十九五弟子山風与市 小野川丁源公 筋 小野川弁弥 尾上役太郎 弟子尾上紋三郎 花桐平八郎 花桐喜太郎 中山文七 中山橋蔵 市の川孝二郎 市の川坂下市野川門三郎 松山下京崎山下京右衛門 始十木掛蔵 ト云 荒木与二兵衛 竹十一丁目竹中綱八 二代目に付長丁目 嵐吉三 弟子は 二代目に弟子沢村太吉 岩吉三郎山風仲蔵 藤川平九郎 桐の谷権之 弟子 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 二郡の岩相野谷徳次郎 故松本友十郎 泉川千之介 兪 ○松本屋四郎松本団十郎 泉川千石川三兵 浅千泉川百松 十九趣台分谷村楯八 山下徳十郎 友旨金亭長之 ○一口 嵐さの八束 嵐秀五郎 さのは 藤塚加左衛門 篠塚善八 沢村太吉 弟子 沢村伊八 尾上権蔵 尾上松之助 介孫尾上松之助 三升大五郎 弟子 三升他蔵 弟子三升他蔵 中村冨十郎 中村富吉 弟子。 中村富世 弟子代松田丹波守 中村虎蔵 中村蔦右衛門 中村甚右衛門中村次郎吉 第一 嵐小六弟子 嵐小七 山下兵衛右衛門 一同十兵衛山下徳次郎 桃の井三吉 中山橋蔵 中山橋落中山太四郎 嵐吉三郎 弟子 弟子 芳沢あやめ 弟子 芳沢万蔵 嵐今蔵 兄弟子 中村嘉代三 弟子 中村嘉兵衛 弟子 山井新五郎山科政次郎 浅尾為吉 弟子 浅尾虎吉 嵐三五本 嵐三郎四郎 子弟子 岩村藤七 弟子 岩村百蔵 柏井守森様柏井森蔵 坂田藤十郎 松田彦太郎 元竹田出 元竹田辰之助 荻野伊太郎 第 荻野伊次郎萩野芳五郎 水木吉三郎 水木吉太郎 中村団蔵 弟子 中村新蔵 中村武蔵 中村伊勢中村富三郎 ○実悪敵役之部 古山風秀九郎 子 嵐佐野八 藤川八蔵 藤川音森平藤川音松 嵐七五郎 弟子 ○弐子嵐清蔵 中山音十郎 業 中村源左衛門 中村次郎蔵 編 坂東介三郎 弟子 五十五 坂東盤蔵 荻野八重桐 弟子茂 荻野伊太郎 市の川産四郎 弟子 弟子市野川京蔵 沢村国太郎 弟子 沢村国蔵 水木まさの 第に 水木京蔵 浅尾為十郎 弟子 市野川彦四郎 弟子に 市野川万六 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 山下次郎上 弟子 山下時蔵 山下水下上上山下時蔵 ○十五 ◎市川万石 同二代目 尾上紋太郎 三郎右衛門九十郎 尾上熊蔵 尾上熊蔵 藤大五郎 内吉右衛門 三郎大五郎 中村吉右衛門 三升大工 三榊松之助 弟子 中村丑右衛門 三郎大郎五郎三桝松之助 中村吉右衛門中村団右衛門 元亀谷分 大五郎 亀谷仲蔵 三升大分布 元亀谷仲蔵 弟子、 三升大三枡駒蔵 山下新五郎 大谷広八子 山下新五升山下音右四 大谷広八子大谷今三郎 弟子一 山村覚蔵山村己之助 市川団蔵 弟子に 市川柳蔵 第第次次次次第 第五次弟太郎 松本幸四郎 松本幸四郎 松本 弟子筋 松本次郎三 大和谷与三八 市山三津蔵 谷村楯八 一谷村富蔵 弟子 同谷村播入谷村富蔵 沢村玉太郎 沢村玉太郎 弟子 一沢村藤吉 中村今蔵 沢村国太夫 中村今蔵 弟子 母兄弟子八千嵐升五郎 荒川八蔵子藤川熊蔵 中村吉工郎 嵐太郎様第四 中村吉蔵 すひ 嵐吉次第嵐吉次 坂東藤蔵 三升大五郎 舞大五郎 三斉茶蔵 弟子筋 この八 十十嵐熊吉 十木金太夫 弟子 十木枡蔵 弟子 福山又五郎 福山又五郎福山七三郎 弟弟子 中村清十郎 嵐芳蔵 中村和秀吉 弟子 中村宗一郎 泉川百松 一泉川林蔵 弟子 海 弟子 大和山甚左衛門 大和山善吉 弟子 一藤川八蔵藤川三徳 ○若女形之部 焼崩小六千嵐此松 山下様山下半大夫 坂東豊三郎 千坂東豊吉 小 嵐和三郎野 弟子筋 嵐吉次郎 沢村吉松 榊山四郎太郎 南尾上小三郎尾上小三郎 岩井半四郎 岩井十四 弟子筋 岩井十四郎岩井八十七 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 出嵐に云千嵐巻松 松山三十郎 松山三五郎 松山三平本源太 嵐わり野 第に風国次郎 芳沢安政芳沢嘉吉 故岩田染松 飯岩田染様岩田染松岩田染松 三升大五三 浅尾元五郎 芳沢あやめ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 弟子 蕎麦沢八重気 山科新五郎 中村喜代三 新五郎山科槌五郎 中村嘉蔵武三中村弁之助 嵐富之介 嵐富太助 弟子 岸富之助 藤川八蔵 弟子弟子筋 藤川友吉 藤川友吉 嵐和歌野 嵐喜代三 弟子筋 元松 姉川大吉 六十八郎姉川万太郎 嵐宇源太 嵐門太郎 ○豊後守様大嵐門太郎 荻野かもん 弟子筋 丑嘉永 荻野仙次郎 中村が右衛門 弟子 中村歌柳 尾上小三郎 第五 尾上与市 弟子 嵐ひな介 弟子 嵐菊次郎 中村久米太郎 弟子 中村栄次郎 小さ川十右衛門 小さ川十右衛門小佐川音吉 藤井次右衛門 内藤井次右衛門藤井次右衛門藤井花咲 嵐ひなか 嵐小雛 弟子 安政山本寅四郎山本岩之丞 嵐小六 右 嵐小六 弟子 嵐嘉吉 さの川十吉 佐野川富松 さの川十吉佐野川富松 古宮喜喜 古宮大輔中村和歌吉 中村粂右郎 弟子 中村虎七 嵐小六 弟子子 十三嵐小六歩嵐八兵衛 小野川富松 中村粂太郎中村直次郎 三郎兵衛 下吉五郎 中村冨之助 中村久米太郎 中村矢野村兵衛 │尾上粂蔵 一拾五五 弟子筋 嵐徳蔵 小の川弁弥 小野川久米蔵 西川音吉 十六月二十太郎中村長之助 嵐三郎子嵐三次郎 中村武右衛門 弟子 中村哥右衛門中村菊次郎 中村勇太郎中村音松 山下金作 山下と作 弟子 「「「」「「「「」「「「」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」「」」」」」「」」」」」」」「」」」「」」」」」」」「「」「」「」」」「」」」」」」」「」」」」「「」」」 中村熊助 相嶋茂左衛門司 相嶋武左衛門桐嶋千太郎 ○古今伎藝古実 中村勘三郎座 一さかい町 江戸大芝居最初男歌舞伎狂言尽元祖寛永元甲子年より 今安永三甲午年まで凡百五拾一年に成今の座本七代目なり ○傳来寶物○金庵○青地金襴猿若衣装 ○猿若装束○御簾総角○明石と云名日拝賜す 共唱哥あり ○新発意太鼓 爰にもらす ○古来狂言○猿若○新発意太鼓一 ○紋角切に銀杏を附る事元祖猿若道順夢中に冨士山のうへに 鶴一羽折敷に銀杏の葉をのせ是をくはへて飛来ると夢見る是よ りして定役とし舞鶴を替役とす 一ふきや町 市村羽左衛門座 江戸大芝居続狂言始引藍布道具立切落元祖宇左衛門工夫を以て 是を始芝居取立は村山又三良と云者なり寛永十一戌年より今安永三 甲午年まて凡百四拾一年相続今の座本九代目なり ○古来狂言○街道下其文こゝにもらす○定紋橘は元祖宇左衛門 より附か智紋鶴の丸は四代目座本竹之丞より起る是中村座二代目明石 助三良弟子なるゆへ中村よりゆぐり請る処なり 森田勘弥座 一こびき町 芝居取立万治三庚子年より今安永三甲午年まで凡百十四年に及ふ ○古来狂言○仏舎利 其文はらす ○座本を坂東又九良と云太夫を 森田勘弥と立来る今座本勘弥七代目なつも 一こびき町河原崎権之助享保廿六卯年壬三月より森田座伏のうち興行も 寛保四子年冬より又々森田座再興なりし也 一こびさ町山村長太夫芝居給東考正徳四午年二月八日故あつて芝居断絶すと 一霜月朔日影日春正月元日狂言初は拝渡し式三番の古例あり ○中村座 太夫元 は府中村勘三郎 千歳 若太夫 三番叟中村伝九郎 ワキ狂言 酒呑童子 寿大おどり 宝井其角が句 花さそふ亀や哥舞妓の脇踊 ○市村座 市村羽左衛門 千歳 若太夫 三番叟市村亀蔵 ワキ狂言 七福神 梅がへ大おどり ○森田座 千歳 翁森田勘弥 三番叟 ワキ狂言 福神遊 花おどり がくのごとく古よりつたへ来りて座本これをつとむら江戸三座は代々不易の 太夫元相伝なり ○女形起原 一承應元辰年右近源左衛門市村府へ下り女形といふを始む其後万之助といふ若衆 すぐれて女に似たりとて其比堺の半井ト養の狂歌に 〽女かと見れは男の万み助ふたなり平のこれも面影 女哥舞妓は承銀より始りて寛永年中止られ夫より若衆を女のかたちに仕たて 前髪を取てかしらを手拭にて見へよくつゝみいにしへの太夫のかはりに立て興行す 故に今男歌舞ぬと成しわれ共古実を失はず女形を以て本とす故に女形に太郎 夫の星あり又座本を太夫元といふ元来出雲のお国王女の因によつて哥拝嫁 の名目おこる今につたへてやぐら下に女形の名を出す是を矢倉三枚の女形といふ 此外立翌実悪敵役道外預親仁形花奉形若衆形等の事は役者に委けれは略之也 一色雨といふ娘は江戸にて起る水木竹十郎元女形後に立役と成又享保五子 冬市村座にて色魚と云を始是実西より出る役なり 一子役の始は元禄十年柏延十才にて九蔵とて初て中村左へ出る是より子役と 云部を立し也それより前は若衆形とのみいふ ○丹前 一承應明暦の比江戸にありし事丹後損前の略言也其伝北州列女伝関東 血気物語に見ゆ又是をよしや風こもいふて其比祭礼ねり物などにも風俗を うつし長き白柄大小巻羽織源あみ笠の出立是を多門庄左衛門といへる役者始て 勤むつゝいて村山四郎次夫より元祖中村七三良是に工夫の振を付立髪丹前守 今につゝ人中村一家の藝とし口伝ある事也今少長三代目七三郎浅長に伝ふ 又元祖中村伝九良より奴丹前芝坂丹前といふをはじむ其外市村何江狸戸丹 前塞丹前手くない丹前をつとめ今家橋につたふ 右江戸の丹前を京にて六法と云羽織着院しにて勤る是嵐三右衛門家 の風也又大坂にてはだんじりと云高股立を取り振出すなり 評ニ曰之祖風三右衛門之江戸にて丸小三右衛門とて詰役者なりしが多門庄左衛門におとらぬ ふり出しやつ事の名へといれし鈴木平左やといへる立役の藝風を見なゝひてより 京にて嵐兵右門と名のり其名を高くす ○荒事 一元祖市川団十郎始む角髪偏身を紅粉をもつてぬり大太刀横たへてのあら ごと江戸を根元とす隈取は栢筵を始とし就中真草行のにらみありとかや 鍾馗の自画賛〽今こゝに団十郎や鬼は外其角 一今三升家に所持す ○手打 一今もつはら三ケ津顔旦世に贔屓遖中祝ふて手をうつ事也え祖にて よりはじむ大坂は弁瀬大手とて名高き手打の連中あり其外あまたあれ ともかぞへつくしがたし ○俳名 一役者俳名を呼ぶはじめは元祖門于節栄居士也是椎本才磨門に遊び 俳道にこゝろざしふかく才牛と呼ぶすでに元禄七甲戌年京師にて軍の句あり つひろし油をふくむ花の風甘牛 ゑほし着て遠くはゆかし草いきれ かくれなし秋海棠の虎ごせん しがみつく里子や牀のきりたて 其子板莚五蔵の時より此道を好み室井其角が門葉となりて三升と名前 其後元禄十七申年二月父覚栄後殿同年山村震にて九統を団十郎と改名す 