經典餘師 孫子之部
- creator
- 奚百年
- created_at
- 2026-08-17T19:23:21.506Z
- updated_at
- 2026-08-17T19:23:21.506Z
- field_rights
- CC0
- field_creator
- 奚百年
- field_language
- 日本語
- field_has_image
- true
- field_identifier
- 10010000002223
- field_ocr_status
- completed
- field_title_yomi
- ケイテンヨシ・ソンシノブ
- field_attribution
- 東北大学
- field_oai_datestamp
- 2025-11-13T06:54:39Z
- field_oai_identifier
- 10010000002223
- field_ocr_updated_at
- 2026-08-28T18:53:25.651810+00:00
32369
孫子之部
典餘師
女正
}
孫子巻上
孫子巻上
始計第一
始計第一
狩野博士集書
一未だ軍兵を出さゞる其始に敵と
一我との勝負を計て可知なり
一名将は何事も預に計つもり暗将は其場に
およんで疑惑おほしといへり
軍戦の事を兵
孫子の曰。兵者
といふ兵とは弓
孫子ノ曰兵者國之大事
國之大事
鉄炮省弔総て武具一切の総名也人々持あつかふ故
に兵卒とも云也此段は軍といふは至て重ことにて好べ
ならざる義を説たりたとへば敵にかちてその国を切
とりたりとも封内ともに田地をあらし人民をそこな
死生之地存亡
ひ草木五穀財宝ともしくなりて万事につけて
よはりたり誠に国家の大事ならずやとぞ
之道察不んば
死生之地存亡之道不可不察也
也
ある可から不
大将たるものゝ才配ひとつによりて多の人の生死に
かゝれりそのうへ跡のなりゆきに依て国滅亡におよ
絹典食自
羽司老之
ぶる又は存保かの二ツに一ツの道ならずや誠に思慮を
故に之を経する
に五事を以し
めくらし察べしとなりこの孫子の一言こそ兵学大切
の第一義とも
いふべきなり
故経レ之以二五事校之以
之を抜るに七
計を以て而其
計を以て而其
情を索む
経は常とよみて又はしらだ
七計而索其情
てにすることなり次に述た
る五个条の事を常に身に引うけて柱礎となして
務る道なりとぞ又下に云る七个条の計を以て
一に曰道二に
敵と我とを比校がんがへて勝負の幾を察し
其情実を索もとむべしとなり
一曰
曰天三に曰地
四に曰将五に
道二曰天三曰地四曰将五曰法
曰法
上に云る五事の次第なり天は人間の重じて先に
立べきはづなるを第二番に置こと其子細は人間
道は民をして上
の務は道に在との義なり道を務ずして
天を論ずとも益なし故に道を第一に置と也。
道者
と意を同せ令
之与死す可之
令民與上同意可與之死可與之
与生く可して
危きを畏不也
一六経論語等に云る道
生一而不レ畏レ危也
又この下にいへる仁智な
どは聖人先王の仁智道とは異なり兵書にい
へるは凡て大将たるもの人を使の道にして此
に道とあるも民を用てかやうにあらしめんと常に
意図はかるの意ありこの段のこゝろは大将よく臣下
をめぐみ臣下忠心なれば主従意を同して生
死を与にすべししかれども法令約束くらきときは
只一命を惜ざるまでにて合戦はげしき場中に
て鬼やせん角やして宜きやと危み畏まどふこと
天者陰陽寒暑
なり是を令るの道は大将の
約束の信固にありとなり
天者陰陽寒
時の制也
陰陽とは風雨晦明昼夜なら
暑時ノ制也
びに五行吉凶などをいふたとへ
一
ば宋高祖軍を出し給ふに往亡日なりけれ
ば人々心に悪日なり往て味方の亡る日なり
といふを高祖には往て敵を亡す日なりとて
勝利を得給ふ又は風雨に乗じて夜討を
經典禽師
孫于雀之上
なし又風上より火攻を用などのるいなり寒暑
太甚しきには兵を出さず又は北国寒る土地は
地者遠近険易
夏に利ありなどいづれも時の
地者遠近険
制令その大将の器量にあり
広狭死生也
地の理に達するを肝要とす
易広狭死生也
道の遠近を察して遠と
おもふを手早とりかけ又大軍は広野に利あり小兵
は狭を利とし険き地なり易なる地なり是は
死地是は生地と委曲に兼てよくわきまふべき
なりたとへば死地はたゝかひ生地は守によろし
厳也
将者智信仁勇
智とは敵の謀略
將者智信仁勇嚴也
につゐて味方の勝
利となし人情を能さつするをいふ信とは号令
かたくして親類貴人にわたくしなく仁とは士卒
をあはれみ土地の民をなつけ勇とは大敵と聞
て懼ず鉄壁のごとく閉囲し中へもかけいり厳
とは大鼓貝鐘の約束厳重にして大鼓をきゝて
は進ゆき鐘をきゝては合戦とりむすぶ真中を
法者曲制官道
も引上るたぐひを
法者曲制官道主用
如此くいへるなり
主用也
也
一法とはおきてなり常に法を立て之を習熟
いたさすることなり曲制とは五十騎一備
なり百騎二百騎その一曲々々に旗さしもの馬
印笠印などより金鼓をきゝて坐作進退の
制あるをいふ官道とは諸奉行物頭の官それ〳〵
の司どる事より小屋あるこれを道といふ主用とは
およそこのいつくものしやうきる
凡此五の者将聞
毎日の兵粮分與る金銀攻城守城の道具
より一切の主とし用る品さだめ等をいふ
不こと莫之を知
凡此五者将莫不聞知之者勝不
者は勝知不者
は勝不故に之
知者不勝故校之以計而索其情
を校に計こと
を以して論其
情を索む
右の五事を能わきまふべしその上人の才徳罪
量に長短といふことあり此方の事は手に能入
て彼方の事は不尋手なることあり心術にも短
不肖あしきことは捨をきその長たる能をとり
孫干巻半
武藝にも長短あり大将たるもの之を聞知て
能さとりたらんものは軍に勝ちさとくざるものは
不勝べし依てなをそのうへに七个条の計を
校考あはせて其実情を索しるべしとなり
一日主孰か道有
曰主孰有道將孰有能天地孰得
将軌か能有天
地郭か得法令
勘め行兵衆孰
法令孰行兵衆孰強士卒孰練賞
か強士卒孰か
罰孰明吾以此知勝負矣
一練賞罰孰か明
第一に敵
国と味方
との主君の徳孰か作法ありて道に明かなる
かなる吾此を
ぞと察べし次に命ぜらるゝ処の大将は孰
以勝負を知
か武略知畧の能まさりたるぞ次に天の運
数と地の理の要害ぜんあくはいづれか仕合を
得たるぞ次に法度号令はいづれか能軍中に
行はるゝぞ次に兵衆はいづれか強弱多少なる
ぞ、次に土卒軍中の掛引武芸の鍛練はいづ
れか能ゑたるぞ次に大将物頭の人々その
将吾計ことを
聴て之を用れ
ば必勝之を留ん
賞罰いづれか明かに執さばくぞと両方の甲乙を
比校つもりみればその勝負の色すでにあら
はれて知もの
ぞとなり
將聽テ五計用之必勝留
将吾計ことを
之將不聽吾計用之必敗去之
我が
聴不之を用ゆれ
凡そ
ば必ず敗る之
を去ん
用ゆる所の諸将この計を能聴いれたとりなば
かならず勝利を得べしこの人留て用るにたへ
計こと利あつて
たり又この計をおつそかにするものは去十
もちゆまじきなり必ず敗北をいたすべしと也二百千
以て聴け乃ち
以聴乃爲之勢以佐其外勢者因
之勢を為以て
其外を佐よ勢
右計の利あることを聴いたし
レ利而制レ權ヲ也
なば又形勢を以て外より
者利に因て而
權を制㊃
内をたすくべしとなり五事七計はたとへば規
矩にして内とす形勢とは敵に対してその変
に応じ不意に出て真草の格を用て外より
相かぬもつて勝利を佐るをいふしかるに形勢
孫子巻之上
絶典食印
孫子巻や
兵者詭道也故
ゆへに能にて而之
に不能を示用
のことなり重と軽とつりあはざる品を只ひとつ
の握ところの妙を以て千変万化のつりあひを
ひて而之に用
不を示近して
而之に遠を示
いたすこと
なり
兵者。詭道也故能而示之。
遠して而之に
不能用而示之不用近而示之遠
近を示利して
之を誘乱して
而之を取実し
遠而示之近。利而誘之。亂而取之。
て痂之に備ふ
強くして一陽之を
實而備之。強而避之怒而撓之。忽
避怒しめて而之を
而驕之佚而勞之親而離之
撓用ふして而之
詭はあ
やしきと
を驕しめ佚す而
もいつはるともよむ字なり兵を用るのことは誠に
之を労す親む
奇変万方にして定数なくはかりしられずとの
之を離す
ことなり敵をいつはり又味方をもいつはるを密
なりとはさふ是その総名を説いだせしなりさて
右の故を以て喩ば吾は穿鑿を能して敵には能
せざる形を示し用る所の品を不用かたちにみせ
近々と談なせしとを遠ものやうに候せ遠はかへつ
て近く示し敵に利をあたへ餌かふて誘欺よせ
之をうち敵を亂さだくせて勝を取味方の軍法
約束とゝのひ実あるやうにみせて敵に安心させす
してその備など手をとしせ味方の形勢を強み
せて敵を畏避しめ敵に飽まで怒をふませ
て敵のこゝろを撓し我はきほひを卑つたなふみ
せて敵にあなどらし驕しめてこれを伐なり敵
こゝろを安佚てゆる〳〵しきを謀略を用て勞苦み
だし敵の君臣こゝろを合し親きを反問流念
其備無を攻其
不意に出此れ
などを用てその間を維
へだつる
へだつる十二ヶ条なり
攻其無備出其
兵家之勝は先
伝ふ可不也
不意此兵家之勝不可先伝也
時
に
臨の変右の数にかぎるべからす敵を攻るにその
備なきをうかゞび不意に出を妙とす兵家の一
夫いまだ戦来
大事は三略に云る謀とは密なるを要とすべし
勝べきの図ありとも事の先に漏し伝べからず
とな
して而廟算す
り
夫未戰而廟算勝者得算多
るに勝者筆を得
こと多也いまだ
戦来して而廟
也未戦而廟算不勝者得算少也
算するに勝不者
多算勝少算不勝而況於無算乎。
一は笄を得こと少
し也算多きは
勝算少なきは
吾以此觀之勝負見矣
廟とは先祖の
神霊を祭る
勝不論況んや
算無に於てを
宮居なり國家一大事といふは戎と祀との二ツ
なり依ていまだ戦はじめざるうちに廟所に於て
や乎吾此を以
て此を観ば勝
五事七計のことども算はかりみるなりもし籌策
のかずども多得かたは必ず勝べきなり算をうる
負見る
との少きは勝ことあるまじきなり況や算もな
き人は負こと必せりしかれば此道理に依て勝負
いづれにありやと察し観ば直に
明白に見はるゝものなりとぞ
作戦第二
已に始に計をなして夫より合
作戦第二
一戰を作なり長陣をいたせば
一必て害を引いたすことなりこの段の中にて
一兵は神遠なるを尚むことを肝要とさとるべし
孫子の曰凡兵
孫子曰九用兵之法馳車千細革
を用ゆる之法馳
車千駄草車千
車千乗帯甲十萬千里饋糧内外
乗帯甲十万千
里糧を饋内外
之費。賓客之用膠漆之材。車甲之
之費賓客之用
膠漆之材車申
之奉日に千金
奉日費千金然後ニ十萬ノ之師擧矣
兵を用るの害なることを極いへるなり実や兵は斉
を費し然して
器にて巳ことを不得して用といへども誠に国家の
舉式
後に十万之師
費万民の害ばくたいなり其法いにしへは車戦
といふことあり馳駆て戦聞をいたすの車そのかず
千乗なれば之を駕する馬四千疋なり是を助ふ
いふこれには大将三人士卒七十二人そふことなり
又兵粮武具を載て革にて包し車千あり
牛十二頭に駕するなり司どる人数二十五人
あり合して甲を帯したる兵士十万人なりこの
用費日々に千金も入べし子細は軍兵の糧を
鉱にも国内より国外へおくりいだす費あり又
旗下の人々をも談合恩賞等の賓客となす
入用又は謀士説容などの逗留の費〻の外膠
漆などの材ならびに車冑等の奉養これに
其戦かひを用るや
一限ずしてその費莫大なりかやうの大作憂かく
りて後やう〳〵に十万の師衆を挙しまでなり
也勝ども久きと
きは則兵を鈍
いまだ合獣には及
ざる所是なり
其用レルヿ戰也勝モ久則鈍ニ
し鋭を挫城を
兵挫レ鋭攻城則力屈久暴師則國
攻れば則力
屈す久しく師を
兵を用るは手早をたんとむなりたと
用不レ足
勝利たりとも久しく人数とゝこふ
足不
裹せば則国用
れは鋭気を挫き万事つゐへ鈍べし城を攻るにも
力つかれ屈す依て国の入用意大にして不足
夫兵を鈍鋭を
なるべし人数の外に
夫鈍レ兵挫レ鋭屈レ力ヲ
在を暴といふなり
挫力を屈し貨
らを弾ときは則
輝貨則諸侯乗其弊而起雖有智
諸侯其弊に乗
右の如く味方の弱を
して《起智者
引いだしなば敵国の
者不能善其後矣
有と雖ども其
諸侯その虚をうかゞひその弊に乗て起る加之野伏
後を善すること
士一起の徒輩きそひ出べしそのだんに至ては
能不安
故に兵は拙のふ
智者名将ありとも後のしめくりを善すること
能まじきなり貨弾とは国の入用つきたるを云
しかれは
して速やかを聞
故兵聞拙速未覩巧之久也
兵法の
未だ巧之久
肝要あるをしるべし子細は機変拙くとも手速
きを覩未也
くとりおこなふにばかならず利ありたとへ智謀
巧なりとも久しく鈍て屈したることに
夫兵久しうして
利あるとを未観となり
夫兵ハ
国利ある者は
いまだ之有夫也
久而國利者未之有也故不盡知二
故に盡く兵を用ゆ
用兵之害者。則不能盡知用兵之
る之害を知不者
は匍尽く兵を
用ゆる之利を知
利也
依て兵を用て久しくとゝふりまたは毎々
人数を出しては国に利あり盛なるとい
こと能不也
ふことを聞ざるなりこの故に兵を用るの害をくみ
尽知ざれば又その害あることを知ざるべし
善
善兵を用ゆる者
用兵者役不再籍糧不三載取用
は役再び籍せ
不糧三さび載せ
於國困糧於敵故軍食可足也
不用を求国に
兵
取糧を物敵に
囚故に軍食足
を用ゆる大将は軍役一度にて相済へし再二着
至を籍て人数をましもちゆることなし糧食も
可也
出軍と蹄国との両度は舟車運送して載は
こぶべし三たびに及ほどに鈍とゞこふるましき也
その法かならず陣具一切の用は自国より取もふ
のへ兵粮などは敵国に因て取とゝのへ少に
国之物師に貧
ても国の費をいとふべし味方の
き者は遠く輸
軍食不足これなし
国之貧於
すればなり遠く
輸するときは則
師者遠輸遠輸則百姓貧近師者
百姓貧し師に
近者は売を貴
貴賣貴賣則百姓財竭財竭則急
す売を貴する
ときは則百姓
於丘役力屈財殫中原内虚於家
財竭財竭とき
は則於丘役に
国貧く師衆事を欠といふは道とふく物を輸
おくるがゆへなり依て下の百姓まづしくなる
急なり力屈財
輝き中原の内
なり凡て師衆の逗留いたす近は万事の売買
貴して国の用金おびたゝしく百姓の財竭て
枕家に虚し
後には丘役とりつゞめに急がはしく手の不合
ともなり軍中の力屈々のうへ財渾なば中」
原内つもりの外に困窮して
百姓之費十に
其七を去公家
家々虚しくなりゆきぬ
百姓ノ之費十ニ
之費車を破馬
去其七公家之費破車罷馬甲冑
を罷らし甲冑
弓矢戟楯矛
櫓丘牛大車十
弓矢戟楯矛櫓。丘牛大車十去其
に其六を去
六
、国中の百姓こへきうして十の内七分は去
一つゐへ又公家の費といつば車やぶれ馬つか
れ甲冑弓矢戟矛楯櫓丘役の牛重荷を載
る大車そのほか一切の武具十の内に六分は
故に智将は務
て於敵に食す
すたれつゐ
ゆるとなり
故智將務食於敵一鍾當
一鐘吾二十錘
吾二十鐘ニ慈科一石當吾二十石
に當慈軒一石
吾二十石ト當
依て明智の大将は糧食を敵国にて取もち
ゆるなりたとへば敵国にて取ば米一石にて吾
国の二十石に当なり運送の費なきゆへなり
芯稈一切の物とても之に準ずるなり一種と
故に敵を殺す
者は怒也敵之
は六石四
斗なり
故ニ殺敵テ者怒也取敵ノ之利
利を取者貨
廿四
故に兵は久留によろしからず味方
者貨也
をはげまして戦勝を速疾にす
るにあり怒すとは味方をはげますの術なり
依て敵を殺とはいふなり又味方を恩賞する
車戦車十乗以
にも敵の土地金銀を用ゆるなりこれ敵の利
上を得ば其先
を取て味方の貨とす恵て費なき道理也
得者を賞て
其旌旗を更め
車戰得車十乗以上賞其先得者
車雑はりて
之を乗卒善し
而更其旌旗車雜而法乗之卒善
て雨之を養ふ
而養之是謂勝敵而益強
車戦の時
たとへは
是を敵に勝て
㊂強を益と謂
敵に勝て車十乗もとり得たらば其先一番
