清話抄(前編)

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淺草庵黒川春村
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2026-08-17T19:23:18.402Z
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淺草庵黒川春村
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セイワショウ
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東北大学
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2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
清話抄 狩 をちこちのたつきもしらぬ山さ 同長長門 とにすの小田たかへす賤のうな ならか比たひかみうちみたし亭 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 野辺引きらすの有るを跡余も にふす魚をとらんとては池水を 濁すまかことする中にくわな をひろひ落葉をかくほとの おとなひたるかいへるはこのたろ 都の人のもはらもてあそふと てこのさとにもこゝのせなかし このいもゝ狂歌といふうたひもの をうたふなりうらにもをしへて たひてんといふあはれやさし きこゝろはへそやさおもはゝ柱 哥の作をとこになしなむ末 つうひまな比にはしれあけ ことの故ありておかしきふしの 物語を聞せなは心のたねを をひろひ落葉をかくほとの おとなひたるかいへるはこのころ 都の人のもはらもてあそふと てこのさとにもこゝのせなかし このいもゝ狂歌といふうたひもの をうたふなりうらにもをしへて たひてんといふあはれやさし きこゝろはへそやさおもはゝ狂 哥の作をとこになしなむ末 つうひまな比にはしれあけ ことの故ありておかしきふしの 物語を聞せなは心のたねを おふしたつるめてたきたなつも のにもなりなましとたなゐ にひてゝしもみ左はらしるしの 名札書あつめたる一巻をあた へつこれをし母日々に耕し つゝ小田にせきいるゝ小河のし たひの口を飛らきみな口に にまかせてよみいてよ其苗代 水をもとゝすることく谷々の 本そなかれも数つもりなん には末ひろくまにいらむ さては源氏の物語もたとり 天崎江入楚の千尋の底 をもさくりえつへしかくて 浅田の半前へうたくらたひ得て 深田の八朱穂かりあくると かまをよくときみるけよとみの りする秋まてのしわさを 仮こまのかりそめに鳴子の綱の 手引するは田のくろの芹 をつみて人におくれるたくひ ならんかし 浅草庵 清話抄巻之上 誹諧歌 ▽荒井泰陽ノ寄附会ヲ 以テ購入セル所関博士 ○八雲御抄爾誹諧歌是はいかなるをいふにかあらむ 正しき様知る人なし公任卿なとも不知之通俊何と 心得たるに歟有けん是後拾遺に入経信卿云誹諧の歌を 入たるにて事のわろきも被知云々誠に公任経信しら さる程の事なれは末代の人非レ可レ定又千載集にも 有大かたはさ読るへきやらんなとは推せら呆れとも 其様知る事なし後拾遺千載集に入たる歌はもの くるひの事なれはさやうのうたを云にやあらむ但 清話抄 以上八雲 これをしり顔に定るには非す哥体古今を見るへし 御抄 心の誹諧と云事侍るとやらん幽斎被仰聞し古今 集の事なれはおくをはしらす只よの常のをは 幾度も狂歌といふへしはいかいとはいふへからす 聞書金集 ○誹諧体の歌はきはめて差別しかたきものにこそ昔 ある人清輔朝臣に問ふ古今集を見るに俳諧体の 哥他の部にまゝ見え侍るはいかしといへり清輔の云 されはよいつれの部にもおの〳〵あひましれり 其故は誹諧の心ある歌をついして其部へいれ侍 らは誹諧の部のみすくれて多かりぬへけれはよろし きにしたかひてはからひ入たるなりいつれの部 にも此会釈有事也とこたへられたる此詞実さお ほえたり或は空のしくれを呼かけ木草にものを 思はせ鳥獣に恨をいふ心なき枕其外器物等の しるしらぬなといへる事をは皆面白きふしを見 たつる作意にして哥の命ならすや唐の詩にも 皆此心ありされとも其姿の哥をもおして俳諧 といひていはれさるへからすそれらをみな俳諧歌 にいれなはまことに誹諧の部は他の部に十倍す へし清輔朝臣のはからひいれなはといはれし事 清話抄 いとおもしろき事なり同く無心の草木器物鳥 獣にももの思はせ恨をいふうちにきはめて誹 一階の部へはからひいるゝには其心有事先達功 者の心を用らるゝ事浅からせなるへし ○和哥肝要に俳諧といふは狂哥なり 一秋のゝになまめたてるをみなへし あなこと〳〵し花も一時 鶏はいくらの稲をもたやらむ あかつきことにこけ〳〵といふ ○無名抄に歌は名になかれたる哥よみなれと ことわりを先として耳近き道なれはあやしの者の心にも おのつから善悪は聞ゆる也長守語ていふ述懐の哥とも あまたよみ侍りし中にされ歌 火おこさぬ夏のすひつのこゝちして 人もすさめすすさましの身や とよめるを十二になる女の是を聞て冬のすひつこ所火の なきは今すこしすさましけれなとさはよみ給はぬそと申侍 りしもかなしくなんせられてのふるかたなくなんと語りしこ所 おかしけれ ○日本紀味耜高彦根神ノ之妹。下照緩。欲令衆人知映丘谷ニ在谷ニ在谷ニ在谷者 清話抄 是味耜高彦根神故歌之曰 あめなるや。おとたなはたの。うなかせる。たまのみすま間の。あなた。まはや。 みたにふたわたらす。あちすきたかひこね。 古事記 夷振 又歌之曰 あまさかる。ひなづめの。いわたらすせといしかはかたふちかたふちにあみ はりわたし。めるよしに。よしよりこね。いしかはかたふち。 此兩首歌辞今號夷曲 ○古事記伝夷振書紀には右の歌の次に又歌之 一曰とあり阿磨佐箇屡避奈光謎迺云〻といふ 歌を載て此兩首歌ク辞今號二夷曲一とあり凡て 歌を記して此者某振也と云ること記中に多 しその某振とあるは此夷振の外に記中に 宮人振 允恭 段 天田振 同段 拠あり続紀天平六年二 一月歌垣の中に難波曲倭部振浅茅原曲広瀬曲 八裳刺曲なといふ名あり古今集大歌所の歌 次に某歌 に近江ぶり水莖ぶり四極山ぶりあり といふことの 説は中巻倭健命段の片歌の 一処傳廿八の五十四丁に云清し さてかく某振某歌といふ 書紀に今号とあるを以ても は皆後に 後なることを知るべし 楽府にて呼る 名なり 宇多麻比乃都加佐と云は雅樂寮の訓樂府と書る字は 書紀の神武紀巻に云々是謂来目歌今楽府奏此歌者 云々とあるによれり但しトヨノアカリと訓るは楽府にあたらず 彼レをもウタマヒノツカサとこそ訓ずけれさて雅楽寮大湫所 清話抄 内教坊なとの類皆楽府と云ずし 〔抑此記書紀などに載れる 上ツ代にもさる官所ありしなり 歌は何れも上代の多くの歌の中にも優れて美 きかぎりなれば多くは楽府にも取れて管絃に かけ餅にもあはせて奏し歌ともなり其中に 一某振と呼はま都振とは俗に云フ形状進止の布理 にて人にまれ物にまれ動く貌を云て歌にとは 一奏ふ音声の長短巨細低昂なとの貌なり討 振の 字は 先は借字なれとも万の物に動き挙るを振といへは歌の布理もいひ もてゆけは其意に落れは布理てふ言には正字なり書紀に曲と 書れたるは歌に付てはさることなれども さて楽府に用る歌は 一布理てふ言の意にはうとし 奏ふに種〻の振のある故に其振々尓各名を付て某 一振とは云なり但し其名は其振を以て負たるもの 故夷振と云も夷てふ たゞ其歌の首の詞を取 にはあらす。 名は其振にはよらす て仮に名付ケたるものなりかの宮人振天田振溜 田は 借字 又古今集なるなとみな然なり考て見ずし 然るを某振と云は其処の風俗哥曲なりと云説は實を考閉ざる みだりことなりかの古今集にしは都山ぶりと云もあるにてしる ずし山に風俗 されはかの続紀に名のみ出たる難波 あるべき物かは 今の俗のうたふ鄙哥 曲其餘もみなおしはかり都ずし にも某哥の詞を取て 一某節と名つくるもの多しまたから書にも其首の言を以て篇名 とし哥曲の名とせる例多けれはこは古も今も皇國も外國もおのつ から同し心 はえなりけり 然るを今此阿米那流夜の歌には比那てふ 言無きに夷振と名付しは如何といふに書紀に此に 清話抄 二首並づる次の歌の歌の首に阿磨佐箇屡避奈竟謎 初の句は枕詞なる故に 一廼とある此避奈てふ言を取れり。 次の句を取れるならむ さるは阿米那流夜の歌も奏ふ振の彼と全同し き故に楽府にて一都部に収めて共に夷振と呼し なりそは此哥のみならす下巻ノ遠ツ羅鳥ノ朝ノ段にも 一夷振之上歌又夷振之片下と云あり此レらの哥にも 比那てふ言は無きに然呼はみな右の定なり神樂 一歌に前張と云前榛に衣は染む云々といふ歌一曲 の名なるを他の歌をもかけて十六曲の惣名に なして大前張小前張と呼 大前張七首 をも思ひ合 小前張九首 前にもいへる如く すべし此も其と全同じきをや 凡て某振と云は みな其振くを分む料の假の名なれは振だにおなし哥ならむ には幾首にても合せて一ッ名を呼むこともとよりさるべきいざな り右の前張も然なり然るを或説に体製備れるを大和哥と云に 對閉て備らざるを夷曲振と云邉鄙の風情なりと云るはたゞ書記 をのみ見夷曲ノ字本のみかくはりて此記なとの他の側をも考へす又古 意をも知らぬ例の後世心の妄説なるを世人もみな然心得居 るはいかにそやさて又書紀にかの避奈先謎廼と云哥をも此に載られ たるは誤なりかの歌は別に上代の恋の哥にて此にはさらに由縁なし然 るを註解ともに強て此にかなへむとてさま〳〵に云るは皆あたらぬる ことなり書紀に彼哥を此に載られたるは彼ノ哥楽府にて阿米那流 夜の哥と並びて共に夷振なる故に同時の作とせる傳もありしにや されとそは誤にて此ノ記に彼ノ哥は無きそ正しき傳はなりける然れは天 なるやの哥を夷振と云はひな都めの哥にひかれたる名ひな都めの哥 の此にのれるは天なるやの哥に引れて出たる物と心得るときは萬の 疑は晴ぬずしさて避奈光誕の哥の意は妹盧豫嗣爾と云まと八句 八豫嗣豫利摸補を云むとての序のみにて妹は網の目。