婦人壽草 6巻

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香月啓益纂輯
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場所: 京都
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香月啓益纂輯
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日本語
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梅村三郎兵衛
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フジンコトブキグサ
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東北大学
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フジンコトブキグサ
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2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
狩衣 婦人壽草 婦人ことふ幾草 悉し煮恭炬舌の害を 婦人寿草序 補理亭吉原旧藩冨 対野氏図書記 聖人孝を説給ふに身体髪膚を毀傷らさるを始とし 身を立道をおこなひ後世に父母を煩はすを終とし 給ふ又不孝の品々多き中にのちなきを第一の不孝 とす嗣をもとむること安きに似てかたく古より の教はあれと世くたり道おとろへ身のつゝしみ疎 に成行にや凡子なきの輩は神に仏にあゆみを 運ひねかふもひとつのやうなれとたゞ名醫に近 付て妻毒の気血たらざる所を補はゝ悪からし 芦垣の間ちかく験をとるへきにや又青梅のす きこゝろよりなりて分晩のときまて万に身 のいたつきのいるもしらすて危にいたらむこと恐れ さるべきや醫は化の一事たり委く散すばあら しと記し置るものなり此書にしたがはゞ羊 の産しやすきかことくにて其子の八十つゝき事 なくて家の内なんこと祝言草の種うゆるわさなる へし此書つくれる人はたそや香月氏貞庵医 もと筑前の国の人なり昔年香月七郎/則宗其 彫勝 子三郎則定 非也 子三郎則定輔越来遠賀部香月の庄を給はり し事吾婦鑑のあきらかに記し置れたる 其末として良臣たることを得すは良医とならん とて終に其道の功なりぬ事の便ありて豊日 別の國の面倉無濱の海松布かりそめに来られ しに蒼生の痼疾も快き春にめくらすこと多し 老たる親につかへ幼き子を育むにも此人の来れる をたのもしきことに思ひおれりされと住へき 囲求留にあらねは御笠山さして帰らんとありし にみな人慕てしはしと留るこゝろを門司の闇 守になしけれは不意すめる事四年になりぬ 此人あらはせる所の書事痛多かる中に此巻三 はむすひ捨たる草枕旅にしあれは携る所の 書もともしく猶考のこせる事も多かるへきを 書林何某見る事有て梓にちりはめて今の 時にももてはやし後の世にも伝へむとせし頃 予隔なき朋友なれは始終しれる事とも端つ かたにしるし付へきよし命せらる我愚なる身 として桜麻のみしかき筆もて書つゝけむ事は 葛の葉のかへりて此書の面伏なるへけれと強辞 せむも人かましけれは下疎々々記して其求めに 恋するものならし 豊前中津住 坂部彌堅書 婦人寿草例言 一此書は婦人嗣をもとむるの術より妊娠十月の 一間の保養産後百日まての摂養の事共を 唐土の文に出たるをは我邦の文字にやはら けまた我国のつねにみもし聞ける事 をましへて書つゝり侍りぬ世の夫妻共に 此書をよみて此こゝろをさとしなは子なきは子を 設気子あるは妊娠の胎教産後の摂養みち にかなひて萬の病なくやす〳〵と身をたもち 後病を繁栄ならしめんこと是ことふき草の根 さしなるのみ 一此書に書載る所の諸説みな誰人の説何の書に いは〳〵とその出所をたゝし書て其説々の是 をあけ非を続てましゆるに右聞ける所 をいすこれわか胸臆の私をもつてみたりに書 しるさゝる事をしめすと也 一求嗣の説産前後の法古書に載る所甚多し しかれ共其説長けれはつまひらかにときなし かたく其理ふかけれは明かに弁しかたし此 書に載る所はたゝ世俗日用にたよつはある事 のみをあけてしらしむるなり 一諸の医書に求嗣産前後の薬方あり此書に 書載せす是しけきをいとふにあらす薬方をかき のする時は世俗其論を證してゐたりに調合し て勝用し其害多からむことをおそれてなり又 其内にても世俗用て害のなき薬方は其事をこ とはりて書載侍りぬ 此書文字を仮名にやはらけさる所にはそれ〳〵に医 訓をなしてよみやすくさとしやすき便とする也又文 理通しかたき所をは細程をなして二行に書しるし 侍りぬ是またよむものにさとしやすからしめんと也 一此編は予豊前国中津川の旅舎にて或人のもと めに応して集録する所なりもとより方短く 識拙しまひて旅窓に雪蛍をてらさす負ひ 携る所の書及もとほしく辞するに其人に あらさるを以すれ共其せめ再三なれはいなる かたく記臆せし事共をとりあつめかきしる し侍りぬ此書もと宏才の人のためにあらは さすたゝ世俗のみるに便するのみなれは後のみむ 人文理のいやしきを笑ふことなく考へ銭せる事は 一旅衣のひも短く夜いつかさるとゆるとは幸ならんかし 元禄壬申孟秋下弦日 筑前後学貞菴香月啓益識 婦人寿草目録 巻上一 七丁メ 第一求嗣の説七丁メ 第二子なき者鬼神に残るの説十七丁メ 第三子なき者夫婦慎へきの説十九丁メ 第四夫婦吏嫌日時の説 巻上二 第五子を求るの術一丁メ 第六子を求る薬剤の説 第七子を求る薬餌の説 十三丁メ 㐧八受胎の説十三丁メ 第九鬼胎の説 十八丁メ 巻中三 㐧十帖教の説一丁 㐧十胎教の説 第一胎教の説一丁 㐧十一怪婦食忌の説六丁メ 㐧十一妊婦薬忌の説 㐧十三妊婦胎を騒るの説 第十四胎内の児男女をしるの説九丁メ 第十五胎内の児男女をしる算法の説十丁メ 十六女を転して男となすの説十三丁メ 㐧十七妊婦腰腹に帯をまとふの説十五丁メ 第十八産前諸病の説 㐧十八産前諸病の説十七丁メ 一ノ十 第十九胎自堕の説 㐧十九胎自堕の説廿六丁メ 巻中四 第廿妊婦胎を下し幷産を断の説一丁メ 四丁メ 第廿一胎内形体の説四丁メ 第廿二/産月いまた足ずして産し都を過て産せさるの説 第廿三/逐月胎をやしなふの説八丁メ 産前治法の説 㐧廿四産前治法の説十一丁メ 第廿五妊娠産園并禁祝の説十六丁メ 第廿六産月に入て蓄へ置へき薬剤の説廿二丁メ 第廿七産婦月には父母の家に帰るの説廿六丁メ 巻下五 廿八日西ふ臨月摂養の説 第廿九難産の説四丁メ 第三十段産の説七丁メ 㐧卅一段産治法の説十九丁メ 巻下六 一丁メ 㐧卅二産後調護の説一丁メ 九丁メ 㐧卅三産後食治の説九丁メ 第卅四日産後諸病の説十四丁メ 第卅五産後乳汁の説 㐧卅五産後乳汁の説九四丁メ 㐧卅六/産後梅養治法の説廿五丁メ 婦人寿草目録終 婦人寿草巻上一 筑前脱出香月啓益纂輯 ㊀求嗣の説 ○夫人の夫婦は天地のことし天地和合して万物生し夫婦夫婦 して男女生す人は万物の霊長なれは生としいけるものいつ れか人にまされる人のたつときは道のそなはるを以て なり道とは五倫をいふすなはち君臣父子夫婦兄弟明 友なり君臣の忠義も父子の親愛も兄弟の弟敬も 朋友の信睦もみな夫婦ありてのゝちなり故に夫婦は 人倫のもとなりといひ中庸にも君子の道は端を夫婦に 夏後とは子 なきを大なり不孝 造すと説孟子の語にも後 いふ とあれは婚姻のゝち必別続を求ることをしるへし 按する ○素問上古/天真論に女子は十四歳にして月事下り 梅する に月 事一には月経月/俗月/水といふ月事とは毎月さたまりて血下り事あるに よりて名つく月経とは経はつねとよむ毎月つねありて変せさるといふ義なり 月信とはこれも毎月事ありてたりばざる故に信の字をもちゆるへし。 水とは血は陰物水もまた陰なれは水の字をもつて名付るなるべし 男子は十六歳にして精通すといへりしかれとも此時男女 ともに精血いまた充智ならす故に礼記に聖人教を立て 男子は三十にして室を 室とは 妻を云 妻を云 ◯あり女子は二十にして嫁するの 義をしめしたまへるなり ◯子を求めんと欲せは婚姻の時節を能知究むへし医林 集要に夫婦幼弱にして血気いまた充盛ならすこれを婚嫁 時を得すといふ如此なるものは真気はやく洩れいまた壮なら さるにおとろふ故に交会すれとも孕まずはらめとも育せ を育すれとも愚昧にして寿からすといへり北隣の諸證 の説にも麗女弱男は其血気盛なる時をまちて嫁娶すべ し粥の帝あまたの后妃をそなへて子なし其故を諸 澄にたつね給ふ祐澄のいはく帝の后妃みな容貌をたつ とび色をおもんし艶を事とし給ふ故に十四五歳より廿 歳まての小女なれは血脈いまた朝和せす殆男色のた ぐいにしてはらむことなしと答られたるなり誠に さあるへきことなり本朝近来嫁聚をはやくし其時を 得さる故に生子病多く或は虚弱なり淮南子に文王十 五として武王を設くといひ平江の蘇達卿といふ人の妻十二 にして子を産すと楮紅室といふ書に載たり此等の類本 朝にもまゝたき事なりしかれ共皆人事の変にして つねとなして論じがたき事なるへし ◯巣先方の説に子なき因縁三あり一には墳墓風水不 利二には夫婦年命相克三には疾病といへり墳墓風水 不利とは唐土には風水家とて陰陽家の類にして又/別に一 流あり又地師と名つく此もの心水風土の形勢を考へみて 或は家をつくり堂寺を建立し或は墳をきづく方位をさた むるなり其人の生れ性により其家よりの方角により 或は風土山水の形勢によりその方角に墳をきつけは 子孫繁昌し彼方位に築けは子なし後裔も断絶 するといふことあり万年山人が理数日抄といふ書に 一唐土土 くはしくしるをり中花陰 には此事を専要とする によりて親をはうむるに先地師をむかへ或は葬師とて 葬礼の月日時刻をえらひ或は山水風土の形勢方位を かんがふるものゝ類をまねき子孫の貧福貴賤賢懇 寿天もみな此事にゆたぬるなり其説もまち〳〵にし て決定なき故に愚昧なる人は子孫の利をはかりて 墳をきつくことをなさすして父母の骨骸をむなしく 雨露にさらす類の者多し司が温公といへる大賢 は此事は礼法に憚り義理をやぶる子孫たるものする にしのびんやと云てかたくいましめ給へるなり本朝 にも此術いにしへは流行せしにや金徳太子の御墳を かねてつかせ給ふにもこゝをきりかしこをたて子孫を あらせしとの給ひしも風水のことなるへし此事唐土 の風俗にして上古よりあまねて云つたへ耳馴たる事 なれば巣氏も此ことを信し習つて察せすかく書しる し侍るなるべしいかんそ墳をきつて方位山水風土の一 形勢子をもうくるの事にあつからんやこれらの説かな らず信すへからす二 ̄ツには夫婦年命相克とは木性の男 土性の女をめとるのたぐひなり木尅土とて木は土に勝 なれは悪し倭俗これを桐性とてことのほかいむことし なりされとも五行の相克は素麺にして負るものを妻 とし強測にして勝ものを夫とすると扁鵲の説な れは此事もまた信じかたししかし相性をえらふ とても人事にをひて害のなき事なれは婦人 愚史は俗にしたかひてえらひたるもよし件々た 我武夫のすべき事にしもあらす仕官の人君命に よりて相克の女をめとり子をもうくるたぐひをも つてしるへし三 ̄ツには疾病とあれはやまひあるもの は薬を服用しくすり餌をなして妻に夫もやまひ なく百冊調和なれはかならす子を生せすといふこと なし ○陳自明の説に人の詞諧なきこと男子の陽気不足 ふ人の陰血虚弱あるひはもろ〳〵の病におかされてのな なりいにしへの醫聖これをあはれみたまひ方をたて奉存 をたれ子あるの道をしめし給ふなりかく種々の計 策をもちひあるひは上下の神祇にいのりあるひは毒 脾を貫て交会すれとも子なきものありこれみな夫婦 平日の心行悪逆なるゆへによりてしかりかならす天 命のしかする所のみにあらす夫婦ともに心行の非 をあらため善を修し徳をつみ功をかさね恩をほどこし 一魚を敷ときは天帝の報艶自然に感通して子を生し よろこひを後裔につたふるといへり能々をのれが徳行 をつゝしむへき事なり ○時邦美といふ人の父老て子なし一人の毒を買ふ 此毒暗室に居れはかならす悲哭すこれをこへこも 其よしをこたへす邦介か父あやしみおもひて しきりにせめとひけれは妻がいはくわか父は獄剣とみて 獄とは つみをう けて牢剣に に死せり家まづしきによりて妾が身を 入をいふなり 販きて父の喪葬のいとなみをなす故にかなしむ といふ邦芥か父これをあはれみ金銀をたつさへ毒 と共に其家にゆきて葬のいとなみ熱にとりおはな ひてかへるいまた年月を経すして邦算を産す邦 介は学問天下にほまれあり翰林学士といふ官に 任じ保禄充満子孫繁栄したるなりまた馬熟と云 人これも嗣続なし登州といふ所の奉行となりて 毎日微屋の罪人をあらため料の軽重をたゝし天 子に奏問して死罪をなだむることあまたなり一日 馬黙夢中にひとりの老翁の衣冠たゝしきか男 子と女子とをの〳〵一人つゝ左右にさしはさみ空に乗 してきたり告ていはく汝もと嗣続なししかるに今 人を活すことあまたなる故に天帝則これを感し給ひ 汝にたまふに男女各一人を以すといふ其言葉終り夢覚て あたりをみれば翁は五えす現に至のやうなる嬰児二人を得たり 邦算か父高黙か事実共に為善陰陽禄といふ書に載たり ○正統年中に合肥と云所に櫂氏何某といふものあり 年六十まて子なし人の讒事よりて保安州といふ所に 遠流せら留道にて情ある人あり也羅子に逢て故鈔鈔 帰る道を教すみやかに遁れ回りて非なきよしを云開き てのよとあれば羅子答へていはく我もと人のそめに かく累はさる。今我のがれ帰て罪なきを云開かはまた其 人を果はさんわれはするに忍ひたるなり其上国王の法 金難を御ゆるされもなくかろ〳〵敷遁れそむくへきやと て終に保安州にいたりて土民となりて住ける或夜盗 賊二人そのたつさへたる金銀あるかと疑ひ墻のほとりに 穴を穿て内に入らんとに羅子が妻此事をさとり宵 より沸湯を蓄へ置て其穴に盗人のいたるを待居た り羅子此よしをみて窃に盗人につけさとしてかへす 次の日羅子市におたり道の辺に羅子を拝するもの 両人あり子細をたつねけれは昨夜の盗人共なりその のち羅子外にいつる事あれは両人の盗人前後を 守護〳〵夜は其家を守りためなり程なく羅子かつ ま死せり毒を買て一子を産す其子ひとゝなつて学 業世間に聞え延安といふ所の太辺に対せられたる なりと温隠居の求嗣保生篇にのせたり ◯婦人の性多くは執佞にして嫉妬のこゝろふかし上は 皇后王妃より下はあやしの賤の妻にいたるまていにし へ今にかはる事なく唐土我朝通じと婦人の愚情なり されば聖人の立教にも婦に七種の去事あり妬むは去と云 事其一にあけたり仏教にも不成仏の者四種あり嫉 妬のふ其ひとつなれは儒釈ととに戒むる事也婦人嫉妬の 情ふかき時/恐火の焔やむときなく火は物を消滅するの理な れは真陰の水を煎耗す是を一水は五火に勝ことなしといふ 故に嫉妬の婦ははらむことなしはらむといへども必小産をな す或は痛すれども寿からず或は多病にして愚昧なり詩経 の薬筥の篇に天下/和平なれはふ人たのしんて子あり と楊氏の註に婦人嫉妬の心なきときは内外和平にして子 あるを以楽とするなりと見えたり古人の説に妬物を守る 按するに浮語の注に万二千五百人を軍といふ や勇猛なる事は三軍 とあれば三軍三万七千五百人をいふなり をも奪いきほひありといへ共國房の内に感おこなふ事かた 天地四方を にあまねけれ共術紅粉にめくらすこと 〳〵智恵は六合 六合といふ がたく首をふせ眉をたれて婦人のそめにくたると五雑 翠みえたりしかれはいにしへより妬ふのあしらひにもてあ つかひたるなり本朝第一の好色在原の何某も弁問 の女の龍田山の哥にはぢで高安の里にゆかすなりけり 是嫉妬の情なきをもつて男も自然に其徳に感して好 色をとゝむるなるへし婦人つゝしむへきはこの情なり ◯婁英の説に子をもとむるの法は婦人の経水を調るを以て 先とす経水とゝのはされははらむことなし其調はさるものゝ 由来をよく審にして薬を用べし其/経或は毎月の都より 前々或は期より後れ或は経水下りて後いたみをなすは皆/虚 証なり又経水少にして色淡きものは血虚なり経水多き ものは気虚なり又経水下らんとして痛甚く或は凝塊て散 せさるは血滞る也。経水の色紫或/紫色は滞りて熱をさしは さむ也といへり以上の諸症あらは早くおころき上手の醫 師に逢て薬を服し経水をとゝのふへしはらますといふことなし 時疹の説に経水は毎月一度ゆくその常なり或三月に一度 ゆくものありこれを居経と名つく一年に一度ゆくもの有 これを避卒と名つく一生経水行すして胎をうくるもの ありこれを晴経と名つくるなりと云へりこれらの類今時 もまゝ多しみな其変なれは常理となして論しかたし 此類の婦人はむまれつきなれは経水とゝのはすとて薬を眼 すへからす能々こゝろえへき事なり ○丹渓の説に子なきの肉たくは婦人による大祇婦人血すく なき故に陽精をたもつことをえすはらむ事なしといへ りたとへは主の賓客をうけても饗応のそなへなけれ は客何によりて久く留らんやと熟延賢の説に見えたり ◯温隠居の求詞篇に子なきの因多くは男子の陽気衰 弱にして精すくなく或は精虚寒し陰血と交る事なければ はらむ事なしと云へりそこへは射者力微弱なるがことし 矢枉れば的にあたる事を欲すともかなひかたかりまへしと 聾延賢の説にみえたり ◯劉宗厚の説に子なきの肉多くは父の陽気不足におこる しかるをひとり罪を母の血の不足に帰する事はあやまりなり たこへは肥地はよく物を生育すれとも種悪けれは生育せす 婦人経脈とゝのはす百病蜂起すれははらむ事なしこれ もとより齊地に種を植て必生生する事なきかことしといへり ◯胡氏孝の説にいにしへの醫聖世人の子なき事をあはれ み男子にかたり教るには精を王とし腎を補ふを以要とし女 子に語り教るには血を補ふを以主として経水を調るを以先と し又これにましふるに気をおきなひ気をめくらすの事を以 し其経脈を察して其/気血の虚実男女の形体の肥瘠其 忌の苦楽を審にして治療を加へ夫妻共に疾病なく百/脈調和 にして心行正直なる時は子を産せずといふ事なくそれ天下の 男子として父たらさるものなく天下の女人として母たらさら んものあらむやと云へり誠にさあるへき事なり世俗此理をき をさす夫婦共に己が保養法にそむき己か心行道にもとり嗣 続をもとむともいかんそ得る事あらんしかるをやみもすれは婦人に 不産ふとて天性生れつきて子を生せぬものありと云て罪 をふ人に帰すまた倭俗佛書の五不女の内に石女と云て子を 生せぬあり過去の宿業の引所これ則不産妻なりといふ もろ〳〵の医書或は中花の書をたく考ふるに心女は実女也 其陰竅少なり故に子なしと註して交媾の事/叶はさる 婦人をいふ也。夫婦の事叶はすんはいかんそ子を生せ倭俗交 憐をなしても子を生せさる婦人を不産女といふはあやまり也 霊枢経に地に四時草を生せさる所あり人に子なき者あり と引合て説給へはこれば不産女のことなるへしケ様の婦の婦人も百 子の内にしてひとりも有へしこれとても父母より受る所の 血気うすき故なるへし地も所によりて土かはき水涸れ天然も 地脈うすき故に草を生せさるなるへし古聖の説にも地道は 種る事を散すとあれは本より天地生々の気循環する所 に草木生せすといふ事なく夫婦吏婦して子を生せすといふ 事なし世間子なき夫婦はみな己か心行と保養とをつゝしまさ るにあり決定して皆不産婦と称する事大なる僻言 なり世俗大概夫婦の吏婦をたゝ戯事のことくおもひ淫乱 を長するなり故に聖人夫婦別ありと教たまひ又今時の 人は酒を以/雨とし酔て以房に入り糕を以其精をつくすと赤田 にていましめ給ふ也能々夫婦の心行保養をつゝしみて道にかなふ ときは子を生せすといふことなし 二子なき者鬼神にいのかの説 ◯子なき忘鬼神にいのりて子を設けたる事唐土我朝とも にたき事也/詩経に天玄鳥に命す降て病をむましむと症に 二月の 玄鳥は驚なり春分 中を去る に玄鳥降る高辛氏の妃簡秋都 謀にいのか玄鳥卵を遺す簡狄これを取てのみ則/契を生めり 契は有病氏となつて天下をたもてりと云へり邦謀あす 梅するに 一には高 謀音蝶と とは唐土にて子を求るのするの祭をなす神なり契は帝舜 みえたり の時の大賢にして自徒と云大宮にそなはり天下の政道を取 おこなひ給ふ則殷の太祖なり又孔子大聖も父の叔果絶尼在 といふ山の神にいのりたまひて生民ありてこのかたの大聖孔子 を生し給ふと史記にのせたり本朝にても伊予守源の頼義 朝臣は三神にいのりをかけて三子を生せり故に三神の御前にて 元服せしめ嫡男を八幡太郎次男を賀茂次郎三男を新 羅三郎と名付たまふよし古書に載たり此三人は源家の 祖にて繁栄したる事諸人みなしる所なり楠の正成も其 又志貴の毘沙門にいのりて正成を設たれば多国兵衛と名 付し由太平記に人にたり是又本朝第一の忠臣にして事 跡人のよくしる所なり其外唐土我朝共に飛神に残りて子 を設たる事あげてかぞへかたししけき故にこゝに略する なり凡鬼神にいのかや其身の心行正置にして真実を以て これを祈る時は神も感通し給ふなるへし孔子も丘かいのる事久し との給ひ聖廟の御詠哥にも心たに誠の道にかなひなはい のらすとても神や守らむとあれは神をいのかはたゝ己か心をす なほにして及はさるを花神にゆたぬいのるへし或人の哥に心を し誠のたにかなひつゝいのらは猶も神や守らむとよみけることは りにや世俗此理をさとらす己か心行の非を改ることをしらす 事あれは必佛にいのり子へけれはこれを神に祈るいかんそ其 出家をいふ倭俗の両部修合と云て しるしを得へき浮図は 仏神に祈祷をなすの類の者也 ○巫覡の類は財をむさ ぼり利をはかりてあやしき事をのみ苦さとして世をまは すなり能々心得べき事なり ㊂子なき者吏嫁慎むへきの説 黄帝の細 ○養生禄に素女 秋のいはく人年二十は四日に一度交 の仏女なり 嫁すへし三十八日に一度四十は十六日に一度五十は廿日に一度 六十已後は精を秘して交嫌をなすへからすと云へりかくのことく にして交会すれは男女の血気充盛なるか故によくはらむ 事をなし生るゝ子寿命長久息災福徳智恵をうる也。