蟻息
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- 楠肇
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蟻息
22928
『荒井恭姫氏!詩附集を
以テ購入セル竹聞博士
狩野亭吉氏旧蔵書
叙
狩野氏図書記
古語曰、人君制法当随時代々異而変易其取則
其成功大、若居奉行古、猶腰柱石調整也と鳴字
誡るゝかな言也、それ五常五倫は人道の大木にして
たとへは琴瑟の成器のことし国法例或は猶琴柱の
如し時に応して音しらへし置所を改むべけれは也故々
天下を知り一国一郡の主と生出し人を羨ふはあるかち
其身栄利の為には非ず、人君の位に在れは法を制し、其
時代の異る様子に随ひ、政事例式を変易する事、琴
一彗を音しゝべして柱の霊所を心のまゝに立替ゆる如く
万民の疾苦を除き成功を立る事自由なるを以て也、
若此御心なく、高貴の名のみにて、楽々と生涯を過き
玉ふは、高貴に生れ出て玉ふ甲斐少しこいふへし、いかんと
なれは高住貴人に生れしとて盥にて飯の喰はるゝにも
あらす、命か二百三百歳までなからへるにもあらす、只隙な
るまゝに栄曜快楽にのみ光陰を費し成功を立て、明
君と仰かれ誉を後代に伝ふる事もなき時はに惜し
いかれは諺にいふ宝ノ山に登りて手を空しくして帰る
にひとし、高位に昇りし誰なしといふへし、夫天下は一人の
天下にあらす、天下は天下の天候の国の治乱は君の明関に
依るとかや、こゝを以て舜帝の大知すら、己を捨てゝ、人に
従ひ問ふ事を好み玉ひて蒭蕘のいふ事を聞上て、
き事はとりまひ尓言みがてん行やすきことゝいへ共深
く是を考へ察し玉ひしとぞ、又商王は貴賤にかゝは
らす惣て善言を聞てはこれを拝し玉へりとかや其他和
従とも明君賢臣は必下の言をも聴用ゆ皆是此事に
心を尽し給ふか故也、予や人間に謫せられ、且鹿人と生れ
来ぬれは何をいわ人も所謂様の下の力持にひとしけれど
年月思ひ貯へし事共、云はで止みなんも、余りに本意なき
業なれば此頃ひまなる折〳〵心に思ひ浮ふまゝそこは
かとなく乱り筆にまかせぬ、嘸々も身の程に応せぬ、よしなき
業と嘲り笑ふ人もあらんかし我もよしなき好事の玉と
かねては思ひわきまへぬれど、太平の御代に生れ、不耕不織へ
ゆたかに生涯を過き何一後代に益となる事もおくて鳥獣草
木に同しく牢く朽果てんも、口惜しき事なれはせめては、
国恩万分一の報義にもなるへきやと聊す忠を存する心
也、されは此書に綴りぬる所必しも悉く紫是なるにもあらび、
且時に合さる事も多有へし。其是非は見玉ふ人の欅にあり。
愚者も千慮の一得ありといふ事なれは此中百に一も尤と思ひ
して取用玉ふ事あらは是圧しが幸にして実蟻息通天
の諺にひとしからめと即ち城息と題する事然り、
文化戊辰の秋加賀金沢楠肇議
國
蟻息
造営の巻
総論
夫レ家を造るに三大西めあり、第一火難を防く造り方、第二、
には地震に破壊せさる組方、第三には石礎を堅む、是也、世
人只常良材をゑらび間囲を議し彫刻画壁等に巧を尽
すといへとも火難の防備とては僅に火防の札を張る計にして貸
に火難地震の備ゝ永久の法に心を用る事稀なるに似たり、
是たとへは人の容貌を治ひ衣服を飾るに心を用ゐるに心を用ゆへ
生に疎なるか如し、こさかしき人はいはん、火震地震は天然時節
一
到来なり、人力の及ふ所にあらすと笑ふへし、若然らは何程祭
養を尽すも死する時に死するとて薬餌療法は無用の物
とせんや都て天命は免るべからすといへ共人智を尽す時ふ
亦久しく保つの理あるをや。古人曰陽気所藤金石前誠に
人情一至何事不成と、誠に人は万物の霊たれは、土夫をたに
尽さは成らさる事のあるへきや、去りなから山阜の高低も川
谷の逆曲のこときは是天地自然の形象なれは如何ともすへあらす
それすら山を斫り通し、渋を埋めて平原とし水を高きに配り
洋池を堀開き川流を易へ疏し或ハ兵庫の浦に島峠を
築きおせるがこときは、是人智の天吉勝つともいふべし、況や
尋常城邑家宅の如きいもとより、人力のする所なれは、智
あせたに究むるならは、いかなる事もならさるはあらし、上古は冬は
字に居夏は樹上に巣を果て申しもいつしか四壁の家を土夫し
茅茨不剪のぬま葺も板屋となり桧皮こけらとなり、瓦葺
となり、世に鳶に従ひ、人の智慧かたく成りて、永久の謀をなし
おせり就中只火を防くの法等いまた窓工夫を用る事
あらさるに似たり、是一火欠事はいふへし、予此事を思ふ余り
時々見聞にまりせ益となるへき事とも書綴り侍りぬ
造営の巻附附火の法
一低聞阿蘭院国等の家制は皆三和土塗にしていつれも二
一階三階の造りにて尤内外よりぬり候ため、磨立てし故当然と
一光洋ありて闇夜といふとも影の悲応するか如しとかやたま〳〵
若し過ちて火を失しても玉はより四方の柱梁等塗上りかためし故
火のつくへきやうなく只わつかに其后間の内にある衣類舂物
等の焼失する迄にて二層の火事は下に障らす下の火事は二層に
至らす此方のことく連屋あまた類焼する事は絶えてなしと
かや誠に彼国は万国に渡海通商して普く世界を歴観す
る故自人の智慧もすくれ工夫に精妙なる事他邦に起
絶わり今其一二を挙りていまんへ往古は時を計るに宿物に水を
たゝへ其下に小さき火をあけ水のしたゝり酒さ様にしりけ番
の中に刻ある木を立置きは水の滅する寸尺を以て時を知り
しこそ是を酒割つゝ名つけたり。然るに中古彼国より、時計
といふ物をわたし四季の長短に従ひこれをかくれは自然に
時を告けて寝乗らこれを知る或は算木にかふるに関落
盤の健経なるをこしらへ天秤に代専に鋳匣の常用に
便宜専、いはれも彼国よりわたしける迄聞く或ハリエクトフロウス
とて空中を風にて航る船或は千里を見る測遠鏡、呑を
大栗程に見る微塵鏡に或は万人車とて重きを軽く自
由にあくる奇或は近年渡せし尽きんもて人の身中なる邪態
の気を吸取る妙益其外天文地理之学に詳しき事はいふも
更三外科治療等の事に至りても其術の精密なる事世人
皆知る処にして一として奇ならさるはなし故に巧に於ては宇宙
第一とも謂つへし、かくいすゞ偏執なる人は何そ異国のする所を
深く称せんやと四馬り玉ふもあらんか、左にあらす惣して世用万物
の事世界の間、夫々の国々よりて長する処あり、強ち工夫知
薫のみに限らす物産に於ても又しかり、たとへは仏法は天竺より
伝はり儒道は唐より伝へ、人参は朝鮮の産物すくれ、日本
の漆は万国の最上といふことく岩相在候各長する所あるは
是天地自然之風土といふへし故に君子は其短を揚て其長を
取るといへりされは彼国礼義辞譲之道は如何なるや知らさ
れとも家居番物の制造に於てハ其理の至極を究めたれバ
実に天地間無比類とか中、日本開闢以来神代之事はいざ
しらすといへともいつれにも小国にして西土などゝは遥におそく夫
算開けし国と覚ゆ、唐土は三里五帝の後、夏殷周と天下も
革命して凡二年余を経て周平王東遷の後魯国十五代の
主隠公元年は日本雑華不葺合尊の時に当れり、其頃は
いまた今のことき文字もわたらす其後神武天皇より九百四十
五年を経て漸く応神天皇の御代もろこしより経典等を渡し
初めて漢字を見し由にされは其他の家居寄財の事なとも是に往十
して惣ひやらるゝ也即今も八丈島の沖には無人島とて土地は
ありなからいまた人の住まさる所も有よし又坂夷地は人住むと
いへともいまだ文字もわたらす家居もほりこみ柱寝からげにて其外
万端不調なる事のみ多くして文華開けさる国もあるなれば天
地ひらけしより文算の行届かだに遅速はある事と知れたり
即蝦夷は言語の異は勿論なれとも元来日本とは物の名目甚た少々
たさへは尊敬する事をカモイといふ松に天もカモイ・日月もカモイ
神仏もカモイ、目上の領主等もすべてカモイと称ふるよし其外品は
別にして名は同様々呼ふ事多きよし只酒と、たばこなどは坂芙
も日本と同しけなへ也とぞ是元未坂実になき物なりしき日本より
一渡し是はさけいふ物是はたはこと名を遣しへける故日本と同しとなへ二
是によりて返召上古は日本も療治の方もなく人身の脉といふ事
もしらす腹の中にある物はすへてはらわたと計覚しを中古広
より堅制をわたし、五臓之石を示し、是は肺、是は腎に是は脾
胃などゝいひ教へてより初て名を知りたる事故是等の文字に
