ふしみときわ

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不明
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井筒屋三右衛門
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フシミトキワ
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東北大学
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書名 ふしみときわ 月 畢 年館 4旨 属学月附 所和4 究令図 研々属 学月附 学8和年学 大昭3次 北7台和北 東宇仙令東 印 所蔵者 管理番号 資料番号 撮影 撮影年. 首字 ふしみときわ 図書紙紙 特別 一伏見常盤 兩八五 予作 ROILEL 一十 第三人未荒幅氏ノ寄贈会ヲ 以テ購入セル學博士 蒲野亭吉氏舊輝畵 ふしみずきわ 初後 誠也みなつか〳〵けんかすかんなりもの心をとなふるない有爰にてこゝもの院の時京 民の南岸の御物物御門なけの森戸の森戸町もける様なき様御屋敷や様大衆屋迄しやけやしやからやか のませきやへをひなこはほぼろみのせうにもなせうせうはなく夢がしうとなれはひとかぎのわずの事 もひ有かさしたのまれまり我家はへる事のとなんとなんにで応道本の花のし共を考へ れていかに出つよしいものにてんこそ〳〵此事よりにてのよいにはあり 侍ける御思ひとくうつて此ほとぬゑと思ふに渡すく白よきを有つけりときの事をいたしをぬ にてかなるはことはとほんのはた下のお下るとゆえせばよみの身あまりて水にてすくしよ けんはる腰をといへおきたかたちへ付給へけりの所領をあたへたへたんにたりましよとものますかね さもちうけつぢへきへききのしはいへんといたと仰ける後もりおればとり〽いそのあなさといふ をまるゝおりすなれはほさきさになんひその粉を渡つゝ都をさしてくけるおものかきのかたへ きひてにはいけんすに我にいわくた事の頭よしにもはあやのくのを切しんしんともろいしなんしいへん きしきやらんをおこしたいなりの夜はたまげていとをさつてゑんです事にもこりとめるやうに 表はの露にたならず此とせなせんともともかかかうへをはね天夜たける事也といふにて 百二十四をあておこなつしよろてぐたることし平治一年正月朔りおたへしうらんとおれの おき是をいりでもにも入ておこりける事なともはなくすへ有み申せ給ゑとやとにて 源のよしとも公 兵衛のこん事 かまさひやうゑ こざのせうじ おさだ子おも おさたふるくる □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 雲におそれる 此男 こんわう太さにいかる せりそもよし朝はかへのくひを切給ふ也逆さいの悪人をしうとそのみてせんなしいさ此ゑき取て 三かへと有つて上方ぬわしとさゆへいかゆへと申ける吉良水走はゆくしき御事きやすへ打れ給やますに かんのはとそ申ける其時三なんすみ花給のことく此哥は思のこひを切髪のつみ深し深く夜又くびやうを んのふりの行を切なやん道はいかせんこにやとへの御きいさいみちくのあいへ鳥にはし二つしかな をもこめしよくする所をつのはし中にて是をきく思ふゆんなはし思ふ様くま〳〵ゑちぎをもといれはしのゝ はしにうはまゝたいらせはやと思ひろうせんをむしを求てしよへせんせんじ所をいばしさみをなし其まゝ 取てやたりあのはしかれへんどらぬ門の事なれつのにおのねむなしくなる其とく也上もないの かれぬまさてもすそん合をは君にたのまなりゑげの大くんなけてめきのしきいたしそん者つとは腹の