其後才牛斎三升と云又享保卯年海老蔵と改俳号も柏筵と呼ぶ 大坂へはじめて上りし時推本へ申遣しける 難波津にさくや着仕候 栢莚 山伏の畠を通るあつさかな 閑居苔深ふして咲や鶏頭花 道頓堀の賑ふけしき芝居の櫓数をならへしは 一余の国にまさりて誠に哥舞の地なりそらし 哥舞の地や爰も無地や天王寺 一とせかほ見せに出勤せざりしを 顔見世の夜のけしきのたへまより あくるわひしきかつらきぬ髪 我足の杭も引ぬく汐干哉訥子 藪の尖なまなかうとく暑哉 せいほ あれ聞けや権野老ほとゝきす 栢筵調子盛んに俳諧を好み風流に遊びしゆへ是よりして今三ヶ津の 役者おの〳〵俳諧をなす事になりぬ ○古今狂言作者の弁 江戸狂言の濫觴は寛永元年に猿若初て矢倉を上く此頃の狂言は 今の能の間狂言のごとし夫より同十一年村山又最芝居を始め舞おどり のみ勤し也承応年中同座にて市村宇左衛門座本の時一幕 づゝのはなれ狂言をはじむ夫より寛文四年の比より市村竹之丞玉川 主膳相座本の節二番続三番続の狂言になる故に此座を大芝居去 しかれ共いさゝかの事なりしを延宝年中元祖市川団十郎よりしかと 時代の続狂言に取絶せりに等まで十年既非はじめし由父の恩に見 へたり又其後三番四番五番続をなす専此比の狂言は少年の作多し 其中に不破名古屋鳴神の狂言など今に伝へたり元祖中村七三郎 が浅間嶽のたぐひ其役者銘々自分に作りたり或は遊人の慰に 作る狂言作者とて極かしは元録のはじめ京にて近松門左衛門 都万太夫の芝居狂言を作りしをはじめとす是より次第に名 高き作者出来たり江戸にて当時続狂言の元祖は津井治兵衛 俳名英子大坂親仁形津山治兵衛の子也元禄の末より出世に もてはやされし二河白道の狂言が始のよしすでに宝暦三酉年 市村座にてゝ津嶋栄花聟といふ狂言にあはしまに清玄を仕組より 此時昔の二河白蓮より五十年に相当せしとなり此英子事は頓作 の一流にて昔狂言の時代事に世話事を取組珍らしき趣向をなす始 にて古今の名人なる作者也是よりして当時の四番続となりぬ 其趣意近松の余風なり是江戸にて中興作者道の関山とす 在世のうち五十七年が間当り狂言あげてかぞへがたし行年八十 餘才にて宝暦十辰年正月廿日に終る 勇健院英子日雄と其名をのこしぬ 夫よりつゞいて名高き作者は宝永正徳年中光崎七郎左衛門 せり出し道具初て工む其外引幕の外へ はやしの各上下にて立並ぶ事を始め 樋口半右衛門 中村清五郎 ○享保の比は □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 五舟 村山十平次 玉松小十郎 俳名 机暁 竹嶋甚助 坂東田助 江田弥市 作名 富百 津打半右衛門 俳句 沈言 謡の上手なり 元鈴木平左衛門といふ立役也 ○元文寛保寛延の頃は中村清三郎 作名 藤橘 早川伝四郎 作名 竹且女諸 不役者の時 一女護島大当り 一竹且女護島大小ゆり ○宝暦明和安永にいたりては並木良輔 津打九平次 津打又左衛門 少長第なり 津打菅祈 緋名 蛙桶 同廿四日 中村太郎右衛門津打園治津打三郎次 一同与三兵衛 機文輔 是故人英子門人にて 宝暦午の冬市村座にて二代目津打治兵衛改名す えは津打伝十郎といふ 翌春菊曽我に二代目路考と恥 瀬川 筆之丞 今家橘野村と両人矢 の根帯引の浄なりを仕組大当りにて明和二酉年鈍通と改むそれ より路考仕内に○業平あづま下り○田舎娘○菊すもふ○石橋 などの節はつゞいて中村座に居なりにて手柄多く明和丑年ゟ 出勤なきは残念〳〵 是享保の末中村庄へお沢村斗五と云 ○藤本計文 元文の始より藤本に改む年〳〵の当り狂言珍らしき趣向工夫多し ことに春狂言はね毎に大当りを取し宝暦中比にいたりては 名目をかくし沢井法蔵名前にて作れり同九卯年より作なし と覚へり近代の名高き作者也其外古今の作者何ぞ是 にかざるへけんや唯名高きのみをゑらみ出す故人助馬や馬な の作多し松筵の助六矢の根の類あり当時中村舞鶴も作有 ○当時狂言作者之部 堀越菜陽初名二三治と云 延享二年の比より市村方へ沢村二三治とて出坂人助高藤弟子也寛延二のて堀越前守殿 同年森田座にて立テ作者と成○初雪偽人袖といふ狂言を出す 宝暦元の冬中村座く住○本領鉢木染の火出来同冬京嵐 三右衛門庄へのげり同三酉年市村座へ下り京土産とてやつし 黒主狂言せいらいのたか三かんの犬の趣向をでかし文字太夫芳川 の上るりにて大当り同四年秋○蟾免湊といふ名領にて松本 中村 幸四郎山椒太夫の狂言語よく同冬同座にて浅草鐘中村にて 狂言をでかし同五亥の春○愛護曽我 尾上菊五郎 編幸 諸幸 初て工蔵 大谷権にぬれがみ長五郎の役大あたり同秋菅直相の狂言都向甚 出来たれど十丁役不相応とて誰あしく残置〳〵同六子年春森田座 同秋○江南橋政羽左衛門助に出しなり同顔見世は中村座にて ○将門装束榎大出来同七の春○鶏音曽我に八はしの浄るり大なり 同八年寅三月より隅田川狂言におなつ清十郎浄るり中村富十郎 七変化大いに評よく同冬同座にて○桟敷嵩に市村羽左衛門青砥 左衛門の趣向大出来同九卯年中村座にて○薑市の狂言近年の大出来 にて則舞台人口上に出る同十一己年春○間の山狂言をでかされ同 冬市村座亀蔵下りにて壱番目は斗文作二番目をでかし同十二 春浅草にて本よみ会興行にて〇大友皇子桜軍配といふ狂言 なり同十三年顔見世森田座○伊豆入船に梅幸故彦三にて大あ たり翌立春も彦三助六大あたり夫より明和三戌の冬市村座 ○東山殿劇朔といふ外影大[にでかし翌亥の夏より出勤なく 深川汐浜にて本よみ会あり則狂言は○其名月色人といふ名類也 此狂言中村座にてつとむ此年より久〳〵出勤なく明和八卯年 冬森田座へお相つゞいて当座のお勤り近年いかじてか是はと いふ程の趣向なく残心に存る此人文字大夫浄るりにて当りを とらるゝ事得もの故に浄るり作あまたあり今専浄るりにて 一幕つゝもたせるは此人より起る其上名題の風流割書の 名人趣向至つてあらたなる事を好む作意一流なり 金井三笑金井角屋半九郎 宝暦四戌の顔見世より中村座へ初て出同九卯の春森田座へ出 ○菜花隅田川にて当て同顔みせは市村座出世舞台の狂言 翌年も同座にて○梅紅葉伊達大門と云名題にて世界は 奥州責に紅葉狩を取組是大当り也同十一巳の春○江戸紫 根元曽我助六五七大宮ゆり同冬中村座○日本花利官貞負評之 同十二年の春曽我日貞の大当り翌春同座にて大磯流通の趣向 大出来いかしてか入がいわく夫より市川団十郎蛇柳の工夫にて入をとり かへしての大当り翌年休にて同顔日笹市村座須磨初雪大あたり 明和二酉の春○色上戸三組曽我此狂て曽我に梅若小栗を取絶大出 来大当り同冬同座にて二代源氏の村て頼光のせかいにて亀右衛門 土蜘蛛の趣向をでかし翌戌の春相生曽我同秋近江八重の趣向 よし翌亥の春森田座にて百合左大臣の狂言此時ことの外役者 少なの身なれ共作り方はたしきにての木ゆりす同冬本村座咲分勇 者せかい頼政にて鴉の狂言よく同五子の春○酒宴曽我曽我驚 通狂言是前の三組の声向を削流し又〳〵繁昌ず同秋狂言 ○伊勢暦大同二年田村麿に清玄を取組物白き趣向なりしが 程なく休む翌年休にて同冬より又〳〵市村庄へ出られ梅幸 同七寅のめこせ○伊豆着綿嵐三五郎下り瀬川菊之丞龍女にて 大入同八卯年春◯和田酒浅草納三組是三組の三度目にて又〳〵 評よく同顔見世も同座翌辰の春二月ゟ○振袖衣要着美我 ろ考出勤にて顔みせの仕直し大出来大南りつて同座の顔 見せ役者少ヶの座なれども狂言の工夫よろしきゆくに賑ひも曳綱 坂の狂言是は前方の土蜘蛛の柱と故名前を出さす安永二巳の春三 月より名所曽我の大入一体計又の風をよくのみこみそれゆへ 斗文の狂言を取組るゝ事多し狂言を広く取組といへども口々の 〆くゝり納る所功者なり誠に近世豪傑の才子ともいふべし 一朱桜田治助左交成田屋 宝暦七丑の秋津村治助とて市村座へ出又田川とも云二三治に随 身して夫より桜田と改三座を勘同十年の春上京し同十四申 の年顔見世森田座へ下り是より打続て同座を勤段〳〵との 出世明和四亥年馬期同座にて真田迄狂言をぞかし同五子の 春◯都鳥黒小町よし同秋○伊達模様雲稲妻といふ名題 にて名古屋狂言をでかし同冬市川円蔵市紅世話にて市村 座の立作者と成○男山弓勢競といふ名題にて奥州美 狂言大出来大当り同六丑の春もでかし同冬中村座にて ○常花栄鉢木市川団十郎山枡太夫大当り同七寅の春○ 鏡池伊曽我評よく同六月か○敵討右孝鑑三津の趣向近年 の哥作けり同秋右の狂言にかさねを取組同冬同座にて〇一陽 中村伝九郎 的評よく同八卯の春○曽我年代記此狂言 割流あ 舞鶴 りしより出勤なく秋の比より讃州金毘羅へ参詣し夫ゟ 暫休みにて同九辰の顔みせより中村座く出勤にて放一同座す 篠塚狂言二番目を作り安永二巳年春◯和田酒盛栄花鑑壱 番目を作り打つゝきでかされきつい御手柄〳〵一躰菊陽の餘 風ありて作意よく名題割書なと当時の気に合珍重〳〵 二中村重助一俳名故一 明和元顔見世二三治同座にて中村座へ出段〳〵と出世あつて同五子の 手冬森田座にて立作まで被成雲井弦大当り同七寅の春〇夢 我朝山下全作下りにて女工藤の趣向にて評よく同冬同座中村 富十郎下りにて大当り翌卯の春慶子竹ぬき矢のね五郎 にて大入大評判同冬同座居なりにて左交同座篠塚に 壱番目を作り安永二巳の春○和田酒盛に二番目を作打続 評よく故人故一は俳道を好み世に知る所也今故一も忌源 く仍而作意に風流ありてよいぞ〳〵其外作者連名を 記す 名全書巻之下 十九 増山金八俳名呉山 常盤井其堂元川井金治 真野馬朝元左助 瀬川馬雪元秀助 川竹新七俳名能進 萩馬袋元吟治 俳名 岩仲峨 仲喜市 元半三 注象 沢井注蔵 仲喜市元年三沢井注蔵注泉 梅田利助沙明山田半三墨河 木村八一長鯨八起好介古可 瀬井秀蔵 中村虎八 笠縫専助 此人々の作意の狂言もあれども爰にもらす此かへの狂言を見 て追てくわしく顕はすべし ○狂言名題之評 古来のか名題は至極堅固なるものにてありていに付たるなり名 題割書の風流に成たるは津打沈詳より起る近年藤本斗文 堀越菜陽よりいよ〳〵おもしろゝ成今専らとするを比皆人の しる所の名題をあらまし顕はす 梅若菜二葉曽我 是芭蕉の梅若菜の句にもどついて 曽我に梅若を取組し趣向也 同作きことのはな 雪の趣向をよくこめたり 一木毎花相生鉢木 木毎花相生鉢木雪の趣向をよくこめたり 同作 冨士見里賑曽我 同作 菜花曙曽我 二三治組 領城華似鐘 同作 藤橋作 顔見世棧敷嵩 閏月二人景清 米陽風まさかど 己子村の名所に寄る 将門装束板 同作 珍敷江南橋 是市村羽左衛門木様町々助に出し 時より せかい 同作 お国かぶき 東山殿劇朝 三笑化 同作 一梅紅葉伊達大門 一江戸紫根元曽我 奥州売に我国の梅に紅葉狩取越 是ありていなれども助右五七の趣向あらわ 元文年中松竹梅根元曽我といふあれと 松竹梅にては竹の手柄うばし 同組 活助作 一同作にうんのばなわうくわん 日本花利官貝頭藤貞貞貞貞貞貞貞貞貞貞貞貞貞貞貞貞貞貞貞 治助作なとみせきゆんぜいくら 男山弓勢競 同組 同組ぬ元のもり一ちやうのまと 一鵲森一陽的 一日本の花はよしのゝ名所 義卿事をよく取継たり 同作 鏡池伊曽我 一 いづれも寄所ありてよろし 一賛相馬内裡其名月色人 葺模月吉原 是等はおもしろけれ共深き意味なし其外無興なる題 号多し大名題はしつかりとすはりよく狂言の本躰を あらはしそれに風流をそへたきものなり。 ○不破名護屋 覚覚三百文 一古書に云むかし京六条三筋丁鳥本屋の太夫かづらきといふ 美人あり其頃名真山三と不破と云ものと買論の事を枉去に仕組 しみぞ此名古や山上といへるは蒲生家の士たり又かぶき元祖二代日於国 が聟も同名いづれ正説未考○延宝年中市村座にて遊女論と云 狂言に伴左衛門元祖団十郎山三に村山四郎次かづらきに伊藤小太夫勤む 此柱首大当りす其年の中に右の狂言二代目三代目を出し同じ役人 にて又々大入す則団十郎其名を得る時に衣漿雲に稲芝の模 様の羽織を着たり夫より此稲妻を一つ転して紋も同に改 むるよし是より前の紋は命を付るよつて此三升は元圃稲 書形雷紋なり此故にかゝ其名万里にとゝろかし名人と成是を 伝へ栢筵あまた度つとめしに大当りならずといふ事なし 稲妻のはしまりみたり不破の関其角 又云元禄年中花井才三郎不破数右衛門の事より起ると いへども是大に時代相違せり但し草履打の仕内は此時 より始たるかしらず ○鳴神 元祖団十郎工夫の狂言也貞享元年中村座にて門松四天王と方名題 にて初て勤め栢建是を請得て猶万国にひゞかしすでに大坂登りの 節も古今まれなる大当りすされは此仕内を大坂豊竹座にて為永永永麗 作にて久米仙人吉野楼といふ上るりに仕組其ほまれを残す夫より今に いたりて五粒三升五市紅家橘是をつとむ 一又此仕内をやつし女鳴神とて女形の芸とす其娘元禄年中市村座 にて弘徽殿后諱といふ狂言に袖岡政之助と云名代の女形初て勘し より古人菊之丞菊次郎後の菊之丞中村留十年中村喜代三等勤む 一寛保二壬戌年大坂佐渡嶋長五郎座にて○鳴神上人北山桜と云名 題にて柏延鳴神の大当り其節久米寺弾正にて毛龍の仕内あり これより伝はり萩野伊三良つとめし也 鳴神上人役は近くは大坂中村哥右衛門勤る ○不動 一元祖団十郎本国下総国成田山新成寺不動尊に祈りて梅筵を もふけぬよつて栢莚九蔵のむかしより信心ふかく塞れを行 しにはたして上手名人と呼ばれ諸人に秀てし稀ものと なるされば馬前に奉納せし神鏡今にありとぞ故に家名 も成田屋十兵衛と号し一世のうち不動の役数度の勤めに 一々大あたりならずといふ事なし是他の役者の及ばざる所いさしかへ 仕内もなくして見物を悦ばす事誠に妙なるべし是偏に明王 の加護ならん誠の尊像に見まがひ眼中すごうしてひとみを すゆる事時をうつす正に精といふべし此不動の役京都にては 荻野伊三郎二代目市川団蔵勘めしなり ○浅間嶽 一此狂言江戸名物男元祖中村七三郎元録十一寅年京都山下半左衛門殿へ 登りけいせは浅間嶽にて古今無類の大当りせし事役者大金にくわしけ れば爰に略す是を始として同十三辰年江戸へ帰りて又々山村府にて 此柱主をつとめ夫より三ヶ津にて享保十五年までに十六度余出し其外 是をやつして勤めしは其数めげてかぞへがたし就中享保十九寅年 中村座にて古菊之丞調子夕霞浅間嶽貴名高し是名人の心を こめて工夫せし狂言ゆへ未代にいたりても用ひあたりを取る事か自然 の妙藝道のほまれ和実ぬれ事の開山名物男と呼びぬ其頃 京にて鷹水といへる俳師丹前艶男と云草紙を作してほめたるよし 此外関東小六を七三郎家の芸とし今少長に伝へぬ ○角鬘暫 正徳四年霜月中村庄類見世栢莚十二年ぶりにてさかい丁へり○万民大福帳 に権五郎京政にてしばらくの越相手くゑ惣名人山中平九郎両人の勢ひ 誠にすさまで大にあたり時に栢莚十七才と云是よりして今に顔見世柱 言市川家吉例の藝となる 〇此大福帳狂言は元禄十四年春中村座にて元祖団十郎平九郎 両人にて勤しかはじまり也 此外○天地合筒守是は元禄十五年森田座にて元祖団十郎 初て勤む其後栢莚も度々勤め今に伝ふ ○助六 一むかし大坂に万屋助六あげまきの心中世話事狂言覚を極延転作 して花川戸の助六と云男立に取組又元禄の頃江戸新吉原三浦屋に あげまきといへる全盛の太夫に寛濶の遊客通ひし事あり其頃の男 立髭の意休を取入あげまきと云名故にかれこれを付合して仕組しは 正徳巳年四月山村座○愛護桜といふ狂気にて勤繁昌したり其後 同六申年正月中村座にて〇式側和曽我に時宗の役にて又々助六を取 組大当りす此節より江戸節上るりにて勤る娘也此はちまきはすぎし比と いへる又句あり又衣裳黒小袖に五葉牡丹の紋を付る事深きわけ有事なり 今助六の定役と成其後寛延二巳年中村座にて又々つとつ入す此節新 吉原に初て桜をうへし時にて芝居にても此体をうつし拝更賑はしく此時の 上るりをくるわの家桜と云しなり 栢莚助六相傳之図 栢庵 三升 升五郎 三升 一今御平四郎 卯月里 何江 家橋 古羽左衛門 二重霞 今羽左衛門 縁の江戸桜 今三升 祐元江戸紫 一栢車古雷蔵に 栢車古雷蔵――今雷蔵 くるわの花見時 ○ういろう売 一栢筵は早口つらね事奇妙にて余人の及ぶ事にあらず是世人あまねく しる所外五郎幼なくして是をつとめ今団十郎是を伝ふ其外せりふつら 弥事数多あれども事しげれば略て ○鍛五郎 一享保十四年春中村座○扇恵方曽我に市川海雲蔵初て勤め大に 小ゆり上より古大さつま主膳其後三度つとむ納めの節は市村座なり其時 今羽左衛門へ舞台にて鏃を伝へしより家橋京大坂にても勤たり萩野 伊三郎二代目市川園蔵是を勤し也近くは嵐雛助栢延風に仕立安形 にて矢の根五郎を勤るは奇とやいはん ○無間鐘 一遠江国小夜の中山に有し事跡を狂言に取組始は元禄二巳年大坂荒木 与次兵衛座にて若女形谷嶋主水けいせいさよの中山といへる狂言にけいせい うらばにてむけんの鐘をつく所作事が始也其後元祖芳沢あやめ此狂言を 当て京早雲座にて鎌をつくはあやめ所作は水。木辰之助是則元禄十四 年の事也 一今専らとする無間の様元は享保十三年春京市山助五郎屋にて古瀬川 南之丞庄屋六右衛門娘おすまといふ役にて勤しは手の鉢を鐘になぞゝへて打し が始也同十五戌年江戸中村庄へ初下りにて翌年し春○領城福引名古屋〻 いふ狂言にけいせいかづらきにてつゝめ古今たぐひなき大当り其後上京にてあり 是より元又未年大坂竹本座上るり●ひらる盛夏記にむけんの鐘の段を 取組今に伝ふ又袖を引ちぎり金をつゝむ仕内は福引名古門の節初日府寿にて つゝむものなきゆへにさそくにて誠に衣裳の袖を引切りたりしが其思ひ入より しゆへ翌日より其通りにせしを今上るり文句にまで入し事になりぬ夫を 仙魚 伝へて瀬川菊次郎 伝へて瀬川菊次郎近比の瀬川菊之丞此狂令にて大当りす其外中村 富十郎中村粂太郎嵐雛介沢村に太郎など初めでかしぬ又男にてやつ してせしは柏莚が人灸のむけん藤川平九郎二代目大谷広治があんこう今 羽左衛門三千両のむけん今市川海を蔵団十郎の節の範のむけん此外三か津共 今専ゝとなす鐘になぞらへる仕内は瀬川氏を元祖とす ○八百屋おて 天和二 三月廿九日 狂言に仕組し初は宝永 一本すが石塔は小石川園乗寺にあり法名煉月妙米天王 三戌年正月大坂西の芝居嵐三右衛門座にて嵐喜代三初て五その役をつとめ大 あたりにて同四の冬江戸下り同五子年春中村座にて○領城嵐なる哉に 此役にて大しに評よく拝在年も又々つとめ大当りなりしが正徳三巳年壬五月 十五日相果ぬ夫より享保三戌年春市村座にて三条勘太郎相つとむ 是先喜代三追善とてせしゆへにかの喜代三が□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ はんじやうす是よりしぜんと封文をお七が紋のやう小なりし也三ケ津共に 是を付るされば喜代三をお七の開山とし勘太郎を中興の祖とす 〇宝永六年に大坂篠塚庄松座にて玉沢鴫野助よりこのうた 三ヶ津にて此役を勤めしもの左のごとし 荻野伊三郎中村喜代三 古佐野川市松尾上菊五郎 } ラヒニ ○卅七 一同但五百人王書巻之下 二代目 中村里好 瀬川菊之丞 享保四年竹嶋幸左衛門殿 元文二年大坂岩井半四郎座 松嶋兵太郎中村冨十郎 松嶋兵太郎 中村富十郎 寛保三年大坂岩井半四郎座 寛延二年京にて勘則座本也 瀬川菊次郎 中村松兵衛 宝暦十年大坂中山文七郎 宝暦三年平正院三右衛門座 岩田染松 明和二年京にて勤刻座本也 嵐富之助 山下金作 沢村国太郎 明和二年大坂北新地中村亀南庄 明和二年格月に大坂姉川菊八郎 ○田原 一是下総国羽生村に有し事解脱物語に出たり是を狂言に仕組しは 享保十六亥年市村麿秋狂言藤戸源氏にかさね役三条勘太郎与 右衛門に中村新八郎作者津打治兵衛にて大々ふゆり夫より同廿卯年春 中村庄にて名山累曽我に又て勘太郎新命大当ろす夫より元文四 年秋市村座菊繁栄景清にかさねに袖崎菊太郎此時よしつに柏延 にて大入をとりしなり 是より今につたへて中村富十郎芳沢あやめ此役を初木田する事数生及 三条勘太郎後年花井才三郎と改立使と成夫より又々花車形 と成中村座頭取役を勤め古人と成る ゆるかゝ附 ○由良之助 一大暑中良之介仕内は元大岸右内とて元祖沢村長十郎 助高屋 神道 篠塚 次郎左衛門等勤むといへども助高屋家の誉れとすすでに此三人の論 役者大金にくわし助高屋すくれたるよし爰に重濃廿卯年春中村 座鎧桜故郷錦といふ狂言に助高峯大峯にて勤てより延重四年上 参して中村粂太郎左衛にて右大岸にて大当りす又寛保三秋中村熊次へ 古嘉水方大岸を勤め評判かく時に売延元辰年大坂竹本庫て〇仮名手 本忠臣蔵上るりに助高屋大岸の仕内を取組此時より大星ゆらの介とけ 名す是誠に高助が藝道の誉れと賞すべし翌年江戸三芝居 とも此上かりを出し中村野にては助高屋市村座にては在薪水森田屋にて 山本京四郎勤む京大坂にても大入を取りし也夫より度々助高屋此由江 の介にて当たり今にいたりて三ケつとも此狂言を出すに当らさる事なし すくは当時尾上菊五郎明和三年江戸市村座にて由良介となせ三絃を助 大々当りにて明和五年京尾上座にて又々大に当りし也助馬屋此かた桜草 ほどの由良の人の仕内なし安永二の冬大坂上り晦乞に市村座にて又之由良 の介となせ勘平の三役大あたり殊に同冬大坂へ上り嵐松次布座にて 十二月三日より翌四月三日まて四ヶ月の間大入にて桟敷売高壱万五十 軒余古今稀成手柄也其外此役を勤しもの左に記す 