虎豹童子問
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- 柳亭種彦
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- 2026-08-17T19:23:22.163Z
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- 2026-08-17T19:23:22.163Z
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- コヒョウドウジモン
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- 東北大学
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- 2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
狩川
竹下町一丁
虎豹童子問完
武士博藏英國武
表
小田原北條家
文書所捺印世
編曰虎印
銘禄寿応穏
高雲逐気
浮厚地随
声震
儲光義猛虎行
詩中之句
虎匂
『荒井恭馮聞闍贈会ヲ一
羽里
裏裏一
裏
狩野亭吉氏藤蔵画
第一
同二十文
小島市販
延酉新春上元之日
為柳亭主人
八々翁武陵知雄纂
四十
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
克
20
顕昭法橋の
歌に
芳幾画
蘭名
身を
す
てゝ
七郎
思へと
いかゝ
から
がらくにや
くにや
とらふす
谷に
よをも
つくさん
定家卿の
歌に
高山の
みね
候
一ふみ
ならす
魚の子の
登らん
みちの
すゑそ
蘭名
はるけき
一〇、、、、、〇〇〇〇、、、〇、、、、、、、、、、〇〇
虎白
寿翁
虎豹童子問
柳亭種彦述
○童子問て云此程両国橋辺にて観せ物にする虎は
其毛の斑文銭の如し。かやうの斑は豹とこそ聞及て候へ豹は
恵の牝となれば。兔と同物にもあれ別に豹と云名の返上は
とらとよぶもいかゞ。但し虎と呼て可きか否余答て云
豹は虎の種類なれど。牝といふは非なるべし。さて蛔之網の
類林新詠三十六条に。古詩に。古詩に。則豹之歌と載たり
古詩は誰の作か
五十一
宗事
此獣猛く捷きこと
とは本草綱目
豹の条に
いまだかんがへず
草綱目五十一豹の条に。宗夷此獣猛く捷
がいはく
がいほと
鼠に過たりと。記せるが如く。鼠は豹に克がたければ。兄弟に准ふ
れば第なりと云迄にて。同胞の義にはあらじ。又同書に。時珎が
云金亀迹
云金蟲述結りに。虎三子をうむ。其一は弱也と。記したれど。哀の豹
名
に変ずる事あれば彼書の作者
に変ずる事あれば彼書の作者児は夫を見て。虎の豹をうむ
事有と調へるならんと論へり。されば虎豹は兄弟也といふ説は
あれど。豹は虎の牝といふ事書物に有事なし。さて豹は日本
書紀
十九巻
二十二巻
に。豹尾の字をナカツカミノヲと訓たり。故に和名
調新
抄断毛群部にも。日本紀私記を引て。豹の和名奈賀豆可災と
泣されたれど。陰陽家にいはゆる八将神の中なる豹尾の神は其位
中宮に有と云を以て。豹尾を中津神と訓るにて。正しく駒を奈
賀豆可美とは訓がたきやう也。こは菊を。和名抄に和名加波良与
毛子。一可波良族波岐と注し。堵を新撰字鏡類聚名義抄
等に。加波比良古と訓るがごとく。世に普く移しにはあらず。古も
今も。菊も蝶も。字音のまゝとなふるに同じく豹も音もてよび
なれたれど。若和名を以てよばんとならば。中津神など云んより
元来気と同種の物なれば。石竹をも撫子とよび。矮鶏は
勿論。シヤムをもトウマルをも。庭鳥と云て妨なき例にしたがひ。
豹をも止良と。大やうに呼んにおいて。何のくるしき事あらむ。
○童子問云龕は異城の獣にて。皇国に固より有ものならねば
菊蝶などのごとく。音にて称び。別に普通の和語はあるべからず
止良とは朝鮮などの結にてはやく皇朝に伝りしならんかと或人
いへり。さやうにこゝろえてよろしきや否答。此説は谷川氏の
わくんかん
和訓薬にもしるされたれど。清の嘉靖六年。朝鮮の崔世
珍が撰びたる訓蒙字会春獣畜部に。
南瓜廿己のち。六里。俗呼一老し又呼二大虫林疋謂鈴苑一
朝守文
とあり。諺文物穀の生営の二字は韓語なり。或は字音にて久
字を打ス
字也。コと呼も同じ。方言に古今の沿革すくなからねどカルオ