てなての山の御供みてみや取てのめん〳〵なれ此事事にを思ひくまり給へとなみさをなし申けるおさた 大きい娘を立ちきにそむくはきかくわいんみれはまへ腹も立それ皆下よくれん中たしそんやけるあける 家なせんやうつねの所へ入てつく物をあらずおやのゑにそむかしとますかにかにのなはきやくのす せんしかへにても合事もならは逢さいのこわなしといと思ひ切しひ切壱才とも切て法事しや 何此度をほめぬれははなかりけめ其程なきは残る事共を付給せんやう心はくれば来ると思ひなるにて 人事もねと云ふ其手共様とくかく御はないと申けるかきた焼る故中も汝のあせんに打せんとかま にしらいつみつよくもりし家が案を通すめしきものも有くしかければしかへしかおつみのおひ大 ことものやうるき事よせおたびいつゆへよくの様まび房けかせしそんけんとめき女を出てせん 一大いと思しややまやらんと出来るおささまへに給へそうしまし故数数夜心かは有之候也是迄の御番 ごのめほたうとげときなもつをからすみ給をわひらませましてす身となりとなり栗の子元を あまけの山へなかりすしいもうつよくの神にはきとをおろな候かまいにはやへとをかく御やまひてなれ と打つけほにてより一丈夫大夫大坂やますくせうしをはやとふらんやあなし恋大地やひやびやいへいへいけり てももをかうはいろいなんそみのとまり〳〵とすへのすへの軍に行らしおりて下つてもあさる事なる事ない はこのもんほんは本人腹ら立ちとうしかはけふみちらし人みいらすて是は身凡身は女共やみたをいかさないかつて かける屋築そのもの有御家少々ゟとかんせぬけんせなけん 其数出たはは道におだき哥の〳〵しもはとをと申よし朝の御上成花をもしにしてりやしき となき司れさけ者はちそふ頃下らいのしかねに残うをとしやが付中共としあらせ給うつみの沖に 前手をおろししほへ給ふやゑも行の願土さんへにありよらされずありまへ合なからず是迄もあと云ふ将軍に 伊豆大切に言ふかそれしをしくものにはすへしと仰有はおさたれ御前を差立其後返右を せうあかそせう申と覚へり事なんは成なは急者助てすつへと思ひのくて出来るよし大地震いかいかん ささをたのゝ下るみかてからふ事有共なとかせこんせさへと仰有こせころ上洛を奉参候義も供給へといふをなし してくりるよ朝せうしをけれはやくござく致せと有てはむき執くつきやうの取よの者五十人にそんかぬべしを思へ あみて侍所をやくはせうそ致て天波成返しの大よろの男八寸の大たち夢に立たるもになんと たる夜たんはいまきまきを来みさゆふへ引きしあへわひしかん八方を初めましゆるへと名ゆるへとあら あをさとふみ板二此さといすはぬかねぼちお見えやくします水あたはさはなかひしまひしま 左をまひといこと心後たちへ彼立何郎やんと云はねてよさらの事なれは哥のちろのちろけて酒をさまへにし いたりあまるあまりに供すいられてうしろのせうしによりとろり〳〵と思いけつしやに立たることがなき時 女は家持たてうしとなけけをしならてむすとたるつたしやうと並ふせひきの下外したちかたちかたり 衆共一度のつと切付たりいたてにてふていたのなく十三所くをおせはん重いたむ事をかきりと成分 おむたんや正成八とのことはそあはれひきみきう成是になき殿むこふにて折たがやなさけなの女房や 何上て我のとせんそすへくさもめわしき国すへきてさいし也去ても我立の御うんのすののたわやくなをさい このとに十三十八日に取としてつまのむなしく成にけるとんよくやんのおきさらさまむこの事なれはあなのや とのかん君とひを見そさぬ付けかけて合けもの表をとあしは。まさかさは女子のなさにてしよしの声 と成候る後打れ候をは夢中もしらてさます夫て合つまりて宿々がでせ給へ共妻の正清忽あとて帰らせ 恋殿であしきよく思召うすきぬ存分みかげさうけしま哥しいひたる上を三かましましまします か正清殿とよひけれはむにんせうとてほともせすたのていをごまへはならず。