盧は助辞豫嗣 は寄にて網をひけば目の寄来る如くに寄。守来よと云哥なり 萬葉几に妻依来西尼又十四に都麻余之許西禰なとあるを以て 清話抄 さとる清しさて終にいしかは片淵とおけるは上の詞を立て かへりてうたふ点の例にて哥の意にはかゝはらぬことなり 傳廿八の五十四倭健ノ命段 片歌すづて思国歌片歌なと云類。の目は其歌を古へ より然名け来たるなりと師の云れたるが如しかくて 楽府にては諸の歌に皆如此様の目ありて其部を分 たるものなり其ノ目の記中に見えたるは酒楽之歌 志津歌本岐歌志良宜歌読歌天語歌宇岐歌なとの 有是なり これらは某歌と名けたるものなり此外に某振ど也 名けたる歌は夷振の下に挙たるがごと〴〵 さて 一片歌と名けたる由は三句にしてなべての五句六句 一の歌の半にして片なるが如くなれはなり 五句の歌 も上三句 を本とし下二句を末とすれは三句は半なり又六句の歌にては三句は もとより半なり其中に後に後に旋頭歌と云躰はその句五七五五七七 なれは片歌は正しく其半なり建武年中ノ加茂臨時ノ祭ノ祭ノ祭ノ歌と 云ことあり略解に神楽之歌有二本末是也と云り然れはもろ歌と云 は片歌に対閉る目にて 本末と具閉たるを云なり ○萬葉集 獻新田部親王歌一首 勝間田之池者我知蓮無然言君之鬚無如之 かつまたのいけはわれしるはちすなししかいふさみがひげなきがごとし 歌の意は伝にいへる如く水影涛〻蓮花灼々と婦人 に語給ふを婦人の蓮なしといへるは戯れにて多く 有を返て無しといひてさて此みこ鬚多きをかへり 清話抄 て鬚無きか如しといへるなり 右或有人聞之曰新田部親王出二遊于堵裡一御 見勝間田池感緒御心之中一還自彼池不忍憐 愛於時語婦人曰今日遊行見勝間田池一水影 一濤〻蓮花灼々可憐断膓不レ可二得言一爾乃婦人 作此戯歌専輙吟詠也 池田朝臣蛍大神朝臣奥守歌一首 寺寺之女餓鬼申久大神乃男餓鬼被給而其子 将播 てら〳〵のあがきまをさくおほみちのほがきたばりてそのこうまはむ 一宝神云寺に餓鬼を作り置こと有女がき男がき とて有事なり大神朝臣奥守がいたくやせたる 故に女餓鬼が申すやうはわが夫に此人給はらむ 子を多くまらせむとなり 大神朝臣奥守報強歌一首 佛造真朱不足者水渟池田乃阿曽我鼻上乎 穿礼 ほとけつくるまそほたらすはみつた万寺いけたのあそのはなせいへをほれ 餓鬼にむかへて仏もて答ふ真朱はまはにとも訓 へし佛を造りて彩色の具に朱を用る故にかく 清話抄 いへり水たまるは池といはむ枕言葉なり池田の 朝臣鼻赤かりけれは戯にしかいへり 平群朝臣嗤歌一首 小兒等草者勿苅八穂蓼乎穂積乃阿曽我腋 草乎可礼 わらはどもくさはなかりそやほたでをほづみのあそがわきくさをかれ やほたてを枕詞腋草は腋毛をいへり 穂積朝臣和歌一首 何所曽真朱穿岳薦疊平群乃阿曽我鼻上乎 穿礼 いつくにそまそほほるをかこもたゝみへぐりのあそがはなのへをほれ 真朱ほる岳はいづくにそとなりこもたゝみ枕詞 これも平沢氏か鼻の赤丈をあさけるなり 嗤黒色歌一首 烏玉之斐太乃大黑毎見巨勢乃小黑之所念 可聞 ぬはたまのひだのおほぐろみるごとにこせのをくろしおもほゆるかも 左の伝を見るに大黒は斐太朝臣をさし小黒は とよひとをさせりぬは玉は枕詞大黒小黒は馬を いふなるべし馬は黒きをよしとするうへ飛騨より 清話抄 此頃よき馬出せるによりてかくはいへるなしむさて 巨勢斐太朝臣と貴人と両人ともに黒色なるが 中に斐太朝臣すぐれて黒かりしかは水通があざ けりてよめるなり 答歌一首 造駒土師乃志婢麻呂白爾有者諸欲將有其 黒色乎 こまつくるはじのしびまろしろなればうへほしからむそのくりいろを 出雲国の土部一百人を召して埴を取て人馬種々 の物の形を造らしめ給事日本紀に見ゆされは 駒を造るに黒色のほしからむといふなり水通か 色の少し白きによりて戯よめるなり 戯哇僧歌一首 法師等之鬢乃剃枕馬繋痛勿引曽僧半甘 ほうしらがひけのそりぐひうまつなきいたくなひきそほうしなからかむ 古へはすづて鬚を剃事なし只僧のみ髪も髷も剃 たり剃杭とは剃たる髷の跡へ又いさゝか生たるを いふ木の切たる跡へ又少し生たるをきりくひといふに おなしなからかむは半分の意にてなからに ならむと戯いふなり 清話抄 法師報歌一首 檀越也然勿言氏戸等我課役徴者汝毛半甘 だんをちやしかもにいひそてこらわがえだちはたらばなれもなからかむ 一契冲云檀越は旧訳の梵語新訳は檀那也此には 布施と云といへりしかもないひそはさはいひそなり えたちはたらばはおほやけより百姓を設に仕ひ 給ふとてはたるなりなからかむは右に同し 嗤咲痩人歌二首 石麻呂爾吾物申夏疫爾吉跡云物曽武奈伎 取食 いしまろにわれものまうすなつやせに。よしとふものそむなぎとりめせ 和名抄和名抄き今うなきといふ 痩く母生有者将在乎波多也波多武奈伎乎 湧跡河爾流勿 やす〳〵もいけらはあらむをはたゆはたむなきをとるとかはになかるな 痩なからも生てあるへきを氈をとるとて水に おほるゝことなかれとなり 右有吉田連老字曰石麻呂所謂仁教之子也。 其老為人身体甚痩雖多嘆飲形似飢饉因此 大伴宿禰家持聊作斯歌為戯咲也 大伴池主戯歌 万十八 はりふくろとりあけまへにおきかへさへはおのとも おのやうらもつぎたり 針袋を取揚て前に置てうら返し見れは 一表も表よ裏さへに綴りてわろき袋かなしと いへるなるへし 右の歌万葉集略解の註也戯れてよめる歌 大かたは答歌ありその人を対したはむれて よめるなり ○伊勢物語に 中〳〵に恋に死なすは桑子にそ なるへかりける玉の緒はかり 哥さへそひなひたりける 骨ハ妙義也 ○漢書之誹諧者滑稽也 稽詞不盡 史記消稽傳ノ考 物ニ云ク消藝ノ酒器也言出口成章詞不窮竭若消 稽ノ之吐レ酒ヲ也 伝云 大史公曰天道恢〻豈不大哉談言微中亦可シ 以テ解一ス紛ヲ優孟ハ多ク多レシク辨常ニ以二テ諷嘆ス 優旃善為二咲言一ヲ然メ合一ヲ一ヲ一ヲ一ヲ 清話抄 淳于髭ハ滑稽ヲ多レレ 郭舎人發言陳シテ辞ヲ雖トモ不合二大道ニ大道ニ然モ令二人主ヲ和悦一 是等滑稽ノ大意也 誹諧の字わさことゝよむなり是によりてみな人偏 尓戯言とおもへりかならすしも不然歟今案に 滑稽のともからは非レ道してしかも成レ道者也又誹 詣は非二王道してしかも述二妙義一義一る奇也故にこれ を准二滑稽一その趣弁説利口あるものゝ如一言語一火 をも水にいひなす也或は狂言にして妙義をあら はす此中又心にこめ詞にあらはれたるへし 傳云 齊ノ威王ノ時。楚發レ兵ヲ加レヲ加レフ齊々王使淳于髭ク之レ趙ニ普請一 兵。齎金百斤馬十飄一。発仰天大咲。王曰少之乎。 髭曰何敢。王曰咲有説乎。艶曰臣従東方来。見 道傍有二ヲ禳レル田ヲ者一。操二ノ豚蹄酒一盞一ヲ而祝メ曰ク甌宴 満レヲ篝ニ汗邪満レチ車ニ。五穀蕃熟。瓊々満レ家。臣見ユル其ノ所 レ持ク者狹ク而所レ欲ヲ者者奢一タリ故ニ咲レフ之ヲ於レテ是ニ王益ク齎二テ齎二黄金 千鑑白璧十雙車馬百細一 難波なるなからのはしもつらるなり いまはわか身をなにゝたとへむ 清話抄 是等心ノ辨説也 齊王使二淳于髭シテ献二セ鵠ヲ於楚一。道ヲ張二テ其ノ鵠一ヲ徒ニ掲二テ空籠一 造リ詐成レス辞ヲ。往テ見二。楚王一ニ曰ク齊王使王使二臣献セヲ。過二キ於水 上一ヲ不レ忍二ヒ鵠ノ之渇一。出シテ而飲レル之ヲ。去レヲ。去レ我ヲ己吾レ欲二ス刺レシテ腹一テ腹一 而死セセトト恐レハ人ノ之議ト吾カ王以二テ鳥獣ノ之故ヲ令テ令士自ラ傷殺ルレ 吾レ欲二ノ買テ而代レトレ不信不信ニ而欺二テ而欺二吾王一ヲ欲上一ヲ欲國一ニ奔 亡一シ。痛二ニ吾兩主使ノ不レリ通。故ニ来テ服レ過ニ受二ル過ニ受二ト罪ヲ木王ノ 曰ク善シ。齊王有二ル信士一若レ此ノ哉。厚ク賜二フ之ニ財一。倍二テ鵠ノ在リ時ニ 世の中のうきたひことに身をなけは 也。 ふかき谷こそあさくなりなめ 是等詞辨説也 魏ノ文侯ノ時ニ。西門豹為一ル都ノ令一。豹到ル郡ニ。會二ヲ長老一ヲ問二ヲ問二ヲ問二ヲ問二ヲ問二フ之ニ 民所疾苦一。長老曰苦爲河伯娶婦。以故貧。以テ故貧ヲ以テ故貧。豹問 其ノ故一。對テ曰ク郭ノ三老廷椽。賦歛シ百姓一。収二ノ其銭一ヲ得數 百萬一。用二三萬一ヲ爲二河伯娶婦。與巫祝共分其分其ノ 餘銭一ヲ持歸。當二ハ其ノ時一ニ巫行ヲ視二ク人家ノ女ノ好者一。云フ是當 為二二河伯ノ婦一。即チ。即チ娉ノ取為ニ治二ノ斎宮ヲ河上一ヲ河上一ヲ。女 居二ク其ノ中ニ行十餘日共ニ粉錺レ之。如嫁女ノ牀席一。令二女 居其上浮之河中。行數十里没。其人家有好女 清話抄 者。恐二ル巫祝ノ為ニ取レル之ヲ以レテ故テ故ヲ多ク持レノ女ヲ遠ク逃亡。以レ故无ノ 人又困貧ス。豹曰為二河伯一ノ送レ女テ告レ之ヲ告レ之ヲ吾亦往ヲ送レ亦往ヲ送レシ亦トヲ。 皆曰諾至二ル其ノ時一時一豹往テ會二ス之ニ河上一ヲ観ル者二三ト 人。其ノ巫ハ老女子ナリ也從一フ弟子女十人所ヲ一豹曰呼二テ河 伯ノ婦一ヲ来ル視二シ其ノ好醜一。女来豹曰是ノ女不レ好ルヲ。煩二ス大巫 嫗一ヲ為ニ入報二河伯一ニ得更ニ更二更二求二好女一ヲ後日ニ送ル之ヲ。即使吏 卒ヲ抱二キ二大巫嫗一ヲ投セト之ヲ河中ニ。有レ頃ヲク有レテ久也。弟子 趣レ之ヲ復ク以二テ弟子一人一投二ス之ヲ河中ニス二三尺三ス二三ケ二三子ヲ。豹 曰巫嫗ノ弟子ハ是レ女子也。不能白三老為入テ白セ入テ白セ。後 投二ハ三老一ヲ磬豹嚮河ニ立侍久。豹願曰巫妃 三老不二来還一。復タテ復タ使廷掾入趣之。皆叩キ頭破レヲ頭ヲ頭ヲ頭ヲ頭ヲ頭ヲ破レリ額ヲ 色如二ニ死灰一。豹曰諾。杖二ス河伯留レ客ヲ之久。若皆罷去 歸。従是以後不敢言河伯娶婦。 もろこしのよし野の山にこもるともると君 おくれむとおもふわれならなくに 是レ等心ノ利口也 齊ノ威主置酒ス。召二シ淳于髭一ヲ賜之ニ。問テ曰先生能ク欲二テ幾 何ヲ醉フ。髭曰臣飲二ス一斗一斗一ヲ亦醉。一石モ亦ラ醉。王曰先生 飲二テ一斗一ヲ而醉。悪ク飲二シ一石一石一石ヲ哉髭曰賜二ハ酒ヲ太王ノ之前ニ 執法在旁。御史在後。髭恐懼俯伏而欽。不過一 清話抄 斗一ニ径醉矣。日暮レ酒闌ニ合樽ヲ以レ生ヲ。男女同レルヤ。男女同レシ席。 狼藉。掌上ニ燭減。主人留レタレ号ヲ而送レル客ヲ。羅襦衿解。