に降参いたせし者を恩賞して旌旗幟は
味方の物に更改その車は味方に入まじへて
乗べし又降参の土卒はよくあしらひて養
故に兵は勝を貴
育安堵に就べしとなり敵に勝ば益〳〵
んで久きを貴
形勢つよしとはこれを謂るなり
ば不故に兵を
故兵貴勝不貴久故知兵之将民
知之将は民之
司命國家安危
之主也
之によつて
之司命國家安危之主也
兵法は神
速なるに勝利あるを貴尚び久く鈍るをいとひさる
なりまゝとに兵法に知達大将こそ万民の生命
をも司どるといふべし又国家の安堵すると危
難するとの二つを主どるものなりとぞ此段兵
謀攻第三
を用ゆるははなはだ国家の害多いはれと長陣を張
ことは殊にわざわひ多きゆへを叮嚀してかくの如し
孫子の曰夫兵
を用る之法国
謀計を以て敵城を攻ことをいふ
謀攻第三
なりしかれどもねがはくは民をそ
を全たくするを上
こなひ城を破て人を殺は好ざるなりたゞ万金
爲國を破之に
火軍を全たへする
を以て上計とす是孫子の本意なり
次軍を全たくする
全たくするを上
を上と為軍を
破之に次振を
と為旅を破之
に次卒を全たく
孫子ノ曰。夫用兵ヲ之法全国為上。
上に御使を子可七才
國次之全軍爲上破軍次之全旅
ナリモノヲ以テ上レ之全軍為上破軍次之全旅
爲上破旅次之全卒爲上破卒次
するを上と為卒
を破之に次伍を
賢君并に明
之全レ伍ヲ爲上破レ上。破レ上次レ之。
将は兵を動し
全たくするを上と
高五を破之に次
合戦を用ることを好給はず已ことを不得して勝利
を貴尚といふの義を述たるなり先第一は自国
他国ともに兵を動さすして敵国おのづから形
勢しはり蹄服又は降参いたししたがふを国全
完といふて是上の計略なりしかれども其事なり
がたければ是非に敵国を打破て味方となさ
しむるなり勝利を得は善といへども全宛する
よりみれば下劣なり依て之を次といふなり一
軍は人数一万二千五百人なり旅は五百人なり卒
は百人なり伍は五人なり凡そ多人数より一一人に
是故百戰百勝
至といへども全完して勝利を取を妙とすやぶ
りそこなふを次とするなり
善之善なる者
に非ず也戦は
是故百戰百勝非善之善者也不
たり
不して而人の
兵を屈す善之
戰而屈人之兵善之善者也
しかれば
五十百
善なる者也
度たゝかふたび毎に勝利を得こと人みな善とは新れ
ども真に善とはいふまじきなり人衆を害な
人衆を害な
わず戦争を不用して人の軍兵を屈服こそ善
がうへに善智略とはいふべし上なる者は徳を
以て敵を服し次なる者は軍威を張て降従
たりしとその例羣籍に見たり
故に上兵は謀
ことを伐其次
故上兵伐謀其次伐交其次伐兵
は交はるを伐其
一依て兵を用ることの上手といふは
次は兵を伐其
其下攻城
一敵の謀略につひて味かたの謀略
下は城を攻
にて之をくじきとりひしぐしかれば味方不動して敵
に手を出さしめずこれ上の所為なり又その次は敵
国たがひに力とし頼におもふ相手を味方謀略に
依てあるひは味方へとりいれ又はその交接をへだ
て敵を弱しむるをいふ是上の謀ことを代よりは劣
たるなりその次は敵兵とたらひあるひはその不意
を伐又はその虚を攻て勝利を得るなりその
次は城を攻るとす委細は下の段にみへたり
城を攻之法已こと
攻城之法為不得已脩櫓轤轤具
を得不が為なり櫓
較輻を脩罪械
を具三月にて
器械三月而後成距埋又三月而
同後成距埋又
三月にて而
さて城を攻といふは夥多しく財宝を
後已
一費し器械をそこなひ兵衆を殺して
後已
尚その腸敗はかりがたきものなり実に已ことを不
得に依てなりその法頼輻車とて。濠をうづみ」
墨をくづす仕奇の車を修造その外一切の器
機械攻城の具いづれも日數をへて作いだすこと也
櫓は車のうへの大看なり三月とは日数ひさしき
詞なり距煙とて向城をかまへ土手山を造成
こと三月にして作事を巳ことなり心
将不勝其
将其忽に勝不
一之に準して夥々しきなり
して面之に蟻
附すれば土卒
忿而蟻附之殺士卒三分之一而
三分之一を殺
して扁城抜下
城不抜者。此攻ノ之災也。
しかるに敵城
かたく城兵く
者は此攻之災
守て動しがたくそのうへかやうの費あれば大将
ことい也
その長陣に勝かねて短兵急に俄攻などいたし
一糸貝食卓一ノ子二、巻や
なば味方の士卒三分の一ツは殺亡すべきなり子
細は屏裏に蟻のあつまるごとくとり附がゆへに
城兵ゑらみなしに打とるべしさやうにして而その
城抜ざるときは大なる災禍を引いだすべし
或は味方の内に狐疑を生じ又は兵粮ともし
く又は裏切のものあり又は敵の後詰なと
故に善兵を用者
は人之兵を屈して
もあるべしこれを城攻の
災禍といふなり
故善用レレレ兵者ハ
而戦ひに非ざる也
人之城を抜て
人之兵而非戰也抜人之城而非
攻に非ざる也人の
を毀て而久し
攻也毀人之國而非久也必以全
きに非ず也
必す全を以て
爭於天下ヲ故兵不ノ頓而利可全此
天下を争ふ
故に善兵法にくはしく全き勝
故に兵頓不し
謀攻之法也
を取といふ大将は戦殺を不
て利全ふす可
此謀攻之法也
用して敵人を屈服しめ不攻して城を後し久
く頓とゞうふらずして敵の陣城を毀となり全
完を以て天下の間に争闘とは是をいふなりこの
故に味方頓つかれずして勝利まつたし実に謀略
故に兵を用る
之法十なれば則
攻城の要
法なり
故用兵之法十則圍之五
之を圍五なれは
則攻之。倍則分之敵則能戰之少
側之を攻倍な
れば厠之を分
敵ければ則能之
則能守之。不若則能避之故小敵
と戰ふ少ければ
上に論するが如なるが
圓能之を守若
之堅大敵之擒也
故にこゝに兵を用ゆる
大数を明せり敵兵千味方十倍にて一万なれ
不ば則能之を
ば取囲てその降参を待も可なり五倍なれば
避故に小敵之
堅は大敵之擒
也
その計数を以てたとへば虎口を留て圃攻戦など
一定に拘るべからず又敵千味方二千の倍なれば二に
分て攻伐たとへば正兵は敵と対し奇兵は敵の
捨をきがたき処を攻るなり又千と千と敵き人
衆なればいかにも謀計をなし力をつくし戦攻て
勝を取べし又味方人数少寡ければその図を見
一糸貝
て逃べし能引上をかんようとす又人数はもちろん
時に取て何事も敵に不若とおもふにはその鋒先
を避のがれて敗を不取をたふとむなりしかるに。大将
それしやうはくにのうすけ
血氣をたのみ堅まもりて是非にあらそへば毎も大
走将者国之浦
夫将者国之輔
也輔周ければ則
人数のために擒虜
となるべしとぞ
夫將者國之輔也
主
國必ず強輔隙
輔周則國必強輔隙則國必弱難
あれば則國必
君
ず弱
たるの人は始にその大将の才徳を能ゑらみ已にその
心をしらばその任ずるとを委まかすべきなり大将は
まことに国家の輔なり主君と大将とのこゝろ合し
智あまねくそのまじはり周密はかならず国のいき
匂ひ強かるべきなりもしその主君と大将と隙間ある
ときは必て国も弱おとろふべし或は大将の才智
一ゆきとゞかずかけたるを
故に軍之助君
隙間といふよし
故軍之所以患於
に患る所以の
者三
君者三
辻にいへる子細はとかく君の軍事兵
法に達せずしていろ〳〵の差図ありて
軍之以て進可
大将に委任給はざるこそ第一の患なり後主の孔
明に軍を還しめ又南朝の楠公を用ることなし
不を知不して
而之に進と謂
給はざる
が如し
不知軍之不可以進而謂之
軍之以て退く
可不知不して
進不知軍之不可以退而謂之退
之に退けと
謂是を縻軍と
是謂縻軍不知三軍之事而同三
謂三軍之事を
さん
知不して而三
軍之政則軍士惑矣不知三軍之
軍之政ことを同
うするときは則
權而同三軍之任則軍士疑矣三
軍士感矣三軍
之權を知不して
三軍之任を
軍既惑且疑則諸侯之難至矣是
同うするゝきは厠
右の患といふもの三あり一には
謂亂軍引勝
君たる人軍法の進退に不知
軍士疑達三軍
既に惑て且疑
達して或は進べし退べしといふ是を謂て軍兵
を糜といふなり大将の身にして殊に患なり
ふときは三諸二には三軍の事を不知して軍中の政法を同
候之難至る霊共てつだふ是は君の心に猜疑ことのあるゆへ
と謂
是を乱軍引勝なり惣軍ことの外めいわくに及べし三には軍中の
摧とて時に臨み事に就て知略あり是は他へ
不洩してその遂し後を可見ことなりしかるに大
将に委任さずして同共に之をはからへば軍中みな
狐疑をいだくべしかやうになりゆき軍中に不
周密なればその虚に乗して敵国の諸侯また
故に勝を知に
五有以與に戦
ふ可以晦に戦
ふ可不を知者
は勝衆寡之用
を識者は勝上
り至て難義たるべし是を謂て軍中を乱文
て敵に勝利を引つけるとはいふなり古
ふ可以血に戦し故に勝符を号つけるとはいふなり古
知勝有五知可以與戰不可以與
ふ可不を知者兵財有五矢可以與畢不可以與
戦者勝識衆寡之用者勝上下同
故
下欲を同うする
者は勝虞を以
欲者勝以虞待不虞者勝将能而
て不虞を待者
君不御者勝此五者知勝之道也
は勝将能にして
《振ふ者は
勝此五の者は
可勝の道理五ヶ条あり一には戦闘べき図と
たゝかふまじき図とを知べし二ツには衆兵を用
勝を知之道也
故に曰彼を知
べきと是には寡兵を用べしとその宜きを知べし
三には上下主従その艱難又は嗜欲を同にいたす
ほどの者四には我備よくとゝのひ虞をきて敵の不
虞を待もふけたる五には大将の才能おもふまふ
にふるへども君より麿給はず制御給はざるべし此
五の者こそ勝利を知の道なりとそ
己を知ば百軍
故曰。知彼知レ己。百戦不レ殆不レ殆ヲ不知彼ヲ
殆不彼を知不
をのれを
して而已を知
而知己一勝一負不知レ知不知己
は一勝一負彼
を知不己を知
彼とは敵をいふ巴とは味方をいふ
毎戦必敗
一先我味方の虚実強弱の理に達
不ば毎戦必ず
敗
し又敵の虚実強弱を知ときは百たび戦伐と
いへども殆きゝとなし已味方の事は能とゝのひ彼
敵情にはうとくして不知ば勝負相半なるべし
又彼をば元より不知して又已にも不知あるときは
一経典、倦之
軍形第四
戦争をなして勝利あるべき道理なし
依て戦毎に必て敗るとはいへり
上に戦争の不利をくはしく論
軍形第四・
じたりしかれども軍つゐに己かた
孫子の曰昔之
く戦争に及なり依てその形るゝ
一勢ひをつまひらかに論せり
善戦ふ者は先
勝可不を為以
孫子曰昔之善戦者先為不可勝
て敵之勝可を
待勝可不は已に
以待敵之可勝不可勝在己可勝在已可勝
在勝可は敵に
在故に善戦ふ
在敵故善戦者能為不可勝不能
者は能勝可不
を為敵をして
使敵之必可勝故曰勝可知不
必す勝可ら使
ること能不故に
可為
むかしより戦攻を善する名将は先敵に
不不可勝やうにも工夫を為てそのうへにて
曰勝知可して
而為可不
敵に可勝の謀略を致て待もふくることなり扨
負ざるやう不可勝やうにとは第一将の徳ありて
将たるの道をおこなひ法能とゝのひ号令能おこ
なはれ兵つよく粮たりて扨天の時地の理を得
たるをいふ依て不可勝やうにするは已に在といふ也
既にしてそのうへにて敵の虚に乗して勝を取
ことなり依て可勝ことは敵に在といふこの故に善
戦者なりといへども負ざるやうの工夫は能すとも
勝可から不者は
十もかなりかつへきもの
守也勝可者は
攻る也守るは
敵に勝べきやうには自由すること不能となり之
に依て勝利の道は可知して勝利を得ことは不
可為
とぞ
不レ不レ可レ勝者ハ守也。可レ勝者ハ攻也
備を能して守が
卅三足不ばなり
守則不足攻則有レ余
ゆへに不可勝者の
攻るは惻餘有ば
なり
形あり又攻を以て可勝の形あり敵を攻て勝を
取または敵の攻に因て勝を取なり守といふ
は力の不足ときの心得なり攻といふは
力の余あるときの所為なり
善守者は拾九
善守
地の下に蔵善
者蔵於九地之下善攻者動於九
攻る者は拾九
一糸貝食馬八百二合三十一
善守
天之上に動故
天之上故能自保而全勝也
といふ
に能自ら保て
全く勝也
はいかに敵攻といへとも深く形をかくして知べから
ざること九地の下に蔵あるが如きをいふ又しづ
まりかへつて内のもやう知がたきともいふ又善攻と
いふはいかに敵守といふ。とも千変万化してその攻
こと九天の上に満動がごとく測かたきをいふなり
たとへば敵もし要害を恃ば要害を攻やぶり敵
もし援兵又は兵粮を恃とすれば早速せめて之
を破なり天も地もみな九重なるゆへに測知
勝を見は衆人
がたきにたとへいひしものなり依て我はよく
自から守て味方を保べし敵をば又能攻て
知所に過不善
之善なる者に
勝利を全
見勝不過衆人之所知非
べしとなり
非ざる也戰勝て
而天下善と曰
善之善者也戦勝而天下曰善非
は善之善なる
者に非ざる也
戦攻を善して勝を取といふは
善之善者也
その形なく不萌ところを取也
攻がたきを攻ても敗を不取その勝かたき場にも
利を得といふ功にはあれども善妙処とはいふべからず
此章の心は衆人の認知べきの理ならばたとへ勝
がたき場を勝たりと至極善とは言べからす又
勝利を得たらんに天下凡衆の人の善と称する
勝は是また至極善とはいふべからず可知器量の
故に秋毫を挙
人の善といふを勝利の
るは多力と為不
実に善とはいふなり
故舉レハ秋毫不爲
日月見は明目
日月見は明目
多力見日月不爲明目聞雷霆不
と為不雷霆を
聞は聡耳と為
不
秋の末は鳥獣の毛ほそくして常よ
一りも軽しこの段の喩ば凡人の皆し
為聰耳
古へ之所謂善
ることのたとへなり多力ならずとも秋毫は挙やす
し明目ならずとも日月は見やすし聡且なら
戦者は於勝易
ずとも雷霆は
古之所謂善ク戦者。勝於
聞やすしとなり
きに勝者也故
に善戦ふ者之
易勝者也故善戦者之勝也無智
勝や也智名無
古代に所
勇功無故に其
名無勇功故其戰勝不感
謂戦伐を
戦い勝こと感不
善するととなふ大将の所為はその勝易ものに勝て
敢て兵卒兵粮他の費なく目に立ず依てそれ
につゐて格別なる智者と名もなし又それにつ
ゐて勇猛大功を立しとも見ざりき喩ば恃と
する枝をいつとなく仆してその根本たる大敵も夫
ほどのになく勝利を取なり故にその勝利いつも式
感不者は其勝
を措所已に敗
るゝ者に勝也
故に善戦ふ者
はお敗せ不之
地に立て而敵
之敗を失は不
ことなし
とそ
不レ之者ハ其所措勝己敗者
也
その勝の不成といふものは必ず勝べき図をも
てふけ措なり子細は敵既に敗き形あり之
に勝なり何の
故善戦者。立於不敗之
難こと之あらん
地而不失敵之敗也是故勝兵先
也是故に勝兵
は先勝て而後
勝而後求戰敗兵先戦而後求勝。
戦を求敗兵は
先戦ふて而後
善戦者わが軍法を能とゝのへ扨戦攻の始末
つねにその敗れざる地にわが軍を立をき敵の
勝を求
吾に勝べき図をうしなはせその虚に乗じ吾敵
を敗べき幾を不失となり依て良将必勝を取
の兵は先軍法を能とゝのへ合戦の地と計策
を定かねて可勝の本をなしてその後に敵と
たゝかふ故に必勝を取なり敵に敗を取の将は
先戦攻に臨てその場にて勝利を求ゆへに
善兵を用る者
一は道を修て
危
善用兵者修道而保法故能爲
法を保故に能
勝敗之政ことを為
一故に善用兵者その道と法とを
重ずるなり道とは上にある一曰道
勝敗之政
といふ是なりひろく民を撫循するをいふなり
法とは上に三百法とあり広く銀練号令をいふ
兵の法一に曰
なりさて道を脩とゝのへ法を保おもんじて
〖吐瀉〗〗勝敗の政を達し知べきことなりとぞ
兵
度二に曰量三
法一曰度二曰量三曰數四曰稱
に曰数四に曰
一竪典薬師原子巻之上
稱五に曰勝
地事を生ず
度量を生ず
量数を生ず
数称を生ず
この五事は兵家の大事極意にして
五ニ曰勝
この外なしと心得べしその説次に
委
凡そ戦争の事は地に依を以
不安地生レ度。
て先地とはいふなり地とは山川
険阻平原など或は城郭をかまへ又は陣営を
もふけ其道程の長短又は広狭又は曲直の
品々皆丈尺寸法を用るとなり度とは丈尺の
事なりいづれも地より生じたる道理をいふ
度生レ量ヲ
一量とは斗斛の事にて物のはかりつ
もりをいふ既に地の理を度て後か
れと我と強弱優劣をつもるべきなり第一兵
根の多少そのいるゝところ并に小屋配分又は倉
廩の虚実人力の多少虎口の多少等みな
兼て量をくべし全く度より生じ来ことなり
量