赤女 の説はその大概をいふなるへし必年の老少にかゝはるへから す少壮の人も生れつき虚弱ならは精を秘して交りをは ふくへし世間子なきものをみるに夫婦の交婦度に過れは 男女こもに精血痰乏にして常に深感の交嫌なきか故に たくははらむことなし今本朝任官の人東都宮間一勤番し 或は市人土民も遠き旅におもむき日を経てかへり来れは夫 妻ともに精血充盛なり此時/吏会すれは平生子なきもの も必はらむ事多しこれを以て心を付て夫婦交嫌の事を つゝしむへき事なり 四夫婦交媾の日時の説 ○孫思選の説に凡子を求めんと欲をは必交嫌の日時を撰 推して ふへし夫婦/本令五行相生相眼の日陽日陽時毎月の宿日を 按するに毎月宿日を推すの法/千金方物人良万等の書に委くしるせ りされ。陰陽家の妄説にしてとるにたらさるの事也しけき故にしはらく。爰 に略 する也 勝吏会すれは必はらむ事あり生子息災延命福徳智 恵をうるなりと云へり 按するに春は五行の米に属する時也甲とは ○四時桐眼の日とは春は甲乙 木の湯乙とは木の陰なり場はすゝんて生し陰 はとくれて生ずるなり甲は来つ兄こはまの身にして前域なり先をいつえと訓す上の二 身を鬱して木の先をきのえといひ木の方を略してきのとゝいふなり金の四代の妙 卯を夏は丙丁秋は庚辛冬は壬癸土用は戌己春は寅卯夏は 己午秋は申酉冬は亥子土用は辰戌世未の日是を相明の日と いふなとは其時を得て其気盛なるをいふ也 ○本命相眼の日とはたとへは木性の人は甲乙の日或は寅卯の日 旺するなり余の四行皆此例なり相生の日とは木性の人は雨 丁の日或は己午の日をうるを云也木生火とて木より火を生 するの義なり余の四性も又此例なり ○陽日陽時とは甲酉庚壬戌の日。或は寅の日より末の日よを 陽日といふ寅の時より末の時まてを陽時といふなり ○孫思迦の説に子を求めむと欲せは吉良の日を撰んて 交合すへし或は丙丁甲子庚申の日或は上弦下弦悔朔朔 の日或は大風大雨大雪大霧陰晴の日或は虹寛雷電霹靂 日月の蝕地震極暑觸寒以上の日時に交会すへからす或は神 廟塚墓井竃の前後国厠尻櫃の傍にて交合すれば たくははらます胎を受るといへとも必母の命を損し生なる くは愚頑又は不孝不徳にして寿短き也と云へり ◯丙丁の日を禁するものは丙丁は火の明する干にして陽中 の湯なれは人身の陽気もたるふり極るの日なり故に此日 吏会すれは陰火いよ〳〵内に動く火は物を焼滅するなれは 真陰の腎水を煎耗する也是を以此日/房欲をいましむる也丙午 丁巳の日は午ノ皮共に火なれは猶更戒むるなり夏至五月 五月の 中氣を云 後丙丁の日房事を禁すへしと千金方に載たるも此 意なり倭俗丙午の男は女をころし酉午の女は男をころ すといふも此意なるへし ◯甲子の日を禁するものは甲は木に属して天の陽干の 始なり 梅するに干は綿なりとて木の直に立たるえたと云義にして。 蝦にして陽なり五行をの〴〵陰陽あれは其数十あり 子は水に あするに支とは枝なりとて木の横に出たるえたと 属して地の陰支の始也仍 いふ義にして陰なり陰陽の内に始中終のみつあり これを三陰三湯とぞひ則六気なり此六気に ○此二物は万物は万物の根本にして十一 また各陰陽をわかり故に其数十二ある也 月冬至に一陽来後とて陰気つきて陽気始てきさす先甲子 の日を始に立て暦元として暦をつくり千歳の始万歳の後 天地の気候の運行日月の蝕等にいたるまてあまねく考 しるも皆此甲子にもとつかずといふ事なし黄帝大菩薩と いふ臣下に命して五行の妙用をさぐりもとめて甲子を作 り始むと通鑑前編黄帝の紀にのせたりかやうの支 干にして万物の始て生する時なれは此日房欲をいましめ 人の生々の陽気をやぶる事をつゝしむ也 ○庚申の日を禁するは道歳経といふ書に庚申の日は斉 戒沐浴し心身を清浄にして一夜睡る事を禁して鶏の 聲をまつ是を庚申をなるといふしからされは人の身中に三 の蟲あり此虫此夜人の眠りたる間に天にいたりて人の悪 を天帝につぐるなり労療の病を患ふるもの必庚申を守 るへしと載たり本朝にても往古より此事伝りて守る也 就中天王寺の僧仏法に附合してあやしき夢の告あり といひ近来好事の者猿田彦の神明に附会す是幸に 《振りて《振りと訓通するによりてなるへし都鄙共に庚申 の堂社を建立し家毎に守り戸毎に拝す婦人愚夫は 神仏と思ひて尊敬するなり浮図巫覡の類はその形象を 圖し怪をかたり妙をつげて市街に出て其ゆらいをとなへて 世をまとはし財をむさほる皆益按するに庚は金申も又 金金克木とて金は能木にかつ木は春の時に属して発 生を主る人の生々の陽気も発生をたつとふ也/冊は沃翁 の天此火にあらされは物を生する事あたはす人此大に 十一日 あらされは生を保つことなしと説給ふも此教生の陽気を さして尋り素問にも陰勝ときは陽病とあれは金は陰 気に属して木の発生の陽気を剋する也人臥ときは血肝 の蔵にかくれ気は肺の臓におさまりて気血しはらく痘 乏なる故に陰金の数気人の陽気を害す夜は陰に属して 金数の気いよ〳〵盛旺する時なり鶏鳴にいたれは陽気 漸々に発生して明日の分なれは鶏の声を限りとするな るへし是を以此日/序戒沐浴し心身を清潔にして房欲 を戒かなり ○上弦の日とは毎月初の八日なり下弦とは毎月廿三日を云なり 或は月の大にによりて少の違あれは七日廿二日の間にも相当 なりたる共に月の弓張の時也丹渓翁の説に人身の陰血の 消長月の盈秋になそらふと云て月みつる時は陰血とみち月 飲る時は陰血も消する也/上弦は月のいまた充満せさる中分にあ たり下法は月のかけて行中分に當る故に房慾を戒るなる べし格致餘倫には上弦の前下弦のゝち月郭空き時/房 事を禁すとあれは上弦下弦といふの下に前後の二字を加 へてみるときは陰血のいまた充満せす陰血のすでにかけてうす くなる時なれはなり はあするに望日和訓もち月といふ此日は月と同と 望日 ごとは十五日をいふ也 たかひにたかひに箱のそみ持合たる時なれはもち月といふ也「 毎月十五日には月と日と相望む月は陰の精銀盤のことくにし てもと光明なし日は陽の精金丸のことくにして。光翫甚し 故に月は日の光をうけて明をあらはす也/毎月朔日に月と日霜 会合してそれより相離る其相はなるゝにしたかつて三日より 少つゝ日の光をうくる故に月の光あらはれそめて十五日 にいたりては月は東に出日は西にしつみまひにその正面をて らすによりて海月になる十六日より又少つゝめくりたかひ て正面をすり違ふ故にかけそめて光すくなしされは人の陰 血も此時にいたりては至極充満の時なれはその充満ずる所 の陰気を折く事を戒めて房欲を禁するなるへし 梅するに毎月廿九日にいたりては月日 朔日 梅するについたちとは月はと ○毎日 ○今日のこもりてみえす故に略してつこもりと云 〽つといふの義なり春の来るを言立といひ秋の来るを秋立とこの心とひとしかたこと 両紙には月日立といふの義とあれとも月立といふ義よしきといといと通音なれはついたち と云なりかたこと双紙の義なれはつひつちと書てかなつかひ相違するなり源氏源氏藤 兵義なり立とは其月の気た の裏葉の巻にもついたちころの故の花はさかりと書たり月立の義をとるへし 此たるは月の始月の終なれは其気いまた微弱或はその気 已衰粥の時なる故に房類を禁する也/馬のこと皆始中洛の 三ッを大切にする事なれは朔日は気の始望日は気の中/晦 日は気の終なるを以此三日殊に戒むるなるへし ○大風大雨極暑焔寒雷虹日月の蝕此等の日は皆天地の 不正の気なる故に一日の中の害と云て丹渓もつよく房 事をいましめ給へるなり ○神廟の傍打霞団厠の前後屍櫃のほとりをいまし むる事はみな神明のやとる所にして非常の所人の道をしか ものいかん今此禁をおかすへきこれらの事はたゝ論する にもおよはぬことなるへし晋の姫は仲といふもの四十二人 子をもつ吐谷渾は六十余人の子あり宋の張耆といふもの も四十餘人の子をもてり其術をたつねけるに張熱なる妻 或は妾の國の窓馬厩のかたはらにあたるつねに馬の交 合するをふ人にみせしめてのちに交嫌するにはらま すといふことなしと五雑俎に載たり此説たゝ人に媒を すゝめ礼法をみたる邪説なるへしかならすこれらのこと 信すへからす或人神廟のかたはらにて交合をなしはら 木にて刻み にかん たる人形を云 むことあり其子神廟のほとりの木偶人を 鬼面角あるあや のことく在けるよし名医類案 して其形夜叉沢 しきかたちをいふ に載たれは馬厩のほとりにて交合せはたとひ孕むことを うる共/生子必馬にも似たるへし形の似たるはさら也心も感 の して喬類のことくならは子なきにはおとるへき能々心得 へきことなり子をもとむるの術もろ〳〵の醫書あるひは 道家の書/雑俎等にたくのせたれ共かくあやしき説 のみなれはみなとるにたらさることなり 婦人寿草巻上一終 第八二十六人 狩衣 末爪二十八日 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 婦人壽草 婦人ことふ幾草上二 婦人寿草巻上二 狩野氏図書記 筑前晩出 香月啓益纂輯 ㊂子を求るの術 ○虞天民の説に立春の日の清農器物を以て空中の雨 もろ〳〵の草木をいふかならす百 水を盛り或は其日雨ふらされは百草 種にかきかへからす数のたきを衣 の上の暁露水をとりて夫婦こもに一盃をのみ房にかへれ は必はらむ事ありこれ春升発生の陽気の精のこもり たる水にて人の元陽の気をたすくるの故也と云へり ○孟説の食物本草に夫婦和順せすんはいかんそはらむ 事あらむや醫誉の肉を羹となしてひそかに夫婦共 にあたふれは夫婦の中自然と相和順すとみえたり此 物雌雄相はなれす人のために其ひとつをとらるれはひ とり残りたる鳥相おもつてをのつから死すると雀弱か 古今程に載たり此物を食する時は夫婦此鳥にならひて 相愛懐するなるへし ○妬婦多くは子なし黄鳥を食すれはねたますと山海泡 にみえたり楊愛か心妬論に梁の武帝の妃性嫉妬ふ かし或人/倉庚を膳となしてすゝむ其ねたみ半分を 減じけるとのせたり按するに黄鳥倉庚共に鶯の 異名なり順が倭名抄に鴬は春鳥也/和訓うくひす とあり林羅山の説に日本いふ所のうくひすは婆餘焦 といふ鳥なりと云へり石川丈山は日本に云所のうくひすは 黄鳥にあらす巧婦鳥のたぐひ又一種の巧妙鳥に創 葦といふあり此物則日本に云所のうくひすなりと覆翌 集にかきたり今剃筆を本草にかんかふるに雀に似て 青色灰斑色にして尾ながく好んて葦の虫をくらふことは かりみえて委細に論し及さす隋昼顧に黄鳥は日本の 云所のうくひすにあらさる事明也今朝鮮国より黄鳥 到来するをみるに本草にのする所の鶯と少も違はす 其/戸日本のうくひすよりをとれり本朝のうくひすもた くは同影なるへしししかれは鶯はからうくひすと訓して可 なるべし道春の婆余焦をうくひすと訓し丈山の刻 葦をうくひすと訓するも皆よる所あるへし倭漢の学 に通したらむ人をまつのみ此物いまだ妬ふに用てこゝろ みす五雑俎にも黄鳥妬婦を治すことあれはしはらく これをしるしてかんかへにそなふるなり ○妬婦を治するに天門冬心をさり赤黍米穀をさり少妙 右をの〳〵等分荒落仁少斗入て細末として練蜜にて 丸し常に婦人六七十丸米湯にて飲しむればねたますと 淮南葛畢術といふ書にのせたり ○丹渓の説に婦人肥盛なるものたくははらむことなし身の 中に脂膜ありて子宮を閉塞する故に経水行さる也肥 盛の人は湿疼はやきによるよろしく湿痰をみちびささ る薬剤を服すへし疲弱の人は火多きによるよろして火 をしつむる薬剤を服すへしはらますと云となしと云へり 和俗一腰腰腰腰けといひ ○袁了凡の説にふ人赤白帯下に の病あれは 又長包白血といふ はらむことなしと云へり此病婦人母にたきか少きかなき といふものなしたくはこれ血虚或は気血不順に属するや まひなり或は憂鬱の婦人或は脾胃虚弱にして中気 めくらず下禍して此症をうれふる類もあれば上手の 医師に逢て脈症をたゝし病の根元をきはめて服 薬をなして其病をつくすへしたくは灸治をなしていゆ るなり此症あらははやく驚き治療をなして去へし子 をはらますといふことなし 和俗子ふくろといふき ○袁了凡の説にふ人子宮を 子のやとる所をいふ 君寒するもの 子をはらむことなしたとへは春夏は陽の時にして万物生 育す秋冬は陰の時にして万物枯かくるゝかことしといへり 本朝所々温泉あり予其所にいたることにこたつみに此 呈に子をもたぬ婦人有かとたつねとふに不産ふ多くは 稀なりこれ温泉の温煖の陽気に触馴る故に子宮 虚寒の患なくしてよく子をはらむなるへし子なき婦人 温泉に入て子を生したる多し是も又一術なり ○男子子なき者塩を以臍の中をうつみ塩の上に艾雄を なすへし下にこたへていたむときは塩を換て灸すへし一日 に五六度かくのことくする事三五日なれはかならす子を生 するなりと女科準縄にみえたり是男子の陽気すく なきものによろししかれとも臍は神明の通する所なれは 見たりに灸すへからす上手の医師に相談してその 十四の椎 症にきはまりなは灸すへし又腎の命 或は喰つ の二穴也 十四の椎のまん中なり 六八 一には の穴 或は癸亥の穴 和俗安養寺と云也 腰眼と云 これらの穴も よく腎経をあたゝめて子なき夫妻ともに灸してよし いづれも上手の医師に逢て穴所相違なきやうにすへき 事肝要なり ㊅子を求むるの薬剤の説 ◯子を求むる薬劑種々あり七子散慶雲散盗胞湯半 導薬紫石英丸続嗣降生丹 以上の薬方婦人に から方にみえたり 篠斯丸大五満 丸増損三才丸白薇丸花蓉兎糸丸調経丸五子術宗丸 以上の薬方は古今医統九品 延年益嗣冊葆真丸千金種子卅一 ○證治準縄等にみえたり 啓 扁湯定胎丸烏難丸晋国の主仙人に逢てつたへたる種 子薬酒の方 以上の薬方は聴共 其外もろ〳〵の医書或は道家の書 延賢の書にみたり に店損をおきなひ子を生するといふ方を載たる事お びたゝし六味八味の地黄丸此二方に加減したる方中花 より本朝にいたり甚多し近来明の能介賓の類経 の内に右帰丸左帰丸といふ方を發明してあらはせり是皆 六味八味の地黄丸に加減したる方なり都鄙の薬肆よ 此丸を製して販くなり上に載る所の薬剤みな古人しる しをへたる良方なれは今人是を用て子を生するの理ある へししかれ共人の気血の虚実皆ひこしからず一概にその 論にまよひ其/脈症をきはめすみたりに腎薬補薬と たにいへは世俗これを服して其害夥し今こゝに薬方を 委く書載さるはしけきをいとふにあらす世俗みたりに調 合して服せむ事をおそれてなり子を求めむと欲して 薬を服せは上手の医師に逢て其脈症をきはめ良 宇を得て胎用すへしかならす子を生すへきなり ○婦人良方に桑椹圃と云薬方あり婦人子なき者を 治する也金州と云所を知行しける范羅といふし此方を こゝろみにふ人に服せしめよ四十九日にいたりて若はら むことなくはわか一家をつくして首を切て天下にさらされ ん則范羅か妻三十七歳まて子なし此薬をふく する事十二日にしてはらむ事ありて男子を得たり 其調合のあまり薬を石門といふ所の奉行の妻 にあたへたれば三十四歳にて産を断たる事十一 六年なるが則はらみたるなり又其あまりを守文 といふものゝ妻に服せしめけれは四十歳まて子なき かはらむて男子を産したるといへり□益梅するに 此薬温熱の薬物多くして下部虐寒し子宮ひへ たる婦人にあたへては利を得るへし血虚気虚真陰后 憊し陰火たかふりさかむなる婦人に用るときは虐湯い よ〳〵さかむにして陰血を能散する也丹渓翁も此ことを さとりたまひて秦桂円の温熱人の天真の陰気を 損すつと格致餘論に戒たまへるなり此薬ことの外其 功能をほめ置たれは醫師も其理をきはめず世俗 も此論にまよひ服用して甚害をなすこと夥し上 手の医師に逢て其脈症をきはめて子宮虚寒し 陽気うすきふ人に用へきなり ○男子陽事痿ておこらさる時は子を生することなし 裏了凡の説に陽事なへて起らさるに精をあつむる の道五つあり一には恋をすくなふし二には労を節にし 三には怒をやむ四には酒をいましめ五には味をつゝしむへ しといへり 梅するに深山の木の上 ○男子陽事おこらさるに露蜂房 にかけたる蜂の巣の いかにも大きなるか雨露にさらや 焼すり細末して二銭新汲水 されたるものよし故に露蜂房と云は 井より新たに 一数にて服すれは十女を仏すへしと南宮従か従か向 汲出したる水也 崎神書に載たり本朝宇多天皇陰瘡の病ありほとん と老人のことし左大臣奏問して典薬頭字継に治せて 薬をたてまつる宗継露蜂房をすゝめて帝の陽事 発る事もとのことくなり給へると本朝編年録に載たり 梅するに此/草を ○男子婦人共に絶陽絶陰のもの淫羊霍 羊食すれは媒する こと一日に百遍故に名付る と本草にみえたり 一味酒に浸すこと三日蒸熱し食すれは 能子を生すと食医心鏡に載たり此物いよらへは本朝に知 ものまれなり近来は都鄙共によく見知て薬肆に販く なり陰陽虚弱の男婦に用て利を得ることたしされとも 脾胃虚弱なる人は醋に塞りて悪し是又上手の医 師に相談して其脈症をきはめて後用へきなり ◯男子陽事おこらさるを治するの薬剤もろ〳〵の医書 に載たる事夥し或は温熱の剤或は石薬の類或は烏頭 附子なといふ陽気を引おこす薬のこ也陽気たかふる時は 陰気いよ〳〵消亡する故に丹漢翁も其及はさることを おそれてすくふに煙毒をいすと色慾の歳の中に戒め 給へるなり煙毒とは陽をたすくる薬をさしていふ皆/鳩 熱の剤なれはなりしかれは陽事おこらすとてものたり に燥熱の薬剤を服すへからす此症にもさま〳〵あれは 上手の医師に相談して用へきなり ○婦人良方薜己の注に諸の子を求むる薬判は多く皆陳 蝉の性味にしてぞの真陰を損するの理ありかろ〳〵く 服用すべからすといへり誠に理なること也古人の説にも薬 を服せさる是中醫なりとあれは其病症に相応せたる薬 を用んよりはしかし服せさるには子なきもの服薬をなせは 能々つゝしむへき事なり ○東垣先生に李叔和といふ人問ていはくわれ中年いふ也 いふ也 よりこのかた子を設るに一歳の後身中に紅の鯨のやう なる筋のまとひたる病出来て必死すそのゝち三四人二三 年の間に皆同病にて死すこれ何によりてケ様なる病 出来や東垣しはらく思案して翌日李叔和に逢て此病 根は汝か腎中に伏火ありて子に傳ふる也これかならす汝多く 八味丸の ○明神秋服するによりて煙熱の毒気腎中 下部の薬を秘 類をいふ也 に伏し命門にやとる俗に胎病と名付又/紅瘤と云也 汝か精の中に必紅の糸筋のことくなるものあらんこゝろ みに是をみよとあり果してその事のことしと廣嗣 記要と云書に載たりしかれは陽事起らすとてみたりに 其脈症を考へきはめす陽をおこす薬を服すへからす其身 を害するのみならす其災其子におよふつゝしむへきこと也 七子を求むる薬餌の説 ○男婦共に元気虚弱陰血衰微にして子なき者あり薬 餌をなして必子を生すること多し菜餌は冬月にいたりて 肉食をなすへし冬月内食にはろしきは陰血閉蔵のとき にして腎水温に帰す此時房事を秘して肉食すれは腎 水をたすけ気血を盛ならしむる也又三冬の月は鳥獣 の血気もみな内中に秘蔵して洩さる時なり其上冬は 肉を久敷蓄へ置ても腐臭せさるなれは冬月を以肉食の 母とするなり竹の肉にても新きを切て好味噌汁にて煮 熱して服すへし或は新内を滝にしても蓄へ置てよし 塩をなしたる肉は塩をよく水にて出し好味噌にて煮龍は して食すへし馬益郷の説に萬の内食をなすにて汁 をのみ食して肉を食すへからす其肉は消化しかたきを以也 といへりしかれは肉食する人は其煮汁を吸て肉を食ふこと 清行 □□ 鉄 なかれもし肉を喰ふともよく齧しぼりて其滓を吐出すへ し肉をたく食すれは必胸腹に痞塞して満悶の病を生 するなり ○鶏を食せは丹烏黄色共によし又烏骨鶏とて骨 の黒き鶏あり此鶏ことさら能虚損を補ひふ人に利 あり是白毛にして烏骨の物あり黒毛にしてもと より烏骨の鳥あり必外色にかゝはらす但鶏の舌をみるに 其舌黒き物は必骨肉共に黒きなりいつれも用て昼あは 孟洗の説に難に五色あり玄耀白首の物四趾六指の物 鶏死て足の伸さるもの皆人を害すといへり延寿書に 鶏よく啼もの毒あり四月に鶏の肉を食ふべからす萌蒜 生葱芥李犬兎鯉獺糯木とおなしく食すへからすと いへり ○雀肉雀卵共に冬月これを食すれは陽道を起して 能子あらしむる也と陳蔵器の説にみへたり雀を食ふ もの白朮李諸の鳥獣の肝を食すへからす ○鳩肉気を補ひ血をまじ陰陽をたすけ能子あらしむ 久病虚損の人によろしと嘉祐本草に残たり ○鹿肉中を補ひ気をまし陰血を生するの品也婦人経 脈調はさるに用て利あり鹿の一身皆補益す純陽にし て多寿の物良薬草を食するによりて仙獣といふかく 医脈を通行して子あらしむと朋氏の説にみえたり 孟洗の説に九月已後正月已前に食するによし他月 は食すべからす白臟のその弱文の物或は肉これを感し て煙だるもの皆人を殺す食すへからす難慾は蝦痛白とお なしく食すへからす礼記に鹿を食せは胃を去へしとい へり孫真人の説に食餌をする人鹿肉を食ひて塩薬 を服すれは必薬力を得す鹿は常に山に在て毒を冠す るの薬草を食する故に諸薬を制して薬力を解すと いへり ○鳬雁鶴鶏鵲等の肉或は野猪磨水獺の肉等を用 ろこと和俗好んてする事也皆陰血を生する物なれは なりしかれ共あまり好んて食すへからす上手の医師 に逢ひて脈症をきはめ其功能をよく相きはめて其性 と病證と相応したる時は用へきなり ○衰了凡の説に粥を煮する時中に瀉濃汁まじはり て一団熱し集る所あり是米穀の精液のよりあつ まるなり是をとりて食すれは能精気を補ひ子あらし むといへり ○薬餌をなせは其味をのみ嗜み食すへからす素問にも 陰の生する所五味にあり陰の五宮のやふるゝことも又五 味にありと説給へは今/薬餌は肉の味厚き物を以同 気相求めてよく陰血を生して子あらしむる也然るに 肉食をなす時其味をのみ好昔因を食ふことたきときは かへつて補ひたすくる物を以其陰を損するの蚕となす也 故に聖人の食礼に偽はたしといへとも食の気にかた しめすと教給ふ肉食をなす者此心をよく〳〵さとりて 食すべき也又/薬餌をなすに其肉味腐臭したる類或は 己か平生好まさる物の類少にても食すへからす何ほと 薬餌によき物にても腐臭したるはかへつて毒をなす 故に魚の侮れて肉のやふれざる食せす臭の悪き食せ すと聖人教たまへり又己か嫌なる食はいまた其物を食 せさるさきより其/色其形をみても胸腹の心あしくなれ はまいて食する時は嘔吐をなし泄瀉をなす何ほと功能 すくれたる物なりとも又は其病症に相応の薬餌なりとも これを禁して用ゆへからす殊更婦人は肉食なとは香と嗜 まさるとあれは薬餌をなすもの能々は尋事也 ㊇受胎の説 ○北齊の大夫諸證の説に凡胎をなすに精血の先後を 母の血 い男女をわかつたとへは陰血を 先いたり陽精父の精後に をいふ いたれは縦気たかなりて血に乗し陰血開ひて陽精を つゝむ外は陰内は陽にして則坎 湯なれは男の形を生する也陽精先いたり陰血後に来 れは両旁横気きたりて精をたすけ精ひらひて 血をつゝむ。