今へ念人さんとおろみ有之有之 する〳〵と言のいい此心得殿あたらせ給ぬときぬ引ひけて五給はあげのちしほに身をそめてむなしき ていまきもさいかは夏共同様にてしかぬにいたき付き付きへ入様にてなきまふおつる泪の下よう〳〵〳〵いへ をゑなをしとき事とは我也きそたちこそためがらを恨させ給ひけひけすの夢にもしらぬ也しよせんからしや いめて北ものうさはたしての山にて何給へともりもを見出しすてにかふよし又けるかいやまてしよし龍 恐かすもいなし貴もの相太夫よ母よとよふなし給ふちおちこすたしこゑなはちてもなよみ いふもない本さいさんにて有し千里二尺の上を廻り二人の上を右へはないへともとせ弟はたねへ けらねなくそなし有扨故死し三人の有を有きいたき又いつのふしのふるにきりとおろしをきやつとも よく教へぢやちのしやきを見よ相慎なの兄弟やとさへ父様にそなきに兄弟の身の事な父の女子を に笑ひけよかちやゝなてなふことなけきしめもおそられぬふせの也母は泪のひまゟもひまゟもいたそなつれ なきおもいもらんが又もろ共にあつれはじんまのちやさへせん〳〵車のた石を引よせ二月人いしかしかしかしかしかしかしかしかしかしかんからしかしかしかしかしかしかしかくらんがいしかしかしかしかしかしかしか かきめ是まで折をそろしの有三やゆかさせ給て立けるさにつるさにはほかすしてすりに にものしきゆれ共おつかんそおことひとりてあるとてあらさしもろ共に母もともない行ても 右共を打あつと身をさいしにて弟の若共にそのまゝしるの事にかきなき付さへ水にてなき給ふ泪をまへ 今年は也けしと物に向て手を合なむさい方又は方丸女子銘共への取置候事故有之候へも我忍其外甚 仏言見をさひ給ふゝかまたかしかいに打かりあたのもやとさまふなをも哀をすめし度さらさまい かたの母三かまたりけれし事きそ始りなげらんとむらはやと思召よまのていかみ給へかまいますやうにらと 枕をならべしにける者もたき付赤道理行ひとうな声の身かから姿を少し事も強知事のこな れ共子ゟも騒いとをしや如き騒々かききに立へんもなからへませんとあけ候刀を与へいふけるといふと思ふ にのむなく成春春正治二年四月二日此度子五分のあそ慶武金のころのうらせまたち や世の中のもの哀は是みなかんせぬものこそなかけれ一二 吉程頃にてい其夜も助けれ意になまたる首けんとよまのていをみて有はおきたかはまろ〳〵 の悪ひとろ様にふて有さしよと思のせうしめもあきつみてそいたりにりたれ共しやけ何の身なれかまへか是を 京道をにまぬものこそなかり。扨せうし八君の御前に出に来るよしとも御見候と走べと後けるなき家今も 三日ふちの御かれいまんやかへ御しやさせ給六郎なみの内との有て御きよろとそりける者には 京なすはされやの者かかゝ有らんかまひておさわへのめうかみありおんなれしの給ひて御下代の御 はかせおきけぬけつけさせ給ひつゝやかてゆとのになくおさ田又はもく誰かせて 江戸へゟ吉七郎兵衛兵衛兵衛たいの哥とて喜なき人力三金つめ申すり申にも不申事に及むべとむべし しかものたしやとのつて七八間なけ給ふ両人またび家かり是て立てもさしとをしとめても二人とめて または見をはい出て一人くひをき出しなさめを打んと心八なくいきめとも何かな中のいて寒きますかあり さんゆにたしかげ給ひいかのおほさよしは都の大将を取るひけやかまさも立ておいてやかて思ひしせん方 去そ丸なをしその腹次はと立めて立めて引まはしへす又す又も水なしくんたしあてはまのき穴をおつ しはや首にはの給へはほき長刀さしのへふかいくひを打出くふたつの願をなくひをなくへ置こひをいます 人と何かたり尊剱なうつみにせんを打ほんとさしの花のことの方のおなみの平公を先てくつきやうの 去年八大せんそうもとをし大あみ七七七七七七升にてはかを取引しくすてもうをなしとかなたこなく心をが 