寛延二年大坂嵐上五郎座 宝暦十二年江戸表田座 明和五年江戸中村座 明和九年京三升徳次郎座 明和二年江戸中村座 明和六年江戸森田衆 二代目 嵐三十郎 明和八年江戸中村取 中村七三郎市川高麗蔵 中村七三郎 明和六年江戸市村庄 同和九年京三升徳次郎左衛門 二代目市川団蔵 市川団蔵 市川高麗蔵 沢村宗十郎 明和三年大坂姉川菊八郎左衛門菊八郎 坂田半五郎 中山文七 安永二年京綿川千代三座 中山文七市野川彦四郎 市野川彦四郎 ○九九一 文字 一上るりにて大星の役はを付る助高屋は大を付しなり 一其外訥子家の藝とするは梅の由兵衛を男立にする始衣裳烏 のもやう次巾に鎖を〆ること今に名誉となる 一油屋庄九郎の仕内京江戸にてつとめ大に当り此仕内を源平布引 瀧上るり二段目に取組今にのこる此外万能芸狐の女郎買白子や佐頭 兵衛露の五郎兵衛重忠又々訥子子夫の仕内あまたあれとも外に してなし実事和事敵道外親仁形花車形にいたりまで何役にて もつとめあしき事なく其上狂言作意まてに達し誠に近世稀 なる名人一世のうち大出来大あたりの狂言あげてかぞへがたし ○団七 一夏祭浪花鑑といふ上るりに団七を取組たるは元来元禄十二卯年 やどなし 則庄本也 無宿団七といふ狂 大坂道頓堀西の芝居にて元祖片岡仁左衛門 言を出し勤めしを最初とす片岡一たん髪をそりさげしを其まゝにて肉 七役をつとめ夫よりまて団そのかづらに用る様に成たり 元祖 団七片岡仁左衛門一寸徳兵衛瀧岡彦右衛門 一釣舟三ぶ荒木与二兵衛 其後享保四年北蜆川芝居にて古今新左衛門座 岡七春山源七一寸竹嶋花右衛門 釣舟小野川宇源次 夫より享保六年片岡仁左衛門七田忌追善として 団七桐野谷権十郎一寸姉川新四郎 釣舟金子吉左衛門 かくのごとし其後延享一年大坂竹本筑後座にて夏祭浪花鑑の音り をいだせしより三ヶ津にて興行する夫より以後の役割を左に顕そ 団七 延享三年大坂市山助五郎店 藤岡大吉 嵐七五郎 一延享三年大坂筑三右衛門座にて 宝暦二年京榊山四郎太郎座 京上り眺乞に勤る 延享三年大坂にて則座本也 宝暦四年大坂三条定助座 山本小平二 延享三年大坂にて則座本也山本小平二 一宝暦六年京難波松之介座 嵐三十郎 桐嶋儀左衛門 中山新九郎 宝暦十一年大阪姉川新四郎座 宝暦九年江戸嘉田勘弥座 此狂言中に古人と成 中村助五郎 藤川平九郎 宝暦九年大坂嵐吉三郎座 宝暦十一年京沢村国太郎座 宝暦五年大坂北新地にて山本佐吉座 中村四郎五郎 山本京四郎 宝暦十三年京沢村国太郎 合座 明和四年大坂嵐献介座 尾上紋太郎 藤川平九郎七回忌に勤る 嵐吉三郎 安永二年大坂中村哥右衛門座 藤川平九郎十三回忌に勤る 宝暦十一年大坂姉川新四郎座 藤川平九郎西後団七を勤る 藤川八蔵 明和二年大坂にて則座本也 一明和三年大坂 一錦川菊ハ座 三榊大五郎 明和五年京市山助五良座 宝暦十三年京中村千蔵座 安永二年京平野にて勤る 宝暦十三年京中村子蔵座中山文七 明和六年京尾上粂介座 坂東海蔵 中山文七 藤川半三郎 明和五年江戸中村勘三郎座 明和七年江戸表田勘弥座 中村助五郎 中村助五郎笠屋又九郎 笠屋又九郎 二寸 延享三年大坂嵐三右衛門座 延享三年大坂嵐三十郎座 延享三年大坂嵐三右衛門座 民谷十三郎 延享三年大坂にて則座本也 中村新五郎 延享三年大坂山風三十郎座 桜山四郎三郎 嵐新平 市山助五郎 岩井半四郎 延享三年大坂に而 宝暦二年京榊山四郎太郎座 嵐三十郎市川団蔵 宝暦四年大坂三条定介座 宝暦五年大坂北新地山本佐吉座 市川団蔵 宝暦六年京難波松之介座 中山文七 宝暦九年大坂嵐吉三郎座 一坂東海蔵山本京四郎 坂東海蔵 竹中兵吉 山本京四郎 宝暦二年京榊山四郎太郎座 元祖小四郎七回忌也 宝暦十一年京沢村国太郎座 宝暦十三年京中村千蔵庄 榊山小四郎 宝暦九年江戸東田座 元祖小四郎七四三つ也坂東三八 坂東三八 宝暦十一年大坂姉川新四郎座 藤川八蔵平九郎の団七役を勤る故 かわり役一寸徳兵へをつとむる 坂東国五郎 宝暦十三年京中村千蔵座 宝暦十一年大坂姉川新四郎座 江戸坂京右衛門 一宝暦十三年京にて則座本 明和五年京市山助五郎座 中村十蔵 明和四年大坂嵐雛介座 中山来助 一明和六年京尾上粂介座 尾上紋太郎 明和三年大坂姉川菊八座 藤川八蔵 宝暦十一年京沢村国太郎店 明和二年大坂三掛大五郎座 安永二年大坂中村哥右衛門座 明和七年江戸森田座 嵐吉三郎 坂東三津五郎 安永二年京平野にて 嵐七五郎 釣船 延享三年大坂に而 宝暦五年大坂北新地山下佐吉座 嵐七五郎市川宗三郎 一嵐七五郎 市川宗三郎 宝暦六年京難波松之介座 藤岡大吉 宝暦九年大坂嵐吉三郎座 宝暦四年大坂三条定介座 宝暦十一年大坂姉川新四郎店 山本京四郎 宝暦十三年京沢村国太郎 桐山紋次 尾上政太郎 合座 合座 中村十蔵 明和二年大坂三升大五郎庄 坂東三八 明和五年江戸中村勘三郎左衛門 明和七年江戸森田勘弥座一 明和三年大坂鈴川新四郎座 明和五年京市山介五郎座 中山新九郎 安永二年京平野にて 松本友十郎 安永二年大坂にて則座本也 中村哥右衛門 沢村喜十郎 明和四年大坂嵐雛介座 市野川彦四郎 明和六年京尾上久米介庄 江戸坂京右衛門 ○菅丞相 大坂竹本座のゆるり菅原伝授手習鑑をかぶきにて興行せしは延享 四卯年より三ヶ津ともに数多度出す天はい山のいかりの段は柏莚につゞく ものなし菅丞相の役勤めしもの左のごとし 延享四年 榊山鷺助 宝暦六年 中村座には大衆山の段斗勤る 市川海老蔵 宝暦四年大坂中山文七座 延享四年中村座に而 宝暦十年大坂同座 宝暦十二年京中村与蔵座 中村吉右衛門 京中村与蔵座 宝暦六年同 宝暦九年同 中村七三郎 宝暦十四年同 宝暦十三年大坂三升大五郎座 嵐小六 岩井半四郎 明和元年京嵐松之丞座 寛延三年森田庄 富沢辰十郎 中村冨十郎 文政一 同断 明和六年京尾上久米介座 宝暦九年京にて則座本也 宝暦六年歳園二 嵐三五郎 松山三十郎 明和九年江戸市村座 一明和九年江戸市村座明和五年に勤る 尾上菊五郎 明和五年に勤る 市村羽左衛門 明和八年京三升徳二郎座 安永二年大坂小川吉太郎座 嵐雛助 延享四年大坂市川龍蔵座 嵐三十郎 ○狐忠信 一義経千本桜の上るりをかぶきにて仕物しは延享五年より三ヶ津にて勤む 狐忠信の役をつとめしもの左に記ず 中山新九郎 延享五年江戸中村座 沢村長十郎 明和三年江戸中村座 宝暦十年京沢村国太郎座 嵐吉三郎 宝暦十二年江戸森田座 古佐野川市松 一吾妻藤蔵同断 宝暦十三年大坂にて則座本 是前髪にて勤る 三榊大五郎 明和八年江戸森田座 二代日 芳沢あやめ是女是女にて助る 明和四年江戸中村座 市川高麗蔵 中村富十郎是前髪にて勤る 明和五年京尾上座 尾上菊五郎 明和四年に勤る 是前髪にて勤る 明和五年大坂中山来御座 明和八年京尾上久米介座 芳沢あやめ是前髪にて勤る 市村羽左衛門 明和九年大坂小川吉太郎座 中山文七 大概大法にて至て大出来は今の芳沢あやめ也初音の報物語りの間狐の身 ぶりを誰々もする所をはなれての仕内今に申出ぬ 其外上るり狂言をかぶきにて勤る事数多あれども其余は追て 附録に著べし ○曽我狂言 曽我物語を狂言に仕組む始は延宝三年五月こびき町山村長太夫 座○勝時養曽我といへる名題にて則役人は 一曽我十郎に宮崎伝吉江戸立役上手 一同五郎二市川団十郎 荒事の開山 一柏莚が父なり 敵役上手 一工藤左衛門永嶋磯右衛門 是だるま所三郎と云 一梶原二藤田所三郎是だるま所三郎と兵衛 右役人にて勤しが始にて是団十郎五郎の根え也其後天和二年 五月市村座にて○鎌倉五人女といふ狂言に 一曽我十郎二中村七三郎元祖名物男 一同五郎二野田蔵之助後に生嶋新五郎といふ 一工藤左衛門二猿若山左衛門 一朝比奈二村山平十郎 是大当りにて十郎役の元祖を中村七三郎とする也夫より貞享 五辰年中村座にて三月廿一日より○奴朝比奈大磯通しいふ狂言に民 日勘三郎隠居して中村伝九郎と改糸髪と成素袍に鶴の丸を付る 事是伝九郎の智紋なる故付しを今朝比裳の役と成又せり不仕内迄 □□□□□□□□ 当時なす所の仕内は皆此伝九郎の風儀をなす事なり 朝比奈の楽屋へ入し暑さ哉其角 又祐成の和事は七三郎の餘風時宗の荒事は団十郎の豪傑今に伝へ て此三つの役は三名人の名誉となる其後度々曽我狂言を期しかと 五月あるひは七月など時節定まる事なかりしを宝永五子年の春 中村座にて○領城嵐曽我といふ狂言大当りゆへ又々翌年も勤め しに前におとらぬ大当りにて三芝居生にせし所其度々いづ れも大入す夫よりして自然と吉例になり今にいたり年毎 に春狂言は曽我と定まる是も江戸名物の一ツとはなりぬ然る に工藤役以前は敵役よりつとめ悪にてしたりしを正徳三己の春中村座 ○大勢叶曽我に村山平右衛門といへる立役の功とめしより今にいたり祐経を立役 にてつとめ又実恵より勤るといへ共本心は爰に仕組也鬼主は元祖松本幸四郎 行ものにて上下立派に出立忠臣の仕内なりしを当時なす所の鬼主の風は元祖 大谷広治より始り今専らとす曽我役割年々相伝の事は役者住申上に くわしければこゝに略す 一当時曽我まつり初めは近き比より嘉例とするなり其以前より春狂言間我 繁昌にて五月まで打つぐ時は其悦びとして曽我両社をまつり五月廿八日八日は 座中税ふ事いつの比よりか自然と茶屋三階芝居内にてせしを宝暦三年 中村座春狂天大入にて此時初て舞台にてつみめしより今三芝居ともに 興行する事になりぬ毎年五月中比よりおはじめ座中一やうの染かたびら 初老入書巻之下 にて大おどりにわか狂言両社の神輿花こしを出し賑ひ筆に車がくし ○石橋 是うたひの石橋によりて古来より砂来るといへ共皆桃子の所作事軽業 などのやうなものなかしを享保十九寅年暮江戸中村共○十八公今様曽我に 元祖瀬川南々直○相生獅子風流石橋の所作事を始てつとむまことに未曽有の 大あたり抑此風流石橋は藝道の奉人赤菊之丞人相伝ありしを南之丞 其上へ自分工夫の振を付じゆへ妙々急議の手あり古今所作の名へ妙手といふ べし其後江戸京共につとめ夫より夜目菊之丞是をつたへ初車台の時寛延 三午の秋中村座にて初め其後明和六丑の春中村座にて相伝の相生獅子の名 曲にて近代まれなる大あたりす誠に名人工夫の名所作其家に伝へ以前に増 たるほまれある事是又奇妙といふべし京大坂にては中村富十郎 嵐松之丞嵐能助つとめし也 一今慶子初る所の石橋も古人路考より相伝の面にて二代目印に直に直に渡 追善としてつとむ ○道成寺 一此所作も誰にもとづさて曲をなす是を略して舞ふは元祖榊上小四本に給ふ 後の温郎軽業にてなすといふ鐘入の所作事は水木底之介より始り其後用明天 王上るうに仕組て之祖萩野八重相初め中古にては古南之丞是又此所作に名下部 