一和訓之となへなく皆今以て脈の字をも肺賢脾胃の字をも漢
音にてとなへ来れるはやはり彼。坂実の酒やたばこの日本と同唱な
るか如し、其他珊瑚琥珀馬脳水晶子王の類も昔は日本人は名も
なくわかち知らさりしを是は琥珀是は水晶と教へ示したる故冬も
音にて呼に迄して和訓のよしは無之也、又孝悌礼義等の名に或
は天文星宿の名等も和訓のよみなくして漢音にて名をよぶ類は
之分潰土之人にをしへられて初て名を知りたる証拠なり又西土に
て峯山領挙などゝ字もかはり、音も別にて音義差別ある事
なるを日本にては三字ともにみ子と同じ和訓によび或は視観察し
膽臓脇晩、見子ど七字ともに差別ありて字音もかはりたるを和訓
にては七字共々みるとよぶの類皆是日本には元来物の名目之言
業多き故なるへし橘石見介が東遊記にも奥州之内いまだ
文字なくして暦日を示すに絵をかきて遣しへせとす図を著せり
是日本も其昔西南之方は西土に近くして人も度と行通は見知
り聞知り漸々文華ひうけぬれど東北の末は道遠くして自然と
諸事おそく行わたれる也中古座代十道の制に倣つて道の内
に州をわけ州の内に廊をわけ郡之内に県をわける法を以て日本を
一五畿七道に分ちたりたとへは東海道何ヶ国北陸道何ヶ国はわけ、国
の内に何郡と定め玉ふ然るに鼻妙一国々は五十四郡を分られたり余
国之婆にては十余妙にも分らさへき若等を如此一円に大なるはおも
ふに其頃はいまた奥州之土人交地の風俗多くして王化行渡らざる
所々多きが故国名を別々建へき程の事もなく依之是より末は
陸奥と惣ぐゝりに見やりて置玉へるも覚えたり然るに其後次
第に徳化盛に行わたり今や昌平之御代海図の党生に至るはし
玉治之徳沢にもるゝ事なく文華大にひらけ四海八荒帆臾の奥
なる島々迄も年ふるに従ひ次第に勝国之風化を仰き靡き徒
ふが故に昔の蝦夷之風俗も水は遥に人智かしこくなりたるよし別
して近年は公儀より銭を渡し支易する事を教へ玉ふゆへば以前
は水半分まじりの酒を茶碗に一杯遣して一日雇ひおくれ〳〵と云
へば甚だ出精せしに今ハシヤモタカラをいくせとて銭壱弐百文を取
一日本人をシヤモ
よし也
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
銭をタカラと云
如此近年別してかたくなりたれば此後又数百年
を経たらん世は定めて梅黄も八棟作り二階三階の家をたて川戸
築地を構へ式谷玄関取次の座候所板の何枚目を論し様の字
の書き様にて喜恕をふくに或は数奇屋囲に人々の物ぬき善
美を尽し日本ノ下水こぼし生水さレとし古き唾壺を茶入レ秘
蔵とからさけ、錬飾などは下臈の業に片付悠々寛々と人品
をつくろひ哥や達歌で世をわたに風俗とも成るならん”西土と
ても上古は穴にすみ木の業を着し縄を結ひて心覚とし汗尊
抔飲とて棒もなくて手にてすくふて飲食せしを年々ふるに従ひ
家造衣類をこしらへ文剤を出し諸事萬物段々全く備りしは
一是中々一聖人一明君の力の及ふ所々あらす数千年之間数聖
人数万の賢人人君子の出て心力知巧を重ね来て如此成就せし
事也、ささによつてからもやまとも年に限るに従ひ、四方国々の
事共見るにつけ聞くにつけ自然に人の知慧かしこくなり工夫も
出来る事也日本も常なるにしたかひ、文華ひらけ・別して御当代に至り
ては干戈の事記えて詳々太平の徳化日々月々に隆盛にして学事文物
既に大にひろまれりそが中にも京据東式の三都は弥盛にして人傑
良工並起り不産新製之品々知を尽し巧を究め逐時に出来せり
就中江戸は敦賀間山なくして東海之浜に臨める地なるを以て風
景常に烈しき故やかもすれは火災あり易しこゝを以て搗菜の献
所猥にも書扣有之ことくぼりぬき井戸を多く堀らせて水蘭
を洩し風景を抑へしめ或は近手公儀よりも命令を下して町家
に多なく土蔵造り盗屋を建てしむ是によりて頻る火を止むたの
便りもなりし事政談にも不め置けり去りなから東武は海浜に
追々泥河の地なるゆへ金体土力もちえして塗屋も火乗入り易し
とぞ是に比へては余国の山高く連り迫りし地はニ声つから風景も
さるみ烈しおりて火災も江戸の如くには多分さるべし且山野に於て
土のねばり強きをゑらみてこれを以て、しかくひ塗屋を造さならは
必数百年永久の基をなし候へし
一永久不焼み法は三和土塗土にするにししはなし去ながら今の塗
一屋の造り方は多分団華年薄き仕方にして外のみを防くのみにて
内の防しつらひに疎く剰へ鳥老の土蔵の格に建るゆへ不便利
なる事あり是いまた建方に土夫を尽さゝる歟或は世をはゝなる
の意ある類なるへし或は金銀費用のたきをいとふもあるへし
貧賤の人は是非なし中人以上よりは実に心に望む所の性根強
からんには、なは間成らさる事のあるへき其好む処にいたりては僅に
四畳半の囲壱間にも過分の金銭を費すもあり茶碗水さしの
いと古く年経ぬるに見所の好に応すれは千金を惜ます買貯
ふる人もあり或は世上人口を共ゞかるといはゞ、女毛淫楽に耽りては
千金を擲して惜む事なく世の誹り人口も聊心にかけはこそ鹿
を逐ふ猟師山を見すといふことく向ふ計に目をつけて溺れ
はまりて楽むもあり皆是己か好む所強きゆへ金銭の費も
世の評判も事共めさる也されは右いふ所の塗屋作りは其家のみか
近々取ては近隣のため遠くは世間の将且国土の益となる永久
の善事なれは、なんそ世間に気をすぬ泥む事のあらんそれ良村
をゑらみ物好き異麗を尽せしも一旦火に罹りては須臾に灰
燈となり或は急遽狼狽に迫りぬれは家に傳ふる所の大地の書
きまも彼の千金に買得し茶碗等も顧る間もなく希
辛〳〵遁出つる朝にいたりては累世の動一を伝末の品宝
一瞬の間に烏有となり猾之事惜むへきはいふに及生す天地
国上の費にして第一先祖父母への子孝に尚さなり。併時医天数
至る時は其災防く可らすもいへ共先祖代々の孝を思ひな永
久に子抔をおもふ上は物好は成たけ止めて只火災地震之事
に念を入たへし然るに小胸なる人は心に尤と思ひても決断の気
象なく先ツ人並世間並に仍蓄がよろし火事は前一百年目も片
付て路心にかけざる也是心にかけざるにはあらされ共火事は先なき
事と私心に定むる故也吹呼愚なる哉もし三年の内には必火
災あるへしといふ事知れてあらは普請造作に取かゝる事はあらし
若しくは二十年三十年の後には必定火災ありてかきしといふ事
前知する事あらはいかなる人も無益の物好は措いて塗屋
作りにするなるへし予世間を歴観するに稀には五十年百年
無事なるもありといへ共多くは云五十年を過ず或は時として
は数々火災あるも歴然されは前輩の覆にを見て後東は其
心得をなし度事ならすや是尋常の人の知る所々あらす英
一雄豪傑大智の人ありて大仁太勇の心を胸中にすゑ世間並
人並などの瑣々たる小事に泥ます天下後世普く世に益ある
善事の基をしらしむる手本に我より古を為し初めんといふ
兼島卯は寛に永久不易の造法知工も自ら調ひて名を
万代にあけ玉ふへきなり必しも天道次第と遁辞をいふ事
おかれ
一、しかくい塗屋の法阿蘭陀のことし国中のこらす字々に精
工を尽す事は急々なまへきにあらすといへはせめては先其品の
城内及城下の邸宅大禄の人々は成限り心懸て追々しつくい
塗屋造りに建たき事也但のこらすしつくい塗にする事難
くんは先本屋計をし庇抔廊下等は外にする共可なるへし
或は又彼の国のことく西外塗り固めみかき立る事あたわずは
天井屋根うら并に牀の下は塗しくいにすへし、さすれは第
一火の要情によきはいふに及はす常に鼠鼬などの天井の上を
走りて塵埃の目に見えで落る事なく且冬あたゝかたゝかにて下より
透風湿気上る事なき故疝痢痔漏の病も少なるへし加言
しつくひは費用莫大の様にて泥むへけれとも材木を数遍削り
磨き立るにも及ばす木理の美なるを擇み節せぬき埋木
せし或は色留漆塗などゝ吟味手味手際に人力を費す事も
なく・うぶ挽おろしのまゝに用ふるなれは随而木もふとく丈夫
にして逞しく右の中へり立るより色々の作料もいらさるなれはしつ
くは塗にする細工入用とさのみ過分の費はあるまして能手馴
て穿鑿せは却て甚だ下直につてづま也
但外面の火を防くにはいかにも土を厚くぬるにしてはなし内
の柱梁天井なとをぬり立るにはさのみ厚きは却て不宜
数年の後土力もろくなりて落やすけれは也。只焼おろしの侭
なる鋸目の木質に石灰の白土あつさ一二歩にぬるへしさす