藤夜はたん頭しふや本ゟすいもやうしそたなれあやみの板をと下とめきなし海うか主のほさほかい なりと覚べりとあたりをはらつてきしよらする此いといにかくれはなしふなそこひれどみないになき いたりけりこん大むなさきしきしきりしやねをよせよく下りをなすすいとそうの身をよせさりける そんへいかつてゑしにつくきやつくき物みせんといふまにて合たせは海につふところしつみぬしづみぬなかへ けるましやかん物としておろ〳〵はぬらすれかとまごせんなり又十五才とも衣事ばかいにける 賀教のさか下奉行をふたないかなる所有之候事故の事故武の家の家の家の家は御門 給へもからず給へと申遣さておりけるこんますとならなてまなとが負をはらくとなくとなりし扨又 よう参り大ついへていせをけんなんぐちをさまき心なかりけるなさめはゆとのに平有ん首様の やゆ事よすむはむきこそのせのせけるおけるかきを見上り来りと大ぜけてけりける のれもん申すとあるらんまてやうしなんざんはときるはやまにもつもつちいうにてけんといへてむる へきなきすへり残りある又を方へはつくめるなきをやけてやけておくせうしき金がいし夜のつつらず ほりのはねそ引とつしと身のもとのてうをりこすましとなりなりぬと云と哥に立づかりをねちりとこと ゑはしやのいちをゆくりとはねと中もんのうし雪の水の浜さまりおさりのかなのかなしたまあたまあ 坂木の命をたすけれふいになき鼎にけつす事をも明ちやし金ちやし大きりしかけやうめて □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 深み度も思いつけけけれは又ぢん成てゑにけるに人の尾弟のおささのもしれしれはなむねばかくわ みしてぞいうけりおさへかせいあまたしとよせりこんすては也じやとさん〳〵地立り残るやつは風やの くのちることむふはつとおつちらし都をさして上りとんますからの程かんかねこそなかければかけれ 是程の天気とき地せんのおなしきおもむらさきの頃まいの上らすらし其方也我はうけるとも 前に示さすかと申上のときは御せん次第二度こん士の来もこんとなくんとなく玉ひをはそか こんやこそのほどのほさにけれ子とやうなきぬとやすはれ候也しらしくしらんといてはいはいん 又人花きたしさいさはいや今大夫ゑひそのへへはんしそはやくおさをめて恋の御給やすつかしけんおやうに らはそ申すてさんに何方しらすなへよりいたはごさき御せん殿殿へかいたまへすうれん下にしはしそゑのこた いくわねえにかくれかゝめしの世の中と夜を上ててそなきなしやうへの事をしあたてはおさはいかに よしとも公さいと かつみのうら だの三三 □□□□□□□□ こんわういかる所 かてしきてやけるいたそむねんかかかほすうは此若はやゑからは何とまやきかなしとくはかれになきなし 大火のよくれ此所能を成候者原よりなふんなくさんなくへもおほり行をやくしき人あのうした人あのくへ のこともおま出て扨又はでして度分なれてひて居思び玉ひ給ひける心の内とて表屋はしくして そはこた五夜に思召れたきぢしろひたれめし夜本所のしやうそくいれはいのそばそれぬ則潰のおひに 御身に云ひとへのはまの大さからすたしはさみ一才の手有を。父のあいいたきつゝあるけてかかしとうの からなしきもひて犬そうあたりのくろこを初てふむそなんすいつ七京七気にや気にや気にりの夜の事也 此法の音を申て諸心をしたりき本の三畳にまされに候に候と有之候のからしにつやまんけをもみへ 今年のほへをへけの身様御山はき村左の御くんわう武了二年にそれり越あたのくんそんそんそんそんそんそんそんそんの水共 か行すきらせ給へてその夜はそこにもつらすとととも出行ははや御兵へ其向く扨さんに立出てゐてゐてゐてしましましましましましかへ 夜なむれ四ゟ五丁のこしのよきよきなまれお川やすへもよと迄つたのん〳〵もよとこほへの衣ほりへの衣はり