外は陽内は陰にして則離三の卦となつて陽 中の陰なれは女形を生するなりといへり ◯道蔵経の説に月水やんて一日三日五日に交合すれは男 を生し二日四日六日は女を生する也といへり是一三五は哥 梅するに の按するに牛数とは物の数 にして陽なり二四六書編数 米のはしたあるをいふなり 偶数とは 物の数の二つつゝもろひ にして陰なるを以の故なり てはしたなきをいふなり ◯聖済経の説に氣によつて左勤けは陽資て始めて 男を生し血によつて右動けは陰資て始めて女を生する 也といへり是寒は陽血は陰左は天の道にして湯に属し 右は地の道にして陰に属するをいの故なり ○東垣先生の説に経水断て後一両日は血海始めて滞 し故に精其血に勝て感するものは男を生し経水止ん て後四五日の後は血海已に非す故に精其血に勝すして 感するものは女を生す六七日の後は更感ずといへとも孕 むことなしと云へり是月水の至る時血を去る故に一二日は 血湯虚とるなり四五日にいたれは新血生して血湯実す るなり故に血海の虚実を以陽精陰血に勝陰血陽精に かちて男女の形を生するの別あるなり六七日の後は血 海汚血たき故にはらむ。ことなしといへるなるへし ○丹渓翁の説に乾坤は陰陽の情性也左右は陰陽て道 路なり男女は陰陽の儀象也陰陽/交嫁して胎孕則凝 なり胎のやとる所を子宮と名付て子宮の形ひとつの 京下にあり上に両波あり中にてわかれてふたつと成 鉢を合たるかことく一は左より通達し一は右より通達す 陽精陰血に勝ときは陽これか王となつて気を左の 子宮にうけて男形をなし陽精陰血に勝さる時は陰こ れか主となつて気を右の子宮にうけて女體を生する也 梅するに精血の混雑して 又娑気 を左右の子宮に受る時或は 守ならさる気を駁気といふ也 存生をなし或は三四子を生するの類なり又浮気の甚 しきもの左右の子宮の両岐の間に気をうくれは 半月倭俗これをふた 半月 りとて男子に逢ては妻となり女子に逢 なりといふなり ては夫となるの類を生する也といへり ○程鳴謙の説に学胎男女をわかりと猪澄の説を信 せは精まつ洩て女を生するものあり精後に洩て男 を生するものあり又誰か世上に男女の子を其望に清 かせさらんや此説信しかたし東垣を信 ̄セは月経断て 一両日に交合して女を産するあり月経断て四五日に 交合して男を産するものあり四五日已前に交合し て孕むことなく八九日の後に交合して孕むことあり此 説もまた信しかたし又前子木か広炉要略を撰んて 陰実陽虚陽実陰虚を主として薬方を著し図論を 立つ是皆東垣の見にもとつけり此ことを信せは世の匹 庁の夫法弱の婦しば〳〵胎を受ることあり気血まさに也 剛強精力人に過たる夫婦をみる。まゝ朝続なきものあり 此説も又信しかたし米丹渓の説を信して専らふ人 の子宮経水を以主とせは富貴の家侍妾あまたあり其 内経水期に当るものなからんや或は其夫に嫁して子 なきもの他の夫に嫁して子を生するものあり此説も また信しかたし鳴謙おもふに父母の子を生するは猶天 垢の物を生するかことし坤は地の道にして順徳なり必 天の乾元の気をうけて物を生す母の子を生するもまた 父の精気のたねをうけて胎をなすなり果して婦人を以 主とせんや男子を以王とせんやこれ吏感の時/夫婦の百 脈ひとしくいだれは老少にかゝはらず強弱にかゝはらす 康寧にかゝはらず病患にかゝはらす精の洩かたく洩や すきにかゝはらす皆よく胎をなす也夫婦更感して百脈 参差なる時は壮といへともつよきといへとも康寧といへ 歌 とも精の潔かたきといへとも胎を受ることなし其子に 男女あるの辨は精血の前後にかゝはらす月経断て幾日と いふにかゝはらす湯日陽時にかゝはらす父強く母弱く母強く 父弱にかゝはらすたゝ精血各百脈ひとしくいたる時にをの つから勝負をわかつのみ湯精の百脈ひとしくいたりて 其陰血に勝ときは男形を生し陰血の百脈ひこしく いたりて其陽精に勝ときは女体を生する也といへり啓 長梅するに受胎の説諸賢の論已に番なり殊に程鳴 謙の説諸賢の論を許す義理精微にして千古のあ やまりをひらくほとんと学者に便あるなり然れとも 交合の時陽精陰血といふのあやまちをまぬかれすの 介賓の説に交媾の際その精血をつゝみ其血精をつゝむ こといふはあやまりなり男女交媾の時/両精和暢すもとよ り血いたるのことなしといへり誠に適確の論なり ○丹渓翁の説の好生半月の論其義理たくみにして 甚学者に便ありしかれともおそらくは穿鑿の論なら んか好生半周の類は皆人事の変にして義のさとすへき 怪異の あることをこゝ 所にあらすしはらく往古よりの人鬼姫 人をいふ にしるして其義理のさとしかたきことをしめすなり宋 史に載る所の男子の陰背に生するものあり女の 陰頭に生するものあり割散ぬか異苑に晋の時季宣 と云ものゝ妻はらんて顕上に瘡あり児瘡にしたか つておつ長つて軍将となつて胡児と名つくとみえたり 史記に載る所陸終氏鬼国の女を娶りて学んて左の脇 より三子を出し右の脇より三子を出す六人の子共子 孫繁栄して国をたもつ也因果経に釈迦は摩な夫 人の右の脇より出生すと載たり五雑俎に嘉靖年中 に米鑑といふものゝ妻二月十一日に一子を産し十二日に 又一子を座し十三日にまた一子を産す宋の宣和六 年に果を売男子あり孕んて子を生すとみえたり 陣后山か叢談に都城といふ所の民の妻二十一人子あり 雙生のもの七度ありふ人上唇に黒子あるものはたく あするに神相全編に人中に両の黒子 は好生をなすと載たり あるものは双生をなすなり人中上せばく とひろき者は。子孫多し上ひろく下せばき者は児息少〳〵上下共に せばくして申心ひろき者は子息やまひうれいあり上下直にしてふるぎ ものは子孫充満上下平にして浅 かくのこときたくひもろ〳〵 き者は子を生せすと載たるなり 歴代のことをしるし の史書 に載たること夥し是皆人事の たる書をいふなり 変にして常理となして論しかたきことをしるへし 九鬼胎の説 ○陳自明の説に夫人の蔵府調和なる時は血気/充実す故 狐狸猫犬の類年を に外風邪のため或は飛懸り のために犯さる へてよくばくるをいふ也 気血の ることなし若蔵府店し栄街 虚損するまは精神 別名也 衰弱にして妖魅のためにおかされ蔵府に入て懐胎のこと くなることあり是を鬼胎といふといへり ○虞天民の説に凡婦人の性嫌乱にして虚する者は肝 腎の二蔵の相火たかぶり起る故に労性の人は多くは 夢に鬼とましはりて胎をなすことありこれすなはち 思想きはまりなくねがふところとされば自己の血 液白渓白独となつて子宮になかれおちて魂をなし ○純孝朝 むねはら脹満して実に懐妊のことしといへり めするに純孝は廟の名なり病とは本朝の 神社のことく唐土にては先祖をまつりたる社なり の祝楊 いまた嫁せ さる女をいふ 天成かむすめ年長するまて宝女 なり月水 くたらさること五ヶ月にして脹満す婦人医師にあひて さま〳〵療すれとも其しるしなし月の重るにした かつて懐妊のことく乳頭もりし四月の呂俊といふが名 醫にあふて法をもとむ呂後その脈症を診しは顔色 を察して汝此病を生せさる前にあやしき夢をみたる かさなくは色雪のためにおかさるゝなるへしといへ はこの女こたへすして國のうちに走り入り竊かに 侍姫をよひかたつていはくわれ此夏日暮に廟廟廟坊 にすゞみける時/黄色の衣冠したる神をみて いふなり こゝろうこく此夜夢中に日暮にみたる神ひとりの 男子となつてわれにしたしみ馴るこれより月水 くたらす実に懐妊のことくなりぬわれ此ことを恥て 人にかたらすいま医のいへること誠にあたれりとかた る呂後このことをきゝていかにもさあるへし女の面色 たちまちあかくたちまち白きは鬼病なり脈たち まち大たちまち少は祟病なり病因と脈と相かなふ 破血 病おもしといへともくるしむことなかれとて桃仁宝の真 の蓮 を用て血をくだす脈の肝のことくなる物六七枚竅あり て魚目のことく病すなはち愈たりと戯微録にのせ たり天民は此ことあつて実は此理なし土木にて かたちをきさみたる廟の神よく人もましはり 精あつて懐妊をなさんや嗚呼これは神の女をまよは すにあらす女の神にまよふなり此女年長するまて夫 なく思想とけす願ふ所かなはさる故也といへり ◯懐妊十四五月にしても産することなさ時はかならずや まいかまたは鬼胎としるへし潜録といふ名醫孫威と云 群 十一日ヨリ 新蔵 一人の妻はらんて五歳昌齢か妻はらんて二歳劉芸 孫か妾はらんて十四ヶ月みないまた産せさるなり清潔 これらを診してこれおなしく病なり凡醫みたりに はらむとするなり今こゝろみに破血攻毒の剤を以て のましむるに張威が妻は肉垢をおとすこと百/余数その かたち眉目を生したり昌齢が妻はゆめにふたりの 童子うるしいろのことくくろきか倉卒に怖悖し て疾はしり去とみてそのやまひ愈たり劉孫か妾は 大なる蛇をおとしてなを凝誕としてその蛇死せす 此三婦人ともにみなつゝがなしと女科準縄にのゝたり ○中花にも本朝にも狐狸猫犬の数年をへたるはばくる よし諸書にのせまたはまのあたり見聞こと也或は 河伯 □□□□□□水神のたぐひ聖俗河童といふ五六歳 牛の小児に似たるよしこのんて相撲をとるといふこ これらの たくひみなよくふ人に近付て吏合し懐胎のことく成て あやしきかたちの物なとを産すること多し南陽雑 鑑に千歳のきつねはよく淫婦となつて人をまとはす とみえたり本朝鳥羽院の侍女玉藻の前は野狐なり けるとそ本草綱目山操の条下に卑母といふもの あり其長二三尺裸のかたちにて目頭の上にありて行 はしること風のすみやかなるかことし能其かたちを隠 して人家に入淫乱にして人をなやます火をはなち物 をぬすむ大に人に害あり早母あらはるゝ時は必旱りす とみえたり此物すなはち倭俗のいふ所の肝童なるへし 本朝所々に多しとりわき築紫のかたに此妖祟夥 し此妖殃にかゝるふ人をみるに皆其性愚にして淫乱な るもの或は年長するまて夫なく思願とけさるもの 或は大病のゝち気血衰弱の婦人に邪気虚に気して 入也/天民の説にもいまた正人君子此患をかうむることを聞 すとあれは能々道理をあきらめ心行正しく淫乱の情 をおさへつゝしむときは此うれへなし此症また懐妊にま きれ人に害あることなれはこゝにしるすなり 婦人寿草巻上二終 東京都東京 ▽――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 右何日 第八三十二日 した 婦人壽草 婦人寿草巻中三 筑前晩出 ○今はきされ清記 香月啓益纂輯 ㊉胎教の説 ○列女伝にいにしへふ人子をちらめば寝るに側す坐 するにかたよらす立に帰せすと云て其身を正しく 直にして胎氣をやすんするをしへなり口に邪味を食 せず割たゝしからされば食せす席たゝしから されは坐せす目に邪色をみす耳に淫声を聞す陽 に淫乱なる音楽をいふ和俗のいんらんなる あするに盲目人 にうた浄瑠璃の類を三味線なとに合するを云。 夜は幣 なり和国の女医 瓢梅するにも 芳盲のをして詩を誦し正事をいはしむ しろこしにては 聖賢のつくりたまふ詩にふしをつけうたひ音楽に合する なり管弦のたくひなり其内にても殊更正しきことをいはしむる也。内 かくの ことくすれは。生子形容独正にして賢才人にすぐ 周の季歴 るゝなりこれすなはち大任。 の后なり 文王をはらみな ふときの胎教なり ○巣元方の説に妊婦其子の容貌僧正に心行正直 ならんことを題せはつねに口に正言を談しかりにも 雑話淫乱なることをかたるへからす身に正事をおこな ひ放逸無慙なるふるまひをなすへからす男子を生せ んと題せはつねに弓矢を帯へし女子を産せんと ふ人のかさりに唐 をほとこすへし生子 題せはつねに環珮り 土にては珠を以作る也 不好ならんと欲せは白玉を帯ひ醜婦をみることなかれ かたはなるたぐひのものをみるへからず生子賢能 詩経書経をいふ其外 を読へし ならんことを題せは詩書を にも聖賢の書をよむへし これ外かたとれは内かならす感するなりといへり ◯馬益卿の説に妊婦は寡慾の二字をそらんすへし 情熱一度うごけば血気みな熾熱して胎気やすから ず起居七情をみたりになすも是欲なりいはんや男 子と床をおなしくして房愁をなすことなかれ胎孕 のことをおほへはかならす丈夫と床を別にすへしと 云へり 梅するに隣家にことありて或は ○馬益郷の説に隣家興修 下おこり或はおさまるをいふなり するところありといへともまた其胎気をおかすもし 刀にておかす事あれはかならすかたちをやふる泥とも く梅するに藪とは九竅をいふ自二つ耳二つ鼻二つへ 犯せは藪 ならし 門前陰後陰おの〳〵二ツ共に九度なり ずふさかる打撃するものは色青虫なり繋縛するも のは相物掌すかくのことのしるしたなこゝろをさ することし能々隣家をえらふへし清家にかくあ りてたにそのけに感ずいはんやその家つゝしむ へきことなりと云へり ○妊婦自家あるひは隣家修造をなし石をつき土を うこかし材木を運行し多勢あつまりて喚躁 すれはかならす心気おとろき胎気やすからすやまひ をなすなりと馬益郷の説にみえたりこれのみなら す惣して大勢群聚する所に行へからすまたは隣家 酒肆油肆にてからうすの音枕にひゞきあふらしめ木 の音耳にこたふるも胎氣をおとろかす也また鉄炮大 留火失なと稽古するところも其音おびたゝし けれはかならす胎気をうこかし妊婦子鶏子癇の病を なし生子驚癇をうれふることまゝありこれらのことも 幼少のときより目馴耳馴たるものはさまておとろ くことなし聞なれさるものは大きにおとろき胎気に さまたけありかるかゆへに妊婦はとなりをえらふこと をしるへし ○妊婦火災のとき出て火をみるへからす心気を驚動し て胎気やすからす生子かならす身中に毒瘡出来もの也 和俗これをほやけといふ中花の醫書にていまたかん かへえすしかれともたくこゝろむるに違さること也 ○便産須知に妊ふみたりに薬を服すへからす飲食 よろしくつゝしむへし過て酒をのむへからすみたりに 針灸をなすへからす非常の地にむかひて大小便すへか らす重物を持揚たかき所の物を臂をのへてとるべ からすたかきにのほり険路を歩行すへからすこれ を犯せは胎気やすからずかならす小産/難産のう れいとなると云へり ○妊婦強て女巧心をなしく気をとゝこほらす 気とゝこほれは血凝泣してめくらす胎気を養育する ことかたくに産難産のもといとなると丹渓翁の 説にみえたり ◯妊婦の心氣をおとろかすことをいむと篤益卿の説に みえたりたとへは遠き堺の一門の愁なとある時急に つげて心をおころかすへからす其外にも悲哀の事は につくへからす或は妊婦の虫席の近所にて急に大なり 戸なとしてうたひおとろかすことなかれ怪ぶのめし つかふ侍婦をえらふべし婢の性さはかしく臆病に して物毎にあはてやすきものをつかふことなけれかやう なる婢はかならす麁暴なる事多くして妊婦の心 をおとろかすもの也或はあやしき物語このむておそろし きはなしなとする婢をいむへし只性しつかに質美に して柔和に物にあはてゝさはかさるもの壮年詳にいふ也 より上の婦をめしつかふへきなり ○妊婦婦んて睡臥することなかれ胎長するにしたかつ て神気倦み四肢憐憐憐する故にかならす臥ことをたし むなり臥ときは胎気めくらすして難産のもといとなる と便産類知にのせたり倭俗もこれをしりて妊婦 安臥すれは内にやとる所の児のかたち長大になりて 難産をなずとてかならす座中を歩行せしめ或は近 隣を訪はしむる也姑婆は上にいふ所を守りて妊婦のや まひあるときも臥ことを禁し強く久坐をなさしめ 強て歩行をすゝむる故に妊婦やまひにたへかたく 神気うみ四肢つかれてかへつて小産をなす也素問にも ひさしく座すれは肉をやふり久しく行は筋をやふると あれは摂養の道は中分を得されは悪し俗にこれを 養生過るといふなり又近隣或は一門のところにいた れは厚味美膳をそなへ旅茶煎茶のたくひを以て 饗應する故におもひの外に飲食を過し或はその 挨拶に心氣をついやしてやまひなき妊婦もかへつて 病を生する事あり能々心得へき事なり ◯便産須知に妊婦思慮をなして心気を耗すへからす 怒をなして肝気をやふるへからす外風寒にあたりて 肺気を損すへからず飲食を過して脾胃をやふるべ からす色慾をなして腎精を耗散すへからす悲愁を なして神気をへらすべからすこれを犯せはに産難産 をなすなりといへり ○名医類案に礬昌といふ所の裔氏の家に亀を 蓄ふこと数年生育してそのかず百余なり其家 和俗に背虫 のやまひ 子を産すること五人共に兎鬼枢僂酒三 といふ病なり をうれふこれ妖婦其気に滅するなるへし又/至正年中 に越の国に夫婦あり大谷寺といふ伽藍の金剛神 のかたはらに住居すそのふ一子を産す首二つ生し 肉角のことく鼻大きにひとへに夜叉のかたちのこと し是又土木の偶人に妊婦の感すかなり古人の胎 教をつゝしむこと誠に故あるなりとのせたり 十一妊婦食忌の説 ○婦人良方に妊ふかならす食物をつゝしむへしたゝ胎気 を感動するのいましめのみにあらず物の理もまた厭 ひいむへきありいまじめいむことなけれは月をのべ難産 をなす或は其/客母子ともにのかたしといへり ○鶏の肉と糯米と合せ食すれは生子寸白蟲を生す るなり羊肝を食すれはその子尼たし難愚 を膾となし又鶏の卵を食はも子疳病をなしまた 瘡たからしむ羊の眼を食すれは生子晴白からむ 犬の肉をくらへは其子声出さらしむ兎の肉を食 へは其子骨獣しむ鼈をくらへは其子項みじかく また胎を損せしむ鴨子と桑椹とおなしく食すれ は其子心塞せしむ又/倒生せしむ/蝦を食すれは 横生せしむ雀肉と豆腐とおなしく食すれは その子面に冠塩黒子を生せしむ豆将物と霍葵と おなしく食すれは胎をおとす水醤を食すれは産 を断す雀肉を食すれは其子淫乱ならしむ山 羊肉を食すれは其子多病ならしむ生姜を食す れはその子指たからしむ蝦蟇鯨魚を食すれば 其子病症ならしむ塩騾馬肉を食すれは其子 延て難産せしむ雀脳を食すれはその子雀目を なさしむ読菰を食すれは胎気を消す菌を食 すればその子風病たからしむ蝦薑そのほか辛 棘の物蒜をしよくすれは胎をおとす無膿点をしよく すれは難産せしむ蝦をしよくすれは難産す 焼酒をのめはその子癇驚をうれふ楊梅李子を しよくすれはその子疥瘡多からしむ右の食忌は 婦人良方古今医統そのほかもろ〳〵の醫書にの せたり 十二妊婦薬忌の説 ○婦人良方古今医統女科準縄その外もろ〳〵の本草 に妊婦の薬忌をのすこれまたしらずんはあるへからす 故にこゝに其大概をあけしるすなり 雄黄雌黄水銀粉湯麝香朴硝苦硝 荒花大戟牛黄巴豆野葛牛膝穢心 牡丹皮藜戸梍莢菌茹躑躅鬼箭枕子 黄頭仁仁集番附子烏頭側子烏塚螺 地膽斑猫芝青亭長水蛭主虫昆瘡虫 珊増増皮蜥錫蝉退蛇退蟹甲蟹爪 半夏南星榛根菌草粟牛代編狼牙 生鼠溲流老生虫大黄木鼈紅花蘇木 耳遂烟竹乾漆藪隣草三稜桃仁木通 長郷厚朴馬刀赤頭紅石替略衣魚 十二妊婦胎を験るの説 ○婦人月経止んて両三月/懐孕かまたは血塊なとのとゞ一 こほりにて月経ゆかさるかとうたかひある時薬をす ちいてこゝろむることあり雪苑方にのせたり真川 芎一味細末して艾葉の煎湯にて一匕送り下す 暫時ありて腹内微動して漸〻にしきりにうご けば胎ありとしるへしのちに少も害なし若胎な らさればうこかずしてとゝこほる所の悪物みなり て平癒するとみえたり女科準縄に探胎散なと いふ胎をこゝろむる法あり其ほか諸書に種々のせ たれともたくはつよき薬剤にてもちひかたきこと たし此川芎の末艾葉湯にてもちゆる方はすこ しもさまたけなき方なり艾葉は胎血をおさめ 固ふするくすり川芎は胎血を動揺するくすりなれ は腹内にて川芎胎血にあたりてうこくなるへし されとも艾葉胎血をよく収固する故にすこしも其胎 に妨なきなり 十四胎内の児男女をしるの説 ◯徐春甫の説に古伝に男女をこゝろむるの法妊婦 をして南にむかつて行はしらしめ急にこれを呼 かへす時左の方に首をめくらせは是を男子としれ右 の方に首をめくらさはこれを女子としるへしゐに行し め闇にゆるしめて呼ふときもおなしと云へり是男 は陽にして左をつかさとり女は陰にして右をつかさと るの義なるへし ○張介賓の説に古伝に男胎はうこく事三月にあり 女胎はうこくこと五月にあり是湯の精性ははやく陰の 精性はおそけれはなり女胎は母をせなかにして懐か 故に母の腹軟なり男胎は母にむかつて懐る故 に母の腹熱きなり水に溺れて死する者を以こゝろ むへし男はうつふき女はあをのくこれ自然の妙なり と云へり ◯徐春甫の説に古伝に男女をこゝろむる法に丈夫の乳 房を探て左の乳に核あるはこれ男子としる右の乳に 後拾遺集核あるはこれ女子としるへしといへり 十五胎内の児男女をしるの算法の説 ○陰陽家の説に八卦を尽して男女をしるの法父の年 辰を上にしるし母の年辰を下にしるし坐胎の月 のかずを中にしるして卦を立るなりたとへは 父は三十歳母は二十歳生胎の月は二月なれは三十歳 書陰二十歳も陰二月もまた陰此三つを引合て卦 をつくる時はすなはち坤□の卦となり坤は陰なれは 生子すなはち女子なりと占ふなり八卦の陰陽は ぬき □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□に□□□□□□□に □□□□ 乾三次三良三震三この卦は陽なり此四卦にあたり たる時は男子としるへし箕二離三/坤三/斤四卦を 陰こすこれにあたる時は女子としるへし父母の年の 陰陽は十にあたりたるにみな陰なりそのうへの奇 隅は一三五七九は陽なり二四六八はみな陰なり二十より 六十まての数は陰なり坐胎の月の陰陽は正三五七九 十一月は陽なり二四六八十十二月は陰なり男子の生る占 に女子生れは寿命みじかく女子の生るうらかたに 男子生すれはこれも殃多しといへりもろ〳〵の 醫書に男女をしるの占をのせたり皆このせつ をとつも用たるなり ◯陰陽家の説に男女をしるの法に四十九と置てそ れに坐胎の月の数をくわへ妊婦の年の数を引てあと の残たる数にて天に一地に二人に三四時に四五行に 五六伴に六七星に七八風に八かくのことくの数をひきつ くしてあとにのこりたるを不尽といふ此/不尽のかず を以男女をしる奇数なれは男子隅数なれは女子なり 一三五七九は奇数にして湯なり二四六八十は隅数にし て陰なりたとへは廿八歳の女八月に月水とまりたか こといふ時の占に四十九と置てとまり月の八を加れは 五十七となる妊婦の年の数廿八を其内にて引ときは 廿九となり此廿九のうちにて天に一つ地に二人に三 四時に四。