れは年をへても剥落つる事なし若し人の往来しげく
剥損し易き所なとは紙をはるへしまた其上にも数年の
後剥損ける事あらは其時に応して補も盗工るへし其外天
井床下なと人の手足の障らさる所は幾代をふるとも剥落つる事
なき也今日本にぬりうらとて、しつくいにて天井を塗るは、
縄を木に巻き或は板を釘にて打留し其上に土をあつく
塗か故に年陸て後縄朽ち釘之さりては自然と土落易
し併内外の差別其所にもよるへし
或曰しつくい塗土蔵作りにしてはゆくらくして不自由ならん
も是深く考へきるの故也造り方によりてはいか程も明るく風
流る結構心のまゝなるへし且寒気を凌き炎熱を防くゆへ
冬あたがにして夏御しき也但此上にも彼是難事を申立つる
人は是非なし唯永久家のため子孫のためを考へ先祖への孝
道に心あらん人は正潤に聞流はすして蒭蕘の言も深く味ひゐ
ふへき也
一惣して大厦高堂を建るに念を念せる処には二重天井二重板藪
を始る事あり是甚以て益なき事なり、都て風のすかざる処には
自然と塵埃多くつもり易し、た足は常に箪笥長持之類
を壁際に置て一年も過きて是を故降くれは其輩筒の後
鳥際には夥しき綿の如き埃つもに也況や数年之間時より
すかざる所には必仰山につき事推してしるへし先年京都
大仏堂火災之時一旦火を消し遂けぬと覚し所にいつしが天井の
上なる数百年積りし塵埃に火うつり、ほくちに火の付しことく
一時に大火もなりしてかやされは天井板敷を二重にはるは甚災を醸す
の基也先以常にも夥しき塵埃を上下に貯へ其間に居住する
道理ないはけからはしき事といふへし或は又盗賊子との忍入に要害
の為にもなるといふ人もあらん願中に天井板敷を破りて忍入る事は
なり難き事也され共これを恐るゝふらは床の下等惣して入口のなまし
様堅固にするにしくはなし天井なくてもよま所は同じくは天井張
らざるへし、去なから甚高過きて如何ならは単天井にはりて
一天井の上に人のほらるゝ様にすへしさすれは時々掃除も出来る也
もし板の透間より塵埃落つる気遣たらは厚紙を濃のりにて
はるへし或は其紙にて張りたる上へ一面に壁をぬりもよし毘すれは
火為にもよく冬あたゝかに夏は天日の類を渡さて涼しき也但
天井の上へ人の昇にるゝ様にする時は二階うらの如くになり田夫にて
見にくしもならば格子天井に組てはるへし其仕法いかやうとも工夫
あるへし或候又天井の上に人の鼻には高位貴人の頭上にあたる処
憚るへき事也などゝいふ人もあらん歟さやうにいひ立つるならは屋
根を葺く人の崩には何とせんや毎日もなき事一手に一両度計も
掃除をなさしめは常に頭上に夥しき埃をいたゝき目に見えすして
風につれて食物等の中へ入るなれは惣して家を建てしより永久掃除
せすに頭上にいたゝき居住すはけからはしきの至ならずや
一次に二重板敷も同してよろしならさる事也惣て大厦の床の下数
百年経ぬれは煙硝自然に生すといふ依て大堂伽藍等に過て聊
の火を床下に落したるもやゝありて火事と呼ふと候としく椽の下一面
に火もなりたるなと古今其例〻多し松明を以ても急に燃付く事
一難き大唇なるに忽一時に火付き易きは是めん下に数十年の塵埃
積りたるに彼烟硝の気を非したる故也されは大厦の床下は成
たけ高くはりて是亦年中に一両度下の人の入りて掃除のなる
わりに尤四方風のすきとふる様に大夫なる木格子竪さまなとに
し入口は常にかたくとぢ置き鐙をおろし封印を付置き時々
見廻り仮人を定め置くへし且つ板敷のうらも同してはしつくい土にて
空上にすへし火の防にもなり下より湿気の昇る事なし
一惣して家の四方めくり并々内の方棟組梁の上其外壁の中
なとは成さけすぢかゞの大きり木を入れし柱数束立並へたる所なび
は一間〳〵ちきりを入るもよし又外めぐり等の人目にかゝらざる所は三四間を
一つに貫き入るもよし其国左めことし
如此又手に双方よりすちかひ木を入尤柱に
切込へし柱ふとくは一二寸も切入へし若柱
ほそくは一寸か或は五分計も切入てち
きりの木も又五分計も切て互に入へし
等かさのみ厚からすしても横を推
計の為なれは危き事なし、
右之如く四方内外をかたむれはいかなる大風地震にもかたより、ゆかむ事
少かるへし且又梁横等くさひにて打しめたる迄にてハ数年後木乾き
へり透時はしまりゆるむる故に地震なとの時ぬれはくれ易し或ははつれ
すしてもぬれむらきかゝる也是又横より釘或は轄にてわぢぬれは目
釘を打たることくにてはつれゆるむ事なし大なる地震は稀なりとも
小地震は年々に有事なれは其度毎々少つゝゆるみかたより易し世
間多く周囲等と異観を好む人はあれは土きり木を入れて永久
に念を入る事少し、
但世間の人家のかたより懸りたる時に至てちきりすぢかひなと入るゝ
あり是時に後れしといふへし同しくは今無難なる家も数手の後
せおもふ上は前後左右に於て初磨にならざる所に右回の如くちきりを
いるほど異麗に巧を尽せし家
も柱かたよりたるにいと見にくき事
入るへし是諺にいふ、ころはぬ前の枝なるへし哉
な所は他の物好候大がい
にて御此ちきりを入るべし
一屋根は瓦葺にしくはなしよく薬をかけ本焼にしあけたるは数百計
不経ても破れ砕る事多し唐土の銅雀台我朝の古昔の瓦なと今も
猶所々々伝ふるを以て知るへし瓦は雪霜にしてわるゝ事もあれも製し
方によりて随分つよく久しきにたふへき也ひはた葛こけう葺など
惣して板葺は漸々手をなして打腐り第一大風にまくり易く且火事の節
火の子飛散る時防き方に甚危き事也されは瓦葺にて一枚〳〵をはりかね
にて結留ぬれは久しきにたへ大風火災の為にも甚よろしく加之山林の村
一水をきる事少き故大に国益となる事万々なり
一京なとも昔は板屋葺多きよし也古の東の町の絵なと見ても知らるゝ
事也然るにやう〳〵瓦の釜用たる事をしりて今は残らに瓦葺となり
近国の田舎迄も岩辰草のみ給して生れてより他国に出てさにものは同
に板葺をしらずなり京地なとは薪木炭なとも高価にて瓦も随
分高直なれと其益あるを知て人々みな瓦葺を用ふる事となれり、
一屋根の箱棟或は端口破風等入組さる所々はかゆるに銅を以て瓦の形
に造り用たる甚よろし或は美観せ専として錦銀を以て造るは大に然る
へからす炎熱連日の時は自然とろけ流易く鳶烏の外にかゝりても
破れいたみ易くまして火災ある時は火勢にて飴の如くに砕け流れては
下地の白板あらわれ是より火もへ入易し或は又板の上に土をかけ其上に鉛
鍋を葺けは可然といふ人もあれて土に釘は打がたく且くさり易け
れは是亦無益の事といふへしさりなから強て美観せ専とせんとならは
惣して銅にして白目錫をなかして可ならん
附記鳶鋸を屋根に用ひ置事深き用意あり、大軍攻寄来る
時鉄砲の丸尽くる時彼銀瓦をおこして是を用ふるが為なりと呼
々逆なるかな〳〵大破城外と攻め来り矢鐘を尽し鉛子を尽して
防き対ふ時は誠々安危存亡且夕に在り此時に臨んていかんぞ屋根
なる銀瓦用立つへき且紙へく如くにもあらし数ヶ所鉄釘に打たる
を何ます急におこして丸に鋳る暇あらんや岩又放写いまだ城下
にも来らす数里の外に有さ時は屋根をまくりて裸にするも余りに狼狽
すきたるに似たらすや惣して要実は常に備ふへき事なれは若くは
銀子の用意を欲するならは大小数千万はねてこしらへ置俵等に
一数千俵入置とにしてはなかたへし。尤銀はさひくさる事なき物なれ
は幾手を経とも用ふるに自由なるへし
或は曰是汝か知る所々あらず惣して城内の土蔵初め諸の造作の法は東
て火に焼易き様に建る事是口伝の恐なり其訳は万一放軍
防きかたくして自る城に火せりけ窃に落行き或は討死する時
城中に在る所の兵具番財等一品も放手に得渡す事なく焼亡
すへき為なりも嗚呼甚矣小人の児もいふへし、仮りに一作の砦の陣所も
数代住居め城をも一に混せし論といふへし夫勢つき力疲れて自城々
火をかくる時に至るは是放の所為計にあらす其身の運拙くして天
右の時至る所也されは此時に及ては先祖代々の緒を亡し一命をも
殞す際に至りて何ぞ一宝一益に狐君の念をかくへき且古人余
布尽きて既に没落の期々暗見て古事伝りし重き宝物抔は態
と故に贈りて我こそ還尽き没する共此品には永く重宝せら
北よもいひ遺したる事和浜其側多し、新田義貞の兜、高藤寅
一盛の甲冑なとも世に伝ふる故に亦後代に名も著し然るを若し
箸一本も叡手に渡さじも惜む妬心だとへは夫に去らるゝ女の出行