微 聞二ク郷澤一ヲ當一テ此ノ之時一ニ艶心ニ最モ觀ル一石一ヲ一石一。故ニ曰酒極ヲ 則乱ル。樂極ハ則悲シハ万事尽ク然リ。言不レ可レ極。々レ極。々レハ之ヲ而衰ス 以テ風諫ス焉。王曰善。乃チ罷二長夜ノ飲一。 むつこともまたつきなくにあけに遣り いつらはあきのなかしてふよは 是レ等詞ノ利口ナ也 始皇議シテ欲レハ大二セモ苑園一ヲ東至二函谷開一。西至二ル雍陳倉一。 旃曰ク善シ多ク縦二禽獣ヲ於其ノ中ニ冠従二リ東方一来。令二麋鹿二二二二二鹿鹿 觸一之足。始皇以テ故輟止。 世中はいかにくるしとおもふらん こゝらの人にうらみらるれは 是レル等心ノ狂ナリ也 優旃ハ者秦ノ倡侏儒也。秦ノ始皇ノ之時置酒而天爾ノ 陛楯ノ者沾寒。旃哀レヲ曰汝欲レ汝欲レハ休乎。皆幸甚。旃曰ク 呼レ汝ヲ應曰諸。有レヲ頃殿上々壽。旃臨レ撫 楯ノ郎。々曰ク諾。旃曰ク汝雖レ長何益幸ニ雨ニ雨ニ雨ニ立ル短 固幸ニ休居ス。於レテ是ニ始皇使上陸楯ノ者ヲ得セ半ハ相ヒ半ハ相ヒ代ト 春の野ゝしけき葉のつまこひに 清話抄 とひたつきしのほろゝとそなく 是等詞ノ狂ナリ也 ○古今集俳諧歌打聞 俳諧歌はいかいの字俳は雑戯也諧は和也合也と 云てをかしきたはれ言をいへりさてから国にも 俳諧とつゝきたる言はなけれと此国にはやくかく いひし故にこゝにはとりて書れし示也 史記に滑稽は俳諧也と云註はあれと其伝の本 文には見えす唐の杜甫か詩に俳諧の神といふことも 見えたれはから国にははやくよりあることなり されと今の哥のさまには必かなへる事にもあら ぬるやうなり 今の本に誹諧と有はうつしあやまれ物なり 草の手にて俳と誂とのまきれたるをおもはて 後にさま〳〵いふはいたつらこと也といへり さて是にえらべるは常さまの哥とすこし異 一體にて俳優かましき心詞なるをえらひたり 一題しらす読人しらす 梅の花見にこそきつれうくひすの ひとく人来といとひしもをる 清話抄 鶯の切声に鳴をひとく〳〵と聞なして 人来〳〵にいひなしたりいとひしもをるは厭 一居る也心は花見んとて来しを人来〳〵と鶯 はいとひげに啼をると也 素性法師 山ふきの花いろ衣ぬしやたれ とへとこたへすくちなしにして くちなしといふ黄色なる木の子は万の木草 の子にたかひて口を開く事なきにて云さて 無子の色の黄なれはすへて黄なるをくちなし いろと云事となり勢今も山吹色の衣のぬし をとへとこたへすむへこ所梔子色なれと口を ひらかぬにたとへていへり 藤原敏行朝臣 いくはゝの田をつくれはるほとゝきす してのたをさを朝な〳〵よふ 一郭公は幾許の田を作れはにやしてたをさ たをさと朝毎に田長を啼よふそといへり してたをさと啼を田長をよふ事にいひなし たりかれか声はさま〳〵聞ゆるにやほとゝきす一 清話抄 と云も鳴声によりての名なり ○為家の後妻は安嘉門院の右衛門佐といふ又四條 とも申けり平時忠一門の女なり後に阿佛といふ 為家に嫁して為相為守を産す為氏は麁兄 なり為家の前妻は宇都宮弥三郎頼綱の女の 腹なり為家未期に播磨の越部庄を為相に 譲る為相幼少の故に当氏是を押領す是により 阿佛鎌倉へ下り是を訴故に当氏是を為相に 返す其状今に有とかや為守は則京自房にて清 水寺の法師なり鎌倉記に曰承久の乱に清水寺の 京月房させる勇士にあらねとも院中に参り牢 治の手に向ひて生捕れすてに死罪に及はんと するときよめる 勅なれは身をは捨てきものゝふの 八十宇治川のせにはたゝねと 泰時あはれと思して免されけるとそ又或人京 月房にあひて足下は奇妙なる作者なれともあ まり誹此体にて和魯の名誉なしいかしといふ言 下に 京月に毛のむく〳〵とはえよかし 清話抄 さる歌よみと人にいはれむ 暁月房酒百首の中に 春 けふといへはまためつらしきうま酒の みはゑひなから春は来にけり 色香をもし留人かたき梅酒は すきもの有らてたれかのむへき のむ酒のかすみの飛かりあけ暮て 花にゑひぬる名をもたつらむ おもひきや朧月夜の恵ひこゝち 須磨のうらみにならんものことは 三日の日の酒にうかへる花の名の もしたひけふはのむへかりけり 夏 春くれしきのふの酒のさめかしら けふはうつきになりに遣るかな のますともこゝをせにせむ時鳥 きゝて酒屋をすきのむら立 秋 さかつきはめくりてゆくをきり〳〵す 清話抄 たれにさせとか鳴あかすらん 酒にうかふ月影なからのみいるゝ 上戸のはらそ山はかりなる 秋の田のかり庵につくるをはな酒 ともをまねきて誰かのむらん 酒のみてみなもみちするその中に ひとりさめぬる松もはつかし 冬 すみあらす上戸のやとの板ひさし さかもりかちにふる時雨かな さら〳〵冬霞ふる夜は竹の葉の 名におふさゝにゑひはしめけり 数ならぬ身にさへいかて恵ひぬらん さけは人をもきゝはさりけり あかさりし酒の中にやいりゆらむ ゑひてのゝちはたましひもなし 酒手のみおふのうらふね漕いてゝ いそへなよせそおきのりにせよ 藤原為守 玉葉 ことかたもまたゆかしさに山さくら 清話抄 おなし一木をしつかにも見す 浮雲にはやくちかひて行自の はれまになれは風そしつまる 風雅 旅人のさきたつ道はあまたにて 跡なきよりもまよふ宿かな 世をのかれて後あつまに住侍 ける頃よめる 住わひて出しかたとはおもへとも 月に恋しきふるさとの秋 六十あまり曲とせの冬の長きよに うき世の夢を見はてつるかな ○哥に忠不忠のあるよし実教卿の申されし たとへは 家隆卿 おほかたの秋の寝さめの長き夜も 君をそいのる身をおもふとて 是は不忠の心ある歟 逍遥院 身は老ぬ行末なかくつかへよと 子をおもふみちも君を社思へ 清話抄 是は忠なり 又仁不仁ありたとへは 野宮左大臣 此さとにしはしかたらへほとゝきす 外の初音はけふならすとも 是は不仁なるか 拾遺兼草 過ぬるをうらみははてし時鳥 鳴行かたに人裳待らむ 是は仁なる歟 ○女人不入の地を いかなれは龍田姫をはゆるすらん 此古寺のもみちいろこき 俗言俗態の歌なりと尭孝難せり 道命法師 たまさかにわか待えたる鴬の はつ音をあやな人や聞らん 一鶯をわかこのむ所ならは人にもおよほさんと思ふ こそまことの風雑ならめといへり法師の歌にしては 猶更おもはしからす 清話抄 ○心すへき体 金葉賀 いつとなく風吹空にたつ塵の 数もしられぬ君かみ代かな 世のさわきを風塵にたとふいまはしく聞ゆ 新千載 吹風のをさまれる世はかきりありて ちるものとけ犬山さくらかな 此腰よろしからすと 金葉賀 君か代は末の松山はめ〳〵と こすしらなみの数もしられす 君か代は末とつゝきたる禁忌の詞なるを此 集に入られたる失錯なるよし悦目抄に 見ゆ ○無名抄云院中にての御歌合に せきかぬる泪の川の瀬をはやみ くつれにけりな人めつゝみは 此歌よみて云々此歌を出さてやみけるよし也城中 にてくつるゝ落るなとの詞新宅にて火煙なと又 其亭主に家職ある人にわろきやうの事又老人 の家にて老か身なとやうの事さまにより事にけり 用捨肝要也詠哥大概にも時節景気のうちに 清話抄 時宜をふくめり芹川行幸に行平おきなさひ云々 読るは自のよはひをおもひて詠られけれども時の 御門五十七にならせられ給ふけれは御けしきあし かりけりと云々 ○土御門天皇に奏奉る文の中に家隆歌はふしきの ものにて共なりきと打見るにおもしろくあしから すおほえ候へとも次の日又々見候へはゆゝしく見さめ のしそ ○広田社歌合に 暁になりやしぬらむにくら山 鹿の鳴音に月楽たふきぬ と有を基俊判に云小倉山当社の辺にあらす とありたゝの名所さへ其社の哥合には用捨有と 見えたりいはんや他の社を詠事さたの限にあら さると云々凡て其社にて他の社または名所詠まし きなり ○名所によみならはさぬものよむ事其所へ行て唯今 一眼前に見る事聞事は証歌をもとめすして何事 をもよむへき也但題にてよむもその名所によく 似合たるものは讒歎尋るに及はぬと時の哥仙 沙汰せられけるとて衣笠中納言の歌にてのさた なり しら露の手枕の野の女郎花 たれにかはせるけさの名残そ かやうによみたらむはくるしからぬとなり其外 一月雪雲霞なといふものはいつくにも有もの なれは申すに及はぬなり ○亀山院御時山城国の名所を賦する百部御連歌 侍りしによのつねのやさしき名所は大略過て今は 俗にいひつけたるからすき河曲宮川原なとやうの 名所をもとるへしとさたありし時 ちきりしのみやかはらさるらん嶌氏 つらからすきかはなへてそたのまるゝ隆博 ○名所をよむは道具也それによりたる名をかもる也 末の松山といへは行末の心をかけあさか山といへは 浅き心をよせくらふ山といへはくらき意によす ○俊成卿老後になりてさても朝暮歌をのみよみ ゐてさらに当来のつとめもなしかくては後世いか ならんとなけきて住吉の御社に一七日この事を なけきてもし哥はいたつら事ならは今より此道 清話抄 をさし置て一向に後生のつとめをすへしと祈念 ありしかは七日に満する夜の夢に明神現した まひて和歌道全く二つなしとしめし給ひしかは さては此道の外別して仏道をもとむへからすと ていよ〳〵此道を重き事楽し給ひしなり ○哥一首をよめは一仏を建立するに同し十首百 首よめらむには十仏百仏を造たらむ功徳を得 へしとそ古賢申されたまへる ○元住法師云和歌は此国の陀羅尼なりと いへり ○西行上人の云哥はこれ禅定の修行なりと いへりけにも心を一処に制せすしてはかつてよまれ 男なるへし散乱の心をやむる事是にすくへ からす ○恵心僧都は和歌は狂言綺語也とてよみ堂 まはすありけるを恵心院にて曙に水海を眺 望し給ふに沖より舟のゆくを見て或人こきゆく 舟のあとのしら波と云歌を詠しけるを聞て めて給ひて和歌は観念の助縁となりぬへかり けりとてそれよりよみ給ふとさて廿八品并に 清話抄 十楽の歌那とも其後読たまふと云々 〇定家の申されけるは哥案せん時は常に白氏 文集の故郷有母秋風渡旅館無人暮雨魂 の詩を吟すれは心かたきけたかくなりてよき 歌のよまるゝ也蘭省花時錦帳下廬山雨夜 草庵中の詩をも吟せよと侍り旅館無人 暮雨魂といへる旅の宿りにたゝひとりゐたる にほろ〳〵と雨のうちふりたるはまことに心ほそき もの也なき人こふるやとの秋風の哥は此詩 の心にかなひたるなり ○歌案するに西行は行覚してうそふきて哥 よみ和泉式部は引かつきてよみはれの時は 顔をふところにさしいれてよみける道綱の母は くらき所にてよみならはれしにや燈を背て目 をとちと案しけるとなん ○菅家幼時よませ給ふ 梅のはなへにの色にも似たるかな あこか顔にもつくへかりけり 一書にうつくしや紅にも似たる梅のはな古は 一乳母を阿保といひしとそ ○後撰集親の外にまかりて遅くかへりけれはつか はしける 神無月時過ふるにもくるゝ日を 君まつほとはなかしと所思ふ 人の姫のやつなりける右後撰のやふねかたゝひ と有抄に云りやふねは貫之の姫と也 ○清厳話に上手なるものははしめから見ゆる也 家隆郷をさなくて 霜月に霜の降とそ道理なれ なと十月に十はふらぬそ とよみ侍るに後島羽院重宝になるへきもの なりとて御感ありしと也 ○延政門院いときなき時院へまゐる人にことつて とて申させ給ひける ふたつもし牛の角もしすくなもし ゆかみもしとそ君はおほゆる 八十二代後嵯峨院の皇女なり ○壬生忠見童のとき内裏より竹馬に乗て 参れと仰有けれは 竹馬はふしかけにしていとよわし 今夕影にのりてまゐらん ○むかし継子と我子とありける小き土鍋のあ りけるを我はらの子にはとらせて此まゝ子 にはやくさりけれは鶯の啼を聞てまゝ子な りけるものゝよめる 鶯よなとさはなくそちやほしき 小鍋やほしき母やほしき 小式部の内侍の五歳はかりの時乳母にいたかれ いねたりしか足にて衣をふみさきけれはめのと これをとめしに小式部 いつのまに誰か玉章のかよひきて ふみさしおとのふところにする ○元真は十一歳の時梅の花に雪のかゝれるを見て 匂ひを所わらへかりける梅かえに はなまかはしてふれるしら雪 十二になりけるとし九月によめる 花薄まぬく袂はあまたあれと 秋はとまらぬ物にさりたる ○和歌は京極黄門ののたまへることくはかなくよむを おかしき事とすへし円覚経云雲験月運。舟 清話抄 行クハ岸移ル唐ノ曹松カ詩に掬レハ水ヲ疑二モ山動一揚レハ帆覚二岸行一 土佐日記に こきて行舟にし見れはあしひきの 山さへゆくを松はしらすや 曹松か詩に似たり ○漁父なとに身をなしてよむ歌あり貴人なとには いかゝ万葉古今には七夕の哥に牽牛と成り織 姫となりてよめる歌多くあり 家持 万葉廿 はつ秋風すゝしきゆふへとかんと所 ひもはむすひし妹にあはんため 牽牛になりてよめる歌なり 赤人 わかせこそ見せんとおもひし梅の図 それとも見えす雪のふれゝは 是女の歌のやうなれとも女の心になりてよめる也 ○三夕の歌面白前は西行の歌ちからありてたゝましく 動き有て厚きことは定家の哥寂蓮は面白き 所ちから有のしわさを一向はなれたる歌也中にも まさるといふへし 清話抄 見わたせは花も紅葉もなかりけり 見わたせは花も紅葉もに 浦のとまやの秋の夕暮 定家 さひしさはその色としもなかりけり 槙たつ山の秋の夕暮 寂蓮 こゝろなき身にもあはれはしられけり 鴫坐つ沢の秋の夕暮 西行 ○長幡子山家記に西行か哥はあまぬく修行し めくり遥の海山をへて見る所のまことよりいつ 言葉口にまかせすかたいたはらすされともおのつから 高風情なるもの也 古畑のそはの立木に居る鳩の 友よふ声のすこき夕暮 かう〳〵なむたゝ和歌はよむ事のかたきにあらす 心を歌になすことのかたきなるへし ○玄旨法師いはく何の意も道はひとつなり何の手 もなくしかもおもしろき景気をふくめるかよき也 一鴫立沢の哥鴫のたつにあはれしらるゝは自然の 道理也おもしろからするは田舎芸なり ○基俊雑する僻あり俊頼の歌に くちをしや雲ゐ隠れにすむたつも 清話抄 おもふ人には見えけるものを 基俊鶴と心えてたつは沢にこそすめ雲ゐにすむ 事やはあると難してけり俊頼是は鶴にてはあらす 一龍なりかのなにかしとかやか龍を見んと思へるこゝ ろさしふかゝりけるによりかれかためにあらはれて見え たりしことの侍るをよめる也基俊弘才の人なれと意 おもふはかりもなく人のことを難するくせの侍れはこと にふれて失おほくそありける ○御屏風の哥擣衣の所に兼盛詠衣うつへき ときやきぬらん紀時文色紙形を書の時抑レフ筆ヲ見 在に播衣を見て衣たつへき時やきぬらんとよめる 如何兼盛云貫之延喜の御屏風駒迎の所いまや ひくらん望月の駒とあり此雑あるかといへり時文 閉口 ○国基良暹か歌を雑云まくり手といふ詞やはあると 云々良暹か云やしほの衣まくりてにしてと有といへ り僻事也紅にはまふりてと云事有それを書 誤也云々良暹案て又いふ かさこしの嶺よりおるゝしつのをの きその麻衣まくりてにして 清話抄 と侍は是もまふりての誤かといへり国基関口 ○有歌合之頃長元歟小式部内侍入二哥人一之時母和 泉式部為二保昌妻一在二丹後国一定頼卿小式部内侍ノ眉ノ眉ノ前ニ 立寄て戯こといふいかに丹後へ人は被レ遺候哉未二テ帰リ参歌 といひて起ッ時に式部取二直衣ノ袖一ヲ云 大江山いくのゝ道のとほけれは またふみも見すあまのはしたて 定頼卿引やりて逃と云々 ○於花山院詠二三月尽一歌云 長能 故ゝろうきとしにもあるかなはつかあまり こゝぬかといふに春のくれぬる 此歌講時曲條大納言春は三十日やはあると云々長能 此後病二吾事病にふして万死一生の由聞て彼納言 使をもつて訪返事にいふ此病別事にあらす先日 春は三十日やは有と仰候し心うく思侍て歎の間 不食に成て已に今明にまからんとす云々其後遂 に死去す大納言大に被歎思云々道執人事荒 涼に不レ可レ難歟 現在 君かよの候へしかるへきためしには 清話抄 かねてそ植し住吉の松 芝山宰相殿御説此し常のつかひかたのやうなれと 大に力あるし也心をつけて見るへしとそ ○見 みし過去みん未来みよ下知 みる現在みばウハサ 此類多し ○雑の題に季をよむ事常の事にて候当季計 を読と申候へとも何れの季をもよみて候 永元二年五月松尾哥合 定家 一社頭雑定家 社頭雑 神垣や我身の方はつれなくて 秋に所あへる葛のうら風 建保五年五月歌合 松経年 定家 手向草冬もいく世か契置し はま松かえの色もかはらす ○経文を題として読歌大方はそへ歌なつらへ歌 なとにて候へとも経のまゝにて候へはたゝこと歌にて も有へしたゝこと歌とは雑の題なり是は物にもた とへす類をも引す其理を有のまゝにいふ也又そへ 哥とは風の哥也是は其体をかくして物によそへ 清話抄 て其理をいひのふるなり 序品 廣度諸衆生其數无有量 わたすへき数もかきらぬ橋はしら いかに立けるちかひなるらし 随喜功徳品 最後第五十内一偈随喜 谷川の流の末を汲む人も きゝはいかゝはしるしありける 是は慈童か古事を菊といふ字を聞の字に 寄なり同言葉にかゝる哥也 安楽行品 深入禪定見十方佛 静なる庵をしめて入ぬれは 一かたならぬひかりをそ見る 是はたゝこと哥なり 〇同し文字なき歌 よのうきめ見えぬやまちへいらんには おもふひとこそほたしなりけれ ○回文歌 清話抄 とくたゝしさとのたかむらゆきしろし きゆらんかたのとさしたゝくと とをきかたみなしら雲やまとふてふ とまやもくらしなみたかきをと なかきよに待ときゝてはせくものも くせはてきゝとつまによきかな 頓阿 逍遥院 光広卿 ○畳言葉 万葉 よき人のよしのよく見てよしといひし よしのよく見よよきへよく見つ 後拾遺 おもふ人思はぬ人のおもふひと おもはさらなんおもひしるへく 新古今 秋も秋こよひもこよひもこよひもこよひもこよひもこよひ月も月 所もところ見る君もきみ ○物の名 仲文集に紀伊の国の郡ともをよめる 那賀 なくさ名草ありた在田 いと伊都なか那賀なくさ名草ありた在田 あま海部ひたか日高むろ牟漏 いとなかき夜はなくさますあまりあり たえすひたかんむろにすまはや 三十一字の中に七郡十七字をかくしたるはやす 清話抄 からぬことなり ○濁音なき歌 音羽山みとに聞つゝ逢坂の 関のこなたにとしをふるかな ○恋の歌 しら波のあとなきかたに行舟も 風そたよりのしるへなりける 此上の句舟もとすれは恋なり舟のとあれ は海路の歌なりもの字なれはこそ恋の 哥となりけれ我を舟にたとへ中たちを風に たとへたる心あらは也一字にて心転する事 いなつまのことし ○新古今前大僧正慈円 庭の雪にわかあとつけて。いてつるを とはれにけりと人や見るらむ 此哥二字濁れは狂歌になりて庭の雪にわか あとつけで出つるをとばれにけりと人や見るらん ○官家の女中は八月十五夜に芋を箸につらぬきて 其穴より月を見て 月くに自見る月はおほけれと 清話抄 一月見る月はこの月の内 月の字八つ間のかなは十五あり八月十五夜と いふ心なりとそ ○敦盛熊谷の賀為村郷 吹たゆむあとよりさそふ風もそし すまの若木の花のちりかた ○韓信股をくゝる絵に同郷 流行末は海ともなる水の しはし落葉の下くゝるなり ○傾城の賀沢庵和尚 池の面によな〳〵月はかよへとも 心うつさす影もとしめす ○後水尾院御歌といふ酒の歌 酒ひとつ呑ぬも須磨の浦さひし のめは明石の波さわくなり たはこをよませ給ふ もしほやくあまならぬとも煙草 なみよる人の塩とこそなれ 近世の狂歌其躰を失へり狂歌といふものはかやう にこそとてよませ給ふける 清話抄 ひとつつきて間のあるはかねつきも こゝろあり明の月や見るらむ ○梨壺五人後撰集撰者 大中臣能宣清原元輔源順 紀時文坂上望城 ○梨壺五哥仙上東門院侍女 赤染衛門和泉式部紫式部 馬内侍伊勢太輔 ○西三條三世 実隆逍遥院公條稗名院実枝三光院 ○近衛三藐院殿下の御自筆近江八景一巻奥書 最前三十一山目を主上にあそはし候はんとの 事故それをは用捨石山に直し候石山の鐘をは 三井に直し落雁を見堅田に改候法談之間転 覧もやと僻作書付候 封御花柳 ○一条法予云左大将家六百番奇合の時左右人数日々 に参りて加二評定一て左右申詞を被書けり自余人数不 参の日あれとも寂蓮顕昭は毎日に参りていさかひ 清話抄 ありけり頭昭はひしりにて独古を持たりける寂蓮は かまくびをもたけていさかひけり殿中の女房達例の とつこかまくびと名付られけり云々 ○亭子ノ帝鳥養院にて御庭ありけるにとりかひと いふことを人々によませられけるに大方ならさりける 