一數とは算のことなり定べからずして限ある
生数
一を含こゝろなり先備の手分手配手組
称ははかり
凡て人数多少のほどに
数生稱
かなふて分合をなすなり
のことなり
右数にあづかるがゆへにはかりくらふるにいたるなり
敵と我との万事をたくらべかんがうるなり
称勝を生す
一敵とゝのわず軽卒にして味方とく
一のひて重げんぢうなれば味方かなら
稱生レ
故に勝兵は鑑を以
銖を称若敗兵
ず勝にあ
らずや
故勝兵若以鎰稱鉄敗兵
故勝兵若以鎰稱錬敗兵
は鉄を以て鑑
誠に勝利を得の形は重もの
吉ノ朱再益
一を以て軽ものを挙くに異
者ハ金禾金
郷を以て鑑若以録稱
を称若し
ならず又敗北する時其敵対なりがたく力なき
こと譬ば重きものを引挙人とて一方へ軽もの
をつり合にことならず鉄とは四分一厘尖
六毫なり鑑とは二百目の重さなり一
勝
勝者之戦ひは
者之戦若決積水於千仭之谿者
積水を㊄千仞
之谿に決が若
者は形也
形也
軍に勝のいきほひは積溜たる水を数
千丈の谿へ決おとすが如くなり是勝
いくさの形なり一切
とは八尺なり
一鰹虫除布添布巻之上
兵勢第五
兵を用るの法はすでに上に委曲
兵勢第五
なり尚その勢形をもたすべきこと
戦聞の要なるを述たり勢形とはたとへば獅子
など方に他の獣類を取くらはんとすれば容貌
をすゝめ身をふすることなり鷹もし他の鳥
を撃んとすれば翼をちゝむることなり皆その
発するいきほひをたくはふることを
そんしいわくおよそしう
第一とするなり深く察すへし
孫子の曰凡衆
孫子曰凡治衆如治寡分數是也
を治るは寡を
世
治るが如分数是
それ兵法といふは目に餘ほどの人数をもよくとり
治て寡少ものとごとくなるべしこれに依て伍人に
りくみたて十組にて五十騎ひとそなへとしか
やうにその数を分て才配すれば自由自在なり
又衆兵を戦
衆に闘ふは寡
て闘衆如闘寡形名是也
闘しむるに
に闘ふ女形名
是也
寡兵のごとくかけひきじゆうなるは形せしものを示と
は五方五色の名等をもちゆるがゆへなり形とは
太鼓貝金旗馬印などをいふ名とは青は東を
つかさどり白は西をつかさどり赤は南黒は北黄
は中央のたぐひなり太鼓をうてば敵にとりかけ
貝金をきゝては退却さて合戦中にも青旗を
さしあぐれば東へまはり白旗を僵は西をとりかこ
むかやうにして軍令よくとゝのひ大人衆といへ
三軍之衆必ず
敵を受て而敗
どもとりまはし
自在なり
三軍之衆。可レ使二必受テ
三軍を押いだ
無使可者は奇
正是也
し敵を引う
敵而無敗者奇正是也
けて敗軍せざるといふは奇正に如ものなし奇正
のことは大宗間対にくわしきなり奇正の兵とは
兵之加る所破
進退に変あり何を先何を後と遠近
遅速はからしめざるたぐひなり
兵之
兵
を以て卵に投
所加如以破投卵者虚実是也
を
如者は虚実是
也
用るの大事虚実にありたとへば互にしのぎを
けづるの中なればいづれ勝劣はあらざれどもその
怪臾余叩
系子巻之上
我子巻之
虚なる如きわめてこれあるものなり或は敵
の後へ出またはその兵粮に火をかけ敵をさだゝ
すのたゞひ万変なるべししかれば酸を以て卵に
投かくるは実を以て虚をうつのたとへなり名
凡戦ひ者正を
以て合奇を以
て勝
将といへども時ありて虚あり愚将と
いへども実したる時あるとなり
凡戦
凡そ戦法は敵をむか
へたゝかふ是を正軍と
者以レ正ヲ合。以レ奇勝ス
故に善奇を出
者は窮り無こと
いふなりその中に種々応変の手段あり是を
奇兵といふなり奇正の事華紙口伝に認め
故善出奇者無窮如天地不竭
天地の如竭不
江海の如
如江海
善計ことをなして奇変神妙な
るときは誠に天地の窮なきが如く
終て而復始る
日月是也死て
◯更に生ず凹の
時是也
江海の竭しなきが
ごとしとなり
終ニ而復テ始日月是
也死而更生四時是也
又たとへば日洞
の西へかくれ終
しかとおもへば東へ始まり出なり春夏秋
冬の四時も入かわり〳〵にうせ死かとおもへばまた
聲五に過不五
声之変勝て
聴可不也
かへり生ずる
ことなりき
聲不過五五聲之變不可
ものゝ音声といふは唇舌牙歯喉の
勝聽也
五音ばかりなりしかれどもその五声
いろ〳〵の調子ありてその変はたれも聞つくせし
ものなく誠にその変勝てはかられずとなり
色五に過不五
色不過五五色之變不可勝觀也
色之變勝て
観可不也
ものゝ色も青黄赤白黒の五より外なししかれ
どもその変にいたれば観つくすことなりがたし
味ひ五に過不
五味之変勝て
味不過五五味之変不可勝甞也
当可不
ものゝあじわひはかたくあまくにがくすくしわはゆ
きの外なし点にしゆ〴〵のあじわひにいたりては
通一盡ざる
尽ざる
戰勢奇正に過
戰勢不過奇正奇正之變不
不奇正之變勝
一竪虫余而一丁
て窮可不也奇
正相生ずる循環
可勝窮也奇正相生如循環之無
軍戦の事は奇正の二より
之端無如し孰
能之を窮ん哉
端孰レハ能窮シ之哉
外なしまた上にいへる五
味五声のたとへのごとし誠に循る環の端なき
がとしその数きわまりといふことなし
激水之疾石を
水の性
れ漂はすに至者
激水之疾至於漂石者勢也
やわら
勢也
鷲鳥之疾於毀
かなれども激き来ときはかへつてその勢力いは
ほ石をも漂流といふは勢をとるゆへなり
折するに至者
は節也
鵞鳥之疾至於毀折者節也
鷲鳥
はわし
たかのるいなり犬鳥といへども羽撃てこれを毀折
といふものはそのいきほひ疾うちに曲節をたく
故に善戦ふ者
は其勢険其節
わへもつが
ゆへなり
故善戦者其勢険。其節短。
短
善いくさに妙なるものはその勢形を険にもち
てその曲節は短きをもかゆることゝなり
いきほど
勢ひ弩を強が
勢如曠弩節如発機
声女房姦食女声打つとむ故に声弓
勢形は激きをた
つとむ故に弩弓
如何
如節機を発が
を強がごとしとなり曲節はゆとり
るをたつとむ故に弦をはなれて発出する処を
ふやくうん〳〵たゝ
紛紛紜紜闘ひ
亂て而乱可不
綿太
要と分分二ト云云云
一紅々と
闘乱而不レ可レ亂
氏名兵兵急円筒百一人歯細々と
はさんらんいりみだるゝ貌なりしかれども乱れし
やうにて実は乱ざるなり奇正変化の妙をいふなり
渾渾沌沌形円
からず
にして論敗る可
渾渾沌沌形圓而不可敗
こん〳〵とん〳〵
渾々沈々と
はまろく
不
つゝみわかれざる魚なり形みとむる所なく円に
にしてすこしも敗やぶれずとなり備とかひ
乱治に生じ
一怯於勇に生じ
に。亂生於治。法生於勇弱生於強
弱柱強に生ず
凡
治亂數也勇怯勢也強弱形也
治乱は数也勇
そ
そ
怯は勢ひ也強
弱は形也
事物みなしぜんと数ありて治なる中より乱を
生じ勇よりかへつて怯を生ずる勢あり彊
怪曲除而
孫野巻之上
故に善敵を動
す者は之に形
なる形も弱形
故善クレ敵者敵者形之敵
生ずることありとぞ
して敵必ず之
必從之子之敵必取之ヲ以利動之ヲ以レ利動之ヲ以レ利動之ヲ
に従ふ之に予
て敵必ず之を
取利を以て之
を動本を以て
之を待
以レ本ヲ待之ヲ
一故に敵を能動し自由するものは形を
一敵へ示ときは敵たちまち敵より従
きたるなり予んと示ときは敵かならず来て取と
する依て利徳を以て敵を動し卒士の心をま
どわしつゐに本軍の人数を以て待
うけて勝をとるべしとなり
故に善戦ふ者
故善戦
は之を求勢ひ
者求之於勢不責之於人故能擇ヲ
に求之を人に
責不故に能人
を択で而勢ひ
これに依て人をゑらみて勢形を
人而任レ勢
とるなり或は勇者剛強なる
に任
ものを以て一番のりとし又は敵を真にいだるひ
よするに怯弱なるものを一の先とするたぐひみな
勢ひに任者の
其人を戦わしむる
勢形をとる
任レ勢ニ。其戦レ人也如轉レ轉ルヲ
ものなり
也木石を転るが
如木石之性安仁
木石木石之性安則静危則動方
ときは則静なり
則止圓則行
一人を用るの法は木石をおとし
まろばすが如し木石の性
危ときは圓動
方なるときは則
止円なるときは
もし安かなればまろび行こと静なりもし形危
なる時は能うごくなり方なればよく止まろき
則
ときは能てんじ
まろぶことなり
故善戦レ人之勢如転
故に善兵
故に善人を戦は
圓石於千仭之山者勢也
しむる勢ひ円石を
をもちゆる
千仞之山より
転が如者は勢
名将はたゞいきほひを取を妙とすたとへば円いしを
千丈の嶽より墜に異ならずとなり勢形をとるといふ
ひ也
処ふかく思怪すべし伊とは八尺なりこの篇の肝要
たゞ勢をとるを妙とす力を以てあらそふべから
ざるを
いふ
虚実第六
虚といふは和訓すきまふそゝ
虚実第六
あきがらなり実といふは和語
医典除師医師
には充わたるとも十分といふにおなじきなり名
将は奇正変化の妙にわたるといへども名将も
そんしいわくおよそまづ
孫子の曰凡先
一時に依て虚なる時あり愚将も
実なるの時ありとしるべし
戦地に処て而
敵を待者は佚
孫子曰凡先処戰地ニ而待敵者佚ス
す後て戦地に
○多處我也一力戦地とは兵を
戦地とは兵を
後処二テ戦地一ニ而趨戦者労一
処んとして而趨
用て善場所
す
き戦ふ者は勞
故に善戦ふ者は
をわがかたへ先へ処しきて敵兵を待ばこゝろ供安
て勝をとるなりもし後て場所へ趨き至
ばいたづらにこゝろ労して軍勢とゝのひ文
故善
かたし明智氏山嵜の一戦のことし
人を致して而
於人に致され不
依て善戦者
戦者致レテ人而不レ致レ致レ致二ガ於人一ニ
吾虚なるを
能敵人を自から
かへつて実とし敵の利をかへつて吾利と
なすことなり是を人を致きわむるといふなり
至ら使むる者は
之を利すれば也
能使敵人自至一者利之也能使敵
能敵人至ことを
得不使る者は
人不得至者害之也
利を以て敵を
剣を
欺き至しめ敵
之を害すれば也
の害なることをもふけはかりて
動至しめざるとなり
故ニ敵敵
故に敵佚すれ
ば能之を労し
能勞之飽能飢之安能動之出其
それ故に敵のころ
飽けば能之を飢
し安れば能之を
佚みあれば苦労
所不趨趨其所不意懼
動す其趨か不
る所に出其意
なることをしかけ敵もし兵粮にみち飽てあれば之
を飢すやうにしかけ敵もし安居あれば動
て
不る所に趨む
みだしやうにしかけとかくして敵の趨き行ざる所へ
出て敵に手をとらせ意がけなき処へ押よせこれを
行こと千里にして
て労せ不者は
代に行千里而不勞者行於無人地
於人無地を行
けば也攻てて
也攻而必取者攻其所不守也守
ず取者は其守
ら不る所を攻
而必固者守其所不政也。
依て名将は
遠を行ども
経典除師
れば也守て必心を勞し苦みつとむることなしたとへば晋の大将
す固き者は其軍節艾が蜀の国へしつびゆきしが如く敵の防
は也
攻不所を行がゆへなり又城を攻に
も必てのりとるといふも北条の勢兵が笠衣の城
を取しごとく敵の守のなきところより攻かゆへなり
又味方いつも城を敵に不取といふも敵の来ざる
故に善攻る者
所までも心をくばり不意を
うたれざるがゆへなり
は敵其守所を
故ニ善クル者。敵
知ら不善守る
不知其所守。善守者。敵不知其所
者は敵其攻る
所ろを知ら不
放
又故て攻ての善者は敵の城内いつも其守べき
所をしることなし又城を守の善者といふも
微なる乎徴なる
乎無形に至る神
寄手の者その攻べき場所は
微乎微乎。至於
を知しあたわずとなり
なる乎神なる
乎無聲に至る。
無形神乎神乎至於無聲故能爲
故に能敵之司
命と為る
敵之司命
実や名将の事といふは微妙不
○思議にて神の如し此ぞ察し
進で而禦可から
て我ものとせんとしても形なく声もなきが
ごとくなり故て大将の一人の所為にて衆の人を
不者は其虚を
生死ことなり天に人の命数を司どる星と
衝けば也退ひ
あり大将は司命の星のどし
進テ而
て而追可から不
者は速かにして
不可禦者衝其虚也退而不可追
也
及可から不れば
者速而不レ可及也
名将の軍を進て向は
んに敵ふせぎ禦るみ
故に我戦はんと
なりがたき子細はその虚なる所に衝かゝるがゆへなり
欲れば敵壘を高
又名将はその図を見て人衆をまとひ退がゆへに
し溝を深すと
雖も我与戰は
敵追きたるといへども
我我敵戦戦戦敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵戦戦敵敵敵敵戦敵戦敵敵
速急にして及ざるなり
不を得不る者
壘深溝不得不與我戰者攻其所
は其必ず救所
を攻れば也我
戦ひを欲不れば
必救也我不欲戦雖畫地而守之
地を尽して而
敵不得與我戦者乖其所之也酩
之を守と雖も
堅曳余而
敵我與戰ひを
得不者は其之
戦闘と思給へばたとへ敵われと戦争まじとて
塁を高つきあげ溝を深すともその敵のたの
所を垂れば也
みとする救の所をせむるがゆへに敵いやとも出き
たりてたゝかふことなり又名将たゝかふまじきと
故に人に形し
おもひ給へばたとへば地の上に一文字を書てさ
かいとし守んに敵それを越きたらず于細は敵
て而我形無れば
則我専らにして
の之先の路をうたがはしめあやまたしむるゆへ
なり敵のこゝろへを垂しむるものなりとぞ
而敵分る我専ら
一と為ば敵分て
故形人而我無形則我専而敵分。
十と為是十を
我專為一敵分爲十是以十攻其
以て其一を攻
也側我衆く敵
寡し能衆を以
一也則我衆敵寡能以衆撃寡則
て寡を撃ときは
惻吾與に戦ふ
形するとは其こゝろ極
吾所與戰者約矣。
て深し或は埋伏又
り
所の者は約な
はみせ旗をなして形を示し又正を奇に変じ
又実を虚に虚を実に変するを形なしといふ
吾與に戰ふ所
之地知しむ可か
ら不知可から不
我は一すじに専はらにして敵はうたがひ分々になる
対配の人衆なるとき敵十にわかるれば味方の
一すじは衆兵にして敵は小勢なりしかれば力
一まさり勝べきの理なり一に約とはいふなりし
ときは則敵備
る所の者多し
敵備る所の者
一多ときは側吾
吾所與戦一之地不レ可レ知不可知則
敵所備者多敵所ノ備者多ク備者多。則吾所ノ
與に戰ふ所の
者寡し医
故て味方の戦闘ところの場
所は敵に知しむべからず知
與戰者寡矣
故に前に備れ
ざるかゆへに備わかれて多ちりへだつるなり是
ば則後に寡く後
に依て吾は多勢敵はすくなし
備れば圓前宴し
左に備れば圓右
寡く右に備れば
則左寡し備へ
不所無ときは円
寡から不る所無
故備前則後寡備後則前寡備左
寡く右に備登川台寡菊台川三家無行不備則
則右寡備右則左寡無所不備則
◎左寡輔は家休无具右算無内不備具
無レ所レ不レハ寡ニ寡者。備レ人者也衆者。
一経由桑市系子兵之ト
寡き者は人に
備る者也衆者
人備一ハ己ル者也
故てしかと敵を計ゑざれば
人数を放ちらすがゆへに衆
人をして已に
備へ使る者也
もすくなく減ずる道理なり前に備をい
たせば後のかた人数すくなし右に心ひか
るれば左まばらなり八方へ備んとすれば人数
すゝなくなるなり敵人を使て已にそなへさ
故に戦之地を
知戦之日を知
ときは圓千里に
して而会戦す
すれば我かた多の
道理ならずや
之日則可千里而會戦不知戦地
故知二載之地一知戦
知戦之日を知道理ならずや古矢筆之地矢筆一
可戦地を知不
戰日を知ざれば
圓左は右を救み
能不右は左を
救ふと能不前
不知戦日則左不能救右右不能
職日を知ざれば不レ与二戦日則左不能救レ右右右右右右右右。。右右右右右右。右右不能
綱佐は右を救ふて。右を救して
救左前不能救後後不能救前而
誰不右は左を求レ尤前不自求レ後後後不レ自所
一は後を救こと能
況遠ク者數十里近者數里乎
故て戦
闘べき
不後は前を救
図をつもりその地理を知どの敵と出会べさの
こと能不而を況や
日積を知ときは千里の遠をへだつといふとも
遠き者数十里
近き者数里を
辛
あゆぶみなしもしその場その日の図をわきまへ
ざれば左は右を捨右は左を救がたく前後度をう
しなふことどもなり況て間あるひは数十里又は
数里をへだてしはなをいかんともいたしがかし。
呉を以て之を
度に越人之兵
以呉度之越人之兵雖多亦美益
多と雖も亦奚
んが勝に物益あら
ん哉故に曰勝
為可也敵衆と
於勝哉故曰勝可為也敵雖衆可
使無闘
一吾呉国の人衆を越国の敵兵と、度
みるに越人は紛々としてしまり
雖も闘こと無ら