時に茶五人に四鉢を打わりて去るにひはしもいふへし、旦藤城の期
におよんて自火をかけされは城内に常は火災のなき事もおもへる類いふ
かし一異の火を失し東はやくとも土蔵やけされは伝来の重番等は難
なき事なるに土蔵尊焼ぬれは重宝伝東の書物迄焼失する事
豈悲しからすや元東土蔵とは何のゐぞ火のお入物也然るを屋根
より火の焼入り易き様々する口伝習とは土蔵の名目何等にあたる喧
一土蔵も年冬之経ぬれは土台の木くさり品し依之栗の木を用れは
甚久しきにたふるよし也又近世は人智かしこくなりて地上の土臺囲石の上に
別に又方一尺斗の切石を柱毎の下に居へこれをこま石もよぶ其上に土台
木を横に置、柱を建る故幾手経てもくさる事なく且鼠の穴を穿
否の事も能見分り易く甚良法あり、
一同窓戸前の車も昔は二ツ車を用める故甚重くして急には引きさす事
自由ならす且久して動出さゝれは車のしん金さひ付て攻運動しかたし
体み近世はことめばん車とて幾井のみぞの中へ円本の短きを数多敷並
て其上に戸を転げし引ゆへ力を不用して自由に引動かしやすく尤木なる
ゆへ幾年経てもさびくさり付事なし但敷居のみ毛を深くほり戸あし
をも深く入様にして引動かす時土戸の過て敷居の上へはづれ出さる様
にすへし
一火事五時土蔵は火を免かるゝは煙気内に充ぬれは自然も火を生ざる
なれは火鎮まりては早速土蔵の腰出を切り穿ちて煙気を洩す事也
一夫につさて中頃の世よりかねて土蔵の腰に直豆一尺斗の急き穴を開き常
には其穴一杯の土のふたを拵へ入置く事になりぬ是便利の事といへ共若其
穴風上に在る時は彼穴のかたを取除ては風土蔵の内に吹入烟洩る事なく
却て火気を助けて一時に火と成にもあり又火事巳々鎮るとも地上に余燼
多く風下へ廻り土台の辺へ寄付かたく破り穿ちて烟気を洩すに
手おくれする時は其内に蔵内より火生する事是迄倒多し、依之通
本は蔵内の棟の傍にさし互し三四寸計の架き穴をあげ銅の筒帳
伊沢を上の出のうへより下の裏板迄切通し下げ其穴の筒の内には
金網をはり筒の下なる口の方に棟にかけて小棚をつり小き銅盥に水
を湛へ置く事にせり
但筒の上の口は一二寸斗も
一惣して火勢烟気は上へ
土のふちへ曲け置故落事なし
土のふちへ曲け置故落事なし
人と衝上る故此筒穴より烟気出去りて火となる事なし穴甚にし
といへ共気洩れて烟游事なく且時刻を争ひ開くに及はす是等
近代人智実の如々詳しくなりたる所以也
一土蔵の穴にいふ如くよく建るは鼠穴等ありては又危き事也されは
一月に一度づゝまか土蔵の如くりせしらへ見るへし但土蔵の内に油紙表
笠なもの火のつき易き類は都て常に入る事なかれ且又急火の
節は人々うろたへて土蔵の窓戸前を閉るにおくれ或は一ヶ所へ何
一人も音こそりて手おゝれになる事まゝ多し、低み平常其役々
心得を定置き誰々は某の窓誰々は彼處の窓も手を分てはり
紙にも定めおき置へし
但町子なと叮嚀なる主人は手代誰は蔵の窓誰江は何にも
常に定おく事故うちたゆる事少し況や武家は是職分の常
なれは手はづを定め置く事第一也品来多く抱へたる家ならは
加へくは無朝毎夜窓戸前の扉を開閉するが又は夫々受取口を朝
夕見廻らすへし
一土蔵の窓戸方を閉る役を定置は甚火急なる時は閉おくるゝ事も
有るへし其時の用意に兼て窓の上にも戸口の上にも其窓戸の口をよく
覆ひふさく程の銅のふたを拵へかけ常は縄にて上へつり揚けてひさし
如代りになすへし、自然火急にて閉おくれたりとも此縄やけ切れぬれは直に
窓戸前を覆小ふたと成て火入に事あるへからす今の世にも所々に銅の
ひさしをかけたにも有りといへ共小くして纔に窓を覆子に充たず且或は
金或は木にて下よりつくを張立たれは此金は更に論するに足らす木の
つくばりも焼上えざれは蓋となる事なし其やけぬる間に窓打より内へ
火入べし依み縄にてつるにしくはなし縄の釣り方左の図の如くすへし、
}
十四日本町
かく上へつり上之又下へ縄を引扣留置ゐれは
下より火先キにかゝりても上より先キにかゝり
ても縄やき切レは其まゝふことなる也
但扉ひらきの窓にてもむぬすへし若くらくは
いかほもにても上へ縄を引しむれは上るなり
一土蔵のやねは別に置きやねに葺きたるぎよしとす京都などにては土蔵
の内なとのほり木ノ端を外へ二三尺計も出し直にこれを屋根のひさし端
口まて裏より土にてぬり上にする也見分は宜きまゝやうなれ共年
ふれは土気力ぬけて自然に破れ落ち或は燕なと巣をかまへて之を損
し且火気は上を衝く故に火事の時此屋根端に火気つかへて忽土く
たけ落ちては則中なるのほり木の端に火つき是より土蔵の内へ火の入る
事まゝありとかく見分レに拘らす火のために宜きを第一とすへし
附土蔵のめくり常に物を置へからす廻りの垣板打も同しくは腰板等に
すへし若土蔵の屋根板葺なとならは火事の節四方めくりへばき
落す事なく成たけ火なき所へ投去へしさなくは其侭になし
おくへし、土蔵の上に在て燃る時は手へ去て終る計にて煙気は下へ
入る事なし土蔵のめくりに燃物多けれは煙気多く入り易し此
打の事は火を防く者常に心得有るへき事也、
一再得難き夜宝の物ふとは家を離れ火に遠き土蔵に入置へし
又は数ヶ所に分て入置へし其内甚大切なる書物等万一焼失しては再
得難き類は二通り宜き克めて土蔵二ヶ所にも分けて入置へし又親板等
の方へ分ケ夜置もよろし
一蔵の内へ鼠入ては甚よろしかたざる事なれは平日戸崎の出入の口に鼠
一止の関板を横たへ置へし、蔵の内は四方兵に残らす板を打はるへし板
候壁との間に乾ける真砂を入てかくすれはたとへ鼠外より土に穴を
穿つ共随て砂はせ入て穴を埋る故穴をあくる事なし尤外面腰瓦
腰石等は何に共好みに従ふへし或は又腰瓦の代りに増売を多く壁の
土中に並ぬりこむるもよし
一広堂大広の調膳炊餡を為す所台所にて其火を焚く所は一面に
屋根う分を土にて冷土りあげたに所あり是火を防く為の備へなるべけ
れば殊の外に広過きたる故掃除も行届かす且常に煙煤満染之
垂物うにさく薫りて煙凝りたるはいと見ぐるしく火の為に却て甚あし候
惣して大小其処に応して竈になしぬれは烟葉家内に充満する事も
なく宝の白も常にきれいなるへし竃は三方を塞き口一方より火を焚く
故に火気四方へ洩す事なく暫る烹ゆる事速也去なから大厦にて大釜
にて物を烹るには随て裏も火にて大火を焚く故烟間の内へ入り薫り
易し依之壁を隔て烹るやうにすへし此法は竈で台所の板散続の端
へこしがへ板の間の面と竈の後の所と同様の高さにいたし。竃の口は壁
のしきりの彼方にて火を焚くやうにいたし鍋釜をかけ物を烹るには
壁のこなたに在て塩梅を取計ふ様にすへし、かくすれは塵埃鍋の中
なとへ入る事なく甚きれいにて際し此仕法令も寺刹の由には間々
あり其図左のことし
かべ也
此壁よりあなたにて
一釜鍋等をかけ物をにる
よきかけんの時は内より
火を止へしも
案内する也
此所にて火をたく
但是は図の見やす
きが為に台所の
内の方も書たよ也
惣して烟の台所
一つかざかねに
壁にてしきる
べし
一北国には囲炉裏も称して三尺四方計に囲ひ廻りには不或は壁にてしきり
其内に灰を多く入水上の梁より縄、かきを下し鍋釜をかけて物を烹る是
一京都なみには曽てやま事也元未門地は寒国にて其むりしいまた火燵
もいふもあらざる時此いろりにて大火をたきかくりに数人まとい寄りて焚火
にあたりし道風の其侭に有来る也今の世は火燵手あぶり火ばこなどゝいろ
〳〵寒気を凌く便宜の品を工夫し出ていろ里にふ朝夕の汁羹茶な
とを烹る迄の事になれり物せ薫るには竈にしてはなし煎もいふこと〳〵
火気外に洩るゝ事少くして物の烹ゆる事早く薪木も費すくなし
いろりのこときは火気四方に洩にて物の葉ゆる事おそく薪木も多く貰へ
一且塵埃も風につれて鍋の中所へも入易く或は猫など夜中に
糞をなし足あと畳の上に狼藉たるも間々ありて穢しきの至也又小児
など遇つて匍匐し落てやけとす事度々あり剰下賎の家のこときは
いろりの傍に松葉などの薪木入所を拵へ置ゆへ飛火此所に入て是より
出火する事是迄其ためしあけてかそへりたしけれは火の坊き方の備は
高貴の家につみ里目なりとて下賎の家の出火候高貴家をやかさるにし
あらざれは火を防くの備は国中残らす同様堅固にあり度事ならすや別
して下賤の処は火を失し易き習なれは只火の用心せせあも計にては行
