誠求録

creator
田中國雄
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2026-08-17T19:23:20.652Z
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2026-08-17T19:23:20.652Z
field_notes
場所: [出版地不明]
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CC0
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田中國雄
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日本語
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蒼龍堂
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10010000024891
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セイキュウロク
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東北大学
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2025-11-13T06:41:55Z
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10010000024891
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2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
誠求録 狩 第9 22361 琉球 二三 記書論表編表叢書記書記書巻画巻 一月一日 題誠求録 「荒井恭編方副会ヲ 以テ購入 関博士 狛野亭吉田龍蔵 尾藩督官田中生出新 著一通示余曰此吾先人 積年所施済也乃継其 伝参以鄙見名曰誠求 誠求 事業事業事会事業 画炭 同 一月廿一日 第二記 歌農博 題試求録 荒井恭源氏ノ寄附会ヲ 以テ購入セル竹蘭博士 狛野亭吉田藩蔵畵 尾藩督官田中生出新 著一通示余曰此吾先人 積年所施済也乃継其 伝参以鄙見名曰誠来 録余披閲一過則初生 保護之法備具焉不諳 図者展巻則燦然于目 也使是書家伝戸暁 海内莫有漲乱之患無 服之賜是宜速伝矣已 文政二年巳卯春仲 侍医法眼小川紋菴 十七 高田淳吉 目次 浴児うぶゆの事 拭口口をぬぐふ事 臍帯ほそのをの事 帯落ほそのをすべる事 蛤乳ちゝをつくる事 剃頭うぶげをそる事 児衣いるゐの事 児衣 } 誠求録 浴児 田中國雄著 一世上一統小児生下すれば産婆蓐上より 一取上ヶ洗浴ス是を産湯と云なり浴して 後何かしらず面部江べにをぬるものあり 是は甚あしき事にて生児の虚実胎 一毒の軽重面色にて察しがたく禁ず 一べき事なり夫ゟ三日過二番湯と称し 生下間もなく両度まで洗浴す世上の 習なれば誰も論する者もなく却て 湯毎に丈夫付抔云説あり笑ふべきの 甚しきなり医者により初湯は禁 一せず二番湯を堅くきんするもあり尤 一宜き事なれども初湯を禁せずは益 なきに似たり吾先、人経験の法ありて 一新生の児産湯を厳敷禁止する事なり 一凡天地の間生々の物一同理なれば人間 一升生下直に洗浴せしむる事宜し からず元より新生無心の児混々沌々沌々 一たるものを生下直に湯中江入れ入ればたとへ 湯の冷熱を何ほど程よくするとも 