遊女白女を召出されいかなる者そと問せ給ふに丹波 守大江玉渕か女なりと申せ玉渕は詩歌に工なる もの也其女ならは此歌をよむへし然は実に玉渕か 女と思召へしと仰らるゝ言下に あさみとりかひある春にあふ時は 霞ならねと立のほりけり 帝あはれみたまひて禄あまだ給けり 古今集白女 命たに心にかなふものならは 何かわかれのかなしからまし ○肥後国の遊女檜垣の嫗は後撰に要あり神崎の 一遊女宮木は後拾遺集青墓僧儡名氏は詞花集 江口の遊女妙は新古今集遊女戸〻は千載集遊 女初君は玉葉集に歌あり ○躬恒か住吉の松を秋風吹からにといへる哥を俊成 清話抄 卿常に申されしはたとへは八句有余の老翁の白髪 なるか錦の帽子紫檀のよりかゝりに虎皮を松下 の巌に敷て嘯き遠見して和琴を撥ならせる 響きに松風より〳〵音信通へる夕暮を見る心地 する哥なりと申されけり ○俊成卿老後述懐の歌を詠して定家卿のもとに おくらる さためなき世にも若きはたのみあり とにもかくにも老の身そうき 定家卿返し とにかくに老はあまたの年もへつ さためなき世に若き世にうき 一逍遥院寛隆常に此両首を感吟ありし由 雑々集に見ゆ ○寂蓮法師かいひけるは哥のやうにいみしきものなし ゐのしゝなといふおそろしきものも臥猪の床のと いひつれはやさしきなり ○罪なくて配所の月といふ詞は中納言顕基 ○釈正徹は清巌和尚と号す世に徹書記と申す 始書記たるの故なり東福寺に居まして和歌を好 清話抄 てゝその名高し或時 中〳〵に見ぬもろこしの鳥も来し 桐の葉おとせ秋の夜の月 此哥を聞し召時世を諷するの意ありとて逆鱗 ありて山科に謫せられて其居を招目と呼ふ又 七月魂祭とて なか〳〵になきたまならは古郷に かへらんものをけふの夕暮 此歌を聞し召て東福寺へ召かへさる其門第正広正 一般等和歌の名をえたり書記中年今熊野におは せし時日頃の詠草三十六帖歌数三万首焼失す そのゝちの詠草又二万首ほとありといへり 清話抄巻之上畢 清話抄 5103 一 一五十二 □□□□□□□□ 狩 明 三 清話抄 清話抄巻之下 早入記談 普渡時 ○後嵯峨法皇の御熊野詣ありける時本宮の音無川と いふ所に梅の花さかりなるに伊勢国の夫の歌 音なしに咲そめにける梅の花 にほはさりせはいかてしらまし 夫の哥にはいみしき秀哥なるへし此事北面の下 らうに仰て夫を尋させ給ふにたつねあひにけり 北西馬上にて仰なりまゐるへしといひける返事に 花ならはをりてそ人のとふへきに 清話抄 なりさかりたるみこそつらけれ さて返事にも及はす馬よりおりてくして参りぬ ○下総国岩田浦の漁父か娘の歌達二御書所一 荒磯の岩にくたけてちる月を まとかになしてかへるしら波 一御書所より御哥ありとそ ○小野権通ゆかり有娘の縁付しにその家をいてんと すといへる時よめる とにかくにをりふしことのたかひめを うらむる中そちきりなりける 宗祇金龍寺へ花見に行て 見れは見ぬ花さへをしき山桜 基浦の とて連歌師 宗祇在京の時分京に桜井永仙さ 事なり あり宗祇と中あしくありけれは此条句を聞て嘲哢す 宗祇新津玖波集を撰せしに桜井か連哥不入是に よりて落書す 遥見筑波銭便入不論上手與下手 あしなくてのほりかねぬるつくは山 和歌のみちには達者なれとも ○桜町中納言成範配所より召かへされて内裡へ参られ 清話抄 たりけるにもとありし時とはやうかはりけれは女房のうち よりむかしをおもひて 雲の上はありしむかしにかはらねと 見し玉たれのうちやゆかしき と書て出したりけるを返事せんとて灯籠の際楽立 寄けるに小松内府参り給ひけれはいそき立退とて 一灯籠の火のかきあけ木のはしにてや文字を消して そ文字に書かへて翠簾のうちへさし入られけり ○天暦の御時女御更衣あまたの御方へ あふさかもはてはゆきゝのせきもゐす たつねてとひこきなはかへさし とあそはしてまゐらせられけれは御方〳〵みなえ心 得給はすありけりその中にひろはしの更衣と申ける 御方より薫物をまゐらせられけるを叡慮にかなひ ておほしめされけるあはせたきものすこしといふ沓冠 の御製にて有し也 ○聖徳太子のよませ給ふける廻文の御歌 なかきよのとをのねふりのみなめさめ なみのりふねのおとのよきかな 太子の臣秦川勝か悪夢を消す哥とそ 清話抄 ○五月の頃円位上人熊野へ参りける道の宿にあやめをは ふかてかつみをふきたりけるを見てよめる かつみふく熊野詣のやとりをは こもくろめとそいふへかりける ○たるとのにのほりて見れはあめのしたともにけふりて いまそとみぬる日本紀竟宴歌藤原時平の大島鶴 天皇をよみたる歌也仁徳帝の御歌とて民の竈は にきはひにけりといへるは是を誤たるといへり ○六帖鯛の題に あふことをあこきの島に引鯛の たひ重らは人しりぬへみ 伊勢の海あこきか浦に引網のといへるは六帖の哥を直せしなりとそ 奥平天暦第七 ○白楽天といふ謡に出たる問答の詩歌は後中書王 御子号六条宮 の作也 白雲似帯圍山腰ヲ青苔如衣負巌背一ニ 年々別ヲ惡テ驚キキ秋雁ニ一夜々幽聲到二暁鶏一ニ こけ衣きたるいはほはまひろけん きぬ〳〵山のおひするはなかり 幽遠随筆に出る俗説弁に云白雲似帯の二句菩衣の歌は 江談抄に出て都在中の作といへり年々別悪のかたは 朗詠集に後中書王なり 清話抄 ◯後搔違に小倉の家に住侍ける頃南ふりける日蓑かる人の侍 けれは山吹の枝き折てとらせ侍けり心もえてまかり過て又の日嶺の 心もえさりしよりいひにおこせて侍ける返ことにいひつかはしける 七重八重花はさけとも山吹の みのひとつたになき所かなしき 兼明親王 ○上西門院に小宰相と申ける女房みはしけりそれかもとへ 皇后宮亮通盛卿文の詞をつくし奥に 我恋は細谷川の丸木はし ふみかへされてぬるゝ袖かな 小宰相返し女院かはりてよませたまふ たゝたゝたゝたのめ細谷川の丸木橋 ふみかへしては落さらめやは ○土佐日記に 都にて山のはに見し月なれと 浪よりいてゝ浪にこそいれ 続古今秋道房卿 むさし野は月の入へき山もなし 尾花か末にかゝるしら雲 むさしのは月のいるへき山もなし草よりいてゝ草に こそいれといふ歌は何に有にる 清話抄 ○蛇の貝の片思万葉十一に 伊勢の蜑の朝な夕なにかつくてふ あはひの貝の片思にして ○男をみなの花万葉廿 秋野には今社ゆかめものゝふの をとこをみなの花にほひ見に ○鹿の胸わけ万葉廿 ますらをの呼ひたてしかとさを鹿の 胸わけゆかん秋のはきはら ○古筆為レ梁秘蔵抄 筆つ虫秋も今はと浅ちふに かたおろしなる声よわるなり 草庵集連歌 ふるき筆きり〳〵すとや成ぬしん ○菊のきせわた従一位倫子菊の綿を給ひて是にて 老のこひすてよと侍れは紫式部 菊の霞わかゆはかりに袖ふれて 花もあるしに千代はゆつらむ ○鳥なき里の蝙蝠続詞花集 祭見えける女車よりかはほりを 清話抄 話抄四十九 おとしたりけるをとりてかきつけて 遣はしける いとむけに鳥なき嶋にあらねとも かはほりにこそおもひつきぬれ 夫木集和泉式部 人もなく鳥もなからん嶋にては このかはほりも君そたつねん ○秋茄子嫁に喰すな 秋なすひわさゝのかすに漬ませて よめにはくれし棚におくとも 翠竹庵道三類葉和歌集わさゝのかすは新酒の糟也 ○無名抄に おもひかねいもかりゆけは冬の夜の 河風寒みちとりなくなり 一拾遺集貫之此哥六月の暑日にも是を詠すれは 涼しくなる心ちせらるゝなり ○鄙の言葉に今といふをむまといふ所もあり昔の人 の詞のいまといひける言葉のむまとも聞えたるゆゑにや わさと哥によむへきにもあらねは馬によせてよめる は六帖に 清話抄 あつまちのむまや〳〵とかそへつゝ あふみのちかくなるかうれしさ 蜻蛉日記 なつらへき人もはなてはみちのくの むまやかきりにあらんとすらむ 契冲云日本紀万葉は皆馬なり万葉第二十にむまと 書たれとそれは東歌なれはそのよしなるへしみしかきを みちかきと書るにて准へて知るへし和名にはおほくむま馬 一何々馬これに准ふへし ○野守の鏡に云保昌歌をよむをうらやみて 早朝に起てそ見つる梅の花 夜陰大風不審〳〵に とよみたりけるを和泉式部聞て号言葉にはかくこそ よめとて 朝またきおきてそ見つる梅の花 夜のまの風のうしろめたさに とやはらけたりけるおなし心とも覚すおもしろきと 云々 此朝またきの歌は元良 親王にて拾遺集に入たり ○今川了俊の書たる物に和哥不審といふもの一巻あり 其中に云内裏にて節会の夜為兼郷きぬかつきを 清話抄 けさうせられけるに夜さりよと仰られけれは此女房 見かへしてあの顔やうにてと申けるを袖をひかへて されはこそよるとは契れかつらきの 神もわか身もおなし心に 又いはく是も内裏にて節会の夜為世郷きぬかつき をけさうせられけるをこの女房あらけなくつきたふし 申てあの年やうしてと申けれは はかなくも人の心のあらいそに おもひかけゝる老の波かな ○宇治拾遺に嵯峨天皇の御時片力ナの子文字十二 書て小野篁によませられたれは ねこのこのこねこしゝのこのこしゝ とよみときたり ○佐川田喜六か陽明家へ淀の鯉を奉る狂歌 をりよくは申させ給へ二つもし 牛の角文字奉るなり さかへし 魚の名のそれにはあらて明日のひる ちよとふたつもし牛の角もし ○名歌の詞をもつて作者の号とす 清話抄 ことうらの丹後頼政の弟頼行の女宜秋門院の侍女 新古今 わすれしななにはの秋の夜はの空 ことうらにすむ月は見るとは 沖の石の讃岐頼政の孫仲綱の女 千載 神音楽わか袖は汐干に見えぬ沖の石 人こそしらぬかはくまもなし ふし柴の加賀待賢門院の侍女 千載 かねてより思ひしことそふし柴の こるはかりなるなけきせんとは 物かはの蔵人徳大寺実定の家臣藤原経尹 新拾遺 ものかはと君かいひけんとりの音の 今朝しもなとか恋しかるらん 待宵の小侍従阿波の局八幡光清法郎の女高倉院の侍女 一待宵の小侍従 新古今 まつよひにふけゆく鐘の声聞は あかぬわかれのとりはものかは 初音の僧正永縁僧正興福寺花林院の別当 金葉 きくたひにめつらしけれは時鳥 いつも初音の心ちこそすれ 沢田の頓阿 月屋とる沢田の面に有す鴨の 清話抄 氷よりたつ明きのそら 手枕の兼好 新続古今 たまくらの野辺の草葉の霜かれに 身はならはしの風の寒けさ 