無間の鐘新道成寺とて勤め大あたりす是を中山道成寺といふ其後百千鳥始 行成寺とてなす二代日筆之丞も改名の節つゝむ又元祖あやめなす所を 一人役者金巻之下 今にあやめ道成寺といふ夫より二代目あやめ恋女房上るにて勤是芦沢一 流の扇とそ秘伝とす慶子是を伝ふ近世三ヶ津にて大入を取しは中村留申節 姫太閤の琵琶やけん其外〇嵐小六〇嵐之助○今の芳沢めやめつとめしなり ◯嵐和歌には軽業の所作にて初め与ゆりにて評をとかし也男にては○市村何に ○今の市村伊左衛門○古中村助五郎が江戸鹿子男道成寺是又大あたりす 京大坂にては○中山新九郎○三桝大五郎○桜山四郎三勤めし也 ○鑓おどり 一往昔道外形上手金沢五平次より始元祖水木辰之助是又此所作に 名高し元禄の始江戸下りにて是を勤てより専らとす又辰み助が猫の 所作事あり余人の及ばぬ妙曲なり 宝香斎が屋之介へ遣す句に 〽すゝはきや諸人かまねる鑓おとり 中興やりおどりに名高きは先菊之丞古佐野川市松也 ○馬貝 一今九代目市村朝左衛門明和二酉年顔はせ始てつとむ所作事の妙手此外 八ツ鉦の拍子事あり当時今様の上手なり 一此外うしろ面七変化等是は佐渡嶋長五郎始今沢村国太良相伝はゝ 其外あまたあれともこゝにもらす ○紫帽子 一哥舞伎にて用ゆるしはそのかみ鳥居庄七といふ女形はじむ是 びゝりとさげてきせたるよし又天和の比玉川千之直と云女形黒さがうし を上にて折込み左右へさからぬやうにしたり夫より加茂川のしほ兄伝兵衛 といふもの工夫してやでん帽子とて四角なる絹の切レの角におもりを付て 落ぬやうにこしらへかぶりしとぞ其後元禄の比か茂川のしほ水木辰之助 工夫してちりめんにて風流にこしらへ色はむらさきに定めたり ○沢之丞帽子元禄の始沢之丞といふ女形かつき始たり 左右に鉛のおもりを付たるよしよつておもり ぼうしともいふ ○水木帽子是水木辰之介はじむ其比専はやりし也 ○菖蒲帽子元祖よし沢あやめよりはじむ ○瀬川帽子 先瀬川菊之丞享保十九寅年中村庄にて 生肝の狂言の節屋敷女中の風俗にて切落 しより出し時はじめてかぶれり其頃ゟ専はやる 大坂丁にて是を知す今にあり 貞享元禄の始伊藤小太夫と云女形江戸にて ○小太夫鹿子 此鹿子染を着たり大にはやか是京大坂にて は江戸かのこといふ ○千弥染 若女願中村千弥はじむ享保二年中村座人 下り其節木戸若干者などに千弥染羽織を 着せたり紫色にして大しぼりに渡たる也 古佐野川市松石畳のもやうをこのみ着たり 寛保元よりして今に石だゝみの事を世の人 ○市松染 市松小役といふ 百文十一文 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ ○小六染 今嵐三右衛門元小六と云し時延享四卯年中村座 ○書始机曽我の狂言におふさの役にて着たり 是より其頃大にはやか左り巻の染もやうなり 小六匁といへるはすげ笠の紐に組打の糸を用ゆ ○亀蔵小紋 今九代日市村拝左衛門初か亀蔵と呼びし比 濁水のもやうをこのみ着たりしより云つたふ 今中村伝九郎はねもやうを染て着たりしより ○伝九郎染 号く 一是正徳五年春中村座○坂東一幸曽我に五郎 にてこも僧の役にて着そむるあみ笠に寿の ○何卒もやう 字也是世上大にはやる 二代目瀬川菊之丞宝暦十三年未ノ春市村取 ○路考茶 栄花曽我に下女お杉の役にて此染色を着たり 夫より世上専はやる其外様に路考形髪に何考 わげ帯に路考むすびあり 古助高やいまだ宗十郎と云し比梅の由兵衛の時 〇宗十郎次巾 かぶりしより今に其名をのこす又其比宗吉 蛇黄とてはやる 今山下金作八百やお七の節指たりひちりめん ○金作花笄 其外色切にて花を作り笄の先キへ付てさす ○岩井様 今岩井半四良安永二巳年の秋より指す是あとぎ ぬりの様也神田庄作といふもの是を出す 市川栢莚いまだ団十郎と云し比宝永六年 ○団十郎もぐさ 山村座にて中将姫狂言に久米の八郎にて初て もゞさ売を勤む其後延享四の春中村座にて 又々此役を勤む世上に一を付しもくさ所々にありといへ共牽良よりおとるは浅草 御堂前笹や藤介出て見世に団十郎のく形もぐさうりのかたちをのこす 又大伝馬丁二丁目に回を付るあり是四代目団十郎よりはじまる ○七三もぐさ ○団十郎煎餅 ○五十 元祖中村七三郎より始今神田紺屋丁近江屋 善兵衛より売出す 是四代目団十郎よりおこる宝暦七丑の春村松丁 村井藤七初て制衣す其かたち大キして表に うらにかへ役の舞鶴を付る是専はやりそれよりして 諸役者の名目のせんべい所々にて売弘る也 ○橋せんべい 右団十郎せんべいにつゞきて出かえてりふり丁おきな 屋にて出衣す今ふきや丁羽左衛門油見せにて弘 大キサ団十良せんべいのごとし 亀蔵せんべい共云大キサ団十良せんべいのごとし えさかい丁かうらいやにて製す今はせ川町に有 ○高麗せんべい 其外ますつゞみにしき餅あり ○雷蔵おこし同所丁にあかしが今はなし ○八百蔵おこし ○団蔵せんべい さかい丁鯉野屋にて商ふ こびき丁五丁目ゑびすやにて出取す二代目 団蔵見せなり 人形丁ゑびすや古嵐音八見せにて今嵐多に ○かのこ餅 つゝふ ○遠州おこし 沢村喜十郎今長十郎見せこびき町芝居 例也 ○潜龍湯はせ川丁東国屋今又太郎見せ也 ○潜龍湯 一元禄年中浅草並木町にて水木辰之介京土産玉手箱とて 弘むよし是焼杉の箱にたばこを結る其ころ大イにはやり たり今はなし ○古今役者香具見世 日本橋北室町壱丁目横町中村勘兵衛 是貞享元禄の始若女形の名取中村数高と 冠髪香 いふあり是役者油見せを出す始成へし今に拙哥やす 糀丁四丁目 谷嶋忠重 谷嶋主水 元禄の始若女形上手わけてけいせい事よく夕書抔一 にて名をあぐ元禄十七年舞台休分にて見世 をひらき大きにはんじやうし今にさかふ 一香玉井昔十郎糀丁五丁目今にあり此役者未考 □市川団十郎今川橋に有しよし今はなし 是萩野沢之丞と云名高き女形也元禄十一寅年 萩野袖香 ふきや丁にて鬢付油見せを出すといふ今はなし 松本繁芝にありしよし今はなし 中村伝九郎日本橋南壱丁目角に有しよし今はなし 中村源太郎 神田すた丁にありしよし今はなし 享保年中名高き女形なり 袖崎音流 日本橋通三丁目後に普流治右衛門といふ近次迄あり 是元禄の頃若女形の上手也 鈴木三四郎 てれふれ丁今にはんしやうす 是元禄の頃若衆形なり 沢村宗十郎さかい丁にあり後に助守や馬助と云 岩戸香白粉 今難波丁 是え祖松本幸四郎見せと云 此外あまたあり事しけれはこゝにもらす 〇当時役者油見世之分 市村羽左衛門不はや丁 市川団十郎村松丁 同佐野川本松花江丁今はなし 尾上菊五郎せともの丁 瀬川菊之丞人ぎやう丁 中村里好いづみ丁 大谷広治飯田丁中坂 市川門之助てれふれ丁 市川八百蔵万丁 松本幸四郎神田三川丁壱丁目 山下金作せともの丁 坂東三津五郎こひき丁五丁目 尾上松助 ふきや丁角 市松めぶらみせの跡 浅草観音に中村座より納る所の猿若狂その絵馬あり年号寛文四年と記す 是いまに名物となる 一同所に市村座より納る三番三舞臺の作り物あり是百年の寿に納む 一竹之丞寺本所五ツ目五日羅漢渡先顕松山安住寺自性院と云 中興問山権大僧都大阿闍梨竪者法印誠阿和尚 是右村座四代目竹丞伎藝の誉れ高く其上容親美麗の聞へありしが 故有て廿五才にて菩提の門に入て当寺を再びひらき享保三年十月廿 卒す行年六十五才今に東都の古跡となりぬ貴人言仏たへず市村座より これを修行し則祈願所なり当所に座本代々の墓あり 又菩提所は押上大雲寺にて中村座と同じ 一当寺に何江の木像あり是先年舞台にてつとめし西行の かたちを其まゝに残す 一役者全書巻之下終 佐渡嶋日記 蓮智坊著 一六法といふ風俗言。むかし信州歴々の武門より出たる人。彼養を好て つゐに浪人し。上京しける。其頃名古や山左衛門といへる。武士の浪人もの 出雲国の巫女。於国と夫婦に成。東北野にて芝居興行仕けるに寄り 破山左衛門とひとつに成。江戸さんちや通ひの風俗をして見せけるより 起りけるとなん。江戸にては丹前といひ。大坂にては出端といふ。それより伝里 其のち立役。荒木よ次兵衛。右の六法をふり入を取たるなり。それまでは 今の六法のごとく。挙を廻し。振し事はなく。左右ともに真直に振たり。 今も江戸には古風残りあり。よひ兵衛より元祖嵐三右衛門請続是を工夫し。 いまのごとくを仕はじめけり。其のち古人大和屋甚兵衛ちんばにて。六法 〆佐渡廻日記○壱人 入佐渡廻る日記 を振る工夫をして当りを取たるなり。二代目あらし三右衛門三代目と相伝し て。毎度勧しなり。其のち予又工夫しけり。其振筆には亡取難し口伝 一予始て六法ふりたるは。大坂道頓堀芝居にて。座本より顔見せに六法ふり くれといふ。是まで三右衛門甚兵衛など振たる跡にて。我など中〳〵思ひ寄ら ずと辞退せしに。ぜひといへるにいなみがたくて。衣装の切付も物数寄して。初日 の夜の顔みせ。六法ふる半より。見物おけやい〳〵と。声々いふより。半畳五六枚 打こむといなや。追々ばし〴〵と爰かしこより。半畳数多打こみける。夫も かまはず勤仕廻。楽屋へ入たる時。惣座中首尾能〳〵手を打たんといふ。 予は甚其こゝろなきゆへ手を打たず。二日目三日目までおけよ〳〵といひ 〳〵七日つとめ。扨昼に成ても。やはり見物さん〴〵に打こむゆへ。こは口惜く 当かほみせ六法にて仕損ひては。後〳〵まで恥も残す事。無念やとなを〳〵 しんぼらして精を出し勤ければ。いつともなしに評ばん大に立直り。よい や〳〵のかけ戸。それより日〳〵に取沙汰よくなり。端々の評判よろしき也。 と聞し。とかく工夫をこらすしんぼうが肝心なり。しかし初日より仕様なる ることなきに。ほばんなをりし事はいかゞと。尋し人あり。此事我に問ふて 我はしらず 一予五歳の時より。親伝八所作事をおしへ。東武へつれ下り。碁盤人形 と名付ごばんの上にて我に蔵をさせしに。あなたこなたより召され 春より九月までつとめたり。去御方の御機嫌に入。毎度召れ碁盤の 上の所作を勤ける。御きげんの余り。肥前国左津へ。予がごばんの上に 人竹けと言 座しゐる人形を焼につかはされ。三ツ出来して御とりよせ遊はされしほど 御興に入たり。其としの十月京都へ登る道中筋ごばん人形の所作を聞 および。宿〳〵にてこれを望む。のぞみ次第に此所作事をつとめたり。九 歳に成たる時最早ごばんの上に乗かぬる時節より伝八工夫仕出して。 七ばけの曲といふ事を案じ出し。おしへ返し後長五郎が七ばけと我か仕出 せしやうに成たり親の厚恩篁に書つくしがたし。思へば一むかしと成にき 所作秘伝奥に附す 予出家して。建仁寺御門前に住し。法花経読誦朝暮おこたらず。 仏の道を願ふより他事なし。