五行に五つ六/六に六七星に七ッかくのことく引とき はあとに一つのこるなりすなはち奇数にして男子と しるへし時によりて数あまる時は八風の八を引なり此 法算法統宗にものせたり是四十九を本数に立る ことは女子四十九歳まてを経脈の子を生る限と定り たることなれはなるへし ◯陰陽家の説に婦人孕める月しれさることありこれ をしるの法ありふ人四時の内孕める月さたまりて 一ヶ月より外なし春に一月夏に一月秋に一月冬に一月 なり其月をしる法大指食指中指此三指に数をもりつ くるなり大指をはしめとして婦人歳の数の十に立 又大指を正月に立て次第にかぞふるなりたとへは廿三 歳の女のとまり月をうらなふに大指を十とかそへ食 摺を二十とかそへ中指を一とかそへ大指を二とかそへ また食坊を三とかそへこれにて婦人の年のかす をかそへ終りまた大指より正月とかそへ次の 一食指を二月とかそへまた中指を三月とかそへ大指 を四月食指を五月中指を六月大指を七月食指を 八月中指を九月大指を十月食指を十一月中指を十 二月とかそへて一年の数終日なり婦人の歳の 数をかそへ終りたる指に当たる月をとまり月 としるへしいま廿三歳の婦人は廿三と食指にて かそへ終されは食指にあたる月は春にては二月夏 にては五月秋にては八月冬にては十一月なれは此四ヶ月 を坐胎の月と考しるへきなり 十六女を転して男となすの説 ○博物志に婦人妊身三月いまた男女さたまらす婿の 衣冠を着し井を遶りこと二度水に映して影を 見て反顧する事なかれかならす男子を生する也 陳成といふもの十女子を産せり其妻上にいふと ころのことくにして井を遶る事三度児していは く女は陰とす男は陽とす女は美多く男は祥多し と云て井を封し鎮て汲さること三日果して一男 を得たり古今医統には此法をなさは甲丙戌庚壬 の陽日によろしと云べり ◯妊婦三月斧をもつて妊婦の床下に刃を下に むけて置へし人にしらしむることなかれかならす男 子を生す今こゝろみに鶏の卵をいたく時此法を用 梅するに此法万病国 へし一廉こと〳〵く雄を生するなり此 春にのする所はなはた つまひらかなり 又弓弩の弦をとりて妊婦の腰下に帯 かんかふへし すれはかならす男子を生する也これ紫宮玉女が秘 法なり ◯又三月己前雄鶏の尾の炎の上の長毛三茎ひそか に妊婦の床下にをきまた夫の髪手足の爪是 又床下にをき共にしらしむることなかれ必男子を生 す又雄黄半両を衣中に帯れは男を生し雌黄一 両を帯れば女を産す萱草を左に帯れは男を生す 故に當草を宜男草と名つくといへり以上の法ふ 人良方千金方女科準縄古今医統等に載たり ○罪産全書に男女の分すでに葛物乾元に資て はしめ坤元に資て生す陰陽交媾のときにさた まりたることなりしかるを昧者さとらすみたりに 女を轉して男とするの法ありといふこれ夷感の理 にあきらかならさる故なりと云へり誠に当然の 理なり男女のかたちをわかつことはすそに父母の交 媒のときよりさたまりたる事にして三月のころ いかん今轉ずへき委くは学胎の説の編にてかんかへ 合すへしこの説中花にも大古よりつたへ来りゆへに もろ〳〵の醫賢もみならつて察せすかく書伝ふ るなるへし本朝にもあまねく人のしりたること なれはやむことをえすしてこゝにしるすこれらのこと かならず信用すへからす 十七妊婦腰腹に帯をまとふ説 ○妊婦五ヶ月のとき軟なる綿帛にて腹に帯する 事ありこれをゆはた帯といふ□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 大古よりつたへ来る事なり帯をなして親族打 よりて祝する事也いつの代より仕初たる事にや いまたかんかへえす和学に達したる人をまちて尋 ぬべきなり源氏物語寄木の巻にはいとはつかしと おほしつる腰のしるしとこえたり三賢一覧といふ 抄に懐妊の女のしるしの帯なりと書り藻塩草 にはゆはた帯とあり月村国書にはいはた帯と は女のはらんて膚にする帯也総帯と書なりと のせたり顔は絞獺の心にてとつるむすふと云義 なるへし此帯はむすひめをとち付て置のこゝろな るへしゆはた帯いはた帯といふ訓は共にゆふはた への帯といふ義なるへしゆといとは通音なれはい はた帯ともいふなるへし小笠原家の諸礼の書に 懐妊の帯は生絹のきぬなかさ八尺これを四にたゝ みてその夫女房の右の袖よりわたすなり女房う けとりてむすふなりこれはたゝ当座の祝言まて の義にて別の羽二重の絹にて膚に帯する也 扨はしめの生絹の帯は誕生ありてのち練候て 梅するに運歩集に亀鳥を 心を付て色はう 肩にかにとり かにとりとよむ五音通するゆへ也さ 今あさぎたるへしおなしく裏にとも此絹を白く してつけて生子にきするなりこれは産衣にては なしとみえたり講説には是は神功皇后よりは まりたるよし云つたふるなれとも本朝の史書 にみえさるなり拾芥抄に懐妊の帯をする吉日を のせたり甲子庚子戊壬子庚子戊戊戊戊戊丙戊戊丙丙戊丙丙丙丙丙丙丙戌戌戌戌戌戌戌戌戌丙戌 辛酉己酉己寅辛寅但毎月の神殺或は副日代 按するに三年ふさ 日に相あたる日を用へからすさらに塞此 かり三月金神の類 心の方にむかひてなすへからすと云へり吉日をえら ふへきことなり啓益あまねく中花の医書をかんがふ るに妊婦の帯のこと古書にみえす近来明の陳明 階かあらはす所の実農便方といふ書に出たり其 文にいはく婦人初産の時四五ヶ月の前後頼絹或は 帛を以濶さ七八寸脊より腹にまとひ針線を以縫とゝ め昼夜ともに解す胎気漸々に長大になりて胸 腹息たはしき時縫めをはなちて三分あるひは五分 ほとゆるやかにすへし壱寸に満すへからすめ此なれ は胎気みたりに長大ならすきはめて産しやす きなりたゝ初産のみにあらす産毎に用てよし とさせたりしかれは中花にも近来は本朝のことく 帯をするなるへし此帯絹を用れはしまり過て あしゝといふ人あり細なる布を用てもよし妊婦 ののそみにまかすへしこれ胎気上に升衝する事 なく胸膈くつろきて妊婦行歩坐臥ともにたより あるなり 十八産前諸病の説 の ○妊婦二三ヶ月或は人によりて其月よりも胸心悪 鋪飲食にむかへはその臭鼻に入て呑酸の氣味 ありて黄水を吐きあるひは嘔をなし飲食を吐逆 しはなはたしきときは嘔血するものありあるひは もろ〳〵の飲食をえらひ悪みたゝ酸鹹の物の片 和俗つはり ぐい或は生冷の物をこのむこれを悪阻の の病といふ也 と名 つくとふ人良方にのせたり初産の婦人はたくは 悪阻をうれへすといふ事なし又婦人によりて 産毎にくせになりてわつらふものもあり楼英 の説に悪阻は薬を絶止て月のかさなるにしたかつ てをのつから平愈するなりといへりこれ妊婦二三 ヶ月は胎気いまた定らす腹内平常に異なり 中焦めくらす痰飲胸膈のあいたにとゝこほるゆへに 飲食をえらひ食物を吐するなり五六ヶ月にいた れは胎氣さたまりて臍下に所をきはめ子宮に やとり故に中焦順行して此病自然にいゆるなり とりわき脾胃虚弱なる婦人にこの症多し和 俗つはりの病には薬をもちゆることあしとて禁 す脾胃つよく元気さかんなるものは月のかさなる にしたかつて治せすして平復するなり若脾 胃よはく元気虚したる妊婦此症を療治せすし て毎日嘔吐度かさなり脾胃いよ〳〵損傷し飲食 すゝます形体疲憊してすくはさるにいたる也もろ 〳〵の方書に悪阻の治方をのす上手の醫師にあ いて脈症をきはめ療治を加ふへし妊婦によりて 煎薬をもちゆれは何ほと相応のくすりにても むねになづんて吐をなすものあり或は粉薬丸薬 にして用て利を得る事多したくは脾胃をめ くらし痰を駆る療治をなせは相応する也婦人 良方に縮砂仁一味粉にして生姜湯なり用る方あ りよく悪阻を治するにしるしあるなりとのせた り皆益つねに悪阻煎薬をきらふものを治するに 緒砂仁ををし砕き菓子なんとの様にして手すさ みにほつ〳〵とこれを噛しむこれ薬のやうにあら さる故にかむにものうからす胃口をひらき飲食を すゝめ悪阻をのつから平愈する也 ○妊婦三四ヶ月にして胸中煩悶してやすからさる 事ありこれを子煩と名つくと婦人古方にみえたり これ胎氣長するにしたかつて腹内熱するゆへに 胸膈のあいたに熱をたくはふるによりて胸悶する なり熱をすゞしふし胎を安すんする薬を用れは 平癒するなり ◯妊婦あるひは咳嗽をなしてやまさるを子嗽とかつ つく或は喘急して胸満小便通せさるを子満とかつ つくるなりとふ人良方にのせたりこれともに中焦 めくらす肺脾のあいた熱あるの症なり久しく治せ されは脾肺の氣不足し元氣虚乏して労咳のこ とく成て産することをまたすして死する類多し 此症あらははやくおとろき上手の醫師に逢て脈 症をきはめ薬を服用すへし ◯妊婦小便しきりにしげく或はしぶりいたむこれを子 麻と名つくと婦人良方にのせたり是胎気やす からす下焦にふさかり下部に熱あるゆへなり胎 氣をやすんし下部の熱を解すへしみたりに小便 を通すへからすたくは五六ヶ月のゝちにある症なり ◯妊婦胎気やすからす上心腹に衝のほり腹脹満し 疼痛するを子点と名つくと婦人良方にこえたり これ胎学の保養法にそむくにより此うれいあり 安胎の剤を用て調理すへし此症飲食色欲憂 怒によつて発するなれは其根本をきはめて治 すへきなり治することおそけれは変して子癇 となるなり ◯妊婦忽然としてむねもたへ人事をかへりみに 四肢橋搦口眼唱科言語渋塞歯牙を熟し目上 視し痰涎壅盛そのかたち中風のこときものを子 癇と名つくと婦人良方にのせたり是必妊婦の 胎教つします欲事を恣にし飲食起居法に そむきあるひは物にふれて心気大におとろき胎気 躁動かして胸膈に衝上れは三焦の津液こと〳〵く 痰飲となつてせむる故に経脈めくらずして子癇 の症となるこのやまひは妊婦の九死一生のやまひ なり妊婦類施搗搦なとの症すこしにてもきさ さは子癇のもよほす所とはやくさとして上手の 医師にあいて薬を服すへし治療はやけれは其 身もつゝかなく生子も害なし子癇は多くは胎死 にてむまるゝ也甚きときは産のなき内に反張して 死するなり死胎を産して其母つゝかなきもあり あまねく醫書をかんかふるに子癇を治するの法 方あまたなしたゝ羚羊角散竹瀝飲なといふ たくび四五方の余見えすそれゆへに凡医は疑 感し殊に急症なれは療治をあやまる類多し まづ大概は痰飲をしりぞくる療治をなしその のち気血を調理すへし急なる時は其標を治す と素問にも説給えり ◯妊婦手足あるひは頭面あるひは遍身ともに浮腫 するものを子腫と名付また胎腫といひ子気と いふとふ人良方にのせたり産乳集に子腫は胎気 によりて中焦めくらす脾湿皮膚にとゝこふる故也 夏月熱令のこきの妊婦はかならず腰股足なと腫 て水を出し飲食あまからず虚弱なる婦人は余月 和俗さねはなれと も足腫腰はるゝ類多し分縄は いふ子生るゝのこと也 あり てのちは薬さにしてすなはち消するなり此症 多くは脾胃虚弱の婦人あるひは泄剤あるひは瘧疾 或は傷食等の病によりて脾虚して水湿をたくは 一胞 子宮宮 いふなりさ をおかし分利することあたはすして腫る なりこと云へり脾胃を調理するくすりを服用し てよし ○妊婦ことに触ていかりをなし肝経の血をうこかせ はかならす血下るの事ありて胎おつるなりはやく おとろき上手の醫師にあいて治療をなしその 血をとゝむへし血気本に復すれは胎をたもち て小産のうれいなきなり虞天民の説にも数 月の胎ありて血大に下るこれを漏胎と名つく 血大に下 事によりて任脈を触動する故に翁血□ す るをいふ也 れ共子宮をまた破らず故に胎おつかにいたらさま なりしかれとも子宮の血耗失して月をこえて産 しかたしといへり ○虞天民の説に妊婦月を按こゝろみて毎月の経水 のことく期をさためて血下る事ありて胎は月にした かつて盛長するものありこれを盛胎と名付 けだし婦人血有余にして胎をやしなふ血のほか にあまりて下るなりと云へり盛胎の婦人は形体 ともに健に飲食能すゝ見身に病疾すこしもなく 毎月の経水のことく期をたかへす毎月の経水より くたる所の血少なりケ様なり婦人々千百にして 一人もある事なりしかれとも胎孕の内に血下る はたくはやまひとしりて早くおとろき上手の医 師にあいて治療をなすへし 子宮を ○妊婦胎満て胞 いふなり にせまれはたくは小便通せさる なり胞の糸轉戻して下に臈小便通せたるを轉 胞病と名付と陣無択の説にみえたり妊婦祷胞 病は元気虚弱のもの憂悶の婦人性さはかしきもの あるひは厚味のものにたくはこれあり古方に漕 利疎導のくすりをもちいてしるしなしたゝ その胎気を上挙すれは胞の糸を疎通して小 便をのつから通するなりと丹渓の説にこえたり 此症はことの外なる急症なれは上手の医師に 逢て早く治療をなすへきなり ◯許学士の説に妊ふゆへなきにしきりに悲哭 婦人良方 する事あり是を臓煙と名付大寒に湯 に見たりへ 用れはかならすいゆる也と云へり薛巳一の妊婦を 治するに五ヶ月にしてしきりに悲哀煩煙す其 夫これをとふふのいはくわれ故なしたゝをのつ から悲哭するのみと薛巳これに淡竹葉湯と八 鈴湯ことを用ていゆるなり此症は寒に心をせむるに よりあるひは肺風邪あるものこれをうれふこといへり 今ときも多くある症なり上手の医師にあいて 治療すへし ○妊婦七八九ヶ月の内児腹中にて啼哭の声をな す事あり鼠の窟の内の土垢をとり細末して 麝香を入て酒にて服すれはたちところにやむと また黄連の濃煎汁を用によしと婦人良方に 見えたり薛巳の注に産寳にいはく臍帯の上の さきのとかり 疱瘡 疱瘡さきのとかり児の口中に含むいま妊ふたかき たる所をいふ也 にのほり臂をのへて物をとりあるひは頭髪を梳 和俗是を乳口 故に声をな るによりて児口を脱へ出す をはなるゝこといふ すなり妊婦をして腰をかゝめ地に就て物をひ ろふことくならしむれは臍帯児口に入て声やむ なり黄連は性寒麝香は竅をひらく醋少し て用へきなりと云へり ○妊婦八九ヶ月の内言語せさる事あり薬を服すへ からす産月にのそんて保生四物湯を用へし産 下すれはすなはち語るなり素問奇病論に胞至 絡は腎にかゝる腎の脈は舌本をつらぬく故に物い ふことあたはす十月にして分臓のゝちをのつからか たるとみえたりとふ人良方にのせたり薛巳の 説に児腹中になき妊婦の痛になるたくい物の理 を究めさるものは此うれいにあへは騒動して 薬を用て其害おびたゝしたゝ撰養をよくすれ は薬さすして子産下するの後はをのつから平後 する也と云へり惣して妊婦の病はみな腹に胎ある 故に種々の変証あり故に子嗽子疳子煩子腫子 懸子癇なとさま〳〵の病みな子の字を以名付る なり子癇の症としかならす腹内の児の驚癇を うれふるにはあらすもとより妊婦外物に触犯 して胎内の児氣驚動して子癇となるもの もあり愚昧なる人は子癇は児の腹内にて驚癇を 病とこゝろえたるもの多し児産下すれは其ふ 安全なるをいかくいふなるへし児産下すれば母の 血脈順行する故にやす〳〵能々心得へき事也 十九胎自堕の説 ○妊婦胎をのつからおつるものは皆気血ふたつな から虐損し胎元をやしなふことあたはすして おつるこれを枝かるゝときは葉落葛かるゝ時は花 おつるにたとふとふ人良方にみえたり虞天民 の説に妊婦患怒して情にやふられ内火すなはち 動けは又よく胎をおとす猶風その葉を擁し 人其枝を折かことしといへり能々妊婦は慈怒を おさへ嫉妬の情をなみして胎をやすんすることを しるへし ○赤水玄珠に妊婦大にいましむへき事色欲に有 みつからつゝしむことをしらされは情慾内に動く 子宮またひらく故に多く堕胎をなすこるひは 其胎つゝかなく産下すれとも生子かならず瘡毒 たし或は驚癇のたくひの病をうれいて寿命 みしかきにいたるいかんとなれは淫火内に起り胎 氣を傷燥するによりてなり彼馬牛のたくひ 胎をうくるのゝち牡身に逼れはすなはちこれを蹴 婦して近付ことなし故に畜類多くは半産のこと なし人はたゝ欲たくして男女交媾のことみた りなる故にやゝもすれは胎をのつからおつるこ とたしこと載たりしかれは夫妻ともに此事をそ らんして孕ある時は閨房をへだて情類をうこかすへ からす嗚呼人なるを馬汁にたもしかさるへけんや恥 べき事なり ○産宝論に半産俗に小産といふ或は三四ヶ月或 は五六ヶ月の間に妊婦つゝします或は憂恐悲衰暴怒 によりあるひは労力打撲飼動により或は極暑酷 寒の気に触犯すれはかならずに産をなすなり 小産かろ〳〵しく視るへからす保養治療正産に 十倍すへしと云へり ◯丹渓の説に小産は多くは内熱して気血虚する 者にあり此二 ̄ノのものをつまひらかにして治すへし 子宮を をやふる故に胎おつると 巣元方の風冷子臓 いふなりさ 立るはあやまれりと論し給ふされともあるひは 外風冷の氣にあたりて子臓につたへ入て胎をお とす事またし故に妊婦は風寒をさけて外感 をつゝしみ飲食を養にし七情をはふきて内傷を おもんはかるときは堕胎のうれいあるへからす ○王石山の説に妊婦小産は気血耗散するゆへなり これを水涸て禾枯土削して木倒るにたとふいは んや三月五月は少陽に属して火動の時なれは 堕やすきなり三五七ヶ月は陽数の月にして動 揺をつかさとる故なりと云へり ○明医雑著に妊婦は熱をきよくし血気をやし なふを以善とすまた胎をやしなふことはまつたく脾 胃にありたとへは鐘を梁にかくるかことし梁 軟なるときは鐘下陸す梁折れは鐘おちて損 するなりとみえたり ○便産須知に妊婦衒任の脈気虚すれはその胎を 滋養すること成かたくして胎おつるなりまた贅 病あるひは温瘧あるひは傷食辛辣の熱物にやぶ られて胎をおとすことありこと云へり熱病温瘧の たくひのやまいは鬼熱のいきほひ胎氣を焼おとす なるへしもうへ温瘧熱病の治方多くは胎禁の 薬をおかす故に小産をなすなり ◯丹渓の説に妊婦子宮の真氣まつたからされは 陽ほとこさす陰化せす精血凝るといへともついにか たちをなさすして或は血垢を産し或は血胞を産 するものあり一の婦人腹やうやく大にして子をいた くかことし十月にいたりて陽産の薬をもとむ其 神色を察するにはなはた困難すくすりをあたふる に数日ならずして腹いたんて産を催かことしししはらく あつて白蟲を生する事半桶はかりにして平復す これ妊婦の元気甚虚するにより精血凝といへとも胎 をなすことあたはすして穢腐をなすこれ湿熱虫 を生す理のある所十月の気発動して産す終一 に佳非にあらす其婦は月に及はすして死せり是を 溝渠の汚渇つもりて久しくなかれさるときは緒の 客を其間に生するにたとふとみえたり 婦人寿草巻之中三 世上番可申上覚候 東風富画 廿四日二十一 行画 京八大区 十九日吉四三 婦人壽草 婦人寿草巻中四 狩野氏図書記 筑前晩出 九妊婦胎を下〳〵産を断の説 ○婦人大全方に妊婦羸痩あるひは疾病をかね蔵府虚 損し気血ともに枯竭胎をやしなふ事あたはすや やもすれは胎うごきて堅固ならず終に其母やすき 事あたはさる者はすなとちこれを下すへし妊婦を 害することを免るといへり是やむことをえすして一 胎を下すなり丹渓のいもと難産をくるしむ故に 毒薬を用ひ或は と格致余論にの 胎孕ある毎に触て去 外より術を以下類也 せたりこれ孕婦をたすけむとのてだてなり薛己 の説羸痩のふ疾病の妙なりとも能々その症を 察し薬を服用すへし好んて下すへからず許少 産前に大ひに をうれふ療治をなし 癲公の婦人胎漏の 血下るやまひ也さ てやます許公其いきほひ胎をたもつ事あたは しすみやかにこれを下さんと欲す薛己を召てこれ 芎飯湯 を服せしめ給へ を謀る薛巳のいはく仏手数と ともいふ也也 安かるへくはすなはち安からむ安かるへからすんはす