なし多人数といへども勝利益あるまじきなり
使可し
故に味方の勝利は為べきなり敵衆多なりとも
故に之を策て
て得失之計こと
を知之を作て
動静之理を
聞争ことをいたさしむ
べからずとなり
故策レ之ヲ而知得失
之計作之而知動静之理形之而
知之を形して而
死生之地を知
知死生之地角之而知有餘不足
一絲與鎗區一ノ孫二、若
之を角て百有
餘不足之処を
之處
兼て敵の特よる地形と軍兵をくり
いだし用る処などを策なりていづれが
矢
利を得と失なふとの計をいたすなり又敵を作し
てその動と静との道理を知べきなり又味方
一強弱の形をしめして敵をあざむきよせ譬ばこゝ
は彼死亡べきの地なりこゝは彼存生べきの場
なりといふことを知なり又敵に角てかやうにせ
ば我いきほひ有余て十分なりかくなしては勢
故に兵に形する之極
升不足なりと其図を手に握となり
物形無に至る
形無に至る「皆兵を用ゆるの肝要なりとぞ
皆兵を用ゆるの肝要なりとぞ
形無れば因深
故形兵之極。至於無形無形則潺
間も窺ふこと能
不智者も謀こと
能不形に因て
間不能窺智者不能謀因形而措
而勝を求衆に
勝於衆衆衆不能知人皆知我所以
措く衆知こと能
不人皆我勝所
不人皆我勝所
勝之形ヲ。而莫レ知レ知レ知レ知レ制レ勝レ勝ス之形二
以之形を知ども
て吾勝を制る所
以之形を知こと
軍の形は方円曲直鋭の外なけれども時の変化
さだまりなし或は不意に出またはその虚を
莫し
うつ依て形無とはいふなり敵ふかく間者を
いるゝといふとも窺しるべからす智者も謀計を
ほどうすことあたはざるなりしかれども敵に示
ところは先形なりその形を以て敵に対し
さてその敵衆の変動して虚実を見て勝利
の道ぞ定め措るゝなり依て敵衆もうかゞひ
故に其戦ひ勝
知ことあたはざるなり是を以てたとへば我勝を
とりたる時の形は見知といへども其勝利を
て復せ不して
形に應於に窮
制造なせし所以は知
故其戰勝不復而
ことあたはざるなり
り無し
夫兵の形は水
一故にたゝかひ勝たるその形を
一再復もちゆるはつたなし
應形於無窮
に象る水之形
は高を避て
依てその敵に応ずる
夫兵形象水水之
一形の窮なきやうにすと也。
下に趨兵之牙
は実を避て
分二年テワヲワヲワカカー。ニ
形避高而趨下兵之形避實而擊
虚を撃故に水
は地に因て而
虚故水因地而制流兵因敵而制
流を制兵は敵
券兵を用ゆるの法は水に象ことなり易に
月師の卦あり坤は地なり坎は水なり
に因て而勝を
制す
水の地にしたがふにかたどるなり水は高して
至がたき場所を避て下やすしかなるに趨向
なりその如に兵を用ゆるにも敵の実整た
る処をのがれてその虚を撃ことなり水の形
いじやうせいなく
故に兵に遣
故に兵に常勢無
は地にしたがふて変化し兵の動くも敵
に応変して勝理を制ことなりとぞ
水に常形無能
敵に因て変化
して而勝を取
故兵無常勢水無常形能因敵變
に圓て商故兵無常勢水無常形能因敵變
依て兵法に定ま
者之を神と謂
化而取勝者謂之神
れる常の勢形と
いふはなし水に定まれる形の魚がごとしいたづ
らに陣法城築備の形に泥ものは機変なき者也
故に五行に常
勝を取の変化測がたからしむるを名
故五行無常勝
勝無四時に常
四月十に付て神といふ也妙々の事をいふ
位無日に長短
有月に死生有
四時無常位。日有長短月有双生。
水の火に克て火の金に克ことは五行の定まれ
る道なりしかれども水火木金土たがひにし
て常に相勝こと定まりはあるべからず四時たがひ
に先後して常定る位地なく日月には短長
死生の変化あり生とは月に光を生ずるをい
ふ死とは月の光をほろぼすをいへるなり
軍争第七
軍争第七
三軍の事は争利を第一とす
一二を挙ていはゝまづ敵の
一虚に乗ぜんと心がけ味方の虚を畏つゝしむ敵の
労に乗ぜんと心かけ味方の労を畏つゝしむ
そんしいわくおよそへい
孫子の曰凡兵
総て戦聞の図又はたゝひの場所そのほ知
早く得たる方の利となるべきものを抽
争欲こと
を用る之法将
第一なり
命を求君に受
孫子曰。凡用兵之法将受命於君
軍を合せ衆を
聚和を交て
舎す軍争より
難は莫
合軍聚衆交和而舎莫難於軍争
兵を用人とするの日大将たる人その主君の
命を奉て軍衆を聚合し敵と和門を
軍争之難者は
対し交て営舎ことなり扨右の如く三
軍の相争第一にして最難義このうへなし
迂を以て直と
軍争之難者以迂為直以患為利
為患を以て利
と為故に其途
を迂にして而
御設に其難故于其余ニ而秀之以利後人発先
故迂其途而誘之以利後人發先
之を誘に利を
以てす人に後
軍争の至
人至此知迂直之計者也
極むつかし
て発人に先だつ
く難といふわけは大将の深く思慮をこらしむるに
て至此迂直之
あり迂とは廻どふく足塲たよりなき等の道
計を知者也
なり直とは近して利なる道なりたとへば近く
たよりなる処へは敵より押かためてあるときは
引ちがへて迂なる方を便とし行なり是わが
患を利とするものなりその迂なる途を行に
〽敵利を得たりとおもふやうに誘いだし又引か
がへて急に直にかゝりて押行是を人に後て
軍争は利と為
かへつて人に先だつとはいふなりこれ
迂直の計に達したるとはいへり
軍争ハ
衆争は危と為
軍を挙て而利
爲利衆争為危舉軍而争レ利則不
を争へば則及不
敵味方と
重捐
軍を委而利を
及委軍而争利則輜重捐重捐
も戦地に
争へば則輜重捐
よりたゞひに軍の隊伍を分て相あらそふ利にあ
る
らざるものなし若隊伍なく衆兵一羣にあら
是の故に甲を
巻て而趨る日
そふときは危殆ものなり扨また軍兵も〴〵く
引挙て一様に行いたらへと欲すれば遅して及か
なし又軍衆をの〳〵思くに分て行とすれば手
軽分は行いたるべけれども重はあらに残て輜重
夜処まら不道
を倍し行を
諸器みな捐て
後にありとぞ
是故巻甲而趨日夜
兼百里にし
利を争へば則
不処悟道兼行百里而争レ利則擒二
須臾余師系子崎之上
絹鳥負馬
三将軍を擒に
せらる
三將軍
一しれば軍の争のとき法にすぎて敵
地ふかく入ときは味方の大なる害なり
勁者は先ち疲た
甲を巻て日夜わしり道里を兼倍て百里
をゆくときは必て賤をひき出すべし三軍の
る者は後る其法
十の一にして
至五十里にして
而利を争そへば
将も敵に擒
動者先疲者後。其法十
らるべしとぞ
一而至五十里而争利則蹶上将
則上将軍を蹴
す其法半至る
軍其法半至三十里而争利則
三十里にして
て利を争そへば
側三分之二至
る
是の故に軍に
輜重魚ときは
三分之二至
あらそひ行とき動者なるは
先へ疲者しは後になり十
人の者がわづか一人ゆきて外九人は至がたし
又五十里にあらそへば上軍の大将かならず敗
北して蹶くべしたとへば十人の内わづか。半五
人いたるべしとぞ三十里にあらそへば十人の妨
わづか五六人いたるべし是二才
の二ぶんにあたるべきなり
是故軍無
側込ぶ糧食魚
ときは則凶ぶ
委積無ときは
囲込ぶ
輜重則亡無糧食則亡無委積則
込
上をうけていへるなり輜重の車とは一切の
軍器をたくわふなり委積とは豆わらた
故に諸侯之謀
きゞなさいのたぐひなり且ひやうろうも此三し
ななきときは敗軍をなして遂にほろぶとなり
一ことを知不る者は
豫じめ交ること能
故不知諸侯之謀者不能豫交不
不山林險阻沮
沢之形を知ら
知山林険阻沮澤之形者不能行
不る者は軍を
行ること能不納
軍不用郷導者不能得地利
諸侯
たる
尊を用不者は
地の利を得る
こと能不
もの鄰國としたしみ不意の戒めなければ兵
を交聞をなすこと不能なり山林險阻の土
故に兵は詐を
地沮澤の形をしらざるものは軍行をいだすと
なりがたし又郷道者をなつけ用さるときは
以て立ち利を
以て動く分合
地理をしらずして
かけ引なりがたし
故ニ兵以訴立以利
経曲除師源子巻之上
新助館贈物舟二新九
者也
を以て変を為
兵の道を名づくる
動以二分合一ヲ為レ變ヲ者也
時は詐偽ともいふ
故に其疾きこと
べきなり人に測れざるを要とす利かたを以て
敵をも動し味方をも動すなり軍の進退は
風の如し其徐
なること林の如し
侵掠火の如し
千変万化あるひは分あるひは
合し自由自在たるべきなり
故其疾如風
動不こと山の如
其徐如林侵掠如火。不レ火。不レ動如レ山ノ難
し知り難きこと
陰が如し動く
知如陰動如雷震
文字解し易し深
あぢはひ考省べさなり
こと雷震の如
郷を掠るには衆
掠郷分衆廓地分利懸権而動先
郷を掠めらは剰打郷分衆廓地分利懸権而動先
を分地を廓る
かは利を分権を
矢迂直之計者勝此軍争之法也
懸て而動く先
迂直之計ことを
人衆を分て郷里の糧を掠とり廓く敵地を
手にいるゝ時は諸将に分あたへ之を守て利と
之法也
知者勝此軍争
す権衡を県てとのをつりあわすごとく応熱
きわまりなくして動その迂どふきは直に
軍政に曰。
して旱なることの計を能し
るものは勝理をうるなり
軍政ニ曰。
軍中の
政をし
段をし
言相聞不故に
るせし古
言不相聞故為之金鼓視
書なり
之が金鼓を為視に
相見不故に
不相見故為之旌旗夫金鼓旌旗
之が旌旗を為夫
金鼓旌旗者人
者所以一人之耳目也
軍中数万の
人なれば言とゞ
之耳目を一はら
きがたく目とゞきがたし金鼓旌旗幟を以て
にする所以也
軍中の耳目を一様に自由して下知する
人既に専一なる
ときは則勇者独
る人既ニ専一則勇者不得二獨進法
進とを得不怯
者獨退くことを得
人々に
者不得獨退此用衆之法也
な大将
之法也
不此衆を用ゆる
の下知を受て金鼓旌旗等にて心得事一なる
ときは勇気ありとて独進することあらず怯弱と
故に夜の戰ひは
てみだりに退口きたなびれず此衆師を反
もちゆるの法といふべし
故夜
孫子巻之上
新身飾所ノ孫一
火鼓多晝の戦
戦多レ火鼓晝戦多旌旗一。所以変人
ひには旌旗多人
の耳目変ずる
所以なり也
一夜合戦には火をまし昼は旌旗
之耳目也
を多にして敵の耳目を感じ変
三軍は気を奪
三軍可奪氣將軍可奪心
可将軍は心を
勝負の
かんやう
奪可
外ならず大将の心のつかる所をうばひ敵の三
軍の一時の氣をくじきうばふべしとなり
是故に朝の氣
是故朝氣鋭晝氣惰暮氣ノ氣ノ氣ノ氣ノ氣ノ用
は鋭昼の気は
惰り暮の氣は
歸善兵を用ゆる
兵者避其鋭氣撃其情歸此治氣
者は其鋭気を
避て其惰り帰
者也
凡そ人の氣かならず朝は鋭にしてさかん
なり晝になりては人の氣かならずゆる
者也
を撃此気を治
み惰るなり暮になりては人の氣うみつかれくるし
むなりたとへば朝は行すゝまんとするも暮には一
足も蹄たくおもふなり一日の間のみにかぎらず人の
気初中終の三あるもいへるなり名将は敵の
鋭気をさけてその惰気をうちとるなり是気
治を以て斎を
の道理をわきまへ治むるといふものなり
待静を以て謹
以治待亂以静待謹此治心者也
を待は此心を
治むる者也
我は能とゝのへ治て敵の軍法みざるゝをうかゞ
ふ我しづかにしづまりて敵のうごきかまびすし
近を以て遠を
待俠を以て勞
きを待は是こゝろを
治のふるの術なり
以近待遠以佚待
我は近よ
を待飽を以て
勞以飽待飢此治力者也。
りて敵の
飢を待は此力
を治むる者也
遠くきたるをまち我はよくそなはりて保き敵の
労おちつかざるを待もふけわれ根たくわへ
正正之旗に邀
ありて飽みちて敵の飢て乏きを待てこれを撃
なりこのだん力をとりとゝのへ治むるといふもの也
こと無れ堂堂之
陳を撃こと勿
無邀正正之旗勿撃堂堂之陳此
れ此変を治る
者也
軍法の正々そなわりたる旗いろ
治蠻者也
の敵はむかへたゝかふまじきなり
経史余師
糸身食自
故に兵を用ゆる
又威勢の堂々なる敵陣は撃かるまじきなり
之法高陵に向
一是奇変をとゝのふるの術つなり
と勿れ丘を背
故用兵之法高陵勿尚背丘勿逆
にて逆ると勿
れ佯り北を從
伴北勿從錢卒勿攻餌兵勿食歸
こと勿れ鋭卒を
攻こと勿れ餌兵。
をば食こと勿れ
師勿遏圍師必闕窮冠勿迫此用
蹄師を遏ること
勿れ師を囲と
高陵にある敵に向まじきぞと
レ兵ノ之法也
なり敵山丘より下きたるを逆
きは必ず闕窮
冦迫と勿れ此
たゝふまじ又伴わりて我をさもひ止は従ゆく
まじ鋭気十分なる敵を攻べからず又我に利欲
也
兵を用ゆる之法
をあたへ餌かふ敵はつゝしみて食つくまじ又敵
その本国へはづみからし敵は遏おさゆるとある
まじきなり師取囲の法はかならず一方を闕ゆ
るすべし敵も必死とさだめ窮寇となりては味方
うち死多しとなりゆき窮て逃どうつなき寇
は追迫て討まじきなり右八ツ条は兵の要法也
九變第八
一法はきわま
兵は常法ありてその変法はきわま
なきなり
りなし九は数かぎりなきなり
九變第八
孫子の曰凡兵
を用ゆる之法
孫子曰。凡用兵之法將受命於君
将命を君に受
於軍を合衆を
合軍聚衆
兵を出には大将たるもの君の命
を受て人衆を受て人衆を聚て法令をた
聚む
つること前にくわし
きゆへ略す
地地無舎衢地合交
記地は舎する
地地
こと無衢地は交
絶地無留団地則謀死地則戦
わりを合せ絶
とは下にてかたむきやふれし場処なり舎とゞ
地は留まること
魚れ囲地は則
はち謀死地は
まるべからず衢地といふは八方へたよりありて
しまりなき場処なりかやうの場は都の諸侯
と交を厚して助とす絶地とはあとへもさき
則はち戦ふ
へも絶きれすみがたき場なり必ず留まじき
ことなり囲をうけて出がたく四方険なるやうの
場にはかねて能く謀をいたし置べし死地とはかな
らず土地にかくはらずへかにしても討死すべき瘍と時
節とありかやうの死を必てたゝかふときは生活の
理ありとぞ又一説に上文の高陵といふより以
下八ヶ条にこゝにのせし絶地無留の一句を合て
九変の文として又地地といふより以下の文を
途に由ら不所
有軍に撃不所
九地の文のまじ
われるといふ
途有所不由軍有所
有城に攻不所
不撃城有所不攻地有所不争君
有地に争わ不
所有君命受不
所有
道途に由そひゆだんなりがた
命有所不受ル
き場処あり伏勢などおそる
べし敵軍とるへたるに無理なる撃攻ならざると
あり城に攻まじく無理に人数をそこなひよわ
りを引いだすことあり土地にあらとふまじきと
あり攻取がた〳〵又守がたく又は無益に手間を
とりてさまでもなきとあり又君の命といへ
故に将頼九変
ども戦場にて受客ざることあり利と害とによ
之利に通ずる
者は兵を用ゆる
故将通於九變之利者知用兵
ことを知俟将九
變之利に通ぜ
矣将不通九變之利雖知地形不
不者地形を知
と雖も地の利
九変の利に通ずれば兵を
用るとを知となり九髪
能得地之利矣
を得こと能不
の刹にくしければ地形を知といふともその変を
不知ときは地の利を手にいることあたいずとなり
兵を治るに九
治兵不知九變之術雖知五利不
變之術を知不
ば五利を知と
雖ども人之用
を得こと能不
九変の利に通ぜざるとき
は五ヶ条の利害を知て
レ能レ得二人之用一ヲ矣。
いふとも人を用ゆるの術に
能わざるとなり
是故智者之慮
是故に智者之
必雑二於利害
智ある人は事を慮おこなふに
利と害とあるとを雑してと
慮はかりは必ず
利害を雑ゆ於
りおこなふなり愚人はたゞ利のみ
雑於利而
をはるを以て悔ことおほし
桑芋禾雨
をはるを以て悔とおほし二季半手手
利に雑而務め
信べし也
ひとへに利をはかりもし不意に
いたしちがふときは手つまりなり
務可レ信ノ也。
一銭弐朱
於害を雑て而
智者は利なることにも先害あるとを
雑ニ於害
患解可也
雑はかり置がゆへにつかへずして。信行也
而患可解也
害なることは愚人は常志とりなを
しなくくるしむとなり知者
是故に諸侯を
屈する者は害を
は害なることにあへばその内へ利をかんがへ雑へをく
なり依て心患を解ほどくことなり意深し
以てす諸侯を
是故屈諸侯者以害役諸侯者以
役する者業を
以てす諸侯を趨
しむる者は利を
是故に利と害とをて
業趨諸侯者以利
だてして敵国の諸侯
以てす
をもなやますべきなり或は害なるとをいたしか
けて敵を屈服せしめ或は業をもふけてそれに
故に兵を用ゆる
一侵れ苦労せしめあるひは利かたなることをかまへおき