ある時三条新地頂妙寺へ日参の折柄 ほとりの古道具やにて。彼五歳の時動しごばん人形の唐津焼店 に出あるおさなこゝろに見覚し人形なれば。速に価をきはめ。求め 一帰りけり。先年御前御気に入の御側仕の衆。壱つ拝領仕ける。 定て其行すへならめ。これをつく〳〵見るに付ても親の粉骨 一砕身せし事をおもひ出し。涙もとむる導とは成けらし 一あるとき勢州の芝居へ下り。はやし方などの外無人。勿論道具 等不都合にて。小鼓一挺あれども大皷なし。是にあぐみ居けるも。予細工 に竹を切り。討け物をして。大鼓をこしらへ。それよりの工夫にて。一人して二挺 鼓と名付。はやき事など打たりしに。二挺殺といひならはし。何とやう一曲 と成りたるもおかし 一沢村宗十郎江戸にては。長十良と成。後に助高屋高介と改誹名を納子 といふ。此人元来は京都御歴々より出。若年のみぎりは仕官して由緒 ある血脈なれども。生得心和らか過て。身を持留し奇舞妓芝居の役 者とは成たり。初のほどは左もなく流労して。あちこ地と漂泊し。抱らるゝ ともなく。他国めぐりの芝居の箒吹。又は何かの助ヶなどに頼まれ行。夫より 勢州の芝居へ出にける。其時は沢村藤五郎といへり。予勢州へ下り。はじめて ちかづきに成。仕内をつく〴〵と打見るに。余の旅役者と違ひ。金体面口 き藤ぶりあり。後々には立ものと成かねまじき者にてもおしと心を付り けるより。ある夜むすかにまねき。役者にて終らば。江戸へ下り精出すまじき やと申ければ。答に我も其由なれども。心にまかせずといへるより。当所の 事は此方引受申べし。せひ当暮江戸へ下らるべしと。すゝめて其年の冬下レぬ。 程なく宗すらと名を役次第に倅よくつゐに海老蔵に次ての立者と 成たり。予其後に江戸へ下り。一座に住ゐたりしなれども。今は此方より 手をついく挨拶する程の立もの。以前の事は鼻息にも出さず居たりし 樂屋にて大勢聞ゐる前にて調子いはく。扨々めづらしき事かな其元様 と一座致事思へは一むかしなり。先年勢州にて御世話に罷成。御陰にて 先今日これほど迄に立身致たりと予に一礼をいひ扨河心蔵其ほか 立ものゝ役者に向ひ。拙者はいかゐ恩を請し者など。ふいちやうしけり。その時 思ふに忽をあげる人は了簡格別の事なり。多くの人いにしへの事など。いさ さかもあらはさず。今よき身分になれば。礼を失ふものなるに。大勢の中にて かくむかしをあらはす人おほからず。其のち大坂へ来り上手と評判をとり。 其暮京都南側の芝居へ十日が間東見物へ目見へに立より。桟敷の 直を上るほどの大評ばん。大入にて近来の賑ひ。江戸へ下り。其壱日又上参 し在京の間。上手〳〵と賞美せられ。其のち又江戸へ下りたり。在京の 間女形の心得に成る書を編たりこれを訥子四十八ヶ條といふ 一近年前作事をする役者。おびたしう衣装を着かさね。所作の間〳〵に はやし方の並ゐる方へ向ひ見物をうし路になして件の小袖をひとつづゝ ぬぐなり。所作事に上意をぬぐといふ心は。見物思事を見詰く居れば。 なん。ぼう面白き事にても。すこしは眼にそむものなれば。其ねふりを覚 さんがために狂ものなるに。中古より余処着重ねるを全盛にして。余り さい〳〵ぬぐゆへ。せわしなく却て眼のさまたげに成なりはやし方に向して 衣装を脱だり。又は衣跡をつくろへば。其間見物の眼あくなりとかる。たま あかぬがよきなり 一大坂竹田出雲。子供に六法ふらせたきと。予を頼みに越されたり。所望に 任せ下りければ。出雲殊の外悦び。扨子供に指面仕けるに。据やう首の遣ひ様 思ふやうにゆらず。時に即座に工夫出来。六法のふりやうの程拍子は。鶏の首 のつかひやうに。ひとしと申聞せければ。忽に合点して。稽古またり。物はたとへ 程よき導はなし。しかれども是とても実ならでは用に立がたし。扨六法の 指南の跡は。さま〴〵古人のはなしなど仕けるに。此時節竹本筑後芝居には 新浄瑠瑠理かわり目にて。竹田家内は。道具立其外万事。こしらへ聲にて。 あまたの人数銘々役々を相勤ゐる。道具立あつらへ方の者。ちよと御出 あれと次の間へまねく。出雲とたへに何の用なるぞと尋しかば。柳の樹出来 致候。御覧なさるべしと申。それを此方が見るには及ば及ばず正真の柳に似さへ すれば済む事と申されし。さこが竹田家相続せらす人ほど有て。不断の心 得かくべつなりと感しけり。芝居は万端墓の仕内道具参に至るまで 正言をうつすより外なしと古人のおしへ尤なる事かな。善悪とも不断の事あ らはるゝ物なれば人は常の心道が大事なり 一非人敵打の狂言は。中古始川新四郎此仕内を始て。仕出せしやうに若きへ はこへども。非人かたき打の狂言は。むかし荒木よこ某。といへる立役仕始たり。其 時のすがたは。病かづらにて。随分くろ〴〵とあぶうを付。顔のつくりも白粉 濃くぬりうつくしく。衣装は白小袖の無地。大広袖紅絹うち。花色の丸ぐけ 帯を前にむすび。手足も随分白くして出立せられしよし是予が親伝八 はなしにて聞つたへたり 愚按元祖坂田藤十郎申されし非人の心得やより自分の考にて なし。古人申置たる事此荒によす兵へのせられし非人かたき打の出立 にて藤十郎申されしと附合せり。これをおもへは。婦川致されし非人 の心得は。勇と墨ほど違ふとは此事なるべし。新四郎非人の仕内よき ゆへ。人々毎度申出すなれど。こゝろへは甚つたなし。是婦川を識るには あらず古人の説と合しての論なり。仕内も古人とは甚野野卑なり。ためし ものに来りし加村宇多右衛門が。せりふに。敵打といふは命おしさにいふと さん〴〵せめかける時。竹に仕こみし刀をぬきさし付。青江下坂二ツどうに しきうてずんどよう切れますへみゝと笑ふ。荒木氏始てせられしは 一青江下坂二ツ胴に敷腕といひ聞て。さし付たる刀を。両手に持ながら。左 の方へ引寄。調子を低く。ずんどよふ切れますへみこみとゑしやくする。此 善悪は後の芸者かんがへ見るべし 一親伝八予若き時つね〴〵いひ聞せしは。芸者といふ者は金銀をくれる 物にはあらず。一生涯の内。女心をひろむるが。肝要なりと。毎度耳かしましき程 さい〳〵堅く申討たり。此事子供のじぶんより与来聞こみ居しゆへ。 予何国より相談に来りても。つゐに清銀の相対は致さず預なれば何方 へ成とも二言となく約束極めたり。銘々業相応に給銀のわから有て。 抱る程の者は。夫々に相当せるなるべし。しかれば給銀相対におよぶ事にあらず 一年中芝居ふあたりにて。年中勘定ふそくに見へければ。此方より給銀を まけ。了簡付け出たり。芝居主は役者と違ひ。名を上る事はいらず才一 金銀をまふくるが。其身の肝要といふ物。役者と芝居主との心れは。格別 なり。夫に近ねは。少しの給銀のあやにて。相談不済方多しと沙汰を聞得 此心底いぶかし。いにしへの役者中途に。出よの出よまいのと。もめる事は皆没或は 仕内に付ての申分なり。近来は金銀の事に付て。もめ粗おりしとかや。双方持出し 悪敷は成たり 一地狂言は勿論所作事なじ。人の工夫して討たる事。後に又すべからず。近年は 向ひに出すなんど聞ゆ趣向を。又こちらにもまけしと急に稽古などして。 張あひ仕ける見物同事を二軒見て。何なくさみにならんや。官女などいと みやびやか成月俗にてせば薪を負へる山磯の老たるさまなど然るべし 一日の願言にても。堅き武士の詰ひしきあれば。けいせいの意気地などの 事。又はおかしき事など。とかく同じ事のならばざるやうにするこそ。此道の 専一なりむかしの当り狂言。仏原浅間嶽因幡松嫁鏡などにてみるべし 一ひとゝせ備中国宮内といへる所の芝居へ罷下り。不斗当所にて死去せし 吉左衛門の のこゝろこゝんとこゝろざし。少しのよすがを求め 古人金子六右衛門が 師なり やう〳〵方角を知て。菱の中に分入ぢいさき石塔あり。花をさし水を 手向。それよりほとりにて。人をやとい塚の前の薄など苅とらせ。ほそき 板をひろひ得て。矢立の筆にて金子六右衛門墓と書つけ。さしおき たり。天地は万物の逆旅といへど。取わき役者は。一所不住にて。何国にて 終をとるやらん宜しき身の上にてぞ有ける 一ノ近来不作事をつとむる人は。前作の間〳〵に左右より扇つかひさせ。 又は湯そのみ。供息する人多し。これはいかん。見物へうし路を見せ居るうちは。 正面にて舞より猶大事なり。此間のぬけぬくうに。心遣ひなを〳〵苦しき。 ものなりと。古人もいひ置たり。さすれは湯を呑宿つかひなどせねば。勘 まらぬならば。不作事をせぬがよし近来の人を。自呵責するにあらず。古人の 教訓を用ゆる人なき故に。書くるし侍る。親伝八郎におしゆる時も此湯など 哥事。五歳の時より堅くいましめたり。近年所作事。跳心なるへ。物を 聞に来る人に先不作事の間に湯を呑む事左右より扇すかひさす事 を。最初にいましめ置たり。石指出じの不作事を。舞語り。舞台に打ふし。 後見の人々寄てかいて楽屋へ入此事一条其意を得ざる事なり。先見ゆ に対して不捨そのうへ歌舞伎といへる物はあれほど珍卑なる物とぞ身 壱人にて。此道の人々をさげしまるゝ事。芝居道のかきんなり。元来歌舞 妓といふもの。左様なる不行義の物にあらず。古実を能知たる人すくなく。 近来年〴〵に持なし悪敷成たり。坂田藤十郎云元銀の末宝永に至り 今二三十年も年立たらば。芝居大かに衰々成べしと。その時分より。欲さ 申されし。夫にたがはず。享保年中より段々持なしへくなり。一向今は誠に 及ばず。今たまゝ古人の教へを守る者あれば。あれはあほうのたわけのと 識ものゝみたかりき。藤丁良存生のうちさへ役者不行義に成たるとて 毎度歎申されし。いはんや今におゐてをや 一人頭芝居小ては大坂石井飛騨といへる者。尊み申さねばならぬ事也 元来操人形は。首ばかりにて着物を打きせ。手も足も遣ひ人の手に にて仕たるもの。近来りで子供の願ひにでこのぼうといへる物是なり。此 石井氏。おとなの手を。人形の袖くさし込遣ひ申故。甚袖見とむなしと 工夫して。人形に手を拵付たり。夫より是に習ふて。足をつけ手の指を うごかし。眼を遣ひ眉を動すなど。近来はさま〴〵自由に作るなり。これ 石井氏工夫の根元なり。今は飛張の名は。浜芝居の名代計に残たり 一元禄宝永年中まで。初の狂言して居る内に替り狂言の稽古して。 もはや申合あるまじと替り看板を出したり。それより銘々仮物の工夫 して。さあごれではよいと。おも役者二三人心得すむと。来る何日よりといふ 初日のはり札そ出したる事なり。近来は替かんばん出し置俄にかんばんを かけ替。外の狂言に替る事。折節にあり。是は何ゆへなれば。次の替朝兵 の稽舌も出来ざる内先替り看板を出し。扨相談に懸り。役廻りなど打 寄りて申合見る時。何か万事差つかへ多く。一決ならず。夫故俄に起言替り 看板を又出し直す事にことなん。