藁の葉の浄弁 風雅雑 湊江の氷にたて類芦の葉に 夕霜さやきうら風そふく 裾野の慶運 庵むすふ山の裾野し夕雲雀 上るを落る声かとそきく 日頃の正広 こすの戸に独や月のすみぬらん 日頃の袖のなみたたつねて 皇太后宮大夫俊成の女 下もえの少将皇太后宮大夫俊成の女 新古今 したもえに思ひ消なんけふりたに 跡なき雲のはてそかなしき 浜千鳥神主祐茂 和歌の浦に跡つけなから漬千鳥 人にしられぬ者をのみそなく 薄墨の神主国基 清話抄 うすゝみに書く玉章と見ゆるかな 霞めるそらに帰る雁かね ○牡丹花老人背拍牡丹をことに愛せり 春さかぬはなの心やふかみ草 といふ発句より牡に花の号をよへりといへり ○隠家の茂睡とよへるは 塵の世をいとふ心の積りては 身のかくれ家の山となるらん ○拾芥抄に出たる歌 塔間鐘撞時歌 こよひ鐘撞さるさきにゆあみよと みゝつまなくにいひてしものを 夜途中逢二死人一歎 たまやたかよみち我行おほちたら ちたらまちたら金ちり〳〵 見人魂一時歌 たまは見つ主はたれともしらねとも むすひ留てよしたかひのつま 誦二此歌一結二所レ着衣妻一男はたりのしたかひのつま女は右の つまを結ふ此歌吉備公の歌といへり 清話抄 問二夕食一歌 ふけとさやゆふけの神に物とへは 道行人ようらまさにせよ 児女子ノ云持二黄楊櫛一女三人向二三辻一同レ之又年の歳の女 午日同レ之三度誦二此歌一作レ堺ヲ散レ米鳴二櫛歯一三度後境内ニ 来人答為二内人一言語聞推二吉凶一ヲ 欧邏時頃 あし引の山里人のいもかため つゝみしつとは道に落つゝ 一度煩 口伝云在レ左以二左袖一三度撫レ之 在レ右以二右袖一三度撫レ之 一度撫 貝如前 鶴鳴時歌 こみち鳥我かきもとに鳴つなり 人まて聞つゆくたまもあらし 志々虫鳴時歌 しゝ虫はこゝにはなしきそしらはゝか しづかやにゆきてなきたれ 夜行夜途中歌 かたしはやえかせにくりにためるさけ てゑひあしゑひ我しひにけり 清話抄 ○動スレ声ヲ曰レ今ト長スニ言ヲ目レフ詠ト作レ詠テ必ス歌ヲ必ス歌ヲ故ニ言二ヲ吟詠ト也。 ○吟韻会ニ申レレ氣ヲ声とあり文逸楽府ノ註ニ引テ声ヲ声ヲ曰レテ挙ト 又云今猶詠也 ○人声ヲ曰フレ歌ト柯也如ク三テ草木有カ二柯葉一也 ○しきしましきしまの大和万葉に見ゆ日本の総名 のこといふは磯城島の都は欽明天皇の久しく 治めたよひし所なれはめてたき御代を擧ていふなり といへりされと神名式に対馬国敷島ノ神社あり式の 祝詞に教坐嶋の八十島と見え万葉集に日本国者 皇祖の神之御代自敷座の如し一所の名を挙て いふへきにはあらす歌道をわけてしきしまの道と いひならへるも右の祝詞の義に近しやまとうた なといへる語意なるへし為相郷 是のみそひとの国よりつたはらて 神代をうけし敷しまの道 ○二条家冷泉家は定家郷の住所二条通と冷泉通 とへうらおもてなる故也それを二つにして表二条の 方に為家卿有ゐられしより二条家といひ裏の冷泉 の方に為相卿は居られし故冷泉家といふ也冷泉家 は上冷泉下冷泉藤谷殿なり 清話抄 ○古今集伝来は冷泉葛世郷より泰寺経賢堯恵法師 堯孝常縁飯尾宗祇逍遥院殿称名院殿三光院殿 細川二位法郎玄吉八條殿中院殿烏丸殿と傳来して 牡丹花老人背拍へ伝られしを堺伝受と称しそれを 奈良の饅頭屋へ伝しをまんちう屋伝といひしとなり ○和歌三神 住吉大明神 天照太神 玉津嶋明神 天子の三神也 玉津嶋 住吉 人丸 公卿の三神なり 天神 人丸 赤人 地下にて用ゆへおよし 後水尾院の定めさせ給へるとそ ○夢想開はいつ見たる夢にても十一月廿四日夜見たる にして十一月廿五日夢想開の日とすといへり ○和歌曼陀羅 清話抄 慶運 宗祇 頓阿 家持葉平素性猿丸親輔敦忠公忠齋宮敏行宗干清正興風是則小奢能宜 相模 清少納言 住吉玉津嶋 忠岑 赤染衛門 貫之 紫式部 式子内親王 人麻呂 阿佛尼 爲家卿 赤人 和泉式部 躬恒 讃岐 友則 大貮三位 俊成 慈鎮 後京極 北山入道公任逍遥院 定家 家隆 西行 桶名院 三光院 俊成卿女 宮内卿 惠盛伊勢遍昭小町朝忠高光頼基信明源順重之元輔元真仲文忠見中務 浄弁 肖柏 兼好 右和歌の曼荼羅は北村季吟叟所考作也と連歌師逸堂 いへり ○歌を百首そなへてよむ事は源重之家集に東宮 よりめしによりてよめる歌百首あり春廿首夏廿首 秋廿首冬廿首恋十首雑十首是らはしめなり ○脂燭の詩と云事あり寿永二年正月廿五日辛卯天晴 清話抄 召二中将於前一脂燭詩両度令レ作一度は二寸 開山花 未遍春 一度 は五寸 竹間鶯 詩謂声 又読世継言のししへに号好せたまひて あさゆふさふらふ人々にかくし題よませしそくの歌 かなまり打てそのひゝきのうちによめなとさへおほせられ てことあり ○村上天皇の御時にいれもしのおほせことありて上の句 一瀧。といふ文字下の句あわ。といふことをいれさせ給ひて 代々を経て落くる瀧のしら原は ぬける玉とはあわやみるらん つきもせすおちくる瀧のしらいとも むすひしあわやかすもしるらむ ○定家郷密勘に古人時鳥を誤てさとしきすと書操花 をほこら花と書おきたるを後世の人これを見て 名人の書たるほとに子細有へきとて註していはく時鳥 山を出て里なれたるをさとゝきすといひ神社に ある桜をほこら花といふと書たり云々 ○未来記作者前和哥得業生柿本貫躬 黄門定家卿後学未生の心をかゝみてよみ出ていま しめにし給ふ哥也作者柿本資祈と書る事得業生 とは天子より学問寮を給て及弟するを文章得業 清話抄 生といへり和哥得業生と云は無事なり貫躬は貫 之の風かと思へは躬恒か風なり又人丸もあり此心を以て 作者をつくらるゝ也儒者に比して和歌得業生と書 れたり 未来記雨中吟は両巻ともに風体あしくめつらしき ことをはまんとするをいましめ給ふ風体よろしから すの歌ともなり ○三代集古今後撰拾遺古は万葉古今後撰 一拾遺成て後万葉をはふき今いふ三代集順なり 二条家にて千載新勅撰続後撰家三代集といふ ○撰集 萬業集二十巻四千三百十五首 長歌二百五十此内也或説奥五十首或二人部立錯乱不定 平城天皇号奈良天皇一ト御宇左大臣橘ノ諸兄公撰レ之ヲ 私勘右大弁家持同撰之聖武天皇勅云〻 古今集二十巻千百首 醍醐天皇号延喜五年乙丑四月十五日奉詔御 書所紀貫之爲二ノ據奉レ之大内記紀友則前甲斐ノ目凡河内ノ 躬恒右衛門ノ府生壬生ノ忠岑等撰レス之ヲ有序假名ハ貫之真名ハ依テ 紀貫之命紀淑望書之ヲ 清話抄 後撰集二十巻千四百二十首或千三百五十六首 村上天皇ノ天曆五年辛亥十月於二テ梨壺一ニ以二リ蔵人ノ少将伊弁一ヲ為二 和歌所根 元是也 和歌所ノ別當一 元是也 能宣元輔順時文望城等撰レ之梨壺五 人是也 拾遺集二十巻千三百五十一首 一條院ノ長德ノ頃北山ノ大納言公任卿撰レメ之ヲ 或ハ花山ノ院法皇御自撰云〻 一後拾遺集二十巻千二百十八首 白河ノ院ノ應德三年丙寅九月十六日中納言通俊卿撰メ 金葉集十巻六百四十九首又連歌或六百五十四首 天治元年甲辰依テ白河院ノ院ノ綸言ニ俊頼朝臣撰レ之ヲ 詞華集十巻四百九十首 天養元年甲子六月二日依二テ崇德院ノ勅一ニ顯輔撰レス之ヲ 千載集二十巻千二百八十四首又短歌有之 文治三年九月廿日依二ケ後白河ノ院ノ院宣ニ入道俊成卿奏レ之テ之ヲ正暦 以後ノ歌人撰レス之ヲ 新古今集二十巻千九百七十八首 元久二年乙丑三月廿六日依後鳥羽院院宣ニ通具有家定家定家 家隆雅経 建仁元年被レル置二タ和歌所一ヲ開闔源ノ家長寄人ハ藤原ノ 清話抄 明藤原秀能 新勅撰集二十巻千三百七十一首此外短歌四首 貞永元年壬辰十二月二日依二當代ノ酸姫綸言一ニ一。前ノ中納言定家 卿奏レ之ヲ 続後撰集二十巻千三百六十八首 寶治二年七月日奉レテ勅ヲ訖テ建長三年十月廿七日ニ依二テ後嵯峨院ニ 院宣ニ民部卿爲家卿奏レ之ヲ 續古今集二十巻千九百七十二首 文永二年乙丑十二月廿六日依テ後嵯峨ノ院ノ院ノ院宣ニ基ニ基テ為家行家 光俊奏覧之 續拾遺集二十巻千六百首 文永十一年月日依二テ亀山ノ院ノ院宣ニ為氏卿撰レス之ヲ弘安二年 十二月廿七日奏二覧フ之ヲ一ヲ 新後撰集二十巻千九百七十首 正安三年辛丑十一月廿三日依後宇多ノ院ノ院宣ニ為世卿撰 之ヲ嘉元二年十二月十九日奏ス之ヲ 玉葉集二十巻二千八百三首 正和二年癸丑八月日依二ハ伏見ノ院ノ勅一ニ爲夷卿奏レス之ヲ 上古以来十三代外撰之ヲ 續千載集二十巻二千百廿首 清話抄 文保三年巳未四月十九日依二テ後宇多ノ院ノ院宣ニ為世卿撰レ之 續後拾遺集二十巻千三百四十首 元亨三年七月二日奉二テ二綸旨ヲ一爲藤卿撰レ之ヲ而不レ終レ終レ終レ篇ヲ正中 元年薨去ノ之間子息爲定卿相シテ續テ正中二年十二月八日奏二覧 之ヲ一 風雅集二十巻二千二百十首 萩原法皇 花園 院 開御自撰レルヲ之ヲ于時貞和二年丙戌十二月九日被レニ行 竟宴ヲ一之我ナカ朝被レ行二竟宴ヲ一。