之法其来ら
て敵にくいつかしめて趨うごかせなど無量なる
不を恃と無れ
吾以て之を待
べしと
なり
故用兵之法無恃其不来恃
と有を恃其
攻不を恃と
吾有以待之無恃其不攻恃吾有
無吾攻可から不
所有を恃也
右に述る処を察し常に利害
を交て工夫をいたすべしたとへば
所不レ不レ可レ攻也
敵の我土地へ来ざるを以て恃として僥幸とおも
ふべからす敵のきたしぬ内にまづ用心をいたすべしと
故に将に五危
有必死殺可必
生虜にす可忿
なり又敵よりきたり我城を攻ざるを以て恃と
すべからす敵のきたゝぬ内に敵をふせぐべきてだて
をいたし置
故ニ將ニ有二五死可殺必
べしとなり
生可虜忿速可侮廉潔可辱愛民
て速かなるは侮る
可廉潔は厚し
む可民を愛す
るは煩はす可
可煩
もの段は大将に五の病あるなりこの故に
災禍を引いだし危殆ことありとて譬ば
血気の勇のみにて智つたなく必死と定めし
ものは助て益なし殺べし命をおしみて生々
と心を必るものは毎も虜となることなり又心
の速しく忽はらたてやすきは此方より侮り
辱しむべし又廉潔とてひときわいさぎよき
を好ものにはその身にうしろぐらき事のあるやう
一、糸貝食間孫子、巻之一
凡此五の者は。
将之過ち也兵
にしなすべしとなり又憐愍なる人がらの民を
愛するにはその手下支配下のものを煩におもふ
やうにしなす
となり
凡此五者将之過也
を用る之穴わい
也軍を覆へし
用兵之災也覆軍殺将必以五危
将を殺こと必す
是大将の過失にして兵
五危を以てす
不可不察也
一法の禍災といふものなり
察せ不ある可ら
凡て大将のめつぼう軍兵を損じ覆顛といふ
不也
はみなこの五危より生ずるとなり能察すべし
堀川丁
孫子巻之上終
内
ワ
2
同
32369
勝子之部
経典余師
讀法
行軍第九
孫子巻之下
狩野博士集書
行軍とは備を押
行軍第九
行なり
凡軍を押行に先
孫子の曰凡そ
軍に処敵を相
孫子曰凡處軍相敵
敵地へ入て吾軍
を処をき敵相の利害万端を
山を絶り谷に
相度べきことなりとそ
絶山ヲ依ル
依
生を視て高に
山を絶て切所を背にし谷により
て水草の利徳を自由に寿
視生處高
処
生地とて陽にむかふ土地の進退馳引によろし
き土地あり東南を面にして高場に居ときは
隆に戦ふて登
こと無れ此山に
その勢形順にして
敵を制し易し
戦隆無登此處山
処之軍也
之軍也
一敵高に在をむかへ伐は利すくなし
一無体に争聞て登ことなりるべし
水を絶らば必ず
水に遠かる
水を絶らば必ずこの三ヶ条は山に依て陳を召し
処するの心得なり
一水を絶らば必ずこの三ヶ条は山に依て陣を邑人心邑人。心遠
を
絶レ水必遠レ水湖
怪臾余而
一条其食巨
子二、毛也丁
絶て陣を取には水を度て後川端を五六七丁も遠
ざかりて陣を取べきなり後陣を度などにも
客水を絶て
先へわたせしもの備を立をきさて後陣を
来らば之を頼
無事にわたすべきなり
客
水内へ迎ゆること
絶水而来勿迎之於水内令半渡
勿半渡ら令て
あり
而之を撃ば利
而撃レ之利
客水を渡きたらへに敵軍水内へ
こと〴〵くひたり来る所は伐べから
す敵の形勢大にして当がたし依て半は川へ
わたり半は岸の上にある処を撃べし何事に
戦はんと欲る者
は於水に附いて
面客を迎ゆること
無れ
もその図を
欲戦者無附於水而迎
うしなふべからす
敵に川をわたらせて戦挑とおもふならば必ず
レ
川端に我備を立て待ことなりれ川端にあれ
ば敵わたるべからずとなり却てその勢形は
生を視て高に
あたりがたしともいへり作略すへし
処水の流に迎
視生
ること無れ此水
処高無迎水流此処水上之軍也
上に処之軍也
高く生々としたる地を視さだめて陣を廃べし
しかれば敵を見切にたよりあり又水の下流に
陣を遷をくべからず流に逆ば敵あるひは毒をなが
し又は水をせき留のわざはひあり是水上に処
斥澤を絶らば
惟亜かに去て
留ること無れ
軍のこゝろ
へなり
絶汗澤唯巫去無留守
斥澤
とはし
若軍に於斥沢
ははゆき湿気うるまひ土地しまりなくあしばわ
るゝ水草あしく決して悪地なり依てかやうの
之中に交らば必
す水草に依て
土地を絶なは亜たち
さり留まるべからす
若文軍於汗澤之
衆樹を背に
中必依水草而背衆樹此處汗澤
せよ此斥沢に
処之軍也
之軍也
もし巳ことを得ずして陣を取ならば
一水草に依て樹木要害を背にあ
平陸には易に処
す高きを右
つべし是斥沢の
軍法なり
平陸處易右背高前
背にし死を前
にし生を後に
平陸の陣
死後生此處平陸之軍也
をとりし
糸男食胃
第二巻之下
す此平陸へ處
くにはいかにも人馬はせひき自由なる易なる
之軍也
一地をゑらひ処べし右と背とには高地をあて
前は草木なく攻戦しやすき地を死地とい
ふ後は草木ありて高けんそようがい堅固な
およしぐんの
るを生地といふ是平陸に
凡そ四軍之利
陣を処の軍法なり
凡四軍之利
は黄帝之四帝
に勝所以也
右軍法四の
黄帝之所以勝四帝也。
利は黄帝の
師風后よりさづかりし軍術にて四方の
叛逆せし諸侯に勝給ふ軍法なり帝とは
およぐんたかきこのみ
凡そ軍高を好
て下を悪陽
諸侯わがまゝに名
のりしものなり
凡軍好高而惡下
を貴とんで而陰
貴陽而賤陰養生處實軍無百疾
を賤しむ生を
一凡そ軍法は高く平なる処を
養ふて実に処
る軍に百の
是謂必勝
一好てよしとす下く屈せし地
疾ひ無是を必
を悪ことなり又陽をたつとひ陰をいやしむこと
勝と謂
なり陽は東南の日おもて山の前面をいふ
陰は西北日かげ山の後をいふなり陽はものゝ生
育をなすさやうの實せし土地に処べき
なり軍中に疾きことなく
丘陵堤防必す
其陽に処而之
勝理たるべき兆なり
丘陵堤防必
丘陵開防必
を右背にす
〖療法一法〗発しとは陽の
處其陽而右背之
方に處て我背と右
此兵之利地之
助也上雨ふりて
にあてべし
となり
是兵を
此兵之利地之助也
用るの
水沫だち至らば
利徳にして土地の
渉んと欲者其
助あるところなり
上雨水沫至欲沙
定まるを待
者待其定也
川をわたらんとするに未だ
ちたるはこれ流の上雨ふり
凡そ地に絶澗
て俄にみなぎらんとするなり能く
能く
定まりて後にわたるべし
天井天牢天羅
凡地有
天陥天隙有必
ず亜に之を
絶澗天井天牢。天羅天陥天隙必
去て近くこと勿
れ
一この六ヶ条の土地にはとゞ
画去レ之勿レ近也
まり近ことなかれとぞ絶
新身食品一巻之事
澗とは谷水みなぎりて絶てこへがたきほどなる
を天澗とはいふなりこゝに天といふこと天然自
然にかやうなる生つきをいふ天井はしぜんと中
おちいりて衆のながれおちいりて留止をいふ天
牢は草木四方に生しげりたる地にして入や
すく出がたく牢獄に似たるをいふ天羅とはし
ぜんと羅網の内に入ごとく自由なりがたき地
にたとへいふなり天陥とは陥はおとしあな
なりふけいけその外あらばあしくおち
入やすき土地なり天隙とは四方けんごな
るよふにてこゝかしこに間隙ありて不堅
固なる土地なりこの条々に似たる
吾之を遠くれ
ば敵之に近く
吾之を迎れば
敵之を背にす
土地は亜との場を立去りて吾袁之
一近づくことなかれとぞ
吾遠之
右にいへる土地は
敵近之吾迎之敵背之
吾は遠ざかり
て敵のかたへ近やうにす吾は前ま
軍旁有
迎あてゝ敵には背にあるやうにと也
軍の旁らに険
阻潰井兼葭林
險阻潰井兼藪林木馨薈者必謹
木蘿薈有者は
覆索之此伏姦之所也
必ず謹しんで」
軍勢を押ゆ
くにかやうの
之を覆索せよ此
伏苺之所也
所は用心すべしとなり険とは高下けわし
きなり沮は水多ところなり満はいけなり
井は中央のひくきなり蒹葭はあしかやし
げみたるなり林木はこだちこもりたるなり
蘭莟は草木しげみてしぜんとくらき場也
かやうの所はよく〳〵索もとめてうち覆さつ
すべしとなり皆此伏姦を
敵近して輪静
敵近ノ而静ナル
いたすの土地なるゆへなり一
なる者は其険
を特なり也
この以下みなかきものきく
者恃其険也
一斤佳等のこゝろへなり此
方と近く対陣しながら静にさわがざる敵
はまつたく險阻要害の土地よろしきを恃
遠して而戦ひ
を挑者人之進
むを欲なり㊃
ものとしる
べし
遠而挑戦者欲人之進也
樫垣除師
孫子倦之下
一経典餅孔子巻之
敵間とふくあるに戦聞を挑もよふすといふは
全く此方の進かゝるをこのむものなり或は
其居る所易
なる者は利也
伏兵又は小返のつもり又は謀を
きし事を待合するものなり
其所居
易者ノ利也
凡て平易なる土地の拠依
ところなき場処は陣を居
べからざるものなりしかるに陣を居る
といふもの利の為と心をつくべし
衆樹
衆樹動者は来
動者来也衆草多障者疑也鳥起
る也衆草障へ
多は疑わしむる也鳥
の起者伏也獣
者伏也獣駭ク也
樹木多森林
などの時あり
酸く者は覆也
てうごきなどするは全く敵の往来の便な
どにいたすことなり又草木衆ばしよに色々
目じるし又は草をむすび又は草をつがねな
どせしは敵うたがひを生ぜしむるなり又空
とぶとりの首をみだり水鳥などの俄に起
さはぐは伏兵あると知べし獣類などの谷
間森麓などより出るも覆兵なり小
塵
勢を伏といひ大勢を覆といふなり
塵高して而鋭
者は車来也。早
高而鋭者。車來也卑而廣者徒來
して病者徒
来也散して市
一也散而條達者樵採也少而往來
條達する者は
樵採する也少し
者営軍也
塵埃をいふなり車はおもふし
て行ことはやきなり依て塵
て往来する
者軍を営む也
たかく鋭てみゆるなり塵埃の卑して場広な
るは徒兵のきたるなり又散乱して條遠にみ
ゆるは諸手の樵採など人々分散いたしある也
又少なく遠近に往来してみゆるは軍営を
辭卑ふして
備を益者進む
二十一
いとなまんとて地理土形を見一
たてんと馳あるくならはとぞ
皿肉
卑而益
也籬強して
備者進也辭強而進駆者退也
敵
よ
進駆者は退く
り使者きたらんにその辞つたなく卑さづ
也
て申述ひそかに備へを益とのふるは進来
一奈源一
一雑与欠陥
んとなり又辞理強りつぱにて此方へ向
て駆きたり進がごときものは退口のしるしなり
軽車先出其
軽車先出居其側者陳也無約而
側らに居者陳
ずる也約無し
て前和を請者
軽車とは掛引自由の
請和者謀也
いくさぐるまなり敵これ
は謀也
を出して左右にならべ陳て守しむるは陣
法を十分にしかんと午候さするとみゆる
なり又戦聞をまじゆる中に約束もなく
て和睦を請ものは必ず謀つもることありて
奔走して而兵
を陳ずる者は期
の智略なる
べし
奔走フ而陳兵者期也半
すか也半進半退
く者は誘く也
敵陣さう〴〵しく使番の
進半退者誘也
ごときもの諸手へ往々
一来して軍兵を陳などするは掛の勢形なり
何ぞ内通裏切のやくそく又は援加勢の
期約あるゆへならん又半は進又すゝむかとお
もへば退ものあり我を誘のはかりことなり
杖いて而立者は
仗而立者飢也汲而先飲者渇也
飢たる也汲で而先
敵兵あるひは鑓な
見利而不レ進者労也
飲者渇る也利
ぎなた道具を杖
を見て進不
者労する也
にして立やすらふは兵粮として飢たるならん
水汲て巳先へのむは渇したるなり利徳を
見付ながら進かゝらぬは労た
るなり心得べきなり
鳥の集者虚也
鳥集者虚也
故
夜呼る者は恐るゝ
夜呼者恐也軍擾者將不重也
也軍擾るゝ者将
敵
陣
を重ぜ不也
の内鳥などの集留ところは内虚にして守な
きなり山城など虚なる処へは兎などの入にて
しるべし夜に入てたがひによびあふは心に恐
ところあるなり軍中は法度号令きびしく
旌旗動者は乱
也吏怒者は倦也
諸手つゝしみしまりあるべきに軍中しぜんに擾
さわがしきは。是大将威なく麁忽にして重か
堀
なり
なり。旌旗動ノ者。亂也更怒。者。倦也。
旗
幟などの動みたるしは敵の隊伍乱なり又旗の在
べき場に人衆あり人あるべきに旗あり又多少
ともに、地位をとりちがへしを旗色あしきといふ
又卒長を吏といふ怒をなし声をはげまし
など聞ゆるは兵卒のつかれ倦て
馬を殺して肉
食する者軍に
下知をつゝしまざるなり
一殺レ馬ヲ肉食
糧無也飢を懸
者軍無糧也懸既不返其舎者窮
て其舎に返ら
不者窮寇也
寇也
馬は軍中の要用なるに殺して肉を食
又は草木皮をとりくらふは一軍の内
一
粮米につきたるなり飯缶又はなべかまを懸捨
て陣舎へも立かへらざるは必死とさだめし敵也
これを身を窮めし寇といふ能々用心して
我兵をそこなひやぶるゝとなかれ
謹謹論論として
徐に人與言いふ
諄諄論論徐與人言者。失衆也。
こゝ
によ
也楮
者衆を失なへる
りあひ彼にあづまり諄々謡々とさゝやきもの
がたるといふは衆兵の心おもひ〳〵に一様ならぬ
数〳〵賞ずる者は
ゆへなり是大将の命ゆきとゞかず
窘なむ也數
人衆心をとり失なふがゆへなり
數賞者
窘とは心ぐるしきを主
〳〵罰する者困
する也
窘也數罰者困也
とす士卒いさむ心な
くもしや異心をも生ぜんかとあやぶむゆへに恩
賞を数おこなふやうになりゆくなり困むとは
まがぼう
先に暴にして而
後に其衆を畏
人力つきはて気体つかれくるしむなり依て
大将の命ありといへどもしかとはたらくことしぜ
んとなりがたく是によつて刑罰を
おこなふやうにはなるなり
先暴ニテ
るゝ者精から不
之至也
軍卒の心
後畏其衆者不精之至也。
しかと蹄服
するやいなやをもしらずに暴く下知をいたし
もしや叛異心もあらんかと畏後悔するといふは
来て委謝する
者休息せんと
兵法に精からず不覚なるゆへ也依て右
俄に賞と罰とをおこなふことなり
来テ来
欲する也
委はゆだねまかすなり謝は
謝者欲休息也
ことわりあはさつなり軍戦
兵怒て而相迎
て久ふして
セ不又相去不
ば必ず謹んで
の勝負も分ざるに人質をさしこし委て和
を謝きたるは敵気力つかれ兵卒を休息とは
かるものなり又再び兵を立
なをしきたらんごとなり
兵怒而相迎。
之を察せよ
久而不合又不相去。必謹察之。
斎
兵
怒て来て迎あわせ対陣久しけれども合戦も
兵益多を貴
せず又引さりもせず位を以て待するとき謹
むに非ず惟武く
んで察すべし深おもんはかりか
また疑がひなるべし
兵非貴益
進こと無以て力を
併するに足れり
多レ多惟無二。武進一。足以併レニ力料敵取レニ力。料レ
敵を料て人を
取而巳
一兵は多勢なるを貴にてはなしとかく
而巳
武くはやりて、進ことなくとかく衆人一
夫唯慮はかり無
和して力を併て敵情を察し虚実
して而敵を易
をはかりて勝を取をたつとむなり
夫惟
どる者は必ず
頼人に擒はる
ひとへに敵
無慮而易敵者必擒於人
を易曼て
思慮なければ必ず負を引いだし
卒未だ親附せ
卒未二親附一
ず而之を罰す
れば則ち服せ
不服セ不ときは
而罸之則不服不服則難用也卒
息用ひ難也卒
巳親附而罰不行則不可用也
巳に親附而罰
㊄
が
行は不ときは剛
用ゆ可から不曲
士卒いまだ我に親み附ざるにみだりに刑罰を
ほどこせば必ず蹄服せざるなり服心なき士卒
故に之を令す
はものゝ用にたちがたし又士卒よく親附たるに
たゞ恩沢のみにて常に刑罰といふことなき時
るに文を以てし
は心おこたりあなどりて
用にたゝざるなり
之を斉ふするに
故令之以文齊之
武を以てす是
を必取と謂
以武是謂必取
依て常に施し今に文
徳を用て礼義和柔を
一令素より行はれ
て以て其民を
以てして又戒め蛮るに武徳を用て刑罰副
勇をおこなふ是を勝理をとるといふなり
教るときは剛民服
上よりの
令素行以教其民則民服ス
令給ふこと
一令素より行は不
して以て其民
素に行われて民に教あれば
一令不素行以
民の心しぜんと服するなり
を教ゆるときは
教其民則民不服。
又常に能令おこなわれ
ずして敵にのぞみ
円民服せ不
しとき掛引万端をもうしつくるとも
なか〳〵服せずして用がたくこそあらん
今
一令素より行はく
者衆與相得
法令つねに能おこなわ
素行者与レ衆相得也
れ蹄服しあればいかなる
也
難義なることにも又利あることにも衆人と相共にいたし
つとむるなり是を心を相得とはいふなり
地刑第十
凡そ軍兵を屯し陳小屋をとり布