初る二三日前より急に稽古して誠に足本 より鳥の立といはん斗の惣座中甚さはぎなり。此麁末成事。古今の相 宮をかんがくべし 一今時の若き得者衆のいへる事をきけば誰が仕内は古風なり。あれにて 当世人々のみこまずなど。毎度人事に付ていふ人多くあり。此事一円 こと言を得ざる事なり。狂言の仕内は。尤若男女貴賤の人情をうつす に古風当流とわかつる。善こみがたし衣将の物ぞきは時々の流行有もの なれば。其時々を用ゆべし。心持に古今の風といへる事あるべからず。すでに かづらに諸分あり。老人あたまば。古風なりとて。皆黒髪斗にてもや難し 一役者の仕内に。あるひは功者接重名人などさま〴〵に号あり。しかし古今 稀なる物は。市川海老蔵なり。予此人を助人と号たり。中〳〵余人のう 海老蔵 つす事も及ばす其妙の役者なり。予江戸在住の時。栢莚 申さ 伽名也 れしは。其許太夫本をなさりゝならば。いつにても登るべしと。いひける事の ゐるし故。一とせ大坂道頓増にて座本をせんと思ひ。柳莚を相談に。書状 下せし時。返状に給金弐千両にて。手付金五百両下さるべしと申来る。哥 舞妓芝居始りて以来。給金弐千両取やくしや聞も及ばず。稀なる事を 申越されしと。甚おもしろく。手付金五百両調達して差下したり。あの方 にもよも心こと思ひしやう。大坂へ来りて其うつり折類をせられし故。郎答 曰弐千両の給金取らるゝ役者古今になし。夫を押出しと申越さるゝ ゆへ交くそれほどに格別の事。有べしと存なりと申けり予も物数寄 なりと思ふのみ。顔見せは。ういろり売のせりふ。先めづらしく。大入にて二の替 曽我を出せし所。さん〳〵不当りにて。子息団十郎病気を幸に。十日余り にて相休。扨三の替の相談何をかなと楽屋おもてとも。彼是申合けれ ども思察おらず。時に栢莚申けるは。此次次は時神を出さんといへり。予も鳴 神なれは。狂言案じるにも及はずと。古き狂言を序へ縫合せつたみ。四爰め 鳴神上人をやつみがころす事あり。詰に鳴神の亡霊。雲のたへまに。つき したひがいこゝぢの所作を思ひ付たり。柏莚生得狂兵に切殺さるゝ事を忌て せす印是をさせんと思ひ。四ばんめのがいうつの所。新法師にて拙者勤べしと いひければ。左とはゝ殺され申べしと相談出来て稽古云合汝。初日出せし所に 久米寺弾正といふ侍に成。使者に来りての仕内。あつはれ殊の武士と見えたり 外に此まねをする人なしと大坂中の評判。扨も上手なりと感心し四変めは 二役鳴神上への段家の童なれば手に入たる仕内明神のひゞき近国は申に及ず 遠方ゟもいざ海尤蔵が鳴神見物せんとわざ〳〵大坂へ来る人数を知らず押も 分られぬ。大保行大入京の数寄人は大坂にて見物したる人多し。然どもつゐに京出 動なく。是のみ残心なり。顔に童あるは奇妙の生得也いづれ妙の字は遁れがたし しらし哥舞妓役者の数さるゝ役を嫌ふもいか成事り是とても妙なるべし ○しよさの秘伝 一ふりはもんくに有もんくの生なき時は。品をもつてす。又もんくなく。 ふしにくのばす時は。ひやうしにのる。なすわざはしよさ成か故にふりに 傑を本とす。何によらず其しよさがらのこゝろを。わするべからず 一しやうぞく大口事ごれら大かた能をする心持にて。風のく。つれぬやうに 舞ふべし。くたけたる風はあしく候 一侍の弓矢をたづさへておどりさはぐやうなるは見吉也。此しよさにかぎ らず。すべて便など入たるか。能がくりのしよさを。諸人へとうにどよめき。誉 るはあしく。只一言二言ほむるは。ゆかしくてよし 一此末かりなどのやうなる。下々の親仁のしよさは。ふりの間にむかし若き時 の風を年よりて叶はざるふうの心持。あいた〳〵に入これもしよさがらを しほらしくするを第一とするなり 一婆々の所地ごりき時のだて者の品を。年よりてかなはざるふりの間 〳〵に入しほうしきを第一とす 一翁。老女。申におよばず其心持 一両形風は申に及ばす心をつくべきなり。立身に成り候時はわに足に成べし 腰ほそに。すそびらきよし 一鑓おどりは。随分足を。片わにゝして。ひらけるがよし。身をそりおもた くと。ひやうしにふりを大さう。又間をせわしくして鑓のまわるがよし 一きつねはかりう人。又は犬などに。おそれるやうにすぐし。獅子は王なれば。 こゝろたくましく持事。かんじんなり。一さいどれともに。頃をつかふべし。ぬかの しな下より。こまかしく又は大間にもすべし。頭をつかふを第一にすべし 一着ながししよさは申に及ばず。其身着のまゝにて。それ〳〵にしよさの 仕わけ見へ申やう肝要なりすべて男のしよさに女のふりをする事也 又はをんりやうの中にて。おとりいむべし。諸人ほむるとも。其所作の事はゞ より外の事すべからず 一ふりは目にくつかふと申て。ふりは人間の体のごとし。目は魂のごとし。たまい なき時は。何の用にも立ず。ふりに眼のはづれるを死ぶりといひ。所餘の気 に乗てふりと眼といつちにするを。活たる振とは申なり夫故ふりは目にく つかふと心得べき事第一也。はてしなき故筆をとめぬ佐渡嶋日記経 東三八述 賢外集 狂言 立役染川十郎兵衛聞覚し事をはなせしを東三八 紀者也 一書置る一冊にして賢外といふは十郎兵衛法名なり 一坂田藤十郎はけいせい買の名人と。もてはやされたる婦人。 ある年夕ぎりの狂言に。ふじや伊左衛門役を勤る筈に極り。 今度の狂言には上草履いるなれば。早々あつらへ然るべしといひ いたしける扨ざうり出来あがりたりとて見せければ。官十郎 見て。これは大き過たり。仕なをすべしと云付ければ。男申けるは おまへの出足の寸を取誂くば。違ひ申さぬはづといふ。それにも 大きなりといたすらいひければ。買物方の者。これにいか程ちい さく致さんと尋ければ一トまわりちいさくと申より。すぐさま あつしへ直し。惣警召のせつ彼ざうりちいさきゆへ指にはさら 出られたり。初日にも同じく指にはさみ出る楽屋口に居たる役者 息をわすれたり。若ざうり出足が入。ませぬかと。気を付ければ。 其返答は仕ながら。其侭にて舞台出たり。ある人此事を不思 義におもひ尋ければ。藤十郎いはく。此度の草履は揚屋の庭にて。 ぬく事あり。舞台にぬぎ捨たる時。さうり大きければ。諸見物 藤十郎はさてもきつい鍬足なりと見出されとは。重てけい せい買の狂言はならざりしと。答ゝれし。すべてか様な事までも 気を付。狂言仕ける名人の心得は格別の事なり 一坂田藤十郎心安き祇園町料理草やへ行。これほどの座敷に 茶所なきは如郷といへば。亭主さればの事でござります。何とぞ 年比望ますれども。ちつと古様ならぬいはくがこさりますと いふ。藤十郎いかほど入候やと尋ければ。五十両程かゝり候と答ふ それはいと安きことなり。其金子は此方ゟ出し申べく間急 囲を御建あれといひかへり。夫ゟ藤十郎然意の方へ金五寸両 借用申さしと。手紙にて申遣しければ。早速先方より調達し て手代持参しける時に。藤十郎とてもの御世話に。歩に被成下 されかしとたのみ。残らず歩刹にして奉書の紙二枚出させ。ひんねが 持参して。件の茶やへ行。亭主に逢ひ右の歩金五十両袂ゟ 馬夕鳥 出しあたへけり。右の金子調達せし人。一両かして藤十郎方へ来。 件の訳をありのまゝに咄す。時に司達せし人。左候はゝ歩にて なくともくるしかりましといふ。藤十郎云袂より出し。人に遣はす 金子小判にては下昇てよろしからぬと存。それ故歌にかへけら といひけり 一坂田藤十郎誓古の節はいつとても藤十郎方へ皆く行ける ある時替り狂言の稽古に。相手の女領水に辰ら介山本寄門金子 吉左衛門同道にて。朝飯後行けるに。いまだ床あがらざる故。次の間に 待ゐる。程なく起たるや。戸の明く音。又は手水の流るゝ音なひ聞 やがて座敷拂てい暫有てこれへお通りあれといひければやがて 皆々座敷へ通りみれば。どんすの鏡ふとんの上に座し茶せん 髪にて提たばこ盆を。ひかへ。扨一礼すむし。此度の替り狂言は 中〳〵よう出来たるとの噂どのやうな趣向と狂言の筋を聞かれ たり。毎日おもの女形に終日の馳走をして帰されけり。此稽古の 問たるの献立を自身好み。常の女の喩よきやうに取合。今形の あしらひも。やばり女同前の心得にて。はなしなどもあり甚治切 行義なる事ともなり 一坂田藤十郎高給銀をとり大坂へ抱られし時。京より水を 樽詰にて取寄。飯米を一粒ゑりにさせて用ゆ其事を見聞 人々。扨も藤十郎はけふがる奢ものかなと。専ら鳴ありし事。誰 圓久負 いひ聞するともなく。耳へ入たるが。ある人に逢ふていはく。私 飯米を一粒ゑりにさせ。水を京都より取寄候事をかこゝろ しらぬ人は。定ておごり者なりと沙汰もあるべし。全く奢に あらず。当芝居主拙者を抱らるゝに大切成金銀を出し置れ たり。米に砂あつて若噛合せ歯を損しなば舞台にて。せ りふ浅て聞へかぬべし又年ごろのみ付ざる水をのみ若腹中 など悪く成一日にても舞台を引なば。芝居主へ義理済ず か様に身持養生心を付て。此うへ身分に取陣出来ることは 是非なし。よつて斯は申付るなりと語られし 一中村四郎五郎若さかりの比。山下京右衛門一座に居けるとき 京右衛門役大イに出来たり。見物ほめける其夜坂田藤十郎原右衛門 逢ひ今日の初日見物にゆきたり貴様はいか為下手なりと云京右衛門 諸見物の評ばんとは大かに打返したるにより肝をつぶしながら 左候はゝ二日め見て給はれといふ。心得たりとて藤十郎二日めも見物 に行たり。京右衛門楽やに入ると藤十郎の桟敷へ人を遣はし御苦労 ながら楽屋へちよと御出給はれといひやるすくさま藤十郎かく屋へ 行京右衛門に逢申けるは。貴様御影ゆへ今日も見物致たり。其えは とかくな手なりと。昨日にかはらぬあいさつに京右つも大きにこまり芝 居果より。我家に帰らずすぐさま藤十郎宅一行藤十郎に向ひ初日の 御批難により。今日又工夫にて致たりしに。やはり其え御気に入らず 人賢夕鳥 此上は我力にも及はず。御指面うけたしといふ。藤十郎左候はゝ申さう中村 四郎五郎は今若手に青日の出の役者なり此度の狂言。其元はにゞ五郎ゟ さきに役あり。あれほどに当られては四郎五郎跡へ出て何をかせんなぜ いう手をたすけるやうには心がけせられぬと教訓仕けるに。京右衛門手を 打とかんじぬ 一右近く郎兵衛といふ役者旅にて不作事の上手。後に京本舞台へおたり 沢むら長十郎も元来旅を修行して。勢州の芝居より京本ぶたいへ 出二ばんめを勤。精出し上手に成たり。中古まで二番めは中通りの役者 出たり近来は脇道言同事に二ばんめもに詰より勤る也これらとて も古実なく成たり。江戸は今に余風ありてゆかし 一坂田藤十郎曰歌舞伎者は何役をつとめ候とも。正真をうつす 心がけとり外他なし。しかれとも乞食の役めをつとめ候はゝ。顔のつくり 着物等にいたる迄。