驚怖せずしてなんぞや是よりして 驚癇又は臍風俗にほうづきむし等の 疾を生ず恐るべきの甚しきなり生 下のまゝにて浴せずは不浄又は臭気 一杯も有と思はるれども左は少しも無く 一たとへ不潔なるも大悪症を発すると 一発せざるとはいかん思はざるの甚しき なり兼て頼置産婆に洗浴せざる 事を示し置其心得にて取上ケば穢物 付事なく若穢物の付事あらば紙を やはらかにもみ指の先へくるみ唾をつけ 拭へば去るべきなり必濡手拭にて拭 べからず洗浴するに近し又白き糟の やきもの多くつきて生れる児も紙 にて拭へば彼産婆の人の髪の毛にて 洗よりも勝れり扨洗浴せぬ小児は 一臍蔕はやく落凡四五日も過れば惣 一身ふけの如く白屑をなし飛落て 一浴したる児よりも清潔なり産湯の 事祝儀のやうに思ふ人有て禁しかた くは疱瘡の酒湯の心得にてまね事 一斗をいたさせ置べし左なくは老婆の心に 叶まじ扨新生の児浴をかたく禁す るは実に吾が先人年久敷試事なれば 一決してしゆる事なし第一撮口俗に云 ほうづきむしの症を発せず驚癇の 一症を預じめ防キ疱瘡軽く尤逃るゝもの 多し其ゆゑいかんといふに新生の児肌膚 もろき事は言を待ぬ也夫を直に湯の 中に入るれば湯には自然塩気土中の あくもあり新生のいまだ成ざる肌を しめ胎中の熱毒表よりもれず内に 一欝すゆゑに程すぎ脇の下其外所々 爛れるなり湯に入ざれば表気を壅 一圧せずして胎熱漸々に肌表より漏 一発越シて少しも内にうつせざるゆゑ大 暑の時といへども爛るの患なく胎中 熱毒十分に発するゆゑに疱瘡も軽く 逃るゝもの多し譬は瘡疥を患る人 湯に入れは表気を抑へ瘡乾き度く 一浴すれば遂に内攻するを見てしる べし凡児充実なれば三四十日脆弱 なれば五六十日の後浴すべし浴後は 四季ともに風寒を避べし其後は 一老婆の意にまかせ洗浴して害 なきなり 拭口 小児生下速に口中の穢物を拭去る べし世上大抵紗或は麻の切にて拭へ ども余カなす所は此に異なり美濃 或は小菊のるい生紙を少しもみ人 さし指へくるみ一度〳〵にとりかへぬぐへは 児の口中十分に拭去べし生下より 三七日程の間此法にて掛へば鵞口 不乳等の患なし孫真人云児初 生以レ綿ヲ裹レ指ヲ拭二口舌上青泥悪血ヲ一 謂二之ヲ玉街一若啼聲一發レハ則入テ腹成二 百病一とあり今小児を見るに地に落て 一速に啼声を発せざるはなし所謂 清泥悪血ぬぐふにひまなくして 腹に入べしゆゑに初生下剤を以胎 毒を吐下せしむるを妙策となす也 臍帯 我邦産婆臍蒂を切に一統小刀 にてきり断す切て後留置所の 臍の帯は其帯中の汁をこきいだし 切り口を折かへし麻の緒にてかたく むすび綿にて少しくるみ又紙を よくもみて巻包み其上を絶布 にて児に腹帯をさせ臍の帯を纏ひ 置事なり此法紙へもしめりけとれ 早く乾く理にて大に宜し臍帯の きりやう土地により長サ短サ異同あり 一唐にても長短の説一定せず今 一産婆なす所大抵五六寸くらゐ至極 此法にて宜し又流義により児の 一足のくろ節までくらべ切もあり是は あまり長すぎ又手一束に切るもあり 一是は又短かすぎ殊に寄失血する事も ありよろしからず孫真人云断は レ臍ヲ長六寸長ハ則傷レ肌ヲ短ハ則傷レ臓ヲ 云説あれば曲尺の五寸と定め断べし 扨又唐にて小刀類にて切は宜からず 物を隔て咬切べしといふ説あれど 此大都会にて幾億幾万の小児 小刀にて臍帯を切らざるはなし いまだ害をしらず只臍帯中の汁 残は湿気臍中を侵し腹に入り 一疾を生するゆゑよく〳〵此所を心 一得蒂中の汁をこき出すべし孫真 人云断スル児臍ヲ者不二以レ時断一若按汁 不盡則令下二暖氣ヲ一漸微ニ自生レルル寒ヲ令二児 臍風二と是なり 箒落 一臍蒂の落る四時により遅きも早きも あれど大抵五六日又七八日にて落る なり落て後尋常○臍温と云症に 用ゆる粉薬を付置てよし龍骨か 