地形第十
には地形の得失を知べきを要とす
孫子の曰地形
通とは平かにして
に通ずる者有
孫子曰地形有通者。
四方八方往来自
掛者有
一掛とはうしろたかく前さがりに
有掛者
下やすは上がたきなり
支る者有
有二支者一
支はたがひに支あらそふてたがひにな
んぎなるかたちのところなり
監者有
険き者有
とふきものあり
遠者有
有二隘者
監とは左右に山ありて
中のすきある処なり
有険者
険の形はけはしくして谷ありだけあり車馬は
もちろん人のかけひきもなりがたきほどの処なり
いづれからにても踰てゆかねばならぬ処あ
有遠者一
りて程とふき土地なり凡てこの
我も以て往可
彼も以て来可
六の地形との得失を
知べし下に記す
我可以往彼可以
を通と曰通の
形者先高陽に
來曰通通形者先居高陽利糧道
居粮道を利して
以て戦ふときは則ち
以戰則利
一往来進退とも自由なる地形
を通といふ通形に陣を取に陣を取に陣を取に
利あり
は高陽に陣を居て兵粮道を便あるや
うにして戦かふときは利徳ありと知べし
以て往可以て
可以往難以返曰掛掛形者敵無
返難を掛と曰
掛の形者敵備
備出而勝之敵若有備出而不勝
無れば出て之に
軽典除師孫子巻之下
勝敵若備有ば
難二以返一不レ利
以て
一往すゝむには便あり返し
りぞくには難礙なるを
一返難は利あら不
掛地といふ掛形は敵の備なきに乗じて
出て討ば勝べし若備あれば勝がたく引返
我出而利あら不
一彼出而利あら不
がたふしてはなはじ也
我出而不利彼出而
利なきと知べし
を支と曰支の
形者敵我を利
不利曰支支形者敵雖利我我無
すと雖ども我出こと
無也引而之を
出也引而去之今敵半出而撃之
去敵をして
半出令編之を
支形の地は敵よりいかに利をみせて我
禾をいざなふとも出すゝむべからず引挙
撃ば利あり
監の形者我先
さりてかへりて敵をつり出しめて益の人
これを撃ときは我利なり
隘形
之居ば必ず之
者我先居之必盈之以待敵若敵
に盈ば以て敵
を待て若敵先
之に居り盈は
先居之盈而勿從不盈而從之醜
而従と勿尽不
ば而之に従
の地ならば我先ゆきて塩の口をふさぎ盈べ
し以て敵を待ときは利あり若敵先へ口
をふさぎ盈ば必ず従したがふまじきなり敵
険の形者我先
いまだ盈ずして半ならば従といへども可なり
之に居ば必ず高
陽に居以て敵
険形者我先居之必居高陽以待
を待て若敵先之
に居ば引市
敵若敵先居之引而去之勿從也。
険形の場処ははやく先へ陣を居て高陽に
也
之を去從こと勿
一在て敵を待べしもし敵に先をこされなば
遠の形者勢ひ
均しく以て戦
我軍を引あげ
去て従ことなかれ
遠形者勢均難以挑
ひを挑難戰ふ
て利あら不
遠形の地は勢形たがひに均
戦戦而不レ利
一く同等なればしかけては
凡そ六の者は
一挑たゝかふことなりがたしとかく敵より
来るやうに敵をつからすべしとなり
凡六
地之道也将之
至任察せ不ば
者地之道也將之至任不可不察
ある可から不也
也のゝ
の六ヶ条は地の道理におひて大将たるも
のゝ至極おもき任なりふかく察すべき也
故に兵に走者
故兵有走者有弛者有陥者有崩レ
有地まる者有陥いる
者有崩る者有
者有亂者有北者凡此六者非天
亂るゝ者有北者
凡そ敗軍をなすに
有凡そ此六の
地之災将之過也一
憶して走ものあり
者は天地之災
わいに非ず将之
過まち也
又馳し弓の如く用にたくぬものありまた計
とに陥入てとりことなるもあり又山坊などの
崩やうなるもあり又軍法をみだし作法もな
くして敗もあり又敵に北をみせてひたすしに
引さるもあり右すべて六ヶ条の敗は天地の災
一禍にはあらずして大将のあやまりなり
夫勢ひ均く一
を以て十を撃
軍勢兵粮く
らひ均きに力
夫勢均以一撃十曰走
を走と曰
をもはからずして一倍の人衆を以て十倍の
敵にあたらんとするがゆへに走ることなりける
卒強く吏弱一
三軍の士卒は強くさかん
卒強吏弱曰強
にして吏長大将つたな
を弛と曰
一く弱ときは下知とゞきがたく弓の
一弦の強しに異ならず
吏強く卒弱を陥
吏強ノ
と曰
弱曰陥
○吏大将は強さかんして卒しわく
依ていらちたゝきまわしつかふとき
大吏怒て而服
せ不敵に遇て
陥穴に入が
大吏怒而不勝遇敵對、
如くなりぬと
鬱て而自ら戦
而自戦將不知其能曰崩
ふ将其能を知
侍大将の
ものとも大
不を崩曰。
将軍の下知に服せず黴をいだきて心々に戦
将弱して嚴なら
不道を教ゆること
聞をなすに将軍その能不能をわきまへざる
時は味方大崩なり
將弱不嚴教道不
大吏は侍大将なり十
明かなら不吏卒
常無く兵を
明吏卒無常陳兵編横曰亂
大将
弱し
陳するに縦横す
て厳きとあたわず教道あきらかならず吏卒
るを亂と曰
に常儀なふして陣兵すべて縦横なれば味
経由、余師
将敵を料ること
能不少を以て
衆を合し弱を
方大に
亂る也
撃強テ兵無逆鋒曰北
將不能料敵以少合衆以弱
大将もし敵對の
つもりもなく士
以て強を撃兵
泊
選鋒無を北と
卒をもちゆる科なくして少勢弱兵を以て
衆兵又は強敵に撃んとすれば必ず北をみ
せて敗ぼく
凡此六者敗之
するなり
凡此六者敗之道也将
道也将之至任
察せ不ばある
可から不也
之至任不可不察也
この六ヶ条は敗軍
の道にして大将
夫地形者兵之
たるものゝ至極の任にして
能察すべしとなり
夫地形者兵
助也敵を料て
勝とを制し険
之助也料敵制勝計ヲ制隊陀遠近上
阨遠近を計は
上将之道也
右に述るごとく地形の変を知も
將之道也
兵法の助なりなを敵の虚実
此を知て而戦
ひを用ゆる者は
戦を料て勝べきの理を制し地理の険阨口
道の遠近を計し誠に上将の道なり矢
必ず勝此を知
此而用戦者必勝不レ知此而用戦一
不して戦ひ
を用れば必ず
琴
故に戦ひの道に
は必ず勝ば主
戰ふこと無と曰
者必敗
との理を知て用れば勝べし
故戦
用不ば敗軍たるべし
道必勝吉無戦必戦可也戦道
十一日に勝は生じの月三日兵軍ハ筆可也軍道
この故に必
とも必ず戦ふて
不勝主曰必戦無戦可也
勝の道と
可也戦の道は
勝不んば主必ず
しればたとへ主命にて戦まじき仰ありとも是
非たゝかひて可しきなり勝まじき道ならばたとへ
戰へと曰しも
戰ふこと無して可
必戦と主命ありとも心
故進不求名退不
一単不して可となり十
也
故に進で名求
避罪惟民是保而利於主国之宝
に圓で能頼返罪惟民是保而利於主國之寳
不退いて罪を避
不唯民是を保
也
一名利を求るに進みなく君より罪を受ん
一かと避退ぞくみろなく唯にくにたみを保
じて病主に
護せしむると主君の御為利徳をのみ謀は国の
実ともいふべき忠臣なしめ
利あり国之宝ら
一卒を視と嬰児
也
の如す故に之
一与深谿に赴く
視卒如嬰兒故可與之赴深谿視
卒を視と曠児不レ不レ乙女嬰児故可与之赴深奚不
卒如愛子故可與之俱死
大将の士
卒を自由
可卒を視と愛
子の如す故に
にする事嬰児をあしらふごとく嬰児は智な
く無我なるゆへ深き谿へも赴といへば與に
同
可
之与死を惧す
ゆくべししかれども士卒を恩愛すること我子
のごとくにするゆへそのしたしきこと大将と俱
令する
愛して
こと能不厚して
にうちじにすると父母
をしたしは子のごとし
愛而不能令厚
一而使み能不亂
して而治るこ
而不能使亂而不能治譬如驕子
能不譬は驕子
の用ゆ可から不
又たとへ子を愛すとも令といふ
ことなく又厚くめぐむとも
不可レ用也
が如し也
吾卒之以で撃
可を知論敵之
撃可から不を知
常にめし使とあたはず亂なることを治ること
なき時は真の子なりといへども驕にして遂には
もちひがたき
知吾卒之可以撃而不
ものなりとぞ
不は勝之半也
敵之撃可とを
知敵之不可撃勝之半也知敵之
知吾卒之以て
可撃而不知吾卒之不可以撃勝
撃可から不とを
知不ば勝之半
之半也知敵之可撃知吾卒之可
也敵之撃可と
を知吾卒之以
以撃而不知地形之不可以戦勝
て撃可とを知
ども而地形之
以て戦ふ可から
之半也
一吾軍卒よくとゝのひ敵を撃べきの
一実ありしかれども敵亦よく備ありて
撃べからぬ実あるを知さる時は勝負の利半なり
不ば勝之半也
とぞ又敵には撃べき虚あれども味方もまた
撃べからぬ虚あれば同く勝負の半也又敵に撃へき
処あるを知また味方にも敵を撃べき実ありし
かれども地形の理は戦聞ましきを知
故に兵を知者
は動て而迷不
ざれば是また勝負の半なり
故知レ兵
挙て而窮ら不
者動而不迷舉而不窮
兵を能精し
ものは無理な
故に曰彼を知
る働きなし故に動て迷ことなく兵を
故曰。
一巳を知ときは勝
挙もちひて自由窮まりなく
乃ち殆から不天
知彼知己勝乃不殆知天殆知天地賜
を知地を知と
きは勝ち全かる
乃可全
一日、
四十九月十一年の語にも彼の虚実を
一知また此の虚実を知ときは勝を
とると殆ぶみなし天の時地の利を知ときは
勝負に於て全く遂べきなり
九地第十一
一地の理を知といへどもその勢
九地第十一
をしらずして至極とはいふまじき也
孫子の曰兵を
用◯之法散
孫子曰用兵之法有散地有輕地
地有軽地有争
地有交地有衢
有争地有交地有衢地有重地有
地有重地有地
地有囲地有死
地地有囲地有死地
兵を用るにこの
九ツの地理に就
地有
諸候自から其
て損徳ありその勢
諸侯自戦其地者
下文に詳悉なり。
地に戦ふ者を
散地と爲
為散地
諸侯の本領の地にしてたとへば土卒
のもの妻子父母の家ちかきがゆへに
土地の勝手はよく案内のことなりつゐ。散乱し
心のしまりなくちりやすし依て散地と名づく
人之地に入て
而深ら不者を
リ入人之地而不深者為軽地
国
軽地と為
の境に入て吾国ちかきをいふこれ又故郷へかへる
にいたし易ゆへ心を堅固にすることなく必死な
我得ば亦利あ
り彼得も亦利
どの決斷はおもひもよらず軽々父母下川支
しき心いづるなり
我得亦利彼
ある者を争地
と為
敵味方ともに利な
る地は争貧土地
得亦利者為争地
我以て往可
彼以て来可
といふ荊州
のごとし
我可以徃一。彼可以來者為
者を交地と為
也彼われともに往来通行いたしやす
交地
平易にいり交錯じゆうなるを交地
諸侯之地三属
す先至て而天
といふ
なり
諸侯之地三屬先至而得天
発起余市
孫子巻之下
諸侯の地三方につ
下之衆を得者
を衢地と為
らなり四方に属き
下之衆者為衢地
人之地に入こと
て天下四方へかよひ自由する
を衢地といふなり
入人之地渋
深して城邑を
背にするの多者
敵人の土地ふか
背城邑多者為重地一
く入て敵の城
を重地と為
邑だへ〴〵と背へこしと
重地といふなり
山林險阻沮
山林険阻沮澤
澤凡難行之道者為地地
凡て行難之道
□□□□
一林険阻
沮澤その
なる者を地地と為
外俄に水などつきいるゝやうの心
地を地といふなり
所由入者
由て入所の者
隘く從つて歸る
隘所從歸者迂彼寡可以撃吾之
所の者迂彼寡
にして以て五口也
由がひ入きたるみち隣をあ
衆者為圍地
また歴ゆへに蹄に迂とは
衆を撃可者を囲
いふなり彼寡き勢を以て吾衆勢を
地と為
うつに便あるを囲地とはいふなり
疾戦
疾戦かへば則
存し疾戦は不
則存不疾戦則亡者為死地
吾兵は
助もな
れば則亡者を
く要害もなく敵は日をかさねて盛なりかやうの
処は疾たゝかふに利ありもし手間どる時は亡人
死地と為
是故に散地は則
とす是を感する
是故散地則無レ戦
一の地と名づく
右
はち戦ふこと無れ
軽地は則はち
道理を以て散地にはたゝかふことなし士卒
心のひかさるしところあるゆへなり
車
止ること無れ
「軽地には止まることなく早く進
むべし士卒の心一図ならず
地則無止
争地なるは則はち
一争地は先へいたりしもの利あり依て
攻ること無れ
争地則無攻
一敵すでに取しならば必ず攻る事なかれ
交地は則はっ
絶こと無れ
交地には我軍を中絶せしむべか
交地則無絶
心ちす敵の不意に横より出ん
衢地は則はち
交はりを合す
ことを恐
れてなり
衢地には隣国の諸
一角と厚く交を結び
衢地則合交
重地は則はち
椋
裸合せて
戦べきなり
重地則掠
重地は敵地へふかく入
込ことなれば兵粮う
料与食自
孫子老之事
地地は則はち
行
囲地は則はち
謀
死地は則へち
戦
んさうに不自由なりしかれば敵地の巳也川
なりものを手に入掠べし
地地則
干右にいへる地地のごとき土地には少
彳もとゞまることなく早く過行へし
囲地
一囲地のごときははかりことをよく
則謀
工夫なくてはよろしからずとなり
死地
一死地のかたちは誠に必死とさだめず
貝戦
卑してはかなふべからざる地勢なりとぞ
古之善兵を用
ゆる者は能敵人
古之善用兵者能使敵人前後不
をして前後相及
ば不衆寡相恃
相及衆寡不相特貴賤不相救上
ま不貴賤相救
下不相収卒離而不集兵合而不
は不上下相収
め不卒離て而集
ら不兵合て而齊
斉
○古より善兵を用るの大将は敵の不意に出て
そのつもりの外へ働くを以てたとへば敵の
おら不ら使
前軍は後軍をすくふことあかわず備の衆寡も
一恃もならず貴たるものも賤たるものも相に救あ
ふことなく上下ともに収がたく士卒の部曲も離
ばなれにして集会ことならず軍兵鋒を合するの
於利に合して
動形利に合せ
不して帰止
時も作法斉きこと得
合二於利一而動不レ合二
ざるやうにはかりしこと也
兵を用るの道まづ利に合するや
合せざるやとその機を察して或は
於利二而止
敢て問敵衆整
ふて而将に来
動あるひは止べき
こと肝要なり
敢問敵衆整而將来
んとす之を待
待レ之若何
こと若何
敵衆多にして備を整へて来
て我を攻とすいかゞして待設べ
こと若何
曰先其愛する
㊆曰先奪ハ其所愛則得矣
是自問自
答なり
所を奪へば則
ち得
こたへて曰やうこの大敵をなやまさんには敵の心がゝ
り又は愛惜かゝる所をこの方へ奪はんとする謀計
にしくはなしとなりその愛かゝる処といふはあくひは
敵の兵粮武具等たくわへし所又は敵のたのみ
兵之情は速や
かなるを主と
とする土地根城を攻
おびやかするをいふなり
兵之情主速乗人
経典食所
孫子巻之事
す人之及不に
乗不虞之道に
之不及由不虞之道攻其所不戒
由其戒め不所
を攻る也
也
兵の実情しごく主とする所といふは敵人の
手の不及を見てその弊に乗じ敵の不虞
凡そ客為之道
みちすじよりおこり敵の用心なく
戒めなき所へ攻けるべしとぞ
凡為客
客戦とは
は深入ときは
之道深入則専主人不克
敵国へゆき
則専らなり主
人克不
おゝかふなり又わが国へひきうけてたかふを主
戦といふ客と亭主とのごとししかるに敵の地へ
於饒野に掠す
めて三軍食を
ふかく入て心かたまり専にふみしめてたゝかへ京
ば主人の方かならず克がたし
掠
足養を謹しみ
労すること勿
於饒野三軍足食。謹養ヲ而勿労并
気を弁力を積
で兵の計謀を
氣積力運兵計謀為不可測
敵地に
在て饒
運らし測可から
不ことを為
に能うへつけみのりし穀ものを掠とりたくわへ
なば吾軍の食不足なし且謹人でその士卒の
苦労をいたわり養なひ気力をたくわへ積こゝ
ろを并し兵勢を運し一時に簇するやうにそ
之を徃所無に
投じて死も且
北不
の計謀をうかゞひ測
べからしめざらしむ
投之無所往死且
不レ北
心一図に大将に合して外へこゝろ往ず
して必死とさだめて敵に北をみせざ
死すること烏得不
ん士人力を尽
す
○死焉不得士人盡力
必死とさだめ
ては烏か勝利
を得ざらへや心すでに固して士人
力を尽し用ざることなし
兵士甚陥
兵士甚はだ陥いる
ときは則ち懼不
則不懼無所徃則固。入深則拘不
往所魚ときは
則ち固入こと
是一川引この故に軍兵のこゝろを必死の場
得已則
七貝圃へ陥いれて尖しで出て生どお
深ときは則ち
拘る巳ことを
もはず懼ざらしむ心をみだし往ところなければ
思慮しぜんと因るべし又敵地へふかくいれば
得不して円図
ふ
是非とも心とゞまりて拘つなげるにひとし
誠に一図になりて巳ことを得ずしてたゝかへば
歴良余而
このゆへそのへはおさめ
是故に其兵修
ほこさき当
がたし
是故其兵不修而戒不求