ま方其よらねをめんこめのよゐを立つの玉なりの夜もひくらんいろのせとかやけにそろし也此道安いと 坂中辺家潰家共かはなる所けりのすへきもの定めなきものものたものたのし今日もの出たき のきやおほほとらんだんだかをこものためのたきのやたのまへにてあしてあしへ もにていよりつきやまくき火火火火損とかりやしくして 此事にものやうにあらやものの事はしきはいんけんといひけれとはしやけれと云の山は東の 少しれば其事のみなはやなれぬようつてけゑをわねてや夫なまといはるしの内こそろしの内こそ家あたへ 〽おじやうはれ御救へしまひあて御神前の御心にいらんでいらしやうやおひしや人はしやく ない母ことおよろか中におされしりうかれなきなきなきはいけんしてふか涙候はよさんは源氏のし 此べきみのかたるにはみゆるかふと見成ならば安東方に仍て是千多いおとなしなとなかなとなく あはさをんくれ牛のいるまたにやふのの母もろ廿時かすつかかつら川じつめんのみ時はむいもつめたい共やとな いの申ましめいとか〽残りまひとめて候とそみをみすてをち給ふを夜まはしくなふつめき共さひや共食を 分使と御雑冠に付入母上何も上れどなれ来れ候共と云々思召上る哉なごとき候と有之候事むかい の花をみ給へはともひほのかにけらす夜はとて火はしゆれ行てみんと雪はる〳〵にて五千歳ついをのそにいける □□□□□□□□□□□□□都のもの□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 〽あしの蔵は君天戸戸下下をあけときもの御寸にをつだみ音せ立きおく立へ知らかにこのほうに女の故に是なり せとそかさなきものをあたつれ候ことことやんでもなは草といふものはおそろしやとけはへきはやといやそいはやう やうによそわしよしも方のおちうとか身の置所なのまた是迄来るはちて身も東のゆなくおやいへなく みのなとおくのていゆいつと入こさ山の事なき父父父父をくせよとくせんしやときと御せんせんともながた 女戸御もなしおやらかやかけ玉よりておりの雪をうふひけ御小袖をぬき大きを有事なきをすなさま にて風音のかきとなしことき事こそ急きいかぬ有共申聞よかとほげ給ひとりきはこのほへいと方れはことなり 一通り一しすむにやむさん弥仏でへんせつと思ひもんの心はしかれかやうのすのすのすのみやとなく 哥もなら仏ほうへんのせつへのそへのそらつてすなはち妙也さん物といふちはつんに女つたりにあさないといふとなふさないとかのいといふに を聞時はいなふ事真妙のごますやはなんほんにはなと十方の諸法神守らせ給は給はぬ事有見ぬうのもの 世の中こ有したちのつたき付なく声の事はなしおち此由聞もからのやけりす女の程としてなげこれの事 母父さてはらひの女郎のいからせ有扨かし女のみなきはきよくにかつ物ほがやなきなく汝いかうなし 昨年程にやいなはとうははおみとをひめづゝよひのくにてもよかにはいたわしさよげしとはいろ聞きもの き屋のものさへもやてきやふと泪なからずのまへおちや或は立出て今間殿をはおやけかいたきおとめとめとのを かもり打へれらにそんやけ此みの心の内表共本来ながりけれ五かけれ五郎たんめ 五たんめ 音神政死王のまへおふちやむか情見へいたはりまり左におゝめしめ色の神のつともとかふ御前は都ち 一やかこむれは右国の遠き行さ下旬迄こておわしけれもちはせしのひまゟ春代の姿をつくト申せやせ いかに然こせていましわへよりはにのつねの也てなし哉よそほいねならず御心を引参せ候事はしやう 哥を参せ怠るける体は聞それはむかしの世の世の世になはし思ひなはしゆのゑうけなはじちいちいふると思召あ いのせうしをおづれて。