例新古今ニ元久二年四月被レ行ハ文永 二年続古今ノ竟宴有一ヲ二第三箇度一云〻有レ序法皇清書ノ青 蓮院ノ入道一品親王尊圓 新千載集二十巻 後光嚴院御位ノ之時延文元年六月十日奉レレ之ヲ同四年廿一日 四季ノ部先ツ奏二覧ス之一ヲ爲遠清書爲定卿撰ク之ヲ 新拾遺集二十巻 貞治二年二月廿九日爲明卿奉綸旨撰之ヲ 新後拾遺集二十巻 永和元年六月廿九日丑ノ刻綸旨到来爲遠卿撰ス 新續古今集 永享十年八月廿三日四季奏覧雅世撰ス 清話抄 萬葉集 後撰集 後拾遺集 詞花集 新古今集 大同 文政年迄千十六年 古今集 天暦 八百六十九年 拾遺集 延喜 九百十五年 長徳 八百廿五年 應德 七百三十四年 天養 六百七十六年 元久 六百十五年 天治 六百九十六年 金葉集 文治 六百三十三年 千載集 貞永 五百八十八年 新勅撰集 續後撰集 建長 五百六十九年 続拾遺集 弘安 五百四十一年 玉葉集 正和 五百七年 續後拾遺集 正中 四百九十五年 新千載集 延文 四百六十三年 續古今集 新後撰集 續千載集 風雅集 文永 五百五十六年 嘉元 五百十七年 文保 五百一年 貞和 四百七十四年 新拾遺集 貞治 四百五十六年 新後拾遺集 永和 四百四十五年 新續古今集 永享 三百八十二年 ○短冊は相伝ていふ後光厳院の時分頓阿法師始而作 之云々又云紙幅一寸八分と相究事は持明院殿御幸 之時不破の関屋の板幅に准して一寸八分にさため 給ふとそ云々一書に云短冊は後光厳院より始る 後円融院後小松院稱光院後花園院後土御門院右五 杉原の地 一断同加正親光院奉書雲後陽 代の内は杉原雲也 に雲を打 成院より鳥の子に雲を打是を鳥の子雲といふ雲紙 より已前は白短冊也小短冊は白紙也天神雲といふは 清話抄 北野の連歌の時此紙を遣ふよりして異名也麁末なる 一紙なり天神雲は紙色しからす雲多く地あれ雲のわかれ なき類也飛雲といふは所々雲ある也後土御門院の 時代より短冊に金泥下絵付多きなり素雲短冊を よしとす云々江田氏云短冊の字読日本紀天平二年の 一記短籍とあり何にても紙にて付札するを短冊付ると いふか弘仁式にも短冊の式ありいにしへより有事と見え たり薩戒記にも短冊の図あり甚大小ありと云々又短 冊は頓阿作不破の関屋の板をもてなす冷泉当世郷に 上間是より起れり短冊ノ字江次第に短尺短籍採策 なとなり ○短冊寸法御製震筆の時は幅二寸長一尺一寸八分也 通例は幅一寸八分長一尺一寸八分也但平人は一寸七分にて ほとよし ◯短冊青雲紫雲上下の事青雲を大略上に用 但し草を賞翫して上になす事あり藤の宴萩の 一会又釈教に紫を用事故実也細川玄旨翁説なり ○色紙寸法大色紙竪六寸四分幅五寸六分小色紙竪六寸 幅五寸三分三光院殿御相伝のよし也此寸法は地の三十六禽 天の二十八宿をあはせて竪六寸四分也天の二十八宿をふ 清話抄 たつあはせて幅五寸六分也此外小色紙小短冊はさし たる法なしとそ ◯色紙書やう色の次第は尊国親王の遊されたるは青赤 黄白香赤白黄逍遥院殿右の二様をある方へ尋ね申 されしに入木方の記烏羽玉といふ書に青赤黄白又 晋亦白黄ともに書と有色紙おしやうの初め此末は 色を見合て書なり ○歌袋といふもの玉船集に形 大鷹檀紙 一尺二寸六分 八寸四分 ○ ○ ○ ○ とぢ目三寸四分 折目一寸四分半 夫木為顕 いたつらに鳴や蛙の哥ふくろ をろかなるにもおもひいれはや ○陸奥紙といふは檀紙なり又まゆみの紙ともいふ也 ○墨染桜深草墨染寺 古今かんつけのみねを 清話抄 深草の野辺の桜し心あらは ことゝはかりは墨流にさけ 真渕程に是はなき人を納る野へなれは桜も心 して人の藤衣を着る春には花も墨染にさけと 悲しみの切なる心よりいへり公の轟し給ふは正月 なれとも詞書に深草山に納めてける後にとあれは 二月の末花の咲たりけるを見てよめるなるへし ○西行桜はよし野山西行庵嵐山法輪寺西南にあたり 西行法師此所に住て桜元庵と号す今証菩提院 是なり此わたりの田を西行田といふ宗祇法師此辺に 住し由磧礫集に出せりまた金玉山双林寺西行庵西 行桜又小幡山勝持寺堂の左右西行さくら山上に西行 庵あり又竹田の里西行寺西行楼 ○えそ桜は新後撰定家 えそ過ぬこれや鈴鹿の関ならん ふりすてかたき花の陰かな ○名を付るは紫式部といふ名に二説あり一には源氏 物語薫の巻を深作りし故此名を得たりといふ一つには 一条院の御母の子也上東門院に奉らしめ給ふとて吉か ゆかりのもの也あはれと思し召せとのたまひけるよりの 清話抄 名といふ武蔵野の義なり ○上東門院の御方楽琴をよくひく人の今参りしたり けり紫式部をめして此女房の琴よくひくに夫にはな れぬ名を付よと有けれはいはこすと付たり ○沙石集にある上人子をもてり三口の腹也はしめはまめ やかに忍ひたる事にて疑ありけれはその子の名をおもひ よらすとつく次の腹のをはをり〳〵忍ひて我房にも通ひ けれは疑ひ薄くして名をさもあらんとつけたり其次のは うちはへて我房に置けれはうたかひなくて名を子細なし とつけにけり ○干菓子の松風は唐にて犬皮といふとそ名いやしとて ある貴人の松風こと呼ひしなりうらかさひしといふ心也 砂糖 落雁は春はさたうの帰るといふ心なり 沙頭 つくをしらぬ ○牡丹餅春は牡丹餅夏は夜舟い といふこゝろ 秋は萩 つきいらぬ 冬は北窓 といふ心 春秋は見立にて付し也 ○続日本記大宝三年ノ下に衣縫造孔子といふ名あり 慶雲元年下に文忌寸釈加養老五年ノ下に我閉連阿弥 陀あり此後かへうの名を禁せらるゝ事も同記に 見ゆ ○曽丹は丹後椽也始は曽丹後椽と号す其後は曽丹後 清話抄 末には曽丹と号す此時好忠歎之いつソタといはれん すらむ云々 ○百人一首のよみくせ百人一首と四字をあらはしてよむ へからす一の字を人の字の下にふくみてよう聞えぬる やうによむが習なり 天智にごりてよむ持説二字ともにすみてよむ 多けれども喜撰ばかりは 法師 法師とつめてよむ 山辺 陽成院やうぜいとよむ海もあり丸の字いづれも麿とよむ 在原原の字みなはらすむ 貞信公 文屋室の字屋は俗字なり 赤染衛門 権中納言 壬生名所の時はにごる 行尊 行尊坂上さかのへとよむべし あまのかぐ山崇徳院しゆとくとよむべからず 筑波根 筑波根深養父ようとよむべし 有明の月をまちけるかなとは文室朝康 いでつるかな よまず 祐子内親王家紀伊 ひとりかもねん ひとりかもねんひとりかもねん とかもを上へつけて 家の紀伊きとはかりよむべし よむこゝろ ちゝに物こそちゝすみてよむ 人にしられで 人しらずこそ おもひそめしか かの字すむ 人目よくらん 滝川 清話抄 かたみに袖をしほりつゝあふ事のたへてしなく しの字上へつけてよむ いぶきとよむ えやはいふき べからず いつこも同し秋の夕くれ いつくとよむへからす 逢ひ見ての後の心にくらふれは昔はものを小倉 色紙にはむかしはものもと有百首のうち五箇の秘と いへるは人丸喜撰仲丸忠岑定家 ○古今の序やまとうたはやまアとうたはとすこし引心持 によむへし開合やまをさげてとをあけてうたとさげ てよむ調子の習なり但やまアと引て用ぬ伝もあり ○したてる姫はすみ○そとほり姫はにごる麓のちりひち よりなりてを〇ちりいちとよむ〇かゝゑ今すへらき君の すめらきとよむ◯伊勢物語に浅ふのかみとあるは ○ようのかみとよむ○松しまやをじますむ松しまにつゞけ ぬ時のをじまはにごる○百しぎすむ◯わたづうみ○わたづみ と書とも五字によむべし○ことりづかひにごる○天磐様梓 一舟にごる○新島守すむ○むかしべにごる○岩。垣すむ○秋の 色鳥にごる〇すぐろの薄にごる○すゝめ色。時〇いちしるき 〇こま。がへる草○深草ふり。さとよむべし○。太政大臣とよむ 〇千首の和歌などいふ時はにごりてよむ○読後撰読拾遺 などの読の字いづれにても○しよくとよむ○宇治の橋。姫 清話抄 にごる○横。川すむ○藤。川にごる其外皆にごる○朝妻舟 にごる○大荒木杜若紫の摺衣すむ○ひたやごもり○雨 そほぶる○舌どき○ひこばえ○蝉のもろ。こゑ○鶴のもろ 声すみてよむ〇いせ物語しほ。しりすみてよむ○しもつうさ の国○後涼殿○色。このみすむ○わらうだ○めかれせぬ○はゞ なん青きこけをきざんできざみてとよむべからず○女をは まかでさせてまかんはねべし○なにのよき事とおもひて なんのとはねべし○朱雀院亭子院とよむ○正一位神社にて は正の字すみてよむ人倫の上には。正にごる〇何かしの男 とあるをむすことよむへし○女官をにようくわん○陰陽師 おんみやうし○脣の字はりやく○晴の字諱の時ははれと よむ○信の字公家にてさねといひ武家にてのぶとよむ 哥仙の信明もさねあきら也○朝の字武家にてとも公家 にてあさ○帥の字なんのそちととなふへし○別当べとう ○文殿○修理○勘解由小路○勧修寺○仙洞といふ二字に 様を付てとなふる事あるましき也公家衆の前にても 憚りなく仙洞とはかりいふへきよし資慶卿は仰られぬ ○白王太后宮大夫を后宮と引へからす○納言二字はかりの 時はなふごんととなふへし○桜狩朝持夕狩皆にごる○妹 許はすむ也○五十鈴。川天の橋。立すむ也○いほ。さき○妹賀 清話抄 じま○緒だえの橋○有渡。浜すむ也○くらふ山只ではすむ くらぶる事にいひかけたるはにごる○浅沢小野とよみたるは にごる只は浅沢すむ○うへ人などもなどゝ有ときは何れも なんとゝはねる○十二日なとはとをあまり二日〇三位のくらゐ みつのくらゐ○くわん座の御座と書たるをくわざとよみて はねぬ也○御の字おほん御前おまへ○ひだりのつかさひだん のつかさ○舎衛国をさゑこく○娑婆世界をさはせかい 〇修行をすぎやう○数珠をずゝ ○清厳話に歌の好につけてあまたあり茶の数寄にも 品々あり先茶数寄といふは茶の具を奇麗にして 建盞天目盆釜水指なと色々茶の具心およふ程たし なみ持たる人は茶すき也是を歌にていはゞ硯文台短 冊懐紙なとうつくしくたしなみ何時も一続なとよむ会 所なとしかるへき人は茶すきの類なり又茶のみといふ ものは別して茶の具をはいはすいつくにも十服茶なとを よくのみて宇治ならは三番の茶也時分は三月一日わたり にしたる茶也とのみ梅の尾にては是はとはたの菌とも是 はきま〳〵のえんとものみしるやうに能々其所の茶に 前の山名の金吾なとやうに呑知るを茶飲とはいふ也 是を歌にては哥の善悪を弁詞の用捨を存し心の 清話抄 邪正を明かにさとり人の哥をも能高下を見分なと せんはいかさまにも歌の艶脳にとほりてさとりしれると 心得へし是を茶呑のたくひにすへし扨茶くらひといふは 大茶碗にていくつにても茶とたにいへは呑ゐて更に茶 の善悪をも知らす相ほくのみ居たるは茶くらひ也是を 哥にては詞の用捨もなく心の善悪をもいはす下手 ともましはり上手にもましはりていかほともなくよむ事を 好みてよみゐたるを茶くらひのたくひなり此三つの 数寄はいつれにても一の類にてたにあれは座に つらなるなり智藩は我は茶くらひの衆也と申侍り ○年山紀聞に和歌に闕字 宣胤卿日記永正四年閏十月一日。