不して《戒め
既に上に
求不して市得
而得不レヲ約而親不令而信
述がごとし
約不して而親
この故にかくべつに兵禁めを修へずして羣卒
む令不して
各々に戒めつゝしむことをわきまへ別にわが力と
信あり
たのみ求ずして力を得なり別に約束といふこ
となくして別に命令といふことなくして一
祥を禁じ疑ひ
を去り死に至
まで之所無
図に忠を守て信
従するなり
同禁祥去疑至死無所
之
ものゝ凶こと祥ごと凡てあやしく疑がましき
とを禁め去てたとへ討死の際にいたり
吾士餘財無は
貨を悪には非ず
ても他へ心をはせ
之となし
吾士無餘財非惡貨
吾士卒たるもの
世餘命無は壽
也無餘命非惡壽也
財宝金銀をた
きを悪には非ず
廿五
くわふるに意なく生て余命をむさぼに心なし
是まつたく元たかしをいとひ悪にあらず又寿命
令発する之日土
を心あきなるにて
なきぞと也
一今癸之日士卒半者
卒坐する者は弟襟
を霑し偃臥する
者は涕頤ひに
涕霑襟偃臥者涕交頤投之無所
交る之を往所
往諸劇之勇也
大将より軍戦あるべきよ
し発令しあるその日は
無に投ず諸劇
が之勇也
誠に父母妻子再会しれざることゆへ涕は襟を
うるほし頤に交ることなりしかれどもすでに必
故に善兵を用
死とざため心往ところなき時はまことにむかしの
曹制専諸などいへる勇士にもおとらず命を塵
ゆる者は譬ば率
然の如し率然者
芥よりもかろし
故善用兵者譬如率然
むることなり
常山之蛇なり
也其首を撃は
卒然者常山之蛇也撃其首則尾
則はち尾至其尾
撃ときは
至撃其尾則首至撃其中則首尾
其中を撃ときは
首尾倶に至る
故に兵を善用ゆるの人は相応ずること
俱至
率然なりその率然なる形はたとへば常
山の蛇のごとし首を撃ば尾いたり尾をうてば首
いたりその中央をうてば首と尾と俱にいたるよ
敢て問率然の
如なら使可けん
し間に髪を容ざる
の意をふくめり
敢問可レ使如率然
や手曰可なり
夫呉人と越人
乎曰可夫呉人與越人相惡也當
与相悪なり也
其同舟濟而遇風其相救也如左
其舟を同ふして
濟に當て而風
に遇て其相救
自問自答をもふけいふなり右卒然な
右手
ること常山の蛇の如せしむるにはいかゞせん
ふ也左右の手
の如し
是故に方馬埋
やとなり今呉の国と越の国は仇かたきの国なり
たがひに
たがひに悪ねたみあふことなりしかるに同船し
て海をわたり難風あやふき事に遇なばたがひに
救あひはたらくこと兄弟のごとく左右の手のごとく
あるべし況や必死の場にのぞみ志意を
堅なば豈勝ざるの理あらんや
是故
輪も未特に足
す㊃勇を齊のふ
方馬埋輪。未足特也。斉ニ也。斉レ勇ヲ告シ一。政
ること一の若し
政こと之道也
たとへば馬を方てつなぎとゞめ車の輪
を土中へ埋をきて堅固に守とゞ
之道也
むるとも恃とならず無益なり右常山の蛇の
□はか
相応じてたすけあひ呉越の人のごとく離し
中にても難義を見すてず力を尽て勇気を
斉くして一体のごとく号令約束をいたすことは
剛柔皆得は地
之理世
故に善兵を用
る者は手を携
へて一人を使が
若す巳ことを得
全く軍法の政に在ことなり
軍道第一の肝要なり
剛柔皆得地
之理也
一圖を用あるひは疾すゝみ又柔を用ある
ひは緩しりぞく類いづれも地の理を
くわしくさとり
故善用兵者携手若使一
得べしとなり
一人の手を携て使ごとく
衆兵といへども心を一致に
一人不得巳也
不也
め死地巴ことを不得の場に置ときはたゝかひ
将軍之事は静勇猛にじて敵を破ずといふことなし善兵に達
せしものかゝ
にして以て幽にせしものかゝ
將軍之事靜以幽正以治
のごとし
正にして以て治
る能士卒之耳
能愚士卒之耳目使之無知
大将軍
の大事
目を愚にして
之をして知こと
無ら使
とする徳は第一に静かへつていかなることにも動
転せず幽内につゝみたくわへて外よりうかゞひ
測がたく正く厳重に治とかへ敢て号令を犯
さゞらしむ士卒の耳目をいかやうにもおもひかへさ
ずやう愚人をつかは愚人そのさしづを信向す
るごとくありて大将の胃中をはかり知ざらしむ
ことを革め人を
そのわざかへそのはかり
其事を易其謀
して識ゝと無し使
是大将の能
なりとぞ
易其事革其謀使人無
議の事
識易其居迂其途使人不得慮
その
用る
其居を易其途
を迂て人をして
処の事その時に臨て俄にあらため易との謀計
をたちまち変じ革め衆人その実を識るとを
慮を得不使
得ざるなり且その陣営などその屯する居所に
はかに易あらため近とおもふ処を迂どふく途程を
工夫して衆人に思慮推察せし
むること叶ざらしむ
帥與之期
師之与期こと高
師と卒と約して戦闘
如登高而太其棉
一の期になりては辟ば
に登て而其梯
高き場処へおひ登て下より梯を引立たるに
はしを去如し
おなじとなりこの心はもはや向へ進といへども退
帥之與深諸侯
之地に入て而
其機を発するは
羣羊を駆君驅
而往駆て而来
之所を知と莫
去の念をたち
去の念をたち
たるなり
帥與之深ク入諸侯之地
而發其機芳驅群羊驅而往驅而
同く味方ふかし敵国諸侯の
来莫レ知レ所レ
土地に入て戦場変化の機
をたくわへ発し出こと自在なりたとへば翠の羊
を駆もよふして牧するがごとく牧者の自由にし
て心のまゝに往来するなりたゞし大将の下知
にしたがふのみにて何へは往何へはゆかぬといふことを
三軍之衆を聚
之を七険に投
ず此将軍之事
也
ら
聚三軍之衆投之於險此將軍
三軍の大勢をあつめていかなる険難
之事也
の場処へも投しむること此将軍の
至由、平典余市
きうちのこんくつしん
九地之変屈伸
之利人情之理
事要より
とぞ
九地之変屈伸之利人情
九地の変幾数十百
から不也
察せ不ばある可
といふきわまりなし
之理不可不察也
且屈しちゞまるかとおもへばその中に伸ていきまひ
凡そ客為之道
一は深ときは則専
らなり淺ときは
をなすの利をふくむ人情の変こゝろにゆるし定め
がたし
となり
凡為客之道深則専浅則勘
凡て敵地へ客戦をとげるの道は深く入て本国
圓散ず
とふきときは人気さだまりて軍兵のこゝろ専に
國を去境を越
て師する者は
絶地也
なるなりもし本国をはるるゝと愛ければ人の
気も故郷へひかれて散乱しまりにへし
吾國を立
去国越境而師者絶地也
いて境を越
四に通ずる者は
去は故郷など内をかへりみる
灌地也入こと深
心を絶の地なり
四通者催地
者は重地也入
こと浅者は軽地
也入深者重地也入浅者軽地也
也固を背にし
医を前ずる者囲
背固前隘者。圍地也無所往者死
地也徃所無者
死地也
一四方いづかたへも通路たよりなるは。簡
地也
地といふこの以下前にくはしきなり
さて敵地へふかく入こむを重地といふ敵地浅く
本國へちかきを軽地といふ前は塲隘にして
是故に散地は
後さがしくけはしきを囲地といふ進退往ところ
吾将に其志を
なきを死地といふなり
一にせんとす軽地
は吾将に之を
是故散地吾將一其志軽地吾將
して属せ使とす
使之属争地吾将趨其後交地吾
争地には吾将に
其後に趨かんと
将ニ謹二其守。衢地吾将固其結重地ニ
す交地には吾将
に其守を謹
まんとす衢地は
吾将継其食地地吾將進其途圍
吾将に其結を
固めんとす重地には一
地吾将塞其闕死地吾将示之以
至也余師系子参之下
吾将に其食を
継とす北地には
不活
古この理を以て散地にては兎角に士卒
のこゝろざしを一図にして散ざらしむ
軽地ならば備押にても陣取にても離ざるやう
吾将に其途を
に連属せしめ衆軍の心をむすぶ争地ならば
進んとす団地
その初にあたりて争なば人みな望を繋その
には吾将に其關
うへ或は諸路突あたりの地なれば左とも持
を塞がんとす死
がたき地ならんしかれば先人にあらそはしめて
地には吾将に之
後その圖を見て。趨き取なり三國の時の
を示に活不を
以てせんとす
荊州争地もいふべし交地は往来交接の地
なればその要害の地を見て守を置べし
衢地はその鄰国の助をたのみ交わり結かた
めを肝要とす重地は兵粮の継べき工夫を
肝要とす北地はすこしにても留止とゞこふる
ことなく途を進ゆくべし囲地は敵より我を
囲その一方をゆるめ味方の出去べきやうに心を
ゆるめんとするをこの方よりその關をきたる方を
なきものにして塞をき心を一図にすれば敵案に
たがふことなりその奇変いづれも一定に泥べからず
故に兵之情は
囲ときは側禦巳
ことを得不れば
則闕かふ過ときは
死地には我将士諸卒までもみな必死とさだめ活
て帰ざるやうに心を一にせしめ戦聞ときは却て
勝利を得べきその
故兵之情圍則禦
ためし多し
側従がふ
この故に凡て軍
兵のさだまりし
不得巳則闘過則從
是故に諸侯之
謀ことを知不る
者豫じめ交る
こと能は不山林
實情は敵にても味方にても囲なれば是非も
に潔なり帰兵なれば過行ところ必す敵し
たひくひとめん
とすべし
是故不知諸侯之謀者
険阻沮澤之形
を知不者軍を
行むこと能不郷
道を用ひ不者
不能豫交不知山林險阻沮澤之
知不者軍を一イ自子山本院内法
形者不能行軍不用郷道者不能
能不
地の利を得こと
尋也川この个条はすでに軍争の篇にも見
イ二地手一たれば合かんがふべきなり
得地利
四五の者一も
四五者一不知非覇王之兵也。
知不は覇王之
四と
五と
経典余怖孫子巻之下
兵に非ず也
は九なりこの心は九地の利害得失は主将たるも
のゝ辨まへ知べき要務なりもし一个條に通
ぜすしては覇王たるの兵法にあらずとなり覇と
は天下の諸侯を押る大将軍なり王とは天下
夫覇王之兵は
大国を伐ば則
の御主の
となり
夫覇王之兵伐大國則其
其衆聚るを得
衆不得聚威加於敵則其交不得
不しむ威於敵
に加るときは則
其交合ことを
合
たとへば大身のものに叛る國ありてこれを
一討べきに謀計を以て敵衆の勢氣をわへ
得不
るやうにして一所によりあわしめざるべし既に
この方の武威敵をとりひしぎ敵の身に加る
てんかの
是故に天下之
時は敵方にしたしき諸侯もおそれをなして敵と
力を合ることを得ずとなり
交りを争は不
是故不争天下之交不養天下之
天下之權を養
は不巳か之私し
を信て威物敵
權信己之私威加於、敵故其城可
に加故に其城
抜其国可随
この故に天下の諸侯おそれふ
くし諸侯の交情を求め
可
抜く可其國随中
あらそふに及ばず天下の権威をわれに奪とる
に及ず是巳の私くしのしるしあるを信ずべき
なり自然と武威敵に加り逼く城を攻て抜
ざることなく国を伐て隠ざるとなし
魚法之賞を施
施無法之賞懸無政之今犯三軍
し無政之令を
無法とは格外なること
懸三軍之衆を
なり無政とは定まり
之衆若使一人
若
犯る一人を使ふが
し政の外の令命なり時にとりては格外
の恩賞を当おこなひ又定例の外に士卒
はげむべき命令出されなどもありて三軍の衆
兵といへども只一人を使ごとく進退分合自由
之に犯ゆるに事
を以てし告に
自在なる
犯之以事勿告以言
へしとなり
犯の字
用ゆと
言を以すること
よむなり凡てたゝかひに臨て手分手組進退
勿
かけひきの事をいたさせしむべし決してその
經典餘師
之を犯るに利
を以てし告に
害を以するゝと
密事の言を告もらす
となかればなり
犯レ之以利以レ利勿二告以一
害
凡て軍兵に利徳のある所をしめしては
一げみをまし害なることをきかしめざるべし
勿
之を亡地に投
して然して後
投之亡地然後存陥之死地然後
に存し之を
生
一誠に戦場の事は衆軍一和一決してと
なくたゆむことなきを要とす必死と定め
一死地に陥いれて然
して後に生
亡べきと思ひきる場処に心得て戦聞はけ
むときはかへつて存へ生べきの道理を会得
夫衆於害に陥
いつて然して後
に能勝敗を為
故に兵を為之
同夫衆陷於害然後能為勝敗故
軍法の大
為兵之事在順詳敵之意
切は敵の
事は敵の意に順
意を詳悉にしてその形勢をうけ順てそれ
につひて計にあり敵きほひかゝるをみては誘引
ひ詳るに在
てこれを討敵うこかざるには怒しめ干
など百出なるべきゝとなり
并レ力一
力を弁せて一に向
向千里殺将是謂巧能成事
敵の
意を
千里将を殺ん
是を巧み能事
順はかるとはいへどももし敵の虚めいはくに察
じ得ては道程とふしといふとも人数をあつ
を成と謂
め力を合し一向に決定して進なばかならず勝
利を得てして進なば大将をも打とるべし敵の
大将をも討とるべし是巧に是攻攻撃て
是故に政こと挙
大将をも討とるべし是巧に
之日は關を夷
事を遂成ものた
是故ニ政擧之
符を折て其使
日。夷關折符無通其使属於廊廟
を通ずること無
政ごと挙とは軍戦をすべきと
於廊廟之上に
之上以誅其事
さだまりその政とゝのひて大
事を誅
属して以て其
事を挙用の日なり先開処々を夷閉で符
節を折おき敵味方ともにみだりに便を通
さしめず子細は事のもれざるやうに密なるを要
とする故なりさて国家の大事は廊廟に於
て主君諸郷士みな属く厳重に評議あり
てその事をとゝのへ誅給ふ廊は殿中にある廻
〆
敵人開闔す必
らず凾かに之に
廊なり廟は
敵人開闔必亜
眼にあり
敵人開闔必亜入之
動静進退をうかひその虚を見てこれに乗
じて攻伐べし開と闔とを説は虚実間に
其愛する所を
髪を容ざるに
たとふ
国
先其所愛微與之期至
與期す
先して微に之
にうち入て敵の愛のかゝる心ひける処を先へ攻べ
し微に軍と約束して敵に知しむべからず
墨を践で敵に
踐墨隨敵以决戦事
践墨随歒氏法戦事
軍法たゞしく整
正るゝと墨矩を踐
随つて以て戦
事を決す
是故に始は処
女の如し敵人
て諸事をはかり知ことく敵にしたがひて千変万
化して勝負の道理を決すべし
是故始如處女敵人開戸後如脱
戸を開く後は
脱免如し敵拒
いまだ戦はさる始は敵より我を
兎敵不レ及拒
閨ふかくそだちし處女のごとく
に及ば不
陣門を閨てたゝかわんとするに後の形勢そのはげしき
こと羅を脱出たる兎のごとくその鋒先拒がたしとそ
火攻第十二
火攻第十二
火を用て攻たゝかふの法を
しるす元来兵は凶罪にし
て已ことを得さるより用るなり財実をつい
やし民をくるしむ分て火を用るときは一時
孫子の曰凡そ
に人を殺し物をそこなふしかれども良将これを
もちゆることを以てこゝに録す
火攻に五有一
一に曰く人を火
孫子曰。凡火攻ニ有レ五。一曰火人。喩
二に曰積を火
一城郭陣小屋を焼やぶるがゆへ
に人を火とはいふなり
二曰火積燭
つみかさねたくわへたる物なり兵粮まへさまめわ
らの類なりこれらを焼ときは人衆の頼ところ
三に曰輜を火
四に曰庫を火
を失
なり
三曰火輜
一輜重とは武具諸式その
外兵粮攻具両具陣中
一切入用のしな〴〵をいふなり是を
焼ては敵一日も足をためかたし
四曰火
庫ヲ
庫は金銀財宝平生なにかの道具をいるゝ
のくらなり是を焼ては不自由いふばかりなし
経典除師添千巻之
○隊は備のくみあわせ隊伍のことなり
五に曰隊を火に
五曰火隊ヲ
敵の軍中を焼そなへをみだす
火を行ふ必ず
なり城中なれば矢玉ほうろく
行レ火ニ必有
火を行ふ必ず等を墜放もよろしきなり分
因も有煙火必
ず素より具
放火を用るには其用へ
こゑんに因こと第一の義
因煙火必素具
なり敵内通のものあるか又は草木しげき所は
又は水の手のなき所は又はころつかざるまの圖
火を発するに
時有火を起す
に日有
をうしなふべからずさて硫黄焔硝燥紫狼糞久多
等の火具を素よりとゝのへをくべし又
発
火を発せんとするに時
火有時起火有レ日。
節あり火をはなち起
時者天之燥
也
さんとせば日を
その時といふは
時者天之燥也
ゑらむべきなり
あるひは風吹
をたのむしかれども土地により烟まひて味方むせ
はざるやうに計べし又はしきりにひでりして万物
かわくしき又は敵の陣場あしかやありて消がたく
又しのびを入て火を放たぐひ種々あるべし
日者月箕壁
日者月在箕壁翼軫也凡此四宿
翼軫に在也凡
是は天文の度数を考て
者風起之日也
そ此四宿者風
一知べきなり月この四宿の
起之日也
星に由ときは風起べししれどもたとへば月が
翼乾の二星にしたがひ由ば巽二の風なり壁