なはち胎下らん其自然にしたかふべしと黴公も の事を信せすして女科醫師にゆたねて牛膝を もつて酒にて煎しこれを服して胎すなはち下り 胞衣下らさるによりて香桂散をすゝめ血暴に 下ること大河のことくにして死せり黴公なげきうら むといへとも及はす是をあらはして世のいましめと すと女科準縄にのせたり ○江応宿の説に世俗貧乏にして家業薄く嗣続を いとふものあり懐胎あれは打胎の薬をもちひて胎を おとす不仁不義云へからすといへり薛巳の説に世俗の 不仁胎をおとすより大なるはなしに産は大産よりお もしたとへば栗の熟してをのつからおつるや大 産なり生にて其皮穀を採破刀にて其根蔕を断 かこときは小産なりといへり本朝にもまゝたきこと なり或は早賤の家は貧苦によりて胎を堕し或は 東家の墻を越穴隙を鑽て婬行をなすものゝたく ひ懐孕の事あれはかならす打胎の薬を用て不仁 不義をなす故に命をうしなふにいたるもの夥し貧 賤の者世業うすきによりて此事をなすら不 仁不道なりいはんや富貴の家淫行をかくしあや まちをかさるたくひの者此事をなすあり不仁不 義いましむるに言葉なき事なりもろ〳〵の 醫書に胎をおとす薬または断産の法をのせたり これみな婦人産育あまたにして午日多病あるひ は難産度かさなり或は十月の胎を養育する気血 なふして死するのたくひあれは大をすくひ小を殺す の理にしたかひまたは難産なれは暫時のあいたに 二人のいのち終る事をあはれみやむことをえすして 古人もこれらの法を立をくなるへし都鄙の薬 肆に窃に堕胎の薬を調合して販き快生家所作り ばゝ或は子 りあげ ○此事を業としてみたりに生々の徳をやふ とりと云也 るたくひたしこれらのたくひをしらは能々さ として此業をやめしむへき事也むかし東京の白 牡丹といふ美人あり堕胎の薬を調合して販さい へとみさかへけるかほとなくわさはひたく出来ていへ 貫くなり嗣続なく死する時のやまひには多く の小児来りて頭の毛髪を引ぬくと云て譫言して 死せりと夷堅志といふ書にのせたり堕胎の薬 断産の法は医家万一の用にとなふるのみ能々 心得へきことなり ○断産の法薬算に灸治の説千金方婦人良方女 科準縄等にのせたり薛巳の説に断産の剤は 多くは峻厲の薬なればこれを服して害をならずも のたし産の害は断産の害にはしかす張羅峰李 恒斎なといふ人/断産の薬を服して形体ともに怪 し労役にあへはかならす病み或は陽事おこらさる なり又婦人は子宮店冷し帯下の病となり腰 冷痛〳〵足膝痿弱の病をなすなり断産の薬 かろ〳〵敷男女ともに服する事なかれといへり 卅一胎内形体の説 ○婦人良方にいはく五臓論に耆婆者論と称す るあり妊婦一月には珠露のことし二月は桃花の一 ごとし三月には男女わかる四月には形象臭はる五 月には筋骨成る六月には毛髪生す七月には其魂 遊んて児よく左の手を動す八月には其魄あそん て児よく右の手を動す九月には三度身を転す 十月には気を受足といへり巫方か頗顛経にも 十月の形象をのせたり陳自明の説に以上の講 説を推究るにみなる議なる論にしてみたりに □□□□□□□□ 誠 其名を托するなるへし三蔵仏書の説にいたり ては皆あやしきにわたるかんかふへからすといへり然 れは阿難問経の三十八箇の七日毎に形体変し二 百六十六日を経て生るといふ説また入胎経の胎内 の五位なといふ事みなあやしき事ともなるへし 和俗胎内の形体を仏具にかたとり独鈷三鈷鈴錫杖 のかたち月〻にかはり其月々の守護の佛ありなと いふ説生下未分抄といふ書にみえたれともこれまた あやしき事のみにてとるにたらさる事也。昼 按するに胎内一両月はたゝ一點の珠露のことく漸一 々に其形体を具ふる也三月にして男女わかるとあれ は是より形体をなし始め次第にそなはり七八月に いたれは形体まつたゝそれはり十月に満て生下 するなり七月子よりは出生して生育するを以しる べきなり 廿二産月いまた足すして産し朝を過て産せさるの説 ○妖婦十月に満て腹内の児夢の覚るかことくついに胞 を好みをわかち路をもとめて出生するを正産といふこ れ其つねなり七八九ヶ月の間に産するものあり是 気血不足其胎を養育する事あたはすして小産 にひとしされとも七八九ヶ月にいたれは児の体全く そなはりて其児必生育するなり時珍の説に七月 の子はたゝは育す八月の子はたゝは育せす七は変して 八は変せさるの義なりこといへり是七は陽数八は陰数 なれは湯は生し陰はころこの義なるへし妊婦七八ケ 月にして腹痛し産せんと欲せは必上手の医師に 逐て療治をなして月を延へし気血の虚に属する なれは産かならす難し能々心得べき事也 ○虞天民の説に月を踰て産せさるも気血の不足 に属するなり十二三月或は十七八ヶ月或は二十四五ヶ 月にてむまるゝものもまたこれありいつれも気 血をおきなふ薬を眼用すへしと云へりしかれは こゆる事もよろしき事ならねは十月に満て産せ さる時は上手の医師に逢て治療をなすへし又初産 の婦人はたくは一ヶ月二ヶ月は延ものなり是婦人 た幼弱にして気血充盛ならすかるがゆへに胎気 長せすして月をこゆるなり和俗これを月を持越 と云て産しやすきしるしるなるなり多産の 婦人あるひは年高の婦人月をこえて産せすんは 上手の医師に逢て治療をなして気血を培養 すへし能々心得へき事なり ◯五雑俎に胎十月にしてむまるゝは精気足なりし かれとも七月にして生るゝものあり十四五ヶ月にして 生るゝものありこれ感する所異にして其変なり 老子は八十一歳にして生れ馬生徳か内はらむ事 八歳にして子を生す其子長大ならすたゞ髪の長 事尺はかり三歳にしてよく詩書をよむ世伝に 堯は十四月にして生れたまふ堯已前は世人十四ヶ 月にして産するなり荘子に舜天下をおさめ て民はしめて十月にして子を産すことのせたり 捜神記に黄帝の母名は附実はらむ事二十五十月 にして帝を生したまふ魏略に黄牛巻人はら むこと六月にて産す博物志に僚人ははらむこと七 月にて生ずと載たりこれ皆人事の変にして ねとなして論しかたき事をしるへし 廿三/逐月胎を養の説 ○北斉の徐之才の説に妊娠一月を始脳と名つと 足は厥陰肝経の脈のやしなふ所肝は病をつかさと るなれは一月めには必力事をなすへからすおもき 物をもたくへからす安静にしておそれおづること を禁すへし妊婦多くは一月の内つゝゝますして 胎をおとす事ありしかれとも毎月の経水より少 たく血下りたるとのみおほえて堕胎といふこと をしらさるたくひたし此月や大麦を食し腥物 辛物を食すへからす足の厥陰の経に針灸す へからす ○妊娠二月を始膏と名つく足の少陽膽経の脈の やくなふ所膽は精をつかさとる児の精胞の内になる 故に男子にましはり精をうこかし或はおとろき 躁きなとする事禁すへし立居を安静にして 辛物腰物を食すへからす足の少陽の経に針灸 すへからす ○妊娠三月を始胎とか心つく手の心主の嫁のやし なふところ心主は内心に属すれは悲哀をなし 思慮をなし驚動する事を禁すへし此時いまた 定儀あらす女を転して男となすのたくひの 事をなすへし手の心主の脈のやくなふ所に針 灸をなすへからす ◯妖娠四月はしめて水精をかけ血脈をなす手の 少陽の脈のやしなふ所少陽は三焦をつかさとる四月 の時児六腑順和成るなれは形体をしつかにし 心志を和柔せしめ飲食を節にすへし稲粳を食 し魚鴈を食すへし手の少陽の脈のやしなふ所 に針灸すへからす ○妊娠五月始て火精をうけて其気をなす臥す事 嬰くおきて淋俗して衣をあらひ其居所を深し 其衣服をあつふすへし足の大陰の脈のやしなふ 所五月の時児の四時闇なる大に餓る事なかれ甚 飲事なかれ乾燥の物を食ふ事なかれ大に労倦たる 事なかれ稲麦を食し足の大陰の経に針灸す すへからす ○妊娠六月始て金精をうけて其/筋をなす身少 く労すべし野に出てあそひ是犬を觀走馬をみ るへし足の陽明の経の脈のやしなふ所六月の時 児の口目みな成る五味をとゝのへ甘美物を食すへし はなはた飽事なかれ足の湯明の脈のやしなふ所に 針灸すへからす ○妊娠七月はしめて木精をうけて其骨成る動作 屈伸して血気をめくらすへし居所必煖に寒を 飲食にさけつねに病粳を食して膿理を蜜すへし 手の大陰の脉氣のやしなふ所太陰は内肺に属す肺 は皮毛をつかさとる七月の時児皮毛すてに成る大 に物いふ事なかれ悲哭する事なかれ衣を薄ふする 事なかれ洗浴する事なかれ寒飲食する事なかれ 手の大陰の経に針灸すへからす ○妊娠八月はしめて土精をうけて膚草をなす心 を和し息をしつるにすへし手の陽明のやしなる所 内大腸に属す八月の時/児の九竅みなる煙物を食 ふ事なかれ飢る事なかれ大に起驚すへからす手の隔 明の経に針灸すへからす ○妊娠九月始て石精をうけて皮毛をなす六腑百節 患そなはらすといふことなし体をのみ耳を食すへ し足の少染の脈のやしなふ所内腎に属す九月の 時児の脈続縷みななる温涼の地に居る事なかれ 炙衣を着する事なかれ足の少陰の経に針灸 すへからす ○妊娠十月五臓ともにそなはり六府ひとしく通 す天地の気を丹田におさめ關節人神皆そなはり 但時をまちて生るゝなり右十月の保養の説安 科準縄にのせたり 廿四産前治法の説 ◯李仲南の説に妊婦の病はたゝ胎を安んし気を 四時の気令をいふ に感し内七情 順すへし若外四気 風寒黒温なり 憂思 悲驚想 にやふられて他病を生せは其病によつて をいふ也 是を治すへし大祇熱を清し血をやしなふを以主 とし胸膈の気をめくらし脾胃を調理し胎禁 の薬を用へからすといへり ○許学士の説に妊婦のやまひ大抵陽を抑へて陰を たすくるを以主とすへしと云へり ○張潔古の説に妊娠の治法三禁を犯すへからす 三禁とは汗すへからす下すへからす小便を通すへか すと云へり ◯條春南の説に妊婦の病はまつたく気より外な し血は気にしたふなれは気のぶれは血和する なりと云へり ○妊婦脹薬つゝしむへき事なり医家のたりに胎 を安んすると云て或は血剤を過し熱を解する と云て苦寒を用ひ中気をおきなふと云て温補 をつとむる故に偏性の気にやふられて必堕胎す るにいたる香附は気を快し鬱をひらく薬なれとも たく用れは正気を損す砂仁は脾胃を快すれことた く用れは真気を耗す黄芩は胎をやすんする薬又 は熱を解して妊婦に利ある薬なれとも多く用れは 苦寒にからて脾胃を損するなりいはんや胎禁の薬 をや誠につゝしみ恐るへき事也と古今医統にの せたり ○素問六元正紀大論に婦人重身毎_レ之如何曰有_レ故無 頭亦無瑣やと立り此こゝろは婦人胎孕あるに或は 元より積聚のやまひあり或は熱病温瘧のた ひ或は傷食なことのたくひの暴病の時是を治する薬 はみな胎禁の剤にて堕胎のうれいあるへしされとも これを用てそのやまひを治するに胎気安にして 其やまひすなはちいゆる也これ胎禁の薬剤は邪気 をたいらくる故に邪にあたりて胎を犯す事なし これを故あれは須なしといふ亦殞なしとは妊婦を殞 せさるのみならす腹中の児も殞せずといふの義也 三分のこを 下の父に大積大概をは犯すへし其大半に 大半といふ也 をお とろへしめて止む過るものは死すと説給ひて大なる 邪気なれは胎禁の薬も用て故あるによりて預な し大半をおとろへしめてやむとあれは過し用るとき は胎を堕落する事必せりたとへは妊婦食瘧の症 をうれふる時食滞を消導する薬判を用て其/瘧 の暴勢おとろへ寒熱大半やむ時は中和の薬を用 へし胎堕すして瘧勢漸々に愈へし大半の勢へ りても猶消道寸胎禁の薬剤を用る時は胎をおとすこと 医なり凡妊婦一両月より四五ヶ月の間は胎気い また微弱なれは胎禁の剤を用る事を禁すへし 七八九ヶ月にいたれは胎気も健剛なれは其/薬性を かんかへてあまり峻厲の剤ならすは用ても害なる るべし政和年中に葵骨公といふ人の孫婦はらむこ 十月に に陽症の傷寒をうれふ国中 とありて満月を 当るを云 の名醫あつまりて胎の堕ん事をおそれて寒涼 の薬を用す病ほとんとあやうし張銃といふ名医を めして治せしむこれをこゝろみていはく児胎に處事 十月まさに生れんとすいつれの薬かよく胎をさまた けんすなはち寒涼の剤を用るに常に倍してあたふ □□ 四 金龍 児すなはち生れ病又癒たりと夷堅志にのせたり ◯梅苑の説に期にさきたつて産せんと欲する ものは血を涼しめて胎をやすんすへし期に後れて 産せさるものは血をおきなひ気を順すへし滞を行一 すを肝要とすといへり ◯女人胎をおとさんと欲して或は草薬を服し或は辛 棘熱毒の物を食し腹痛して胎堕んとするに白 扁豆一味濃煎汁或は細末となして二銭を服す共 に甚しるしある也/胎気落て後腹痛つよきにも用 てしるしあり或は胎気いまた落すして児内に傷 損し或は舌絶り口噤手足橋搦中風に類するもの 九死一生醫たもこれをしらす風となして治すれは必 死す白扁豆よく愈す也と永類方にのせたり譬せ つねに此症ある毎に此方をもちひ手に応して動 あり毒薬を以胎をおとすたくひは胎腹中にあり てなやますにも又胎堕ての跡に腹強痛するに もこれを用るに其毒を解して平癒するなり此 方は単方 一味用る にて常人も用やすき薬にして 薬剤を云 またもちひて害のなき薬方なるゆへにこゝに しるす也 ○妊婦病なき時は十月共に薬を服すへからす病の時 ろやむことをえすして薬を服すへし都翁といへる 君醫陳尭通といふ人の妻を治するに衣醫みな 労療の病といふ都翁のいはく速に薬をしりそけ一 よ是懐妊の脈なり且君賀せよ男子を得べしと 則薬をしりそけて男子を産せりと名医類案 にのせたり古人の説にも薬を服せさるこれ中醫 なりとあれは平人すゝみたりに薬を服すへからす いはんや妊婦をやつゝしむへきこと也。凡妊婦の治法 は気を順し血をたす気熱を解し脾胃を調るを以 先さすへし病ある時にみたりに薬肆に販々所は 薬剤或は和俗の妙薬とて其家々につたへ来る紫 金銭万金丹千金錠子玉榧丸錦袋子命蘇丸斎 効丸奇応丸延齢丹なといふそくひの龍脳麝香の 入たる薬を用へからず病なる時は上手の醫師に逢て 其病根をたゝして薬を服すへしかろき事とて 麁工 下手医師 またね命をうしなふへからす程子の をいふなり 語にも病んて床に臥すこれを傭医にゆたぬこれ を不慈不孝に比を親につかふまつるものは医を しらすんはあるへからすと云へり庸醫は必脱暴なる 事多き故に胎禁の薬剤をしらす理をきはめさ る故に或はふかくをそれて治をあやふみたゝに益なた のみにあらす其害夥し妊婦六七ヶ月にいたらは上 手の醫師に逢て脈を診せしめ薬を服してよ ろしきかよろしからさるかの事を指図を受へし 平日の持脈をも診せしめをくへし臨産或は産後 の治療をなす医のこゝろえになる事なりよく〳〵 心得へき事也 廿五妊娠産図并禁祝の説の説の説 ○太平聖恵方に妊妙満月の朔日に産図一本をしる とて朱を以書付産國の北の壁に貼にして置へ しと載たり産医とは四方四隅の方位をしるし 八卦をもりつ気十三神数の方生気方禍害月絶 命万懸尸方閑性方八荘方反支月安産方蔵衣方 なとさま〳〵の吉凶ありみな妊婦の年命或は卦と 引合て方角をたゝし朱にてこれを書て産国の北 の壁に貼にするなり此説元来外台秘要にいてゝ もろ〳〵の醫書に載たり王子亭の説に一切の神 殺の方は固に是理義ある事也難産横生逆産の たくひ産しおはりてはもとのことし是疾病のい たす所にあらす血気の主る所にあらす皆神殺のし からしむる事也といへりかく中花にもこと〳〵敷吉 為をいふ事也さりなから此事実はみな巫現陰陽家 の世をまとはす俗説にして中花より本朝にいた るまてつたへ来る故にもろ〳〵の名医もならつて 察せず書つたへ公伝ふる也倭俗もあまねくこれを しり婦人のともかる信用する事なれはやむことを えすしてこゝに其大略をしるしてかんがへにそなふ るなり ○安産万蔵衣の方あり安産の方とは産婦をむかは しめ或は産婦の床帳をやすんするに吉方をいふ蔵 衣の方とは胞衣をおさむる吉方をいふ也正三五七九十一 月六の陽月には西壬の方にあり西の方に産婦を向 一雨の位に床帳をやすんすへし壬の位壬の方に胞衣 をおさむへし二四六八十十二月六の陰月には甲庚の方 にあり甲の方に産婦をむかへ甲の泣に床帳をや すんすへし庚の泣瘡の方に胞衣をおさむへしと 也 餘台秘要太平聖恵方等にのせたり ○反千月陰陽家の説に正七二八三九四十 五十一六十二かくのことく二ヶ月をひとつにして十 三歳を初として四十九歳まてをかすへて反支月 をしる也たとへは正七をはしめに立また十三歳を はしめに立て数へ出す也故に十三歳の妊婦は正月七 月を反支月としるへし十四歳は二月八月に相当り 十五歳は三月九月に相当る也かく十三歳をはしめ としてかそへ至れは十八歳にして六月十二月に當り て一周する也又十九歳より正七に始り廿四歳まで にて一周する也又廿五歳より正七に始り三十歳迄 にて一周する也又三十一歳より正七に始り三十六歳 迄にて一周する也又三十七歳より正七に始り四十二 歳迄にて一周する也又四十三歳より正七に始り四十一 八歳迄にて一周する也又四十九歳より正七に始る也 婦人良方には十三歳より四十九歳迄を委くもり 付てしるしをく也諸の医書書に反支月を死殺 月胎殺月とのせたり陰陽家の説に前子後母 といふあり反支月に相当る事とかく二ヶ月 なれは正月を害其子にありとしり七月を害 其母にあるとしるへしと云へり拾芥抄に毎月 反支月をしる法に子丑の朔日に当りたる月な れは六日寅卯の朔日当りたる月なれは五日辰 巳の朔日に当りたる月なれは四日午来の朔日に あたりたる月なれは三日/申酉の朔日にあたり たる月なれは二日/戌亥の朔日に当りたる月なれは 一日よりとのせたり凡反支月に当りたるときは 上下の神祇にいのりて其月をのふるなといふ事 巫覡のたくひあまねくいふ事也かゝる術も造 他の間なれは有ましき事ともいはれねは婦人 愚失のたくひは巫覡にゆたねて鬼神にいのれは 心のやすんするたす気になりて気順し白 めくる故に月を延るのたくひすたかるへし素問 にも移精変気といふ事を説たまへは是もまた 外術にして内に妨なき事なれはその妊婦の 心にまかせていのるへき事也婦人良方には十三歳 より四十九歳迄の間其年辰によりて産婦を いつれの方位にむかへいつれの色の衣類を着せし めいつれの方より医師看病人等をよぶといふ 事迄のせたれとも皆実は巫覡の類の俗説なる 故に取用さるなり ○陰陽家の説に妖婦の産月の日期をしる法有 是以書の三十八ヶの七日二百六十六日に当りて産すと いふの説にもとつきたる事なるへしたとへはふ 人月経今月にとまりたるなれは前月にさかひ火燃 月水の来る時を火に出るといふ所国は秋をたつとひけかれを禁する風な 一れは婦人月水の時は上は皇君上為女嫡のそくひまて皆/里へ出たまひ て内裏の火をいみたまふなり卑賎の婦共其其家の火を食せさる也 故に火に出るといふなり又火の色はあかき故に経水も此色にひとし けれは名付 く共いへり 月とて月水少少下る事あり此さかひ火より二 一百七十七日にあたりたる日数にて産する也二百七十 日は九ヶ月の日数なり九は老陽の数にて生数な 一れは産する日数にかたとまなり七日はさかひ火迄 り七日を月水の日数に引也都合二百七十七日にて十月 をわたる懐妊十月にて産すといへとも実は九ヶ月 の日数なり其日のつもりをして相当の日の卦 体をかんかへ占をなす八卦陰陽の相当によりて一日 二日の延緒はあるなりと云傳ふる也是和俗のあね くしる事なれは爰にしるす和の諺に占はあふも 不思儀あはぬも不思議なといふかたくひにして必す とすべからす ○体玄子地を借法の文にいはく東借十歩西浜中 歩南借十歩北借十歩上清十歩/下借十歩/諸神擁 護百朝速去急々如伴令勅かくのことく朱にて書 て産月の朔日に産ふの房内の北の壁に貼にすへ しいヶ様なる神殺諸事の忌事を犯すといへとも 妨る事なしと太平聖恵方に載たり ○陳自明の説に妊婦難産横生逆産胞衣下らさる 時名符を服し或は壁枕の上に貼にすへし其玄妙 神変なる事あけてかそへがたし故に前哲みなこ れを結用す世人逆遠となして捨る事なかれといへり かくこと〳〵敷其外をを立立古人を證拠として説 をなすといへとも実は巫現陰陽象より出たる事にし て医師のしはさにあらす道をまなひ義理をしる 人の信用する事にしもあらす婦人愚夫の類此 事を信せは巫覡にゆたねて其法をなすへし虚 符の品々外台秘要太平聖恵方婦人良方等に載一 たり取用るにたらさることなれはこゝにりやく するなり 廿六産月に入て畜をくへき薬剤 ◯薛巳の説に妊婦産月に入はあらかしめ薬剤を調一 へたくはふへしと云へり産は急症なれは医師をよひ一 むかふる間もあるものなれは前かとにたのみたる醫 師に相談して薬剤を請たくはへ置へし大かた産前 産後の薬剤はきはまりたる事多き故に左に しるす也 ○芎吸湯一には仏手数と名付く産け付て腹痛 腰痛せは此薬を煎服すへし血をたすくる剤にし て能産し易からしむるなり産前より産後ま て用てよし産前産後の薬多くは此方に加減し たるものなり ○四物湯八物湯大補湯なといふ気血をおきなふ薬 をたくはへ置へきなり ○補中益気湯是は産気つき数日を経ても産 する事なけれは妊婦なやみ草臥るなり此時此方 を用る事ありたくはへ置へきなり又産後にも用 る事多し ○催生の薬もろ〳〵の医書にさま〳〵載たり其 症にしたかつて用へき事なれは産をたのみたる 醫師に相談すへし催生の薬は多くは峻急の剤 なれは用る時節ある事也臨産の説をしるす所 委く書載たり考合すへし平胃散に滑石冬葵 子を加へたり薬剤をたくはへ置へし此方催生にたく 用て利をえて害すくなき方也 ○松永弾正の振薬といふ方あり是産前後の妙劑 なり安栄湯あるひは長栄湯とも名つく又は山田 の振薬ともいふ此方は医流其家々の秘方ありて 加減製法さま〳〵口伝たし此薬剤もと金瘡 を療する方にして松永氏軍中にたくはへ手負 をすくひたる方也 ○龍王湯一名は赤井薬共いふ此方山田の振薬のこと