ムと。止良。とは一臠も相通せず。こゝを以て止食は韓語にあらざ
るを知べし。按ずるに。山海経の鶴海外東経に。君子国は衣を着
冠をかむり。劔を身に帯獣を食し二の大なる虎を使ひて。旁に在
しむる人あり。国人譲る事を好みて争はず
十四巻
にも有
とある君子玉は
我大日本国の事也。漢土の太古。皇国の風俗正敷美なるを聞
伝へ称めて君子国と呼し事彼土の書にこれかれ見えたり
かの土にて皇国を日本わこく
皇国に虎ありし事。諸の古書に見え
などゝよびけるはやゝ後の事也
ずして。唯荒唐奇怪の山海経に。希々に君子国の人衆
を使ふと注したりとて。其を證拠として。皇国も太古はとら
有とも慥にいひがたき事なれど山海経も後世の小説稗
臾の若く。虚妄を宗として。故に仇たる物にはあらず間
他書に相照して。まに徴となる事もあれば見過しかねて
爰に引出せり。若皇国の太古衆あらば。止良といふ和語
のあらん事何事かあらむ。しかるに。皇国に虎豹のありしこと。
古書になきは。かゝる暴悪の猛獣なれば。蒼生の患なからし
めんが為。皇神逵の神議にて。いと早く外国へ退却せ給ひし
なるべし。縱令神の追拂給はずとも。仁政大に行は事地には。
究すむことを得ざるよし。漢籍に多く見えたり。後漢
光武帝の時。劉昆といふ者弘農といふ地の守となりけるに
此地なる嬌縄駅の道に先年より荒多くて。旅する人通り
わづらひしに劉昆政を為めて三年に及仁化大に行れ衆皆
子を負河を渡りて。他国に移りし由。後漢書にしるし。又梁の
天監六年。孫謙といふ者、零陵といふ地の守となりけるに。此地
ももと虎の暴る事多かりしを孫謙は極めて廉直に宴欲
人なりければ。此地に至るに及び。衆其徳におそれて。迹なく
去りしと梁書に見えたり
此類の話いくらも有めづらし
からねばたゞ二則をいたす
○童子問。四睡の図とやらんいふ画に。唐僧豊干禅師眠れる
衆に倚かゝりて。われもねむり。使童寒山拾得の二人もかたはらに
ねむりいたり。虎をつかふと云は。これらなるべし。豊干禅師に
悪来市荘子などの手並も力量もあるまじければ猛気も高
僧の道徳に服したるか。仁政行はるゝ国には。住ぬよし義はれば
虎は暴悪といへど善人悪人の差別を弁へぬ獣にはあらじ
どうしけう
童子教には
実に二十四孝の画説にそえたる楊香
一が親に代ら
揚威とす
むとせし孝心に感じ。害心を忘れしなどさも有べし且衆は
人を残害おき通力にて其屍を起すれば其人蘇生たる
如くし身に衣を脱て裸となる。その時究其屍を食ふもの
なり。とある人の物語いたし候。虎はさやうの魔物に候や
善。此説は酉陽雑俎に出たり。実にさやうの事をするか。
妄談なるか。余はしらず。されど虎妖の譚は。漢土の書に
許多出ていと多し。唐の開元年中衆人の形に化し
或人の女を妻となし。奥山に家を造りて住家とし。二載ばかり
経けれども。婦は虎なりとも心もつかず。或時二人の客。酒肴を
携来たり。奥付敷にて酒盛しけるに夫は婦を戒て云此客財
異しき事あり。窺見るなと止めけるが。須更ありて。主も容
も皆酔伏たるやうすなれば。婦は見るなと試し教。却て怪しみを
おこし往て伺ふにあらあさぬしや。夫も客も春虎にてありければ
大に驚き恐れながら。しひて心を落し付。何気なきさまして
ゐけるが。時移りて鼠どもは目を覚し。人の形に記。容は帰り主は
とゞまり。もし座敷のさまを窺見しやと問戒給ひし語を守り。
戸口までも往ざりしと答へけれは。虎は少しも疑はず。その後
異る事はなけれと。婦は心安からず。一度家に帰り。父母の安
否も尋たし。と余義もなく請ければ。さらば送りて行べしと衆は
酒肉を提つゝ。湯とともに山を出。婦の家へ行道に水やら深き
川のあり。婦は先さきに渡り。虎は後よりいと高く衣をひき
まくりて渡るを。ふは岸の上に立て戯ていふやう。卿の臀のあ
たりに虎の尾の見えたるは。いかなることぞといひければ衆は我
正体を見付られしかとおもひ大に斬て引返しもとのやまへ
四百廿一
馳帰りぬと太平広記四
七巻
馳帰りぬと太平広記四百番に広異記を引て記せりなほ
同書に及第の為上京せし人衆の少女に化したるを妻
とせし話笛沙終南山の衆に所望せられて笛吹し話
櫛も有日本書紀に。皇極天皇の御世。鞍作の得しと云人
高麗国に渡り。学問して在ける程。衆と友達になり。虎より寄
術を伝授し。枯たる山を青き山に変。地を化て水になしなど
するのみならず。又虎。得志に針をさづけ。これを用て。萬病を
治する術をも教けり得志此行をもつて病を救ふに。皆差ずと