届事なし可成は上より号令を下して下々磯の家迄も回爐裏を
禁せしめのこらす竃に改度事也貧家俄に竈に改むる費に乏し
くは是式の事は上より恵みとらせ給ふ共可なるへし、さすれは二ツの益
あり、遂には火難に遠く第二には薪の費少く円益なりいろり
とは同日の論にあらざ給也或人の曰いちりは是古代の遺風にして今北国にのみ
彼れり是迄有来れる物の今更なくては何となく物淋しと嗚呼義を聞
てうつる事あたはす行徳辛の御詠にも民のいろりは賑にけり候はあらず
されは竃こそ物を烹るもとなるへし但むかしより有来れる竃は三方を土に
てかたの前なる口一方より火をたくゆへ火勢竃中に満てひとへに前の口の
一所計に出るを以て煙焦甚し故に近年京なとにてハ竈の口の前なる
上の方を二ツに割りて作る是も良可なりといへともあたら火勢を無用にぬけ
ちらすも益なき事なれは爰に一ッ工火を加へてかまとの後の方に別に少
しの土を冷上り重れ竃中よりさしわたし二三寸斗の穴と上の方へ向て閉さ
ぬれは竃の奥の方へも火勢満遍に行わたり火もたきよく物の重へもいこと
速なるへし且後ノ方の穴の口に小薬鑵の如き物を巻水は別に物せに
る便りともなるへし猶図を左にしるす
是を子持竈と
名付て可ならん
此後ノ方の穴へ
小薬鑵梅の物を
置ぬれは別に出し茶
なとの為にもよし
一大阪の台所に於て米をもぎ器物を洗ふ水流シ所とて無上に広くし
昇常に水を溜置く桶も甚大なるを居置き北国など夫は彼
囲爐裏も其長五六間に幅の通り六七尺にも作れる依て水流所の
一板上へ水汲運ふ男の跣にて歩みし足武常になりていと殺して
水溜桶も甚大過たる故容易く動し難くして時々洗ひ清むる事
もせされは桶の底には水垢溜りて赤物うるさくいろりといへば丸の
ことく幅の亘り広くして中央に畳たる鍋釜に手とゝかさる故片足
せいろりの灰の中へ踏入て鍋を懸引す故に其夜の足あとも又臺
所中にみち〳〵て甚見常してうるさき事多し、大廈を建つるには
夫に応したる柱棟の太く逞きを用ふるは理也といへ共いかに大廈
とて長一丈二丈の人も住ざる所は調膳諸事の用所は大抵平生人
の手の運びよろしき様になすへき事也尤大慶なるに依て一時に数
百人の饗膳を調ふる所の時水流所せばくては洗すぐにも夫る事
ありとならはいか程も横へ長くすへし大抵水流所の板の通りは三四人を
限りとすへし是より広くてハ手桶或は俎板等も過て向へすべり
行し時手短くて届かされは水流所の板の上へ乗り之を引寄取
事必然之事也夫水流所は食物を調ふる所なるに水流所の板
の上に足なかけて歩む事不敬の国といふへし故に過たるは及ざるる
如しも其程をよく考へき事也
一台所等惣して饗膳食物を調ふる所はいかにも掃除奇麗
にして常に潔かるへし歴々の上暑は奥の座敷にのみ居るひて
勝手膳所のやかすは見給ふ事稀なる故に却て掃除等行届
さる事出来易し是誰有て主付てする事もなく余りに広過て
手の行渡らさるよりきる也されは別に掃除の役人を定置て禅判
の作法のこと〳〵夫々の法を究物か入る所置き所迄かりそめにもらん
だいに置事なく規矩を予く有度事也是をする事さのみ難
き事にあらす孔子もきりめ正しからされは食せす序出しからされは
坐せずとのたまひぬれは物むさきは君子のきらふ所也世人座敷
片間のみを掃除して根本の食物を調ふる所の物うにさきを
吟味する事の少し且惣して物むさく混せる故に其間に下部の
輩炭薪に限らす色々私曲を挟む心も生する習也よく〳〵此弊風
を改め度事也因に記す瓜掃除きれいなる時は時夜神気の祟りも少し
もいふ
一大阪高堂の造り方間故の次第は尋常の論の外なりといへ共或は
ひたすら問数のみ多く或は茶式に拠りて奇なる間故ほと哀れは
度といへ共広き用を為さず却て不勝手なる事あり依々家を
建るには第一其地理に従ひ方隅によりて初にとくと工夫すつさの
なり静一定の法はなしかたしさいへて要する処肥後熊本の学抜
の造方のことく中央の左右に西角の長き穴地を構へ此中雷
より日月のあかりを引き空地の外の左右に長く建つらぬへし間数の
多からん事を欲するならは如何程たりとも具長へ建出すならは何等
の広館殿中も其勝手よろしく柱梁の組方も山獄に堂として
壮観を為し且屋根も入組区々なる高下しけからす間にして要を
得へし大本の柱梁を如此建る時は其下過て造作方に小柱を以て間
囲を取事はいかやうにも好次第に自由なるへし
一任中学校の図は熊沢了介翁の工夫せる所にして誠に経満家の建
方也予別に図を所持すこゝに略書
一襖戸張つけからかみ杉戸なとに絵をかくには草花山水等を
画くも面具といへは見るに厭きて益すくなし古しへ麟閣賢聖
の障子なといへるはり付ふすまには皆古の忠孝節義の人物を画
き常に見馴て人の心を感せしめ大に教を導くの便り参りされは人並に
古めりしきい草花なヒハ改めて人の数となるへき画図をゑかゝすへしさす
れは山水花鳥なとに穢れる事万々なるへし是其身一分の為ならす子孫
の為又家内にすめる妻妾の為とも成なれは心あらん人はかく有武事也
一或は解額衝生に風なみにも平生見て教訓となるへき酒を成たけ遣へき事宜多し
一畳の事京地辺にては六尺三寸有余ありて帆もこれに準して広し
是を東間畳といふ北国にては五尺八寸を以て穴尺に充つ幅も随て之に草
ず是柱敷居を畳の内にて減じたるよりきりし也是を田舎間畳といふ
此他国々にて種々違ふ事もあらん歟何ㇾにも京地に在らは京間畳を
用ふへし北国に在らは四合間畳を用ふへしいかんとな北は大厦の内候
常に合出入事すくなき故随て春せ人の往来する事もしけからす
依て畳の色も縁もかはらね共一声手経れは畳の表より虫直して悉
切レ損する故いまた損せさる時に畳表を付替ゆるなり是甚不慮なる
事なり、且景間畳の来は其価三倍にも高し田舎間畳は僅も甚だ下直
ならは其国に応したる畳着を用ひたるにしくはなし毎年か又は一年
陽に表を替れは虫の入る事なし畳表の古き方を下になし新
しき方を上になして付直すを裏返とて武門には嫌ふ人間に
有之由也是云文音なる事也元来田舎畳に錦繍
などの如く裏表と定りたる事なれは古き方を内になし新
しき方を表にするなれは温古知計の意にも恨ひたれは
故きをかへすと唱ふへき事也裏返すとは俗にして文盲
なる唱といふへし叡きをかへすは甚た意味深長にして所謂
一故旧不忘は民々すからすからすからす武門に取つて候別
して目出度事といふへし加太第一倹約の道に叶へり併士
は倹約も吝嗇も一ツに混じて覚えあり笑ふつきなき也
倹約の倹め字はおさむといふ字約の字は元来〳〵ゝると
よむ字にて貴賤高下に限らず各其分限にしたりひお
さめくゝり前後を考て用を節にするの謂也故に孔
子も約をにて之を失する者は少しと曰へりされは田舎間畳
は価も早く年に莫大の徳用なるへし若又田舎間畳
にては間取せまく成り支ル事もあらは其割方をいてたとへは
ミナ畳敷の所ハ三十三四畳も敷くへし斯しても甚徳用
且又其古き畳表を下々の軽き足軽なんその懸りの役の
ものへ施し与ふるならは虫入なきゆへ用に立て人々悦ふへし
即是恵而不費仁の一端とも云ふへし
附記人足しけき所には畳図忽ち破れ易し依て縁
布に厚き紙を渋はりにて裏打にはり用ゆへし甚
久しくこたゆる也縁たに枝れされは物むさき事は
なきもの也但此縁の仕方に口伝あり長きを厭ひて
こゝに贅せず
一脚爐よりやゝもすれは火を失する事あり勿論歴々の
家の巨燵は爐上に格子を入れ或はかな網を張りたるも皆
火難を防く為なれ共金網は時として足を火傷し格子は
焦て火付やすし是皆炉中の灰に直に火を入るゝか故也
是には別に手あふりかぬき火入レに火せよく入れて巨燵の炉の
内へ入るへし火気強過きたる時は蓋をすへし火消えがたに
成らは別の手あふりに火を程よく入を以前の物と取替へし
め氏すれは炭の費少くて火の用心によろしてやけどの怪我も
すくなし取わき下賎の家の巨燵は金襴等張き事もなく
巨燵より火災起る事度々也されは火災は貴賤に不拘恐
るへき事なれは下々賤家まても此法を遣候也永し号令
を下して改むへき事ならん
一北地の民家には水風呂の桶の内に銅にて作りたる長き
筒を立て桶の底板を貫き其間に綿などつめて水の
漏らさる様にし夏筒の中にめざらの網を入れ其上に炭
をおこし湯をわかす也此筒をスホンといふ此スホンの口の
火勢甚強く上りてやゝもすれは屋根うら等に火のもえ
付き火事となる事間々あり或は又火さきにあたりて