昔はふそはふそなとはた山落すあものはけしてやとり死したること又の月かるとゑづしける事 は空雲があどろかしが来さそ世頃ぞふれらは心なこしな成共よまはんと思召やかて返言のかゝ計とはあやく のほはけはけとてふみときけと神にうけりふちや残てぬかなかねへきにやなしにも身のおほうとものや介の しぬけははなき入せらせとておの万才を参せよきにありまりあまりあまり又左衛門前行にまり向の長門かふち の内にとて又女にきとものおさないちをあますくの御名も引出しますくてなくしめんにめんにもち おいかめには来りによりにる様と申とすとす下女共はとの御号の御すきなかめ入をいたりけるときは此事なんと しきこそ思へ有かゝをならあほくの哉事や是へとの給へとの給へ其時おふいの事をいへいかはるてたいまいまいまいたいたいたいたいまいと いそにいたたあなど申出に人の家それ顔の義は都の心は親のくわすれば。此意をもていまいをまふ こまなく此度ひもひんななやはいさしいさしかしさのみつきのにさなへかないないなしおちやす 一橋にてけるか寸はやさんと申けりき人の女共先禄う一はなたかと平頃ある中にかその中頃久我の女 ありみならき何者と身のぬけれき其はなりとなりしやさくさう木にくいもあさつきののごとふ ゑんの鳥その出し其中からすからしものもになれば人類にはしとろもしとろもとろにもなきは にて崩るあがめてたやもしてくはせ天神は神は朝の花んも出しん女中あつたすふ言も妻の父母に なや神の御したり八色称の御神そまんごいつその浦飯抔の仏料理をう有らん此御さしかへの上かや新生を かけれけんありてやとさつみなく此殿申門物やとにかへりけるかく御せんはおふちへらふにと有てける はくへ此程のなさけを以下の内に今てたひ又そまいりほとにままよかめ給はなふちさむとくに かくせ給ふかとなこりをけにみを呑てとき事ををすりて目なからすわかる心の内みと言には我老 清もりはけきもまれもしよくかさいをいにのはれなしさかほと仰守寺より承知けるまかならんいたし りすときこときかれをこへになしめなきはそおやにかうにもの参らん事はちてん也やとたと仰けつかけたて春 て候とやがて御まへも罷立こやかしことさのし母うへをかめ九段もりの御前に引出けり御次第に か行国いたる事あらしはやくせと侍ける母くほといかたての今の給がなたてあとりも申しめたるみ ほりかあき我をかたん〴〵只水からか命をとせ給へぞこゑをもそそなき給ふ給ふ後ものほし こめかけと御てう有ておそいらふもふ事へけるとにあけれをそめしいきもせんば客はあうらめしやみつかめに ゆへにはたうへかたきのかたにどゝれ雨ふとのうへばみつかゝかたきのたいにしりつはゝをすけまいせんせ そひきくしくしておはつさしてそいてまたになれはなんたなかすこのよしかく仰けるありありありありありありありあへものは よろこひ清もりへかくと云清もり立出それなたへと御せんをめされけるそのこにときほなはうげた ゆ おふぢふしきに思ふ □□□□□□□□ あるしおそれる まいのおめかゝかはたうへ云やのすまいと穴からす是まてまいりきふゝふなりはさを放すけたまはれとな かたなかは申さるかけさよきいてときわいてさせたまふゆへはゝうへにいつきなしやそこゝやをいさいた しもんわいそいたしけるそのちきよりはときはのすがたをつぐと御んじないうおほしめされけんけんいかす かけさよなんしにときはあづくりなりよきにしゆし申せとそれんぢうにぬりたまふしけもりその御すか たつやと御らんじゑゝはかなきちゝの御こゝといかなるてんまのいりかたはおほせ候はやかたきのすやかたは ねをさつてしかすこのものこゝをたすけなはせんわりのへ女とゝをはなすにことならすとてに かいてさんと手が。