の星にしたがへば。戌亥の風ふくなり箕星よれば
丑寅より吹べし書経にも星の雨を好かぜを
凡そ火攻は必
ず五火之変に
このむことを出す右の四宿の星は
雨を起もよふ寿の日なり
凡火攻ハ必
因て而之に応
火を用るは上の五ヶ条
の火攻その変により
因五火之変而応之
ず
火於内に発ば
て種々に
応ずべし
火発於内則早應之於外
即ち早之に
外に応ず
我もし間者を容て敵の陣中に火の手あがる
を見ば外より早速に兵を挙てこれに応じ
ちからをそへ敵の意気を挫ひしぐべし人
必ず勝利を得て敵みだるべし
火
滋臾余師孫子医之下
火發して而其
兵静なる者待て
發而其兵静者待而勿攻極其火
て而攻と勿其
力可從而從之不可從則止
火を発
らへ
火力を極め従
がふ可して而之
に従がふ従がふ可
ども敵しづまりかへつて騒倖みへざるものは
敵かねて備をもふけて不意を防ものなり
から不れば則はち
止
此
凡そ火をかくるといへども深く思慮をめぐらし
様子をかんがへ待てみだりに攻かゝるべからす火勢
のつよくさかんなるを見極そのうへに敵の摸様に
したがひ乗ずべきや否の机を案してもし從
火於外に發す可
がひ乗ずべくんば乗じ又乗ずべ
火可発於
からずへば止とゞまるべしとなり、
き於内を待無
時を以て之を
發せよ
上にいへるごとく
火を発すべき
外無待於内以時発之
火上風に発らは
時いたるか又は敵陣あしかやなど草木しげみあらば
取はらはざるうちに急に火をはなつべし内通の
下風を攻こと
無れ
あるなしを待に
火発上風無攻下風
およぶまじきなり
昼の風は久しく
夜の風は止
風上より火を発したるには
風下より攻かゝるべからず
昼風久夜風
止
ひるのかぜは夜にいたりて止べしよるのかぜは晝
にいたりやむべし大数ひるのかぜばそのいきまひ
凡そ軍は必ず
五火之変を矢
敷を以て之を
守れ
故に火を以て
久しく夜の風
凡軍必知ルヿ五火之変以
は止やすし
軍をもちゆるには五火の変をわきま
霧宜し但し但し但し晝夜晦明風雨の
数守レ之
数をはかりて守りつゝしみて
その図をうしなはさるべし
故ニ以レ火ヲ佐レ政
攻を佐る者は
明かなり水を以
て攻を佐る者
は強
人とたゝかひ城を
攻たがひにしのぎ
者明シテ以レ水佐レ攻者強
をけづることなりしかるに時をつもりて或は火をも
ちひ又は水をもちひてその力を佐るときは形勢
水は以て絶す
過分のちからなり火は焔々として明かにさかんなり
水は性やはらかにしてその形勢剛強くわし
不可
可以て奪可から
水を用るときは絶
へだつるに利あり
水可以絶不可以奪一
愛良余布
火をもちゆるには焼うばふに利あり敵の兵粮を失
絶きり敵の陣をやき奪なり
夫
夫戰ひ勝て攻
戦勝攻取。而不修二其功者凶命曰
取て而其功を
脩め不者は凶なり
戦聞すでに勝利を得て攻とりしとき
て費留と曰
費留
は早々にその攻を修おこなふべしもしお
こたりて時をなし給へば害多し功を修とは勝利
の跡をつくしみ且功あるものは賞をほどこし又
故に曰明主は
不功のもの罰あるなりもし功を修ざる凶多し
是を留ていたづらに費ると命ることなり
之を慮はかり良
故曰明主慮之良将修之非利不
将は之を修む
この故に明主
刹に非ざれば動
動非得不用非危不戦
良将はふかく
不得に非ざれば
思慮をふかくし務修て軽忽ならずとなり
用ひ不危に非
腸利をしかと見にあらざれば動ず得意にして
ざれば戦は不
脳看したる事はしかと用べし危き場所には
必死と決定して後たゝかふときは却て敵を
主は怒を以て
やぶり勝利
同主ハ不レ可以怒テ而興師將不
をうべし
師を興す可
かゝ不将は温を
可以温而致戦
君主たる人もし心に怒
とありて夫によりて師
以て而戦ひを
致す可から不
をおこし戦聞を引出すこと大にあしく民をくるしめ
國を傷のはしなり大将もし心に怒を慍で合
状利を合して
て動き龍利に
合せ不而止
戦勝負をいたすときは万事
合二於利一ニ而動
麁暴にして敗をひきいだすべし
不レ合二於利正
明主良将は事の始末成
敗を計て我に利あり
宜きに合するを見て動もし利に合ざれば止
まりて動ず兎かく進退ともに重く厳なるべし
怒は以て復喜ぶ
可し温は以て
怒はみだり
に発すべ
怒可以復喜慍可以復説
復説ぶ可し
からず能つゝしめばかへつて喜をうべし嘔は常に胸
にとゞめざるべし却て悦となるべしとなり重
を持すればその内にあらたまるをいふなり幅とはい
かりをふくむなり色にあらはるゝものを喜といひ
一尾貝余市子兵之
絶男食筒
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
凶国は以て復
存す可から不死す
心の内にあるを
悦といふ
亡国ヲ不可以復存死
る者以て復生く
者不可以復生故明主慎之良將
可から不故に明
主は之を慎ん
警之此安国全軍之道也
国一たび亡
ては存すべ
で良将之を警
む此国を安じ
からず人一たび死して復生べからず軍を持あつかふ
こと誠に国家の大節にして主将の警め慎むべ
軍を全ふする
之道也
□□□□□□□
ことなることなきことなりことなりこの理をすれば全く軍國を
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
安ずるの道といふものなり
用間第十二
間とは隙のことにて敵の心
つかぬすきまをみて味方より
用間第十二
一敵のやうすをうかゞひ知ことなり細作とも間諜
一ともとなへて皆しのびものきくことなりこれを用
そんしゆわくさ一
孫子の曰凡師
るに人柄才智色々なればはなはだ軽からずこれ大
杵の一大事なり依て篇の末にとゞむるとぞ
を興こと十萬出
征ること千里百
孫子曰凡興師十萬出征千里百
姓之費公家之
奉日に千金を
姓之費公家之奉日費千金内外
費す内外騒動
騒動怠於道路不得操事者七十
し物道路に
怠たる事を操
萬家。相守數年以争一日之勝敵
同一
じることを得不者
七十萬家相守
の首は間を用ることいたりて大事なることにて間を用
るには事によりて万金をも惜ざるよし等の義を
と数年以て
日之勝を争そ
ふ
述しなり漢天下を手に客の一戦も陣平反間を
心こなひしなりこの時皇帝万金を惜給わず凡そ
ふ
軍を興と至て重く大節なることはいふも更なり
軍兵十万を出し遠く敵国へ征ときは公家之
奉禄毎日に莫大の金をつはやし内外の騒動いふ
ばばりなく道路往来の苦労に身体くるしみ
怠たり農民商人このほか諸職人をの〳〵世事を
不操て父母親族をかへりみることなりがたきもの七
十万家なり是乱世の兵賊なり且さつそくに
勝負わかるにてもなくたがひに守ふせぎて年月を
糸其食自
而爵禄百金を
わたる必竟は只一日のたゝひに一
而愛爵禄百
愛て敵之情を
勝利を取んとの為ばかりなり一
一知不者は不仁
金不知敵之情者不仁之至也非
之至也人之将
に非也主之佐
人之将也非主之佐也非勝之主
に非ず也勝之
主に非ず也
也
しかれば間につかふ所のものは第一に人をゑら
むべく又ゑらみし人なれば賞禄も屹といたす
べきなりしかるにわづかの金玉をおしみて右図家
莫大のついへある人数を日空く外にくろうせ
しむるさへなるにもし万一敗を取人をころし
くにをうしなふときは不仁の至極このうへなし
依て大将たるものは百金を惜ずして敵情の虚
実をはかり知べきなりこれをそむかば主君を佐
めいくんけんしやう
て人に大将たるものにあらず中々勝利
故明君
故に明君賢将
を主どる器量にあらざるなり、
動て両人に
勝成功於衆
賢將。所以ノ動テ而勝レ人。成功出レテ
に出る所以の
者先知也
むかしの明君又は賢なる大将の
一軍兵を動し合戦をなすとき
者は先兵也
いつも功をなしてその名衆の人のうへに出るといふ
ものは他の故なし敵の情を先へ察し知を以て
先知者は頼鬼
神に取可から
改先知者不可取於鬼神不可象
不於事に象る
可から不的度を
於事不可験於度必取於人知敵
験む可から不必
ずれ火に取て
一敵情を先へかねて知といふことは。鬼
神尼法師巫祝山臥にたのみ取に
之情者也
敵之情を知者
也
もあらず又万事に引くらべものに象どり知にもあらず又
らず又ものゝ権度にてかんがへしるにもあらず、元
来五の間者の法をもちひてその人よりさぐり取
故に間を用るに
て敵情その虚々実々を察し知ことなり
五有因間有内
故用間有五有因間有内間有反
間有反間有死
間有生間有五
間俱に起て
間有死間有生間五間倶起莫知
古典除所深部郡部部
其道を知み莫
其道是謂神紀人君之寳也。
さてその
間を用
是を神紀と謂
人君之宝也
るに因内反死生とて五品あり俱もちゆることにて
間の妙あること中々その道のあぢわひ測しることなし
依て名づげて神妙の法なりといふ紀とは法のこと
にて夫々の條理のことなり実に間諜は人君大
因間者其郷人
一将の重宝といふべしその五ヶ
一条たゞちに下にしる紙
因間者因其
⑧
因て而之を用
因といふ間の法あり子細は
郷人而用之
敵國の郷里のものどもに
内間者其官人
財実金銭をあたへ心をむすびてその
国の虚実をきゝしるとなり
内間
國の虚實をきゝしるとなり
用ゆ
に因て面之を
内間とは敵の内
者因二其官人一ニ而用之
輪の官人にとりは
りて敵のもやうをきゝ知なりあるひは当時高官
反間の者其敵
にはあれどもその君にうらみあるもの又はちかころ蟄
間に因て流之
を用ゆ
居いたし居もの等に
反間者因其敵間
たよりて聞べきなり
而用レ
一敵より我方へ間に越きたりし其敵間
をかへつてこの方の間に用るをいふ也
死問者誑事を
杓外に為て五口
死間者為誑事於外令吾間知之
間をして之を
知令而敵の間
死間とは間となりて行
ものゝ身は死すと定て
而傳於敵間也
に傳へる也
入こむなりいろ〳〵形のなき誑どをつくりなし
自然と我身方の間者までも信とおもひ敵の
間までも信とおもひ伝その中に在て謀計をた
くみ敵の上下までも心入のたがふやうにするなり
生間者反報する
もし敵さとりしる時はとらへられ
殺るゝ覚悟なるべし
生間者。
也
生間とは生にすこしも害のなきいたし
方なり敵へもさして疑われず表む
報也
故に三軍之事
は間より親
も愚にしてかへり忠をたくむものなりいづれに
古人の所為を能く〳〵考がへしるべし
きは莫賞は物間
より厚は莫事
故三軍之事莫親於間賞莫厚於、一
怪世余師
は物間より密
なるは莫聖智に
間事莫密於間非聖智不能用間
非んは間を用ゆる
非仁義不能使間非微妙不能得
こと能は不仁義
に非人ば間を使
間之実微哉微哉無所不用間也
こと能は不微妙
に非れば間之
実を得こと能は
不微なる哉微
なる哉間を用
ひ不る所無也
もの故に軍戦の事につきては間より要用なるは
なし間には卑格又は格式のものをつかふ何も
大将身ちかく密々に親むべし恩賞もあつくし
て用ることなり大将の智聖ならでは用がたし
又仁義を復おこなふ人ならではかなふまじ且微々
妙々の理に通ぜざれば中々間は用がたし尤とも
間の事未發ら
間は微哉微哉なる妙計
にして辞には述がたし
間事未發而
ず両先聞る
者は間と告所
間者の言
先聞者聞與所告者皆死
を以て敵
の者與皆死す
の者與皆死す
を謀つもりし事いまだほどこしおとなはざる
内に間の言もるゝ時は即ちそのことにあづかりし
間者とならびに言をもらせし者にを死ことなり
凡軍之撃と欲
軍法は密なるをたふとむなり
する所城之攻と
欲する所人之
凡軍之所欲撃城之所欲攻。人之
殺さんと欲する
所必ず先其守
所欲殺必先知其守将左右謁者
将の左右の謁
者門者舎人之
門者舎人之姓名今吾間必索知
姓名を知吾間
をして必ず之を
凡そ敵を撃とし城を攻とし敵将をころ
之
さんとするには第一に敵の守の大将の左右
索め知令
近習の名謁者やく門者のもの舎人の人など
の姓名をかねて棄内して間者のものにも索
必ず敵の間之
もとめて知しめをくなり子細は敵の
必索敵
来て我を間す
陣中へ入こむにたよりの第一なり
る者を索めて
因て流之を利
間之來間我者因而利之導而舎
し導いて而之
を舎す反間
之故反間可得而用也
敵より来て芋
を間するとき
一怪虫除市倅子参之下
孫子番也丁
得て而用ゆ可
しゆ
その敵の間をこの方に因をきて利欲を以て之
を釣さて導引よせてあるひは我陣中のやうだい
をみせ又はこれを留舎して反てそれをこの方の
之
是に因て而之
を知る故に郷
間内間得て
使可也
間者となす且応変の妙あるべし是を反間
といふ
なり
因是而知之故郷間内間可
得而使也
上にいへる是反問の便に因て敵
の官人郷里の風議をも知て
是に因て而之
を知故に死間
一は誑事を為敵
に告使可
郷間内間をも使
因是而知之故死間、
得ことなりとぞ
為誑事可使告敵
死間も敵の反間かよ
りていろ〳〵の巧をなし
是に因て而之
て誑き造なして敵がた信じ
用るよふになすべしとぞ
因是而知之
を知故に生間
は期の如なら
生間も反間によりて
故生間可使如期
敵情をくわしく知う
使可
ることゆへ往来内通もあぶなげなし
に期約のごとくならしひ
五間之
五間之事は主
事主必知之知之必在於反間故
必ず之を矢
之を知は必ず
五間ともに主将たる
人能その事を悟知
反間不可不厚也
拾反間に在故
てこれを用るなりしかれども本づく如の第一に
に反間厚せ不
いふは反間に依て何もおこなはなしことなりこの故
ばある可から不也
に反間の恩賞はもつとも
厚重すべきなり
昔殷之興也伊
昔殷之興るや
也伊勢夏に在
周之興るや
㊃呂牙殷に在
摯在夏周之興也。呂牙在殷故明
君賢將。能以上智為間者ハ必成大
力。むかしの例を引こと左の如し殷の天下にか一
故に明君賢将
わる時は伊尹はじめより敵国の夏にあり
は能上智を以
て間と為者は
必ず大功を成
て能員の君臣の虚実を知こゝを以て殷の湯王
こゝろやすく夏とたゝかひて大功あり又周の天下
を取とき太公望よく敵がた殷の君臣の虚実
をわさまへ知これに依て一戦に殷の紂王を
ほろぼしたりとぞ湯王武王は聖人なり伊井
太公望もおなじく聖人なりかやうに明君賢将
は上智才智才徳兼有人を間者とするが故
にたやすく天下無類の大功を立給ふなり摯
とは伊尹の字なり呂牙とは太公望の字なり
但し右の二聖人かねて天下を奪ひとらへとて
この二人を夏殷へつかわしたるにはあらず伊尹は
はじめ夏の公室にあり太公望は常に年ひさし
く殷の事実をみきゝしれるゆへなりたとへば
この二人なきときは事に臨とき別に上智を
間者となすべし是また妄に腸をむさぼるにあらず
この篇の首に載ごとく誠に一日一旦の戦をいたす
が為に民のくるしみ国の弊を痛しくおもひ給ふ
がゆへなり況や聖人万民の為を遠慮し給ふこと
これへいのようさんが
此兵之要三軍
もつとも深く計図
給ふべきなり
此兵之要三軍之所
也
也
之特で而動所
多少軍兵の生事国家の有亡ま
ことに五間を恃として動ことなれば
恃テ而動也
して
実に兵を用ゆかの肝要大事なり。凡そ兵法を
学もの三略を能々誦じ次に和兵の学をな
一本邦の陣城の制法軍器の制作を案内
してそのゝち孫子奇変の妙を識得せば思半に
図べしとおもわるしかれども人々性異なれば徳ま
た殊にして各々総量小大により得如あるべ
し依て七書の内孫子を詳悉に和解するもの
なり三畧は別に三畧考を合せ考べしといふ
孫子巻之下畢
甘田
寛政八丙辰年正月発行
江戸日本橋通南一丁目
須原屋茂兵衛
発行
同芝神明前丁
岡田屋嘉七
尾州名古屋本町
永樂屋東四郎
京都寺町筋三条西
丸屋善兵衛
仝三条御幸町角
吉野屋仁兵衛
大坂心斎橋筋北久太郎町
書肆
河内屋喜兵衛
仝唐物町南エ入
河内屋太助
}49280
発行
書肆
江戸日本橋通一丁目須原屋茂兵衛
同浅草茅町二丁目須原屋伊八
同日本橋通二丁目須原屋新兵衛
同所山城屋佐兵衛
同芝神明前岡田屋嘉七
同下谷池之端仲町岡村庄助
同淺草廣徳寺前和泉屋庄治郎
同横山町三丁目和泉屋金右衛門
同芝神明前和泉屋吉兵衛
大坂心斎橋通唐物町河内屋太助板