やけご怪我する人も間にあり惣して火勢は上を衝く也試に
今灯火の傍へ近く指をあつるともさのみ熱き事なし
其火の上の方は四五寸斗上にても火勢つよくして手を置き
かたし是にて知るへし然るに右銅筒のスツホンは先ンの火勢
は残らす筒の口より上へぬけ去り只銅の如くりの火のほとせり気
にて湯の沸也故に湯の沸く事甚だおそし又水すくなくては筒火
気にて損するゆへ風呂桶に水を初より多く汲入るにつき弥おそし
依て近年京都辺には徳風呂といふ物を工夫し出せり是は風呂
桶に底なく底か代り平なる銅の釜を桶底々の大さにして底する
入れ其透間へ候綿或は粉皮など押入小水の漏らさる様にして是を
竃の上に居え扨竃の前なる口より火をたゝ時は火勢上を衝て
一暫時に湯にへ上る也但底釜はたとへは銅盥を覆にして廻りに
綱あるが如し此縁のめくりに風呂桶のくれ木をとめる也但州の底に
迄にてはあつくして人入る事能はす故に桶の底に程の急き板を
にさんを打ちたるを銅底釜の上に桶の内へ仕込むへし則是を
げす板といふ此底かげす板湯の上に浮み上りては人入り難き
ゆへ湯底に押しづめ桶の内の左右に小き留木を打ち底のげす板
に其きざを切り湯中に押しづめ留木より下にてくるりも廻しぬれば浮
んとしても留る木につゆへて浮む事なし依て庭板に指の入る程の穴を
二つあけへし給びして入る時はやけで怪我する事なく火勢筒の口より屋
根裏などへ焼付などの乗替もなく且薪費へすして甚徳益のもの也
しるも京都なとにては庭の劣、古箒子ど何品をもゑらはす捨へき物は
みな此竃下にたき灰となし詰むる処薪いらずに湯沸き且右の灰は農
家の肥物となり両益ある事也左に忌を水はす
壁
同
竈
別に桶の
ふたを
こしらふ
べし
此柄の前の方石の
水流シなとにするも
此所壁にても
又は
切石にても
すへし
底釜
横ゟ
見ル図
同
岩面に
見候
図
いづれにも
銅は価高直
銅のかなたらい
ならは
ならばをうつぶしに
してふちに綱
鋳物にてするも
よし
かあるなきものそ
知るへし
桶の内
底げす
板の図
但是は
釜底より
小くすへし
さなくては
廻しかたし
此穴に指を入所
くるりと廻す也
右の徳風呂は即今京根の辺には専用ふる事也併けす板を益とを兼
て一枚なりて無之故人不入時は湯の面に浮み人合時足にて不く下ぐり
ゆへ甚入にくし依て別に蓋はことへてよし
一北国なとにてはいまた右徳風呂の益を知る人稀なるゆへ日々月々に続
る所の塵芥を背土の片隅に溜め置一両度宛王ざ〳〵人を雇
ひこれを川或は空地の屋敷跡などへ夜中ひそかに持出捨つる也故
に塵芥一椎の山をなし日川除蛇篭なとの障りとなる事甚してれは成
限り日にほし乾して彼徳風差竈の下にたきぬれは人の供まさる物
にて風も沸き他所へ持出捨つる事なきゆへ川におも奇麗なるへし尤
塵芥のしめたるを干乾す簾棚様の所を拵へてよし願くは下紙
を以て申触るとも民困窮して今日の渡世を立かにたるには教導
も号令も耳に候事かたしされは先人々相応に恒の産業ありて
一人心豊に物事落たる上に布して足に教を施すへしと仰せられし
事論語にあり依之国炉程を竈に改め徳風呂桶の益を
なさしむる事など第一火の本の為且は下氏薪の費を省く
事是則国益にして民を留ます道也書経にも民日余国
の本本国くて国安しとあり、元来上と下々て別々の物とし
民を見る事他却異人の如くなるは一小民の心にひとして隣の
事主は損する共此方さへ徳益あれはよしと思ふ小人の見議
といゆへし天下を知り或候一国の主たる人民の父母たる事を常に
心に知れずして君民一体の理を知らはくた〳〵しく長弁を俟
たじ
一関初の時火を防くり備悉く法を音に先以吾北藩のことき
都て町中街衢防防各町ことに木戸門を構へ日暮レは火門を
閉ちて小戸をひらき夜更ぬれは小戸をも閉めて夜行往来の人は番人
之を改め礼して通し扨町内には各町毎に一ヶ所数十の水桶を積み
累収常に水を湛へ夜は灯をともし亭主たる者代り〳〵に番
を勤め是を亭主番といひ扨又町内程よき所々に地を堀りて水
溜池をこしらへ或ハ町毎に火なる水桶を居え常に水を湛え置た
并梯子を屋根にさしかけ置、案口の屋棟には天水瓶をあげ置
常に水を湛へさせ、スワヤといはる即時に投消すへき備をなし右
一木戸門の番人は一時ことに桁を打て町内を巡り或は大声にて火の用心と
一呼ひ廻り別に文錫を棒頭に打たるを町々の亭主代り〳〵にこれを鳴し
終夜其町内を廻り非常をいましめ火の要慎をかね勤む各一時代りに
勤むもゆへ是を一時夜番といふ且夫々の町々水郎の纏はたに其町名
を染の夜は高提灯て其町家をかき何れも長き牢歌に之を附けて遠へ
ゟ見分る様にし其水印の下に属する水桶持人数千箇を定めて常々
用意候扨又諸武家の内それ〳〵火消役を定め昼夜高櫓の物見に
ありて四方を望み火事あれは大鼓をうち相国をなさしめ勿論火を防ぐ
道具水籠車桶温打竹鉄大槌鋸大網梯子等道等用
遺し纏印を以て人数をまこめるの法其浦甚厳重也尚旦別に風
一廻りとて平るも火事装束にて町中を以」行し亭主番木戸門番人一
時夜番の焦りなき様ニこれを糺し其外小持或ハ足軽等も時々町中
を巡て胡乱の族を糺す事甚厳也加之鍛冶磯の家は細工場の天
井を土塗裏になさしめ風高の夜中なとは仏棚の香に灯の火迄も停
止すへき旨に定め勿論火事と呼らは急々火元の家に馳行第一
に防くへしあなかち道具財を取除去を専にすへからさる旨等
其他町規の法格等出たる帳を安月二日に町内組合打寄りて之を
読怠る事なやらしむ之を二日銘も唱へり如此昔は火を防く涌
綿密に行わたりし事なりしに前月久しく過専に従ひ右町
数の外に漸々民家多く建達りてはいつしか町益宗建の法も混雑
しとろにて木戸門なき所口も多くなりて右之法行届かたく今は僅
にかた計にして小路閑巻の負郭の裏屋なには別して火の回り
薪入所なと無造作にして甚々危く見ゆる事共多し去なから今と
ても古東ゟ本町も称せる所は夜中亭主間木戸門宿一時夜番の三つ
とも其法備登りといへとも本町は多分富奈の家多くして自ら火の元
〇要請もする事也只辺陸防路の小家にいたりては一時夜番迄にて
しかも名計の事共也凡失火の多くは賤か家ゟ出やすきもの葉は
第一小屋裏町等を厳重にすへき事ならめ先年奥州白川公
東都の頭事を執り給ふ時町ごとに木戸門を建て夜更ては門を
もなし往来のものを人数に応し桝の数を打て次の木戸門に送り
通しゆひしかは奸人紛入る事あたはすして久しく火災稀なりしに
後其法ゆるまりしかは又火災往々起ふりにてされは火は天然の時運
とはいひたら法を以て防く備を厳に立ては十二八九は防くへしと覚
ゆゝまさに今右にいふことく苦め厳重には及はすとも町中に木戸門
なき所は悉く木戸門を建さて夜中は両人宛勤宿し荷具たる
者は之を糺し夜更ては析を打て人を送る法になしぬるならは別に
亭壱番一時夜宿はなくとも締り方今よりも厳重なるへしとお
ほゆ
一火の元を用心せまとの号令を申触所たりとも下々の賤め老ゆめ
ののき垣半小屋にわび住たるはさまで改めて心得るざへも付ましけれは
上ゟ役人なゝ々を込横して火の辺に蔵入所子との様子危き所
あらは指図して改させ或は天井に近く危き所などもあらは冷二土を用
しむへし此費用も至て軽き者は俄に弁じゆへきにあらさるなれは
上ゟ償ひ遣し給ふへし是につけても同くは前にもいな如く国炉程を
一止めて窟になさしむるにしてはしし貫入用を償いまにはながち是下にの
為のみならす即是上下一統の火の要鎮の将といふへし
一町家にも此後は成したけ塗屋土蔵作りを建つつきよし兼て号令
一あらは一時には出来せすとも年々迄騒ぎ次第に多く成るへし然右
一連屋焼けんとする時も此土蔵造にて火を防止むる事多かるへし
一たはこ火より過つて出火する事是迄火か多し是元来昔は
曽てなきものなるゆへ小笠原等の諸礼式にもたはこ盆の事は沙
見聞し元平汰なし就中南蛮国ゟ渡り切支丹の輩多くこれを玩弄せしゟ
日本ゝなき物
故タバコキセんハ
十月廿一日丑より火の用心によろしからざるを以て元文二年六月たはと
紫雲諸のマヽ
く
を禁止すへき旨号令の触ありしかとも其後年月経て其禁も
ゆるまりいつしか世人も不知しらで是を公然として毒ふ事になれる
也加之是人身の気思絹行の定学を乱らしめ命をしゞむるの
追考ルニ
近来出しせ与へ
種なる事貝原翁の和事始其外巻食鏡にも詳に論せりされは人