く産前後の妙劑なりとりわき産後に用る事 たし此薬剤は血薬の内に風薬をくみ合せたる方に一 方は蘭室 して東垣先生の金生活血湯 といふ方に 秘蔵にみえたり もとつきてくみたる薬方なり此方赤井惣右衛門 陣中にたくはへて手負金瘡をすくひたる方也 産後は血脱して手負と多くは同しけれは山田の 振薬前抄薬共に産後一切の急症を療するなり 是も産婦に虚実あれは上手の医師に逢て相 談して用へき事なり ○安神散産後の気つけによし此方は医学入門 妊神門に妙香散と出たる方に麝香を去たる薬 剤なり麝香は竅をひらき気を散する故に産後 に用る事を禁する也産後起臥のとき枕を直し 或は小便大便なんとの立居の節用へきなりよく 心をしつめ気をおさむるなり ○清衰散黒神散産後悪血いまたつきす或は胞衣 下らす心腹疼痛血暈して人事をしらさるたく い産後十八/証を治する薬此二方ともに瘀血を去新 血を生すか薬剤なり産後此相応の症多しも ろ〳〵の医書産後門に載たり蓄へ置へきなり 和俗これを を治する事奇妙 ○失笑散産後児枕痛 跡腹といふ也 なり産後の腹痛は多くは瘀血のなす所なれは此一 方よく瘀血を去るの妙劑なり ◯朝鮮人参新好なるものをたくはへ置へし産後 人参一味を を用されはたくは数 脱血甚き時は独参湯 煎服する也 さるにいたる産気つかはかならず独参湯を煎 しをくへきなり人参壱銭五分か弐銭かを一貼と なすへし ○陳蔵器の説に海馬は南海に出其形馬のことく 長さ五六寸鞭のたぐひ也婦人産難の時に是を身 に帯ひ或は手に握れば則産しやすき事/羊の 産するかことし時にのぞんて焼細末し飲服する も又よしといへり本朝にもまゝたきもの也たくは へをくへきなり ◯子母秘録に槐枝東の方にさしたる枝をとりて 産婦の手に握らかしむれは産し易き也と云へり 又日華子の説に催生の薬に槐宝五七粒をのま しむれは必産下すと云へり ○神功皇后三韓 高麗百済 御退治御帰国ありて筑 新羅をいふ 前国糟屋郡蚊田といふ所にて皇子御誕生則八 幡太神是なり其時桃木の枝に御手をかけたまひ 御平産ましますよし慈鎮和尚の愚管抄にみ えたりいまに産宮には桃樹を御神木として瑞 籬をなして国俗これを泰産木といふ此桃枝を とりて諸国にもてはやす也皇后の時いまた本草 をしり給はすしてかく本草の義理にかなひた る事是神変微妙の事也産婦此槐枝をもとめ たくはへをくへきなり 廿一鍾月には父母の家に帰るの説 ○婦人遇辜経に天竺の俗禮にて婦人産月には必 父母の国に帰ると法花珠林にみえたり和俗も多 くは産月にはかならす己か父母の家にかへりなり 是いまた部屋住居にて舅姑家事をゆづらさる 類物毎に隔心あるなれは父母の方に帰りて心安 静にして産しやすきなり其上夫婦同床せさる 故にをのつから房慾を禁する故に乞ひとつの 保養なるへしかやうなる婦人は父母の方に帰りて 産をなすへきなり能々心得へき事也 婦人寿草巻中四終 東順福園 父母百三十二十一 狩も明 同二十八人三十一日ヨリ 廿二百三十一 婦人壽草 婦人寿草巻下五 狩野氏圖書記 香月啓益纂輯 筑前晩出 卅八妊婦臨月摂養の説 ○陳自明の説に凡妊婦其月に臨まば心神を安 んし思慮をはふき飲食多酒をいましめみたりに 雑薬を服すへからす坐中を歩し或は庭を歩行 すへしたく睡ることなかれと云へり其月に入はか ならす身恙なく平日のことく成とも他の家にいたり 饗応に逢て飽食し其挨拶に思慮をなす べからす或は平日食し馴さるもの或は生冷の物或は 〆 辛熱の物食すへからす若食滞なとの病にて急 に腹痛をなせはその躁動によりて産を催し必 難産となるたくひたし ○徐春南の説に妊婦月に臨んて頭髪を洗ふべか らすこれを犯せは横生逆産をなすといへり惣し て妊婦は沐浴をつゝしむへき事也髪を洗ふ事は七八 九ヶ月の比より禁すへし浴をなすとても胎気の 騒動せさるやうに能々かゝしむへき也又/臨月に影をた れて自身髪を概るへからす形を下して足をあらふ 事なかれと陳自明の説にみえたれは妊婦臨月には 髪を梳り足を洗ふの類の事婢につかさとらせて 今は春秋自身なす事なかるへし ◯徐春甫の説に妊婦産月にいらは必下蓐のた くひをなし鬼神にゆたぬべからす再觀のたくい は利をはかりて見たりに凶険の月也或は不順の 産のあたりなりなと云て産婦又はその舅姑親 族をたふらかし神明にいのりて安保ならしめん なとさま〳〵憂疑の情を起さしむるによりて 産婦の気鬱結す気結るときはかならす難産の 基となる也と云へり誠にさる事多し中花す らかくのことしいはんや本朝は神明をたふとふ国 なれは神祇にいのかたくひたし祈祷をなすは人 事の及はさる所を鬼神にゆたぬるより外なけれ は真実を以勝る時は神も擁護し給ふべし浮圖 巫覡のたくひは一向利をはかる心を以神をあさむき たれはとていかんそ納受し給ふへき婦人多くは性 愚にして事あれはかならす傳図巫覡をむかへていの る術者は悪をつけて産婦舅姑の心をおとろかし 祈祷を以善に変すといふ愚人は悪を善に変すと いふをいたく財宝をなげうつ此利をはかりくかな らす凶験を以告るなり産婦舅姑強て浮圖 巫覡にたつねとはんとあらは八卦亀下もみな よき当り月にして順産疑なししかれ共祈祷 をなして丹誠を抜んする時は子母共に息災延命 なとさま〳〵善を告て産婦舅姑の心を安穏なら しむへし是ひとつの術なり ◯馬益卿の説に妊婦臨月にはかならす丈夫と閨 を同くすへからすまた独宿すへからすといへり然れば 妊婦産月に入らは年たけたる侍婢を両三人国の 内に臥しむへき事也 ◯妖婦始に生るゝ所の児母を頼みてつねに臥にかなら す母にいだかれて寝るものあり五六ヶ月のゝちかり 懐きて臥へからすいはんや臨月なとは猶更懐き臥 事なかれ児の足を以母の腹を踏て胎気躁動し 妙気をなやまし又胎損傷して死胎を産するたゞ ひたし能々心得へき事也 ◯倭英の説に臨月忽然として腹痛或はおこり或は 倭俗戸あけの 正み或は一両日三五日少つゝいたみ胎水 水といふなり 少来 りて腹痛甚からさるものを弄胎と名つく是当 産にあらす又一月の前急然として腹いたんてすな はち生れんと題するかことく却て産せさるものを 試月と名付是又当産にあらす凡腹痛胎水来 ると来らさると共に事に妨あらすたゝ妊婦心 を寛にして時をまつへし時いたらされは産せす と云へりとかく胎前は胎気騒動する事多くして やゝもすれは腹痛して産をもよほすかことし 物産の婦は此事に馴さる故に少く腹痛をなし ても当産のことくおもひてしきりに騒動する故 にたゝに益なきのみにあらす其害夥き也/胎前 腹痛或は漿胞水なとくだらは早く驚き上手の 医師にあひて治療をなすへし 廿九難産の説 ◯丹渓の説に世の難産は欝悶安佚の家富貴奉 養の家にたくこれあり貧賤辛苦の者にある 事なしといへりこれ妊婦或は夫婦和順ならす或は 舅姑この中不和なれば欝潤しきりにやむことなく 胎気安んせずして必難産をなす安佚なれば坐臥 心にまかせ胎気大長なるによりてに難産をなす也 富貴奉養の家は驕盗にして情慾をむさほり厚 味によりて脾胃損し概養法にそむくにより必 難産あり彼貧賤辛苦の人はもとより栄輝の 事をしらす淡薄の食をなし自然と情起かすて 坐臥常ありて其身を運動する故に気血順行 し胎気安全にして難産の患なし此心をさとり て撰養胎教法のことゝならはいかんそ難産をなす へきつゝしむへき事なり ○虞天民の説に帰人孕む事あらは必丈夫と寝を 同ふすへからす必難産をなす今時の人は此理をさと らす八九ヶ月の間にも房事あり情慾一度動け は気血したかつて能散し子宮開けて堅固な らす胎孕はまつたく気血の培養によるなり 胎息倦弱なる時は夢の覚さるかことく児頭を報 和俗戸あけ にしたかつて出る事 する事をそく将水水の の水といふ あたはす胞の漿水すてに乾き汚血其生路に 塞り子向ふ所をうしなふにより横生逆産となり て難産をなすといへり ○妖婦安佚奉養の家ならは必胎息長大になりて 産し難かるへし故に古人痩胎飲の薬方をたつ 此方は胎を療しめて産し日易からしむ後漢の光 武帝の姉湖陽公主といふ郭農といふ人の妻也 産毎に難産なり此方を用て夫よりの後難産 の患なしと婦人大全方に載たり丹渓の妹難 産をくるしむ故に胎孕の事あれは触て去 毒薬を 用て去 或は外より術を以 胎を下すのるい也 丹渓これをあはれみ工夫をなす事数 日にして此理をさとりたまふ其かたち肥て針指 ぬいものを をつとむこれ湖湯公主と相たかへり公丞は いふなりさ 奉養の人その気実す故に痩胎飲を用てその 氣を耗して和平ならしむるによりて産し易 きなりいま妹はかたち肥て其気虐す久く坐し て胎をいだく母気めくる事あたはす母の気を補 ふ時は児すくやかにして産し易かるへしとおもひて 懐孕五六ヶ月の比より安胎紫蘇飲を服するに 気をおきなふ薬を加へて用けれは男子を得たりと 格致餘論に載たり難産の証もかく人によりて 唐實の分あれは母に難産をうれふる婦人は上 手の醫師に逢て其根本をきはめ治療をなし て摂養胎教法のことくならは難産のうれへある へからす能々心得へき事也 卅臨産の説 ○産寳方問題の序にいはく至つて霊なるものは 人なりもつともおもきものはいのち也人みないのち のおもき事をしりて命をやしなふの方をしら す婦人のやまひ産難を急証とす子母の命片時 にかゝるといへり然は臨産の時は上手の医師を むかへ老練の収婆をよびて諸の薬剤をたゝはへ 置按養看病法のことくすへし世の吝嗇の人貧 賤の家は財をおしんて上手の医をむかへす老練の 収婆をえらはす薬剤のたつときをもとめす急 変の時にいたれは悔て臍をかむたくひたし いかんそ命をかろんして財をおもんするや扁鵲 の六不治のうちに財を惜んて身をかつんする一 の不治なりと見えたり能々心得へき事也 巻 ◯馬芥郷の説に産するに臨まは老練の穂婆 生疫婆看生といふ共に和俗云所のとり をえらふへしと云 あけはゝ也或は子とり或は伊勢はくといふ也 へり穂婆をえらはゝ性質しつかにして己か情識 をたてず物に騒動せさるをまねくべしあまり 年老たりは気力よはく少の難産に逢ても退 屈して眠を生し其事をあやふみ産婦にも気 つかひなる色をみせ病家にも気をおとすたくひ のことをいふによりて初産のぶなとは心臆して 気おたやかならす正産も難産に変するたくひ たしいはんやつよき難産なとに逢ては身ふる ひて益にたゝす其害多し収婆は多くは酒を たしみ気力強剛なるもの也多く酒をのましむる 事なかれ少あたへて気力をたすけ心を勇に すへしたけれは眠を生し其息湯にえひたる にほひありて産婦に近付ときは其臭をにゝむ もの多し能々心を付へし収婆をえらふは医を えらふにひとしかるへし世の収生の者精良妙 手ある事少し故にたくいのちをうしなふにい たると陳自明の説に見えたれは中花すら上 手の救彼女はまれなりいはんや倭国をや能々心を 付てえらふへき事也 ○薛巳の説に産婦はあらかしめ収婆をえらふへし 収婆は仁心ふかく老練のものを平日にまねきて 恩をほどこし恵をふかくしてしたしみ馴なるれは 懐胎の内もつねに語り教るに其心を安慰するこ ことを以てする故に初産の婦人はとりわき収婆に馴 よるへし若生息不順なる事あればたゝ是いまた 産せすと説或はまた双胎なとにあへはたゝ胞衣 いまた下らすなと云て産婦を恐驚せしめさる 故に産しやすきなりひとりの穂婆薛已に かたるにひとりの貴人の婦人驚路によりていまた 産せずして死にいたる貴人の顔色をみるにほとんと 威盛にまかせて我に命して産婦を見せしむ始 順なりといへとも形編一辺にありて産難となる其 威におそるゝによりて手をほどこさす是によりて 母子共にすくはさるにいたると云へり然は中花より 収婆はかく悪性なるもの多し本朝またかくのこ とし穂婆をまねかは妊娠の事ある其際よりふ かくたのみしたしみなれて毎月産婦の腹を診せし 産ふのはらにつよくさ むへし がならす財をほとこす事を あたる事を禁すへし あつくしこと葉をつくりて其功をほめ穏波女の気 に相かなふことくにすへし本朝悪性なる収婆は胞 梅するに 衣をぬすんて薬肆に販くたくひたし 胞衣一には 薬種 混沌衣或は紫河車なと云て薬に用る事あり 和俗に云伝ふるは胞衣をとりたる児は短命なりとて 能々心得て/彼女 をえらふへき事也 ◯徐春南の説に産婦の国の内には性質安静に物 毎に心を付て物に躁動せぬ婢を召つかふへしたく出 入をすへからす両三人に過る事なかれ外より来るふ 人或は身不潔の婦人或は喪服のもの或は多言のふ 或は狐臭あるもの或は月経ある婦人のたくひを禁 して出入すへからすと云へり産国の内には一族の中 にて多産の婦人物に馴れてしかも平日其産婦 とあいさつよき人をたのみて産前より産後迄 に付添て置へし ○産宝は物しつかにして人の出入をはぶき傍人の立 居行歩をつゝしむへしと馬益郷の説にみえ 按するに坐草とは子を産する時に坐する所をいふ此所 たり坐草 はたゝみの上に筵藁のたくひをしくものなれは草に坐 するといふ義にし の所の上の天井にに環をうちて苧縄を て坐草といふ也 環をぬけさるやうに さけて置へし に産婦腰腹しきりに 念をいるへきなり いたむとき生草せしめ此縄にとりつきぬれは力 になりて甚湿よきなり俗にこれを恭産縄といふ也 ○産婦をやすんする所三尺四方ほとにたかさ壱尺四 五寸ほとにして曲泉のことくにこしらへ三方は板を以 かこみ一方は口にして其内に絹帛を敷て畜置産 後此所に産婦をやすんすへしこれを椅褥といふと 女科準縄にのせたり或は葛籠のるいの上に衣類 を打かけて三方よりさしあはせたるもよし ○産婦腹痛しきりにして産せんと題せはたのみ たる医師をまねきて其指図をうけて右にたく 一番せんし計 はへ置たる薬ともを皆々煎すへし 器物に すへきなり 入置それ〳〵に銘を書て押付置べし産前後は急症 なれはかくのことくにそなへをかされは其用に立か たし小茶碗盞のたぐひ料の喜亡なとさし漆 て置へし白摩粥引わりの粥すり越の湯を たくはへ置へし百拂湯をたやすへからす又炭火を おこし小円なる石を焼て置へし産後に醋をかけて 二三歳より四五歳迄の をとりて置へ かゞしむる也また童便 男子の小便よし也 し産婦にしらしむる事なかれ婦人によりて殊の 外いみきらふものあり能々心得へき事也 ○太平聖恵方に産婦/夜半の時/腹痛を覚えは来日 午の刻に必定生産すといへり是半日の刻数に てたく生るゝの義なり通真子の説に夜半いたみ を発して明日午の刻にむまるゝの説おそらくは 的當ならすたゝ腹いたみて腰いまたいたますんは産 する事なかるへし若腹痛腰につらなつて甚し きときはかならす産する也これ腎は腰にかゝり胞は 腎にかゝる故也といへり ◯古今医統に凡婦人産せんとするの時腹腰のいた み甚しく共身をのべて行動すへからす又腰をかゞ めて睡臥すへからすかくのことくなる事再三な れは胎内の児力なふして決定して難産と なる也と云へりしかれは産婦はいかほと腰腹のいた み甚しくとも身を正直にして座すへし各堪か たくは横に臥して時のいたるをまつへし生産 の時は多くは腰腹しきりにいたみ起臥に堪かたき なり初産のふはいまたその事に馴さる故にすこ 〳〵腹痛をおほゆるにも堪かね時のいたると心得 はやく坐草するによりて氣力倦疲れ寒暑 の時は猶さら其害おひたゝしかたはらに居る老 練の婦人或は穂婆其顔色を見合て大形たへ らるゝほとは坐臥せしめ或は椅褥に居らしめ しきりに腰腹腫痛する時に草に坐せしむへし 此さんらつよくいたむ かならす安産なり ◯楊子建の千産論あり婦人良劣女科準縄等 にのせたり左にしるすかんかふへし ○一にいはく正産とは婦人/懐胎十月/満足してたち まちに腹腰甚しくいたみおつゝひて胎気頓に 陥下りて臍腹のいたみ極るにいたりて腰のあ 大便通するの所を いたおもくいたみ数道を 閉肛門なり 遊出し漿水破 れ下り血出て児子夢のさむるかことく胞をわかち 道をたつねて遂にむまれ出るなりこれを正産と 名付かなり ○二にいはく傷産とは益人の生るゝ各さたまり たる月日ありいま産婦一月已前忽然として臍腹 いたみ産せんと欲するかことくして無事なるを これを試月と名つく正産にあらすしかるに産婦 人をして腰をいたかしめ或は未練の穢婆産婦 にをしゆるに五たりに力を用て弩逼せしむる により児の身わつかに転動しいまた正順ならす 路をあやまりたちまちに横生逆産の類と成 是産母力を用る事甚はやくして相あたらさる による也凡産母児子の身順にして産門にのそみ せまる時をまちて始て力を用て一たひ弩すれは 児すなはら生下す是産母刀を用る事の相当 れるなり君いまた正産の候にあらさる時力を用 る事はやく并にあたりに催生薬を服し児 をして生下するはたと人は苗を植てたすけて長 からしむるのたくひ益なふして害ありこれを 傷童と名付る也 ○三にいはく催生とは婦人産せんと欲し漿水破 れ血下り臍腹のいたみ極めて甚しく腰重く 穀道遊出しすでに正産の候をあらはしてたゞ 児かへつて生下せすすなはち薬を服してこれをも よほすへし或は数日を経て産母困苦する事有 分明にこれ正産の候なる事を見えてたゝ児子 むまれかたし此時薬を服して産母の正気をたす けて児をしてすみやかに生下すへしこれを催生 と名つくるなり ○四にいはく凍産とは冬月/天寒冷の時は産母の 経血寒冷の気を得て凝滞する故に児生下 する事あたはす其害尤甚し善冬月の産は 下部に綿衣を脱去すへからす并に寒冷の處に坐 臥すべからす産房の内に火を置つねに暖氣あら 按するに しむへし産母をして背身を火に向ふへし 本朝にて は火燵によりかゝりて盲身をあたゝめてよし火燵の火をあまりつよ くすへからす産母。母火気しうたれ上気をなしてあしく産房に。火鉢を をくもよしいつれも 臍下腰腹脇腹腹腹腹腹腹腰膝の間をしてつねにあた 火をゆる〳〵すへき也 たむへし寒すへからす血は熱を得るときは流散すれは 児をして生れやすからしむるこれを凍産と名付る也 ○五にいはく熱産とは盛夏の月は産ふ温涼のよろ しき所を得へし意をほしいまゝにして涼をとり 胎気を損傷すへからすまた産房人たくして熱 氣をして産母に逼りおほふべからす産母血沸発 熱頭痛面あかく昏々として酔るかことく人事を しらさる事あり是を熱産と名付る也凡夏月風 冷陰雨こゝろにまかせて涼をとるへからすをそら くは大病を生すへし ○六にいはく横産とは児まつ其手を露し或は唯 産は其臂をあらはすこれ産母いまた力を用る時に あたらさるにもちひ児身いまた正順ならすして 横はつて生下す此時産母をして安然として 仰臥せしめ穂婆先其手を推入たゞちに上せ漸 くに身にせまり中指を以其肩を摩椎のほせて これを正順にし或は指を以其耳をよぢてこれを 正しくしらく其児身正なる時をまちて催生 □□□□□□□□□□□□ □□ 薬を服し力を用て弩送すれば児すなはち生下 すこれを横生と名付る也 ○七にいはく例産とは産母胎気不足して闘健 半からす力を用る事甚はやく児身をして廻転 する事あたはす則直に下陥して先其足を露 はす此時/産母をして仰臥せしめ看生のもの 其足を推て入しめ産母をして分毫の力をも用 しむへからすまた恐驚すへからすたゝ産婦の 心をゆるやかにして時をまつへしすなはち児生 下すこれを例産と名付る也 ○八にいはく偏産とは児身たゝしからず産母力 を用る事甚早く児の頭をして偏に掛り或は 左の腿或は右の槌にかゝる故にかしらを露はす一 といへとも一時にかゝりて生下する事あたはす 此時産母をして仰臥せしめ看生者手を以児の 頭をゝしあげ其児頭をたゝしからしめ頭項 端正にしてのち産母弩のすれはすなはち生 下す君児の頭後の骨偏に穀道にかゝれはたゝ 其類をあらはす此時もまた産母をして仰臥せ しめ看生者綿衣を以手をつゝみ穀道の外にを いて軽〻に児のかしらを推て正しからしめ産母 をして一たひ弩送すれはすなはち生下す是を 偏産と名付る也 ○九にいはく凝産とは児の身すてに順にして正頂 をあらはして生下する事あたはす蓋児身肚帯 に廻転するにより其肩をまとひて生下すること あたばさる也此時産母をして仰臥せしめ看生者 軽手にて児を推上せて徐々に手を入中指を以て 児の肩を按して其肚帯を教へは児身正順す此 時をまちて産母驚送ずれはすなはち生下す これを微産と名付る也 ○十にいはく坐産とは児まさに生れんと欲し先 其医をあらはすなり或は臂をあらはす也其はゝ 疲倦ならは耕褥に坐せしめ児生路に迎ふとき たるき所より牢く手巾一条を繋所信の云所の奉て 産縄これなり 産母をして手を以此手巾を攀軽々に足をかゞめ身 を坐せしむれは生下しやすき也物の上に坐在す ろの事にあらすこれを唯産と名付るなり ◯盤腸産とは産にのそんて産母の子膓弥添をま 《題てのちに児生るゝ也もろ〳〵の医書にこれ をのせてあはせて十一産といふ也趙都の運恭 人産する毎に子膓まつ出て産下す産後其 腸おさまらす甚いくるしむ医療する事あたはす 穂婆の一法を以これをおさむその法醋半盞新汲 紀井よりあらたに 水くらう水をいふ七分とゝのへて産母のおもて其はく ことに腸編入三度はきて収りつくすなりと女科 準縄にのせたり此症今時とまゝ多き事也初産 の婦人あるひは未練の看生者はこれをしらす騒 動する事あり必産母を恐驚すへからす心神を 安究にして時をまつへし ◯薛巳の説に産母腰腹微痛し腹内転動を覚 えて身をたゝしくしく意にまかせて坐臥し 或は郷臥すへし飲食をつゝしむへし見たりに進 数をつめて弩刀すへからすまつ力ををしみて調 養すへし児身転して下にはたり産門に迎ふ 時こゝろみに産母の中指の中節あるひは本養を 捨るにかならす跳動する也此時力をもちひて一度 せまれはかならす産しやすき也と云へり楊子建 の十産論にも力を用る事のはやきをことの外 いましむるなれは産ふ第一に心をつけて力を用るの 時をしるへき事也臍腹のいたみ至極して肛門 挺出し腰間にせまる時を其時としるへし ○徐春甫の説に産ふ時にのそんて腰腹いたみ甚 和膳戸あけ いまた下ら しく産せんと欲すとも胞将水の の水といふ さる時はたゝをたやかに守りてさまたけなし胞 漿やふれ下りてのち一両時辰も生下せさる時は 急に催生の薬を服し術を以下すへしそれ胞漿 は胞内児をやしなふ所の水なり児すてに胞をわか ら其水来り胎またしたかつて下る時は産しやす きなり若胎元力なくして頭を転する事をそく 漿水下りつくして汚血門戸に閉塞すれは子を して路の通すへき所なくしく難産をなす也と 云へり凡産ふ漿水下りてのちいまた産せさ るは多くは元気虚弱によるなれは早くをとろ き上手の医師をたのみて治療すへし 卅一臨産治法の説 ○婦人大全方に凡生産はをのつから時候さたまれり 強く催生薬を用へからす或は腰腹しきりにいたみ 其胎産門にいたり或は漿水やふれいて一二時辰も 産する事なき時は其いきほひやむ事をえす 催生薬を服すへし又いはく切にはやく唯草すへ からす穏婆みそりに産門に手を触動すへから すと云へり 二には芎飯 ○丹渓の説に催生菓はたゝ仏手数 湯と名つく を用ゆ へしこれもつとも穏當にして又効捷なり胞漿先 やふれて疲困するものには気血をかたふする薬 を用へしといへり然れは産婦腰腹いたみをなし 漿の少下りて産をもよほすとしらは仏手数 を用て血をたす気血を順すれは其時いたりて必 産下するなり強て滑利疎導とて胎を推堕 すのたくひの剤は用へからす諸の医書に催生の 妙剤をのせたる事おびたゝしいつれば剛強の薬 剤なれは上手の医師に逢て其理をかんかへ用 へき事也 ○世伝に臨産の時人をして道路につかはし破 草鞋を壱隻たつね来り其耳をとり灰にや きて温酒にてとゝのへ下す事二銭かならすよく難 産の催生にしるしあり虚妙の理人の通しか たき所なり左の足を得れは生る子男右の足を 得れは生るゝ子女覆ものは其子死す今はたつは は驚あり果してこれ神奇なりと女科準縄に見 えたり ○臓安常ひとりの産婦難産数日にして生下 せす催生薬を用てしるしあらす安常これを診し ていはく此婦かならす坐草甚はやく心神恐懼する 事をおもひ気結つてめくらさるなり是不順に あらず素問にいはくをそるときは気下るかたし恐る ときは精神怯る怪なるときは上焦閉とつるときは 気逆す逆するときは下焦脹して気すなはちめく らす故に産する事なく子慾の症にひとし紫 蘇飲を用てすなはち産下すと云へり此症まゝたま き事なり唯草はやけれは気力つかれ寒気御厚 の時らは其気にあたりて産しかたきたくひはや 能々心得へき事也 ◯薛巳の説に交骨ひらかさまは陰気の虚なりか 方はふ人良方 によろし季盃卿といふ人三 味芎飯湯 に見えたり 後の妻 十五歳の婦をめとりて継室 とす娘妊にあしふ をいふ也 これ年長してはしめて孕ありかならす産し かたからん事をおもむはかりて加味芎飯湯をもと めかくこれをたくはふ期にいたりて果して産門ひら かす則煎服す一貼にして頓に分娩すといへり凡 産婦は月に入らは種々の薬剤をたくはへ置へきこ となり又年長して始て妊娠するものは多く難 産をなす事あり又多産の婦人四十有余になれ は平日易産の婦人も多くは難産する事あり これ気血経脈虐耗する故也かやうなる婦人は産前 より上手の医師に逢て薬を服して気血を順 〳〵脾胃をとゝのふへし必産しやすかるへきなり ○滑伯仁の説にひとりの産婦難産七日いまた乳ま すかつ食甚少く精神疲図す伯仁これを診し涼 粥一盃を以楓葉を搗煎湯にしてとゝのへて服せし む精神頓に生し則生下する也或人其理を語り 間伯仁のいはく此婦食甚少し穀気なきときは生 るゝの理なし夫楓葉は先生するはまつ落後に生 するは後にをつる故に湯となしてこれを治する也と こたへられたるなり誠に的当の事也いま産婦難産 日数を軽く食少きものにわり粥すりの湯のた くひを少つゝあたへて氣力をつけ中氣をかくす事を しるへし医師はたゝ薬を用る事のみとおもひてこれ らのたくひの法術をしらさるもの多し能々醫師 も病家も心をつくべき事也 ○劉復真といふ名医ひとりの産婦を治するに難 産にして子生下せすすでに事絶たり後真これを 按するに和俗の 診して紅花を濃煎し産婦を梵上 いふ所のくらかけの たくひにして腰 をかくる具なり 一人にたすけにたす気を以濃上賀の 紅花湯を盛その気にて薫蒸しあるひは綿帛を を以湯に難し産門を愈ひしきりに帛上に淋く 久くして醒進す則一男子を得たりこれ厳寒の ときにあいて血冷凝滞す紅花の濃煎湯にて あたゝめて血をめくす故に産下するとみたり ◯張文仲の説に横生難産にあはゝ右の足の 小橋の小大題に灸する事三壮すなはち産下す また足の小指の節に灸する事三壮共に袖の効 ありと云へり ◯臓安常ひとりの産婦を治するに難産七日に して子下らす百治しるしあらす安常これを診 し其家人をして湯にて其腰腹をあらひあたゝ めさせみつから上下に按摩す産婦腸胃のあい だ微痛す呻吟の内に一男子を産す其家おと ろきよろこんて其故をとふ安常のいはく児己 に胞を出たゝ児の手あやまつて母の腸をとり て脱する事あたはす符薬のよくおよふ所にあら 頭衣腹をへたてて児の手のある所を捫て其荒口 按するに虎口とは合谷の穴なり に針さすいたむて則 大指と次指との雨岐のところ也 手をしゞむるによりて執所の母膓を脱してす みやかにむまるゝ也他の術なし児をとりてこれを 見るに右の手の虎口に針痕存せりと云へり 梅するに手の陽明六 ○難産下りかたきに合谷の穴 と次指との間両岐の 腸の経の穴手の大指 に針をすれはかならす胎下る或は 骨の間陥なる所をいふ也 死胎或は胞衣下らさるに此穴に針すれは必下ると 千金方にのせたり盛起束といふ名医教の天子の 御医もなつて禁中に出入す夜半に召ていたる 錦帳の内より手を出したまひて脈を診せし む起東これを診して六脈ともに雑経すこれかな らす母后分娩せんと題したまふたゝ其児母后 の心をいだきたまふ故に産し給はす針なすにあら すんは下る事あたはし且母子ともにまつたふ しかたからむと近臣をいこれを奏問こと帝は母 后に此事をはかる后のいはく子を得てんは天下 をやすんしたもつへしいかんそわれをまつたく せんやことのたまひて命して針をなさしむ鍼す るとひこしく則大子生し給ふこれを宣宗皇帝 とすと名医類案にのせたりしかれはいにしへ の医をよくし針をよくするものはかくのこときて 妙あり難産にあいて薬の術つくる時にいたらは 上手の針師に逢て鍼をなすへきなり本朝針 に妙術ある人まれなり能々妙手をえらんて此事 をなすへきなり ◯難産倒産のもの先其足をあらはすを治するに 古伝に小針を絹帛につゝみこれを以児の脚心に 刺事三五判塩少許を用刺たる所に塗るすなは ち時に順生し母子共にまつたし又児の脚心に 塩をぬり爪中にてこれを掻幷に母の腹の上に 塩を摩するもよし又手の中指を以鍋底の墨 をとりて児の脚心にぬれはすなはち順生す又 児の脚心に其父の名を書すれは即順生す又 横生逆産を治するに車前子細末として酒に て二銭をもちゆれはかならす産下す毛詩に茗苣 を採て産難を防くとはこれなり以上の法術ともに 女科準縄にのせたり ◯王宇泰の説に右横生倒産偏産磁産の四法楊 子建の説にしたかひ穏婆みたりに産門に手を 下迄二からすこれ看生人精良妙手にあらすんは なす事なかれをそらくは其照をほしいまにして 人のいのちを損せん按するに例産は今世往々その 例なるにしたがつてかならす産下するによし 並にのちのうれへなし母子ともにまつたきをう る也かならすしも足を椎のぼせ御心にはりをなし 塩をぬり字を書するの法によらすして可なり又 微産は肚帯児の頭頭を纏ふにより児のかしら 出て産門の外にあり看生人手を産門に下し 其肚帯を機して児の頭項すくるにしたかつて これを下す也又牡帯児の類をまとひ一通して 児と胞衣と自然におなしく下るものありみな さまたけなしかならす縦産の法にしたかひみた りに産門に手を下して内を損すへからす産後 にかならす胞損し小便淋湿じ小便不禁の病 を生する事ありと云へり能々心得へき事也 ○陳自明の説に産婦身おもく体熱し或は寒 し舌下の脈くろく或はあをく舌上ひゆるものは 子腹中に死するなりといへり薛巳の頃に身沈 重なるもの御胃の気絶するなり体寒熱する ものは正気おとろふなりもし舌下の方に模その 色青黒なるものあるひは舌かへつて上に捲氷 のことくに冷てあたゝかならさるものは子母ともに 死するの候なりと云へりかくのことくの証あらは まつ其子を下すの術をなすへし上手の医師に ゆたぬへき事也 ○陳自明の説に産婦面あかく舌あをくあれは 母は活子は死するなり脣口倶にあをく涎沫を吐 ものは子母ことに死する也。面青舌あをく漆出る事 しきりなるは母死して子治るなりと云へり薛巳の 注に凡産婦の面色あかきものはこれ栄気流通 する故に母活るの候なり舌上青色はこれ妊脈の 絡絶する故に子死するの候なりもし産婦脣口 ともに青色なるは栄衡の氣絶するなり又口中徑 沫を吐ものは是脾胃の気絶する也故に子母ともに 死するなり又産婦曲と舌と皆青色痰沫を吐する ものはこれ産婦の栄衡ともに絶して胎気衝上 ろの候なり故に母死子治る也若子を産下して も母かならす死する也と云一りこれ古の醫聖聖の 法を立る所にして。今これをこゝろむるにたくは たかふ事なしかやうなるたくひの事を医師 も病家もよく知きはめて其急症なれははやく おとろき治療をすへき事也 ◯女科準縄に産難子腹中に死するものはこれた くは驚動甚たはやきによりいまた時来らさるに 坐草し或は産婦禁忌を触おかして難産と成 脆漿すてにやふれもり血をして胎をやしなふ事 なく枯酒して児死するなり産婦の舌をこゝ ろみてこれを急に治すへきなり大法寒なるもの は熱を以これをめぐすへし熱なるものは寒を以下 すへし燥なるものは滑を以かるほすへし危急 なるものは毎薬を以下すへしと云へり此症に遇はゝ 上手の医師にゆたねて治療すへしもし其醫 師の薬を三四貼ほと用てしるしなき時は又他の医 師に換べきなり凡急病はこれのみならす薬もす みやかに相応するものなれは三四貼にいたりて少 も相応の事なきときはかならす醫師をかふへき也 此症危急なる時は毒薬を以下すへしとあれは医 術にをよびかたき時は種々の妙判毒薬をも用へき なり相応して胎下れば母治るの理ありもろ〳〵 の医書に死胎を下す法をのせたり事多し されともみな後急の毒薬なれは中醫のたくひは これをあやふみて用事なく病家も平日其毒 のすみやかなる事をしる故に是は生死の二つもの かけの薬なと云て長詮儀にほとを経てすくはさ るにいたり烏金数一字神散蛇胎散蝉退散なと 種々の薬判みな婦人大全方女科準縄等に載たり ◯産婦胎腹中に死して下らす指爪の甲あをく古 あをく口中屎の臭をなすものに平胃散一貼酒 水各半盞を入煎して半盞となし朴硝の末 二銭を入てふたゝひ煎しあためてこれを服す其 胎すなはち下ると本事方にのせたり此方ことの 外しるしを得たる薬にして産婦に害なきゆへに こゝにしるす也 ◯婦人良方に産ふ時にのそんて心中煩悶を覚えし 白瘡一匕をもちひ湯にて服すへしたちところにやむ 也と云へり ○婦人良方に産ふ時に臨んて煩渇して水を飲ん すりこしの湯わり粥は 或は菜豆湯を と題せはたゝ米飲をなな なとのるいをあたふへき也 あたへて徳なりと云へりかならす渇するとて冷水な とをあたふへからす血凝滞して難産となる也 ○婦人良方に産ふ時にのそんて饑饑する事あ は稠粥軟白粥の類を食せしむへし飢渇を堪て 気力をとほしくする事なかれ硬飯粒椋のたくひ の消化しかたき物を食すへからす産の時ちから を用る事甚とほしくして脾虚して消磨するこ とあたはす産後をそらくは腸食のやまひをな さんと云へり本朝の風俗にして産の時の力にはとに かく食をすゝめされはあしこといひて堅硬なる物 或厚味木物を産婦にあたふる故に上焦通せす下 焦めくらすしてかならす難産となるなり能み心得 べき事なり ○徐春甫の説に産ふ時にのそんて催生の符法 を服せはかならす温水或は温酒のたくひを以服せ しむへし涼水を用べからす血は寒を得るときは凝滞 す血ひとたひ凝れは胎こゝこほつて利せす必難産 ことなるなりと云へり本朝の巫浮屠のたくひ 符を用ろにかならすいふあらたにくみたる水の初を とりて用へしと或は甚しきものは催生の符は紅 毛を煎し蘇木の煎汁にて用べしといひ乳脈 通せさるものには大麦の湯にてもらひ腹痛す るものには黄栢の煎汁或は桜の木の塵汁なとを 以用るのすくひさま〳〵のてたてをなして世をまと はし財をむさほるもの多し病家能々その理を をあきらめてたゝ神符を用る時はあらたに汲たる 井水を清潔なる器釜にて百沸して温水となし て用へきなり ○女科準縄に産ふ時にのそんて腰臍腹いたみ甚つ よく坐臥するにたえかたく椅褥に坐する事も堪 かたき時をうかゝび褥をさりて草に坐すへしみたり に力を用へからす穏婆見たりに産門に手を入へから す児子門戸にせまるをまぢ腰しきりにおもく臍 腹下にをつるかことく眼中熱して火のことく穀道 挺出し腰腹しきりにいたむ時力を用て堅送し 或は催生の薬或は易産の法に手ににきらしむる 薬のたぐひを用る時はかならす正産にして安易也 といへり本朝の俗産婦を坐草せしめ力つよき 老婢をえらんて産婦の腰をいたかしむるなりこの 腰をいそくに其事になれさるものは悪し穏婆に 能々たつねならひて抱くへしみそりに腰を上に 引あくる事なかれ婢の臀に物をしきてたかく坐 していだくへし坐草の上にも絹綿のたくひを忘 くへし寒気の時節は産母ひへて其害多し 泰産の縄に産母手をかけて取付へしみたりに あをのくへからす眼をひらきてみたりに四方をみる べからず心神を安静にして其時をまつへし時いたらは 穏婆或傍人もみな少し聲をそへ力をあはせて 産母をして弩送すれは胎児夢のさむるかことく にしてすなはち正産容易にして子母ともに安 全なりよく〳〵心得へき事也 婦人寿草巻下五匁 末代三十區域 廿一三三十一三三十一日 将画 同九月十八日 十一日▽メ十十一 婦人寿草 婦人ことふき草 婦人寿草巻下六 狩野氏図書記 筑前晩出 香月啓益纂輯 卅二産後調護の説 ○婦人良方に凡婦人産しおはらは目を閉て坐し 須臾にして椅褥に坐上しめあるひは仰臥す へし側臥すへからす膝をたつるによろ〳〵ひろ く坐すへからす足をのぶることなかれと云へりけだ しふ人産しおはり胞衣下りて小半時辰程 を経て綺褥に直し坐せしむへし其時まつ 安神散一匕をあたへて坐草より椅褥にな をり坐し目をとち膝足をかゞめ心神をしつ め安静にして保養すへし此ときに膚にむすひ たる帯をしむへし此帯のしめゆるめにて血 暈し或は種々の変証をこる事多し危錬の 悦婆多産の婦人よくしりおほえたる事なれ は心を付へしあまりつよくしむれはかへつて元 気の流行をむすひとゝめて悪し帯をしめ て指を其間に入て指ひとつ入ほとなれはよき なり初春冬月寒気甚さときは坐草に久し かるべからす賊風におかさるゝなり余時よりもはや く直すへきなり ○産宝方に産ふわつかに分娩の事あらあら かしめ補涎或は硬炭或に円石をやきあかくして 米精の中にひたし入て房中を薫すへし或は 精を産婦の鼻に直にぬり或は旧漆器をやき 烟らしめて。時々産婦に臭すれは血暈をのぞく と云へり本朝にても此法をなす産婦の気をしつ めて甚利を得る事なり是酢は物を収斂する 事をつかさどるものなれはいま産婦気血脱去 の時此臭をかげは能散する所の気血をおさめ あつむかの理なりうるしも物をしめあつむか の物なれはこれを焼なり是も婦人によりて うるしの気をかく事をきらふものあり米酢の 法をきらふふ人はたくはまれなり尊甚近つけ 或は直にはなに精をぬるそくひのことはふ人によ りてきらふものあり其時のよろしきにしたかふ べきなり徐春甫の説に夏月此法を用ろときは 産房の外にてたきて其気をして房の戸 口より薫し入しめてよし一切薬を煎しかゆ をにるのたくひの釜うつはもの火をも房物に 置へからす産婦をして煩燥のうれいを生すと 云へり誠に的当の説なり能々心得へき事也 ○産宝方に産しおはらは床にのぼすへからす □□ たゝ人をして扶起し或は稀褥に坐臥せしめ却 て人をして心胸よは按摩して臍下にいたる事 数次なれは汚渇の余血こと〳〵く下り悪露とゝこほ ることなしかくのことくする事三日なれは血暈血 逆の病なしと云へりいま此法を用るに甚産母 に利ありいかにも手をかろく按摩すへし手を おもくして産婦の腹につよくあたる事なかれ 性質しづかにして物になれたる婢をえらみをしへ しめて此法をなすへき也 ○産宝方に産婦は夢内孔隙あるへからす邪風 射入れは其害おびたゝし臥床榔褥の四壁に稠 褥をあつくかさね敷へしと云へり是産婦は気血 脱して内虚する故に外邪犯しやすけれはなりし かれとも夏月炎熱の時はそのよろしきにしたかふ べし夏月の産婦熱宿に堪がたきとてみたりに 団扇のたくひにて頭面をあをくへからすいはんや 肩をぬき衣を脱すへからす冬月の産婦寒気を しのかんとてみたりに列火に近付へからすかならす 上逆して悪き也すへて極寒極暑の産婦はよろ つに心を付へき事也 ◯婦人良方に初産の時かならす生子の男女を問 べからす恐らくは言語によりて気を泄し或は愛し 糟を以気をうこかしてみなよく病をいたすといへり 今世此事まゝたきなり平日男子を生せん事を ねがひたるものには穏婆も傍人もみな男子と 告て産母をよろこはしむへし或は死胎なと産し たる時は急に其事を告へからす或は双胎なとの時 は胞衣いまた下らすと云て産婦を慰すへしこれら の事穏婆も傍の人は能々心を付へき事也 ○婦人良方に新産の婦人は言語をはぶき七情を くしみ目をとちて安静にして坐臥すへし寒 一暑をつゝしむへしと云へりそれ言語つゝしますみ たりにはなしをなし多言なる時は心神をやふり 気洩るなり目をひらきて物をみれは精神を。万 し気を耗散するなれは眼をとちて気をあつ むる事をしるへし世間平産の事あれは隣家 の女子一門のふ人こそりあつまりて易産をよろ こひ児をことふくたくひ見たりに産房に出入 するなり此等の事かたく禁して産房にたく 人の出入あるへからすいかほと容易の産にてあとの 気力も平日のことく成とも人に対してあいさつ をなし言語をたくして心神を耗し元気を やふる事なかれこれをつゝしまされは必血暈血逆 の証発りて産後の諸病こと〳〵く蜂起する也 能々心得べき事也 ○産宝方に婦人産後力うみて睡をなす時は必 時々これを喚醒すへしこれ妙法なりと云一なり是 産婦は気血脱し精神形体ともに倦憊たれは産 後にはかならす好んて蟻をなすなりこれを物に馴 さる看生人は熟睡とて産婦の心に任せて眠 らしむるたくひありかくのことくなれば元気 とほしくなり精神下陥し気血発生する事 あたはすをのつから眠り入て救はさるにいたる也 能々傍人心を付て折々これを興醒すへしさりな からよく寝入たるを卒尓として驚すことなかれ 歌 □□□□ いかにも物しづかによびさますへし産婦の坐したる 前に物になれたる婢を坐せしめて産婦のひたい をさゝへて睡らしむへししからされは前にねふり こくるたくひあり或は顔頭をたれて上氣の心 出来て血暈をなすなりことさら夜中の産なと ならはいかほとたやすき事成とも傍人かならす寝か へからす若産婦燈の光をみて暗きなと云はゝ元 気の虚脱と心得はやくおとろきたのみたる醫師 に診せしめて治療をなすへきなり ○産宝方に産婦七日の内あらふへからす七日の外 倭俗これを は温水にて腰陰所をあらふへし 津浪の時は 腰湯といふ也かみあら 腰湯といふ也かみあらはゆあみ 両月の外なるへし一百二十日の内労侭をなすへからす と云へり是は其/大概なり気血虚弱元気なる 婦は此日数にかゝはるへからす又夏月の産婦其産 容易にして血下る事も少く元気盛にして 気力平日のことくなるものは四日の比に腰湯をな すへし夏月炎熱の時は汚血によりて陰股のあ たり鬱熱し産婦もこれに退屈する事ありて 却て気おもく心あしきあるものなり産婦気力 の虚実によりて腰湯をなすへし必七日の外と かぎるへからす三四日の比あらひてよしかくのことく なれは心も共に清潔になりて精神頓に発生 いかにも物しづかによびさますへし産婦の坐したる 前に物になれたり婢を坐せしめて産婦のひたい をさゝへて睡らしむへししからされは前にねふり こくるたくひあり或は顔頭をたれて上氣の心 出来て血暈をなすなりことさら夜中の産なと ならはいかほとたやすき事成とも傍人かならす寝か へからす若産ふ燈の光をみて暗きなと云はゝえ 気の虚脱と心得はやくおとろきたのみたる醫師 に診せしめて治療をなすへきなり ○産宝方に産ふ七日の内あらふへからす七日の外 倭俗これを は温水にて腰陰所をあらふへし 津浪の時は 腰湯といふ也かみあらは 臍湯といふ也是あらはゆき 両月の外なるへし一百二十日の内労倦をなすへからす と云へり是は其/天概なり気血虚弱元気衰微なる ふは此日数にかゝはるべからす又夏月の産婦其産 容易にして血下る事も少く元気盛にして 気力平日のことくなるものは四日の比に腰湯をな すへし夏月炎熱の時は汚血によりて陰股のあ たり鬱熱し産婦もこれに退屈する事ありて 却て気おもく心あしきあるものなり産婦気力 の虚実によりて腰湯をなすへし必七日の外と かぎるへからす三四日の比あらひてよしかくのことく なれは心も共に清潔になりて精神頓に発生 するたくひたし能々穏波女に談し医師の指図 をうけ産ふの心にしたかふへし産婦難産にて 元気虚弱種々の病を生するたくひは七日の外も あらふ事なかれ其時を見はからふへし必日数にかゝはる べからす腰湯をなし児を洗ふ時盥に湯を入てしつ かに産ふのまへにさし寄せよたらいの湯をうこか し音をさはかしくなすへからす甚あつき湯を用 へからす産婦は眼をとちて盥の水を見る事なかれ 