一五倍子を極細末にしてつくべし若 一此品なくは艾肉を黒焼にしつく べし其上を腹帯にて纏ひ置は宜 からず厚き紙を丸く切り大さは見 計縁通計かぶれざる膏薬を縁 一膏薬に附け貼シ置べし衣類等にて すれる患なし医者により熊胆を 水にとき付るものもあれど是はよろし からず滋潤はなすとも湿りをかはかはかす 一理なし殊に真の熊膽も得がたし又 一灸治を小児の啼までを度として するをよしと云ものもあり又三十壮も 或は五十壮灸するものもあり是は よわき児には宜しく丈夫の児には よろしからず却て病を求るなり 灸法は療治に浅事ゆゑみだりに すべからず孫真人云小児新生無 疾慎不レ可レ逆二針灸一是なり 始乳 我邦の医大抵小児初生先満久 一利と称し甘草黄連の煎汁或は 一大黄芒硝或は紫円の類にて一昼 一夜くらゐも吐下せしめ後乳を初て 一飲しむ世俗の習はせにも二十四時 過て始て乳を飲しむといふ此法 大に宜しかし虚弱の生児は別の事 にて其時望に従ふべし一概に論す べからず何れにも臍糞の度々下り 一色薄くなるを度として乳を始て 飲しむべし唐にては小児生ると 一直に乳を飲しむと見えて始乳の法 いづれの書にも見えず却て千金方に 始哺の法と云あり白生下三日の後 研米厚飲如二乳酪厚薄一以二豆大一与一 児ニ咽セスレ之開二腸胃一ヲと此説甚宜からず 一乳と穀気と生下三日にして腹中に 入らば腸胃は開かずして却て凝滞 して胎毒通利せず恐くは病を生 すべし毒の甚しきは三日の後と いへども乳を飲しめず下剤を用ゆ べし毒の解とげさゞるは面目唇舌の 色にてしるべし能解たるは素人にも 一目見て眼を悦ばしむるなり孫真 人云小児始生其気尚盛遇二ハ疾病ニ 即須レ下レ之ヲ不レ及レ時ニ則必成二別症一ヲ一 此説誠に金言なり宜しく意得べし 刺頭 世上一統小児初生七日め始て胎髪を 一剃ル是俗礼にて害なきに似たれども 理におゐて宜しからず日数にかゝはらず 彼枕直しといふ頃温暖の所にて小児の うぶけを剃[リ]尤風邪を避る手あてを なすべし剃たるあとへ人乳をぬりおく べし頭上へ小判形[リ]の綿を載せ 一置はよろしからず眼疾の患ひあり 幼々新書に集験法を引俟二テ満月一ヲ 産婦與児倶ニ出房ヲ剃頭必于ス温暖ノ 處ニ剃後以二生油杏仁膩粉ヲ一頭上擦 之以避二風邪邪ヲ一是なり 児衣 児衣は其時の寒暖に叶ふやうに して厚く着する事を禁するなり 貴賤の別なく木綿を肌着となし 一上着は絶類にて苦しからず家製に 薬染の木綿あり其効用多し予 治療する児はこの薬染の木綿を 一用ゆ扨下に敷蒲団は厚くして上 より覆ふものはうすくなすべし枕は 一古人の意に随ひ乾菊花を袋中に 入レ枕となす清熱の功あり枕を製する 木綿等は薬染を用ゆ凡初生の児 其気は尚盛なりと古人も云てその 一盛なるものに衣服度を過し厚く着 すれば内熱もれず鬱結して種々の 一病をなすよく心得て暖衣せしむべ からず手足の冷る事あらば壮実の人の 一懐中にて温むべし決し決して火に近 つくる事なかれえより初生虚脱にて其 一気不足なれば参附の剤又は灸治を施 す是は療治に渉事ゆゑみだりになすべ からず孫真人云児衣綿帛忌厚熱シテ 慎之慎之肌膚未成不可暖衣暖 衣則使下人之筋骨緩弱上是なり 誠求録終文政二年巳卯刻戌 跋 張介賓曰臍風果因浴拭傷皮 膚銭仲陽曰提口周浴後拭 臍風邪所入而作也臍風撮 口為脳内之一大患吾先人有 深慨於斯曽設保護法禁 浴児籍此而全免胎毒之諸 患及痘疹者。陸続尤多矣。 故九僕不才渥承余沢屋食 於医員因雖将欲報遺勲万 一之恩性資飢番不知所出折 與編著之拙寧奉遺訓以 懐其醜於是乎。仰承先志以 国字。紹述生児保藤法数条。 名曰誠求録銭興乗以贈同好。 此挙也雖未能副先志自通 邑大都以及窮陬僻壌等 障寿瓦之家必由是而保馬 則庶乎其不差矣。文政己卯 三月東泉田中園雅六十三丁 蒼竜堂蔵刻