錄に。恐く詳也
身に益ある物にもあらす第一火の用心に障る一物なれは禁するにしく
はなし然りといへとも如此満世界にひろまり牛久して弄来りてを
今更停止あらは指当りこまる者もなるへし依之右也其法を立ん
とならは是迄本久して用ひ来れる者は其分たるへし併止るへさ
者は成たけ止へし当時十五歳以下の大壮の者は固く是を吸憤
ふ事を禁すへし如此セハ凡二十年過而バ三ノ二ハ止々み四十年
を催は一向に絶へし然る上はたはこを作りし土地に他の柚梅柿類の
樹を植え或は麻桑綿なとの如きをも地に依てまきうえなふ孟子
にもいへる如く七十の者うえずこゞめす甚芸の国益を問へし
一附記或曰く如此事は是迄たはこせ刻みきせる蕎草入等を
細干て口を糊する者幾万人みな手をむなしくして餓死に
及んと嗚呼小人の見識眼前の楼知恐安々かてのことし
先以此たはこは元来玩寿の品にしてあなかち衣食に拘る処に
あらすされは以前たむこのいまだ世にひろまらさりし時節と知れ
ば恨なし尤一時に止にもあらす十年廿年を経て漸くにすくなく
なる事なれは指留りて逼るまはあらし諺にも天道は人を殺さ
すと云ことく是止メは又夫々に応して衣食住の事につき人々相応
の堂し渡世となる事出来るもか也惣して天下の人民命をつ
なくものは五穀也形体を蓋ふものは衣類也故に耕作と機織候
人間養育の功業にして男は耕作女は機柿此二ツさへ色から
されは天地の間の人貴きも賤きも衣食に足りて上下ためしむ事也
然るにとかく国用不足して人民饑寒に苦む事あるは何故ぞや
一無益の肺錯文飾玩弄の事に隙を費す男女の職人数多になりて
一耕作機杼を入情する事す也「なる故也是に依て出来方は少く之を
之を喰費し着破る人は多くなるを以て価収々高直成り下民等に難義
飢餓し及ひ短禍は形を蔽ふにたらす豆腐のかす茱葉の切屑さへも
腹一ばいに満る事なきに至部皆是栄耀異院の細工人日々に増
一長し耕識の時を奪ふが故也大学にも生之者衆か食之者寡に為
之者疾く用レ之者舒なれは則財常に足るとあるなかは衣食を出来
一たる道を入情なさしめ無益異玩栄耀の品に分を合し時日を
費さる様にする事天下国家を治るの要道也却て経済に心
ある人は一天四海数日年の後をも洞視して万民を仁愛するにあり
是左候へは小児に灸治をする如し一旦静呼泣叫すとも後来の為を
思ふは則仁愛なり暇のつけ所になれは眼出之事のみに心ひかれ本に
貝原翁の禁末作
そむく準之君子たる人は深く心をつかへき事也
論を併見るへし
一火を消すは水に在り然と水の手より不自由なる時はせんかたなし
故に町筋に限らす武宗寺社等にも其程よき所々に水溜池を泥
らしむへし水溜池の仕方は三間四方五間四方にもあれ廻りを石限り
にするゆへ水の減するに従ひ底色も汲取得る也是を堀らしむる
事新々急々申付る時は其費も多候ければ其程よき所を見
立此所々水溜池を掘る事を示し其近辺道路等地盤土に勝
手次第二堀取るへしと声令を下しなふ不日にして往々出来し易
からん城中辺にてハ二重三重に池淀深く常に水湛へたれ共
崖高くして火魚の時波ひ事あた土に纔に井戸の水を運
ぬるとも是所謂一杯の水を以て軍算の火を防くの類なれは別て
城中所々に水溜池を掘開き且其堀上し出は地車なる所へ地
成は土とすれは労すくおくして両益を得る事也
一但水溜池も数手経ゆれは泥砂流入て埋り易し依之水の流る
みぞの間に砂溜りとて四尺四方斗の深き小池を拵へ此池へ
一流来る泥砂を落す故本池へハ泥流入る事なし然といへとも
砂溜の小池に泥満ぬれは本池へ泥流入るなれは小池は一月に一度宛
泥をさらへ取かつき上日厳重に法を定め置なは幾年を登候も
一本地に泥はすくなかるへし
一火事に橋やけ落ては往来の支となり人を損する事甚し故々
成へき事ならは京三条五条の橋のことく石柱を建て橋上の板
の上にも切石を敷並へ合せ目にふしつくひ土を塗り并左左の欄
横及橋の行桁板の裏にも一面に石灰をぬるへし石柱はならずも
如此すれは雨露に折る事もおそく火災にも焼落つる事なき故
甚の仁政なるへし但石灰をぬるに木質に縄なとを巻き厚く
塗るは却てよろしからは鋸にて挽おろしの侭ノ木に石灰二三歩計
を塗り後に油を引塗るへし武して一両日過る後は固き事金鉄
の如くなり剥落る事少し万一炎暑連るか時は橋を守る者に
命して折々らんかんに水せかけさすへし是をもいまだ心に安ん
せざる時は今誠に或は柱の切木なとに鉋のけづり滑なる事なく
鋸目のまゝなる木質へ石灰を水々草塗りて油を上に引き干
上げて後面露にさらし見るへし但木はよく年をへて乾たるを
用ゆへし生木にては干割やすし依て橋を作らんと思ふには三四
年前より其材木を伐作りて之をからすに充々はなしされども
是も容易売すんバ狸杆ハかくも橋板の裏へ行折折折折折折折折折折折折折折折折折折折
有度事也惣して橋の焼落間を見るに多くは行折焼落る
故也根杆かやけぬるとも行折全けれは往来候なるへし往来し候由
けれはらんかんの火も防き消ゆへし橋柱は石にしてはなけれども
是も容易ならすんは木王とも苦しからす柱る初に火のもえつく事は
なかるへし其外道路経来の溝小流に渡せるは成たけ石にす
へし年に朽腐りかけ改むる費をはびき火事の時大勢人
馬等ふみ折て怪我あやまちする事なかるへし
附記或曰何程石灰を埋してもやける時にはやけ怪我あやまち
する時はする也下民の事さかみ仁愛過らるに及はぬ事也と
市田吹呼異越まさに今高貴の人の一度通行する事あらんに
数日前より道橋に修理せかふ是万一の危難を慮るか故也況
一や国の太守として毎日不断往来する此万民を愍出ざるべけんや
一人民の為なる事は成たけ心を尽すへき事也序ながら申べし
一夫人は天地のみたまものなる故牢聞間に生れ出る人は皆天民
也而天の神霊自人民を撫育する事能ざる故帝王をして
治めしむ故に天子と称し奉る天子一人自なし給ふ事能は
さる故侯伯をして守護せしむ依て国の太守と云則氏人民を
一守護するの義也猶稚子を抱き守するの意や故に不耕不
織人の上に在て自由をきわひるも皆人民を守るが為也然るに
其本を外にし只上しの為くと心得ては天意に違ふ也天意に
違へは病患る災難か必至り来る事自然の理也此事は云迄も
なく古の聖賢よく訓を重給ひて顕然たる義なれとも通
一俗の人は嘉く我か心にのみこまぬより麁略に聞流す也故に
孔子も小人は天命を知らすして恐乱す大人をなじり聖人の書を
侮ると歎き給へりつら〳〵古今様子を聞くに惣して高貴
古方は皆賢智の美質を備へ給ふといへ共つき従ふ人々常に
御気鬱などの起らん事を思ふ上の意を以て只何に御乗を慰め奉
らん事に専とし後羅婦のうちに成長し給ふまゝいつしか天命
の大便あらせ給ふ事などは窮屈の事の様に覚え分て申上る人も稀
にて何事せなし給ふにも感入り奉る由のみをいひ御心をよろこはし奉
り下民の事などは夫々の奉行役人ありてときやうに執さばく事なれは
まりせ置ゐるがよろしなど申上るも誉意地なきすなほなる御心にて
渡らせ給ふ故其言に住せられ過ゐふにより上下天地震の違となりて
明君の光り下に及ぶ事稀なると也尤舜何をかするや己を泰
して正く南面するのみとあれは執政奉行諸役人に任せ置候事は
勿論也といへとも其諸役人あのうち心ある人もあるべけれと一統の
風儀にしたがひ世を渡るは人情ゆへ敢て一人達て諫奉り申上る事も
稀なれは惜しいかな御仁慈の御心只近習御目通り迄に深く成て普
く人民に行在る事すくなしとかや古より忠言遂耳良薬苦口
もいへるなれは人君たる御身にては論語にいへることく寛ないは則衆
を得にて已を穿くして人の言を聞入給ふにしてはなし却て人の
一ほめるを悦ひ給わは何にても心得も成へき事出調見すべしとあらは
いか程も善光は集るべし去なから小胸の人にて経済に心なき人の
言はみな小見識に止るなれは其人によるへし只つまる所は君上に学
文を好み給へは自然に分る事なるへし仏子が河東の藤寿義を送る序
なとにも此本文の意味は詳にいへり
一近年水鉄筒を製出せり是亦火を防くに便也といへ共水勢細雨の
如くなれは遠扣に屋上に水をすぎ強め飛火を防くの傷にはよろしと
いへ共大厦高堂猛火熾なるには水力弱くして及かたし俄に龍吐水
なといへる物追りあを尽し製出せるに就中近く浪華にて製し初ける
群龍水といふ物あり是は水勢誠にすきまじて且水出つゞけに止時
なく。はせ騰るゆへいかなる火も此水降にあたりては一横に消る也予