屏風をひきかこひ風の入さるやうにして糟婆し つかに手を用へし緩々にすへからすみやかにして 椅褥に直すへし産婦も目をとちて心神を安静 にすへし此時/安神散山田の振薬等を用へし虚弱 なり産婦は症草虚暈の症を発する也能々ひ得べ き事也 ○婦人良方に産後の婦人かならす独宿すへからす 虚驚のうれへをいたす舌を剖るへからずをそらくは 心気をやぶらん歯を刷 に倭俗の鉄漿 べからすをそらすをそらくは をつくるの類也 血逆をいたさん血気平復するにしたかつて事を 一梅するに秋の色の毛は 治むへし犯すときは微にして秋毫の いたつてこまかなるを以 物の微なるたとへる のことし病をなす事は重くして山嶽 にかくいふなり のことし戒さるへけんやと云へり産後は気血脱去し て精神衰弱なれば独宿する時は物におそはれ驚 脾の病を生するもの也必年老の婢或は一家の内 にても産ふとあいさつよき婦人を付添て夜寝 時も一人はねふらはして産婦を護つき也 ○婦人産しおはりて後椅褥に坐し膝を竪足を 屈て伸さす横に臥す事を禁するなり是産後 一両日の間の護法なるへし然るを本朝の国俗に して往古より十日迄は椅褥の内に坐せしめ十 一日にあたる日を枕なをしとて肩たる畳の上に ふすことをゆるす也これ産後の護法に甚よろし からす産後二三日を過て血暈血逆の病もなく 食事も漸々にすゝみ血下る事も漸々色うすく なる時はかならす椅褥を去腰湯をなして肩高疊 に臥しむへし肩高畳のこしらへやう畳の上に菜 をつかねて散其上に畳をまた敷也急に枕のかたを たかくすへからす段々と藁をしき上て次第上り にすへし其上に国国を敷て産婦を安臥せしむへ 〳〵中花にては産したる其際はかり椅褥にを き血暈血逆の病なければ仰臥せしむと諸の 醫書にのせたりたゝ本朝富貴の家はあまり 大切におもひて数日杵褥にをくによりて産婦起 臥やをからす身体精神ともに疲侭し両足かなら す腫気を生する類多し能々心得へき事也 卅三/産後食治の説 ○産宝方に婦人産しおちらは先量便酒各半葉 を合して温めて飲しむへし須臾にして鶏子を用 て是を去酒を以煮軟にして一枚をあたふへしかまし く食すへからす硬きを用る事なかれ其後白粥を食 すへしといへり是鶏子は産後の血暈を治すこと冠 宗輿の説に見えたれは産後にかく中花にて用る なるへし薛巳の説には産後の婦人腹虚寛なるに 鶏子を食す此物消化しかたくして熱をたすけ 展転して他病を生すと云〳〵いましめ給へりまた 陳自明の説に酒は血をめくらすといへとも多く用へ からすをそらくは四肢に乱入してよく宵暈をなすとい ましめ給へりしかれは産後に虚言をとはす鶏子を 酒にて煮白粥をあたへさるさきに用る事大ひ成 僻言なり童便は血熱をきよくし血をすゝしむる 物なれは古人はかならす産後にこれを用ゆ産婦は 陰血虚脱して肌陽の熱火たかふり極る故に 汚血ともに上衝して血暈の病あり童便を用 て利を得る事多し然れともふ人によりて陰血脱 去する事過多なれは陽気も共に脱洩して 元気下陥して人事をしらさるものありかやう なるふ人は独参湯を用て其陽気をたすく東 垣のいはゆる陽眩すれはよく陰血を生するの理 なるへしこれらのたぐひの病に童便を用る時は一 其害おびたゝし中医は其理をしらす産後虚 実をとはす昏暈すれは必量便渇のたくひを 用ひ或は病家にかたり教るに鶏子を用る事を以 し甚きものは産後病とやまさると共に平日の 食事毎に鶏子を食せしむるものたしあやまり の上のあやまり也鶏子の法酒童便を用んと題せ は頼たる醫師にうかゝひてなすへき事也 ○婦人良方に産後のふはしきりに白粥少はかりを すゝむべしみたりに飲食大過すへからす肉味を進へから す一月の後肉を食すへしと云一り凡産婦の食は白粥 をいかにも軟にしてあたふへし甚飽しむる事なかれ 飢しむる事なかれ切々あたへてよろしきをはかるへし 本朝の国俗にして産後の婦人にはかならす堅硬 の餅を味噌汁にて煮て鰹魚をけつり入て調 和し産下するとそのまゞこれを用るなり都鄙 共にする事なり中老の鶏子を用ることく習つ て察せさる故なり醫師たま〳〵これを禁すれ 共密にこれを食せしむる也/脾胃つよく気血さかん なる婦人は其害なし脾胃虚弱気血微弱なるふ 人は先此物を食する事をたします然るを穏彼女 舅姑も食せされは血おさまらすして悪きなとさま 〳〵かたり敷てしゐて此味噌汁をすゝむ故に胸膈に 泥滞して悪心嘔吐をなして血暈の患に至る諸の 本草をかんかふるに糯次米産婦に利ある事を載す 此物/糊精して消化しかたき食にして新産の 婦にあたふへきものにしもあらす本朝いつの代より かく仕はしめたる事にや本朝故実の書にも見えす たゞ國俗のあやまり來るなるへし五雑俎に糯米 産婦によろしとみえたり又古方に産後褥労を 治するに白糯米の入たる薬方もろ〳〵の医書にの せたり本草にも脾胃を肥し腸を学ふするといふ 三冊 帯 厩 □□□□ 功能を載たれは産後の称労に用るなるへし 新産の婦人脾胃うすく気血虚脱の時此堅硬 凋枯の物を用る事心得かたき事なりたゝ新 産の婦は白粥をあたへて調理すへし二三日を経 て後無毒の悪類随分あぢはひ淡き肉を煮焚 して食すへし其後日数過て無毒の鳥類を食 すへき也/産婦気力実し或は平日粥を嗜まさ るものは飯をふたゝひ煮熱してすゝむへき也惣し て白粥を久しく食すれは脾胃に湿をたくはへ てあしき也脾胃いたつて虚弱なるも飯の気に にたえかたきたくひはしら粥を以食治とする也 是又其時をはかりてよろしきにしだかふべき也 ○新産婦に煙草を吸しむる事なかれ味からく 苦其気温熱にして毒ある也本草洞釜にも 人の元気豈此煙火の邪気にたえんや陰血日 酒暗に天年を損すと云て人に毒をなす事明 しされども平日病なき人は煙草を茶にかへ 酒にかへて用ても害なきなり少にても病ある時 は平日かたしみたる人も此物を嫌ふなり其病少 をこたりたる時は又もとのことくたしむをいその 毒ある事をしるへし昧者は日々に用てその真 元の気を利れとも其害貝前にしれさるにより て身を終るまて此毒をしらさる也いはんや新産の 婦人に此物をあたふへけんや此そばこの毒気の邪 火をして虚脱の陰気をいよ〳〵消するなり予 まのあたりたるに平日たばこをたじみたるふ 人産後に此物をこのみひそかに吸ひて虚暈を 生するもの多し能々心得へき事也 めんまい ○宝慶方に産後は飲食をつゝしむへし生冷の たくひの物炙礫の肉味或は堅硬粘稠の類の 物あるひは酒或は茶のたくひを食すべからすといへり 倭俗産後のぬふりをさますとて新産のふに必 酢茶煎茶のたくひをあたふ其害おびたゝし 茶は気を下す故に眠をさますといへとも新産のふ 気血こと〳〵く脱去して発生の元気はなはた少 きに用る時は其害いふべからす必酒茶を禁してあた ふる事なかれ一婦人産後茶粥を食する事/過雨 にして四肢厥冷遍身水のことくにして死にいたる と女科準縄にのせたり能々心得べき事也 ○新産の婦人に忌禁すへき物辛辣のたくひの 食物生冷のたくひの物油つよき魚鳥の類 無鱗魚の類堅硬の食物胸膈に泥滞する類 鑑飩索麺 の食物湿麪の類 そばきりの類 菌の類茄甜瓜黄の類茄子 瓜の類胡瓜西瓜越瓜冬瓜瓠の類いつれ共小便を 蕨芋蒻蒻 通し陰血を消する故に産後に用る事を禁する也 悪してひともしの 高芭蒜 るいあしきなり 小豆橘の小豆橘の類梨梅桃李 林檎酢酒かくのことくのるいの食いつれも禁すへ 〳〵もつ〳〵の本草に産後に禁する食物 甚多し先此類を以推察すへしたくは替り たる食物をあたふる事なかれたのみたる医師 の指図をかけて食物をあたへよ病は口よりの入ると 先哲のいましめなれは能々つゝつゝつゝしむへき事也 卅四産後諸病の説 ○郭稍中の説に産児出て胞衣落さるを世にこ れを息胞 一和俗これをえなかゝり或は といふ産するの初 跡産おりすといふなり 刀を用る事甚しく産児出るころをひ気力疲 憊するによりて弩出する事あたはす或は汚 血胞中に入り脹大になりて下るとあたはすと 立りこれ皆産婦力を用る事節にあたらさる故一 なりたくは児生下して小半時辰にして胞衣下 るをよろしとす児出るとそのまゝ胞衣下るはこれ 元気弱き故なりたくは崩血をなして虚暈 の患をなす也仏手散独参湯山田の振薬等を 用へし又胞衣下らさる事一二時にいたり半日に およはゝ危極の症と心得はやくおとろき治療 をなすへきなり ◯宝慶方にふ人の百病生産より甚しきはなし し産科の難は臨産催生より重きはなし 已に産しおはりては胞衣下らさるより切なるは なしたゝ花桑石散琥珀散奪食丹黒神散 按するに此等の薬方は婦人は 灰或は滑石冬葵子の類の薬 良方女科準縄あに見えたり にて押おとすへし甚しるゝあるなりしかれとも 梅するに薬局 住所をは 郷居住所を或は医師居らす或は薬局 とは唐土にては天 子より局薬所とて建をきて万民の病あるときは其所につけて 薬をかいて治するなり宋朝微宗皇帝の時より始たるなり に遠き時は倉卒の間に法のほとこすへきなし 今ひとつの妙術あり産しおはりて胞衣下らさ れは産母疲儘するのみにあらす又血流れてふ 中に入胞血のために脹大になりて心胸に衝上り □□□ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ □□ 薬局 上は喘急下は小腹急痛して必危篤にいたる若此症 竹の箆の類 あらは急に臍帯を少物 を以繋墜し断べき をいすへき也 なり撃墜す時心を用て先繋て後に断載へし しからされは胞衝上して心を掩ふて死する也め此 按するに児の呼吸胞中に して其子の血脈胞中に潮入道 ○漸のさし引のことく通するを 別せさらしむる時は胞衣をのつから癈縮して下る也 たとひ淹延する事数日なるともまた人を害せす たゝ産母の心を安泰ならしむる事を肝要とす終 にをのつから下るなり累りに試て験あり軽しく 標婆の手法を用る事を信すへからすと云へり誠に 的當の説なり胞衣下らさる時諸の薬方を用ても 下らされは産婦気血形体共に儘憊して児も冷 て冬月なとは死するにいたるなれは半日半夜と下 らさる時は必臍帯を断の法を用へし若臍帯を断 されは児の血脈胞に通する故に落かたじ臍帯を 断は称婆心を用てなすへし臍帯のさきを物にて 繋結ひて児の気をくゝりとゝめて其さきを載 断へし如此して児をも洗ひあけ産婦をも椅 褥に直し産母の心を安泰ならしめ時を待へし 時いたれは胞をのつから下る也胞衣を下す薬剤諸 の医書に載たる事夥し皆疎通の薬共也紫の 類を用ても下らさる時はたゝ大補湯八物湯補中 益気湯なとに加減をして用ひ気血を補ひた すくれは胞衣自然と下るなり或は腹内にて腐 碎て水母なと切たる形のことくなりて漸々に下る 類のものまゝ多き事也たゝ気血を補ひ産婦の 心を安泰ならしむる時は少も害なきなり平生 産婦に胞衣は幾日かゝりてくりしからすとかたり をくへき也 ○廣済方に胞衣下らさる時/夫の単衣をとりて 井の上を益へは立ところに下る又産ふつねに着 する所の衣とをとりて産せんと題する時にいた りて竈をおほへは胞衣をのつから下り産しや すき也又熱手を以産母の少腹を按摩すれは すなはち下ると云へり倭俗穢婆に妙手あり て少手をはらにかくれは即下ると云て穏婆に ゆたねてよく下る事ありされとも気血虚弱のふ 人に穏婆見たりに腹につよくあたり或は産門に 手を下して破損するたくひまゝ多し又塩を煎 手巾につゝみて腰腹を熨し温石をやきて腰腹 を熨もよし其術さま〳〵あり外よりなす類 の事は産母に害なき事なれは種々の術を なすへきなり産母も気転する故に自然と 胞衣下るたくひたし ○婦人良方に産後血暈は彫血流て肝経に入に より眼に黒花を生し頭目旋暈して起坐する 事あたはす甚き時は人事をかへり見すこれを 血暈といふ黒神散を用て必験あり下血過過雨 ならは清墓散を用てよしと云へり ○郭精中の説に産後血暈は気血暴に虚脱 して安静なる事をえす血気にしたかつて上 衝し心神を迷乱する也其由三ッあり心を用 ひ力を使て鑑するものあり下血少して暈 にるものあり其暈はおなしといへとも治方は はるかに異也共に秤鋳黄石子硬炭を焼て酢 を決て其臭をかゝしめて甚験ありといへり薛巳 の説に血暈に虚暈と実輩とありといへり 虚暈は産後汚血新血共に崩漏して真元の 蘭室秘 蔵に見え 気下陥して血暈す東垣の金生活血湯 たり山田の振薬赤井薬等を用ひ甚き時は独参湯 を用ひ或は仏手前に人参紅花を加へ或は補中益気 湯なとを用ひて真元の気を上提すれは暈を のつからさたまるなり脱血甚しく人事をしらす 歯をくいつめ口禁眼をひらかさる時は独参湯を鼻 よりふき入るへし鼻気より通すれは口もをの つから開て其時にいたり或は蝉の殻或は匕の類 にてすくひて口に入へし或は傍の人の口にふくみ て口にうつすもよし蜀血のゝちの虚暈はことの外 なる急症にて産し訖りてそのまゝ一言二言を いふ間に死する類多し惣して産後二時まての 内に大なる罪血なけれは先安堵をなすへきなり 実暈は悪露虚に乗して上り攻心胸を痞塞 する故に血暈心痛するなり此時は失笑散黒 龍丹黒神敷独行散奪命前なとの類を用て すみやかに悪血を逐ふへき也是また治療をあやま り或は治療遅きときは心をせめて死する事急 暴なりとかく産後の血暈心痛は虚実をこはす 急暴の悪症れは医師外も心を用ひて治療を なし病家にやく驚上手のの医師にゆたね て治療す心なり ◯馬益郷説に産後欠伸をなすずは気血虚 脱の候なりといり産ふしきりよ欠伸を なす時は元気うすきと心得て上手の醫師に ゆたねて治を施すへし産房にて傍の人欠 伸する事なかれ必産婦も此気に感通して欠 仲草仲をなす事たし能々心得へき事也 ○薛巳の説に産後小腹痛をなすを古伝に母 の胎中の宿血なり俗に児枕痛又児枕振予 はらのいたみといふ也児枕痛とは瘀血のいたみにして いといふ失笑 胎中の宿血を児すなはち拙としてやとり故に名付る也。 教を以悪血を逐去すれば必愈る也といへり倭 俗児枕痛をみてはきよしつをとはす皆悪血の とゝこほるとなしてみたりに薬餌をなす或は塩 したり雉子歳の子海帯の類を食せしむ是 瘀血の症に用る時は其いたみやむへし若産 ふもとより虚弱脾胃薄き人に乞等の類を用 る時は其害夥し又脱血して気血収斂せすし て少腹いたむものあり悪血を逐ふの薬によろし 婦人良方 からす当帰建中湯と 一化物湯補中益気湯 に出たり の類に加減して用て験を得る也必一概にして 瘀血となして治すへからす薬餌をなすとてもた のみたる醫師に尋とひて其指図をうけて用 べき也郭楷中の説に児枕痛は母の胎中にも とより血塊あるによりて痛む也産するにし たかつて血地破れ下り児と共に出る時は此うれ へなしと云へり惣して産婦は瘀血あらはすみや かに去少も新血をもらす事を禁すへし平日 血塊なとありて腹痛或は満悶するたくひのも の産する時に児枕にしたかつて平目の血塊 破れ下りて無病の人となりたる類多ししか れは産後は上手の医師を頼みて虚実を弁 して治療すへき事肝要なり ○産後子膓出て収まらざるもの多く或は陰 門突出するものあり或は臨産の時先母膓出て 然して後児生れ産後まて収まゝさるあり是た くは元気虚乏して下踏するの症なり又力を 用て下に弩する故にかくのことくの患あり米 酢を以新汲水を加て産母の面に嘆けは子膓 収り入るなり又/蓖麻子四拾九粒を研て産母の 頭項に貼れは腸収り上る其時急に洗去べし と女科準縄に載たり陰門突出するに硫黄 湯は 方は古今医統 にのせたり を用ひ虚するものには補中益 気湯に升麻防風を倍加して用へしと薛巳の 説にみえたり又荊芥雀香桂根皮の煎湯或は 枳殻五倍子白礬の煎湯を以薫洗すれは卿一 腸収り上る若おさまらすんは頂心百会の穴に 灸する事一壮なれは必おさまるなりと古今医 統に載たり ◯丹渓の説に一婦人産後陰戸の内に一物ありて 鉢をあはせよる形のことくの物二岐にして突出 其/夫来りて治をもとむ丹後これを思ふにこれ子宮 ならん必此妙気血弱して下墜するなりとて 升麻当飯黄花を以大料にしてこれをあたふ 半日のゝち其夫後来り薬を服する事二項のゝ ち陰門伽音て一声を覚ふこれを見れは陰門より 出たる物已に収り上りたゝ臥席の上に破れたる 肉一片掌の大さなるか乾着たり其妻家に在 て哭泣しかく子臑損したれは生る事ある べからすと告く丹渓これを聞てこれ子膓の落る にあらす即睛粕なり肌肉の破れたる猶治す人 し気廻其盛ならは必愈へしとて四物湯をあ たふるに人参を加へて百余貼を飲しむ三年の のちに一男子を生すと云へりこれのみならす産 後に陰門の病さま〳〵あり陰門より肉線いてゝ 三四尺なるあり或は子宮子膓を穂婆つゝします してみたりに手を下して破損し胞損して 小便みたりに出て一 淋病を生し或は小便不禁候 をなす おほえさるたくひ也さるた ものあり或は子宮一片を損落して其かたち 猪肝に似たりあり或は子宮出て両股に支たる ものあり共に治をなして皆まつたしと女科 準縄にのせたり今世も産前産後に陰門の 病さま〳〵ありふ人は恥てかたらす治療をなす 事遅く救はさるにいたる此等の症に遭はゝはや くおとろき上手の医師をたのみて治すへき 事也 卅五産後乳汁の説 ○夫婦人胎内にある時は衡任の二経の血脈と胃 経の血脈を以これをやしなふ児生下してはその 血脈と水穀の精気と共に乳汁と化して溢 れ出其児これを飲て生育すこれ陰陽自然の 妙なり其色白きは穀気の化する所也産後一両日 は乳汁いまた通せさるもの也二三日にいたれは乳 房必少はる気味出来るなり其時手をかろく して乳房をもみやはらけ六七歳はかりの女子 に命して吸出さすへしかくのことくせされは乳の 口あかすして児のむことあたはさるなり産後一 両日をすぐれは必乳房に心を付へし乳少はり たる時もみやはらけされは乳房腫熱して興月 いたみ寒熱をなす事多し能々心得へき事也 ○陳無択の説に産婦乳汁通せさるに二種あり 気血盛にして壅同して行さるあり又気血虚 弱にして渋りて行さるものあり虚するものは 補べし実するものは疎導すへし盛なるものに は通草漏蘆土爪根のたくひを用へし虚する ものには煉成の鐘乳粉猪蹄郷魚鯉魚のた くひを用へしと云へり ○婦人良方に乳汁地に投する事なかれ虫蟻の たくひこれを食へは乳汁出なりと若産母乳 東の方の いの上に綴すつ 汁盈浴するときは東壁土 壁土をいふ也 べしと云へり ◯薛巳の説に産婦乳汁少きものはこれ気血虚弱 のなす所也よろしく脾胃を壮にすへし乳汁は 気血の化する所上に在ては乳となり下にあり ては経とす若数産の婦人乳汁少きは津液亡る の故なりと云へり乳汁を通する薬法諸の医書 にさま〳〵のせたり上手の医師に逢て治療 をなすべし徳俗は乳汁通せさるに薬を用るときは 猶更通する事なふしてかくつて乳汁を断とて 産後多くは薬を服せさる也かく語り教るにより 産母病ある時も薬を服せす救はさるにいたる能に 心得へき事也 ○婦人良方に産後乳汁をのつから出るものは胃 の気の虚也胃をおきなふ薬を服してこれがむへ し若乳汁多く満べして急痛せば温帛を以 これを熨すへし甚しるしありいまた産せさる 前に乳汁をのつから出るものありこれを乳泣と 名つく生る子必生育する事なしと云へり 卅六産後摂養治法の説 ○丹渓の説に産後は大に気血を補ふを以先とすへし 君 雑症ありといふとも末を以これを治すへしといへり 徐春甫の説にこれ丹渓の論は其つねをいふ也若 果して変証あらは其変に通して治療すへし と云へり素問にも緩るときは其/本を治し急 なるときは其/を治すとあれは産後余病なく 気血脱去の時は丹渓にしたかふへし或は産後の中 風傷寒痢疾瘧疾なとのたくひは諸の医書に 其門々あれは其変にしたかつて治すへき事也 黒神前の産後十八証を治するたぐひ古方あれ共 薛己は世俗寒熱虚実をとはす黒神散を用 かにより其害夥し或は鶏子を用ひ或は塩味染染か 類の物産後に禁する也鍼は血にはしは 或は諸の肉味を用る りて其津液をかはかす故に用事を禁する也 故に産後もろ〳〵の病を発する也。黒神散鶏子 塩味肉味を悉く却き去へしとあれは其時により よろしきにしたかふへき事也上手の医師に逢 て産後を調理すへき事也 ○千金方に産後七日の内悪露いまた尽さる時 かならす薬を恨はからす臍下塊散するをまち て羊肉湯をすゝむへしと云へり是上古の風俗に して元気充実形体盛壮なるふ人産後諸病 なきものはこれにしたかふべし産後はとかく血を去 事過雨なれは気も共にほろひて精神虚乏 なり故に諸病蜂起するものなれは上手の医 師にゆたねて治療すへき事也 ○婦人良方に産後の婦人類を梳り或は自己に腰 を屈めて足を洗ふ事なかれ沐浴は三ヶ月の内 になすへかにつれり是も其産婦の虚実にした かふへし虚する者は百日をかきるへし病あるものは一 日数にかゝはるへからす能々心得へき事也 ○胡氏孝の説に産後悪露たえす崩血禁せ さる婦人或は産後咳嗽止さるふはかならす雀口労 三十六/疾と変すと云へり産後悪露下る□ にしたかつて漸々に其色うすくなかをよしくす 若産後血下る事数日やます或は咳嗽をなすもの は大切なることと心得て上手の医師をたのみて 早く其血をとゝめ或は風邪の咳嗽にても早く治 療すへき也此二証は産後にことの外いむ症なり 能々心得へき事也 ○千金方に凡産後百日に満て交嫌すへししから されは死にいたらとて虚羸し百疾蜂起すこと云 へり是もまた虚実にしたかふへし虚するものは 必一年半年の日数を過て夫婦すへき也丹漢の 説に彼富貴の家始照の婦人は産後の摂養法に そむき飲食起臥をつゝします故に産後必百疾 起り蓐労となつてすくはさるにいたるみな是陽 盛陰虚の病にして房をおこなふ事早きによる と云へり好生のもの此理をそらんして産後に 飲食起臥房形をつゝしむときは形体盛壮精神 堯実にしくも甚かきりなき事をしるへし 一婦人寿草巻下六終 内 享保十一歳 丙午正月吉日求之 寺町通松原上ル町 菊屋七郎兵衛 寺町通松原下ル町 梅村三郎兵衛 □□