云自二濃州左衛門督基普 一状到来先日返事也有歌 心ある君にとはれて三とせふる あつまの旅のうさもわすれ都 彼状ニ云歌閣孚平出ノ事近代不見及候公宴なとにも 無其儀候歟但京極黄門建仁元年之度峰月照松と 云題にて さしの本類 君を千とせと見山より 清話抄 清話抄七十四 松をそ月の色に出ける とかゝれ候此外不見の御所見の事候はゝ承度ゟ此 一歌黄門自筆ノ懐氏の先年於二此金吾ノ許一一見シ了誠に公宴 可レ有二故実一歟平出まては厳重之事也 ○和長卿日記云凡タ儒中ノ故実者天子之追号後ノ字用二音 一読一ヲ大臣称号之時後ノ字用二訓読一是通法之故実也 後深草院ノ一号は後ノ字用二訓読一云々其様御不孝之読 不二聞テ好一ヲ好一ヲ一之義也又大内後京極殿之一号人皆 後ノ字用レレ音歟是無二殊事一只以二言好一言好一ヲ之義也故自由之読 玉かつまにいふ悪管抄に 後の京極殿とのゝ字を 也何後の京極殿可レ申ス事有二ニ其煩一哉 添て けり ○歌の聞やう 契冲師か書おこせたる物にいはく赤染衛門家集に 人の桜の枝のおほきなるを折ておこせたる時 わかためにをれる心はうれしくて 花をしますと見ゆる枝かな つれ〳〵前の程にはてはおほきなる枝を折といふ所に 此歌を引る心は上下の句の心を別に見てちいさき 枝をこゝろさゝはうれしくて心あるほとも見えんを大き なるを折れるは情なしと也打きゝてはさも聞ゆれと 一案するにいかて歟向ふさまにこゝろさせる人を情なしと いはんをれるこゝろのうれしきはといふに同しく見る へきかわかために花を惜む心ならはいとちいさきを こそ折へきにかゝる枝を折てこゝろさせるは惜むへき花を さへ惜ますと見えてうれしきとなり ○舎人親王六帖にとねりのわうし ますらをや片恋せんとなけゝとも おにのますらをなほ恋にけり 楽くあれは舎人の二字ふるくはとねりとよめり後の 人是を考へすしていへひとともやとゝもよむは推量也一 又六帖に拠としもなくて推あてにとねりとよむ人 あれはそれを笑ひてとぬかは卑賤の称なりさよむ へからすと申めり其頃の名に門部王牛飼馬飼と いふ名さへ見えたり ○古今集真名序にすなはち大友黒主とかけり和歌 の作者に大伴黒主とかけるは伝写の人誤なり大伴 は別なり ○六百番歌合頭昭の 一鯨とるかしこき海の底まても 君たにすまは波ちしのかん 清話抄 とよめるを俊成卿判詞に万葉にそ有やうに 覚侍れとさやうの狂歌体の哥とも多く侍る 中に侍るに侍るとおそろしく聞ゆ ○藤原実方奥州に下りし事今昔物語古事談十 一訓抄に出たり俗説に落馬して死せり其霊都を 恋て雀となりて台盤所の飯を喰しといへり ○新古今 冬枯の森の木の葉の霜のうへに 落たる肉の影のさやけさ 清輔の歌なり水晶を瑠璃のつほのうへに見るやうなり 手をつけかたき歌なりと常縁称美せらる ○俗説に壱岐守紀良貞といふ者住吉浦に遊ひいつく のものとも知らざる女に逢て別るゝ時又来る年 の今日にあたらむ日此所にて逢はんと契りしかは 良貞かの浦に出て侍けれとも女は見えすして 砂の上に飛る蛙の跡を見れは 住吉の浦の見るめもわすれねは かりにも人にまたとはれぬる といふ歌なり良貞此哥を見てさては過にし年の 女は此蛙の化したるにこそと驚き帰るといふ 清話抄 是のみにあらす鶯のさへつりける哥に 初はるのあしたことには来つれとも あはてそかへるもとのすみかに ○をし鳥女に化してよめる歌に 日くるれはさそひしものをあそ沼の まこもかくれのひとりねそうき ○牛のよたれを落せるかおのつから歌となりたるは 草も木も佛になるときくときは 心ある身のたのもしきかな ○俗説に真雅阿闍梨は空海の弟子なり在原業平少年 にして曼陀羅丸といひし時これを恋て おもひ出るときはの山のいはつゝし いはねはこ所あれ恋しきものを 今昔物語十訓抄には藤原時平国経の書をうはひ けるに国経なけきけれとも世の聞えをはゝかりてよ める哥なり古今集恋よみ人しらすと出る ○俗説に志賀寺の上人幣伽京極の御息所を見て 客色にまよひ彼御所にいたり庭にたゝすみしに 御息所是をあはれみ髪簾のうちより手を出し 給ふに上人とりつきて 清話抄 初は西のはつねのけふの玉はゝき 手にとるからにゆらく玉のを とよめり万葉二十大伴家持の歌なり 頼 親都より菖蒲といふはした者 ○沙石集に鎌倉右大将家懶都より菖蒲といふはした者 ○沙石集に鎌倉右大将家 美人なりけるを召下し隠し置れけるを梶原三郎兵衛尉 景茂なり 景時か三男 所望して見たりけれは同しよはひの十七八はかり なる女房の美なるを十人装束させならへ置れて此 うちに菖蒲を見しりたらは賜るへしと仰られけれは見 わきかたくて まこも草あさかの沼にしけりあひて いつれあやめとひきそわつらふ といひたりけるとき菖蒲顔をあかめて袖をひきつく ろひけるを見てあれこそと申てやかてたまはりける砂 集は梶原景時か末子 無住法師か作なり ○俗説に西行法師江口の遊女か方に立より宿をかりしに 遊女後に普賢菩薩とあらはれ白象に乗て飛さると いふ撰集抄 西行 作 に書写の性空上人法華経の功によりて 六根清浄にかなひけれとも生身の普賢を拝み奉らさる ことを恨みいのり給ひしに七日の暁天童来りて空の 遊女長者を拝めそれこ所生身の普賢菩薩なれと 清話抄 こゝにいふは周防の しめし給ふにより室にゆきは 長者かもとに くにの室なり いたりたまひ男長者出あひ酌をとりて上人に酒を すゝめて周防のみたらしの沢辺に風の音つれ天と うたへは並ゐたる遊女とも同音にさゝらなみたつやれ とうたひはやしぬ上人目をふさき心をすまし給ふに 彼遊女普賢のかたちに現し六身の白象にのり眉間 より光をはなちて道俗男女をてらし微妙の音声を 出して実相無漏の大海に五塵六欲の風は吹ねと老 随縁真如の波のたゝぬときなしと唱ふ上人感涙おさへ 楽たくして眼をひらきて見れはもとの女医にてみたらし のことはをうたふ眼をとつれは菩薩のかたちにて法問を のへ給ふとあり謡には西行にて江口の槌女をとり あはせたり哥は新古今集天王寺にまかりて侍り 遣るににはかに南のふりけれは江口にやとをかりけるに かし侍らさりけれは 世の中をいとふまてこそかたからめ かりのやとりををしむきみ楽な 西行 返し よをいとふ人としきけはかりの宿に 遊女妙 こゝろとむなとおもふはかりそ 清話抄八十 ○越後守顕時の女如大美濃国松見寺の老尼に附居 たり八月十五夜月あきらかにして雲なし如大谷に 下り水を汲みけるに桶の底ぬけて水みなつきけれ 俗に千代 は忽然として大悟し和歌を詠す 能といへり とにかくにたくみし桶のそこぬけて 水たまらねは月もやとらす ○万葉集戯書 万葉八 あさとあけてものおもふときにしらつゆの おけるあさはぎみえ喚鶏もとな 鶏を呼ふに今とゝといふいにしへはつゝとやいひけん 同九長歌 こひはまされといろに山上復有山ば 出の字のかたちなり 同十一 一みやきひくいづみの追馬喚犬にたつたみの やむときもなくこひわたるかも つゝに喚鶏とかける類にて今物を追ふにしゝといふことく 昔馬を追ふにそといひ犬を呼ふにまといへるなるへし 犬馬鏡は是を略せるなり はふりらかいはふみむろの犬馬鏡 かけてしぬひつあふひとことに 同十二 たらちねのはゝかかふこのまゆこもり 一馬ハ声蜂音石花蜘蠣あるかいもにあはすて 馬声蜂音は牛鳴をむの假名に出ることし 同十二 一あるときの目不酔草とこれをたに みつゝいましてわれをしぬはせ うらうへに戯書るなり 同二 しめゆひてわがさだめ義之すみのえの はまのこまつはのちもわがまつ よのなかはつねかくのみかむすひ大王 しらたまのをのたゆらくおもへは 義之は羲之の誤なり大王と書るを合せ見るに から国の羲之は手師といふことそさて羲之を大王 といひ其子献之を小王といへることあれはこの 大王も同し意なりと略解にいへり かくしてやなほやなりな牛鳴おほあらきの うきたのもりのしめならなくに ○春まうくへき糧なかりけれは定家卿のもとへ 暁月か師走のはてのそら印地 としうちこさん石ひとつたへ 暁月坊 定家卿返し 定家かちからのほとを見せんとて 清話抄 石をふたつにわりてこそやれ 五斗をおくられけるとそ ○草菴集に兼好かもとよりよねたまへせにもほし といふことをくつかふりにおきて ○夜もすゝし。 ○ねさめのかりほ○よねたまへ せにもほし ○たまくらも。せにもほし 〇まそても秋に〇 〇へたてなきかせ。 頓断返し ○夜もうし○ ○ねたしわかせこ。よねはなし ○はてはこす。せにすこし ○なほさりにたに。 ○しはしとひませ○ とかきてあしすこしはかりおくりしとなん 清話抄 ○池田朝臣と大神朝臣の哥は朋友の中らひ疎からす 相むつみ和して魚と水との心はへよりいへるなり 一京月に毛のむく〳〵とはえよかしの哥は自のうへ を卑下したるなり身は老ぬの哥は忠の心あり おほかたの秋のねさめの歌は不忠なりといへり 過ぬるをうらみなはてその哥は仁にてこのさそ 尓の歌は不仁といへりいかなれは龍田姫をはの 一哥を俗言俗態と申されしは法令をとがむるな らん広田社哥合の判の詞は神を尊み俊成卿 の住吉に参籠し給ふは神をたふとみ仏の道を取 守れるなり元住法師の陀羅尼西行法師の陀羅尼西行法師の陀羅尼西行法師の 禅定の修行恵心僧都の観念の助縁など哥の たふとき事をいへりをさなき人の智をあらはす は本帳の頼悟なるなり雲井のたつの哥に半句 之非言誤損二平生之徳一のいましめなり春は三十日 やはあるといへるも口は禍の門なるへし大江山 いくのゝ道の歌は人の疑惑を覚し遊女白女と 伊勢の夫は一首に徳をえたりといふへしあふさかは はてはゆきゝのゝ哥にて人の賢愚を心み給へ等子 京月の師走のはてのそら印地とよみ兼好は夜 清話抄 も涼しねさめのかりほとよめるに清貧の心そ しらるゝある人のいへらく哥に廿五徳あり其 一中に不レ詣叶二神慮不行到二佛位一不払無二悪念一 一不レ禁追二鬼神一不往見二名所一不潔除二災難一不貴交一 一高官一なといへりされは歌はおほん神々のみこしろ 一にもかなひ聖賢の文にも同しう仏のをしへにま たかはす世の掟にそむける事なし人ことにひと 都のくせはあるものをと慈鎮和尚もよみ給へれ は人と生れてはもてあそひくさのあらんやは同し もてあそひとするわざならは善の道にいりそ むること哥にまさるものあらしされはものゝ 心もいまたしら糸のわらはへにはこの道に そまんことをひたすらすゝむるにとてこそ 清話抄巻之下畢 清話抄 八十五尾 浅茅庵蔵板 清話抄後編嗣出 文政三庚辰夏癸亥 弘所書林 京都堀川佛光寺下ル 植村藤右衞門 大坂心斎橋安堂寺町 秋田屋太右衞門 江戸小傳馬町三丁目 蔦屋重三郎 同浅草新寺町 和泉屋庄次郎 一、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、〇〇