是迄火災の所に行て見るに猛火高く棟或は屋根端しとに燃付て
ある時中々火勢つよくしてあたりへ近々寄給へき様なく遠きに在て
桶なる水を投けそゝきをてもわつか半空に落ち多分脚下の辺
を潤すのみにて火のさかんなる所へ及ふ事甚少し漸上ゟ燃落
て地上に就てある燼火を消すのみなしに見ゆされは右群龍水
は彼を守らもえて人の手の及ひかたき所の火にはこれを遠く程
よき所に車箱をすへ其方に筒を向けて水を滅きたゝら木
を押す時は一滴の水ものこらに火を消すの用になりぬへし
但川流或は水溜池ある所なとにては弥水のたより自由なる故
水漸思ふまゝなるへし併なから平日手馴さる時は急に
其術に疎く無理なる押方を為し其機抔を損破し或は
水を汲入るゝ者も団して泥のみ入ふ狼狽周章するのみに
ては其用十分か一にも行届りさる事あらんしける時は却て人の歎を生
する墓なるへし故に常に是に主付ゟ役の者を兼て定置て数
人に能し其押方術の心得を諭さしむへし三伏の夏の頃暑さ甚
しき時なとは試みけいこの為に庭前樹木の枝なとに水を漑がしめ
其術に馴しむへし勿論武家寺社町家追々之を貯へ用意す
へき旨号令を触所往て一町めに壱弐挺宛常に備置様に成
るならは火を防く術恐りに是に勝るはあらし当時東都なとに
ては逐日此器の益ある事をなり追々盗に行するゝ也尤此器を
用ふるけて是迄用来りし葛斧鉞等をやむへしといふにはあ
らす右群龍水ハ水なき所にては更に用立ち難遣れは水ふさ
時は鳶斧ならては成がたし勿論水ある所有之も鳶鉞等も尤用
立事万となれは何レを偏廃すへき事にはあらす両様共に備
へ用づき也群龍水等の図別にあり不贅焉
一火事所に人多く集るといへは無用の人多く集りては郡蔵水
を運ふにも水を汲通ふにも其支へて邪魔となる事也惣て火事
装束りつば着なし其出立見事なるへは火を防く事なし十に
八九は見物のみして唯途中の美観を守と皆迄に見ゆる也予
是迄見聞するに専火を防く者は多力の下男血気壮勇の者は
品を引倒し石瓦をなげ身命を惜ます働く事也因て思ふに角力
とりに列卒隊を分け定め置治世には第一火事防き方の役を主
付せ次方ハ田畠を妨くる猪花の類を猟り獲る役を兼司としめ乱世
には鉄棒を捲け振立て敵陣を破る一方の役に備へて可なるへし先
一年東都にて四ッ車といへる角抵執一人にて数公人を取挫きたるにても
一想やるへし怯弱なる者百人よりも強力壱人は勝る事多しされは軍
慎の備によりても其益ある事なるへし此事の詳しき仕方は津田駒
翁が著せる欠奇随筆に詳なれは譲りて今茲に略しぬに
一火消隊の武士は是防火のみめ便ならす却て非常に兼備ふるか為に
して胡乱なる者を糺すへき役也若し胡乱の者ありて手にあまら
ば抜折に数害をもすべき由ときく依て扈従小軽き輩の内也
を以得違ひ防火隊の従者は人を傷ふとも苦しからさるやうに覚え易力
気候つのり此上に意勝に乗りほこり甚たくしては日頃の遺恨を火
さか時節衆人混雑のまなされ幸に滅を報するもある由也是亦上
たる方にては曽て知り給はざる事にして下氏にもりてはひの難渋
なり依し火来もいへバ無銭に物を取喰ふても深くいふ事なく
若火事の折むくはれん事を思ひ其侭に黙して止ひがゆへに弥
風俗をみごり第一甚火事暫妨となる事多けれは是抔の事も
一人君一度厳令を下し給ひ自今を改め度事ならすや
一附記防火隊の纏印持といへる奴はわきて其勢勇敢なるはさもあ
なべけれども無法陰悪の事多し其一二をいはんに火見櫓を屋上
に建つる時たけへは金六両にて成へれを陰に廻り土匠の方へ行金
十五両といふへしと申含め取らせて後余る九両は纏印持の奴仲間へ取
入ル也此事は肯はされは必他の事にて工匠を苦しましむる故是非
なく其申合に従ふもゆ也且又纏卵もたもへは銀三四十目にて
成へきを右之様にて纏印持の方にて百目余にもいひつめり若し
主人の自分に指物師に命して之を製すれは其仇に火事の節
一纏卵を焼焦けしむといふ是皆孰レも予其細工人ゟ密に聞伝
へさる事也是等の事誠に主人を蔑にし盗賊を公然としてする所
なりといふへし依て勘弁なる主人は縫印持どもへ修覆料年中
何程と定式に極渡ス事にするか故に火に近寄りいつ迄も働き
纏印を損しては己〳〵の夜なるを以て猛火にふく止まりて久
して防き働かる事弁稀なりでし中氏は畢竟主人の感厳を失
し不法を恣にするの至也随て之を見聞習ふ輩下臈の常
にて七日主人の目を掠め盗賊心を挟む事に成日助しされは願くは
以後国々此弊風を改め糺し度事也又自然、経士印の焼焦けて
は指当り用を欠く事な北は薄き銅にて作んもよろしかるへし銅
はさかみ重き事なし纏太郎持の下部共へは夫だけ絵傘外に
恵せ与へて正しくして召使候度事也
葛機論、曰、夫随俗樹レ化、同レ世建業、慎在務三郎也、一口択レ加
二曰因民、三曰従時、明可レ移而不移、違二天之群一云々又史記曰、君
于為レ国観二之上古レ帰二之当世一参以一人事一察二盛衰之理一云々
貞観曰要曰、事不師古難以長久一云々此外聖賢の享訓
多しといへ暮今思ひ出間に任せ爰に招み書を案ぐ可レ視右法
は本なれは之に依るへき事勿論といへとも古を助せすとありて古の侭
になし昼には冬ざるなり夫五常五倫といふが如きは古今に至て労し
相処候万世之に依りて其余之事は時に従ひ改むへきなり一界殷周二代
聖人の立法といへとも年月続ぬれは自然に其時世に合さる事も出
東つゝ又古よりも今のよき事もありぬれは改まふ故に孔子も損益
たる処知るべしもかたまへり是を以て古に本づきて今のころしまを
一謀る事例へば秤子の艮則をその軽重に従ひ時々に動かし移し
て衡の正しきに従ふが如し是を古法の意に本づて候いふさな〳〵
何事も古よりの有成にまかせ、かたく之を守るは古法に縛らるゝと
いふ此境をよく〳〵訴へ知をつくし巧を練るへき也
一或人曰く此世に生き通しに長生もならざる事僅の一生涯にさのみ
心を尽すは損なり只何事も有なりにしたがひ行てそ心に骨折
らで人の数答にもあづからず身に取て楽なりも
鳴聞かなしいかな世俗不当の人毎々其言かりの如し是必ず貫心
あしきにはあらず其身の程を知らさるが故也身の程を知るとは何ぞ
一曰士農工商の四の中農工商の三民はいかにも只己がそれ〳〵の家
一薬を有なりに守り父母妻子を有し全く宗をおさむるまでにて
事たり給へし天下国家の上に在りて政事をまに預るは上君より
下小吏人にいたる迄尊卑の前はあるといへ共苟にも官務に属する
役のものは却て士の部類に入る事也よつて不耕不識細工もせず
商もせす民の上に立て物事を取りさげき其功あるによりて裸俸
一給金を受くる事なれは常にぬ事に心を尽し時世を訪へよろ
しきに従ふ方を考へ一心に骨を折る事、たまへは医師の流療
に心力を尽すが如し故にすべて士の部に入るものは乱世には軍事
に聞を尽し治世には政事に心力を尽す事猶医師の其
病症とよつて方を転じ心力を尽すが如し是士たるものの宗景
なり然るを生き通しにも勤められず有なりにまかせてさのみ
心を用ふまじといはじ是匹夫の者に上て只其身の勝手通に止
まるは所謂窃位素饗也家位素磐なる時は猶亡医師の療
養に心を用ずして薬銭金を只なるが如しといふべし豈天譴恐
わざるべけんや懇に按するに人の此世にせるは猶象棋の子の盤上
に列位びたるが如し王将飛車角行金銀将、桂馬香車
歩兵と尊卑を別けたるも象摂了りて運中に入る時は王将も
一歩兵もへだてなし人も其如く此世にあるうちは貴賤高下さま〴〵
にて幾劣にほこり最有にしたがひ楽を極むるとも死して草野
に葬りし後は貴賤共皆共に土に帰たる計也されは一生何一ツ世に
功ある事もなく朽果て行くは君子も庶人も同じこふへし心あらん
人は徒に日月を過す事なく心力を尽し功夫をきわめて人世
の益となる事を考へ末代に其徳沢をのこし明君賢宰の名
を伝へまほしき事なり惣して名聞利欲に心を動かそ候一君子の
為まじき事勿論なりといへ共それは徒に虚名を伝へて実なき
をきらふの謂なり誠に其功其徳ありて名せ後代に称せらる
るは是自然の実也一節を捨てゝも名を汚る由は則是筋を重
する所ないは也されは碌々たる斗管の輩も同して等閑に暮
す事なくして功を万代に残し給ふへき也論語に君子は名
称せさる事をにくむといへるも此謂なり、
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