いふ事なし。恒に此針を柱の中に隠おきけるを。其後荒意に
かなはぬ事ありてか。其注を穿ち針を取返し走去りぬ。かく
て得志。針術こそ行ひがたくなりけれど。幻術は自在成けれは
皇国に帰り弘めんと思ひけるを。高麗人奇術を余国に
伝へん事を惜み得志を毒殺しけると云物語を載させ給ふ
是等の故事。委信ずべくもおぼえねど。古書に歴然と記し
たれば。虎の妖をなす證には備ふべし。又虎に食れて死たる人
の鬼を俵鬼と号く。常に虎の先に立てあるき。虎の案内
者となるよし。小補頼会本草綱目。其余諸書にあり
亦恠しき事也法師の虎を服する事。炎干の外曇献経
文を誦ば数十頭の虎前に蹲り。又天竺の耆城。路を過
諸科
れば両虎耳を垂尾を棹るなど。と高僧伝に見えたり
仙人にして鼠を使ふは。董奉。介象呉彩巒女。文簫。鄭思
遠。王延長師道。など算るに遑あらず。列仙伝。神仙伝等に
ありて珍しげもなし。都て道家には龍虎に象事多く。龍
章気符。龍輦虎新など云名目をよぶ事常の事なり
○童子問虎は千里の藪に栖。又千里往て千里返るなといふは。
本拠ある事にや善未覚悟せず但し漢籍に。虎に介を
添たる事。余未見当らず。五雑俎丸に熊は数千里の外にゆき
宿る毎に必窩を造る山中の人これを熊館と云衆は則百里
の外に出れば。額迷て返りえずとかけり。騎鼻といふ獣は。形虎に
同じ。色白くして斑文黒し。仁義の獣にて。聖王の世には出るといふ
麒麟風凰の類なり。晋の郭瑾が賛に足を矯れば千里。偉忽
たること神の若し山海経にも駒吾は日々に千里を行とかき
たれば虎なりを走るといふは。此鑰虞の事なるべし
○童子問。虎の美名於蒐。大蟲なとはかねて承りぬ。自余種々
ありや善。余も書見いと寡ければ覚悟せず天中記に出たる
中のと開記せるとを一二告申さむ
よかせい
運斗樞又駱賓王
山獣之君説文百獣之長風俗通李耳
枢星
集に出
般文考集郵虞吏植朴子諸禽之雄論衛衝夷虫蛭戦國策
寅歌真語白額侯官
宣宝志
以上次第は本
書にしたかふ
李父楊雄方言
伯都同上大蟲財后方於菟左氏傳博書に烏樺に流る
○童子問はじめに問ふべきを忘たり。誰々も云。虎嘯けは風生と
いふ語。何の書に出候や善こは古文孝経凡安国の序文に
出て雲集而龍興るの対句也但し生るは起字をかきたり
本草綱目に。時珎が格物論。諸證弁疑を引たるには生守也。
○童子問虎の事は大かた心得候。豹の形状生質もあら〳〵承り
たしく答。余は知るゝ如き文盲なれば。即答もむづかしく。考索
る書藉も傍になければ。本草綱目より抜出て善に代つべし。
時珍が曰豹の性は暴なり。故に豹といふ。
暴音はう
へうと音ちかし
説文に豹は
せいじつううかゞふ
脊長く。行時は脊隆くなり。香々として司殺」
司は正字通に伺につくる
人をとらんとうかゞ子のかた
の形を具ふるを以て。香の篇に従と云。王氏が字説に。豹の性
は物を句て程度を取て食する故に。其字句に従ふ。されば豹の
一名程とも名づけたり。沈氏筆談に秦人は豹を程とよび。東都
世にては夫刺孫といふ。陶弘景云豹は稀なるものにて。薬用も亦
鮮し。煩に曰。豹に数種あり。山海経に雲豹あり。詩経に赤豹盗
尾赤くして文黒し。爾雅に白豹あり。即鎖也。毛白くして文黒し
宗輿曰く。土豹あり毛更に紋なく。色亦赤からず形亦少し。時孫又
いはく。豹は遼東及西南諸山に時々あり。状虎に似てちひさし。
白面団頭。自其毛采を惜む。其文銭の如きを金銭。豹といひ
裘をつくるによろし。其文艾葉のごときを艾葉豹といひて
其品次なり。又西城に金線豹あり。文金線の如し。海中に水
豹あり。天文にては箕宿に応ず。広志に云狐死しては丘を
首とし。豹死しては山を首とす。本を忘れざる也。豹胎至て
美し。八珍の一とす。宗爽云豹毛赤黄。其文黒くして銭の如
く。中空にして比々相次といへり
以上本草
細目
○童子云。虎豹の事問べき事なほ数多あり。虎物を棹に。三
躍して中らざれば捨るといふ事。虎を制する獣ある事。外国
にて衆を捕仕方。虎肉虎骨等薬になること。古来虎を
皇国に将来りしは。幾度なる事など承りたく候へど日も
暮に進ければ。又の日参り候はむ余言。余も又人に問聞て西洋
新聞の事などをも語るべし。猛獣の国にあるは。喜ぶべきにはあ
らざれど。一たび吼れば屋瓦皆震ひ。几上の酒傾ざる事なしと。
五雑俎
謝在杭が五雑組云けるごとく。いと〳〵おそろしき獣を市中に
に
おいて児女とともに。ちか〴〵と見る事よ。実に泰平の徳化普く
海外に逮ぶいとありがたき君が代の大御恵なるべし
虎豹童子問に
18533
あらこ