左まへばありあふひとく〳〵まつ〳〵御まち候へきもり三の御んもいかにそんしとこ ならに〳〵〳〵とせいすれはきをおもんするしけりひてちからおよはすこふしまきりきはてかみしゆく所を さしはくるよのしげきの心の内尤おもとて有へなれ音かんもの松なりけれ六たんめ そのちかたはもさものくひ烏けきよをきのみきもり米にそわつる清もつなひいし くも仕たるものかけ此度のほらひとてもきぬ子をもはりゆきのせうになたれけるなたくして 申候ゆき少せうすなされてお参りかねをりけるかのこき御迄やもふのみをり給へと申がなみ いたる侍共此よりもたてじめやかたやかたら人をかつて国をのぞむはいとへんといりりて とにとつとそわもいかけきよ申告はいかすきたの中ねて上水にねて上の さるかたきしよくすん申様しめやとなふしきをおほねをいしものとすにていあをしけりかく ゑしふやのこんしと戸ものにて御さめ給りたちとかたいいんしきひと行さちにそろたのけへ おはんのもの承りしがく御心にと見へくもほだかける事としてやつてやつもの御内に たきこうすけものときはあんはかたそれてはかけきよいかは水と仰けるそのときしけりのの なれり只かくはしかしはいるものかのを給ひける様といかになされてもくろしかいとそんそんそれき やける者しややゐなきはいつかて後もは御らん後はよし候こともと御内なるしふもうともろの されてたるかん火石さんと御そゝ有有思ふや家に仕事つて候ともしもをはたくのあたさきさせ むねんとろすいにともり是まてしたふてまいる也あつれほさたをくたし給はししうのからに思は 一せて恋〽手鋪もんそいちはん妻をつきになさるゝとそそろ共くゆるゆなしせひにおひてやひ 此しはじと申聞きよりまの召上げもりをめされかれかれかのそむはことはりなりことはりなり かためにおきはちうのものなれはいかゝあんとないたん有しけもり聞公ひちやう哉にて候へ共とん わか申ところへすかたつて候おきたるらうきはまことならすみなこれんよくのふきゆへさむいの 音たすやうのものをたうのものと御たすけたまはせやうをろかねたまへたふらのなせしくせしけれ かのそみにませこんわうにくさし給ふや申きよもりけにとおほし口そのきならはおきたをめしといふや 此やさせよと御てう有前てんはつのかれたくおきたくまたかさねこそせうにとりしかみ又やからて 大さきおとろきやけんとせしをこんわうやかてかいつかみひさしく候おさたとのまつまされもさのしさん ひつしいたり清もり御らはしなんしかおきさをゑさするそそれにてうてと仰けるこりううけたせは はかしてまつて候とかたほねをふみつけこひふつすとねちきり御まへにらしこまりめやさけし のあるもへにしうのかたみさをやす〳〵とうつとの有かたや此うへはそれをいかやうすもおほせ付 られ候ことつしんてそゐへりけかきよもりおほせけるはあつはれなんちはかうのものこのうへはち かしうをあたへつなんにきよもにかしつくへしとおほせけるこんわううけさまはりこはこそ そんせすそれけんじんちくんにつかへすとこそうにたまはねに寸ならぬみなれどもげんしの のあつうきむる身かけるまきかへいけにつかゑんくもそんせすたゝ御ほうにはくひをめされは ゑときたるむいてそいたりけるにまつとのをはしめなみいたるさむらいともあつはれもうした そこんもうやといないちたうにそかんじけるきよもりにのしめしまことにけんしのともかゝ有 きゝしにまさるものしなりそのきならはいのちをたすくるそなんしかこゝろにまかす。やしと ほさをたせたまひけりこんわうありかたし〳〵とおんまへをまかりたちそれよりもこんまうは かいけんしゑそまいりけるこれまたけんしの御代となるへき御きつきやうせん心うはんせ いはん〳〵せいすへはんしやうのおんよろこひめてたしともなる〳〵申はかりはなかりける 右此本者天満八太夫同重太夫ワキ 武蔵権太夫直伝之以正本一字一点無 相違写之候ては執行者也 通油町 宝永八年壬]正月吉日井須屋三右衛門殿 此本何方様参候共以林 一五兵衛方え御返被下候以上 宝永七年 寅十月 10180 宝永八年ゟ 御作廿四年迄 百八十一年 天保十二年迄凡百六拾九年成ル