大概に致し。正言のことくにならざるやうにすべし。此 一役ばかりは常の心得と違ふなり其ゆへいかんとならば歌舞妓芝居は なぐさみに見物するものなれば。随分物毎花美にありたし。乞食の正 真は。預までよろしからざるものなれは。眼にふれておもしろからず。慰には ならぬものなり。よつてかくは心得べしと常〳〵申されし 一坂田藤十郎金子吉左衛門と連立芝居より帰りがけに。鳥瀬の橋の上に 立とじまり。水の流れバつく〳〵詠め居て漸時を移す。金子氏思ひけるは 何ぞ下へ取落されしかめ何と。共にのぞき或はふしぎに思ひ供人云々 賢久島 何ぞおとし給ひたるかと問ふ。善なし皆あつて扨も清くとした物 うなと。高瀬川の流水を感じて。夫より歩行し。其比の宿え河原町 四条上ル町へ帰られしとなり 一愚按侭ならぬもの。か茂川の水双六の墓と申伝へ侍る。此事思ひ 合され侍る毛。元来坂田氏は生得やくにだつのたゝぬの差別なし。 物事を麁略に見ぬ人なり。ある日河原町四条下ル町に。いにへ 一豆腐やあり。最中豆腐をこしらへ。ゐるに乗と眼が付腰も かけす見せ先に立尽しとうふといへるものはいがやうにすれは 喰やうには成やらんと。くわしく尋熱渡して。扨もと感心して 立さりぬとかくかりそめの事にも麁略にせざる気質信美なる 生得なりと皆人沙汰しあへり 一坂田藤十郎祇園町ある料理茶やのくはしやに応をしかけやがて 首尾せんと思ふに。件の書女。おくの小け敷へ伴ひ。入口の灯をふき 消たり。時に藤卜郎すぐさま逃帰りけり。其翌朝右の茶やへ 行。妻に打向ひ。御影にて替り狂言の稽古を仕たり。此度の狂 言は。密夫の仕内なり。つゐに左様の不義を致たる事なければ。甚 此仕内にこまり。此間太夫元よりはやく初日を出し申度と。再三せ がまれ。日夜此事にあぐみ。密夫の稽古を男に出会もらひては。其情 うつらねば。ひとつも焚古にならず。我願ひ不就致けいこ仕たり。今朝 太夫元へ。初日明後日御出しと申をしたりと一礼申されし。一座の人々扨々 見へと呼るゝ人の心がけは凡過の外なる事と手を打ぬ 一坂田藤十郎鳴物御停止にて芝居休みの間心安き一座の内の女形 二三人供人引くし。江州石山へ誘ひ行。酒盛して居ける。向ふに武門の 御歴々とおぼしき御方。御忍ひに御参詣遊ばされたるや。御近習打させ 若殿原五六人。其外附々上下十弐三人御酒毒あり。暫有て。若き侍来し それなるは藤十郎ならずや。酒一ツふかまひたゝしと。旦那の跡を達す有難 仕合と。速に御幕の内へ伺公して。御盃を頂戴仕ざま〴〵の咄レなど申上。殊 なき御機嫌にて時そうつす。日も西にかたぬきければ。明るより又芝居 始ますれば。追付帰置仕申度と御暇を乞ひ。元間行の毬の上へ戻る程なく 若侍かけ来り。何成とく望あらば申べしと承る何く所望に無之候へば宜敷 仰上られ下さるべしと申せば。それにてはかへつて御機嫌よろしからず是非何 成ともと達るとの事ゆへ。左候はゝ御幕の辺なる松の樹物領仕たしと申。 其侭皆〳〵駕籠に打乗京へ戻りける。夫より日を経て表に大勢人声 何事やらんと勝手へぬれば松の木来りしといふ。門違ひなるべしと思ひしに。 坂田藤す江方はこれるにかと松の様の宰領這入いつぞや石山に於て約来 せし。松の樹送り遣すとの口上。夫にてやう〳〵思ひ出せり。自外拝領申とし御歴々 の賜物なるべしと存当り候へども。御名も承らず。あり。かたき旨を宰領に 申かへしぬ。禁執心かけし松の樹と思ひ贈給はりし彼有難き事かな。御大 身とは見請ぬれどちいさき木にてもあらばこそ大木といひ猶以一山へ 届なくては。理不慮に堀る事叶ひがたく侍らん扨々有難き御こゝろざじ かなと感心し早く庭へ植べしといひ付けれども誘頭口殊の外さはが しく。いかなる事とたづねければ。先刻の松の木塀につかへ路頃口へはいり 申さぬよし答ふ。藤十郎聞て。さて〳〵坊もなき事かなつかへてはいらぬ ならば塀をこぼち入べし。跡にて塗おけは済事と田力共をしかられける。 此事金子吉左衛門居合せ。上手の名を得し人の心は則なりと。ほとんど感 じ此事を人々にはなしけり 一中村七三郎は元禄年中。江戸にて上手と諸人に答られ評ばんを とりたる。やつし方の名へ元禄十年卯霜月京四条山下半左衛門 後京右衛門 といふ ゟ座へ上京し顔見せば。坂田藤十郎方。大イにはやり七三郎甚 不評判にてよからぬさたのみすなからす馬の跡あし といふらくしゆ迄。人々調ふほどの仕損ひ。一両日して追々藤十郎方へ一座の 役者共来り少長は 七三郎 誹名也 さん〴〵のとり沙汰あり。又江戸より登り。京 にてやつし事をせらるゝといふ事。大きなる了簡違ひ。そこが下手の しるしなんど。少長をそしりける。藤十郎けるは。成ほど下手なり。京の 見物は大りに下手なり。七三郎は先近来の上手。此人の上に立もの当時 壱人もなし。少長のほられしゆへ梨も精出しなば。金年中にはちと蓼も あがるべし。顔見せは此方仕勝けるゆへ。二の替りは大きなるこはもの也 けつして二の替うには仕つけらるならんと。顔見せなかばに申居られしか はたして翌辰正月廿二日より。二の替りにけいせい浅間歳といふ狂言を出し 少長ともへの丞の役ごばん嶋の羽織をしき茶碗のわれにてひとり碁 近村。太夫奥州とのくぜつの段。いやはや外に。まねの仕手なぎ仕内 京中の見物うへをしたへかへし。顔みせとは打て替へての大あたり。さても 七三はうつい上手かなとの大体ばん。此朝言百二十日興行仕けり溝芝 居の一座さてこかり藤十郎申されしごとく。扨々上手の胸巾はおかりろしき 事とかんじぬ。藤十郎金子吉左衛をひそかにまねき。只見せゟ申す ことく金年は少長といへる大敵あれば一座の役者は勿論。先狂言に骨 をおらねばならず。貴様狂言を作らるゝ故。油断もあるまじけれど一座の 者よりも随分貴様勢つよく。狂言工夫あらねば。芝居の道にならず。顔 見せそ仕勝しものゆへ。作者の気ゆるみ出る物ゆへ。わけて申とくれ〳〵 内意ありける。さて替りめ度毎藤十郎に七三郎が仕内を見ゆして天 晴の上手なりと云。又七三郎は藤十郎が藝を見てさて〳〵藤すると いへる役者は聞及びしよりも。いたつて上手なり。禁是までに藤十郎の 仕内を見て工夫つけなば。藝をあげん物を。何をいふても。今はかひなしと 悔まれし。藤す候は七三を見て先舞台の行義はなはだ正敷見え侍る時 かし不行の身持よろしからんと。心底床しく。それよりちかづきに成。互に心安く 度く出合申されし。七三郎元禄十一年同十二年二とし山下座そつとめ 同年の暮に江戸木挽町山村座へ下らるゝに相談きはまり。七三郎より 藤十郎方へ置みやげを贈りたり。藤十良賤別に何ぞおくらんとかねて 思へとも。あの方ゟ置みやけを贈られたるに。はなむけを又送りなば。余り しつへいかへしにておもし何からずと。何も沙汰なしに暇乞に行。心よく見立別し ぬ。其太も極月廿九日に七三郎江戸の宅の門口に。歩行荷六人して持こむ。 少々此よしを聞。添状を見れば。坂田藤すすよりとあり其荷を見れば。わくに 入たる大壺を出す。身長肝をつぶし。何を送られたるぞ。藤生口の送りその なればさぞや。心をこめられたる物ならんと。書状を急ぎひしき見れば加を 川の水一壺しん上仕候。大ぶ〳〵に御遣ひ被下べくとの文体少長ほとんど我 を折ざても〳〵我在京の内出会多方こゝろを知りたると思ひの外。此度 の送り物にて心の底深き事。はかりがたしと。家内は勿論人々に語り申されし さしもの少名だに送り物にて藤十郎の心底ふかき事量りかねたり。其 余の人藤十郎にの事など一向論しがたし 一山下京右衛門曰。哥舞妓芝居のせりふは。随ら言葉にさし合がましき事これ なきやうにこゝろかけ肝要なり。其故は親子兄弟一所に来る見物人まく あれはなりと。若き役者への教訓尤なる事なり 一坂田藤十郎曰。舞台にてけいせい買の狂言を勤るさへ。さし合なり。然。 ともこれは是非に及ばずと申されし。しかなにいつの比ゟか。次第にさし合 のせり扨おほく。近き比は舞台にて二人寝る狂言など粗あり。かやうの趣向 を作る作者。古人の楽教をしらず。たとへ作者いかやうに作り出すとも。其仕内 を呑込勤る役者も同罪なり。藤十郎申されしごとく二三十年過分ばやくしや の行義大きに乱ぬべしと未前を察し申されし事。日〳〵に思ひなりたり 狂言に差合の体あらば其場に及ばぬうち。いかやうにも仕様あるべし。近来の きくうげんは。親子兄弟一所に見物成がたし。扨々にが〳〵しき事なり 一坂田藤十郎曰。哥舞妓やくしやといへるものは。人のたいこをもつけ しやうにくは。上手になりがたし。そのやうに心降ると。後は役者同士の出合 も。はなはだ疎遠になる物なかと若き者どもに毎度申されし 賢外集終 来暢冠 好文堂 此書や三都会の劇場を こゝに見するの玄妙おもふに 霊鬼志に云ふ千歳の狐車を 塚に入るゝに塚不損車不壊の 不思儀にひとしと現をぬかすも 好きの兀頂八文字に 化されその書の尻へに 跋をかくもの 京都 妻乞禁 怪々隣 所 目書板藏省 舎 文 八 堂先生訓会 全部三冊 笠翁近體詩 役者五経全部五冊 役者新語補全部斎 我書 日初上人著 全部五冊 夜半亭蕪村楫 俳諧玉藻集 一全部二冊 役者形気全部五冊 七徳帖、 小野道風卿真跡 全部一冊 役者訓蒙図彙全部五冊 栢進發句集金部一冊 夾峡帖 藤原佐辺卿真跡 全部一冊 訥子発句集全部冊 画本置而束全二冊 伊澤役者於句集 村金部三冊 彼者吉又一枝 やくしやに句舞 一全部二冊 役者百人一枝 観世流 一本百番箱入 一全部介冊 其外に本 歌曲手染糸 嶋原投節寄 全部一冊 半紙六十 半切本 御入峰御行列記 小大十 く 三ヶ津役者芸品定 数百郎 此而話別世界全部五冊 役者廿一史金野工場 顔見世二の替盆狂言 新春梅若葉全部五冊 役者蒙求全部三冊 古今役者大全全部六冊 小倉形時雨色帋全部五冊 役者節用集全部一冊 新刻役者綱目全部六冊 舞台三津扇全部五冊 役者年鑑両面摺 役者全書全部五冊 七九兵助著 一全部五冊 舞台百ヶ条全部一冊 役者論語全部五冊 遣放三番続全部五冊 福田弥五四郎氏著 新鉢かつき物語全部五冊 あやめ草金部一冊 歌舞妓事始全部五冊 富永平兵郎者 耳塵集 金子市左衛門辻 風流略雛形全部五冊 芸鑑 全部二冊 民谷工音著 一中山新九郎 一蝶耶鄲枕 一冊一代紀 冊 冊續耳塵集全部一冊浮世壹分五厘全部三冊 同續耳塵集全部一冊 東三八階 無名子著 役者発句占 全部二冊 賢外集全部一冊 近黒道人著 蓮智坊著 鸚鵡石 初まね全郡一冊 仕やう 佐渡鳥日記 佐渡鳥日記全部一冊 仕やう 安永三年甲午五月 6977 江戸大伝馬町三丁目 鱗形屋孫兵衛 大坂心斎橋長堀北詰 和泉屋卯兵衛 京都屋町通誓願寺下ル町 八文字屋八左衛門板